Title: Shin gosen wakashu
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Title: Kokka taikan
Author: Anonymous
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Title: Library of Congress Subject Headings
14th century Japanese fiction poetry masculine/feminine LCSH 11/2002
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11/2002
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新後撰和歌集

新後撰和歌集卷第一
春歌上

前大納言爲氏

ふる年に春立ちける日詠み侍りける


佐保姫の霞の衣ふゆかけて雪げのそらにはるは來にけり




常磐井入道前太政大臣

道助法親王の家に五十首の歌よみ侍りけるに、初春の心を


降る雪は今年もわかず久堅の空に知られぬ春や來ぬらむ




後一條入道前關白左大臣

題志らず


春立つと霞みにけりな久堅の天のいは戸のあけぼのゝ空




從二位家隆


昨日まで故郷近くみよしのゝやまも遙かに霞むはるかな




藤原清輔朝臣

久安六年崇徳院に百首の歌奉りける時


いつしかと霞まざりせば音羽山音計りにや春を聞かまし




辨内侍

寳治二年後嵯峨院に百首の歌奉りける時、山霞


石上ふるの山邊も春來ぬとかすみや空に立ちかへるらむ




土御門院御製

春風春水一時來といへる心をよませ給ひける


時わかぬ嵐も波もいかなれば今日あら玉の春を知るらむ




正三位知家

名所の百首の歌奉りける時


氷柱ゐし岩間の波の音羽川今朝吹くかぜに春や立つらむ




院御製

初春の心を


春やときかすみや遲きけふもなほ昨日のまゝの嶺の白雪




前中納言定家

春の歌の中に


春や疾き谷の鶯打ち羽ぶきけふしら雪のふる巣出づなり




左京大夫顯輔

久安百首の歌奉りける時


打ち靡き春立ちきぬと鶯のまださと馴れぬ初音なくなり




後鳥羽院御製

百首の歌よませ給ひけるに、鶯


春來ぬと誰れかは告げし春日山消えあへぬ雪に鶯の鳴く




藤原信實朝臣

道助法親王の家の五十首の歌の中に、雪中鶯


まだ咲かぬ軒端のうめに鶯の木傳ひ散らす春のあわゆき




山階入道左大臣

建長六年三首の歌合に、鶯


淺縁四方の梢は霞めどもかくれぬものはうぐひすのこゑ




源俊頼朝臣

山家鶯といふ事を


鶯の來鳴かざりせば山里に誰れとかはるの日を暮さまし




寂蓮法師

鶯をよみ侍りける


窓近き竹のさ枝にきこゆなり花まつ程のうぐひすのこゑ




前大納言爲家

弘長元年後嵯峨院に百首の歌奉りける時、春雪


先づ咲ける花とやいはむうち渡す遠方のべの春のあわ雪




太上天皇

題志らず


春くれば雪とも見えず大ぞらの霞を分けて花ぞ散りぬる




式乾門院御匣


高砂の尾上の霞立ちぬれどなほふりつもる松のしらゆき




從二位家隆


天の原空行く風の猶さえてかすみにこほる春のよのつき




光明峯寺入道前攝政左大臣

餘寒氷を


山川に冬の志がらみかけとめて猶風寒くこほるはるかな




後京極攝政前太政大臣

春の歌の中に


鶯の鳴きにし日よりやま里の雲間の草もはるめきにけり




入道前太政大臣

百首の歌奉りし時、若菜


今よりは若菜つむべき古里のみかきが原に雪はふりつゝ




前大納言爲世

雪中若菜といへる心を


消えず共野原の雪を踏分けてわが跡よりや若菜つまゝし




光明峰寺入道前攝政左大臣

岡若菜を


若菜摘む衣手濡れて片岡のあしたの原にあわゆきぞ降る




前大納言爲氏

寳治二年後嵯峨院に百首の歌奉りける時、澤若菜


里人に山澤水の薄ごほりとけにし日よりわかなつみつゝ




辨内侍


袖濡らす野澤の水に影見れば獨りは摘まぬ若菜なりけり




二品法親王覺助

百首の歌奉りし時、若菜


今は早若菜摘むらしかげろふのもゆる春日の野邊の里人




前中納言定家

朝若菜を


霞立ち木の芽春雨昨日までふる野の若菜けさは摘みてむ




法皇御製

百首の歌よませ給ひける時、霞


山風はなほ寒からし三吉野の吉野の里はかすみそむれど




衣笠内大臣

弘長元年百首の歌奉りける時、同じ心を


立昇る雲もおよばぬ富士の嶺に烟をこめてかすむ春かな




前參議雅有

弘安元年百首の歌奉りし時


よそにみし雲もさながら埋もれて霞ぞかゝる葛城のやま




前大納言爲家

文永二年七月白河殿にて人々題を探りて七百首の歌つかうまつりける時、橋霞を


にほの海や霞みて暮るゝ春の日に渡るも遠し瀬多の長橋




順徳院御製

題志らず


難波潟月の出しほの夕なぎに春のかすみの限りをぞ知る




前大納言爲氏

弘長元年百首の歌奉りける時


難波潟かりふく芦の八重がすみひまこそなけれはるの曙




冷泉太政大臣

建長年詩歌を合せられけるに、江上春望

漕ぎ出づる入江の小舟ほの%\と浪間にかすむはるの曙




權中納言公雄

百首の歌奉りし時、霞を


渡の原霞める程をかぎりにて遠きながめにかゝるしら波




太上天皇

河霞といふ事をよませ給うける


音はしていざよふ浪もかすみけり八十うぢ川のはるの曙




入道前太政大臣

弘安元年百首の歌奉りし時


たをやめの柳のかづら春かけて玉のかざしに貫ける白露




藤原光俊朝臣

鷹司院の屏風に


峰の雪は霞みもあへぬ山里に先づ咲くものと匂ふ梅が枝




皇太后宮大夫俊成

高倉院位におましましける時、家の梅をめされけるに奉るとて結びつけ侍りける


九重に匂ふとならば梅の花やどの木ずゑに春を知らせよ




後京極攝政前太政大臣

文治六年女御入内の屏風に


梅の花匂ふ野邊にてけふ暮れぬやどの梢を誰れ尋ぬらむ




今上御製

人々に百首の歌めされし序でに、簷梅


木の本はやがて軒端に近ければ風の誘はぬ梅が香ぞする




藤原爲藤朝臣

百首の歌奉りし時、梅


誘はるゝ人やなからむ梅の花匂ひはよその知べなれども




少將内侍

建長六年三首の歌合に、同じ心を


折りてみる色よりもなほ梅の花深くぞ袖の香は匂ひける




法皇御製

題志らず


折らば又匂や散らむ梅の花立ちよりてこそ袖にうつさめ




正三位知家

光明峰寺入道前攝政の家の歌合に、霞中歸雁


思ひたつ程は雲居に行くかりの故郷遠くかすむそらかな




前大僧正慈鎭

關路歸雁といへる心を


歸る雁心のまゝに過ぎぬなり關のほかなる雲のかよひ路




藻壁門院少將

春の歌の中に


わきてなほ越路の空や霞むらむ歸る跡なき春のかりがね




後嵯峨院御製

文治二年七月白河殿にて人々題を探りて七百首の歌つかうまつりける序でに、花下忘歸といふ事を


皆人の家路わするゝ花ざかりなぞしも歸る春のかりがね




前大納言爲家

弘長元年百首の歌奉りけるとき、春雨


たをやめの袖も干しあへず飛鳥川たゞ徒らに春雨ぞ降る




參議雅經

建暦二年内裏の詩歌合に


春來ても誰れかは訪はむ花咲かぬ槇のを山の明ぼのゝ空




衣笠内大臣

題志らず


春霞立つを見しよりみよし野の山の櫻を待たぬ日はなし




西行法師


芳野山人に心をつげがほに花よりさきにかゝるしらくも




後徳大寺左大臣

後法性寺入道前關白右大臣に侍りける時、家に百首の歌よみ侍りけるによみて遣しける、櫻


けふも亦花まつほどの慰めに眺めくらしつ峯のしらくも




前關白太政大臣

待花といふ事を


靜なる老の心のなぐさめにありしよりけに花ぞ待たるゝ




從三位頼政

二月の廿日餘りの頃大内の花見せよと小侍從申しければいまだ開けぬ枝に附けて遣しける


思ひやれ君が爲にとまつ花の咲きも果てぬにいそぐ心を




小侍從

返し


逢事を急がざりせば咲遣らぬ花をば暫し待ちもしてまし




前大納言良教

霞中花


いつしかと花のした紐とけにけり霞の衣たつと見しまに




前中納言爲兼

弘安元年百首の歌奉りし時


山櫻はや咲きにけり葛城やかすみをかけて匂ふはるかぜ




大藏卿隆博

院、みこの宮と申しける時三首の歌合に、霞間山花とふ事を


待たれつる尾上の櫻いろ見えて霞の間より匂ふしらくも




前關白太政大臣

春の歌の中に


三笠山高嶺の花や咲きぬらむふりさけ見ればかゝる白雲




中務卿宗尊親王


音羽山花咲きぬらし逢坂のせきのこなたに匂ふはるかぜ




前參議能清

中務卿宗尊親王の家の歌合に、花


けふも亦同じ山路に尋ね來て昨日は咲かぬ花を見るかな




西園寺入道前太政大臣

雲居寺の花見るべき由按察使隆衡申しけるに罷らず侍りけるを恨みければ遣しける


をり知れば心や行きてながむべき雲居る峰に待ちし櫻を




按察使隆衡

返し


通ふらむ心の色を花に見て恨みも果てじはるのやまざと




從二位家隆

千五百番歌合に


散りなれし梢はつらし山櫻はるしり初むる花をたづねむ




新後撰和歌集卷第二
春歌下

常磐井入道前太政大臣

弘長元年百首の歌奉りける時、花


眺むれば四方の白雲かゝらくの初瀬の山は花にほふらし




藤原隆信朝臣

正治二年後鳥羽院に百首の歌奉りける時


葛城や高間の山の峯つゞき朝居るくもやさくらなるらむ




太上天皇

題志らず


吉野山をのへの櫻咲きぬれば絶えずたなびくはなの白雲




前大納言爲氏

弘長元年百首の歌奉りける時、花


山櫻咲ける咲かざるおしなべてさながら花と見ゆる白雲




前太政大臣

山階入道左大臣の家に十首の歌よみ侍りけるに、寄霞花といへる心を


山櫻匂ひを何につゝまゝしかすみのそでにあまる春かぜ




今上御製

山花をよませ給うける


吉野山空も一つに匂ふなりかすみの上のはなのしらくも




前關白太政大臣

百首の歌奉りし時、花


いづくより花とも分かむ山高み櫻につゞく峯のしらくも




天台座主道玄


白雲のかゝらざりせば山櫻かさねて花のいろをみましや




平貞時朝臣

同じ心を


山高み重なる雲の白妙にさくらもまがふはるのあけぼの




式乾門院御匣

從二位行家住吉の社にて歌合し侍りける時、松間花


見渡せば松の絶間に霞みけり遠里小野のはなのしらくも




萬里小路右大臣

寳治元年十首の歌合に、山花


芳野山みねにたなびく白雲の匂ふは花のさかりなりけり




山階入道左大臣


山かぜは心して吹け高砂の尾上のさくらいまさかりなり




從二位家隆

千五百番歌合に


久堅の光のどかに櫻ばな散らでぞにほふはるのやまかぜ




太上天皇

人々に百首の歌召されし序でに、花


吹く風も治まれと思ふ世中に絶えて櫻のさそはずもがな




院御製

位におましましける時うへの男子ども庭花盛久といふ事をつかうまつりける序でに


他よりも散らぬ日數や重ぬらむ我が九重の宿のさくらは




前關白太政大臣

花の歌の中に


哀にも昔のはるのおもかげを身さへ老木の花に見るかな




權中納言公雄


春雨のふるの山べの花みても昔をしのぶそではぬれけり




新院御製

三十首の歌よませ給うける時、見花


九重に春はなれにし櫻花かはらぬいろを見てしのぶかな




前大納言長雅

弘安元年百首の歌奉りし時


いつも唯花にまがへて眺めばや春のみ懸かる峰の雲かは




前大納言兼宗

山花似雲といへる心を


芳野山峰立ちかくす雲かとて花ゆゑ花をうらみつるかな




藤原光俊朝臣

光明峯寺入道前攝政の家の歌合に、雲間花


芳野山たなびく雲のとだえとも他には見えぬ花の色かな




寂蓮法師

守覺法親王の家に五十首の歌よみ侍りける時


木の本を尋ねぬ人や吉野山雲と はなのいろを見るらむ


前僧正公朝

花の比人の許に遣しける


思ひやる心の行きて手折るをば花の主人もえやは惜まむ




西行法師

題志らず


あくがるゝ心はさても山櫻散りなむ後や身にかへるべき




刑部卿頼輔


梓弓春の山風こゝろあらば散らさで花のありかしらせよ




從二位行家


山櫻またこと方に尋ね見ばわくるこゝろを花やうらみむ




前大納言爲家

寳治元年十首の歌合に、山花


老の身に苦しき山の坂越えて何とよそなる花を見るらむ




後鳥羽院下野


み吉野の奥まで花にそさはれぬかへらむ道の栞だにせで


權中納言定家

花の歌の中に


尋ね來て見ずば高嶺の櫻花けふも雲とぞなほおもはまし




後京極攝政前太政大臣


都には霞のよそにながむらむけふ見る峰のはなのしら雲




權中納言長方


いざさらば吉野の山の山守と花のさかりは人にいはれむ




前中納言定家

後京極攝政、左大將に侍りける時伊勢の勅使にて下り侍りけるに伴ひて鈴鹿の關を越ゆとて花の許におり居てよみ侍りける


えぞ過ぎぬこれや鈴鹿の關ならむふり捨て難き花の陰哉




俊惠法師

白川なる所に花見に罷りてよみ侍りける


歸らむとおもふ心のあらばこそ折りても花を家苞にせめ




隆信朝臣

花留客といふ事を


昨日けふ馴れぬる人の心をば花の散りなむ後ぞ見るべき




典侍親子朝臣

題志らず


咲きぬれば必ず花の折にとも頼めぬ人の待たれけるかな




前大納言爲世

百首の歌奉りし時、花


おのづから去年來て訪ひし人計り思出づやと花に待つ哉




法印

山家花を


訪ふ人は思ひ絶えたる山里に誰が爲とてか花も咲くらむ




津守國助


都人知らずやいかに山里の花よりほかにあるじありとは




祝部成茂

花下惜友といへる心を


又も來む春をや人に契らましことしに限る花のかげかは




信實朝臣

題志らず


長らへて又見むとのみ幾春の花にいのちを惜み來ぬらむ




月花門院


飽かずのみ見捨てゝ歸る櫻花散らぬもおなじ別なりけり




藻壁門院少將

前大納言爲家の家に百首の歌よみ侍りけるに


あだに咲くみねの梢の櫻花かぜ待つほどの雲かとぞ見る




鎌倉右大臣

春の歌の中に


葛城や高間の櫻ながむればゆふ居る雲にはるかぜぞふく




前大納言長雅

弘安元年百首の歌奉りし時


今は早散るとこたへばいかゞせむ人にもとはじ山の櫻を




法印定爲

題志らず


せめてなど散るを待つ間の程だにも移ろふ色の花に見ゆ覽




西行法師


何とかくあだなる花の色をしも心に深くおもひそめけむ




順徳院御製


春よりも花はいくかもなきものを強ひても惜め鶯のこゑ




常磐井入道前太政大臣


春霞又立ちかへり尋ね來む花はいくかもあらし吹くころ




法皇御製

百首の歌よませ給ひける時、花


春風に咲きぬる花の宮木もり心ゆるすなやどのさくらを




藤原爲通朝臣

花の歌の中に


櫻花よきてとおもふかひもなくこの一本も春かぜぞ吹く




右大臣

内裏に百首の歌奉りし時、折花


さても猶さそひやすると櫻花手折りてかぜの心をも見む




藤原爲景朝臣

落花


心から散るといふ名の惜しければ移ろふ花に風も厭はず




讀人志らず

題志らず


花だにもをしむとは知れ山櫻かぜは心のなきよなりとも




左京大夫顯輔

久安百首の歌奉りし時


命をぞ散る花よりも惜むべき流石に咲かぬ春しなければ




皇太后宮大夫俊成


櫻花思ふあまりに散る事の憂きをば風におほせつるかな




前僧正道性

花の歌の中に


散ればこそ風も誘へと思へ共花の憂きにはなさで見る哉




遊義門院


あだに散る程をもまたで櫻花つらくも誘ふ春のかぜかな




遊義門院權大納言

内裏に百首の歌奉りしとき、落花


憂しと思ふ風をぞやがて誘はるゝ散り行く花を慕ふ心は




典侍親子朝臣

弘安元年百首の歌奉りし時


何と又風吹く毎にうらみても花に知られぬもの思ふらむ




皇太后宮大夫俊成女

洞院攝政の家の百首の歌に、花


春來ても風より外は訪ふ人のなき山里に散るさくらかな




前内大臣

題志らず


あだなりやうはの空なる春風に誘はれやすきはなの心は




正三位經朝女


春毎にさそはれて行く花なれば櫻やかぜの宿り知るらむ




源兼氏朝臣


花の色をえやはとゞめむ相坂の關吹き越ゆるはるの嵐に




正三位重氏


瀧の上に落ち添ふ波はあらし吹くみ舟の山の櫻なりけり




前大納言忠良

正治二年十首の歌合に、落花


三吉野の花の白雪ふるまゝに梢のくもをはらふやまかぜ




院御製

同じ心をよませ給うける


嵐吹く木の本ばかり埋もれてよそに積らぬ花のしらゆき




醍醐入道前太政大臣

千五百番歌合に


花の散る山の高嶺の霞まずば曇らぬ空のゆきと見てまし




大藏卿有家


さらぬだに朧に見ゆる春の月散りかひくもる花の陰かな




常磐井入道前太政大臣

春の歌の中に


咲く花もおもひしよりは移ろひぬ夜のまの雨のはるの曙




從二位家隆


明日も猶消えずはあり共櫻花ふりだに添はむ庭の雪かは




前中納言爲兼

入道前關白の家にて庭落花といへる心をよみ侍りける


散る花を又吹き誘ふ春風に庭をさかりと見るほどもなし




前大納言實教

百首の歌奉りし時、花


行く春の日數ぞ花を誘ひける風ばかりとはなに恨むらむ




前中納言定家

百首の歌の中に


尋ねばや志のぶの奥のさくら花風に知られぬ色や殘ると




九條左大臣女

題志らず


散り果てし花より後の峯の雲忘れぬ色にのこるおもかげ




從二位顯氏

寳治二年百首の歌奉りし時、春月


村雲を何かは厭ふ夜半の月かすめるそらは絶間だになし




前大納言爲家

春曉月を


鐘の音は霞の底に明けやらで影ほのかなる春の夜のつき




尚侍藤原現子朝臣

百首の歌奉りし時、山吹


山吹のまがきに花の咲く比や井手の里人はるを知るらむ




崇徳院御製

百首の歌召しける時


山吹の花のゆかりに綾なくも井手の里人むつまじきかな




衣笠内大臣

題志らず


影見ゆる井手の河波はやけれど浮きて流れぬ山吹のはな




入道前太政大臣

百首の歌奉りし時、山吹


山吹の花の白露結ぼゝれいはぬも憂しやはるの名ごりは




平忠盛朝臣

春の歌の中に


春風は吹くとも見えず高砂のまつの梢にかゝるふぢなみ




前關白太政大臣


年を經てなほいく春も三笠山木高くかゝれ松のふぢなみ




順徳院御製

題志らず


影しあればをられぬ波もをられ鳬汀の藤の春のかざしに




前大納言爲世

院、位におはしましける時うへの男子ども、暮春曉月といふ事をつかうまつりけるに


つれなくて殘るならひを暮れて行く春に教へよ有明の月




從二位家隆

後京極攝政の家の六百番歌合に


嵐吹く花の梢のあと見えて春は過ぎ行く志賀のやまごえ




如願法師

暮春の心を


暮れて行く春の別はいかにぞと花を惜まぬ人にとはゞや




前大僧正隆辨


今も猶花には飽かで老が身に六十ぢ餘りの春ぞ暮れぬる




後嵯峨院御製


暮れて行く春の手向やこれならむけふ社花は幣と散けれ




權大納言公實

堀河院の御時百首の歌奉りける時


行く方も知られぬ春と知りながら心盡しのけふにも有哉




新後撰和歌集卷第三
夏歌

院御製

更衣の心をよませ給うける


立ち更ふる名殘や猶も殘るらむ花の香うすきせみの羽衣




順徳院御製

題志らず


山城の常磐のもりは名のみして下草いそぐ夏は來にけり




皇太后宮大夫俊成

住吉の社によみて奉りける百首の歌の中に


いかなれば日影の向ふあふひぐさ月の桂の枝をそふらむ




藤原爲藤朝臣

祭の使にて思ひつゞけ侍りける


今年とやちぎり置きけむ葵草わきて心にかけしかざしを




權大納言顯朝

夏の歌の中に


時鳥こと語らひしをりになど今年をいつと契らざりけむ




前大納言忠良

千五百番歌合に


忍び音をいづくに鳴きて郭公卯の花垣になほ待たるらむ




花山院内大臣

弘長二年十首の歌奉りける時、野郭公


尋ねつる小野の篠原しのび音もあまりほど經る時鳥かな




法性寺入道前關白太政大臣

題志らず


我れきゝて人に語らむこの里に先づ鳴き初めよやま郭公




前大納言爲世

百首の歌奉りし時、郭公


待たずとも我と鳴くべき夕暮をつれなくすぐす郭公かな




右大臣

内裏に百首の歌奉りしとき、待郭公


ふくる迄まつ夜の空の時鳥月にをしまぬひとこゑもがな




修理大夫顯季

追夜待時鳥といふことを


さてもなほ寐で幾夜にかなりぬらむ山郭公今や來鳴くと




前大納言經任

弘安八年八月十五夜三十首の歌奉りし時、曉待郭公


時鳥初音きかせよこれをだにおいの寐覺の思ひ出にせむ




院御製

題志らず


人をわく初音ならしを郭公我れにはなどか猶もつれなき




法皇御製

百首の歌よませ給ひける時、霍公


郭公何か心をつくすらむ我れきけとても鳴かぬものゆゑ




按察使實泰

同じ心を


待てとだにたのめもおかで時鳥いつまでさのみ心盡さむ




大藏卿隆博


立ち濡るゝ袖こそ干さね時鳥今もつれなき森のしづくに




平時村朝臣


強ひて待つ我が心こそ郭公來鳴かぬよりも強面かりけれ




前中納言定家

承久元年内裏の歌合に、曉時鳥


時鳥いづるあなしの山かづらいまや里人かけて待つらむ




藻壁門院少將

洞院攝政の家の百首の歌合に、郭公


心とはみ山も出でじ郭公待たれてのみぞはつ音なくなり




平宣時朝臣

夏の歌の中に


郭公我れに勝りて待つ人のあればやよそに初音鳴くらむ




法印覺寛

道助法親王の家の五十首の歌の中に、思郭公


待つ人をなど語らはで郭公ひとりしのびの岡に鳴くらむ




從二位行家

弘長元年百首の歌奉りける時、郭公


足びきの山郭公なきぬなりまたましものをあけぼのゝ空




藤原隆祐朝臣

題志らず


しがらきの外山の末の郭公誰が里ちかきはつねなくらむ




刑部卿頼輔

後法性寺入道前關白右大臣に侍りける時家に百首の歌よみ侍りけるに、郭公


他に先づ鳴きやしつらむ郭公我れは初音を聞くと思へど




平行氏

おなじ心を


いかになほ驚かれまし郭公待たれぬほどの初音なりせば




入道前太政大臣

院に三十首の歌奉りし時、聞郭公


里毎に名乘るはおなじ杜鵑聞く人からやはつねなるらむ




前大納言爲家

洞院攝政の家の百首の歌に、郭公


郭公おのがふる聲立ち歸りそのかみ山にいまなのるらむ




前中納言定家

正治二年十首の歌合に、おなじ心を


待ち明かすさよの中山なか/\にひと聲つらき郭公かな




讀人志らず

題志らず


待ち侘びてねぬ夜ながらも時鳥たゞ一聲は夢かとぞ聞く




權中納言長方


郭公雲居のよその一聲は聞かでやみぬといはぬばかりぞ




法印長舜

郭公何方といふ事を


時鳥今一聲を待ち得てや鳴きつるかたもおもひさだめむ




藤原雅孝朝臣


わきて先づ誰れに語らむ時鳥さだかなりつる夜半の一聲




源俊頼朝臣


子規音羽の山に聞きつとはまづあふ坂のひとにかたらむ




權中納言經平


鳴き捨てゝいなばの山の時鳥猶立ち歸りまつと知らなむ




宜秋門院丹後

千五百番歌合に


郭公なれもこゝろやなぐさまぬ姨捨山のつきに鳴く夜は




前左兵衛督教定

夏の歌の中に


待て暫し夜深きそらの時鳥まだ寐覺せぬひともこそあれ




尊治親王


時鳥すぎつる里のことゝはむ同じ寐覺のひともありやと




從三位氏久


おのづから鳴くも夜深き時鳥寐覺ならでは聞く人ぞなき




祝部成仲


郭公朝くら山のあけぼのに問ふ人もなき名のりすらしも




讀人志らず


郭公雲のいづくになくとだに知らで明けぬる短夜のそら




前大納言基良

寳治百首の歌奉りけるとき、聞郭公


郭公稀にも誰れか語らはむ己がなさけぞ身には知らるゝ




前大納言良教

弘安元年百首の歌奉りし時


我れ聞きて後は變らず時鳥むかしいかなること語りけむ




式子内親王

題志らず


昔思ふ花たちばなに音づれて物忘れせぬほとゝぎすかな




入道前太政大臣


五月まつおのが友とや郭公はなたちばなにこと語るらむ




前關白太政大臣


我れならで昔を忍ぶ人やあるとはな橘にことやとはまし




皇太后宮大夫俊成

千五百番歌合に


橘にあやめの枕匂ふよぞむかしをしのぶかぎりなりける




左京大夫顯輔

久安百首の歌奉りし時


隱沼に生ふる菖蒲もけふは猶尋ねて引かぬ人やなからむ




永福門院

中宮と申しける時五月五日菖蒲の根に添へて遊義門院に奉られける


かけて見よ君に心の深き江に引けるかひなき浮根なれ共




遊義門院

御返し


君が代の例なるまで長き根にふかき心のほどぞ見えける




前大納言爲家

寳治百首の歌奉りける時、早苗


道のべの山田のみしめ引きはへて長き日月の早苗とる也




信實朝臣

弘長元年百首の歌奉りける時、五月雨


早苗取る田子の小笠をその儘に脱がでぞ歸る五月雨の比




前大納言爲氏

弘長二年内裏の五十首の歌に、里郭公


今は又忍ぶの里の忍ぶにもあらぬ皐月のほとゝぎすかな




鎌倉右大臣

題志らず


ほとゝぎす聞けども飽かず橘の花散る里の五月雨のころ




後鳥羽院御製

初五月雨といふ事を


梅雨の程も社ふれ三吉野のみくまの菅をけふや刈らまし




信實朝臣

前大納言爲家の家の百首の歌に


さす棹の水のみかさの高瀬舟はやくぞ降す五月雨のころ




從三位爲繼

夏の歌の中に


名取川瀬々にありてふ埋木も淵にぞしづむ五月雨のころ




前大納言爲氏

弘安元年百首の歌奉りし時


瀧つ瀬に落ち添ふ水の音羽川せく方もなき五月雨のころ




藤原爲信朝臣

河五月雨といへる心を


五月雨の夕汐むかふみなと川せかれていとゞ水増りつゝ




從二位行家

前大納言爲家日吉の社にて歌合し侍りけるに、江五月雨を


難波江や汐干の潟の芦の葉もなほ波越ゆる五月雨のころ




前中納言匡房

承暦二年内裏の後番の歌合に五月雨をよみ侍りける


梅雨は田子の裳裾や朽ちぬ覽衣ほすべきひましなければ




從二位家隆

守覺法親王の家の五十首の歌に


立ちのぼる烟は雲になりにけり室の八島の五月雨のころ




藻壁門院少將

題志らず


山賤の朝げの烟り雲そへて晴れぬいほりの五月雨のころ




源兼氏朝臣


五月雨に入りぬる磯の草よりも雲間の月ぞ見らく少なき




祝部成久


短夜は芦間にやどるほどもなしやがて入江の夏の月かげ




源俊定朝臣


風そよぐ軒端の竹にもる月の夜の間ばかりぞ夏も凉しき




衣笠内大臣


天の戸の明くる程なき短夜に行くかた遠く殘るつきかげ




前中納言定家

名所の歌奉りける時


芦のやの假寐の床のふしのまも短く明くる夏のよな/\




道因法師

中院入道右大臣の家にて水鷄驚眠といへる心を


夏の夜は轉寢ながら明けなまし叩く水難の音なかりせば




後法性寺入道前關白太政大臣

題志らず


皐月闇火串の松をしるべにて入るさの山に照射をぞする




前大僧正守譽


登り得ぬほども知られて夏川の早瀬に更くるよはの篝火




後光明峯寺前攝政左大臣


篝火の光もうすくなりにけりたなかみ川のあけぼのゝ空




前大納言爲家


月ならで夜河にさせる篝火もおなじ桂のひかりとぞ見る




院大納言典侍

百首の歌奉りし時、夏月


夕立の露おきとめて月影のすゞしくやどる庭のなつぐさ




藤原秀茂

水邊夏草といふ事をよめる


茂り行く下に清水は埋もれてまづ手に結ぶ野邊の夏ぐさ




山階入道左大臣

夏の歌の中に


分けわびて今も人目はかれぬべし茂る夏野の草の深さに




藻壁門院少將


玉藻刈る野島が崎の夏草にひともすさめぬ露ぞこぼるゝ




藤原景綱


螢飛ぶ難波のこやの更くる夜にたかぬ芦火の影も見え鳬




鷹司院按察


千早振神だに消たぬ思ひとや御手洗川にほたる飛ぶらむ




左兵衛督信家

深夜螢を


更け行けば同じ螢の思ひ川ひとりはもえぬ影や見ゆらむ




安嘉門院四條

弘安元年百首の歌奉りし時


瀧つ瀬に消えぬ螢の光こそ思ひせくとはよそに知らるれ




後嵯峨院御製

建長三年秋吹田にて人々歌つかうまつりけるに


徒らに野澤に見ゆる螢かな窓にあつむるひとやなからむ




前中納言俊光

題志らず


夕闇はおのが光をしるべにて木の下がくれ行くほたる哉




前參議實俊


夏草の繁みの葉末くるゝより光みだれてとぶほたるかな




内大臣

罌麥帶露といへる心を


夏草の何れともなき籬にも露のいろそふとこなつのはな




入道前太政大臣

院に三十首の歌奉りし時、樹陰納凉


凉しさを他にもとはず山城のうだの氷室のまきのした風




前中納言爲方

百首の歌奉りし時、夕立


吹く風に行くかた見えて凉しきは日影隔つる夕立のくも




前大納言爲氏

弘長元年百首の歌奉りける時、同じ心を


夏山の楢の葉がしは風過ぎて峯立ちのぼるゆふだちの雲




後京極攝政前太政大臣

千五百番歌合に


蜩の鳴く音に風を吹きそへて夕日すゞしき岡のへのまつ




後徳大寺左大臣

題志らず


蜩のこゑする山のまつ風に岩間をくゞるみづのすゞしさ




平貞時朝臣


飽かでなほ結びやせまし月影も凉しく映る山の井のみづ




惟明親王

千五百番歌合に


松陰の岩井の水の夕ぐれをたづぬる人やあきを待つらむ




前大納言經房

水月如秋といふ事を


水に面に澄む月影の凉しきは空にや秋のかよひそむらむ




後九條内大臣

題志らず


吉野川瀧つ岩浪木綿懸けてふるさと人やみそぎしつらむ




新後撰和歌集卷第四
秋歌上

前中納言定家

守覺法親王の家の五十首の歌に


敷妙の枕にのみぞ知られけるまだ東雲のあきのはつかぜ




左京大夫顯輔

久安百首の歌に、秋の始の歌


衣手のまだうすければ朝まだき身にしむものは秋の初風




後嵯峨院御製

題志らず


誰が袖に秋まつほどは包みけむ今朝はこぼるゝ露の白玉




前參議雅有


凉しさぞきのふにかはる夏衣おなじ袂のあきのはつかぜ




後九條内大臣

洞院攝政の家の百首の歌に、早秋


早晩とならす扇を荻の葉にやがて凉しきあきのはつかぜ




前中納言爲兼

荻風告秋といふ事を


秋來ぬと思ひもあへぬ荻の葉にいつしか變る風のおと哉




藤原隆祐朝臣

秋の歌の中に


吹き拂ふまがきの荻の夕露を袂にのこすあきのはつかぜ




侍從公世

山階入道左大臣の家の十首の歌に、初秋露


おき初むる露こそあらめいかにして涙も袖に秋を知る覽




左近中將具氏

題志らず


逢はぬ間の月日を何になぐさめて七夕つめの契待つらむ




常磐井入道前太政大臣


待ち渡る逢ふ瀬隔つな久方の天の河原のあきのゆふぎり




雅成親王


今日といへば暮るゝも遲く彦星の行合の橋を待渡りつゝ




宜秋門院丹後

正治二年百首の歌奉りける時


天の河深き契は頼めどもとだえぞつらきかさゝぎのはし




院御製

七夕の心をよませ給ひける


秋毎にとだえもあらじ鵲のわたせる橋のながきちぎりは




前大納言長雅


鵲のわたせる橋やたなばたの羽根をならぶる契なるらむ




權中納言公雄


漕ぎ歸る習ひもかねて悲しきは雲の衣のつまむかへぶね




尊治親王


稀に逢ふ恨もあらじ棚ばたの絶えぬ契のかぎりなければ




前大納言爲世

七月七日内裏に七首の歌奉りし時


幾秋も君ぞ映してみかは水雲居に絶えぬほしあひのかげ




前中納言定家

後京極攝政の家の六百番歌合に


秋毎に絶えぬ星合の小夜更けて光ならぶる庭のともし火




新院御製

七夕を


秋風も空に凉しくかよふなり天つ星合のよや更けぬらむ




春宮大夫通重


彦星の契絶えせぬ秋を經て幾夜かさねつあまの羽ごろも




藤原爲相朝臣

百首の歌奉りし時、七夕


歸るさの袖濡すらむ鵲のより羽にかゝるあまのかはなみ




後鳥羽院御製

千五百番歌合に


玉鉾の道の芝草うちなびきふるきみやこに秋かせぞ吹く




前大納言爲氏

春日の社によみて奉りける歌の中に


秋風を老の寐覺に待ちえてもこぼれやすきは涙なりけり




藤原伊信朝臣

秋の歌の中に


さのみなど荻の葉渡る秋風を聞きもすぐさず袖濡らす覽




三條入道内大臣

山階入道左大臣の家の十首の歌に、閑居秋風


人目見ぬ宿の荻原おとづれて秋とは風のつてにこそしれ




法皇御製

題志らず


秋は唯もの思へとや荻の葉の風も身にしむ夕べなるらむ




辨内侍

光明峰寺入道前攝政の家の秋の三十首の歌の中に


有りて憂き荻の葉風の音づれは待たれぬものを秋の夕暮




西行法師

題志らず


荻の葉を吹きすてゝ行く風の音に心亂るゝあきの夕ぐれ




津守國助

弘安八年八月十五夜三十首の歌奉りし時、秋風入簾


かきほより荻の繁みを傳ひ來てこすの間寒き秋風ぞ吹く




平行氏

秋の歌の中に


故郷は聞きしに似たる荻の葉の音やむかしの庭の秋かぜ




平宣時朝臣


誰れか又秋風ならでふるさとの庭の淺茅の露もはらはむ




前中納言俊定

五首の歌合に、野外秋風


色かはる野邊の淺茅におく露を末葉にかけて秋風ぞ吹く




從三位隆教


分け過ぐる野路の笹原さしてだに止らぬ露に秋風ぞ吹く




藤原爲藤朝臣


夕暮は淺羽の野路の露ながら小菅亂れてあきかぜぞふく




後嵯峨院御製

建長三年九月十三夜十首の歌合に、山家秋風


山深きすまひからにや身にしむと都の秋の風をとはゞや




前中納言定家

名所の百首の歌奉りし時


水莖の岡の眞葛を蜑の住む里のしるべとあきかぜぞ吹く




太上天皇

題志らず


おきもあへず亂れにけりな白露の玉まく葛に秋風ぞふく




入道前太政大臣


吹く風にたへぬ草葉の露よりも秋の心ぞおきどころなき




式乾門印御匣


さらに又老の泪の露ぞ添ふいつも慣れにし秋のあはれに




二條院讃岐

千五百番歌合に


人は皆心のほかの秋なれや我が袖ばかりおけるしらつゆ




今上御製

題志らず


鶉鳴く野原の淺茅打ちなびきゆふつゆもろく秋風ぞふく




鎌倉右大臣


眺め侘び行方も知らぬものぞ思ふ八重の汐路の秋の夕暮




土御門院御製


藤ばかま着つゝなれ行く旅人の裾野の原にあき風ぞ吹く




惟明親王

千五百番歌合に


行く人もとまらぬ野邊の花薄招きかねてや露こぼるらむ




天台座主道玄

百首の歌奉りし時、薄


頼まじな風のまゝなる花ずゝき心と招くたもとならねば




新院御製

三十首の歌よませ給ひける時、草花露


夕暮は尾花が末に露落ちて靡くともなくあきかぜぞ吹く




從二位行家

俊光朝臣住吉の社にて人々すゝめ侍りける三十六首の歌の中に


夕されば秋風吹きて高圓の尾花がうへにつゆぞこぼるゝ




常磐井入道前太政大臣

弘長元年百首の歌奉りける時、薄


旅人のいる野のすゝき穗に出でゝ袖の數添ふ秋風ぞ吹く




入道親王道覺

秋の歌の中に


露結ぶ露のまがきの女郎花みで過ぎがたき秋のゆふぐれ




讀人志らず


あだにのみいはれの野邊の女郎花後めたくも置ける露哉




冷泉太政大臣

建長三年九月十三夜十首の歌合に、朝草花


朝まだき野原篠原分け來つる我が衣手のはぎがはなずり




仁和寺二品親王守覺

萩を


分け行けば誰が袂にも移るらむ我が占めし野の萩が花摺




法皇御製

百首の歌よませ給ひける時、同じ心を


いとゞまた折りてぞまさる秋萩の花の錦の露のたてぬき




權大納言公顯


立ち籠むるきりの籬の朝あけに庭の眞萩の花ぞしをるゝ




民部卿資宣

題志らず


此秋も猶立ち慣れて萩の戸の花こそ老のかざしなりけれ




平親清女


古郷のにはの秋萩いまよりや下葉のつゆも色かはるらむ




式部卿久明親王


鳴く鹿の涙を添へて小萩原花にもいとゞつゆぞあまれる




鎌倉右大臣


夕されば野路の苅萓打ち靡き亂れてのみぞ露も置きける




前大納言爲世

弘安七年秋頃白川殿の御堂に誰れともなくて人の秋の花をいひ知らず結びて立てたりけるを次の年の秋又奉るべき由の歌つかうまつれと御前に召して仰言侍りしかばよみてかの花に結び付け侍りし


今も又をりを忘れぬ花ならばことしも結べあきのしら露




鷹司院帥

題志らず


憂かりける誰がならはしに秋草の移ろふ頃は鹿の鳴らむ




惟宗忠景


柞原色づきぬらし山城のいはたの小野にしかぞなくなる




入道前太政大臣

院に三十首の歌奉りし時、鹿


ゆふは山今日こえ來れば旅衣裾野のかぜに男鹿なくなり




後嵯峨院御製

建長三年九月十三夜十首の歌合に、暮山鹿


暮れ行けば端山繁山さはり多み逢はでや鹿の妻を戀ふ覽




兵部卿隆親


夕ぐれは分きて哀れや知らるらむ妻待つ山の小男鹿の聲




津守國冬

百首の歌奉りし時、鹿


都よりたづねてきけば小倉山西こそ秋としかもなくなれ




寂蓮法師

千五百番歌合に


思ひ餘る心のほども聞ゆなりしのぶの山の小男鹿のこゑ




信實朝臣

建保三年内裏の歌合に


秋の野の尾花にまじる鹿の音は色にや妻を戀ひ渡るらむ




前參議雅有

題志らず


宮城野の木の下露に立ち濡れていく夜か鹿の妻を戀ふ覽




後嵯峨院御製


他に又野はなければや小男鹿の爰にしも鳴く聲の聞ゆる




兵部卿隆親

文永二年九月十三夜五首の歌合に、野鹿


是も又花の友とぞなりにける聞きてふる野の小男鹿の聲




西行法師

秋の頃人を尋ねて小野に罷りたりけるに鹿の鳴きければ


鹿の音を聞くにつけても住む人の心知らるゝ小野の山里




讀人志らず

題志らず


憂かりける我が身一つの夕暮を類ありとや鹿も鳴くらむ




昭慶門院一條

百首の歌奉りし時、秋夕鹿


堪へてなほすぎける物を小男鹿の聲きかざりし秋の夕は




從三位氏久

秋の歌の中に


山の端に待たるゝ月は出でやらで先づ澄昇る小男鹿の聲




中務卿宗尊親王


小萩原夜寒の露のおきもせずねもせで鹿や妻を戀ふらむ




法眼慶融


風すさむ小野の篠原妻こめて露分けぬるゝ小男鹿のこゑ




平時村朝臣

田家鹿


厭ふべきものとは聞かず山田守る庵の寐覺の小男鹿の聲




清輔朝臣

題志らず


思ふ事殘らぬものは鹿の音を聞きあかしつる寐覺なり鳬




權中納言公雄女


頼むべき誰が玉章はなけれども空に待たるゝ初雁のこゑ




鷹司院帥


故郷を雲居遙かにへだて來て今ぞみやこに雁はなくなる




土御門院御製


敷島や山とび越えて來る雁のつばさあらはに澄める月影




衣笠内大臣


明方の雲居の雁の聲はしてとやまの霧にのこるつきかけ




常磐井入道前太政大臣

弘安元年百首の歌奉りし時、霧


明けゆけば道こそ見ゆれ高瀬舟立つ河霧の空に消えつゝ




土御門院御製

秋の歌の中に


かさゆひの島立ち隱す朝霧にはや遠ざかる棚なし小ぶね




法印定爲


蜑の住む磯邊の篷屋絶え%\に霧吹き殘す秋のうらかぜ




入道前太政大臣


古里は霧の籬のへだてさへあらはに見する秋のゆふかぜ




藤原泰宗


霧ふかき深山の里の柴の戸にさせども薄き夕日かげかな




源兼氏朝臣

月の歌の中に


出でぬれど光は猶ぞ待たれけるまだ暮果てぬ山の端の月




藤原爲道朝臣


暮るゝ間の月待出づる山の端にかゝる雲なく秋風ぞ吹く




太政大臣


山の端の横ぎる雲に移ろひて出でぬと見ゆる秋の夜の月




中務卿宗尊親王

題志らず


雲拂ふ夕風わたる篠の葉のみやまさやかに出づる月かげ




順徳院御製


秋風の枝吹しをる木の間よりかつ%\見ゆる山の端の月




土御門院小宰相


風のおとも慰めがたき山の端に月待ち出づる更科のさと




平宗宣


程もなく雲のこなたに出でにけり嵐にむかふ山の端の月




前中納言有房

百首の歌奉りし時、月


霧晴るゝ伏見の暮の秋風に月すみのぼるをはつせのやま




前中納言爲兼

建治二年九月十三夜五首の歌に


澄み昇る月のあたりは空晴れて山の端遠くのこるうき雲




後光明峯寺前攝政左大臣

松月出山といふ事を


嶺高き松のひゞきに空澄みてあらしの上に月ぞなり行く




俊惠法師

清輔朝臣の家に歌合し侍りけるに、月の歌


思ふ事ありてや見まし秋の月雲吹き拂ふかぜなかりせば




信實朝臣

西園寺入道前太政大臣の家にて關月といへる心をよみ侍りける


秋風に不破の關屋の荒れまくも惜からぬ迄月ぞもり來る




新後撰和歌集卷第五
秋歌下

入道前太政大臣

弘安元年百首の歌奉りし時


分きてなほひかりを添へて照る月の桂の里に秋風ぞふく




刑部卿範兼

中納言家成の家の歌合に


天の河雲の波なき秋の夜はながるゝ月のかげぞのどけき




光俊朝臣

文永二年九月十三夜五首の歌合に、河月


初瀬川ゐでこす浪の音よりもさやかに澄める秋の夜の月




前右兵衛督爲教

同じ五年九月十三夜白川殿の五首の歌合に、河水澄月


秋の夜の月も猶こそ澄み増れ代々にかはらぬ白川のみづ




法印憲實


待たれつる秋は今宵と白川のながれも清く澄める月かげ




法眼源承

題志らず


眞野の浦や夜舟漕出る音更けて入江の波に月ぞさやけき




院大納言典侍


秋の夜は比良の山風さえねども月にぞ氷る志賀のうら波




從二位家隆

千五百番歌合に


住の江の月に神代の事とへばまつの梢にあきかぜぞふく




前大納言具房

文永七年八月十五夜内裏の五首の歌に、海月


雲拂ふなごの入江の潮風にみなとをかけて澄める月かげ




後嵯峨院御製

關月といへる心を


曇りなく月漏れとてや河口の關のあらきが間遠なるらむ




前大納言資季

建長三年九月十三夜十首の歌合に、名所月


清見潟雲をばとめぬ浦風につきをぞやどす浪のせきもり




今上御製

海月といふ事をよませ給ひける


藻しほ燒く烟も絶えて松島やをじまの浪にはるゝ月かげ




前大納言爲氏

弘長元年百首の歌奉りける時、月


潮風の浪かけ衣あきを經て月になれたる須磨のうらびと




津守國冬

題志らず


藻鹽やく煙な立てそ須磨の蜑のぬるゝ袖にも月は見る覽




從二位行家

文永七年八月十五夜内裏の五首の歌合に、海月


月澄めば蜑の藻しほの煙だに立ちも登らずうら風ぞ吹く




藻壁門院少將

洞院攝政の家の百首の歌に、月


何方に鹽燒く煙なびくらむそら吹く風はつきもくもらず




皇太后宮大夫俊成

建仁元年八月十五夜和歌所の撰歌合に月前松風といへる事を


月の影しきつの浦の松風に結ぶこほりをよするなみかな




津守國助

八月十五夜十首の歌奉りし時、秋浦


浦人のこほりの上におく網の沈むぞ月のしるしなりける




法印

海邊月を


久堅の雲居をかけて沖つ風ふき上の濱はつきぞさやけき




權中納言國信

堀河院に百首の歌奉りし時


嵐ふく伊駒の山のくも晴れてなか井の浦に澄める月かげ




從三位爲繼

題志らず


風のおとも心盡しの秋山に木の間寂しく澄めるつきかげ




尚侍藤原現子朝臣


吹分くる秋風なくばいかにして繁き木間の月はもらまし




中務卿宗尊親王


津の國の生田の杜に人はこで月に言とふ夜はのあきかぜ




前僧正公朝


春日野の野守のかゞみ是なれやよそに三笠の山の端の月




權大納言師信


あこがれて行末遠き限をも月にみつべきむさし野のはら




前參議能清

中務卿宗尊親王の家の歌合に


露分くる野原の萩の摺衣かさねてつきのかげぞうつろふ




法皇御製

文永七年八月十五夜五首の歌召されし序でに野月をよませ給うける


見るまゝに心ぞうつる秋萩の花野の露にやどるつきかげ




後鳥羽院御製

千五百番歌合に


小山田の稻葉がたより月さえて穗むけのかぜに露亂る なり


前中納言定家

建仁元年八月十五夜和歌所の撰歌合に、田家見月


小男鹿の妻とふ小田に霜置きて月影さむし岡のべのやど




前左兵衛督教定

月の歌の中に


露結ぶ門田のをしね只管に月もる夜はゝ寐られやはする




大藏卿重經


風渡る野邊の尾花の夕露に影もとまらぬそでのつきかな




遊義門院大藏卿


住み慣れて幾夜の月かやどるらむさとは昔の蓬生のつゆ




津守經國


かたそぎの月を昔の色と見てなほしも拂ふ松のあきかぜ




右大臣

百首の歌奉りし時、月


神代より曇らぬ影やみつの江の吉野の宮のあきの夜の月




後法性寺入道前關白太政大臣

右大臣に侍りける時家に百首の歌よみ侍りけるに同じ心を


今宵しもなど我が宿を訪はざらむ月にぞ見ゆる人の心は




法皇御製

百首の歌よませ給ひける時


見る人の心に先づぞ懸りける月のあたりの夜はのうき雲




前大納言實教

内裏の三首の歌合に、月前雲


絶え%\によその空行く浮雲を月にかけじと秋風ぞ吹く




行念法師

題志らず


山の端を村雲ながら出でにけり時雨にまじる秋の月かげ




大藏卿有家

建仁二年九月十三夜三首の歌に、月前風


慣れてたれ暫しも夢を結ぶらむ月をみ山の秋のあらしに




西行法師

題志らず


ながむるに慰む事はなけれども月を友にて明かす頃かな




入道前太政大臣


慣れぬれば老となるてふ理も身に知られける秋の月かな




藤原重綱


ながめ來て果は老とぞなりにける月は哀といはぬもの故




高階宗成朝臣

百首の歌の中に


よしや唯老いずも非ずそれをだに思ふ事とて月を眺めむ




前參義雅有

弘安元年百首の歌奉りし時


思ふことありし昔の秋よりや袖をばつきの宿となしけむ




前大納言爲家

弘長元年百首の歌奉りける時、月


つかへこし秋は六十に遠けれど雲居の月ぞ見る心地する




前大僧正良覺

同じ心を


身を歎く五十の秋の寐覺にぞ更けぬる月の影はかなしき




前中納言定家

後京極攝政の家の月の五十首の歌の中に


あくがるゝ心はきはもなき物を山の端近き月のかげかな




皇太后宮大夫俊成女

建仁元年八月十五夜和歌所の撰歌合に、深山曉月


秋の夜の深き哀をとゞめけり吉野の月の明けがたのそら




雅成親王

海邊月といふ事を


渡の原山の端知らで行く月は明くるそらこそ限なりけれ




後京極攝政前太政大臣

正治百首の歌奉りける時


藻に住まぬ野原の虫も我からと長き夜すがら露に鳴く なり


今上御製

百首の歌召されし序でに聞虫といへる心を


蛬そことも見えぬ庭の面の暮れ行く草のかげに鳴くなり




三條入道内大臣

山階入道左大臣の家の十首の歌に夜虫といふ事をよみて遣しける


夜もすがら音をばなくとも蛬我れより勝るものは思はじ




藤原景綱

秋の歌の中に


鳴き明かす野原の虫の思ひ草尾花が本や夜さむなるらむ




遊義門院權大納言

百首の歌奉りし時、虫


秋の夜はつらき處もさぞなげに多かる野邊の松蟲のこゑ




前大納言爲氏

建仁元年九月十三夜五首の歌に、野虫


誰が秋のつらさ恨みて蛬暮るれば野邊のつゆに鳴くらむ




源親長朝臣

題志らず


尋ねても誰れとへとてか蛬ふかきよもぎの露に鳴くらむ




從二位家隆

守覺法親王の家の五十首の歌に


門田吹く稻葉の風や寒からむあしのまろ屋に衣うつなり




平宣時朝臣

秋の歌の中に


眺めても心のひまのあればこそつきには人の衣うつらめ




藤原爲道朝臣

弘安八年八月十五夜三十首の歌奉りける時、夕擣衣


風寒き裾野のさとの夕ぐれに月待つ人やころもうつらむ




前中納言爲方


誰が里と聞きも分かれずゆふ月夜覺束なくも衣うつかな




太上天皇

百首の歌召されし序でに、擣衣


此頃は麻の狹衣うつたへに月にぞさねぬあきのさとびと




前中納言定家

建仁元年八月十五夜和歌所の撰歌合に、月前擣衣


秋風に夜寒の衣打ち侘びぬ更け行く月のをちのさとびと




今上御製

隣擣衣といふ事を


他よりは同じ宿とぞ開ゆらむ垣根へだてゝころも擣つ聲




九條左大臣女

題志らず


荒れ果てゝ風もたまらぬふる郷の夜寒の閨に衣うつなり




左大辨經繼

百首の歌奉りし時、擣衣


秋風の身にしむ頃のさよ衣打ちもたゆまず誰れを待つ覽




前大納言爲世

秋の歌の中に


里人もさすがまどろむ程なれや更けて砧のおとぞ少なき




土御門院小宰相


聞く人の身にしむ秋の妻ぞとも思ひも入れずうつ衣かな




前大納言爲氏

寳治百首の歌奉りけるとき、聞擣衣


よそに聞く我が寐覺だに長き夜をあかずや賤が衣うつ覽




前大僧正慈鎭

題志らず


哀れにもころも擣つなり伏見山松風さむき秋の寐ざめに




祝部成茂


里つゞき夜はの嵐やさむからむおなじ寐覺に衣うつなり




前大納言家雅


誰が里も夜寒は知るを秋風に我れいねがてに衣うつかな




法印


長き夜はさらでも寒き曉のゆめを殘してうつころもかな




前中納言俊定

百首の歌奉りし時、擣衣


夜を寒み共におき居る露霜を袖に重ねてうつころもかな




法皇御製

題志らず


程もなく移ろふ草の露のまに今年の秋もまたや暮れなむ




法印定爲


移ろふも盛りを見する花なれば霜に惜まぬ庭のしらぎく




源兼氏朝臣

山階入道左大臣の家の十首の歌に、杜紅葉


行く雲のうき田の杜の村時雨過ぎぬと見れば紅葉して鳬




入道前太政大臣

弘安元年百首の歌奉りし時


兼てだに移ろふと見し神南備の杜の木の葉に時雨降る なり


前大納言爲家

洞院攝政の家の百首の歌に、紅葉


千早振神南備山のむら時雨紅葉をぬさと染めぬ日はなし




衣笠内大臣

同じ心を


初時雨日毎に降れば山城のいはたの杜はいろづきにけり




前大僧正公澄

山里に住み侍りける比前關白太政大臣の許に遣はしける


見せばやな時雨るゝ峰の紅葉ばの焦れて染むる色の深さを




前關白太政大臣

返し


行て見む飽かぬ心の色添へて染むるも深き山のもみぢ葉




前右近大將家教

題志らず


立ち寄らむ紅葉の陰の道もなし下柴深きあきのやまもと




春宮權大夫兼季


朝ぼらけ晴れ行く山の秋霧に色見えそむる峰のもみぢ葉




藤原泰宗


幾しほと分かぬ梢の紅葉ばに猶色そふるゆふづく日かな




按察使實泰


秋の色は結びもとめぬ夕霜にいとゞかれ行く庭の淺茅生




後鳥羽院御製

建保四年百首の歌召しける序でに


惜めども秋は末野の霜のしたにうらみかねたる蟋蟀かな




院御製

暮秋の心を


長月の末野の眞葛霜がれてかへらぬ秋をなほうらみつゝ




奬子内親王


長月の秋の日數も今いくか殘る木ずゑのもみぢをかみむ




權大納言公顯

百首の歌奉りし時、九月盡


留まらぬ秋こそあらめうたてなど紅葉をさへに誘ふ嵐ぞ




源家清

題志らず


龍田姫分るゝ秋の道すがら紅葉のぬさをおくるやまかぜ




法印定爲


紅葉ばもけふを限と時雨るなり秋の別れのころも手の森




前中納言定家

建仁元年五十首の歌奉りける時


物ごとに忘れがたみの別にてそをだにのちと暮るゝ秋哉




新後撰和歌集卷第六
冬歌

後京極攝政前太政大臣

初冬の心を


遙かなる峰の雲間の梢までさびしき色のふゆはきにけり




後嵯峨院御製


掻き暮し雲の旗手ぞしぐれ行く天つ空より冬や來ぬらむ




天台座主道玄

初冬時雨といふ事を


今朝は又空にや冬を知らすらむ袖に降りにし時雨なれ共




前中納言定家

建保三年五月歌合に、曉時雨


まどろまぬ須磨の關守明けぬ迚たゆむ枕も打ち時雨つゝ




前參議雅有

題志らず


神無月しぐれずとても曉の寐覺のそではかわくものかは




大藏卿隆博


我れ計り干さぬ袖かと神無月よその寐覺を時雨にぞとふ




民部卿資宣


今は唯老の寐覺にかこつかな昔も聞きしおなじ志ぐれを




前中納言爲兼


山風に漂ふ雲の晴れくもりおなじ尾上にふるしぐれかな




平時範


山風の吹くにまかせて浮雲のかゝらぬ方も降る時雨かな




式部卿久明親王


隔てつる尾上の雲はかつ晴れて入日のよそに行く時雨哉




中務卿宗尊親王

朝落葉といへる心を


槇のやに積る木葉を今朝見ずば時雨とのみぞ思果てまし




前權僧正教範

冬の歌の中に


時雨をば秋よりきゝし槇のやに冬來にけりと降る木葉哉




隆信朝臣

故屋落葉を


音にこそ時雨も聞きし古郷の木葉もるまで荒れにける哉




前大納言爲家

弘安元年百首の歌奉りけるとき、落葉


散り果つる後さへ跡を定めねは嵐の末の木の葉なりけり




丹波尚長朝臣

題志らず


降り隱す木葉の下の水無瀬川いづくに水のありて行く覽




法眼源承


正木散る深山の道は埋もれて木の葉よりこそ冬籠りけれ




藤原爲相朝臣


梢には殘る色なき冬枯のにはにのみ聞くかぜのおとかな




光明峯寺入道前攝政左大臣

建保四年百首の歌奉りける時


頼めおく古郷人の跡もなしふかき木の葉の霜のしたみち




藤原隆祐朝臣

殘菊を


霜枯の籬の菊の花がたみめならぶいろも見えぬころかな




左近中將師良


おのづから殘るも寂し霜枯の草葉にまじるにはのしら菊




前大納言良教


つらかりし秋の別につれなくも枯れなで菊の何殘るらむ




今上御製

題志らず


萩が花散りにし小野の冬がれに霜のふる枝の色ぞ寂しき




太政大臣


霜となる秋の別の露のまにやがて枯れゆく庭のふゆぐさ




前大納言爲家

弘長元年百首の歌奉りけるとき、初冬


いつとてもかゝる人目の山里は草の原にぞ冬を知りける




中臣祐春

冬の歌の中に


枯れ行くも草葉に限る冬ならば人目計はなほや待たまし




右兵衛督定房


冬枯は跡なき野邊の夕暮に霜を吹きしくかぜぞさむけき




順徳院御製

建保五年内裏の歌合に、冬山霜


敷島や御室の山の岩こすげそれとも見えず霜さゆるころ




後久我太政大臣


朽ち殘る木の葉少なき山風に結び定めぬしものしたぐさ




光明峯寺入道前攝政左大臣


夜を重ね山路の霜も志ら樫の常磐の色ぞふゆなかりける




大江宗秀

題志らず


梢をばまばらになして冬枯の霜の朽葉にあらし吹くなり




後九條内大臣

朝寒草といふ事を


朝霜の枯葉のあしのひまを荒み易くや舟のみなと入る覽




左大辨經繼

冬の歌の中に


霜深き野邊の尾花は枯れ果てゝ我が袖ばかり月ぞ宿れる




入道前太政大臣

弘安元年百首の歌奉りし時


見るまゝに雲も木の葉も誘はれて嵐に殘るみねの月かげ




普光園入道前關白左大臣

前大納言爲家人々に勸めて日吉の社にて歌合し侍りける時、關路冬月を


清見潟關もるなみは氷らぬにひとりさえたる冬の月かげ




前關白太政大臣

豐明節會の心を


見しまゝに思ひやりてぞ忍ばるゝ豐の明りの月のおも影




從二位家隆

千五百番歌合に


天つ袖ふる白雪に少女子がくものかよひ路花ぞ散りかふ




皇太后宮大夫俊成

住吉の社によみて奉りける百首の歌の中に


明石潟月の出しほやみちぬらむ須磨の波路に千鳥と渡る




入道二品親王性助

弘安元年百首の歌奉りし時


須磨の關あけがた近き月影に浦の戸わたる千鳥なくなり




皇太后宮大夫俊成女

千五百番歌合に


松島やをじまの磯に寄る波の月のこほりに千鳥鳴くなり




今上御製

千鳥をよませ給うける


關の戸はまだ明けやらで清見潟空より通ふ小夜千鳥かな




太宰權帥爲經

寳治百首の歌奉りし時、潟千鳥


遠ざかる汐干の潟の浦風にゆふなみたかく千鳥鳴くなり




權大納言公實

堀川院に百首の歌奉りける時


志賀の浦の松吹く風の寂しさに夕波千鳥立ち居鳴くなり




藤原顯仲朝臣


風寒み夜や更けぬらむしなが鳥猪名の湊に千鳥なくなり




從三位爲繼

題志らず


冴ゆる夜は須磨の浦波立ち歸り同じかたにも鳴く千鳥哉




入道二品親王道助

家に五十首の歌よみ侍りける時、島千鳥


わたの原漕ぎ出し舟の友千鳥八十島がくれこゑきこゆ なり


光明峯寺入道前攝政左大臣

建保五年内裏の歌合に、冬河風


吉野川清きかふちの山かぜに氷らぬ瀧もよるはさえつゝ




前大僧正實伊

冬の歌の中に


吉野川岩切り落つる瀧つ瀬のいつの淀みに氷り初むらむ




源邦長朝臣


おのづから淀む木の葉をその儘に誘ひも果てず氷る山川




右大辨定資

内裏に百首の歌奉りし時、氷初結


冴え渡る瀬々の岩波とだえして嵐にはやく氷るやまがは




從三位源親子

院に三十首の歌奉りし時、河氷


冬されば嵐を寒み山がはの淺き瀬よりぞまづこほりける




永福門院

題志らず


おのづから氷殘れる程ばかり絶え%\に行く山がはの水




院御製

三十首の歌めされし序でに、川千鳥


なつみ河かは音たえて氷る夜に山影さむく鴨ぞ鳴くなる




法皇御製

弘安元年百首の歌召されし序でに


芦鴨の玉もの床の浮きまくら定めぬ波にまかせてぞ行く




前參議教長

題志らず


水鳥の霜打ち拂ふ羽風にやこほりの床はいとゞ冴ゆらむ




院大納言典侍


冴え増るをしの毛衣いかならむ氷も霜も夜をかさねつゝ




從三位氏久

寒夜水鳥といふ事を


さゆる夜は同じ入江も芦鴨のさわがぬ方やまづ氷るらむ




前中納言定家

道助法親王の家の五十首の歌に、池水鳥


鳰鳥の下のかよひも絶えぬらむ殘る波なき池のこほりに




前大納言爲氏

霰を


浦人も夜や寒からし霰降るかじまの崎のおきつしほかぜ




中務卿宗尊親王


おろかなる人の涙にいつなれて霰も袖のたまと見ゆらむ




正三位知家

建保五年内裏の歌合に、冬野霰


花薄枯野の草のまくらにも玉散るばかりふるあられかな




後久我太政大臣

名所の歌奉りける時


霰降る音ぞ寂しき御狩する交野のみのゝならの葉がしは




侍從公世

冬の歌の中に


今朝のまに降り社替れしぐれつるのちせの山の峰の白雪




法皇御製

弘安元年百首の歌召されし序でに


昨日けふ都の空もかぜ冴えて外山の雲にゆきはふりつゝ




入道親王道覺

題志らず


常磐木のしげきみ山に降る雪は梢よりこそまづ積りけれ




從三位隆教


果はまた松の嵐もうづもれて靜かにつもるやまのしら雪




前大僧正道瑜


暫しこそ吹くとも風は知られけれ雪にこもれる高砂の松




權大納言師重


終夜降りつむ雪の朝ぼらけにほはぬ花をこずゑにぞ見る




平宣時朝臣


いつのまにとはずと人を恨むらむ今朝こそ積れ庭の白雪




從二位顯氏


いか計今朝降る雪に待れまし訪れぬべしと思ふ身ならば




平親世

前大納言爲氏罷るべき由申して侍りける頃雪の朝に申し遣しける


同じくば日影の雪に消ぬまを見せばやとのみ人ぞ待るゝ




前大納言爲氏

返し


見せばやと待つ覽とてぞ急ぎつる日影の雪の跡を尋ねて




前關白太政大臣

雪の朝、性助法親王おとづれて侍りけるに遣しける


跡つけて今朝しも見つる言の葉に降るもかひある宿の白雪




法皇御製

位におはしましける時、深雪といふ事をよませ給ひける


限あれば深きみ山もいかならむけふ九重につもるしら雪




今上御製

依雪待人といへる事を


跡つけぬ程をも見せむ庭の雪人のとふまで消ずもあらなむ




右近中將冬基

題志らず


訪はれても又訪ふ人を待つほどにもとの跡さへ埋む白雪




祐盛法師


降る雪に往來の道も跡絶えていくかになりぬ小野の里人




後京極攝政前太政大臣

家の六百番歌合に


雪深き峰の朝げのいかならむ槇の戸しらむ雪のひかりに




前大納言良教

後九條内大臣の家の百首の歌合に


身に積る年をば知らで白雪の降るをよそにも思ひける哉




入道前太政大臣

冬の歌の中に


眺めても幾とせふりぬ高圓の野上の雪のあけぼのゝそら




中務卿宗尊親王


あらち山裾野の淺茅枯しより峯には雪のふらぬ日もなし




祝部忠長


出でぬより氷りて冴ゆる光かな月まつ山の峰のしらゆき




津守國助

性助法親王の家の五十首の歌よみ侍りける時


朝あけの干潟をかけてしほつ山吹き越す風につもる白雪




前關白太政大臣

續拾遺集奏覽の日雪のふり侍りければ前大納言爲氏の許に申し遣しける


和歌の浦に降積む雪もけふし社代々に變らぬ跡は見ゆらめ




前大納言雅言

題志らず


ながめやる浪間やいづこしら雪のまた降り埋む淡路島山




土御門院御製

鷹狩の心をよませ給ひける


楢柴や枯葉の末に雪散りてとだちの原にかへるかりびと




二條院讃岐

千五百番歌合に


降る雪に人こそ訪はねすみ竈のけぶりは絶えぬ大原の里




春宮權大夫兼季

冬の歌の中に


山人の炭燒くならし雪ふかき遠つ尾上にけぶり立つ見ゆ




京極


暮れ果てゝ今は限と行く年の道ふりかくせ夜はのしら雪




法印長舜


身に積るものなりけりと思ふより老いて急がぬ年の暮哉




入道前太政大臣

性助法親王の家の五十首の歌の中に


過ぎやすき月日の程も今更に思ひ知られて年ぞ暮れぬる




前大納言爲家

弘長元年百首の歌奉りけるとき、歳暮


五十餘り送ると思ひし身の上にまた歸りける年のくれ哉




新後撰和歌集卷第七
離別歌

後嵯峨院御製

題志らず


心とや行くも歸るもなげくらむ人やりならぬひなの別路




基俊

藤原仲實朝臣備中守に罷りけるに遣しける


君があたり見つゝ忍ばむ天ざかる鄙のなか山雲な隔てそ




前中納言定家

東に罷りける人に


行く人のまた逢坂の關ならば手向の神をなほやたのまむ




蓮生法師

返し


逢坂の關守る神に任せても名こそ手向のたのみなりけれ




隆信朝臣

題志らず


遙々と行く末知らぬ別路はとゞまる人のまどふなりけり




中務卿宗尊親王

前大僧正隆辨三月のつごもりの日東へ罷り侍りけるに遣しける


いかにせむとまらぬ春の別にも勝りて惜しき人の名殘は




前大僧正隆辨

返し


めぐり來むほどを待つこそ悲しけれあかぬ朝の春の別は




讀人志らず

遠き所へ罷りけるに人の名殘惜み侍りければ


思ひやれ定めなき世の別路はこれを限りといはぬ計りぞ




津守國助

吾妻の方に罷れりける時、藤原爲顯に尋ね逢ひてかへさは必伴なはむと契りて侍りけるに障る事ありければ遣しける


同じ世の命の内の道だにもおくれ先だつほどぞかなしき




藤原爲顯

返し


契ありてめぐり逢ひぬる同じ世に命のうちの道は隔つな




従三位忠兼

題志らず


長らへてあり果てぬ世の程をだにいきて別の道ぞ悲しき




讀人志らず


存らへて又逢ふまでの命こそ飽かぬ別に添へて惜しけれ




前大納言實冬

遠き所へ親のつかはしける人に


つらしともいはぬさへこそ悲しけれ別も人の心ならねば




前權僧正教範

靜仁法親王師子の岩屋に籠り侍りける送りに罷りて歸るとてよみ侍りける


終夜分けつる道の露よりもおもひおくにぞ袖は濡れける




靜仁法親王

返し


立ち歸り山路も深き白露のおくるゝ袖はぬれまさりけり




津守國助

藤原景綱高野山に詣でける次でに住江の月見ける事など申し遣すとて


月ばかりおくると人や思ひけむ我が心をもそへし山路に




高辨上人

吾妻の方へ罷りける人に遣しける


都だに遠しと思ひし山の端を幾重隔てむみねのしらくも




大藏卿隆博

題志らず


旅衣よそに立つ日はつらくともちぎりし中に心へだつな




前參議教長

久安百首の歌に


歸り來む程は其日と契れども立ち別るゝはいかに悲しき




前大納言光頼

別の心を


歸り來む世の儚なさを思はずば今宵や人に契り置かまし




西行法師

修行し侍りける時同行の都に歸りのぼりければ


歸り行く人の心をおもふにもはなれがたきは都なりけり




新後撰和歌集卷第八
羇旅歌

前大納言爲家

白河殿の七百首の歌に遊子越關といふ事を


鳥の音に關の戸出づる旅人をまだ夜深しとおくる月かげ




讀人志らず

題志らず


鳥の音を麓の里に聞き捨てゝ夜深く越ゆるさやのなか山




後鳥羽院御製

熊野に參らせ給ひける時住吉にて三首の歌講ぜられける次でに


鐘のおとも聞えぬ旅の山路には明け行く空を月に知る哉




順徳院御製

旅の心を


すゞ分くる篠にをりはへ旅衣ほす日も知らず山のした露




法皇御製


岩根踏み重なる山の遠ければ分けつる雲の跡も知られず




前中納言定家


かへり見るその面影は立ち添ひて行けば隔つる峯の白雲




白河院御製

熊野に參らせ給ひける時よませ給ひける


山の端にしぐるゝ雲を先立てゝ旅の空にも冬は來にけり




従三位頼基

題志らず


旅衣しぐれてとまる夕暮になほ雲越ゆるあしがらのやま




衣笠内大臣


山高みけふは麓になりにけり昨日分けこしみねのしら雲




平貞時朝臣


旅衣朝立つ山のみね越えてくもの幾重をそでにわくらむ




參河

越に侍りける比中務卿宗尊親王の許に申し遣しける


思ひやれいく重の雲のへだてとも知らぬ心に晴れぬ涙を




中務卿宗尊親王

返し


憂くつらき雲の隔ては現にて思ひなぐさむ夢だにも見ず




前大納言爲家

旅の歌の中に


古郷に思ひ出づとも知らせばや越えて重なる山の端の月




大藏卿隆博


忘られぬおなじ都の面かげを月こそ空にへだてざりけれ




讀人志らず


都思ふ涙をほさで旅ごろもきつゝなれ行く袖のつきかげ




前參議雅有

月のあかゝりける夜鏡の山を越ゆるとてよみ侍りける


立ちよれば月にぞ見ゆる鏡山しのぶ都の夜はのおもかげ




藤原景綱

旅の歌とてよめる


越え懸る山路の月の入らぬ間に里迄行かむ夜は更けぬ共




津守國助

八月十五夜十首の歌奉りし時、秋旅


月に行く佐野の渡りの秋の夜は宿あり迚も止りやはせむ




寂蓮法師

前參議教長の家の歌合に、旅宿月


月見れば旅寐の床も忘られて露のみむすぶ草まくらかな




普光園入道前關白左大臣

天台座主道玄日吉の社にて人々にすゝめ侍りける二十一首の歌の中に


都にて見し面影ぞ殘りける草のまくらのありあけのつき




後九條内大臣

旅宿を


先立ちて誰れか草葉を結びけむとまる枕にのこるしら露




従三位氏久

長月の比物へ罷りて侍りける人の許に申し遣しける


都だに今は夜さむのあき風に旅寐の床をおもひこそやれ




藤原頼範女

みちの國に罷りてよみ侍りける


おとにこそ吹くとも聞きし秋風の袖になれぬる白川の關




法印守禪

旅の歌の中に


[1]ととまる秋のたび人




正三位顯資


過ぎ來つる山分衣干しやらで裾野の露になほやしをれむ




藤原範重朝臣


今宵かくしをるゝ袖の露乍らあすもや越えむ宇津の山道




皇太后宮大夫俊成

正治百首の歌に


旅ごろもしをれぬ道はなけれどもなほ露深しさやの中山




衣笠内大臣

題志らず


旅衣夕霜さむき志のゝ葉のさやのなか山あらしふくなり




法眼源承

性助法親王の家の五十首の歌に、旅


古郷を幾夜へだてゝ草まくら露より霜にむすび來ぬらむ




平時久

同じ心を


草枕結ぶともなき夢をだに何とあらしのおどろかすらむ




前中納言定家


古郷を出でしにまさる涙かなあらしの枕ゆめにわかれて




山階入道左大臣

寳治元年十首の歌合に、旅宿嵐


幾夜われ片しき侘びぬ旅衣かさなる山のみねのあらしに




三月の比但馬の湯浴みに罷りける道にてよみ侍りける


思ひ置く宮古の花の面影のたちもはなれぬ山の端のくも




源清兼

題志らず


横雲は峯に分れてあふさかの關路のとりの聲ぞあけぬる




前中納言有房

百首の歌奉りし時、關


清見潟磯山傳ひ行きくれてこゝろと關にとまりぬるかな




僧正行意

名所の百首の歌奉りける時


さすらふる心の身をも任せずば清見が關の月を見ましや




俊頼朝臣

題志らず


さらでだに乾かぬ袖ぞ清見潟志ばしなかけそ波の關もり




院大納言典侍


清見潟浦風さむきよな/\は夢もゆるさぬ浪のせきもり




前大納言爲氏


清見潟打ち出でゝ見れば庵原の三保の興津は波靜かなり




藤原爲相朝臣


慣れ來つる山のあらしを聞き捨てゝ浦路にかゝる旅衣哉




法印清譽


都鳥幾代かこゝにすみ田川ゆきゝの人に名のみとはれて




中務卿宗尊親王

海路を


心なる道だに旅は悲しきに風にまかせて出づるふなびと




前中納言俊定

内裏に百首の歌奉りし時、旅泊


吹き送る風の便りも志らすげのみなと別れて出づる舟人




前大納言資季

旅の歌の中に


漕ぎ出づる沖つ汐路の跡の波立ちかへるべき程ぞ遙けき




心海上人


此頃は蜑の苫屋に臥し慣れて月の出しほの程を知るかな




後徳大寺左大臣

後法性寺入道前關白、右大臣に侍りける時家に百首の歌よみ侍りけるによみて遣しける


住吉のまつの岩根を枕にてしきつの浦のつきを見るかな




順徳院御製

題志らず


苫屋形枕ながれぬ浮寐にはゆめやは見ゆるあらき濱かぜ





慣れにける芦屋の蜑も哀なりひと夜にだにも濡るゝ袂を




如願法師

もじの關にてよめる


都出でゝ百夜の波の舵枕なれても疎きものにぞありける




平親清女妹

旅の心を


おのづから古卿人も思ひ出でば旅寢に通ふ夢や見るらむ




藤原忠資朝臣

越の國に侍りける時春の比權中納言公雄の許に遣しける


思ひきや慕ひなれにし春の雁歸る山路に待たむものとは




權中納言公雄

返し


越路には都の秋の心地してさぞな待つらむ春のかりがね




志遠上人

歸朝の後月を見て唐土の事を思ひ出でゝよみ侍りける


故郷の面影添ひしよるの月またもろこしの形見なりけり




讀人志らず

題志らず


さらぬだに鳥の音待ちし草枕末をみやことなほ急ぐかな




光明峰寺入道前攝政左大臣

百首の歌よみ侍りける中に


誘ふべきみつの小島の人もなしひとりぞかへる都戀ひつゝ




[1] Shinpen kokka taikan (Tokyo: Kadokawa Shoten, 1983, vol. 1; hereafter cited as SKT) reads に.




新後撰和歌集卷第九
釋教歌

皇太后宮大夫俊成

法華經方便品、其知惠門難解難入の心を


入り難く悟り難しと聞く門をひらけば花の御法なりけり




前大納言經任

譬喩品


子を思ふ親の教のなかりせば假のやどりに迷ひ果てまし




了然上人

今得無漏無上大果


尋ねつる雲より高き山越えて又上も無きはなを見るかな




後嵯峨院御製

授記品


更け行けば出づべき月と聞くからに兼て心の闇ぞ晴ぬる




法印公紹


結びおく世々の契も深草のつゆのかごとにぬるゝ袖かな




圓世法師

化城喩品


假そめの宿とも知らで尋ねこし迷ぞ道のしるべなりける




前大僧正道寳

五百弟子品


下にすむもとの心を知らぬかな野中の清水み草ゐぬれば




法印乘雅

以無價寳珠繋着内衣裏


などか我れ衣の裏のたまさかに法にあひても悟らざり劔




前大僧正行尊


衣手に包みし玉のあらはれてうらなく人に見ゆる今日哉




前大僧正公澄

須臾聞之即得究竟


一聲を聞き初めてこそ郭公鳴くに夜ふかき夢はさめけり




皇太后宮大夫俊成

寂寞無人聲讀誦此經典


問ふ人の跡なき柴のいほりにもさしくる月の光をぞ待つ




源有長朝臣

乃至以身而作床座


仙人の苔の蓆に身を代へていかに千年をしきしのぶらむ




光俊朝臣

不信是經則爲大失


頼まれぬ心ぞ見ゆる來ては又空しき空にかへるかりがね




法印源爲

不輕品


草の庵柴のあみ戸の住まひまでわかぬは月の光なりけり




俊頼朝臣

神力品


大空を御法の風や拂ふらむ雲がくれにしつきを見るかな




前大納言忠良

於我滅度後應受持此經


あらざらむ後の世かけし契こそ頼むにつけて嬉かりけれ




八條院高倉

是人於佛道決定無有疑


契り置く其行く末の頼みあらば此世を憂しと何か歎かむ




寂蓮法師

囑累品


忘るなといひても袖やしをれ劔跡留むべき此世ならねば




従三位光成

若爲大水所漂稱其名號則得淺處


行く水の深き流れに沈みても淺瀬ありとぞなほ頼むべき




源兼氏朝臣

觀普賢經、見諸障外事


春の夜の霞や空に晴れぬらむ朧げならぬつきのさやけさ




中務卿宗尊親王

同じ經の心を


露霜の消えてぞ色は増りける朝日に向ふみねのもみぢ葉




安喜門院大貳

題志らず


世々を經てたへなる法の花ならば開けむ時の契たがふな




前大僧正忠源

天台の法門御尋にあづかる事代々になりぬる事を思ひてよみ侍りける


習ひこし妙なる法の花故に君にとはるゝ身とぞなりぬる




前大僧正聖忠

釋教の心を


鷲の山後のはるこそ待たれけれ心の花のいろをたのみて




太上天皇


鷲の嶺やとせの秋の月きよみその光こそこゝろにはすめ




後京極攝政前太政大臣

家に花の五十首の歌よみ侍りけるに


鷲の山御法の庭に散る花を吉野のみねのあらしにぞ見る




皇太后宮大夫俊成

久安の百首の歌に


常にすむ鷲の高嶺の月だにも思ひ知れとぞ雲がくれける




西音法師

二月十五日の夜湛空上人に申し遣しける


二月の半の空の夜はの月入りにしあとのやみぞかなしき




湛空上人

返し


闇路をば彌陀の御法にまかせつゝ春の半の月は入りにき




天台座主道玄

文永七年冬の比内裏にて寒の御祈の爲に如法佛眼の法修じ侍りける時雪の降りて侍りければ承元の昔の跡を思ひて奏させ侍りける


九重に降りしく雪はいにしへの法の莚にあとや見ゆらむ




法皇御製

御返し


いにしへの跡を知らせて降る雪の頼む心は深くなりぬる




前大僧正公什

正安二年法皇に灌頂授け奉りて後わが山に其跡稀なる事を思ひてよみ侍りける


思ひきや我が立つ杣のかひ有て稀なる跡を殘すべしとは




前中納言爲房

大日經を


品々にかはる心のいろもみなはてはひとつの誓なりけり




前僧正公朝

理趣經、慾無戯論性故瞋無戯論性


愚かなる心に種はなかりけり四方の草木のあるに任せて




法印覺源

父母所生身即證大覺位の心を


誰れ故に此度かゝる身を受けて又あり難き法にあふらむ




讀人志らず

成自然覺不由他悟


我れとたゞ行きてこそ見め法の道人の教を知べとはせじ




前大僧正隆辨

蜜嚴世界


迷ひしもひとつ國ぞと悟るかな誠の道のおくぞゆかしき




前大僧正公什

傳法の序でに思ひつゞけ侍りける


教へ置く法の道芝ふみ見れば露もあだなる言の葉ぞなき




權少僧都道順

一流の事を思ひてよみ侍りける


夏草のことしげき世に迷ひてもなほ末頼むをのゝふる道




二品法親王覺助

弘安元年百首の歌奉りし時


身を去らぬ心の月に雲晴れていつか誠のかげも見るべき




太上天皇

百首の歌召されし序でに、釋教


まどかなる八月のつきの大空に光となれる四方のあき霧




後一條入道前關白左大臣

題志らず


迷ふべき闇路を近く思ふにも見捨て難きはよはの月かげ




後京極攝政前太政大臣


長き夜の更け行く月を詠めても近づく闇を知る人ぞなき




中院入道右大臣

月あかゝりける夜西行法師詣で來て侍りけるに、出家の志あるよし物語して歸りける後、其夜の名殘多かりし由など申し送るとて


終夜月を詠めてちぎり置きしそのむつ言に闇は晴れにき




西行法師

返し


すむと見えし心の月し顯れば此世も闇の晴れざらめやは




小侍從

心月輪の心を


潔く月は心にすむものと知るこそやみのはるゝなりけれ




前大僧正行尊


暗き夜の迷の雲の晴れぬれば靜かにすめる月をみるかな




見佛上人

蓮生法師松島へ詣でゝ法門などだんじて歸り侍りけるに遣しける


長き夜の闇路に迷ふ身 なりともねぶりさめなば君を尋ねむ


蓮生法師

返し


闇路には迷ひも果てじ在明のつきまつ島の人のしるべに




皇太后宮大夫俊成

美福門院に極樂六時の讃を繪に書かせら [2]ねて書くべき歌つかうまつりけるに七重寳樹の風には一實相の理をしらべむ

影清き七重のうゑ木うつり來て瑠璃の扉も花かとぞ見る




權少僧都俊譽

無量壽經四十八願の心をよみ侍りけるに、聞名具徳願


吉野川花の岩波名に立てゝよる瀬を春のとまりとぞ聞く




中原師光朝臣

具足諸相願


三十あまり二の姿たへなればいづれも同じ花のおもかげ




祝部成賢

觸光柔軟


身を去らぬ日吉の影を光にて此世よりこそ闇は晴れぬれ




源邦長朝臣

觀無量壽經、正坐西向諦觀於日といふ事を


西にのみ向ひの岡の夕附日外にこゝろのうつりやはする




蓮生法師

水想觀


水すめばいつも氷はむすびけり心や冬のはじめなるらむ




大江頼重

光明遍照十方世界の心を


草の原ひかり待ちとる露にこそ月も分きては影宿しけれ




大藏卿隆博

釋教の歌の中に


立ち歸り又ぞ沈まむ世に踰ゆる元の誓のなからましかば




常磐井入道前太政大臣

是心是佛の心を


今更に佛の道を何とかはもとのこゝろのほかにもとめむ




後嵯峨院御製

下輩觀をよませ給ひける


愚かなる涙の露のいかでなほ消えてはちすの玉となる覽




耆闍會


言ひ置きし我が言の葉のかはらぬに人の誠は顯れにけり




天台座主道玄

阿彌陀經、歡喜信受の心を


嬉しさをさながら袖に包むかな仰ぐ御空の月をやどして




壽證法師

三輩一向專念無量壽佛


三吉野のみつわけ山の瀧つ瀬も末は一つの流れなりけり




權少僧都房嚴

一切善惡凡夫得生者


秋深くしぐるゝ西の山風にみなさそはれて行く木の葉哉




禪空上人

釋教の心を


一方に頼みをかくる白糸のくるしきすぢに亂れずもがな




式子内親王

阿彌陀を


露の身に結べる罪は重くとも洩らさじ物を花のうてなに





住慣れし跡を忍ぶる嬉さに洩さず過ぐる身とは知らずや

此の歌は禪林寺の住僧の夢に律師永觀の歌とて見えける。




蓮生法師

人の許より西へ行く道を忍べよと申して侍りければ


思ひ立つ心計りを知べにて我れとは行かぬ道とこそ聞け




順空上人

同じさまに申しける人に


爰にやり彼處によばふ道はあれど我心より迷ふとを知れ




基俊

題志らず


澄みのぼる月の光をしるべにて西へもいそぐわが心かな




法眼能信

往生禮讃に、必有事礙不及向西方、但作向西想亦得といふ事を


夕暮の高嶺を出づる月影も入るべきかたを忘れやはする




唯教法師

彌勒を


めぐりあふ我が身ならずばいかゞせむ其曉の月は出づ共




後京極攝政前太政大臣

天王寺に詣でゝよみ侍りける


西を思ふ心ありてぞ津の國の難波方りは見るべかりける




郁芳門院安藝

同じ寺にて所々の名を人々歌によみ侍りけるに、龜井


稀に説く御法の跡を來て見れば浮木にあへる龜井なり鳬




大炊御門右大臣

久安の百首の歌に、釋教


世の中を厭ふ餘りに鳥のねも聞えぬ山のふもとにぞ住む




前大僧正守譽

合會有別離の心を


[3]の妻を戀ふらむ




鷹司院帥

釋教の歌の中に


色も香も空しき物と教へずば有るをあるとや思果てまし




法印定圓

金剛般若經の不應取法不應取非法


吉野山分きて見るべき色もなし雲もさくらも春風ぞ吹く




普光園入道前關白左大臣

我於阿耨多羅三藐三菩提乃至無有小法


夢の内に求めし法の一ことも誠なきこそうつゝなりけれ




皇太后宮大夫俊成女

勝王經吉祥天女品の心を

誓あれば空行く月の都人そでにみつなるひかりをぞみる




前太政大臣

圓覺經、始知衆生本來成佛生非涅槃猶如昨夢といふ心を


覺めやらぬ浮世の他の悟ぞと見しは昨日の夢にぞ有ける




法印圓勇

欲知過去因見其現在果を


數ならず生れける身の理に前の世までのつらさをぞ知る




參議雅經

衆生無邊誓願度


行くへなき身を宇治川の橋柱立てゝしものを人渡せとは




前大僧正忠源

以觀觀昏即昏而朗


村雲にかくるゝ月は程も無くやがてさやけき光をぞ見る




了然上人

大日經三々昧那品現般涅槃成就衆生


迷はじな入りぬと見ゆる月も猶同じ空行く影と知りなば




寂然法師

弘决秋九月從慈始入天台といふ心を


長月の有明の月ともろともに入りける峰を思ひこそやれ




僧正範憲

迷悟一如の心を


さとるべき道とて更に道もなし迷ふ心もまよひならねば




心海上人

一念不生


草の葉にむすばぬさきの白露は何を便りにおき始めけむ




基俊

堀河院に百首の歌奉りける時


浮世には消なば消えね蓮葉に宿らば露の身ともなりなむ




今出川院近衛

煩惱即菩提の心を


思ひきや袖に包みしほたるをも衣のうらにかくる玉とは




見性法師

題志らず


言のはもおよばぬ法の誠をば心よりこそつたへそめしか




惟宗忠景

五戒の歌の中に、不妄語戒


僞の心あらじとおもふこそたもてる法のまことなりけれ




花山院内大臣

釋教の心を


むつの道迷ふと思う
[4]心そたちかへりては知るべ なりけれ


前大納言教良


いかにせむ法の舟出も知らぬ身は苦しき海に又や沈まむ




圓空上人


身を思ふ人社げには無りけれうかるべき世の後を知らねば




前大僧正慈鎭

厭離穢土の心を


皆人のさらぬ別を思ふこそ浮世をいとふかぎりなりけれ




僧正道潤

題志らず


行く末は迷ふ習としりながら道をもとめぬ人ぞはかなき




慈道法親王


悟りとてほかに求むる心こそ迷ひそめけむ始めなるらめ




前内大臣

百首の歌奉りしとき、釋教


しばしこそ人の心に濁るともすまでやむべき法の水かは




前太政大臣

同じ心を


ほかになき御法の水の清ければ我心をばくみてしるべき




權中納言公雄


同じくば流れを分くる法の水の其の水上を爭でくまゝし




前大僧正公澄

叡山の谷々にならひかへ侍る法門の事申しける人の返事に


法の水一つ流をむすびてもこゝろ%\にすゑぞなりゆく




權少僧都良信

唯識論の由此有諸趣及涅槃證得の心を


氷りしも同じ心の水なればまたうちとくる春にあふかな




法印實聽

如清水珠能清濁の心を


すみそめし元の心の清ければ濁りもはてぬ玉の井のみづ




權少僧都實壽

題志らず


終夜窓のともし火かゝげてもふみみる道になほまよふ哉




平親清女妹

ぼにの頃佛の御前にさぶらひて思ひつゞけ侍りける


しるべせよ暗き暗路にまよふとも今宵かゝぐる法の燈火




澄覺法親王

釋教の歌とて


古への跡ふみ見むとかゝげても心にくらき法のともしび




[2] SKT reads れ.

[3] A character here in our copy-text was illegible. SKT reads の.

[4] SKT reads 心こそ.




新後撰和歌集卷第十
神祇歌

太上天皇

百首の歌めされし序でに、神祇


千早ぶる七代五代の神世より我があし原に跡をたれにき




二品法親王覺助

題志らず


神もしれつきすむ夜半の五十鈴河ながれて清き底の心を




讀人志らず


神路山引くしめ繩の一すぢに頼む契りは此の世のみかは




荒木田延成


榊もてやつの石つぼふみならし君をぞいのるうぢの宮人




大中臣定忠朝臣


卷もくの珠城の御代に跡垂れて宮居ふりぬる五十鈴河上




度會行忠


くもりなきあまてる神のます鏡昔を今にうつしてしがな




讀人志らず


君が代を祈ればまもる神路山深き誓ひといふもかしこし




後嵯峨院御製

寳治の百首の歌めしける次でに、寄社祝


石清水きよき心にすむときく神のちかひは猶もたのもし




院御製

神祇の心を


石清水にごらじとおもふ我が心人こそしらね神はうく覽




天台座主道玄


千早ぶるその神山の中におつる御手洗河の音のさやけさ




前大僧正禪助


すみそめし昔を神も忘れずば猶みたらしの末もにごらじ




後鳥羽院御製

百首の歌よませ給ひける時、神祇


千早振神や知るらむもろかづら一方ならずかくる頼みを




太上天皇

同じ心を


名もしるし色をも變へぬ松の尾の神の誓は末の世のため




前參議雅經

前中納言定家祖父中納言俊忠春日の社行幸の賞にて従三位に叙して侍りける朝申し遣しける


神もまた君がためとや春日山ふるきみゆきの跡殘しけむ




前中納言定家

返し


埋れしおどろの道を尋ねてぞふるき御幸の跡もとひける




前太政大臣

神祇の歌の中に


過ぎゆけど忘れぬものを春日野のおどろに餘る露の惠は




藤原道經

中納言家成の家の歌合に、祝


三笠山おひそふ松を君が代の千世のためしと神や見る覽




永福門院

題志らず


天のしたをさまりぬらし三笠山あまねくあふぐ神の惠に




後一條入道前關白左大臣


誰れか又あはれを懸けむゆふ襷頼む春日の誓ひならでは




民部卿資宣

春日の社に詣でゝよみ侍りける


祈りても知らぬ我身の行く末を哀れいかにと神は見る覽




前右兵衛督教定

中務卿宗尊親王の家の百首の歌に


小鹽山知らぬ神代はとほけれど松吹く風に昔しをぞきく




中務卿宗尊親王

神祇の心を


住吉の浦わの松のわかみどり久しかれとや神もうゑけむ




前右兵衛督爲教

從二位行家住吉の社にて歌合し侍りけるに


神がきや松の緑にかげ添へて頼むにさける花のしらゆふ




皇太后宮大夫俊成

久安の百首の歌に


いくかへり波の白ゆふかけつらむ神さびにけり住吉の松




前大納言經任

題志らず


住吉の浦の松が枝としを經て神さびまさるかぜの音かな




法眼慶融

前大納言爲氏住吉の社にて歌合し侍りける時、社頭松を


代々絶えぬ道につけても住吉の松をぞ仰ぐ頼むかげとは




津守棟國

題志らず


身をかくすかげとぞ頼む神垣におひそふ松のしげき惠を




皇太后宮大夫俊成

住吉の社によみて奉りける百首の歌の中に


和歌の浦のみちをばすてぬ神なれば哀をかけよ住吉の浪




津守國助

神祇の歌の中に


敷嶋の道まもりける神をしもわが神垣とおもふうれしさ




權大納言實國

廣田の社の歌合に、述懷


天くだる神の惠みのしるしあらば星の位に猶のぼりなむ




皇太后宮大夫俊成

久安の百首の歌に


思ふ事三輪の社に祈り見む杉はたづぬるしるしのみかは




前大納言爲氏

題志らず


さゞ波や神代の松のそのまゝに昔ながらのうら風ぞふく




祝部成茂

寳治の百首の歌奉りける時、浦船


辛崎やきよき浦わに漕ぎ歸る神の御船のあとをしぞ思ふ




天台座主道玄

題志らず


曇なき世を照さむとちかひてや日吉の宮の跡をたれけむ




祝部成茂


あひにあひて日吉の空ぞさやかなる七つの星の照す光に




前大僧正慈鎭

日吉の社によみて奉りける歌の中に


暫しだに晴るゝ心やなからまし日吉の蔭の照さゞりせば




法眼源承

題志らず


くもりなき神の三室のかげそへてむかふ鏡の山の端の月




祝部國長


榊葉や六十ぢ餘りの秋の霜置き重ねても世をいのるかな




祝部成賢


神垣にわが老らくのゆふかけて猶さしそふるみねの榊ば




前大僧正慈鎭

日吉の社に百首の歌よみて奉りけるに皇太后宮大夫俊成われもよみて奉るべき由申しながらさも侍らざりければ遣しける


いかでかは君も匂ひを添へざらむ神にたむくる百種の花




皇太后宮大夫俊成

返し


手向くべき心計りは有り乍ら花にならべむ言の葉ぞなき




祝部忠長

神祇の歌の中に


手向け置く露の言葉の數々に神も哀れやかけてみるらむ




前大僧正公澄

日吉の社にまうでゝよみ侍りける


祈る事神より外にもらさねば人にしられずぬるゝ袖かな




前大納言爲家

人々すゝめて玉津島の社にて歌合し侍りけるに、社頭述懷を


跡たれしもとのちかひを忘れずば昔にかへれ和歌の浦波




前大納言爲氏


神だにも我道まもれみしめ繩世の人 ごとは引くによるとも


祝部行氏

題志らず


年をへて祈る心をしきしまの道ある御代に神もあらはせ




鎌倉右大臣


端籬の久しき世よりゆふだすきかけし心は神ぞしるらむ




太上天皇


千はやぶる神も光をやはらげてくもらず照せ秋の夜の月




前中納言定家

千五百番歌合に


さ根掘じて榊にかけし鏡こそ君がときはの蔭は見えけれ




野宮左大臣


榊葉に霜の志らゆふかけてけり神なび山のあけぼのゝ空




鴨祐世

神祇を


色かへぬ三室の榊年を經て同じときはに世をいのるかな




祝部成久


神垣に思ふ心をゆふしでのなびくばかりにいかで祈らむ




平時村朝臣


跡たれて神は幾代をまもるらむおほ宮柱いまも朽ちせず




皇太后宮大夫俊成

賀茂重保社頭にて歌合し侍りけるに、述懷の心を


立歸り捨てゝし身にも祈るかな子を思ふ道は神も知る覽




法皇御製

弘安元年百首の歌めされし次でに


すべらぎの神の御言をうけきつるいや繼々に世を思ふ哉




後鳥羽院御製

熊野に參らせ給ひける時よませ給ひける


世をてらす影と思へば熊野山こゝろの空にすめる月かな




新後撰和歌集卷第十一
戀歌一

入道前太政大臣

弘安元年百首の歌奉りし時


人志れず思ひ入野の花ずゝきみだれそめける袖の露かな




前大納言爲氏

弘長元年百首の歌奉りし時、初戀


入りそむる繁き小笹の露ならでまづ袖ぬらす我が泪かな




隆信朝臣

後法性寺入道前關白の家の百首の歌に同じ心を


さも社はまだ見ぬ戀の道ならめ思ひたつより迷ひぬる哉




左近中將具氏

題志らず


つらからばいかにせむとか行末の心も知らず思ひそむらむ




前大納言爲家


志られじな霞にこめて陽炎の小野の若草志たにもゆとも




正三位知家


志るやいかにいはたの小野の篠薄思ふ心は穗に出でず共




藤原重綱


知られじな露かゝるとも下荻のほに出すべき思ならねば




藤原爲綱朝臣


仄なる難波の芦火いかなればたき初むるより身を焦す覽




鷹司院按察

寄烟忍戀の心を


胸にみつ思ひはあれど富士の嶺の烟ならねば知る人もなし




式子内親王

戀の歌の中に


知るらめや葛城山に居る雲の立ち居にかゝる我が心とは




隆信朝臣

後法性寺入道前關白の家の百首の歌に、忍戀


哀れとも誰れかは戀を慰めむ身より外には知る人もなし




鴨長明

題志らず


うき身には絶えぬ歎に面慣れて物や思ふと問ふ人もなし




大炊御門内大臣


戀侘びて歎かば色に出でぬべし身にも知られぬ心共がな




從二位兼行


かひなしや知られぬ中に長らへて心ひとつの頼み計りは




後嵯峨院大納言典侍


人知れず思ふ心の苦しさを色に出でゝや志らせそめまし




平政村朝臣


泪こそ志のばゝよそに見えず共おさふる袖を人や咎めむ




院大納言典侍


堰き返しおさふる袖に年ふりて人目に志らぬ泪ともがな




前中納言匡房


下にのみ岩間の水のむせ歸りもらさぬ先に袖ぞぬれける




大藏卿有家

後京極攝政の家の六百番歌合に


名に立てる音羽の瀧も音にのみ聞くより袖はぬるゝ物かは




前中納言定家

名所の百首の歌奉りける時


春霞かすみの浦を行く舟のよそにもみえぬ人をこひつゝ




僧正行意


おのづからかけても袖に知すなよいはせの杜の秋のしら露




土御門院御製

忍戀の心を


我が戀はいはせの森の下草の亂れてのみも過ぐる比かな




前關白太政大臣


知られじなさても忍ぶの杜の露もりて泪の袖に見えずば




祝部成茂


下にこそ忍ぶの露の亂るとも袖の外にはいかゞもらさむ




常磐井入道前太政大臣

寳治の百首の歌奉りける時、寄衣戀


色見えぬこれや忍ぶのすり衣思ひみだるゝ袖の志らつゆ




後嵯峨院御製

題志らず


心のみかぎり知られぬみだれにて幾年月を忍ぶもぢずり




前大納言爲家


陸奥の亂れて摺れる狩衣名をだに立つるひとに志られじ




前大納言資季

建長三年九月十三夜十首の歌合に、寄烟忍戀


富士の嶺のけたぬ烟も立たばたて身の思だに人し知らずば




後九條内大臣


浦かぜにたくもの烟なびくとも志らるな人に心よわさを




前右兵衛督爲教


海士のたく浦の志ほ屋の夕烟思ひきゆとも人に志らるな




大藏卿有家

千五百番歌合に


かはら屋の烟は下にむせぶ共思ひありとは人に志らせじ




從三位藤原宣子

戀の歌の中に


我れのみとくゆる烟の下燃を人はやすくや思ひけつらむ




入道前太政大臣

院に三十首の歌奉りしとき、不逢戀


物思ふあだ名はたゝじ夕烟なびかぬ中にこひは志ぬとも




讀人志らず

題志らず


いかにせむ忍ぶにたへぬ命にて後の浮名の世にも殘らば




大藏卿有家

後京極攝政の家の六百番歌合に


忍びつゝ此世つきなば思ふ事苔の下にやともに朽ちなむ




祝部成良

戀の歌とて


いかにせむ袖に人目をもる山の露も時雨も色にいでなば




今出河院近衛


思はねど人もこそしれ烏羽玉の夢にも今宵みつと語らじ




少將内侍

寳治百首の歌奉りける時、寄橋戀


烏羽玉の夢の浮橋あはれなど人目をよきて戀ひ渡るらむ




内大臣

尚侍藤原現子朝臣の家の歌合に、忍戀


よしさらば泪許さむ知るとても人にいふべき枕ならねば




院御製

題志らず


見せばやなくだけて思ふ泪ともよも志ら玉のかゝる袂を




西園寺入道前太政大臣


人知れず思ひのいろの下ぞめに志ぼる泪の袖をみせばや




法皇御製


くれなゐの泪の色もまがふやと秋は時雨に袖やかさまし




皇太后宮大夫俊成

住吉の社によみて奉りし百首の歌の中に


秋の野の萩の志げみにふす鹿のふかくも人に忍ぶ頃かな




太上天皇

忍戀の心をよませ給うける


此頃は野邊のを鹿の音に立てゝなかぬ計といかで志せらむ




前大納言爲家

寄繪戀と云ふ事を


音たてぬ物から人に知らせばやゑにかく瀧のわき返る共




前大納言爲氏

弘安元年百首の歌奉りし時


洩さばや山もとかけてせく池のいひ出でがたき心あり共




山階入道左大臣

寳治の百首の歌奉りし時、寄湊戀


堰きかねぬ物思ふ袖のみなと川今は包まぬ名をや流さむ




津守國助女

戀の歌の中に


埋木のさてや朽ちなむ名取川顯れぬべき瀬々は過ぎにき




讀人志らず


隱沼の入江におふるあしのねの下の亂れは苦しかりけり




澄覺法親王


水草ゐる板井の清水徒らにいはぬを汲みて志る人はなし




平重村


いかにせむ心のうちの志がらみに餘りてかゝる袖の泪を




衣笠内大臣


我ながらいかに心のなりぬらむ人めも知らずぬるゝ袖哉




藤原爲藤朝臣

内裏に百首の歌奉りし時、忍戀


おのづから洩さば猶もいかならむせくだに袖に餘る泪を




津守國冬

尚侍藤原現子朝臣の家の歌合に、同じ心を


堰きかぬる泪はあらじもろ共に忍ぶはおなじ心なりとも




讀人志らず

題志らず


忍ぶるは思ふ中だに苦しきをつらきに添へてせく泪かな




前大納言澄房

正治の百首の歌に


人知れぬ心にたつる錦木のくちぬるいろや袖にみゆらむ




後嵯峨院御製

寳治元年十首の歌合に、忍久戀


強面きも言はねば社と思はずば年月いかで長らへもせむ




兵部卿有教


我ならぬ志のぶの山の松の葉も年へて色にいづる物かは




素暹法師

題志らず


夏山の茂みが志たにはふ葛のいつ顯れてうらみだにせむ




前關白太政大臣


色に出でゝ後も幾世かつらからむ忍ぶ計に年ぞ經にける




讀人志らず


言はで思ふ心のうちのあらましに身を慰めて猶や忍ばむ




右近大將道平


人知れず思ふとだにもいはぬまの心の内を爭でみせまし




後嵯峨院御製


忍ぶるもためしあらじと苦しきを顯れば又いかゞ歎かむ




法橋顯昭

後京極攝政の家の六百番歌合に


憂身とてさのみはいかゞ包むべき言はで悔しき事も社あれ




太宰權帥爲經

戀の歌の中に


つらしともいひて心や慰むと忍ばでだにも人を戀ひばや




尚侍藤原現子朝臣

百首の歌奉りしとき、忍戀


我ればかり浮名なればと忍ぶとも心かよはぬ人や洩さむ




右近大將通忠

寳治元年十首のうたあはせに、忍久戀


年を經る泪なりともおのづから洩さば袖の隙もあらまし




紀淑文

題志らず


よしさらば袖の泪はもらばもれ誰故とだに人の知らずば




祝部成久


包むとも我れとはいはぬ思をも泪やよその人に知らせむ




右大臣


堰きかねて泪は袖にあまるとも我が心とはいかゞ洩さむ




奬子内親王


堰かでたゞあらまし物を中々につゝめば餘る我が泪かな




宜秋門院丹後

千五百番歌合に


今日こそは袖にも洩せいつのまにやがて泪の色にみゆ覽




賀茂久世

戀の歌の中に


洩さじと思ふ心もいさや川堰くに堰かるゝ浮名ならねば




祝部成茂


袖の浦の湊入江のみをつ串朽ちず猶やうき名立ちなむ




平爲時


身の爲の思とならば消えもせで我がうき名のみたつ烟哉




大藏卿隆博

弘安元年百首の歌奉りし時


下燃えの烟の末よ空にのみ立つ名なれとは思はざりしを




權中納言師時

堀川院の御時艷書の歌を人々にめして女房のもとに遣して返歌をめしける時によみ侍りける


忍ぶれど物思ふ人はうき雲の空に聲する名をのみぞたつ




郁芳門院安藝

返し


戀すともいかでか空に名はたてじ忍ぶる程は袖に包まで




藤原爲道朝臣

依涙顯戀といふ事を


いかにして泪と共にもりぬらむ袖の中なる浮名ならぬに




[5]A

題志らず


戀すとも人は知らじなから衣そでにあまらぬ泪なりせば




中臣祐茂


言はで唯思ひし迄のあらましは憂身ながらも慰みぞせし




讀人志らず


くやしくぞつらき心を顯はさで忍びて末を頼まざりける




順徳院御製

名所の百首の歌めされし次でに


仄にもしらせてけりな東なる霞のうらのあまのいさり火




靜仁法親王

弘安元年百首の歌奉りし時


蘆の屋のこやの蜑人潮たれて袖ほす隙もなき身なりけり




前中納言爲兼


いか樣に身を盡してか難波江に深き思のしるしみすべき




源親長朝臣

題志らず


蜑のすむ浦の玉藻を假初に見しばかりにもぬるゝ袖かな




光俊朝臣


村雲に風ふく夜半の月かげのはやくもみてし人ぞ戀しき




參議雅經

建保四年内裏の十首の歌合に


秋の田のわさぼのかづら露かけて結ぶ契は假にだになし




[5] The kanji in place of A is not available in the JIS code table. The kanji is Morohashi's Dai Kan-Wa jiten kanji number 1721. Tetsuji Morohashi, ed., Dai Kan-Wa jiten (Tokyo: Taishukan Shoten, 1966-68).




新後撰和歌集卷第十二
戀歌二

法皇御製

弘安元年百首の歌召されし次でに


長らへばさても逢ふ世の頼みとて猶惜まるゝ我が命かな




前大納言爲氏

弘長元年百首の歌奉りける時、不逢戀


限ある命の程のつれなさも戀ひ死なぬにぞ思ひ知らるゝ




太上天皇

おなじ心を


こむ世には契り有りやと戀ひ死なむ逢ふを限の命惜まで




百首の歌めされしついでに


つれなさの限をせめて知りもせば命をかけて物は思はじ




衣笠内大臣

題志らず/p>

戀ひ死なぬ身の難面さを歎にて逢見む迄は思ひ絶えにき




中務卿宗尊親王


あぢきなくいつまで物を思へとてうきに殘れる命なる覽




前中納言俊定


逢はでこそたゞ其儘に戀ひ死なめ中々後のつらさ思へば




院大納言典侍


有りて憂き命に換へて時のまも此世乍らのあふ こともがな


藤原業尹朝臣


存へてつらき思はなからまし逢ふに命をかふる世ならば




藤原爲實朝臣


逢ふとみる程は現に變らぬを覺めて夢ぞと思はずもがな




右大臣

百首の歌奉りし時、不逢戀


是れも又たが僞の夢なれば通はぬなかもあふと見ゆらむ




今上御製

夢中逢戀といへる心を


現には逢ふよも知らずみる夢を儚しとては頼みこそせめ




靜仁法親王

戀の歌の中に


逢ふとみし夢の直路に關すゑてうちぬる隙もなき思かな




前中納言爲兼


逢ふことはたゞ思ひ寐の夢路にて現ゆるさぬよはの關守




左近大將道平


逢ふと見る我が思ひ寐の面影を覺めても頼むほどぞ儚き




伊豆盛繼


ぬるが内もいかに頼みて儚くも契らぬ中のゆめを待つ覽




法印長舜


面影の憂に變らで見えもせばいかにせむとか夢を待らむ




常磐井入道前太政大臣

建保六年内裏の歌合に、戀の歌


轉寐につれなく見えし面影を夢と志りても猶やうらみむ




前大納言基良

題志らず


いかにせむまどろむ程の夢にだにうしとみぬよの慰めもがな




從三位行能

光明峯寺入道前攝政の家の戀の十首の歌合に、寄衣戀


小夜衣返す志るしの慰めもねられし迄の夢にぞ有りける




大江廣茂

戀の歌の中に


思ひ寢の夜はの衣をかへしても慰むほどの夢をやはみる




皇太后宮大夫俊成女

名所の百首の歌奉りし時


歎きつゝ伏見の里のゆめにさへむなしき床をはらふ松風




前大納言資季

光明峯寺入道前攝政の家の戀の十首の歌合に、寄莚戀


岩が根のこりしく山の苔莚ぬるよもなしと歎くころかな




前參議雅有

題志らず


知らせばや人をうらみの戀衣泪かさねてひとりぬる夜を




讀人志らず


憂き物とわかれになして恨みばやつれなき中の有明の月




院御製

寄弓戀といへるこゝろを


憂き身にはつれなかりける梓弓いかなる方に心ひくらむ




前大納言爲氏

戀の歌の中に


よしさらば唯中々に強面かれうきに負けてや思ひ弱ると




光明峯寺入道前攝政左大臣


積れたゞあはで月日の重ならば暫し忘るゝ折も有りやと




前大納言隆房


よと共に我には物を思はせてさのみや人の志らず顏なる




平貞時朝臣


逢ふまでの知べぞ今はたどらるゝ心の通ふ道はあれども




信實朝臣

弘長元年百首の歌奉りける時、不逢戀


後はいさ逢ひみぬ先のつらさ社思ひ比ぶる方なかりけれ




讀人志らず

題志らず


初めて猶後は憂く共逢ひみてのつらさを歎く我身共がな




宮内卿經尹


今は唯色に出でゝや恨みまし憂身を知らぬ名にはたつ共




藤原爲實朝臣


いかにせむ泪の河の淺き瀬にあだ波かけてたつ名計りを




花山院内大臣

弘安元年百首の歌奉りし時


浮名をや猶立てそへむ錦木の千つかに餘る人のつらさに




常磐井入道前太政大臣

弘長元年百首の歌奉りける時、不逢戀


無き名のみおほの浦梨徒らにならぬ戀する身社つらけれ




津守國冬

百首の歌奉りしとき、同じ心を


浦風のはげしき磯の松をみよつれなき色も靡きやはせぬ




左近中將師良

題志らず


かひなしやみるめばかりを契にて猶袖ぬるゝちかの浦波




衣笠内大臣


伊勢の海のをのゝ湊の自づから逢見る程の浪のまもがな




後鳥羽院御製


藻鹽燒く蜑の栲繩打ちはへて苦しとだにもいふ方ぞなき




少將内侍

寳治百首の歌奉りける時、寄衣戀


おのづから逢ふ夜もあらば須磨の蜑の鹽燒衣まどほ なり


平長時

戀の歌の中に


須磨の蜑の潮たれ衣浪かけてよるこそ袖も濡れ増りけれ




從三位範宗

名所の百首の歌奉りける時


三熊野の浦の濱ゆふいく代へぬ逢はぬ泪を袖にかさねて




小侍從

千五百番歌合に


浪たかき由良の湊を漕ぐ舟のしづめもあへぬわが心かな




藻壁門院少將

題志らず


寄るべなき棚無小舟朽もせでおなじ入江に身は焦れつゝ




西園寺入道前太政大臣


問はゞやなみぬめの浦に住む蜑も心のうちに物や思ふと




左大辨經繼


身には又まどほにだにも蜑衣慣れぬ袂のなどしをるらむ




遊義門院


つれなくも猶逢ふ事を松島や小島のあまと袖はぬれつゝ




光明峰寺入道前攝政左大臣

家に百首の歌よみ侍りける時、名所戀


立田河くれなゐくゝる秋の水いろもながれも袖の他かは




從二位家隆

後京極攝政の家の六百番歌合に


いかにして影をもみまし澤田川袖つくほどの契なりとも




安嘉門院甲斐

戀の歌の中に


徒らに名のみ流れていさやまた逢ふ瀬も志らぬ床の山川




三條入道内大臣


思河瀬々のうたかた徒らに逢はで消えぬる名を流せとや




荒木田延行


思川いつまで人になびき藻の下に亂れて逢ふせまつらむ




如願法師


涙川うき瀬に迷ふ水の泡の流石に消えぬ身をいかにせむ




民部卿成範

隔川戀


年ふれどわたらぬ中に流るゝを逢隈川と誰れかいひけむ




藤原季宗朝臣

題志らず


人知れぬ戀路の果やみちのくの逢隈川のわたりなるらむ




奨子内親王


よそにのみ猶いつまでか思ひ河わたらぬ中の契たのまむ




大藏卿隆博

法眼行濟よませ侍りける熊野の十二首の歌の中に


我が袖の物とはよしやいはしろの野邊の下草露深くとも




普光園入道前關白左大臣

光明峯寺入道前攝政の家の戀の三十首の歌に


飛鳥河ゆきゝの岡の葛かづら苦しや人に逢はぬうらみは




素暹法師

戀の歌の中に


迷行く末はいかにと問ふべきを我戀路にはあふ人もなし




天台座主道玄

人々すゝめて日吉の社にて廿一首の歌よみ侍りける時


相坂の關の此方のいかなればまだ越えぬより苦しかる覽




今上御製

寄山戀といへる心をよませ給ひける


關無くてたゞ逢坂の山ならばへだつる中に物はおもはじ




權大納言師信

題志らず


誰れにかは相坂山の名のみして我身にこえぬ關となる覽




前參議實俊


いかにせむよその人目の關守にかよふ道なきあふ坂の山




前大納言爲家

白河殿の七百首の歌に、寄雲戀


伊駒山へだつる中の峯の雲何とてかゝるこゝろなるらむ




太宰權帥爲經

建長五年五首の歌に、寄山戀


夜と共にもゆ共いかゞ伊吹山さしも難面き人に知らせむ




讀人志らず

題志らず


戀死なむのちせの山の峯の雲きえなばよそに哀とも見よ




二條院讃岐

千五百番歌合に


富士の嶺も立ちそふ雲はある物を戀の烟ぞまがふ方なき




前參議雅有

戀の歌の中に


烟たつ室の八島はいづくぞと問へな思の行くへ知らせむ




後久我太政大臣

建保六年内裏の歌合に


松島や我が身のかたに燒く鹽の烟のすゑをとふ人もがな




前中納言定家

寄烟戀を


須磨の浦の餘りにもゆる思かな燒く鹽けぶり人は靡かで




大納言師頼

堀川院に百首の歌奉りける時


思ふ事荒磯の海のうつせ貝あはでやみぬる名をや殘さむ




後鳥羽院宮内卿

千五百番歌合に


つれなくも猶長らへて思ふかなうき名を惜む心ばかりに




前大納言實教

祈戀を


憂き人の心も志らず我ればかり命あらばと身を祈るかな




前大納言爲世

内裏の百首の歌奉りし時、おなじ心を


強面さもよしや祈らじ神だにも受けずば後の頼なければ




小侍從

戀の歌の中に


住吉の神の祈りしあふ事のまつも久しくなりにけるかな




高階宗成朝臣


思ふ事種しあらばと頼みても松の妬くや逢はでやみなむ




遊義門院大藏卿


戀死なぬみのゝを山の強面くもいつ迄人に待つと聞れむ




典侍親子朝臣


いとせめてまつに堪へたる我身ぞと知りてや人の強面かる覽




前大納言爲家

弘長元年百首の歌奉りける時、不逢戀


訪へかしな蜑の眞手形さのみやは待つに命の存へもせむ




定覺法師

題志らず


強面さのうきにしもなど長らへて思ひつきせぬ命なる覽




藤原基隆


戀死なむ後に逢ふせのあるべくば猶惜からぬ命ならまし




法印雲雅


長らへてあらばと思ふ心こそ人も契らぬたのみなりけれ




西圓法師


いかにせむ我れのみ人を思ふ共こふとも同じ心ならずば




入道前太政大臣


よしさらば戀死なず共長らへて同じ世にたに有りと聞れむ




藤原爲顯

弘安元年百首の歌奉りし時


我ればかり命にかへて歎く共惜まれぬべき身とは頼まじ




前内大臣

百首の歌奉りし時、不逢戀


偖も又逢はで絶えなば玉の緒の幾世をかけて思ひ亂れむ




大江頼重

戀の歌の中に


廻逢はむ來む世も知らぬ契には身をかへて共え社頼まね




源親長朝臣


つらく共猶空蝉の身をかへて後の世までや人を戀ひまし




醍醐入道前太政大臣

千五百番歌合に


池水につがはぬ鴛鴦の浮枕ならぶかたなき戀もするかな




前中納言資實

題志らず


行く水に數かく人も我がごとく跡なき戀に袖やぬれけむ




藤原顯仲朝臣


物思へばまのゝ小菅のすが枕絶えぬ泪に朽ちぞ果てぬる




源家長朝臣

光明峯寺入道前攝政の家の戀の十首の歌合に、寄弓戀


つれなさのためしに引かむ梓弓思ひよわらぬ心づよさを




前大僧正聖兼

戀の歌の中に


物思ふ泪のはてもいかならむ逢ふを限のなくてやみなば




前大納言實家


玉葛絶えぬつらさの年をへてさのみや人におもひ亂れむ




入道二品親王性助

弘安元年百首の歌奉りし時


さりともと思ふ心に年ふるはつらきも絶えぬ契なりけり




藤原爲信朝臣


逢ふまでと頼む月日の果もなしうきを限りの心ながさに




前大納言良教

題志らず


強面さのうきにつけても喞つ哉世々の昔の知らぬ報いに




權大納言實國


先の世に我に心や盡しけむ報いならではかゝらましやは




新後撰和歌集卷第十三
戀歌三

從二位家隆

後京極攝政の家の六百番歌合に


偖もなほ人の心を志らぬまは契るさへこそ思ひなりけれ




今上御製

忍契戀といふ事をよませたまひける


誠かと又おしかへし問ふ程の人目のひまもなき契りかな




前大納言爲家

山階入道左大臣の家の十首の歌に、寄心戀


僞のある世悲しき心こそたのまじとだにおもひさだめね




鷹司院帥

中務卿宗尊親王の家の百首の歌に


頼め置く人の契ぞあり果てぬ命待つまもうたがはれける




院御製

戀の心を


逢事を志らぬ頼みはかひなくて契計りに身をや換へてむ




前中納言定家

後京極攝政の家の六百番歌合に


味氣なし誰もはかなき命もて頼めば今日の暮をたのめよ




從一位 [6]A

題志らず


人傳ての僞りにだにおのづから哀をかくる言のはもがな




遊義門院權大納言

内裏に百首の歌奉りし時、切戀


契しもあらぬ世にとはきかざりき戀死なでまつ命共がな




法印定圓

契戀


さならではたのめも置かじ僞のある世ぞ人の情なりける




藤原光盛


僞を頼までもまたいかゞせむ兼ねて志らるゝ誠ならねば




素暹法師


いつはりと思ひながらや契るらむ志らばや人の下の心を




前參議能清

中務卿宗尊親王の家の百首の歌に


おのづから僞ならぬ契りをも我が心とやたのまざるらむ




平宗宣

題志らず


頼むるを命になしてすぐす身は僞りかともよしや思はじ




高階成朝


さのみまた人の心をうたがはゞ我が僞りの程や志られむ




前中納言資高


僞りの言の葉ぞとて頼まずばうき身に契る人やなからむ




前中納言俊光


げに思ふ心の底の知られねば契るまゝにもえやは頼まむ




按察使實泰


さり共と思ひ乍らも待つほどは猶身のうさに疑はれつゝ




津守國道


僞を頼むにこそはなりもせめ待たずと爭で人にきかれむ




近衛關白左大臣


契りしを人の誠と頼みてもまたいかならむゆふぐれの空




安嘉門院大貳


待ち見ばやよも僞になりはてじ強ひてたのめし夕暮の空




賀茂久世


さりともと此夕暮を待たるゝやいひしを頼む心なるらむ




法眼源承


となせ川越す筏士のみなれ棹さして頼めし暮ぞまたるゝ




前大納言實冬


暮るゝ間をはかなく急ぐ心かなあふにかへむと誓ふ命に




院御製


忘れても訪はずもぞなる契置きし暮ぞと人に驚かさばや




前僧正道性


思へたゞ頼めぬだにも待たるゝに今宵といひし心盡しは




大藏卿隆博


僞を思ひ知らぬになし果てゝ又なほざりの暮を待つかな




賀茂經久


契りしは唯なほざりの夕べともしらで待ちける程ぞ儚き




法印定爲

百首の歌奉りし時、待戀


今宵だにいかに夕けの占ぞ共聞き定めてや人をまたまし




讀人志らず

戀の歌の中に


更けにけるうらみや猶も殘るべき僞ならぬ今宵なりとも




津守國助


人目よく道はさこそと思へ共慰めがたく更くる夜半かな




前參議實時


思ひやれ空頼めせぬ月だにも待つは心をつくすものとは




法眼兼譽


待ち侘びて更け行く月の影のみや寐ぬ夜の袖の泪とふ覽




平宗泰


更けぬるは來ぬ人故に憂き物を待たれ顏にも出づる月哉




藤原親方


掻暮す泪しなくば來ぬ人のつらさにかへて月も見てまし




昭慶門院一條

百首の歌奉りしとき、待戀


更けぬ共暫しはまたむ山の端の月みて後も思ひいづやと




九條左大臣女

題志らず


頼めても來ぬ人つらきよひ/\に僞知らで出づる月かな




今上御製

月前待戀といへる心を


僞に更け行く程のしらるれば待つ夜の月の影はながめじ




典侍親子朝臣

おなじ心を


頼めしは今夜もいかに成ぬらむ更けぬる物を山の端の月




參議雅經

千五百番の歌合に


山の端に入るまで月を詠むともしらでや人の有明のそら




後嵯峨院御製

寄月戀を


かへるさの別のみかはまつ人のつれなきもうき有明の空




藤原爲藤朝臣

百首の歌奉りし時、待戀


更ぬればせめて頼みのなき儘に今宵もあすの暮ぞ待るゝ




前大納言資季

弘長三年内裏の百首の歌奉りける時、寄戸戀


訪るべき其あらましに槇の戸を頼めぬよはもさゝで明ぬる




參議雅經

寄鳥戀


待侘びてこぬ夜空しく明けゆけば泪數そふ鴫のはねがき




待賢門院堀河

久安の百首の歌に


頼めずばうき身のとがと歎きつゝ人の心を恨みざらまし




前大僧正道瑜

題志らず


たのめぬを我心よりまち兼て人のうきにや思ひなすべき




平時常


たのまじと思ひなりても僞にかはらでまつは心なりけり




左近中將具氏


うかりける人の言の葉歎けとてなど僞の有る世なるらむ




左近中將冬基


契しに變ると聞くもつらからず偖も問るゝ習はなければ




法印圓伊


うらみじよ思へば人のこぬ迄も情にこそは契り置きけめ




按察使實泰

百首の歌奉りし時、待戀


慰むる我あらましに待慣れてさのみねぬよの數や重ねむ




後嵯峨院御製

寳治の百首の歌めしけるついでに、寄關戀


聞く度に勿來關の名もつらし行ては歸る身に知られつゝ




權大納言師重

五首の歌合に、來不留戀


待ちえてもやがて別の夕こそとふさへつらき契なりけれ




前大納言經任

月前逢戀といふ事を


獨寐の床に馴れこし月影をもろ共にみるよはも有りけり




中務卿宗尊親王家小督

戀の歌の中に


つらかりし時社あらめ逢見ての後さへ物はなどや悲しき




前大僧正深惠


歎きわび逢ふにかへむと思ひしはうかりし迄の命 なりけり


前大僧正聖兼

忍會戀を


うつゝとも思ひ定めぬ逢ふ事を夢にまがへて人に語るな




從二位家隆

題志らず


君も又あふとみる夜の夢ならば誰れ別れのまづはさむ覽




前大僧正慈鎭


嬉しさを今夜つゝまむ爲とてや袖は泪にくちのこりけむ




中臣祐賢


忘られむ後の浮名を思ふにも逢ふとはよその人にしられじ




光俊朝臣

前大納言爲家日吉の社にて歌合し侍りけるに、寄枕忍戀


忍ぶ山岩ねの枕かはすともした行く水のもらさずもがな




大藏卿重經

戀の歌の中に


いかゞせむ待つ程過て更くる夜に頓て名殘の惜しき別を




尚侍藤原現子朝臣

五首の歌合に、來不逢戀


通ひくる名のみ荒磯の濱千鳥跡はしばしもなどか止めぬ




權中納言國信

別戀の心を


心ある鳥のねならばいか計今ひとゝきもうれしからまし




讀人志らず


別るればおなじ心にうしとのみゆふ附鳥のねをぞ恨むる




大江頼重


曉の別れもしらぬ鳥の音は何のつらさに鳴きはじめけむ




法眼源承


せめて猶後の世をこそ頼めつれ存らへぬべき別ならねば




平盛房


あだになど思ひそめけむ朝露のおき別れてもきえぬ命を




大納言通具

千五百番の歌合に


曉の床は草葉のなになれや露にわかれのなみだそふらむ




寂蓮法師

後京極攝政の家の六百番の歌合に


逢ふまでの思は ことの數ならで別れぞ戀のはじめなりける


源親長朝臣

題志らず


あぢきなく又有明やつらからむこれを限の別れならずば




大江茂重


歸るさの忘れがたみの袖の月それも止らず明くる空かな




藻壁門院少將

洞院攝政の家の百首の歌に、後朝戀


有明の月はかたみに頼まれず暮まつ迄の身にもそはねば




前大納言教良

題志らず


ながらへて又あふ事も知らぬ身は是やかたみの有明の月




前大納言實教


形見とて我れこそみつれ面影を人はのこさぬ有明のつき




前大僧正慈鎭


うつゝこそ今朝は中々悲しけれ歸る恨みは夢に見ざりき




俊惠法師


我ならぬ葛の裏葉もけさみれば歸るとて社露もこぼるれ




式乾門院御匣


分けわびぬ袖の別のしのゝめに泪おちそふ道しばのつゆ




祝部成良


もらすなよ道のさゝ原ふみ分けし一夜のふしの露の手枕




平久時


ありしよの後はたがひに忍びきてかよふ心もしらぬ中哉




近衞關白左大臣

弘長三年内裏の百首の歌奉りける時、寄水戀


逢ひみてもはかなき物は行く水に數かきとめぬ契 なりけり


尚侍藤原現子朝臣

戀の歌の中に


一すぢに頼む心のなくもがな變らばつらき身とも社なれ




前大納言爲氏

文永七年九月盡、内裏の三首の歌に、契戀


代々かけて波こさじとは契るともいさや心のすゑの松山




從三位隆教

題志らず


淺くとも頼みこそせめ泪川さても逢ふせの變り果てずば




藤原泰基


逢ふ事を猶や頼まむかた糸のくる夜まれなる契なりとも




從三位光成


誰が方に心をかけて下ひもの稀にあふよもむすぼゝる覽




内大臣

遠戀の心を


思ひやる人の心をへだてずばいくへもかゝれ峯の志ら雲




藤原爲信朝臣


尋ねても行方志るべき契かはもろこし舟のあとの志ら波




從三位氏久

戀の歌の中に


渡つみの底と知てもいかゞせむみるめは己が心ならねば




前中納言定家

後京極攝政の家の六百番の歌合に


面影はをしへしやどに先だちてこたへぬ風の松にふく聲




源有長朝臣

題志らず


徒らにきえ歸るとも知らせばや行きてはきぬる道芝の露




權大納言師信


徒らに待ちみる人もなかりけりとひて苦しき三輪の山本




藤原親盛

前參議範長の家の歌合に、隔河戀


いもがすむ宿のこなたの衣川渡らぬをりも袖ぬらしけり




權中納言經平

題志らず


住吉の岸のあだ浪かけてだに忘るゝ草はありと志らすな




順徳院御製


濱千鳥通ふ計の跡はあれどみぬめの浦にねをのみぞ鳴く




鎌倉右大臣


我がせこを松浦の山の葛かづら邂逅にだにくる由もなし




藤原雅顯


里のあまの假初なりし契より頓てみるめの便りをぞとふ




平時村朝臣

晩風催戀といふ事を


驚ろかす風につけてもこぬ人のつらさぞまさる秋の夕暮




太宰權帥爲經

はじめて物申しける女のあとなき夢になしてよと申しければつかはしける


行く末をかけて契りし現をば跡なき夢といかゞなすべき




讀人志らず

返し


見し夢のわすられぬだにうき物を何か現になして歎かむ




[6] The kanji in place of A is not available in the JIS code table. The kanji is Morohashi's kanji number 24776.




新後撰和歌集卷第十四
戀歌四

衣笠内大臣

弘長元年百首の歌奉りける時、遇不逢戀


いかにせむ岩間をつたふ山水の淺き契りは末もとほらず




院大納言典侍

弘安元年百首の歌奉りしとき


くやしくぞ結びそめけるその儘にさて山の井の淺き契を




信實朝臣

前大納言爲家の家の百首の歌に


稀ならむことをや兼て契り置きし絶えても頼む心長さは




僧正實瑜

題志らず


七夕のあふ夜稀なる契だにさすがに年をへだてやはする




讀人志らず


逢事を又はいつとも言はざりし別よりこそ變りそめけれ





我れさらば人より先に忘なむ變らむ後のつらさをもみで




從三位忠兼


逢見ても又いか樣に歎けとて變るつらさの有る世なる覽




花山院入道右大臣

寳治元年十首の歌合に、遇不逢戀


徒らに明けぬくれぬと玉匣二たびあはぬ身こそつらけれ




前太政大臣

同じ心を


うき身には契りし儘に頼むべき人の誠もなき世なりけり




權大納言公顯

百首のうたたてまつりしとき、忘戀


儚くも人の心をまだ知らでとはるべき身と思ひけるかな




後嵯峨院御製

白河殿の七百首の歌に、寄莚戀


いつまでかしき忍ぶべきそのまゝに我塵はらふ床のさ莚




權中納言公雄女

題志らず


變らじと言ひしはいつの契にてこがるゝ床に月をみる覽




今出河院近衛


くもるべき我泪ともしらでこそ月をかたみと契置きけめ




前大納言基良


さても又いかなる夜半の月影にうき面影をさそひそめ劔




前中納言定家

千五百番の歌合に


思出でよたが衣々のあかつきもわが又忍ぶ月ぞみゆらむ




嘉陽門院越前


いかにせむ慰むやとてながむれば別れし夜半の有明の空




太宰權帥爲經

寳治元年五首の歌に、月前戀


思ひ出でゝ月もつらさのまさるかな見しや別の有明の空




源親長朝臣

戀の歌の中に


つれなくぞなほ面影の殘りける又も見ざりし有明のつき




遊義門院大藏卿


うきながら扨も身にそふ面影の忘れぬのみや形見なる覽




法眼行濟


忘れずよしばしといひし歸るさの袖のわかれに殘る面影




源家清女


なれし夜の床はかはらぬ思ひねに又みる夢の面影ぞなき




從三位藤原宣子


うつゝとてかたる計の契りかはあだなる夢のまゝの繼橋




前大納言爲家

洞院攝政の家の百首の歌に、遇不逢戀


忘れねよ夢ぞと言ひしかね ごとをなどその儘に頼まざり劔


津守國助

題志らず


さらに又あふを限りと歎くかな見しは昔の夢になしつゝ




丹波經長朝臣


ねぬに見し夢はいかなる契ぞと我れだに人を驚かさばや




法印聖勝


逢ひ見しは一夜のゆめの草枕むすぶもかりの契なりけり




權大僧都珎覺


かりそめの夢より後は草枕またもむすばぬ契りなりけり




從二位家隆

後京極攝政の家の六百番歌合に


いかで猶よはの衣をかへしても重ねし程の夢をだにみむ




左大臣

戀の歌の中に


さめぬればもとのつらさの現にて中々なりや思ひねの夢




中原師尚


思ひねの夢のうちにもなぐさまでさむる現は猶ぞ悲しき




從一位 [7]A


その儘に又もとはれぬ現こそさても夢かと思ひなさるれ




太上天皇

百首の歌めされしついでに、遇不逢戀


朽ちねたゞおなじ泪の袖の色を又もみすべき契ならねば




從二位行家

弘長元年百首の歌奉りける時、おなじ心を


思ひ川あふせのいかにかはりてか又は泪のふちとなる覽




惟宗忠宗

題志らず


浪こゆる袖の湊のうき枕うきてぞひとりねはなかれける




高階宗成朝臣


つれなさは有りしに歸るつらさにて又も重ねぬ袖の浦浪




觀意法師


逢事はよそになるをの沖つ浪浮てみるめの寄べだになし




昭訓門院大納言

内裏の五首の歌合に、欲絶恨戀


ふみ見ても恨ぞふかきはま千鳥稀に成行く跡のつらさは




前參議長成女

戀の歌の中に


いかにせむ雲居の雁のつてにだに見えず成行く人の玉章




權少僧都澄舜


假にだにこぬ人待つとさのみやは秋のわさ田の寢がてにせむ




源兼康朝臣

顯絶戀といふ事を


たえぬるか相坂山のさねかづらしられぬ程を何なげき劔




大江政國女

題志らず


跡たゆる道のさゝ原いつ迄か夜をへだゝても人をまち劔




前大僧正良覺

百首の歌奉りし時、遇不逢戀


逢見てし後瀬の山ののちもなど通はぬ道の苦しかるらむ




從三位藤原宣子

戀の歌の中に


そへてやる心や君になれぬらむ遠ざかる身は隔てはつ共




法眼源承


岩橋の契りは夜半の昔にて絶えまを遠く戀ひわたるかな




藤原基任


ながめても昔にかはる心かな人のとふべき夕べならねば




前大僧正守譽


今はとて思絶えてもあられねば待たぬ夕も袖はぬれけり




源親教朝臣


思ひ出でば又自ら訪はるやとさすがにたえぬ契をぞまつ




前大納言實教

絶後逢戀を


其儘に思ひもこりばいかゞせむうきを知らぬぞ契 なりける


讀人志らず

題志らず


もろ共に忘れじとのみ契りしは我身一つのま ことなりけり


前中納言爲兼


我をだに忘るなとこそ契りしかいつよりかはる心なる覽




遊義門院權大納言

内裏の五首の歌合に、欲絶恨戀


思ひわび今一たびは恨みばや心のまゝにわすれもぞする




藤原爲景朝臣


あやにくに恨みば猶やつらからむ變りそめぬる人の心は




平時春

戀の歌の中に


あはぬ夜のつもるつらさは敷妙の枕の塵ぞ先志らせける




賀茂重員


よな/\の枕の塵によそへても志らせやせまし積る恨を




宜秋門院丹後


よそ乍ら強面かりしは中々に憂身の程も志られやはせし




遊義門院


いかにせむつらき限りをみても又猶慕はるゝ心よわさを




讀人志らず


うとくなる契を人にかこちてもうきは我身に猶殘りけり





憂きながら猶こそ頼め強面さのさて果てざりし心習ひに





同じ世にいけるをうしと思ふ身の心に似ぬは命なりけり




平行氏


先だゝぬ身は同じ世に生存へてかはるをみるもうき命哉




典侍親子朝臣

中務卿宗尊親王の家の百首のうたに


いかにせむ今將同じ世中に有りとは人に志られずもがな




衣笠内大臣

題志らず


ながらへていける命の強面さを聞かる計の人づてもがな




式子内親王


こひ/\てそなたに靡く烟あらばいひし契の果と眺めよ




[7] The kanji in place of A is not available in the JIS code table. The kanji is Morohashi's kanji number 24776.




新後撰和歌集卷第十五
戀歌五

皇太后宮大夫俊成

建仁元年三月歌合に、遇不逢戀


初瀬川又みむとこそたのめしか思ふもつらし二もとの杉




尊治親王

おなじ心を


人ははやいひし契もかはる世に昔ながらの身社つらけれ




權大納言公顯


心こそ昔にもあらずかはるとも契りし ことを忘れずもがな


前内大臣

百首の歌奉りし時、忘戀


はかなくぞ忘れはてじと頼みける昔のまゝの心ならひに




讀人志らず

題志らず


忘れじといひし計りの言の葉やつらきが中の情なるらむ




遊義門院權大納言

百首の歌奉りし時、忘戀


言の葉にそへても今はかへさばや忘らるゝ身に殘る面影




今上御製

絶戀の心を


僞りの言の葉だにもなき時ぞげにたえはつる契とはしる




信實朝臣

建保三年内裏の歌合に


なほざりにひとたび契る僞りもながき恨の夕ぐれのそら




新院御製

題志らず


待ちなれし契はよその夕暮にひとりかなしき入あひの鐘




前大納言爲氏

弘長元年百首の歌奉りける時、忘戀


よそにだに思ひもいでじはし鷹の野守の鏡影もみえねば




兵部卿隆親

建長三年九月十三夜十首の歌合に、寄月恨戀


忘らるゝ我身を秋のつらさとて月さへかはる影ぞ悲しき




安嘉門院甲斐

戀の歌の中に


たのめこし人の心はかはれども我やわするゝ山のはの月




左近中將冬基


とはずなる人のかたみと慰めむかはらでやどれ袖の月影




正親町院右京大夫


いとひしも今はよそなる曉をかはらぬねにや鳥は鳴く覽




從三位源親子


身の上の別をしらぬあかつきも猶鳥のねにぬるゝ袖かな




入道前太政大臣

弘安元年百首の歌奉りし時


忘れずよあかぬ名殘に立別れみしをかぎりのよこ雲の空




近衛關白左大臣

文永二年九月十三夜五首の歌合に、絶戀


きぬ%\の曉ばかりうき物といひしも今はむかし なりけり


權中納言家定

題志らず


つらかりし曉ごとの別れだに身になき物と今はなりぬる




權大納言公顯

百首の歌奉りし時、遇不逢戀


さても其のありし計を限とも志らで別れし我やはかなき




藤原宗秀

戀の歌の中に


面影のうき身にそはぬ中ならば我もや人を忘れはてまし




前中納言俊光


忘らるゝ習有りとは知り乍らやがてと迄は思はざりしを




藤原爲綱朝臣


なほざりに思出でゝもいつまでかとはるゝ程の契なる覽




藤原爲藤朝臣

百首の歌奉りし時、忘戀


うきながら驚かさばや今更におもひはつべき契ならねば




藤原長經

題志らず


又はよも思も出てじ花ずゝき枯にし中はほのめかずとも




讀人志らず


よひ/\に通ひし道ぞ絶えにける憂身を中の關守に志て




津守國助


石見潟我身のよそにこす浪のさのみやとはに懸て戀べき




衣笠内大臣


白浪のかけても人に契りきや異浦にのみみるめかれとは




前中納言爲兼

弘安元年百首の歌奉りし時


忘れ行く人の契はかりごもの思はぬかたになに亂れけむ




賀茂久宗

寄草戀を


そのかみに立歸てや祈らまし又もあふひの名を頼みつゝ




平親清女


かけて猶たのむかひなし葵草今はよそなるその名計りに




京極

花のあだなるよし申し侍りける人の返事に人にかはりて


あだ なりと花の名だてにいひなして移ろふ人の心をぞみる


入道前太政大臣

久しく音づれざりける人の許に花のずゞを櫻の枝につけてつかはすとて


めぐりあふ月日を空に數へても花にぞかゝる命ながさば




民部卿資宣女

返し


廻りあふ浮身に春は變れども花にはかゝる色も見えけり




土御門院御製

遇不逢戀の心をよませ給ひける


つき草の花の心やうつるらむ昨日にもにぬ袖のいろかな




前僧正公朝

寄夢戀を


月草の花ずり衣かへす夜はうつろふ人ぞゆめに見えける




前中納言定家

建保二年内大臣の家の百首の歌に、名所戀


かた見社あたの大野の萩の露移ろふ色はいふかひもなし




行念法師

題志らず


うつり行く心の色の秋ぞともいさ志らすげのまのゝ萩原




從二位家隆

後京極攝政の家の六百番歌合に


秋風になびく淺ぢの色よりもかはるはひとの心なりけり




皇太后宮大夫俊成女

千五百番歌合に


いろかはる心の秋の時しもあれ身にしむくれの荻の上風




宰相典侍

里に侍りける時紅葉をたまはせたりける御返事に


中々に思ひもいれぬ身の秋を紅葉よなにの色にみすらむ




藤原實秀

戀の歌の中に


うき身にはいかに契て言の葉の時雨もあへず色かはる覽




法師頼舜


契りおきし心木の葉にあらねども秋風ふけば色變りけり




權少僧都房嚴


むすばずよ霜おき迷ふ冬草のかるゝを人の契りなれとは




藤原經清朝臣


是も又世の習ひぞと思はずば變るつらさに生存へもせじ




行蓮法師


かはらじと契りしまゝの中ならば命の後や人にわかれむ




源俊平

寳治の百首の歌奉りし時、寄衣戀


悔しきにぬるゝ袂のさよ衣思ひかへすもかひなかりけり




權中納言家定

題志らず


今はたゞなれて過にし月日さへ思出でゝは悔しかりけり




侍從實遠


年月のつもればとても戀しさのなど忘られぬ心なるらむ




讀人志らず


今ぞしるわすられざりし年月は何のつらさに物思ひけむ




内大臣


あはぬまを恨みし頃の戀しきはいかになりぬる中の契ぞ




二條院讃岐


今はさは何に命をかけよとて夢にも人のみえずなるらむ




前關白太政大臣

百首の歌奉りし時、遇不逢戀


思ひねの心のうちをしるべにて昔のまゝにみる夢もがな




新後撰和歌集卷第十六
戀歌六

中務卿宗尊親王

絶經年戀といふ事を


いたづらに年のみこえてあふ坂の關は昔の道となりにき




後京極攝政前太政大臣

家の六百番歌合に


やすらひに出でにし人の通路を深き野原とけふはみる哉




前中納言定家


いはざりき我身ふるやの忍草思ひたがへて種をまけとは




讀人志らず

題志らず


枯れはてし人は昔のわすれ草わすれず袖にのこる露かな




院御製


つらかりし心の秋もむかしにて我身に殘るくずのうら風




權中納言公雄

弘安元年百首の歌奉りし時


思へたゞ野べの眞葛も秋風のふかぬ夕べは恨みやはする




寂超法師

戀の歌の中に


むかし見しふる野の澤のわすれ水なに今更に思ひいづ覽




津守國平

從二位行家住吉の社にて歌合し侍りけるに、恨絶戀


我ながらつらくなるみの汐干潟恨みし末ぞ遠ざかりぬる




從二位家隆

後京極攝政の家の六百番歌合に


思ふにはたぐひなるべきいせの蜑も人を恨ぬ袖ぞ濡ける




法皇御製

百首の歌よませ給ひける時、恨戀


とはゞやな恨みなれたる里の蜑も衣ほすまはなき思かと




光俊朝臣

寳治百首の歌奉りける時、寄衣戀


いつまでのつらさなりけむ唐衣中にへだてし夜はの恨は




左近大將家平

戀の歌の中に


つらく共さのみはいかゞ唐衣うき身をしらで人を恨みむ




從三位行能


山賤のしづはたおびのいく歸りつらき恨にむすぼゝる覽




道倶法師


道理と戀しきまでは思ひしかつらきにだにもぬるゝ袖哉




中務卿宗尊親王


恨みこし心も今はなき物をたゞ戀しさのねのみなかれて




藤原忠資朝臣


恨みての後さへ人の戀しきやつらさにこりぬ心なるらむ




前大納言教良


いかにせむ思ひたえたるこの頃は恨みし程の慰めもなし




中臣祐春


厭はるゝうき身の程を忍ばずばつらき類も人にとはまし




三條入道左大臣


身をつまば思知らずもなからまし人は恨みに習はざり鳬




平行氏


我さへに忘ると人や思ふ覽餘りになれば言はぬつらさを




津守經國


一すぢに身を恨むべき契かな人やはいひし物おもへとは




大江頼重


今は又いかにいはまし恨みての後さへつらきひとの心を




入道二品親王性助


うきを猶忍ぶ我身の強面さは人のつらさに劣りやはする




今上御製

百首の歌めされしついでに、人傳恨戀


人傳にいへどもいとゞつれなきは我思ふ程や恨みざる覽




恨戀の心を


はかなくも思ひもはてぬ我身かな恨むる迄の頼み殘して




左大臣

百首の歌奉りし時、忘戀


つきもせず恨みざらまし憂人に忘らるゝ身の思志られば




讀人志らず

題志らず


よしさらば恨ははてじ數ならぬ身のとがに社思ひなす共




前大僧正實承

院に三十首の歌奉りし時、恨戀


人をのみ猶恨むとや思ふらむ身をかこちてもおつる泪を




前大納言爲世

百首の歌奉りし時、同じ心を


つらく共是を限といひやらむげに身を捨てば人や惜むと




前中納言有房


命だにつらさにたへぬ身なりせば此世乍は恨みざらまし




院御製

戀の歌の中に


逢ふ ことにかへし命のまゝならば人のつらさも又は歎かじ


右大臣家讃岐


よしさらば人のつらさも有て憂き命の咎となして恨みじ




平宣時朝臣


さのみやはつらさにたへて存らへむ限ある世の命なれ共




讀人志らず


恨むともせめて知する中ならば哀をかくる折もあらまし




權中納言經平女


とはれぬをうしともともせめて言てまし唯等閑のつらさ なりせば


藤原爲宗朝臣


斯計り思ふにまけぬつらさ社身を知る中も恨みられけれ




後嵯峨院大納言典侍


つらしとて思捨つるも叶はぬを易くぞ人の忘れ果てける




後嵯峨院御製

白河殿の七百首の歌に恨不逢戀といふ こと

年月はあはぬ恨と思ひしに恨みてあはず何時なりにけむ




前關白太政大臣

百首の歌奉りし時、恨戀


行末を契りしよりぞ恨みましかゝるべし共兼て知りせば




右大臣


恨みても猶同じ世にありふるやつらさを知らぬ命なる覽




近衛關白左大臣

題志らず


うき乍らなれぬる物は年月のつらさをかこつ涙なりけり




新後撰和歌集卷第十七
雜歌上

前中納言定家

千五百番歌合に


いくとせのかざし折りけむ古の三輪の檜原のこけの通路




從二位家隆


幾代とも志られぬものは白雲のうへよりおつる布引の瀧




寂蓮法師

野中の清水を見て


汲む人は又いにしへになりぬとも野中の清水思ひ忘るな




土御門入道内大臣

弘安元年百首の歌奉りしとき


ありし世をこふる泪の露ぞ置く今も嵯峨野の道のさゝ原




如願法師

住の江にてよめる


住吉の松ふく風もかはらねば岸うつ浪やむかしなるらむ




權中納言公雄

題志らず


いかにして思ふ方には通ふらむ風に志たがふあまの釣舟




前内大臣


くれぬとて我がすむ方に歸るなりあしやの沖の蜑の釣舟




今上御製

海邊夕と云ふ事を


蜑のすむ里の知べやこれならむくるれば見ゆる漁火の影




讀人志らず

題志らず


風吹けば波こすいその岩ね松いく志ほ染むる緑なるらむ




後嵯峨院御製

白川殿の七百首の歌に、子日松


子日とてけふ引初むる小松原木高きまでをみる由もがな




前大僧正良覺

春の歌の中に


影茂き園生の竹のそのまゝにこぞ降りつみし雪ぞ殘れる




月花門院

雪の山つくられて侍りける雪を睦月の二十日頃に萬里小路右大臣申して侍りけるに


消え殘る雪につけてや我宿を花よりさきに人のとふらむ




院大納言典侍

梅の花につけて藤原爲道朝臣の許に遣しける


色香をも志る人みよと咲く梅の花の心にまかせてぞ祈る




藤原爲道朝臣

返し


色香をも志る人ならぬ我爲に折るかひなしと花や思はむ




平時高

題志らず


心ある人はとひこでわが袖に梅が香をしき春のゆふかぜ




平義政

春の歌の中に


明けぬとてたが名は立たじ歸る鴈夜深き空を何急ぐらむ




前大僧正禪助


迷はじなこしざの空は霞むとも歸りなれたる春の雁がね




津守國助


志賀の蜑の釣する袖はみえわかで霞む浪路に歸る雁がね




前大僧正源惠


行くさきも跡も霞のなか空に志ばしは見えて歸る雁がね




入道前太政大臣

院に三十首の歌奉りし時、庭春雨


世を捨つる身のかくれがの故郷におとさへ忍ぶ庭の春雨




正三位經朝

題志らず


我ばかり待つとはいはじ山櫻花もうき身を厭ひもぞする




平時直


雲とだにさだかにはみずやま櫻とほき梢や猶かすむらむ




前參議能清

中務卿宗尊親王の家の歌合に、閑居花


ありとだに人に知られぬ宿なれば花咲きぬ共誰か問來む




院御製

三十首の歌めされしついでに、見花


哀れ今は身をいたづらの詠めして我世ふり行く花の下陰




二品法親王覺助

雨のふりける朝人のもとに花を遣すとて


思ひやれ老いて慰む花だにも萎るゝけさの雨のつらさを




藤原爲綱朝臣

花の歌の中に


咲く花の盛を見ても山陰にふりはてぬべき身を歎くかな




藤原宗泰


ながめつゝ我身もふりぬ山櫻よそぢあまりの春を重ねて




源師光

正治の百首の歌に


年毎に花は咲けども人志れぬ我身ひとつに春なかりけり




權律師玄覺

題志らず


いたづらに散りなば惜しき花故に我爲ならず人を待つ哉




平親世

山里にすみ侍りける頃花ちりて後にまうでくべきよし申して侍りける人の返事に


散りはてゝ後は何せむ山里の花みよとてぞ人は待たれし




道供法師

花の盛に山寺にまかりてよめる


つらしとて背く憂世の外までも花も我身を猶さそひける




源光行

題志らず


命をもをしむ心やなからまし花にこの世を思ひおかずば




津守國平


櫻花ちらずばやがて三吉野の山やいとはぬ栖かならまし




前大僧正公澄


いく春も我立つ杣に庵しめて山のかひある花をこそ見め




前大僧正源惠

院みこの宮と申しける時御持僧に加はりて程なく位につかせ給ひて後天台座主になりて内裏にて春の頃七佛藥師の法をおこなひ侍りける時思ひつゞけ侍りける


春の宮に仕へしまゝの年をへて今は雲居の月をみるかな




良助法親王

正安三年の春櫻の枝につけて内裏へ奏し侍りける


九重に色を重ねて匂ふらし花もときしる御代にあひつゝ




今上御製

御返し


今ぞみるきみが心もをりをえて春のときしる花の一えだ




前大僧正公豪

弘安三年三月日吉の社にはじめて御幸侍りける時天台座主にてよみ侍りける


年ごとの御幸を契る春なれば色をそへてや花も咲くらむ




源兼朝

春の歌の中に


哀とて花見しことを數ふればこゝらの年の春ぞへにける




漸空上人

花の頃まうできて侍りける人のもとに遣しける


今よりの心通はゞ思出でよかならず花のをりならずとも




西園寺入道前太政大臣

道助法親王の家に八重櫻あるよし聞きて申し遣しける


勅ならで又ほり移す宿もがなためしにゆるせ八重の櫻木




入道二品親王道助

返し


櫻花をりしる人の宿に植ゑて幾かへりとも春ぞかぎらぬ




源淑氏

題志らず


咲けば且ちるも絶間の見えぬ哉花より外の色しなければ




前左兵衞督範藤


咲く花の心づからの色をだに見はてぬほどに春風ぞ吹く




澄覺法親王


此春も又ちる花をさきだてゝ惜しからぬ身の猶殘りつゝ




辨内侍


長らへていけらば後の春とだに契らぬ先に花ぞ散りぬる




祝部國長


人とはぬ宿の櫻のいかにして風につらくはしられそめ劔




僧正範兼


咲なばと花に頼めし人はこでとふにつらさの春風ぞ吹く




平時村朝臣


雨はるゝ雲のかへしのやま風に雫ながらや花の散るらむ




平貞時朝臣


水上や花の木かげをながれけむ櫻をさそふ春のかはなみ




中臣祐春


散り易き花の心をしればこそ嵐もあだにさそひそめけめ




法印雲雅


散りぬればふくも梢の寂しさに風もや花を思ひいづらむ




源時清

中務卿宗尊親王の家の歌合に


涙にぞ又宿しつる春の月うきはかはらぬもとの身にして




前關白太政大臣

春の歌の中に


廻り逢ふ春は五十ぢの老が世にことわり過ぎて霞む月哉




法印能海

春の頃月蝕を祈りて思ひつゞけ侍りける


霞むだに心づくしの春の月曇れといのる夜半もありけり




源兼氏朝臣

山階入道左大臣の家の十首の歌に、田家水


苗代の春のかど田にせく水の道あるかたに身をや任せむ




平宣時朝臣

題志らず


うき事もいふにぞつらき山吹は心ありける花のいろかな




前關白太政大臣


忘れめや春日の野べに黒木もてつくれる宿の軒の藤なみ




前大僧正行尊


春日山木高きみねの藤の花すゑ葉も春に逢はざらめやは




中原師尚朝臣

諸共に花見むと契りて後久しく音づれざりける人のもとに三月つごもりに遣しける


花見むと契りし人を待つ程にあやなく春の暮れにける哉




藤原景房朝臣

三月に閏月ありける年よめる


散り殘るのちの彌生の八重櫻かさなる春の花とこそ見れ




天台座主道玄

同じきつごもりの日よみ侍りける


なれて猶あかぬ名殘の悲しきはかさなる春の別なりけり




賀茂經久

述懷の心を


神やまにその名をかけよ二葉ぐさ三の位のあとを尋ねて




惟宗忠景

祖父忠久 非違使にて祭主たりける事を思ひて賀茂の社によみて奉りける

かけて祈る志るしあらせよ葵草かさなる跡は神も忘れじ




大江貞重

題志らず


待つ事を習ひになして郭公なくべき頃もつれなかりけり




讀人志らず


侘び人の心にならへ郭公うきにぞやすくねはなかれける




權大僧都覺守


あり明の月にも鳴かず郭公つれなき程のかぎり知らせて




平時遠


みじか夜もなほ寐覺して郭公はつ音も老の後にこそ聞け




賀茂遠久


年をへて我神山のほとゝぎす同じ初音をいまも聞くかな




西行法師

無言の行し侍りける頃郭公を聞きて


時鳥人にかたらぬ折にしも初音きくこそかひなかりけれ




平時藤

羇中郭公


鳴く方にまづあこがれて郭公こゆる山路の末もいそがず




光俊朝臣

夏の歌の中に


いつまでか哀と聞かむ時鳥思へばたれもねこそなかるれ




雅成親王


色ふかき泪をかりてほとゝぎすわが衣手の杜に鳴くなり




中務卿宗尊親王

菖蒲を


いつまでかあやめ計の長きねを泪も志らぬ袖にかけゝむ




中原師宗

前中納言俊定のもとへ代々つかはしける橘を遣すとて


今もまた五月まちけるたちばなに昔忘れぬ程は志らなむ




前中納言俊定

返し


家の風かはらずともに傳へ來てむかしの跡に匂ふたち花




觀意法師

題志らず


水まさる淀の川瀬をさす棹の末もおよばぬ五月雨のころ




大江茂重


かきくらし漂ふ雲の行く方も見えずなりぬる五月雨の頃




源季茂


風わたる葦の末葉に置く露のたまらず見えてとぶ螢かな




平親清女妹

螢をつゝみて姉のもとに遣すとて


戀しさの身より餘れる思をば夜半の螢によそへてもみよ




平親清女

返し


我は又ひるも思のきえばこそ夜半の螢に身をもたゝへめ




前參議忠定

蝉をよみ侍りける


思ふ事空しきからに空蝉の木隱れはつる身こそつらけれ




津守國助

夕顏を


いとゞ又ひかりやそはむ白露に月まち出づる夕がほの花




藤原朝宗

題志らず


風の音はまだ吹變へぬ草のはの露にぞ秋の色は見えける




空人法師


なれぬればつらき心もあるやとて七夕つめの稀に逢ふ覽




式乾門院御匣


忘られぬむかしの秋を思ひねの夢をばのこせ庭の松かぜ




雅成親王

寄風述懷といへる心を


露の身のおき所こそなかりけれ野にも山にも秋風ぞ吹く




前權僧正通海

秋の歌の中に


むすび置く露も雫もあだし野の蓬がもとをはらふ秋かぜ




前大納言爲家

弘長元年百首の歌奉りける時、露


よな/\の泪しなくばこけ衣秋おく露のほどは見てまし




前僧正公朝

題志らず


わが袖のたぐひとみるも悲しきはおいて露けき森の下草




前左衛門督基顯


今は世にたれかは我を招くべきなさけありける花簿かな




惟宗忠景


人ぞうきもとの心は變れどもふる枝の萩は今も咲くなり




權中納言公雄


なにゝわが老の泪のかゝるらむ古枝の萩も露ぞこぼるゝ




前大僧正實承


年をへてもろくなり行く泪かないつ かぎりの秋の夕暮


藤原秀長


關の戸をさゝでも道やへだつらむ逢坂山のあきの夕ぎり




入道二品親王性助

弘安元年百首の歌奉りし時


雨はるゝ高嶺は空にあらはれて山本のぼる富士の河ぎり




法印定意

秋の歌の中に


すみなれし月はむかしの秋風に古郷さむき庭のあさぢふ




後九條内大臣


我ながらいつを泪の絶間とて身の程志らず月を見るらむ




入道前關白左大臣


いかなれば眺むる袖の志ぐるらむ雲も懸らぬ山の端の月




遊義門院


なさけとや泪のかゝる袖にしも長き夜すがら月宿るらむ




光俊朝臣


思ふことげになぐさむる月ならば苔の袂は秋やほさまし




源季廣


身のうさの忘るゝ月の影ならば秋の心はなぐさみなまし




津守國平


秋をへてなれ行く月のます鏡つもれば老の影を見るかな




法印良守


長らへて今幾とせか月を見む今年も秋はなかば過ぐなり




常磐井入道前太政大臣


定かなる夢か現かなゝそぢの秋を待ちえて見つる月かげ




辨内侍

月の夜むかしを思ひ出でゝうちにさぶらひける人のもとに遣しける


忘れずよ思ひや出づる雲居にてともに見しよの秋の月影




後嵯峨院御製

文永五年九月十三夜、白河殿の五首の歌合に、河水澄月


我のみや影もかはらむ飛鳥川ふちせも同じ月はすめども




讀人志らず

題志らず


大方の名こそ吹飯の浦ならめかたぶかですめ秋の夜の月




入道二品親王性助


入る迄も月見むとてぞ住みそめし名におふ秋の西の山里




靜仁法親王


つれなくもめぐり逢ひぬる命かなむそぢの秋の有明の月




順徳院御製


秋の日の山のは遠くなるまゝに麓の松のかげぞすくなき




典侍光子


都人おもひおこせよ苔ふかき松のとぼその秋のあはれを




信實朝臣


聞かざりし嵐のかぜも身にそひぬ今はすみかの秋の山里




平頼泰

里擣衣を


秋ふかくなりゆくまゝに衣うつ音羽の里や夜寒なるらむ




入道二品親王性助

秋の歌の中に


我庵は嵐のまゝに住みなして露も時雨ももらぬまぞなき




後嵯峨院御製

文永五年九月十三夜、白河殿の五首の歌合に、暮山紅葉


かねてより袖も志ぐれてすみ染の夕色ます山のもみぢば




權中納言公雄

題志らず


夜をのこす老の涙のわが袖に猶ほしがたく降る時雨かな




前權僧正教範


年をへてふりぬる身とは志る物を何故袖の又志ぐるらむ




大江宗秀


よそに見し高嶺の雲のいつのまに此里かけて時雨きぬ覽




藤原爲道朝臣

神無月の頃歌合のまけわざせさせ給ひけるとき法皇御幸し侍りけるに紅葉の舟につけらるべき歌とて仕うまつりける


紅葉ばのあけのそぼ舟こぎよせよこゝを泊と君も見る迄




寂惠法師

冬の歌の中に


吹立つる木の葉の下もこのはにて風だにわけぬ庭の通路




藤原親範


冬川の氷のひまを行く水のまたよどむこそ木の葉 なりけれ


前大僧正忠源


薄氷あやふき身とは思へどもふみ見て世をも渡りける哉




前大納言爲世

百首の歌奉りし時、千鳥


和歌の浦や色をかさねて濱千鳥七たび同じ跡をつけぬる




院御製

三十首の歌めされしついでに、浦千鳥


我世には集めぬわかの浦千鳥むなしき名をや跡に殘さむ




入道前太政大臣


浦千鳥なにはの事の立居にも老の波にはねぞなかれける




前僧正公朝

中務卿宗尊親王の家の歌合に、千鳥


哀れにも老の寐覺の友千鳥わがよ更けぬる月に鳴くなり




從三位頼政

いまだ殿上ゆるされざりける時雪の降り侍りける日清凉殿にさしおかせ侍りける


いかなれば雲の上にはちり乍ら庭にのみふる雪を見る覽




讀人志らず

返し


心ざし深くも庭につもりなばなどか雲居の雪もみざらむ




權中納言公雄

前中納言定家はやう住み侍りける所に前大納言爲家わづらふこと侍りける時雪のあしたに申し遣しける


消えもせで年をかさねよ今も世にふりて殘れる宿の白雪




前大納言爲家

返し


消えのこる跡とて人に問はるゝも猶たのみなき庭の白雪




按察使實泰

野外雪を


過ぎ來つる跡に任せむ春日野のおどろの道は雪深くとも




如願法師

山家雪といふ事をよめる


春はまづとはれし物を山深み雪ふりにける身社つらけれ




光俊朝臣

題志らず


今更に何とか雪のうづむらむ我身世にふる道は絶えにき




法眼慶融


降り積る雪につけても我身世に埋もれてのみつもる年哉




藤原信顯朝臣


冬さむみあらしになびく炭がまの烟にまじる嶺のうき雲




小督

中務卿宗尊親王の家の百首の歌に


あすしらぬ世のはかなさを思ふにも惜かるまじき年の暮かは




土御門入道内大臣

弘安三年百首の歌奉りし時


何と又暮行く年を急ぐらむ春に逢ふべき身ともしらぬに




藤原爲相朝臣

百首の歌奉りし時、歳暮


我身世に憂もはてある年ならば近づく春も急がれやせむ




讀人志らず

題志らず


程もなくいそぢの年もこゆるぎの急ぎなれたる年の暮哉




新後撰和歌集卷第十八
雜歌中

權中納言俊忠

桂の家にてうれふる事侍りける頃月を見てよみ侍りける


眺めつる心のやみもはるばかりかつらの里にすめる月影




基俊

月の歌の中に


夜もすがら獨待ち出でゝ眺むればうき ことのみぞ有明の月


二品法親王覺助

弘安元年百首のうた [8]たてつまりし

いつかわれ涙にぬるゝ影ならで袖より外の月を見るべき




入道二品親王性助

題志らず


思ひやれさらでもぬるゝ苔のそで曉おきの露のしげさを




法印憲基

正安元年九月の頃衣笠殿にて御如法經侍りし時三七日の懺悔こよひはつべき日になりて名殘をしき由など申しける人の返事に


なれきつる曉おきの鐘のおとも一夜計りになるぞ嬉しき




式乾門院御匣

題志らず


いつまでと聞くにつけても悲しきは老のねざめの曉の鐘




法皇御製

百首の歌よませ給ひける時、曉


しづかなるねざめ夜深き曉の鐘よりつゞく鳥のこゑ%\




太上天皇

閑庭松といふ事をよませ給ひける


かくしこそ千年も待ため松が枝の嵐志づかにすめる山里




遊義門院

龜山殿にて山家の心を


峯のあらし麓の川の音をのみいつまで友とあかし暮さむ




前大僧正道瑜

那智の山に千日こもりて出で侍りける時よみ侍りける


三年へし那智のを山のかひあらば立ち歸るらむ瀧の白浪




讀人志らず

題志らず


大原やおぼろの清水汲みて知れすます心も年へぬる身を




蓮生法師

同じ心におこなひける人のもとに遣しける


忘るなよながれの末はかはるともひとつみ山の谷川の水




前大納言爲氏

寳治の百首のうた奉りける時、山家水


すまば又すまれこそせめ山里は筧の水のあるにまかせて




式乾門院御匣

山家の心を


靜かなる草の庵の雨のよを訪ふ人あらばあはれとや見む




土御門院御製


世のうきにくらぶる時ぞ山里は松の嵐も堪へてすまるゝ




法皇御製


さびしさも誰にかたらむ山陰の夕日すくなき庭の松かぜ




前大納言爲氏

天台座主道玄無動寺にすみ侍りける頃申し遣しける


聞くまゝにいかに心のすみぬらむ昔のあとの嶺のまつ風




天台座主道玄

返し


訪はるゝやむかしの跡のかひならむ我山ざとの庭の松風




讀人志らず

題志らず


まつ風の音を聞かでや山里をうき世の外と人はいひけむ




津守國助


とへかしな霞の衣をかさねてもあらしさむけき峰の庵を




藤原盛徳


すみわびば立ち歸るべき故郷をへだてなはてそ嶺の白雲




前大納言爲家


住初めし跡なかりせば小倉山いづくに老の身を隱さまし




天台座主道玄

百首の歌奉りし時、山家


山里に世をいとはむと思ひしは猶ふかゝらぬ心なりけり




平泰時朝臣

題志らず


思ふにはふかき山路もなきものを心の外に何たづぬらむ




前大僧正實伊


訪はれねば世の憂事も聞えこず厭ふかひある山の奥かな




讀人志らず


世のうさを歎く心の身にそはゞ山の奥にも住まむ物かは




九條左大臣女


思ひ入る吉野の奥もいかならむ憂世の外の山路ならねば




從三位基輔


世をうしと思も入れぬ月だにも澄みける物を山の奥には




二品法親王覺助

弘安元年百首の歌奉りしとき


契あらば又やたづねむ吉野やま露わけわびしすゞの下道




顯意上人

山家の心を


今はよし浮世のさがと志りぬれば又こと山に宿は求めじ




賀茂在藤朝臣


憂き事の聞えこざらむ山影を誰にとひてか身を隱さまし




藤原爲信朝臣

百首の歌奉りし時、おなじ心を


寂しさも身のならはしの山里に立ち歸りてはすむ心かな




心圓法師

題志らず


世を厭ふ山の奥にもすまれぬや我身にそへる心なるらむ




前大納言實家


寂しさも流石慣行く柴の戸は暫しぞ人のこぬも待たれし




式乾門院御匣


里とほき宿の眞柴のゆふ烟たゝぬも猶ぞさびしかりける




法印最信


山ふかみ昔や人のかよひけむ苔の志たなる谷のかけはし




三條入道左大臣

守覺法親王の家の五十首の歌に


思ひ出づる人はありとも誰か此苔ふりにける道を尋ねむ




惟康親王家右衛門督

題志らず


迷はじな通ひなれたる山人のつま木の道は志をりせず共




藤原基政

よみおきて侍りける歌を前中納言定家の許に遣すとてつゝみ紙に書き付けゝる


おろかなる心は猶もまよひけり教へし道の跡はあれども




津守國助

觀意法師續拾遺集にかへり入りて侍りける時申し遣しける


思のみ滿ちゆく汐の蘆分にさはりも果てぬ和歌のうら舟




觀意法師

返し


後れてもあし分け小舟入る汐にさはりし程を何か恨みむ




入道前太政大臣

弘安元年百首の歌奉りし時


あし原の跡とばかりは忍べどもよる方志らぬ和歌の浦浪




前大納言爲氏

つかさめしの頃爲世が參議を望み申すとて奏し侍りける


和歌の浦に獨老いぬるよるの鶴の子の爲思ふね社なかるれ




法皇御製

御返し


和歌の浦に子を思ふとて鳴く鶴の聲は雲居に今ぞ聞ゆる




前大納言爲家

題志らず


垂乳根の親のいさめの數々に思ひ合せてねをのみぞなく




丹波長有朝臣


つたへ置く言の葉にこそ殘りけれ親のいさめし道芝の露




前大納言良教

弘長三年内裏の百首の歌に、窓竹


いかにして窓に年へし笛竹の雲居にたかくねを傳へけむ




豐原政秋

述懷の心をよめる


家の風吹くとはすれど笛竹の代々に及ばぬねぞ泣れける




源有長朝臣


風さわぐ荒磯浪に引く網の置きどころなき身を恨みつゝ




前右近大將頼朝

前大僧正慈鎭にまかりあひて後に遣しける


逢ひみてし後はいかこの海よりも深しや人をおもふ心は




前大僧正慈鎭

返し


頼む事深しといはゞ渡つ海もかへりて淺くなりぬべき哉




入道二品親王性助

題志らず


消えやらで波に漂ふうたかたの寄邊志らぬや我身なる覽




内大臣


淀むなよ佐保の河みづ昔よりたえぬながれの跡に任せて




藤原嗣房朝臣


稻舟ものぼりかねたる最上川志ばし計といつを待ちけむ




前内大臣

一品ののぞみとゞこほり侍りける頃人のもとに遣しける


のぼりえぬ淀の筏の綱手繩この瀬ばかりをひく人もがな




民部卿資宣

つかさめしに恨むる事ありける頃人のとぶらひて侍りける返事に


憂に猶たへてつれなき末の松こゆる浪をもえこそ恨みね




前大納言教良

述懷の歌の中に


玉鉾のみちある御代の位山ふもとにひとり猶まよふかな




太上天皇

除目のあした尚侍藤原現子朝臣に給はせける


そのかみに頼めし ことの違はねばなべて昔の代にや返らむ


尚侍藤原現子朝臣

御返し


契りこし心の末は知らねどもこのひと言や變らざるらむ




前大納言經任

太宰權帥にかへりなりて侍りける頃人のよろこび申しける返事に申して侍りける


知らざりき香椎の挿頭年ふりて過にし跡に歸るべしとは




源兼泰

題志らず


くり返し猶うきものは數ならでわが身老蘇の杜の志め繩




藤原基頼


身一つのうきに限らぬ此世ぞと思ひなせども濡るゝ袖哉




前關白太政大臣


思ふともそれによるべき世ならぬを何歎かるゝ心なる覽




賀茂久世


ことわりと思ひなすべき心さへ身を忘れては猶歎くかな




源師光


さりともと儚き世をも頼む哉あるべき程はみゆる我身を




惟宗忠宗


中々に憂もつらきも知られずば心の儘に世をやすぐさむ




左近中將具氏

中務卿宗尊親王の家の百首の歌に


とにかくに我から物を思ふ哉身よりほかなる心ならねば




式乾門院御匣

題志らず


大方の世をも恨みじ心だにうき身に叶ふならひなりせば




平久時


うしといふもたゞ大方の習ひとや心を知らぬ人は思はむ




權僧正尊源


よしさらばあるに任て過してむ思ふに叶ふ浮世ならねば




行生法師


おろかなる心をいかに慰めてうきを報とおもひわかまし




前大納言實家


うしとても身に喞つべき方ぞなき此世一つの報ならねば




天台座主道玄


行末の何かゆかしきこし方にうき身の程は思ひしりにき




平時茂


ながらへばうき事やなほ數そはむ昔も今も物ぞかなしき




法印圓勇


世中に猶もつれなく長らへてうきを知らぬは命なりけり




圓道法師


行末もさこそと思へばあらましの慰めだにもなき我身哉




前右衛門督基顯


せめて我が身の慰めのなき儘にうき例をぞ今はかぞふる




道洪法師


世中を恨むるとしはなけれども身のうき時ぞ涙おちける




法印定意


憂き事を思續けてねぬる夜は夢の内にもねぞなかれける




前參議能清


いつ迚も變らず夢は見しかども老の寐覺ぞ袖はぬれける




平時廣


物をのみ思ひなれたる老が身にねざめせられぬ曉もがな




前僧正實伊


はかなくも我があらましの行末を待つとせしまの身社老ぬれ




前右兵衛督爲教

弘安元年百首の歌奉りし時


見ても猶ありしにも似ぬ面影や老をますみの鏡なるらむ




鴨長明

題志らず


いかにせむ鏡のそこにみづはぐむ影も昔の友ならなくに




前大納言忠良


あくがれて世のうき度にとゞまらぬ心の友や涙なるらむ




平時元


濁江の葦間に宿る月みればげにすみ難き世こそ知らるれ




天台座主道玄

平親世人々に歌よませ侍りけるによみて遣しける


道のべに茂る小笹の一ふしも心とまらぬこの世なりけり




後久我太政大臣

述懷の心を


心なきいづみの杣の宮木だにひく人あれば朽果てぬ世を




平宗宣


あづさ弓心のひくに任せずば今もすぐなる世にや返らむ




藤原爲信朝臣


味氣なく思知らるゝ世のうさも身の數ならば猶や歎かむ




入道前太政大臣

弘安元年百首の歌奉りし時


存へていかになるべきはてぞ共我さへ知らぬ身の行方哉




大江忠成朝臣女

題志らず


何事にしばしうき身の忘られて思ひなぐさむ心なるらむ




中臣祐世


世をうしと何歎きけむ背かれぬ心ぞ身をば思はざりける




平時村朝臣


世中の憂につけてもつらからじ身を人數に思ひなさずば




院大納言典侍


とにかくに思ひし事のかはる世は我心とて頼みやはする




高階宗成朝臣


ありへてもたが厭ふべき浮世とて猶身をすてぬ心なる覽




永福門院少將


心からうきを忍びていとはぬや歎くべき身の報なるらむ




法眼能圓


世の人の數にもあらばいかならむ憂にだに猶背かれぬ身は




參議雅經


厭はじな偖もなからむ後は又戀しかるべき此世ならずや




從二位行家


いつかわれ背かざりけむ古をくやしき物と思ひ志るべき




按察使資平


哀れなど身をうき物と厭ひても猶すてやらぬ心なるらむ




[9]盛久


背くべき理りしらぬ心こそうき世に身をば惜みとめけれ




良心法師


憂世とて背き果てゝも如何せむあらましにだに變る心を




靜仁法親王


世中をうしといひてもかひぞなき背かれぬ身の心弱さに




殷富門院大輔


まつ事のあるだに定なき物を何を頼むとすぐすなるらむ




按察使高定


哀れいつわがあらましの限にて背きはつべき浮世なる覽




平時常


いかゞせむ厭ふとも猶世の中を歎く心のもとの身ならば




道洪法師


厭へども猶長らふる命こそうき世に殘るつらさなりけれ




心海上人


命をばいかなる人の惜むらむ憂にはいける身社つらけれ




寂蓮法師

守覺法親王の家の五十首の歌に、述懷


うしとのみ厭ふさへ社哀なれある物とやは身を思ふべき




法印定爲

題志らず


はかなくも思ひすてゝし同じ身を世にあり顏に猶歎く覽




前僧正道性

世を遁れて後百首の歌よみ侍りける中に


涙こそ心も志らね捨てしより何のうらみか身には殘らむ




内大臣

百首の歌奉りし時、述懷


仕へこし代々の昔の名殘とて殘るばかりに身をや喞たむ




前大納言實家

同じ心を


いかゞせむ關の藤川代々をへて仕へし跡にうきせ殘さば




權中納言公雄

小倉の山庄思の外なる事いできて住まずなりにける頃よみ侍りける


代々かけて思をぐらの山水のいかに濁ればすまずなる覽




そののち程なく歸り住み侍りけるを悦び申しける人の返事に


山水に二たび影を宿しても濁らぬ世こそ身に志られけれ




後嵯峨院御製

題志らず


道あれとなにはの事も思へども蘆わけ小舟末ぞとほらぬ




普光園入道前關白左大臣


むくゆべき世の理は思へども民のちからを助けやはする




太上天皇

百首の歌めされしついでに、述懷


ふして思ひ起きても歎く世の中に同じ心と誰をたのまむ




[8] SKT reads たてまつりし.

[9] SKT reads 金刺盛久.




新後撰和歌集卷第十九
雜歌下

前關白太政大臣

題志らず


忘れずと誰にいひてか慰めむ心にうかぶむかしがたりを




前大納言爲家

弘長元年百首の歌奉りける時、松


昔とてかたるばかりの友もなしみのゝを山の松の古木は




天台座主道玄

廣澤の池にまかりてよみ侍りける


老いてみる我影のみや變るらむ昔ながらのひろさはの池




前大僧正源惠

題志らず


思出のなき人だにも古へを忍ぶならひはありとこそ聞け




讀人志らず


かくて又憂身のはてのいかならむ過にし方は思出もなし




源兼氏朝臣


立ちかへり又古を戀ふるかな頼みし末のうきにつけても




平政長


誰も皆昔を忍ぶことわりのあるにすぎても濡るゝ袖かな




津守國助


賤しきもよきも盛の過ぎぬれば老いて戀しき昔なりけり




藤原忠能


年月の隔たるまゝに しかたの忘られはせで猶ぞ悲しき


前大納言基良女


思ひ出もなきいにしへを忍ぶこそ憂を忘るゝ心なるらめ




平行氏


人はいさ戀しからでやこし方を昔とばかり思ひいづらむ




前大僧正禪助

法眼行濟よませ侍りける熊野の十二首の歌の中に


忍ぶべきならひと思ふ ことわりに過ぎて戀しき昔なりけり


藤原忠資朝臣

懷舊の心を


その事の故とはなしに戀しきは我身に過ぎし昔なりけり




讀人志らず


ながらへてわが身に過ぎし昔をも心ならでは誰か忍ばむ




前參議雅有

弘安元年百首の歌奉りし時


まどろまぬ現ながらに見る夢は思ひつゞくる昔なりけり




讀人志らず

題志らず


哀れにも見し世に通ふ夢路かなまどろむ程や昔なるらむ




法眼慶融


見しことを寐覺の床におどろけば老の枕の夢ぞみじかき




源通有朝臣


幾かへり秋の夜ながき寐覺にも昔をひとり思ひ出づらむ




後一條入道前關白左大臣


物思はでながめし秋のありがほに何と昔の月を戀ふらむ




前右衞門督基顯


いたづらにかくては獨みざらまし今夜の月の昔なりせば




前大僧正禪助

御持僧に加はりて二間に侍りける事を思ひ出でゝよみ侍りける


天の下千代に八千代と祈るこそ夜居の昔に變らざりけれ




讀人志らず

懷舊の心を


何とかく思ひもわかで忍ぶらむ過ぎにし方も同じ浮世を




高階基政朝臣


いかなれば戀しとおもふ古の月日にそへて遠ざかるらむ




惟宗盛長

出家すとてよめる


年月はいはで心に思ひこしこの世を今ぞそむき果てぬる




三條入道内大臣

世をそむきて後人の音づれて侍りける返事に


今更に袖の色にや知らるらむかねても染めし心なれども




權中納言公雄

前大納言爲氏かしらおろし侍る由を聞きて遣しける


身を捨てしわが墨染は歎かれでよそに悲しき袖の色かな




前大納言爲氏

返し


なにゆゑかよそに歎かむ心より思ひ立ちぬる墨ぞめの袖




前大納言爲世

平貞時朝臣かしらおろし侍りけるに宣時朝臣同じく出家の由聞きて申し遣しける


世をすつる一方をこそ歎きつれ共に背くと聞くぞ悲しき




平宣時朝臣

返し


年たけぬ人だに背く世中に老いてつれなくいかゞ殘らむ




讀人志らず

題志らず


何とまた心に物を思ふらむかゝらじとてぞ世をば厭ひし




藤原景綱


寐ぬにみる此世の夢よいかならむ驚けばとて現ともなし




法眼源承


如何せむ此世の夢のさめやらで又重ならむ長きねぶりを




後光明峰寺前攝政左大臣

源親長朝臣身まかりにける時をはり亂れぬよし聞きて源邦長朝臣に遣しける


夢の世に迷ふと聞かばうつゝにもなほ慰まぬ別ならまし




源邦長朝臣

返し


見し人の捨てゝ出にし夢の世に止る歎ぞさむるともなき




典侍親子朝臣

平親清の女身まかりて後いもうとの許に申し遣しける


よそに聞く人は驚く夢の世を我のみさめず猶なげくかな




藤原爲道朝臣

題志らず


仇野や風まつ露をよそに見て消えむ物とも身をば思はず




經乘法師

道助法親王かくれ侍りにける頃僧正玄瑜のもとへ申し遣しける


思ひ入るみ山がくれの苔の袖數ならずとて置かぬ露かは




道供法師

性助法親王かくれ侍りて後法眼行濟高野に侍りけるに遣しける


人よりも志たふ心は君もさぞあはれと苔の下に見るらむ




典侍光子

題志らず


哀なり我が身に近き鳥部野の烟をよそにいつまでか見む




荒木田氏忠


おくれじと思ふ心やなき人の迷ふやみぢの友となるらむ




土御門入道内大臣

少將内侍身まかりて後佛事のついでに辨内侍人々に勸めてよませ侍りける歌の中に


跡をとふ人だになくば友千鳥しらぬ浦路に猶やまよはむ




性瑜上人

同行身まかりける跡にまかりて


思ひきやこの秋迄になれ/\て今なき跡をとはむ物とは




衣笠内大臣

後世の事など申しける人に


行止るいづくをつひの宿とてかとへ共人に契り置くべき




法印聖勝

同じ法衆をむすびて跡をとふべきよし契り侍りけるにさきだつ人侍りけるを病にわづらひてさゝげ物調じて遣しけるつゝみ紙にかき付けゝる


いきて社有るにも非ぬ身 なり共なき人數にいつかとはれむ


前大納言爲氏

前關白太政大臣なげく事侍りける頃程へて申し遣しける


問はずとて愚なるにや思ひけむ心をかへて嘆きこし身を




前關白太政大臣

返し


訪れぬも歎にそへてつらかりき心をかふる程をしらねば




僧正慈順

題志らず


かねてなど厭ふ心のなかる覽遂に行くべき道と聞けども




貞空上人

大宮院かくれさせ給ひて後高野山にをさめ奉られける時よみ侍りける


君もまた契ありてや高野山そのあかつきを共に待つらむ




平行氏

題志らず


つひに行く道を誠の別にてうき世にさらば歸らずもがな




藤原秀茂


惜めどもさらぬならひの命にてうきは此世の別なりけり




中務卿宗尊親王

素暹法師わづらふ事侍りけるがかぎりに聞え侍りければ遣しける


限ぞと聞くぞ悲しきあだし世の別はさらぬ習ひなれども




素暹法師

返し


かくつらき別も知らであだし世の習とばかり何思ふらむ




天台座主道玄

普光園入道前關白かくれ侍りて後よみ侍りける


垂乳根のありし其世に哀など思ふばかりも仕へざりけむ




法印覺寛

題志らず


逢坂の關にはあらでしるしらず遂に行くなる道ぞ悲しき




前中納言定家

後京極攝政かくれ侍りけるあくる日從二位家隆とぶらひて侍りければ


昨日までかけて頼みしさくら花ひと夜の夢の春の山かぜ




從二位家隆

返し


悲しさの昨日の夢にくらぶれば移ろふ花も今日のやま風




從三位氏久

後嵯峨院かくれさせ給ひける春、山里の花を見て


さもこそはみ山隱れの花ならめ憂世もしらぬ春の色かな




平親世

おなじ頃龜山殿より花にそへて光俊朝臣の許に遣しける


すみぞめに咲かぬもつらし山櫻花はなげきの外の物かは




大藏卿行家

郁芳門院かくれさせ給ひて又の年の秋御前の萩をみて


萩が花おなじ匂に咲きにけりうかりし秋の露もさながら




讀人志らず

返し


見る度に露けさまさる萩が花をりしりがほに何匂ふらむ




後光明峰寺前攝政左大臣

秋の比圓明寺にて後一條入道前關白の事を思ひ出でゝよみ侍りける


かくばかりなき跡忍ぶ人もあらじわが世の後の秋の山里




前大僧正慈鎭

九條内大臣身まかりて後の秋さがの墓所にまかりてよみ侍りける


山ざとは袖の紅葉のいろぞこき昔を戀ふる秋のなみだに




平時高

題志らず


消えぬまも見るぞはかなきなき人の昔の跡につもる白雪




前關白太政大臣

京極院の十三年に一品經かきて女房の中に遣すとて


跡忍ぶ心をいかであらはさむかゝる御法の知べならずば




法皇御製

後嵯峨院の御事ののち龜山殿にてよませ給ひける


大井川ゆく瀬の浪もおなじくば昔にかへれ君がかげ見む




後一條入道前關白左大臣

從一位倫子のおもひに侍りける頃よみ侍りける


はかなくもこれを形見と慰めて身にそふ物は涙なりけり




津守國助

津守國平身まかりて後よめる


ある世にも斯やはそひし面影の立ちも離れぬ昨日けふ哉




前大僧正良覺

權中納言公宗身まかりて後三月の盡に山階入道左大臣の許に遣しける


うかりける春の別と思ふにも涙にくるゝ今日のかなしさ




法印定爲

藤原爲道朝臣の第三年に結縁經供養し侍りけるついでに、寄菖蒲懷舊を


かけてだに思ひやはせし菖蒲草ながき別の形見なれとは




常磐井入道前太政大臣

東二條院の半物川浪もの申しける男身まかりにけるが教へ置きけるとてかつらの緒の琵琶をひきけるを聞きて


なかばなる月の桂の面かげを思ひ出でゝやかき曇るらむ




東二條院半物川浪

返し


かきくもるなみだも悲し今さらに半の月を袖にやどして




前大納言實冬

前大僧正隆辨八月十五夜身まかりて侍りける一周忌に結縁經の歌そへて秋懷舊と云ふ事を


めぐりあふこぞの今夜の月みてやなき面影を思出づらむ




前權僧正教範

安嘉門院御忌にこもりて侍りける九月十三夜藤原道信朝臣月みるよし申して侍りければ


今夜とて涙のひまもなき物をいかなる人の月を見るらむ




平時範

平時茂都にて身まかりにける後あづまの月を見てよみ侍りける


めぐり逢ふこれや昔の跡ぞともいつか都の月に見るべき




中臣祐親

題志らず


垂乳根の親の見しよの秋ならば月にも袖は絞らざらまし




法眼行濟


戀ひしのぶむかしの秋の月影を苔のたもとの涙にぞ見る




山階入道左大臣

西園寺入道前太政大臣身まかりて第三年の秋常磐井入道前太政大臣の家にて三首の歌よみ侍りけるに、暮秋雨といふ事を


ふりにける年の三とせの秋の雨さらに夕の空ぞかなしき




大藏卿隆博

八月十五夜後一條入道前關白の事思ひ出でゝよみ侍りける


もろ共に見し夜の秋の面影も忘れぬ月にねをのみぞなく




安喜門院大貳

從三位爲繼身まかりて後日數過ぎて人のつぶらひ侍りければ


今さらに悲しき物は遠ざかるわかれの後の月日なりけり




源兼孝朝臣

源時長朝臣身まかりて後第三年の春いもうとの許に申し遣しける


わかれにし後の三とせの春の月面影かすむ夜半ぞ悲しき




中原行實朝臣

後嵯峨院かくれさせ給ひける時素服給ひてよめる


かすむ夜の空よりも猶すみぞめの袖にもくもる春の月影




前大納言爲氏

性助法親王身まかりにける頃法眼行濟が許に申し遣しける


さこそげに夢の別のかなしきは忘るゝまなき現なるらめ




法眼行濟

返し


なにと又驚かすらむうつゝとは思ひもわかぬ夢の別れ路




前大納言成道

西行法師後世の事など申したりければ


驚かす君によりてぞ長き夜の久しき夏はさむべかりける




西行法師

返し


驚かぬ心なりせば世のなかを夢ぞと語るかひなからまし




藤原景綱

題志らず


何かその人の哀もよそならむ浮世の外にすまぬ身なれば




辨内侍

少將の内侍身まかりにける時さまかへて後いく程なくて信實朝臣に後れてよみ侍りける


呉竹のうき一節に身を捨てつ又いかさまに世を背かまし




蓮生法師

なき人を夢に見て人々歌よみ侍りけるに


諸共に行くべき道に先だちて定めなき世の知べをぞする




前太政大臣

京極院かくれさせ給ひての頃雁を聞きて


身を志れば雲居の雁の一つらも後れ先だつねをや鳴く覽




中務卿宗尊親王家三河

わづらひ侍りける時郭公を聞きて


ことゝへよ誰かしのばむ郭公なからむ跡の宿のたちばな




待賢門院堀川

夏のころ西行法師がもとへ遣しける


この世にて語らひ置かむ時鳥志での山路の知べともなれ




大納言師頼

五月のころ大藏卿行宗父の忌日にて侍りけるに遣しける


あしびきの山郭公けふしこそ昔を戀ふるねをば鳴くらめ




入道前太政大臣

前大納言爲家身まかりて後日數過ぐるほどに前大納言爲氏の許に申し遣しける


五月雨の日數はよそに過ぎながらはれぬ涙や袖ぬらす覽




如圓法師

題志らず


なぞもかく露の命といひ置きて消ゆれば人の袖ぬらす覽




法印乘雅


はかなくも消え殘りては歎くかな誰も行くべき道芝の露




興信法師


何としてうき身ひとつの殘るらむ同じ昔の人はなき世に




源兼氏朝臣

九條右大臣身まかりての頃おなじ心になげきける人の許に申し遣しける


君ゆゑに身に惜まれし命こそ後れて殘る今日はつらけれ




法眼慶融

前大納言爲家に後れて後懷舊の歌よみ侍りけるに


たらちねのさらぬ別の涙より見しよ忘れず濡るゝ袖かな





我身いかにするがの山の現にも夢にも今はとふ人のなき

これは寂蓮法師が歌とて僧正道譽が夢に見え侍りけるとなむ。




讀人志らず

題志らず


苔のしたに埋れぬ名を殘しつゝ跡とふ袖に露ぞこぼるゝ




新後撰和歌集卷第二十
賀歌

後鳥羽院御製

百首の歌よませ給ひける中に


龜の尾の岩根を落つるしら玉の數かぎりなき千代の行末




常磐井入道前太政大臣

弘長元年百首の歌奉りける時、山


君がすむ龜のを山の瀧つせは千代を心にさぞまかすらむ




後京極攝政前太政大臣

建仁二年鳥羽殿にて池上松風といふ事をはじめて講ぜられけるに


つかへこし深きながれの池水に猶千代までと松風ぞ吹く




大納言通方

西園寺入道前太政大臣のもとへ松の生ひ立ちける石をつかはすとて


千年まで木高き陰のたねしあれば岩にぞ見ゆる松の行末




西園寺入道前太政大臣

返し


岩の上に豫て植ゑける種しあれば千年の松も例とぞ見る




西行法師

題志らず


君が世のためしに何を思はまし變らぬ松の色なかりせば




基俊

鶴老爭齡といふ事をよみ侍りける


松のはな十かへり咲ける君が代に何を爭ふ鶴のよはひぞ




大藏卿行宗

子日の心を


二葉なる子日の小松ゆく末に花さくまでは君ぞ見るべき




院御製


春日野の子日の松に契置かむ神に引れて千世ふべき身は




土御門院御製


春の野の初子の松の若葉よりさしそふ千代の陰は見え鳬




右近大將道平

題志らず


春日山めぐみも志るき松が枝にさこそさかえめ北の藤浪




惟明親王

千五百番歌合に


朝夕に千とせの數ぞ聞えける松と竹とにかよふあらしは




後京極攝政前太政大臣

建仁三年和歌所にて釋阿に九十の賀給はせける時の屏風の歌に


この頃は秋つ島人ときをえて君がひかりの月を見るかな




前大納言雅言

白河殿の七百首の歌に、磯月


鹽の山さしでの磯の秋の月八千代すむべき影ぞ見えける




法皇御製

祝の心をよませ給ひける


三笠山いのる心のくもらねば月日と共に千世やめぐらむ




前中納言定家

建保六年八月中殿にて池月久明といふ事を講ぜられ侍りけるに


いく千世ぞ袖ふる山のみづがきも及ばぬ池にすめる月影




西園寺入道前太政大臣


千々の秋さやけき月のかげまでも畏き御代にすめる池水




前太政大臣

弘安元年八月に月與秋久といへる心を


君が爲曇らぬ影にすむ月のさやかに千世の秋ぞ知らるゝ




前大納言經任


千とせとも限らぬ御代の例とや秋を契りて月もすむらむ




法皇御製

弘安三年九月十三夜人々に十首の歌めされしついでに、月前祝


諸共におなじ雲居にすむ月のなれて千とせの秋ぞ久しき




院御製

おなじ心をよませ給うける


幾千世もかくこそは見めすむ月の影もくもらぬ秋の行末




皇太后宮大夫俊成女

千五百番歌合に


咲きにけり君が見るべきゆく末は遠里小野の秋はぎの花




正三位家衡

名所の歌奉りける時


久しかれなびく稻葉の末までもとはたの面の世々の秋風




後一條入道前關白左大臣

題志らず


菊の露積りて淵となるまでに老いせぬ花を君のみぞ見む




後京極攝政前太政大臣

文治六年女御入内の屏風に


君が代に匂ふ山路の白菊はいくたび露のぬれてほすらむ




西園寺入道前太政大臣

前中納言定家歳の暮にはじめて京極の家に移りけるに遣しける


新しき春を近しとさきぐさの三葉四葉に兼ねて志らるゝ




前中納言定家

返し


頼む哉春と君としまぢかくば三葉四葉の千世のとなりを




藤原景綱

平時範が常磐の山莊にて、寄花祝と云ふ事をよみける


うつろはで萬代匂へ山ざくら花もときはの宿の志るしに




入道前太政大臣

弘安元年百首の歌奉りし時


水上も末もはるけし大井河君すむやどの絶えぬながれは




太上天皇

寄鶴祝言といふ事を


芦鶴の雲居に通ふ聲のうちにかねても志るし千世の行末




法皇御製

弘安元年百首の歌めされしついでに


草香江の入江のたづも諸聲に千世に八千代と空に鳴く なり


寂蓮法師

千五百番歌合に


浪の上に藥求めし人もあらばはこやの山に道志るべせよ




遊義門院

法皇六十ぢにみたせ給ひけるに壽命經供養せられけるついでに銀の杖奉らるとて


つく杖に六十ぢこえ行く今年より千年の坂の末ぞ久しき




照念院入道前關白太政大臣

弘安八年三月從一位貞子九十の賀給はせける時よみ侍りける


年へぬる老木の花も此春のみゆきに逢ひて千世や重ねむ




前關白左大臣


九十ぢにふるかひありて君が爲けふのみゆきも萬代の春




太上天皇

東二條院七十ぢにみたせ給ひける時よみ給ひける


百年に君が七十ぢ逢ひにあひて共に八千世の春や待つ覽




院御製


祝ひそむる今日をや千代の始とて契る齡の末ぞはるけき




入道前太政大臣

從一位貞子九十の賀給はせける時よみ侍りける


代々の跡に猶立越ゆる老の波よりけむ年は今日の爲かも




津守經國

後鳥羽院の御時八十島のまつりによみ侍りける


天の下のどけかるべし難波がた田蓑の島に御祓志つれば




前中納言家光

嘉禎元年大甞會の悠紀の神樂の歌、石戸山


神代より祈るまことの志るしには岩戸の山の榊をぞとる




民部卿經光

寛元四年悠紀の風俗の歌、三神山


玉椿かはらぬ色を八千代とも三神の山ぞときはなるべき




前中納言兼仲

正安三年悠紀の風俗の神樂の歌、三神山


榊とる三神の山にゆふかけて祈るひつぎの猶やさかえむ






新後撰和歌集終
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Last Modified: Tuesday, August 31, 2004
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