[2-1 僧都、小野山荘へ下山]
うちはへかく扱ふほどに、四、五月も過ぎぬ。いとわびしうかひなきことを思ひわびて、僧都の御もとに、
「なほ下りたまへ。この人、助けたまへ。さすがに今日までもあるは、死ぬまじかりける人を、憑きしみ領じたるものの、去らぬにこそあめれ。あが仏、京に出でたまはばこそはあらめ、ここまではあへなむ」
など、いみじきことを書き続けて、奉りたまへれば、
「いとあやしきことかな。かくまでもありける人の命を、やがてとり捨ててましかば。さるべき契りありてこそは、我しも見つけけめ。試みに助け果てむかし。それに止まらずは、業尽きにけりと思はむ」
とて、下りたまひけり。
よろこび拝みて、月ごろのありさまを語る。
「かく久しうわづらふ人は、むつかしきこと、おのづからあるべきを、いささか衰へず、いときよげに、ねぢけたるところなくのみものしたまひて、限りと見えながらも、かくて生きたるわざなりけり」
など、おほなおほな泣く泣くのたまへば、
「見つけしより、珍かなる人のみありさまかな。いで」
とて、さしのぞきて見たまひて、
「げに、いと警策なりける人の御容面かな。功徳の報いにこそ、かかる容貌にも生ひ出でたまひけめ。いかなる違ひめにて、そこなはれたまひけむ。もし、さにや、と聞き合はせらるることもなしや」
と問ひたまふ。
「さらに聞こゆることもなし。何か、初瀬の観音の賜へる人なり」
とのたまへば、
「何か。それ縁に従ひてこそ導きたまはめ。種なきことはいかでか」
など、のたまふが、あやしがりたまひて、修法始めたり。
[2-2 もののけ出現]
「朝廷の召しにだに従はず、深く籠もりたる山を出でたまひて、すぞろにかかる人のためになむ行ひ騷ぎたまふと、ものの聞こえあらむ、いと聞きにくかるべし」と思し、弟子どもも言ひて、「人に聞かせじ」と隠す。僧都、
「いで、あなかま。大徳たち。われ無慚の法師にて、忌むことの中に、破る戒は多からめど、女の筋につけて、まだ誹りとらず、過つことなし。六十に余りて、今さらに人のもどき負はむは、さるべきにこそはあらめ」
とのたまへば、
「よからぬ人の、ものを便なく言ひなしはべる時には、仏法の瑕となりはべることなり」
と、心よからず思ひて言ふ。
「この修法のほどにしるし見えずは」
と、いみじきことどもを誓ひたまひて、夜一夜加持したまへる暁に、人に駆り移して、「何やうのもの、かく人を惑はしたるぞ」と、ありさまばかり言はせまほしうて、弟子の阿闍梨、とりどりに加持したまふ。月ごろ、いささかも現はれざりつるもののけ、調ぜられて、
「おのれは、ここまで参うで来て、かく調ぜられたてまつるべき身にもあらず。昔は行ひせし法師の、いささかなる世に恨みをとどめて、漂ひありきしほどに、よき女のあまた住みたまひし所に住みつきて、かたへは失ひてしに、この人は、心と世を恨みたまひて、我いかで死なむ、と言ふことを、夜昼のたまひしにたよりを得て、いと暗き夜、独りものしたまひしを取りてしなり。されど、観音とざまかうざまにはぐくみたまひければ、この僧都に負けたてまつりぬ。今は、まかりなむ」
とののしる。
「かく言ふは、何ぞ」
と問へば、憑きたる人、ものはかなきけにや、はかばかしうも言はず。
[2-3 浮舟、意識を回復]
正身の心地はさはやかに、いささかものおぼえて
見回したれば、一人見し人の顔はなくて、皆、老法師、ゆがみ衰へたる者のみ多かれば、知らぬ国に来にける心地して、いと悲し。
ありし世のこと思ひ出づれど、住みけむ所、誰れと言ひし人とだに、たしかにはかばかしうもおぼえず。ただ、
「我は、限りとて身を投げし人ぞかし。いづくに来にたるにか」とせめて思ひ出づれば、
「いといみじと、ものを思ひ嘆きて、皆人の寝たりしに、妻戸を放ちて出でたりしに、風は烈しう、川波も荒う聞こえしを、独りもの恐ろしかりしかば、来し方行く先もおぼえで、簀子の端に足をさし下ろしながら、行くべき方も惑はれて、帰り入らむも中空にて、心強くこの世に亡せなむと思ひ立ちしを、『をこがましうて人に見つけられむよりは、鬼も何も食ひ失へ』と言ひつつ、つくづくと居たりしを、いときよげなる男の寄り来て、『いざ、たまへ。おのがもとへ』と言ひて、抱く心地のせしを、宮と聞こえし人のしたまふ、とおぼえしほどより、心地惑ひにけるなめり。知らぬ所に据ゑ置きて、この男は消え失せぬ、と見しを、つひにかく本意のこともせずなりぬる、と思ひつつ、いみじう泣く、と思ひしほどに、その後のことは絶えて、いかにもいかにもおぼえず。
人の言ふを聞けば、多くの日ごろも経にけり。いかに憂きさまを、知らぬ人に扱はれ見えつらむ、と恥づかしう、つひにかくて生き返りぬるか」
と思ふも口惜しければ、いみじうおぼえて、なかなか、沈みたまひつる日ごろは、うつし心もなきさまにて、ものいささか参る事もありつるを、つゆばかりの湯をだに参らず。
[2-4 浮舟、五戒を受く]
「
いかなれば、かく頼もしげなくのみはおはするぞ。うちはへぬるみなどしたまへることは冷めたまひて、さはやかに見えたまへば、うれしう思ひきこゆるを」
と、泣く泣く、たゆむ折なく添ひゐて扱ひきこえたまふ。ある人びとも、あたらしき御さま容貌を見れば、心を尽くしてぞ惜しみまもりける。心には、「なほいかで死なむ」とぞ思ひわたりたまへど、さばかりにて、生き止まりたる人の命なれば、いと執念くて、やうやう頭もたげたまへば、もの参りなどしたまふにぞ、なかなか面痩せもていく。いつしかとうれしう思ひきこゆるに、
「尼になしたまひてよ。さてのみなむ生くやうもあるべき」
とのたまへば、
「いとほしげなる御さまを。いかでか、さはなしたてまつらむ」
とて、ただ頂ばかりを削ぎ、五戒ばかりを受けさせたてまつる。心もとなけれど、もとよりおれおれしき人の心にて、えさかしく強ひてものたまはず。僧都は、
「今は、かばかりにて、いたはり止めたてまつりたまへ」
と言ひ置きて、登りたまひぬ。
[2-5 浮舟、素性を隠す]
「夢のやうなる人を見たてまつるかな」と尼君は喜びて、せめて起こし据ゑつつ、御髪手づから削りたまふ。さばかりあさましう、ひき結ひてうちやりたりつれど、いたうも乱れず、解き果てたれば、つやつやとけうらなり。
一年足らぬ九十九髪多かる所にて、目もあやに、いみじき天人の天降れるを見たらむやうに思ふも、危ふき心地すれど、
「などか、いと心憂く、かばかりいみじく思ひきこゆるに、御心を立てては見えたまふ。いづくに誰れと聞こえし人の、さる所にはいかでおはせしぞ」
と、せめて問ふを、いと恥づかしと思ひて、
「あやしかりしほどに、皆忘れたるにやあらむ、ありけむさまなどもさらにおぼえはべらず。ただ、ほのかに思ひ出づることとては、ただ、いかでこの世にあらじと思ひつつ、夕暮ごとに端近くて眺めしほどに、前近く大きなる木のありし下より、人の出で来て、率て行く心地なむせし。それより他のことは、我ながら、誰れともえ思ひ出でられはべらず」
と、いとらうたげに言ひなして、
「世の中に、なほありけりと、いかで人に知られじ。聞きつくる人もあらば、いといみじくこそ」
とて泣いたまふ。あまり問ふをば、苦しと思したれば、え問はず。かぐや姫を見つけたりけむ竹取の翁よりも、珍しき心地するに、「いかなるものの隙に消え失せむとすらむ」と、静心なくぞ思しける。
[2-6 小野山荘の風情]
この主人もあてなる人なりけり。娘の尼君は、上達部の北の方にてありけるが、その人亡くなりたまひてのち、娘ただ一人をいみじくかしづきて、よき君達を婿にして思ひ扱ひけるを、その娘の君の亡くなりにければ、心憂し、いみじ、と思ひ入りて、形をも変へ、かかる山里には住み始めたりけるなり。
「世とともに恋ひわたる人の形見にも、思ひよそへつべからむ人をだに見出でてしがな」、つれづれも心細きままに思ひ嘆きけるを、かく、おぼえぬ人の、容貌けはひもまさりざまなるを得たれば、うつつのことともおぼえず、あやしき心地しながら、うれしと思ふ。ねびにたれど、いときよげによしありて、ありさまもあてはかなり。
昔の山里よりは、水の音もなごやかなり。造りざま、ゆゑある所、木立おもしろく、前栽もをかしく、ゆゑを尽くしたり。秋になりゆけば、空のけしきもあはれなり。門田の稲刈るとて、所につけたるものまねびしつつ、若き女どもは、歌うたひ興じあへり。引板ひき鳴らす音もをかしく、見し東路のことなども思ひ出でられて。
かの夕霧の御息所のおはせし山里よりは、今すこし入りて、山に片かけたる家なれば、
松蔭茂く、風の音もいと心細きに、つれづれに行ひをのみしつつ、いつとなくしめやかなり。
[2-7 浮舟、手習して述懐]
尼君ぞ、月など明き夜は、琴など弾きたまふ。少将の尼君などいふ人は、琵琶弾きなどしつつ遊ぶ。
「かかるわざはしたまふや。つれづれなるに」
など言ふ。昔も、あやしかりける身にて、心のどかに、「さやうのことすべきほどもなかりしかば、いささかをかしきさまならずも生ひ出でにけるかな」と、かくさだ過ぎにける人の、心をやるめる折々につけては、思ひ出づるを、「あさましくものはかなかりける」と、我ながら口惜しければ、手習に、
「身を投げし涙の川の早き瀬を
しがらみかけて誰れか止めし」
思ひの外に心憂ければ、行く末もうしろめたく、疎ましきまで思ひやらる。
月の明かき夜な夜な、老い人どもは艶に歌詠み、いにしへ思ひ出でつつ、さまざま物語などするに、いらふべきかたもなければ、つくづくとうち眺めて、
「我かくて憂き世の中にめぐるとも
誰れかは知らむ月の都に」
今は限りと思ひしほどは、恋しき人多かりしかど、こと人びとはさしも思ひ出でられず、ただ、
「親いかに惑ひたまひけむ。乳母、よろづに、いかで人なみなみになさむと思ひ焦られしを、いかにあへなき心地しけむ。いづくにあらむ。我、世にあるものとはいかでか知らむ」
同じ心なる人もなかりしままに、よろづ隔つることなく語らひ見馴れたりし右近なども、折々は思ひ出でらる。
[2-8 浮舟の日常生活]
若き人の、かかる
山里に、今はと思ひ絶え籠もるは、難きわざなりければ、ただいたく年経にける尼、七、八人ぞ、常の人にてはありける。それらが娘孫やうの者ども、京に宮仕へするも、異ざまにてあるも、時々ぞ来通ひける。
「かやうの人につけて、見しわたりに行き通ひ、おのづから、世にありけりと誰にも誰にも聞かれたてまつらむこと、いみじく恥づかしかるべし。いかなるさまにてさすらへけむ」
など、思ひやり世づかずあやしかるべきを思へば、かかる人びとに、かけても見えず。ただ侍従、こもきとて、尼君のわが人にしたりける二人をのみぞ、この御方に言ひ分けたりける。みめも心ざまも、昔見し
都鳥に似たるはなし。何事につけても、「
世の中にあらぬ所はこれにやあらむ」とぞ、かつは思ひなされける。
かくのみ、人に知られじと忍びたまへば、「まことにわづらはしかるべきゆゑある人にもものしたまふらむ」とて、詳しきこと、ある人びとにも知らせず。
3 浮舟の物語 中将、浮舟に和歌を贈る