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Title: Manyoshu [Book 7]
Author: Anonymous
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Makoto Yoshimura, Akihiro Okajima, et al.
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Sachiko Iwabuchi and Christine Ruotolo, University of Virginia Library Electronic Text Center.
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第七巻雜歌1068
[原文]天海丹 雲之波立 月船 星之林丹 榜隠所見 [訓読]天の海に雲の波立ち月の舟星の林に漕ぎ隠る見ゆ [仮名],あめのうみに,くものなみたち,つきのふね,ほしのはやしに,こぎかくるみゆ
1069
[原文]常者曽 不念物乎 此月之 過匿巻 惜夕香裳 [訓読]常はさね思はぬものをこの月の過ぎ隠らまく惜しき宵かも [仮名],つねはさね,おもはぬものを,このつきの,すぎかくらまく,をしきよひかも
1070
[原文]大夫之 弓上振起 <猟>高之 野邊副清 照月夜可聞 [訓読]大夫の弓末振り起し狩高の野辺さへ清く照る月夜かも [仮名],ますらをの,ゆずゑふりおこし,かりたかの,のへさへきよく,てるつくよかも
1071
[原文]山末尓 不知夜歴月乎 将出香登 待乍居尓 夜曽降家類 [訓読]山の端にいさよふ月を出でむかと待ちつつ居るに夜ぞ更けにける [仮名],やまのはに,いさよふつきを,いでむかと,まちつつをるに,よぞふけにける
1072
[原文]明日之夕 将照月夜者 片因尓 今夜尓因而 夜長有 [訓読]明日の宵照らむ月夜は片寄りに今夜に寄りて夜長くあらなむ [仮名],あすのよひ,てらむつくよは,かたよりに,こよひによりて,よながくあらなむ
1073
[原文]玉垂之 小簾之間通 獨居而 見驗無 暮月夜鴨 [訓読]玉垂の小簾の間通しひとり居て見る験なき夕月夜かも [仮名],たまだれの,をすのまとほし,ひとりゐて,みるしるしなき,ゆふつくよかも
1074
[原文]春日山 押而照有 此月者 妹之庭母 清有家里 [訓読]春日山おして照らせるこの月は妹が庭にもさやけくありけり [仮名],かすがやま,おしててらせる,このつきは,いもがにはにも,さやけくありけり
1075
[原文]海原之 道遠鴨 月讀 明少 夜者更下乍 [訓読]海原の道遠みかも月読の光少き夜は更けにつつ [仮名],うなはらの,みちとほみかも,つくよみの,ひかりすくなき,よはふけにつつ
1076
[原文]百師木之 大宮人之 退出而 遊今夜之 月清左 [訓読]ももしきの大宮人の罷り出て遊ぶ今夜の月のさやけさ [仮名],ももしきの,おほみやひとの,まかりでて,あそぶこよひの,つきのさやけさ
1077
[原文]夜干玉之 夜渡月乎 将留尓 西山邊尓 <塞>毛有粳毛 [訓読]ぬばたまの夜渡る月を留めむに西の山辺に関もあらぬかも [仮名],ぬばたまの,よわたるつきを,とどめむに,にしのやまへに,せきもあらぬかも
1078
[原文]此月之 此間来者 且今跡香毛 妹之出立 待乍将有 [訓読]この月のここに来たれば今とかも妹が出で立ち待ちつつあるらむ [仮名],このつきの,ここにきたれば,いまとかも,いもがいでたち,まちつつあるらむ
1079
[原文]真十鏡 可照月乎 白妙乃 雲香隠流 天津霧鴨 [訓読]まそ鏡照るべき月を白栲の雲か隠せる天つ霧かも [仮名],まそかがみ,てるべきつきを,しろたへの,くもかかくせる,あまつきりかも
1080
[原文]久方乃 天照月者 神代尓加 出反等六 年者經去乍 [訓読]ひさかたの天照る月は神代にか出で反るらむ年は経につつ [仮名],ひさかたの,あまてるつきは,かむよにか,いでかへるらむ,としはへにつつ
1081
[原文]烏玉之 夜渡月乎 A怜 吾居袖尓 露曽置尓鷄類 [訓読]ぬばたまの夜渡る月をおもしろみ我が居る袖に露ぞ置きにける [仮名],ぬばたまの,よわたるつきを,おもしろみ,わがをるそでに,つゆぞおきにける
1082
[原文]水底之 玉障清 可見裳 照月夜鴨 夜之深去者 [訓読]水底の玉さへさやに見つべくも照る月夜かも夜の更けゆけば [仮名],みなそこの,たまさへさやに,みつべくも,てるつくよかも,よのふけゆけば
1083
[原文]霜雲入 為登尓可将有 久堅之 夜<渡>月乃 不見念者 [訓読]霜曇りすとにかあるらむ久方の夜渡る月の見えなく思へば [仮名],しもぐもり,すとにかあるらむ,ひさかたの,よわたるつきの,みえなくおもへば
1084
[原文]山末尓 不知夜經月乎 何時母 吾待将座 夜者深去乍 [訓読]山の端にいさよふ月をいつとかも我は待ち居らむ夜は更けにつつ [仮名],やまのはに,いさよふつきを,いつとかも,わはまちをらむ,よはふけにつつ
1085
[原文]妹之當 吾袖将振 木間従 出来月尓 雲莫棚引 [訓読]妹があたり我が袖振らむ木の間より出で来る月に雲なたなびき [仮名],いもがあたり,わはそでふらむ,このまより,いでくるつきに,くもなたなびき
1086
[原文]靱懸流 伴雄廣伎 大伴尓 國将榮常 月者照良思 [訓読]靫懸くる伴の男広き大伴に国栄えむと月は照るらし [仮名],ゆきかくる,とものをひろき,おほともに,くにさかえむと,つきはてるらし
1087
[原文]痛足河 々浪立奴 巻目之 由槻我高仁 雲居立有良志 [訓読]穴師川川波立ちぬ巻向の弓月が岳に雲居立てるらし [仮名],あなしがは,かはなみたちぬ,まきむくの,ゆつきがたけに,くもゐたてるらし
1088
[原文]足引之 山河之瀬之 響苗尓 弓月高 雲立渡 [訓読]あしひきの山川の瀬の鳴るなへに弓月が岳に雲立ちわたる [仮名],あしひきの,やまがはのせの,なるなへに,ゆつきがたけに,くもたちわたる
1089
[原文]大海尓 嶋毛不在尓 海原 絶塔浪尓 立有白雲 [訓読]大海に島もあらなくに海原のたゆたふ波に立てる白雲 [仮名],おほうみに,しまもあらなくに,うなはらの,たゆたふなみに,たてるしらくも
1090
[原文]吾妹子之 赤裳裙之 将染O 今日之WX尓 吾共所沾<名> [訓読]我妹子が赤裳の裾のひづちなむ今日の小雨に我れさへ濡れな [仮名],わぎもこが,あかものすその,ひづちなむ,けふのこさめに,われさへぬれな
1091
[原文]可融 雨者莫零 吾妹子之 形見之服 吾下尓著有 [訓読]通るべく雨はな降りそ我妹子が形見の衣我れ下に着り [仮名],とほるべく,あめはなふりそ,わぎもこが,かたみのころも,あれしたにけり
1092
[原文]動神之 音耳聞 巻向之 桧原山乎 今日見鶴鴨 [訓読]鳴る神の音のみ聞きし巻向の桧原の山を今日見つるかも [仮名],なるかみの,おとのみききし,まきむくの,ひはらのやまを,けふみつるかも
1093
[原文]三毛侶之 其山奈美尓 兒等手乎 巻向山者 継之宜霜 [訓読]三諸のその山なみに子らが手を巻向山は継ぎしよろしも [仮名],みもろの,そのやまなみに,こらがてを,まきむくやまは,つぎしよろしも
1094
[原文]我衣 色<取>染 味酒 三室山 黄葉為在 [訓読]我が衣色取り染めむ味酒三室の山は黄葉しにけり [仮名],あがころも,いろどりそめむ,うまさけ,みむろのやまは,もみちしにけり
1095
[原文]三諸就 三輪山見者 隠口乃 始瀬之桧原 所念鴨 [訓読]三諸つく三輪山見れば隠口の泊瀬の桧原思ほゆるかも [仮名],みもろつく,みわやまみれば,こもりくの,はつせのひはら,おもほゆるかも
1096
[原文]昔者之 事波不知乎 我見而毛 久成奴 天之香具山 [訓読]いにしへのことは知らぬを我れ見ても久しくなりぬ天の香具山 [仮名],いにしへの,ことはしらぬを,われみても,ひさしくなりぬ,あめのかぐやま
1097
[原文]吾勢子乎 乞許世山登 人者雖云 君毛不来益 山之名尓有之 [訓読]我が背子をこち巨勢山と人は言へど君も来まさず山の名にあらし [仮名],わがせこを,こちこせやまと,ひとはいへど,きみもきまさず,やまのなにあらし
1098
[原文]木道尓社 妹山在云 <玉>櫛上 二上山母 妹許曽有来 [訓読]紀道にこそ妹山ありといへ玉櫛笥二上山も妹こそありけれ [仮名],きぢにこそ,いもやまありといへ,たまくしげ,ふたかみやまも,いもこそありけれ
1099
[原文]片岡之 此向峯 椎蒔者 今年夏之 陰尓将<化>疑 [訓読]片岡のこの向つ峰に椎蒔かば今年の夏の蔭にならむか [仮名],かたをかの,このむかつをに,しひまかば,ことしのなつの,かげにならむか
1100
[原文]巻向之 病足之川由 徃水之 絶事無 又反将見 [訓読]巻向の穴師の川ゆ行く水の絶ゆることなくまたかへり見む [仮名],まきむくの,あなしのかはゆ,ゆくみづの,たゆることなく,またかへりみむ
1101
[原文]黒玉之 夜去来者 巻向之 川音高之母 荒足鴨疾 [訓読]ぬばたまの夜さり来れば巻向の川音高しもあらしかも疾き [仮名],ぬばたまの,よるさりくれば,まきむくの,かはとたかしも,あらしかもとき
1102
[原文]大王之 御笠山之 帶尓為流 細谷川之 音乃清也 [訓読]大君の御笠の山の帯にせる細谷川の音のさやけさ [仮名],おほきみの,みかさのやまの,おびにせる,ほそたにがはの,おとのさやけさ
1103
[原文]今敷者 見目屋跡念之 三芳野之 大川余杼乎 今日見鶴鴨 [訓読]今しくは見めやと思ひしみ吉野の大川淀を今日見つるかも [仮名],いましくは,みめやとおもひし,みよしのの,おほかはよどを,けふみつるかも
1104
[原文]馬並而 三芳野河乎 欲見 打越来而曽 瀧尓遊鶴 [訓読]馬並めてみ吉野川を見まく欲りうち越え来てぞ瀧に遊びつる [仮名],うまなめて,みよしのがはを,みまくほり,うちこえきてぞ,たきにあそびつる
1105
[原文]音聞 目者末見 吉野川 六田之与杼乎 今日見鶴鴨 [訓読]音に聞き目にはいまだ見ぬ吉野川六田の淀を今日見つるかも [仮名],おとにきき,めにはいまだみぬ,よしのがは,むつたのよどを,けふみつるかも
1106
[原文]河豆鳴 清川原乎 今日見而者 何時可越来而 見乍偲食 [訓読]かはづ鳴く清き川原を今日見てはいつか越え来て見つつ偲はむ [仮名],かはづなく,きよきかはらを,けふみては,いつかこえきて,みつつしのはむ
1107
[原文]泊瀬川 白木綿花尓 堕多藝都 瀬清跡 見尓来之吾乎 [訓読]泊瀬川白木綿花に落ちたぎつ瀬をさやけみと見に来し我れを [仮名],はつせがは,しらゆふはなに,おちたぎつ,せをさやけみと,みにこしわれを
1108
[原文]泊瀬川 流水尾之 湍乎早 井提越浪之 音之清久 [訓読]泊瀬川流るる水脈の瀬を早みゐで越す波の音の清けく [仮名],はつせがは,ながるるみをの,せをはやみ,ゐでこすなみの,おとのきよけく
1109
[原文]佐桧乃熊 桧隅川之 瀬乎早 君之手取者 将縁言毳 [訓読]さ桧の隈桧隈川の瀬を早み君が手取らば言寄せむかも [仮名],さひのくま,ひのくまがはの,せをはやみ,きみがてとらば,ことよせむかも
1110
[原文]湯種蒔 荒木之小田矣 求跡 足結出所沾 此水之湍尓 [訓読]ゆ種蒔くあらきの小田を求めむと足結ひ出で濡れぬこの川の瀬に [仮名],ゆだねまく,あらきのをだを,もとめむと,あゆひいでぬれぬ,このかはのせに
1111
[原文]古毛 如此聞乍哉 偲兼 此古河之 清瀬之音矣 [訓読]いにしへもかく聞きつつか偲ひけむこの布留川の清き瀬の音を [仮名],いにしへも,かくききつつか,しのひけむ,このふるがはの,きよきせのとを
1112
[原文]波祢蘰 今為妹乎 浦若三 去来率去河之 音之清左 [訓読]はねかづら今する妹をうら若みいざ率川の音のさやけさ [仮名],はねかづら,いまするいもを,うらわかみ,いざいさかはの,おとのさやけさ
1113
[原文]此小川 白氣結 瀧至 八信井上尓 事上不為友 [訓読]この小川霧ぞ結べるたぎちゆく走井の上に言挙げせねども [仮名],このをがは,きりぞむすべる,たぎちたる,はしりゐのへに,ことあげせねども
1114
[原文]吾紐乎 妹手以而 結八川 又還見 万代左右荷 [訓読]我が紐を妹が手もちて結八川またかへり見む万代までに [仮名],わがひもを,いもがてもちて,ゆふやがは,またかへりみむ,よろづよまでに
1115
[原文]妹之紐 結八<河>内乎 古之 并人見等 此乎誰知 [訓読]妹が紐結八河内をいにしへのみな人見きとここを誰れ知る [仮名],いもがひも,ゆふやかふちを,いにしへの,みなひとみきと,ここをたれしる
1116
[原文]烏玉之 吾黒髪尓 落名積 天之露霜 取者消乍 [訓読]ぬばたまの我が黒髪に降りなづむ天の露霜取れば消につつ [仮名],ぬばたまの,わがくろかみに,ふりなづむ,あめのつゆしも,とればけにつつ
1117
[原文]嶋廻為等 礒尓見之花 風吹而 波者雖縁 不取不止 [訓読]島廻すと磯に見し花風吹きて波は寄すとも採らずはやまじ [仮名],しまみすと,いそにみしはな,かぜふきて,なみはよすとも,とらずはやまじ
1118
[原文]古尓 有險人母 如吾等架 弥和乃桧原尓 挿頭折兼 [訓読]いにしへにありけむ人も我がごとか三輪の桧原にかざし折りけむ [仮名],いにしへに,ありけむひとも,わがごとか,みわのひはらに,かざしをりけむ
1119
[原文]徃川之 過去人之 手不折者 裏觸立 三和之桧原者 [訓読]行く川の過ぎにし人の手折らねばうらぶれ立てり三輪の桧原は [仮名],ゆくかはの,すぎにしひとの,たをらねば,うらぶれたてり,みわのひはらは
1120
[原文]三芳野之 青根我峯之 蘿席 誰将織 經緯無二 [訓読]み吉野の青根が岳の蘿むしろ誰れか織りけむ経緯なしに [仮名],みよしのの,あをねがたけの,こけむしろ,たれかおりけむ,たてぬきなしに
1121
[原文]妹<等所> 我通路 細竹為酢寸 我通 靡細竹原 [訓読]妹らがり我が通ひ道の小竹すすき我れし通はば靡け小竹原 [仮名],いもらがり,わがかよひぢの,しのすすき,われしかよはば,なびけしのはら
1122
[原文]山際尓 渡秋沙乃 <行>将居 其河瀬尓 浪立勿湯目 [訓読]山の際に渡るあきさの行きて居むその川の瀬に波立つなゆめ [仮名],やまのまに,わたるあきさの,ゆきてゐむ,そのかはのせに,なみたつなゆめ
1123
[原文]佐保河之 清河原尓 鳴<知>鳥 河津跡二 忘金都毛 [訓読]佐保川の清き川原に鳴く千鳥かはづと二つ忘れかねつも [仮名],さほがはの,きよきかはらに,なくちどり,かはづとふたつ,わすれかねつも
1124
[原文]佐保<川>尓 小驟千鳥 夜三更而 尓音聞者 宿不難尓 [訓読]佐保川に騒ける千鳥さ夜更けて汝が声聞けば寐ねかてなくに [仮名],さほがはに,さわけるちどり,さよふけて,ながこゑきけば,いねかてなくに
1125
[原文]清湍尓 千鳥妻喚 山際尓 霞立良武 甘南備乃里 [訓読]清き瀬に千鳥妻呼び山の際に霞立つらむ神なびの里 [仮名],きよきせに,ちどりつまよび,やまのまに,かすみたつらむ,かむなびのさと
1126
[原文]年月毛 末經尓 明日香<川> 湍瀬由渡之 石走無 [訓読]年月もいまだ経なくに明日香川瀬々ゆ渡しし石橋もなし [仮名],としつきも,いまだへなくに,あすかがは,せぜゆわたしし,いしはしもなし
1127
[原文]隕田寸津 走井水之 清有者 <癈>者吾者 去不勝可聞 [訓読]落ちたぎつ走井水の清くあれば置きては我れは行きかてぬかも [仮名],おちたぎつ,はしりゐみづの,きよくあれば,おきてはわれは,ゆきかてぬかも
1128
[原文]安志妣成 榮之君之 穿之井之 石井之水者 雖飲不飽鴨 [訓読]馬酔木なす栄えし君が掘りし井の石井の水は飲めど飽かぬかも [仮名],あしびなす,さかえしきみが,ほりしゐの,いしゐのみづは,のめどあかぬかも
1129
[原文]琴取者 嘆先立 盖毛 琴之下樋尓 嬬哉匿有 [訓読]琴取れば嘆き先立つけだしくも琴の下樋に妻や隠れる [仮名],こととれば,なげきさきだつ,けだしくも,ことのしたびに,つまやこもれる
1130
[原文]神左振 磐根己凝敷 三芳野之 水分山乎 見者悲毛 [訓読]神さぶる岩根こごしきみ吉野の水分山を見れば悲しも [仮名],かむさぶる,いはねこごしき,みよしのの,みくまりやまを,みればかなしも
1131
[原文]皆人之 戀三<芳>野 今日見者 諾母戀来 山川清見 [訓読]皆人の恋ふるみ吉野今日見ればうべも恋ひけり山川清み [仮名],みなひとの,こふるみよしの,けふみれば,うべもこひけり,やまかはきよみ
1132
[原文]夢乃和太 事西在来 寤毛 見而来物乎 念四念者 [訓読]夢のわだ言にしありけりうつつにも見て来るものを思ひし思へば [仮名],いめのわだ,ことにしありけり,うつつにも,みてけるものを,おもひしおもへば
1133
[原文]皇祖神之 神宮人 冬薯蕷葛 弥常敷尓 吾反将見 [訓読]すめろきの神の宮人ところづらいやとこしくに我れかへり見む [仮名],すめろきの,かみのみやひと,ところづら,いやとこしくに,われかへりみむ
1134
[原文]能野川 石迹柏等 時齒成 吾者通 万世左右二 [訓読]吉野川巌と栢と常磐なす我れは通はむ万代までに [仮名],よしのがは,いはとかしはと,ときはなす,われはかよはむ,よろづよまでに
1135
[原文]氏河齒 与杼湍無之 阿自呂人 舟召音 越乞所聞 [訓読]宇治川は淀瀬なからし網代人舟呼ばふ声をちこち聞こゆ [仮名],うぢがはは,よどせなからし,あじろひと,ふねよばふこゑ,をちこちきこゆ
1136
[原文]氏河尓 生菅藻乎 河早 不取来尓家里 L為益緒 [訓読]宇治川に生ふる菅藻を川早み採らず来にけりつとにせましを [仮名],うぢがはに,おふるすがもを,かははやみ,とらずきにけり,つとにせましを
1137
[原文]氏人之 譬乃足白 吾在者 今齒<与>良増 木積不来友 [訓読]宇治人の譬への網代我れならば今は寄らまし木屑来ずとも [仮名],うぢひとの,たとへのあじろ,われならば,いまはよらまし,こつみこずとも
1138
[原文]氏河乎 船令渡呼跡 雖喚 不所聞有之 楫音毛不為 [訓読]宇治川を舟渡せをと呼ばへども聞こえざるらし楫の音もせず [仮名],うぢがはを,ふねわたせをと,よばへども,きこえざるらし,かぢのともせず
1139
[原文]千早人 氏川浪乎 清可毛 旅去人之 立難為 [訓読]ちはや人宇治川波を清みかも旅行く人の立ちかてにする [仮名],ちはやひと,うぢがはなみを,きよみかも,たびゆくひとの,たちかてにする
1140
[原文]志長鳥 居名野乎来者 有間山 夕霧立 宿者無<而> [一本云 猪名乃浦廻乎 榜来者] [訓読]しなが鳥猪名野を来れば有馬山夕霧立ちぬ宿りはなくて [一本云 猪名の浦みを漕ぎ来れば] [仮名],しながどり,ゐなのをくれば,ありまやま,ゆふぎりたちぬ,やどりはなくて,[ゐなのうらみを,こぎくれば]
1141
[原文]武庫河 水尾急<> 赤駒 足何久激 沾祁流鴨 [訓読]武庫川の水脈を早みと赤駒の足掻くたぎちに濡れにけるかも [仮名],むこがはの,みををはやみと,あかごまの,あがくたぎちに,ぬれにけるかも
1142
[原文]命 幸久吉 石流 垂水々乎 結飲都 [訓読]命をし幸くよけむと石走る垂水の水をむすびて飲みつ [仮名],いのちをし,さきくよけむと,いはばしる,たるみのみづを,むすびてのみつ
1143
[原文]作夜深而 穿江水手鳴 松浦船 梶音高之 水尾早見鴨 [訓読]さ夜更けて堀江漕ぐなる松浦舟楫の音高し水脈早みかも [仮名],さよふけて,ほりえこぐなる,まつらぶね,かぢのおとたかし,みをはやみかも
1144
[原文]悔毛 満奴流塩鹿 墨江之 岸乃浦廻従 行益物乎 [訓読]悔しくも満ちぬる潮か住吉の岸の浦廻ゆ行かましものを [仮名],くやしくも,みちぬるしほか,すみのえの,きしのうらみゆ,ゆかましものを
1145
[原文]為妹 貝乎拾等 陳奴乃海尓 所沾之袖者 雖涼常不干 [訓読]妹がため貝を拾ふと茅渟の海に濡れにし袖は干せど乾かず [仮名],いもがため,かひをひりふと,ちぬのうみに,ぬれにしそでは,ほせどかわかず
1146
[原文]目頬敷 人乎吾家尓 住吉之 岸乃黄土 将見因毛欲得 [訓読]めづらしき人を我家に住吉の岸の埴生を見むよしもがも [仮名],めづらしき,ひとをわぎへに,すみのえの,きしのはにふを,みむよしもがも
1147
[原文]暇有者 拾尓将徃 住吉之 岸因云 戀忘貝 [訓読]暇あらば拾ひに行かむ住吉の岸に寄るといふ恋忘れ貝 [仮名],いとまあらば,ひりひにゆかむ,すみのえの,きしによるといふ,こひわすれがひ
1148
[原文]馬雙而 今日吾見鶴 住吉之 岸之黄土 於万世見 [訓読]馬並めて今日我が見つる住吉の岸の埴生を万代に見む [仮名],うまなめて,けふわがみつる,すみのえの,きしのはにふを,よろづよにみむ
1149
[原文]住吉尓 徃云道尓 昨日見之 戀忘貝 事二四有家里 [訓読]住吉に行くといふ道に昨日見し恋忘れ貝言にしありけり [仮名],すみのえに,ゆくといふみちに,きのふみし,こひわすれがひ,ことにしありけり
1150
[原文]墨吉之 岸尓家欲得 奥尓邊尓 縁白浪 見乍将思 [訓読]住吉の岸に家もが沖に辺に寄する白波見つつ偲はむ [仮名],すみのえの,きしにいへもが,おきにへに,よするしらなみ,みつつしのはむ
1151
[原文]大伴之 三津之濱邊乎 打曝 因来浪之 逝方不知毛 [訓読]大伴の御津の浜辺をうちさらし寄せ来る波のゆくへ知らずも [仮名],おほともの,みつのはまへを,うちさらし,よせくるなみの,ゆくへしらずも
1152
[原文]梶之音曽 髣髴為鳴 海末通女 奥藻苅尓 舟出為等思母 [一云 暮去者 梶之音為奈利] [訓読]楫の音ぞほのかにすなる海人娘子沖つ藻刈りに舟出すらしも [一云 夕されば楫の音すなり] [仮名],かぢのおとぞ,ほのかにすなる,あまをとめ,おきつもかりに,ふなですらしも,[ゆふされば,かぢのおとすなり]
1153
[原文]住吉之 名兒之濱邊尓 馬立而 玉拾之久 常不所忘 [訓読]住吉の名児の浜辺に馬立てて玉拾ひしく常忘らえず [仮名],すみのえの,なごのはまへに,うまたてて,たまひりひしく,つねわすらえず
1154
[原文]雨者零 借廬者作 何暇尓 吾兒之塩干尓 玉者将拾 [訓読]雨は降る刈廬は作るいつの間に吾児の潮干に玉は拾はむ [仮名],あめはふる,かりいほはつくる,いつのまに,あごのしほひに,たまはひりはむ
1155
[原文]奈呉乃海之 朝開之奈凝 今日毛鴨 礒之浦廻尓 乱而将有 [訓読]名児の海の朝明のなごり今日もかも磯の浦廻に乱れてあるらむ [仮名],なごのうみの,あさけのなごり,けふもかも,いそのうらみに,みだれてあるらむ
1156
[原文]住吉之 遠里小野之 真榛以 須礼流衣乃 盛過去 [訓読]住吉の遠里小野の真榛もち摺れる衣の盛り過ぎゆく [仮名],すみのえの,とほさとをのの,まはりもち,すれるころもの,さかりすぎゆく
1157
[原文]時風 吹麻久不知 阿胡乃海之 朝明之塩尓 玉藻苅奈 [訓読]時つ風吹かまく知らず吾児の海の朝明の潮に玉藻刈りてな [仮名],ときつかぜ,ふかまくしらず,あごのうみの,あさけのしほに,たまもかりてな
1158
[原文]住吉之 奥津白浪 風吹者 来依留濱乎 見者浄霜 [訓読]住吉の沖つ白波風吹けば来寄する浜を見れば清しも [仮名],すみのえの,おきつしらなみ,かぜふけば,きよするはまを,みればきよしも
1159
[原文]住吉之 岸之松根 打曝 縁来浪之 音之清羅 [訓読]住吉の岸の松が根うちさらし寄せ来る波の音のさやけさ [仮名],すみのえの,きしのまつがね,うちさらし,よせくるなみの,おとのさやけさ
1160
[原文]難波方 塩干丹立而 見渡者 淡路嶋尓 多豆渡所見 [訓読]難波潟潮干に立ちて見わたせば淡路の島に鶴渡る見ゆ [仮名],なにはがた,しほひにたちて,みわたせば,あはぢのしまに,たづわたるみゆ
1161
[原文]離家 旅西在者 秋風 寒暮丹 鴈喧<度> [訓読]家離り旅にしあれば秋風の寒き夕に雁鳴き渡る [仮名],いへざかり,たびにしあれば,あきかぜの,さむきゆふへに,かりなきわたる
1162
[原文]圓方之 湊之渚鳥 浪立也 妻唱立而 邊近著毛 [訓読]円方の港の洲鳥波立てや妻呼びたてて辺に近づくも [仮名],まとかたの,みなとのすどり,なみたてや,つまよびたてて,へにちかづくも
1163
[原文]年魚市方 塩干家良思 知多乃浦尓 朝榜舟毛 奥尓依所見 [訓読]年魚市潟潮干にけらし知多の浦に朝漕ぐ舟も沖に寄る見ゆ [仮名],あゆちがた,しほひにけらし,したのうらに,あさこぐふねも,おきによるみゆ
1164
[原文]塩干者 共滷尓出 鳴鶴之 音遠放 礒廻為等霜 [訓読]潮干ればともに潟に出で鳴く鶴の声遠ざかる磯廻すらしも [仮名],しほふれば,ともにかたにいで,なくたづの,こゑとほざかる,いそみすらしも
1165
[原文]暮名寸尓 求食為鶴 塩満者 奥浪高三 己妻喚 [訓読]夕なぎにあさりする鶴潮満てば沖波高み己妻呼ばふ [仮名],ゆふなぎに,あさりするたづ,しほみてば,おきなみたかみ,おのづまよばふ
1166
[原文]古尓 有監人之 覓乍 衣丹揩牟 真野之榛原 [訓読]いにしへにありけむ人の求めつつ衣に摺りけむ真野の榛原 [仮名],いにしへに,ありけむひとの,もとめつつ,きぬにすりけむ,まののはりはら
1167
[原文]朝入為等 礒尓吾見之 莫告藻乎 誰嶋之 白水郎可将苅 [訓読]あさりすと礒に我が見しなのりそをいづれの島の海人か刈りけむ [仮名],あさりすと,いそにわがみし,なのりそを,いづれのしまの,あまかかりけむ
1168
[原文]今日毛可母 奥津玉藻者 白浪之 八重折之於丹 乱而将有 [訓読]今日もかも沖つ玉藻は白波の八重をるが上に乱れてあるらむ [仮名],けふもかも,おきつたまもは,しらなみの,やへをるがうへに,みだれてあるらむ
1169
[原文]近江之海 湖者八十 何尓加 <公>之舟泊 草結兼 [訓読]近江の海港は八十ちいづくにか君が舟泊て草結びけむ [仮名],あふみのうみ,みなとはやそち,いづくにか,きみがふねはて,くさむすびけむ
1170
[原文]佐左浪乃 連庫山尓 雲居者 雨會零智否 反来吾背 [訓読]楽浪の連庫山に雲居れば雨ぞ降るちふ帰り来我が背 [仮名],ささなみの,なみくらやまに,くもゐれば,あめぞふるちふ,かへりこわがせ
1171
[原文]大御舟 竟而佐守布 高嶋之 三尾勝野之 奈伎左思所念 [訓読]大御船泊ててさもらふ高島の三尾の勝野の渚し思ほゆ [仮名],おほみふね,はててさもらふ,たかしまの,みをのかつのの,なぎさしおもほゆ
1172
[原文]何處可 舟乗為家牟 高嶋之 香取乃浦従 己藝出来船 [訓読]いづくにか舟乗りしけむ高島の香取の浦ゆ漕ぎ出来る舟 [仮名],いづくにか,ふなのりしけむ,たかしまの,かとりのうらゆ,こぎでくるふね
1173
[原文]斐太人之 真木流云 尓布乃河 事者雖通 船會不通 [訓読]飛騨人の真木流すといふ丹生の川言は通へど舟ぞ通はぬ [仮名],ひだひとの,まきながすといふ,にふのかは,ことはかよへど,ふねぞかよはぬ
1174
[原文]霰零 鹿嶋之埼乎 浪高 過而夜将行 戀敷物乎 [訓読]霰降り鹿島の崎を波高み過ぎてや行かむ恋しきものを [仮名],あられふり,かしまのさきを,なみたかみ,すぎてやゆかむ,こほしきものを
1175
[原文]足柄乃 筥根飛超 行鶴乃 乏見者 日本之所念 [訓読]足柄の箱根飛び越え行く鶴の羨しき見れば大和し思ほゆ [仮名],あしがらの,はこねとびこえ,ゆくたづの,ともしきみれば,やまとしおもほゆ
1176
[原文]夏麻引 海上滷乃 <奥>洲尓 鳥<者>簀竹跡 君者音文不為 [訓読]夏麻引く海上潟の沖つ洲に鳥はすだけど君は音もせず [仮名],なつそびく,うなかみがたの,おきつすに,とりはすだけど,きみはおともせず
1177
[原文]若狭在 三方之海之 濱清美 伊徃變良比 見跡不飽可聞 [訓読]若狭なる三方の海の浜清みい行き帰らひ見れど飽かぬかも [仮名],わかさなる,みかたのうみの,はまきよみ,いゆきかへらひ,みれどあかぬかも
1178
[原文]印南野者 徃過奴良之 天傳 日笠浦 波立見 [一云 思賀麻江者 許藝須疑奴良思] [訓読]印南野は行き過ぎぬらし天伝ふ日笠の浦に波立てり見ゆ [一云 飾磨江は漕ぎ過ぎぬらし] [仮名],いなみのは,ゆきすぎぬらし,あまづたふ,ひかさのうらに,なみたてりみゆ,[しかまえは,こぎすぎぬらし]
1179
[原文]家尓之弖 吾者将戀名 印南野乃 淺茅之上尓 照之月夜乎 [訓読]家にして我れは恋ひむな印南野の浅茅が上に照りし月夜を [仮名],いへにして,あれはこひむな,いなみのの,あさぢがうへに,てりしつくよを
1180
[原文]荒礒超 浪乎恐見 淡路嶋 不見哉将過<去> 幾許近乎 [訓読]荒磯越す波を畏み淡路島見ずか過ぎなむここだ近きを [仮名],ありそこす,なみをかしこみ,あはぢしま,みずかすぎなむ,ここだちかきを
1181
[原文]朝霞 不止軽引 龍田山 船出将為日者 吾将戀香聞 [訓読]朝霞止まずたなびく龍田山舟出せむ日は我れ恋ひむかも [仮名],あさかすみ,やまずたなびく,たつたやま,ふなでしなむひ,あれこひむかも
1182
[原文]海人小船 帆毳張流登 見左右荷 鞆之浦廻二 浪立有所見 [訓読]海人小舟帆かも張れると見るまでに鞆の浦廻に波立てり見ゆ [仮名],あまをぶね,ほかもはれると,みるまでに,とものうらみに,なみたてりみゆ
1183
[原文]好去而 亦還見六 大夫乃 手二巻持在 鞆之浦廻乎 [訓読]ま幸くてまたかへり見む大夫の手に巻き持てる鞆の浦廻を [仮名],まさきくて,またかへりみむ,ますらをの,てにまきもてる,とものうらみを
1184
[原文]鳥自物 海二浮居而 <奥>浪 驂乎聞者 數悲哭 [訓読]鳥じもの海に浮き居て沖つ波騒くを聞けばあまた悲しも [仮名],とりじもの,うみにうきゐて,おきつなみ,さわくをきけば,あまたかなしも
1185
[原文]朝菜寸二 真梶榜出而 見乍来之 三津乃松原 浪越似所見 [訓読]朝なぎに真楫漕ぎ出て見つつ来し御津の松原波越しに見ゆ [仮名],あさなぎに,まかぢこぎでて,みつつこし,みつのまつばら,なみごしにみゆ
1186
[原文]朝入為流 海未通女等之 袖通 沾西衣 雖干跡不乾 [訓読]あさりする海人娘子らが袖通り濡れにし衣干せど乾かず [仮名],あさりする,あまをとめらが,そでとほり,ぬれにしころも,ほせどかわかず
1187
[原文]網引為 海子哉見 飽浦 清荒礒 見来吾 [訓読]網引する海人とか見らむ飽の浦の清き荒磯を見に来し我れを [仮名],あびきする,あまとかみらむ,あくのうらの,きよきありそを,みにこしわれを
1188
[原文]山超而 遠津之濱之 石管自 迄吾来 含而有待 [訓読]山越えて遠津の浜の岩つつじ我が来るまでにふふみてあり待て [仮名],やまこえて,とほつのはまの,いはつつじ,わがくるまでに,ふふみてありまて
1189
[原文]大海尓 荒莫吹 四長鳥 居名之湖尓 舟泊左右手 [訓読]大海にあらしな吹きそしなが鳥猪名の港に舟泊つるまで [仮名],おほうみに,あらしなふきそ,しながどり,ゐなのみなとに,ふねはつるまで
1190
[原文]舟盡 可志振立而 廬利為 名子江乃濱邊 過不勝鳧 [訓読]舟泊ててかし振り立てて廬りせむ名児江の浜辺過ぎかてぬかも [仮名],ふねはてて,かしふりたてて,いほりせむ,なごえのはまへ,すぎかてぬかも
1191
[原文]妹門 出入乃河之 瀬速見 吾馬爪衝 家思良下 [訓読]妹が門出入の川の瀬を早み我が馬つまづく家思ふらしも [仮名],いもがかど,いでいりのかはの,せをはやみ,あがうまつまづく,いへもふらしも
1192
[原文]白栲尓 丹保布信土之 山川尓 吾馬難 家戀良下 [訓読]白栲ににほふ真土の山川に我が馬なづむ家恋ふらしも [仮名],しろたへに,にほふまつちの,やまがはに,あがうまなづむ,いへこふらしも
1193
[原文]勢能山尓 直向 妹之山 事聴屋毛 打橋渡 [訓読]背の山に直に向へる妹の山事許せやも打橋渡す [仮名],せのやまに,ただにむかへる,いものやま,ことゆるせやも,うちはしわたす
1194
[原文]木國之 狭日鹿乃浦尓 出見者 海人之燎火 浪間従所見 [訓読]紀の国の雑賀の浦に出で見れば海人の燈火波の間ゆ見ゆ [仮名],きのくにの,さひかのうらに,いでみれば,あまのともしび,なみのまゆみゆ
1195
[原文]麻衣 著者夏樫 木國之 妹背之山二 麻蒔吾妹 [訓読]麻衣着ればなつかし紀の国の妹背の山に麻蒔く我妹 [仮名],あさごろも,きればなつかし,きのくにの,いもせのやまに,あさまくわぎも
1196
[原文]欲得L登 乞者令取 貝拾 吾乎沾莫 奥津白浪 [訓読]つともがと乞はば取らせむ貝拾ふ我れを濡らすな沖つ白波 [仮名],つともがと,こはばとらせむ,かひひりふ,われをぬらすな,おきつしらなみ
1197
[原文]手取之 柄二忘跡 礒人之曰師 戀忘貝 言二師有来 [訓読]手に取るがからに忘ると海人の言ひし恋忘れ貝言にしありけり [仮名],てにとるが,からにわすると,あまのいひし,こひわすれがひ,ことにしありけり
1198
[原文]求食為跡 礒二住鶴 暁去者 濱風寒弥 自妻喚毛 [訓読]あさりすと礒に棲む鶴明けされば浜風寒み己妻呼ぶも [仮名],あさりすと,いそにすむたづ,あけされば,はまかぜさむみ,おのづまよぶも
1199
[原文]藻苅舟 奥榜来良之 妹之嶋 形見之浦尓 鶴翔所見 [訓読]藻刈り舟沖漕ぎ来らし妹が島形見の浦に鶴翔る見ゆ [仮名],もかりふね,おきこぎくらし,いもがしま,かたみのうらに,たづかけるみゆ
1200
[原文]吾舟者 従奥莫離 向舟 片待香光 従浦榜将會 [訓読]我が舟は沖ゆな離り迎へ舟方待ちがてり浦ゆ漕ぎ逢はむ [仮名],わがふねは,おきゆなさかり,むかへぶね,かたまちがてり,うらゆこぎあはむ
1201
[原文]大海之 水底豊三 立浪之 将依思有 礒之清左 [訓読]大海の水底響み立つ波の寄らむと思へる礒のさやけさ [仮名],おほうみの,みなそことよみ,たつなみの,よせむとおもへる,いそのさやけさ
1202
[原文]自荒礒毛 益而思哉 玉之<裏> 離小嶋 夢<所>見 [訓読]荒礒ゆもまして思へや玉の浦離れ小島の夢にし見ゆる [仮名],ありそゆも,ましておもへや,たまのうら,はなれこしまの,いめにしみゆる
1203
[原文]礒上尓 爪木折焼 為汝等 吾潜来之 奥津白玉 [訓読]礒の上に爪木折り焚き汝がためと我が潜き来し沖つ白玉 [仮名],いそのうへに,つまきをりたき,ながためと,わがかづきこし,おきつしらたま
1204
[原文]濱清美 礒尓吾居者 見者 白水郎可将見 釣不為尓 [訓読]浜清み礒に我が居れば見む人は海人とか見らむ釣りもせなくに [仮名],はまきよみ,いそにわがをれば,みむひとは,あまとかみらむ,つりもせなくに
1205
[原文]奥津梶 漸々志夫乎 欲見 吾為里乃 隠久惜毛 [訓読]沖つ楫やくやくしぶを見まく欲り我がする里の隠らく惜しも [仮名],おきつかぢ,やくやくしぶを,みまくほり,わがするさとの,かくらくをしも
1206
[原文]奥津波 部都藻纒持 依来十方 君尓益有 玉将縁八方 [一云 沖津浪 邊<浪>布敷 縁来登母] [訓読]沖つ波辺つ藻巻き持ち寄せ来とも君にまされる玉寄せめやも [一云 沖つ波辺波しくしく寄せ来とも] [仮名],おきつなみ,へつもまきもち,よせくとも,きみにまされる,たまよせめやも,[おきつなみ,へなみしくしく,よせくとも]
1207
[原文]粟嶋尓 許枳将渡等 思鞆 赤石門浪 未佐和来 [訓読]粟島に漕ぎ渡らむと思へども明石の門波いまだ騒けり [仮名],あはしまに,こぎわたらむと,おもへども,あかしのとなみ,いまださわけり
1208
[原文]妹尓戀 余越去者 勢能山之 妹尓不戀而 有之乏左 [訓読]妹に恋ひ我が越え行けば背の山の妹に恋ひずてあるが羨しさ [仮名],いもにこひ,わがこえゆけば,せのやまの,いもにこひずて,あるがともしさ
1209
[原文]人在者 母之最愛子曽 麻毛吉 木川邊之 妹与<背>山 [訓読]人ならば母が愛子ぞあさもよし紀の川の辺の妹と背の山 [仮名],ひとならば,ははがまなごぞ,あさもよし,きのかはのへの,いもとせのやま
1210
[原文]吾妹子尓 吾戀行者 乏雲 並居鴨 妹与勢能山 [訓読]我妹子に我が恋ひ行けば羨しくも並び居るかも妹と背の山 [仮名],わぎもこに,あがこひゆけば,ともしくも,ならびをるかも,いもとせのやま
1211
[原文]妹當 今曽吾行 目耳谷 吾耳見乞 事不問侶 [訓読]妹があたり今ぞ我が行く目のみだに我れに見えこそ言問はずとも [仮名],いもがあたり,いまぞわがゆく,めのみだに,われにみえこそ,こととはずとも
1212
[原文]足代過而 絲鹿乃山之 櫻花 不散在南 還来万代 [訓読]足代過ぎて糸鹿の山の桜花散らずもあらなむ帰り来るまで [仮名],あてすぎて,いとかのやまの,さくらばな,ちらずもあらなむ,かへりくるまで
1213
[原文]名草山 事西在来 吾戀 千重一重 名草目名國 [訓読]名草山言にしありけり我が恋ふる千重の一重も慰めなくに [仮名],なぐさやま,ことにしありけり,あがこふる,ちへのひとへも,なぐさめなくに
1214
[原文]安太部去 小為手乃山之 真木葉毛 久不見者 蘿生尓家里 [訓読]安太へ行く小為手の山の真木の葉も久しく見ねば蘿生しにけり [仮名],あだへゆく,をすてのやまの,まきのはも,ひさしくみねば,こけむしにけり
1215
[原文]玉津嶋 能見而伊座 青丹吉 平城有人之 待問者如何 [訓読]玉津島よく見ていませあをによし奈良なる人の待ち問はばいかに [仮名],たまつしま,よくみていませ,あをによし,ならなるひとの,まちとはばいかに
1216
[原文]塩満者 如何将為跡香 方便海之 神我手渡 海部未通女等 [訓読]潮満たばいかにせむとか海神の神が手渡る海人娘子ども [仮名],しほみたば,いかにせむとか,わたつみの,かみがてわたる,あまをとめども
1217
[原文]玉津嶋 見之善雲 吾無 京徃而 戀幕思者 [訓読]玉津島見てしよけくも我れはなし都に行きて恋ひまく思へば [仮名],たまつしま,みてしよけくも,われはなし,みやこにゆきて,こひまくおもへば
1218
[原文]黒牛乃海 紅丹穂經 百礒城乃 大宮人四 朝入為良霜 [訓読]黒牛の海紅にほふももしきの大宮人しあさりすらしも [仮名],くろうしのうみ,くれなゐにほふ,ももしきの,おほみやひとし,あさりすらしも
1219
[原文]若浦尓 白浪立而 奥風 寒暮者 山跡之所念 [訓読]若の浦に白波立ちて沖つ風寒き夕は大和し思ほゆ [仮名],わかのうらに,しらなみたちて,おきつかぜ,さむきゆふへは,やまとしおもほゆ
1220
[原文]為妹 玉乎拾跡 木國之 湯等乃三埼二 此日鞍四通 [訓読]妹がため玉を拾ふと紀伊の国の由良の岬にこの日暮らしつ [仮名],いもがため,たまをひりふと,きのくにの,ゆらのみさきに,このひくらしつ
1221
[原文]吾舟乃 梶者莫引 自山跡 戀来之心 未飽九二 [訓読]我が舟の楫はな引きそ大和より恋ひ来し心いまだ飽かなくに [仮名],わがふねの,かぢはなひきそ,やまとより,こひこしこころ,いまだあかなくに
1222
[原文]玉津嶋 雖見不飽 何為而 L持将去 不見人之為 [訓読]玉津島見れども飽かずいかにして包み持ち行かむ見ぬ人のため [仮名],たまつしま,みれどもあかず,いかにして,つつみもちゆかむ,みぬひとのため
1223
[原文]綿之底 奥己具舟乎 於邊将因 風毛吹額 波不立而 [訓読]海の底沖漕ぐ舟を辺に寄せむ風も吹かぬか波立てずして [仮名],わたのそこ,おきこぐふねを,へによせむ,かぜもふかぬか,なみたてずして
1224
[原文]大葉山 霞蒙 狭夜深而 吾船将泊 停不知文 [訓読]大葉山霞たなびきさ夜更けて我が舟泊てむ泊り知らずも [仮名],おほばやま,かすみたなびき,さよふけて,わがふねはてむ,とまりしらずも
1225
[原文]狭夜深而 夜中乃方尓 欝之苦 呼之舟人 泊兼鴨 [訓読]さ夜更けて夜中の方におほほしく呼びし舟人泊てにけむかも [仮名],さよふけて,よなかのかたに,おほほしく,よびしふなびと,はてにけむかも
1226
[原文]神前 荒石毛不所見 浪立奴 従何處将行 与奇道者無荷 [訓読]三輪の崎荒磯も見えず波立ちぬいづくゆ行かむ避き道はなしに [仮名],みわのさき,ありそもみえず,なみたちぬ,いづくゆゆかむ,よきぢはなしに
1227
[原文]礒立 奥邊乎見者 海藻苅舟 海人榜出良之 鴨翔所見 [訓読]礒に立ち沖辺を見れば藻刈り舟海人漕ぎ出らし鴨翔る見ゆ [仮名],いそにたち,おきへをみれば,めかりぶね,あまこぎづらし,かもかけるみゆ
1228
[原文]風早之 三穂乃浦廻乎 榜舟之 船人動 浪立良下 [訓読]風早の三穂の浦廻を漕ぐ舟の舟人騒く波立つらしも [仮名],かざはやの,みほのうらみを,こぐふねの,ふなびとさわく,なみたつらしも
1229
[原文]吾舟者 <明>石之<湖>尓 榜泊牟 奥方莫放 狭夜深去来 [訓読]我が舟は明石の水門に漕ぎ泊てむ沖へな離りさ夜更けにけり [仮名],わがふねは,あかしのみとに,こぎはてむ,おきへなさかり,さよふけにけり
1230
[原文]千磐破 金之三<埼>乎 過鞆 吾者不忘 <壮>鹿之須賣神 [訓読]ちはやぶる鐘の岬を過ぎぬとも我れは忘れじ志賀の皇神 [仮名],ちはやぶる,かねのみさきを,すぎぬとも,われはわすれじ,しかのすめかみ
1231
[原文]天霧相 日方吹羅之 水莖之 岡水門尓 波立渡 [訓読]天霧らひひかた吹くらし水茎の岡の港に波立ちわたる [仮名],あまぎらひ,ひかたふくらし,みづくきの,をかのみなとに,なみたちわたる
1232
[原文]大海之 波者畏 然有十方 神乎齊祀而 船出為者如何 [訓読]大海の波は畏ししかれども神を斎ひて舟出せばいかに [仮名],おほうみの,なみはかしこし,しかれども,かみをいはひて,ふなでせばいかに
1233
[原文]未通女等之 織機上乎 真櫛用 掻上栲嶋 波間従所見 [訓読]娘子らが織る機の上を真櫛もち掻上げ栲島波の間ゆ見ゆ [仮名],をとめらが,おるはたのうへを,まくしもち,かかげたくしま,なみのまゆみゆ
1234
[原文]塩早三 礒廻荷居者 入潮為 海人鳥屋見濫 多比由久和礼乎 [訓読]潮早み磯廻に居れば潜きする海人とや見らむ旅行く我れを [仮名],しほはやみ,いそみにをれば,かづきする,あまとやみらむ,たびゆくわれを
1235
[原文]浪高之 奈何梶<執> 水鳥之 浮宿也應為 猶哉可榜 [訓読]波高しいかに楫取り水鳥の浮寝やすべきなほや漕ぐべき [仮名],なみたかし,いかにかぢとり,みづとりの,うきねやすべき,なほやこぐべき
1236
[原文]夢耳 継而所見<乍> 竹嶋之 越礒波之 敷布所念 [訓読]夢のみに継ぎて見えつつ高島の礒越す波のしくしく思ほゆ [仮名],いめのみに,つぎてみえつつ,たかしまの,いそこすなみの,しくしくおもほゆ
1237
[原文]静母 岸者波者 縁家留香 此屋通 聞乍居者 [訓読]静けくも岸には波は寄せけるかこれの屋通し聞きつつ居れば [仮名],しづけくも,きしにはなみは,よせけるか,これのやとほし,ききつつをれば
1238
[原文]竹嶋乃 阿戸白波者 動友 吾家思 五百入そ染 [訓読]高島の安曇白波は騒けども我れは家思ふ廬り悲しみ [仮名],たかしまの,あどしらなみは,さわけども,われはいへおもふ,いほりかなしみ
1239
[原文]大海之 礒本由須理 立波之 将依念有 濱之浄奚久 [訓読]大海の礒もと揺り立つ波の寄せむと思へる浜の清けく [仮名],おほうみの,いそもとゆすり,たつなみの,よせむとおもへる,はまのきよけく
1240
[原文]珠匣 見諸戸山<矣> 行之鹿齒 面白四手 古昔所念 [訓読]玉櫛笥みもろと山を行きしかばおもしろくしていにしへ思ほゆ [仮名],たまくしげ,みもろとやまを,ゆきしかば,おもしろくして,いにしへおもほゆ
1241
[原文]黒玉之 玄髪山乎 朝越而 山下露尓 沾来鴨 [訓読]ぬばたまの黒髪山を朝越えて山下露に濡れにけるかも [仮名],ぬばたまの,くろかみやまを,あさこえて,やましたつゆに,ぬれにけるかも
1242
[原文]足引之 山行暮 宿借者 妹立待而 宿将借鴨 [訓読]あしひきの山行き暮らし宿借らば妹立ち待ちてやど貸さむかも [仮名],あしひきの,やまゆきぐらし,やどからば,いもたちまちて,やどかさむかも
1243
[原文]視渡者 近里廻乎 田本欲 今衣吾来 礼巾振之野尓 [訓読]見わたせば近き里廻をた廻り今ぞ我が来る領巾振りし野に [仮名],みわたせば,ちかきさとみを,たもとほり,いまぞわがくる,ひれふりしのに
1244
[原文]未通女等之 放髪乎 木綿山 雲莫蒙 家當将見 [訓読]娘子らが放りの髪を由布の山雲なたなびき家のあたり見む [仮名],をとめらが,はなりのかみを,ゆふのやま,くもなたなびき,いへのあたりみむ
1245
[原文]四可能白水郎乃 釣船之<た> 不堪 情念而 出而来家里 [訓読]志賀の海人の釣舟の綱堪へずして心に思ひて出でて来にけり [仮名],しかのあまの,つりぶねのつな,あへなくも,こころにおもひて,いでてきにけり
1246
[原文]之加乃白水郎之 燒塩煙 風乎疾 立者不上 山尓軽引 [訓読]志賀の海人の塩焼く煙風をいたみ立ちは上らず山にたなびく [仮名],しかのあまの,しほやくけぶり,かぜをいたみ,たちはのぼらず,やまにたなびく
1247
[原文]大穴道 少御神 作 妹勢能山 見吉 [訓読]大汝少御神の作らしし妹背の山を見らくしよしも [仮名],おほなむち,すくなみかみの,つくらしし,いもせのやまを,みらくしよしも
1248
[原文]吾妹子 見偲 奥藻 花開在 我告与 [訓読]我妹子と見つつ偲はむ沖つ藻の花咲きたらば我れに告げこそ [仮名],わぎもこと,みつつしのはむ,おきつもの,はなさきたらば,われにつげこそ
1249
[原文]君為 浮沼池 菱採 我染袖 沾在哉 [訓読]君がため浮沼の池の菱摘むと我が染めし袖濡れにけるかも [仮名],きみがため,うきぬのいけの,ひしつむと,わがそめしそで,ぬれにけるかも
1250
[原文]妹為 菅實採 行吾 山路惑 此日暮 [訓読]妹がため菅の実摘みに行きし我れ山道に惑ひこの日暮らしつ [仮名],いもがため,すがのみつみに,ゆきしわれ,やまぢにまとひ,このひくらしつ
1251
[原文]佐保河尓 鳴成智鳥 何師鴨 川原乎思努比 益河上 [訓読]佐保川に鳴くなる千鳥何しかも川原を偲ひいや川上る [仮名],さほがはに,なくなるちどり,なにしかも,かはらをしのひ,いやかはのぼる
1252
[原文]人社者 意保尓毛言目 我幾許 師努布川原乎 標緒勿謹 [訓読]人こそばおほにも言はめ我がここだ偲ふ川原を標結ふなゆめ [仮名],ひとこそば,おほにもいはめ,わがここだ,しのふかはらを,しめゆふなゆめ
1253
[原文]神樂浪之 思我津乃白水郎者 吾無二 潜者莫為 浪雖不立 [訓読]楽浪の志賀津の海人は我れなしに潜きはなせそ波立たずとも [仮名],ささなみの,しがつのあまは,あれなしに,かづきはなせそ,なみたたずとも
1254
[原文]大船尓 梶之母有奈牟 君無尓 潜為八方 波雖不起 [訓読]大船に楫しもあらなむ君なしに潜きせめやも波立たずとも [仮名],おほぶねに,かぢしもあらなむ,きみなしに,かづきせめやも,なみたたずとも
1255
[原文]月草尓 衣曽染流 君之為 綵色衣 将摺跡念而 [訓読]月草に衣ぞ染むる君がため斑の衣摺らむと思ひて [仮名],つきくさに,ころもぞそむる,きみがため,まだらのころも,すらむとおもひて
1256
[原文]春霞 井上<従>直尓 道者雖有 君尓将相登 他廻来毛 [訓読]春霞井の上ゆ直に道はあれど君に逢はむとた廻り来も [仮名],はるかすみ,ゐのうへゆただに,みちはあれど,きみにあはむと,たもとほりくも
1257
[原文]道邊之 草深由利乃 花咲尓 咲之柄二 妻常可云也 [訓読]道の辺の草深百合の花笑みに笑みしがからに妻と言ふべしや [仮名],みちのへの,くさふかゆりの,はなゑみに,ゑみしがからに,つまといふべしや
1258
[原文]黙然不有跡 事之名種尓 云言乎 聞知良久波 少可者有来 [訓読]黙あらじと言のなぐさに言ふことを聞き知れらくは悪しくはありけり [仮名],もだあらじと,ことのなぐさに,いふことを,ききしれらくは,あしくはありけり
1259
[原文]佐伯山 于花以之 哀我 <手>鴛取而者 花散鞆 [訓読]佐伯山卯の花持ちし愛しきが手をし取りてば花は散るとも [仮名],さへきやま,うのはなまちし,かなしきが,てをしとりてば,はなはちるとも
1260
[原文]不時 斑衣 服欲香 <嶋>針原 時二不有鞆 [訓読]時ならぬ斑の衣着欲しきか島の榛原時にあらねども [仮名],ときならぬ,まだらのころも,きほしきか,しまのはりはら,ときにあらねども
1261
[原文]山守之 里邊通 山道曽 茂成来 忘来下 [訓読]山守の里へ通ひし山道ぞ茂くなりける忘れけらしも [仮名],やまもりの,さとへかよひし,やまみちぞ,しげくなりける,わすれけらしも
1262
[原文]足病之 山海石榴開 八<峯>越 鹿待君之 伊波比嬬可聞 [訓読]あしひきの山椿咲く八つ峰越え鹿待つ君が斎ひ妻かも [仮名],あしひきの,やまつばきさく,やつをこえ,ししまつきみが,いはひつまかも
1263
[原文]暁跡 夜烏雖鳴 此山上之 木末之於者 未静之 [訓読]暁と夜烏鳴けどこの岡の木末の上はいまだ静けし [仮名],あかときと,よがらすなけど,このをかの,こぬれのうへは,いまだしづけし
1264
[原文]西市尓 但獨出而 眼不並 買師絹之 商自許里鴨 [訓読]西の市にただ独り出でて目並べず買ひてし絹の商じこりかも [仮名],にしのいちに,ただひとりいでて,めならべず,かひてしきぬの,あきじこりかも
1265
[原文]今年去 新嶋守之 麻衣 肩乃間乱者 <誰>取見 [訓読]今年行く新防人が麻衣肩のまよひは誰れか取り見む [仮名],ことしゆく,にひさきもりが,あさごろも,かたのまよひは,たれかとりみむ
1266
[原文]大舟乎 荒海尓榜出 八船多氣 吾見之兒等之 目見者知之母 [訓読]大船を荒海に漕ぎ出でや船たけ我が見し子らがまみはしるしも [仮名],おほぶねを,あるみにこぎで,やふねたけ,わがみしこらが,まみはしるしも
1267
[原文]百師木乃 大宮人之 踏跡所 奥浪 来不依有勢婆 不失有麻思乎 [訓読]ももしきの大宮人の踏みし跡ところ沖つ波来寄らずありせば失せずあらましを [仮名],ももしきの,おほみやひとの,ふみしあとところ,おきつなみ,きよらずありせば,うせずあらましを
1268
[原文]兒等手乎 巻向山者 常在常 過徃人尓 徃巻目八方 [訓読]子らが手を巻向山は常にあれど過ぎにし人に行きまかめやも [仮名],こらがてを,まきむくやまは,つねにあれど,すぎにしひとに,ゆきまかめやも
1269
[原文]巻向之 山邊響而 徃水之 三名沫如 世人吾等者 [訓読]巻向の山辺響みて行く水の水沫のごとし世の人我れは [仮名],まきむくの,やまへとよみて,ゆくみづの,みなわのごとし,よのひとわれは
1270
[原文]隠口乃 泊瀬之山丹 照月者 盈ち為焉 人之常無 [訓読]こもりくの泊瀬の山に照る月は満ち欠けしけり人の常なき [仮名],こもりくの,はつせのやまに,てるつきは,みちかけしけり,ひとのつねなき
1271
[原文]遠有而 雲居尓所見 妹家尓 早将至 歩黒駒 [訓読]遠くありて雲居に見ゆる妹が家に早く至らむ歩め黒駒 [仮名],とほくありて,くもゐにみゆる,いもがいへに,はやくいたらむ,あゆめくろこま
1272
[原文]劔<後> 鞘納野 葛引吾妹 真袖以 著點等鴨 夏草苅母 [訓読]大刀の後鞘に入野に葛引く我妹真袖もち着せてむとかも夏草刈るも [仮名],たちのしり,さやにいりのに,くずひくわぎも,まそでもち,きせてむとかも,なつくさかるも
1273
[原文]住吉 波豆麻<公>之 馬乗衣 雜豆臈 漢女乎座而 縫衣叙 [訓読]住吉の波豆麻の君が馬乗衣さひづらふ漢女を据ゑて縫へる衣ぞ [仮名],すみのえの,はづまのきみが,うまのりころも,さひづらふ,あやめをすゑて,ぬへるころもぞ
1274
[原文]住吉 出見濱 柴莫苅曽尼 未通女等 赤裳下 閏将徃見 [訓読]住吉の出見の浜の柴な刈りそね娘子らが赤裳の裾の濡れて行かむ見む [仮名],すみのえの,いでみのはまの,しばなかりそね,をとめらが,あかものすその,ぬれてゆかむみむ
1275
[原文]住吉 小田苅為子 賎鴨無 奴雖在 妹御為 私田苅 [訓読]住吉の小田を刈らす子奴かもなき奴あれど妹がみためと私田刈る [仮名],すみのえの,をだをからすこ,やつこかもなき,やつこあれど,いもがみためと,わたくしだかる
1276
[原文]池邊 小槻下 細竹苅嫌 其谷 <公>形見尓 監乍将偲 [訓読]池の辺の小槻の下の小竹な刈りそねそれをだに君が形見に見つつ偲はむ [仮名],いけのへの,をつきのしたの,しのなかりそね,それをだに,きみがかたみに,みつつしのはむ
1277
[原文]天在 日賣菅原 草<莫>苅嫌 弥<那>綿 香烏髪 飽田志付勿 [訓読]天なる日売菅原の草な刈りそね蜷の腸か黒き髪にあくたし付くも [仮名],あめなる,ひめすがはらの,くさなかりそね,みなのわた,かぐろきかみに,あくたしつくも
1278
[原文]夏影 房之下<邇> 衣裁吾妹 裏儲 吾為裁者 差大裁 [訓読]夏蔭の妻屋の下に衣裁つ我妹うら設けて我がため裁たばやや大に裁て [仮名],なつかげの,つまやのしたに,きぬたつわぎも,うらまけて,あがためたたば,ややおほにたて
1279
[原文]梓弓 引津邊在 莫謂花 及採 不相有目八方 勿謂花 [訓読]梓弓引津の辺なるなのりその花摘むまでに逢はずあらめやもなのりその花 [仮名],あづさゆみ,ひきつのへなる,なのりそのはな,つむまでに,あはずあらめやも,なのりそのはな
1280
[原文]撃日刺 宮路行丹 吾裳破 玉緒 念<妄> 家在矣 [訓読]うちひさす宮道を行くに我が裳は破れぬ玉の緒の思ひ乱れて家にあらましを [仮名],うちひさす,みやぢをゆくに,わがもはやれぬ,たまのをの,おもひみだれて,いへにあらましを
1281
[原文]<公>為 手力勞 織在衣服<叙> 春去 何<色> 揩者吉 [訓読]君がため手力疲れ織れる衣ぞ春さらばいかなる色に摺りてばよけむ [仮名],きみがため,たぢからつかれ,おれるころもぞ,はるさらば,いかなるいろに,すりてばよけむ
1282
[原文]橋立 倉椅山 立白雲 見欲 我為苗 立白雲 [訓読]はしたての倉橋山に立てる白雲見まく欲り我がするなへに立てる白雲 [仮名],はしたての,くらはしやまに,たてるしらくも,みまくほり,わがするなへに,たてるしらくも
1283
[原文]橋立 倉椅川 石走者裳 壮子時 我度為 石走者裳 [訓読]はしたての倉橋川の石の橋はも男盛りに我が渡りてし石の橋はも [仮名],はしたての,くらはしがはの,いしのはしはも,をざかりに,わがわたりてし,いしのはしはも
1284
[原文]橋立 倉椅川 河静菅 余苅 笠裳不編 川静菅 [訓読]はしたての倉橋川の川の静菅我が刈りて笠にも編まぬ川の静菅 [仮名],はしたての,くらはしがはの,かはのしづすげ,わがかりて,かさにもあまぬ,かはのしづすげ
1285
[原文]春日尚 田立羸 公哀 若草 つ無公 田立羸 [訓読]春日すら田に立ち疲る君は悲しも若草の妻なき君が田に立ち疲る [仮名],はるひすら,たにたちつかる,きみはかなしも,わかくさの,つまなききみが,たにたちつかる
1286
[原文]開木代 来背社 草勿手折 己時 立雖榮 草勿手折 [訓読]山背の久世の社の草な手折りそ我が時と立ち栄ゆとも草な手折りそ [仮名],やましろの,くせのやしろの,くさなたをりそ,わがときと,たちさかゆとも,くさなたをりそ
1287
[原文]青角髪 依網原 人相鴨 石走 淡海縣 物語為 [訓読]青みづら依網の原に人も逢はぬかも石走る近江県の物語りせむ [仮名],あをみづら,よさみのはらに,ひともあはぬかも,いはばしる,あふみあがたの,ものがたりせむ
1288
[原文]水門 葦末葉 誰手折 吾背子 振手見 我手折 [訓読]港の葦の末葉を誰れか手折りし我が背子が振る手を見むと我れぞ手折りし [仮名],みなとの,あしのうらばを,たれかたをりし,わがせこが,ふるてをみむと,われぞたをりし
1289
[原文]垣越 犬召越 鳥猟為公 青山 <葉>茂山邊 馬安<公> [訓読]垣越しに犬呼び越して鳥猟する君青山の茂き山辺に馬休め君 [仮名],かきごしに,いぬよびこして,とがりするきみ,あをやまの,しげきやまへに,うまやすめきみ
1290
[原文]海底 奥玉藻之 名乗曽花 妹与吾 此何有跡 莫語之花 [訓読]海の底沖つ玉藻のなのりその花妹と我れとここにしありとなのりその花 [仮名],わたのそこ,おきつたまもの,なのりそのはな,いもとあれと,ここにしありと,なのりそのはな
1291
[原文]此岡 <草>苅小子 <勿>然苅 有乍 <公>来座 御馬草為 [訓読]この岡に草刈るわらはなしか刈りそねありつつも君が来まさば御馬草にせむ [仮名],このをかに,くさかるわらは,なしかかりそね,ありつつも,きみがきまさむ,みまくさにせむ
1292
[原文]江林 次完也物 求吉 白栲 袖纒上 完待我背 [訓読]江林に臥せる獣やも求むるによき白栲の袖巻き上げて獣待つ我が背 [仮名],えはやしに,ふせるししやも,もとむるによき,しろたへの,そでまきあげて,ししまつわがせ
1293
[原文]丸雪降 遠江 吾跡川楊 雖苅 亦生云 余跡川楊 [訓読]霰降り遠つ淡海の吾跡川楊刈れどもまたも生ふといふ吾跡川楊 [仮名],あられふり,とほつあふみの,あとかはやなぎ,かれども,またもおふといふ,あとかはやなぎ
1294
[原文]朝月 日向山 月立所見 遠妻 持在人 看乍偲 [訓読]朝月の日向の山に月立てり見ゆ遠妻を待ちたる人し見つつ偲はむ [仮名],あさづきの,ひむかのやまに,つきたてりみゆ,とほづまを,もちたるひとし,みつつしのはむ
1295
[原文]春日在 三笠乃山二 月船出 遊士之 飲酒坏尓 陰尓所見管 [訓読]春日なる御笠の山に月の舟出づ風流士の飲む酒杯に影に見えつつ [仮名],かすがなる,みかさのやまに,つきのふねいづ,みやびをの,のむさかづきに,かげにみえつつ
譬喩歌1296
[原文]今造 斑衣服 面<影> 吾尓所念 末服友 [訓読]今作る斑の衣面影に我れに思ほゆいまだ着ねども [仮名],いまつくる,まだらのころも,おもかげに,われにおもほゆ,いまだきねども
1297
[原文]紅 衣染 雖欲 著丹穗哉 人可知 [訓読]紅に衣染めまく欲しけども着てにほはばか人の知るべき [仮名],くれなゐに,ころもそめまく,ほしけども,きてにほはばか,ひとのしるべき
1298
[原文]<干><各> 人雖云 織次 我廿物 白麻衣 [訓読]かにかくに人は言ふとも織り継がむ我が機物の白麻衣 [仮名],かにかくに,ひとはいふとも,おりつがむ,わがはたものの,しろあさごろも
1299
[原文]安治村 十依海 船浮 白玉採 人所知勿 [訓読]あぢ群のとをよる海に舟浮けて白玉採ると人に知らゆな [仮名],あぢむらの,とをよるうみに,ふねうけて,しらたまとると,ひとにしらゆな
1300
[原文]遠近 礒中在 白玉 人不知 見依鴨 [訓読]をちこちの礒の中なる白玉を人に知らえず見むよしもがも [仮名],をちこちの,いそのなかなる,しらたまを,ひとにしらえず,みむよしもがも
1301
[原文]海神 手纒持在 玉故 石浦廻 潜為鴨 [訓読]海神の手に巻き持てる玉故に礒の浦廻に潜きするかも [仮名],わたつみの,てにまきもてる,たまゆゑに,いそのうらみに,かづきするかも
1302
[原文]海神 持在白玉 見欲 千遍告 潜為海子 [訓読]海神の持てる白玉見まく欲り千たびぞ告りし潜きする海人 [仮名],わたつみの,もてるしらたま,みまくほり,ちたびぞのりし,かづきするあま
1303
[原文]潜為 海子雖告 海神 心不得 所見不云 [訓読]潜きする海人は告れども海神の心し得ねば見ゆといはなくに [仮名],かづきする,あまはのれども,わたつみの,こころしえねば,みゆといはなくに
1304
[原文]天雲 棚引山 隠在 吾<下心> 木葉知 [訓読]天雲のたなびく山の隠りたる我が下心木の葉知るらむ [仮名],あまくもの,たなびくやまの,こもりたる,あがしたごころ,このはしるらむ
1305
[原文]雖見不飽 人國山 木葉 己心 名著念 [訓読]見れど飽かぬ人国山の木の葉をし我が心からなつかしみ思ふ [仮名],みれどあかぬ,ひとくにやまの,このはをし,わがこころから,なつかしみおもふ
1306
[原文]是山 黄葉下 花矣我 小端見 反戀 [訓読]この山の黄葉が下の花を我れはつはつに見てなほ恋ひにけり [仮名],このやまの,もみちのしたの,はなをわれ,はつはつにみて,なほこひにけり
1307
[原文]従此川 船可行 雖在 渡瀬別 守人有 [訓読]この川ゆ舟は行くべくありといへど渡り瀬ごとに守る人のありて [仮名],このかはゆ,ふねはゆくべく,ありといへど,わたりぜごとに,もるひとのありて
1308
[原文]大海 候水門 事有 従何方君 吾率凌 [訓読]大海をさもらふ港事しあらばいづへゆ君は我を率しのがむ [仮名],おほうみを,さもらふみなと,ことしあらば,いづへゆきみは,わをゐしのがむ
1309
[原文]風吹 海荒 明日言 應久 <公>随 [訓読]風吹きて海は荒るとも明日と言はば久しくあるべし君がまにまに [仮名],かぜふきて,うみはあるとも,あすといはば,ひさしくあるべし,きみがまにまに
1310
[原文]雲隠 小嶋神之 恐者 目間 心間哉 [訓読]雲隠る小島の神の畏けば目こそ隔てれ心隔てや [仮名],くもがくる,こしまのかみの,かしこけば,めこそへだてれ,こころへだてや
1311
[原文]橡 衣人<皆> 事無跡 曰師時従 欲服所念 [訓読]橡の衣は人皆事なしと言ひし時より着欲しく思ほゆ [仮名],つるはみの,きぬはひとみな,ことなしと,いひしときより,きほしくおもほゆ
1312
[原文]凡尓 吾之念者 下服而 穢尓師衣乎 取而将著八方 [訓読]おほろかに我れし思はば下に着てなれにし衣を取りて着めやも [仮名],おほろかに,われしおもはば,したにきて,なれにしきぬを,とりてきめやも
1313
[原文]紅之 深染之衣 下著而 上取著者 事将成鴨 [訓読]紅の深染めの衣下に着て上に取り着ば言なさむかも [仮名],くれなゐの,こそめのころも,したにきて,うへにとりきば,ことなさむかも
1314
[原文]橡 解濯衣之 恠 殊欲服 此暮可聞 [訓読]橡の解き洗ひ衣のあやしくもことに着欲しきこの夕かも [仮名],つるはみの,ときあらひきぬの,あやしくも,ことにきほしき,このゆふへかも
1315
[原文]橘之 嶋尓之居者 河遠 不曝縫之 吾下衣 [訓読]橘の島にし居れば川遠みさらさず縫ひし我が下衣 [仮名],たちばなの,しまにしをれば,かはとほみ,さらさずぬひし,あがしたごろも
1316
[原文]河内女之 手染之絲乎 絡反 片絲尓雖有 将絶跡念也 [訓読]河内女の手染めの糸を繰り返し片糸にあれど絶えむと思へや [仮名],かふちめの,てそめのいとを,くりかへし,かたいとにあれど,たえむとおもへや
1317
[原文]海底 沈白玉 風吹而 海者雖荒 不取者不止 [訓読]海の底沈く白玉風吹きて海は荒るとも取らずはやまじ [仮名],わたのそこ,しづくしらたま,かぜふきて,うみはあるとも,とらずはやまじ
1318
[原文]底清 沈有玉乎 欲見 千遍曽告之 潜為白水郎 [訓読]底清み沈ける玉を見まく欲り千たびぞ告りし潜きする海人 [仮名],そこきよみ,しづけるたまを,みまくほり,ちたびぞのりし,かづきするあま
1319
[原文]大海之 水底照之 石著玉 齊而将採 風莫吹行年 [訓読]大海の水底照らし沈く玉斎ひて採らむ風な吹きそね [仮名],おほうみの,みなそこてらし,しづくたま,いはひてとらむ,かぜなふきそね
1320
[原文]水底尓 沈白玉 誰故 心盡而 吾不念尓 [訓読]水底に沈く白玉誰が故に心尽して我が思はなくに [仮名],みなそこに,しづくしらたま,たがゆゑに,こころつくして,わがおもはなくに
1321
[原文]世間 常如是耳加 結大王 白玉之緒 絶樂思者 [訓読]世間は常かくのみか結びてし白玉の緒の絶ゆらく思へば [仮名],よのなかは,つねかくのみか,むすびてし,しらたまのをの,たゆらくおもへば
1322
[原文]伊勢海之 白水郎之嶋津我 鰒玉 取而後毛可 戀之将繁 [訓読]伊勢の海の海人の島津が鰒玉採りて後もか恋の繁けむ [仮名],いせのうみの,あまのしまつが,あはびたま,とりてのちもか,こひのしげけむ
1323
[原文]海之底 奥津白玉 縁乎無三 常如此耳也 戀度味試 [訓読]海の底沖つ白玉よしをなみ常かくのみや恋ひわたりなむ [仮名],わたのそこ,おきつしらたま,よしをなみ,つねかくのみや,こひわたりなむ
1324
[原文]葦根之 懃念而 結義之 玉緒云者 人将解八方 [訓読]葦の根のねもころ思ひて結びてし玉の緒といはば人解かめやも [仮名],あしのねの,ねもころおもひて,むすびてし,たまのをといはば,ひととかめやも
1325
[原文]白玉乎 手者不纒尓 匣耳 置有之人曽 玉令<詠>流 [訓読]白玉を手には巻かずに箱のみに置けりし人ぞ玉嘆かする [仮名],しらたまを,てにはまかずに,はこのみに,おけりしひとぞ,たまなげかする
1326
[原文]照左豆我 手尓纒古須 玉毛欲得 其緒者替而 吾玉尓将為 [訓読]照左豆が手に巻き古す玉もがもその緒は替へて我が玉にせむ [仮名],てるさづが,てにまきふるす,たまもがも,そのをはかへて,わがたまにせむ
1327
[原文]秋風者 継而莫吹 海底 奥在玉乎 手纒左右二 [訓読]秋風は継ぎてな吹きそ海の底沖なる玉を手に巻くまでに [仮名],あきかぜは,つぎてなふきそ,わたのそこ,おきなるたまを,てにまくまでに
1328
[原文]伏膝 玉之小琴之 事無者 甚幾許 吾将戀也毛 [訓読]膝に伏す玉の小琴の事なくはいたくここだく我れ恋ひめやも [仮名],ひざにふす,たまのをごとの,ことなくは,いたくここだく,あれこひめやも
1329
[原文]陸奥之 吾田多良真弓 著<絃>而 引者香人之 吾乎事将成 [訓読]陸奥の安達太良真弓弦はけて引かばか人の我を言なさむ [仮名],みちのくの,あだたらまゆみ,つらはけて,ひかばかひとの,わをことなさむ
1330
[原文]南淵之 細川山 立檀 弓束<纒及> 人二不所知 [訓読]南淵の細川山に立つ檀弓束巻くまで人に知らえじ [仮名],みなぶちの,ほそかはやまに,たつまゆみ,ゆづかまくまで,ひとにしらえじ
1331
[原文]磐疊 恐山常 知管毛 吾者戀香 同等不有尓 [訓読]岩畳畏き山と知りつつも我れは恋ふるか並にあらなくに [仮名],いはたたみ,かしこきやまと,しりつつも,あれはこふるか,なみにあらなくに
1332
[原文]石金之 <凝>敷山尓 入始而 山名付染 出不勝鴨 [訓読]岩が根のこごしき山に入りそめて山なつかしみ出でかてぬかも [仮名],いはがねの,こごしきやまに,いりそめて,やまなつかしみ,いでかてぬかも
1333
[原文]佐<穂>山乎 於凡尓見之鹿跡 今見者 山夏香思母 風吹莫勤 [訓読]佐保山をおほに見しかど今見れば山なつかしも風吹くなゆめ [仮名],さほやまを,おほにみしかど,いまみれば,やまなつかしも,かぜふくなゆめ
1334
[原文]奥山之 於石蘿生 恐常 思情乎 何如裳勢武 [訓読]奥山の岩に苔生し畏けど思ふ心をいかにかもせむ [仮名],おくやまの,いはにこけむし,かしこけど,おもふこころを,いかにかもせむ
1335
[原文]思て 痛文為便無 玉手次 雲飛山仁 吾印結 [訓読]思ひあまりいたもすべなみ玉たすき畝傍の山に我れ標結ひつ [仮名],おもひあまり,いたもすべなみ,たまたすき,うねびのやまに,われしめゆひつ
1336
[原文]冬隠 春乃大野乎 焼人者 焼不足香文 吾情熾 [訓読]冬こもり春の大野を焼く人は焼き足らねかも我が心焼く [仮名],ふゆこもり,はるのおほのを,やくひとは,やきたらねかも,わがこころやく
1337
[原文]葛城乃 高間草野 早知而 標指益乎 今悔拭 [訓読]葛城の高間の草野早知りて標刺さましを今ぞ悔しき [仮名],かづらきの,たかまのかやの,はやしりて,しめささましを,いまぞくやしき
1338
[原文]吾屋前尓 生土針 従心毛 不想人之 衣尓須良由奈 [訓読]我がやどに生ふるつちはり心ゆも思はぬ人の衣に摺らゆな [仮名],わがやどに,おふるつちはり,こころゆも,おもはぬひとの,きぬにすらゆな
1339
[原文]鴨頭草丹 服色取 揩目伴 移變色登 称之苦沙 [訓読]月草に衣色どり摺らめどもうつろふ色と言ふが苦しさ [仮名],つきくさに,ころもいろどり,すらめども,うつろふいろと,いふがくるしさ
1340
[原文]紫 絲乎曽吾搓 足桧之 山橘乎 将貫跡念而 [訓読]紫の糸をぞ我が搓るあしひきの山橘を貫かむと思ひて [仮名],むらさきの,いとをぞわがよる,あしひきの,やまたちばなを,ぬかむとおもひて
1341
[原文]真珠付 越能菅原 吾不苅 人之苅巻 惜菅原 [訓読]真玉つく越智の菅原我れ刈らず人の刈らまく惜しき菅原 [仮名],またまつく,をちのすがはら,われからず,ひとのからまく,をしきすがはら
1342
[原文]山高 夕日隠奴 淺茅原 後見多米尓 標結申尾 [訓読]山高み夕日隠りぬ浅茅原後見むために標結はましを [仮名],やまたかみ,ゆふひかくりぬ,あさぢはら,のちみむために,しめゆはましを
1343
[原文]事痛者 左右将為乎 石代之 野邊之下草 吾之苅而者 [一云 紅之 寫心哉 於妹不相将有] [訓読]言痛くはかもかもせむを岩代の野辺の下草我れし刈りてば [一云 紅の現し心や妹に逢はずあらむ] [仮名],こちたくは,かもかもせむを,いはしろの,のへのしたくさ,われしかりてば,[くれなゐの,うつしこころや,いもにあはずあらむ]
1344
[原文]真鳥住 卯名手之神社之 菅根乎 衣尓書付 令服兒欲得 [訓読]真鳥棲む雲梯の杜の菅の根を衣にかき付け着せむ子もがも [仮名],まとりすむ,うなてのもりの,すがのねを,きぬにかきつけ,きせむこもがも
1345
[原文]常不 人國山乃 秋津野乃 垣津幡鴛 夢見鴨 [訓読]常ならぬ人国山の秋津野のかきつはたをし夢に見しかも [仮名],つねならぬ,ひとくにやまの,あきづのの,かきつはたをし,いめにみしかも
1346
[原文]姫押 生澤邊之 真田葛原 何時鴨絡而 我衣将服 [訓読]をみなへし佐紀沢の辺の真葛原いつかも繰りて我が衣に着む [仮名],をみなへし,さきさはのへの,まくずはら,いつかもくりて,わがきぬにきむ
1347
[原文]於君似 草登見従 我標之 野山之淺茅 人莫苅根 [訓読]君に似る草と見しより我が標めし野山の浅茅人な刈りそね [仮名],きみににる,くさとみしより,わがしめし,のやまのあさぢ,ひとなかりそね
1348
[原文]三嶋江之 玉江之薦乎 従標之 己我跡曽念 雖未苅 [訓読]三島江の玉江の薦を標めしより己がとぞ思ふいまだ刈らねど [仮名],みしまえの,たまえのこもを,しめしより,おのがとぞおもふ,いまだからねど
1349
[原文]如是為<而>也 尚哉将老 三雪零 大荒木野之 小竹尓不有九二 [訓読]かくしてやなほや老いなむみ雪降る大荒木野の小竹にあらなくに [仮名],かくしてや,なほやおいなむ,みゆきふる,おほあらきのの,しのにあらなくに
1350
[原文]淡海之哉 八橋乃小竹乎 不造<笶>而 信有得哉 戀敷鬼<呼> [訓読]近江のや八橋の小竹を矢はがずてまことありえむや恋しきものを [仮名],あふみのや,やばせのしのを,やはがずて,まことありえむや,こほしきものを
1351
[原文]月草尓 衣者将<揩> 朝露尓 所沾而後者 <徙>去友 [訓読]月草に衣は摺らむ朝露に濡れての後はうつろひぬとも [仮名],つきくさに,ころもはすらむ,あさつゆに,ぬれてののちは,うつろひぬとも
1352
[原文]吾情 湯谷絶谷 浮蓴 邊毛奥毛 依<勝>益士 [訓読]我が心ゆたにたゆたに浮蓴辺にも沖にも寄りかつましじ [仮名],あがこころ,ゆたにたゆたに,うきぬなは,へにもおきにも,よりかつましじ
1353
[原文]石上 振之早田乎 雖不秀 繩谷延与 守乍将居 [訓読]石上布留の早稲田を秀でずとも縄だに延へよ守りつつ居らむ [仮名],いそのかみ,ふるのわさだを,ひでずとも,なはだにはへよ,もりつつをらむ
1354
[原文]白菅之 真野乃榛原 心従毛 不念<吾>之 衣尓<揩> [訓読]白菅の真野の榛原心ゆも思はぬ我れし衣に摺りつ [仮名],しらすげの,まののはりはら,こころゆも,おもはぬわれし,ころもにすりつ
1355
[原文]真木柱 作蘇麻人 伊左佐目丹 借廬之為跡 造計米八方 [訓読]真木柱作る杣人いささめに仮廬のためと作りけめやも [仮名],まきばしら,つくるそまびと,いささめに,かりいほのためと,つくりけめやも
1356
[原文]向峯尓 立有桃樹 <将>成哉等 人曽耳言為 汝情勤 [訓読]向つ峰に立てる桃の木ならむやと人ぞささやく汝が心ゆめ [仮名],むかつをに,たてるもものき,ならむやと,ひとぞささやく,ながこころゆめ
1357
[原文]足乳根乃 母之其業 桑尚 願者衣尓 著常云物乎 [訓読]たらちねの母がそのなる桑すらに願へば衣に着るといふものを [仮名],たらちねの,ははがそのなる,くはすらに,ねがへばきぬに,きるといふものを
1358
[原文]波之吉也思 吾家乃毛桃 本繁 花耳開而 不成在目八方 [訓読]はしきやし我家の毛桃本茂く花のみ咲きてならずあらめやも [仮名],はしきやし,わぎへのけもも,もとしげく,はなのみさきて,ならずあらめやも
1359
[原文]向岳之 若楓木 下枝取 花待伊間尓 嘆鶴鴨 [訓読]向つ峰の若桂の木下枝取り花待つい間に嘆きつるかも [仮名],むかつをの,わかかつらのき,しづえとり,はなまついまに,なげきつるかも
1360
[原文]氣緒尓 念有吾乎 山治左能 花尓香<公>之 移奴良武 [訓読]息の緒に思へる我れを山ぢさの花にか君がうつろひぬらむ [仮名],いきのをに,おもへるわれを,やまぢさの,はなにかきみが,うつろひぬらむ
1361
[原文]墨吉之 淺澤小野之 垣津幡 衣尓揩著 将衣日不知毛 [訓読]住吉の浅沢小野のかきつはた衣に摺り付け着む日知らずも [仮名],すみのえの,あささはをのの,かきつはた,きぬにすりつけ,きむひしらずも
1362
[原文]秋去者 影毛将為跡 吾蒔之 韓藍之花乎 誰採家牟 [訓読]秋さらば移しもせむと我が蒔きし韓藍の花を誰れか摘みけむ [仮名],あきさらば,うつしもせむと,わがまきし,からあゐのはなを,たれかつみけむ
1363
[原文]春日野尓 咲有芽子者 片枝者 未含有 言勿絶行年 [訓読]春日野に咲きたる萩は片枝はいまだふふめり言な絶えそね [仮名],かすがのに,さきたるはぎは,かたえだは,いまだふふめり,ことなたえそね
1364
[原文]欲見 戀管待之 秋芽子者 花耳開而 不成可毛将有 [訓読]見まく欲り恋ひつつ待ちし秋萩は花のみ咲きてならずかもあらむ [仮名],みまくほり,こひつつまちし,あきはぎは,はなのみさきて,ならずかもあらむ
1365
[原文]吾妹子之 屋前之秋芽子 自花者 實成而許曽 戀益家礼 [訓読]我妹子がやどの秋萩花よりは実になりてこそ恋ひまさりけれ [仮名],わぎもこが,やどのあきはぎ,はなよりは,みになりてこそ,こひまさりけれ
1366
[原文]明日香川 七瀬之不行尓 住鳥毛 意有社 波不立目 [訓読]明日香川七瀬の淀に住む鳥も心あれこそ波立てざらめ [仮名],あすかがは,ななせのよどに,すむとりも,こころあれこそ,なみたてざらめ
1367
[原文]三國山 木末尓住歴 武佐左妣乃 此待鳥如 吾<俟>将痩 [訓読]三国山木末に住まふむささびの鳥待つごとく我れ待ち痩せむ [仮名],みくにやま,こぬれにすまふ,むささびの,とりまつごとく,われまちやせむ
1368
[原文]石倉之 小野従秋津尓 發渡 雲西裳在哉 時乎思将待 [訓読]岩倉の小野ゆ秋津に立ちわたる雲にしもあれや時をし待たむ [仮名],いはくらの,をのゆあきづに,たちわたる,くもにしもあれや,ときをしまたむ
1369
[原文]天雲 近光而 響神之 見者恐 不見者悲毛 [訓読]天雲に近く光りて鳴る神の見れば畏し見ねば悲しも [仮名],あまくもに,ちかくひかりて,なるかみの,みればかしこし,みねばかなしも
1370
[原文]甚多毛 不零雨故 庭立水 太莫逝 人之應知 [訓読]はなはだも降らぬ雨故にはたづみいたくな行きそ人の知るべく [仮名],はなはだも,ふらぬあめゆゑ,にはたづみ,いたくなゆきそ,ひとのしるべく
1371
[原文]久堅之 雨尓波不著乎 恠毛 吾袖者 干時無香 [訓読]ひさかたの雨には着ぬをあやしくも我が衣手は干る時なきか [仮名],ひさかたの,あめにはきぬを,あやしくも,わがころもでは,ふるときなきか
1372
[原文]三空徃 月讀<壮>士 夕不去 目庭雖見 因縁毛無 [訓読]み空行く月読壮士夕さらず目には見れども寄るよしもなし [仮名],みそらゆく,つくよみをとこ,ゆふさらず,めにはみれども,よるよしもなし
1373
[原文]春日山 々高有良之 石上 菅根将見尓 月待難 [訓読]春日山山高くあらし岩の上の菅の根見むに月待ちかたし [仮名],かすがやま,やまたかくあらし,いはのうへの,すがのねみむに,つきまちかたし
1374
[原文]闇夜者 辛苦物乎 何時跡 吾待月毛 早毛照奴賀 [訓読]闇の夜は苦しきものをいつしかと我が待つ月も早も照らぬか [仮名],やみのよは,くるしきものを,いつしかと,わがまつつきも,はやもてらぬか
1375
[原文]朝霜之 消安命 為誰 千歳毛欲得跡 吾念莫國 [訓読]朝霜の消やすき命誰がために千年もがもと我が思はなくに [仮名],あさしもの,けやすきいのち,たがために,ちとせもがもと,わがおもはなくに
1376
[原文]山跡之 宇陀乃真赤土 左丹著者 曽許裳香人之 吾乎言将成 [訓読]大和の宇陀の真埴のさ丹付かばそこもか人の我を言なさむ [仮名],やまとの,うだのまはにの,さにつかば,そこもかひとの,わをことなさむ
1377
[原文]木綿懸而 祭三諸乃 神佐備而 齊尓波不在 人目多見許<曽> [訓読]木綿懸けて祭る三諸の神さびて斎むにはあらず人目多みこそ [仮名],ゆふかけて,まつるみもろの,かむさびて,いむにはあらず,ひとめおほみこそ
1378
[原文]木綿懸而 齊此神社 可超 所念可毛 戀之繁尓 [訓読]木綿懸けて斎ふこの社越えぬべく思ほゆるかも恋の繁きに [仮名],ゆふかけて,いはふこのもり,こえぬべく,おもほゆるかも,こひのしげきに
1379
[原文]不絶逝 明日香川之 不逝有者 故霜有如 人之見國 [訓読]絶えず行く明日香の川の淀めらば故しもあるごと人の見まくに [仮名],たえずゆく,あすかのかはの,よどめらば,ゆゑしもあるごと,ひとのみまくに
1380
[原文]明日香川 湍瀬尓玉藻者 雖生有 四賀良美有者 靡不相 [訓読]明日香川瀬々に玉藻は生ひたれどしがらみあれば靡きあはなくに [仮名],あすかがは,せぜにたまもは,おひたれど,しがらみあれば,なびきあはなくに
1381
[原文]廣瀬<河> 袖衝許 淺乎也 心深目手 吾念有良武 [訓読]広瀬川袖漬くばかり浅きをや心深めて我が思へるらむ [仮名],ひろせがは,そでつくばかり,あさきをや,こころふかめて,わがおもへるらむ
1382
[原文]泊瀬川 流水沫之 絶者許曽 吾念心 不遂登思齒目 [訓読]泊瀬川流るる水沫の絶えばこそ我が思ふ心遂げじと思はめ [仮名],はつせがは,ながるるみなわの,たえばこそ,あがおもふこころ,とげじとおもはめ
1383
[原文]名毛伎世婆 人可知見 山川之 瀧情乎 塞敢<而>有鴨 [訓読]嘆きせば人知りぬべみ山川のたぎつ心を塞かへてあるかも [仮名],なげきせば,ひとしりぬべみ,やまがはの,たぎつこころを,せかへてあるかも
1384
[原文]水隠尓 氣衝餘 早川之 瀬者立友 人二将言八方 [訓読]水隠りに息づきあまり早川の瀬には立つとも人に言はめやも [仮名],みごもりに,いきづきあまり,はやかはの,せにはたつとも,ひとにいはめやも
1385
[原文]真そ持 弓削河原之 埋木之 不可顕 事<尓>不有君 [訓読]真鉋持ち弓削の川原の埋れ木のあらはるましじきことにあらなくに [仮名],まかなもち,ゆげのかはらの,うもれぎの,あらはるましじき,ことにあらなくに
1386
[原文]大船尓 真梶繁貫 水手出去之 奥<者>将深 潮者干去友 [訓読]大船に真楫しじ貫き漕ぎ出なば沖は深けむ潮は干ぬとも [仮名],おほぶねに,まかぢしじぬき,こぎでなば,おきはふかけむ,しほはひぬとも
1387
[原文]伏超従 去益物乎 間守尓 所打沾 浪不數為而 [訓読]伏越ゆ行かましものをまもらふにうち濡らさえぬ波数まずして [仮名],ふしこえゆ,ゆかましものを,まもらふに,うちぬらさえぬ,なみよまずして
1388
[原文]石灑 岸之浦廻尓 縁浪 邊尓来依者香 言之将繁 [訓読]石そそき岸の浦廻に寄する波辺に来寄らばか言の繁けむ [仮名],いはそそき,きしのうらみに,よするなみ,へにきよらばか,ことのしげけむ
1389
[原文]礒之浦尓 来依白浪 反乍 過不勝者 <誰>尓絶多倍 [訓読]礒の浦に来寄る白波返りつつ過ぎかてなくは誰れにたゆたへ [仮名],いそのうらに,きよるしらなみ,かへりつつ,すぎかてなくは,たれにたゆたへ
1390
[原文]淡海之海 浪恐登 風守 年者也将經去 榜者無二 [訓読]近江の海波畏みと風まもり年はや経なむ漕ぐとはなしに [仮名],あふみのうみ,なみかしこみと,かぜまもり,としはやへなむ,こぐとはなしに
1391
[原文]朝奈藝尓 来依白浪 欲見 吾雖為 風許増不令依 [訓読]朝なぎに来寄る白波見まく欲り我れはすれども風こそ寄せね [仮名],あさなぎに,きよるしらなみ,みまくほり,われはすれども,かぜこそよせね
1392
[原文]紫之 名高浦之 愛子地 袖耳觸而 不寐香将成 [訓読]紫の名高の浦の真砂土袖のみ触れて寝ずかなりなむ [仮名],むらさきの,なたかのうらの,まなごつち,そでのみふれて,ねずかなりなむ
1393
[原文]豊國之 <聞>之濱邊之 愛子地 真直之有者 何如将嘆 [訓読]豊国の企救の浜辺の真砂土真直にしあらば何か嘆かむ [仮名],とよくにの,きくのはまへの,まなごつち,まなほにしあらば,なにかなげかむ
1394
[原文]塩満者 入流礒之 草有哉 見良久少 戀良久乃太寸 [訓読]潮満てば入りぬる礒の草なれや見らく少く恋ふらくの多き [仮名],しほみてば,いりぬるいその,くさなれや,みらくすくなく,こふらくのおほき
1395
[原文]奥浪 依流荒礒之 名告藻者 心中尓 疾跡成有 [訓読]沖つ波寄する荒礒のなのりそは心のうちに障みとなれり [仮名],おきつなみ,よするありその,なのりそは,こころのうちに,つつみとなれり
1396
[原文]紫之 名高浦乃 名告藻之 於礒将靡 時待吾乎 [訓読]紫の名高の浦のなのりその礒に靡かむ時待つ我れを [仮名],むらさきの,なたかのうらの,なのりその,いそになびかむ,ときまつわれを
1397
[原文]荒礒超 浪者恐 然為蟹 海之玉藻之 憎者不有手 [訓読]荒礒越す波は畏ししかすがに海の玉藻の憎くはあらずて [仮名],ありそこす,なみはかしこし,しかすがに,うみのたまもの,にくくはあらずて
1398
[原文]神樂聲浪乃 四賀津之浦能 船乗尓 乗西意 常不所忘 [訓読]楽浪の志賀津の浦の舟乗りに乗りにし心常忘らえず [仮名],ささなみの,しがつのうらの,ふなのりに,のりにしこころ,つねわすらえず
1399
[原文]百傳 八十之嶋廻乎 榜船尓 乗<尓志>情 忘不得裳 [訓読]百伝ふ八十の島廻を漕ぐ舟に乗りにし心忘れかねつも [仮名],ももづたふ,やそのしまみを,こぐふねに,のりにしこころ,わすれかねつも
1400
[原文]嶋傳 足速乃小舟 風守 年者也經南 相常齒無二 [訓読]島伝ふ足早の小舟風まもり年はや経なむ逢ふとはなしに [仮名],しまづたふ,あばやのをぶね,かぜまもり,としはやへなむ,あふとはなしに
1401
[原文]水霧相 奥津小嶋尓 風乎疾見 船縁金都 心者念杼 [訓読]水霧らふ沖つ小島に風をいたみ舟寄せかねつ心は思へど [仮名],みなぎらふ,おきつこしまに,かぜをいたみ,ふねよせかねつ,こころはおもへど
1402
[原文]殊放者 奥従酒甞 湊自 邊著經時尓 可放鬼香 [訓読]こと放けば沖ゆ放けなむ港より辺著かふ時に放くべきものか [仮名],ことさけば,おきゆさけなむ,みなとより,へつかふときに,さくべきものか
1403
[原文]三幣帛取 神之祝我 鎮齊杉原 燎木伐 殆之國 手斧所取奴 [訓読]御幣取り三輪の祝が斎ふ杉原薪伐りほとほとしくに手斧取らえぬ [仮名],みぬさとり,みわのはふりが,いはふすぎはら,たきぎこり,ほとほとしくに,てをのとらえぬ
挽歌1404
[原文]鏡成 吾見之君乎 阿婆乃野之 花橘之 珠尓拾都 [訓読]鏡なす我が見し君を阿婆の野の花橘の玉に拾ひつ [仮名],かがみなす,わがみしきみを,あばののの,はなたちばなの,たまにひりひつ
1405
[原文]蜻野S 人之懸者 朝蒔 君之所思而 嗟齒不病 [訓読]秋津野を人の懸くれば朝撒きし君が思ほえて嘆きはやまず [仮名],あきづのを,ひとのかくれば,あさまきし,きみがおもほえて,なげきはやまず
1406
[原文]秋津野尓 朝居雲之 失去者 前裳今裳 無人所念 [訓読]秋津野に朝居る雲の失せゆけば昨日も今日もなき人思ほゆ [仮名],あきづのに,あさゐるくもの,うせゆけば,きのふもけふも,なきひとおもほゆ
1407
[原文]隠口乃 泊瀬山尓 霞立 棚引雲者 妹尓鴨在武 [訓読]隠口の泊瀬の山に霞立ちたなびく雲は妹にかもあらむ [仮名],こもりくの,はつせのやまに,かすみたち,たなびくくもは,いもにかもあらむ
1408
[原文]狂語香 逆言哉 隠口乃 泊瀬山尓 廬為云 [訓読]たはことかおよづれことかこもりくの泊瀬の山に廬りせりといふ [仮名],たはことか,およづれことか,こもりくの,はつせのやまに,いほりせりといふ
1409
[原文]秋山 黄葉A怜 浦觸而 入西妹者 待不来 [訓読]秋山の黄葉あはれとうらぶれて入りにし妹は待てど来まさず [仮名],あきやまの,もみちあはれと,うらぶれて,いりにしいもは,まてどきまさず
1410
[原文]世間者 信二代者 不徃有之 過妹尓 不相念者 [訓読]世間はまこと二代はゆかざらし過ぎにし妹に逢はなく思へば [仮名],よのなかは,まことふたよは,ゆかざらし,すぎにしいもに,あはなくおもへば
1411
[原文]福 何有人香 黒髪之 白成左右 妹之音乎聞 [訓読]幸はひのいかなる人か黒髪の白くなるまで妹が声を聞く [仮名],さきはひの,いかなるひとか,くろかみの,しろくなるまで,いもがこゑをきく
1412
[原文]吾背子乎 何處行目跡 辟竹之 背向尓宿之久 今思悔裳 [訓読]我が背子をいづち行かめとさき竹のそがひに寝しく今し悔しも [仮名],わがせこを,いづちゆかめと,さきたけの,そがひにねしく,いましくやしも
1413
[原文]庭津鳥 <可>鷄乃垂尾乃 乱尾乃 長心毛 不所念鴨 [訓読]庭つ鳥鶏の垂り尾の乱れ尾の長き心も思ほえぬかも [仮名],にはつとり,かけのたりをの,みだれをの,ながきこころも,おもほえぬかも
1414
[原文]薦枕 相巻之兒毛 在者社 夜乃深良久毛 吾惜責 [訓読]薦枕相枕きし子もあらばこそ夜の更くらくも我が惜しみせめ [仮名],こもまくら,あひまきしこも,あらばこそ,よのふくらくも,わがをしみせめ
1415
[原文]玉梓能 妹者珠氈 足氷木乃 清山邊 蒔散<と> [訓読]玉梓の妹は玉かもあしひきの清き山辺に撒けば散りぬる [仮名],たまづさの,いもはたまかも,あしひきの,きよきやまへに,まけばちりぬる
1416
[原文]玉梓之 妹者花可毛 足日木乃 此山影尓 麻氣者失留 [訓読]玉梓の妹は花かもあしひきのこの山蔭に撒けば失せぬる [仮名],たまづさの,いもははなかも,あしひきの,このやまかげに,まけばうせぬる
1417
[原文]名兒乃海乎 朝榜来者 海中尓 鹿子曽鳴成 A怜其水手 [訓読]名児の海を朝漕ぎ来れば海中に鹿子ぞ鳴くなるあはれその鹿子 [仮名],なこのうみを,あさこぎくれば,わたなかに,かこぞなくなる,あはれそのかこ
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