Title: Kanadehon Chushingura
Author: Izumo Takeda, Miyoshi Shoraku, and Namiki Senryu
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About the original source:
Title: Kanadehon Chushingura
Author: Izumo Takeda, Miyoshi Shoraku, and Namiki Senryu
Publisher: Tokyo: Iwanami Shoten, 1937



假名手本忠臣藏

第一




嘉肴有といへども食せざれば其味をしらずとは。國治てよき武士の忠も武勇もかくるゝに。たとへば星の晝見へず夜は亂れて顯はるゝ。例を爰に假名書の



ヲロシ

太平の代の。政。




比は歴應元年二月下旬。足利將軍尊氏公新田義貞を討亡し。京都に御所を構徳風四方に普く。萬民草のごとくにて靡。從ふ御威勢。




國に羽をのす鶴が岡八幡宮御造營成就し。御代參として御舎弟足利左兵衞督直義公。鎌倉に下着なりければ。在鎌倉の執事高武藏守師直。御膝元に人を見下す權柄眼。御馳走の役人は。桃井播磨守が弟若狹助安近。伯州の城主鹽冶判官高定。馬場先に幕打廻し



フシ

威儀を正して相詰る。




直義仰出さるゝはいかに師直。




此唐櫃に入置しは。兄尊氏に亡されし新田義貞。後醍醐の天皇より給はつて着せし兜。敵ながらも義貞は清和源氏の嫡流。着捨の兜といひながら。其儘にも打置れず。




當社の御藏に納る條其心得有べしとの嚴命なりと宣へば。武藏守承り。




是は思ひも寄ざる御事。新田が清和の末なり迚着せし兜を尊敬せば。御籏下の大小名清和源氏はいくらも有。




奉納の義然るべからず候と。遠慮なく言上す。




イヤ左樣にては候まじ。此若狹助が存るは。是は全く尊氏公の御計略。新田と徒黨の討洩され御仁徳 を感心し。攻ずして降參さする御方便と存奉れば。無用との御評義率爾也と。




いはせも果ず。




イヤア師直にむかつて率爾とは出過たり。義貞討死したる時は大わらは。死骸の傍に落散たる兜の數は四十七。どれがどふ共見しらぬ兜。そふで有ふと思ふのを。奉納した其跡でそふでなければ大きな恥。なま若輩な形をしてお尋もなき評義。




すつこんでお居やれと御前よきまゝ出る儘に。杭共思はぬ詞の大槌。打込れてせき立色目鹽冶引取て。




コハ御尤成御評義ながら。桃井殿の申さるゝも納る代の軍法。




是以て捨られず双方全き直義公の。御賢慮仰奉ると。申上れば御機嫌有。




ホヽ左いはんと思ひし故。所存有て鹽冶が婦妻を召連よと云付し。是へ招けと有ければ。




はつと答の程もなく。馬場の白砂素足にて裾で庭掃襠は。



長地

神の御前の玉はゞき玉も欺く薄化粧。鹽冶が妻のかほよ御前遙さがつて畏る。




女好の師直其儘聲かけ。




鹽冶殿の御内室かほよ殿。最前より嘸待遠御太義/\。




御前のお召近ふ/\と取持顏。直義御らんじ。




召出す事外ならず。往元弘の亂に。後醍醐帝都にて召れし兜を。義貞に給はつたれば最期の時に着つらん事疑ひはなけれ共。其兜を誰有て見しる人外になし。其比は鹽冶が妻。十二の内侍の其内にて。兵庫司の女官なりと聞及ぶ。嘸見知あらんず。覺あらば兜の本阿彌。




目利/\と女には。嚴命さへも和らかに。



フシ

お受申も又なよやか。




冥加に余る君の仰。夫こそは私が。明 暮手馴し御着の兜。義貞殿拜領にて。蘭奢待といふ名香を添て給はる。御取次は則かほよ。其時の勅答には。人は一代名は末代。すは討死せん時。此蘭奢待を思ふ儘。内兜にたきしめ着ならば。




鬢の髪に香を留て。名香かほる首取しといふ者あらば。義貞が最期と思召れよとの。詞はよもや違ふまじと申上たる口元に。下心有る師直は。小鼻いからし聞居たる。




直義くはしく聞し召。




ヲヽ詳成かほよが返答。さあらんと思ひし故。落散たる兜四十七。此唐櫃に入置たり。




見分させよと御上意の下侍。かゞむる腰の海老鎖。明る間遲しと取出すを。おめず臆せず立寄て。



フシ

見れば所も。名にしおふ。鎌倉山の星兜。とつぱい頭しゝ頭。扨指物は家々の。流義/\に寄ぞかし。




或は直平筋兜。錣のなきは。弓の爲。其主々の好迚。數々多き其中にも。五枚兜の龍頭是ぞといはぬ其内に。ぱつとかほりし名香は。かほよが馴し義貞の兜にて御座候と



フシ

指出せば。




左樣ならめと一決し鹽冶桃井兩人は。寶藏に納べしこなたへ來れと御座を立。かほよにお暇給はりてだんかづらを過給へば。鹽冶桃井兩人も



ヲクリ

打連てこそ入にける。




跡にかほよはつきほなく。師直樣は今暫し。御苦勞ながらお役目を。お仕舞有ておしづかに。




お暇の出た此かほよ。長居は恐れおさらばと。




立上る袖摺寄つてじつかとひかへ。




コレまあお待待給へ。けふの御用仕舞次第。其元へ推參してお目にかける物が有。幸のよい所召出された直義公は 我爲の結ぶの神。御存のごとく我等歌道に心を寄。吉田の兼好を師範と頼日々の状通。其元へ屆くれよと問合せの此書状。いかにもとのお返事は。口上でも苦しうないと。




袂から袂へいるゝ結び文。顏に似合ぬ樣參る武藏鐙と書たるを。見るよりはつと思へ共。はしたなう恥しめては却て夫の名の出る事。持歸つて夫に見せふか。いや/\夫では鹽冶殿。憎しと思ふ心から怪我過にもならふかと。



フシ

物をもいはず投返す。人に見せじと手に取上。




 戻すさへ手にふれたりと思ふにぞ。我文ながら捨も置れず。くどうは云ぬ。よい返事聞迄は。くどいて/\くどき拔く。天下を立ふとふせふ共儘な師直。鹽冶を生ふと殺そふ共。かほよの心たつた一つ。何とそふではあるまいかと。




聞にかほよが返答も。



フシ

涙ぐみたる計なり。




折から來合す若狹助。例の非道と見て取氣轉。




かほよ殿まだ退出なされぬか。お暇出て隙どるは。




却て上への恐れ



フシ

早お歸りと追立れば。




きやつ扨はけどりしと。弱味をくはぬ高師直。




ヤア又してもいはれぬ出過。立てよければ身が立す。此度の御役目。首尾よう勤させくれよと。鹽冶が内證かほよの頼。そふなくては叶はぬ筈。大名でさへあの通。小身者に捨知行誰が蔭で取する。師直が口一つで五器提ふも知ぬあぶない身代。夫でも武士と思ふじや迄と。




邪魔の返報にくて口くはつとせき立若狹助。刀のこゐ口碎る程スヱテ握り。詰は詰たれ共。神前也御前也と一旦の堪忍も。今一言の 生死の。詞の先手還御ぞと。御先を拂ふ聲々に詮方なくも期を延す。無念は胸に忘られず。惡事悖て運強く切れぬ高の師直を。あすの我身の敵共。しらぬ鹽冶が跡押へ。直義公は悠々と歩御成給ふ御威勢。人の兜の龍頭御藏に入る數々も。四十七字のいろは分かなの兜を和らげて。兜頭巾のほころびぬ國の。掟ぞ



三重

久かたの

第二



フシ

空も彌生のたそかれ時。




桃井若狹助安近の。舘の行儀はき掃除。お庭の松も幾千代を守る舘の執權職。加古川本藏行國。年も五十の分別盛。



フシ

上下ため付書院先。




あゆみくる共白洲の下人。




ナント關内。此間はお上にはでつかちないお拵へ。都からのお客人。きのふは鶴が岡の八幡へ御社參。おびたゝしいお物入アヽ其銀の入目がほしい。其銀が有たらこの可介。名を改めて樂しむになア。何じや名を改めて樂しむとは珍らしい。そりや又何と替る。ハテ角助と改て胴を取て見る氣。ナニばかつらなわりやしらないか。きのふ鶴が岡で。是の旦那若狹助樣。いかふ不首尾で有たげな。子細はしらぬが師直殿が大きな恥をかゝせたと奴部屋の噂。定て又無理をぬかして。お旦那をやりこめ




おつたであろと



フシ

さがなき口々。




ヤイ/\何をざは/\ とやかましいお上の取ざた。殊に御前の御病氣。お家の恥辱に成こと有ば此本藏聞流し置べきや。禍は下部の嗜。掃除の役目仕廻たら。皆いけ




/\と和らかに。女小性が持出る。たばこ輪をふく雲をふく。



本フシ

廊下音なふ衣の香や。本藏がほんさうの一人娘の小浪御寮。母のとなせ諸共にしとやかに立出れば。




是は/\兩人共御前のお伽は申さいで。自身の遊びか不行義千万。イヱ/\今日は御前樣殊外の御機嫌。今すや/\とお休夫でナア母樣。イヤ申本藏殿。先程御前の御物語。きのふ小浪が鶴が岡へ御代參の歸るさ。殿若狹助樣。高師直殿詞諍ひ遊ばせしとの御噂。たがいふとなくお耳に入夫は/\きついお案じ。夫本藏子細くはしく知ながら。自に隱すのかやとお尋遊ばす故。小浪に樣子を尋ぬれば。是もわたしと同事。




何にも樣子は存ませぬとのお返事。御病氣のさはりお家の恥に成事なら。




アヽこれ/\となせ。夫程のお返事なぜ取繕ふて申上ぬ。主人は生得御短慮なるお生付。何の詞論ひなどゝは。女わらべの口くせ。一言半句にても舌三寸の誤りより身をはたすが刀の役目。武士の妻でないか。それ程の事に氣が付ぬか嗜めさ嗜めさ。ナニ娘。そちは又御代參の道すがら。左樣の噂はなかりしか。但有たか。ナニない。ヲヽ其筈/\。ハヽヽヽなんのべしてもない事を。よし/\奥方のお心休め。




直にお目にかからんと



フシ

立上る折こそあれ。




當番の役人罷出。




大星由良助樣の御子息。大星力彌樣御出なりと 申上る。ムヽお客御馳走の申合せ。判官殿よりのお使ならんこなたへ通せ。コレとなせ其方は御口上受取殿へ其通り申上られよ。お使者は力彌。娘小浪と言号の聟殿。御馳走申しやれ。




先奥方へ御對面と



ヲクリ

云捨一間に入にける。




となせは娘を傍近くなふ小浪。




とゝ樣のかたくろしいは常なれど。今おつしやつた御口上。請取役はそなたにと有そな所を。となせにとは母が心とはきつい違ひ。そもじも又力彌殿の顏も見たかろ。逢たかろ。母にかはつて出むかやゝ。




いやか/\と問返せば。あい共いや共返答は



フシ

あからむ顏のおぼこさよ。




母は娘の心を汲アイタヽヽ。娘せなを押てたも。是は何と遊ばせしとうろたへさはげばイヤなふ。




けさからの心づかひ又持病の積が指込だ。是ではどふもお使者に逢れぬ。アイタヽヽ娘。太義ながら御口上も受取。御馳走も申てたも。お主と持病には勝れぬ。




/\とそろ/\と立上り。




娘や隨分御馳走申しやや。したが餘り馳走過。大事の口上忘れまいぞ。わしも聟殿にアイタヽ。




あいたからうの奧樣は。



フシ

氣を通してぞ奧へ行。




小浪は御跡伏拜み/\。




忝い母樣。日比戀し床しい力彌樣。あはゞどふいをかういをと。




娘心のどき/\と。



フシ

胸に小浪を打寄る。




疊ざはりも故實を糺し入來る大星力彌。まだ十七の角髪や。二つ巴の定紋に



フシ

大小。立派さはやかに。




遉大星由良助が子息と見へし其器量。しづ/\と座に直り。




たそお取次頼奉ると




慇懃に相述 る。小浪ははつと手をつかへじつと見かはす顏と顏。互の胸に戀人と。物も得いはぬ赤面は。梅と櫻の花相撲に



フシ

枕の行司なかりけり。




小浪漸胸押しづめ。




是は/\御苦勞千万にようこそお出。只今の御口上受取役は私。御口上の趣を。お前の口からわたしが口へ。




直におつしやつて下さりませと摺寄れば身をひかへ。




ハア是は/\ぶ作法千万。惣じて口上受取渡しは。行義作法第一と。




疊をさがり手をつかへ。




主人鹽冶判官より若狹助樣への御口上。明日は管領直義公へ未明より相詰申す筈の所。定めてお客人も早々にお出あらん。然れば判官若狹助兩人は、正七つ時に急度御前へ相詰よと師直樣より御仰。万事間違のなき樣に今一應御使者に參れと。主人判官申付候故右の仕合此通若狹助樣へ御申上下さるべしと。




水を流せる口上に。小浪はうつかり顏見とれ。



フシ

とかふ。諾もなかりけり。




ヲヽ聞た/\使太義と若狹助。一間より立出。




昨日お別れ申てより。判官殿間違てお目にかゝらず。成程正七つ時に貴意得奉らん。委細承知仕る。判官殿にも御苦勞千万と。宜しく申傳へてくれられよ。お使者太義。然らばお暇申上ん。ナニお取次の女中御苦勞と。




しづ/\立て見向もせず衣紋繕ひ立歸る。




本藏一間より立かはり。




ハア殿是に御入。彌明朝は。正七つ時に御登城御苦勞千万。今宵も最早九つ。暫く御間睡遊ばされよ。成程/\。イヤ何本藏。其方にちと用事有密々の事。小浪を奧へ/\。ハ アコリヤ/\娘。用事あらば手を打ふ奧へ




/\と娘を追やり。合點の行ぬ主人の顏色と御傍へ立寄。




先程よりお伺ひ申さんと存ぜし所。委細具に御仰。




下さるべしと指寄ばにじり寄。




本藏今此若狹助が云出す一言。何に寄ず畏り奉ると二言と返さぬ誓言聞ふ。ハア是は/\改まつた御詞。畏り入奉るではござれ共。武士の誓言は。ならぬといふのか。イヤ左にあらず。先委細とつくと承はり。子細をいはせ跡で異見か。イヤ夫は。詞を背くか。サア何と。ハツ




はつと計指うつむき



フシ

暫く。詞なかりしが。




胸を極て指添拔。片手に刀拔出し。てう/\/\と金打し。




本藏が心底かくの通り。とゞめも致さず他言もせぬ。先思召の一通おせきなされずと。本藏めが胃の腑に。落付樣にとつくりと承はらんと相述る。ムヽ一通語つて聞せん此度管領足利左兵衞督直義公。鶴が岡造營故。此鎌倉へ御下向。御馳走の役は鹽冶判官。某兩人承はる所に。尊氏將軍よりの仰にて。高師直を御添入。万事彼が下地に任せ御馳走申上よ。年ばいといひ諸事物馴たる侍と。御意に隨ひ勝に乘て日比の我儘十倍増。都の諸武士並居る中。若年の某を見込雜言過言眞二つにと思へ共。お上の仰を憚り。堪忍の胸を押へしは幾度。明日は最早了簡ならず。御前に於て恥面かかせる武士の意路。其上にて討て捨る必留めるな。日比某を短慮成と奧を始其方が異見。幾度か胸にとつくと合點なれ共。無念重る武士の性根。家の斷絶奧が歎。思はんにて はなけれ共。刀の役目弓矢神への恐れ。




戰場にて討死はせず共。師直一人討て捨れば天下の爲。家の恥辱にはかへられぬ。必々短氣故に身を果す若狹助。猪武者ようろたへ者と。世の人口を思ふ故。汝にとつくと打明すと。思ひ込だる無念の涙。



スヱ

五臟を貫く思ひなる。




横手を打てしたり/\。




ムヽよう譯をおつしやつた。よう御了簡なされた。此本藏なら今迄了簡はならぬ所。ヤイ本藏ナヽ何と云つた。今迄はよう了簡した堪忍したとは。わりや此若狹助をさみするか。是はお詞共覺ず。冬は日かげ夏は日面。よけて通れば門中にて。行違の喧嘩口論ないと申は町人の譬。武士の家では杓子定規。除て通せばほうずがないと申のが本藏めが誤りか。御詞さみ致さぬ心底。




御覽に入んと御傍の。ちいさ刀拔より早く書院成。召がへ草履かたし片手の早ねたば。とつくと合せ橡先の松の片枝ずつぱと切て手ばしかく。



フシ

鞘に納め。




サア殿。まつ此通にさつぱりと遊ばせ/\。いふにや及ぶ。




人や聞と邊に氣を付。今夜はまだ九つくつたりと一休。枕時計の目覺し。本藏めがしかけ置早く/\。




ヲヽ聞入有て滿足せり。奧にも逢て余所ながらの暇乞。モウ逢ぬぞよ本藏。




さらば/\と云捨て。奧の一間に入給ふ



フシ

武士の。いきちは是非もなし。




御後かげ見送り/\勝手口へ走出。




本藏が家來共馬引早くといふ間もなく。




ももだちしやんとりゝしげに



フシ

御庭に引出せば。




橡よりひらりと打乘て師直の舘迄。つゞけや つゞけと乘出す。




轡に縋てとなせ小浪コレ/\どこへ。始終の樣子は聞ました年にこそよれ本藏殿。主人に御異見も申さず。合點行ぬ留ますと。




母と娘がぶら/\/\。轡にすがり留むれば。




ヤア小差出た。主人のお命お家の爲思ふ故に此時宜。必此事殿へ御さた致すな。お耳へ入たら娘は勘當。となせは夫婦の縁を切。




家來共道にて諸事を云付ん。そこ退兩人イヤイヤ/\。シヤ面倒なと鐙の端。一當はつしと當られて。うんと計にのつけに反を見向もせず。家來續と馬煙追立打立力足。ふみ立てこそ



三重

かけり行

第三




足利左兵衞督直義公。關八州の管領と新に建し御殿の結構。大名小名美麗を餝る公裝束。鎌倉山の星月夜と袖を烈る御馳走に。お能役者は裏門口。表御門はお客人御饗應の役人衆。正七つ時の御登城



フシ

武家の威光ぞ耀ける。




西の御門の見付の方。ハイ/\/\といかめしく。挑燈てらし入來るは。武藏守高師直。權威を顯すは鼻高々。花色模樣の大紋に。胸に我慢の立烏帽子。家來共を役所/\に殘し置。下部僅に先を拂はせ。主の威光の召おろし。鶴の眞似する鷺坂伴内。肩臂いからし申お旦那。




今日の御前表も上首尾/\。鹽冶で候の。イヤ桃井で候のと。 日比はとつぱさつぱとどしめけど。行義作法は狗を。家根へ上た樣で去とは/\腹のかは。イヤ夫に付兼々鹽冶が妻かほよ御前。いまだ殿へ御返事致さぬ由。お氣にはさへられな。器量はよけれど氣が叶はぬ。何の鹽冶づれと。當時出頭の師高樣と。ヤイ/\聲高に口利な。主有かほよ。度々歌の師範に事寄。くどけ共今に叶ぬ。則彼が召使かるといふこしもと新參と聞。きやつをこま付頼で見ん。扨まだ屑が有。かほよが誠にいやならば。夫鹽冶に子細をぐはらり打明る。所を云ぬは樂しみと。




四ツ足門のかたかげに主從點頭咄し合



フシ

折もあれ。




見付に扣へし侍あはたゞしく走出。




我々見付のお腰かけに扣へし所へ。桃井若狹助家來加古川本藏。師直樣へ直に御目にかゝらん爲。早馬にてお屋敷へ參つたれ共早御登城。是非御意得奉らんと。家來も大勢召連たる體。




いかゞ計ひ申さんやと聞より伴内騒出し。




今日御用の有師直樣へ。直に對面とは推參也。




某直談と走行を。




待/\伴内子細は知た。一昨日鶴が岡にての意趣ばらし。我手を出さず本藏めに云付。此師直が威光の鼻をひしがん爲。ハヽヽヽ伴内ぬかるな




七つにはまだ間もあらん。是へ呼出せ仕廻てくれん。成程/\家來共氣をくばれと。主從刀の目釘をしめし。手ぐすね引て



フシ

待かけ居る。




詞に隨ひ加古川本藏。衣紋繕ひ悠々と打通り。下部に持せし進物共。師直が目通にならべさせ



フシ

遙。さがつて蹲り。




ハア憚りながら師直樣へ申上奉る。此 度主人若狹助。尊氏將軍より御大役仰付られ下さる段。武士の面目身に餘る仕合。若輩の若狹助。何の作法も覺束なく。いかゞあらんと存る所に。師直樣万事御師範を遊ばされ。諸事を御引廻し下され候故。首尾能御用相勤るも全主人が手柄にあらず。皆師直樣の御執成と。主人を始奥方一家中。我々迄も大慶此上や候べき。去によつて近比左少の至に候へ共。右御禮の爲一家中よりの送り物。お受遊ばされ下さらば。生前の面目一入願奉る。




則目録御取次と伴内に指出せばふしぎそふにそつと取押開き。




目録一つ卷物卅本黄金三十枚若狹助奥方。一つ黄金廿枚家老加古川本藏。同十枚番頭同十枚侍中。




右の通と讀上れば。師直は明た口ふさがれもせずうつとりと。主從顏を見合せて。氣ぬけの樣にきよろりつと。祭の延た六月の晦日見るが如くにて。



フシ

手持ぶさたに見へにける。




俄に詞改て。




是は/\/\悼入たる仕合。伴内こりやどふした物。ハテ扨々。ハアお辭宜申さばお志背くといひ。第一は大きなぶ禮。ヱヽ式作法を教るも。こんな折にはとんとこまる。ナニものじやは。イヤハヤ本藏殿。何の師範致す程の事もないが。兎角マア若狹助殿は器用者。師範の拙者及ばぬ/\。コリヤ伴内進物共皆取納め。ヱヽ不行義な。途中でお茶さへ得進ぜぬと。




手の裏返す挨拶に本藏が胸算用してやつたりと猶も手をつき。




最早七つの刻限早お暇。殊に今日は猶公の御座敷。彌主人の義御引廻し頼存ると。




立んとする袂 をひかへ。




ハテゑいわいの。貴殿も今日の御座敷の座並。拜見なされぬか。イヤ倍臣の某御前の恐。大事ない/\。此の師直が同道するに。誰がくつといふ者ない。殊に又若狹助殿も。何ぞれかぞれ小用の有物。ひらに/\すゝめられ。




然らば御供仕らん。




御意を背は却て無禮。地 先おさきにと跡に付。金で頬はる算用に。主人の命も買て取。二一天作そろばんの。けたを違ぬ白鼠。忠義忠臣忠孝の。道は一筋眞直に



フシ

打連御門に入にける。



フシ

程もあらさず入來るは。鹽冶判官高定。是も家來を殘し置。乘物道に立させ。譜代の侍早の勘平。朽葉小紋の新袴。ざは/\ざはつく御門前。




鹽冶判官高定登城成と音なひける。門番罷出。先程桃井樣御登城遊ばされ御尋。只今又師直樣御越にて御尋。早御入と相述る。ナニ勘平最早皆々御入とや。




遲なはりし殘念と。勘平一人御供にて



フシ

御前へこそは急行。




奧の御殿は御馳走の。連謠の聲播磨がた。




高砂の浦に着にけり/\。



ナヲス地

うたふ聲々門外へ。



フシ

風が持くる柳かげ。其柳より風俗は。まけぬ所體の。



小ヲクリ

十八九松の。緑の細眉もかたいやしきに物馴し。きどく帽子の後帶。供の奴が挑燈は



フシ

鹽冶が家の紋所。




御門前に立休らひ。




コレ奴殿。やがてもふ夜も明る。こなた衆は門内へは叶はぬ。爰からいんで休んでやと。




詞に隨ひナイ/\と。



フシ

供の下部は歸りける。




内を覗て勘平殿は何してぞ。どふぞ逢たい用が有と。見廻す折から後かげ。ちらと 見付。




おかるじやないか。勘平樣逢たかつたにようこそ/\。ムヽ合點の行ぬ夜中といひ。供をも連ず只一人。さいなあ。爰迄送りし供の奴は先へ歸した。わし獨殘りしは。奧樣からのお使。どふぞ勘平に逢て此文箱。判官樣のお手に渡し。お慮外ながら此返歌をお前のお手から直に師直樣へ。お渡しなされ下さりませと傳へよ。しかし。お取込の中間違ふまい物でなし。マア今宵はよしにせうとのお詞。地 わたしはお前に逢たい望。何の此歌の一首や二首。お屆なさるゝ程の間のない事は有るまいと。つゐ一走に走つてきた。



フシ

アヽしんどやと吐息つく。




然らば此文箱旦那の手から師直樣へ渡せばよいじや迄




どりや渡してこふ待て居いといふ中に門内より。




勘平/\/\判官樣が召まする。勘平/\。ハイハイ/\只今それへ。




ヱヽせはしないと



フシ

袖ふり切て行跡へ。




鯲ふむ足付鷺坂伴内。




何とおかる戀の智惠は又格別。勘平めとせゝくつて居る所を。勘平/\旦那がお召と呼だはきついか/\。師直樣がそもじに頼たい事が有とおつしやる。我等はそ樣にたつた一度。




君よ/\と抱付を突飛し。




コレみだらな事遊ばすな式作法のお家に居ながら狼藉千万。あたぶ作法なあた不行義と。




突退れば夫は難面。くらがり紛れにつゐちよこ/\と。手を取爭ふ其中に。




伴内樣/\師直樣の急御用。伴内樣/\と。




奴二人がうろ/\眼玉で是はしたり伴内樣。




最前から師直樣が御尋。式作法のお家に居ながら。女を 捕へあた不行義な。あたぶ作法と。




下部が口々ヱヽ同じ樣に何ぬかすと。



フシ

頬ふくらして連立行。




勘平跡へ入かはり。




何と今の働見たか。伴内めが一ぱいくらふてうせおつた。おれが來て旦那が呼しやるといふと。おけ古いとぬかすが面倒さに。奴共に酒飮せ。古いと云さぬ此術。ハヽヽヽまんまと首尾は仕課た。サア其首尾序にな。




ちよつと/\手を取ば。




ハテ扨はづんだマアまちやいの。何いはんすやら。何の待事が有ぞいなア。もふ頓て夜が明るわいな。




ぜひに/\にぜひなくも下地は好也御意はよし。




夫でも爰は人出入。




奧は謠の聲高砂。




せうこんによつてこしをすれば



ナヲス詞

アノ謠で思ひ付た。




イサ腰かけでと手を引合打連て行。




脇能過て御樂屋に鼓の調太鼓の音。天下泰平繁昌の壽祝ふ直義公。御機嫌



フシ

なゝめならざりける。




若狹助は兼て待師直遲しと御殿の内。奧を窺ふ長袴の紐しめくゝり氣配し。己師直眞二つと刀のこゐ口息を詰。



フシ

待共しらぬ




師直主從遠目に見付。




是は/\ 若狹助殿。扨々お早い御登城。イヤハヤ我折ました。我等閉口々々。イヤ閉口序に貴殿に言譯致し。お詫申事が有と。




兩腰くはらりと投出し。




若狹助殿。改めて申さねばならぬ一通。日外鶴が岡で。拙者が申た過言。ヲヽお腹が立たで有ふ尤じや。がそこをお詫。其時はどふやらした詞の間違でつゐ申た。我等一生の麁忽。武士がコレ手をさげるまつぴら/\。假令其元が物馴たお人なりやこそ。 外々のうろたへ者で見さつしやれ。此師直眞二つこはや/\。有やうは其節貴殿の後かげ。手を合して拜ましたアハヽヽ。アヽ年寄とやくたい/\。年にめんじて御免/\。是さ/\武士が刀を投出し手を合す。是程に申のを聞入ぬ貴公でもないはさ。兎角幾重にも誤り/\。伴内倶々に。




お詫/\と。金がいはする追從とは夢にもしらぬ若狹助。力身し腕も拍子拔。今更拔にぬかれもせず。ねたば合せし刀の手前指うつむきし思案顏。小柴のかげには本藏が。 またゝきもせず。



フシ

守りゐる。




ナニ伴内此鹽冶はなぜ遲い。若狹助殿とはきつい違ひ。扨々不行義者。今において頬出しせぬ。主が主なれば家老で候とて。諸事に細心の付やつが獨もない。いざ/\若狹殿御前へ御供致そ。サアお立なされ。サアササア師直め誤つておるぞ。コリヤ爰なすゐめ/\。すゐ樣め。イヤ若狹助最前から。ちと心惡うござる。マア先へ。何とした/\腹痛か。コレサ伴内お背/\。お藥しんじよかな。イヤ/\夫程にもござらぬ。然らば少の内おくつろぎ。御前の首尾は我等がよい樣に申上る。伴内一間へ御供申せと




主從寄てお輦に迷惑ながら若狹助。是はと思へどぜひなくも奧の一間へ入ければ。アヽもふ樂じやと。本藏は。天を拜し地を拜し。



フシ

お次の間にぞ扣へ居る。




程もあらさず鹽冶判官。御前へ通る長廊下師直呼かけ遲し/\。




何と心得てござる。今日は正七つ時と。先刻から申渡したでないか。成程遲なはりしは不調法去ながら。御前 へ出るはまだ間もあらんと。




袂より文箱取出し。




最前手前の家來が。貴公へお渡し申くれよ。則奧かほよ方より參りしと。




渡せば受取成程/\。




イヤ其元の御内室は扨々心がけがござるは。手前が和歌の道に心を寄るを聞。添削を頼と有。




定て其事ならんと押ひらき。




さなきだに。おもきが上のさよ衣。わがつまならぬつまな重ねそ。ハア是は新古今の歌。此古歌に添削とはムヽ。




/\と思案の内。我戀の叶はぬ驗。扨は夫に打明しと思ふ怒をさあらぬ顏。




判官殿。此歌御らうじたで御ざらふ。イヤ只今見ました。ムヽ手前が讀のを。アヽ貴殿の奥方はきつい貞女でござる。ちよつと遣はさるゝ歌が是じや。つまならぬつまな重ねそ。アヽ貞女/\。ア其元はあやかり物。登城も遲なはる筈の事。内に計へばり付てござるによつて。御前の方はお構ないじやと。




當こする雜言過言。あちらの喧嘩の門違とは。判官さらに合點行ず。むつとせしが押しづめ。




ハヽヽヽ是は/\。師直殿には御酒機嫌か。御酒參つたの。いつもらしやつた。イヤいつ呑ました。御酒下されても呑いでも。勤る所は急度勤る。貴公はなぜ遲かつたの。御酒參つたか。イヤ内にへばり付てござつたか。貴殿より若狹助殿アヽ格別勤られます。イヤ又其元の奥方は貞女といひ。御器量と申。手跡は見事。御自慢なされ。むつとなされなうそはないはさ。今日御前にはお取込。手前迚も同前。其中へ鼻毛らしい。イヤ是は手前が奧が歌でござる。夫程内が 大切なら御出御無用。惣體貴樣の樣な。内に計居る者を。井戸の鮒じやといふ譬が有。聞ておかしやれ。彼鮒めが僅三尺か四尺の井の内を。天にも地にもない樣に思ふて。不斷外を見る事がない。所に彼井戸がへに釣瓶に付て上ります。夫を川へ放しやると。何が内に計居る奴じやによつて。悦んで途を失ひ。橋杭で鼻を打て。即座にびり/\/\/\と死ます。貴樣も丁ど鮒と同じ事ハヽヽヽ



地フシ

と出ほうだい。




判官腹にすへ兼。




こりやこなた狂氣めさつたか。イヤ氣が違ふたか師直。シヤこいつ。武士をとらへて氣違とは。出頭第一の高師直。ムヽすりや今の惡言は本性よな。くどい/\。又本性なりやどふする。




ヲヽかうすると拔討に。眞向へ切付る眉間の大疵。是はと沈む身のかはし。烏帽子の頭二つに切。又切かゝるを拔つくゞりつ逃廻る折もあれ。お次に扣へし本藏走出て押とゞめ。




コレ判官樣御短慮と。




抱とむる其隙に師直は。舘をさしてこけつ轉びつ逃行ば。己師直眞二つ。放せ本藏放しやれとせり合内。舘も俄に騒出し。家中の諸武士大名小名。押へて刀もぎ取るやら。師直を介抱やら上を下へと。



三重

立さはぐ。




表御門裏御門。兩方打たる舘の騒動挑燈ひらめく大さはぎ。早の勘平うろ/\眼走歸つて裏御門。碎よ破よと打たゝき大聲上。




鹽冶判官の御内早の勘平主人の安否心元なし爰明てたべ




早く/\と



フシ

呼はつたり。




門内よりも聲高々。




御用あらば表へ廻れ爰は裏門。成程裏門合點。 表御門は家中の大勢早馬にて寄付れず。喧嘩の樣子は何と/\。喧嘩の次第相濟だ。出頭の師直樣へ慮外致せし科によつて。鹽冶判官は閉門仰付られ。網乘物にてたつた今




歸られしと聞よりハアなむ三寶。お屋敷へと走かゝつてイヤ/\/\。閉門ならば舘へは猶歸られじと行つ。戻りつ思案最中。こしもとおかる道にてはぐれヤア勘平殿。




樣子は殘らず聞ました。




こやり何とせうどふせうと



スヱ

取付。歎くを取て突退。




ヱヽめろ/\とほへ頬。コリヤ勘平が武士は捨つたはやい。




もふ是迄と刀の柄コレ待て下され。




こりやうろたへてか勘平殿。ヲヽうろたへた。是がうろたへずに居られふか。主人一生懸命の場にも有合さず剩。囚人同前の網乘物お屋敷は閉門。其家來は色にふけり御供にはづれしと人中へ。兩腰さして出られふか爰を放せマヽヽヽ待て下さんせ。尤じや道理じやが。其うろたへ武士には誰がした。皆わしが心から死る道ならおまへよりわたしが先へ死ねばならぬ。今お前が死だらばたが侍じやと譽まする。爰をとつくりと聞分てわたしが親里へ一先來て下さんせ。とゝ樣もかゝ樣も在所でこそ有たのもしい人。もふかう成た因果じやと思ふて女房のいふ事も。聞て下され勘平殿と



スヱ

わつと計に。泣しづむ。




そふじや尤そちは新參なれば委細の事は得しるまい。お家の執權大星由良助殿。いまだ本國より歸られず。歸國を待てお詫せん。サア




一時成共急がんと身拵へする所へ。




鷺坂伴内家來引連かけ出。




ヤア勘平うぬが主人判官師直樣へ慮外を働き。かすり疵負し科によつて屋敷は閉門。追付首が飛は知た事。サア腕廻せ。




連歸つてなぶり切覺悟ひろげとひしめけば。




ヤアよい所へ鷺坂伴内。己一羽で食たらねど。勘平が腕の細ねぶか。料理鹽梅くふて見よ。




イヤ物ないはせそ家來共畏つたと兩方より。捕たとかゝるをまつかせとかいくぐり。兩手に兩腕捻上はつし。



フシ

/\と蹴返せば。




替つて切込切先を刀の鞘にて丁ど受。廻つてくるを鐺と柄にてのつけにそらし。四人一所に切かゝるを右と左へ一時に。でんがく返しにばた/\/\と打すへられ。皆ちり%\に行跡へ。伴内いらつて切かくる引ぱづしそつ首握り。大地へどうどもんどり打せしつかと踏付。




サアどふせうとこつちの儘。突ふか切ふか




なぶり殺しとふり上ぐる刀に縋て。




コレ/\そいつ殺すとお詫の邪魔。




もふよいわいなと留る間に足の下をばこそ/\と。尻に尾のない鷺坂は。命から%\



フシ

逃て行。




ヱヽ殘念/\去ながら。きやつをばらさば不忠の不忠。一先夫婦が身を隱し時節を。待て願ふて見ん。最早明六つ東がしらむ横雲に。ねぐらを離れ飛からす。かはい/\の女夫連道は。急げど跡へ引。主人の御身いかゞぞとあんじ。行こそ



三重

浮世なれ

第四




鹽冶判官閉居によつて扇が谷の上屋敷。大竹にて門戸を閉。家中の外は出入をとゞめ。



フシ

事嚴重に見へにける。



フシ

かゝる折にも。花やかに



小ヲクリ

奧は。媚く女中の遊び。みだい所かほよ御前。お傍には大星力彌。殿のお氣を慰めんと。鎌倉山の八重九重色々櫻。花籠に。生らるゝ花よりも。



フシ

生る人こそ花紅葉。




柳の間の廊下を傳ひ諸士頭原郷右衞門。跡に續て斧九太夫。




是は/\力彌殿早い御出仕。イヤ某も國本より親共が參る迄。晝夜相詰罷有。




それは御奇特千万と郷右衞門兩手をつき。




今日殿の御機嫌は。いかゞお渡り遊ばさるると。




申上ればかほよ御前。




ヲヽ二人共太義/\。此度は判官樣お氣詰りに思しめし。おしつらひでも出よふかと案じたとは格別。明暮築山の花ざかり御らうじて。御機嫌のよいお顏ばせ。




それ故に自もお慰に指上ふと。名有櫻を取寄て見やる通の花拵へ。




アヽいか樣にも仰の通。花は開く物なれば御門も開き。閉門を御赦さるゝ吉事の御趣向。拙者も何がなと存ずれど。かやうな事の思ひ付は。無重寶成郷右衞門。ヤア肝心の事申上ん。今日御上使のお出と承はりしが。定て殿の御閉門を御赦さるゝ御上使ならん。何と九太夫殿。そふは思召れぬか。ハヽヽヽコレ郷右衞門殿。 此花といふ物も。當分人の目を悦ばす計。風がふけば散失る。こなたの詞もまつ其ごとく。人の心を悦ばさふ迚。武士に似合ぬ。ぬらりくらりと跡から禿る正月詞。なぜとおいやれ。此度殿の御越度は。饗應の御役義を蒙りながら。執事たる人に手を負せ。舘を騒せし科。輕うて流罪。重うて切腹。じたい又師直公に。敵對は殿の御不覺と。




聞もあへず郷右衞門。




扨は其方殿の流罪切腹を願はるゝか。イヤ願ひは致さねど。詞を餝ず眞實を申のじや。もとをいへば郷右衞門殿。こなたの悋惜しはさから發た事。金銀を以て頬をはりめさるれば。ケ樣な事は出來申さぬと。




己が心に引當て。欲面打けす郷右衞門。




人に媚諂ふは侍でない武士でないなふ力彌殿。




何とそふでは有まいかと。詞の角をなだむる御臺。二人共に爭ひ無用。




今度夫の御難義なさる。元の發は此かほよ。日外鶴が岡で饗應の折から。道しらずの師直。主の有自に無體な戀を言かけ。樣々とくどきしが。恥をあたへ懲させんと。判官樣にもしらさず。




歌の點に事寄。さよ衣の歌を書恥しめてやつたれば。




戀の叶はぬ意趣ばらしに判官樣に惡口。元來短氣なお生れ付。




得堪忍なされぬはお道理でないかいのと。語り給へば郷右衞門力彌も倶に御主君の。御憤を察し入。



フシ

心外面に顯はせり。




早御上使の御出と玄關廣間ひしめけば。奧へかくと通じさせ御臺所も座をさがり三人出向ふ間もなく。入來る上使は石堂右馬之丞。師直が昵近藥師寺次郎左衞門。 役目なれば罷通と會釋もなく上座に着ば。一間の内より鹽冶判官。しづ/\と立出。




是は/\。御上使と有て石堂殿御苦勞千万。先お盃の用意せよ。




御上使の趣承はり。いづれもと一獻酌。積欝をはらし申さん。




ヲヽそれようござろ。藥師寺もお間致さふ。したが上意を聞れたら。酒も咽へ通るまいと。




あざ笑へば右馬之丞。




我々今日。上使に立たる其趣。具に承知せられよと。




懷中より御書取出し。押開けば判官も



スヱ

席を。改め承はる其文言。




此度鹽冶判官高定。私の宿意を以て執事高師直を刄傷に及び。舘を騒せし科によつて。國郡を没収し。切腹申付る者也。




聞よりはつと驚く御臺。並居る諸士も顏見合せ



フシ

あきれ果たる計也。




判官動ずる氣色もなく。御上意の趣委細承知仕る。




扨是からは。各の御苦勞休めに。打くつろいで御酒一つ。コレ/\判官だまりめされ。其方が今度の科は。縛り首にも及ぶべき所。お上の慈悲を以て。切腹仰付らるゝを有がたう思ひ。早速用意もすべき筈。殊に以て切腹には定つた法の有物。夫に何ぞや。當世樣の長羽織。ぞべら/\としらるゝは。酒興か但血迷ふたか。




上使に立たる石堂殿。此藥師寺へぶ作法と。きめ付ればにつこと笑ひ。




此判官酒興もせず血迷ひもせぬ。今日上使と聞よりも。斯あらんと期したる故。兼ての覺悟見すべしと。




大小羽織を脱捨れば。下には用意の白小袖無紋の上下死裝束。皆々是はと驚けば。藥師寺は言句も出ず。



フシ

顏ふくらして閉口す。




右馬之丞指寄て。




御心底察し入。則拙者檢使の役。心靜に御覺悟。アヽ御深切忝し。刄傷に及びしより。斯あらんとは兼ての覺悟。うらむらくは舘にて。加古川本藏に抱留られ。




師直を討もらし無念骨髄に通つて忘がたし。




湊川にて楠正成。最期の一念によつて生を引といひしごとく。生かはり死かはり。欝憤を晴さんと。




怒の聲と諸共に。お次の襖打たゝき。




一家中の者共。殿の御存生に御尊顏を拜したき願ひ。御前へ推參致さんや。郷右衞門殿お取次と。




家中の聲々聞ゆれば。郷右衞門御前に向ひ。




いかゞ計ひ候はん。フウ尤成願ひなれ共。由良助が參る迄無用/\。




はつと計一間に向ひ。




聞るゝ通の御意なれば。一人も叶はぬ/\。




諸士は返す詞もなく一間もひつそと。



フシ

しづまりける。




力彌御意を承はり。兼て用意の腹切 刀御前に直すれば。心靜に肩衣取退座をくつろげ。




コレ/\御檢使。御見屆下さるべしと。




三方引寄九寸五分押戴。




力彌/\。ハア。由良助は。いまだ參上仕りませぬ。フウ。ヱヽ存生に對面せで殘念。ハテ殘り多やな。是非に及ばぬ是迄と。




刀逆手に取直し。弓手に突立引廻す。御臺二目と見もやらず口に稱名目に涙。廊下の襖踏開き。かけ込大星由良助。主君の有樣見るよりも。はつと計にどふどふす。跡に續て千崎矢間。其外の一家中



フシ

ばら/\とかけ入たり。




ヤレ由良助待兼たはやい。ハア御存生の御尊顏を拜し。身に取て何程か。ヲヽ我も滿足/\。定めて子 細聞たであろ。ヱヽ無念口惜いはやい。委細承知仕る。此期に及び。申上る詞もなし。只御最期の尋常を。願はしう存まする。




ヲヽいふにや及ぶと諸手をかけ。ぐつ/\と引廻し。くるしき息をほつとつき。




由良助。此九寸五分は汝へ筐。我欝憤を晴させよと。




切先にてふゑ刎切。血刀投出しうつぶせに。どうとまろび息絶れば。御臺を始並ゐる家中。眼を閉息を詰齒を喰しばり扣ゆれば。由良助にじり寄刀取上押戴。血に染る切先を打守り/\拳を握り。無念の涙はらはら/\。判官の末期の一句五臟六腑にしみ渡り。扨こそ末世に大星が。忠臣義心の名を上し



フシ

根ざしは。斯としられける。




藥師寺はつつ立上り。




判官がくたばるからは早々屋敷を明渡せ。イヤさはいはれな藥師寺。いはゞ一國一城の主。ヤ旁。葬々の規式取賄ひ。心しづかに立退れよ。此石堂は檢使の役目。切腹を見屆たれば。此旨を言上せん。ナニ由良助殿。御愁傷察し入。




用事あらば承はらん必心おかれなと。並居る諸士に目禮し。



フシ

悠々として立歸る。




此藥師寺も死骸片付る其間。奧の間で休息せう。




家來參れと呼出し。家中共ががらくた道具門前へほうり出せ。判官が所持の道具。俄浪人にまげられなと。




舘の四方をねめ廻し。



フシ

一間の内へ入にける。




御臺はわつと聲を上。扨も/\武士の身の上程悲しい物の有べきか。今夫の御最期に云たい事は山々なれど。未練なと御上使のさげしみが恥しさに。今迄こらへて居たわいの。いとを しの有樣やと。亡骸に抱付



フシ

前後も。わかず泣給ふ。




力彌參れ。御臺所諸共亡君の御骸を。御菩提所光明寺へ早々送り奉れ。由良助も跡より追付。葬々の規式取行はん。堀矢間小寺間。其外の一家中道のけいご致されよと。




詞の下より御乘物手舁にかきすへ戸をひらき。皆立寄て御死骸



フシ

涙と倶に。のせ奉りしづ/\とかき上れば。御臺所は正體なく歎給ふをなぐさめて。諸士のめん/\我一と。御乘物に引添/\



ヲクリ

御菩提所へと急行。




人々御骸見送つて。座につけば斧九太夫。




何大星殿。其元は御親父八幡六郎殿よりの家老職。拙者迚も其右には坐せ共。今日より浪人となり。妻子をはごくむ術なし。殿の貯置給ふ御用金を配分し。早く屋敷を渡さずば。藥師寺殿へ無禮ならん。イヤ千崎が存るには。さす敵の高師直。存命なるが我々が欝憤。討手を引受此舘を枕として。アヽこれ/\。討死とは惡い了簡。親九太夫の申さるゝ通屋敷を渡し。金銀を分て取が上分別と。




評義の中に由良助。默然として居たりしが。




只今の評定に。彌五郎の所存と。我胸中一致せり。いはゞ亡君の御爲に。我々順死すべき筈むざ/\と腹切ふより。足利の討手を待受。討死と一決せり。ヤア何といはるゝ。よい評定かと思へば。浪人の痩顏はり。足利殿に弓ひかふ。アヽ夫は無分別。マア此九太夫合點がいかぬ。ヲヽ親父殿そふじや/\。此定九郎も其意を得ぬ。




此談合にははぶいて貰はふ。長居は無益お歸りなされ。




夫よ かろ。




いづれもゆるりと居めされと。



フシ

親子打連立歸る。




ヤア欲頬の斧親子。討死を聞おぢして逃歸つたる憶病者。きやつ構はずと大星殿。討手を待御用意/\。




アヽさはがれな彌五郎。足利殿に何恨有て弓引べき。彼等親子が心底をさぐらん爲の計略。藥師寺に屋敷を渡し。思ひ/\に當所を立退。




都山科にて再會し。胸中殘さず打明て。評義をしめんといふ間もあらず。次郎左衞門一間を立出。




ハテべん/\と長詮義。死骸片付たら。早く屋敷を明渡せと。




いがみかゝれば郷右衞門。アヽ成程お待兼。亡君所持の御道具。其外の武具馬具迄よく/\改め請とられよ。サア由良助殿退散あれ。




ヲヽ心得たりとしづ/\と立上り。




御先祖代々。我々も代々。




晝夜つめたる舘の内。けふを限りと思ふにぞ。名殘惜げに見送り。/\御門



フシ

外へ立出れば。




御から送り奉り。力彌矢間堀小寺追々に馳歸り。




扨は屋敷をお渡し有たか。此上は直義の。




討手を引受討死せんと。はやり立ば由良助。イヤ/\今死べき所にあらず。是を見よ旁と。




亡君の御筐を拔放し。




此鋒には。我君の御血をあやし。御無念の魂を殘されし九寸五分。此刀にて師直が。首かき切て本意をとげん。




實尤と諸武士の勇。やしきの内には藥師寺次郎。門の貫の木はつしと立させ。




師直公の罰が當り。扨よいざま/\と。




家來一度に手をたゝき。どつと笑ふ。



フシ

ときの聲。




アレ聞れよと若侍取て返すを由良助。




先君の御 憤り晴さんと思ふ所存はないか。




はつと一度に立出しが。思へば無念と舘の



コハリ

内を。ふり返り/\。はつたと睨で。



三重

/\立出る

第五




鷹は死ても穗はつまずと譬に洩ず入月や。日數も積る山崎の邊に近き佗住居。早の勘平若氣の誤り世渡る望姓細道傳ひ。此山中の鹿猿を打て商ふ種が島も。用意に持や袂迄鐵砲雨のしだらでん。唯水無月と白雨の。晴間を



フシ

爰に松のかげ。




向ふより來る小挑燈是も昔は弓張



ヲクリ

の灯火。けさじ濡さじと。合羽の裾に大雨を凌て急ぐ夜の道。




イヤ申/\。率爾ながら火を




一つ御無心と立寄ば。旅人もちやくと身構し。




ムヽ此街道は無用心としつて合點の一人旅。見れば飛道具の一口商。




ゑこそはかさじ出なをせと。びくと動ば一討と。



フシ

眼をくばれば。




イヤア成程。盗賊とのお目違ひ御尤千万。我等は此邊の狩人なるが。先程の大雨にほくちもしめり難義至極。サア鐵砲を夫へお渡し申。




自身に火を付御借と。他事なき詞顏付を。きつと眺て。和殿は早の勘平ならずや。さいふ貴殿は千崎彌五郎。是は堅固で御無事でと。




絶て久敷對面に。主人のお家没落の。胸に忘れぬ無念の思ひ



スヱ

互に。拳を握り合。




勘平は指うつむき。 暫し詞もなかりしが。




ヱヽ面目もなき我身の上。古傍輩の貴殿にも。




顏も得上ぬこの仕合。武士の冥加に盡たるか。




殿判官公のお供先。お家の大事おこりしは是非に及ばぬ我不運。其場にも有合せず。御屋敷へは歸られず所詮。時節を待て御詫と。思ひの外の御切腹なむ三寶。皆師直めがなす業。せめて冥途の御供と刀に手はかけたれど。




何を手柄に御供と。どの頬さげていひ譯せんと心を碎く折から。




密に樣子承はれば。由良殿御親子郷右衞門殿を始めとして。故殿の欝憤散ぜん爲。寄々の思召立有との噂。我等迚も御勘當の身といふでもなし。手がゝり求め由良殿に對面とげ。御企の連判に御加へ下さらば




生々世々の面目。貴殿に逢も優曇花の。花を咲せて侍の一分立て給はれかし。古傍輩のよしみ武士の情。お頼申と兩手をつき。先非を悔し男泣



フシ

理り。せめて不便なる。




彌五郎も傍輩の悔道理とは思へ共。大事をむざと明さじと。




コレサ/\勘平。はて扨。お手前は身の言譯に取まぜて。御企のイヤ連判などゝは何の譫言。左樣の噂かつてなし。某は由良殿より郷右衞門殿へ急の使。先君の御廟所へ。御石牌を建立せんとの催し。併し我々迚も浪人の身の上。是こそ鹽冶判官殿の御石塔と。末の世迄も人の口のはにかゝる物故。御用金を集る其御使。先君の御恩を思ふ人を撰出す爲。わざと大事を明されず。先君の御恩を思はゞナヽ。合點か/\と。




石牌になぞらへ大星の。工を餘所にしらせしは。



フシ

げに傍輩のよしみなり。




ハアヽ忝い彌五郎殿。成程石牌といひ立。御用金の御拵有事とつくに承はり及び。某も何とぞして用金を調へ。それを力に御詫と心は千々に碎け共彌五郎殿。恥しや主人の御罰で今此ざま。誰にかうとの便もなし。され共かるが親。與市兵衞と申はたのもしい百性。我々夫婦が判官公へ。不奉公を悔歎き。何とぞして元の武士に立返れと。




おぢうば共に歎悲しむ。是幸御邊に逢し物語。段々の子細を語り。元の武士に立かへると云聞さば。纔の田地も我子の爲何しにいなはゑもいはじ。御用金を手がゝりに郷右衞門殿迄お取次。一人頼存ると餘義なき詞にムヽ成程。




然らば是より郷右衞門殿迄右の譯をも咄し。由良殿へ願ふて見ん。明々日は必急度御返事。則郷右衞門殿の旅宿の所書と。




渡せば取て押戴。重々の御世話忝し。




何とぞ急に御用金を拵へ。明々日お目にかゝらん。某が有家お尋あらば。此山崎の渉場を左へ取。與市兵衞とお尋有ば。早速相しれ申べし。夜ふけぬ内に早くも御出。コレ此行先は猶物騒。隨分ぬかるな合點/\。石牌成就する迄は。蚤にもくはさぬ此體。御邊も堅固で。御用金の便を待ぞ。




さらば/\と兩方へ。



ヲクリ

立別。/\れてぞ急行。




又もふりくる雨の足人の足音とぼ/\と。道は闇路に迷はねど子故の闇につく杖も。すぐ成心堅親仁一筋道の後から。




ヲヽイ/\親仁殿。




よい道連と呼はつて。斧九太夫がせがれ定九郎。身の置所白浪や。此街道の夜働。



フシ

だん平物を 落し指。




さつきにから呼聲が。貴樣の耳へはいらぬか。此物騒な街道を。よい年をして太膽/\。




連にならふと向ふへ廻り。きよろ付目玉ぞつとせしが遉は老人。




是は/\お若いに似ぬ御奇特な。私もよい年をして。一人旅はいやなれど。サアいづくの浦でも金程太切な物はない。去年の年貢に詰り。此中から一家中の在所へ無心にいたれば。是もびたひらなか才覺ならず。埓の明ぬ所に長居はならず。すご/\一人戻る道と。




半分いはさずヤイやかましい。




有樣が年貢の納らぬ其相談を聞にはこぬ。コレ親仁殿。おれがいふ事とくと聞しやれや。マアかうじやは。こなたの懷に金なら四五十兩のかさ。嶋の財布に有のを。とつくりと見付てきたのじや。借て下され。男が手を合す。定て貴樣も何ぞ詰らぬ事か。子が難義に及ぶによつてといふ樣な。有格な事じやあろけれど。おれが見込だらハテしよことがないと諦て。借て下され




/\と懷へ手を指入引ずり出す嶋の財布。




アヽ申夫は。




夫はとは。是程爰に有物と。




引たくる手に縋り付。




イヱ/\此財布は跡の在所で草鞋買迚。端錢を出しましたが。跡に殘るは晝食の握飯。霍亂せん樣にと娘がくれた和中散。反魂丹でござります。お赦しなされ下さりませと。




ひつたくり逃行先へ立廻り。




ヱヽ聞分のない。むごい料理するがいやさに。手ぬるういへば付上る。サア其金爰へ蒔出せ。遲いとたつた一討と。




二尺八寸拜打なふ悲しやといふ間もなくから竹わ りと切付る。刀の廻りか手の廻りか。はづれる拔身を兩手にしつかと掴付。




どふでもこなた殺さしやるの。ヲヽ知た事。金の有のを見てするしごと。小言はかずと




くたばれと。肝先へ指付れば。




マヽヽヽマア待て下さりませ。ハア是非に及ぬ。成程/\。是は金でござります。けれ共此金は。私がたつた一人の娘がござる。其娘が命にもかへぬ。大事の男がござりまする。其男の爲に入金。ちと譯有事故浪人して居まする。娘が申まするは。あのお人の浪人も元はわし故。何とぞして元の武士にしてしんぜたい/\と。嚊とわしとへ毎夜さ頼。ア身貧にはござりまする。どうもしがくの仕樣もなく。ばゞといろ/\談合して。娘にも呑込せ。聟へは必さたなしとしめし合せ。本に/\親子三人が血の涙の流れる金。夫をお前に取れて娘は何と成ませう。コレ拜ます助て下されませ。お前もお侍の果そふなが。武士は相身互。此金がなければ。娘も聟も人樣に顏が出されぬ。たつた一人の娘に連添聟じや物。不便にござるかはいござる。了簡してお助なされて下さりませ。ヱヽお前はお若いによつてまだお子もござるまいが。やんがてお子を持て御らうじませ。親仁がいひおつたは尤じやと思召て。此場を助さしやつて下さりませ。マア一里行ば私在所。金を聟に渡してから殺されましよ。申/\娘が悦ぶ顏見てから死たうござります。コレ申アヽ。あれ。/\。/\と




呼はれど跡先遠く



フシ

山彦の谺に。哀催せり。




ヲヽ悲しい こつちやは。まつととこぼへ。ヤイ耄め。其金でおれが出世すりや。其惠でうぬがも出世するはやい。人に慈悲すりや惡うは報はぬ。アヽかはいやと。




ぐつとつく。うんと手足の七轉八倒。のたくり廻るを脚にて蹴返し。




ヲヽいとしや。いたかろけれどもおれに恨はないぞや。金がありやこそ殺せ。金がなけりや何のいの。金が敵じやいとしぼや。南無阿彌陀。南無妙法蓮花經。




どちらへ成とうせおろと。刀もぬかぬ芋ざしゑぐり。草葉も朱に置露や。年も六十四苦八苦



フシ

あへなく息は絶にけり。




しすましたりと件の財布。くらがり耳の掴讀。




ヒヤ五十兩。ヱヽ久しぶりの御對面。




忝しと首にひつかけ死骸を直に谷底へ。はね込蹴込泥まぶれ。はねは我身にかゝる共しらず立たる後より。逸散にくる手負猪是はならぬと身をよぎる。かけくる猪は一もんじ。



コハリ

木の根岩角踏立けたて鼻いからして泥も草



ナヲス

木も一まくりに飛行ば。あはやと見送る定九郎が。背骨をかけてどつさりとあばらへ拔る二つ玉。うん共ぎやつ共いふ間なく。ふすぼり返りて死たるは



フシ

心地よくこそ見へにけれ。




猪打とめしと勘平は。鐵砲提爰かしこさぐり廻りて扨こそと。引立れば猪にはあらず。




ヤア/\こりや人じやなむ三寶。




仕損じたりと思へどくらき眞の闇。誰人成ぞと問れもせず。まだ息あらんと抱起せば手に當る金財布。掴で見れば四五十兩。天のあたへと押戴/\。猪より先へ逸散に飛ぶがごとくに



三重

/\急ぎける

第六



三下リ歌

みさき踊がしゆんだる程に。親仁出て見やばゞんつ。ばゞんつれて親仁出て見やばゞんつ。



ナヲス

麥かつ



フシ

音の在郷歌。




所も名におふ山崎の小百性。與市兵衞が埴生の住家。今は早の勘平が。浪々の身の隱れ里。女房おかるは



スヱ

寢亂し。髪取上んと櫛箱の。あかつきかけて戻らぬ夫。待間もとけし投嶋田。ゆふにいはれぬ身の上を誰にか。つげの水櫛に。髪の色艶すきかへし。品よくしやんと結立しは。



フシ

在所に惜き姿なり。




母の齡も杖つきの。野道とぼ/\立歸り。




ヲヽ娘髪結つたか。美しうよう出來た。イヤもふ在所はどこもかも麥秋時分でいそがしい。今も藪際で若い衆が麥かつ歌に。親仁出て見やばゞんつれてとうたふを聞。親父殿の遲いが氣にかゝり。在郷迄いたれどようなふ影も形も見へぬ。サイナこりやまあどふして遲い事じや。わし一走見て來やんしよ。イヤなふ若い女の一人あるくはいらぬ事。殊にそなたはちいさい時から。在所をあるく事さへ嫌ひで。鹽冶樣へ御奉公にやつたれど。どふでも草深い所に縁が有やら戻りやつたが。勘平殿と二人居やればおとましい顏も出ぬ。ヲヽかゝ樣のそりや知た事。すいた男と添のじや物。在所はおろか貧しい暮しでも苦にならぬ。やんがて盆に成てと樣出て見やかゝ んつ。




かゝんつれてといふ歌の通。




勘平殿とたつた二人。踊見にいきやんしよ。




お前も若い時覺があろと指合くらぬぐはら娘。



フシ

氣もわさ/\と見へにける。




何ぼ其樣に面白おかしういやつても。心の中はの。イヱ/\濟でござんす。主の爲に祇園町へ。勤奉公に行は兼て覺悟のまへなれど。




年寄てとゝ樣の世話やかしやんすがそりやいやんな。




少身者なれど兄も鹽冶樣の御家來なれば。外の世話する樣にもないと。




親子咄しの



フシ

中道傳ひ。




駕をかゝせて急くるは祇園町の一文字や。爰じや/\と門口から。與市平衞殿内にかと云つゝはいれば。




是はマア/\遠い所を。ソレ娘たばこ盆。




お茶上ましやと親子して。槌でおいへをはく人やの亭主。




扨夕べは是の親父殿もいかゐ太義。別條なう戻られましたか。ヱヽ扨は親仁殿と連立て來はなされませぬか。是はしたり。お前へいてから今において。ヤア戻られぬか。ハテめんよふな。ハア若稻荷前をぶら付て彼玉殿につまゝりやせぬかの。コレ此中爰へ見にきて極た通。お娘の年も丸五年切。給銀は金百兩。さらりと手を出た。是の親仁がいはるゝには。今夜中に渡さねばならぬ金有ば。今晩證文を認め。百兩の金子お借なされて下されと。涙をこぼしての頼故。證文の上で半金渡し。殘りは奉公人と引かへの契約。何が其五十兩渡すと悦んで戴。ほた/\いふて戻られたはもふ四つでも有ふかい。夜道を一人金持ていかぬものと留ても聞ず戻られたが。但は道に イヱ/\寄しやる所はなふかゝ樣。ない共/\。殊に一時も早うそなたやわしに金見せて。悦ばさふ迚いきせきと戻らしやる筈じやに合點がいかぬ。イヤこれ合點のいくいかぬはそつちの穿鑿。こちはさがりの金渡して。奉公人連ていのと。




懷より金取出し跡金の五十兩。是で都合百兩。




サア渡す受取しやれ。お前夫でも親仁殿の戻られぬ中はなふかる。わがみはやられぬ。ハテぐず/\と埓の明ぬ。コレぐつ共すつ共いはれぬ與市兵衞の印形。證文が物いふ。けふから金で買切た體。一日違へばれこ宛違ふ。地 どふでかふせざ濟まいと手を取て引立る。マア/\待てと取付母親突退はね退。無體に駕へ押込/\舁上る門の口。鐵砲に蓑笠打かけ戻りかゝつて見る勘平。つか/\と内に入。




駕の内なは女房共こりやマアどこへ。ヲヽ勘平殿よい所へよう戻つて下さつたと。




母の悦び其意を得ず。




どふでも深い譯があろ。母者人女房共。




樣子聞ふとおいゑの眞中。どつかとすはれば文字の亭主。




ヲウ扨はこなたが奉公人の御亭じやの。譬夫でも何でも。號の夫などゝ脇より違亂妨申者無之候と。親仁の印形有からはこちらには構はぬ。早う奉公人を受取ふ。ヲヽ聟殿合點が行まい。兼てこなたに金の入樣子娘の咄しで聞た故。




どふぞ調へて進ぜたいと。いふた計で一錢の宛もなし。




そこで親父殿のいはしやるには。ひよつとこなたの氣に女房賣て金調ようと。よもや思ふてゞは有まいけれど。若二親の手前を遠慮して居やし やるまい物でもない。いつそ此與市兵衞が聟殿にしらさず娘を賣ふ。まさかの時は切取するも侍のならひ。女房賣ても恥にはならぬ。お主の益に立る金。調へておましたらまんざら腹も立まいと。きのふから祇園町へおり極めにいて今に戻らつしやれぬ故。親子案じて居る中へ親方殿が見へて。夕べ親仁殿に半金渡し。跡金の五十兩と引かへに娘を連ていのふといふてなれど。親仁殿に逢ての上と譯をいふても聞入ず。今連ていなしやる所どふせうぞ勘平殿。是は/\先以て舅殿の心づかひ忝い。したがこちにもちつとよい事があれ共夫は追て親父殿も戻られぬに女房共は渡されまい。とはなぜに。ハテいはゞ親也判がゝり。尤夕べ半金の五十兩渡されたでも有ふけれど。イヤこれ京大阪を俣にかけ。女護嶋程奉公人を抱る一文字や。渡さぬ金を渡したといふて濟物かいの。まだ其上に慥な事が有てや。是の親仁が彼五十兩といふ金を。手拭ひにぐる/\と卷て懷に入らるゝ。そりやあぶない是に入て首にかけさつしやれと。おれがきて居る此一重物の嶋のきれで拵へた金財布借たれば。やんがて首にかけて戻られう。ヤア何と。こなたが着て居る此嶋の切の金財布か。ヲヽてや。あの此嶋でや。何と慥な證據で有ふが。




聞よりはつと勘平が肝先にひしとこたへ。傍邊に目を配袂の財布見合せば。寸分違はぬ糸入嶋なむ三寶。扨は夕べ鐵砲で打殺したは舅で有たか。ハアはつと我胸板を二つ玉で打ぬかるゝよりせつなき思ひ。とはし らずして女房。




コレこちの人そは/\せずと。やる物かやらぬ物か。分別して下さんせ。ヲヽ成程。ハテもふあの樣に慥にいはるゝからはいきやらずば成まいか。アノとつ樣に逢いでもかへ。イヤ/\親父殿にもけさちよつと逢つたが戻りは知れまい。フウそんなりやとつ樣に逢てかへ。




夫ならそふと云もせでかゝ樣にもわしにも。案じさしてばつかりといふに文字も圖に乘て。




七度尋て人疑へじや。親仁の有所の知たのでそつちもこつちも心がよい。まだ此上にも四の五の有ばいや共にでんどざた。マア/\さらりと濟でめでたい。お袋も御亭も六條參りしてちと寄しやれ。サア/\駕に早うのりや。アイ/\これ勘平殿もふ今あつちへ行ぞへ。年寄た二人の親達。どふでこな樣のみんな世話。取わけてとつ樣はきつい持病。氣を付て下さんせと。




親の死目を露しらず。頼むふびんさいぢらしさ。いつそ打明有の儘。咄さんにも他人有と



スヱテ

心を。いためこたへ居る。




ヲヽ聟殿。夫婦の別れ暇乞がしたかろけれど。そなたに未練な氣も出よかと思ふての事であろ。イヱ/\なんぼ別れても。ぬしの爲に身を賣ば悲しうも何共ない。わしやいさんで行かゝ樣。したがとゝ樣に逢ずに行のが。ヲヽ夫も戻らしやつたらつゐ逢にいかしやろぞいの。煩はぬ樣に灸すへて。息才な顏見せにきてたも。鼻紙扇もなけりや不自由な。何にもよいか。とばついて怪我仕やんなと。




駕に乘迄心を付さらばや。さらば。何の因果で人並な娘を 持。此悲しいめを見る事じやと。齒を喰しばり泣ければ。娘は駕にしがみ付。泣をしらさじ聞さじと聲をも。立ずむせかへる。




情なくも駕舁上



フシ

道をはやめて急行。




母は跡を見送り/\。アヽよしない事いふて娘も嘸悲しかろ。




ヲヽこな人わいの。親の身でさへ思ひ切がよいに。女房の事ぐづ/\思ふて。煩ふて下さんな。此親父殿はまだ戻らしやれぬ事かいのふ。こなた逢たといはしやつたの。アヽ成程。そりやマアどこらで逢しやつて。どこへ別れていかしやつた。されば別れた其所は。鳥羽か伏見か淀竹田と。




口から出次第めつぱう彌八。種が嶋の六狸の角兵衞。所の狩人三人連。親父の死骸に蓑打きせて戸板に乘。どや/\と内に入。




夜山仕舞て戻りがけ是の親父が殺されて居られた故。狩人仲間が連てきたと。




聞よりはつと驚く母。何者の所爲。コレ聟殿殺したやつは何者じや敵を取て下されのふ。




コレ親父殿/\と。




よべどさけべど



フシ

其かひも泣より。外の事ぞなき。




狩人共口々に。




ヲヽお袋悲しかろ。代官所に願ふて詮義して貰はしやれ。




笑止/\と打連て



フシ

皆々我家へ立歸る。



フシ

母は涙の。隙よりも勘平が傍へ指寄て。




コレ聟殿。よもや/\/\/\とは思へ共合點がいかぬ。なんぼ以前が武士じや迚。舅の死目見やしやたつたら。恟りも仕やる筈。こなた道で逢た時。金受取はさつしやれぬか。親父殿が何といはれた。サアいはつしやれ。サア何と。どふも返事は有まいがの。ない證據 はコレ。




爰にと勘平が懷へ手を指入て引出すは。さつきにちらりと見て置た此財布。




コレ血の付て有からは。こなたが親父を殺したの。イヤ夫は。夫はとは。ヱゝわごりよはなふ。隱しても隱されぬ天道樣が明らかな。親父殿を殺して取た。其金にや誰にやる金じや。ムウ聞へた身貧な舅娘を賣た其金を。中で半分くすねて置て。皆やるまいかと思ふて。コリヤ殺して取たのじやな。今といふ今迄も。律義な人じやと思ふて。欺されたが腹が立つはいやい。ヱヽ爰な人でなし。あんまりあきれて涙さへ出ぬはいやい。




なふいとしや與市兵衞殿。畜生の樣な聟とはしらず。どふぞ元の侍にしてやりたいと。年寄て夜もねずに京三界をかけあるき。珍材を投打て世話さしやつたも。却てこなたの身の怨と成たるか。




飼かふ犬に手をくはるゝと。ようも/\此樣にむごたらしう殺された事じや迄。コリヤ爰な鬼よじやよ。とさまをかへせ。親父殿を生て戻せやいと。




遠慮會釋もあら男の。たぶさを掴で引寄/\擲付。づだ/\に切さいなんだ迚是で何の腹がゐよと。恨の數々くどき立



スヱ

かつぱとふして。泣居たる。




身の誤りに勘平も。五體に熱湯の汗を流し。疊に喰付天罰と。



フシ

思ひ知たる折こそ有れ。




深編笠の侍二人早の勘平在宿をしめさるか。原郷右衞門千崎彌五郎御意得たしと音なへば。折惡けれ共勘平は。腰ふさぎ脇挾で出迎ひ。




コレハ/\御兩所共に。見苦しき埴生へ御出忝しと。頭をさぐれば郷右衞門。




見れば家内に取込も 有そふな。イヤもふ瑣細な内證事。お構なく共いざ先あれへ。




然らば左樣に致さんとずつと通り座につけば。二人が前に兩手をつき。




此度殿の御大事にはづれたるは。拙者が重々の誤り。申ひらかん詞もなし。何卒某が科御赦しを蒙り。亡君の御年忌。諸家中諸共相勤る樣に御兩所の御執成




偏に頼奉ると



フシ

身をへり下り述ければ。




郷右衞門取あへず。




先以其方貯なき浪人の身として。多くの金子御石牌料に調進せられし段。由良助殿甚かんじ入れしが。石牌を營は亡君の御菩提。殿に不忠不義をせし其方の金子を以て。御石牌料に用ひられんは。御尊靈の御心にも叶ふまじと有て。金子は封の儘相戻さると。




詞の中より彌五郎懷中より金取出し。勘平が前に指置ば。はつと計に氣も轉動母は涙と諸共に。




コリヤ爰な惡人づら。今といふ今親の罰思ひ知つたか。皆樣も聞て下され。親父殿が年寄て後生の事は思はず。聟の爲に娘を賣り。金調へて戻らしやるを待ぶせして。あの樣に殺して取た金じや物。天道樣がなくばしらず。なんで御用に立物ぞ。




親殺しのいき盗人に。罰を當て下されぬは。神や佛も聞へぬ。




あの不孝者おまへ方の手にかけて。なぶり殺しにして下され。




わしや腹が立はいのと。



スヱ

身を投。ふして泣居たる。




聞に驚き兩人刀追取。弓手馬手に詰かけ/\。彌五郎聲をあらゝげ。




ヤイ勘平。非義非道の金取て。身の料の詫せよとは云ぬぞよ。わがやうな人非人武士の道は耳に入まい。親同然 の舅を殺し金を盗んだ重罪人は。大身鑓の田樂ざし。拙者が手料理ふるまはんと。




はつたとにらめば郷右衞門。




かつしても盗泉の水を呑ずとは義者のいましめ。舅を殺し取たる金。亡君の御用金に成べきか。生得汝が不忠不義の根性にて調へたる金を推察有て。つき戻されたる由良助の眼力天晴/\。去ながら。ハア情なきは此事世上に流布有て。鹽冶判官の家來早の勘平。非義非道を行ひしといはゞ。汝計が恥ならず。亡君の御恥辱としらざるかうつけ者。左程の事の辨へなき汝にてはなかりしが。いかなる天魔が見入しと。




するどき眼に涙をうかめ事をわけ理をせむれば。たまりて勘平。諸肌押ぬぎ脇指を。ぬくより早く腹にぐつと突立。




アヽいづれもの手前面目もなき仕合。拙者が望叶はぬ時は切腹と兼ての覺悟。我舅を殺せし事亡君の御恥辱とあれば一通り申ひらかん。兩人共に聞てたべ。夜前彌五郎殿の御目にかゝり。別れて歸るくら紛れ山越猪に出合。二つ玉にて打留。かけ寄てさぐり見れば。猪にはあらで旅人。なむ三寶過たり。藥はなきかと懷中をさがし見れば。財布に入たる此金。道ならぬ事なれ共天より我にあたふる金と。直にはせ行彌五郎殿に彼の金を渡し。立歸つて樣子を聞ば。打留たるは我舅。金は女房賣た金。




かほど迄する事なす事。いすかの觜程違ふといふも。武運に盡たる勘平が。身の成行推量有と



スヱ

血走眼に無念の涙。




子細を聞より彌五郎ずんど立上り。死骸引上打返しムウ/\と疵口改め。




郷右衞門殿是見られよ。鐵砲疵に似たれ共。是は刀でゑぐつた疵。ヱヽ勘平早まりしと。




いふに手負も見て恟り。



フシ

母も驚く計り也。




郷右衞門心付。




イヤコレ千崎殿。アヽ是にて思ひ當つたり。御自分も見られし通。是へ來る道端に。鐵砲受たる旅人の死骸。立寄見れば斧定九郎。強慾な親九太夫さへ。見限つて勘當したる惡黨者。身の彳なき故に。山賊すると聞たるが疑もなく勘平が。舅を討たはきやつが業ヱヽそんなりや。あの親父殿を殺したは。外の者でござりますかへ。ハアはつと。




母は手負に縋り。




コレ手を合して拜ます。年寄の愚痴な心から恨いふたは皆誤り。




こらへて下され勘平殿。必死で下さるなと。泣詫れば顏ふり上。




只今母の疑ひも。我惡名も晴たれば。是を冥途の思ひ出とし。跡より追付舅殿。死出三途を伴はんと。




突込刀引廻せばアゝ暫く/\。




思はずも其方が舅の敵討たるは。いまだ武運に盡ざる所。




弓矢神の御惠にて。一功立たる勘平。息の有中郷右衞門が密に見する物有と。




懷中より一卷を取出し。さら/\と押ひらき。




此度亡君の敵。高師直を討取んと神文を取かはし。一味徒黨の連判かくのごとしと。




讀も終らず苦痛の勘平。其姓名は誰々成ぞや。




ヲヽ徒黨の人數は四十五人。汝が心底見屆たれば。其方を指加へ一味の義士四十六人。是を冥途の土産にせよと。




懷中の矢立取出し姓名を書記。




勘平血判




心得たりと腹十もんじにかき切。臟腑を掴でしつかと押。




ア血判仕た。アヽ忝や有がたや。我望達したり。母人歎いて下さるな。舅のさいごも。女房の奉公も。反古にはならぬ此金。一味徒黨の御用金と。




いふに母も涙ながら。財布と倶に二包二人が前に指出し。




勘平殿の魂の入た此財布。




聟殿じやと思ふて。敵討の御供に



フシ

連てござつて下さりませ。



フシ

ヲヽ成程尤也と郷右衞門金取納め。




思へば/\は此金は嶋の財布の紫摩黄金佛果を得よと云ければ。




アヽ佛果とは穢はし死ぬ/\。魂魄此土にとゞまつて。敵討の御供すると。




云聲も早四苦八苦。母は涙にかきくれながらナフ勘平殿。此事を娘にしらし。せめて死目に逢してやりたい。




イヤ/\/\親のさいごは格別。勘平が死だ事必しらして下さるな。お主の爲に賣たる女房。此事聞てぶ奉公せば。お主に不忠するも同然。只其儘に指置れよ。サア思ひ置事なしと。




刀の鋒咽にぐつと指貫き



フシ

かつぱとふして息絶たり。




ヤアもふ聟殿は死しやつたか。




扨も/\世の中におれが樣な因果な者が又と一人有ふか。親父殿は死しやる頼に思ふ聟を先立。いとしかはいの娘には生別れ。年寄た此母が一人殘つて是がマア。何と生て居られふぞ。




コレ親父殿與市兵衞殿。




おれも一所に連ていて下されと。取付ては泣さけび。又立上つてコレ聟殿。母も倶にと縋付ては伏沈。あちらでは泣こちらでは泣。わつと計にどふど伏。聲をはかりに



フシ

歎しは目も當。られぬ次第なり。




郷右衞門つつ立上り。




ヤアこれ/\ 老母。歎るゝは理りなれ共。勘平がさいごの樣子。大星殿に委語り。入用金手渡しせば滿足あらん。




首にかけたる此金は。聟と舅の七々日。四十九日や五十兩。合て百兩百ケ日の追善供養跡懇に弔はれよさらば/\。おさらばと見送る涙見返る涙涙の。浪の立返る人も。はかなき三重。

第七




花に遊ばゞ祇園あたりの色揃へ。東方南方北方西方。みだの淨土がぬりに塗立ぴつかりぴか/\。光りかゞやくはくや藝子にいかなすいめも。現ぬかして。ぐどんどろつくどろつくや



ワイワイノワイトサナヲス詞

誰頼ふ。亭主は居ぬか。亭主/\。是はいそがしいは。どいつ樣じや。どなた樣じや。ヱ斧九太樣。御案内とはけうとい/\。イヤ初てのお方を同道申た。きつう取込そふに見へるが。一つ上ます座敷が有か。ござります共。今晩は彼由良大盡の御趣向で。名有色達を掴込。下座敷はふさがつてござりますれど。亭座敷が明てござります。そりや又蜘の巣だらけで有ふ。又惡口を。イヤサよい年をして。女郎の蜘の巣にかゝらまい用心。コリヤきついは。下に置かれぬ二階座敷。ソレ灯をともせ中居共。お盃おたばこ盆と。高い調子にかせかけて奧は 騒の太鼓三味。




ナント伴内殿。由良助が體御らうじたか。九太夫殿。ありやいつそ氣違ひでござる。段々貴樣より御内通有ても。あれ程に有ふとは。主人師直も存ぜず。拙者に罷登て見屆。心得ぬ事あらば。早速にしらせよと申付ましたが。扨/\/\我もへんしも折ましてござる。せがれ力彌めは何と致したな。こいつも折節此所へ參り倶に放埓。指合くらぬがふしぎの一つ。今晩は底の底を捜見んと。心工を致して參つた。密々にお咄し申そふ。いざ二階へ。先々。然らばかうお出。



三下リ歌

じつは心に。思ひはせいで。あだな。ほれた/\の口先はいかゐ。つやでは有はいな。




彌五郎殿。喜多八殿。是が由良助殿の遊び茶屋。一力と申のでござる。コレサ平右衞門。よい時分に呼出そふ。勝手に扣てお居やれ。畏りました。宜しう頼上ます。誰ぞちよと頼たい。アイ/\どな樣じやへ。イヤ我々は由良殿に用事有て參つた。奧へいていはふには。矢間十太郎。千崎彌五郎。竹森喜多八でござる。此間より節々迎の人を遣はしますれ共。お歸りのない故。三人連で參りました。ちと御相談申さねばならぬ義がござる程に。お逢なされて下されと急度申てくれ。夫は何共氣の毒でござんす。由良樣は三日以來呑續。お逢なされてからたはゐは有まい。本性はないぞへ。ハテ扨まあそふいふておくりやれ。アイ/\。彌五郎殿お聞なされたか。承はつて驚入ました。初の程は敵へ聞する計略と存ましたが。いかふ遊びに實が入過まして。合點が 參らぬ。何と此喜多八が申た通。魂が入かはつてござらふがの。いつそ一間へふん込。イヤ/\とくと面談致した上。成程。然らば是に待ませふ。手の鳴方へ/\/\。とらまよ。/\。由良おにやまたい/\。とらまへて酒呑そ。/\。コリヤとらまへたは。サア酒々。銚子持/\。イヤコレ由良助殿。矢間十太郎でござる。こりや何となさるゝ。なむ三寶仕舞た。ヲヽ氣の毒何と榮さん。ふしくた樣なお侍樣方。お連樣かいな。さあれば。お三人共こはい顏して。イヤコレ女郎達。我々は大星殿に用事有て參つた。暫く座を立て貰たい。そんな事で有そな物。由良樣奧へ行ぞへ。お前も早うお出。皆樣是にへ。由良助殿。矢間十太郎でござる。竹森喜多八でござる。千崎彌五郎御意得に參つた。お目覺されませう。是は打揃ふてよふお出なされた。何と思ふて。鎌倉へ打立時候はいつ比でござるな。さればこそ。大事の事をお尋なれ。丹波與作が歌に。




江戸三界へいかんして



ナヲス詞

ハヽヽヽ御免候へたはい/\。



三人

ヤア酒の醉本性違はず。性根が付ずば三人が。酒の醉を醒さしませうかな。ヤレ聊爾なされまするな。憚ながら平右衞門めが。一言申上たい義がござります。暫くお扣下されませう。由良助樣。寺岡平右衞門めでござります。御機嫌の體を拜しまして。いか計大悦に存奉ります。フウ寺岡平右とは。ヱヽ何でゑすか。前かど北國へお飛脚にいかれた。足のかるい足輕殿か。左樣でござります。殿樣の御切腹を北國にて承 はりまして。なむ三寶と宙を飛で歸りまする道にて。お家も召上られ。一家中ちり%\と。承つた時の無念さ。奉公こそ足輕なれ。御恩はかはらぬお主の怨。師直めを一討と鎌倉へ立越。三ケ月が間非人と成て付狙ひましたれ共。敵は用心嚴しく近寄事も叶ませず。所詮腹かつさばかんと存ましたが。國元の親の事を思ひ出しまして。すご/\歸りました。所に。天道樣のおしらせにや。いづれも樣方の一味連判の樣子承はりますると。ヤレ嬉しや有がたやと。取物も取あへず。あなた方の旅宿を尋。一向お頼申上ましたれば。出かしたういやつじや。お頭へ願ふてやろとお詞にすがり。是迄推參仕りました。師直屋敷の。アこれ/\/\。ア其元は足がるではなふて。大きな口がるじやの。何と牽頭持なされぬか。尤みたくしも。蚤の頭を斧でわつた程無念な共存じて。四五十人一味を拵へて見たが。アあぢな事の。よう思ふて見れば。仕損じたら此方の首がころり。仕負せたら跡で切腹。どちらでも死ねばならぬ。といふは人參呑で首くゝる樣な物。殊に其元は五兩に三人扶持の足輕。お腹は立られな。はつち坊主の報謝米程取て居て。命を捨て敵討せうとは。そりや青のり貰ふた禮に。太々神樂を打樣な物。我等知行千五百石。貴樣とくらべると。敵の首を斗舛ではかる程取ても釣合ぬ/\。所でやめた。ナ聞へたか。兎角浮世は



ヲンド

かうした物じや。つゝてん/\/\。



ナヲス詞

なぞと引かけた所はたまらぬ/\。是は由良助樣の お詞共覺ませぬ。僅三人扶持取拙者めでも。千五百石の御自分樣でも。繋ました命は一つ。御恩に高下はござりませぬ。押に押れぬはお家の筋目。殿の御名代もなされまする。歴々樣方の中へ。見るかげもない私めが。指加へてとお願ひ申は。憚共慮外共。ほんの猿が人眞似。お草履を掴で成共。お荷物をかづいで成共さんじませう。お供に召連られて。ナ申。コレ申/\。是はしたり寢てござるそふな。コレサ平右衞門。あつたら口に風ひかすまい。由良助は死人も同然。矢間殿。千崎殿。モウ本心は見へましたか。申合せた通計ひませうか。いか樣。一味連判の者共への見せしめ。いさいづれもと立寄を。




ヤレしばらくと平右衞門押なだめ傍に寄。




つく%\思ひ廻しますれば。主君にお別れなされてより。怨を報はんと樣々の艱難。木にも萱にも心を置。人の譏無念をば。じつとこたへてござるからは。酒でもむりに參らずば。是迄命も續ますまい。




醒ての上の御分別と。無理に押へて三人を。伴ふ一間は善惡の。明りを照す障子の内かげを隱すや。



三重

月の入。




山科よりは一里半息を切たる嫡子力彌。内をすかして正體なき父が寢姿。起すも人の耳近しと枕元に立寄て。轡にかはる刀の鍔音。鯉口ちやんと打鳴せば。むつくと起てヤア力彌か。




こい口の音響せしは急用有てか。密に/\。只今御臺かほよ樣より。急のお飛脚密事の御状。外に御口上はなかつたか。敵高師直歸國の願ひ叶ひ。近々本國へ罷歸る。委細の義 はお文との御口上。よし/\。其方は宿へ歸り。夜の中に迎の駕いけ/\。




はつとためらふ隙もなく



フシ

山科さして引返す。




先樣子氣遣と状の封じを切所へ。




大星殿。由良殿。斧九太夫でござる。




御意得ませふと聲かけられ。




是は久しや/\。一年も逢ぬ内。寄たぞや/\。額に其皺のばしにお出か。アノ爰な莚破めが。イヤ由良殿。大功は細瑾を顧ずと申が。人の譏も構はず遊里の遊び。大功を立る基。遖の大丈夫末頼もしう存る。ホヲヽ是は堅いは/\。石火矢と出かけた。去とてはおかれい。イヤア由良助殿とぼけまい。誠貴殿の放埓は。敵を討術と見へるか。おんでもない事。忝い。四十に餘つて色狂ひ。馬鹿者よ。氣違よと。笑はれふかと思ふたに。敵を討術とは九太夫殿。ホヽウ嬉しい/\。スリヤ其元は。主人鹽冶の怨を報ずる所存はないか。けもない事/\。家國を渡す折から。城を枕に討死といふたのは。御臺樣への追從。時に貴樣が。上へ對して朝敵同然と。其場をついと立た。我等は跡にト。しやちばつて居た。いかゐたわけの。所で仕廻は付ず。御墓へ參つて切腹と。裏門からこそこそ/\。今此安樂なたのしみするも貴殿のおかげ。昔のよしみは忘れぬ/\。堅みをやめて碎おれ/\。いか樣この九太夫も。昔思へば信太の狐。ばけ顯はして一獻くもふか。サア由良殿。久しぶりだお盃。又頂戴と會所めくのか。さしおれ呑むは。呑みおれさすは。てうど受おれ




肴をするはと傍に有合鮹肴。 はさんで



フシ

ずつと指出せば。




手を出して。足を戴く鮹肴。




忝いと戴て喰んとする。手をじつととらへ。




コレ由良助殿。明日は主君鹽冶判官の御命日。取分逮夜が大切と申が。見ごと其肴貴殿はくふか。たべる/\。但主君鹽冶殿が。鮹になられたといふ便宜が有たか。ヱ愚痴な人では有。こなたやおれが浪人したは。判官殿が無分別から。スリヤ恨こそ有精進する氣微塵もごあらぬ。お志の肴賞翫致すと。




何氣もなく。只一くちにあぢはふ風情。邪智深き九太夫も



フシ

あきれて。詞もなかりける。




扨此肴では呑ぬ/\。鶏しめさせ鍋燒させん。其元へ奧へお出。女郎共うたへ/\と。




足下もしどろもどろの浮拍子。テレツク/\ツヽテン/\。




おのれ末社共。めれんになさで置べきかと騒に。まぎれ入にける。




始終を見屆鷺坂伴内。二階よりおり立ち。詞九太夫殿子細とつくと身屆た。主の命日に精進さへせぬ根性で。敵討存もよらず。此通主人師直へ申聞。用心の門をひらかせませう。成程最早御用心に及ばぬ事。コレサまだこゝに。刀を忘れて置ました。ほんに誠に大馬鹿者の證據。嗜の魂見ましよ。扨錆たりな赤鰯。ハヽヽヽヽ。彌本心顯はれ御安堵/\。ソレ九太夫が家來迎のかご。




はつと答て持出る。




サア伴内殿お召なされ。先づ御自分は老體ひらに/\。



フシ

然らば御免と乘移る。




イヤ九太殿。承はれば此所に。勘平が女房が勤ておると聞ました。貴殿には御存ないか。九太夫殿。




/\といへ ど答へずコハふしぎと。駕の簾を引明れば。内には手ごろの庭の飛石。




コリヤどふじや。九太夫の松浦さよ姫をやられたと。




見廻すこなたの椽の下より。




コレ/\伴内殿。九太夫がかごぬけの計略は。最前力彌が持參せし書翰が心元なし。樣子見屆跡よりしらさん。やはり我等が歸る體にて。貴殿は其駕にひつ添て。




合點/\と點頭合。駕には人の有體に



フシ

見せてしづ/\立歸る。



フシ

折に二階へ。勘平が妻のおかるは醉ざまし。はや里なれて吹風に。



フシ

うさをはらして居る所へ。




ちよといて來る。由良助共有ふ侍が。大事の刀を忘れて置た。つゐ取てくる其間にかけ物もかけ直し。爐の炭もついでおきや。アヽそれ/\/\。こちらの三味線ふみおるまいぞ。是はしたり。九太はいなれたそふな。



三下リ歌

父よ母よと泣聲聞ば。妻に鸚鵡の。うつせし言の葉。ヱヽ何じやいなおかしやんせ。



フシ

あたり見廻し。由良助。釣燈籠のあかりをてらし。讀長文は御臺より敵の樣子こま/\と。女の文の跡やさき。



フシ

ではかどらず。よその戀よとうらやましくおかるは上より見おろせど。夜目遠目なり字性もおぼろ。思ひ付たるのべ鏡。



フシ 出して寫して讀取文章。下家よりは九太夫が。くりおろす文月かげ

に。すかし讀とは。神ならずほどけかゝりしおかるが玉笄。ばつたり落れば。下にははつと見上て後へ隱す文。椽の下には猶ゑつぼ。上には鏡のかげ隱し。




由良さんか。おかるか。そもじはそこに何してぞ。わたし やおまへにもりつぶされ。あんまりつらさの醉さまし。風にふかれて居るはいな。ムウ。ハテなふ。よう風にふかれてじやの。イヤかる。ちと咄したい事が有。屋根越の天の川で爰からはいはれぬ。ちよつとおりてたもらぬか。咄したいとは頼たい事かへ。まあそんな物。廻つて來やんしよ。いや/\。段梯子へおりたらば。中居が見付て酒にせう。アヽどふせうな。アヽコレ/\幸爰に九つ梯子。




是をふまへておりてたもと。



フシ

小屋根にかければ。




此梯子は勝手が違ふて。ヲヽこは。どふやら是はあぶない物。大事ない/\。あぶないこはいは昔の事。三間づゝまたげても。赤かうやくもいらぬ年ばい。あほういはんすな。舟にのつた樣でこはいわいな。道理で舟玉樣が見へる。ヲヽのぞかんすないな。洞庭の秋の月樣をおがみ奉るじや。イヤモウそんなら下りやせぬぞ。おりざおろしてやろ。アレ又惡い事を。やかましい生娘かなんぞのやうに。地 逆縁ながらと後よりじつと。抱しめ



フシ

抱おろし




なんとそもじは御らふじたか。アイいゝゑ。見たであろ/\。アイなんじややら面白そふな文。あの上から皆讀だか。ヲヽくど。ア身の上の大事とこそは成にけり。何の事じやぞいな。何の事とはおかる。古いがほれた。女房に成てたもらぬか。おかんせうそじや。サうそから出た眞でなければ根がとげぬ。おふといや/\。イヤいふまい。なぜ。お前のはうそから出た眞じやない。實から出た嘘じや。おかる受出そふ。ヱヽ。う そでない證據に。今宵の内に身受せう。ムウいやわしには。間夫が有なら添してやろ。そりやマアほんかへ。侍冥利。三日成共圍ふたらそれからは勝手次第。ハアヽ嬉しうござんすといはしておいてわらをでの。いや直に亭主に金渡し。今の間に埓さそふ。氣遣せずと待てゐや。そんなら必待て居るぞへ。金渡してくる間。どつちへもいきやるな。女房じやぞ。夫もたつた三日。それ合點。忝ふござんす。



三下リ歌

世にも因果な者ならわしが身じや。かはい男に。いくせの思ひ。ヱヽなんじやいなおかしやんせ。忍びねになくさよちどり。




奧でうたふも



フシ

身の上とおかるは。思案取々の。




折に出合平右衞門。




妹でないか。ヤア兄樣か。




恥しい所で逢ましたと顏を隱せば。




苦しうない。關東より戻りがけ。母人に逢てくはしく聞た。夫の爲お主の爲。よく賣れたでかした/\。




そふ思ふて下さんすりやわしや嬉しい。




したがまあ悦んで下さんせ。思ひがけなう今宵受出さるゝ筈。夫は重疊。何人のお世話で。お前も御存の大星由良助樣のお世話で。何じや由良助殿に受出される。夫は下地からの馴染か。何のいな。此中より二三度酒の相手。夫が有ば添してやろ。隙がほしくば隙やろと。結構過た身請。扨は其方を。早の勘平が女房と。イヱしらずじやぞへ。親夫の恥なれば。明して何の云ませう。ムウすりや本心放埓者。お主の怨を報ずる所存はないに極つたな。イヱ/\これ兄樣。有ぞへ/\。高うはいはれぬ。




コレかふ/\とさゝやけば。




ムウすりや其文を慥に見たな。殘らず讀だ其跡で。互に見合す顏と顏。それからじやらつき出してつゐ身請の相談。アノ其文殘らず讀だ跡で。アイナ。ムウそれで聞へた。妹とても遁れぬ命。




身共にくれよと拔打にはつしと切ば。




ちやつと飛のき。コレ兄樣。わしには何誤り。勘平といふ夫も有。急度二親有からはこな樣の儘にも成まい。




請出されて親夫に。逢ふと思ふがわしやたのしみ。どんな事でも誤らふ。




赦して下んせ赦してと。手を合すれば。平右衞門。ぬき身を捨て



フシ

どうどふしひたんの涙にくれけるが。




可愛や妹何にもしらぬな。親與市兵衞殿は六月廿九日の夜。人に切れてお果なされた。ヤアそれはまあ。コリヤまだ恟りすな。請出され添ふと思ふ勘平も。腹切て死だはやい。




ヤア/\/\それはまあほんかいの。コレのふ/\と取付いて



スヱ

わつと計に泣沈む。




ヲヽ道理/\。樣子咄せばながい事。おいたはしいは母者人。云出しては泣。思ひ出しては泣。娘かるに聞したら泣死にするであろ。必いふてくれなとのお頼。いふまいと思へ共。迚も遁れぬそちが命。其譯は。忠義一途に凝かたまつた由良助殿。勘平が女房としらねば請出す義理もなし。元來色には猶ふけらず。見られた状が一大事請出し差殺す。思案の底と慥に見へた。よしそふなうても壁に耳。外より洩ても其方が科。密書を覗見たるが誤り殺さにやならぬ。人手にかきよより我手にかけ。大事を知た る女。妹とて赦されずと。夫を功に連判の數に入てお供に立ん。




少身者の悲しさは人に勝れた心底を。見せねば數には入られぬ。聞分て命をくれ死でくれ妹と。事を分たる兄の詞。おかるは始終せき上/\。便のないは身の代を。役に立ての旅立か。暇乞にも見へそな物と。恨でばかりおりました。勿體ないがとゝ樣は非業の死でもお年の上。勘平殿は三十に成やならずに死るのは嘸悲しかろ口惜かろ。逢たかつたで有ふのに。なぜ逢せては下さんせぬ。親夫の精進さへしらぬはわたしが身の因果。何の生ておりませう。お手にかゝらば嚊樣がおまへをお恨なされましよ。自害した其跡で。首なりと死骸なりと。




功に立なら功にさんせ。




さらばでござる兄樣といひつゝかたな取上る。




やれまてしばしと




とゞむる人は由良助。はつと驚く平右衞門。おかるははなして殺してと。あせるをおさへて。




ホウ兄弟共見上た疑ひはれた。兄はあづまの供を赦す。妹はながらへて。未來の追善。




サア其追善は冥途の供と。もぎ取刀をしつかと持添。




夫勘平連判には加へしかど。敵一人も討とらず。未來で主君に云譯有まじ。其言譯はコリヤ爰にと。




ぐつと突込疊の透間。下には九太夫肩先ぬはれて七轉八倒。




それ引出せの。




下地より早く椽先飛おり平右衞門。朱に染だ體をば無二無三に引ずり出し。ヒヤア九太夫めハテよい氣味と引立て目通へ投付れば。起立せもせず由良助。たぶさを掴でぐつと引寄。




獅子身中の虫とは儕が事。我 君より高地を戴。莫大の御恩を着ながら。敵師直が犬と成て。有事ない事よう内通ひろいだな。四十余人の者共は。親に別れ子にはなれ。一生連添女房を君傾城の勤をさするも。亡君の怨を報じたさ。寢覺にも現にも。御切腹の折からを思ひ出して無念の涙。




五臟六腑を



フシ

しぼりしぞや。




取わけ今宵は殿の逮夜。口にもろ/\の不淨をいふても。愼に愼を重る由良助に。よう魚肉をつき付たなア。いやといはれずおうといはれぬ胸の苦しさ。三代相恩のお主の逮夜に。咽を通した其時の心どの樣に有ふと思ふ。五體も一度に惱亂し。四十四の骨々も碎る樣に有たはやい。




ヘヱヽ獄卒め魔王めと。土に摺付捻付て



スヱ

無念。涙にくれけるが。




コリヤ平右衞門。最前錆刀を忘置たは。こいつをばなぶり殺しといふしらせ。命取ずと苦痛させよ。




畏たと拔より早く踊上り飛上り。切共僅二三寸。明所もなしに疵だらけ。のた打廻つて。




平右殿。おかる殿。




詫してたべと手を合せ。以前は足輕づれ也と。目にもかけざる寺岡に



フシ

三拜するぞ見ぐるしき。




此場で殺さば云譯むつかし。くらひ醉たていにして。




館へ連よと羽織打きせ疵の口。隱れ聞たる矢間千崎竹森が。障子ぐはらりと引明。




由良助殿段々誤り入ましてござります。それ平右衞門。くらひ醉た其客に。加茂川で水ざうすいをくらはせい。ハア。イケ

第八
道行旅路の嫁入



ハルウ

浮世とは。




たがいひそ




めて。



フシ

飛鳥川。ふ




ちも知行も瀬とかはり。



スヱテハル

よるべも浪の下




人に。結ぶ鹽冶の誤りは。戀のかせ杭加古川の。娘小浪が




言号



ウヲクリ

結納も。とらず




其儘にふり捨られし



ハル

物思ひ。



長地ウ

母の思ひは山科の




聟の力彌を




ちからにて




住家へ押て嫁入も。




世に有なしの義理遠慮




こしもとつれず乘物も。や




めて親子の二




人連。



フシ

都の。



ヲクリユリ

空に。心ざす。



ハルフシ

雪のはだへも。




さむ空は。



ウキン

寒紅梅の色添て。




手先覺へず




こゞへ坂。



ハヅミ

さつた峠に。さしかゝり見返れば。




不二の煙の。



サハリウ

空に消



ウキン

行衞もしれぬ




思ひをば。



ナヲスハル

晴す嫁入の。



フシ

門火ぞと。いはふて三保の




松原に



小ヲクリ

つゞく。並松街道をせ




ましと打たる




行烈は。



トル

誰としらねど




浦山し。



地ウ

アヽ世が世なら




あのごとく。




一度の晴と花



ハル

かざり。



二人

伊達をするがの




府中




過。



ウキン

城下。過ればきさんじに。



フシ

母の




心もいそ/\と。




二世の盃




濟で後。



本ブシ

閨のむつ



ハル

言さゝ




め言。




親しらず子しらずと。




蔦の細



キン

道。もつれ合。



フシ

嬉しからふと手を引ば。アノ



地中

母樣の差合を




わきへこかして鞠子川。




うつの山邊の現にも。



ハル

殿御初めの




新枕。せとの




染飯



ハル

こはゐやら。




恥かしいやら




嬉しいやら




案じて胸も




大井川。



ウキン

水の流れと人心。




もしや心はかはら




ぬか。



ハルウ

日かげに花は




咲ぬと。



中フシ

いふて嶋田



ハル

のうさはらし。



二人ハルフシ

我身の上を。かくとだに。




人しらすかの橋こへて行ば吉田や



ハル

赤坂の。まねく




女の聲そろへ。



二上リ歌ハルウ

縁をむすばゞ清



キン

水寺へ




參らんせ。



ハルウ

音羽の瀧に



ハルキン

ざんぶりざ毎日そふい




ふておがまんせ




そうじやいな。



ハルウ

しゝきがんかうがかいれいにう




きう。




かぐら太鼓にヨイコノヱイ。



ハルウキン

こちのひるねを覺された。




都とのごにあふてつらさが語りたや




ソウトモ/\。



ハル

もしも女夫と




かゝさま。



ハル

ならば伊勢さんの引合。



ナヲスハルフシ

ひなびた歌も。




身に取て。よい吉左右に




なるみがた。あつたの社



ウフシ

あれかとよ。




七里の渡し



ハル

帆を上て



中キン

艪拍子揃へて




ヤツシツシ。



ハルキン

舵取音は。




鈴虫か




いや。



ヒロイ

きり%\す。鳴や霜夜と




詠たるは。さよふけてこそ



ハル

くれ迄と。




限り有舟




いそがんと



トル

母が走れば。



ハル

娘も走り



ヲクリ

空の




あられに笠覆ひ。



ハルフシ

舟路の




友の。跡や先庄野龜山



ハル

せきとむる。伊勢と吾妻の




別れ道。驛路の鈴の鈴鹿こへ。



トルカヽリ

間の土山。雨がふる



中ウキン

水口の葉に。



ハル

いひはやす。




石部石場で大石や。




小石をひらふて




我夫と




撫つ。さすりつ




手にすへて。




やがて大津や三井寺の。




を越て




山科へ程なき。




里へ。



三重

いそぎゆく

第九




風雅でもなく。しやれでなく。しやうことなしの山科に。由良助が佗住居。祇園の茶屋にきのふから雪の夜明し朝戻り。牽頭中居に送られて酒が。ほたへる雪こかし雪はこけいで雪こかされ。仁體捨し遊びなり。




旦那。申旦那。お座敷の景ようござります。お庭の藪に雪持てなつた所。とんと繪にかいた通。けうといじやないかのふお品。サア此景を見て。外へはどつちへもいきたうはござりますまいがな。ヘツ朝夕に見ればこそ有住吉の。岸の向ひの淡路嶋山といふ事しらぬか。自慢の庭でも内の酒は呑ぬ/\。ヱヽ通らぬやつ/\。サア/\奧へ/\




奧はどこにぞお客が有と。先に立て飛石の。詞もしどろ足取も



ヲクリ

しどろに。見ゆる酒機嫌。お戻りそふなと女房のお石が輕う汲で出る茶屋の茶よりも氣の端香。お寒からふと悋氣せぬ詞の鹽茶醉醒し。




一口呑で跡打明。




ヱヽ奧無すいなぞや/\。折角面白ふ醉た酒醒せとは。アヽヽアヽ降たる雪かな。



文彌詞

いかに余所のわろ達が嘸悋氣とや見給ふらん。




それ雪は打綿に似て飛で中入と成。




奧はかゝ樣といへばとつと世帶染といへり。




加賀の二布へお見舞の



ナヲス詞

遲いは御 用捨。伊勢海老と盃。穴の稻荷の玉垣は。朱ふなければ信がさめるといふ樣な物かい。ヲイこれ/\/\。こぶら返りじや足の大指折た/\。おつとよし/\。




次手にかうじやと足先で。




アヽこれほたへさしやんすな嗜しやんせ。さゝが過るとたはゐがない。




ほんに世話でござらふのと



フシ

物やはらかにあいしらふ。




力彌心得奧より立出。




申/\母人。親父樣は御寢なつたか。




是上られいと指出す親子が所作を塗分ても。下地は同じ桐枕。ヲヽヲヽ應は夢現。




イヤもふ皆いにやれ。ハイ/\/\。そんならば旦那へ宜しう。




若旦那ちと御出を目遣ひで



フシ

いに際わるう歸りける。




聲聞へぬ迄行過させ。由良助枕を上。




ヤア力彌。遊興に事寄丸めた此雪。所存有ての事じやが何と心得たぞ。ハツ雪と申物は。降時には少の風にもちり。輕い身でござりませう共。あのごとく一致して丸まつた時は。嶺の雪吹に岩をも碎く大石同然。重いは忠義。其重い忠義を思ひ丸めた雪も。餘り日數を延過してはと思召ての。イヤ/\。由良助親子。原郷右衞門など四十七人連判の人數は。ナ皆主なしの日かげ者。日かげにさへ置ば解ぬ雪。せく事はないといふ事。爰は日當り奧の小庭へ入て置。螢を集め雪を積も學者の心長き例。女共。切戸内から明てやりやれ。




堺への状認めん。




飛脚が來たらばしらせいよ。アイ/\。




間の切戸のうち。雪こかし込戸を立る



ヲクリ

引立入にける。




人の心の奥深き山科の隱れ家を。 尋て爰にくる人は。加古川本藏行國が女房となせ。道の案内の乘物をかたへに待せ只一人。刀脇指さすがげに行義亂さず。



フシ

庵の戸口。




頼ませう。/\といふ聲に。




襷はづして飛で出る。昔の奏者今のりん。



フシ

どうれといふもつかふど成。




ハツ大星由良助樣お宅は是かな。左樣ならば加古川本藏が女房となせでござります。誠に其後は打絶ました。ちとお目にかゝりたい樣子に付遙々參りましたと。傳られて下されと




いひ入させて表の方。



フシ

乘物是へと舁寄させ。




娘爰へと呼出せば。谷の戸明て鶯の梅見付たるほゝ笑顏



ヲクリ

まぶかに。着たる帽子の内。




アノ力彌樣のお屋敷はもふ爰かへ。



フシ

わしや恥しいと媚かし。




取ちらす物片付て。先お通りなされませと。下女が傳へる口上に。




駕の者皆歸れ。




御案内頼ますといふもいそ/\娘の小浪。



フシ

母に付添座に直れば。




お石しとやかに出向ひ。




是は/\。お二方共ようぞや御出。とくよりお目にもかゝる筈。お聞及びの今の身の上。




お尋に預りお恥しい。




あの改まつたお詞。お目にかゝるは今日初めなれど。先達て御子息力彌殿に。娘小浪を言号致したからは。お前也わたしなり。




同士御遠慮には及ばぬ事。




是は/\悼入御挨拶。殊に御用しげい本藏樣の奥方。寒空といひ思ひがけない御上京。となせ樣はとも有小浪御寮。嘸都珍らしからふ。祇園清水知恩院。大佛樣御らうじたか。金閣寺拜見あらばよい傳が有ぞへと。




心置なき挨拶に。只あ い/\も口の内。



フシ

帽子まばゆき風情なり。




となせは行義改めて。




今日參る事餘の義にあらず。是成娘小浪言号致して後。御主人鹽冶殿不慮の義に付。由良助樣。力彌樣。御在所もさだかならず。




移りかはるは世のならひ。かはらぬは親心とやかくと聞合せ。




此山科にござる由承はりました故。此方にも時分の娘早うお渡し申たさ。近比押付がましいが。夫も參る筈なれど出仕に隙のない身の上。此二腰は夫が魂。是をさせば則夫本藏が名代と。わたしが役の二人前。由良助樣にも御意得まし。祝言させて落付たい。




幸けふは日がらもよし。御用意なされ



フシ

下さりませと相述る。




是は思ひも寄ぬ仰。折惡う夫由良助は他行。去りながら若宿におりましてお目にかゝり申さふならば。御深切の段千万忝う存まする。言号致した時は。故殿樣の御恩に預り。御知行頂戴致し罷有故。本藏樣の娘御を貰ませう。然らばくれふと云約束は申たれ共。只今は浪人。人つかひ迚もござらぬ内へ。いかに約束なれば迚。大身な加古川殿の御息女。世話に申挑燈に釣鐘釣合ぬは不縁のもと。ハテ結納を遣はしたと申ではなし。どれへ成と外々へ。御遠慮なう遣はされませと申さるゝでござりませうと。




聞てはつとは思ひながら。




アノまあお石樣のおつしやる事。いかに卑下なされう迚。本藏と由良助樣。身上が釣合ぬとな。そんならば申ませう。手前の主人は小身故。家老を勤る本藏は五百石。鹽冶殿は大名。御家老の由良助樣は千五 百石。すりや本藏が知行とは。千石違ふを合點で言号はなされぬか。只今は御浪人。本藏が知行とは皆違ふてから五百石。イヤ其お詞違ひまする。五百石は扨置。一萬石違ふても。心と心が釣あへば大身の娘でも嫁に取まい物でもない。ムヽこりや聞所お石樣。心と心が釣合ぬとおつしやるは。どの心じやサア聞ふ。主人鹽冶判官樣の御生害。御短慮とは云ながら。正直を元するお心より發し事。それに引かへ師直に金銀を以て媚諂ふ。追蹤武士の禄を取本藏殿と。二君に仕へぬ由良助が大事の子に。




釣合ぬ女房は持されぬと。聞もあへず膝立直し。




諂ひ武士とは誰が事。樣子によつては聞すてられぬそこを赦すが娘のかはひさ。夫に負るは女房の常。




祝言有ふが有まいが。言号有からは天下晴ての力彌が女房。




ムヽ面白い。女房ならば夫がさる。力彌にかはつて此母がさつた。




/\と云放し。心隔の唐紙を



フシ

はたと。引立入にける。




娘はわつと泣出し。折角思ひ思はれて言号した力彌樣に。逢せてやろとのお詞を便に思ふてきた物を。姑御のどうよくに。




さられる覺はわたしやない。




母樣どふぞ詫言して。祝言させて下さりませと



スヱ

縋り。歎けば母親は。娘の顏をつく%\と。打ながめ/\。親の慾目かしらね共。本にそなたの器量なら。十人並にもまさつた娘。よい聟をがなと詮義して言号した力彌殿。尋できたかいもなう。聟にしらさずさつたとは。義理にもいはれぬお石殿姑去は心得ぬ。




ムヽ/\扨は浪 人の身のよるべなう筋目を云立。有徳な町人の聟に成て。義理も。法も忘れたな。ナフ小浪。今いふ通の男の性根。さつたといふを面當ほしがる所は山々。外へ嫁入する氣はないか。コレ大事の所泣ず共しつかりと返事仕や。




コレどふじや。/\と。尋る親の氣は張弓。アノ母樣の胴慾な事おつしやります。國を出る折とゝ樣のおつしやつたは。浪人しても大星力彌。行義といひ器量といひ。仕合な聟を取た。貞女兩夫に今目ず。



サハリ

譬夫に別れても又の夫を設なよ。主有女の不義同然。必々寢覺にも殿御大事を忘るゝな。由良助夫婦の衆へ孝行盡し夫婦中。睦じい迚あじやらにも。悋氣ばしして



ナヲスフシ

さらるゝな。




案ぜうか迚隱さずと任に成たら早速に。しらせてくれとおつしやつたをわたしやよう覺て居る。去れていんでとゝ樣に。苦に苦をかけてどふいふてどふ云譯が有ふ共。力彌樣より外に余の御殿。わしやいや/\と一筋に



フシ

戀を立ぬく心根を。



地サハリ

聞に絶兼母親の。涙一途に突詰し。覺悟の刀拔放せば。母樣是は何事と押とめられて顏を上。




何事とは曲がない。今もそなたがいふ通。一時も早う祝言させ。初孫の顏見たいと。娘に甘いは爺のならひ。




悦んでござる中へまだ祝言もせぬ先に。去れて戻りました迚どふ連ていなれふぞ。といふて先に合點せにや



フシ

仕樣。もやうもないわいの。




殊にそなたは先妻の子。わしとはなさぬ中じや故およそにしたかと思はれては。どふも生ては居られぬ義理。此通を 死だ跡で爺御へ云譯してたもや。




アノ勿體ない事おつしやります。殿御に嫌はれわたしこそ死べき筈。




生てお世話に成上に苦を見せまする不孝者。母樣の手にかけてわたしを殺して下さりませ。去れても殿御の内爰で死れば本望じや。早う殺して下さりませ。




ヲヽヲよういやつたでかしやつた。そなた計殺しはせぬ。此母も三途の友。そなたをおれが手にかけて。母も追付跡から行。




覺悟はよいかと立派にも涙。とゞめて立かゝり。




コレ小浪。アレあれを聞きや。表に虚無僧の尺八。鶴の巣籠。




鳥類でさへ子を思ふに科もない子を手にかけるは。因果と因果の寄合と。思へば足も立兼て。ふるふ拳を漸に。ふり上る刄の下。尋常に座をしめ手を合せ。




なむあみだ佛と。




唱る中より御無用と。聲かけられて思はずも。たるみし拳尺八も



フシ

倶に。ひつそとしづまりしが。




ヲヽそふじや。今御無用ととゞめたは。虚無僧の尺八よな。助たいが山々で。無用といふに氣おくれし。未練なと笑はれな。




娘覺悟はよいかやと又ふり上る又吹出す。とたんの拍子に又御無用。




ムヽ又御無用と止たは。修行者の手の内か。ふり上た手の中か。イヤお刀の手の中御無用。力彌に祝言させう。ヱヽそふいふ聲はお石樣。




そりや眞實か誠かと尋る襖の内よりも。



ウタイ

あひに相生の。松こそめでたかりけれと。




祝義の小謠白木の小西方。



フシ

目八分に携出。




義理有中の一人娘。殺さふと迄思ひ詰たとなせ樣の心底に。小浪殿の 貞女。志がいとをしささせにくい祝言さす其かはり。世の常ならぬ嫁の盃。




請取は此三方。



フシ

御用意あらばと指置ば。




少は心休りて拔たる刀鞘に納め。




世の常ならぬ盃とは。引出物の御所望ならん。此二腰は夫が重代。刀は正宗。指添は浪の平行安。家にも身にもかへぬ重寶。




是を引出と皆迄云さず。




浪人と侮て價の高い二腰。まさかの時に賣拂へといはぬ計の聟引出。御所望申は是ではない。ムヽそんなら何が御所望ぞ。此三方へは加古川本藏殿の。お首を乘て貰たい。ヱヽそりや又なぜな。御主人鹽冶判官樣。高師直にお恨有て。鎌倉殿で一刀に切かけ給ふ。其時こなたの夫加古川本藏。其座に有て抱留。殿を支た計に御本望も遂られず。敵は漸薄手計。殿はやみ/\御切腹。口へこそ出し給はね。其時の御無念は。本藏殿に憎しみがかゝるまいか。有まいか。家來の身として其加古川が娘。あんかんと女房に持樣な力彌じやと。思ふての祝言ならば。此三方へ本藏のしらが首。いやと有ばどなたでも。首を並る尉と嫗。それ見た上で盃させう。サヽサアいやか。




應かの返答をと。尖き詞の理屈詰。親子ははつと。



フシ

指うつぶき途方に。くれし折からに。




加古川本藏が首進上申。お受取なされよと。




表に扣し薦僧の。笠脱捨てしづ/\と内へはいるは。




ヤアお前はとゝ樣。本藏樣。




爰へどふして此形は。合點がいかぬこりやどふじやと咎る女房。




ヤアざは/\と見ぐるしい。始終の子細皆聞た。そ ち達にしらさず爰へ來た樣子は追て。先だまれ。其元が由良助殿御内證お石殿よな。今日の時宜かくあらんと思ひ。妻子にもしらせず。樣子を窺ふ加古川本藏。案に違はず拙者が首。聟引出にほしいとな。ハヽヽヽヽ。いやはやそりや侍のいふ事。主人の怨を報はんといふ所存もなく。遊興に耽り大酒に性根を亂し。放埓成身持日本一のあほうの鏡。蛙の子は蛙に成。親に劣ぬ力彌めが大だはけ。うろたへ武士のなまくらはがね。此本藏が首は切ぬ。馬鹿盡すなと踏碎く。




破三方のふち放れ。こつちから聟に取ぬちよこざいな女めと云せも果ず。




ヤア過言なぞ本藏殿。浪人の錆刀切るか切ぬか鹽梅見せう。不祥ながら由良助が女房。




望む相手じやサア勝負。/\/\と裾引上。長押にかけたる鑓追取突かゝらんず其氣色。是は短氣なマア待てととゞめ隔る女房娘。




邪魔ひろぐなとあらけなく。右と左へ引退る。間もあらせず突かくる。鑓のしほ首引掴。もぢつて拂へば身を背け。諸足ぬはんとひらめかす。はむねをけつて蹴上れば。拳放れて取落す。




鑓奪はれじと走寄。腰際帶際引掴。どふど打付動かせず。膝にひつ敷強氣の本藏。しかれてお石が無念の齒がみ。親子ははあ/\



フシ

あやぶむ中へ。




かけ出る大星力彌。捨たる鑓を取手も見せず本藏が。馬手のあばら弓手へ通れと突通す。うんと計にかつぱとふす。コハ情なやと母娘



スヱ

取付。歎くに目もかけず。とゞめさゝんと取直す。




ヤア待力彌早まるなと。




鑓引留て由 良助手負に向ひ。




一別以來珍らしゝ本藏殿。御計略の念願とゞき。聟力彌が手にかゝつて。嘸本望でござらふのと。




星をさいたる大星が。詞に本藏目を見開き。




主人の欝憤を晴さんと此程の心づかひ。遊所の出合に氣をゆるませ。徒黨の人數は揃ひつらん。思へば貴殿の身の上は。本藏が身に有べき筈。當春鶴が岡造營の砌。主人桃井若狹助。高師直に恥しめられ。以の外憤り。某を密に召れ。まつかう/\の物語。明日御殿にて出くはせ。一刀に討留ると思ひ詰たる御顏色。




とめてもとまらぬ若氣の短慮。




小身故に師直に。賄賂薄きを根に持て。恥しめたると知たる故。主人にしらせず不相應の金銀衣服臺の物。師直へ持參して。心に染ぬ諂ひも主人を大事と存るから。賄賂課せあつちから誤つて出た故に。切に切れぬ拍子ぬけ。主人が恨もさらりと晴。




相手かはつて鹽冶殿の。難義となつたは則其日。




相手死ずば切腹にも及ぶまじと。抱とめたは思ひ過した本藏が。




一生の誤りは娘が難義としらがの此首。聟殿に。



フシ

進ぜたさ。




女房娘を先へ登し。媚諂ひしを身の科にお暇を願ふてな。道をかへてそち達より二日前に京着。若い折の遊藝が益にたつた四日の内。こなたの所存を見ぬいた本藏。手にかゝれば恨を晴。約束の通此娘。




力彌に添せて下さらば未來永劫御恩は忘れぬ。




コレ手を合して頼入。




忠義にならでは捨ぬ命。子故に捨る親心推量有由良殿といふも涙にむせ返れば。妻や娘は有にもあられず。 本にかうとは露しらず死おくれた計に。お命捨るはあんまりな。冥加の程が恐ろしい。赦して下され父上と



スヱ

かつぱとふして。泣さけぶ。




親子が心思ひやり。大星親子三人も。



フシ

倶にしほれて居たりしが。




ヤア/\本藏殿。君子は其罪を惡んで其人を惡まずといへば。縁は縁恨は恨と。格別の沙汰も有べきにと嘸恨に思はれんが。所詮此世を去人。底意を明て見せ申さんと。




未前を察して奧庭の障子さらりと引明れば。雪を束て石塔の五輪の形を二つ迄。造立しは大星が。



フシ

成行果を顯はせり。




となせはさかしく。




ムヽ御主人の怨を討て後。二君に仕へず消るといふお心のあの雪。力彌殿も其心で娘を去たのどうよくは。御不便餘つてお石樣。恨だがわしや悲しい。となせ樣のおつしやる事。玉椿の八千代迄共祝はれず。後家に成嫁取た。




此樣なめでたい悲しい。



フシ

事はない。




かういふ事がいやさに。むごうつらういうたのが。嘸憎かつたでござんしよなふ。イヽヱイナ。わたしこそ腹立まゝ。町人の聲に成て義理も法も忘れたかといふたのが。恥しいやら悲しいやらどふも顏が上られぬお石樣。となせ樣。氏も器量を勝れた子何として此樣に。




果報拙い生れやと



フシ

聲も。涙にせき上る。




本藏あつき涙をおさへ。ハツアヽ嬉しや本望や。




呉王を諫めて誅せられ。辱を笑ひし呉子胥が忠義は取に足ず。忠臣の鑑とは唐土の豫讓。日本の大星。昔より今に至る迄。唐と日本にたつた二人。




其一人を親に持。 力彌が妻に成たるは。女御更衣に備はるより。百倍勝つてそちが身は武士の娘の手柄者。手柄な娘が聟殿へ。お引の目録進上と懷中より取出すを。力彌取て押戴披き見ればコハいかに。目録ならぬ師直が屋敷の案内一々に。玄關長屋侍部屋。水門物置柴部屋迄繪圖にくはしく書付たり。由良助はつと押戴。




ヘツヱ有難し/\。徒黨の人數は揃へ共。敵地の案内知ざる故發足も延引せり。此繪圖こそは孫呉が秘書。我爲の六とう三略。




兼て夜討と定めたれば。繼梯子にて塀を越忍び入には椽側の。雨戸はづせば直に居間。爰をしきつてかう攻てと



フシ

親子が悦び。




手負ながらもぬからぬ本藏。




イヤ/\夫は僻事ならん。用心嚴しき高師直。障子襖は皆尻ざし。雨戸に合栓合樞。こぢてはづれずかけやにて。こぼたば音して用意せんかそれいかゞ。




ヲヽ夫にこそ術あれ。




凝ては思案にあたはずと遊所よりの歸るさ。思ひ寄たる前栽の雪持竹。雨戸をはづす我工夫。




仕樣を爰にて見せ申さん



ヲクリ

と庭に。折しも雪ふかくさしもに強き大竹も雪の重さに。ひいはりとしはりし竹を。引廻して鴨居にはめ。雪にたはむは弓同然。




此ごとく弓を拵へ弦を張。鴨居と敷居にはめ置て。一度に切て放つ時は。




まつ此樣にと。積つたる枝打はらへば雪ちつて。のびるは直成竹の力。鴨居たはんでみぞはずれ。障子殘らずばた/\/\。本藏苦しさ打忘れ。ハヽアしたり/\。




計略といひ義心といひ。ケ程の家來を持ながら了簡も有 べきに。




あさきたくみの鹽冶殿。口おしき行跡やと。悔を聞に御主人の御短慮成御仕業。今の忠義を戰場のお馬先にて盡さばと。思へば無念に閉ふさがる。胸は七重の門の戸を洩るは涙計也。




力彌はしづ/\おり立て父が前に手をつかへ。




本藏殿の寸志により。敵地の案内知たる上は。泉州堺の天河屋義平方へも通達し。荷物の工面仕らんと聞もあへず何さ/\。山科に有事隱れなき由良助。人數集めは人目有。一先堺へ下つて後あれから直に發足せん。其方は母嫁となせ殿諸共に。跡の片付諸事萬事何もかも。心殘りのなき樣に。ナ。ナ。




コリヤあすの夜舟に下るべし。我は幸本藏殿の忍び姿を我姿と。けさ打かけて編笠に。恩を戴く報謝がへし未來の迷ひ晴さん爲。




今宵一夜は嫁御寮へ。舅が情の




れんぼ流し。歌口しめして立出れば。兼て覺悟のお石が歎。御本望をと計にて名殘惜さの山々をいはぬ心の



フシ

いぢらしさ。




手負は今を知死期時。とゝ樣申とゝ樣とよべど。こたへぬだんまつま。親子の縁も玉の緒も切て一世の。



フシカヽリ

うき別れわつと泣母泣娘。倶に死骸に向ひ地の。回向念佛は戀無常。出行足も立とまり。六字の御名を笛の音に。




なむあみだ佛。




なむあみだ是や尺八ぼんのふの枕ならぶる追善供養。閨の契りは一夜ぎり心。殘して。



三重

立出る

第十




津の國と和泉河内を引受て。餘所の國迄舟よせる三國一の大湊。堺といふて人の氣も賢き町に疵もなき。天河屋の義平迚金から金を設溜。見かけは輕く内證は重い暮に重荷をば。手づから見世でしめくゝり大船の船頭。




是でてうど七竿。




請取ましたと指荷ひ。行も黄昏亭主はほつと。日和もよしよい出船と。いひつゝたばこきせる筒。



フシ

すい付にこそ入にけれ。




家の世繼は今年四つもりは十九の丸額。親方よりも我遊び。




サア始りじや/\。面白い事/\。なき辨慶のしのだ妻。とうざい/\。



文彌フシ

爰に哀を。とゞめしは。此よし松にとゞめたり。




元來其身は父計。母は去れて。いなれたで。



フシ

泣辨慶と申なり。




コリヤ伊五よ。もふ人形廻しいや/\。嚊さんを呼でくれいやい。ソレ其樣にむり云しやると。旦那樣にいふてこなはんも追出さすぞ。跡の月からおかまがわれて。手代は手代で鼠の子か何ぞの樣に。目が明ぬといふて追出し。飯焚は大きな欠したといふて隙やり。今ではこなはんと。わしと旦那はんと計。どふで此内を拔そけするのかして。ちよこ/\舟へ荷物が行。欠落するなら人形箱持ていこふぞや。イヤ人形廻しよりおりやもふねたい。アレもふおれ迄をそゝのかす程にの。よござるはおれ が抱て寢てやろ。いやじや。なぜに。われには乳がない物おりやいやじや。アレ又無理いはしやる。こなたが女の子なら。乳よりよい物が有けれど。何をいふても相聟同士。



フシ

是も涙の種ぞかし。




折節表へ侍二人誰頼ふ義平殿はお宿にかと。いふもひそめく内からつこど。




旦那樣は内に。我等。



サハリ

人形廻しでいそがしい。



ナヲス詞

用があらばはいつた/\。イヤ案内致さぬも無禮。原郷右衞門大星力彌。密に御意得たいと申ておくりやれ。何じや腹へり右衞門。大喰食や。こりやたまらぬアレ旦那樣大きなけないどが見へましたと。




叫ぶよし松引連て



フシ

奧へ入ば。




亭主義平。




又あほうめがしやなり聲と。




云つゝ出て。




ヱ郷右衞門樣力彌樣。サアまあ是へ。




御免有と座をしめて郷右衞門。




段々貴公のお世話故萬事相調ひ。由良助もお禮に參る筈なれ共。鎌倉へ出立も今明日。何角と取込力彌を名代として失禮のお斷。是は/\御念の入た義。急に發足とれば。何角お取込でござりませうに。成程郷右衞門殿の仰の通。明早々出立の取込。自由ながら私に參りお禮も申。又お頼申た跡荷物も。彌今晩で積仕廻か。お尋申せと申渡しましてござります。成程お誂の彼道具一まき。段々大廻しで遣はし。小手脛當小道具の類は。長持に仕込以上七竿。今晩出船を幸船頭へ渡し。殘るは竊挑燈鎖鉢卷。是は陸荷で跡より遣はす積りでござります。郷右衞門樣お聞なされましたか。いかゐお世話でござります る。いか樣主人鹽冶公の御恩を受た町人も多ござれ共。天河屋の義平は。武士も及ばぬ男氣な者と。由良殿が見込大事をお頼申されたも尤。併鑓長刀は格別。鎖かたびらの繼梯子のと申物は常ならぬ道具。お買なさるゝにふしぎは立ませなんだかな。イヤ其義は。細工人へ手前の所は申さず。手附を渡し金と引かへに仕る故。いづくの誰と先樣には存ませぬ。成程尤。次手に力彌めもお尋申ましよ。内へ道具を取込荷物の拵へ御家來中の見る目はどふしてお忍びなされましたな。ホウ夫も御尤のお尋。此義を頼まれますると。女房は親里へ歸し。召使は垂邪を付て。段々に隙遣はし。殘るはあほうと四つに成。洩る筋はござりませぬ。扨々驚入ましてござりまする。其旨を親共へも申聞して安堵させませう。郷右衞門殿お立なされませぬか。いか樣出達に心せきまする。義平殿お暇申ませう。然らば由良助樣へも。宜しう申聞しませう。おさらば。




さらばと引別れ



フシ

二人は旅宿へ立歸る。




表しめんとする所へ此家の舅大田了竹。




ヲツトしめまい宿にかと。




ずつと通つてきよろ/\眼。




是は親仁樣ようこそお出。扨此間は女房そのを養生がてら遣はし置。嘸お世話お藥でも給まするかな。ア藥も呑まする食も喰ます。夫は重疊。イヤ重疊でござらぬ。手前も國元に居た時は。斧九太夫殿から扶持も貰ひ相應の身代。今は一僕さへ召使はぬ所へ。さしてもない病氣を養生さしてくれよと指越れたは。子細こそあらん。が夫はとも有。 生若い女不埓が有ては貴殿も立ず。身共も皺腹でも切ねばならぬ。所で一つの相談。先世間は隙やり分。暇の状をおこしておいて。ハテ何時でも爰の勝手に呼戻す迄の事。たつた一筆つい書て下されと。




輕ういふのも物工。一物有と知ながら。いやといはゞ女房を直に戻さん戻りては。頼まれた人%\へ詞も立ずと取つ置つ思案する程。




いやかどふじや不得心なら此方にも。片時置れず戻すからは此了竹もにじり込。へたばつて倶に攪いやか應かの返答と。




込付られて遉の義平。工に乘が口惜やと。思へどこちらの一大事見出されてはとかけ硯。取て引寄さら/\と。



フシ

書認め。




是やるからは了竹殿親でなし子でなし。重て足踏お仕やんな。底工有暇の状。弱身をくふてやるが殘念。持ていきやれと投付れば。




手早く取て懷中し。




ヲヽよい推量。聞ば此間より浪人共が入込ひそめくより。そのめにとへ共しらぬとぬかす。何仕出そふも知ぬ聟。娘を添して置が氣づかひ。幸去歴々から貰かけられ。去状取と直に嫁入さする相談。一ぱいまいつて重疊/\。ホウ譬去状なき迚も子迄なしたる夫を捨。外へ嫁入する性根なら心は殘らぬ勝手/\。ヲヽ勝手にするは親のこうけ。今宵の内に嫁らする。ヤア細言はかずと早歸れと。




かたさき掴で門口より。外へ蹴出して跡ぴつしやり。ほう/\起て




コリヤ義平なんぼ掴でほり出しても。嫁らす先から仕拵へ金。温まつて蹴られたりや。どふやら疝氣が直つたと。




口は達者に 足腰を撫つさすりつ逃ぼへに。



ヲクリ

つぶやき。/\立歸る。




月の曇にかげ隱す隣家も寢入亥の刻過。此家をめがけて捕手の人數十手早繩腰挑燈。灯かげ隱して窺ひ/\犬とおぼしき家來を招。耳打すれば指心得門の戸せはしく打たゝく。誰じや。/\も及びごし。




イヤ宵にきた大舟の船頭でござる。舟賃の算用が違ふた。ちよつと明て下され。ハテ仰山な僅な事であろあす來た/\。イヤ今夜うける舟。仕切て貰はにや出されませぬと。




いふもこは高近所の聞へと。義平は立出何心なく門の戸を。明ると其儘捕た/\。動くな上意と追立卷。コハ何故と四方八方。眼を配れば捕手の兩人。




ヤア何故とは横道者。儕鹽冶判官が家來大星由良助に頼れ。武具馬具を買調へ大廻しにて鎌倉へ遣はす條。急召捕拷問せよとの御上意。遁れぬ所じや腕廻せ。是は思ひも寄ぬお咎。左樣の覺聊なし。




定て夫は人違へといはせも立ず。




ヤアぬかすまい。爭はれぬ證據有。ソレ家來共。




はつと心得持來るは。宵に積だる莞莚荷の長持。見るより義平は心も空。ソレ動かすなと四方の十手。其間に荷物を切解き。長持明んとする所を。飛かゝつて下部を蹴退。蓋の上にどつかとすはり。




ヤア麁忽千萬。此長持の内に入置たは。去大名の奥方より。お誂のお手道具。お具足櫃の笑ひ本。笑ひ道具の注文迄其名を記置たれば。明さしては歴々のお家のお名の出る事。御覽有てはいづれものお身の上にもかゝりませうぞ。ヤア彌胡亂 者。中々大抵では白状致すまい。ソレ申合せた通。




合點でござると一間へかけ入。一子よし松を引立出。




サア義平。長持の内はとも有。鹽冶浪人一統に堅まり。師直を討密事の段々。儕能しつつらん。有やうにいへばよし。いはぬと忽が身の上。




コリヤ是を見よと拔刀。稚き咽に差付られ。はつとは思へど色も變ぜず。




ハヽヽヽヽ女童を責る樣に。人質取ての御詮義。天河屋の義平は男でござるぞ。子に覊れ存ぜぬ事を。存たとは得申さぬ。曽て何にも存ぜぬ。しらぬ。知ぬといふから金輪ならく。憎しと思はゞ其。我見る前で殺した/\。テモ胴性骨の太いやつ。管鑓鐵砲鎖かたびら。四十六本の印迄調へやつたる儕が。知ぬといふていはしておこふか。白状せぬと一寸樣一分刻に刻むが何と。ヲヽ面白い刻れう。武具は勿論。公家武家の冠烏帽子。下女小者が藁沓迄。買調へて賣が商人。それふしぎ迚御詮義あらば。日本に人種は有まい。一寸試も三寸繩も。商賣故に取るゝ命。惜いと思はぬサア殺せ。も目の前突/\/\。




一寸試は腕から切か胸から裂か。肩骨背骨も望次第と。指付突付我子をもぎ取。子に覊れぬ性根を見よと。しめ殺すべき其吃相。




ヤレ聊爾せまい義平殿。暫し/\と長持より。




大星由良助よし金。立出る體見て恟り。捕手の人%\一時に。十手捕繩打捨て



フシ

遙。さがつて座をしむる。




異義を正して由良助義平に向ひ手をつかへ。




扨々驚入たる御心底。




泥中の蓮。砂の中の金とは貴公 の御事。さもあらんさもそふづと。見込で頼んだ一大事。此由良助は微塵聊。お疑ひ申さね共。




馴染近付でなき此人%\。四十人餘の中にも。天河屋の義平は生れながらの町人。今にも捕られ詮義にあはゞ。いかゞあらん。何とかいはん。殊に寵愛の一子も有ば。子に迷ふは親心と評義區々。案じに胸も休まらず。




所詮一心の定めし所を見せ。古傍輩の者共へ安堵させん爲。せまじき事とは存ながら右の仕合。麁忽の段はまつぴら/\。




花は櫻木。人は武士と申せ共。




いつかな/\武士も及ばぬ御所存。百萬騎の強敵は防共。左程に性根はすはらぬ物。貴公の一心をかり受我々が手本とし。敵師直を討ならば譬。巖石の中に籠り。鐵洞の内に隱るゝ共やはか仕損じ申べき。




人有中にも人なしと申せ共。町家の中にも有ば有物。




一味徒黨の者共の爲には。生土共。氏神共尊奉らずんば。御恩の冥加に。盡果ませう。




靜謐の代には賢者も顯はれず。ヘヱヽ惜いかな



地フシ

悔しいかな。




亡君御存生の折ならば。一方の籏大將。一國の政道。お預け申た迚惜からぬ御器量。




是に並ぶ大鷲文吾矢間重太郎を始め。小寺高松堀尾板倉片山等潰し眼を開かする。




妙藥名醫の心魂。有がたし/\とさすつて三拜人々も。ぶ骨の段眞平と疊に。頭を摺付る。




ヤレ夫は御迷惑。お手上られて下さりませ。惣體人と馬には。乘て見よ添て見よと申せば。お馴染ないお旁は氣づかひに思召も尤。私元は輕い者。お國の御用承はつてより。 經上つた此身代。判官樣の樣子承はつて倶に無念。何卒此恥辱雪やうはないかと。りきんで見ても秦龜のじだんだ。及ばぬ事と存た所へ。由良助樣のお頼こそ心得たと向ふ見ず。倶にお力付る計。




情ないは町人の身の上。手一合でも御扶持を戴ましたらば。此度の思し立。袖つまに取付て成共お供申。いづれも樣へ息つぎの。茶水でも汲ませうに。




夫も叶はぬは。よく/\町人はあさましい物。是を思へばお主の御恩。刀の威光は有がたい物。




それ故にこそお命捨らるゝ。御羨しう存まする。猶も冥途で御奉公。お序に義平めが。志もお執成とあつき詞に人%\も。思はず涙催して奧齒噛割計也。




由良助取あへず。




今晩鎌倉へ出立。本望遂るも百日とは過すまじ。承はれば御内證迄省給ふ由重々のお志。追付夫も呼返させ申さん。




御不自由も今暫く。



フシ

早お暇と立上る。




ヤレ申さばめで度旅立。いづれも樣へも御酒一つ。




いや夫は。ハテ扨祝ふて手打の蕎麥切。ヤ手打とは吉相。然らば大鷲矢間御兩人は跡に殘。先手組の人%\は。郷右衞門力彌を誘ひ。佐田の森迄お先へ。




いざこなたへと亭主が案内。お辭義は無禮と由良助



ヲクリ

二人を。伴ひ入月と。



フシ

又出る月と。二つの輪の親と夫との中に立。



長地

おそのは一人挑燈くらき思ひも。子故の闇。あやなき門を打たゝき。




伊五よ/\と呼聲が。




寢耳にふつとあほうはかけ出。




おれ呼だは誰じや。化生の者か迷ひの者か。イヤそのじや爰明 てくれ。そふいふても氣味が惡い。必ばあといふまいぞと。




云つゝ門の戸押ひらき。




ヱヽおゑさんかようごんしたの。一人あるきをするとナ。病犬が噛ぞへヲヽ犬に成共かまれて死だら。今の思ひは有まいに。おりや去れたはいやい。どんな事にならんしたなア。旦那殿はねてか。イヽヱ。留守か。イヽヱ。何の事じやぞやい。何の事やらわしもしらぬが。宵のくちに猫が鼠を取たかして。とつた/\と大勢來たが。ちやつとおれは蒲團かぶつたればつゐ寢入た。今其わろ達と奧で酒盛ざゞんざやつてゞござんす。ハテ合點のいかぬそふしてぼんはねたか。アイ是はようねてゞござんす。旦那殿とねたか。イヽヱ。われとねたか。イヽヱ。つゐ一人ころりと。なぜ伽してねさしてくれぬ。夫でもわしにも旦那樣にも。乳がないといふて泣てばつかり。ヘヱヽ可愛やそふであろ/\。




夫ばつかりがほんの事と



フシ

わつと泣出す門の口。空にしられぬ



フシ

雨の足かはく。袂もなかりける。




ヤイ/\伊五めどこにおると。




呼立出る主の義平。アイ/\爰にとかけ入跡。尻目にかけてたわけめが。




奧へいて給仕ひろげと。呵追やり門の戸を。さすを押へて。




コレ旦那殿。いふ事が有爰明て。




イヤ聞事もなしいふ事も。内證一つの畜生め。穢はしいそこのこふ。




イヤ親と一所でない證據。それ見て疑ひ晴てたべと。




戸の透よりも投込一通。拾ひ取間に付込女房。夫は書物一目見て。




コリヤ最前やつた暇の状。是戻してどふするの じや。どふするとは聞へませぬ。親了竹が惡工は。常からよう知ての事。譬どの樣な事有迚。なぜ隙状をくだんした。




持て戻ると嫁らすと。思ひも寄ぬ拵。嬉しい顏で油斷させ涕紙袋の去状を。盗でわしは逃て來ました。お前はよし松可愛ないか。去てあの子を繼母に。かける氣かいの胴慾なと。すがり歎けば。




ヤア其恨は逆ねぢ。此内をいなす折。云ふくめたを何と聞た。樣子有て其方に隙やるでなし。暫の内親里へ歸つて居よ。舅了竹は。元九太夫が扶持人。




心とけねば子細はいはぬ。病氣の體にもてなし。起臥も自由にすな。櫛も取なと云付やつたをなぜ忘れた。




さんばら髪で居者を。嫁にとろとは云ぬはやい。




何の儕がよし松がかはいかろ。




晝は一日あほうめが。だましすかせど夜に成と。嚊樣/\と尋おる。かゝは追付。もふ爰へと。




だましてねさせどようねいらず。呵てねさそと擲付。こはい顏すりや聲上ず。




しく/\泣ておるを見ては。身ふしが碎てこたへらるゝ物じやない。




是を思へば親の恩子を持てしるといふ。不孝の罰と我身をば。悔んで夜と倶



フシ

泣明す。




夕べも三度抱上て。もふ連ていこ。抱ていこと。門口迄出たれ共。一夜で湛納するでもなし。五十日隙どろやら。百日隔ておこふやら。知ぬ事に馴染しては。跡の難義と五町三町。




ゆぶりあるいて擲付。ねさしてはそつとこかし。我肌付れば現にも。乳をさがしてしがみ付。わづかな間の別れでさへ。戀こがるゝ物一生を。引わけふとは 思はね共。




是非に及ばず暇の状。了竹へ渡せしを。内證にて受取ては。親の赦さぬ不義の科。心よからず持て歸れ。是迄の縁。約束事。死だと思へば事濟むと。




切離よき男氣は。常をしる程



フシ

猶悲しく。




此家に居るとお前が立ず。内へいぬると嫁らにやならず。




悲しい者はわたし一人。




是が別れにならふも知ぬ。




よし松をおこしてちよつと逢して下さんせ。




イヤそれならぬ。今逢て今別るゝ其身。跡の思ひが猶不便な。




わけて今宵はお客も有。くど/\いはずと早くおいきやれ。夫でもちよつとよし松に。




ハテ扨未練な。跡の難義を思はずやと。




むりに引立去状も。倶に渡して門先へ心強くも突出し。




子がかはゆくば了竹へ詫言立て春迄も。かくまひ貰はゞ思案もあらん。




それ叶はずば是限りと門の戸しめて内



フシ

に入。




ノウ夫が叶ふ程なれば。此思ひはござんせぬ。つれないぞや我夫。




科もない身を去のみか。我子に迄逢さぬは。あんまりむごい胴慾な。




顏見る迄はなんぼでも。いなぬ/\と門打たゝき。




情じや。慈悲じや。爰明て。




寢顏成共見せてたべ。コレ手を合せ拜ます。むごいわいのと



フシ

どふどふし前後。不覺に泣けるが。




ハア恨むまい歎くまい。




なま中に顏見たら。かゝ樣かと取付て。離しもせまいし離も成まい。




今宵いぬれば今宵の嫁入。あす迄待れぬわしが命。さらばでござるさらばやと。いふては戸口へ耳を寄。若や我子が聲するか。顏でも見せてくれるかと。窺ひ聞 ど音もせず。ハアヽぜひもなや是迄と思ひ切てかけ出す向ふへ。目計出した大男道をふさいで引とらへ。是はといふ間も情なやすらりと拔て島田わげ。根よりふつつと切取て懷迄を引さらへ。いづく共なく逃行し



ハヅミフシ

無法無息ぞ是非もなき。




ノウ憎や腹立や。何者かむごたらしう髪切て。書た物迄取ていんだ。櫛かうがいの盗人なら。いつそ殺して/\と泣さけぶ。聲に驚義平は思はずかけ出しが。ハア爰が男の魂の亂口よと喰しばり。ためらふ中に奧よりも。




御亭主/\。




義平殿と立出る由良助。




段々御深切の御馳走。お禮は鎌倉より申越ん。猶跡荷物の義。早飛脚を以てお頼申。夜の明ぬ中早お暇。いか樣。今暫し共申されぬ刻限。道中御堅勝で。御吉左右を相待まする。着致さば早速書翰を以ておしらせ申そふ。返す%\も此度のお世話。詞でお禮は云盡されませぬ。ソレ矢間大鷲御亭主へ置土産。




はつと文吾十太郎。扇を時の白臺と乘て出たる一包。




是は貴公へ是は又。御内室おその殿へ。




左少ながらと指出す。




義平はむつと顏色かはり。




詞でいはれぬ禮と有ば。イヤコレ禮物受ふと存じ。命がけのお世話は申さぬ。町人と見侮り。小判で耳で面はるのか。イヤ我々は娑婆の暇。貴殿は殘る此世の宿縁。御臺かほよ御前の義も御頼申さん爲。




寸志計と云殘し。



フシ

表へ出れば猶むつと。




性根魂を見ちがへたか。踏付た仕方あたいま/\し。




穢はしと包し進物蹴飛せば。包ほどけて内よりばらり女房 かけ寄。




コレ是はわしが櫛かうがい切れた髪。ヤア/\/\此一包は去状。ホイ扨は最前切たのは。ホウ此由良助が大鷲文吾を裏道より廻らせ。根よりふつつと切した心は。いかな親でも尼法師を。嫁らそふ共いふまいし。嫁に取者は猶有まい。其髪の延る間も凡百日。我々本望遂るも百日は過さじ。討課せた後めで度祝言。其時には櫛かうがい。其切髪を添に入。




かうがい髷の三國一先夫迄は尼の乳母。




一季半季の奉公人。其肝煎は大鷲文吾同矢間十太郎。




此兩人が連中へ大事は洩ぬといふ請判。由良助は冥途から仲人致さん義平殿。




ハアヽ重々のお志。お禮申せ女房。




わたしが爲には命の親。




イヤお禮に及ばず。返禮と申も九牛が一毛。義平殿にも町人ならずば。倶に出達とのお望幸かな。兼て夜討と存れば。敵中へ入込時。貴殿の家名の天河屋を直に夜討の合詞。天とかけなば河とこたへ。




四十人餘の諸共が。天よ。河よと申なら。




貴公も夜討にお出も同前。義平の義の字は義臣の義の字。平はたいらか輙く本望。




早お暇と。立出る。末世に天を山といふ。由良助が孫呉の術。忠臣藏共いひはやす。娑婆の言葉の定めなきわかれ別れて。



三重

いでゝゆく

第十一




柔能剛をせいし弱能強をせいするとは。張良に石公が傳へし秘法なり。鹽冶判官高定の家臣。大星由良助是を守つて。既に一味の勇士四十餘騎獵船に取乘て。苫ふか%\と稻村が崎の油斷を頼にて。



フシ

岸の岩根に漕寄て。



コハリ

先づ一番に打上るは。大星由良助義金。二番目は原郷右衞門。第三番目は大星力彌。



ナヲス

跡に續て竹森喜多八片山源太。先手跡舟段々に烈を亂さず



コハリ

立出る。奥山孫七次田五郎。着たる羽織の合印。いろはにほへと



フシ

と立ならぶ。




勝田早見遠の森。音に聞へし片山源五。大鷲源吾かけやの大槌引さげ/\。




吉田岡崎ちりぬるをわか手は小寺立川甚兵衞。不破前原深川彌次郎。




得たる半弓手挾で。上るは川瀬忠太夫



フシ

空に輝く。大星瀬平。よたれ。そつねならむうゐの。奥村岡野小寺が嫡子。中村矢島牧平賀やまけふこえて。朝霧の



フシ

立並びたる蘆野や菅野。




千葉に村松村橋傳治。鹽田赤根は長刀構へ。



江戸

中にも磯川十文字。遠松杉野三村の次郎。木村は用意の繼梯子。千崎彌五郎



ナヲス

堀井の彌惣。同彌九郎遊所の酒にゑひもせぬ。



コハリ

由良助が智略にて八尺計の大竹に。弦をかけてぞ持たりける。後陣は矢間十太郎。遙跡より



ナヲス

身を卑下し。出るは寺岡平右衞門。假名實名袖印



フシ

其數四十六人なり。




鎖袴に黒羽織忠義の胸當。出揃ふ。げに忠臣のかな手本義心の手本義平が家名。




天と河との合詞忘るな兼ての云合。矢間千崎小寺の面々。力彌を始とし表門 より入/\/\。郷右衞門と某は裏門より込入て。




相圖の笛を吹ならば時分はよしと乘込よ。取べき首は只一つと。由良助に下知せられ怒の眼一時に。舘を遙に睨付裏と表へ。



三重

別れ行。



フシ

かくとはしらず。




高武藏守師直は。由良助が放埓に心もゆるむ油斷酒。藝子遊女に舞諷はせ。藥師寺を上客にて身の程しらぬ大騒。果はざこ寢の不行義に前後もしらぬ寢入ばな。非常を守る番人の



フシ

柝のみぞ殘りける。




表裏一度に手筈を極め。矢間千崎不敵の二人。表門に忍び寄内の樣子を窺へば。夜廻りと思しき柝遠音をさせば能折と。例の嗜む繼梯子。高塀に打かけ/\雲井迄もとさゝがにの登課せた塀の屋根。早柝の近付音ひらりとおりるを見付し番人。スハ何者とかけ寄を取て引ぷせ高手小手。よい案内と息をとめ繩先腰に引かけて。柝奪ひかつちかち。役所/\を打廻り窺ひ廻るぞ。



フシ

不敵なる。




早裏門に呼子の笛。時分はよしと兩人は。柝合せて天河と。貫の木はづして大門をくはらりとひらけば力彌を始め。杉野木村三村の一黨我も/\と込入て。見れば一面雨戸のかため父が教し雪折は。爰ぞと下知して丸竹に。絃をかけたを雨戸の鴨居。敷居にはさんで一時に。ひいふう三つの拍子にてかけたる弦をてうど切ば。鴨居はあがり敷居はさがり雨戸はづれてばた/\/\。そりや乘込と天河の



フシ

聲ひゞかして亂入る。




スハ夜討ぞと松明挑燈裏門よりも込入て。一方は郷右衞門一方は由良助。床几にかゝつ て下知をなす。小勢なれ共寄手は今宵必死の勇者。秘術を盡せば由良助




餘の者に目なかけそ只師直を討取と。




郷右衞門諸共に八方に下知すれば。はやりをの若者共もみ立/\。



三重

切結ぶ。




北隣は仁木播磨守南隣は石堂右馬の丞。兩隣より何事かと家の棟に武者を上



フシ

挑燈星のごとくにて。




ヤア/\御屋敷騒動の聲太刀音矢叫び事さはがしく。狼藉か盗賊か。




但非常の沙汰なるか。承り屆けよと。主人申付られしと



フシ

高らかに呼はつたり。




由良助取あへず。




是は鹽冶判官が家來の者共。主君の怨を報はん爲。四十餘人の者共が千變萬化の戰ひ。かく申は大星由良助原郷右衞門。尊氏御兄弟へお恨なし。元來兩隣仁木石堂殿へ何の遺恨も候はねば。率爾致さん樣もなし。火の用心は堅く申付たれば。是以て御用心に及ばぬ事。只穩便に捨置れよ。夫迚も隣家の事聞捨ならず加勢あらば。力なく一矢仕らんと高聲に答たり。




兩家の人々聞屆御神妙/\。我人主人持たる身は尤斯こそ有べけれ。御用あらば承はらん挑燈引と一時に。靜返つて扣へける。




一時計の戰ひに寄手は僅二三人。薄手を負たる計にて敵の手負は數しれず。され共大將師直とおぼしき者もなき所に。足輕寺岡平右衞門。舘の内を飛廻り。




部屋%\は勿論上は天井下は簀子。井の内迄鑓を入てさがせ共師直が行衞知ず。寢間とおぼきし所を見れば。夜着蒲團の温り。此寒夜にさめざるは逃て間なしと覺へたり。




表の方が氣づかはしとかけ行を。 ヤレ平右衞門待々と。矢間十太郎重行。師直を宙に引立てコレ/\何れも。




柴部屋に隱れしを見付出して生捕しと。




聞より大勢花に露いき/\勇で由良助。




ヤレでかされた手柄/\。去ながらうかつに殺すな。假にも天下の執事職。殺すにも禮義有と。




請取て上座にすへ。




我々陪臣の身として。御舘へふん込狼藉仕るも主君の怨を報じたさ。慮外の程御赦し下され。御尋常に御首を給はるべしと相述れば。




師直も遉のゑせ者わろびれもせず。ヲヽ尤々。




覺悟は兼てサア首取と。




油斷さして拔打にはつしと切引はづして腕捻上。




ハアヽしほらしき御手向ひ。サアいづれも。日比の欝憤此時と。




由良助が初太刀にて四十餘人が聲々に。浮木にあへる盲龜は是。三千年の優曇花の花を見たりや嬉しやと。踊上り飛上り筐の刀で首かき落し。悦びいさんで舞も有。妻を捨子に別れ老たる親を失ひしも。此首一つ見ん爲よけふはいか成吉日ぞと。首を擲つ喰付つ一同にわつと嬉し



フシ

泣理り過て哀なり。




由良助は懷中より亡君の位牌を出し。床の間の卓に乘奉り。師直が首血潮を清め手向申。兜に入し香をたき



フシ

さすつて。三拜九拜し。




恐ながら。亡君尊靈蓮性院見利大居士へ申上奉。




去御切腹の其折から。跡弔へと下されし九寸五分にて。師直が首かき落し。御位牌に手向奉る。




草葉のかげにて御請取下さるべしと



スヱ

涙と。倶に禮拜し。




いさ/\御一人づゝ御燒香。先惣大將なれば御自分樣より。イヤ拙者より先 さきへ。矢間十太郎殿御燒香なされ。イヤ/\夫は存も寄ず。いづれもの手前と申。御贔屓は却て迷惑。イヤ贔屓でござらぬ。四十人餘の衆中が師直が首取んと。一身を拠中に貴殿一人。柴部屋より見付出し生捕になされたは。よく/\主君鹽冶尊靈の。お心に叶ひし矢間殿。お羨しう存る。何といづれも。御尤に存まする。夫は何共。ハテ扨刻限が延ます。




然らば御免と



フシ

一の燒香。




二番目は由良殿。いさ御立とすゝむれば。




イヤまだ外に燒香の致し人有。そりや何者誰人と。




とへば大星懷中より碁盤嶋の財布取出し。




是が忠臣二番目の燒香。早の勘平がなれの果。其身は不義の誤りから一味同心も叶はず。せめては石牌の連中にと女房賣て金調へ。其金故に舅は討れ金は戻され。詮方なく腹切て相果し。其時の勘平が心嘸無念に有ふ口惜からふ金戻したは由良助が一生の誤り。不便な最後を遂さしたと。片時忘れず肌放さず。今宵夜討も財布と同道。平右衞門そちが爲には妹聟。




燒香させよと投やれば。ハヽヽヽヽはつと押戴/\。草葉のかげより嘸有がたう存ましよ。冥加に餘る仕合と。財布を香爐の上に着。




二番の燒香早の勘平重氏と。




高らかに呼はりし。聲も涙に震はすれば。列座の人も殘念の



フシ

胸も。張裂計なり。




思ひがけなや人馬の音。山谷にひゞく攻太鼓



フシ

鬨をどつとぞ上にける。




由良助ちつ共騒がず。




扨は師直が一家の武士取かけしと覺たり。




罪つくりに何かせんと覺悟の所へ。 桃井若挾助おくればせにかけ付給ひ。




ヤア/\大星。今表門より攻かけたは。師直が弟師安。此所で腹切ては。敵に恐れしと後代迄の譏。鹽冶殿の御菩提所光明寺へ立退べしと。




仰にはつと由良助。




いか樣最期を遂る共。亡君の墓の前。仰に從ひ立退申さん。御殿頼上ると。




いふ間もあらせずいづくに忍び居たりけん。藥師寺次郎鷺坂伴内。おのれ大星遁さじと右往左往に討てかゝる。力彌すかさず請ながし/\。




暫時が内は討合しが。はづみを打てうつ太刀に。




袈裟にかけられ藥師寺最期。かはす二の太刀足切れ尾にもつがれず鷺坂伴内。其儘息はたへにける。




ヲヽ手柄/\と稱美の詞。末世末代傳ふる義臣是もひとへに君が代の。久しき例竹の葉の榮を。爰に書殘す

寛延元年辰八月十四日

作者 竹田出雲

三好松洛

並木千柳

右之本頌句音節墨譜等令加筆候師若鍼弟子如縷囘吾儕取傳泝先師之源幸甚竹本筑後掾高弟

予以著述之原本校合一過可爲正本者也竹田因幡掾清宜
京二條通寺町西 入丁                  山本九兵衞版
大坂北久太郎町中橋筋                  吉川宗兵衞版
江戸大傳馬町三丁目                  鱗形屋孫兵衞版