Title: Benten kozo
Author: Kawatake, Mokuami
Creation of machine-readable version: Atsuko Nakamoto, University of Virginia Electronic Text Center
Conversion to TEI.2-conformant markup: Atsuko Nakamoto and Atsuro Kagawa, University of Virginia Electronic Text Center
URL: http://etext.lib.virginia.edu/japanese
Note: Kanji in the copy-text that are unavailable in the JIS code table are replaced with kana and displayed in green.
©2000 by the Rector and Visitors of the University of Virginia

About the original source:
Title: Benten kozo
Author: Mokuami Kawatake
Publisher: Tokyo: Iwanami Shoten, 1928



辨天小僧

三幕目
雪ノ下濱松屋の場
同 奧座敷の場

    〔役名=

  1. 日本駄右衞門、


  2. 濱松屋幸兵衞、


  3. 南郷力丸、


  4. 早瀬の息女お浪實は辨天小僧、


  5. 幸兵衞伜宗之助、


  6. 番頭與九郎、


  7. 手下、


  8. 丁稚等。〕


(濱松屋の場)=本舞臺四間通し平舞臺、正面眞中に立三引の紋附きし紺の長暖簾、上下に反物、帶地を積みし呉服店、下小裁を入れし箪笥、欄間に小形の着物、萬引用心といふ貼札、上の方に呉服太物現金懸値なし濱松屋幸兵衞といふ黒札、いつもの所門口、紺の暖簾をかけあり、下手後へ下げて土藏、用水桶、總て雪の下濱松屋呉服店の體。ここに手代の與九郎、佐兵衞、太介等三人着流し前垂掛にて硯箱を控へ、此の前に仕出し△、道具屋市郎兵衞買物をしてゐる。下手に格子で圍ひし茶番所、唐がねの茶釜、筒茶碗など飾り、鳶の者龜の子清次立つて煙草を呑みゐる。小僧三人呼びかけゐる。この模樣てんつゝ角兵衞獅子にて幕明く。


小僧

おわい/\おわい/\。



與九

判取。



小一

はい――(と奧へはひり、賣上を持つて來る。)



佐兵

三分二朱で二匁五分のお剩錢でござります。



市郎

あい/\、大きにお世話でござりました。(ト反物を風呂敷へ包む。)




もし急ぎます、早くして下さりませ。



佐兵

はい、唯今御覽に入れます。小僧よ。



小二

はあゝ。



清次

もし太介さん、わつちが羽織はまだ出來ませんか。



太介

もう仕立へ廻しておいたから、明日までにはきつとできよう。



清次

そいつあ有難え、明後日與助さんのお番で芝居から廓へ行くから、ちつとめかして行かにやあならねえ。



與九

めかして行くはいゝけれど、三日も四日も流連をして、頭をしくじらねえやうにするがいゝ。



清次

なに、この春で懲り/\しやした。



[ト書]

ト此中花道より日本駄右衞門の手下着流し尻端折りにて出て來り、門口へはひりて、



手下

はい、御免なせえ。



佐兵

これはいらつしやりませ。



手下

ときに、番頭どうしてくれるのだ、この間誂へた五枚の小袖、まだ染が出來ねえのかえ。



佐兵

いえもう染は上りましたが、お仕立がまだできませぬ。



手下

まだ出來ませぬぢやあ濟むめえぢやあねえか、今日で幾日來ると思ふ。



佐兵

ついお天氣工合が惡いのに、友禪入りの模樣故急に染が上りませぬので、大きに遲なはりましてござります。太介どん、夕方までにはできる積りだの。



太介

左樣でござりまする。先刻仕立屋がまゐりまして、七つ過ぎには持つてまゐると言ひました。



佐兵

お聞きなさる通りでござります故、どうぞ夕方までお待ちなされて下さりませ。



手下

そりやあ待てなら待ちもせうが、こんなに長くならねえやう。前金を拂つておいたのだ。



佐兵

御尤もでござりますが、どうぞ夕方までお待ち下さりませ。



與九

どちら樣でござりますか、こちらから持たして上げませう。



手下

なに、持つて來るにやあ及ばねえ。



佐兵

そんなら二階で、夕方まで一口召上つてお待ち下さりませ。



手下

有難うござりやすが、白雲頭の小僧の酌で、鐵ツくせえ銚子の酒は眞平だ。



小一

えゝ眞平もよく出來た、此間來た時に、ぐでん/\に醉つたくせに



佐兵

えゝやかましい靜かにしねえか。



手下

それぢやあ番頭晩に來るよ。



與九

左樣なされて下さりませ。



手下

どれ、芋酒屋で一ぱいやつて行かうか。(ト下手へはひる。)



清次

もし佐兵衞さん、今の若え者は何だね。



佐兵

なんだか知らぬが、祭りに着るとて派手な着物を誂へました。



太介

今時分の祭禮では、何處の祭りであらう。



與九

大方初瀬の三社樣だらう。



清次

拵へから言方は遊び人に違えねえが、何だかきよろ/\見廻して眼附の惡い野郎だ。どれ、奧へ行つて、鐵ツくせえのでもやつて來ようか。



[ト書]

ト鳶の者清次奧へはひる。と花道より駄右衞門羽織袴大小にて若黨作平、中間を伴ひ出て來りて、



駄右

こりや作平、濱松屋と申すは向うの店ぢやの。



作平

左樣にござります、近年の仕出しにござりますが、殊のほか繁昌いたしまする。



駄右

いかさま、左樣相見ゆる。



作平

御進物の品々は、あれにてお求め遊ばしますか。



駄右

されば、何か珍らしき品もあらうかと存じて。



作平

左樣なら、御案内いたしませう。(ト門口へ來り、) 頼まう。



與九

はあ、これは/\。(ト飛んで出で、) まづ/\これへお通り遊ばしませ。



駄右

許しやれ。



與九

こりや、茶番よ/\。



小僧

はあゝ。(ト茶を汲み來り、駄右衞門に出す。)



與九

今日はよう快晴いたしましてござりまする。



駄右

さればうらゝかなことでござるなう。



[ト書]

ト袖煙草入を出す。若黨、中間は下手に控へてゐて、茶を呑みながら、



作平

これ、でこ平、これが酒だといゝな。



中間

そんなことを言つて下さるな、咽がぐび%\するわ。



與九

今に旦那樣がお買物をなさると、供方へも酒が出るわ。



作平

そいつあ有難い。



與九

御註文の品は、何品でござりますな。



駄右

北條家への進物ぢやが、繻珍、緞子の類、織物を見せてくりやれ。



與九

畏まりましてござりまする。これ佐兵衞どん、御苦勞ながら繻珍、錦、緞子の類を、奧藏へ行つて持つて來い。



佐兵

畏まりました。太介どん頼みます。



[ト書]

ト佐兵衞は奧へはひる。仕出し捨ゼリフにて太介を相手にわや/\といふ、小僧を呼び立てる。



駄右

いや、殊のほか繁昌なことぢやな。



與九

いえも有難いことに、諸方樣のお引立を蒙りまして、人の途斷れがござりませぬ。



[ト書]

ト奧より濱松屋の亭主幸兵衞羽織にて出て來り、後より佐兵衞卷物を持ち出て來る。



幸兵

これは/\、よういらせられましてござります。



駄右

おゝ、してその方は。



幸兵

此家の主人幸兵衞めにござりまする。



駄右

左樣であつたか。



幸兵

毎度御贔屓とござりまして、御用向を仰せ聞けられ、有難い仕合せでござりまする。新店の儀にござりますれば、何分お引立をお願ひ申しまする。



駄右

手前屋敷などでも評判故これまでの出入もあれど、北條家への進物に珍らしき品もあらうかとその方店へまゐつたのぢや。



幸兵

それは有難い仕合はせにござりまする。



與九

御註文の品を御覽に入れませう。



佐兵

生憎お屋敷方へ今朝ほど出まして。



幸兵

いや/\その品は常の織物、珍らしい品と仰せられますれば、御意に入る品があるまい。幸ひ京都から唯今、



駄右

誂へ織りとあるからは、定めて高價な品であらうが、値は何程でも苦しうない、珍しいのが所望なるぞ。



幸兵

畏りましてござりまする。こりや/\太介、昨日着いた新荷を解き、錦類を持つて來やれ。



太介

畏まりました。(ト奧へはひる。)



幸兵

然し、少々手間どりますれば、こゝは端近、奧の間で暫くお待ち下さりませ、お茶を一服差上げたうござりまする。



駄右

いや、その心配には及ばぬこと、やはりこれにて苦しうない。



幸兵

ではござりませうが、雜沓ひますれば、ひらにどうか奧の間へ。



駄右

いかさま、雜沓中にをるも邪魔、然らば其方が言葉に任せ、奧で相待ち申すであらう。



幸兵

左樣なされて下さりませ。



駄右

こりや/\、その方ども、店の邪魔にならぬやう、片寄つて待つてゐやれ。



二人

へい/\、畏まりました。



與九

いや、お前樣方は勝手へ行つて一口上つて下さりませ。



二人

そりやあ有難うござりまする。



駄右

然らば御亭主、



幸兵

かうおいでなされませ。(ト先に立ち駄右衞門附添ひ奧へはひる。)



市郎

ときに、私の書附はまだでござりますか。



佐兵

はつ、唯今差上げます、判取イ。



小僧

はあゝ。(ト賣上を持つて來る。)



佐兵

これはお待遠樣でござりました。



市郎

いや、呉服屋は長いので困る。(ト下手へはひる。佐兵衞送り出て、)



佐兵

よういらつしやりました。何だ呉服屋は長いので困るもよくできた、半襟一掛に絞り木綿が二尺五寸、僅五匁か六匁で茶を五六ぱいに、煙草をば何服喫んだか知れはしねえ、そつちよりこつちで困るわ。



與九

ちつと目覺しに、美しいト一な代物でも來ればよい。



[ト書]

ト唄になり、花道より辨天小僧高髷の島田、振袖屋敷娘の拵へにて、南郷力丸侍の拵へにて附添ひ出て來りて。



辨天

これ四十八、濱松屋といふのは何處ぢやぞいの。



南郷

つい向うに見えます呉服屋でござります。



辨天

婚禮の仕度ぢやといふことは、必ず言うてたもんなや。



南郷

申してもよいではござりませぬか。



辨天

それでも私や恥しいわいな。



南郷

言うて惡くば申しますまい。(ト門口へ來りて、) さあお孃樣おはひりなされませ。



辨天

そなた先へはひりやいの。



南郷

左樣ならば御免なさりませ。(ト内へはひる、此時佐兵衞奧より出て來りて、)



佐兵

これはいらつしやりませ。



太介

さゝ、これへ/\。



與九

いえ、私方へいらつしやいませ。(ト佐兵衞と太介の間へ割つてはひる。)



佐兵

これはト一お孃樣、これへいらつしやりませ/\。



太介

いえ/\こちらへ、



與九

いやこちらへ、



南郷

あこれ、靜かにして下され、氣逆せがするわえ。



與九

はつ/\、二人とも靜かにせぬか。ても扨ても美しい、いや美しい模樣物が澤山仕入れてござりますれば、まづ/\これへ、



三人

お通りなされませ。



南郷

さあお孃樣、お上りなされませ。



辨天

上つても大事ないかや。



南郷

よろしうござりますとも。これ、履物を頼むぞ。



小僧

畏まりました。



[ト書]

ト辨天、南郷よきところへ住ふ。




扨て、今日はよいお天氣でござります。こりや茶番よ/\。



小僧

はあゝ、(ト茶を汲み持つて來て兩人へ出す。)



佐兵

たうとう自分の方へ引込んでしまつた。(ト太介と共によい娘だといふ思入にて辨天に見惚れてゐる。)



與九

して、何を御覽に入れませうな。



南郷

京染のお振袖に毛織錦の帶地の類、又お襦袢になる緋縮緬、緋鹿子などを見せて下さい。



與九

畏まりましてござります。こりや三保松よ、京染の模樣物、毛織錦の卷物に、緋縮緬、緋鹿子を持つて來い。



小僧

はあゝ。(ト奧へはひる。)



與九

唯今御覽に入れまする。(ト思入あつて、) だいぶ芝居がはひりますさうにございますが、お孃樣には御見物遊ばしましたでございませうな。



辨天

はい、此間二丁目(市村座)へまゐりましたわいな。



與九

へい、左樣でござりまするか。定めてお孃樣の御贔屓は、當時若手の賣出し羽左衞門でござりませうな。



辨天

いえ/\私は羽左衞門は大嫌ひぢやわいなあ。



與九

それでは、權十郎か粂三郎でござりますか。



辨天

いゝえ。



與九

いや、芝翫でござりまするか。



辨天

あい。(ト恥しき思入。)



與九

いや芝翫を御贔屓なら御油斷なされますな。當時の人氣者でござりますから、あつちからもこつちからもひつぱり凧でござります。



南郷

そりやあ番頭大嘘だ、あんな眞面目な男はない、先づ第一酒が嫌ひ、女が嫌ひ、勝負事が嫌ひ、とりわけ せりふを覺えるのが嫌ひだ。



辨天

えゝ、そのやうな憎まれ口をきいて。



[ト書]

ト南郷を打つ眞似をする、與九郎終始辨天小僧に見惚れゐる思入。



與九

これはよほど御贔屓と見えまする。



南郷

こなたは芝居は好きさうだが、役者は誰が贔屓だな。



與九

へい、私の贔屓は片岡十藏でござりまする。



辨天

おやまあいやな。(ト笑ふ、)



南郷

さう言へば番頭どのは十藏に生寫しだ。



與九

誰れ彼れと申しても、當時三丁町の役者で十藏が一でござります。



南郷

はゝあ、そんなに藝が上手かな。



與九

いえ、藝ではござりませぬ、脊丈の高いのでござりまする。



南郷

なるほど、こりやあ三丁一だ、はゝゝゝゝ。



[ト書]

ト小僧紙附の模樣物、卷物の帶地、小葛籠へ入れし緋鹿子、緋縮緬の布地を持ち出て來る、



與九

大きにお待たせ申しました。(ト品物を列べ、) これ小僧よ、灯りを持つて來ぬか。



小僧

はあゝ。(ト朝顏附の燭臺を持つて來る。)



辨天

これ四十八、鹿の子はどちらがよからうぞいの。



南郷

どちらでもあなた樣の御意に入つたのになされませ。



辨天

そんなら麻の葉の方にしようわいの。



南郷

模樣物は御婚禮故、目出度いものがよろしうござりまする。



與九

へゝえ、御婚禮のお支度でござりますか。



辨天

あこれ、言やるなと言うたのに。(ト恥しき思入。)



南郷

へい、うつかりと申しました。



[ト書]

ト此中與九郎こつそりと見惚れてゐる故、



佐兵

此與九郎殿、涎がたれるわ。



與九

なんで涎が。



佐兵

見なせえ、緋鹿子はしみだらけだ。



[ト書]

ト此中辨天小僧あたりへ思入あつて、見物にみえるやうに緋鹿の子の布を懷ろへ入れる。與九郎これを見てびつくりする、佐兵衞も太介に囁く、辨天と南郷は知らぬ顏にて捨ゼリフにて模樣物を見てゐる、太介奧へはひり、鳶の者清次を引張り出て來りて、



清次

もし、萬引をした奴はどれでござりまする。



佐兵

あこれ、靜かにしなせえ。(ト囁く、南郷思入あつて、)



南郷

模樣物は此の二つと、帶地は毛織錦と、以上三本緋鹿の子に緋縮緬、しめて値段は何程なるか、勘定をしておいてくりやれ。八幡樣へ參詣なし、歸りに寄つて持つてまゐる。



與九

畏まりましてござりまする。



南郷

さあお孃樣、暮れぬ中にお詣り申しませう。



辨天

あい、さうしませうわいの。



南郷

これは大きにお世話であつた。



[ト書]

ト兩人立ち上り行かうとするを、此の時清次、佐兵衞、太介立ち塞がる、奧より以前の若黨中間等出て來る。



佐兵太介

もし、ちよつとお待ち下さりませ。



南郷

何ぞ用か。



與九

御冗談をなされますな。



南郷

なに、冗談とは。



與九

お隱しなされた緋鹿の子を、置いておいでなさりませ。



兩人

え。(ト顏を見合せ、ぎつくり思入。)



清次

いや、文金島田のお孃さんが、萬引をしようとは氣が附かねえ。



佐兵

頭、油斷のならねえ世界だね。



南郷

なに、お孃樣が萬引をした、當て事のない粗相を申し、後で後悔いたしをるな。



[ト書]

トきつといふ、辨天は南郷に縋り震へてゐる。



與九

年中商賣をいたしてをりますれば、ちらりと見たら間違ひはござりませぬ。



佐兵

たつて知らぬと言ひなさりやあ、裸にして詮議をする。



太介

さうされたらば ものがない。痛い目せぬ中出さつしやい。



清次

もう逃げようとつて逃がしやあしねえ、まあ下にゐねえ、えゝ下にゐやあがれ。



[ト書]

ト南郷の肩をとつて坐らせる。辨天おろ/\として、



辨天

これ四十八、こりやどうしたらよからうわいの。



南郷

いや、何もお案じなさることはござりませぬ。お孃樣を萬引なぞと惡名附けし憎い奴等、明りが立たねば歸られませぬ。さあ落着いておいでなさりませ。



與九

なに、明りを立てねば歸られぬ。よくもそんなことが言はれたことだ。



南郷

して萬引をいたせしとは。



與九

四の五のいふは面倒だ。



[ト書]

トつか/\と行き辨天を捉へる、辨天あれえといふを、無理に懷ろより緋鹿の子を引出し、



[與九]

これ、この布は何處から持つて來たのだ。



清次

以後の見せしめ二人とも、袋だゝきにしてやらう。



佐平

いや、しめるとは面白い。



中間

おいら達も彌次馬だ。



清次

構ふことはねえ。



皆々

しめろ/\。



[ト書]

ト太神樂の鳴物になり、皆々二尺差、暖簾掛の棒などにて兩人を打つ、南郷は辨天を庇ひ、皆々を留めるごつちやの立ち廻り、これにて島田髷くづれる。此の時辨天の額へ疵附きて、『あいたゝゝゝゝ』とそのまゝ俯けになりゐる。ト花道より濱松屋の息子宗之助出て來り、直ぐ内へはひり、皆々を留めて、



宗之

これはしたり、どうしたものだ。店頭で立ち騒ぎ、靜かにしたがよいわいの。



與九

いえ若旦那お構ひなさるな、こいつらは萬引でござりまする。



宗之

なに、この衆は萬引とか、して何を盗まれたのぢや。



與九

緋鹿の子の布を盗みました。



清次

それで私がたゝきのめしたのさ。



南郷

やあ、身に覺えなき萬引呼ばはり、盗んだといふのはこの布か。



與九

知れたことさ。



南郷

そりやあ山形屋で買つた布、符丁があるからとつくり見やれ。



與九

おゝ見なくつてどうするものだ(ト見てびつくりし、) やあ、丸の内に山の字は、こりや山形屋の符丁の印し、



佐兵

そりやあ萬引と思つたのは、



太介

餘所の代物であつたのか。



三人

やあ。(ト皆々びつくりする。南郷懷ろから賣上を出し、)



南郷

番頭、この賣上を見やれ。



與九

へい/\。(ト取つて見る。)



南郷

山形屋で買つた證據の賣上、これでも萬引と言ひかけするか。



與九

さあ、それは。



南郷

よもや萬引とは言はれまい。



[ト書]

ト皆々ひよんなことをしたといふ思入、清次は騙りだといふこなし、若黨と中間は囁き合つて下手へはひる。



宗之

私はこの家の伜、唯今お得意より歸りがけ、承りますれば若い者が心得違ひで、あなた樣へ粗相なことを申しましたさうにござりまするが、幾重にもお詫をいたしまする、どうか御了簡なし下さりまするやう、



皆々

一同お願ひ申しまする。



南郷

なに、一同お願ひ申します。どの口でそんなことを言はつしやる、萬引でもないものによく盗人の惡命附けたな。



宗之

いえもう仰せは一々御尤もで、そこをどうぞお情に、御了簡下さりますやう。



南郷

默れ/\/\、默りやあがれ。



宗之

へい。



南郷

これ、何を隱さう、お孃樣は二階堂信濃守の御目附をお勤めなさる、早瀬主水樣の御息女、今度秋田の御家中へ御縁を組まれし花嫁御、萬引といふ惡名附けて、たゞあやまつて濟まうと思ふか。



皆々

恐れ入りましてござりまする。



南郷

手前達では譯が分からぬ、亭主に逢はう、亭主を出しやれ。(トきつといふ。)



幸兵

唯今それへ參りますでござりまする。(ト奧より出て來る。)



南郷

むゝ、そりやその方が此の家の亭主か。



幸兵

へい、左樣でござります。委細の樣子は逐一に承りましてござりまする、何ともかとも申上げ樣なき手代共の不調法、お詫びの趣意は立てませうほどに、どうか御了簡なされて下さりませ。



南郷

外ならぬ主人の頼み、餘のことならば了簡いたしくれうが、この儀ばかりは。



幸兵

すりや如何樣お詫びをば申上げても、御了簡は、



南郷

ならぬといふは、これ御亭主、この疵を見て下さりませ。



[ト書]

ト俯伏せなりに泣いてゐる辨天を引起し額の疵を見せる、皆々びっくりして、



幸兵

や、こりやお孃樣の額に疵が。



皆々

やゝゝゝゝ。



南郷

今も拙者が申す如く、御縁極りし大事の御身、疵が附いてはこのまゝに屋敷へお供はいたされぬ。氣の毒ながら片ツぱし首をならべて、身共もこの場で切腹いたす。



辨天

あこれ四十八、そのやうに事荒立てずと、内々にどうかしやうはないかいの。



南郷

そりやないこともござりますまいが、今内々にいたしまして、後日に知れて御覽じませ、旦那樣へ拙者めが申譯がござりませぬ。



[ト書]

ト此中清次幸兵衞に囁く、幸兵衞頼むといふ思入、清次呑込みて、



清次

もし、憚りながら、ちよつとこれへお顏を貸して下さりませ。



南郷

(下手へ來て、) むゝ、顏を貸せとは何用だ。



清次

外の事でもござりませぬが、あの脊高の番頭が見違ひをしたばつかり、わつちらまで共々にとんだ間違ひを拵へやしたが、今お前さんの言ふ通り、片ツぱしから切つたところが切り榮えもしねえ南瓜唐茄子、お孃さんのお言葉もあれば、道でお轉びなすつたとか、何とかかとか胡麻かして言譯をして下さりませ、お禮はしつかりいたさせます。もし、一ぺえやる氣になつておくんなせえ。



南郷

(思入あつて) お孃樣、どういたしませうな。



辨天

もうよい加減にしてやりやいの。



南郷

左樣なればこのまゝに、了簡いたしてやりませう。



清次

そりやあ有難うござります。(ト幸兵衞の傍へ來て、) もし、十兩だして下さりませ。



宗之

おゝ、丁度幸ひ、お屋敷から受取つて來たこのお拂金、



[ト書]

ト懷ろより胴卷を出し、中より百兩包みを取出して十兩紙に包み渡す、南郷、辨天これへ目を附けてゐる。



清次

それぢや少しばかりだが、歸りに一ぺえやつておくんなせえ。



南郷

(手に取り開き見て、) なんだ、了簡すりやあしつかりすると言つた、禮が十兩か。



清次

十兩ぢやあ不足かえ。



南郷

今内分に濟ましたことが、後日に旦那へ知れた日には、命にかゝはる仕事だぞ。



清次

それだから十兩やるのだ、それで厭なら止しにしろえ。



南郷

おゝ、止しにしねえでどうするものだ。十や二十の端た金で賣るやうな命ぢやあねえ。百兩ならば知らねえこと、一朱缺けても賣りやあしねえ。



清次

賣らざあ買ふめえ、止しにしよう。さあ、片ツぱしから切る先に、おれから切つてくれ。



南郷

おゝ、切らねえでどうするものだ。



清次

さあ、きり/\と切らねえか。



幸兵

これさ/\、こなたが腹を立つてはいけぬ。



宗之

まあ/\、靜かにしたがよい。



清次

なんの、あんな奴の一人や二人、たゝき殺してもだいじねえ。



與九

これさ、お前が喧嘩を買つてはいけねえ。



佐兵

まあ/\裏へ一緒に來なせえ。



清次

いやだ/\、うつちやつておいてくんなせえ。



太介

はて、喧嘩をしてはいけない。



兩人

まあ、來なせえといふに。



[ト書]

ト佐兵衞、太介清次を引つぱつて下の方へはひる。南郷きつと思入あつて、



南郷

恥辱に恥辱を重ねし上は、血を見ぬ中は歸られぬ。片ツぱしから覺悟なせ。



幸兵

(留めて、) あゝいや、お待ち下され。最前より見受けますれば、この扱ひにて不足の御樣子、金で買へざる人の命、どうかお心癒るやうに。(ト思入あつて百兩出し、) これにて御了簡下さりませ。



[ト書]

ト南郷思入あつて金を取上げ開き見て、につたりこなしあつて、



南郷

むゝ、了簡しにくいところなれど、切れ放れよき主人が挨拶、百兩ならば了簡いたさう。



幸兵

すりや、お聞濟み下さるとか。



南郷

いかにも、



幸兵

これで一同、



皆々

安堵しました。



南郷

思はぬことで暫時の暇入り、



辨天

それも事なく、濟む上は、



南郷

少しも早く、



幸兵

左樣なれば、



宗之

お二人樣、



南郷

世話であつた。



[ト書]

ト南郷、辨天立ち上り行きかける。と此の以前より上手へ駄右衞門出かゝり窺ひゐて、



駄右

お侍、ちよつと待つて下され。



[ト書]

トこれにて兩人ぎつくり思入あつて立ち留まり、南郷駄右衞門を見て、



南郷

むゝ、見れば立派なお侍、待てとは何ぞ用でもござるか。



駄右

いかにも。



南郷

して、その用は。



駄右

お下にござれ。



南郷

むゝ。(ト思入あつて下にゐる。)



駄右

扨て最前よりの一部始終、一間で殘らず承はつたが、よくぞ御了簡いたされた、人は勘辨が第一でござる。



南郷

さあ、了簡しにくきところなれど、何を申すも女儀の同伴故、



駄右

それが却つてこの家の仕合はせ、計らず身共も參り合はせ、お目にかゝるも不思議の御縁、二階堂の御藩中でござると承はつたが、左樣かな。



南郷

いかにも二階堂信濃守が家來、早瀬主水が息女でござる。



駄右

しかと左樣でござるかな。



南郷

はて、くどいことを。



駄右

あの、こゝな僞りものめが。



南郷

なんと。



駄右

斯くいふ我は二階堂信濃守が用人役、玉島逸當と申すもの。



兩人

え。(ト南郷、辨天びつくりする。)



駄右

早瀬主水と名乘る者、我屋敷に覺えない。



南郷

むゝ。



駄右

殊には縁組定まりし娘といふも、まさしく男、



辨天

や、(トちよつと男の容子を見せ、) なんで私を男とは。(トやさしき女の思入。)



駄右

女というても憎からぬ姿なれども、某が男と知つたは二の腕にちらりと見たる櫻の彫物、なんと男であらうがな。



辨天

さあ、それは。



駄右

但し女と言ひ張れば、この場で乳房を改めようか。



辨天

さあ、



駄右

男と名乘るか。



辨天

さあ、



駄右

さあ、



兩人

さあ/\/\。



駄右

騙者め、返事はなゝ何と。



[ト書]

トきつと言ふ。南郷南無三といふ思入、辨天ずつと立つて帶を解き上着をすつぽり脱ぎ、下着細帶の裝になり、



辨天

こウ兄貴、もう化けてもいかねえ、おらあ尻尾を出してしまふよ。



南郷

えゝ、この野郎は、 ひつこしのねえ、もうちつと我慢すりやあいゝに。



[ト書]

ト大小を袴に包み投りだし、これも上着を脱ぎ三尺帶になる。



辨天

べらぼうめ、男と見られた上からア、窮屈な目をするだけ無駄だ。もしお侍さん、御推量の通り私あ男さ、どなたもまつぴら御免なせえ。



[ト書]

ト足で煙草盆をかき寄せ、尻をくるりと捲り胡坐をかく、皆々見てびつくりする。



與九

扨ては女と思つたは、騙りであつたか。



皆々

やあ/\/\。



辨天

知れたことよ、金がほしさに騙りに來たのだ。秋田の部屋ですつかり取られ、鹽噌の錢にも困つた所から百兩ばかり かせがうと、損料物の振袖で役者氣取りの女形、うまくはまつた狂言もかう見出されちやあ譯はねえ、ほんに唯今のお笑ひ草だ。



與九

どう見てもお孃さんと思ひのほかの大騙者、扨て/\太い、



五人

奴だなあ。



辨天

どうで騙りに來るからにやあ、首は細いが膽は太え。



南郷

何だ、太いの細いのと、橋臺で賣る芋ぢやアあるめえし。



辨天

違えねえ。



駄右

巧みし騙りが現はれても、びくともせぬ大丈夫、ゆすりかたりのその中でも、定めて名のある者であらうな。



辨天

それぢやあ、まだ私等をお前方は知らねえか。



與九

おゝ、何處の馬の骨か、



皆々

知らねえわ。



辨天

知らざあ言つて聞かせやせう、濱の眞砂と五右衞門が歌に殘せし盗人の種は盡きざる七里ケ濱、その白浪の夜働き、以前を言やあ江之島で年季勤めの兒ケ淵、江戸の百味講の蒔錢を當に小皿の一文子、百が二百と賽錢のくすね錢せえだん/\に惡事はのぼる上の宮、岩本院で講中の枕搜しも度重なり、お手長講を札附にたうとう島を追出され、それから若衆の美人局、こゝやかしこの寺島で小耳に聞いた祖父さんの似ぬ聲色で小ゆすりかたり、名さへ由縁の辨天小僧菊之助といふ小若衆さ。



[ト書]

ト片肌脱ぎ櫻の花の彫物を見せ、きつと見得。南郷も思入あつて、



南郷

その相ずりの尻押は、富士見の間から向うに見る、大磯小磯小田原かけ、生れが漁夫に波の上、沖にかゝつた元船へその舟玉の毒賽をぽんと打ち込み捨碇、船丁半の側中を引さらつて來る利得とり、板子一枚その下は地獄と名に呼ぶ暗黒も、明るくなつて度胸がすわり、艫を押しがりやぶつたくり、舟足重き刑状に、昨日は東今日は西居所定めぬ南郷力丸、面を見知つて貰ひやせう。



[ト書]

トきつと思入、駄右衞門扨てはといふ思入あつて、



駄右

扨てはこのほど世上にて、五人男と噂ある日本駄右衞門が餘類よな。



辨天

えゝ、その五人男の末端さ、先づ第一が日本駄右衞門、南郷力丸、忠信利平、赤星十三、辨天小僧、私アほんの頭數さ。



南郷

かうしらばけに打ちまけたら、歸しもしめえが歸りもしねえ。さあ、騙つた金を返しやすよ。



[ト書]

ト前の金を幸兵衞の前へやる。



辨天

さあ、これから二人ともこゝから突出してくんなせえ、騙りが露れたその時は送られる氣で新らしく晒布を一本切つて來たのだ。



南郷

これから先は私の働き、どいつもこいつも口一つで、抱いてゆくから覺悟しろ。おい小僧、茶を一ぺいくれ。



小僧

はあゝ。(ト茶を汲んで持つて來る。南郷ちよつと飮んで、)



南郷

えゝこいつあべらぼうに焦げツ臭え。こんな茶が飮めるものか。(ト茶碗を小僧に投げつける。)



小僧

あツつゝゝゝ(ト頭をかゝへて下手へ控へる。)



辨天

さあ、かう極つたら早いがいゝ、夜の更けねえ中きり/\と繩をかけて突出しなせえ。どうで行きやあ二人とも二度と再びこの娑婆へ出るか出られねえか知れねえ身體、然し御親切な逸當樣、首になつてもお禮にやあきつとお屋敷へ行きやすよ。



南郷

えゝ、 こけ未練なことを言ふな、命がをしいやうで見つともねえ。



駄右

(これを聞いて思入あつて、) なるほど心のすわつたものだ、巧んだ騙りが露はれて、悄々歸りもすることか、突出せなぞとえて勝手、此の家に難儀がかゝらずば生けおく奴ではなけれども。



[ト書]

ト思入、兩人これを聞いて、



辨天

それぢやあお前はこゝの家へ難儀がかゝらざあ切る氣かえ、おもしれえ切られよう、いつか一度は二人とも刀の錆になる身體、素人衆の手にかゝり切られりやあ本望だ。



南郷

さうだ/\、疊の上で死ねねえこちとら、差擔ひでも呉服屋の店から擔いで出されりやあ、死花が咲くといふものだ。



兩人

さあ、すつぱりとやんなせえ。(トしやんと畏まり、襟の毛をかき上げ駄右衞門へ身を突附ける。)



駄右

むゝ、望みとあらば。(ト刀を持ち立ちかゝる、幸兵衞、宗之助これを留めて、)



幸兵

あもし旦那樣、まあ/\お待ち下さりませ、彼等をお切りなされましたら、私方は兎も角も、あなたのお名の出ますこと。



宗之

嘸やお腹も立ちませうが、何を申すも惡い相手。



駄右

それ故身共も控へをつたが、あまりと言へば憎き奴等。



幸兵

ではござりませうが大切の御身、私共にお免じ下さりませ。



駄右

強つてとあらば兎も角も、此方は元より事を好まぬ。



幸兵

すりや御了簡下さりますか。



皆々

えゝ有難うござりまする。(ト此中辨天、南郷思入あつて、)



辨天

さあ、切るなら早く切らねえか。



南郷

それとも切らざあ、突出すとも、



辨天

夜がつまつた、



兩人

早くしねえか。



幸兵

これ/\お前方もよい加減にふて勝手を言はつしやい。縛つて出すの突出すのとは、私がはうで言ふ せりふ、せれを言はぬが商人故、たゞ何事もこれぎりに無事に歸つて下さりませ。



辨天

いゝや厭だ、歸られねえ。



幸兵

そりや、何故に歸られませぬ。



辨天

二階堂の藩中で早瀬主水が娘と言つたも、化が露はれ百兩の金をそつちへ返したら、言はずと知れた五分と五分、そつちは損はあるめえが、こつちの損は萬引と寄つてたかつて大勢に打たれたおれが向う疵、この始末はどうしなさる。



幸兵

さあ、それはこつちの過失故、詫びて濟むならこつちから膏藥代を差上げますが、それでどうぞお二人とも、この場を歸つて下さりませ。



辨天

おゝ、そりやあ物は相談だ、趣意が附くなら歸りもしよう。



幸兵

さう了簡をして下さるなら、些少なれどもこの金を、どうぞ取つて下さりませ。



[ト書]

ト金包を出すを辨天、開いて見て、



辨天

なんだ、膏藥代は十兩か、辨天小僧と南郷が呉服屋で騙り損え、五兩宛で歸つたと言はれた日にやあ恥の恥、こりやあお返し申しやせう。



幸兵

それで足りずば、又どうなと。



辨天

えゝ端金はいらねえわえ。



南郷

これ菊や、長く居たなら二十と三十、ねだり出しもしようがな、こつぱ仕事で夜が更けらあ、まあ、それを取つて歸りやな。



辨天

こウ手前もちつとぼんやりしたぜ、十兩ばかりで歸られるものか。



南郷

取らねえにやあましだ、取つておけ。足らざあどうかしようといふから、まさかの時のいゝ金蔓だ。あとは旦那に預けておきな。



辨天

それぢやあこれで歸らうか。(ト思入あつて金を取上げ、) 御時節柄とはいひながら、端金ぢやあ安いものだ。



幸兵

そんなら、それで聞分けて、



宗之

無事に歸つて下さるか。



辨天

むゝ、今日はこのまゝ歸ります、その替りに又これを御縁に、



南郷

これから度々參りやす。



與九

それは眞平、



皆々

おいでに及ばぬ。



[ト書]

ト此の中辨天小僧は上着と帶を下の細帶にて結へる、南郷は袴へ大小を包み、これも帶にて結び、兩人立ち上り、駄右衞門に向ひ、



南郷

もし、お侍さん、大きに失禮を申しました。



辨天

このお禮はいつか一度、



駄右

むゝ、言ひ分あらば何時でも、



兩人

きつとしにやアおきやせぬよ。



[ト書]

ト雜物を肩へかけ、辨天尻を端折り、兩人門口へ出る。



與九

をとゝひ來い。



辨天

えゝ、やかましいやい。(ト與九郎の横面を喰はす。)



與九

あいたゝゝゝゝ。(ト倒れる。)



幸兵

えゝ、性懲もなく。



宗之

控へてゐぬか。(ト與九郎を押へ附ける。辨天頬冠をしながら、)



辨天

何しろこいつが、邪魔だな。



南郷

一緒にして坊主持にしよう。



辨天

それがいゝ/\。



[ト書]

ト門附の合方にて辨天一つに結へて肩にかけ、行きかけると一人の按摩出て來る。



[辨天]

そりや按摩だ、そつちへ渡すぞ。(ト南郷に渡す。)



南郷

べらぼうに早いぢやあねえか。



[ト書]

ト按摩花道にて忘れ物をせし思入あつて、後へ引返す。



[南郷]

やあ、後へ歸つたからそつちへ返すぞ。



辨天

忌えましい按摩だな、(ト肩へかけ新内を語り、) あんまにむごいどうよくな。



[ト書]

ト南郷口三味線て花道へ行きかける、按摩又取つて返し花道にて行き逢ひ、舞臺の方へ行く、辨天氣附かぬ思入。



按摩

あんま針。(トこれにて辨天心附き、)



辨天

や、あんまか。(ト振返る。)



南郷

新内で川流れだ。



辨天

えゝいめえましい。(ト兩人よろしく花道へはひる。)



駄右

あ、惡漢どもとは言ひながら、身を投げ出してのゆすり騙り、扨々憎い奴ではある。



幸兵

いやも、あなた樣がおいでなされませぬと、彼等に百兩うま/\と騙られますところ、



宗之

計らず難儀を脱れましたは、偏へに旦那樣のお蔭故、



與九

數なりませぬ私どもまで、



佐兵

お禮は言葉に盡されませぬ。



太介

えゝ有難う、



皆々

ござりまする。



駄右

さしてもないことを、そのやうに厚う禮を言はれては、却て身共迷惑いたす。



幸兵

いやも、これと申すも番頭與九郎、皆その方が粗相からかゝる事も起るといふもの。いつぞは言はうと思うたが、よい折故にこれまでの不奉公の段々を申聞かして今日からは、店の支配は退役さすぞ。



與九

そりや又あんまり情ない、何もこれまでそれほどな。



幸兵

覺えがなくば言ひ聞かさうが、彼方樣がおいでなされば、後にとつくり云ひ聞かさん、覺悟いたして待つてをれ。



與九

へゝい。



駄右

いかなる仔細か存ぜねど、今日のことならあの者が落度と言ふでもござるまい。



幸兵

いえ、これにはいろ/\事情あること、かやうなことにお構ひなく、あなた樣には奧の間へ。



駄右

いや、最早初更も過ぎた樣子、また/\明日まゐるであらう。



宗之

ではござりませうが、丁度御時分、何はなくともお湯漬でも。



駄右

その心配は必ず無用。



幸兵

左樣ならば差上げますまいが、まだ最前のそのほかに、御覽に入れ度き品もござれば。



佐兵

是非とも一先づ、



太介

奧の間へ。



駄右

さほどまでに言はるゝを、辭退いたすも却て無禮、



幸兵

何はなくとも、



宗之

御禮に一獻。



駄右

然らば御亭主。



幸兵

旦那樣。



駄右

どれ、御造作になるであらう。



[ト書]

ト唄になり、駄右衞門、幸兵衞、宗之助、手代兩人、小僧附いて奧へはひる。與九郎殘り、思入あつて、



與九

扨てつまらぬものはおれが身の上、とんだ騙りが來たばかり、これまで明けたおれが穴を算へたつて言はれたら、手代敵のあたりまへ、小裁布子でぼんでんごく、どんなをかしい引込でも、それではまことにつまらぬ譯、さうされぬ前たんまりと金を盗んで隨徳寺。



[ト書]

ト此の時奧にて『どろぼう/\』と言ひながら小僧出て來る、與九郎びつくりして、



與九

えゝ、今のは何だ。



小僧

猫が干物を引いたのさ。



與九

疵持つ足でびつくりした。



[ト書]

ト胸を撫でおろし、小僧を打つ眞似をする。この見得、題目太鼓にて道具廻る。

(濱松屋奧座敷の場)=本舞臺三間の間平舞臺、正面上手に戸棚、錠前のおりる鏡戸、眞中更紗の暖簾口、上の方後へ下げて土藏の入口、下の方竹格子、總て濱松屋奧の間の體。上手に駄右衞門住ひ傍に誂への呉服、葛籠積み重ねあり。下手に幸兵衞、宗之助をり、よき所に廣蓋三つ物、銚子、盃など取散らし馳走をしてゐる。


幸兵

男世帶のことなれば、お酌とても伜ばかり、不束の段はお許し下さりませ。



駄右

いや、丁寧なる馳走にあづかり、千萬忝なうござるて。



宗之

のよいので旦那樣、も一つお過しなされませ。



駄右

身共深くは飮べぬ故、最早納盃にして下されい。



幸兵

まだよろしいではござりませぬか。



駄右

いや/\、これより過すと歸宅が苦勞ぢや。



幸兵

左樣なれば、私で御納盃といたしまする。



駄右

いかい馳走になりました。



[ト書]

ト此時佐兵衞反物を紙に包み水引をかけ、白臺に載せて持ち出で、



佐兵

へい、唯今おつしやりました品々を、包みましてござりまする。



幸兵

あゝよし/\、こりやお供の衆へ御飯を上げてくりやれ。



佐兵

畏まりました。(ト奧へはひる。)



幸兵

いや、これは粗相な品でござりますが、お宿元へお土産に差上げますのでござりまする。



[ト書]

ト白臺を駄右衞門の前へ出す、駄右衞門心得ぬ思入にて、



駄右

御亭主、これは何でござるな。



幸兵

お恥かしうござりまするが、先刻のお禮までに、



駄右

厚志は受けまするが、この品々はお戻し申す。



幸兵

すりや、何故でござります。



駄右

はて、斯樣な禮を受けようとて、身共いたせしことではない。身が屋敷の名を騙り憎き奴故見るに忍びず、口出しいたせしまでのこと、何故禮を受けようぞ必ず無用にいたしてくりやれ。



幸兵

左樣ではござりませうが、百兩といふ金子をば騙られませぬは、あなたのお庇、



宗之

お禮のいたしやうもござりませうが、さしあたつてのこと故に、有合ひの呉服物、



幸兵

是非ともお納め下されねば、どうも心が濟みませぬ。(ト駄右衞門迷惑さうに、)



駄右

むゝ、心が濟まぬとあるならば、いかにも禮を受けるであらうが、とてものことに某が望みの品を貰ひたい。



幸兵

よう仰せられて下さりました。お望みの品は何なりとも。



宗之

お羽織地かお袴地か、思召しのその品を、仰せ聞けられ下さりませ。



駄右

近頃勝手なことながら、申してもよからうかな。



幸兵

よろしいだんではござりませぬ。



宗之

して、あなた様のお望みは。



駄右

(言ひにくさうに、) 申し兼ねたことながら、とても禮に下さるなら、金子でお貰ひ申したい。



幸兵

これは心附かぬことでござりました。こりや/\伜(ト宗之助に囁き、) 水引かけて熨斗を添へ、



宗之

畏まりました。(ト立ちかゝるを、駄右衞門留めて、)



駄右

あいや御亭主、金子なら包むに及ばぬ、箱のまゝ有金殘らず所望したい。



幸兵

何とおつしやる。(トびつくりする。駄右衞門ずつと立つて刀を拔き、)



駄右

さ、刀にかけて貰ひ申すぞ。



兩人

えゝ。



[ト書]

ト駄右衞門舞臺へ刀を突きさし、呉服葛籠へ片足かけてきつと見得。凄き合方になり、上下より以前の南郷力丸、辨天小僧先に若黨、中間ら佐兵衞、太介、小僧三人を縛りたるを引立てゝ出て來る。



南郷

頭、まんまと、



四人

首尾よく。



駄右

これ、表裏の締りはいゝか。



辨天

あい、錠をおろして出入を留め、家中殘らず縛りました。



幸兵

扨ては玉島逸當どのも。



宗之

騙者と一つ仲であつたか。



幸兵

知らぬことゝて、



皆々

やゝゝゝゝ。(ト呆れる。駄右衞門思入あつて、)



駄右

こりや、彌藏源吾はそいつらを臺所へくゝしおき、逃げざるやうに張番いたせ。



若徒中間

畏まりました。



駄右

必ず手荒きことをするな。



兩人

おゝい。(ト引立てはひる。幸兵衞思入あつて、)



幸兵

最前よりの言葉の端、まさしく頭の樣子なれば、もしや噂の其許が、



駄右

今海内に隱れのねえ、日本駄右衞門とはおれがことだ。



兩人

えゝ、(ト思入。)



駄右

駿遠三から美濃尾張、江州きつて子供にまでその名を知られた義賊の張本、天に替つて窮民を救ふといふもをこがましいが、ちつと違つた盗人で、小前の者の家へ入らず、千と二千有金のあるを見込んで盗み取り、箱を碎いて包みから難儀な者に施す故、少しは天の惠みもあるが、探偵がまはつてこれまでと覺悟を信濃の大難も、遁れて越路出羽奧州、積る惡事も筑紫潟、凡そ日本六十餘州盗みに入らぬ國もなく、誰言ふとなく日本と肩名に呼ばるゝ頭株、二人を玉に暮合からまんまと首尾も宵の中、時刻を計つた今夜の仕事、有り金殘らず出さつせい。(トきつと見得。)



幸兵

斯くなる上は是非に及ばぬ、唯今金子を差上げまする。(ト戸棚を明けて千兩箱を出し、) さあ、これをお持ち下さりませ。



駄右

なに、持つて行けとは千兩か。



南郷

こゝらあたりで名代の呉服屋、三箱とあてゝ來た仕事、



辨天

隱さず金を出してしまへ。



幸兵

何の包み隱しませう、昨日仕入れに京都へ上せ、唯今宅にはこればかり、



駄右

ないと言ふなら仕方がねえ、むごい殺生しにやあならぬ。



[ト書]

ト幸兵衞に刀をさしつける、宗之助びつくりして、



宗之

あゝ申し盗人どの、殺さにやならぬことならば私を殺して下さりませ、大切の/\義理ある父樣どうぞ助けて下さりませ。こゝの道理を聞き分けて、私を殺して父樣をどうぞ助けて下さりませ。(ト駄右衞門に縋り頼むが、そしらぬ顏をしてゐる故、南郷に縋りて、) もし、こちらのお人、今の事情故お前からお頭樣へ願うて下され、お頼み申しまする/\。(ト言つても南郷知らぬ顏をして煙草を喫んでゐるので、又辨天に縋りて、) それでは、どうぞお前からこの執成しをして下され、をがみまするをがみまする。



辨天

えゝ、やかましいやい。(ト宗之助を蹴倒す。宗之助うろ/\しながら、)



宗之

いかに無慈悲の盗人でも、あんまり情を知らぬ人達、どうでも父樣は殺されぬ。さあ/\、早う私を殺して/\。(ト駄右衞門に身體を突きつける。)



駄右

おゝいゝ覺悟だ。望みの通り、汝から先へ殺してやらうわ。



[ト書]

ト刀を持ち立ちかゝる、此の中幸兵衞始終ぢつと思入あつて、この時駄右衞門を留めて、



幸兵

あゝもうし、どうぞ待つて下され。伜が義理ある親を庇へば私も亦義理ある伜、殺されぬは同じ事、駄右衞門どのは盗賊でも義強いお人と聞く故に、伜が命を助けねばならぬ事情を一通りお聞きなされて下さりませ。何を隱さう私は、三十路を越すに一子なく、どうがなしてと初瀬寺の觀世音へ祈誓をかけ、計らず一子を儲けし故、それで大師の まうし子と、毎月缺かさず夫婦とも御縁日に伜を抱き、お禮に通夜をいたしましたが、忘れもせぬ十七年あと、而も九月の十七日、お堂の中に喧嘩があつて、右往左往に逃げるはずみ、妻が粗相で我兒を失ひ、邊りを見れば泣きゐる幼兒、それを我兒と思ひ違へ、騒ぎの紛れやう/\と戻つて見れば知らぬ幼兒、不便にそのまゝ捨てもならず、我兒の替りと育つる中も、何處の誰が伜なるか、證據なければ諸所方々尋ねさがせど我兒とも、つひにそれなり知れぬ故、そのまゝ育てしこの伜、月日は經てど明暮にどこにどうしてゐをるぞと、失ふ伜を忘れねば定めてこれが實親も子を思ふ身は同じこと、嘸や案じてをりませう、どういふことで明日が日に尋ねて來まいものでもない、その時金に命を替へ殺しましたと言はれませうか、金は世界の湧物にて、今日失うても明日また出來まいものでもござりませぬが、取られた命は返りませぬ。このまゝ店を仕舞へばとて、金は殘らず上げませう、伜の命はこの譯故、助けて下され駄右衞門殿、どうぞ聞分けて下さりませ。



[ト書]

トよろしく思入にて言ふ、宗之助はこれを聞きゐる。駄右衞も此の中扨てはといふ思入あつて、



駄右

おゝ、いかにも命は助けてやらう。



南郷

その替りには殘りの金、



辨天

包みかくさず出してしまへ。



幸兵

なるほど、この身代で僅千兩、御疑念もさることながら、最前も申せし通り、荷物仕入のその爲めに多くの金子を京へ上せ、家には僅殘り千兩、實もつてこればかり。斯樣申して御胡論なら、家搜しをさつしやるとも、それにてもお心濟まずば是非に及ばぬ、幸兵衞を切つて伜を助けて下され。私が身は厭はねど義理ある伜は殺されぬ、こればつかりが今際のお願ひ、慈悲ぢや情ぢや駄右衞門どの、どうぞ聞屆けてやつて下さりませ。



駄右

いや、その御心配には及び申さぬ。最早金子も申受けまい。



幸兵

えゝ、そは又何故。



駄右

仔細は唯今申さんが、十七年あと初瀬寺で取違へたる幼兒の衣類に中に垢附きし、三つ龜甲の紋附きし、黒地の袖に繼布はござらぬか。



幸兵

いかにも、袖の繼合はせに三つ龜甲の紋附きし黒羽二重がござりました。それ伜、下着の袖をお目にかけよ。



宗之

はつ、(ト片袖を脱ぎ、黒の繼布を見せ、) これぞ實父の定紋に、下着に繼いでこの年月肌身放さず着てをりまする。



[ト書]

トこれにて駄右衞門思入あつて羽織を脱ぎ、三つ龜甲の紋あるを見せ、



駄右

幸兵衞どの、これ御覽下されい。



[ト書]

ト幸兵衞宗之助これを見て思入、



幸兵

や、駄右衞門どのゝ紋所、



宗之

寸分違はぬ三つ龜甲、



幸兵

もしは、こなたは宗之助が、



駄右

面目ないが、親でござる。



宗之

え、そんならお前が、



幸兵

親子であつたか、えゝゝゝゝ。



[ト書]

ト宗之助駄右衞門の側へ行かうとして、幸兵衞へ思入あつてぢつとなる、駄右衞門幸兵衞を上へやり眞中へ住ひ、



駄右

現在伜が十七年育てられたる家とも知らず、盗みに入るのみなるか、殺害なさんとなしたる大罪まつぴら御免下さりませ。(ト手をつき思入あつて、) あ、思ひ出せばその折は、身貧に迫り妻におくれ、かねて初瀬寺の通夜を幸ひ御堂の中、慈悲ある人に拾はれなば行末とてもよからうと、捨てるほどでも親の慾、誰が拾ふかと子の邊り去り兼ねたるを見咎められ、やれ棄兒よと言はるゝを、喧嘩の態にもてなして、後をくらましそのまゝに暫く都に足を留め、ついに賊黨の中に入り憂き年月を送る中も、今其許の言はるゝ如く、十七年がその間、寢た間も忘れはいたしませぬ。



宗之

そんならお前が實の父樣でござりましたか。(ト寄らうとして幸兵衞へ思入あつて、) おなつかしうござりまする。



幸兵

して、その許には捨てしのみ、我兒を連れては行かれぬか。



駄右

さ、捨てるほど故存ぜぬが、其夜は近郷近在より參詣なせば何處へか、他國へ連れて行きしならん。伜が受けし御恩送りに、何れ何國にござるとも、尋ねさがして進ぜませうが、何ぞ子息にこれぞといふ證據のものはござらぬか。



幸兵

別に證據もござらぬが、その折腰に提げたる巾着、布は赤地の鴛鴦布、中に入れたるその品は初瀬の御影に臍の諸書、「寛文元年癸卯、四月二十日亥の時の誕生、幸兵衞伜幸吉」と書記してござりまする。



駄右

寛文元年卯の年は、今年で丁度十七年、さすれば伜と同じ年。



[ト書]

トこれを聞き辨天小僧思入あつて、腹に卷きし鬱金木綿の守袋より、赤地の錦の巾着を出し、



辨天

その鴛鴦布の巾着は、もしやこれではござりませぬか。(ト出して見せる、幸兵衞取り上げ見て、)



幸兵

まことにこれぞ覺えの巾着、



宗之

そんなら、お前が、



辨天

その幸吉でござります。



皆々

や、(ト思入あつて、)



幸兵

扨ては伜であつたるか。



辨天

親父樣でござりますか、あゝ面目ない/\。



幸兵

したまあそちは、此年まで何處で人になつたるぞ。



南郷

その事情は力丸が脱れぬ仲故一通り、私が替つて話しませう。



幸兵

そんならこなたも、脱れぬ仲とか、



南郷

さあ、その夜御堂で幸吉を拾つて來たは私が親父、六右衞門といふ漁夫だが、觀音樣が信心で、毎月かゝさず南郷から十七日にお通夜のお籠り、伜といふも唯一人丁度弟のほしい最中。そのまゝ育てゝゐる中に岩本院から望まれて、器量のよさに寺小姓、忘れもせぬあの時は、おぬしが十二の年であつた



辨天

それから島で窮屈な勤めが厭さにぐれ始め、たうとう彼處にゐられなく、辨天小僧と肩書に言はるゝやうになつたのも、元はと言やあ乳兄弟一緒に育つた力丸が、惡い遊びを見習つてこんな身體になつたと言ふ條、やつぱり私が生得惡い性根があつた故、人を恨むとこもねえ、此の身から出た錆刀、始終はお上の手にかゝり親に憂き目を見せるのも、これも定まる業だとあきらめ、どうぞ許して下さりませ。



幸兵

何を許すの許さぬのと、盗人するも商人するも、持つて生れたその身の一生、



駄右

思ひまはせば十七年、大恩受けし此の家へ、



辨天

神ならぬ身の露知らず、



南郷

危ねえ白刃の夜働き、



宗之

露の命を取らるゝところ、



幸兵

身の言譯からこのやうに、



駄右

別れ程經し親と子が、



辨天

名乘り合うたる今日も亦、



南郷

月は替れど十七日、



宗之

枯れたる木々も花の咲く、



幸兵

これも さつたの導きなるか、



駄右

不思議な出逢ひで、



皆々

あつたよなあ。(トよろしく思入。)



幸兵

思ひがけなくこのやうに、名乘つて見れば親子兄弟、繋がる縁にこなた衆へこの千兩を進ぜるほどに、今からさつぱり盗みを止め、まことの人になつて下され。



駄右

お志しは忝ないが、此の身を始め二人とも、止めようと言つて止められぬは、凡そ手下も千人あまり、此等の爲めに本心に立返つても舊惡にいつかはかゝる天の網、首級を野末にさらすまでは、止めることならざる身の上、



辨天

五人の者が召捕られ、お仕置受けると聞いたなら、その時こそは親子の誼、未練なことを言うやうだが、後の囘向を頼みます。



幸兵

そんなら、命のある中は、



南郷

生涯盗みの夜働き、疊の上では死なれませぬ。



幸兵

あゝ、情ない、



宗之

ことぢやなあ。(ト兩人泣く、駄右衞門思入あつて、)



駄右

こりや伜、我は眞實の親ながら、東西知らぬその中に捨てる程の無得心、親と思ふな親ではないぞ。十七年がその間手鹽にかけて育られし幸兵衞殿が親なるぞ。現在實子はありながらお世話のできぬ身の上故、幸吉殿になり替り、よく孝行を盡しませうぞ。



宗之

はつ、仰せまでもござりませぬ。産の親よりまさりし御恩、孝行せいでなんとしませう。



駄右

むゝ、その心を忘るゝな。



宗之

死んでも忘れはいたしませぬ。



駄右

出來した伜、それでこそ賊の胤とも言はれまい。



幸兵

これ伜聞いたか、汝も亦手下となれば子も同然、駄右衞門殿を親と思ひ、必ず孝行忘るゝな。



辨天

そりやあ私もその心、實子に替つて今日からは、命にかけて孝行します。



幸兵

そんならそちも眞實に、



辨天

孝行しにやあ義理が濟まねえ。(トこれを聞き南郷思入あつて、)



南郷

あゝ、孝行をしてえ時分に親はなしと、二人と違つておれなざあ、死んだ親父やお袋に不孝に不孝を盡したが、今のを聞いて面目ねえ。(ト頭をかく。)



駄右

世に盗人は非義非道、鬼畜のやうに言ふけれど、



幸兵

かうして見れば素人より遙にまさつた仁義の道、定めて以前は由あある生れ、



駄右

いかにも昔は遠州にて、鎗をも突かせし郷士の果、して又貴殿の身の上は、



幸兵

何を隱さうその以前は、小祿ながら小山の家中、仔細あつて浪人なし、大小捨てゝ町家の交はり唯今にてはこの如く何不足なく暮せども、町人にて果つること本意ならねばこのほどより、何卒歸參の願はんと、傳手を求めて頼みしところ、一つの功を立てよとある仔細といへば先達て紛失なせし胡蝶の香合、詮議しだして差上げなばそれを功に御赦免と、聞くより諸方を詮議いたせど、今に何の手がゝりなく寶の行方知れざれば、所詮此の身の願ひもかなはず、一生かかる商人にて朽ち果つる我無念、駄右衞門殿御推量下され。



[ト書]

トこれを聞き三人思入あつて、



辨天

そんなら以前は小山の家中で、その寶故それほど苦勞を、(ト思入あつて、) 知らぬことゝて、



幸兵

え。



辨天

とんだことをしたなあ。



[ト書]

ト思入、ばた/\になり奧より以前の手下の三出て來りて、



手三

もし頭、遁げにやあならねえ、仕度をしなせえ。



駄右

なに、遁げにやあならねえとは。



手三

こゝの家から訴人をして、捕手の衆が今に來やすよ。



幸兵

なに、此家の中から訴人せしとは、



手三

たしか、番頭の與九郎とやら。



宗之

扨ては、彼れめが、(トその手下を見て、) や、お前は店へおいでのお客、そんならやつぱり、



駄右

おれが手下だ。



宗之

ほんに、お前が誂へし五枚の小袖が出來ました。



[ト書]

ト葛籠の中より紙包の小袖を出す、駄右衞門見て、



駄右

これぞ五人が物好きのまさかの時の曠小袖、



南郷

折よくできしはこれ幸い、



辨天

赤星、忠信もろともに、



駄右

五人揃うて花々しく、



南郷

群がる捕手を切りちらし、



辨天

一先づこゝを落ち延びん。



[ト書]

ト此の時花道の揚幕にてどん/\と捕物の鳴物を打つ。



幸兵

や、かすかに聞ゆるあの太鼓は、



駄右

我を取卷く合圖なるか。



[ト書]

ト立ち上りきつとなる。揚幕にて「迷兒やアい」と鉦、太鼓をたゝく、



手三

おきやあがれ、迷兒でござりやす。



辨天

然し、捕手でないこそ幸ひ、



南郷

この家へ難儀のかゝらぬ中、



[ト書]

ト皆々立ちかゝる、此時手代太介縛られたまゝにて、



太介

どろぼう/\。(ト言ふを、南郷引捉へる。)



幸兵

左樣なれば駄右衞門殿。



駄右

幸兵衞殿。



宗之

隨分壯健で。



辨天

必ず達者で。



[ト書]

ト幸兵衞は辨天小僧、駄右衞門は宗之助と顏見合せ、名殘りを惜しむ。太介跳ね返さうとするを南郷押へる。



幸兵

鶯のかひこの中のほとゝぎす。



駄右

子で子にあらぬ、



南郷

義理合に、



宗之

しがらむ縁の、



辨天

いつかは繩目、



駄右

あ、子は三界の、



[ト書]

ト首をたゝく、幸兵衞は寄らうとする宗之助をへだてる。これを木の頭、



[駄右]

あゝ鶴龜々々。



[ト書]

ト首のまはりを拂ふ。幸兵衞は辨天を宗之助は駄右衞門を見送る。南郷は太介へ葛籠の蓋をかぶせる、これをきざみ寺鉦迷兒の鉦太鼓にて、

ひやうし 幕



四幕目 稲瀬川勢揃いの場

    役名

  1. 日本駄右衛門。


  2. 弁天小僧菊之助。


  3. 忠信利平。


  4. 赤星十三。


  5. 南郷力丸。


  6. 捕手等。


本舞台正面画心に高き草土手、所々に桜の立木、高張提灯、うしろ黒幕、すべて鎌倉稲瀬川の体、波の音、佃にて幕あく。と、雨車波の音にて、花道より○△□◎等の大勢蓑笠にて鉦太鼓をたゝき、迷児を呼びながら出て来り、


大勢

迷児の/\三太郎やあい。(ト舞台へ来り)




又ばら/\やって来たが、大降りにならねばよい。




初瀬寺から稲瀬川、この界隈にいぬからは、




朝比奈の切通しを越え、六浦の方へ行ったか知らぬ。




それじゃあこれから一 のしに、瀬戸橋までやッつけよう。




先へ行ったら知らぬこと、後なら彼処でがんばれば、




知れるは必定、一方路、




路のぬからぬそのうちに、




こっちもぬからず、ちっとも早く、




いずれもござれ。



皆々

迷児やあい/\。



[ト書]

ト鉦をたゝきながら上手へはいる。本釣鐘を打ち込み、端唄稽古囃子になり、花道より弁天小僧、忠信利平、赤星十三、南郷力丸、日本駄右衛門ら五人男、いずれも染衣裳一本差し、下駄がけにて、しら浪と廻し書にしたる番傘をさして出て来り、花道にて、



弁天

雪の下から山越しに、まずこゝまでは逃げのびたが、



忠信

行く先つまる春の夜の、鐘も七つか六浦川、



十三

夜明けぬうちに飛石の洲崎をはなれ、船に乗り、



南郷

故郷を後に三浦から岬の沖を乗りまわさば、



駄右

陸とちがって波の上、人目にかゝる気遣いなし、



弁天

しかし六浦の川端まで、乗っきる畷が遠州灘、



忠信

油断のならぬ山風に、追風か追手の早風に遭えば、



十三

艪櫂にならぬ一腰の、その梶柄の折れるまで、



南郷

腕前見せて切り散らし、かなわぬ時は命綱、



駄右

錠を切って五人とも、帆綱の繩に、



五人

かゝろうかい。



[ト書]

ト唄になり平舞台へおりる。このとき下手より捕手四人迷児捜しの体にて鉦太鼓たゝき「迷児やあい/\」と呼びながら来り、五人に行違い思入れあって入れ替わり、太鼓を持ちし捕手土手の上へ上がり、太鼓を早めて打つ、これにて皆々笠を脱ぎ四天のなりになり、上下よりばら/\と取り巻き、




盗賊の張本日本駄右衛門、それに従う四人の者、やることならぬ、



皆々

うごくな。



[ト書]

トこれにて皆々思入れあって、



駄右

さては、五人がこの所へ来るをまちぶせ、



五人

なしたるか。




迷児を捜す態に見せ、幾組となく手わけをなし、網を張って待っていたのだ。



駄右

むゝ、かく露顕の上は、卑怯未練に逃げはせぬ、一人々々に名を名乗り、繩にかゝって、



五人

刑罰受けん。



[ト書]

トこれにて舞台へ五人居並び、上下を捕手取り巻く、




けなげな一言、して真先に、



皆々

進みしは。



駄右

問われて名乗るもおこがましいが、産まれは遠州浜松在、十四の年から親に放れ、身の生業も白浪の沖を越えたる夜働き、盗みはすれど非道はせず、人に情を掛川から金谷をかけて宿々で、義賊と噂高札に廻る配附の盥越し、危ねえその身の境界も最早四十に人間の定めはわずか五十年、六十余州に隠れのねえ賊徒の首領日本駄右衛門。



弁天

さてその次は江の島の岩本院の児あがり、ふだん着慣れし振袖から髷も島田に由井ケ浜、打ち込む浪にしっぽりと女に化けた美人局、油断のならぬ小娘も小袋坂に身の破れ、悪い浮名も竜の口土の牢へも二度三度、だんだん越える鳥居数、八幡様の氏子にて鎌倉無宿と肩書も島に育ってその名さえ、弁天小僧菊之助。



忠信

続いて次に控えしは月の武蔵の江戸そだち、幼児の折から手癖が悪く、抜参りからぐれ出して旅を かせぎに西国を廻って首尾も吉野山、 まぶな仕事も大峰に足をとめたる奈良の京、碁打と言って寺々や豪家へ入り込み盗んだる金が御嶽の罪科は、蹴抜の塔の二重三重、重なる悪事に高飛なし、後を隠せし判官の御名前騙りの忠信利平。



十三

またその次に列なるは、以前は武家の中小姓、故主のために切取りも、鈍き刃の腰越や砥上ケ原に身の錆を磨ぎなおしても抜き兼ねる、盗み心の深翠り、柳の都谷七郷、花水橋の切取りから、今牛若と名も高く、忍ぶ姿も人の目に月影ケ谷神輿ケ嶽、今日ぞ命の明け方に消ゆる間近き星月夜、その名も赤星十三郎。



南郷

扨どんじりに控えしは、潮風荒き小ゆるぎの磯馴の松の曲りなり、人となったる浜そだち、仁義の道も白川の夜船へ乗り込む船盗人、波にきらめく稲妻の白刃に脅す人殺し、背負って立たれぬ罪科は、その身に重き虎ケ石、悪事千里というからはどうで終いは木の空と覚悟は予て鴫立沢、しかし哀れは身に知らぬ念仏嫌えな南郷力丸。



駄右

五つ連れ立つ雁金の、五人男にかたどりて、



弁天

案に相違の顔触は、誰白浪の五人連れ、



忠信

その名もとゞろく雷鳴の、音に響きし我々は、



十三

千人あまりのその中で、極印うった頭分、



南郷

太えか布袋か盗人の、腹は大きい肝玉、



駄右

ならば手柄に、



五人

からめて見ろ。



捕手

なにをこしゃくな。



[ト書]

トどん/\になり、捕手皆々打ってかゝるを、上下へ別れ傘にてあしらい、立ち廻って一時に投げ退け、傘を開いてキッと見得。これにて後ろの黒幕を切っておとし、向う稲瀬川、聖天山船宿を見たる灯入りの遠見。にぎやかなる鳴物になり、五人傘にて捕物のやうな花々しき立ち廻りあって鳴物替わり、皆々一刀を抜き土手を使いて烈しき立ち廻りよろしくあって、結局上下へ追い込み、ほっと思入れ。本釣鐘、上手に赤星十三、忠信利平、下手に南郷力丸、弁天小僧、土手の真中に駄右衛門居並びて、



駄右

今日は一緒に身の終わりと、覚悟はせしが一日でも脱れられなば逃げ延びん。



南郷

いかさま命が物種なれば、



忠信

五人連れにて一先ずこの地を、



駄右

いや、大勢づれでは人目に立つ。忠信、赤星両人は、これよりすぐに中仙道、南郷、弁天両人は道を違えて東海道、片時も早く落ち延びよ。



四人

してまた、頭は、



駄右

この身はやっぱり鎌倉のうちに隠れて、後より出立、



南郷

そんならこれより右左、



十三

わかれ/\に旅路へ出かけ、



弁天

道中筋を一働き、



忠信

五月を待って京都にて、



駄右

ふたゝび出逢う、



五人

五人男。(トこのとき以前の捕手二人出で)



捕手

捕った。



[ト書]

ト駄右衛門にかゝるを、立ち廻って引きつける。



四人

またもや、捕手、



駄右

いや、こゝ構わずと、



四人

そんなら頭、



駄右

片時も早く、



四人

合点だ。



[ト書]

ト波の音、佃になり、南郷、弁天は花道へ、十三、忠信は東の仮花道へ、駄右衛門は捕手の一人を踏まえ、一人を捻じ上げ後を見送る。四人は花道をはいる。これをいっぱいにきざみ、よろしく

ひょうし幕