Title: Kagero nikki
Author: Michitsuna no Haha
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Title: Kagero nikki
Author: Michitsuna no Haha
Publisher: Tokyo: Iwanami Shoten, 1927
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蜻蛉日記

蜻蛉日記 上

 かくありしときすぎて世中にいとものはかなくとにもかくにもつかでよにふる人ありけり。かたちとても人にもにずこゝろたましひもあるにもあらでかうものゝやうにもあらであるもことわりとおもひつゝたゞふしおきあかしくらすまゝに世中におほかた古るものがたりのはしなどをみればよにおほかるそらごとだにあり、人にもあらぬみのうへまでかき日記してめづらしきさまにもありなん天下の人のしなたかきやと問はんためしにもせよかしとおぼゆるもすぎにしとしつきごろのこともおぼつかなかりければさてもありぬべきことなんおほかりける。

 さてあはつけかりしすきごとどものそれはそれとしてかしはぎのこだかきわたりよりかくいはせんとおもふことありけり。れいの人は案内す るたよりもしはなま女などしていはすることこそあれ、これはおやとおぼしき人にたはぶれにもまめやかにもほのめかししに、便なきことといひつるをもしらずがほに馬にはひのりたる人してうちたゝかす。誰などいはするにはおぼつかなからず、さわいだればもてわづらひとり入れてもてさわぐ。みれば紙などもれいのやうにもあらずいたらぬところなしときゝふるしたる手もあらじとおぼゆるまであしければいとぞあやしき。ありけることは

おとにのみきけばかなしなほととぎすことかたらはんとおもふこころあり

とばかりぞある。いかにかへりごとはすべくやあるなどさだむるほどに、古代なる人ありてなほとかしこまりてかゝすれば

かたらはん人なきさとにほととぎすかひなかるべきこゑなふるしそ

これをはじめにてまた/\もおこすれどかへりごともせざりければ又

おぼつかなおとなきたきの水なれやゆくへもしらぬせをぞたづぬる

これを「いまこれより」といひたればしれたるやうなりや、かくぞある

 

ひとしれずいまや/\とまつほどにかへりこぬこそわびしかりけれ

とありければ、れいの人「かしこしをさ/\しきやうにもきこえんこそよからめ」とてさるべきひとしてあるべきにかゝせてやりつ。それをしもまめやかにうちよろこびてしげうかよはす。またそへたるふみみれば

はまちどりあともなぎさにふみみぬはわれをこすなみうちやけつらん

このたびもれいのまめやかなるかへりごとする人あればまぎらはしつ。又もあり「まめやかなるやうにてあるもいとおもふやうなれどこのたびさへなうはいとつらうもあるべきかな」などまめぶみのはしにかきてそへたり。

いづれともわかぬ心はそへたれどこたびはさきにみぬ人のがり

とあれどれいのまぎらはしつ。かゝればまめなることにて月日はすぐしつ。秋つかたになりにけり。そへたるふみに「心さかしらづいたるやうにみえつるうさになんねんじつれどいかなるにかあらん

しかのねもきこえぬ里にすみながらあやしくあはぬめをもみるかな

とあるかへりごと

たがさごのをのへわたりにすまふともしかさめぬべきめとはきかぬを

げにあやしのことや」とばかりなん。又ほどへて

あふさかのせきやなかなかちかけれどこえわびぬればなげきてぞふる

かへし

こえわぶるあふさかよりもおとにきくなこそをかたきせきとしらなん

などいふ。まめぶみかよひ/\ていかなるあしたにかありけむ

ゆふぐれのながれくるまをまつほどになみだおほゐのかはとこそなれ

かへし

おもふことおほゐのかはのゆふぐれはこころにもあらずなかれこそすれ

また三日ばかりのあしたに

しのゝめにおきけるそらはおもほえであやしくつゆときえかへりつる

かへし

さだめなくきえかへりつる露よりもそらだのめするわれはなになり

かくてあるやうありてしばしたびなるところにあるにものしてつとめて「けふだにのどかにとおもひつるを便なげなりつればいかにぞみには山 がくれとのみなん」とあるかへりごとにたゞ

おもほえぬかきほにをればなでしこのはなにぞ露はたまらざりける

などいふほどに九月になりぬ。つごもりがたにしきりて二夜ばかりみえぬほどふみばかりあるかへりごとに

 

きえかへりつゆもまだひぬ袖のうへにけさはしぐるゝそらもわりなし

たちかへりかへりごと

おもひやる心のそらになりぬればけさはしぐるとみゆるなるらん

とてかへりごとかきあへぬほどにみえたり。又ほどへてみえおこたるほどあめなどふりたる日「くれにこん」などやありけん

かしはぎのもりのしたくさくれごとになほたのめとやもるをみるみる

かへりごとはみづからきてまぎらはしつ。

 かくて十月になりぬ。こゝにものいみなるほどを心もとなげにいひつつ

なげきつゝかへすころもの露けきにいとどそらさへしぐれそふらん

かへしいとふるめきたり

おもひあらばひなまし物をいかでかはかへすころものたれもぬるらん

とあるほどにわがたのもしき人みちのくにへいでたちぬ。ときはいとあはれなるほどなり、人はまだみなるといふべきほどにもあらず、みゆるごとにたゞさしぐめるにのみあり、いとこころぼそくかなしきことものに似ず。みる人もいとあはれにわするまじきさまにのみかたらふめれど、人のこゝろはそれにしたがふべきかはとおもへばたゞひとへにかなしうこゝろぼそきことをのみおもふ。いまはとてみないでたつ日になりてゆく人もせきあへぬまであり、とまる人はたまいていふかたなくかなしき に、ときたがひぬるといふまでもえいでやらず、又見なきすゞりにふみをおしまきてうちいれて又ほろ/\とうちなきていでぬ。しばしはみむこゝろもなし。みいではてぬるにためらひてなにごとぞとみれば

きみをのみたのむたびなるこゝろにはゆくすゑとほくおもほゆるかな

とぞある。みるべき人みよとなめりとさへおもふにいみじうかなしうて、ありつるやうにおきてとばかりあるほどにものしためり。めも見あはせずおもひいりてあれば「などかよのつねのことにこそあれいとかうしもあるはわれをたのまぬなめり」などもあへしらひ、すゞりなるふみをみつけて「あはれ」といひて門出のところに

われをのみたのむといへばゆくすゑのまつのちぎりもきてこそはみめ

となん。かくて日のふるまゝに旅のそらをおもひやるだにいとあはれな るに人のこゝろもいとたのもしげにはみえずなんありける。

 師走になりぬ。横川にものすることありてのぼりぬ。「人雪にふりこめられていとあはれにこひしきことおほくなん」とあるにつけて

こほるらんよがはのみづにふるゆきもわがごときえてものはおもはじ

などいひてそのとしはかなくくれぬ。

 正月ばかりに二三日みえぬほどにものへわたらんとて「人こばとらせよ」とてかきおきたる

しられねばみをうぐひすのふりいでつゝなきてこそゆけのにも山にも

かへりごとあり

うぐひすのあだにでゆかんやまべにもなくこゑきかばたづぬばかりぞ

などいふうちよりなほもあらぬことありて春夏なやみくらして八月つごもりにとかうものしつ。そのほどのこゝろばへはしもねんごろなるやうなりけり。

 さて九月ばかりになりていでにたるほどにはこのあるを手まさぐりにあけてみれば人のもとにやらんとしけるふみあり。あさましさにみてけりとだにしられんとおもひてかきつく

うたがはしほかにわたせるふみみればここやとだえにならんとすらん

などおもふほどに心えなう十月つごもりがたに三夜しきりてみえぬときあり。「つれなうてしばしこゝろみるほどに」など氣色あり。これよりゆふさりつかた「うちのがるまじかりけり」とていづるに心えで人をつけてみすれば「町の小路なるそこ/\になんとまり給ひぬ」とてきたり。さればよといみじうこゝろうしと思へどもいはんやうもしらであるほど に二三日ばかりありてあかつきがたにかどをたゝくときあり。さなめりと思ふにうくてあけさせねばれいのいへとおぼしきところにものしたり。つとめてなほもあらじとおもひて

なげきつゝひとりぬるよのあくるまはいかにひさしきものとかはしる

とれいよりはひきつくろひてかきてうつろひたる菊にさしたり。かへりごと「あくるまでもこころみむとしつれどとみなるめしつかひのきあひたりつればなんいとことわりなりつるは

げにやげにふゆのよならぬまきのともおそくあくるはわびしかりけり

さてもいとあやしかりつるほどにことなしびたる、しばしはしのびたるさまにうちになどいひつゝぞあるべきをいとゞしう心づきなくおもふことぞかぎりなきや。

 としかへりて三月ばかりにもなりぬ。桃のはななどやとりまうけたりけんまつにみえず、いまひとかたも例はたちさらぬ心ちにけふぞみえぬ。さて四日のつとめてぞみなみえたる。よべよりまちくらしたるものどもなほあるよりはとてこなたかなたとりいでたり。心ざしありしはなををりてうちのかたよりあるをみれば心たゞにしもあらで手ならひにしたり。

まつほどのきのふすぎにしはなのえはけふをることぞかひなかりける

とかきてよしやにくきにとおもひてかくしつる氣色をみてばひとりてかへししたり

みちとせをみつべきみにはとしごとにすくにもあらぬはなとしらせん

とあるをいまひとかたにもきゝて

はなによりすくてふことのゆゝしきによそながらにてくらしてしな

かくていまはこの町の小路にわざといろにいでにたり。本つひとをだにあやしうくやしと思ひげなるときがちなり。いふかたなうこゝろうしとおもへどもなにわざをかはせん。このいまひとかたのいでいりするをみつゝあるにいまは心やすかるべきところへとてゐてわたす。とまる人まして心ぼそし。かげもみえがたかべいことなどまめやかにかなしうなりてくるまよするほどにかくいひやる。

などかゝるなげきはしげさまさりつゝ人のみかるるやどとなるらん

かへりごとはをとこぞしたる。

おもふてふわがことのはをあだ人のしげるなげきにそへてうらむな

などいひおきてみなわたりぬ。おもひしもしるくたゞひとりふしおきす。おほかたのよのうちあはぬことはなければたゞ人のこゝろのおもはずなるをわれのみならずとしごろのところにもたえにたなりときゝてふみな どかよふことありければ五月三四日のほどにかくいひやる。

そこにさへかるといふなるまこもぐさいかなるさはにねをとゞむらん

かへし

まこもぐさかるとはよどのさはなれやねをとゞむてふさはゝそことか

 六月になりぬ。ついたちかけてながあめいたうす。みいだしてひとりごとに

わがやどのなげきのしたばいろふかくうつろひにけりながめふるまに

などいふほどに七月になりぬ。たえぬとみましかばかりにくるにはまさりなましなどおもひつゞくるをりにものしたる日あり。ものもいはねばさう%\しげなるにまへなる人ありし「したば」のことをものゝついで にいひいでたればきゝてかくいふ。

をりならでいろづきにけるもみぢばはときにあひてぞいろまさりける

とあれば硯ひきよせて

あきにあふいろこそましてわびしけれしたばをだにもなげきしものを

とぞかきつくる。かくありつゞきたえずはくれども心のとくるよなきにあれまさりつゝ、きては氣色あしければたふるゝにたち山とたちかへるときもあり。ちかきとなりにこゝころばへしれる人いづるにあはせてかくいへり。

もしほやくけぶりのそらにたちぬるはふすべやしつるくゆるおもひに

などとなりさかしらするまでふすべかはしてこのごろはこととひさしう 見えず。たゞなりしをりはさしもあらざりしをかくこゝろあくがれていかなるものどらかにうちおきたるもののみえぬくせなんありける。かくてやみぬらんそのものと思ひいづべきたよりだになくぞありけるかしと思ふに十日ばかりありてふみあり、なにくれといひて「帳のはしらにゆひつけたりし小弓の矢とりて」とあればこれぞありけるかしとおもひてときおろして

おもひいづるときもあらじとおもへどもやといふにこそおどろかれぬれ

とてやりつ。かくてたえたるほどわがいへはうちよりまゐりまかづるみちにしもあれば夜中あかつきとうちしはぶきてうちわたるもきかじとおもへどもうちとけたるいもねられず夜ながうしてねぶることなければさななりとみきく心ちはなににかはにたる。いまはいかでみきかずだにありにしがなとおもふに「むかしすきごとせし人もいまはおはせずとか」 など人につきてきこえごつをきくをものしうのみおぼゆれば日ぐれはかなしうのみおぼゆ。子供あまたありときくところもむげにたえぬときく。あはれましていかばかりとおもひてとぶらふ。九月ばかりのことなりけり。あはれなどしげくかきて

ふく風につけてもとはむさゝがにのかよひしみちはそらにたゆとも

かへりごとにこまやかに

いろかはるこゝろとみればつけてとふかぜゆゝしくもおもほゆるかな

とぞある。かくてつねにしもえいなびはてでとき%\みえて冬にもなりぬ。ふしおきはたゞをさなき人をもてあそびて「いかにしてあじろの氷魚にこととはむ」とぞ心にもあらでうちいはるる。

 としまたこえて春にもなりぬ。このごろよむとてもてありく書とりわすれてをんなをとりにおこせたり。つゝみてやるかみに

ふみおきしうらも心もあれたればあとをとゞめぬ千どりなりけり

かへりごとさかしらにたちかへり

心あるとふみかへすともはまちどりうらにのみこそあとはとゞめゝ

つかひあれば

はまちどりあとのとまりをたづぬとてゆくへもしらぬうらみをやせむ

などいひつゝ夏にもなりぬ。このときのところに子うむべきほどになりて、よきかたはこびてひとつ車にはひのりて一京ひゞきつゞきていとききにくきまでのゝしりてこのかどのまへよりしもわたるものか。われはわれにもあらずものだにいはねばみる人つかふよりはじめて「いとむねいたきわざかなよにみちしもこそはあれ」などいひのゝしるをきくにたゞしぬるものにもがなと思へどこゝろにしかなはねばいまよりのちたけくはあらずともたえてみえずだにあらんいみじう心うしとおもひてある に三四日ばかりありてふみあり。あさましうつべたましとおもふ/\みれば「このごろこゝにわづらはるゝことありてえまゐらぬをきのふなんたひらかにものせらるめるけがらひもやいむとてなん」とぞある。あさましうめづらかなることかぎりなし。たゞ「給はりぬ」とてやりつ。つかひに人とひければ「をとこぎみになん」といふをきくにいとむねふたがる。三四日ばかりありてみづからいともつれなくみえたり。なにかきたるとて見いれねばいとはしたなくてかへることたび/\になりぬ。

 七月になりてすまひのころ、ふるきあたらしきと一くだりづゝひきつゝみて「これせさせ給へ」とてはあるものか。みるに目くるゝこゝちぞする。こだいの人は「あないとほしかしこにはえつかうまつらずこそはあらめ」、なま心あるひとなどさしあつまりて「すゞろはしやえせでわろからんをだにこそきかめ」などさだめてかへしやりつるもしるくこゝかしこになんもてちりてするときく。かしこにもいとなさけなしとかやあ らん廿餘日おとづれもなし。いかなるをりにかあらんふみぞある。「まゐりこまほしけれどつゝましうてなんたしかに來とあらばおづ/\も」とあり。かへりごともすまじとおもふもこれかれ「いとなさけなしあまりなり」などものすれば

ほにいでゝいはじやさらにおほよそのなびくをばなにまかせてもみむ

たちかへり

ほにいでばまづなびきなんはなすゝきこちてふかぜのふかむまにまに

つかひあれば

あらしのみふくめるやどにはなすゝきほにいでたりとかひやなからん

などよろしういひなして又みえたり。せざいのはないろ/\にさきみだ れたるをみやりてふしながらかくぞいはるゝ。かたみにうらむるさまのことどもあるべし。

もゝくさにみだれてみゆる花のいろはたゞしらつゆのおくにやあるらん

とうちいひたればかくいふ

みのあきをおもひみだるゝ花の上に内のこゝろはいへばさらなり

などいひてれいのつれなうなりぬ。ねまちの月のやまのはいづるほどにいでむとする氣色あり。さらでもありぬべき夜かなと思ふけしきやみえけむ「とまりぬべきことあらば」などいへどさしもおぼえねば

いかゞせん山のはにだにとゞまらでこゝろもそらにいでむ月をば

かへし

ひさかたのそらにこゝろのいづといへばかげはそこにもとまるべきかな

とてとゞまりにけり。

 さて又のわきのやうなることして二日ばかりありてきたり。「ひと日の風はいかにともれいの人はとひてまし」といへばげにとやおもひけんことなしびに

ことのはゝちりもやするととめおきてけふはみからもとふにやはあらぬ

といへば

ちりきてもとひぞしてましことのはをこちはさばかりふきしたよりに

かくいふ

こちといへばおほぞふなりし風にいかでつけてはとはんあたらなだてに

まけじ心にて又

ちらさじとをしみおきけることのはをきながらだにぞけさはとはまし

これはさもいふべしとや人ことわりけん。

 また十月ばかりに「それはしもやんごとなきことあり」とていでんとするにしぐれといふばかりにもあらずあやにくにあるになほいでんとす。あさましさにかくいはる。

ことわりのをりとは見れどさよふけてかくやしぐれのふりはいづべき

といふにしひたる人あらんやは。

 かうやうなるほどにかのめでたきところには子うみてしよりすさまじげに成りにたべかめれば、人にくかりし心思ひしやうは「いのちはあらせてわがおもふやうにおしかへしものをおもはせばや」と思ひしをさやうになりもていではてはうみのゝしりし子さへしぬものか。孫王のひが みたりしみこのおとしだねなりいふかひなくわろきことかぎりなし。たゞこのごろのしらぬ人のもてさわぎつるにかゝりてありつるをにはかにかくなりぬればいかなるこゝちかはしけむわがおもふにはいますこしうちまさりてなげくらんとおもふにいまぞむねはあきたる。いまぞ例のところにうちはらひてなどきく。されどこゝにはれいのほどにぞかよふめればともすればこゝろづきなうのみおもふほどに、こゝなる人かたことなどするほどになりてぞある。いづとてはかならず「いまこんよ」といふもきゝもたりてまねびありく。かくて又心のとくる夜なくなげかるゝになまさかしらなどする人は「わかき御そらになどかくては」といふこともあれど、人はいとつれなう「われやあしき」などうらもなうつみなきさまにもてないたればいかゞはすべきなどよろづに思ふことのみしげきを、いかでつぶ/\といひしらするものにもがなと思ひみだるゝときこゝろづきなきや、むねうちさわぎてものいはれずのみあり。なほかき つゞけてもみせんとおもひて

  おもへたゞ   むかしもいまも  わがこゝろ   のどけからでや  はてぬべき  みそめしあきは  ことのはの  うすきいろにや  うつろふと  なげきのしたに  なげかれき  ふゆはくもゐに  わかれゆく  人ををしむと  はつしぐれ  くもりもあへず  ふりそぼち  こゝろぼそくは  ありしかど  きみにはしもの  わするなと  いひおきつとか  きゝしかば  さりともとおもふ  ほどもなく  とみにはるけき  わたりにて  しらくもばかり  ありしかば  こゝろそらにて  へしほどに  きりもたなびき  たえにけり  またふるさとに  かりがねの  かへるつらにやと  おもひつゝ  ふれどかひなし  かくしつゝ  わがみむなしき  せみのはの  いましも人の  うすからず  なみだのかはの  はやくより  かくあさましき  う らゆゑに  なかるゝことも  たえねども  いかなるつみか  おもからん  ゆきもはなれず  かくてのみ  人のうきせに  たゞよひて つらきこゝろは みづのあわの きえばきえなんと  思へども  かなしきことは  みちのくの  つゝじのをかの  くまつゞら  くるほどをだに  またでやは  すぐせたゆべき  あぶくまの  あひみてだにと  おもひつゝ  なげくなみだの  ころもでに  かゝらぬよにも  ふべきみを  なぞやとおもへど  あふばかり  かけはなれては  しかすがに  こひしかるべき  からごろも  うちきて人の  うらもなく  なれしこゝろを  思ひては  うき世をされる  かひもなく  おもひいでなき  われやせん と思ひかくおもひ  おもふまに  やまとつもれる  しきたへの  まくらのちりも  ひとりねの  かずにしとらば  つきぬべし  なにかたえぬる   たびなりと  おもふものから  かぜふきて  一日もみえし  あまぐもは  かへりしときの  なぐさめに  いまこんといひし  ことのはを  さもやとまつの  みどりごの  たえずまねぶも  きくごとに  人わろくなる  なみだのみ  わがみをうみと  たゝふとも  みるめもよせぬ  みつのうらは  かひもあらじと  しりながら  いのちあらばと  たのめこし  ことばかりこそ  しらなみの  たちもよりこば  とはまほしけれ

とかきつけて二階の中におきたり。れいのほどにものしたれどそなたにもいでずなどあればゐわづらひてこのふみばかりをとりてかへりにけり。さてかれよりかくぞある。

  をりそめし  ときのもみぢの  さだめなく  うつろふいろは  さのみこそ  あふあきごとに  つねならめ  なげきのしたの   このはには  いとゞいひおく  はつしもに  ふかきいろにや  なりにけん おもふおもひの  たえもせず いつしかまつの  みどりごを  ゆきてはみむと  するがなる  たごのうらなみ  たちよれど  ふじのやまべの  けぶりには  ふすぶることの  たえもせず  あまぐもとのみ  たなびけば  たえぬわがみは  しらいとの  まひくるほどを  おもはじと  あまたの人の  せかすれば  みははしたかの  すゞろにて  なづくるやどの  なければぞ  ふるすにかへる  まに/\は  とひくることの  ありしかば  ひとりふすゐの  とこにして  ねざめの月の  まきのとに  ひかりのこさず  もりてくる  かげだにみえず  ありしより  うとむ心ぞ  つきそめし  たれかよづまと  あかしけん  いかなるいろの  おもきぞと  いふはこれこそ  つみならし  とはあぶくまの  あひもみで  かゝらぬ人に   かゝれかし  なにのいはきの  みならねば  おもふこゝろも  いさめぬに  うらのはまゆふ  いくかさね  へだてはてつる  からごろも  なみだのかはに  そぼつとも  思ひしいでば  たきものゝ  籠のめばかりは  かわきなん かひなきことは  かひのくに  へみのみまきに  あるるむまを  いかでか人は  かけとめんと  おもふものから  たらちねの  おやとしるらん かたかひの  こまやこひつゝ いなかせんと  おもふばかりぞ  あはれなるべき

とか。つかひあればかくものす。

なづくべきひともはなてばみちのくのむまやかぎりにあらんとすらん

いかゞおもひけんたちかへり

われがなを尾駁のこまのあればこそなづくにつかぬみともしられめ

かへしまた

こまうげになりまさりつゝなづけぬをこなはたえずぞたのみきにける

又かへし

しらかはのせきのせけばやこまうくてあまたの日をばひきわたりつる

 

あさてばかりは逢阪」とぞある。時は七月五日のことなり。ながきものいみにさしこもりたるほどにかくありしかへりごとには

あまのかはなぬかをちぎる心あらばほしあひばかりのかげをみよとや

ことわりにもやおもひけんすこし心をとめたるやうにて月ごろになりゆく。

 めざましと思ひしところはいまは天下のわざをしさわぐときけば心や すし。むかしよりのことをばいかゞはせんたへがたくともわが宿世のおこたりにこそあめれなど心をちゞにおもひなしつゝありふるほどに、少納言のとしへて四の品になりぬれば殿上もおりてつかさめしにいとねぢけたるものゝ大輔などいはれぬれば、世中をいとうとましげにてこゝかしこかよふよりほかのありきなどもなければいとのどかにて二三日などあり。さてかのこころもゆかぬつかさのかみのみやよりかくのたまへり

みだれいとのつかさひとつになりてしもくることのなどたえにたるらん

御かへり

たゆといへばいとぞかなしききみによりおなじつかさにくるかひもなく

又たちかへり

なつひきのいとことわりやふためみめよりありくまにほどのふるか

御かへり

なゝばかりありもこそあれなつひきのいとまやはなきひとめふために

又宮より

きみとわれなほしらいとのいかにしてうきふしなくてたえんとぞ思ふ

ふためみめはげにすくなくしてけりいみあればとめつ」とのたまへる御かへり

よをふともちぎりおきてし中よりはいとどゆゝしきこともみゆらん

ときこえらる。

 そのころ五月廿餘日ばかりより四十五日のいみたがへむとてあがたありきのところにわたりたるに、宮たゞかきをへだてたるところにわたり 給ひてあるに、みな月ばかりかけてあめいたうふりたるにたれもふりこめられたるなるべし、こなたにはあやしきところなればもりぬるゝさわぎをするにかくのたまへるぞいとゞものぐるほしき。

つれ%\のながめのうちにそゝぐらんことのすぢこそをかしかりけれ

御かへり

いづこにもながめのそゝぐころなればよにふる人はのどけからじを

又のたまへり「のどけからじとか

あめのしたさわぐころしもおほみづにたれもこひぢにぬれざらめやは

御かへり

よとともにかつみる人のこひぢをもほすよあらじとおもひこそやれ

又宮より

しかもゐぬきみぞぬるらんつねにすむところにはまだこひぢだになし

「さもけしからぬ御さまかな」などいひつゝもろともにみる。雨間にれいのかよひどころにものしたる日れいの御ふみあり。「おはせずといへどなほとのみ給ふ」とていれたるをみれば

とこなつにこひしきことやなぐさみんときみがかきほにをるとしらずや

さてもかひなければまかりぬる」とぞある。さて二日ばかりありて見えたれば「これさてなんありし」とて見すれば「ほどへにければびんなし」とてたゞ「このごろはおほせごともなきこと」ときこえられたればかくのたまへる

みづまさりうらもなぎさのころなればちどりのあとをふみはまどふか

とこそみつれうらみ給ふがわりなきみづからとあるはまことか」と女手にかき給へり、をとこの手にてこそくるしけれ。

うらがくれみることかたきあとならばしほひをまたんからきわざかな

又宮

うらもなくふみやるあとをわたつうみのしほのひるまもなににかはせん

とこそ思ひつれことざまにもはた」とあり。

 かゝるほどにはらひのほどもすぎぬらん、たなばたは明日ばかりと思ふ、忌も四十日ばかりになりにたり。日ごろなやましうてしはぶきなどいたうせらるるをものゝけにやあらん加持もこゝろみむせばきところのわりなくあつきころなるをれいもものする山でらへのぼる。

  十五六日になりぬれば盆などするほどになりにけり。見ればあやしき さまにになひいたゞきさま%\にいそぎつゝあつまるをもろともにみてあはれがりもわらひもす。さて心ちもことなることなくていみもすぎぬれば京にいでぬ。秋冬はかなうすぎぬ。

としかへりてなでふこともなし。人のこゝろのことなるときはよろづおいらかにぞありける。このついたちよりぞ殿上ゆるされてある。みそぎの日れいの宮より「物みらればそのくるまにのらん」とのたまへり。御ふみのはしにかゝることあり。

わかとしの  本んのにかく

れいの宮にはおはせぬなりけり。町の小路わたりかとてまゐりたれば上なんおはしますといひけり。まづ硯こひてかくかきていれたり。

きみがこのまちのみなみにとみにおそきはるにはいまぞたづねまゐれる

とてもろともにいでたまひにける。そのころほひすぎてぞれいの宮にわ たり給へるにまゐりたれば去年もみしに花おもしろかりき。すゝきむら/\しげりていとほそやかにみえければ「これほりわかたせ給はゞすこし給はらむ」ときこえおきてしを、ほどへて河原へものするにもろともなれば「これぞかの宮かし」などいひて人をいる。「まゐらんとするにをりなき類のあればなん一日とり申すすゝききこえてとさぶらはん人にいへ」とてひきすぎぬ。はかなきはらへなればほどなうかへりたるに「宮よりすゝき」といへばみればながびつといふものにうるはしうほりたてゝあをき色紙にむすびつけたり。みればかくぞ

ほにいでばみちゆく人もまねくべきやどのすゝきをほるがわりなき

いとをかしうも、この御かへりはいかゞ、わするゝほどおもひやればかゝでもありなん、されどさき%\もいかゞとぞおぼえたるかし。

 春うちすぎて夏ごろ宿直がちになるこゝちするにつとめて一日ありてくれにはまゐりなどするをあやしうとおもふにひぐらしのはつごゑきこ えたり。いとあはれとおどろかれて

あやしくもよるのゆくへをしらぬかなけふひぐらしのこゑはきけども

といふにいでがたかりけんかし。かくてなでふことなければ人のこゝろをなほたゆみなくこりにたり。

 月夜のころよからぬものがたりしてあはれなるさまのことどもかたらひてもありしころおもひいでられてものしければかくいはる

くもりよの月とわがみのゆくすゑとおぼつかなさはいづれまされり

かへりごとたはぶれのやうに

おしはかる月はにしへぞゆくさきはわれのみこそはしるべかりけれ

などたのもしげにみゆれどわがいへとおぼしき所はことになんあんめればいとおもはずにのみぞよはありける。さいはひある人のためにはとし月みし人もあまたの子などもたらぬをかくものはかなくておもふことの みしげし。

 さいふ/\も女おやといふ人あるかぎりはありけるをひさしうわづらひて秋のはじめのころほひむなしくなりぬ。さらにせんかたなくわびしきことのよのつねの人にはまさりたり。あまたある中にこれはおくれじ/\とまどはるるもしるくいかなるにかあらん手足などたゞすくみにすくみてたえいるやうにす。さいふ/\ものをかたらひおきなどすべき人は京にありければ山でらにてかゝるめはみればをさなき子をひきよせてわづかにいふやうは「われはかなうてしぬるなめり、かしこにきこえんやうはおのが上をばいかにも/\なしりたまひそ、この御のちのことを人々のものせられんうへにもとぶらひものし給へときこえよ」とていかにせんとばかりいひてものもいはれずなりぬ。日ごろ月ごろわづらひてかくなりぬる人をばいまはいふかひなきものになしてこれにぞみなひとはかゝりて「ましていかにせんよとかうは」となくがうへに又なきまど ふ人おほかり。ものはいはねどまだこゝろはありめはみゆるほどにいたはしと思ふべきひとよりきて「おやはひとりやはある、などかくはあるぞ」とてゆをせめているればのみなどしてみなどなほりもてゆく。さてなほおもふもいきたるまじき心地するはこのすぎぬる人わづらひつる日ごろものなどもいはず、たゞいふこととてはかくものはかなくてありふるをよるひるなげきにしかば「あはれいかにしたまはんずらん」としばしはいきのしたにもものせられしをおもひいづるにかうまでもあるなりける。人きゝつけてものしたり。われはものもおぼえねばしりもしられずひとぞあひてしか%\なんものしたまひつるとかたればうちなきてけがらひもいむまじきさまにありければ「いとびんなかるべし」などものしてたちながらなん、そのほどのありさまはしもいとあはれに心ざしあるやうに見えけり。かくてとかうものすることなどいたづく人おほくてみなしはてつ。いまはいとあはれなる山でらにつどひてつれ%\とあり。 夜めもあはぬまゝになげきあかしつゝ山づらをみれば霧はげにふもとをこめたり。京もげにたがもとへかはいでむとすらんいでなほこゝながらしなんとおもへどいくる人ぞいとつらきや。かくて十餘日になりぬ。僧ども念佛のひまにものがたりするをきけば「このなくなりぬる人のあらはにみゆる所なんある、さてちかくよればきえうせぬなり、とほうてはみゆなり」「いづれのくにとかや」「みゝらくのしまとなむいふなる」など口々かたるをきくにいとしらまほしうかなしうおぼえてかくぞいはるゝ。

ありとだによそにてもみむなにしおはゞわれにきかせよみゝらくのしま

といふをせうとなる人きゝてそれもなく/\

いづことかおとにのみきくみゝらくのしまがくれにし人をたづねん

かくてあるほどにたちながらものしてひとにとふめれどたゞいまはなにごゝろもなきにけがらひのこゝろもとなきことおぼつかなきことなどむ づかしきまでかきつゞけてあれどものおぼえざりしほどのことなればにやおぼえず。

 さとにもいそがねどこゝろにしまかせねばけふみないでたつ日になりぬ。來しときはひざにふし給へりし人をいかでかやすらかにと思ひつゝわがみはあせになりつゝさりともとおもふこゝろそひてたのもしかりき。こたみはいとやすらかにてあさましきまでくつろかにのられたるにもみちすがらいみじうかなし。おりてみるにもさらにものおぼえずかなし。もろともにいでゐつゝつくろはせしくさなどもわづらひしよりはじめてうちすてたりければおひこりていろ/\にさきみだれたり。わざとのことなどもみなおのがとり%\すればわれはたゞつれ%\とながめのみして「ひとむらすゝきむしのねの」とのみぞいはるゝ。

てふれねどはなはさかりになりにけりとゞめおきける露にかゝりて

などぞおぼゆる。これかれぞ殿上などもせねばけがらひもひとつにしな しためればおのがじゝひきつぼねなどしつゝあめるなかにわれのみぞまぎるゝことなくて夜は念佛のこゑきゝはじむるよりやがてなきのみあかさる。四十九日のことたれもかくことなくていへにてぞする。わがしる人おほかたのことをおこなひためれば人々おほくさしあひたり。わが心ざしをばほとけをぞかゝせたる。その日すぎぬればみなおのがじゝいきあかれぬ。ましてわが心ちは心ぼそうなりまさりていとゞやるかたなく人はかう心ぼそげなるをおもひてありしよりはしげうかよふ。

 さて寺へものせしときとかうとりみだりしものどもつれ%\なるまゝにしたゝむればあけくれとりつかひし物の具なども又かきおきたるふみなどみるにたえいる心ちぞする。よわくなり給ひしときいむことうけ給ひし日ある大徳のけさをひきかけたりしまゝにやがてけがらひにしかばものゝなかよりいまぞみつけたる。これやりてむとまだしきにおきて「この御けさ」とかきはじむるよりなみだにくらされて「これゆゑに

はちすばのたまとなるらんむすぶにもそでぬれまさるけさのつゆかな

とかきてやりつ。又このけさのぬしのこのかみも法師にてあればいのりなどもつけてたのもしかりつるをにはかに又かくなりぬときくにもこのはらからの心ちいかならんわれもいとくちをし、たのみつる人のかうのみなどおもひみだるればしばしばとぶらふ。さるべきやうにありて雲林院に候ひし人なり。四十九日などはてゝかくいひやる

おもひきやくものはやしをうちすてゝそらのけぶりにたゝむものとは

などなんおのが心ちのわびしきまゝに野にも山にもかゝりける。

 はかなながら秋冬もすごしつ。ひとつところにはせうとひとりをばとおぼしき人ぞすむ。それをおやのごとおもひてあれどなほむかしをこひつゝなきあかしてあるにとしかへりて春夏もすぎぬればいまははてのこ とすとてこたびばかりはかのありし山でらにてぞする。ありしことどもおもひいづるにいとゞいみじうあはれにかなし。導師のはじめにて「うつたへに秋の山べをたづねたまふにはあらざりけり、まなことぢ給ひしところにて經の心とかせ給はんとにこそありけれ」とばかりいふをきくにものおぼえずなりてのちのことどもはおぼえずなりぬ。あるべきことどもをはりてかへる。やがてぶくぬぐに鈍色のものどもあふぎまではらへなどするほどに

ふぢごろもながすなみだの川水はきしにもまさるものにぞありける

とおぼえていみじうなかるれば人にもいはでやみぬ。忌日などはてゝれいのつれ%\なるにひくとはなけれど琴おしのごひてかきならしなどするにいみなきほどにもなりにけるをあはれにはかなくてもなどおもふほどにあなたより

いまはとてひきいづることのねをきけばうちかへしてもなほぞかな
しき

とあるにことなることもあらねどこれをおもへばいとどなきまさりて

なき人はおとづれもせでことの緒をたちし月日ぞかへりきにける

かくてあまたある中にもたのもしきものにおもふ人この夏よりとほくものしぬべきことのあるをぶくはてゝとありつればこのごろいでたちなんとす。これを思ふに心ぼそしとおもふにもおろかなり。いまはとていでたつ日わたりてみる、裝束ひとくだりばかりはかなきものなど硯箱ひとよろひにいれて。いみじうさわがしうのゝしりみちたれどわれもゆく人もめもみあはせずたゞむかひゐてなみだをせきかねつゝみな人は「など、ねむぜさせ給へいみじういむなり」などぞいふ。さればくるまにのりはてんをみむはいみじからんとおもふにいへより「とくわたりねこゝにものしたり」とあればくるまよせさせてのるほどにゆく人は二藍の小袿なりとまるはたゞ薄物の赤朽葉をきたるをぬぎかへてわかれぬ。九月十餘 日のほどなり。いへにきても「などかくまが/\しく」ととがむるまでいみじうなかる。

 さて昨日今日は關山ばかりにぞものすらんかしとおもひやりて月のいとあはれなるにながめやりてゐたればあなたにもまだおきて琴ひきなどしてかくいひたり

ひきとむるものとはなしにあふさかのせきのくちめのねにぞそぼつる

これもおなじおもふべき人なればなりけり。

おもひやるあふさかやまのせきのねはきくにも袖ぞくちめづきぬる

などおもひやるに年もかへりぬ。

 三月ばかりこゝにわたりたるほどにしもくるしがりそめていとわりなうくるしとおもひまどふをいといみじとみる。いふことは「ここにぞいとあらまほしきをなにごともせんにいとびんなかるべければかしこへも のしなん、つらしとなおぼしそ、にはかにもいくばくもあらぬ心ちなんするなんいとわりなき、あはれしぬともおぼしいづべきことのなきなんいとかなしかりける」とてなくをみるにものおぼえずなりて又いみじうなかるれば「ななき給ひそくるしさまさる、よにいみじかるべきわざは心はからぬほどにかゝるわかれせんなんありける、いかにしたまはんずらむ、ひとりはよにおはせじな、さりともおのがいみのうちにし給ふな、もししなずはありともかぎりと思ふなり、ありともこちはえまゐるまじ、おのがさかしからんときこそいかでも/\ものしたまはめとおもへば、かくてしなばこれこそは見たてまつるべきかぎりなめれ」などふしながらいみじうかたらひてなく。これかれある人々よびよせつゝ「こゝにはいかにおもひきこえたりとか見る、かくてしなば又對面せでややみなんとおもふこそいみじけれ」といへばみななきぬ。みづからはましてものだにいはれずたゞなきにのみなく。かゝるほどに心ちいとおもくなりま さりてくるまさしよせてのらんとてかきおこされて人々にかゝりてものす。うちみおこせてつく%\とうちまもりていといみじとおもひたり。とまるはさらにもいはず。このせうとなる人なん「なにかかくまが/\しうさらになでふことかおはしまさんはやたてまつりなん」とてやがてのりてかゝへてものしぬ。思ひやる心ちいふかたなし。日に二度三度ふみをやる。人にくしと思ふ人もあらんとおもへどもいかゞはせん。かへりごとはかしこなるおとなしき人してかゝせてあり。「みづからきこえぬがわりなきこととのみなんきこえ給ふ」などぞある。ありしよりもいたうわづらひまさるときけばいひしごとみづからみるべうもあらず、いかにせんなど思ひなげきて十餘日にもなりぬ。讀經修法などしていささかおこたりたるやうなれば夕のことみづからかへりごとす。「いとあやしうおこたるともなくて日をふるにいとまどはれしことはなければにやあらんおぼつかなきこと」などひとまにこま%\とかきてあり。「もの おぼえにたればあらはになどもあるべうもあらぬを夜のまにわたれ、かくてのみ日をふれば」などあるを人はいかゞ思ふべきなどおもへどわれもまたいとおぼつかなきにたちかへりおなじことのみあるをいかゞはせんとて「くるまを給へ」といひたればさしはなれたる廊のかたにいとようとりなししつらひてはしにまちふしたりけり。火ともしたるにいけさせておりたればいとくらうていらんかたもしらねば「あやしこゝにぞある」とて手をとりてみちびく。「などかうひさしうはありつる」とて日ごろありつるやうくづしかたらひてとばかりあるに「火ともしつけよいとくらしさらにうしろめたくはなおぼしそ」とて屏風のうしろにほのかにともしたり。「まだ魚などもくはず、今宵なんおはせばもろともにとてある、いづら」などいひてものまゐらせたり。すこしくひなどして、禪師たちありければ夜うちふけて護身にとてものしたれば「いまはうちやすみ給へ日ごろよりはすこしやすまりたり」といへば、大徳「しかお はしますなり」とてたちぬ。

 さてよはあけぬるを人などめせといへば「なにかまだいとくらからんしばし」とてあるほどにあかうなれば男どもよびて蔀あげさせてみつ。「み給へくさどもはいかがうゑたる」とてみいだしたるに「いとかたはなるほどになりぬ」などいそげば「なにかいまは粥などまゐりて」とあるほどにひるになりぬ。さて「いざもろともにかへりなんまたばものしかるべし」などあれば「かくまゐりきたるをだに人いかにとおもふに御むかへなりけりとみばいとうたてものしからん」といへば「さらば男どもくるまよせよ」とてよせたればのるところにもかつ%\とあゆみいでたればいとあはれとみる/\「いつか御ありきは」などいふほどになみだうきにけり。「いと心もとなければあすあさてのほどばかりにはまゐりなん」とていとさう%\しげなるけしきなり。すこしひきいでゝ牛かくるほどにみとほせばありつるところにかへりてみおこせてつく%\と あるをみつゝひきいづれば心にもあらでかへりみのみぞせらるゝかし。さてひるつかたふみあり。なにくれとかきて

かぎりかとおもひつゝこしほどよりもなかなかなるはわびしかりけり

かへりごと「なほいとくるしげにおぼしたりつればいまもいとおぼつかなくなんなか/\に

われもさぞのどけきとこのうらならでかへるなみぢはあやしかりけり

さてなほくるしげなれど念じて二三日のほどに見えたり。やう/\れいのやうになりもてゆけばれいのほどにかよふ。

 このごろは四月、まつりみにいでたればかのところにもいでたりけり。さなめりとみてむかひにたちぬ。まつほどのさう%\しければたちばなのみなどあるにあふひをかけて

あふひとかきけどもよそにたちばなの

といひやる。やゝひさしうありて

きみがつらさをけふこそはみれ

とぞある。「にくかるべきものにては年へぬるをなどげにとのみいひたらん」といふひともあり。かへりてさありしなどかたれば「くひつぶしつべき心ちこそすれとやいはざりし」とていとをかしとおもひけり。

 ことしはせちきこしめすべしとていみじうさわぐ。いかでみむとおもふにところぞなき。「みむとおもはゞ」とあるをきゝはさめて「すぐろくうたん」といへば「よかなりものみつぐのひに」とてめうちぬ。よろこびてさるべきさまのことどもしつゝ宵のましづまりたるにすゞりひきよせて手ならひに

あやめぐさおひにしかずをかぞへつゝひくや五月のせちにまたるる

とてさしやりたればうちわらひて

かくれぬにおふるかずをばたれかしるあやめしらずもまたるなるかな

といひてみせんのこゝろありければ宮の御さじきのひとつゞきにて二間ありけるをわけてめでたうしつらひてみせつ。

 かくて人にくからぬさまにて十といひてひとつふたつの年はあまりにけり。されどあけくれ世中の人のやうならぬをなげきつゝつきせずすぐすなりけり。それもことわりみのあるやうは夜とても人のみえおこたるときは人ずくなに心ぼそう、いまはひとりをたのむたのもし人はこの十餘年のほどあがたありきにのみあり、たまさかに京なるほども四五條のほどなりければわれは左近の馬場をかたきしにしたればいとはるかなり。かゝるところもとりつくろひかゝはる人もなければいとあしくのみなりゆく。これをつれなくいでいりするはことに心ぼそう思ふらんなどふかうおもひよらぬなめりなど千種におもひみだる。ことしげしといふは何 かこのあれたるやどのよもぎよりもしげげなりとおもひながむるに八月ばかりになりにけり。

 心のどかにくらす日はかなきこといひ/\のはてにわれも人もあしういひなりてうち怨じていづるになりぬ。はしのかたにあゆみいでゝをさなき人をよびいでゝ「われはいまはこじとす」といひおきていでにける。すなはちはひいりておどろ/\しうなく。「こはなぞ/\」といへどいらへもせで。論なうさやうにぞあらんとおしはからるれど人のきかむもうたてものぐるほしければとひさしてとかうこしらへてあるに五六日ばかりになりぬるにおともせず。例ならぬほどになりぬれば、あなものぐるほしたはぶれごととこそわれはおもひしか、はかなきなかなればかくてやむやうもありなんかしとおもへば心ぼそうてながむるほどにいでし日つかひし ゆするつきのみづはさながらありけり。うへにちりゐてあり。かくまでとあさましう

たえぬるかかげだにあらばとふべきをかたみのみづはみくさゐにけり

などおもひし日しも見えたり。例のごとにてやみにけり。かやうにむねつぶらはしきをりのみあるがよに心ゆるびなきなんわびしかりける。

 九月になりて、世の中をかしからんものへまうでせばやかうものはかなきみのうへも申さむなどさだめていとしのびてあるところにものしたり。一はさみのみてぐらにかうかきつけたりけり。まづしものみやしろに

いちじるき山ぐちならばこゝながら神のけしきをみせよとぞおもふ

中のに

いなりやまおほくのとしぞこえにけるいのるしるしのすぎをたのみて

はてのに

神がみとのぼりくだりはわぶれどもまださかゆかぬこゝちこそすれ

またおなじつごもりにあるところにおなじやうにてまうでけり。二はさみづゝしものに

かみやせくしもにやみくづつもるらん思ふこゝろのゆかぬみたらし

さかきばのときはかきはにゆふしでやかたくるしなるめなみせそ神

またかみのに

いつしかも/\とぞまちわたるもりのこまよりひかりみむまを

また

ゆふだすきむすぼゝれつゝなげくことたえなばかみのしるしとおもはん

などなんかみのきかぬところにきこえごちける。

 秋はてゝ冬はついたちつごもりとてあしきもよきもさわぐめるものな ればひとりねのやうにてすぐしつ。

 三月つごもりがたにかりのこのみゆるを「これを十づゝかさぬるわざをいかでせん」とて手まさぐりに生絹のいとをながうむすびてひとつむすびてはゆひ/\してひきたてたればいとようかさなりたり。「なほあるよりは」とて九條殿女御殿御方にたてまつる。うのはなにぞつけたる。なにごともなくたゞれいの御ふみにてはしに「この十かさなりたるはかうてもはべりぬべかりけり」とのみきこえたり。

御かへり

かずしらずおもふ心にくらぶればとをかさぬるもものとやは見る

とあれば御かへり

おもふほどしらではかひやあらざらんかへすがへすもかずをこそみめ

それより五の宮になんたてまつれ給ふときく。

 五月にもなりぬ。十餘日にうちの御くすりのことありてのゝしる。ほどもなくて廿餘日のほどにかくれさせ給ひぬ。東宮すなはちかはりゐさせ給ふ。東宮の亮といひつる人は藏人の頭などいひてのゝしればかなしびはおほかたのことにて御よろこびといふことのみきこゆ。あひこたへなどしてすこし人心ちすれどわたくしのこゝろはなほおなじごとあれどひきかへたるやうにさわがしくなどあり。みささぎやなにやときくにときめきたまへる人々いかにと思ひやりきこゆるにあはれなり。やうやう日ごろになりて貞觀殿御方にいかになどきこえけるついでに

世中をはかなき物とみささぎのうもるゝやまになげくらんやそ

御かへりごといとかなしげにて

おくれじとうきみささぎに思ひいる心はしでの山にやあるらん

御四十九日はてゝ七月になりぬ。うへに候ひし兵衞の佐まだ年もわかく思ふ事ありげもなきに親をも妻をもうちすてゝ山にはひのぼりて法師に なりにけり。あないみじとのゝしりあはれといふほどに女はまた尼になりぬときく。さき%\などもふみかよはしなどする中にていとあはれにあさましき事をとぶらふ。

おくやまの思ひやりだにかなしきにまたあまぐものかゝるなりけり

手はさながらかへりごとしたり。

 

山ふかくいりにし人もたづぬれどなほあまぐものよそにこそなれ

とあるもいとかなし。かゝるよに中將にや三位にやなどよろこびをしきりたる人はところ%\なる。「いとさわがしければあしきをちかうさりぬべきところいできたり」とてわたして乘物なきほどにはひわたるほどなれば人はおもふやうなりと思ふべかめり。しも月なかのほどなり。しはすつごもりがたに貞觀殿の御かたこの西なるかたにまかで給へり。つごもりの日になりてなまといふ物心みるをまだひるよりごほ/\はたはたとするぞひとりゑみせられてあるほどにあけぬればひるつかたまらう どの御かた男なんどたちまじらねばのどけし。我ものゝしるをば隣にきゝて「またるるものは」なんどうちわらひてあるほどにあるもの手まさぐりにかいぐりをあみたてゝ二つにして木をつくりたる男のかたあしに こひつきたるにになはせてもていでたるをとりよせてありし色紙のはしを脛におしつけてそれにかきつけてあの御かたにたてまつる。

かたこひやくるしかるらん山がつのあふごなしとはみえぬものから

ときこえたれば海松のひきほしのみじかくちぎりたるをゆひあつめて木のさきにになひかへさせてほそかりつるかたのあしにもことの こひをもけづりつけてもとのよりもおほきにてかへしたまへり。みれば

やまがつのあふごまちいでゝくらぶればこひまさりけるかたもありけり

日たくれば節供まゐりなどすめる。こなたにもさやうになどして十五日にもれいのごとしてすぐしつ。

 三月にもなりぬ。まらうどの御かたにとおぼしかりけるふみをもてたがへたり。みれば「なほしもあらでちかきほどにまゐらんとおもへどわれならでとおもふ人やはべらんとて」などかいたり。としごろみ給ひなれにたればかうもあるなめりとおもふに猶もあらでいとちひさくかいつく。

まつ山のさしこえてしもあらじよをわれによそへてさわぐなみかな

とて「あの御かたにもてまゐれ」とてかへしつ。みたまひてければすなはち御かへりあり。

まつしまの風にしたがふなみなればよるかたにこそたちまさりけれ

この御かた東宮の御親のごとして候ひ給へばまゐり給ひぬべし。「かうてや」などたびたびしば/\の給へば宵のほどにまゐりたり。ときしもこそあれあなたに人のこゑすれば「そゝ」などの給ふにきゝもいれねば「よひまどひし給ふやうにきこゆる論なうむづかられ給はばや」との 給へば「めのとなくとも」とてしぶ/\なるにものあゆみきてきこえたてばのどかならでかへりぬ。又の日のくれにまゐり給ひぬ。

 五月に帝の御服ぬぎにまかでたまふにさきのごとこなたになどあるをゆめにものしくみえしなどいひてあなたにまかでたまへり。さてしばしばゆめのさとしありければちがふるわざもがなとて七月つきのいとあかきにかくの給へり。

みしゆめをちがへわびぬるあきのよぞねがたきものと思ひしりぬる

御かへり

さもこそはちがふるゆめはかたからめあはでほどふるみさへうきかな

たちかへり

あふとみしゆめになか/\くらされてなごりこひしくさめぬなりけり

との給へれば又

ことたゆるうつゝやなにぞなか/\にゆめはかよひぢありといふものを

又「ことたゆるはなにごとぞあなまが/\し」とて

かはとみてゆかぬこゝろをながむればいとゞゆゝしくいひやはつべき

とある御かへり

わたらねばをちかた人になれるみを心ばかりはふちせやはわく

となん夜一夜いひける。

 かくてとしごろ願あるをいかで初瀬にとおもひたつを、たゝむ月にとおもふをさすがにこゝろにしまかせねばからうじて九月におもひたつ。「たゝむ月には大嘗會の御禊これより女御代いでたゝるべし、これすぐしてもろともにやは」とあれどわがかたのことにしあらねばしのびてお もひたちて日あしければかどでばかり法性寺のへにしてあかつきよりいでたちて午どきばかりに宇治の院にいたりつゝみやれば木のまよりみづのおもてつやゝかにていとあはれなる心ちす。しのびやかにと思ひて人あまたもなうていでたちたるもわがこゝろのおこたりにはあれどわれならぬ人なりせばいかにのゝしりてとおぼゆ。くるまさしまはして幕などひきてしりなる人ばかりをおろして川にむかへてすだれまきあげてみれば網代どもしわたしたり。ゆきかふふねどもあまた見ざりしことなればすべてあはれにをかし。しりのかたをみれば來こうじたる下衆どもあやしげなる柚や梨やなどをなつかしげにもたりてくひなどするもあはれにみゆ。わりごなどものしてふねにくるまかきすゑていきもていけば贄野池泉川などいひつゝとりどもゐなどしたるも心にしみてあはれにをかしうおぼゆ。かいしのびやかなればよろづにつけてなみだもろくおぼゆ。そのいづみがはもわたりて橋寺といふところにとまりぬ。酉のときばか りにおりてやすみたればはたご所とおぼしきかたより切り大根物のしるしてあへしらひてまづいだしたり。かゝるたびだちたるわざどもをしたりしこそあやしうわすれがたうをかしかりしか。あくれば川わたりていくに柴垣しわたしてあるいへどもをみるにいづれならんよものがたりのいへなどおもひいくにいとぞあはれなる。今日も寺めくところにとまりて又の日はつばいちといふところにとまる。又の日霜のいとしろきにまうでもしかへりもするなめり。脛を布のはししてひきめぐらかしたるものどもありきちがひさわぐめり。しとみさしあげたるところに宿りて湯わかしなどするほどに見ればさまざまなる人のいきちがふ、おのがじゝはおもふことこそはあらめとみゆ。とばかりあればふみさゝげてくるものあり、そこにとまりて御ふみといふめり。みれば「きのふけふのほどなにごとかいとおぼつかなくなん、人ずくなにてものしにし、いかゞいひしやうに三夜さぶらはんずるか、かへるべからん日きゝてむかへ にだに」とぞある。かへりごとには「つばいちといふところまではたひらかになん、かゝるついでにこれよりもふかくと思へばかへらん日をえこそきこえさだめね」とかきつ。「そこにて猶三日候ひ給ふこといとびんなし」などさだむるをつかひきゝてかへりぬ。それよりたちていきもていけば、なでふことなきみちも山ふかき心ちすればいとあはれにみづのこゑもれいにすぎ、きりはさしもたちわたり木の葉はいろ/\に見えたり。みづはいしがちなるなかよりわきかへりゆく。夕日のさしたるさまなどをみるになみだもとゞまらず。みちはことにをかしくもあらざりつ、もみぢもまだし、はなもみなうせにたり、かれたるすゝきばかりぞみえつる。こゝはいとこゝろことにみゆればすだれまきあげてしたすだれおしはさみて見れば着なやしたるものゝいろもあらぬやうにみゆ。うすいろなるものの裳をひきかくれば腰などちりゐてこがれたるくちばにあひたる心ちもいとをかしうおぼゆ。かたゐどもの坏鍋などすゑて をるもいとかなし。下衆ぢかなる心ちしていりおとりしてぞおぼゆる。ねぶりもせられずいそがしからねばつく%\ときけば、目もみえぬものゝいみじげにしもあらぬが、おもひけることどもを人やきくらんともおもはずのゝしり申すをきくもあはれにてたゞなみだのみぞこぼるゝ。かくていましばしもあらばやとおもへどあくればのゝしりていだしたつ。

かへさはしのぶれどこゝかしこあるじしつゝとゞむればものさわがしうてすぎゆく。三日といふに京につきぬべけれどいたうくれぬとて山城のくに久世のみやけといふところにとまりぬ。いみじうむづかしけれど夜にいりぬればたゞあくるをまつ。まだくらきよりいけばくろみたるもののりてぞおひてはしらせて來。やゝとほくよりおりてついひざまづきたり。みればずゐじんなりけり。「なにぞ」とこれかれとへば「きのふの酉のときばかりに宇治の院におはしましつきて、かへらせ給ひぬやとまゐれとおほせごとはべりつればなん」といふ。さきなる男ども「とうう ながせや」などおこなふ。宇治の川によるほどきりは來しかた見えずたちわたりていとおぼつかなし。くるまかきおろしてこちたくとかくするほどに人聲おほくて「御くるまおろしたてよ」とのゝしる。きりのしたよりれいのあじろもみえたり。いふかたなくをかし。みづからはあなたにあるなるべし。まづかくかきてわたす

人ごゝろうぢのあじろにたまさかによるひをだにもたづねけるかな

ふねのきしにきよするほどにかへし

かへるひを心のうちにかぞへつゝたれによりてかあじろをもとふ

みるほどにくるまかきすゑてのゝしりてさしわたす。いとやんごとなきにはあらねどいやしからぬいへの子ども何のぞうの君などいふものども轅鴟の尾のなかにいりこみて日のあしのわづかにみえてきりところ%\にはれゆく。あなたのきしにいへの子衞府のすけなどかいつれてみおこせたり。なかにたてる人もたびだちて狩衣なり。きしのいとたかきとこ ろにふねをよせてわりなうたゞあげにになひあぐ。轅を板敷にひきかけてたてたり。としみのまうけありければとかうものするほど川のあなたには按察使の大納言の領じ給ふところありける。「このごろのあじろ御らんずとてこゝになんものしたまふ」といふ人あれば「かうてありときゝ給へらんをまうでこそすべかりけれ」などさだむるほどに、もみぢのいとをかしきえだに雉氷魚などをつけて「かうものし給ふときゝてもろともにとおもふもあやしうものなき日にこそあれ」とあり。御かへり「こゝにおはしましけるをたゞいまさぶらひかしこまりは」などゝいひてひとへぎぬぬぎてかづく。さながらさしわたりぬめり。また鯉鱸などしきりにあめり。あるすきものどもゑひあつまりて「いみじかりつるものかな、御くるまのつきのわのほどの日にあたりてみえつるは」ともいふめり。くるまのしりのかたに花もみぢなどやさしたりけん、いへの子とおぼしき人「ちかうはなさきみなるまでなりにける日ごろよ」といふ なれば、しりなる人もとかくいらへなどするほどにあなたへふねにてみなさしわたる。「論なうゑはむものぞ」とてみなさけのむものどもをえりてゐてわたる。川のかたにくるまむかへ榻たてさせて二舟にてこぎわたる。さてゑひまどひうたひかへるまゝに御くるまかけよ/\とのゝしればこうじていとわびしきにいとくるしうてきぬ。あくれば御禊のいそぎちかくなりぬ。「こゝにし給ふべきことそれ/\」とあれば「いかゞは」とてしさわぐ。儀式のくるまにてひきつゞきたり。下仕手振などがぐしいけばいろふしにいでたらん心ちしていまめかし。月たちて大嘗會の毛見やとしさわぎわれも物見のいそぎなどしつるほどに、つごもりにまたいそぎなどすめり。

 かく年月はつもれど思ふやうにもあらぬみをしなげゝばこゑあらたまるもよろこぼしからず猶ものはかなきをおもへばあるかなきかの心ちするかげろふのにきといふべし。

かげろうのにきの

一のまきとぞ

なにごとも本に

蜻蛉日記 中

 かくはかなながらとしたちかへるあしたにはなりにけり。としごろあやしくよの人のすることいみなどもせぬところなればやかうはあらんと心おきてゐざりいづるまゝに「いづらこゝに人々ことしだにいかでこといみなどしてよの中こゝろみん」といふをきゝてはらからとおぼしき人まだふしながらものきこゆ。「あめつちをふくろにぬひて」と誦ずるにいとをかしくなりて「さらにみには三十日三十夜は我がもとにといはむ」といへば、まへなる人々わらひて「いとおもふやうなることにも侍るかな、 おなじくはこれをかゝせたまひて殿にやはたてまつらせ給はぬ」といふにふしたりつる人もおきて「いとよきことなりてん、けのゑはうにもまさらん」などわらふ/\いへばさながらかきてちひさき人し てたてまつれたれば、このごろときのよの中人にて人はいみじくおほくまゐりこみたり。うちへもとくとてさわがしげなりけれどかくぞある。ことしはさ月二つあればなるべし。

年ごとにあまれるこひか君がためうるふ月をばおくにやあるらん

とあればいはひそしつと思ふ。

 またの日こなたあなた下衆のなかよりこといできていみじきことどもあるを人はこなたざまにこゝろよせていとほしげなるけしきにあれど、我はすべてちかきがすることなりくやしくなどおもふほどに、いへうつりとかせらるゝことありて我はすこしはなれたる所にわたりぬればわざときら/\しくて日まぜなどにうちかよひたれば、はかなきうちにはなほかくてぞあるべかりける、我にしきをきてとこそいへふるさと人もかへりなんとおもふ。三月三日節供など物したるを人なくてさうざうしとてこゝの人々かしこのさぶらひにかうかきてやるめり、たはぶれに

もゝの花すきものどもを西わうがそのわたりまでたづねにぞやる

すなはちかいつれてきたり。おろしいだしさけのみなどしてくらしつ。

 なかの十日のほどにこの人々かたわきて小弓のことせんとす。かたみにいているとぞしさわぐ。しりへのかたのかぎりこゝにあつまりてなす日女房にかけ物こひたればさるべき物やたちまちにおぼえざりけむわびざれに青きかみをやなぎのえだにむすびつけたり。

山風のまづこそふけばこの春のやなぎのいとはしりへにぞよる

かへし口々したれどわするゝほどおしはからなむ。ひとつはかくぞある。

かず/\にきみかたよりてひくなれば柳のまゆも今ぞひらくる

つごもりがたにせんとさだむるほどに、よの中にいかなるとがまさりたりけむ、てんけの人々ながるゝとのゝしることいできてまぎれにけり。廿五六日のほどに西の宮の左大臣ながされたまふ。みたてまつらんとて天の下ゆすりて西の宮へ人はしりまどふ。いといみじきことかなときく ほどに人にもみえ給はでにげいでたまひにけり。あたごになんときゝしほどになどゆすりてつひにたづねいでゝながしたてまつるときくにあいなしとおもふまでいみじうかなしく、心もとなきみだに、かくおもひしりたる人は袖をぬらさぬといふたぐひなし。あまたの御こどももあやしきくに%\のぞうになりつゝゆくへもしらずちりぢりわかれたまふ、あるは御ぐしおろしなどすべていへばおろかにいみじ。大臣も法師になりたまひにけれどしひて帥になしたてまつりておひくだしたてまつる。そのころほひただこのことにてすぎぬ。みのうへをのみするにきにはいるまじきことなれどかなしとおもひいりしもたれならねばしるしおくなり。

 そのまへのさみだれの廿餘日のほどものいみもありながき精進もはじめたる人山でらにこもれり。「あめいたくふりてながむるにいとあやしく心ぼそきところになん」などもあるべし。かへりごとに

ときしもあれかくさみだれのおとまさりをちかた人のひをもこそふ

と物したるかへし

ましみづのましてほどふる物ならばおなじぬまにぞおりもたちなむ

といふほどにうるふさ月にもなりぬ。つごもりよりなにごとにかあらんそこはかとなくいとくるしけれどさはれとのみおもふ。いのちをしむと人に見えずもありにしがなとのみ念ずれどみきく人たゞならで芥子やきのやうなるわざすれどなほしるしなくてほどふるに人はかくきよまはるほどとてれいのやうにもかよはず。あたらしきところつくるとてかよふたよりにぞたちながらなどものしていかにぞなどもある。こゝちよわくおぼゆるにおしかこみてかなしくおぼゆるゆふぐれにれいの所よりかへるとて蓮のみひともとをひとしていれたり。「くらくなりぬればまゐらぬなり、これかしこのなりみ給へ」となんいふ。かへりごとには「たゞいきていけらぬときこえよ」といはせておもひふしたれば、あはれ、げ にいとをかしかなるところをいのちもしらず人のこゝろもしらねばいつしかみせんとありしもさもあらばもやみなんかしとおもふもあはれなり。

花にさきみになりかはるよをすてゝうきはの露と我ぞけぬべき

などおもふまで日をへておなじやうなれば心ぼそし。よからずはとのみおもふみなればつゆばかりをしとにはあらぬをたゞこのひとりある人いかにせんとばかりおもひつゞくるにぞなみだせきあへぬ。なほあやしく例のこゝちにたがひておぼゆるけしきもみゆべければやむごとなき僧などよびおこせなどしつゝ心みるにさらにいかにもあらねば、かうしつゝしにもこそすれ、にはかにてはおぼしきこともいはれぬ物にこそあなれ、かくてはてなばいとくちをしかるべし、あるほどにだにあらばおもひあらむにしたがひてもかたらひつべきをと思ひて脇息におしかゝりてかきけることは「いのちなかるべしとのみのたまへみはてたてまつりてむとのみおもひつゝありつるをこゝらよもやなりぬらん、あやしくこゝろぼ そき心ちのすればなん、つねにきこゆるやうによにひさしきことのいとおもはずなればちりばかりをしきにはあらでたゞこのをさなき人のうへなんいみじくおぼえ侍るものは、ありけるたはぶれにも御けしきの物しきをばいとわびしと思ひてはんべめるをいとおほきなることなくて侍らんきはは御けしきなど見せ給ふな、いとつみふかき身にはべらば

風だにも思はぬかたによせざらばこのよのことはかのよにもみむ

はべらざらんよにさへうと/\しくもてなし給ふ人あらばつらくなんおぼゆべき、としごろ御らんじはつまじくおぼえながらかはりもはてざりける御こゝろをみたまふればそれいとよくかへりみさせ給へ、ゆづりおきてなど思ひたまへつるもしるくかくなりぬべかめればいとながくなんおもひきこゆる、人にもいはぬことのをかしうなどきこえつるもわすれずやあらんとすらん、をりしもあれ對面にきこゆべきほどにもあらざりければ

露しげきみちとかいとゞしでの山かつがつぬるる袖いかにせん

とかきてはしに「あとには問などもちりのことをなむあやまたざなる才よくならへとなんきこえおきたるとのたまはせよ」とかきて封じてうへに「いみなどはてなんにごらんぜさすべし」とかきてかたはらなる唐櫃にゐざりよりていれつ。みる人あやしと思ふべけれどひさしくしならばかくだにものせざらんことのいとむねいたかるべければなむ。かくてなほおなじやうなればまつりはらへなどいふわざこと%\しうはあらでやう/\などしつゝ水無月のつごもりがたにいさゝか物おぼゆる心ちなどするほどにきけば、帥殿のきたのかたあまになり給ひにけりときくにもいとあはれに思うたてまつる。西の宮はながされたまひて三日といふにかきはらひやけにしかばきたのかた我が御殿桃園なるにわたりていみじげにながめ給ふときくにもいみじうかなしく、我がこゝちのさわやかにもならねばつくづくとふして思ひあつむることぞあいなきまでおほかる をかきいだしたればいと見ぐるしけれど

  あはれいまは  かくいふかひも  なけれども  おもひしことは  はるのすゑ  花なんちると  さわぎしを  あはれあはれと  きゝしまに  ふじのみやまの  うぐひすは  かぎりのこゑを  ふりたてゝ  きみがむかしの  あたごやま  さしていりぬと  きゝしかど  人ごとしげく  ありしかば  みちなきことゝ  なげきわび  たにがくれなる  やまみづの  つひにながると  さわぐまに  よを卯月にも  なりしかば  山ほとゝぎす  たちかはり  きみをしのぶの  こゑたえず  いづれのさとか  なかざりし  ましてながめの  さみだれは  うきよの中に  ふるかぎり  たれがたもとか  たゞならん  たえずぞうるふ  さ月さへ  かさねたりつる  ころもでは  うへしたわかず  くたしてき  ましてこひぢに   おりたてる  あまたのたごは  おのがよゝ いかばかりかは  そぼちけむ  よつにわかるゝ  むらどりの  おのがちり%\  すばなれて  わづかにとまる  すもりにも  なにかはかひの  あるべきと  くだけてものを  おもふらん  いへばさらなり  こゝのへの  うちをのみこそ  ならしけめ  おなじかずとや こゝのくに  しまふたつをば  ながむらん  かつはゆめかと  いひながら  あふべきごなく  なりぬとや  きみもなげきを  こりつみて  しほやくあまと  なりぬらん  ふねをながして  いかばかり  うらさびしかる  よの中を  ながめよるらん  ゆきかへり  かりのわかれに  あらばこそ  きみがとこよも  あれざらめ  ちりのみおくは  むなしくて  まくらのゆくへも  しらじかし  いまはなみだも みな月の こかげにわぶる  うつせみ も  むねさけてこそ  なげくらめ  ましてや秋の  かぜふけば  まがきのをぎの  なか/\に  そよとこたへん  をりごとに  いとゞめさへや  あはざらば  ゆめにもきみが  きみをみで  ながきよすがら  なくむしの  おなじこゑにや  たへざらんと  おもふこゝろは  おほあらきの  もりのしたなる  草のみも  おなじくぬると  しるらめや露

またおくに

やどみればよもぎのかどもさしながらあるべき物と思ひけんやぞ

とかきてうちおきたるを、まへなる人みつけて「いみじうあはれなることかな、これをかのきたのかたに見せたてまつらばや」といひなりて「げにそこよりといはゞこそかたくなはしくみぐるしからめ」とて、かみやがみにかゝせてたてぶみにてけづり木につけたり。「いづこよりとあらば多武の峯よりといへ」とをしふるはこの御はらからの入道のきみ の御もとよりといはせよとてなりけり。人とりていりぬるほどにつかひはかへりにけり。かしこにいかやうにかさだめおぼしけむはしらず。

 かくあるほどに、こゝちはいさゝか人ごゝちすれど廿餘日のほどに御嶽にとていそぎたつ。をさなき人も御ともにとてものすればとかくいだしたてゝぞその日のくれにぞ我れももとのところなどすりしはてつればわたる。ともなるべき人などさしおきてければさてわたりぬ。それよりさかりうしろめたき人をさへそへてしかばいかに/\とねんじつゝ七月一日のころあかつきにきて「たゞいまなんかへりたまへる」などかたる。こゝはほどいととほくなりにたればしばしはありきなどもかたかりなんかしなど思ふにひるつかたなへぐ/\とみえたりしはなにごとにかありけむ。

 さてそのころ帥殿のきたのかたいかでにかありけん、さゝの所よりなりけりときゝたまひて、このみなつきどころとおぼしけるをつかひもて たがへていまひとつところへもていたりけり。とりいれてはたあやしともや思はずありけんかへりごとなどきこえてけりとつたへきゝて、かのかへりごとをきゝて、ところたがへてけり、いふかひなきことをまたおなじことをもものしたらばつたへてもきくらむにいとねぢけたるべし、いかにこゝろもなく思ふらんとなんさわがるゝときくがをかしければ、かくてはやまじと思ひてさきの手して

やまびこのこたへありとはきゝながらあとなきそらをたづねわびぬる

と淺縹なるかみにかきていとはしげうつきたるえだにたてぶみにしてつけたり。またさしおきてきえうせにければ、さきのやうにやあらんとてつゝみ給ふにやありけんなほおぼつかなし。あやしくのみもあるになどおもふ。ほどへてたしかなるべきたよりをたづねてかくのたまへる。

吹く風につけて物おもふあまのたくしほのけぶりはたづねいでずや

とていときなき手して薄鈍のかみにてむろのえだにつけたまへり。御かへりには

あるゝうらにしほのけぶりはたちけれどこなたにかへす風ぞなかりし

とてくるみいろのかみにかきていろかはりたるまつにつけたり。

 八月になりぬ。そのころ小一條の左大臣の御とてよにのゝしる。左衞門督の御屏風のことせらるゝとてえさるまじきたよりをはからひてせめらるゝことあり。繪のところ%\かきいだしたるなり。いとしら%\しきこととてあまたたびかへすをせめてわりなくあればよひのほど月みるあひだなどにひとつ二つなどおもひてものしけり。

人のいへに賀したるところあり

おほぞらをめぐる月日のいくかへり今日ゆくすゑにあはんとすらん

たびゆく人のはまづらにむまとめてちどりのこゑきく所あり

ひと聲にやがてちどりときゝつればよゝをつくさんかずもしられず

あはた山よりこまひく。そのわたりなる人のいへにひきいれてみるところあり

あまたとしこゆる山べにいへゐしてつなひくこまもおもなれにけり

人のいへのまへちかきいづみに八月十五夜月のかげうつりたるを女どもみるほどにかきのとよりおほぢにふえふきてゆく人あり

雲居よりこちくのこゑをきくなべにさしくむばかりみゆる月かげ

田舍人のいへのまへのはまづらに松原あり、つるむれてあそぶ、ふたつうたあるべしとあり

なみかげのみやりにたてる小松原こゝろをよすることぞあるらし

松のかげまさごのなかとたづぬるはなにのあかぬぞたづのむらどり

あじろのかたあるところあり

あじろぎに心をよせてひをふればあまたのよこそたびねしてけれ

はまべにいさりびともしつりぶねなどあるところあり

いさり火もあまのうぶねものどけかれいけるかひあるうらにきにけり

女ぐるまもみぢ見けるついでにまたもみぢおほかりける人のいへにきたり

よろづよをのべのあたりにすむ人はめぐる/\や秋をまつらん

などあぢきなくあまたにさへしひなされて、これらが中にいさりびとむらどりとはとまりにけりときくにものし。かうなどしゐたるほどに秋はくれ冬になりぬれば、なにごとにあらねどことさわがしきこゝちしてありふる中に、しも月にゆきいとふかくつもりていかなるにかありけんわりなく身こゝろうく人つらくかなしくおぼゆる日あり。つく%\とながむるに思ふやう

ふる雪につもるとしをばよそへつゝきえむごもなき身をぞうらむる

など思ふほどにつごもりの日春のなかばにもなりにけり。人はめでたくつくりかゞやかしつるところにあすなむこよひなむとのゝしるなれど、我は思ひしもしるくかくてもあれかしになりにたるなめり。さればげにこりにしかばなどおもひのべてあるほどに、三月十日のほどにうちの賭弓のことありていみじくいとなむなり。をさなき人しりへのかたにとられていでにたり。かたかつ物ならばそのかたのまひもすべしとあればこのごろはよろづわすれてこのことをいそぐ。まひならすとて日々に樂をしのゝしる。いていにつきてかけ物とりてまかでたり、いとゆゝしとぞうちみる。十日の日になりぬ。今日ぞこゝにて試樂のやうなることする。舞の師多好茂、女房よりあまたの物かづく、男がたもありとあるかぎりぬぐ。殿は御物いみなりとて男どもはさながらきたり。ことはてがたになるゆふぐれに好茂胡蝶樂まひていできたるに黄なるひとへぬぎてかづけたる人あり、をりにあひたる心ちす。また十二日しりへのかた人さ ながらあつまりてまはすべし、こゝには弓場なくてあしかりぬべしとてかしこにのゝしる。殿上人かずをおほくつくしてあつまりて好茂うづもれてなむときく。我はいかに/\とうしろめたくおもふに夜ふけておくり人あまたなどして物したり。さてとばかりありて人々あやしと思ふにはひいりて「これがいとらうたくまひつることかたりになむものしつる、みな人のなきあはれがりつること、あすあさてものいみいかにおぼつかなからん、五日の日まだしきにわたりてことどもはすべし」などいひてかへられぬれば、つねはゆかぬこゝちも、あはれにうれしうおぼゆることかぎりなし。その日になりてまだしきに物してまひの裝束のことなど人いとおほくあつまりてしさわぎいだしたてゝまた弓のことをねんずるに、かねてよりいふやう「しりへはさしものまけ物ぞ射手いとあやしうとりたり」などいふにまひをかひなくやなしてん、いかならん/\とおもふに夜にいりぬ。月いとあかければかうしなどもおろさでねんじ思ふ ほどにこれかれはしりきつゝまづこのものがたりをす。いくつなむいつる、かたきには右近衞中將なむある、おほな/\いふせられぬとて、さゝとのこゝろにうれしうかなしきことものに似ず。まけ物とさだめしかたのこの矢ともにかゝりてなん持になりぬるとまたつげおこする人もあり。持になりにければまづ陵王まひけり。それもおなじほどの童にてわがをひなり。ならしつるほどこゝにてみかしこにてみなどかたみにしつ。さればつぎにまひておぼえによりてにや御衣たまはりたり。内よりはやがてくるまのしりに陵王ものせてまかでられたり。ありつるやうかたり、わがおもてをおこしつること、上達部どものみななきらうたがりつることなどかへす%\もなく/\かたらる。弓の師よびにやる。きてまたこゝにてなにくれとてやゝかづくればうきみかともおぼえずうれしきことぞものに似ぬ。その夜ものちの二三日までしりとしりたる人法師にいたるまで若君の御よろこびきこえに/\とおこせいふをきくにもあやしき までうれし。

 かくて四月になりぬ。十日よりしもまた五月十日許までいとあやしくなやましきこゝちになんあるとてれいのやうにもあらで「七八日おほとのにてねんじてなんおぼつかなさに」などいひて「夜のほどにてもあればかくくるしうてなんうちへもまゐらねばかくありきけりとみえんもびんなかるべし」とてかへりなどせし人おこたりてときくにまつほどすぐる心ちす。あやしと人しれずこよひをこゝろみんと思ふほどにはては消息だになくてひさしくなりぬ。めづらかにあやしと思へどつれなしをつくりわたるに夜は世界のくるまのこゑにむねうちつぶれつゝとき%\はねいりてあけにけるはと思ふにぞましてあさましき。をさなき人かよひつゝきけどさるはなでふこともなかなり、いかにぞとだにとひふれざなり、ましてこれよりはなにせんにかはあやしともものせんとおもひつゝくらしあかして、かうしなどあぐるにみいだしたれば夜あめのふりける けしきにて木どもつゆかゝりたり、みるまゝにおぼゆるやう

よのうちはまつにもつゆはかゝりけりあくればきゆるものをこそ思へ

 かくてふるほどにその月のつごもりに小野の宮の大臣かくれ給ひぬとてよはさわぐ。「ありありて世の中いとさわがしかなればつゝしむとてえ物せぬなり、ぶくになりぬるをこれらとくして」とはある物か。いとあさましければ「このごろ物する者どもさとにてなん」とてかへしつ。これにまして心やましきさまにてたえてことづてもなし。さながら六月になりぬ。かくてかぞふれば夜みぬことは三十餘日ひるみぬことは四十餘日になりにけり。いとにはかにあやしといはゞおろかなり。心もゆかぬ世とはいひながらまだいとかゝるめはみざりつればみる人々もあやしうめづらかなりとおもひたり。ものしおぼえねばながめのみぞせらるゝ。目もいとはづかしうおぼえておつる泪おしかへしつゝふしてきけばう ぐひすぞをりはえてなくにつけておぼゆるやう

うぐひすもごもなきものや思ふらんみな月はてぬねをぞなくなる

かくながら廿餘日になりぬる。こゝちせんかたしらずあやしくおきどころなきをいかですゞしきかたもやあると心ものべがてら濱づらのかたにはらへもせんと思ひて唐崎へとてものす。寅のときばかりにいでたつに月いとあかし。我がおなじやうなる人またともに人ひとりばかりぞあればたゞ三人のりて馬にのりたる男ども七八人ばかりぞある。加茂川のほどにてほの%\とあく。うちすぎて山路になりて京にたがひたるさまをみるにもこのごろのこゝちなればにやあらんいとあはれなり、いはんやせきにいたりてしばしくるまとゞめて牛かひなどするにむなくるまひきつゞけてあやしき木こりおろしていとをぐらき中よりくるもこゝちひきかへたるやうにおぼえていとをかし。せきのみちあはれ/\とおぼえてゆくさきをみやりたればゆくへもしらずみえわたりて鳥の二三ゐたると 見ゆるものをしひて思へばつりぶねなるべし、そこにてぞえなみだはとゞめずなりぬる。いふかひなきこゝろだにかくおもへばましてこと人はあはれとなくなり。はしたなきまでおぼゆればめもみあはせられず。ゆくさきおほかるにおほつのいとものむづかしきやどもの中にひきいりにけり。それもめづらかなるここちしてゆきすぐればはる%\とはまにいでぬ。きしかたを見やればみづらにならびてあつまりたるやどものまへに舟どもをきしにならべよせつゝあるぞいとをかしき。うきゆきちがふ船どもゝあり。いきもてゆくほどに巳のときはてになりにたり。しばし馬どもやすめんとて清水といふところにかれとみやられたるほどにおほきなる楝の木たゞひとつたてるかげにくるまかきおろして馬どもうらにひきおろしてひやしなどして「こゝにて御わりごまちつけん、かのさきはまだいととほかめり」といふほどに、をさなき人ひとりつかれたるかほにてよりゐたれば、餌袋なる物とりいでゝくひなどするほどにわり ごもてきぬればさま%\あかちなどしてかたへはこれよりかへりて清水につけるとおこなひやりなどすなり。さてくるまかけてその崎にさしいたりくるまひきかへてはらへしにゆくまゝにみれば風うちふきつゝ波たかくなる。ゆきかふ舟どもをひきあげつゝいく。はまづらに男どもあつまりゐて「うたつかうまつりてまかれ」といへばいふかひなきこゑひきいでゝうたひてゆく。はらへのほどにけたいになりぬべくながらくる。いとほどせばき崎にてしものかたはみづぎはにくるまたてたり。みなおろしたれば、しきなみによせてなごりにはなしといひふるしたるかひもありけり。しりなる人々はおちぬばかりのぞきてうちあらはすほどに、天下にみえぬものどもとりあげまぜてさわぐめり。わかき男もほどさしはなれてなみゐて「さゞなみや志賀のからさき」などれいのかみごゑふりいだしたるもいとをかしうきこえたり。風はいみじうふけども木かげなければいとあつし。いつしか清水にと思ふ。ひつじのをはりばかりに はてぬればかへる。ふりがたくあはれとみつゝゆきすぎて山口にいたりかゝれば申のはてばかりになりにたり。ひぐらしさかりとなきみちたり。きけばかくぞおぼえける

なきかへるこゑぞきほひてきこゆなるまちやしつらんせきのひぐらし

とのみいへる、人にはいはず。走り井にはこれかれ馬うちはやしてさきだつもありていたりつきたればさきだちし人々いとよくやすみすゞみて心ちよげにてくるまかきおろすところによりきたれば、しりなる人

うらやましこまのあしとくはしりゐの

といひたれば

清水にかげはよどむものかは

ちかくくるまよせて、あてなるかたにまくなどひきおろしてみなおりぬ。手あしもひたしたればこゝち物思ひはるけるやうにぞおぼゆる。いしど もにおしかゝりて水やりたる樋のうへに折敷どもすゑてものくひて手づからすいえなどするこゝちいとたちうきまであれど「日くれぬ」などそゝのかす。かゝるところにては物などいふ人もあらじと思へども日のくるればわりなくてたちぬ。いきもてゆけばあはた山といふ所にぞ京よりまつもちて人きたる。「このひる殿おはしましたりつ」といふをきく。いとぞあやしき。なきまをうかゞはれけるとまでぞおぼゆる。さてなどこれかれとふなり。我はいとあさましうのみおぼえてつきぬ。おりたれば心ちいとせんかたなくくるしきにとまりたりつる人々「おはしましてとはせたまひつればありのまゝになんきこえさせつる、などかこのこゝろありつる、あしうもきにけるかな、となむありつる」などいふをきくにも夢のやうにぞおぼゆる。またの日はこうじくらして、あくる日をさなき人殿へといでたつ。あやしかりけることもやとはましとおもふも物うけれど、ありしはまべをおもひ出づる心ちのしのびがたきにまけて

うきよをばかばかりみつのはまべにてなみだになごりありやとぞみし

とかきて「これみ給はざらんほどにさしおきてやがて物しね」とをしへたれば「さしつ」とてかへりたり。もしみたるけしきもやとしたまたれけむかし、されどつれなくてつごもりごろになりぬ。さいつころつれづれなるまゝに草どもつくろはせなどせしにあまたわかなへのおひたりしをとりあつめさせて、やののきにあてゝうゑさせしがいとをかしうはらみて水まかせなどせさせしかどいろづける葉のなづみてたてるをみればいとかなしくて

いなづまのひかりだにこぬやがくれは軒ばのなへも物おもふらし

とみえたる。

 貞觀殿の御かたは一昨年尚侍になりたまひにき。あやしくかゝるよをもとひたまはぬはこのさるまじき御中のたがひにたればこゝをもけうと くおぼすにやあらん、かくことのほかなるをもしり給はでとおもひて御ふみたてまつるついでに

さゝがにのいまはとかぎるすぢにてもかくてはしばしたえじとぞ思ふ

ときこえたり。かへりごとなにくれといとあはれにおほくのたまひて

たえきともきくぞかなしきとし月をいかにかきこしくもならなくに

これをみるにも見きゝたまひしかばなどおもふにいみじくこゝちまさりてながめくらすほどにふみあり。「ふみ物すれどかへりごともなくはしたなげにのみあめればつゝましくてなん、今日もとおもへども」などぞあめる。これかれそゝのかせばかへりごとかくほどに日くれぬ。まだいきもつかじかしとおもふほどにみえたる。人々「なほあるやうあらんつれなくてけしきをみよ」などいへばおもひかへしてのみあり。「つゝしむことのみあればこそあれ、さらにこじとなん我は思はぬ、人のけしき ばみくせ%\しきをなんあやしとおもふ」などうらなくけしきもなければけうとくおぼゆ。

 つとめては「ものすべきことのあればなむ、いまあすあさてのほどにも」などあるに、まこととは思はねど思ひなほるにやあらんと思ふべし。もしはたこのたびばかりにやあらんと心みるにやう/\また日かずすぎゆく。さればよと思ふにありしよりもけにものぞかなしき。つく%\とおもひつゞくることは、なほいかでこゝろとしてしにもしにしがなと思ふよりほかのこともなきを、たゞこのひとりある人をおもふにぞいとかなしき。人となしてうしろやすからん女などにあづけてこそしかも心やすからんとは思ひしか、いかなるここちしてさすらへんずらんと思ふになほいとしにがたし。「いかゞはせんかたちをかへてよを思ひはなるやと心みん」とかたらへばまだふかくもあらぬなれどいみじうさくりもよゝとなきて「さなりたまはゞまろも法師になりてこそあらめ、なにせん にかはよにもまじろはん」とていみじくよゝとなけば我もえせきあへねどいみじさにたはぶれにいひなさんとて「さて鷹かはではいかゞしたがはむずる」といひたれば、やをらたちはしりてしすゑたる鷹をにぎりはなちつ。みる人も涙せきあへず。まして日くらしがたし。心ちにおぼゆるやう

あらそへば思ひにわぶるあまぐもにまづそるたかぞかなしかりける

とぞ。日くるゝほどにふみみえたり。天下のそらごとならんとおもへば「たゞいまこゝちあしくて漸々は」とてやりつ。

 七月十日にもなりぬれば、よの人のさわぐまゝに盆のこととしごろはまどごゝろにものしつるもはなれやしぬらんとあはれなき人もかなしうおぼすらんかし、しばし心みてすら齋もせんかしとおもひつゞくるに涙のみたりくらすにれいのごとてうじてふみそひてあり。「なき人をこそおぼしわすれざりけれとをしからでかなしき物になん」とかきてものし けり。かくてのみおもふになほいとあやし。めづらしき人にうつりてなどもなし、にはかにかゝることをおもふに心さへしりたる人の「うせ給ひぬる小野の宮の大臣の御めしうどどもあり、これらをぞおもひかくらん、近江ぞあやしきこと」などありて「いろめく者なめればそれらにこゝにかよふとしらせじとかねてたちおかむとならん」といへば、きく人「いでやさらずともかれらいとこゝろやすしときく人なれば、なにかさわざ/\しうかまへたまはずともありなん」などぞいふ。「もしさらずは先帝のみこたちがならん」とうたがふ。「ともあれかくもあれたゞいとあやしきを、入る日をみるやうにてのみやはおはしますべき、こゝかしこにまうでなどもし給へかし」などたゞこのごろはことごとなくあくればいひくるればなげきて、さらばいとあつきほどなりともげにさいひてのみやはとおもひたちていし山に十日ばかりとおもひたつ。しのびてと思へばはらからといふばかりの人にもしらせず心ひとつに思ひたちて、 あけぬらんとおもふほどにいではしりて加茂川のほどばかりなどにぞいかできゝあへつらんおひて物したる人もあり。ありあけの月はいとあかけれどあふ人もなし。河原にはしに人もふせりとみきけどおそろしくもあらず。あはた山といふほどにゆきさりていとくるしきをうちやすめばともかくも思ひわかれずたゞなみだぞこぼるゝ。人やみるとなみだはつれなしづくりてたゞはしりてゆきもてゆく。山科にてあけはなるゝにぞいと顯證なる心ちすればあれか人かにおぼゆる。人はみなおくらかしさいだてなどしてかすかにてあゆみゆけばあふものみる人あやしげに思ひてさゝめきさわぐぞいとわびしき。からうじていきすぎて走り井にてわりごなどものすとてまくひきまはしてとかくするほどに、いみじくのゝしる者來。いかにせんたれならんともなる人みしるべき者にもこそあれあないみじと思ふほどに、馬にのりたる者あまたくるま二三ひきつゞけてのゝしりて來。「若狹の守のくるまなりけり」といふ。たちもとまら でゆきすぐればこゝちのどめて思ふ。あはれほどにしたがひてはおもふ事なげにても行くかな、さるはあけくれひざまづきありく者ものしてゆくにこそはあめれと思ふにもむねさくる心ちす。下衆どもくるまのくちにつけるもさあらぬもこのまくちかきわたりよりつゝ水あみさわぐ。ふるまひのなめうおぼゆること物ににず。我がともの人わづかに「あふたちのきて」などいふめれば「れいもゆききの人よる所とはしりたまはぬかとがめ給ふは」などいふをみる心ちはいかゞはある。やりすごしていまはたちてゆけば關うちこえて打出の濱にしにかへりていたりたれば、さきだちたりし人舟にこもやかたひきてまうけたり。ものもおぼえずはひのりたればはる%\とさしいだしてゆく。いとこゝちいとわびしくもくるしうもいみじう物がなしう思ふことたぐひなし。申のをはりばかりに寺の中につきぬ。ゆやに物などしきたりければいきてふしぬ。心ちせんかたしらずくるしきまゝにふしまろびてぞなかるる。夜になりてゆな ど物して御堂にのぼる。身のあるやうを佛に申すにもなみだにむせぶとすていひもやられず。夜うちふけて外のかたをみいだしたれば堂はたかくてしてもはたにとみえたり。かたきしに木どもおひこりていとこぐらがりたる、廿日月夜ふけていとあかるけれど、木かげにもりてところ%\にきしかたぞみえわたりたる。みおろしたれば麓にあるいづみはかゞみのごとみえたり。勾欄におしかゝりてとばかりまもりゐたればかたきしに草のなかにそよそよならしたるものあやしきこゑするを「こはなにぞ」ととひたれば「鹿のいふなり」といふ。などかれいの聲にはなかざらんと思ふほどにさしはなれたるたにのかたよりいとうらわかき聲にはるかにながめなきたなり。きく心ちそらなりといへばおろかなり。おもひいりておこなふ心ちものおぼえでなほあればみやりなる山のあなたばかりに田守の物おひたる聲いふかひなくなさけなげにうちよばひたり。かうしもとりあつめて肝をくだくことおほからんと思ふぞはてはあきれてぞ ゐたる。さて後夜おこなひつればおりぬ。身よわければゆやにあり。

 夜のあくるまゝにみやりたれば東に風はいとのどかにて霧たちわたり川のあなたは繪にかきたるやうにみえたり。川づらに放ち馬どものあさりありくもはるかに見えたり。いとあはれなり。二なく思ふ人をも人めによりてとゞめおきてしかばいではなれたるついでにしぬるたばかりをもせばやと思ふにはまづこのほだしおぼえてこひしうかなし。なみだのかぎりをぞつくしはつる。男どものなかには「これよりいとちかくなり、いざさくらだにみには」、「ゐてもくちひきすごすときくぞからかなるや」などいふをきくに、さて心にもあらずひかれいなばやと思ふ。かくのみこゝろつくせばものなどもくはれず。「しりへのかたなる池に しぶきといふ物おひたる」といへばとりてもて來」といへばもてきたりける。笥にあへしらひて柚おしきりてうちかざしたるぞいとをかしうおぼえたる。さては夜になりぬ。御堂にてよろづ申しなきあかしてあかつきがた にまどろみたるにみゆるやう、この寺の別當とおぼしき法師銚子に水をいれてもてきて右のかたのひざにいかくとみる。ふとおどろかされて佛のみせ給ふにこそはあらめと思ふにまして物ぞあはれにかなしくおぼゆる。あけぬといふなればやがて御堂よりおりぬ。まだいとくらけれどうみのうへしろく見えわたりて、さいふ/\人廿人ばかりあるを、のらんとする舟のきしかげのかたへばかりにみくだされたるぞいとあはれにあやしき。みあかしたてまつらせし僧のみおくるとてきしにたてるにたゞさしいでにさしいでつればいと心ぼそげにてたてるをみやれば、かれは目なれにたらん所にかなしくやとまりて思ふらんとぞ心うる。男ども「いまらいねんの文月伴ひまゐらんよ」とよばひたれば「さなり」とこたへてとほくなるまゝにかげのごとみえたるもいとかなし。空をみれば月はいとほそくてかげはうみのおもてにうつりてある。風うちふきてうみのおもていとさわがしうさら/\とさわぎたり。わかき男ども「こゑ ほそやかにておもやせにたる」といふうたをうたひ出でたるをきくにもつぶ%\となみだぞおつる。いかゞ崎山吹の崎などいふところ%\みやりてあしのなかよりこぎ行く。まだ物たしかにもみえぬほどにはるかなるかぢのおとして心ぼそくうたひくるふねあり。ゆきちがうほどに「いづくのぞや」ととひたれば「いし山へ人の御むかへに」とぞこたふなる。この聲もいとあはれにきこゆめる。いひおきしをおそくいでくればかしこなりつるしていでぬればたがひていくなめり。とゞめて男どもかたへはのりうつりて心のほしきにうたひ行く。瀬田のはしの本ゆきかゝるほどにぞほの%\とあけゆく。ちどりうちかけりつゝとびちがふ。ものゝあはれにかなしきことさらにかずなし。さてありし濱わにいたりたればむかへのくるまいできたり。京に巳のときばかりいきつきぬ。これかれあつまりて「世界にまでなどいひさわぎけること」などいへば「さもあらばれいまはなほしかるべきみかは」などぞこたふる。

 おほやけにすまひのころなり。をさなき人まゐらまほしげにおもひたればさうぞかせていだしたつ。まづ殿へとてものしたりければくるまのしりにのせて暮にはこなたざまに物したまふべき人のさるべきに申しつけておく。あなたざまにときくにもましてあさまし。またの日もきのふのごとまゐるままにえしらで夜さりは「所の雜色これらかれらこれがおくりせよ」とてさいだちていでにければひとりまかでゝいかにこゝろに思ふらん、れいならましかばもろともにあらましをとをさなきこゝちに思ふなるべし、うち屈したるさまにていりくるをみるにせんかたなくいみじくおもへどなにのかひかあらん身ひとつをのみきりくだく心ちす。

 かくて八月になりぬ。二日のよさりがたにはかにみえたり。あやしと思ふに「あすは物いみなるを門つよくさゝせよ」などうちいひちらす。いとあさましくものゝわくやうにおぼゆるにこれさしよりかれひきよせ「ねんぜよ/\」と耳おしそへつまねさゞめきまどはせば我がひとりの おれ物にてむかひゐたればむげにくんじはてにたりとみえけむ。またの日もひぐらしいふこと「我がこゝろのたがはぬを人のあしうみなして」とのみあり。いといふかひなし。

 五日の日はつかさめしとて大將になどいとゞさりさりていともめでたし。それより後ぞすこししば/\みえたる。この大嘗會に院の御給ばり申さん、をさなき人にかうぶりせさせてん十日の日とさだめてす。ことどもれいのごとし。ひきいれに源氏の大納言物したまへり。ことはてゝかたふたがりたれど夜ふけぬるをとてとゞまれり。かゝれどもこたみやかぎりならんと思ふこゝろになりにたり。

 九十月もおなじさまにてすぐすめり。世には大嘗會のごけいとてさわぐ。我も人も物みる棧敷とりてわたりてみれば、みこしのつらちかくつらしとは思へどめくれておぼゆるにこれかれ「やいでなほ人にすぐれ給へりかし、あなあたらし」などもいふめり。きくにもいとゞ物のみすべ なし。しも月になりて大嘗會とてのゝしるべき。その中にはすこしまぢかくみゆる心ちす。かうぶりゆゑに人もまだあいなしと思ふ/\のわざもならべてとかくすればいとこゝろあわたゞし。ことはつる日夜ふけぬほどにものして「行幸に候へてあがりぬべかりつれど夜のふけぬべかりつればそらむねやみてなんまかでぬる、いかに人いふらん、あすはこれが衣きかへさせてゐてん」などあればいさゝかむかしの心ちしたり。つとめて「ともにありかすべき男どもなどまゐらざめるをかしこに物してとゝのへん裝束してこよ」とていでられぬ。よろこびにありきなどすればいとあはれにうれしき心ちす。それよりしもれいのつゝしむべきことあり。二日もかごとになんときくにもたよりにもあるを、さもやと思ふほどに夜いたくふけ行く。ゆゝしとおもふ人もたゞひとりいでたり。むねうちつぶれてぞあさましき。「たゞいまなんかへりたまへる」などかたれば、夜ふけぬるにむかしながらの心ちならましかばかゝらましやは と思ふこゝろぞいみじき。それより後もおとなし。しはすのついたちになりぬ。七日ばかりのひるさしのぞきたり。いまはいとまばゆき心ちもしにたれば几帳ひきよせてけしきものしげなるをみて「いで日くれにけり、うちよりめしありつれば」とてたちにしまゝにおとづれもなくて十七八日になりにけり。

 今日のひるつかたよりあめいといたうはらめきてあはれにつれ%\とふる。ましてもしやと思ふべきこともたえにたり。いにしへをおもへば我がためにしもあらじ心の本性にやありけんあめ風にもさはらぬ物とならはしたりし物を今日おもひいづればむかしも心のゆるぶやうにもなかりしかば我が心のおほけなきにこそありけれさらぬものとみし物をそれさておもひかけられぬとながめくらさる。あめのあしおなじやうにて火ともすほどにもなりぬ。みなみおもてにこのごろくる人あり。あしおとすれば「さにぞあなる、あはれをかしくきたるは」とわきたぎるこゝろ をばかたはらにおきてうちいへば、としごろみしりたる人むかひて「あはれこれにまさりたるあめ風にもいにしへは人のさはりたまはざめりし物を」といふにつけてぞうちこぼるゝなみだのあつくてかゝるにおぼゆるやう

おもひせくむねのほむらはつれなくてなみだをわかす物にざりける

とくりかへしいはれしほどにぬる所にもあらで夜はあかしてけり。その月みたびばかりのほどにて年はこえにけり。そのほどの作法れいのごとなればしるさず。

 さてとしごろ思へばなどにかあらんついたちの日はみえずしてやむ世なかりき。さもやとおもふこゝろづかひせらる。ひつじのときばかりにさきおひのゝしる。そゝなど人もさわぐほどにふとひきすぎぬ。いそぎにこそはと思ひかへしつれど夜もさてやみぬ。つとめてこゝにぬふ物どもとりがてら「きのふのまへわたりは日のくれにし」などあり。いとか へりごとせまうけれど「なほ年のはじめにはらだちなそめそ」などいへばすこしはくねりてかきつ。かくしもやすからずおぼえいふやうは「このおしはかりし近江になんふみかよふ。さなりたるべし」とよにもいひさわぐ。心づきなさになりけり。さて二三日もすごしつ。三日またさるのときに一日よりもけにのゝしりてくるを「おはします/\」といひつゞくるを一日のやうにもこそあれかたはらいたしと思ひつゝさすがにむねはしりするを、ちかくなればこゝなる男ども中門おしひらきてひざまづきてをるにむべもなくひきすぎぬ。今日まして思ふこゝろおしはからなん。またの日は大饗とてのゝしる。いとちかければこよひさりともと心みんと人しれず思ふ。くるまのおとごとにむねつぶる。夜よきほどにてみなかへるおともきこゆ。かどのもとよりもあまたおひちらしつゝゆくを、すぎぬときくたびごとに心はうごく。かぎりときゝはてつればすべてものぞおぼえぬ。

 ある日またつとめてなほもあらでふみみゆ。かへりごとせず。また二日ばかりありて「心のおこたりにはあれどいとことしげきころにてなん。夜さり物せんにいかならん。おそろしさに」などあり。「こゝちあしきほどにてえきこえず」と物して思ひたえぬるにつれなく見えたり。あさましと思ふにうらもなくたはぶるればいとねたさにこゝらの月ごろねんじつることをいふにいかなる物とたえていらへもなくてねたるさましたり。きゝ/\てねたるがうちおどろくさまにて「いづらはやねたまへる」といひわらひて人わろげなるまでもあれど岩木のごとしてあかしつれば、つとめて物もいはでかへりぬ。それよりのちしひてつれなくてれいのごとはりこれとしてかくしてなどあるもいとにくゝていひかへしなどして言たえて廿餘日になりぬ。あらたまれどもいふなる日のけしきうぐひすの聲などをきくまゝに涙のうかぬときなし。二月も十餘日になりぬ。きくところに十夜なんかよへるとちぐさに人はいふ。つれ%\とあるほ どに彼岸にいりぬれば「なほあるよりは精進せん」とてうはむしろたゞのむしろのきよきにしきかへさすればちりはらひなどするをみるにもかやうのことは思ひかけざりし物をなどおもへばいみじうて

うちはらふちりのみつもるさむしろもなげくかずにはしかじとぞ思ふ

これよりやがて長精進して山でらにこもりなんにさてもありぬべくはいかでなほよの人のたえやすくそむくかたにもやなりなましと思ひたつを人々「精進は秋ほどよりするこそいとかしこかなれ」といへば、えさらず思ふべきうぶやのこともあるをこれすごすべしとおもひてたゝむ月をぞまつ。さはれよろづにこのよのことはあいなく思ふを、去年の春くれたけうゑんとてこひしをこのごろたてまつらんといへば「いさやありもとぐまじう思ひにたるよの中にこゝろなげなるわざをやしおかん」といへば「いとこゝろせばき御ことなり。行基菩薩はゆくすゑの人のために こそみなるにはきはうゑたまひてけれ」などいひてほらせたれば、あはれにありしところとて見む人もみよかしと思ふになみだこぼれてうゑさす。二日ばかりありて雨いたくふりこち風はげしくふきて一すぢ二すぢうちかたぶきたれば、いかでなほさせん、雨間もがなと思ふまゝに

なびくかなおもはぬかたにくれ竹のうきよのすゑはかくこそありけれ

今日は廿四日、雨のあしいとのどかにてあはれなり。ふゆづけていとめづらしきふみあり。「いとおそろしきけしきにおぢてなん日ごろへにける」などぞある。かへりごとなし。五日なほあめやまでつれ%\と思はぬ山々とかやいふやうに物のおぼゆるまゝにつきせぬ物は涙なりけり。

ふる雨のあしともおつるなみだかなこまかに物を思ひくだけば

 今は三月つごもりになりにけり。いとつれ%\なるをいみもたがへがてらしばしほかにとおもひてあがたありきの所にわたる。思ひさはりし こともたひらかになりにしかばながき精進はじめんと思ひたちて物などとりしたゝめなどするほどに「勘事はなほやおもからん、ゆるされあらばくれにいかゞ」とあり。これかれ見きゝて「かくのみあくがらしはつるはいとあしきわざなり、なほこたみだに御かへりやむごとなきにも」とさわげば、たゞ「月もみなくにあやしく」とばかり物しつ。よにあらじとおもへばいそぎわたりぬ。つれなさはそふに夜うちふけてみえたり。例のわきたぎることもおほかれどほどせばく人さわがしきところにて息もえせず、むねに手をおきたらんやうにてあかしつ。つとめてそのことかのこと物すべかりければいそぎぬるをしもあるべき心をまた今日や今日やと思ふにおとなくて四月になりぬ。

 [ ]もいとちかきところなるを「みかどにてくるまたてり、こちやおはしまさむずらん」などやすくもあらずいふ人さへあるぞいとくるしき。ありしよりもまして心をきりくだく心ちす。かへりごとをもなほせよせ よといひし人さへうくつらし。ついたちの日をさなき人をよびて「ながき精進をなんはじむる、もろともにせよとあり」とてはじめつ。我はたはじめよりもこと%\しうはあらず、たゞかはらけに香うちもりて脇息のうへにおきてやがておしかゝりて佛をねんじたてまつる。その心ばへ、たゞきはめてさいはひなかりける身なり、としごろをだによに心ゆるびなくうしと思ひつるをましてかくあさましくなりぬ。とくしなさせたまひて菩提かなへたまへとぞおこなふまゝに涙ぞほろ/\とこぼるゝ。あはれいまやうは女も數珠ひきさげ經ひきさげぬなしときゝしとき、あままさりがほな、さる者ぞやもめにはなるてふなどもどきし心はいづちかゆきけん。夜のあけくるるも心もとなくいとまなきまでそこはかともなけれどおこなふとそゝくまゝに、あはれさいひしをきく人いかにをかしと思ひみるらん、はかなかりけるよをなどてさいひけんと思ふ/\おこなへばかたとき涙うかばぬ時なし。人めぞいとまさりがほなくはづかし ければおしかへしつゝあかしくらす。廿日ばかりおこなひたるゆめに、わがかしらをとりおろしてひたひをわくとみる。あしよしもえしらず。七八日ばかりありて我がはらのうちなるくちなはありきてきもをはむ、これをぢせむやうはおもてにみづなむいるべきとみる。これもあしよしもしらねどかくしるしおくやうは、かかる身のはてをみきかん人夢をも佛をももちゐるべしやもちゐるまじやとさだめよとなり。

 五月にもなりぬ。我がいへにとまれる人の許より「おはしまさずとも菖蒲ふかではゆゝしからんをいかゞせんずる」といひたり。いでなにかゆゝしからん

世中にある我が身かはわびぬればさらにあやめもしられざりけり

とぞいひやらまほしけれどさるべき人しなければ心に思ひくらさる。かくていみはてぬればれいのところにわたりてましていとつれ%\にてあり。ながめになりぬれば草どもおひこりてあるをおこなひのひまにほり あかたせなどする。あさましき人わがかどよりれいのきら/\しうおひちらしてわたる日あり。おこなひしいりたるほどに「おはします/\」とのゝしればれいのごとぞあらんとおもふにむねつぶ/\とはしるにひきすぎぬれば、みな人おもてをまぼりかへしてゐたり。我はまして二とき三ときまで物もいはれず。人は「あなめづらかいかなる御こゝろならん」とてなくもあり。わづかにためらひて「いみじうくやしう人にいひさまたげられていままでかゝるさとずみをしてまたかゝるめをみつるかな」とばかりいひてむねのこがるゝことはいふかぎりにもあらず。

 六月のついたちの日「御ものいみなれどみかどのしたよりも」とてふみあり。あやしくめづらかなりと思ひてみれば「いみはいまはもすぎぬらんをいつまであるべきさるすみ所ぞ、いとびんなかめりしかばえ物せず、ものまうではけがらひいできてとゞまりぬ」などぞある。こゝにといままできかぬやうもあらじと思ふに心うさもまさりぬれどねんじてか へりごとかく。「いとめづらしきはおぼめくまでなむ、こゝにはひさしくなりぬるをげにいかでかはおぼしよらん、さてもみ給ひしあたりとはおぼしかけぬ御ありきのたび/\になん、すべていまゝでよにはべる身のおこたりなればさらにきこえず」と物しつ。

 さて思ふに、かくだに思ひいづるもむづかしくさきのやうにくやしきこともこそあれなほしばし身をさりなんと思ひたちて「西山にれいのものするてらありそち物しなんかの物いみはてぬさきに」とて四日いでたつ。ものいみもけふぞあくらんと思ふ日なればこゝろあわたゞしく思ひつゝ物とりしたゝめなどするにうはむしろのしたにつとめてくふくすりといふ物たゝうがみの中にさしれてありしはこゝにゆきかへるまでありけり。これかれみいでゝこれなにならんといふをとりてやがてたゝうがみの中にかくかきけり。

さむしろのしたまつこともたえぬればおかむかただになきぞかなし

とてふみには「身をしかへねばとぞいふめれどまへわたりせさせ給はぬ世界もやあるとて今日なん、これもあやしきとはずがたりにこそなりにけれ」とてをさなき人の「ひたやごもりならん消息きこえに」とてものするにつけたり。「もしとはるゝやうもあらば、これはかきおきてはやく物しぬ。おひてなんまかるべきとをものせよ」とぞいひもたせたる。ふみうちみて心あわたゞしげに思はれたりけむ、かへりごとには「よろづいとことわりにはあれどまづいくらんはいづくにぞ、このごろはおこなひにもびんなからんをこたみばかりいふこときくと思ひてとまれいひあはすべきこともあればたゞいまわたる」とて

あさましやのどかにたのむとこのうらをうちかへしけるなみの心よ

いとつらくなん」とあるをみればまいていそぎまさりてものしぬ。

 山路なでふことなけれどあはれにいにしへもろともにのみとき%\ は物せし物をまたとまることありし二三四日もこのごろのほどぞかし宮づかへもたえこもりてもろともにありしはなどおもふに、はるかなるみちすがら涙もこぼれゆく。とも人三人ばかりそひていく。まづ僧坊におりゐてみいだしたればまへにませゆひわたしてまだなにともしらぬ草どもしげきなかにぼうたん草どもいとなさけなげにて花ちりはてゝたてるをみるにも散るがうへはときといふことをかへしおぼえつゝいとかなし。ゆなどものして御堂にと思ふほどにさとより心あわたゞしげにて人はしりきたり。とまれる人のふみあり。見れば「たゞいま殿より御ふみもてそれがしなんまゐりたりつる。さゝしてまゐり給ふことあなり、かつ%\まゐりてとゞめきこえよ、たゞ今わたらせ給ふ、といひつればありのまゝに、はやいでさせ給ひぬ、これかれもおひてなんまゐりぬるといひつれば、いかやうにおぼしてにかあらんとぞ御けしきありつるをいかゞさはきこえむ、とありつれば月ごろの御ありさま精進のよしなどを なん物しつれば、うちなきて、とまれかくまれまづとくをきこえむとていそぎかへりぬる、さればろなうそこに御せうそくありなん、さる用意せよ」などぞいひたるをみて、うたて心をさなくおどろ/\しげにやもしないつらんいと物しくもあるかな、けがれなどせばあすあさてなどもいでなむとする物をと思ひつゝゆのこといそがして堂にのぼりぬ。あつければしばし戸おしあけて見わたせば堂いとたかくてたてり。山めぐりてふところのやうなるに、こだちいとしげくおもしろけれどやみのほどなればたゞ今くらがりてぞある。初夜おこなふとて法師さうぞけば戸おしあけて念誦するほどに時は山でらわざのかひよつふくほどになりにたり。大門のかたに「おはします/\」といひつゝのゝしるおとすればあげたるすどもうちおろしてみやれば木間より火ふたともしみともしみえたり。をさなき人けいめいしていでたればくるまながらたちてある。「御むかへになんまゐりきつるを今日までこのけがらひあればえおりぬ をいづくにかくるまはよすべき」といふにいと物ぐるほしき心ちす。かへりごとに「いかやうにおぼしてかかくあやしき御ありきはありつらん、こよひばかりとおもふことはべりてなんのぼりはべりつれば、不淨のこともおはしますなればいとわりなかるべきことになん、夜ふけはべりぬらん、とくかへらせ給へ」といふをはじめてゆきかへることたび/\になりぬ。一丁のほどを石階おりのぼりなどすればありく人こうじていとくるしうするまでなりぬ。これかれなどは「あないとほし」などよわきかたざまにのみいふ。このありく人「すべてきむぢいとくちをし、かばかりのことをばいひなさぬはなどぞ御けしきあし」とてなきにもなく。されど「などてかさらに物すべき」といひはてつれば「よし/\かくけがらひたればとまるべきにもあらずいかゞはせんくるまかけよ」とありときけばいと心やすし。ありきつる人は「御おくりせん、御くるまのしりにてまかる心、さらにまたはまうでこじ」とてなく/\いづれば、こ れをたのもし人にてあるにいみじうもいふかなと思へどもものいはであれば人などみないでぬとみえてこの人はかへりて「御おくりせんとしつれど、きんぢはよばんときにを來とておはしましぬ」とてしゝとなく。いとほしう思へど「あな痴れ、そこをさへかくてやむやうもあらじ」などいひなぐさむ。ときは八になりぬ。みちはいとはるかなり。「御ともの人はとりあへけるにしたがひて京のうちの御ありきよりもいとすくなかりつる」と人々いとほしがりなどするほどに夜はあけぬ。京へ物しやるべきことなどあれば人いだしたつ。大夫「よべのいとおぼつかなきを御かどの邊にて御けしきもきかむ」とて物すればそれにつけてふみ物す。「いとあやしうおどろ/\しかりし御ありきの夜もやふけぬらんと思ひ給へしかばたゞ佛をおくりきこえさせ給へとのみいのりきこえさせつる。さてもいかにおぼしたることありてかはと思う給へればいまはあまえいたくてまかりかへらんこともかたかるべき心ちしける」などこまかにか きて、はしに「むかしも御覽ぜしみちとはみ給へつゝまかりいりしかどたぐひなく思ひやりきこえさせし、いまいととくまかでぬべし」とかきてこけついたるまつのえだにつけてものす。あけぼのをみればきりかくもかとみゆる物たちわたりてあはれに心すごし。ひるつかたいでつる人かへりきたり。「御ふみはいでたまひにければ男どもにあづけてきぬ」とものす。さらずともかへりごとあらじと思ふ。

 さてひるは日一日れいのおこなひをし夜はあるじの佛をねんじたてまつる。めぐりて山なればひるも人やみんのうたがひなし。すだれまきあげてなどあるにこの時すぎたるうぐひすのなき/\てきのたちがらしにひとくひとくとのみいちはやくいふにぞすだれおろしつべくおぼゆる、そもうつし心もなきなるべし。かくてほどもなく不淨のことあるをいでむと思ひおきしかど京はみなかたちことにいひなしたるにはいとはしたなき心ちすべしと思ひてさしはなれたる屋におりぬ。京より小母などお ぼしき人ものしたり。「いとめづらかなるすまひなればしばしづ心もなくてなん」などかたらひて五六日ふるほど六月さかりになりにたり。こかげいとあはれなり。山かげのくらがりたるところを見ればほたるはおどろくまでてらすめり。さとにてむかしもの思ひうすかりしとき「ふたこゑときくとはなしに」とはらだゝしかりしほととぎすもうちとけてなく。くひなはそこと思ふまでたゝく。いといみじげさまさる物思ひのすみかなり。人やりならぬわざなればとひとぶらはぬ人もありともゆめにつらくなど思ふべきならねばいとこゝろやすくてあるを、たゞかゝるすまひをさへせんとかまへたりける身のすぐせばかりをながむるにそひてかなしきことは、ひごろの長精進しつる人のたのもしげなけれど、みゆづる人もなければかしらもさしいでずまつのはばかりにおもひなりにたる身のおなじさまにてくはせたればえもくひやらぬをみるたびにぞ涙はこぼれまさる。

 かくてあるはいと心やすかりけるをたゞなみだもろなるこそいとくるしかりけれ。ゆふぐれのいりあひのこゑひぐらしのねめぐりのこでらのちいさきかねども我も/\とうちたゝきならし、まへなるをかにかみのやしろもあれば法師ばら讀經たてまつりなどするこゑをきくにぞいとせんかたなくものはおぼゆる。かく不淨なるほどは夜ひるのいとまもあればはしのかたにいでゐてながむるを、このをさなき人いりね/\といふけしきをみれば、物をふかく思ひいれさせじとなるべし。「などかくはの給ふ」「なほいとあしねぶたくもはべり」などいへば、「ひたごゝろになくもなりつべき身をそこにさはりていままであるをいかゞせんずる、よの人のいふなるさまにもなりなん、むげによになからんよりはさてあらばおぼつかなからぬほどにかよひつゝかなしき物に思ひなしてみ給へ、かくていとありぬべかりけりと身ひとつにおもふを、たゞいとかくあしきものして物をまゐればいといたくやせ給ふをみるなんいといみじき、 かたちことにても京にある人こそはと思へどそれなんいともどかしう見ゆることなればかく/\思ふ」といへばいらへもせでさくりもよゝになく。さて五日ばかりにきよまはりぬればまた堂にのぼりぬ。

 ひごろ物しつる人けふぞかへりぬる。くるまのいづるを見やりてつく%\とたてればこかげにやう/\いくもいとこゝろすごし。みやりてながめたてりつるほどにけやあがりぬらん心ちいとあしうおぼえてわざといとくるしければ山ごもりしたる禪師よびて護身せさす。ゆふぐれになるほどにねんずごゑにかぢしたるをあないみじときゝつゝ思へば、むかし我が身にあらんことゝはゆめにおもはで、あはれに心すごき事とてはたたかやかに繪にもかき心ちのあまりにいひにもいひて、あなゆゝしとかつは思ひしさまにひとつたがはずおぼゆれば、かゝらんとて物の思ひしらでなりけるなりけりと思ひふしたるほどに我がもとのはらからひとり又人もかへり物したり。はひよりて「まづいかなる御こゝちぞとさと にて思ひたてまつるよりも山にいりたちてはいみじく物のおぼえはべる、ことなくふさずまるなり」とてしゝとなく。人やりにもあらねばねむじかへせどえたへず。なきみわらひみよろづのことをいひあかしてあけぬれば「類したる人いそぐとあるを今日はかへりてのちにまゐりはべらん、そも/\かくてのみやは」などいひてもいとこゝろぼそげにかすかなるさまにてかへる。こゝちけしうはあらねば例のみおくりてながめいだしたるほどにまた「おはす/\」とのゝしりてくる人あり。さならんとおもひてあればいとにぎはゝしく里心ちしてうつくしきものどもさま%\にしやうぞきあつまりて二くるまぞある。むまどもなどふさにひきちらかいてさわぐ。わりごやなにやとふさにあり。誦經うちしあはれげなる法師ばらにかたびらやぬのやなどさま%\にくばりちらして物がたりのついでに「おほくは殿の御もよほしにてなんまうできつる、さゝしてものしたりしかどいでずなりにき、又ものしたりともさこそあらめおのが 物せんにはと思へばえ物せず、のぼりてあがめたてまつれ、法師ばらにもいとたい%\しく經をしへなどすなるはなでふことぞとなんの給ヘりし、かくてのみはいかなる人かある、世中にいふなるやうにともかくもかぎりになりておはせばいふかひなくてもあるべし、かくて人もおほせざらんときかへりいでゝゐたまへらんもをこにぞあらん、さりとも今ひとたびはおはしなん、それにさへいで給はずばぞいとひとわらはえにはなりはて給ふらん」など物ほこりらかにいひのゝしるほどに「西の京にさぶらふ人々こゝにおはしましぬとてたてまつらせたる」とて天下のものふさにあり。山のすゑと思ふやうなる人のためにはるかにぞあるにことなるにも身のうきことはまづおぼえけり。ゆふかげになりぬれば「いそぐとあればえひきはきこえず、おぼつかなくはあり、なほいとこそあしけれ、さていつともおぼさぬか」といへば「たゞ今はいかにも/\思はず、いま物すべきことあらばまかでなん、つれ%\なるこゝろなれば にこそあれ」などてとてもかくてもいでむもおこなひみん、さや思ひなるとていださじと思ふなる人のいはするならん、里とてもなにわざをかせんずると思へば「かくてあべきほどばかりと思ふなり」といへば「ごもなくおぼすにこそあなれ、よろづのことよりもこの君のかくそゞろなる精進をしておはするよ」とかつうちなきつゝ車にものすれば、こゝなるこれかれおくりにたちいでたれば「おもとたちもみなかんだうにあたり給ふなり、よくきこえてはやいだしたてまつり給へ」などいひちらしてかへる。このたびのなごりはまいていとこよなくさう%\しければ我ならぬ人はほと/\なきぬべく思ひたり。かくおもひ/\にとざまかくざまにいひなさるれど我がこゝろはつれなくなんありける。あしともよしともあらんをいなむまじき人は此ごろ京に物したまはず。ふみにてかくてなんとあるに「はたよかなり、しのびやかにてさてしばしもおこなはるる」とあればいとこゝろやすし。人はなほすかしがてらにさもいはる ゝにこそあらめ、かぎりなきはらをたつとかゝるところを見おきてかへりにしまゝにいかにともおとづれられず、いかにも/\なりなばしるべくやはありけるなどおもへば、これよりふかくいるともとぞおぼえける。

  今日は十五日、いもゆなどしてあり。からくもよほして魚など物せよとて今朝京へいだしたてゝ思ひながむるほどにそらくらきまつ風おとたかくて神ごを/\となる。いまはまたふりくべからん物をみちにて雨もやふらん神もやなりまさらんと思ふにいとゆゝしうかなしくて佛に申しつればにやあらんはれてほどもなくかへりたり。いかにぞととへば「雨もやいたくふりはべると思へば神のなりつるおとになんいでゝまうできつる」といふ。きくにもいとあはれにおぼゆ。こたびのたよりにぞふみある。「いとあさましくてかへりにしかばまた/\もさこそはあらめ、うくおもひはてにためればと思ひてなん、もしたまさかにいづべき日あらばつげよむかへはせん、おそろしき物に思ひはてにためればちかくは えおもはず」などぞある。また人のふみどもあるをみれば「さてのみやはあらんとする、日のふるまゝにいみじくなん思ひやる」などさま%\にとひたり。又の日かへりごとす。さてのみやはとある人のもとに「かくてのみとしも思ひたまへねどながむるほどになんはかなくてすぎつる日かずぞつもりにける

かけてだに思ひやはせし山ふかくいりあひのかねにねをそへんとは

又の日かへりごとあり。「ことばかきあふべくもあらず、いりあひになんきもくだく心ちする」とて

いふよりもきくぞかなしきしきしまのよにふるさとの人やなになり

とあるをいとあはれにかなしくながむるほどに宿直の人あまたありしなかにいかなる心あるにかありけん、こゝにある人のもとにいひおこせたるやう「いつもおろかに思ひきこえさせざりし御すまひなれどまかでしよりはいとゞめづらかなるさまになん思ひいできこえさする、いかにお
もとたちもおぼしみたてまつらせ給ふらん、いやしきもといふなればすべて/\きこえさすべきかたなくなん

  

身をすてゝうきをもしらぬたびだにも山ぢにふかく思ひこそいれ

といひたるをもていでゝよみきかするにまたいといみじ。かばかりのこともまたいとかくおぼゆるときある物なりけり。はやかへりごとせよとてあれば「をだまきはかく思ひしることもかたきとよと思ひつるを御まへにもいとせきあへぬまでなんおぼしためるをみたてまつるもたゞおしはかり給へ

思ひいづるときぞかなしきおく山のこのした露のいとゞしげきに

となんいふめる。大夫「一日の御かへりいかでたまはらんまたかんだうありなんをもてまゐらん」といへば「なにかは」とてかく。「すなはちきこえさすべく思うたまへしをいかなるにかあらんまうでがたくのみおもひてはべめるたよりになん、まかでんことはいつとも思う給へわかれ ねばきこえさせんかたなく」などかきて「なにごとにかありけん御はしがきはいかなることにかありけんと思う給へいでんにものしかむべければさらにきこえさせず、あなかしこ」などかきていだしたてたれば、れいのときしもあれ雨いたくふり神いといたくなるをむねふたがりてなげく。すこししづまりてくらくなるほどにぞかへりたる。「もののいとおそろしかりつるみさまのわたり」などいふにぞいとぞいみじき。かへりごとを見れば「ひと夜のこゝろばへよりは心よわげにみゆるはおこなひよわりにけるかと思ふにもあはれになん」などぞある。

 そのくれて又の日なましぞくだつ人とぶらひにものしたり。わりごなどあまたあり。まづ「いかでかくは、なにとなどせさせ給ふにかあらん、ことなることあらではいとびんなきわざなり」といふに、心に思ふやう身のあることをかきくづしいふにぞいとことわりといひなりていといたくなく。日ぐらしかたらひてゆふぐれのほどれいのいみじげなることど もいひてかねのこゑどもしはつるほどにぞかへる。心ふかくもの思ひしる人にもあればまことにあはれとも思ひいくらんと思ふに、またの日たびにひさしくもありぬべきさまの物どもあまたある。身にはいひつくすべくもあらずかなしうあはれなり。かへりしそらなかりしことのはのなかに「こだかきみちをわけいりけんとみしまゝにいと/\いみじうなん」などよろづかきて

世中のよのなかならば夏草のしげき山べもたづねざらまし

物を、かくておはしますをみ給へおきてまかりかへることゝ思う給へしにいぬるめもみなくれまどひてなん、あがきみふかくものおぼしみだるべかめるかな

世中は思ひのほかになるたきのふかき山ぢをたれあらせけん

などすべてさしむかひたらんやうにこまやかにかきたり。なるたきといふぞこのまへより行く水なりける。かへりごとも思ひいたるかぎりもの して「たづねたまへりしもげにいかでと思う給へりし」とて

物おもひのふかさくらべにきてみれば夏のしげりもものならなくに

まかでんことはいつともなけれどかくの給ふ事なん思う給へわづらひぬべけれど

身ひとつのうくなるたきをたづぬればさらにかへらぬ水もすみけり

とみればためしある心ちしてなん」などものしつ。また尚侍の殿よりとひ給へる御かへりに心ぼそくかき/\てうはぶみに「にし山より」とかいたるをいかゞおぼしけん又ある御かへりに「とばのおほざとより」とあるをいとをかしと思ひけんもいかなる心々にもたるにかありけん。かくしつゝ日ごろになりながめまさるに、ある修行者みたけよりくまのへおほみねどほりにこえけるがことなるべし

と山だにかゝりけるをとしらくものふかき心はしるもしらぬも

とておとしたりけり。かくなんとみつゝふるほどにある日のひるつかた 大門のかたにむまのいなゝくこゑして人のあまたあるけはひしたり。このまよりみとほしやりたればすがたなほ人あまた見えてあゆみくあり、兵衞佐なめりとおもへば、大夫よびいだして「いままできこえさせざりつるかしこまりとりかさねてとてなんまゐりきたる」といひいれてきかげにたちやすらふさま京おぼえていとをかしかめり。このごろはのちにといひし人ものぼりてあればそれになほしもあらぬやうにあればいたくけしきばみたてり。かへりごとは「いとうれしきみななるをはやくこなたにいりたまへ、さき%\の御不祥はいかでことなかるべくいのりきこえん」と物したれば、あゆみいでゝ勾欄におしかゝりてまづ手水など物していりたり。よろづのことどもいひもてゆくに「むかしこゝはみ給ひしはおぼえさせたまふや」ととへば「いかゞはいとたしかにおぼえて、いまこそかくうとくてもさぶらへ」などいふを思ひまはせば物もいひさしてこゑかはる心ちすればしばしためらへば人もいみじと思ひてとみに 物もいはず。さて「御こゑなどかはらせたまふなるはいとことわりにはあれどさらにかくおぼさじ、よにかくてやみ給ふやうはあらじ」などひがざまに思ひなしてにやあらんいふ。「かくまゐらばよくきこえあはせよとなんのたまひつる」といへば「などか人のさのたまはずともいまにてなん」などいへば「さらばおなじくは今日いでさせたまへ、やがて御ともつかうまつらん、まづはこの大夫のまれ/\京に物してはひだにかたぶけば山でらへといそぐをみ給ふるにいとなんゆゝしき心ちしはべる」などいへどけしきもなければしばしやすらひてかへりぬ。かくのみいでわづらひつゝ人もとぶらひつきぬれば又はとふべき人もなしとぞ心のうちにおぼゆる。

 さてありふるほどに京のこれかれのもとよりふみどもあり。みれば「今日とのおはしますべきやうになんきく、こたみさへおりずばいとつべたましきさまになん世人も思はん、またはたよに物したまはじ、さら んのちに物したらんはいかゞ人わらはえならん」と人々おなじことどもを物したるに、いとあやしきことにもあるかないかにせんこたみはよにしぶらすべくもものせじとおもひさわぐほどに、我がたのむ人ものよりたゞいまのぼりけるまゝにきて天下のことかたらひて「げにかくてもしばしおこなはれよと思ひつるをこのきみいとくちをしうなりたまひにけり、はやなほ物しね、今日も日ならばもろともに物しね、今日も明日もむかへにまゐらん」などうたがひもなくいはるゝにいとちからなく思ひわづらひぬ。「さらばなほあす」とて物せられぬ。つりするあまのうけばかり思ひみだるゝにのゝしりてものきぬ。さなめりと思ふに心ちまどひたちぬ。こたみはつゝむことなくさしあゆみてたゞいりにいればわびて几帳ばかりをひきよせてはたかくるれどなにのかひなし。香もりすゑ數珠かきあげ經うちおきなどしたるをみて「あなおそろしいとかくは思はずこそありつれ、いみじくけうとくてもおはしけるかな、もしいで給 ひぬべくやと思ひてまうできつれどかへりてはつみうべかめり、いかに大夫かくてのみあるをばいかゞ思ふ」ととへば「いとくるしうはべれどいかゞは」とうちうつぶしてゐたれば「あはれ」とうちいひさして「さらばともかくもきんぢがこゝろいで給ひぬべくはくるまよせさせよ」といひもはてぬにたちはしりてちりかひたるものどもたゞとりつゝみふくろにいるべきはいれてくるまどもにみないれさせ、ひきたる軟障などもはなちたぐりたる。ものどもみじ/\ととりはらふふりはらふに心ちはあきれて我れか人かにてあれば、人はめをくはせつゝいとよくゑみてまぼりゐたるべし。「このことかくすればいでたまひぬべきにこそはあめれ、佛にことのよし申したまへ、れいの作法なる」とて天下のさるがうごとをいひのゝしらるめれどゆめに物もいはれずなみだのみうけれどねんじかへしてあるにくるまよせていとひさしくなりぬ。申の時ばかりにものせしを火ともす程になりにけり。つれなくてうごかねば「よし/\ 我はいでなんきんぢにまかす」とてたちいでぬれば「とく/\」と手をとりてなきぬばかりにいへばいふかひもなきにいづる心ちぞさらに我にもあらぬ。大門ひきいづればのりくはゝりてみちすがらうちもわらひぬべきことゞもふさにあれどゆめぢか物ぞいはれぬ。このもろともなりつる人もくらければあへなんとておなじくるまにあればそれぞとき/\いらへなどする。はる%\といたるほどに亥の時になりにたり。京にはひるさるよしいひたりつる人々心づかひしちりかいかどどもあけたりければあれにもあらずながらおりぬ。心ちもくるしければ几帳へだてゝうちふす所に、こゝにある人ひやうとよりきていふ「なでしこのたねとらんとしはべりしかどねもなくなりにけり、くれたけもひとすぢたふれてはべりし、つくろはせしかど」などいふ。たゞいまいはでもありぬべきことかなと思へばいらへもせであるに、ねぶるかと思ひし人いとよくきゝつけて、このひとつくるまにて物しつる人の障子をへだてゝあるに「き い給ふやこゝにことあり、この世をそむきていへをいでゝ菩提をもとむる人に、只今こゝなる人々がいふをきけば、なでしこはなでおほしたりやくれたけはたてたりやとはいふ物か」とかたればきく人いみじうわらふ。あさましうをかしけれど露ばかりわらふけしきもみせず。かゝるぞ夜やう/\なかばばかりになりぬるに「かたはいづかたかふたがる」といふにかぞふればむべもなくこなたふたがりたりけり。「いかにせんいとからきわざかないざもろともにちかき所へ」などあればいらへもせで、あな物ぐるほしいとたとしへなきさまにもあべかなるかなと思ひふしてさらにうごくまじければ「さふりはへこそはすべかなれ、かたあきなばこそはまゐりくべかなれと思ふにれいの心ゆかぬ物いみになりぬべかりけり」などなやましげにいひつゝいでぬ。つとめてふみあり。「夜ふけにければ心ちいとなやましくてなん、いかにぞはやとしみをこそしたまひてめ、この大夫のさもふつゝかにみゆるかな」などぞあめる。なにか はかばかりぞかしと思ひはなるゝ物から物いみはてん日いぶかしきこゝちぞそひておぼゆるに六日をすごして七月三日になりにたり。

 ひるつかた「わたらせ給ふべし、こゝにさぶらへとなんおほせ事ありつる」といふ。ものどももきたればこれかれさわぎて日ごろみだれがはしかりつるところ%\をさへごほ/\とつくるをみるにいとかたはらいたく思ひくらすに、くれはてぬればきたる男ども「御くるまのさうぞくなどもみなしつるをなどいまゝではおはしまさゞらむ」などいふほどにやう/\夜もふけぬ。ある人々「なほあやし、いざひとしてみせにたてまつらん」などいひて見せにやりたる人かへりきて「只今なん御くるまのしやうぞくときて御隨身ばらもみなみだれはべりぬ」といふ。さればよとぞ又思ふにはしたなき心ちすれば思ひなげかるゝことさらにいふかぎりなし。山ならまし時かくむねふたがるめを見ましやとうべもなく思ふ。ありとある人もあやしくあさましと思ひさわぎあへり。ことども三 夜ばかりにこずなりぬるやうにぞ見えたる。いかばかりのことにてとだにきかばやすかるべしと思ひみだるゝほどにまらうどぞ物したる。こゝちのむづかしきにと思へどとかくものいひなどするにぞすこしまぎれたる。さてあけぬれば大夫「なにごとによりてにかありけんとまゐりてきかん」とてものす。「よべはなやみたまふことなんありける、にはかにいとくるしかりしかばなんえ物せずなりにしとなんのたまひつる」といふしもぞきかでぞおいらかにあるべかりけるとぞおぼえたる。さはりにぞあるを、もしとだにきかばなにを思はましと思ひむづかるほどに内侍の殿より御ふみあり。見ればまだ山さととおぼしくていとあはれなるさまにのたまへり。「などかはさしげさまさるすさびをもしたまふらん、されどそれにもさはりたまはぬ人もありときく物をもてはなれたるさまにのみいひなしたまふめればいかなるぞとおぼつかなきにつけても

いもせがはむかしながらのなからば人のゆきゝのかげは見てまし

御かへりには「山のすまひは秋のけしきもみ給へんとせしにまたうき時のやすらひにてなかぞらになん、しげさはしる人もなしとこそ思うたまへし、いかにきこしめしたるにかおぼめかせたまふにもげにまた

よしや身のあせんなげきはいもせ山なか行く水のなもかはりけり

などぞきこゆる。かくてその日をひまにて又ものいみになりぬときく。あくる日こなたふたがりたる。又の日今日をまたみんかしと思ふ心こりずまなるに夜ふけてみえられたり。ひとよのことどもしか%\といひて「こよひだにとていそぎつるをいみたがへにみな人ものしつるをいだしたてゝやがてみすてゝなん」などつみもなくさりげもなくいふ。いふかひもなし。あくれば「しらぬところにものしつる人々いかにとてなん」とていそぎぬ。それよりのちも七八日になりぬ。あがたあるきのところ初瀬へなどあればもろともにとてつゝしむところにわたりぬ。ところかへたるかひなく午時許ににはかにのゝしる。「あさましや、たれかあな たのかどはあけつる」などあるじもおどろきさわぐにふとはひいりて、日ごろ例の香もりすゑておこなひつるもにはかになげちらしずゞもまきてうちあげなどらうがはしきにいとぞあやしき。その日のどかにくらしてまたの日かへる。

 さて七八日許ありて初瀬へいでたつ。巳のときばかりいへをいづ。人いとおほくきらきらしうてものすめり。未の時許に故の按察使の大納言のりやうじ給ひし宇治の院にいたりたり。人はかくてのゝしれどわがこゝろははつかにてみめぐらせば、あはれに心にいれてつくろひ給ふときゝしところぞかし、この月にこそは御はてはしつらめ、ほどなくあれにたるかなとおもふ。こゝのあづかりしけるものゝまうけをしたれば、たてたるもの、のこのなめりとみるもの、とばりすだれあじろびやうぶくろがいのほねにくちばのかたびらかけたる几帳どもゝいとつき%\しきもあはれとのみみゆ。こうじにたるにかぜははらふやうにふきてかしら さへいたきまであればかざがくれつくりてみいだしたるに、くらくなりぬればうぶねどもかゞりびさしともしつゝひとりはさしいきたり。をかしく見ゆることかぎりなし。かしらのいたさのまぎれぬればはしのすまきあげてみいだして、あはれわがこゝろとまうでしたびかへさにあがたのゐんにぞゆきかへりせしこゝなりけり、みし按察使どのゝおはして物などおほせ給ふめりしは、あはれにもありけるかな、いかなるよにさだにありけんとおもひつゞくればめもあはで夜なかすぐるまでながむる。うぶねどもゝのぼりくだりゆきちがふをみつゝは

うへしたとこがるゝことをたづぬればむねのほかにはうぶねなりけり

などおぼえてなほ見れば、あかつきがたにはひきかへていさりといふ物をぞする、又なくをかしくあはれなり。あけぬればいそぎたちてゆくに、にへのゝいけいづみがははじめみしにはたがはであるをみるもあはれに のみおぼえたり。よろづにおぼゆることいとおほかれどいと物さわがしくにぎはゝしきにまぎれつゝあり。かうたてのもりにくるまとゞめてわりごなどものす。みなひとのくちむまげなり。かすがへとて宿院のいとむづかしげなるにとゞまりぬる。あれよりたつほどに雨かぜいみじくふりふゞく。みかさやまをさしてゆくかひもなくぬれまどふ人おほかり。からうじてまうでつきて、みてぐらたてまつりて初瀬ざまにおもむく。あすかにみあかしたてまつりければたゞくぎぬきにくるまをひきかけてみればこだちいとをかしきところなりけり。にはきよげに井もいとのまゝほしければ、むべやどりはすべしといふらんと見えたり。いみじきあめいやまさりなればいふかひもなし。からうじてつばいちにいたりてれいのごととかくしていでたつほどに日も暮れはてぬ。雨や風猶やまず。火ともしたれどふきけちていみじくくらければ夢のみちのこゝちしていとゆゝしくいかなるにかとまでおもひまどふ。からうじてはらへ殿にい たりつきければ雨もしらずたゞみづのこゑのいとはげしきをぞさななりときく。御だうにものするほどに心ちわりなし。おぼろげにおもふことおほかれどかくわりなきに物おぼえずなりにたるべし。なにごとも申さで、あけぬといへどあめ猶おなじやうなり。よべにこりてむげにひるになしつ。おとせでわたるもりのまへをさすがに「あなかま/\」とたゞ手をかきおもてをふりそこらの人のあぎとふやうにすればさすがにいとせんかたなくをかしくみゆ。つばいちにかへりてとしみなどいふめれどわれは猶しやうじなり。そこよりはじめてあるじするところゆきもやらずあり。ものかづけなどするに手をつくしてものすめり。いづみ河水まさりたり。いかになどいふほどに宇治よりふねの上手ぐしてまゐれりといふがわづらはし。「れいのやうにてふとわたり」など男がたにはさだむるを、女がたに「猶ふねにてを」とあればさらばとてみなのりてはる%\とくだる心ちいと興あり。かぢとりよりはじめうたひのゝしる。宇 治ちかきところにてまた車にのりぬ。さてれいのところにはかたあしとてとゞまりぬ。さる用意したりければうかひかずをつくして一かはうきてさわぐ。いざちかくてみんとてきしづらにものたてしぢなどとりもていきておりたればあしのしたにうかひちがふ。こうをどもなどまだみざりつることなればいとをかしうみゆ。きこうじたる心ちなれど夜のふくるもしらずみいりてあれば、これかれ「今はかへらせたまひなんこれよりほかにいまはことなきを」などいへば「さは」とてのぼりぬ。さてもあかずみやればれいの夜ひとよともしわたる。いさゝかまどろめばふなばたをごほ/\とうちたゝくおとにわれをしもおどろかすらんやうにぞさむる。あけてみれば夜のあゆいとおほかり。それよりさべきところどころにやりあかつめるもあらまほしきわざなり。

 日よいほどにたけしかばくらくぞ京にきつきたる。われもやがていづくとおもひつれど人もこうじたりとてえものせず。またの日もひるつか たこゝなるにふみあり。「御むかへにもとおもひしかどもこゝらの御ありきにもあらざりければびんなくおぼえてなん、れいのところにか只今ものす」などあれば人々はや/\とそゝのかしてわたりたればすなはちとみえたり。かうしもあるはむかしのことをたとしへなくおもひいづらんとてなるべし。つとめては「かへりあるじのちかくなりたれば」などつき%\しういひなしつ。あしたのかごとがちになりにたるも今さらにとおもへばかなしうなん。八月といふはあすになりにためればあれより四日れいのものいみとか、あきてふたゝびばかりみえたり。かへりあるじははてゝ「いとふかきやまでらに修法せさすとて」などきく。三四日なりぬれどおとなくてあめいといたくふる日「心ぼそげなる山ずみは人とふものとこそきゝしか、さらぬはつらき物といふ人もあり」とある。かへりごとに「きこゆべきものとは人よりさきにおもひよりながらものとしらせんとてなん、露けさはなごりしもあらじとおもう給ふればよそ のくもむらもあいなくなん」とものしけり。またもたちかへりなどあり。さて三日許のほどに「今日なん」とてようさりみえたり。つねにしもいかなる心のえおもひあへずなりにたればわれからつれなければ人はたつみもなきやうにて七八日のほどにぞわづかにかよひたる。長月のつごもりいとあはれなるそらのけしきなり。まして昨日今日風いとさわぎてしぐれうちしつゝいみじくものあはれにおぼえたり。とほ山をながめやれば紺青をぬりたるとかやいふやうにてあられふるらしともみえたり。「野のさまいかにをかしからん、みがてらものにまうでばや」などいへばまへなる人「げにいかにめでたからん、初瀬にこのたびはしのびたるやうにておぼしたてかし」などいへば「去年も心みんとていみじげにてまうでたりし石山の佛心をまづみはてゝ春つかたさもものせん、そもそもさまでやは猶うくていのちあらん」など心ぼそうていはる。

そでひづる時をだにこそなげきしかみさへしぐれのふりもゆくかな

すべてよにふることかひなくあぢきなき心ちいとするころなり。さながらあけくれて廿日なりにたり。あくればおきくるればふすをことにてあるぞいとあやしく [1]おほゆれどいかゞはせん。けさもみいだしたればやのうへのしもいとしろし。わらはべよべのすがたながらしもくちまじなはんとてさわぐもいとあはれなり。「あなさむ、ゆきはづかしきしもかな」とくちおほひしつゝかゝる身のたのむべかめるひとどものうちきこえごちたゞならずなんおぼえける。神なづきもせちにわかれをしみつゝすぎぬ。しも月もおなじごとにて廿日になりにければ、今日見えたりし人そのまゝに廿餘日あとをたちたり。ふみのみぞふたゝび許みえける。かうのみむねやすからねどおもひつきにたれば心よわき心ちしてともかくもおぼえで。「八日許のものいみしきりつゝなん、たゞいま今日だにとぞおもふ」などあやしきまでこまかなり。はての月の十六日ばかりなり。しばしありてにはかにかいくもりて雨になりぬ。たふるゝかたならんか しとおもひいでゝながむるにくれゆくけしきなり。いといたくふればさはらむにもことわりなればむかしはと許おぼゆるに涙のうかびてあはれにものゝおぼゆればねんじがたくて人いだしたつ。

かなしくもおもひたゆるかいそのかみさはらぬものとならひしものを

とかきていまぞいくらんとおもふほどにみなみおもてのかうしもあげぬところに人のけおぼゆ。人はえしらず、われのみぞあやしとおぼゆるにつまどおしあけてふとはひいりたり。いみじきあめのさかりなればおともえきこえぬなりけり。外に「御車とくさしいれよ」などのゝしるもきこゆ。などかとし月のかうじなりとも今日のまゐりにはゆるされなんとぞおぼゆるよしおほし。「あすはあなたふたがる、あさてよりはものいみなり、すべかめれば」などいとことよし。やりつる人はちがひぬらんとおもふにいとめやすし。夜のまに雨やみにためれば「さらばくれに」 などてかへりぬ。かたふたがりたればむべもなくまつにみえずなりぬ。「よべは人のものしたりしに夜のふけにしかば經などよませてなんとまりにし、れいのいかにおぼしけん」などあり。山ごもりののちはあまがへるといふ名をつけられたりければかくものしけり。「こなたざまならではかたも」などしげくて

おほばこの神のたすけやなかりけんちぎりしことをおもひかへるは

とやうにてれいの日すぎてつごもりになりにたり。いみのところになん夜ごとにとつぐる人あればこゝろやすからでありふるにつき日はさながらおにやらひきぬるとあればあさまし/\とおもひはべるもいみじきに人はわらはおとなともいはず「なやらふ/\」とさわぎのゝしるをわれのみのどかにてみきけば、ことしも心ちよげならんところのかぎりせまほしげなるわざにぞ見えける。ゆきなんいみじうふるといふなり。としのをはりにはなにごとにつけてもおもひのこさざりけんかし。

[1] Nihon Koten Bungaku Taikei (Tokyo: Iwanami Shoten, vol. 20, 1957; hereafter cited as NKBT) reads おぼゆれど.

蜻蛉日記 下

 かくてあけぬれば天禄三年といふめり。今年もうきもつらきもともに心ちはれておぼえなどして大夫さうぞかせていだしたつ。おりはしりてやがてはいするをみればいとどゆゝしうおぼえてなみだぐまし。おこなひもせばやとおもふこよひより不淨なることあるべし。これ人いむといふことなるをまたいかならんとてにかと心ひとつにおもふ。ことしは天下ににくき人ありともおもひなほらじなどしめりておもへばいとこゝろやすし。三日は帝の御かうぶりとて世はさわぐ。あをむまやなどいへども心ちすさまじうて七日もすぎぬ。八日ばかりにみえたる人「いみじうせちゑがちなるころにて」などあり。つとめてかへるにしばしたちどまりたる男どものなかよりかくかきつけて女房の中にいれたり。

しもつけやをけのふたらをあぢきなくかげもうかばぬかゞみとぞみる

そのふたにさけくだものなどいれていだす。かはらけに女房

さしいでたるふたらをみればみをすてゝこのむはたまのこぬとさだめつ

かくてなか/\なるみのびなきにつゝみて世人のさわぐおこなひもせで二七日はすぎぬ。十四日ばかりにふるきうへのきぬ「これいとようして」などいひてあり。「きるべき日は」などあれどいそぎもおもはであるにつかひのつとめて「おそし」とあるに

ひさしとはおぼつかなしやからごろもうちきてなれんさておくらせよ

とあるにたがひてこれよりふみもなくてものしたれば「これかうよろしかめり、きをならさぬがわろさよ」とあり。ねたさにかくものしけり。

わびてまたとくとさわげどかひなくてほどふるものはかくこそありけれ

とものしつ。それよりのち「つかさめしにて」などておとなし。けふは廿三日、まだかうしはあげぬほどにあるひとおきはじめてつまどおしあけて「ゆきこそふりたりけれ」といふほどにうぐひすのはつごゑしたれどことしもまいて心ちもおいすぎてれいのかひなきひとりごともおぼえざりけり。つかさめし廿五日に大納言になどのゝしれどわがためはましてところせきにこそあらめとおもへば御よろこびなどいひおこする人もかへりてはろうずる心ちしてゆめうれしからず。大夫ぞえもいはずしたにはおもふべかめる。又の日ばかり「などかいかにといふまじきよろこびのかひなくなん」などあり。又つごもりの日許に「なにごとかある、さわがしうてなん、などかおとをだに、つらし」などはてはいはんことのなさにやあらんさかさまごとぞある。けふもみづからはおもひかけら れぬなめりとおもへばかへりごとに「御まへまうしこそ御いとまひまなかべかめれどあいなけれ」と許ものしつ。

 かゝれどいまはものともおぼえずなりにたればなか/\いとこゝろやすくて夜もうらもなううちふしてねいりたるほどにかどたゝくにおどろかれてあやしとおもふほどにふとあけてければ心さわがしくおもふほどにつまどぐちにたちて「とくあけ、はや」などあなり。まへなりつる人々もみなうちとけたればにげかくれぬ。みぐるしさにゐざりよりて「やすらひにだになくなりにたればいとかたしや」とてあくれば「さしてのみまゐりくればにやあらん」とありきとか。あかつきがたにまつふく風のおといとあらくきこゆ。こゝらひとりあかす夜かゝるおとのせぬはものゝたすけにこそありけれとまでぞきこゆる。あくれば二月にもなりぬめり。あめいとのどかにふるなり。かうしなどあげつれどれいのやうに心あわたゞしからぬはあめのするなめり。されどとまるかたはおもひか けられず。と許ありて「男どもはまゐりにたりや」などいひておきいでゝ、なよゝかならぬ直衣しほれよいほどなるかいねりのうちきひとかさねたれながら帶ゆるらかにてあゆみいづるに人々「御かゆ」などけしきばむめれば「れいくはぬものなればなにかはなにゝ」と心よげにうちいひて「たちとくよ」とあれば大夫とりてすのこにかたひざつきてゐたり。のどかにあゆみいでゝみまはして「せざいをらうがはしくやきためるかな」などあり。やがてそこもとにあまかははりたるくるまさしよせ、男どもかろらかにてもたげたればはひのりぬめり。したすだれひきつくろひて中門よりひきいでゝさきよいほどにおはせてあるもねたげにぞきこゆる。日ごろいとかぜはやしとてみなみおもてのかうしはあげぬを今日かうてみいだしてと許あればあめよいほどにのどやかにふりて庭うちあれたるさまにてくちばところ%\あをみわたりにけり。あはれとみえたり。ひるつかたかへしうちふきてはるゝがほのそらはしたれどこゝちあ やしうなやましうてくれはつるまでながめくらしつ。三日になりぬる夜ふりけるゆき三四寸許たまりていまもふる。すだれをまきあげてながむれば、「あさなむ」といふこゑこゝかしこにきこゆ。風さへはやし。よの中いとあはれなり。

 さて日はれなどして八日のほどにあがたありきのところにわたりたる。るゐおほくわかき人がちにて箏びはなどをりにあひたるこゑにしらべなどしてうちわらふことがちにてくれぬ。つとめてまらうどかへりぬるのち心のどかなり。たゞいまあるふみを見れば「ながきものいみにうちつゞき着座といふわざしてはつゝしみければけふなんいととくとおもふ」などいとこまやかなり。かへりごとものして、いとゞけにあめれどよにもあらじ、いまは人しれぬさまになりゆくものをとおもひすぐしてあさましううちとけたることおほくてあるところに、むま時許に「おはします/\」とのゝしる。いとあわたゞしき心ちするにはひいりたればあや しく我かひとかにもあらぬにてむかひゐれば心ちもそらなり。しばしありてだいなどまゐりたればすこしくひなどして日くれぬとみゆるほどに「あすかすがのまつりなれば御てぐらいだしたつべかりければ」などてうるはしうひきさうぞきごせんあまたひきつれておどろ/\しうおひちらしていでらる。すなはちこれかれさしあつまりて「いとあやしううちとけたりつるほどにいかにごらんじつらん」などくち%\いとほしげなることをいふに、ましてみぐるしきことおほかりつるとおもふ心ちたゞ身にうじはてられぬるとおぼえける。

 いかなるにかありけん、このごろの日てりみくもりみいとはるさむかるとしとおぼえたり。夜は月あかし。十二日ゆきだち風にたぐひてちりまがふ。むま時許よりあめになりてしづかにふりくらすまゝにしたがひて世中あはれげなり。けふまでおとなき人もおもひしにたがはぬ心ちするを、けふより四日かの物いみにやあらんとおもふにぞすこしのどめた る。十七日あめのどやかにふるにかたふたがりたりとおもふこともあり。世中あはれに心ぼそくおぼゆるほどに、石山に一昨年まうでたりしにこゝろぼそかりし夜な/\だらにいとたふとうよみつゝ禮堂にたゝずむ法師ありき。とひしかば「こぞから山ごもりして侍るなり、ごくだちなり」などいひしかば「さらばいのりせよ」とかたらひし法師のもとよりいひおこせたるやう「いぬる五日の夜のゆめに御二手に月と日とをうけたまひて月をばあしのしたにふみ日をばむねにあてゝいだきたまふとなんみてはべる、これゆめときにとはせ給へ」といひたり。いとうたておどろ/\しとおもふにうたがひそひてをこなるこゝちすれば人にもとかせぬ。ときしもあれ夢あはする物きたるにこと人のうへにてとはすればうべもなくいかなる人の見たるぞとおどろきて、「みかどをわがまゝにおぼしきさまのまつりごとせん物を」とぞいふ。さればよこれがそらあはせにあらず、いひおこせたる僧のうたがはしきなり、あなかまいとにげなし とてやみぬ。又あるものゝいふ「このとのゝみかどをよつあしになすとこそみしか」といへば「これは大臣くぎやういでたまふべきゆめなり、かくまうせば男ぎみの大臣ちかくものしたまふをまうすとぞおぼすらん、さにはあらず、きんだち御ゆくさきのことなり」とぞいふ。またみづからの一昨日の夜みたる夢、みぎの方のあしのうらにをとこかどといふもじをふとかきつくればおどろきてひきいるとみしをとへばこの子のおなじことのみゆなりといふ。これもをこなるべきことなればものぐるほしとおもへどさらぬ御ぞうにはあらねばわがひとりもたる人もしおぼえぬさいはひもやとぞ心のうちにおもふ。かくはあれどたゞいまのごとくにてはゆくすゑさへ心ぼそきにたゞひとりをとこにてあればとしごろもこゝかしこにまうでなどするところにはこのことを申しつくしつればいまはましてかたかるべきとしよはひになりゆくをいかでいやしからざらん人のをんなご一人とりてうしろみもせんひとりある人をもうちかたらひ てわがいのちのはてにもあらせんとこの月ごろおもひたちてこれかれにもいひあはすれば「殿のかよはせたまひし源宰相兼忠とかきこえし人の御むすめのはらにこそ女ぎみいとうつくしげにてものしたまふなれ、おなじうはそれをやはさやうにもきこえさせ給はぬ、いまは志賀のふもとにかのせうとの禪師のきみといふにつきてものし給ふなる」などいふ人あるときに、そよやさる事ありきかし、故陽成院の御のちぞかし、宰相なくなりてまだぶくのうちにれいのさやうのこときゝすぐされぬ心にてなにくれとありしほどにさありしことぞ。人はまづその心ばへにてことにいまめかしうもあらぬうちによはひなどもあうよりにたべければ女はさらんともおもはずやありけん。されどかへりごとなどすめりしほどにみづからふたたび許などものしていかでにかあらんひとへぎぬのかぎりなんとりてものしたりしことどもなどもありしかどわすれにけり。さていかゞありけん

せきこえてたびねなりつるくさまくらかりそめにはたおもほえぬかな

とかいひやり給ふめりし、なほもありしかどかへりこと%\しうもあらざりき。

おぼつかなわれにもあらぬくさまくら又こそしらねかゝるたびねは

とぞありしを「たびかさなりたるぞあやしき」などもろともにぞわらひてき。のち/\しるきこともなくてやありけん、いかなるかへりごとにかかくあめりき。

おきそふるつゆによな/\ぬれこしはおもひのなかにかはく袖かは

などあめりしほどにましてはかなうなりはてにしをのちにきゝしかばありしところに女ごうみたなり、さぞとなんいふなる、さもあらん、こゝにとりてやはおきたらぬなどのたまひし、それなゝりさせんかしなどいひなりてたよりをたづねてきけばこの人もしらぬをさなき人は十二三 のほどになりにけり、たゞそれひとりをみにそへてなんかの志賀のひむがしのふもとにうみをまへにみ志賀の山をしりへにみたるところのいふかたなう心ぼそげなるにあかしくらしてあなるときゝて、みをつめばなにはのことをさるすまひにておもひのこしいひのこすらんとぞまづおもひやりける。かくてことはらのせうとも京にて法師にてあり。こゝにかくいひいだしたるひとしりたりければそれしてよびとらせてかたらはするに「なにかはいとよきことなりとなんおのれはおもふ、そも/\かしこにまぼりてものせんよのなかいとはかなければいまはかたちをもことになしてむとてなんさゝのところにつきごろはものせらるゝ」などいひおきて又の日といふばかりに山ごえにものしたりければことはらにてこまかになどしもあらぬ人のふりはへたるをあやしがる。「なにごとによりて」などありければ、とばかりありてこのことをいひいだしたりければ、まづともかくもあらでいかにおもひけるにかいといみじうなき/\ てとかうためらひて「こゝにもいまはかぎりにおもふみをばさるものにて、かゝるところにこれをさへひきさげてあるをいといみじとおもへどもいかゞはせんとてありつるを、さらばともかくもそこにおもひさだめてものし給へ」とありければ又の日かへりてさゝなんといふ。「うへなきことにてもありけるかな、すぐせやありけんいとあはれなるに、さらばかしこにまづ御ふみをものせさせ給へ」とものすれば「いかゞは」とてかく。「としごろはきこえぬばかりにうけたまはりなれたればおぼつかなくはおぼされずやとてなん、あやしとおぼされぬべきことなれどこの禪師のきみに心ぼそきうれへをきこえしをつたへきこえたまひけるにいとうれしくなんのたまはせしとうけたまはればよろこびながらなんきこゆる、けしうつゝましきことなれどあまたとうけたまはるにはむつまじきかたにてもおもひはなち給ふやとてなん」などものしたれば又の日かへりごとあり。「よろこびて」などありていと心ようゆるしたり。か のかたらひけることのすぢもぞこのふみにある。かつはおもひやる心ちもいとあはれなり。よろづかき/\て「かすみにたちこめられてふでのたちどもしられねばあやしく」とあるもげにとおぼえたり。

 それよりのちもふたたび許ふみものしてことさだまりはてぬればこの禪師たちいたりて京にいだしたてけり。たゞひとりいだしたてけんもおもへばはかなし。おぼろげにてかくあらんや、たゞおやもしみ給はゞなどにこそはあらめ、さおもひたらんにわがもとにておなじごとみることかたからんこと、またさともなからん時なか/\いとほしうもあるべきかななどおもふ心そひぬれどいかゞはせん、かくいひちぎりつればおもひかへるべきにもあらず。この十九日よろしき日なるをとさだめてしかばこれむかへにものす。しのびてたゞきよげなるあじろぐるまにむまにのりたるをのこども四人しも人はあまたあり。大夫やがてはひのりてしりにこのことにくちいれたる人とのせてやりつ。けふめづらしき消息あ りつれば「さもぞある、ひきあひてはあしからんいととくものせよ、しばしはけしきみせじ、すべてありやうにしたがはん」などさだめつるかひもなくさきだゝれにたればいふかひなくてあるほどにと許ありてきぬ。「大夫はいづこにいきたりつるぞ」とあればとかういひまぎらはしてあり。ひごろもかくおもひまうけしかば「みの心ぼそさに人のすてたる子をなんとりたる」などものしおきたれば「いでみん、たが子ぞ、我いまはおいにたりとてわかうどもとめてわれをかんだうしたまへるならん」とあるにいとをかしうなりて「さはみせたてまつらん、御子にし給はんや」とものすれば「いとよかなり、させん、なほ/\」とあればわれもとういぶかしさによびいでたり。きゝつるとしよりもいとちひさういふかひなくをさなげなり。ちかうよびよせて「たて」とてたてたればたけ四尺許にてかみはおちたるにやあらんすそさきたる心ちしてたけに四すん許ぞたらぬ。いとらうたげにてかしらつきをかしげにて容體いとあて はかなり。みて「あはれいとらうたげなめり、たが子ぞ、なほいへ/\」とあればはぢなかめるをさはれあらはしてむとおもひて「さはらうたしと見給ふや、きこえてん」といへばましてせめらる。「あなかしがまし御子ぞかし」といふにおどろきて「いかに/\いづれぞ」とあれどとみにいはねば「もしさゝのところにありときゝしか」とあれば「さなめり」とものするに「いといみじきことかな、いまははふれうせにけんとこそみしか、かうなるまでみざりけることよ」とてうちなかれぬ。この子もいかにおもふにかあらんうちうつぶしてなきゐたり。みる人もあはれにむかしものがたりのやうなればみななきぬ。ひとへのそであまたたびひきいでつゝなかるればいとうちつけにも。「ありきにはいまはこじとするところにかくていましたること、われゐていなん」などたはぶれいひつゝ夜ふくるまでなきみわらひみしてみなねぬ。

 つとめてかへらんとてよびいだしてみていとらうたがりけり。「いま ゐていなん、くるまよせばふとのれよ」とうちわらひていでられぬ。それよりのちふみなどあるにはかならず「ちひさき人はいかにぞ」などしばしばあり。さて廿五日の夜よひうちすぎてのゝしる。火のことなりけり。「いとちかし」などさわぐをきけばにくしとおもふところなりけり。その五六日はれいのものいみときくを「みかどのしたよりなん」とてふみあり。なにくれとこまやかなり。いまはかゝるもあやしとおもふ。七日はかたふたがる。八日の日ひつじの時ばかりに「おはします/\」とのゝしる。中門おしあけてくるまごめひきいるゝをみれば、御前の男どもあまたながえにつきてすだれまきあげしたすだれ左右おしはさみたり。しぢもてよりたればおりはしりて紅梅のたゞいまさかりなるしたよりさしあゆみたるに、にげなうもあるよしうちみあげつゝ「あなおもしろ」といひつゝあゆみのぼりぬ。

 さての日をおもひたれば又みなみふたがりにけり。「などかはさはつ げざりし」とあれば「さきこえたらましかばいかゞあるべかりける」とものすれば「たがへこそはせましか」とあり。おもふこゝろをやいまよりこそは心みるべかりけれなどなほもあらじにたれもものしけり。「ちひさき人には手ならひうたよみなどをしへ、こゝにてはけしうはあらじと思ふをおもはずにてはいとあしからん、いまかしこなるともろともに裳着せん」などいひて日くれにけり。「おなじうは院へまゐらん」とてのゝしりていでられぬ。このごろそらのけしきなほりたちてうら/\とのどかなり。あたゝかにもあらずさむくもあらぬ風梅にたぐひてうぐひすをさそふ。にはとりのこゑなどさま%\なごうきこえたり。やのうへをながむればすくふすゞめどもかはらのしたをいでいりさへづる。にはのくさこほりにゆるされがほなり。

 うるふ二月のついたちの日あめのどかなり。それよりのち天はれたり。三日かたあきぬとおもふをおとなし。四日もさてくれぬるをあやしとお もふ/\ねてきけば、夜中許に火のさわぎするところあり。ちかしときけど物うくておきもあがられぬを、これかれとふべき人かちからあるまじきもあり。それにぞおきていでゝこたへなどして「ひしめりぬめり」とてあかれぬればいりてうちふすほどにさきおふものかどにとまる心ちす。あやしときくほどに「おはします」といふ。ともし火のきえてはひいりにくらければ「あなくら、ありつるものをたのまれたりけるにこそありけれ、ちかき心ちのしつればなん、いまはかへりなんかし」といふ/\うちふして「よひよりまゐりこまほしうてありつるを、をのこどももみなまかりでにければえものせで、むかしならましかば馬にはひのりてもものしなまし、なでふみにはあらむ、なにばかりのことあらばかはとてきなんなどおもひつゝねにけるをかうのゝしりつればいとをかし、あやしうこそありつれ」など心ざしありげにありけり。あけぬれば「くるまなどことやうならん」とていそぎかへられぬ。六七日ものいみとき く。八日あめふる。よるはいしのうへのこけくるしげにきこえたり。

 十日かもへまうづ。しのびてもろともにといふ人あれば「なにかは」とてまうでたり。いつもめづらしき心ちするところなれば今日も心のばゆる心ちあらたまるべしなどするもかうしひけるはとみゆらん。さきのとほり北野にものすればさはべにものつむをむなわらはべなどもあり。うちつけにゑぐつむかとおもへばもすそおもひやられけり。船岡うちめぐりなどするもいとをかし。くらういへにかへりてうちねたるほどにかどいちはやくたゝく。むねうちつぶれてさめたればおもひのほかにさなりけり。心のおにはもしこゝちかきところにさはりありてかへされてにやあらんとおもふに、人はさりげなけれどうちとけずこそおもひあかしけれ。つとめてすこし日たけてかへる。

 さて五六日許あり。十六日あめのあしいと心ぼそし。あくればこのぬるほどにこまやかなる文みゆ。「今日はかたふたがりたりければなんい かゞせん」などあべし。かへりごとものしてと許あればみづからなり。ひもくれがたなるをあやしとおもひけんかし。夜にいりて「いかにみてぐらをやたてまつらまし」などやすらひのけしきあれど「いとようないことなり」などそゝのかしいだす。あゆみいづるほどに「あいなう夜かずにはしもせじとす」としのびやかにいふをきゝ「さらばいとかひなからん、ことよはありとかならずこよひは」とあり。それもしるくそののちおぼつかなくて八九日許になりぬ。かくおもひおきて「かずには」とありしなりけりとおもひあまりて、たまさかにこれよりものしけること

かたときにかへしよかずをかぞふればしぎのもろはもたゆしとぞなく

かへりごと

いかなれやしぎのはねがきかずしらずおもふかひなきこゑになくらん

とはありけれど、おどろかしてもくやしげなるほどをなんいかなるにかとおもひける。このごろにはもはらにはなふりしきてうみともなりなんとみえたり。けふは廿七日あめ昨日のゆふべよりくだり風ののちのはなをはらふ。

 三月になりぬ。このめすゞめがくれになりてまつりのころおぼえてさかきふえこひしういとものあはれなるにそへてもなどなにごとを猶おどろかしけるもくやしうれいのたえまよりもやすからずおぼえけんはなにの心にかありけん。この月七日になりにけり。今日ぞ「これぬひて、つゝしむことありてなん」とあり。めづらしげもなければ「給はりぬ」などつれなうものしけり。ひるほどよりあめのどかにはじめたり。十日おほやけは八幡のまつりのことゝのゝしる。我はひとのまうづめるところあめるにいとしのびていでたるに、ひるつかたかへりたればあるじのわかき人々「いかでものみん、まだわたらざなり」とあればかへりたるく るまもやがていだしたつ。又の日かへさみんとひと%\のさわぐにも心ちいとあしうてふしくらさるればみん心ちなきに、これかれそゝのかせばびらうひとつに四人許のりていでたり。冷泉院のみかどのきたのかたにたてり。こと人おほくもみざりければ人ひとり人ごゝちしてたてれば、と許ありてわたる人わがおもふべき人もべいじゆうひとりまひ人にひとりまじりたり。

 このごろことなることなし。十八日にきよみづへまうづる人に又しのびてまじりたり。そやはてゝまかづれば時は子許なり。もろともなる人のところにかへりてものなどものするほどに、あるものども「このいぬゐのかたにひなんみゆるにいでゝみよ」などいふなれば「もろまちぞ」などいふなり。うちにはなほくるしきわたりなどおもふほどに人々「かうのとのなりけり」といふにいとあさましういみじ。わがいへもついひぢ許をへだてたればさわがしうわかき人をもまどはしやしつらん、いか でわたらんとまどふにしもくるまのすだれはかけられけるものかは。からうじてのりてこしほどにみなはてにけり。わがかたからくのこり、あなたの人もこなたにつどひたり。こゝには大夫ありければ、いかにつちにやはしらすらんとおもひつる人もくるまにのせ、かどつようなどものしたりければらうがはしきこともなかりけり。あはれをのことてようおこなひたりけるよとみきくもかなし。わたりたる人々はたゞいのちのみわづかなりとみなげくまに火しめりはてゝしばしあれどとふべき人はおとづれもせず。さしもあるまじきところ%\よりもとひつくして、このわたりならんやのうたがひにていそぎみえしよゝもありしものを、ましてもなりはてにけるあさましさかな、さなんとかたるべき人はさすがに雜色やさぶらひやときゝおよびけるかぎりはかたりつときゝつるを、あさまし/\とおもふほどにぞかどたゝく。人みて「おはします」といふにぞすこし心おちゐておぼゆる。さて「こゝにありつるをのこどものき てつげつるになんおどろきつる、あさましうこざりけるがいとほしきこと」などあるほどにと許になりぬればとりもなきぬときゝ/\ねにければことしも心ちよげならんやうにあさいになりにけり。いまもとふ人あまたのゝしりはせてなのりもしたり。「さわがしうぞなりまさらん」とていそがれぬ。

 しばしありてをとこのきるべきものどもなどかずあまたあり。「とりあへたるにしたがひてなん、かみにまづ」とてありける。「かくあつまりたる人にものせよ」とていそぎける。いひにはかにひはだのすぎいろにてしたり。いとあやしければみざりき。ものとひなどすれば「三人許やまひごと、くぜち」などいひたり。廿日はさてくれぬ。一日の日より四日れいのものいみときく。こゝにつどひたりし人々はみなみふたがるとしなればしばしもあらじかし。廿日あがたありきのところへみなわたられにたり。心もとなきことはあらじかしとおもふにわが心うきぞまづ おぼえけんかし。かくのみうくおぼゆるみなればこのいのちをゆめ許をしからずおぼゆる。このものいみどもははしらにおしつけてなどみゆるこそ、もしもをしからんみのやうなりけれ。その廿五六日にものいみなり。なりはつる夜しもかどのおとすれば、かうてなんかたうさしたるとものすれば、たふるゝかたにたちかへるおとす。又の日はれいのかたふたがるとしる/\ひるまにみえて「御たいまつ」といふほどにぞかへる。それよりれいのさはりしげくきこえつゝ日へぬ。こゝにもものいみしげくて四月は十餘日になりにたれば、よにはまつりとてのゝしるなり。人しのびてとさそへばみそぎよりはじめてみる。わたくしの御てぐらたてまつらんとてまうでたれば、一條のおほきおとゞまうであひ給へり。いといかめしうのゝしるなどいへばさらなり。さしあゆみなどしたまへるさまいたうに給へるかなとおもふに、大方の儀式もこれにおとることあらじかし。これを「あなめでた、いかなる人」などおもふ人もきく人も いふをきくぞいとゞものはおぼえけんかし。さる心ちなからん人にひかれて又知足院のわたりにものする日大夫もひきつゞけてあるに、くるまどもかへるほどによろしきさまにみえける女ぐるまのしりにつゞきそめにければ、おくれずおひきければ、いへをみせじとにやあらんとくまぎれいきにけるをおひてたづねはじめて又の日かくいひやるめり。

おもひそめ物をこそおもへ今日よりはあふひはるかになりやしぬらん

とてやりたるに、「さらにおぼえず」などいひけんかし。されど又

わりなくもすぎたちにけるこゝろかなみわの山もとたづねはじめて

といひやりけり。大和だつ人なるべし。

かへし

みわの山まちみることのゆゝしさにすぎたてりともえこそしらせね

となん。

 かくてつごもりになりぬれど人はうのはなのかげにもみえずおとだになくてはてぬ。廿八日にぞれいのひもろぎのたよりに「なやましきことありて」などありき。五月になりぬ。さうぶのねながきなどこゝなるわかきひとさわげばつれ%\なるにとりよせてつらぬきなどす。「これかしこにおなじほどなる人にたてまつれ」などいひて

かくれぬにおひそめにけるあやめ草しる人なしにふかきしたねを

とかきてなかにむすびつけて大夫のまゐるにつけてものす。かへり事

あやめぐさねにあらはるゝ今日だにはいつかとまちしかひもありけれ

大夫いまひとつとかくしてかのところに

わがそではひくとぬらしつあやめ草人のたもとにかけてかはかせ

御かへりごと

ひきつらんたもとはしらずあやめ草あやなきそでにかけずもあらな

といひたなり。

 六日のつとめてよりあめはじまりて三四日ふる。かはとまさりて人ながるといふ。それもよろづをながめおもふにいといふかぎりにもあらねどいまはおもなれにたることなどはいかにも/\おもはぬに、このいし山にあひたりし法師のもとより「御いのりをなんする」といひたるかへりごとに「いまはかぎりにおもひはてにたるみをばほとけもいかゞし給はん、たゞいまはこの大夫を人々しくてあらせ給へなど許を申し給へ」とかくにぞなにとにかあらんかきくらしてなみだこぼるゝ。十日になりぬ。今日ぞ大夫につけてふみある。「なやましきことのみありつゝおぼつかなきほどになりにけるをいかに」などぞある。かへりごと又の日ものするにぞつくる。「昨日はたちかへりきこゆべくおもひたまへしをこのたよりならではきこえんこともびなき心ちになりにければなん、いか にとのたまはせたるはなにかよろづことわりにおもひたまふべきこころならねばなか/\いと心やすくなんなりにたる、風だにさむくときこえさすればゆゝしや」とかきけり。ひくれて「かものいづみにおはしつれば御かへりもきこえでかへりぬ」といふ。「めでたのことや」とぞ心にもあらでうちいはれける。このごろくものたゝずまひしづごゝろなくてともすればたごのもすそおもひやらるゝ。ほとゝぎすのこゑもきかず。ものおもはしき人はいこそねられざなれ、あやしう心ようねらるゝけなるべし。これもかれも「一夜きゝき、このあかつきにもなきつる」といふを、人しもこそあれわれしもまだしといはんもいとはづかしければ物いはで心のうちにおぼゆるやう

我ぞげにとけてぬらめやほとゝぎすものおもひまさる聲となるならん

とぞしのびていはれける。かくてつれ%\と六月になしつ。ひんがしおもてのあさひのけいとくるしければみなみのひさしにいでたるに、つゝ ましき人のけぢかくおぼゆればやをらかたはらふしてきけばせみのこゑいとしげうなりにたるを、おぼつかなうてまだみゝをやしなはぬおきなありけり。にははくとてはゝきをもちてきのしたにたてるほどに、にはかにいちはやうなきたればおどろきてふりあふぎていふやう「よいぞよいぞといふなはぜみきにけるは、むしだにときせちをしりたるよ」とひとりごつにあはせてしか/\となきみちたるにをかしうもあはれにもありけんこゝちぞあぢきなかりける。大夫そばのもみぢのうちまじりたるえだにつけてれいのところにやる。

なつやまのこのした露のふかければかつぞなげきのいろもえにける

かへりごと

つゆにのみいろもえぬればことのはをいくしほとかはしるべかるらん

などいふほどによひになりてめづらしきふみこまやかにてあり。廿餘日 いとたまさかなりけり。あさましきことゝめなれにたればいふかひなくて、なかごろなきさまにもてなすもわびぬればなめりかしとかつおもへばいみじうなんあはれにありしよりけにいそぐ。そのころあがたありきのいへなくなりにしかばこゝにうつろひて、 類おほくことさわがしくてあけくるゝも人めもいかにとおもふ心あるまでおとなし。七月十餘日になりてまらうどかへりぬれば、なごりなうつれ%\にてぼにのことのふうなどさま%\になげく人々のいきざしをきくもあはれにもありやすからずもあり。四日れいのごと調じてまどころのおくりぶみそへてあり。いつまでかうだにと物はいはでおもふ。

 さながら八月になりぬ。ついたちの日あめふりくらす。しぐれだちたるにひつじの時ばかりにはれてくつ/\ぼうしいとかしがましきまでなくをきくにも我だにものはといはる。いかなるにかあらんあやしうも心ぼそうなみだうかぶ日なり。たゝんつきにしぬべしといふさとしもした ればこの月にやともおもふ。すまひの還あるじなどものゝしるをばよそにきく。十一日になりていとおぼえぬゆめみたりとて、かうてなどれいのまことにしもあるまじきこともおほかれど本にもかく

 ものもいはれねば「などかものもいはれぬ」とあり。「なにごとをかは」といらへたれば「などかこぬ、とはぬ、にくし、あからしとてうちもつみもし給へかし」といひつゞけらるれば「きこゆべきかぎりの給ふめればなにかは」とてやみぬ。つとめて「いまこのけいめいすぐしてまゐらんよ」とてかへる。十七日にぞ還あるじときく。つごもりになりぬればちぎりしけいめいおほくすぎぬれどいまはなにごともおぼえず。つつしめといふ月日ちかうなりにけることをあはれと許おもひつゝふる。

 大夫れいのところにふみやる。さき%\のかへりごとどもみづからのとはみえざりければうらみなどして

ゆふされのねやのつま%\ながむればてづからのみぞくももかきけ

とあるをいかゞおもひけんしろいかみにもののさきにしてかきたり。

くものかくいとぞあやしき風ふけばそらにみだるゝものとしる/\

たちかへり

つゆにてもいのちかけたるくものいにあらきかぜをばたれかふせがむ

くらしとてかへりごとなし。又の日昨日のしらかみおもひいでゝにやあらんかくいふめり。

たじまのやくゝひのあとを今日みればゆきのしらはましろくてはみし

とてやりたるを、物へなんとてかへりごとなし。又の日「かへりにたりやかへりごと」とことばにてこひにやりたれば「昨日のはいとふるめかしき心ちすればきこえず」といはせたり。又の日「一日はふるめかしと かいとことわりなり」とて

ことわりやいはでなげきしとし月もふるのやしろのかみさびにけん

とあれど「けふあすはものいみ」とかへりごとなし。あくらんとおもふ日のまだしきに

夢ばかりみてしばかりにまどひつゝあくるぞおそきあまのとざしは

このたびもとかういひまぎらはせば又

さもこそはかつらぎ山になれたらめたゞひとことやかぎりなりける

たれかならはせる」となん。わかき人こそかやういふめれ。

 我ははるのよのつねあきのつれ%\いとあはれふかきながめをするよりは、のこらん人のおもひいでにもみよとて繪をぞかく。さるうちにもいまやけふやとまたるゝいのちやう/\つきたちて日もゆけば、さればよよもしなじものを、さいはひある人こそ命はつゞむれとおもふにうべもなく九月もたちぬ。廿七八日のほどに土をかすとてほかなる夜しもめ づらしきことありけるを、人つげにきたるもなにごともおぼえねば「う」とてやみぬ。かみな月れいのとしよりもしぐれがちなるこゝちなり。十餘日のほどにれいのものする山でらにもみぢも見がてらとこれかれいざなはるればものす。けふしもしぐれふりみふらずみひねもすにこの山いみじうおもしろきほどなり。ついたちの日一條の太政のおとゞうせ給ひぬとのゝしる。れいの「あないみじ」などいひてきゝあへる夜はつゆき七八寸のほどたまれり。あはれいかできんだちあゆみ給ふらんなどわがすることもなきまゝにおもひをれば、れいの世中いよ/\さかえのゝしる。しはすの廿日あまりにみえたり。さてとしくれはてぬればれいのこととてのゝしりあかして三四日もなりにためれどこゝにはあらたまれる心ちもせず。うぐひす許ぞいつしかおとしたるをあはれときく。五日許のほどにひるみえ、又十餘日廿日許に人ねくたれたるほどみえ、この月ぞすこしあやしとみえたる。このごろつかさめしとてれいのいとまなげ にのゝしるめる。

 二月になりぬ。紅梅のつねのとしよりもいろこくめでたうにほひたり。わが心ちにのみあはれとみるなれどなにとみたる人なし。大夫ぞをりてれいのところにやる。

かひなくてとしへにけりとながむればたもともはなのいろにこそしめ

かへりごと

としをへてなどかあやなきそらにしも花のあたりをたちはそめけん

といへり。なほありのことやとまちみる。さてついたち三日のほどにむま時ばかりにみえたり。老いてはづかしうなりにたるにいとくるしけれどいかゞはせん。と許ありて「かたふたがりたり」とてわがそめたるともいはじにほふ許のさくらがさねのあや、文はこぼれぬばかりしてかたもんのうへのはかまつや/\としてはるかにおひちらしてかへるをきゝ つゝ、あなくるしいみじうもうちとけたりつるかななどおもひて、なりをうちみればいたうしほなえたり、かゞみをうち見ればいとにくげにはあり。また此度うじはてぬらんとおもふことかぎりなし。かゝることをつきせずながむるほどについたちよりあめがちになりにたればいとどなげきのめをもやすとのみなんありける。

 五日、夜中許によの中さわぐをきけばさきにやけにしにくどころこたみはおしなぶるなりけり。十日許にまたひるつかたみえて「かすがへなんまうづべきほどのおぼつかなさに」とあるもれいならねばあやしうおぼゆ。二月十五日に院の小弓はじまりていでんなどのゝしる。まへしりへわきてさうぞけば、そのこと大夫によりとかうものす。その日になりてかんだちめあまた「ことしやむごとなかりけり、こゆみおもひあなづりてねんぜざりけるを、いかならんとおもひたればさいそにいでゝもろやしつ、つぎ/\あまたのかずこのやになんさしてかちぬる」などのゝ しる。さて又二三日すぎて大夫「のちのもろやはかなしかりしかな」などあればまして我も。おほやけにはれいのそのころ八幡のまつりになりぬ。つれ%\なるをとてしのびやかにたてれば、ことにはなやかにていみじうおひちらすものく、たれならむとみれば御せんどもの中にれいみゆる人などあり。さなりけりとおもひてみるにもまして我がみいとはしき心ちす。すだれまきあげ、したすだれおしはさみたればおぼつかなきこともなし。このくるまを見つけてふとあふぎをさしかくしてわたりぬ。御文あり。かへりごとのはしに「昨日はいとまばゆくてわたりたまひにきとかたるは、などかはさはせでぞなりけん、わか/\しう」とかきたりけり。かへりごとには「老いのはづかしさにこそありけめ、まばゆきさまにみなしけん人こそにくけれ」などぞある。

 又かきたえて十餘日になりぬ。日ごろのたえまよりはひさしき心ちすればまたいかになりぬらんとぞおもひける。大夫れいのところにふみも のする。ことづけてもあらず、これよりもいとをさなきほどのことをのみいひければかうものしけり。

みがくれのほどといふともあやめぐさなほしたからんおもひあふやと

かへりごとなほ/\し

したからんほどをもしらずまこも草よにおひそめし人はかるとも

かくて又廿餘日のほどにみえたり。さて三四日のほどにちかう火のさわぎす。おどろきさわぎするほどにいととくみえたり。風ふきてひさしううつりゆくほどにとりすぎぬ。「さらなれば」とてかへる。こゝにとみきゝける人は「まゐりたりつるよしきこえよとてかへりぬときくもおもだゝしげなりつる」などかたるもくしはてにたるところにつけてみゆるならんかし。又つごもりの日許にあり。はひいるまゝに「火などちかき夜こそにぎはゝしけれ」とあれば「ゑじのたくはいつも」と見えたり。 五月のはじめの日になりぬれば、れいの大夫

うちとけてけふだにきかんほとゝぎすしのびもあへぬときはきにけり

かへりごと

ほとゝぎすかくれなきねをきかせてはかけはなれぬるみとやなるらん

五日

ものおもふにとしへけりともあやめ草けふをたび/\すぐしてぞしる

かへりごと

つもりけるとしのあやめもおもほえずけふもすぎぬる心みゆれば

とぞある。いかにうらみたるにかあらんとぞあしがりける。

 さてれいのものおもひはこのつきも時々おなじやうなり。廿日のほど に「とほうものする人にとらせん、このゑぶくろのうちにふくろむすびて」とあればむすぶほどに「いできにたりや、うたをひとゑぶくろいれて給へ、こゝにいとなやましうてえよむまじ」とあればいとをかしうて「の給へるものあるかぎりよみいれてたてまつるを、もしもりやうせん、ことふくろをぞ給はまし」とものしつ。二日許ありて「心ちのいとくるしうてもことひさしければなん、ひとゑぶくろといひたりしものをわびてかくなんものしたりし、かへしかう/\」などあまたかきつけて「いとようさだめて給へ」とてあめもよにあればすこしなさけある心ちしてまちみる。おとりまされりはみゆれどさかしうことわらんもあいなくてかうものしけり。

こちとのみ風のこゝろをよすめればかへしはふくもおとるらんかし

と許ぞものしける。

 六七月おなじほどにありつゝはてぬ。つごもり廿八日に「すまひのこ とによりうちにさぶらひつれどこちものせんとてなんいそぎいでぬる」などてみえたりし人そのまゝに八月廿餘日までみえず。きけばれいのところにしげくなんときく。うつりにけりと思ふ。かううつし心もなくてのみあるに、すむところはいよ/\あれゆくをひとずくなにもありしかば人にものしてわがすむところにあらせんといふことを我がたのむ人さだめて今日あすひろはたなかがはのほどにわたりぬべし。さべしとはさき%\ほのめかしたれど今日などもなくてやはとてきこえさすべきことものしたれど「つゝしむことありてなん」とてつれもなければ「なにかは」とておともせでわたりぬ。山ちかうかはらかたかげなるところに今は心のほしきにいりたればいとあはれなるすまひとおぼゆ。二三日になりぬれどしりげもなし。五六日許「さりけるをつげざりける」と許あり。かへりごとに「さなんとはつげきこゆべしとなんおもひしかどびなきところにはたかたうおぼえしかばなん、みたまひなれにしところにていま ひとたびきこゆべくは思ひし」などたえたるさまにものしつ。「さもこそはあらめ、びなげなればなん」とてあとをたちたり。九月になりてまだしきにかうしをあげてみいだしたれば、うちなるにもとなるにもかはぎりたちわたりてふもともみえぬ山のみやられたるもいとものがなしうて

ながれてのとことたのみてこしかども我がなかがははあせにけらしも

とぞいはれける。ひんがしのかどのまへなる田どもかりてゆひわたしてかけたり。たまかさにもみえとふ人にはあをいねからせて馬にかひやいごめせさせなどするわざにおりたちてあり。小鷹の人もあればたかども外にたちいでゝあそぶ。れいのところにおどろかしにやるめり。

さごろものつまもむすばぬたまのをのたえみたえずみよをやつくさん

かへりごとなし。又ほどへて

つゆふかき袖にひえつゝあかすかなたれながきよのかたきなるらん

かへりごとあれどよしかゝじ。

 さて廿餘日にこの月もなりぬれどあとたえたり。あさましさは「これして」とてふゆのものあり。「御ふみありつるははやおちにけり」といへば「おろかなるやうなり、かへりごとせぬにてあらん」とてなにごとともしらでやみぬ。ありしものどもはしてふみもなくてものしつ。そののちゆめのかよひぢたえてとしくれはてぬ。つごもりにまた「これしてとなん」とてはてはふみだにもなうてぞしたがさねある。いかにせましとおもひやすらひてこれかれにいひあはすれば「なほこのたびばかり心みにせよ、いといみたるやうにのみあればか」とさだむることありて、とゞめてきたなげなくしてついたちの日大夫にもたせてものしたれば、「いときよくなりぬとなんありつる」とてやみぬ。あさましといへばお ろかなり。さてこのしもつきにあがたありきのところにうぶやのことありしをえとはですぐしてしを、いかになりにけん、これにだにと思ひしかどこと%\しきわざはえものせず、ことほぎをぞさま%\にしたる。れいのことなり。しろうてうじたるにむめのえだにつけたるに

ふゆごもりゆきにまどひしをりすぎてけふぞかきねのむめをたづぬる

とて帶刀のをさそれがしなどいふ人つかひにて夜にいりてものしけり。つかひつとめてぞかへりたる。うすいろのうちきひとかさねかづきたり。

えだわかみゆきまにさけるはつはなはいかにととふににほひますかな

などいふほどにおこなひのほどもすぎぬ。「しのびたるかたにいざ」とさそふ人もあり。「なにかは」とてものしたれば人おほうまうでたり。たれとしるべきにもあらなくにわれひとりくるしうかたはらいたし。は らへなどいふところに垂氷いふかたなうしたり。をかしうもあるかなとみつゝかへるに、おとななるものゝわらはさうずくしてかみをかしげにてゆくあり。みればありつるこほりをひとへのそでにつゝみもたりてくひゆく。ゆゑあるものにやあらんと思ふほどにわがもろともなる人ものをいひかけたれば氷くゝみたるこゑにて「麻呂をのたまふか」といふをきくにぞなほものなりけりとおもひぬる。かしらついて「これくはぬ人は思ふことならざるは」といふ。まが/\しう、さいふものゝ袖ぞぬらすめるとひとりごちて又思ふやう

わがそでのこほりははるもしらなくに心とけても人の行くかな

かへりて三日許ありて賀茂にまうでたり。ゆき風いふかたなうふりくらがりてわびしかりしにかぜおこりてふしなやみつるほどにしもつきにもなりぬ。しはすもすぎにけり。十五日儺火あり。大夫の雜色のをのこどもなびすとてさわぐをきけばやう/\よひすぎて「あなかまや」などい ふこゑきこゆる。をかしさにやをらはしのかたにたちいでゝみいだしたればつきいとをかしかりけり。ひんがしざまにうちみやりたれば山かすみわたりていとほのかに心すごし。はしらによりたちておもはぬやまなくおもひたてれば八月よりたえにし人はかなくてむつきにぞなりぬるかしとおぼゆるまゝになみだぞさくりもよゝにこぼるゝ。さて

もろごゑになくべきものをうぐひすはむつきともまだしらずやあるらん

とおぼえたり。

 廿五日に大夫しもなにがしなどにもきほひおこなひなどす。などぞすらんと思ふほどにつかさめしのことあり。めづらしきふみにて「むまのすけになん」とつげたり。こゝかしこによろこびものするにそのつかさのかみをぢにさへものしたまへばまうでたりけり。いとかしこうよろこびてことのついでに「殿にものし給ふなるひめぎみはいかゞものし給ふ、 いくつにか御としなどは」ととひけり。かへりてさなんとかたれば、いかできゝ給ひけんなに心もなくおもひかくべきほどしあられねばやみぬ。そのころ院ののりゆみあべしとてさわぐ。かみもすけもおなじかたにいていの日々にはいきあひつゝおなじことをのみの給へば「いかなるにかあらん」などかたるに、二月廿日のほどにゆめにみるやう本

コノトコロ脱文アルベシ

あるところにしのびておもひたつ。なに許ふかくもあらずといふべきところなり。のやきなどするころの、はなはあやしうおそきころなればをかしかるべきみちなれどまだし。いとおくやまはとりのこゑもせぬものなりければうぐひすだにおとせず。水のみぞめづらかなるさまにわきかへりながれたる。いみじうくるしきまゝに、かゝらであるひともありかし、うきみひとつをもてわづらふにこそはあめれと思ふ/\、いりあひつぐるほどにぞいたりあひたる。みあかしなどたてまつりてひとすぢ許 たちゐするほどいとゞくるしうて、夜あけぬときくほどにあめふりいでぬ。いとわりなしとおもひつゝ法師の坊にいたりて「いかがすべき」などいふほどにことゝあけはてゝ「みのかさや」と人はさわぐ。我はのどかにてながむればまへなる谷よりくもしづ/\とのぼるにいとものがなしうて

おもひきやあまつそらなるあまぐもをそでしてわくる山ふまんとは

とぞおぼえけらし。あめいふかたなけれどさてあるまじければとかうたばかりていでぬ。あはれなる人のみにそひてみるぞ我がくるしさもまさる許かなしうおぼえける。

 からうじてかへりて又の日いていのところより夜ふけてかへりきてふしたるところよりかへりていふやう「殿なんきんぢがつかさのかみの去年よりいとせちにのたうぶことのあるを、そこにあらん子はいかゞなりたる、おほきなりや心ちつきにたりやなどのたまひつるを、又かのかみ も、殿はおほせられつることやありつるなどなんのたまひつれば、さりつとなん申しつれば、あさて許よき日なるを御ふみたてまつらむとなんのたまひつる」とかたる。いとあやしきことかな、まだおもひかくべきにもあらぬをとおもひつゝねぬ。さてその日になりて文あり。いとかへりごとうちとけしにくげなるさましたり。うちのことばは「つきごろはおもひ給ふることありて殿につたへ申さゝせはべりしかば、ことのさまばかりきこしめしつ、いまはやがてきこえさせよとなんおほせ給ふとうけ給はりにしかどいとおほけなき心のはべりけるとおぼしとがめさせ給はんをつゝみはべりつるになん、ついでなくてとさへおもひ給へしに、つかさめしみ給へしになんこのすけのきみのかうおはしませばまゐりはべらんこと人みとがむまじう思ひ給ふるに」などあるべかしうかきなし、はしに「むさしといひはべる人の御ざうしにいかでさぶらはん」とあり。かへりごときこゆべきをまづ「これはいかなることぞ」とものしてこそ はとてあるに「ものいみやなにやと折あしとてえ御らんぜさせず」とてもてかへるほどに五六日になりぬ。おぼつかなうもやありけん、すけのもとに「せちにきこえさすべきことなんある」とてよび給ふ。「いまいま」とてあるほどにまづかひはかへしつ。そのほどにあめふれど「いとほし」とていづるほどにふみとりてかへりたるをみれば、くれなゐのうすやうひとかさねにて紅梅につけたり。ことばは「いそのかみといふことはしろしめしたらんかし

はるさめにぬれたる花のえだよりも人しれぬみのそでぞわりなき

あがきみ/\なほおはしませ」とかきて、などにかあらんあがきみとあるうへはかいけちたり。すけ「いかゞせん」といへば「あなむづかしや、みちになんあひたるとてまうでられね」とていだしつ。かへりて「などか御せうそくきこえさせ給ふあひだにても御かへりのなかるべきといみじううらみきこえ給へる」などかたるぞいまふつかみか許ありてからう じてみせたてまつりつ。「の給ひつるやうは、なにかは、いまおもひさだめてとなんいひてしかば、かへりごとははやうおしはかりてものせよ、まだきにこむとあることなんびんなかめる、そこにすむめありといふことはなべてしる人もあらじ、人ことやうにもこそきけとなんの給ふ」ときくに、あなはらだゝし、そのいはん人をしるはなぞと思ひけんかし。さてかへりごとけうぞものする。「このおぼえぬ御せうそこはこの除目のとくにやと思ひたまへしかばすなはちもきこえさすべかりしを、殿になどの給はせたることのいとあやしうおぼつかなきを、たづねはべりつるほどのもろこし許になりにければなん、されどなほ心えはべらぬはいときこえさせんかたなく」とてものしつ。はしに「さうじにとのたまはせたるむさしは、みだりに人をとこそきこえさすめれ」となむ。さてのちおなじやうなることどもあり。かへりごとたびごとにしもあらぬにいたうはゞかりたり。

 三月になりぬ。かしこにも女房につけて申しつがせければその人のかへりごとみせにあり。「おぼめかせ給ふめればなむ、これかくなん殿のおほせはべめる」とあり。みれば「この月日あしかりけり、つきたちてとなんこよみ御らんじてたゞいまものたまはする」などぞかいたる。いとあやしういちはやきこよみにもあるかな、なでふことなり、よもあらじ、このふみかく人のそらごとならんとおもふ。

 ついたち七八日のほどのひるつかた「右馬のかみおはしましたり」といふ。「あなかま、こゝになしとこたへよ、ものいはむとあらんにまだしきにびなし」などいふほどにいりてあらはなるまがきのまへにたちやすらふ。れいもきよげなる人の練衣したにきてなよゝかなる直衣たちひきはきれいのことなれどあかいろのあふぎすこしみだれたるをもてまさぐりてかぜはやきほどに纓ふきあげられつゝたてるさまゑにかきたるやうなり。きよらの人ありとておくまりたるをんならの裳などうちとけす がたにていでゝみるに、ときしもあれこの風のすだれを外へふきうちへふきまどはせばすだれをたのみたるものども我か人かにておさへひかへさわぐまに、なにかあやしのそでぐちもみなみつらんと思ふにしぬばかりいとほし。よべいていのところより夜ふけてかへりてねふしたる人をおこすほどにかゝるなりけり。からうじておきいでゝこゝにはひともなきよしいふ。かぜのこゝちあわたゞしさにかうしをみなかねてよりおろしたるほどなればなにごといふもよろしきなりけり。しひてすのこにのぼりて「けふよき日なり、わらふだかい給へ、ゐそめん」など許かたらひて「いとかひなきわざかな」とうちなげきてかへりぬ。二日許ありてたゞことばにて「侍らぬほどにものしたまへりけるかしこまり」などいひてたてまつれてのち「いとおぼつかなくてまかでにしをいかで」とつねにあり。「にげないことゆゑにあやしのこゑさてやはなどあるはゆるしなきを助にものきこえむ」といひがてらくれにものしたり。いかゞは せんとてかうしふたまばかりあげてすのこに火ともしてひさしにものしたり。すけたいめして「はやく」とてえんにのぼりぬ。つまどをひきあけて「これより」といふめればあゆみよるものから又たちのきて「まづ御せうそこきこえさせたまへかし」としのびやかにいふなればいりてさなんとものするに「おぼしよらんところにきこえよかし」などいへばすこしうちわらひてよきほどにうちそよめきていりぬ。すけとものがたりしのびやかにして笏らにあふぎのうちあたるおとばかりとき%\してゐたり。うちにおとなうてやゝひさしければ、すけに「一日かひなうてまかでにしかば心もとなさになんときこえ給へ」とていれたり。「はやう」といへばゐざりよりてあれどとみにものもいはず。うちよりはたましておとなし。とばかりありておぼつかなうおもふにやあらんとていさゝかしはぶきのけしきしたるにつけて「ときしもあれあしかりけるをりにさぶらひあひはべりて」といふをはじめにておもひはじめけるよりのこと いとおほかり。うちには「たゞいとまが/\しきほどなればかうの給ふもゆめの心ちなんする、ちひさきよりも世にいふなるねずみおひのほどにだにあらぬをいとわりきことになん」などやうにこたふ。こゑいといたうつくろひたなりときけばわれもいとくるし。あめうちみだるるくれにてかはづのこゑいとたかし。夜ふけゆけばうちより「いとかくむくつけゞなるあたりはうちなる人だにしづ心なくはべるを」といひいだしたれば「なにかこれよりまろと思ひたまへむかし、おそろしきことはべらじ」といひつゝいたうふけぬれば「すけのきみの御いそぎもちかうなりにたらんをそのほどのざうやくをだにつかうまつらん、殿にかうなんおほせられしと御けしき給はりて又の給はせんこときこえさせにあすあさてのほどにもさぶらふべし」とあればたつなゝりとて帳のほころびよりかきわけてみいだせばすのこにともしたりつる火ははやうきえにけり。うちにはものゝしりへにともしたればひかりありて外のきえぬるもしら れぬなりけり。かげもやみえつらんとおもふにあさましうて「はらぐろうきえぬともの給はせで」といへば「なにかはさぶらふ」ともこたへてたちにけり。

 きそめぬればしば/\ものしつゝおなじことをものすれど、こゝには「御ゆるされあらんところよりさぞあらんときこそはわびてもあべかめれ」といへば「やんごとなきゆるされはなりにたるを」とてかしがましうせむ。「このほどこそは殿にもおほせはありし、廿餘日のほどなんよき日はあなる」とてせめらるれど、すけつかさのつかひにとてまつりにものすべければそのことをのみおもふに人はいそぎのはつるをまちけり。みそぎの日いぬのしにたるをみつけていふかひなくとまりぬ。さてなほこゝにはいといちはやき心ちすればおもひかくることもなきを「これよりかくなんおほせありきとてせむるごときこえよ」とのみあれば、いかでさはのたまはせるにかあらんいとかしがましければみせたてまつりつ べくて「御かへり」といひたれば「さは思ひしかどもすけのいそぎしつるほどにていとはるかになんなりにけるを、もし御心かはらずば八月ばかりにものし給へかし」とあればいとめやすき心ちして「かくなんはべめる、いちはやかりけるこよみは不定なりとはさればこそきこえさせしか」とものしたればかへりごともなくてと許ありてみづから「いとはらだゝしきこときこえさせになんまゐりつる」とあれば「なにごとにかいとおどろ/\しくはべらん、さらばこなたに」といはせたれば「よしよしかうよるひるまゐりきてはいとゞはるかになりなん」とていどみて、と許すけとものがたりしてたちてすゞりかみとこひたり。いだしたればかきておしひねりていれていぬ。みれば

ちぎりおきしうづきはいかにほとゝぎすわがみのうきにかけはなれつゝ

いかにしはべらまし、くしいたくこそ、くれにを」とかいたり。手もい とはづかしげなりや。かへりごとやがておひてかく。

なほしのべはなたちばなの枝やなきあふひすぎぬるうづきなれども

 さてそのひごろえらびまうけつる廿二日の夜ものしたり。こたみはさき%\のさまにもあらずいとづしやかになりまさりたる物から、せむるさまいとわりなし。「とのゝ御ゆるされはみちなくなりにたり、そのほどはるかにおぼえはべるを御かへりみにていかでとなん」とあれば「いかにおぼしてかうはの給ふ、そのはるかなりとの給ふほどにやうひごともせんとなんみゆる」といへば「いふかひなきほども物がたりはするは」といふ。「これはいとさにはあらず、あやにくにおもぎらひするほどなればこそ」などいふもきゝわかぬやうにいとわびしくみえたり。「むねはしるまでおぼえはべるをこのみすのうちにだにさぶらふと思ひ給へてまかでん、ひとつ/\をだになすことにし侍らん、かへりみさせ給へ」といひてすだれに手をかくればいとけうとけれどきゝもいれぬやうにて 「いたうふけぬらんをれいはさしもおぼえ給ふ夜になんある」とつれなういへば「いとかうは思ひきこえさせずこそありつれ、あさましういみじうかぎりなううれしと思ひたまふべし、御こよみもぢくもとになりぬ、わるくきこえさする、御けしきもかゝり」などおりたちてわびいりたればいとなつかしさに「なほいとわりなきことなりや、院にうちになどさぶらひ給ふらんひるまのやうにおぼしなせ」などいへば「そのことの心はくるしうこそはあれ」とすにいりてこたふるにいといふかひなし。いらへわづらひてはてはものもいはねば「あなかしこ、御けしきもあしうはべめり、さらばいまはおほせごとなからんにはきこえさせじ、いとかしこし」とてつまはじきうちしてものもいはでしばしありてたちぬ。いづるにまつなどいはすれどさらにとらせでなんときくにいとほしくなりてまたつとめて「いとあやにくにまつともの給はせでかへらせ給ふめりしはたひらかにやときこえさせになん

ほとゝぎすまたとふべくもかたらはでかへる山ぢのこぐらかりけん

こそいとほしう」とかきてものしたり。さしおきてければかれより

とふこゑはいつとなけれどほとゝぎすあけてくやしき物をこそおもへ

といたうかしこまり給はりぬ」とのみあり。さくねりても又の日「すけのきみけふ人々のがりものせんとするをもろともにつかさにときこえになん」とてかどにものしたり。れいのすゞりこへばかみおきていだしたり。いれたるをみればあやしうわなゝきたる手にて「むかしの世にいかなるつみをつくり侍りてかうさまたげさせ給ふみとなり侍りけん、あやしきさまにのみなりまさり侍るはなり侍らんこともいとかたし、さらに/\きこえさせじ、いまはたかきみねになんのぼり侍るべき」などふさにかきたり。かへりごと「あなおそろしや、などかうはのたまはすらん、うらみきこえ給ふべき人はことにこそ侍めれ、みねはしり侍らずたにの しるべはしも」とかきていだしたれば、すけひとつにのりてものしぬ。すけの賜はりむまいとうつくしげなるをとりてかへりたり。そのくれに又ものして「一夜のいとかしこきまできこえさせ侍りしを思ひ給ふればさらにいとかしこし、いまはたゞ殿よりおほせあらんほどをまちさぶらはんなどきこえさせになん、こよひはおひなほりしてまゐり侍りつる、なしにそとおほせ侍りしはちとせのいのちたふまじき心ちなんしはべる、手ををり侍れば指みつ許はいとようふしおきし侍るとおもひやりのはるかに侍れば、つれ%\とすごし侍らん月日をとのゐ許をすのはしわたりゆるされ侍りなんや」といとたとしへなくけざやかにいへばそれにしたがひたるかへりごとなどものしてこよひはいととくかへりぬ。

 すけをあけくれよびまどはせばつねにものす。女繪をかしくかきたりけるがありければとりてふところにいれてもてきたり。みれば釣殿とおぼしき勾欄におしかゝりて中島のまつをまもりたる女あり。そこもとに かみのはしにかきてかくおしつく。

いかにせんいけの水なみさわぎては心のうちのまつにかゝらば

またやもめずみしたる男のふみかきさしてつらづゑつきてものおもふさましたるところに

さゝがにのいづこともなくふくかぜはかくてあまたになりぞすらしも

とものしてもてかへりおきけり。かくてなほおなじことたえず。「殿にもよほしきこえよ」などつねにあればかへりごともみせんとて「かくのみあるをこゝにはこたへなんわづらひぬる」とものしたれば「ほどはさものしてしをなどかかくはあらん、八月まつほどにそこに美々しうもてなし給ふとか世にいふめる、それはしもうめきもきこえてんかし」とあり。たはぶれと思ふほどにたび/\かゝればあやしうおもひて「こゝにはもよほしきこゆるにはあらず、いとうるさくはべればすべてこゝには の給ふまじきことなりとものし侍るを、なほぞあめればみたまへあまりてなん、さてなでふことにも侍るかな。

いまさらにいかなるこまかなづくべきすさめぬくさとのがれにしみを

あなまばゆ」とものしけり。

 頭のきみなほこの月のうちにはたのみをかけてせむ。このごろれいのとしにもにずほととぎすたちをとほしてといふ許になくときくにも、かくふみのはしつかたに「れいならぬほとゝぎすのおとなひにもやすきそらなく思ふべかめれ」とかしこまりをはなはだしうおきたればつやゝかなることはものせざりけり。すけむまぶねしばしとかりけるを、れいのふみのはしに「すけのきみに、ことならずばむまぶねもなしときこえさせ給へ」とあり。かへりごとにも「むまぶねはたてたるところありておぼえずなれば給へらんにわづらはしく侍るとなん」とものしたれば、た ちかへりて「たてたるところはべなるふねはけふあすのほどにらちふすべきところほしげになん」とぞある。かくて月はてぬればはるかになりはてぬるにおもひうじぬるにやあらんおとなうてつきたちぬ。四日にあめいといたうふるほどにすけのもとに「あまゝ侍らばたちよらせ給へ、きこえさすべきことなんある、うへにはみのすぐせのおもひしられ侍りてきこえさせずととり申させ給へ」とあり。かくのみよびつゝはなにごとといふこともなくてたはぶれつゝぞかへしける。けふかゝるあめにもさはらでおなじところなる人ものへまうでつ。さはることもなきにとおもひていでたれば、あるもの「女がみにはきぬぬひてたてまつるこそよかなれ、さしたまへ」とよりきてさゝめけば「いで心みむかし」とてかとりのひゝなぎぬ三つぬひたり。したがひどもにかうぞかきたりけるはいかなる心ばへにかありけん、かみぞしるらんかし。

しろたへのころもはかみにゆづりてむへだてぬ中にかへしなすべく

また

からごろもなれにしつまをうちかへしわがしたがひになすよしもがな

なつごろもたつやとぞみるちはやぶるかみをひとへにたのむみなれば

くるればかへりぬ。

 あくれば五日のあかつきにせうとたる人ほかよりきて「いづらけふのさうぶはなどかおそうはつかうまつる、夜しつるこそよけれ」などいふにおどろきてしやうぶふくなれば、みなひともおきてかうしはなちなどすれば「しばしかうしはなまゐりそ、たゆくかまへてせん、御らんぜんにもともなりけり」などいへどみなおきはてぬればことおこなひてふかす。昨日のくもかへすかぜうちふきたれば、あやめの香はやうかゝへて いとをかし。すのこにすけとふたりゐて天下のきくさをとりあつめて「めづらかなるくすだません」などいひてそゝくりゐたるほどに、このごろはめづらしげなうほとゝぎすのむらどりくそふくにおりゐたるなどいひのゝしるこゑなれど、そらをうちかけりてふたこゑみこゑきこえたるはみにしみてをかしうおぼえたれば「山ほととぎすけふとてや」などいはぬ人なうぞうちあそぶめり。すこし日たけて頭のきみ「手番にものしたまはゞもろともに」とあり。「さぶらはん」といひつるをしきりに「おそし」などいひて人くればものしぬ。又の日もまだしきに「昨日はうそぶかせ給ふことしげかんめりしかばえものもきこえずなりにき、いまのあひだも御いとまあらばおはしませ、うへのつらくおはしますことさらにいはんかたなし、さりともいのち侍らばよの中はみ給へてん、しなばおもひくらべてもいかゞあらん、よし/\これはしのびごと」とてみづからはものせず。又二日許ありてまだしきより「よくよせん、そなたに やまゐりくべき」などあれば「はやうものせよ、こゝにはなにせんに」とていだしたつ。れいの「なにごともなかりつ」とてかへりきたりぬ。いま二日許ありて「とりきこゆべきことあり、おはしませ」とのみかきてまだしきにあり。「たゞいまさぶらふ」といはせてしばしあるほどにあめいたうふりぬ。夜さへかけてやまねばえものせで「なさけなし、消息をだに」とて「いとわりなきあめにさはりてわび侍り、かばかり

たえずゆく我がなか河に水まさりをちなる人ぞこひしかりける

かへりごと

あはぬせをこひしとおもはゞ思ふどちへんなかがはにわれをすませよ

などあるほどにくれはてゝあめやみたるにみづからなり。れいの心もとなきすぢをのみあれば「なにか三つとのたまひし指ひとつはをりあへぬほどにすぐめるものを」といへば「それもいかゞ侍らん、不定なること どももはべめればくしはてゝまたをらすほどにもやなり侍らん、なほいかで大殿の御こよみなかきりてつぐわざもし侍りにしがな」とあればいとをかしうて「かへるかりをなかせて」などこたへたればいとほがらかにうちわらふ。さてかの美々しうもてなすとありしことをおもひて「いとまめやかには心ひとつにも侍らず、そゝのかし侍らんことはかたき心ちなんある」とものすれば「いかなることにか侍らん、いかでこれをだにうけ給はらん」とてあまたたびせめらるれば、げにともしらせん、ことばにかつはいひにくきをと思ひて「ごらんぜさするにもびなき心ちすれどたゞこれもよほしきこえんことのくるしきをみたまへとてなん」とて、かたはなるべき所はやりとりてさしいでたれば、すのこにすべりいでゝおぼろなる月にあてゝひさしうみていりぬ。「かみのいろにさへまぎれてさらにえみたまへず、ひるさぶらひてみ給へん」とてさしいれつ。「はやいまはやりてん」といへば「なほしばしやらせ給はで」などいひ てこれなることほのかにもみたりがほにもいはでたゞ「こゝにわづらひ侍りしほどのちかうなればつゝしむべきものなりと人もいへば心ぼそうものゝおぼえ侍ること」とてをり/\にそのことともきこえぬほどにしのびてうちずんずることぞある。つとめて「つかさにものすべきこと侍るもすけのきみにきこえにやりてさぶらはん」とてたちぬ。よべみせしふみまくらがみにあるをみれば、わがやるとおもひしところはことにて又やれたるところあるはあやしとぞ思へば、かのかへりごとせしに「いかなるこまか」とありしことのとかくかきつけたりしをやりとりたるなるべし。まだしきにすけのもとに「みだり風おこりてなんきこえしやうにはえまゐらぬ、こゝに午時許におはしませ」とあり。れいのなにごとにもあらじとてものせぬほどにふみあり。それには「れいよりもいそぎきこえさせんとしつるをいとつゝみ思ひたまふることありてなん、よべの御ふみをわりなく給へがたくてなん、わざときこえさせ給はんこと こそかたからめ、をり/\にはよろしかべいさまにとたのみきこえさせながらはかなきみのほどをいかにとあはれにおもうたまふる」などれいよりもひきつくろひてらうたげにかいたり。かへりごとはようなくつねにしもとおもひてせずなりぬ。又の日なほいとほしくわかやかなるさまにもありとおもひて「昨日は人のものいみ侍りしに日くれてなん、心あるとやといふらんやうにおきたまへし、をり/\にはいかでと思ひ給ふるをついでなきみになり侍りてこそ、心苦しげなる御はしがきをなんげにと思ひきこえさせそや、かみのいろはひるもやおぼつかなうおぼさるらめ」とてこれよりぞものしたりけるをりに、法師ばらあまたありてさわがしげなりければさしおきてきにけり。まだしきにかれより「さまかはりたる人々ものし侍りしに日もくれてなん、つかひもまゐりにける。

なげきつゝあかしくらせばほととぎすみのうのはなのかげになきつゝ

いかにし侍らん、こよひはかしこまり」とさへあり。かへりごとは「昨日のかへりにこそはべりけめ、なにかさまではとあやしく

かげにしもなどかなくらんうの花のえだにしのばぬこゝろとぞきく

とてうへかいけちてはしに「かたはなる心ちし侍りや」とかいたり。

 そのほどに左京の大夫うせ給ひぬとものすべかめる。うちにもつゝしみふかうて山寺になどしげうてとき%\おどろかしてみなづきもはてぬ。七月になりぬ。八月ちかき心ちするにみる人は猶いとうらわかくいかならんと思ふことしげきにまぎれて我がおもふことはいまはたえはてにたり。七月中の十日許になりぬ。かうのきみいとあざりよればわれをたのみたるかなと思ふほどにある人のいふやう「うまのかんのきみはもとの女をぬすみとりてなんあるところにかくれゐ給へる、いみじうをこなることになん世にもいひさわぐなる」ときゝつれば我れはかぎりなくめやすいことをもきくかな、月のすぐるにいかにいひやらんと思ひつる にと思ふ物からあやしの心やとはおもひなんかし。さて又ふみあり、みれば「人しもとひたらんやうにいであなあさまし、心にもあらぬことをきこえさせはつべきにもすさまじからぬすぢにてもとりきこえさすること侍りしかばさりとも」などぞある。かへりごと「心にもあらぬとのたまはせたるはなににかあらむ、かゝらぬさまにてとか、ものわすれをせさせ給はざりけるとみたまふるなんいとうしろやすき」とものしけり。

 八月になりぬ。この世の中は痘瘡おこりてのゝしる。廿日のほどにこのわたりにもきにたり。すけいふかたなくおもくわづらふ。いかゞはせんとてことたえたる人にもつぐばかりあるにわがこゝちはまいてせんかたしらず。さいひてやはとてふみしてつげたればかへりごといとあらゝかにてあり。さてはことばにてぞいかにといはせたる。さるまじき人だにぞきとぶらふめるとみる心ちぞそへてたゞならざりける。むまのかみもおもなくしばし/\とひ給ふ。九月ついたちにおこたりぬ。八月廿餘 日よりふりそめにしあめこの月もやまずふりくらがりて此の中がはも大川もひとつにゆきあひぬべくみゆればいまやながるゝとさへおぼゆ。世中いとあはれなり。かどのわさだもいまだかりあつめず。たまさかなるあままには燒米許ぞわづかにしたる。痘瘡せかいにもさかりにて故の一條の太政の大臣の少將ふたりながらその月の十六日になくなりぬといひさわぐ。思ひやるもいみじきことかぎりなし。これをきくにもおこたりにたる人ぞゆゝしき。かくてあれどことなることなければまだありきもせず。廿日あまりにいとめづらしきふみにて「すけはいかにぞ、こゝなる人はみなおこたりにたるにいかなればみえざらんとおぼつかなさになん、いとにくゝしたまふめればうとむとはなうていどみなんすぎにける、わすれぬことはありながら」とこまやかなるをあやしとぞおもふ。かへりごととひたる人のうへばかりかきてはしに「まことわするゝわざもや侍らん」とかきてものしつ。すけありきしはじむる日みちにかのふみや りしところゆきあひたりけるをいかゞしけんくるまの筒かゝりてわづらひけりとてあくる日「よべはさらになんしらざりける、さても

とし月のめぐりくるまのわになりて思へばかゝるをりもありけり

といひたりけるをとりいれてみてそのふみのはしになほ/\しき手して「あらずこゝには/\」と重點がちにてかへしたりけんこそなほあやし。

 かくてかみな月になりぬ。廿日あまりのほどにいみたがふとてわたりたるところにてきけばかのいみのところには子うみたなりと人いふ。なほあらんよりはあなにくともきゝ思ふべけれどつれなうてある。よひのほど火ともし臺などものしたるほどにせうととおぼしき人ちかうはひよりてふところよりみちのくにがみにてひきむすびたるふみのかれたるすゝきにさしたるをとりいでたり。「あやしたがぞ」といへば「なほごらんぜよ」といふ。あけて火かげにみれば心づきなき人の手のすぢにいとようにたり。かいたることは「かのいかなるこまかとありけむはいかゞ

しもがれの草のゆかりぞあはれなるこまかへりてもなづけてしがな

あな心ぐるし」とぞある。わが人にいひやりてくやしと思ひしことの七文字なればいとあやし。「こはたがぞ、ほりかは殿の御ことにや」ととへば「おほきおとゞの御ふみなり、御隨身にあるそれがしなんとのにもてきたりけるを、おはせずといひけれどなほたしかにとてなんおきてけり」といふ。いかにしてきゝ給ひけることにかあらんと思へども/\いとあやし。また人ごとにいひあはせなどすればふるめかしき人きゝつけて「いとかたじけなし、はや御かへりしてかのもてきたりけん御隨身にとらすべきものなり」とかしこまる。されば「かくおろかにはおもはざりけめどいとなほざりなりや

さゝわけばあれこそまさめくさがれのこまなづくべきもりのしたかは

とぞきこえける。ある人のいふやう「これがかへしいまひとたびせんとてなからまではあそばしたなるをすゑなんまだしきとの給ふなる」とき ゝてひさしうなりぬるなんをかしかりける。

 りんじのまつり明後日とてすけにはかにまひびとにめされたり。これにつけてぞめづらしきふみある。「いかゞする」などているべきものみなものしたり。試樂の日あるやう「けがらひのいとまなるところなればうちにもえまゐるまじきを、まゐりてみいだしたてんとするをよせ給ふまじかなればいかゞすべからんといとおぼつかなきこと」とあり。むねつぶれて、いまさらになにせんにかとおもふことしげければ「とくさうぞきてかしこへをまゐれ」とていそがしやりたりければまづぞうちなかれける。もろともにたちてまひひとわたりならさせてまゐらせてけり。まつりの日「いかゞはみざらん」とていでたれば、まくのつらになでふこともなきびりやうげしりくちうちおろしてたてり。くちのかた、すだれのしたよりきよげなるかいねりにむらさきのおりものかさなりたる袖ぞさしいでためる。をんなぐるまなりけりとみるところに、くるまのし りのかたにあたりたる人のいへのかどより六位なるものゝ太刀はきたるふるまひいできてまへのかたにひざまづきてものをいふにおどろきて目をとゞめてみればかれがいできつる。くるまのもとにはあかき人くろき人おしよりてかずもしらぬほどにたてりけり。よく見もていけばみし人々のあまたなりけりと思ふ。れいのとしよりはこととうなりてかんだちめのくるまかいいりてくるものみなかれをみてなるべしそこにとまりておなじところにくちをつどへてたちたり。我が思ふ人にはかにいでたるほどよりは、とも人などもきら/\しうみえたり。かんだちめ手ごとにくだものなどさしいでつゝものいひなどし給へばおもだゝしき心ちす。またふるめかしき人もれいのゆるされぬことにて山ぶきのなかにあるを、うちちりたる中にさしわきてとらへさせてかのうちよりさけなどとりいでたればかはらけさしかけられなどするをみればたゞそのかたとき許やゆく心もありけん。

 さてすけにかくてやなどさかしらがる人のありてものいひつゞくる人あり。やつはしのほどにやありけん。はじめて

かつらぎやかみよのしるしふかからばたゞひとことにうちもとけなん

かへりごとこたびはなかめり。

かへるさのくもではいづこやつはしのふみみてけんとたのむかひなく

こたみぞかへりごと

かよふべきみちにもあらぬやつはしをふみみてきともなにたのむらん

とかきてしてかいたり。又

なにかそのかよはんみちのかたからんふみはじめたるあとをたのめば

又かへりごと

たづぬともかひやなからんおほぞらのくもぢはかよふあとはかもあらじ

まけじとおもひがほなめれば又

おほぞらもくものかけはしなくばこそかよふはかなきなげきをもせめ

かへし

ふみみれどくものかけはしあやふしとおもひしらずもたのむなるかな

又やる

なほをらん心たのもしあしたづのくもぢおりくるつばさやはなき

こたみは「くらし」とてやみぬ。しはすになりにたり。又

かたしきしとしはふれどもさごろものなみだにしむるときはなかりき

「ものへなん」とてかへりごとなし。又の日許かへりこひにやりたれば、柧梭の木に「みき」とのみかきておこせたり。やがて

我がなかはそばみぬるかとおもふまでみきとばかりもけしきばむかな

かへりごと

あまぐもの山のはるけきまつなればそばむるいろはときはなりけり

ふるとしに節分するを「こなたに」などいはせて

いとせめておもふ心をとしのうちにはるくることもしらせてしがな

かへりごとなし。また「ほどなきことを、すぐせ」などやありけむ

かひなくてとしくれはつるものならばはるにもあはぬみともこそなれ

こたみもなし。いかなるにかあらんとおもふほどに、とかういふ人あま たあなりときく。さてなるべし。

われならぬ人まつならばまつといはでいたくなこしそおきつしらなみ

かへりごと

こしもせずこさずもあらずなみよせのはまはかけつゝとしをこそふれ

としせめて

さもこそはなみのこゝろはつらからめとしさへこゆるまつもありけり

かへりごと

ちとせふるまつもこそあれほどもなくこえてはかへるほどやとほかる

とぞある。あやしなでふことぞと思ふ。かぜふきあるゝほどにやる。

ふくかぜにつけても物をおもふかな大うみのなみのしづ心なく

とてやりたるに「きこゆべき人はけふのことをしりてなん」とこと手して一葉ついたるえだにつけたり。たちかへり「いとほしう」などいひて

わがおもふ人はたぞとはみなせどもなげきのえだにやすまらぬかな

などぞいふめる。

 ことしいたうあるゝとなくてはだらゆき二度許ぞふりつる。すけのついたちのものどもまたあをむまにものすべきなどものしつるほどにくれはつる日にはなりにけり。明日の物をりまかせつゝ人にまかせなどしておもへばかうながらこひつゝけふになりにけるもあさましう、御魂などみるにもれいのつきせぬことにおぼほれてぞはてにける。年のはてなれば夜いたうふけてぞたゝきくなる外に。本に

佛名のあしたにゆきのふりければ

としのうちにつみけつにはにふる雪はつとめてのちはつもらざらなん

殿かれ給ひてのちひさしうありて七月十五日盆のことなどきこえのたまへる御かへりごとに

かゝりけるこのよもしらずいまとてやあはれはちすの露をまつらん

四宮の御ねの日に殿にかはりたてまつりて

みねのまつおのがよはひのかずよりもいまいくちよぞきみにひかれて

そのねの日の日記を宮にさぶらふ人にかり給へりけるを、そのとしは后宮うせさせ給へりけるほどにくれはてぬれば又のとしの春かへし給ふとてはしに

袖のいろかはれるはるをしらずしてこぞにならへるのべのまつかな

ないしのかんの殿「あまのはごろもといふ題をよみて」ときこえさせ給へりければ

ぬれぎぬにあまのはごろもむすびけりかつはもしほの火をしけたねば

みちのくににをかしかりけるところ/\をゑにかきてもてのぼりて見せ給ひければ

みちのくのちかのしまにてみましかばいかにつゝじのをかしからまし

ある人かものまつりの日むこどりせんとするにをとこのもとよりあふひうれしきよしいひおこせたりけるかへりごとに人にかはりて

たのみずなみかきをせばみあふひばはしめのほかにもありといふなり

おやの御いみにてひとつところにはらからたちあつまりておはするを、 こと人々はいみはてゝいへにかへりぬるにひとりとまりて

ふかくさのやどになりぬるやどもるととまれるつゆのたのもしげなき

かへしためまさの朝臣

ふかくさはたれもこゝろにしげりつゝあさぢがはらの露にけぬべし

當帝の御五十日にゐのこのかたをつくりたりけるに

よろづよをよばふ山べのゐのここそきみがつかふるよはひなるらし

とのよりやへ山ぶきをたてまつらせ給へりけるを

たれかこのかずはさだめし我はたゞとへとぞおもふやまぶきの花

はらからのみちのくにのかみにてくだるを、ながあめしけるころそのくだる日はれたりければ、かのくにに河伯といふかみあり

わがくにのかみのまもりやそへりけんかはくけがりしあまつそらかな

かへし

今ぞしるかはくときけばきみがためあまてる神のなにこそありけれ

鶯柳のえだにありといふだいを

わがやどの柳のいとはほそくともくるうぐひすはたえずもあらなん

傅のとのはじめて女のがりやり給ふにかはりて

けふぞとやつらくまちみむわがこひははじめもなきがこなたなるべし

たび/\のかへりごとなかりければ時鳥のかたをつくりて

とびちがふとりのつばさをいかなればすだつなげきにかへさざるらん

なほかへりごとせざりければ

さゝがにのいかになるらんけふだにもしらばや風のみだるけしきを

たえてなほすみのえになき中ならばきしにおふなるくさもがなきみ

かへし

すみよしのきしにおふとはしりにけりつまんつまじはきみがまにまに

さねかたの兵衞の佐にあはすべしときゝ給ひて少將にておはしけるほどのことなるべし

かしはぎのもりだにしげくきく物をなどかみかさの山のかひなき

かへし

かしはぎもみかさの山もなつなればしげれどあやな人のしらなく

かへりごとするをおやはらからせいすときゝて、まろこすげにさして

うちそばみきみひとりみよまろこすげまろは人すげなしといふなり

わづらひたまひてみつせがはあさゝのほどもしらせじとおもひしわれやまづわたりな

かへし

みつせがはわれよりさきにわたりなばみぎはにわぶるみとやなりなん

かへりごとするをりせぬをりのありければ

かくめりと見ればたえぬるさゝがにのいとゆゑ風のつらくもあるかな

七月七日

 

たなばたにけさひくいとのつゆをおもみたはむけしきをみでややみなん

これはあした

わかつよりあしたのそでぞぬれにけるなにをひるまのなぐさめにせん

にふだう殿中納言ためまさの朝臣のむすめをわすれたまひにけるのち「ひかげのいとむすびて」とてたまへりければそれにかはりて

かけてみしすゑもたえにしひかげぐさなにによそへてけふむすぶらん

女院いまだくらゐにおはしまししをり八講おこなはせ給ひけるさゝげものにはちすのずゞまゐらせ給ふとて

となふなるなみのかずにはあらねどもはちすのうへの露にかゝらん

おなじところ傅のとのたちばなをまゐらせ給へりければ

かばかりもとひやはしつるほととぎすはなたちばなのえにこそありけれ

かへし

[2]ほちぬ/ならぬみをしればしづえならではとはぬとぞきく

小一條の大將白川におはしけるに傅の殿を「かならずおはせ」とてまちきこえ給ひけるに雨いたうふりければえおはせぬほどに隨身して「しづくをおほみ」ときこえたまへりけるかへりごとに

ぬれつゝもこひしきみちはよかなくにまだきこえずとおもはざらなん

中將のあまにいへをかり給ふにかしたてまつらざりければ

はちすばのうきはをせばみこのよにもやどらぬつゆと身をぞしりぬる

かへし

はちすにもたまゐよとこそむすびしか露は心をおきたがへけり

粟田野みてかへり給ふとて

花すゝきまねきもやまぬ山ざとに心のかぎりとゞめつるかな

故ためまさの朝臣普門寺に千部の經供養するにおはしてかへり給ふに小 野殿のはないとおもしろかりければくるまひきいれてかへり給ふに

たきぎこることはきのふにつきにしをいざをののえはこゝにくたさん

こまくらべのまけわざとおぼしくてしろがねのうりわりごをして院にたてまつらんとし給ふにごのけにうたんとて攝政殿よりうたきこえさせ給へりければ

ちよもへよたちかへりつゝやましろのこまにくらべしうりのすゑなり

繪のところに、山里にながめたる女あり、ほととぎすなくに

都びとねでまつらめやほととぎすいまぞ山べをなきてすぐなる

 このうたは寛和二年歌合にあり

法師の舟にのりたるところ

わたつうみはあまのふねこそありときけのりたがへてもこぎでける
かな

とのかれ給ひてのち「かよふ人あべし」などきこえ給ひければ

いまさらにいかなるこまかなづくべきすさめぬくさとのがれにしみを

うたあはせに、うのはな

うの花のさかりなるべし山ざとのころもさほせるをりとみゆるは

ほとゝぎす

ほとゝぎすいまぞさわたる聲すなるわがつげなくに人やきゝけん

あやめぐさ

あやめぐさけふのみぎはをたづぬればねをしりてこそかたよりにけれ

ほたる

さみだれやこぐらきやどのゆふされをおもてるまでもてらすほたる

とこなつ

さきにけるえだなかりせばとこなつものどけき名をやのこさゞらまし

かやり火

あやなくややどのかやりびつけそめてかたらふむしのこゑをさけつる

せみ

おくるといふせみのはつごゑきくよりぞいまかとをぎの秋をしりぬる

なつぐさ

こまやくる人やわくるとまつほどにしげりのみますやどのなつぐさ

こひ

おもひつゝこひつゝはねじあふとみるゆめをさめてはくやしかりけり

いはひ

かずしらぬまさごにたづのほどよりはちぎりそめけんちよぞすくなき

こゝろえぬところ/\は本のまゝにかけり。賀のうたは日記にあればかゝず。

[2] In the copy text ほちぬ and ならぬ appear in one line.



 傅大納言道綱  大入道殿二男
  左馬助廿 左衞門佐 左少將
  歴
  右中將  三位
  參議卅七  中納言四十二  右大將
  大納言五十三  春宮傅
 寛仁四年十月十六日薨 六十六 天暦九年乙卯誕生