せきこえてたびねなりつるくさまくらかりそめにはたおもほえぬかな
とかいひやり給ふめりし、なほもありしかどかへりこと%\しうもあらざりき。
おぼつかなわれにもあらぬくさまくら又こそしらねかゝるたびねは
とぞありしを「たびかさなりたるぞあやしき」などもろともにぞわらひてき。のち/\しるきこともなくてやありけん、いかなるかへりごとにかかくあめりき。
おきそふるつゆによな/\ぬれこしはおもひのなかにかはく袖かは
などあめりしほどにましてはかなうなりはてにしをのちにきゝしかばありしところに女ごうみたなり、さぞとなんいふなる、さもあらん、こゝにとりてやはおきたらぬなどのたまひし、それなゝりさせんかしなどいひなりてたよりをたづねてきけばこの人もしらぬをさなき人は十二三
のほどになりにけり、たゞそれひとりをみにそへてなんかの志賀のひむがしのふもとにうみをまへにみ志賀の山をしりへにみたるところのいふかたなう心ぼそげなるにあかしくらしてあなるときゝて、みをつめばなにはのことをさるすまひにておもひのこしいひのこすらんとぞまづおもひやりける。かくてことはらのせうとも京にて法師にてあり。こゝにかくいひいだしたるひとしりたりければそれしてよびとらせてかたらはするに「なにかはいとよきことなりとなんおのれはおもふ、そも/\かしこにまぼりてものせんよのなかいとはかなければいまはかたちをもことになしてむとてなんさゝのところにつきごろはものせらるゝ」などいひおきて又の日といふばかりに山ごえにものしたりければことはらにてこまかになどしもあらぬ人のふりはへたるをあやしがる。「なにごとによりて」などありければ、とばかりありてこのことをいひいだしたりければ、まづともかくもあらでいかにおもひけるにかいといみじうなき/\
てとかうためらひて「こゝにもいまはかぎりにおもふみをばさるものにて、かゝるところにこれをさへひきさげてあるをいといみじとおもへどもいかゞはせんとてありつるを、さらばともかくもそこにおもひさだめてものし給へ」とありければ又の日かへりてさゝなんといふ。「うへなきことにてもありけるかな、すぐせやありけんいとあはれなるに、さらばかしこにまづ御ふみをものせさせ給へ」とものすれば「いかゞは」とてかく。「としごろはきこえぬばかりにうけたまはりなれたればおぼつかなくはおぼされずやとてなん、あやしとおぼされぬべきことなれどこの禪師のきみに心ぼそきうれへをきこえしをつたへきこえたまひけるにいとうれしくなんのたまはせしとうけたまはればよろこびながらなんきこゆる、けしうつゝましきことなれどあまたとうけたまはるにはむつまじきかたにてもおもひはなち給ふやとてなん」などものしたれば又の日かへりごとあり。「よろこびて」などありていと心ようゆるしたり。か
のかたらひけることのすぢもぞこのふみにある。かつはおもひやる心ちもいとあはれなり。よろづかき/\て「かすみにたちこめられてふでのたちどもしられねばあやしく」とあるもげにとおぼえたり。
それよりのちもふたたび許ふみものしてことさだまりはてぬればこの禪師たちいたりて京にいだしたてけり。たゞひとりいだしたてけんもおもへばはかなし。おぼろげにてかくあらんや、たゞおやもしみ給はゞなどにこそはあらめ、さおもひたらんにわがもとにておなじごとみることかたからんこと、またさともなからん時なか/\いとほしうもあるべきかななどおもふ心そひぬれどいかゞはせん、かくいひちぎりつればおもひかへるべきにもあらず。この十九日よろしき日なるをとさだめてしかばこれむかへにものす。しのびてたゞきよげなるあじろぐるまにむまにのりたるをのこども四人しも人はあまたあり。大夫やがてはひのりてしりにこのことにくちいれたる人とのせてやりつ。けふめづらしき消息あ
りつれば「さもぞある、ひきあひてはあしからんいととくものせよ、しばしはけしきみせじ、すべてありやうにしたがはん」などさだめつるかひもなくさきだゝれにたればいふかひなくてあるほどにと許ありてきぬ。「大夫はいづこにいきたりつるぞ」とあればとかういひまぎらはしてあり。ひごろもかくおもひまうけしかば「みの心ぼそさに人のすてたる子をなんとりたる」などものしおきたれば「いでみん、たが子ぞ、我いまはおいにたりとてわかうどもとめてわれをかんだうしたまへるならん」とあるにいとをかしうなりて「さはみせたてまつらん、御子にし給はんや」とものすれば「いとよかなり、させん、なほ/\」とあればわれもとういぶかしさによびいでたり。きゝつるとしよりもいとちひさういふかひなくをさなげなり。ちかうよびよせて「たて」とてたてたればたけ四尺許にてかみはおちたるにやあらんすそさきたる心ちしてたけに四すん許ぞたらぬ。いとらうたげにてかしらつきをかしげにて容體いとあて
はかなり。みて「あはれいとらうたげなめり、たが子ぞ、なほいへ/\」とあればはぢなかめるをさはれあらはしてむとおもひて「さはらうたしと見給ふや、きこえてん」といへばましてせめらる。「あなかしがまし御子ぞかし」といふにおどろきて「いかに/\いづれぞ」とあれどとみにいはねば「もしさゝのところにありときゝしか」とあれば「さなめり」とものするに「いといみじきことかな、いまははふれうせにけんとこそみしか、かうなるまでみざりけることよ」とてうちなかれぬ。この子もいかにおもふにかあらんうちうつぶしてなきゐたり。みる人もあはれにむかしものがたりのやうなればみななきぬ。ひとへのそであまたたびひきいでつゝなかるればいとうちつけにも。「ありきにはいまはこじとするところにかくていましたること、われゐていなん」などたはぶれいひつゝ夜ふくるまでなきみわらひみしてみなねぬ。
つとめてかへらんとてよびいだしてみていとらうたがりけり。「いま
ゐていなん、くるまよせばふとのれよ」とうちわらひていでられぬ。それよりのちふみなどあるにはかならず「ちひさき人はいかにぞ」などしばしばあり。さて廿五日の夜よひうちすぎてのゝしる。火のことなりけり。「いとちかし」などさわぐをきけばにくしとおもふところなりけり。その五六日はれいのものいみときくを「みかどのしたよりなん」とてふみあり。なにくれとこまやかなり。いまはかゝるもあやしとおもふ。七日はかたふたがる。八日の日ひつじの時ばかりに「おはします/\」とのゝしる。中門おしあけてくるまごめひきいるゝをみれば、御前の男どもあまたながえにつきてすだれまきあげしたすだれ左右おしはさみたり。しぢもてよりたればおりはしりて紅梅のたゞいまさかりなるしたよりさしあゆみたるに、にげなうもあるよしうちみあげつゝ「あなおもしろ」といひつゝあゆみのぼりぬ。
さての日をおもひたれば又みなみふたがりにけり。「などかはさはつ
げざりし」とあれば「さきこえたらましかばいかゞあるべかりける」とものすれば「たがへこそはせましか」とあり。おもふこゝろをやいまよりこそは心みるべかりけれなどなほもあらじにたれもものしけり。「ちひさき人には手ならひうたよみなどをしへ、こゝにてはけしうはあらじと思ふをおもはずにてはいとあしからん、いまかしこなるともろともに裳着せん」などいひて日くれにけり。「おなじうは院へまゐらん」とてのゝしりていでられぬ。このごろそらのけしきなほりたちてうら/\とのどかなり。あたゝかにもあらずさむくもあらぬ風梅にたぐひてうぐひすをさそふ。にはとりのこゑなどさま%\なごうきこえたり。やのうへをながむればすくふすゞめどもかはらのしたをいでいりさへづる。にはのくさこほりにゆるされがほなり。
うるふ二月のついたちの日あめのどかなり。それよりのち天はれたり。三日かたあきぬとおもふをおとなし。四日もさてくれぬるをあやしとお
もふ/\ねてきけば、夜中許に火のさわぎするところあり。ちかしときけど物うくておきもあがられぬを、これかれとふべき人かちからあるまじきもあり。それにぞおきていでゝこたへなどして「ひしめりぬめり」とてあかれぬればいりてうちふすほどにさきおふものかどにとまる心ちす。あやしときくほどに「おはします」といふ。ともし火のきえてはひいりにくらければ「あなくら、ありつるものをたのまれたりけるにこそありけれ、ちかき心ちのしつればなん、いまはかへりなんかし」といふ/\うちふして「よひよりまゐりこまほしうてありつるを、をのこどももみなまかりでにければえものせで、むかしならましかば馬にはひのりてもものしなまし、なでふみにはあらむ、なにばかりのことあらばかはとてきなんなどおもひつゝねにけるをかうのゝしりつればいとをかし、あやしうこそありつれ」など心ざしありげにありけり。あけぬれば「くるまなどことやうならん」とていそぎかへられぬ。六七日ものいみとき
く。八日あめふる。よるはいしのうへのこけくるしげにきこえたり。
十日かもへまうづ。しのびてもろともにといふ人あれば「なにかは」とてまうでたり。いつもめづらしき心ちするところなれば今日も心のばゆる心ちあらたまるべしなどするもかうしひけるはとみゆらん。さきのとほり北野にものすればさはべにものつむをむなわらはべなどもあり。うちつけにゑぐつむかとおもへばもすそおもひやられけり。船岡うちめぐりなどするもいとをかし。くらういへにかへりてうちねたるほどにかどいちはやくたゝく。むねうちつぶれてさめたればおもひのほかにさなりけり。心のおにはもしこゝちかきところにさはりありてかへされてにやあらんとおもふに、人はさりげなけれどうちとけずこそおもひあかしけれ。つとめてすこし日たけてかへる。
さて五六日許あり。十六日あめのあしいと心ぼそし。あくればこのぬるほどにこまやかなる文みゆ。「今日はかたふたがりたりければなんい
かゞせん」などあべし。かへりごとものしてと許あればみづからなり。ひもくれがたなるをあやしとおもひけんかし。夜にいりて「いかにみてぐらをやたてまつらまし」などやすらひのけしきあれど「いとようないことなり」などそゝのかしいだす。あゆみいづるほどに「あいなう夜かずにはしもせじとす」としのびやかにいふをきゝ「さらばいとかひなからん、ことよはありとかならずこよひは」とあり。それもしるくそののちおぼつかなくて八九日許になりぬ。かくおもひおきて「かずには」とありしなりけりとおもひあまりて、たまさかにこれよりものしけること
かたときにかへしよかずをかぞふればしぎのもろはもたゆしとぞなく
かへりごと
いかなれやしぎのはねがきかずしらずおもふかひなきこゑになくらん
とはありけれど、おどろかしてもくやしげなるほどをなんいかなるにかとおもひける。このごろにはもはらにはなふりしきてうみともなりなんとみえたり。けふは廿七日あめ昨日のゆふべよりくだり風ののちのはなをはらふ。
三月になりぬ。このめすゞめがくれになりてまつりのころおぼえてさかきふえこひしういとものあはれなるにそへてもなどなにごとを猶おどろかしけるもくやしうれいのたえまよりもやすからずおぼえけんはなにの心にかありけん。この月七日になりにけり。今日ぞ「これぬひて、つゝしむことありてなん」とあり。めづらしげもなければ「給はりぬ」などつれなうものしけり。ひるほどよりあめのどかにはじめたり。十日おほやけは八幡のまつりのことゝのゝしる。我はひとのまうづめるところあめるにいとしのびていでたるに、ひるつかたかへりたればあるじのわかき人々「いかでものみん、まだわたらざなり」とあればかへりたるく
るまもやがていだしたつ。又の日かへさみんとひと%\のさわぐにも心ちいとあしうてふしくらさるればみん心ちなきに、これかれそゝのかせばびらうひとつに四人許のりていでたり。冷泉院のみかどのきたのかたにたてり。こと人おほくもみざりければ人ひとり人ごゝちしてたてれば、と許ありてわたる人わがおもふべき人もべいじゆうひとりまひ人にひとりまじりたり。
このごろことなることなし。十八日にきよみづへまうづる人に又しのびてまじりたり。そやはてゝまかづれば時は子許なり。もろともなる人のところにかへりてものなどものするほどに、あるものども「このいぬゐのかたにひなんみゆるにいでゝみよ」などいふなれば「もろまちぞ」などいふなり。うちにはなほくるしきわたりなどおもふほどに人々「かうのとのなりけり」といふにいとあさましういみじ。わがいへもついひぢ許をへだてたればさわがしうわかき人をもまどはしやしつらん、いか
でわたらんとまどふにしもくるまのすだれはかけられけるものかは。からうじてのりてこしほどにみなはてにけり。わがかたからくのこり、あなたの人もこなたにつどひたり。こゝには大夫ありければ、いかにつちにやはしらすらんとおもひつる人もくるまにのせ、かどつようなどものしたりければらうがはしきこともなかりけり。あはれをのことてようおこなひたりけるよとみきくもかなし。わたりたる人々はたゞいのちのみわづかなりとみなげくまに火しめりはてゝしばしあれどとふべき人はおとづれもせず。さしもあるまじきところ%\よりもとひつくして、このわたりならんやのうたがひにていそぎみえしよゝもありしものを、ましてもなりはてにけるあさましさかな、さなんとかたるべき人はさすがに雜色やさぶらひやときゝおよびけるかぎりはかたりつときゝつるを、あさまし/\とおもふほどにぞかどたゝく。人みて「おはします」といふにぞすこし心おちゐておぼゆる。さて「こゝにありつるをのこどものき
てつげつるになんおどろきつる、あさましうこざりけるがいとほしきこと」などあるほどにと許になりぬればとりもなきぬときゝ/\ねにければことしも心ちよげならんやうにあさいになりにけり。いまもとふ人あまたのゝしりはせてなのりもしたり。「さわがしうぞなりまさらん」とていそがれぬ。
しばしありてをとこのきるべきものどもなどかずあまたあり。「とりあへたるにしたがひてなん、かみにまづ」とてありける。「かくあつまりたる人にものせよ」とていそぎける。いひにはかにひはだのすぎいろにてしたり。いとあやしければみざりき。ものとひなどすれば「三人許やまひごと、くぜち」などいひたり。廿日はさてくれぬ。一日の日より四日れいのものいみときく。こゝにつどひたりし人々はみなみふたがるとしなればしばしもあらじかし。廿日あがたありきのところへみなわたられにたり。心もとなきことはあらじかしとおもふにわが心うきぞまづ
おぼえけんかし。かくのみうくおぼゆるみなればこのいのちをゆめ許をしからずおぼゆる。このものいみどもははしらにおしつけてなどみゆるこそ、もしもをしからんみのやうなりけれ。その廿五六日にものいみなり。なりはつる夜しもかどのおとすれば、かうてなんかたうさしたるとものすれば、たふるゝかたにたちかへるおとす。又の日はれいのかたふたがるとしる/\ひるまにみえて「御たいまつ」といふほどにぞかへる。それよりれいのさはりしげくきこえつゝ日へぬ。こゝにもものいみしげくて四月は十餘日になりにたれば、よにはまつりとてのゝしるなり。人しのびてとさそへばみそぎよりはじめてみる。わたくしの御てぐらたてまつらんとてまうでたれば、一條のおほきおとゞまうであひ給へり。いといかめしうのゝしるなどいへばさらなり。さしあゆみなどしたまへるさまいたうに給へるかなとおもふに、大方の儀式もこれにおとることあらじかし。これを「あなめでた、いかなる人」などおもふ人もきく人も
いふをきくぞいとゞものはおぼえけんかし。さる心ちなからん人にひかれて又知足院のわたりにものする日大夫もひきつゞけてあるに、くるまどもかへるほどによろしきさまにみえける女ぐるまのしりにつゞきそめにければ、おくれずおひきければ、いへをみせじとにやあらんとくまぎれいきにけるをおひてたづねはじめて又の日かくいひやるめり。
おもひそめ物をこそおもへ今日よりはあふひはるかになりやしぬらん
とてやりたるに、「さらにおぼえず」などいひけんかし。されど又
わりなくもすぎたちにけるこゝろかなみわの山もとたづねはじめて
といひやりけり。大和だつ人なるべし。
かへし
みわの山まちみることのゆゝしさにすぎたてりともえこそしらせね
となん。
かくてつごもりになりぬれど人はうのはなのかげにもみえずおとだになくてはてぬ。廿八日にぞれいのひもろぎのたよりに「なやましきことありて」などありき。五月になりぬ。さうぶのねながきなどこゝなるわかきひとさわげばつれ%\なるにとりよせてつらぬきなどす。「これかしこにおなじほどなる人にたてまつれ」などいひて
かくれぬにおひそめにけるあやめ草しる人なしにふかきしたねを
とかきてなかにむすびつけて大夫のまゐるにつけてものす。かへり事
あやめぐさねにあらはるゝ今日だにはいつかとまちしかひもありけれ
大夫いまひとつとかくしてかのところに
わがそではひくとぬらしつあやめ草人のたもとにかけてかはかせ
御かへりごと
ひきつらんたもとはしらずあやめ草あやなきそでにかけずもあらな
ん
といひたなり。
六日のつとめてよりあめはじまりて三四日ふる。かはとまさりて人ながるといふ。それもよろづをながめおもふにいといふかぎりにもあらねどいまはおもなれにたることなどはいかにも/\おもはぬに、このいし山にあひたりし法師のもとより「御いのりをなんする」といひたるかへりごとに「いまはかぎりにおもひはてにたるみをばほとけもいかゞし給はん、たゞいまはこの大夫を人々しくてあらせ給へなど許を申し給へ」とかくにぞなにとにかあらんかきくらしてなみだこぼるゝ。十日になりぬ。今日ぞ大夫につけてふみある。「なやましきことのみありつゝおぼつかなきほどになりにけるをいかに」などぞある。かへりごと又の日ものするにぞつくる。「昨日はたちかへりきこゆべくおもひたまへしをこのたよりならではきこえんこともびなき心ちになりにければなん、いか
にとのたまはせたるはなにかよろづことわりにおもひたまふべきこころならねばなか/\いと心やすくなんなりにたる、風だにさむくときこえさすればゆゝしや」とかきけり。ひくれて「かものいづみにおはしつれば御かへりもきこえでかへりぬ」といふ。「めでたのことや」とぞ心にもあらでうちいはれける。このごろくものたゝずまひしづごゝろなくてともすればたごのもすそおもひやらるゝ。ほとゝぎすのこゑもきかず。ものおもはしき人はいこそねられざなれ、あやしう心ようねらるゝけなるべし。これもかれも「一夜きゝき、このあかつきにもなきつる」といふを、人しもこそあれわれしもまだしといはんもいとはづかしければ物いはで心のうちにおぼゆるやう
我ぞげにとけてぬらめやほとゝぎすものおもひまさる聲となるならん
とぞしのびていはれける。かくてつれ%\と六月になしつ。ひんがしおもてのあさひのけいとくるしければみなみのひさしにいでたるに、つゝ
ましき人のけぢかくおぼゆればやをらかたはらふしてきけばせみのこゑいとしげうなりにたるを、おぼつかなうてまだみゝをやしなはぬおきなありけり。にははくとてはゝきをもちてきのしたにたてるほどに、にはかにいちはやうなきたればおどろきてふりあふぎていふやう「よいぞよいぞといふなはぜみきにけるは、むしだにときせちをしりたるよ」とひとりごつにあはせてしか/\となきみちたるにをかしうもあはれにもありけんこゝちぞあぢきなかりける。大夫そばのもみぢのうちまじりたるえだにつけてれいのところにやる。
なつやまのこのした露のふかければかつぞなげきのいろもえにける
かへりごと
つゆにのみいろもえぬればことのはをいくしほとかはしるべかるらん
などいふほどによひになりてめづらしきふみこまやかにてあり。廿餘日
いとたまさかなりけり。あさましきことゝめなれにたればいふかひなくて、なかごろなきさまにもてなすもわびぬればなめりかしとかつおもへばいみじうなんあはれにありしよりけにいそぐ。そのころあがたありきのいへなくなりにしかばこゝにうつろひて、 類おほくことさわがしくてあけくるゝも人めもいかにとおもふ心あるまでおとなし。七月十餘日になりてまらうどかへりぬれば、なごりなうつれ%\にてぼにのことのふうなどさま%\になげく人々のいきざしをきくもあはれにもありやすからずもあり。四日れいのごと調じてまどころのおくりぶみそへてあり。いつまでかうだにと物はいはでおもふ。
さながら八月になりぬ。ついたちの日あめふりくらす。しぐれだちたるにひつじの時ばかりにはれてくつ/\ぼうしいとかしがましきまでなくをきくにも我だにものはといはる。いかなるにかあらんあやしうも心ぼそうなみだうかぶ日なり。たゝんつきにしぬべしといふさとしもした
ればこの月にやともおもふ。すまひの還あるじなどものゝしるをばよそにきく。十一日になりていとおぼえぬゆめみたりとて、かうてなどれいのまことにしもあるまじきこともおほかれど本にもかく
ものもいはれねば「などかものもいはれぬ」とあり。「なにごとをかは」といらへたれば「などかこぬ、とはぬ、にくし、あからしとてうちもつみもし給へかし」といひつゞけらるれば「きこゆべきかぎりの給ふめればなにかは」とてやみぬ。つとめて「いまこのけいめいすぐしてまゐらんよ」とてかへる。十七日にぞ還あるじときく。つごもりになりぬればちぎりしけいめいおほくすぎぬれどいまはなにごともおぼえず。つつしめといふ月日ちかうなりにけることをあはれと許おもひつゝふる。
大夫れいのところにふみやる。さき%\のかへりごとどもみづからのとはみえざりければうらみなどして
ゆふされのねやのつま%\ながむればてづからのみぞくももかきけ
る
とあるをいかゞおもひけんしろいかみにもののさきにしてかきたり。
くものかくいとぞあやしき風ふけばそらにみだるゝものとしる/\
たちかへり
つゆにてもいのちかけたるくものいにあらきかぜをばたれかふせがむ
くらしとてかへりごとなし。又の日昨日のしらかみおもひいでゝにやあらんかくいふめり。
たじまのやくゝひのあとを今日みればゆきのしらはましろくてはみし
とてやりたるを、物へなんとてかへりごとなし。又の日「かへりにたりやかへりごと」とことばにてこひにやりたれば「昨日のはいとふるめかしき心ちすればきこえず」といはせたり。又の日「一日はふるめかしと
かいとことわりなり」とて
ことわりやいはでなげきしとし月もふるのやしろのかみさびにけん
とあれど「けふあすはものいみ」とかへりごとなし。あくらんとおもふ日のまだしきに
夢ばかりみてしばかりにまどひつゝあくるぞおそきあまのとざしは
このたびもとかういひまぎらはせば又
さもこそはかつらぎ山になれたらめたゞひとことやかぎりなりける
たれかならはせる」となん。わかき人こそかやういふめれ。
我ははるのよのつねあきのつれ%\いとあはれふかきながめをするよりは、のこらん人のおもひいでにもみよとて繪をぞかく。さるうちにもいまやけふやとまたるゝいのちやう/\つきたちて日もゆけば、さればよよもしなじものを、さいはひある人こそ命はつゞむれとおもふにうべもなく九月もたちぬ。廿七八日のほどに土をかすとてほかなる夜しもめ
づらしきことありけるを、人つげにきたるもなにごともおぼえねば「う」とてやみぬ。かみな月れいのとしよりもしぐれがちなるこゝちなり。十餘日のほどにれいのものする山でらにもみぢも見がてらとこれかれいざなはるればものす。けふしもしぐれふりみふらずみひねもすにこの山いみじうおもしろきほどなり。ついたちの日一條の太政のおとゞうせ給ひぬとのゝしる。れいの「あないみじ」などいひてきゝあへる夜はつゆき七八寸のほどたまれり。あはれいかできんだちあゆみ給ふらんなどわがすることもなきまゝにおもひをれば、れいの世中いよ/\さかえのゝしる。しはすの廿日あまりにみえたり。さてとしくれはてぬればれいのこととてのゝしりあかして三四日もなりにためれどこゝにはあらたまれる心ちもせず。うぐひす許ぞいつしかおとしたるをあはれときく。五日許のほどにひるみえ、又十餘日廿日許に人ねくたれたるほどみえ、この月ぞすこしあやしとみえたる。このごろつかさめしとてれいのいとまなげ
にのゝしるめる。
二月になりぬ。紅梅のつねのとしよりもいろこくめでたうにほひたり。わが心ちにのみあはれとみるなれどなにとみたる人なし。大夫ぞをりてれいのところにやる。
かひなくてとしへにけりとながむればたもともはなのいろにこそしめ
かへりごと
としをへてなどかあやなきそらにしも花のあたりをたちはそめけん
といへり。なほありのことやとまちみる。さてついたち三日のほどにむま時ばかりにみえたり。老いてはづかしうなりにたるにいとくるしけれどいかゞはせん。と許ありて「かたふたがりたり」とてわがそめたるともいはじにほふ許のさくらがさねのあや、文はこぼれぬばかりしてかたもんのうへのはかまつや/\としてはるかにおひちらしてかへるをきゝ
つゝ、あなくるしいみじうもうちとけたりつるかななどおもひて、なりをうちみればいたうしほなえたり、かゞみをうち見ればいとにくげにはあり。また此度うじはてぬらんとおもふことかぎりなし。かゝることをつきせずながむるほどについたちよりあめがちになりにたればいとどなげきのめをもやすとのみなんありける。
五日、夜中許によの中さわぐをきけばさきにやけにしにくどころこたみはおしなぶるなりけり。十日許にまたひるつかたみえて「かすがへなんまうづべきほどのおぼつかなさに」とあるもれいならねばあやしうおぼゆ。二月十五日に院の小弓はじまりていでんなどのゝしる。まへしりへわきてさうぞけば、そのこと大夫によりとかうものす。その日になりてかんだちめあまた「ことしやむごとなかりけり、こゆみおもひあなづりてねんぜざりけるを、いかならんとおもひたればさいそにいでゝもろやしつ、つぎ/\あまたのかずこのやになんさしてかちぬる」などのゝ
しる。さて又二三日すぎて大夫「のちのもろやはかなしかりしかな」などあればまして我も。おほやけにはれいのそのころ八幡のまつりになりぬ。つれ%\なるをとてしのびやかにたてれば、ことにはなやかにていみじうおひちらすものく、たれならむとみれば御せんどもの中にれいみゆる人などあり。さなりけりとおもひてみるにもまして我がみいとはしき心ちす。すだれまきあげ、したすだれおしはさみたればおぼつかなきこともなし。このくるまを見つけてふとあふぎをさしかくしてわたりぬ。御文あり。かへりごとのはしに「昨日はいとまばゆくてわたりたまひにきとかたるは、などかはさはせでぞなりけん、わか/\しう」とかきたりけり。かへりごとには「老いのはづかしさにこそありけめ、まばゆきさまにみなしけん人こそにくけれ」などぞある。
又かきたえて十餘日になりぬ。日ごろのたえまよりはひさしき心ちすればまたいかになりぬらんとぞおもひける。大夫れいのところにふみも
のする。ことづけてもあらず、これよりもいとをさなきほどのことをのみいひければかうものしけり。
みがくれのほどといふともあやめぐさなほしたからんおもひあふやと
かへりごとなほ/\し
したからんほどをもしらずまこも草よにおひそめし人はかるとも
かくて又廿餘日のほどにみえたり。さて三四日のほどにちかう火のさわぎす。おどろきさわぎするほどにいととくみえたり。風ふきてひさしううつりゆくほどにとりすぎぬ。「さらなれば」とてかへる。こゝにとみきゝける人は「まゐりたりつるよしきこえよとてかへりぬときくもおもだゝしげなりつる」などかたるもくしはてにたるところにつけてみゆるならんかし。又つごもりの日許にあり。はひいるまゝに「火などちかき夜こそにぎはゝしけれ」とあれば「ゑじのたくはいつも」と見えたり。
五月のはじめの日になりぬれば、れいの大夫
うちとけてけふだにきかんほとゝぎすしのびもあへぬときはきにけり
かへりごと
ほとゝぎすかくれなきねをきかせてはかけはなれぬるみとやなるらん
五日
ものおもふにとしへけりともあやめ草けふをたび/\すぐしてぞしる
かへりごと
つもりけるとしのあやめもおもほえずけふもすぎぬる心みゆれば
とぞある。いかにうらみたるにかあらんとぞあしがりける。
さてれいのものおもひはこのつきも時々おなじやうなり。廿日のほど
に「とほうものする人にとらせん、このゑぶくろのうちにふくろむすびて」とあればむすぶほどに「いできにたりや、うたをひとゑぶくろいれて給へ、こゝにいとなやましうてえよむまじ」とあればいとをかしうて「の給へるものあるかぎりよみいれてたてまつるを、もしもりやうせん、ことふくろをぞ給はまし」とものしつ。二日許ありて「心ちのいとくるしうてもことひさしければなん、ひとゑぶくろといひたりしものをわびてかくなんものしたりし、かへしかう/\」などあまたかきつけて「いとようさだめて給へ」とてあめもよにあればすこしなさけある心ちしてまちみる。おとりまされりはみゆれどさかしうことわらんもあいなくてかうものしけり。
こちとのみ風のこゝろをよすめればかへしはふくもおとるらんかし
と許ぞものしける。
六七月おなじほどにありつゝはてぬ。つごもり廿八日に「すまひのこ
とによりうちにさぶらひつれどこちものせんとてなんいそぎいでぬる」などてみえたりし人そのまゝに八月廿餘日までみえず。きけばれいのところにしげくなんときく。うつりにけりと思ふ。かううつし心もなくてのみあるに、すむところはいよ/\あれゆくをひとずくなにもありしかば人にものしてわがすむところにあらせんといふことを我がたのむ人さだめて今日あすひろはたなかがはのほどにわたりぬべし。さべしとはさき%\ほのめかしたれど今日などもなくてやはとてきこえさすべきことものしたれど「つゝしむことありてなん」とてつれもなければ「なにかは」とておともせでわたりぬ。山ちかうかはらかたかげなるところに今は心のほしきにいりたればいとあはれなるすまひとおぼゆ。二三日になりぬれどしりげもなし。五六日許「さりけるをつげざりける」と許あり。かへりごとに「さなんとはつげきこゆべしとなんおもひしかどびなきところにはたかたうおぼえしかばなん、みたまひなれにしところにていま
ひとたびきこゆべくは思ひし」などたえたるさまにものしつ。「さもこそはあらめ、びなげなればなん」とてあとをたちたり。九月になりてまだしきにかうしをあげてみいだしたれば、うちなるにもとなるにもかはぎりたちわたりてふもともみえぬ山のみやられたるもいとものがなしうて
ながれてのとことたのみてこしかども我がなかがははあせにけらしも
とぞいはれける。ひんがしのかどのまへなる田どもかりてゆひわたしてかけたり。たまかさにもみえとふ人にはあをいねからせて馬にかひやいごめせさせなどするわざにおりたちてあり。小鷹の人もあればたかども外にたちいでゝあそぶ。れいのところにおどろかしにやるめり。
さごろものつまもむすばぬたまのをのたえみたえずみよをやつくさん
かへりごとなし。又ほどへて
つゆふかき袖にひえつゝあかすかなたれながきよのかたきなるらん
かへりごとあれどよしかゝじ。
さて廿餘日にこの月もなりぬれどあとたえたり。あさましさは「これして」とてふゆのものあり。「御ふみありつるははやおちにけり」といへば「おろかなるやうなり、かへりごとせぬにてあらん」とてなにごとともしらでやみぬ。ありしものどもはしてふみもなくてものしつ。そののちゆめのかよひぢたえてとしくれはてぬ。つごもりにまた「これしてとなん」とてはてはふみだにもなうてぞしたがさねある。いかにせましとおもひやすらひてこれかれにいひあはすれば「なほこのたびばかり心みにせよ、いといみたるやうにのみあればか」とさだむることありて、とゞめてきたなげなくしてついたちの日大夫にもたせてものしたれば、「いときよくなりぬとなんありつる」とてやみぬ。あさましといへばお
ろかなり。さてこのしもつきにあがたありきのところにうぶやのことありしをえとはですぐしてしを、いかになりにけん、これにだにと思ひしかどこと%\しきわざはえものせず、ことほぎをぞさま%\にしたる。れいのことなり。しろうてうじたるにむめのえだにつけたるに
ふゆごもりゆきにまどひしをりすぎてけふぞかきねのむめをたづぬる
とて帶刀のをさそれがしなどいふ人つかひにて夜にいりてものしけり。つかひつとめてぞかへりたる。うすいろのうちきひとかさねかづきたり。
えだわかみゆきまにさけるはつはなはいかにととふににほひますかな
などいふほどにおこなひのほどもすぎぬ。「しのびたるかたにいざ」とさそふ人もあり。「なにかは」とてものしたれば人おほうまうでたり。たれとしるべきにもあらなくにわれひとりくるしうかたはらいたし。は
らへなどいふところに垂氷いふかたなうしたり。をかしうもあるかなとみつゝかへるに、おとななるものゝわらはさうずくしてかみをかしげにてゆくあり。みればありつるこほりをひとへのそでにつゝみもたりてくひゆく。ゆゑあるものにやあらんと思ふほどにわがもろともなる人ものをいひかけたれば氷くゝみたるこゑにて「麻呂をのたまふか」といふをきくにぞなほものなりけりとおもひぬる。かしらついて「これくはぬ人は思ふことならざるは」といふ。まが/\しう、さいふものゝ袖ぞぬらすめるとひとりごちて又思ふやう
わがそでのこほりははるもしらなくに心とけても人の行くかな
かへりて三日許ありて賀茂にまうでたり。ゆき風いふかたなうふりくらがりてわびしかりしにかぜおこりてふしなやみつるほどにしもつきにもなりぬ。しはすもすぎにけり。十五日儺火あり。大夫の雜色のをのこどもなびすとてさわぐをきけばやう/\よひすぎて「あなかまや」などい
ふこゑきこゆる。をかしさにやをらはしのかたにたちいでゝみいだしたればつきいとをかしかりけり。ひんがしざまにうちみやりたれば山かすみわたりていとほのかに心すごし。はしらによりたちておもはぬやまなくおもひたてれば八月よりたえにし人はかなくてむつきにぞなりぬるかしとおぼゆるまゝになみだぞさくりもよゝにこぼるゝ。さて
もろごゑになくべきものをうぐひすはむつきともまだしらずやあるらん
とおぼえたり。
廿五日に大夫しもなにがしなどにもきほひおこなひなどす。などぞすらんと思ふほどにつかさめしのことあり。めづらしきふみにて「むまのすけになん」とつげたり。こゝかしこによろこびものするにそのつかさのかみをぢにさへものしたまへばまうでたりけり。いとかしこうよろこびてことのついでに「殿にものし給ふなるひめぎみはいかゞものし給ふ、
いくつにか御としなどは」ととひけり。かへりてさなんとかたれば、いかできゝ給ひけんなに心もなくおもひかくべきほどしあられねばやみぬ。そのころ院ののりゆみあべしとてさわぐ。かみもすけもおなじかたにいていの日々にはいきあひつゝおなじことをのみの給へば「いかなるにかあらん」などかたるに、二月廿日のほどにゆめにみるやう本
コノトコロ脱文アルベシ
あるところにしのびておもひたつ。なに許ふかくもあらずといふべきところなり。のやきなどするころの、はなはあやしうおそきころなればをかしかるべきみちなれどまだし。いとおくやまはとりのこゑもせぬものなりければうぐひすだにおとせず。水のみぞめづらかなるさまにわきかへりながれたる。いみじうくるしきまゝに、かゝらであるひともありかし、うきみひとつをもてわづらふにこそはあめれと思ふ/\、いりあひつぐるほどにぞいたりあひたる。みあかしなどたてまつりてひとすぢ許
たちゐするほどいとゞくるしうて、夜あけぬときくほどにあめふりいでぬ。いとわりなしとおもひつゝ法師の坊にいたりて「いかがすべき」などいふほどにことゝあけはてゝ「みのかさや」と人はさわぐ。我はのどかにてながむればまへなる谷よりくもしづ/\とのぼるにいとものがなしうて
おもひきやあまつそらなるあまぐもをそでしてわくる山ふまんとは
とぞおぼえけらし。あめいふかたなけれどさてあるまじければとかうたばかりていでぬ。あはれなる人のみにそひてみるぞ我がくるしさもまさる許かなしうおぼえける。
からうじてかへりて又の日いていのところより夜ふけてかへりきてふしたるところよりかへりていふやう「殿なんきんぢがつかさのかみの去年よりいとせちにのたうぶことのあるを、そこにあらん子はいかゞなりたる、おほきなりや心ちつきにたりやなどのたまひつるを、又かのかみ
も、殿はおほせられつることやありつるなどなんのたまひつれば、さりつとなん申しつれば、あさて許よき日なるを御ふみたてまつらむとなんのたまひつる」とかたる。いとあやしきことかな、まだおもひかくべきにもあらぬをとおもひつゝねぬ。さてその日になりて文あり。いとかへりごとうちとけしにくげなるさましたり。うちのことばは「つきごろはおもひ給ふることありて殿につたへ申さゝせはべりしかば、ことのさまばかりきこしめしつ、いまはやがてきこえさせよとなんおほせ給ふとうけ給はりにしかどいとおほけなき心のはべりけるとおぼしとがめさせ給はんをつゝみはべりつるになん、ついでなくてとさへおもひ給へしに、つかさめしみ給へしになんこのすけのきみのかうおはしませばまゐりはべらんこと人みとがむまじう思ひ給ふるに」などあるべかしうかきなし、はしに「むさしといひはべる人の御ざうしにいかでさぶらはん」とあり。かへりごときこゆべきをまづ「これはいかなることぞ」とものしてこそ
はとてあるに「ものいみやなにやと折あしとてえ御らんぜさせず」とてもてかへるほどに五六日になりぬ。おぼつかなうもやありけん、すけのもとに「せちにきこえさすべきことなんある」とてよび給ふ。「いまいま」とてあるほどにまづかひはかへしつ。そのほどにあめふれど「いとほし」とていづるほどにふみとりてかへりたるをみれば、くれなゐのうすやうひとかさねにて紅梅につけたり。ことばは「いそのかみといふことはしろしめしたらんかし
はるさめにぬれたる花のえだよりも人しれぬみのそでぞわりなき
あがきみ/\なほおはしませ」とかきて、などにかあらんあがきみとあるうへはかいけちたり。すけ「いかゞせん」といへば「あなむづかしや、みちになんあひたるとてまうでられね」とていだしつ。かへりて「などか御せうそくきこえさせ給ふあひだにても御かへりのなかるべきといみじううらみきこえ給へる」などかたるぞいまふつかみか許ありてからう
じてみせたてまつりつ。「の給ひつるやうは、なにかは、いまおもひさだめてとなんいひてしかば、かへりごとははやうおしはかりてものせよ、まだきにこむとあることなんびんなかめる、そこにすむめありといふことはなべてしる人もあらじ、人ことやうにもこそきけとなんの給ふ」ときくに、あなはらだゝし、そのいはん人をしるはなぞと思ひけんかし。さてかへりごとけうぞものする。「このおぼえぬ御せうそこはこの除目のとくにやと思ひたまへしかばすなはちもきこえさすべかりしを、殿になどの給はせたることのいとあやしうおぼつかなきを、たづねはべりつるほどのもろこし許になりにければなん、されどなほ心えはべらぬはいときこえさせんかたなく」とてものしつ。はしに「さうじにとのたまはせたるむさしは、みだりに人をとこそきこえさすめれ」となむ。さてのちおなじやうなることどもあり。かへりごとたびごとにしもあらぬにいたうはゞかりたり。
三月になりぬ。かしこにも女房につけて申しつがせければその人のかへりごとみせにあり。「おぼめかせ給ふめればなむ、これかくなん殿のおほせはべめる」とあり。みれば「この月日あしかりけり、つきたちてとなんこよみ御らんじてたゞいまものたまはする」などぞかいたる。いとあやしういちはやきこよみにもあるかな、なでふことなり、よもあらじ、このふみかく人のそらごとならんとおもふ。
ついたち七八日のほどのひるつかた「右馬のかみおはしましたり」といふ。「あなかま、こゝになしとこたへよ、ものいはむとあらんにまだしきにびなし」などいふほどにいりてあらはなるまがきのまへにたちやすらふ。れいもきよげなる人の練衣したにきてなよゝかなる直衣たちひきはきれいのことなれどあかいろのあふぎすこしみだれたるをもてまさぐりてかぜはやきほどに纓ふきあげられつゝたてるさまゑにかきたるやうなり。きよらの人ありとておくまりたるをんならの裳などうちとけす
がたにていでゝみるに、ときしもあれこの風のすだれを外へふきうちへふきまどはせばすだれをたのみたるものども我か人かにておさへひかへさわぐまに、なにかあやしのそでぐちもみなみつらんと思ふにしぬばかりいとほし。よべいていのところより夜ふけてかへりてねふしたる人をおこすほどにかゝるなりけり。からうじておきいでゝこゝにはひともなきよしいふ。かぜのこゝちあわたゞしさにかうしをみなかねてよりおろしたるほどなればなにごといふもよろしきなりけり。しひてすのこにのぼりて「けふよき日なり、わらふだかい給へ、ゐそめん」など許かたらひて「いとかひなきわざかな」とうちなげきてかへりぬ。二日許ありてたゞことばにて「侍らぬほどにものしたまへりけるかしこまり」などいひてたてまつれてのち「いとおぼつかなくてまかでにしをいかで」とつねにあり。「にげないことゆゑにあやしのこゑさてやはなどあるはゆるしなきを助にものきこえむ」といひがてらくれにものしたり。いかゞは
せんとてかうしふたまばかりあげてすのこに火ともしてひさしにものしたり。すけたいめして「はやく」とてえんにのぼりぬ。つまどをひきあけて「これより」といふめればあゆみよるものから又たちのきて「まづ御せうそこきこえさせたまへかし」としのびやかにいふなればいりてさなんとものするに「おぼしよらんところにきこえよかし」などいへばすこしうちわらひてよきほどにうちそよめきていりぬ。すけとものがたりしのびやかにして笏らにあふぎのうちあたるおとばかりとき%\してゐたり。うちにおとなうてやゝひさしければ、すけに「一日かひなうてまかでにしかば心もとなさになんときこえ給へ」とていれたり。「はやう」といへばゐざりよりてあれどとみにものもいはず。うちよりはたましておとなし。とばかりありておぼつかなうおもふにやあらんとていさゝかしはぶきのけしきしたるにつけて「ときしもあれあしかりけるをりにさぶらひあひはべりて」といふをはじめにておもひはじめけるよりのこと
いとおほかり。うちには「たゞいとまが/\しきほどなればかうの給ふもゆめの心ちなんする、ちひさきよりも世にいふなるねずみおひのほどにだにあらぬをいとわりきことになん」などやうにこたふ。こゑいといたうつくろひたなりときけばわれもいとくるし。あめうちみだるるくれにてかはづのこゑいとたかし。夜ふけゆけばうちより「いとかくむくつけゞなるあたりはうちなる人だにしづ心なくはべるを」といひいだしたれば「なにかこれよりまろと思ひたまへむかし、おそろしきことはべらじ」といひつゝいたうふけぬれば「すけのきみの御いそぎもちかうなりにたらんをそのほどのざうやくをだにつかうまつらん、殿にかうなんおほせられしと御けしき給はりて又の給はせんこときこえさせにあすあさてのほどにもさぶらふべし」とあればたつなゝりとて帳のほころびよりかきわけてみいだせばすのこにともしたりつる火ははやうきえにけり。うちにはものゝしりへにともしたればひかりありて外のきえぬるもしら
れぬなりけり。かげもやみえつらんとおもふにあさましうて「はらぐろうきえぬともの給はせで」といへば「なにかはさぶらふ」ともこたへてたちにけり。
きそめぬればしば/\ものしつゝおなじことをものすれど、こゝには「御ゆるされあらんところよりさぞあらんときこそはわびてもあべかめれ」といへば「やんごとなきゆるされはなりにたるを」とてかしがましうせむ。「このほどこそは殿にもおほせはありし、廿餘日のほどなんよき日はあなる」とてせめらるれど、すけつかさのつかひにとてまつりにものすべければそのことをのみおもふに人はいそぎのはつるをまちけり。みそぎの日いぬのしにたるをみつけていふかひなくとまりぬ。さてなほこゝにはいといちはやき心ちすればおもひかくることもなきを「これよりかくなんおほせありきとてせむるごときこえよ」とのみあれば、いかでさはのたまはせるにかあらんいとかしがましければみせたてまつりつ
べくて「御かへり」といひたれば「さは思ひしかどもすけのいそぎしつるほどにていとはるかになんなりにけるを、もし御心かはらずば八月ばかりにものし給へかし」とあればいとめやすき心ちして「かくなんはべめる、いちはやかりけるこよみは不定なりとはさればこそきこえさせしか」とものしたればかへりごともなくてと許ありてみづから「いとはらだゝしきこときこえさせになんまゐりつる」とあれば「なにごとにかいとおどろ/\しくはべらん、さらばこなたに」といはせたれば「よしよしかうよるひるまゐりきてはいとゞはるかになりなん」とていどみて、と許すけとものがたりしてたちてすゞりかみとこひたり。いだしたればかきておしひねりていれていぬ。みれば
ちぎりおきしうづきはいかにほとゝぎすわがみのうきにかけはなれつゝ
いかにしはべらまし、くしいたくこそ、くれにを」とかいたり。手もい
とはづかしげなりや。かへりごとやがておひてかく。
なほしのべはなたちばなの枝やなきあふひすぎぬるうづきなれども
さてそのひごろえらびまうけつる廿二日の夜ものしたり。こたみはさき%\のさまにもあらずいとづしやかになりまさりたる物から、せむるさまいとわりなし。「とのゝ御ゆるされはみちなくなりにたり、そのほどはるかにおぼえはべるを御かへりみにていかでとなん」とあれば「いかにおぼしてかうはの給ふ、そのはるかなりとの給ふほどにやうひごともせんとなんみゆる」といへば「いふかひなきほども物がたりはするは」といふ。「これはいとさにはあらず、あやにくにおもぎらひするほどなればこそ」などいふもきゝわかぬやうにいとわびしくみえたり。「むねはしるまでおぼえはべるをこのみすのうちにだにさぶらふと思ひ給へてまかでん、ひとつ/\をだになすことにし侍らん、かへりみさせ給へ」といひてすだれに手をかくればいとけうとけれどきゝもいれぬやうにて
「いたうふけぬらんをれいはさしもおぼえ給ふ夜になんある」とつれなういへば「いとかうは思ひきこえさせずこそありつれ、あさましういみじうかぎりなううれしと思ひたまふべし、御こよみもぢくもとになりぬ、わるくきこえさする、御けしきもかゝり」などおりたちてわびいりたればいとなつかしさに「なほいとわりなきことなりや、院にうちになどさぶらひ給ふらんひるまのやうにおぼしなせ」などいへば「そのことの心はくるしうこそはあれ」とすにいりてこたふるにいといふかひなし。いらへわづらひてはてはものもいはねば「あなかしこ、御けしきもあしうはべめり、さらばいまはおほせごとなからんにはきこえさせじ、いとかしこし」とてつまはじきうちしてものもいはでしばしありてたちぬ。いづるにまつなどいはすれどさらにとらせでなんときくにいとほしくなりてまたつとめて「いとあやにくにまつともの給はせでかへらせ給ふめりしはたひらかにやときこえさせになん
ほとゝぎすまたとふべくもかたらはでかへる山ぢのこぐらかりけん
こそいとほしう」とかきてものしたり。さしおきてければかれより
とふこゑはいつとなけれどほとゝぎすあけてくやしき物をこそおもへ
といたうかしこまり給はりぬ」とのみあり。さくねりても又の日「すけのきみけふ人々のがりものせんとするをもろともにつかさにときこえになん」とてかどにものしたり。れいのすゞりこへばかみおきていだしたり。いれたるをみればあやしうわなゝきたる手にて「むかしの世にいかなるつみをつくり侍りてかうさまたげさせ給ふみとなり侍りけん、あやしきさまにのみなりまさり侍るはなり侍らんこともいとかたし、さらに/\きこえさせじ、いまはたかきみねになんのぼり侍るべき」などふさにかきたり。かへりごと「あなおそろしや、などかうはのたまはすらん、うらみきこえ給ふべき人はことにこそ侍めれ、みねはしり侍らずたにの
しるべはしも」とかきていだしたれば、すけひとつにのりてものしぬ。すけの賜はりむまいとうつくしげなるをとりてかへりたり。そのくれに又ものして「一夜のいとかしこきまできこえさせ侍りしを思ひ給ふればさらにいとかしこし、いまはたゞ殿よりおほせあらんほどをまちさぶらはんなどきこえさせになん、こよひはおひなほりしてまゐり侍りつる、なしにそとおほせ侍りしはちとせのいのちたふまじき心ちなんしはべる、手ををり侍れば指みつ許はいとようふしおきし侍るとおもひやりのはるかに侍れば、つれ%\とすごし侍らん月日をとのゐ許をすのはしわたりゆるされ侍りなんや」といとたとしへなくけざやかにいへばそれにしたがひたるかへりごとなどものしてこよひはいととくかへりぬ。
すけをあけくれよびまどはせばつねにものす。女繪をかしくかきたりけるがありければとりてふところにいれてもてきたり。みれば釣殿とおぼしき勾欄におしかゝりて中島のまつをまもりたる女あり。そこもとに
かみのはしにかきてかくおしつく。
いかにせんいけの水なみさわぎては心のうちのまつにかゝらば
またやもめずみしたる男のふみかきさしてつらづゑつきてものおもふさましたるところに
さゝがにのいづこともなくふくかぜはかくてあまたになりぞすらしも
とものしてもてかへりおきけり。かくてなほおなじことたえず。「殿にもよほしきこえよ」などつねにあればかへりごともみせんとて「かくのみあるをこゝにはこたへなんわづらひぬる」とものしたれば「ほどはさものしてしをなどかかくはあらん、八月まつほどにそこに美々しうもてなし給ふとか世にいふめる、それはしもうめきもきこえてんかし」とあり。たはぶれと思ふほどにたび/\かゝればあやしうおもひて「こゝにはもよほしきこゆるにはあらず、いとうるさくはべればすべてこゝには
の給ふまじきことなりとものし侍るを、なほぞあめればみたまへあまりてなん、さてなでふことにも侍るかな。
いまさらにいかなるこまかなづくべきすさめぬくさとのがれにしみを
あなまばゆ」とものしけり。
頭のきみなほこの月のうちにはたのみをかけてせむ。このごろれいのとしにもにずほととぎすたちをとほしてといふ許になくときくにも、かくふみのはしつかたに「れいならぬほとゝぎすのおとなひにもやすきそらなく思ふべかめれ」とかしこまりをはなはだしうおきたればつやゝかなることはものせざりけり。すけむまぶねしばしとかりけるを、れいのふみのはしに「すけのきみに、ことならずばむまぶねもなしときこえさせ給へ」とあり。かへりごとにも「むまぶねはたてたるところありておぼえずなれば給へらんにわづらはしく侍るとなん」とものしたれば、た
ちかへりて「たてたるところはべなるふねはけふあすのほどにらちふすべきところほしげになん」とぞある。かくて月はてぬればはるかになりはてぬるにおもひうじぬるにやあらんおとなうてつきたちぬ。四日にあめいといたうふるほどにすけのもとに「あまゝ侍らばたちよらせ給へ、きこえさすべきことなんある、うへにはみのすぐせのおもひしられ侍りてきこえさせずととり申させ給へ」とあり。かくのみよびつゝはなにごとといふこともなくてたはぶれつゝぞかへしける。けふかゝるあめにもさはらでおなじところなる人ものへまうでつ。さはることもなきにとおもひていでたれば、あるもの「女がみにはきぬぬひてたてまつるこそよかなれ、さしたまへ」とよりきてさゝめけば「いで心みむかし」とてかとりのひゝなぎぬ三つぬひたり。したがひどもにかうぞかきたりけるはいかなる心ばへにかありけん、かみぞしるらんかし。
しろたへのころもはかみにゆづりてむへだてぬ中にかへしなすべく
しもがれの草のゆかりぞあはれなるこまかへりてもなづけてしがな
あな心ぐるし」とぞある。わが人にいひやりてくやしと思ひしことの七文字なればいとあやし。「こはたがぞ、ほりかは殿の御ことにや」ととへば「おほきおとゞの御ふみなり、御隨身にあるそれがしなんとのにもてきたりけるを、おはせずといひけれどなほたしかにとてなんおきてけり」といふ。いかにしてきゝ給ひけることにかあらんと思へども/\いとあやし。また人ごとにいひあはせなどすればふるめかしき人きゝつけて「いとかたじけなし、はや御かへりしてかのもてきたりけん御隨身にとらすべきものなり」とかしこまる。されば「かくおろかにはおもはざりけめどいとなほざりなりや
さゝわけばあれこそまさめくさがれのこまなづくべきもりのしたかは
とぞきこえける。ある人のいふやう「これがかへしいまひとたびせんとてなからまではあそばしたなるをすゑなんまだしきとの給ふなる」とき
ゝてひさしうなりぬるなんをかしかりける。
りんじのまつり明後日とてすけにはかにまひびとにめされたり。これにつけてぞめづらしきふみある。「いかゞする」などているべきものみなものしたり。試樂の日あるやう「けがらひのいとまなるところなればうちにもえまゐるまじきを、まゐりてみいだしたてんとするをよせ給ふまじかなればいかゞすべからんといとおぼつかなきこと」とあり。むねつぶれて、いまさらになにせんにかとおもふことしげければ「とくさうぞきてかしこへをまゐれ」とていそがしやりたりければまづぞうちなかれける。もろともにたちてまひひとわたりならさせてまゐらせてけり。まつりの日「いかゞはみざらん」とていでたれば、まくのつらになでふこともなきびりやうげしりくちうちおろしてたてり。くちのかた、すだれのしたよりきよげなるかいねりにむらさきのおりものかさなりたる袖ぞさしいでためる。をんなぐるまなりけりとみるところに、くるまのし
りのかたにあたりたる人のいへのかどより六位なるものゝ太刀はきたるふるまひいできてまへのかたにひざまづきてものをいふにおどろきて目をとゞめてみればかれがいできつる。くるまのもとにはあかき人くろき人おしよりてかずもしらぬほどにたてりけり。よく見もていけばみし人々のあまたなりけりと思ふ。れいのとしよりはこととうなりてかんだちめのくるまかいいりてくるものみなかれをみてなるべしそこにとまりておなじところにくちをつどへてたちたり。我が思ふ人にはかにいでたるほどよりは、とも人などもきら/\しうみえたり。かんだちめ手ごとにくだものなどさしいでつゝものいひなどし給へばおもだゝしき心ちす。またふるめかしき人もれいのゆるされぬことにて山ぶきのなかにあるを、うちちりたる中にさしわきてとらへさせてかのうちよりさけなどとりいでたればかはらけさしかけられなどするをみればたゞそのかたとき許やゆく心もありけん。
さてすけにかくてやなどさかしらがる人のありてものいひつゞくる人あり。やつはしのほどにやありけん。はじめて
かつらぎやかみよのしるしふかからばたゞひとことにうちもとけなん
かへりごとこたびはなかめり。
かへるさのくもではいづこやつはしのふみみてけんとたのむかひなく
こたみぞかへりごと
かよふべきみちにもあらぬやつはしをふみみてきともなにたのむらん
とかきてしてかいたり。又
なにかそのかよはんみちのかたからんふみはじめたるあとをたのめば
又かへりごと
たづぬともかひやなからんおほぞらのくもぢはかよふあとはかもあらじ
まけじとおもひがほなめれば又
おほぞらもくものかけはしなくばこそかよふはかなきなげきをもせめ
かへし
ふみみれどくものかけはしあやふしとおもひしらずもたのむなるかな
又やる
なほをらん心たのもしあしたづのくもぢおりくるつばさやはなき
こたみは「くらし」とてやみぬ。しはすになりにたり。又
かたしきしとしはふれどもさごろものなみだにしむるときはなかりき
「ものへなん」とてかへりごとなし。又の日許かへりこひにやりたれば、柧梭の木に「みき」とのみかきておこせたり。やがて
我がなかはそばみぬるかとおもふまでみきとばかりもけしきばむかな
かへりごと
あまぐもの山のはるけきまつなればそばむるいろはときはなりけり
ふるとしに節分するを「こなたに」などいはせて
いとせめておもふ心をとしのうちにはるくることもしらせてしがな
かへりごとなし。また「ほどなきことを、すぐせ」などやありけむ
かひなくてとしくれはつるものならばはるにもあはぬみともこそなれ
こたみもなし。いかなるにかあらんとおもふほどに、とかういふ人あま
たあなりときく。さてなるべし。
われならぬ人まつならばまつといはでいたくなこしそおきつしらなみ
かへりごと
こしもせずこさずもあらずなみよせのはまはかけつゝとしをこそふれ
としせめて
さもこそはなみのこゝろはつらからめとしさへこゆるまつもありけり
かへりごと
ちとせふるまつもこそあれほどもなくこえてはかへるほどやとほかる
とぞある。あやしなでふことぞと思ふ。かぜふきあるゝほどにやる。
ふくかぜにつけても物をおもふかな大うみのなみのしづ心なく
とてやりたるに「きこゆべき人はけふのことをしりてなん」とこと手して一葉ついたるえだにつけたり。たちかへり「いとほしう」などいひて
わがおもふ人はたぞとはみなせどもなげきのえだにやすまらぬかな
などぞいふめる。
ことしいたうあるゝとなくてはだらゆき二度許ぞふりつる。すけのついたちのものどもまたあをむまにものすべきなどものしつるほどにくれはつる日にはなりにけり。明日の物をりまかせつゝ人にまかせなどしておもへばかうながらこひつゝけふになりにけるもあさましう、御魂などみるにもれいのつきせぬことにおぼほれてぞはてにける。年のはてなれば夜いたうふけてぞたゝきくなる外に。本に
佛名のあしたにゆきのふりければ
としのうちにつみけつにはにふる雪はつとめてのちはつもらざらなん
殿かれ給ひてのちひさしうありて七月十五日盆のことなどきこえのたまへる御かへりごとに
かゝりけるこのよもしらずいまとてやあはれはちすの露をまつらん
四宮の御ねの日に殿にかはりたてまつりて
みねのまつおのがよはひのかずよりもいまいくちよぞきみにひかれて
そのねの日の日記を宮にさぶらふ人にかり給へりけるを、そのとしは后宮うせさせ給へりけるほどにくれはてぬれば又のとしの春かへし給ふとてはしに
袖のいろかはれるはるをしらずしてこぞにならへるのべのまつかな
ないしのかんの殿「あまのはごろもといふ題をよみて」ときこえさせ給へりければ
ぬれぎぬにあまのはごろもむすびけりかつはもしほの火をしけたねば
みちのくににをかしかりけるところ/\をゑにかきてもてのぼりて見せ給ひければ
みちのくのちかのしまにてみましかばいかにつゝじのをかしからまし
ある人かものまつりの日むこどりせんとするにをとこのもとよりあふひうれしきよしいひおこせたりけるかへりごとに人にかはりて
たのみずなみかきをせばみあふひばはしめのほかにもありといふなり
おやの御いみにてひとつところにはらからたちあつまりておはするを、
こと人々はいみはてゝいへにかへりぬるにひとりとまりて
ふかくさのやどになりぬるやどもるととまれるつゆのたのもしげなき
かへしためまさの朝臣
ふかくさはたれもこゝろにしげりつゝあさぢがはらの露にけぬべし
當帝の御五十日にゐのこのかたをつくりたりけるに
よろづよをよばふ山べのゐのここそきみがつかふるよはひなるらし
とのよりやへ山ぶきをたてまつらせ給へりけるを
たれかこのかずはさだめし我はたゞとへとぞおもふやまぶきの花
はらからのみちのくにのかみにてくだるを、ながあめしけるころそのくだる日はれたりければ、かのくにに河伯といふかみあり
わがくにのかみのまもりやそへりけんかはくけがりしあまつそらかな
かへし
今ぞしるかはくときけばきみがためあまてる神のなにこそありけれ
鶯柳のえだにありといふだいを
わがやどの柳のいとはほそくともくるうぐひすはたえずもあらなん
傅のとのはじめて女のがりやり給ふにかはりて
けふぞとやつらくまちみむわがこひははじめもなきがこなたなるべし
たび/\のかへりごとなかりければ時鳥のかたをつくりて
とびちがふとりのつばさをいかなればすだつなげきにかへさざるらん
なほかへりごとせざりければ
さゝがにのいかになるらんけふだにもしらばや風のみだるけしきを
又
たえてなほすみのえになき中ならばきしにおふなるくさもがなきみ
かへし
すみよしのきしにおふとはしりにけりつまんつまじはきみがまにまに
さねかたの兵衞の佐にあはすべしときゝ給ひて少將にておはしけるほどのことなるべし
かしはぎのもりだにしげくきく物をなどかみかさの山のかひなき
かへし
かしはぎもみかさの山もなつなればしげれどあやな人のしらなく
かへりごとするをおやはらからせいすときゝて、まろこすげにさして
うちそばみきみひとりみよまろこすげまろは人すげなしといふなり
わづらひたまひてみつせがはあさゝのほどもしらせじとおもひしわれやまづわたりな
ん
かへし
みつせがはわれよりさきにわたりなばみぎはにわぶるみとやなりなん
かへりごとするをりせぬをりのありければ
かくめりと見ればたえぬるさゝがにのいとゆゑ風のつらくもあるかな
七月七日
たなばたにけさひくいとのつゆをおもみたはむけしきをみでややみなん
これはあした
わかつよりあしたのそでぞぬれにけるなにをひるまのなぐさめにせん
にふだう殿中納言ためまさの朝臣のむすめをわすれたまひにけるのち「ひかげのいとむすびて」とてたまへりければそれにかはりて
かけてみしすゑもたえにしひかげぐさなにによそへてけふむすぶらん
女院いまだくらゐにおはしまししをり八講おこなはせ給ひけるさゝげものにはちすのずゞまゐらせ給ふとて
となふなるなみのかずにはあらねどもはちすのうへの露にかゝらん
おなじところ傅のとのたちばなをまゐらせ給へりければ
かばかりもとひやはしつるほととぎすはなたちばなのえにこそありけれ
かへし
[2]ほちぬ/ならぬみをしればしづえならではとはぬとぞきく
小一條の大將白川におはしけるに傅の殿を「かならずおはせ」とてまちきこえ給ひけるに雨いたうふりければえおはせぬほどに隨身して「しづくをおほみ」ときこえたまへりけるかへりごとに
ぬれつゝもこひしきみちはよかなくにまだきこえずとおもはざらなん
中將のあまにいへをかり給ふにかしたてまつらざりければ
はちすばのうきはをせばみこのよにもやどらぬつゆと身をぞしりぬる
かへし
はちすにもたまゐよとこそむすびしか露は心をおきたがへけり
粟田野みてかへり給ふとて
花すゝきまねきもやまぬ山ざとに心のかぎりとゞめつるかな
故ためまさの朝臣普門寺に千部の經供養するにおはしてかへり給ふに小
野殿のはないとおもしろかりければくるまひきいれてかへり給ふに
たきぎこることはきのふにつきにしをいざをののえはこゝにくたさん
こまくらべのまけわざとおぼしくてしろがねのうりわりごをして院にたてまつらんとし給ふにごのけにうたんとて攝政殿よりうたきこえさせ給へりければ
ちよもへよたちかへりつゝやましろのこまにくらべしうりのすゑなり
繪のところに、山里にながめたる女あり、ほととぎすなくに
都びとねでまつらめやほととぎすいまぞ山べをなきてすぐなる
このうたは寛和二年歌合にあり
法師の舟にのりたるところ
わたつうみはあまのふねこそありときけのりたがへてもこぎでける
かな
とのかれ給ひてのち「かよふ人あべし」などきこえ給ひければ
いまさらにいかなるこまかなづくべきすさめぬくさとのがれにしみを
うたあはせに、うのはな
うの花のさかりなるべし山ざとのころもさほせるをりとみゆるは
ほとゝぎす
ほとゝぎすいまぞさわたる聲すなるわがつげなくに人やきゝけん
あやめぐさ
あやめぐさけふのみぎはをたづぬればねをしりてこそかたよりにけれ
ほたる
さみだれやこぐらきやどのゆふされをおもてるまでもてらすほたる
か
とこなつ
さきにけるえだなかりせばとこなつものどけき名をやのこさゞらまし
かやり火
あやなくややどのかやりびつけそめてかたらふむしのこゑをさけつる
せみ
おくるといふせみのはつごゑきくよりぞいまかとをぎの秋をしりぬる
なつぐさ
こまやくる人やわくるとまつほどにしげりのみますやどのなつぐさ
こひ