Title: Aouma o mitari
Author: Hayashi, Fumiko
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©2001 by the Rector and Visitors of the University of Virginia

About the original source:
Title: Aouma o mitari
Author: Fumiko Hayashi
Publisher: Tokyo: Shinchosha, 1951



蒼馬を見たり

自序

あゝ二十五の女心の痛みかな!細々と海の色透きて見ゆる
黍畑に立ちたり二十五の女は
玉蜀黍よ玉蜀黍!
かくばかり胸の痛むかな
二十五の女は海を眺めて
只呆然となり果てぬ。

一ツ二ツ三ツ四ツ
玉蜀黍の粒々は二十五の女の
侘しくも物ほしげなる片言なり蒼い海風も
黄いろなる黍畑の風も
黒い土の吐息も
二十五の女心を濡らすかな。

海ぞひの黍畑に
何の願ひぞも
固き葉の颯々と吹き荒れて
二十五の女は
眞實命を切りたき思ひなり眞實死にたき思ひなり。

延びあがり延びあがりたる

玉蜀黍は儚なや實が一ツ

こゝまでたどりつきたる

二十五の女の心は

眞實男はいらぬもの

そは悲しくむつかしき玩具ゆゑ

眞實世帶に疲れる時

生きようか死なうか

さても侘しきあきらめかや

眞實友はなつかしけれど

一人一人の心故――

黍の葉のみんな氣ぜはしい

やけなそぶりよ

二十五の女心は

一切を捨て走りたき思ひなり

片瞳をつむり

片瞳を開らき

あゝ術もなし

男も欲しや旅もなつかし。

あゝもしよう

かうもしよう

をだまきの絲つれづれに

二十五の呆然と生き果てし女は

黍畑の あぜくろに寢ころび

いつそ深くと眠りたき思ひなり。

あゝかくばかり
せんもなき
二十五の女心の迷ひかな。

――一九二八、九――




蒼馬を見たり

古里の厩は遠く去つた花が皆ひらいた月夜
港まで走りつゞけた私であつた
朧な月の光りと赤い放浪記よ
首にぐるぐる白い首卷きをまいて
汽船を戀した私だつた。
だけれど………
腕の痛む留置場の窓に

遠い古里の蒼い馬を見た私は

父よ

母よ

元氣で生きて下さいと呼ぶ。

忘れかけた風景の中に
しをしをとして歩む
一匹の蒼馬よ!
おゝ私の視野から
今はあんなにも小さく消えかけた蒼馬よ!

古里の厩は遠く去つた
そして今は
父の顏
母の顏が
まざまざと浮かんで來る

やつぱり私を愛してくれたのは

古里の風景の中に

細々と生きてゐる老いたる父母と

古ぼけた厩の

老いた蒼馬だつた。

めまぐるしい騒音よみな去れつ!
生長のない廢屋を圍む樹を縫つて
蒼馬と遊ばうか!
豐かなノスタルヂヤの中に
馬鹿! 馬鹿! 馬鹿!

私は留置場の窓に

遠い厩の匂ひをかいだ。




赤いマリ

私は野原へはふり出された赤いマリだ!
力強い風が吹けば
大空高く
鷲の如く飛び上る。おゝ風よ叩け!
燃えるやうな空氣をはらんで

おゝ風よ早く

赤いマリの私を叩いてくれ。




ランタンの蔭

キングオブキングを十杯呑ませてくれたら
私は貴方に接吻を一ツ上げませう
おゝ哀れな給仕女

青い窓の外は雨のキリコダマ
さあ街も人間も××××も
ランタンの灯の下で
みんな酒になつてしまつた。

カクメイとは北方に吹く風か…
酒をぶちまけてしまつたんです
テーブルの酒の上に眞紅な口を開いて
火を吐いたのです。青いエプロンで舞ひませうか
金婚式! それともキヤラバン……
今晩の舞踊曲は――

さあまだあと三杯
しつかりしてゐるかつて
えゝ大丈夫よ。私はおりこうな人なのに
ほんとにおりこうな人なのに
私は私の氣持ちを
つまらない豚のやうな男達へ

をしげもなく切り花のやうに

ふりまいてゐるんです。

カクメイとは北方に吹く風か……




お釋迦樣

私はお釋迦樣に戀をしました
仄かに冷たい唇に接吻すれば
おゝもつたいない程の
痺れ心になりまする。

ピンからキリまで
もつたいなさに
なだらかな血潮が逆流しまする
蓮華に坐した
心にくいまで落付きはらつた

その男ぶりに

すつかり私の魂はつられてしまひました。

お釋迦樣

あんまりつれないではござりませぬか!

蜂の巣のやうにこはれた

私の心臟の中に

お釋迦樣

ナムアミダブツの無情を悟すのが

能でもありますまいに

その男ぶりで炎の樣な私の胸に

飛びこんで下さりませ

俗世に汚れた

この女の首を

死ぬ程抱き締めて下さりませ。

ナムアミダブツの

お釋迦樣!




歸郷

古里の山や海を眺めて泣く私です

久々で訪れた古里の家

昔々子供の飯事に

私のオムコサンになつた子供は

小さな村いつぱいに ツチの音をたてゝ

大きな風呂桶に タガを入れてゐる

もう大木のやうな若者だ。

崩れた土橋の上で
小指をつないだかのひとは
誰も知らない國へ行つてゐるつてことだが。
小高い蜜柑山の上から海を眺めて
オーイと呼んでみようか

村の人が村のお友達が

みんなオーイと集つて來るでせう。




苦しい唄

隣人とか
肉親とか
戀人とか
それが何であらう――

生活の中の食ふと言ふ事が滿足でなかつたら
描いた愛らしい花はしぼんでしまふ
快活に働きたいものだと思つても
惡口雜言の中に
私はいぢらしい程小さくしやがんでゐる。

兩手を高くさし上げてもみるが
こんなにも可愛い女を裏切つて行く人間ばかりなのか!
いつまでも人形を抱いて沈默つてゐる私ではない。

お腹がすいても
職がなくつても
ウヲオ! と叫んではならないんですよ
幸福な方が眉をおひそめになる。

血をふいて悶死したつて
ビクともする大地ではないんです
後から後から
彼等は健康な砲丸を用意してゐる。
陳列箱に
ふかしたてのパンがあるが
私の知らない世間は何とまあピヤノのやうに輕やかに美しいのでせう。

そこで始めて

神樣コンチクシヤウと吐鳴りたくなります。




疲れた心

その夜――
カフエーのテーブルの上に
盛花のやうな顏が泣いた
何のその
樹の上にカラスが鳴かうとて

夜は辛い――
兩手に盛られた
わたしの顏は
みどり色の白粉に疲れ
十二時の針をひつぱつてゐた。




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