仁徳天皇御哥
みつきものゆるされてくにとめるを御らんじて
たかきやにのぼりて見ればけぶりたつたみのかまどはにぎはひにけり
よみ人しらず
題しらず
はつ春のはつねのけふのたまばゝきてにとるからにゆらぐ玉のを
藤原清正
子日をよめる
ねのびしてしめつるのべのひめこ松ひかでやちよのかげをまたまし
貫之
題しらず
君がよのとしのかずをばしろたへのはまのまさごとたれかしきけん
享子院の六十御賀屏風に、わかなつめるところをよみ侍ける
わかなおふるのべといふのべを君がためよろづよしめてつまんとぞ思\
延喜御時屏風哥
ゆふだすきちとせをかけてあしびきの山あゐのいろはかはらざりけり
土御門右大臣
祐子内親王家にて、さくらを
君がよにあふべき春のおほければちるとも桜あくまでぞみん
伊勢
七条のきさいの宮の五十賀屏風に
すみの江のはまのまさごをふむたづはひさしきあとをとむるなりけり\
貫之
延喜御時屏風哥
としごとにおいそふ竹のよゝをへてかはらぬいろをたれとかはみん\
躬恒
題しらず
ちとせふるおのへの松は秋風の声こそかはれいろはかはらず
興風
山河の菊のしたみづいかなればながれて人の老をせくらん
貫之
延喜御時屏風哥
いのりつゝなを長月のきくの花いづれの秋かうへてみざらん
皇太后宮大夫俊成
文治六年女御入内屏風に
山人のおるそでにほふきくのつゆうちはらふにもちよはへぬべし
清原元輔
貞信公家屏風に
神な月もみぢもしらぬときは木によろづよかゝれ峰の白雲
伊勢
題しらず
山風はふけどふかねど白浪のよするいはねはひさしかりけり\
紫式部
後一条院うまれさせたまへりける九月、つきくまなかりける夜、大二条関白、中将に侍ける、わかき人々さそひいでゝ、いけのふねにのせてなかじまのまつかげさしまはすほど、おかしくみえ侍ければ
くもりなくちとせにすめる水のおもにやどれる月のかげものどけし
伊勢大輔
永承四年内裏哥合に、池水といふ心を
池水のよゝにひさしくすみぬれば底の玉もゝ光みえけり
六条右大臣
堀河院の大嘗会御禊、日ごろあめふりて、その日になりてそらはれて侍ければ、紀伊典侍に申ける
きみがよのちとせのかずもかくれなくくもらぬそらの光にぞ見る
前大納言隆国
天喜四年皇后宮の哥合に、祝の心をよみ侍ける
すみの江においそふ松のえだごとにきみがちとせのかずぞこもれる
康資王母
寛治八年関白前太政大臣高陽院哥合に、いはひの心を
よろづよを松のを山のかげしげみ君をぞいのるときはかきはに
大弐三位
後冷泉院おさなくおはしましける時、卯杖の松を人のこにたまはせけるに、よみ侍ける
あひをひのをしほの山のこ松ばらいまよりちよのかげをまたなん
大納言経信
永保四年内裏子日に
ねのびするみかきのうちのこ松ばらちよをばほかの物とやはみる
権中納言通俊
ねの日する野辺のこ松をうつしうへてとしのをながく君ぞひくべき
前中納言匡房
承暦二年内裏の哥合に、祝の心を
君がよはひさしかるべしわたらひやいすゞのかはのながれたえせで
読人しらず
題しらず
ときはなる松にかゝれるこけなれば年のをながきしるべとぞ思
刑部卿範兼
二条院御時、花有喜色といふ心を人々つかうまつりけるに
きみがよにあへるはたれもうれしきを花はいろにもいでにけるかな
参河内侍
おなじ御時、南殿の花のさかりに、うたよめとおほせられければ
身にかへて花もおしまじ君がよにみるべき春のかぎりなければ
式子内親王
百首哥たてまつりし時
あめのしためぐむくさ木のめもはるにかぎりもしらぬみよのすゑずゑ
摂政太政大臣
京極殿にてはじめて人々哥つかうまつりしに、松有春色といふ事をよみ侍し
をしなべてこのめも春のあさみどり松にぞちよの色はこもれる
百首哥たてまつりし時
しき島やゝまとしまねも神よゝり君がためとやかためをきけん
千五百番哥合に
ぬれてほすたまぐしのはのつゆしもにあまてるひかりいくよへぬらん
皇太后宮大夫俊成
いはひの心をよみ侍ける
きみがよはちよともさゝじあまのとやいづる月日のかぎりなければ
定家朝臣
千五百番哥合に
わがみちをまもらばきみをまもるらんよはひはゆづれすみよしの松
寂蓮法師
八月十五夜、和哥所哥合に、月多秋友といふことをよみ侍し
たかさごの松もむかしになりぬべしなをゆくすゑは秋のよの月
源家長
和哥所の開闔になりてはじめてまいりし日、そうし侍し
もしほぐさかくともつきじきみがよのかずによみをくわかの浦浪
前大納言隆房
建久七年、入道前関白太政大臣、宇治にて人々に哥よませ侍けるに
うれしさやかたしく袖につゝむらんけふまちえたるうぢのはしひめ
清輔朝臣
嘉応元年、入道前関白太政大臣、宇治にて、河水久澄といふ事を人々によませ侍けるに
としへたるうぢのはしもりことゝはんいくよになりぬ水のみなかみ
日吉禰宜成仲、七十賀し侍けるに、つかはしける
なゝそぢにみつのはまゝつおいぬれどちよのゝこりは猶ぞはるけき
後徳大寺左大臣
百首哥よみ侍けるに
やをかゆくはまのまさごを君がよのかずにとらなんおきつ島もり
摂政太政大臣
いゑにうたあはせし侍けるに、はるのいはひの心をよみ侍ける
かすが山宮このみなみしかぞおもふきたのふぢなみ春にあへとは
よみ人しらず
天暦御時大嘗会主基、備中国中山
ときはなるきびの中山をしなべてちとせを松のふかきいろかな
祭主輔親
長和五年大嘗会悠紀方風俗哥、近江国朝日郷
あかねさすあさひのさとのひかげ草とよのあかりのかざしなるべし
式部大輔資業
永承元年大嘗会悠紀方屏風、近江国もる山をよめる
すべらぎをときはかきはにもる山の山人ならし山かづらせり\
前中納言匡房
寛治二年大嘗会屏風に、たかのをの山をよめる
とやかへるたかのを山のたまつばきしもをばふともいろはかはらじ
宮内卿永範
久寿二年大嘗会悠紀屏風に、あふみのくにかゞみ山をよめる
くもりなきかゞみの山の月をみてあきらけきよをそらにしる哉
刑部卿範兼
平治元年大嘗会主基方、辰日参入音声、生野をよめる
おほえ山こえていくのゝすゑとをみみちある世にもあひにけるかな
皇太后宮大夫俊成
仁安元年大嘗会悠紀哥たてまつりけるに、稲舂哥
あふみのやさかたのいねをかけつみてみちあるみよのはじめにぞつく
権中納言兼光
寿永元年大嘗会主基方稲舂哥、丹波国長田村をよめる
神世ゝりけふのためとやゝつかほにながたのいねのしなひそめけん
式部大輔光範
建久九年大嘗会悠紀哥、青羽山
たちよればすゞしかりけり水鳥のあおばの山の松のゆふ風\
権中納言資実
おなじ大嘗会主基屏風に、六月、松井
ときはなる松井の水をむすぶてのしづくごとにぞちよはみえける
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