堀川の大殿樣のやうな方は、これまでは固より、後の世には恐らく二人とはいらつしやいますまい。噂に聞きますと、あの方の御誕生になる前には、大威徳明王の御姿が御母君の夢枕にお立ちになつたとか申す事でございますが、兎に角御生れつきから、並々の人間とは御違ひになつてゐたやうでございます。でございますから、あの方の爲さいました事には、一つとして私どもの意表に出てゐないものはございません。早い話が堀川の御邸の御規模を拜見致しましても、壯大と申しませうか、豪放と申しませうか、到底私どもの凡慮には及ばない、思ひ切つた所があるやうでございます。中にはまた、そこを色々とあげつらつて大殿樣の御性行を始皇帝や煬帝に比べるものもございますが、それは
諺に云ふ群盲の象を撫でるやうなものでございませうか。あの方の御思召は、決してそのやうに御自分ばかり、榮耀榮華をなさらうと申すのではございません。それよりはもつと下々の事まで御考へになる、云はば天下と共に樂しむとでも申しさうな、大腹中の御器量がございました。
それでございますから、二條大宮の百鬼夜行に御遇ひになつても、格別御障りがなかつたのでございませう。又陸奧の鹽竈の景色を寫したので名高いあの東三條の河原院に、夜な夜な現はれると云ふ噂のあつた融の左大臣の靈でさへ、大殿樣のお叱りを受けては、姿を消したのに相違ございますまい。かやうな御威光でございますから、その頃洛中の老若男女が、大殿樣と申しますと、まるで權者の再來のやうに尊み合ひましたも、決して無理ではございません。何時ぞや、内の梅花の宴からの御歸りに御車の牛が放れて、折から通りかかつた老人に怪我をさせました時でさへ、その老人は手を合せて、大殿樣の牛にかけら
れた事を難有がつたと申す事でございます。
さやうな次第でございますから、大殿樣御一代の間には、後々までも語り草になりますやうな事が、隨分澤山にございました。大饗の引出物に白馬ばかりを三十頭、賜つたこともございますし、長良の橋の橋柱に御寵愛の童を立てた事もございますし、それから又華陀の術を傳へた震旦の僧に、御腿の瘡を御切らせになつた事もございますし、――一々數へ立てて居りましては、とても際限がございません。が、その數多い御逸事の中でも、今では御家の重寶になつて居ります地獄變の屏風の由來程、恐ろしい話はございますまい。日頃は物に御騒ぎにならない大殿樣でさへ、あの時ばかりは、流石に御驚きになつたやうでございました。まして御側に仕へてゐた私どもが、魂も消えるばかりに思つたのは、申し上げるまでもございません。中でもこの私なぞは、大殿樣にも二十年來御奉公申して居りましたが、それでさへ、あのやうな凄じい見物に出遇
つた事は、つひぞ又となかつた位でございます。
しかし、その御話を致しますには、豫め先づ、あの地獄變の屏風を描きました、良秀と申す繪師の事を申し上げて置く必要がございませう。
良秀と申しましたら、或は唯今でも猶、あの男の事を覺えていらつしやる方がございませう。その頃繪筆をとりましては、良秀の右に出るものは一人もあるまいと申された位、高名な繪師でございます。あの時の事がございました時には、彼是もう五十の阪に、手がとどいて居りましたらうか。見た所は唯、背の低い、骨と皮ばかりに痩せた、意地の惡さうな老人でございました。それが大殿樣の御邸へ參ります時には、よく丁子染の狩衣に揉烏帽子をかけて居りま
したが、人がらは至つて卑しい方で、何故か年よりらしくもなく、脣の目立つて赤いのが、その上に又氣味の惡い、如何にも獸めいた心もちを起させたものでございます。中にはあれは畫筆を舐めるので紅がつくのだと申した人も居りましたが、どう云ふものでございませうか。尤もそれより口の惡い誰彼は、良秀の立居振舞が猿のやうだとか申しまして、猿秀と云ふ諢名までつけた事がございました。
いや猿秀と申せば、かやうな御話もございます。その頃大殿樣の御邸には、十五になる良秀の一人娘が、小女房に上つて居りましたが、これは又生みの親には似もつかない、愛嬌のある娘でございました。その上早く女親に別れましたせゐか、思ひやりの深い、年よりはませた、悧巧な生れつきで、年の若いのにも似ず、何かとよく氣がつくものでございますから、御臺樣を始め外の女房たちにも、可愛がられて居たやうでございます。
「それに良秀と申しますと、父が御折檻を受けますやうで、どうも唯見ては居られませぬ。」と、思ひ切つたやうに申すのでございます。これには流石の若殿樣も、我を御折りになつたのでございませう。
「さうか。父親の命乞なら、枉げて赦してとらすとしよう。」
不承無承にかう仰有ると、楚をそこへ御捨てになつて、元いらしつた遣戸の方へ、その儘御歸りになつてしまひました。
良秀の娘とこの小猿との仲がよくなつたのは、それからの事でございます。娘は御姫樣から頂戴した黄金の鈴を、美しい眞紅の紐に下げて、それを猿の頭へ懸けてやりますし、猿は又どんな事がございましても、滅多に娘の身のまは
りを離れません。或時娘の風邪の心地で、床に就きました時なども、小猿はちやんとその枕もとに坐りこんで、氣のせゐか心細さうな顏をしながら、頻に爪を噛んで居りました。
かうなると又妙なもので、誰も今までのやうにこの小猿を、いぢめるものはございません。いや、反つてだんだん可愛がり始めて、しまひには若殿樣でさへ、時々柿や栗を投げて御やりになつたばかりか、侍の誰やらがこの猿を足蹴にした時なぞは、大層御立腹にもなつたさうでございます。その後大殿樣がわざわざ良秀の娘に猿を抱いて、御前へ出るやうと御沙汰になつたのも、この若殿樣の御腹立になつた話を、御聞きになつてからだとか申しました。その序に自然と娘の猿を可愛がる所由も御耳にはひつたのでございませう。
「孝行な奴ぢや。褒めてとらすぞ。」
かやうな御意で、娘はその時、紅の袙を御褒美に頂きました。所がこの袙を
又見やう見眞似に、猿が恭しく押頂きましたので、大殿樣の御機嫌は、一入よろしかつたさうでございます。でございますから、大殿樣が良秀の娘を御贔屓になつたのは、全くこの猿を可愛がつた、孝行恩愛の情を御賞美なすつたので、決して世間で兎や角申しますやうに、色を御好みになつた訣ではございません。尤もかやうな噂の立ちました起りも、無理のない所がございますが、それは又後になつて、ゆつくりお話し致しませう。ここでは唯大殿樣が、如何に美しいにした所で、繪師風情の娘などに、想ひを御懸けになる方ではないと云ふ事を、申し上げて置けば、よろしうございます。
さて良秀の娘は、面目を施して御前を下りましたが、元より悧巧な女でございますから、はしたない外の女房たちの妬を受けるやうな事もございません。反つてそれ以來、猿と一しよに何かといとしがられまして、取分け御姫樣の御側からは御離れ申した事がないと云つてもよろしい位、物見車の御供にもつひ
ぞ缺けた事はございませんでした。
が、娘の事は一先づ措きまして、これから又親の良秀の事を申し上げませう。成程猿の方は、かやうに間もなく、皆のものに可愛がられるやうになりましたが、肝腎の良秀はやはり誰にでも嫌はれて、不相變陰へまはつては、猿秀呼ばりをされて居りました。しかもそれが又、御邸の中ばかりではございません。現に横川の僧都樣も、良秀と申しますと、魔障にでも御遇ひになつたやうに、顏の色を變へて、御憎み遊ばしました。(尤もこれは良秀が僧都樣の御行状を戲畫に描いたからだなどと申しますが、何分下ざまの噂でございますから、確に左樣とは申されますまい。)兎に角、あの男の不評判は、どちらの方に伺ひましても、さう云ふ調子ばかりでございます。もし惡く云はないものがあつたと致しますと、それは二三人の繪師仲間か、或は又、あの男の繪を知つてゐるだけで、あの男の人間は知らないものばかりでございませう。
しかし實際良秀には、見た所が卑しかつたばかりでなく、もつと人に嫌がられる惡い癖があつたのでございますから、それも全く自業自得とでもなすより外に、致し方はございません。
その癖と申しますのは、吝嗇で、慳貪で、恥知らずで、怠けもので、強慾で――いや、その中でも取分け甚しいのは、横柄で、高慢で、何時も本朝第一の繪師と申す事を、鼻の先へぶら下げてゐる事でございませう。それも畫道の上ばかりならまだしもでございますが、あの男の負け惜しみになりますと、世間の習慣とか慣例とか申すやうなものまで、すべて莫迦に致さずには置かないのでございます。これは永年良秀の弟子になつてゐた男の話でございますが、或
日さる方の御邸で名高い檜垣の巫女に御靈が憑いて、恐ろしい御託宣があつた時も、あの男は空耳を走らせながら、有合せた筆と墨とで、その巫女の物凄い顏を、丁寧に寫して居つたとか申しました。大方御靈の御祟りも、あの男の眼から見ましたなら、子供欺し位にしか思はれないので
[1]ございせう。
さやうな男でございますから、吉祥天を描く時は、卑しい傀儡の顏を寫しましたり、不道明王を描く時は、無頼の放免の姿を像りましたり、いろいろの勿體ない眞似を致しましたが、それでも當人を詰りますと「良秀の描いた神佛が、その良秀に冥罰を當てられるとは、異な事を聞くものぢや」と空嘯いてゐるではございませんか。これには流石の弟子たちも呆れ返つて、中には未來の恐ろしさに、匆々暇をとつたものも、少くなかつたやうに見うけました。――先づ一口に申しましたなら、慢業重疊とでも名づけませうか。兎に角當時天が下で、自分程の偉い人間はないと思つてゐた男でございます。
從つて良秀がどの位畫道でも、高く止つて居りましたかは、申し上げるまでもございますまい。尤もその繪でさへ、あの男のは筆使ひでも彩色でも、まるで外の繪師とは違つて居りましたから、仲の惡い繪師仲間では、山師だなどと申す評判も、大分あつたやうでございます。その連中の申しますには、川成とか金岡とか、その外昔の名匠の筆になつた物と申しますと、やれ板戸の梅の花が、月の夜毎に匂つたの、やれ屏風の大宮人が、笛を吹く音さへ聞えたのと、優美な噂が立つてゐるものでございますが、良秀の繪になりますと、何時でも必ず氣味の惡い、妙な評判だけしか傳はりません。譬へばあの男が龍蓋寺の門へ描きました、五趣生死の繪に致しましても、夜更けて門の下を通りますと、天人の嘆息をつく音や啜り泣きをする聲が、聞えたと申す事でございます。いや、中には死人の腐つて行く臭氣を、嗅いだと申すものさへございました。それから大殿樣の御云ひつけで描いた、女房たちの似繪なども、その繪に寫され
ただけの人間は、三年とたたない中に、皆魂の拔けたやうな病氣になつて、死んだと申すではございませんか。惡く云ふものに申させますと、それが良秀の繪の邪道に落ちてゐる、何よりの證據ださうでございます。
が、何分前にも申し上げました通り、横紙破りな男でございますから、それが反つて良秀は大自慢で、何時ぞや大殿樣が御冗談に、「その方は兎角醜いものが好きと見える。」と仰有つた時も、あの年に似ず赤い脣でにやりと氣味惡く笑ひながら、「さやうでござりまする。かいなでの繪師には總じて醜いものの美しさなどと申す事は、わからう筈がございませぬ。」と、横柄に御答へ申し上げました。如何に本朝第一の繪師にも致せ、よくも大殿樣の御前へ出て、そのやうな高言が吐けたものでございます。先刻引合に出しました弟子が、内内師匠に「智羅永壽」と云ふ諢名をつけて、増長慢を譏つて居りましたが、それも無理はございません。御承知でもございませうが、「智羅永壽」と申しま
すのは、昔震旦から渡つて參りました天狗の名でございます。
しかしこの良秀でさへ――この何とも云ひやうのない、横道者の良秀にさへ、たつた一つ人間らしい、情愛のある所がございました。
と申しますのは、良秀が、あの一人娘の小女房をまるで氣違ひのやうに可愛がつてゐた事でございます。先刻申し上げました通り、娘も至つて氣のやさしい、親思ひの女でございましたが、あの男の子煩惱は、決してそれには劣りますまい。何しろ娘の着る物とか、髮飾とかの事と申しますと、どこの御寺の勸進にも喜捨をした事のないあの男が、金錢には更に惜し氣もなく、整へてやると云ふのでございますから、嘘のやうな氣が致すではございませんか。
「褒美にも望みの物を取らせるぞ。遠慮なく望め。」と云ふ難有い御語が下りました。すると良秀は畏まつて、何を申すかと思ひますと、
「何卒私の娘をば御下げ下さいまするやうに。」と臆面もなく申し上げました。外の御邸ならば兎も角も、堀川の大殿樣の御側に仕へてゐるのを、如何に可愛いからと申しまして、かやうに無躾に御暇を願ひますものが、どこの國に居りませう。これには大腹中の大殿樣も聊か御機嫌を損じたと見えまして、暫くは唯默つて良秀の顏を眺めて御出でになりましたが、やがて、
「それはならぬ。」と吐出すやうに仰有ると、急にその儘御立ちになつてしまひました。かやうな事が、前後四五遍もございましたらうか。今になつて考へて見ますと、大殿樣の良秀を御覽になる眼は、その都度にだんだんと冷やかになつていらしつたやうでございます。すると又、それにつけても、娘の方は父親の身が案じられるせゐででもございますか、曹司へ下つてゐる時などは、よ
く袿の袖を噛んで、しくしく泣いて居りました。そこで大殿樣が良秀の娘に懸想なすつたなどと申す噂が、愈擴がるやうになつたのでございませう。中には地獄變の屏風の由來も、實は娘が大殿樣の御意に從はなかつたからだなどと申すものも居りますが、元よりさやうな事がある筈はございません。
私どもの眼から見ますと、大殿樣が良秀の娘を御下げにならなかつたのは、全く娘の身の上を哀れに思召したからで、あのやうに頑な親の側へやるよりは御邸に置いて、何不自由なく暮させてやらうと云ふ難有い御考へだつたやうでございます。それは元より氣立ての優しいあの娘を、御贔屓になつたのは間違ひございません。が、色を御好みになつたと申しますのは、恐らく牽強附會の説でございませう。いや、跡方もない嘘と申した方が、宜しい位でございます。
それは兎も角もと致しまして、かやうに娘の事から良秀の御覺えが大分惡くなつて來た時でございます。どう思召したか、大殿樣は突然良秀を御召になつ
て、地獄變の屏風を描くやうにと、御云ひつけなさいました。
地獄變の屏風と申しますと、私はもうあの恐ろしい畫面の景色が、ありありと眼の前へ浮んで來るやうな氣が致します。
同じ地獄變と申しましても、良秀の描きましたのは、外の繪師のに比べますと、第一圖取りから似て居りません。それは一帖の屏風の片隅へ、小さく十王を始め眷屬たちの姿を描いて、あとは一面に物凄い猛火が劍山刀樹も爛れるかと思ふ程渦を卷いて居りました。でございますから、唐めいた冥官たちの衣裳が、點々と黄や藍を綴つて居ります外は、どこを見ても烈々とした火焔の色で、その中をまるで卍のやうに、墨を飛ばした黒煙と金粉を煽つた火の粉とが、舞
ひ狂つて居るのでございます。
こればかりでも、隨分人の目を驚かす筆勢でございますが、その上に又、業火に燒かれて、轉々と苦しんで居ります罪人も、殆ど一人として通例の地獄繪にあるものはございません。何故かと申しますと、良秀はこの多くの罪人の中に、上は月卿雲客から下は乞食非人まで、あらゆる身分の人間を寫して來たからでございます。束帶のいかめしい殿上人、五つ衣のなまめかしい青女房、珠數をかけた念佛僧、高足駄を穿いた侍學生、細長を着た女の童、幣をかざした陰陽師――一々數へ立てて居りましたら、とても際限はございますまい。兎に角さう云ふいろいろの人間が、火と煙とが逆捲く中を、牛頭馬頭の獄卒に虐まれて、大風に吹き散らされる落葉のやうに、粉々と四方八方へ逃げ迷つてゐるのでございます。鋼叉に髪をからまれて、蜘蛛よりも手足を縮めてゐる女は、神巫の類ででもございませうか。手矛に胸を刺し通されて、蝙蝠のやうに逆に
なつた男は、生受領か何かに相違ございますまい。その外或は鐵の笞に打たれるもの、或は千曳の磐石に押されるもの、或は怪鳥の嘴にかけられるもの、或は又毒龍の顎に噛まれるもの――呵責も亦罪人の數に應じて、幾通りあるかわかりません。
が、その中でも、殊に一つ目立つて凄じく見えるのは、まるで獸の牙のやうな刀樹の頂きを半ばかすめて(その刀樹の梢にも、多くの亡者が
るいるいと、五體を貫かれて居りましたが)中空から落ちて來る一輛の牛車でございませう。地獄の風に吹き上げられた、その車の簾の中には、女御、更衣にもまがふばかり、綺羅びやかに裝つた女房が、丈の黒髮を炎の中になびかせて、白い頸を反らせながら、悶え苦しんで居りますが、その女房の姿と申し、又燃えしきつてゐる牛車と申し、何一つとして炎熱地獄の責苦を偲ばせないものはございません。云はば廣い畫面の恐ろしさが、この一人の人物に湊つてゐるとでも申しませう
か。これを見るものの耳の底には、自然と物凄い叫喚の聲が傳はつて來るかと疑ふ程、入神の出來映えでございました。
ああ、これでございます、これを描く爲に、あの恐ろしい出來事が起つたのでございます。又さもなければ如何に良秀でも、どうしてかやうに生々と奈落の苦艱が畫かれませう。あの男はこの屏風の繪を仕上げた代りに、命さへも捨てるやうな、無慘な目に出遇ひました。云はばこの繪の地獄は、本朝第一の繪師良秀が、自分で何時か墮ちて行く地獄だつたのでございます。……
私はあの珍しい地獄變の屏風の事を申し上げますのを急いだあまりに、或は御話の順序を顛倒致したかも知れません。が、これから又引き續いて、大殿樣から地獄繪を描けと申す仰せを受けた良秀の事に移りませう。
良秀はそれから五六箇月の間、まるで御邸へも伺はないで、屏風の繪にばかりかかつて居りました。あれ程の子煩惱がいざ繪を描くと云ふ段になりますと、娘の顏を見る氣もなくなると申すのでございますから、不思議なものではございませんか。先刻申し上げました弟子の話では、何でもあの男は仕事にとりかかりますと、まるで狐でも憑いたやうになるらしうございます。いや實際當時の風評に、良秀が畫道で名を成したのは、福徳の大神に祈誓をかけたからで、その證據にはあの男が繪を描いてゐる所を、そつと物陰から覗いて見ると、必ず陰々として靈狐の姿が、一匹ならず前後左右に、群つてゐるのが見えるなどと申す者もございました。その位でございますから、いざ畫筆を取るとなると、
その繪を描き上げると云ふより外は、何も彼も忘れてしまふのでございませう。晝も夜も一間に閉ぢこもつたきりで、滅多に日の目も見た事はございません。――殊に地獄變の屏風を描いた時には、かう云ふ夢中になり方が、甚しかつたやうでございます。
と申しますのは何もあの男が、晝も蔀を下した部屋の中で、結燈臺の火の下に、秘密の繪の具を合せたり、或は弟子たちを、水干やら狩衣やら、さまざまに着飾らせて、その姿を一人づつ丁寧に寫したり、――さう云ふ事ではございません。それ位の變つた事なら、別にあの地獄變の屏風を描かなくとも、仕事にかかつてゐる時とさへ申しますと、何時でもやり兼ねない男なのでございます。いや、現に龍蓋寺の五趣生死の圖を描きました時などは、當り前の人間なら、わざと眼を外らせて行くあの往來の死骸の前へ、悠々と腰を下して、半ば腐れかかつた顏や手足を、髮の毛一すぢも違へずに、寫して參つた事がござい
ました。では、その甚しい夢中になり方とは、一體どう云ふ事を申すのか、流石に御わかりにならない方もいらつしやいませう。それは唯今詳しい事は申し上げてゐる暇もございませんが、主な話を御耳に入れますと、大體先づ、かやうな次第なのでございます。
良秀の弟子の一人が(これもやはり、前に申した男でございますが)或日繪の具を溶いて居りますと、急に師匠が參りまして、
「己は少し午睡をしようと思ふ。が、どうもこの頃は夢見が惡い。」とかう申すのでございます。別にこれは珍しい事でも何でもございませんから、弟子は手を休めずに、唯、
「さやうでございますか。」と一通りの挨拶を致しました。所が良秀は何時になく寂しさうな顏をして、
「就いては、己が午睡をしてゐる間中、枕もとに坐つてゐて貰ひたいのだが。」
と、遠慮がましく頼むではございませんか。弟子は何時になく、師匠が夢なぞを氣にするのは、不思議だと思ひましたが、それも別に造作のない事でございますから、「よろしうございます。」と申しますと、師匠はまだ心配さうに、「では直に奧へ來てくれ。尤も後で外の弟子が來ても、己の睡つてゐる所へは入れないやうに。」と、ためらいながら云ひつけました。奧と申しますのは、あの男が畫を描きます部屋で、その日も夜のやうに戸を立て切つた中に、ぼんやりと灯をともしながら、まだ燒筆で圖取りだけしか出來てゐない屏風が、ぐるりと立て廻してあつたさうでございます。さてここへ參りますと、良秀は肘を枕にして、まるで疲れ切つた人間のやうに、すやすや、睡入つてしまひましたが、ものの半時とたちません中に、枕もとに居ります弟子の耳には、何とも彼とも申しやうのない、氣味の惡い聲がはひり始めました。
それが始めは唯、聲でございましたが、暫くしますと、次第に切れ切れな語になつて、云はば溺れかかつた人間が水の中で呻るやうに、かやうな事を申すのでございます。
「なに、己に來いと云ふのだな。――どこへ――どこへ來いと?奈落へ來い。炎熱地獄へ來い。――誰だ。さう云ふ貴樣は。――貴樣は誰だ――誰だと思つたら」
弟子は思はず繪の具を溶く手をやめて、恐る恐る師匠の顏を、覗くやうにして透して見ますと、皺だらけな顏が白くなつた上に、大粒な汗を滲ませながら、脣の干いた、齒の疎な口を喘ぐやうに大きく開けて居ります。さうして口の中
で、何か糸でもつけて引張つてゐるかと疑ふ程、目まぐるしく動くものがあると思ひますと、それがあの男の舌だつたと申すではございませんか。切れ切れな語は元より、その舌から出て來るのでございます。
「誰だと思つたら――うん、貴樣だな。己も貴樣だらうと思つてゐた。なに、迎へに來たと?だから來い。奈落へ來い。奈落には――奈落には己の娘が待つてゐる。」
その時、弟子の眼には、朦朧とした異形の影が、屏風の面をかすめてむらむらと下りて來るやうに見えた程、氣味の惡い心もちが致したさうでございます。勿論弟子はすぐに良秀に手をかけて、力のあらん限り搖り起しましたが、師匠は猶夢現に獨り語を云ひつづけて、容易に眼のさめる氣色はございません。そこで弟子は思ひ切つて、側にあつた筆洗の水を、ざぶりとあの男の顏へ浴びせかけました。
「待つてゐるから、この車へ乘つて來い――この車へ乘つて、奈落へ來い――」と云ふ語がそれと同時に、喉をしめられるやうな呻き聲に變つたと思ひますと、やつと良秀は眼を開いて、針で刺されたよりも慌しく、矢庭にそこへ刎ね起きましたが、まだ夢の中の異類異形が、
まぶたの後を去らないのでございませう。暫くは唯恐ろしさうな眼つきをして、やはり大きく口を開きながら、空を見つめて居りましたが、やがて我に返つた容子で、
「もう好いから、あちらへ行つてくれ。」と、今度は如何にも素つ氣なく、云ひつけるのでございます。弟子はかう云ふ時に逆ふと、何時でも大小言を云はれるので、匆々師匠の部屋から出て參りましたが、まだ明るい外の日の光を見た時には、まるで自分が惡夢から覺めた樣な、ほつとした氣が致したとか申して居りました。
しかしこれなぞはまだよい方なので、その後一月ばかりたつてから、今度は
又別の弟子が、わざわざ奧へ呼ばれますと、良秀はやはりうす暗い油火の光りの中で、繪筆を噛んで居りましたが、いきなり弟子の方へ向き直つて、
「御苦勞だが、又裸になつて貰はうか。」と申すのでございます。これはその時までにも、どうかすると師匠が云ひつけた事でございますから、弟子は早速衣類をぬぎすてて、赤裸になりますと、あの男は妙に顏をしかめながら、
「わしは鎖で縛られた人間が見たいと思ふのだが、氣の毒でも暫くの間、わしのする通りになつてゐてはくれまいか。」と、その癖少しも氣の毒らしい容子などは見せずに、冷然とかう申しました。元來この弟子は畫筆などを握るよりも、太刀でも持つた方が好ささうな、逞しい若者でございましたが、これには流石に驚いたと見えて、後々までもその時の話を致しますと、「これは師匠が氣が違つて、私を殺すのではないかと思ひました。」と繰返して申したさうでございます。が、良秀の方では、相手の愚圖々々してゐるのが、燥つたくなつ
て參つたのでございませう。どこから出したか、細い鐡の鎖をざらざらと手繰りながら、殆ど飛びつくやうな勢で、弟子の背中へ乘りかかりますと、否應なしにその儘兩腕を捻ぢあげて、ぐるぐる卷きに致してしまひました。さうして又その鎖の端を邪慳にぐいと引きましたからたまりません。弟子の體ははずみを食つて、勢よく床を鳴らしながら、ごろりとそこへ横倒しに倒れてしまつたのでございます。
その時の弟子の恰好は、まるで酒甕を轉がしたやうだとでも申しませうか。何しろ手も足も慘たらしく折り曲げられて居りますから、動くのは唯首ばかりでございます。そこへ肥つた體中の血が、鎖に循環を止められたので、顏と云
はず胴と云はず、一面に皮膚の色が赤み走つて參るではございませんか。が、良秀にはそれも格別氣にならないと見えまして、その酒甕のやうな體のまはりを、あちこちと廻つて眺めながら、同じやうな寫眞の圖を何枚となく描いて居りました。その間、縛られてゐる弟子の身が、どの位苦しかつたかと云ふ事は、何もわざわざ取り立てて申し上げるまでもございますまい。
が、もし何事も起らなかつたと致しましたら、この苦しみは恐らくまだその上にも、つづけられた事でございませう。幸(と申しますより、或は不幸にと申した方がよろしいかも知れません。)暫く致しますと、部屋の隅にある壺の陰から、まるで黒い油のやうなものが、一すぢ細くうねりながら、流れ出して參りました。それが始の中は餘程粘り氣のあるもののやうに、ゆつくり動いて居りましたが、だんだん滑らかに辷り始めて、やがてちらちら光りながら、鼻の先まで流れ着いたのを眺めますと、弟子は思はず、息を引いて、
「蛇が――蛇が。」と喚きました。その時は全く體中の血が一時に凍るかと思つたと申しますが、それも無理はございません。蛇は實際もう少しで、鎖の食ひこんでゐる、頸の肉へその冷い舌の先を觸れようとしてゐたのでございます。この思ひもよらない出來事には、いくら横道な良秀でも、ぎよつと致したのでございませう。慌てて畫筆を投げ棄てながら、咄嗟に身をかがめたと思ふと、素早く蛇の尾をつかまへて、ぶらりと逆に吊り下げました。蛇は吊り下げられながらも、頭を上げて、きりきりと自分の體へ卷つきましたが、どうしてもあの男の手の所まではとどきません。
「おのれ故に、あつたら一筆を仕損じたぞ。」
良秀は忌々しさうにかう呟くと、蛇はその儘部屋の隅の壺の中へ抛りこんで、それからさも不承無承に、弟子の體へかかつてゐる鎖を解いてくれました。それも唯解いてくれたと云ふ丈で、肝腎の弟子の方へは、優しい言葉一つかけて
はやりません。大方弟子が蛇に噛まれるよりも、寫眞の一筆を誤つたのが、業腹だつたのでございませう。――後で聞きますと、この蛇もやはり姿を寫す爲に、わざわざあの男が飼つてゐたのださうでございます。
これだけの事を御聞きになつたのでも、良秀の氣違ひじみた、薄氣味の惡い夢中になり方が、略、御わかりになつた事でございませう。所が最後にもう一つ、今度はまだ十三四の弟子が、やはり地獄變の屏風の御かげで、云はば命にも關はり兼ねない、恐ろしい目に出遇ひました。その弟子は生れつき色の白い女のやうな男でございましたが、或夜の事、何氣なく師匠の部屋へ呼ばれて參りますと、良秀は燈臺の火の下で掌に何やら腥い肉をのせながら、見馴れない一羽の鳥を養つてゐるのでございます。大きさは先づ、世の常の猫ほどもございませうか。さう云へば、耳のやうに兩方へつき出た羽毛と云ひ、琥珀のやうな色をした、大きな圓い眼と云ひ、見た所も何となく猫に似て居りました。
そこで弟子は、机の上のその異樣な鳥も、やはり地獄變の屏風を描くのに入用なのに違ひないと、かう獨り考へながら、師匠の前へ畏まつて、「何か御用でございますか」と、恭しく申しますと、良秀はまるでそれが聞えないやうに、あの赤い脣へ舌なめずりをして、
「どうだ。よく馴れてゐるではないか。」と、鳥の方へ頤をやります。
「これは何と云ふものでございませう。私はつひぞまだ、見た事はございませんが。」
弟子はかう申しながら、この耳のある、猫のやうな鳥を、氣味惡さうにじろじろ眺めますと、良秀は不相變何時もの嘲笑ふやうな調子で、
「なに、見た事がない?都育ちの人間はそれだから困る。これは二三日前に鞍馬の獵師がわしにくれた耳木兎と云ふ鳥だ。唯、こんなに馴れてゐるのは、澤山あるまい。」
實際師匠に殺されると云ふ事も、全くないとは申されません。現にその晩わざわざ弟子を呼びよせたのでさへ、實は耳木兎を唆かけて、弟子の逃げまはる有樣を寫さうと云ふ魂膽らしかつたのでございます。でございますから、弟子は、師匠の容子を一目見るが早いか、思はず兩袖に頭を隱しながら、自分にも何と云つたかわからないやうな悲鳴をあげて、その儘部屋の隅の遣戸の裾へ、居すくまつてしまひました。とその拍子に、良秀も何やら慌てたやうな聲をあげて、立上つた氣色でございましたが、忽ち耳木兎の羽音が一層前よりはげしくなつて、物の倒れる音や破れる音が、けたたましく聞えるではございませんか。これには弟子も二度、度を失つて、思はず隱してゐた頭を上げて見ますと、部屋の中は何時かまつ暗になつてゐて、師匠の弟子たちを呼び立てる聲が、その中で苛立たしさうにして居ります。
やがて弟子の一人が、遠くの方で返事をして、それから灯をかざしながら、
急いでやつて參りましたが、その煤臭い明りで眺めますと、結燈臺が倒れたので、床も疊も一面に油だらけになつた所へ、さつきの耳木兎が片方の翼ばかり苦しさうにはためかしながら、轉げまはつてゐるのでございます。良秀は机の向うで半ば體を起した儘、流石に呆氣にとられたやうな顏をして、何やら人には
[2]わらかない事を、ぶつぶつ呟いて居りました。――それも無理ではございません。あの耳木兎の體には、まつ黒な蛇が一匹、頸から片方の翼へかけて、きりきりと捲きついてゐるのでございます。大方これは弟子が居すくまる拍子に、そこにあつた壺をひつくり返して、その中の蛇が這ひ出したのを、耳木兎がなまじひに掴みかからうとしたばかりに、とうとうかう云ふ大騒ぎが始まつたのでございませう。二人の弟子は互に眼と眼とを見合せて、暫くは唯、この不思議な光景をぼんやりと眺めて居りましたが、やがて師匠に默禮をして、こそこそ部屋へ引き下つてしまひました。蛇と耳木兎とがその後どうなつたか、それ
は誰も知つてゐるものはございません。――
かう云ふ類の事は、その外まだ、幾つとなくございました。前には申し落しましたが、地獄變の屏風を描けと云ふ御沙汰があつたのは、秋の初でございますから、それ以來冬の末まで、良秀の弟子たちは、絶えず師匠の怪しげな振舞に脅かされてゐた訣でございます。が、その冬の末に良秀は何か屏風の畫で、自由にならない事が出來たのでございませう、それまでよりは、一層容子も陰氣になり、物云ひも目に見えて、荒々しくなつて參りました。と同時に又屏風の畫も、下畫が八分通り出來上つた儘、更に捗どる模樣はございません。いや、どうかすると今までに描いた所さへ、塗り消してもしまひ兼ねない氣色なのでございます。
その癖、屏風の何が自由にならないのだか、それは誰にもわかりません。又誰もわからうとしたものもございますまい。前のいろいろな出來事に懲りてゐ
る弟子たちは、まるで虎狼と一つ檻にでもゐるやうな心もちで、その後師匠の身のまはりへは、成る可く近づかない算段をして居りましたから。
所が一方良秀がこのやうに、まるで正氣の人間とは思はれない程夢中になつて、屏風の繪を描いて居ります中に、又一方ではあの娘が、何故かだんだん氣鬱になつて、私どもにさへ涙を堪へてゐる容子が、眼に立つて參りました。それが元來愁顏の、色の白い、つつましやかな女だけに、かうなると何だか睫毛が重くなつて、眼のまはりに隈がかかつたやうな、餘計寂しい氣が致すのでございます。始はやれ父思ひのせゐだの、やれ戀煩ひをしてゐるからだの、いろいろ臆測を致したものがございますが、中頃から、なにあれは大殿樣が御意に從はせようとしていらつしやるのだと云ふ評判が立ち始めて、夫からは誰も忘れた樣に、ぱつたりあの娘の噂をしなくなつて了ひました。
すると御廊下が一曲り曲つて、夜目にもうす白い御池の水が枝ぶりのやさしい松の向うにひろびろと見渡せる、丁度そこ迄參つた時の事でございます。どこか近くの部屋の中で人の爭つてゐるらしいけはひが、慌しく、又妙にひつそりと私の耳を脅しました。あたりはどこも森と靜まり返つて、月明りとも靄ともつかないものの中で、魚の跳る音がする外は、話し聲一つ聞えません。そこへこの物音でございますから、私は思はず立止つて、もし狼藉者ででもあつたなら目にもの見せてくれようと、そつとその遣戸の外へ、息をひそめながら身をよせました。
所が猿は私のやり方がまだるかつたのでございませう。良秀はさもさももどかしさうに、二三度私の足のまはりを駈けまはつたと思ひますと、まるで咽を
絞められたやうな聲で啼きながら、いきなり私の肩のあたりへ一足飛に飛び上りました。私は思はず頸を反らせて、その爪にかけられまいとする、猿は又水干の袖にかじりついて、私の體から辷り落ちまいとする、――その拍子に、私はわれ知らず二足三足よろめいて、その遣戸へ後ざまに、したたか私の體を打ちつけました。かうなつては、もう一刻も躊躇してゐる場合ではございません。私は矢庭に遣戸を開け放して、月明りのとどかない奧の方へ跳りこまうと致しました。が、その時私の眼を遮つたものは――いや、それよりももつと私は、同時にその部屋の中から、彈かれたやうに駈け出さうとした女の方に驚かされました。女は出合頭に危く私に衝き當らうとして、その儘外へ轉び出ましたが、何故かそこへ膝をついて、息を切らしながら私の顏を、何か恐ろしいものでも見るやうに戰き戰き見上げてゐるのでございます。
それが良秀の娘だつたことは、何もわざわざ申し上げるまでもございますま
い。が、その晩のあの女は、まるで人間が違つたやうに、生々と私の眼に映りました。眼は大きくかがやいて居ります。頬も赤く燃えて居りましたらう。そこへしどけなく亂れた袴や袿が、何時もの幼さとは打つて變つた艶しささへも添へてをります。これが實際あの弱々しい、何事にも控へ目勝な良秀の娘でございませうか。――私は遣戸に身を支へて、この月明りの中にゐる美しい娘の姿を眺めながら、慌しく遠のいて行くもう一人の足音を、指させるもののやうに指さして、誰ですと靜に眼で尋ねました。
すると娘は脣を噛みながら、默つて首をふりました。その容子が如何にも亦口惜しさうなのでございます。
そこで私は身をかがめながら、娘の耳へ口をつけるやうにして、今度は「誰です」と小聲で尋ねました。が、娘はやはり首を振つたばかりで、何とも返事を致しません。いや、それと同時に長い睫毛の先へ、涙を一ぱいためながら、
前よりも緊く脣を噛みしめてゐるのでございます。
性得愚な私には、分りすぎてゐる程分つてゐる事の外は、生憎何一つ呑みこめません。でございますから、私は語のかけやうも知らないで、暫くは唯、娘の胸の動悸に耳を澄ませるやうな心もちで、ぢつとそこに立ちすくんで居りました。尤もこれは一つには、何故かこの上問ひ訊すのが惡いやうな、氣咎めが致したからでもございます。――
それがどの位續いたか、わかりません。が、やがて開け放した遣戸を閉しながら、少しは上氣の褪めたらしい娘の方を見返つて、「もう曹司へ御歸りなさい」と出來る丈やさしく申しました。さうして私も自分ながら、何か見てはならないものを見たやうな、不安な心もちに脅されて、誰にともなく恥しい思ひをしながら、そつと元來た方へ歩き出しました。所が十歩と歩かない中に、誰か又私の袴の裾を、後から恐る恐る、引き止めるではございませんか。私は驚
いて、振り向きました。あなた方はそれは何だつたと思召します?
見るとそれは私の足もとにあの猿の良秀が、人間のやうに兩手をついて、黄金の鈴を鳴らしながら、何度となく丁寧に頭を下げてゐるのでございました。
するとその晩の出來事があつてから、半月ばかり後の事でございます。或日良秀は突然御邸へ參りまして、大殿樣へ直の御眼通りを願ひました。卑しい身分のものでございますが、日頃から格別御意に入つてゐたからでございませう。誰にでも容易に御會ひになつた事のない大殿樣が、その日も快く御承知になつて、早速御前近くへ御召になりました。あの男は例の通り香染めの狩衣に萎えた烏帽子を頂いて、何時もよりは一層氣むづかしさうな顏をしながら、恭しく
御前へ平伏致しましたが、やがて嗄れた聲で申しますには、
「兼ね兼ね御云ひつけになりました地獄變の屏風でございますが、私も日夜に丹誠を抽んでて、筆を執りました甲斐が見えまして、もはやあらまし出來上つたのも同然でございまする。」
「それは目出度い。予も滿足ぢや。」
しかしかう仰有る大殿樣の御聲には、何故か妙に力の無い、張合のぬけた所がございました。
「いえ、それが一向目出度くはござりませぬ。」良秀は、稍腹立しさうな容子でぢつと眼を伏せながら、「あらましは出來上りましたが、唯一つ、今以て私には描けぬ所がございまする。」
「なに、描けぬ所がある?」
「さやうでございまする。私は總じて、見たものでなければ描けませぬ。よし
描けても、得心が參りませぬ。それでは描けぬも同じ事でございませぬか。」
これを御聞きになると、大殿樣の御顏には、嘲るやうな御微笑が浮びました。
「では地獄變の屏風を描かうとすれば、地獄を見なければなるまいな。」
「さやうでござりまする。が、私は先年大火事がございました時に、炎熱地獄の猛火にもまがふ火の手を、眼のあたりに眺めました。『よぢり不動』の火焔を描きましたのも、實はあの火事に遇つたからでございまする。御前もあの繪は御承知でございませう。」
「しかし罪人はどうぢや。獄卒は見た事があるまいな。」大殿樣はまるで良秀の申す事が御耳にはひらなかつたやうな御容子で、かう疊みかけて御尋ねになりました。
「私は鐵の鎖に縛られたものを見た事がございまする。怪鳥に惱まされるものの姿も、具に寫しとりました。されば罪人の呵責に苦しむ樣も知らぬと申され
ませぬ。又獄卒は――」と云つて、良秀は氣味の惡い苦笑を洩しながら、「又獄卒は、夢現に何度となく、私の眼に映りました。或は牛頭、或は馬頭、或は三面六臂の鬼の形が、音のせぬ手を拍き、聲の出ぬ口を開いて、私を虐みに參りますのは、殆ど毎日毎夜のことと申してもよろしうございませう。――私の描かうとして描けぬのは、そのやうなものではございませぬ。」
それには大殿樣も、流石に御驚きになつたでございませう。暫くは唯苛立たしさうに、良秀の顏を睨めて御出でになりましたが、やがて眉を險しく御動かしになりながら、「では何が描けぬと申すのぢや。」と打捨るやうに仰有いました。
「私は屏風の唯中に、檳榔毛の車が一輛、空から落ちて來る所を描かうと思つて居りまする。」良秀はかう云つて、始めて鋭く大殿樣の御顏を眺めました。あの男は畫の事を云ふと、氣違ひ同樣になるとは聞いて居りましたが、その時の眼のくばりには確にさやうな恐ろしさがあつたやうでございます。
「その車の中には、一人のあでやかな上臈が、猛火の中に黒髮を亂しながら、悶え苦しんでゐるのでございまする。顏は煙に咽びながら、眉を顰めて、空ざまに車蓋を仰いで居りませう。手は下簾を引きちぎつて、降りかかる火の粉の雨を防がうとしてゐるかも知れませぬ。さうしてそのまはりには、怪しげな鷙鳥が十羽となく、二十羽となく、嘴を鳴らして粉々と飛び繞つてゐるのでございまする。――ああ、それが、牛車の中の上臈が、どうしても私には描けませぬ。」
「さうして――どうぢや。」
大殿樣はどう云ふ訣か、妙に悦ばしさうな御氣色で、かう良秀を御促しにな
りました。が、良秀は例の赤い脣を熱でも出た時のやうに震はせながら、夢を見てゐるのかと思ふ調子で、
「それが私には描けませぬ。」と、もう一度繰返しましたが、突然噛みつくやうな勢になつて、
「どうか檳榔毛の車を一輛、私の見てゐる前で、火をかけて頂きたうございまする。さうしてもし出來まするならば――」
大殿樣は御顏を暗くなすつたと思ふと、突然けたたましく御笑ひになりました。さうしてその御笑ひ聲に息をつまらせながら、仰有いますには、
「おお、萬事その方が申す通りに致して遣はさう。出來る出來ぬの詮議は無益の沙汰ぢや。」
私はその御語を伺ひますと、蟲の知らせか、何となく凄じい氣が致しました。實際又大殿樣の御容子も、御口の端には白く泡がたまつて居りますし、御眉の
あたりにはびくびくと電が起つて居りますし、まるで良秀のもの狂ひに御染みなすつたのかと思ふ程、唯ならなかつたのでございます。それがちよいと語を御切りになると、すぐ又何かが爆ぜたやうな勢で、止め度なく喉を鳴らして御笑ひになりながら、
「檳榔毛の車にも火をかけよう。又その中にはあでやかな女を一人、上臈の裝をさせて乘せて遣はさう。炎を黒煙とに攻められて、車の中の女が悶え死をする――それを描かうと思ひついたのは、流石に天下第一の繪師ぢや。褒めてとらす。おお、褒めてとらすぞ。」
大殿樣の御語を聞きますと、良秀は急に色を失つて喘ぐやうに唯、脣ばかり動して居りましたが、やがて體中の筋が緩んだやうに、べたりと疊へ兩手をつくと、
「難有い仕合せでございまする。」と、聞えるか聞えないかわからない程低い
聲で、丁寧に御禮を申し上げました。それは大方自分の考へてゐた目ろみの恐ろしさが、大殿樣の御語につれてありありと目の前へ浮んで來たからでございませうか。私は一生の中に唯一度、この時だけは良秀が、氣の毒な人間に思はれました。
それから二三日した夜の事でございます。大殿樣は御約束通り、良秀を御召になつて、檳榔毛の車の燒ける所を、目近く見せて御やりになりました。尤もこれは堀川の御邸であつた事ではございません。俗に雪解の御所と云ふ、昔大殿樣の妹君がいらしつた洛外の山莊で、御燒きになつたのでございます。
この雪解の御所と申しますのは、久しくどなたにも御住ひにはならなかつた
所で、廣い御庭も荒れ放題荒れ果てて居りましたが、大方この人氣のない御容子を拜見した者の當推量でございませう。ここで御歿くなりになつた妹君の御身の上にも、兎角の噂が立ちまして、中には又月のない夜毎々々に、今でも怪しい御袴の緋の色が、地にもつかず御廊下を歩むなどと云ふ取沙汰を致すものもございました――それも無理ではございません。晝でさへ寂しいこの御所は、一度日が暮れたとなりますと、遣水の音が一際陰に響いて、星明りに飛ぶ五位鷺も、怪形の物かと思ふ程、氣味が惡いのでございますから。
丁度その夜はやはり月のない、まつ暗な晩でございましたが、大殿油の灯影で眺めますと、縁に近く座を御占めになつた大殿樣は、淺黄の直衣に濃い紫の浮紋の指貫を御召になつて、白地の錦の縁をとつた圓座に、高々とあぐらを組んでいらつしやいました。その前後左右に御側の者どもが五六人、恭しく居並んで居りましたのは、別に取り立てて申し上げるまでもございますまい。が、
中に一人、眼だつて事ありげに見えたのは、先年陸奧の戰ひに餓ゑて人の肉を食つて以來、鹿の生角さへ裂くやうになつたと云ふ強力の侍が、下に腹卷を着こんだ容子で、太刀を鴎尻に佩き反らせながら、御縁の下に嚴しくつくばつてゐた事でございます。――それが皆、夜風に靡く灯の光で、或は明るく或は暗く、殆ど夢現を分たない氣色で、何故かもの凄く見え渡つて居りました。
その上に又、御庭に引き据ゑた檳榔毛の車が、高い車蓋にのつしりと暗を抑へて、牛はつけず黒い轅を斜に榻へかけながら、金物の黄金を星のやうに、ちらちら光らせてゐるのを眺めますと、春とは云ふものの何となく肌寒い氣が致します。尤もその車の内は、浮線綾の縁をとつた青簾が、重く封じこめて居りますから、
はこには何がはひつてゐるか判りません。さうしてそのまはりには仕丁たちが、手ん手に燃えさかる松明を執つて、煙が御縁の方へ靡くのを氣にしながら、仔細らしく控へて居ります。
當の良秀は稍離れて、丁度御縁の眞向に、跪いて居りましたが、これは何時もの香染らしい狩衣に萎えた揉烏帽子を頂いて、星空の重みに壓されたかと思ふ位、何時もよりは猶小さく、見すぼらしげに見えました。その後に又一人同じやうな烏帽子狩衣の蹲つたのは、多分召し連れた弟子の一人ででもございませうか。それが丁度二人とも、遠いうす暗がりの中に蹲つて居りますので、私のゐた御縁の下からは、狩衣の色さへ定かにはわかりません。
時刻は彼是眞夜中にも近かつたでございませう。林泉をつつんだ暗がひつそりと聲を呑んで、一同のする息を窺つてゐると思ふ中には、唯かすかな夜風の渡る音がして、松明の煙がその度に煤臭い匂を送つて參ります。大殿樣は暫く
默つて、この不思議な景色をぢつと眺めていらつしやいましたが、やがて膝を御進めになりますと、
「良秀、」と、鋭く御呼びかけになりました。
良秀は何やら御返事を致したやうでございますが、私の耳には唯、唸るやうな聲しか聞えて參りません。
「良秀。今宵はその方の望み通り、車に火をかけて見せて遣はさう。」
大殿樣はかう仰有つて、御側の者たちの方を流し眄に御覽になりました。その時何か大殿樣と御側の誰彼との間には、意味ありげな微笑が交されたやうにも見うけましたが、これは或は私の氣のせゐかも分りません。すると良秀は畏る畏る頭を擧げて御縁の上を仰いだらしうございますが、やはり何も申し上げずに控へて居ります。
「よう見い。それは予が日頃乘る車ぢや。その方も覺えがあらう。――予はそ
の車にこれから火をかけて、目のあたりに炎熱地獄を現ぜさせる心算ぢやが。」
大殿樣は又語を御止めになつて、御側の者たちに
めくばせをなさいました。それから急に苦々しい御調子で、「その中には罪人の女房が一人、縛めた儘乘せてある。されば車に火をかけたら、必定その女めは肉を燒き骨を焦して、四苦八苦の最期を遂げるであらう。その方が屏風を仕上げるには、又とない好い手本ぢや。雪のやうな肌が燃え爛れるのを見のがすな。黒髮が火の粉になつて、舞ひ上るさまもよう見て置け。」
大殿樣は三度口を御噤みになりましたが、何を御思になつたのか、今度は唯肩を搖つて、聲も立てずに御笑ひなさりながら、
「末代までもない觀物ぢや。予もここで見物しよう。それそれ、簾を揚げて、良秀に中の女を見せて遣はさぬか。」
仰を聞くと仕丁の一人は、片手に松明の火を高くかざしながら、つかつかと
車に近づくと、矢庭に片手をさし伸して、簾をさらりと揚げて見せました。けたたましく音を立てて燃える松明の光は、一しきり赤くゆらぎながら、忽ち狹い
はこの中を鮮かに照し出しましたが、とこの上に慘らしく、鎖にかけられた女房は――ああ、誰か見違へを致しませう。きらびやかな繍のある櫻の唐衣にすべらかしの黒髮が艶やかに垂れて、うちかたむいた黄金の釵子も美しく輝いて見えましたが、身なりこそ違へ、小造りな體つきは、猿轡のかかつた頸のあたりは、さうしてあの寂しい位つつましやかな横顏は、良秀の娘に相違ございません。私は危く叫び聲を立てようと致しました。
その時でございます。私と向ひあつてゐた侍は慌しく身を起して、柄頭を片手に抑へながら、屹と良秀の方を睨みました。それに驚いて眺めますと、あの男はこの景色に、半ば正氣を失つたのでございませう。今まで下に蹲つてゐたのが、急に飛び立つたと思ひますと、兩手を前へ伸した儘、車の方へ思はず知
らず走りかからうと致しました。唯生憎前にも申しました通り、遠い影の中に居りますので、顏貌ははつきりと分りません。しかしさう思つたのはほんの一瞬間で、色を失つた良秀の顏は、いや、まるで何か目に見えない力が宙へ吊り上げたやうな良秀の姿は、忽ちうす暗がりを切り拔いてありありと眼前へ浮び上りました。娘を乘せた檳榔毛の車が、この時、「火をかけい」と云ふ大殿樣の御語と共に、仕丁たちが投げる松明の火を浴びて炎々と燃え上つたのでございます。
火は見る見る中に、車蓋をつつみました。庇についた紫の流蘇が、煽られたやうにさつと靡くと、その下から濛々と夜目にも白い煙が渦を卷いて、或は簾、
或は袖、或は棟の金物が、一時に碎けて飛んだかと思ふ程、火の粉が雨のやうに舞ひ上る――その凄じさと云つたらございません。いや、それよりもめらめらと舌を吐いて袖格子に搦みながら、半空までも立ち昇る烈々とした炎の色はまるで日輪が地に落ちて、天火が迸つたやうだとでも申しませうか。前に危く叫ばうとした私も、今は全く魂を消して、唯茫然と口を開きながら、この恐ろしい光景を見守るより外はございませんでした。しかし親の良秀は――
良秀のその時の顏つきは、今でも私は忘れません。思はず車の方へ驅け寄らうとしたあの男は、火が燃え上ると同時に、足を止めて、やはり手をさし伸した儘、食ひ入るばかりの眼つきをして、車をつつむ焔煙を吸ひつけられたやうに眺めて居りましたが、滿身に浴びた火の光で、皺だらけな醜い顏は、髭の先までもよく見えます。が、その大きく見開いた眼の中と云ひ、引き歪めた脣のあたりと云ひ、或は又絶えず引き攣つてゐる頬の肉の震へと云ひ、良秀
の心に交々往來する恐れと悲しみと驚きとは、歴々と顏に描かれました。首を刎ねられる前の盗人でも、乃至は十王の廳へ引き出された、十逆五惡の罪人でも、ああまで苦しさうな顏は致しますまい。これには流石にあの強力の侍でさへ、思はず色を變へて、畏る畏る大殿樣の御顏を仰ぎました。
が、大殿樣は緊く脣を御噛みになりながら、時々氣味惡く御笑ひになつて、眼も放さずぢつと車の方を御見つめになつていらつしやいます。さうしてその車の中には――ああ、私はその時、その車にどんな娘の姿を眺めたか、それを詳しく申し上げる勇氣は、到底あらうとも思はれません。あの煙に咽んで仰向けた顏の白さ、焔を掃つてふり亂れた髮の長さ、それから又見る間に火と變つて行く、櫻の唐衣の美しさ、――何と云ふ慘たらしい景色でございましたらう。殊に夜風が一下しして、煙が向うへ靡いた時、赤い上に金粉を撒いたやうな、焔の中から浮き上つて、猿轡を噛みながら、縛の鎖も切れるばかり身悶えをした
有樣は、地獄の業苦を目のあたりへ寫し出したかと疑はれて、私始め強力の侍までおのづと身の毛がよだちました。
するとその夜風が又一渡り、御庭の木々の梢にさつと通ふ――と誰でも、思ひましたらう。さう云ふ音が暗い空を、どことも知らず走つたと思ふと、忽ち何か黒いものが、地にもつかず宙にも飛ばず、鞠のやうに躍りながら、御所の屋根から火の燃えさかる車の中へ、一文字にとびこみました。さうして朱塗のやうな袖格子が、ばらばらと燒け落ちる中に、のけ反つた娘の肩を抱いて、帛を裂くやうな鋭い聲を、何とも云へず苦しさうに、長く煙の外へ飛ばせました。續いて又、二聲三聲――私たちは我知らず、あつと同音に叫びました。壁代のやうな焔を後にして、娘の肩に縋つてゐるのは、堀川の御邸に繋いであつた、あの良秀と諢名のある、猿だつたのでございますから。
鳥でさへさうでございます。まして私たち仕丁までも、皆息をひそめながら、身の内も震へるばかり、異樣な隨喜の心に充ち滿ちて、まるで開眼の佛でも見るやうに、眼も離さず、良秀を見つめました。空一面に鳴り渡る車の火と、それに魂を奪はれて、立ちすくんでゐる良秀と――何と云ふ莊嚴、何と云ふ歡喜でございませう。が、その中でたつた一人、御縁の上の大殿樣だけは、まるで別人かと思はれる程、御顏の色も青ざめて、口元に泡を御ためになりながら、紫の指貫の膝を兩手にしつかり御つかみになつて、丁度喉の渇いた獸のやうに喘ぎつづけていらつしやいました。……
その夜雪解の御所で、大殿樣が車を御燒きになつた事は、誰の口からともな
く世上へ洩れましたが、それに就いては隨分いろいろな批判を致すものも居つたやうでございます。先づ第一に何故大殿樣が良秀の娘を御燒き殺しなすつたか、――これは、かなはぬ戀の恨みからなすつたのだと云ふ噂が、一番多うございました。が、大殿樣の思召は、全く車を燒き人を殺してまでも、屏風の畫を描かうとする繪師根性の曲なのを懲らす御心算だつたのに相違ございません。現に私は、大殿樣が御口づからさう仰有るのを伺つた事さへご
ざいます。
それからあの良秀が、目前で娘を燒き殺されながら、それでも屏風の畫を描きたいと云ふその木石のやうな心もちが、やはり何かとあげつらはれたやうでございます。中にはあの男を罵つて、畫の爲に親子の情愛も忘れてしまふ、人面獸心の曲者だなどと申すものもございました。あの横川の僧都樣などは、かう云ふ考へに味方なすつた御一人で、「如何に一藝一能に秀でようとも、人として五常を辨へねば、地獄に墮ちる外はない」などと、よく仰有つたものでございます。
所がその後一月ばかり經つて、愈地獄變の屏風が出來上りますと、良秀は早速それを御邸へ持つて出て、恭しく大殿樣の御覽に供へました。丁度その時は僧都樣も御居合せになりましたが、屏風の畫を一目御覽になりますと、流石にあの一帖の天地に吹き荒んでゐる火の嵐の恐ろしさに御驚きなすつたのでございませう。それまでは苦い顏をなさりながら、良秀の方をじろじろ睨めつけていらしつたのが、思はず知らず膝を打つて、「出かし居つた」と仰有いました。この語を御聞になつて、大殿樣が苦笑なすつた時の御容子も、未だに私は忘れません。
それ以來あの男を惡く云ふものは、少くとも御邸の中だけでは、殆ど一人もゐなくなりました。誰でもあの屏風を見るものは、如何に日頃良秀を憎く思つてゐるにせよ、不思議に嚴な心もちに打たれて、炎熱地獄の大苦艱を如實に感
じるからでもございませうか。
しかしさうなつた時分には、良秀はもうこの世に無い人の數にはひつて居りました。それも屏風の出來上つた次の夜に、自分の部屋の梁へ繩をかけて、縊れ死んだのでございます。一人娘を先立てたあの男は、恐らく安閑として生きながらへるのに堪へなかつたのでございませう。死骸は今でもあの男の家の跡に埋まつて居ります。尤も小さな標の石は、その後何十年かの風雨に曝されて、とうの昔誰の墓とも知れないやうに、苔蒸してゐるにちがひございません。
(大正七年四月)