Title: Shin goshui wakashu
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Title: Kokka taikan
Author: Anonymous
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14th century Japanese fiction poetry masculine/feminine LCSH 11/2002
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11/2002
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新後拾遺和歌集卷第一
春歌上

前大納言爲定

立春の心を詠み侍りける


天つそら霞へだてゝ久かたの雲居はるかに春や立つらむ




源俊頼朝臣

春のはじめの歌


立ちかへる春の志るしは霞しく音羽の山の雪のむらぎえ




順徳院御製

百首の歌めしけるついでに


音羽川山にや春の越えつらむせき入れておとす雪の下水




太政大臣

延文二年後光嚴院に百首の歌奉りける時、霞を


春といへば頓て霞のなかに落つる妹背の川も氷解くらし




前中納言定家

建仁元年五十首の歌奉りける時


にほの海や今日より春に逢坂の山もかすみて浦風ぞ吹く




壬生忠岑

題志らず


足引の山のかひよりかすみ來て春知りながら降れる白雪




参議雅經

千五百番歌合に


睛れやらぬ雲は雪げの春風に霞あまぎるみよし野のやま




後京極攝政前太政大臣

正治二年後鳥羽院に百首の歌奉りける時


吉野山ことしも雪のふる里に松の葉しろき春のあけぼの




前大納言爲氏

弘長元年後嵯峨院に百首の歌奉りける時、春雪を


立ちわたる霞のうへの山風になほ空さむく雪は降りつゝ




應安六年仙洞にて廿首の歌講ぜられしついでに

後光嚴院御製


なほ冴ゆる雪げの空のあさ緑分かでもやがてかすむ春哉




左大臣

百首の歌奉りし時、山霞を


山の端に晴れぬ雪げを残しても春立ちそふは霞なりけり




從二位家隆

惟明親王の家の十五首の歌に


橋姫の霞の衣ぬきをうすみまださむしろのうぢの河かぜ




伊勢

題志らず


春霞立ちての後に見わたせば春日の小野は雪げさむけし




衣笠前内大臣

弘長元年百首の歌奉りけるとき、春雪


さらに又むすぼゝれたる若草の末野の原に雪は降りつゝ




讀人志らず

題志らず


打ち羽ぶき鳴けどもはねの白妙にまだ雪さむきはるの鶯




鷹司院按察

寳治二年後嵯峨院に百首の歌奉りける時、朝鶯


花もまだ匂はぬ程の朝な/\鳴けやうぐひす春と思はむ




亀山院御製

弘安元年百首の歌召されけるついでに


梅が香を木づたふ枝にさきだてゝ花にうつろふ鶯のこゑ




後醍醐院御製

正中二年百首の歌召されけるついでに、鶯をよませ給うける


春の來るしるべとならば咲きやらぬ花をもさそへ鶯の聲




後照念院關白太政大臣

嘉元元年後宇多院に百首の歌奉りける時


くれ竹のねぐらかたよる夕かぜに聲さへなびくはるの鶯




山邊赤人

題志らず


春の野に鳴くや鶯なつけむと我家のそのに梅のはな咲く




源信明朝臣

雪の梅の木に降りかゝれるを詠める


降る雪のしたに匂へる梅の花忍びに春のいろぞ見えける




太政大臣

貞和二年光嚴院に百首の歌奉りける時


降りかゝる梢の雪の朝あけにくれなゐうすき梅のはつ花




前大納言爲家

若菜を詠み侍りける


いざ今日は衣手濡て降る雪の粟津の小野に若菜摘みてむ




大中臣能宣朝臣


春日野の若菜も今は萠ゆらめど人には見せず雪ぞ降積む




民部卿爲藤

文保三年後宇多院に百首の歌奉りける時


里人は今や野原に降るゆきの跡も惜まずわかな摘むらむ




前關白近衛

百首の歌奉りし時、若菜


消えがての雪も友待つ春の野に獨ぞ今朝は若菜摘みける




御製

同じ心を詠ませ給うける


今朝は先野守を友と誘ひてや知らぬ雪間の若菜摘まゝし




前大納言爲氏

弘長の百首の歌奉りける時


誰か又雪間を分けて春日野の草のはつかに若菜摘むらむ




前大納言爲定

文保三年百首の歌奉りける時


且消ゆる遠方野邊の雪間より袖見えそめて若菜摘むなり




中務卿宗尊親王

題志らず


霜雪に埋もれてのみ見し野邊の若菜摘む迄なりにける哉




常磐井入道前太政大臣

弘長の百首の歌奉りける時 


都人今日や野原に打群れて知るも知らぬも若菜摘むらむ




後京極攝政前太政大臣

家の百首の歌合に、若草


雪消ゆる枯野の下のあさ緑去年の草葉や根にかへるらむ




前中納言定家

建保二年内裏に百首の歌奉りける時


それながら春は雲居に高砂の霞のうへのまつのひとしほ




清原深養父

題志らず


春霞たなびきわたる卷向の檜原のやまのいろのことなる




權中納言爲重

百首の歌奉りし時、山霞を


佐保姫の霞の衣おりかけてほす空たかきあまの香具やま




讀人志らず

題志らず


足引の山の絶え%\見えつるは春の霞の立てるなりけり




御製

百首の歌召されしついでに、浦霞の心を


春きぬと霞の衣たちしよりまどほにかゝる袖のうらなみ




等持院贈左大臣

貞和二年百首の歌奉りける時


難波潟芦火の烟そのまゝにやがてぞかすむこやの松ばら




正三位知家

題志らず


春の色は分きてそれともなかりけり烟ぞ霞む鹽がまの浦




常磐井入道前太政大臣

弘長の百首の歌奉りける時


今更にかすまずとても難波潟ながむる物を春のあけぼの




前大納言爲世

嘉元元年奉りける百首の歌に、梅


梢をばよそに隔てゝ梅の花かすむかたよりにほふ春かぜ




己心院前攝政左大臣


いづくぞと梅の匂を尋ぬればしづが垣根に春かぜぞ吹く




伏見院御製

梅夕薫の心をよませ給うける


木の間より映る夕日の影ながら袖にぞあまる梅の下かぜ




藤原爲冬朝臣

春の歌あまた詠み侍りける中に


梢をばさそひもあかず梅が香のうつる袖まで春風ぞ吹く




後光嚴院御製

延文二年百首の歌めされしついでに、梅を


咲き匂ふ軒端のうめの花ざかりさそはぬ程の風は厭はじ




康資王母

梅の歌とて


梅の花ひも解く春の風にこそ匂ふあたりの袖はしみけれ




殷富門院大輔

人々にすゝめ侍りける百首の歌に


折る袖にふかくも匂へ梅の花その移り香を誰かとがめむ




讀人志らず

題志らず


紅のこぞめの梅の花の枝は咲くも咲かぬも色に出でつゝ




權大納言爲遠

延文の百首の歌奉りし時


いろよりも猶たぐひなき紅のこぞめはうめの匂なりけり




前大納言爲家

弘長元年奉りける百首の歌に、梅


梅の花色香ばかりをあるじにて宿は定かに訪ふ人もなし




式子内親王

同じ心を


袖の上に垣根の梅は音づれて枕に消ゆるうたゝ寐のゆめ




大納言旅人

天平二年正月梅の花の宴し侍るとて詠み侍りける


我が宿に梅の花散る久方のそらより雪の降ると見るまで




曾禰好忠

題志らず


絶ゆる世もあらじとぞ思ふ春を經て風に片よる青柳の糸




前關白近衛

百首の歌奉りし時、柳


立ちならぶ梢はあれど青柳の糸のみなびく春かぜぞ吹く




後光嚴院御製

延文の百首の歌召されしついでに、同じ心を詠ませ給うける


吹く風の心も知らで一かたになびきなはてそ青柳のいと




前大納言爲定

文保三年百首の歌奉りけるに


飛鳥風吹きにけらしなたをやめの柳のかづら今靡くなり




寳篋院贈左大臣

柳を詠める


今朝見れば柳のまゆの淺みどり亂るゝまでに春風ぞ吹く




前大納言爲氏

おなじ心を


淺緑色そめかけてはるかぜの枝にみだるゝあを柳のいと




等持院贈左大臣

延文の百首の歌に


雨はれて露の玉ぬく青柳のはなだの糸にはるかぜぞ吹く




左大臣

百首の歌奉りし時、春雨


春雨の降る日や今日も暮れぬらしまだ落止まぬ軒の玉水




源家長朝臣

春の歌の中に


春雨に野澤の水はまさらねど萌出づる草ぞ深くなりゆく




正三位知家

建保の百首の歌奉りける時


難波女のすくもたく火の打しめり蘆屋の里に春雨ぞ降る




光嚴院御製

題志らず


妻戀を人にやつゝむ山もとの霞がくれにきゞす鳴くなり




民部卿爲藤

文保の百首の歌奉りける時


隔て行く霞もふかき雲居路のはるけき程にかへる雁がね




法印定爲

歸雁を


言傳てむ道行きぶりも白雲のよそにのみして歸る雁がね




權大納言爲遠

百首の歌奉りし時、同じ心を


春を經て歸りなれたる古郷に待つべき物と雁や行くらむ




前參議爲實

文保の百首の歌奉りける時


越の海やなれける浦の波ゆゑにかならず歸る春の雁がね




藤原隆祐朝臣

春の歌とて


時わかぬ河瀬の波の花にさへわかれてかへる春の雁がね




土御門院御製


志ら浪の跡こそ見えね天のはら霞のうらにかへる雁がね




中務卿具平親王


鳴き歸る雁の羽風に散る花をやがて手向の幣かとぞ見る




從三位爲信

嘉元の百首の歌に


歸る雁都の春にいつなれてありなば花の憂きを知るらむ




建禮門院右京大夫

暗夜歸雁と云ふ事を


花をこそ思ひも捨てめ有明の月をも待たでかへる雁がね




前大納言俊光

嘉元の百首の歌奉りける時


横雲の空に別れて行くかりの名殘もこめぬ春のあけぼの




贈從三位爲子


誰かはと思ひし春をおのれのみ恨み果てゝや歸る雁がね




務卿宗尊親王

弘長元年七月七日、十首の歌合に


ためのこし人の玉章今はとてかへすに似たる春の雁がね




寳篋院贈左大臣

延文の百首の歌に、花


咲きやらぬ花待つほどの山の端に面影みせてかゝる白雲




伏見院御製

霞間花と云ふ事を詠ませ給うける


櫻花咲けるやいづこ三吉野のよしのゝ山は霞みこめつゝ




題志らず

御製


櫻花今や咲くらむみよし野の山もかすみて春さめぞ降る




後醍醐院御製

正中の百首の歌めされしついでに


みよしのゝ山の山守 こととはむ今幾日ありて花は咲きなむ


藤原光俊朝臣

春の歌の中に


櫻花いま咲きぬらし志がらきの外山の松に雲のかゝれる




中園入道前太政大臣

延文の百首の歌奉りけるに


明くる夜の外山の花は咲きにけり横雲匂ふ空と見るまで




新後拾遺和歌集卷第二
春歌下

源俊頼朝臣

題志らず


櫻花咲きぬる時は三吉野の山のかひよりなみぞ越えける




藤原清輔朝臣


小泊瀬の花のさかりやみなの川峯より落つる水の白なみ




道命法師


吉野山花の下ぶし日かず經てにほひぞ深きそでの春かぜ




光明峰寺入道前攝政左大臣


足引の山ざくら戸の春風におし明け方ははなの香ぞする




和泉式部

源道濟雲林院の花見にまかりて侍りけるに其の櫻を折りて、又見せむ人しなければ櫻花今一枝をおらずなりぬると申し送り侍りける返事に


いたづらに此の一枝はなりぬなり殘りの花を風に任すな




前大納言爲世

嘉元の百首の歌奉りける時


ひと枝も折らで歸らば古里に花見ぬものと人やおもはむ




一品法親王寛尊

花の歌とて


かへさにもいかゞ手折らむ山櫻花に劣らぬ家へともがな




津守國冬


山ざくら散りのまがひの頃よりも家路忘るゝ花盛かな




從二位嚴子

花の歌の中に


白雲にまがへてだにも志をりせし花の盛や家路わすれむ




登蓮法師

題志らず


年ごとに染むる心の驗あらば如何なる色に花の咲かまし




從二位業子


あかず見る心を知らばさくら花なれよ幾世の春も變らで




前大納言爲定

文保三年奉りける百首の歌に


春を經て志賀の故郷いにしへの都は花の名にのこりつゝ




權大納言爲遠

延文の百首の歌に、花


今も尚咲けば盛のいろ見えて名のみふりゆく志賀の花園




白河院御製

題志らず


白雲の絶間にかすむ山ざくら色こそ見えね匂ふはるかぜ




寂蓮法師


白雲の重なる峯に尋ねつる花はみやこの木ずゑなりけり




後土御門入道内大臣

建長六年、三首の歌合に


山たかみ尾上の櫻咲きしより雲居はるかににほふ春かぜ




權中納言爲重

松間花を詠める


松の葉のかすめる程はなけれども尾上に遠き花の色かな




後三條入道前太政大臣

文保の百首の歌奉りける時


隔つるも同じ櫻のいろなればよそめ厭はぬかづらきの雲




一品法親王法守

題志らず


日に添へて雲こそかゝれ葛城や高間の花は早さかりかも




左大臣

百首の歌奉りし時、見花を


かづらきやうつるよそめの色ながら雲まで匂ふ山櫻かな




後西園寺入道前太政大臣

弘安元年龜山院に百首の歌奉りける時


たちかくす絶間も花の色なれや雲ゐる峯のあけ方のそら




前大納言爲家

春の歌の中に


見渡せば今やさくらの花盛くものほかなる山の端もなし




順徳院御製

百首の歌めされしついでに


花の色に猶をり知らぬかざしかな三輪の檜原の春の夕暮




八條院高倉

建保の内裏の百番歌合に


これならで何をこの世に志のばまし花にかすめる春の曙




前右大臣

百首の歌奉りし時、盛花


時の間に移ろひやすき花のいろは今を盛と見る空もなし




讀人志らず

題志らず


春風も心して吹け我が宿は花よりほかのなぐさめもなし




源邦長朝臣

花の歌の中に


暮れはてゝ色もわかれぬ梢より移ろふ月ぞ花になりゆく




惟明親王

題志らず


吉野山あらしや花をわたるらむ木末にかをる春の夜の月




大納言經信

月前落花を


春の夜の月ばかりとや眺めまし散來る花の陰なかりせば




伏見院御製

曉庭落花と云ふ事を


木ずゑには花もたまらず庭の面の櫻にうすき有明のかげ




前大納言爲定

文保三年百首の歌奉りける時


春毎のつらき習ひに散ると見て有るべき花を猶や慕はむ





せめて我が近きまもりの程だにも御階の櫻散さずもがな




謙徳公

春の歌の中に


花誘ふ風は吹くとも九重のほかには志ばし散さずもがな




修理大夫顕季


櫻花にほふにつけて物ぞ思ふかぜの心のうしろめたさに




俊惠法師

花の散りけるを見てよめる


待ちしより豫て思し散る事の今日にも花のなりにける哉




後鳥羽院宮内卿

和歌所にて釋阿に九十の賀給はせける時の屏風に


のどかなる梢ばかりと思ひしに散るも盛りと見ゆる花哉




藤原實方朝臣

題志らず


暮ると明くと見ても目かれず池水の花の鏡の春の面かげ




法性寺入道前關白太政大臣


谷隱れ風に知られぬ山ざくらいかでか花の遂に散るらむ




太政大臣

延文の百首の歌奉りける時


三吉野の瀧つ河内に散る花や落ちても消えぬ水泡なる覽




從三位仲子

百首の歌奉りし時


大井川櫻をつれてこす波にせくとも見えぬ水の志がらみ




後鳥羽院御製

春の御歌の中に


雲居なる高間の櫻散りにけり天つ少女のそでにほふまで




前關白近衛

百首の歌奉りし時


風かよふ尾上の櫻散りまがひつもらぬ程も雪と見えつゝ




常磐井入道前太政大臣

惜花といへる心を


散りまがふ花の跡吹く山風にかたみあだなる峰の志ら雲




津守國夏

題志らず


櫻色も我がそめ移すから衣花はとめけるかたみだになし




入道二品親王尊道

百首の歌奉りし時、落花


さくら花散りぬる庭の盛だにありてうき世と春風ぞ吹く




後光嚴院御製

延文二年百首の歌召されしついでに、同じ心を


庭にだにとめぬ嵐を喞たばや散るをば花の咎になすとも




權大納言時光


雲と見え雪と降りてもとゞまらぬ習ひを花に猶喞つかな




鷹司院帥

題志らず


昔より移ろふからに恨むるを苦しき世とや花の散るらむ




凡河内躬恒

延喜十三年、亭子院の歌合の歌


現には更にもいはず櫻花ゆめにも散ると見えば憂からむ




關白前左大臣

百首の歌奉りし時


さそひ行く嵐の末も吹きまよひ木のもとうすき花の白雪




爲冬朝臣

題志らず


春風のよそに誘はぬ花ならば木の本のみや雪とつもらむ




權大納言忠光

百首の歌奉りし時、落花を


山ざくら散りていくかぞ踏み分くる跡だに深き花の白雪




[1]御


山人の歸るつま木のおひ風につもれどかろき花のしら雪




前關白九條


木のもとに降ると見えても積らぬは嵐やはらふ花の白雪




寳篋院贈左大臣

花の歌あまた詠み侍りけるに


おぼろなる影とも見えず軒近き花に移ろふ春の夜のつき




伏見院御製

霞間月を詠ませ給うける


木の間洩る影ともいはじよはの月霞むも同じ心づくしを




太政大臣

百首の歌奉りし時、春月


さらでだに影見え難き夕月夜出づる空よりまづ霞みつゝ




權中納言爲重

河上春月と云ふ事を


夜と共に霞める月の名取河なき名といはむ晴間だになし




芬陀利花前關白内大臣

文保三年百首の歌奉りけるに


照りもせぬならひを春の光にて月に霞の晴るゝ夜ぞなき




崇徳院御製

題志らず


暗部山木の下かげの岩つゝじたゞこれのみや光なるらむ




前中納言定家

建保三年内裏の百首の歌奉りける時

岩つゝじ云はでや染むる志のぶ山心のおくの色を尋ねて




順徳院御製

百首の歌詠ませ給うける中に


水鳥の羽がひの山の春のいろにひとりまじらぬ岩棡かな




儀同三司

百首の歌奉りし時、苗代


昨日けふ返すと見えて苗代のあぜ越す水もまづ濁りつゝ




小野小町

題志らず


色も香も懐かしきかな蛙鳴く井手のわたりの山吹のはな




圓光院入道前關白太政大臣


山吹の花越す浪も口なしに移ろひ行くか井手のたまがは




皇太后宮大夫俊成

爲忠朝臣の家に百首の歌詠ませ侍りけるとき、瀧下山吹を


たきつ瀬の玉散る水やかゝるらむ露のみ志げき山吹の花




後宇多院御製

嘉元の百首の歌めしけるついでに、山吹


散る花のかたみもよしや吉野川あらぬ色香に咲ける山吹




前右兵衛督爲教

弘安の百首の歌奉りける時


惜めどもうつる日數に行く春の名殘をかけて咲ける藤波




清原元輔

小野宮太政大臣の家にて藤の花惜みけるに詠める


藤の花こき紫のいろよりも惜むこゝろを誰れか染めけむ




平兼盛

天徳四年内裏の歌合に詠める


我が行きて色見るばかり住吉の岸の藤波折りなつくしそ




左大臣

百首の歌奉りし時、藤を


松が枝にかゝるよりはや十返りの花とぞ咲ける春の藤波




太政大臣

延文の百首の歌奉りけるに、同じ心を


春の日の長閑けき山の松が枝に千世もとかゝる北の藤波




紀貫之

波の上に藤のかゝれるを見て詠める


水の面に咲きたる藤を風吹けば波の上にも波ぞ立ちける




千種入道前太政大臣

延文二年百首の歌奉りけるに


池の面の水草かたよる松風にみなそこかけてにほふ藤波




從一位宣子

百首の歌奉りし時


末の松咲きこす藤の波のまに又や彌生のはるも暮れなむ




前中納言定家

九條前内大臣の家の三十首のうたの中に、江上暮春を


堀江漕ぐ霞の小舟行きなやみ同じ春をもしたふころかな




民部卿爲藤

嘉元の百首の歌奉りける時、暮春


今はたゞ殘るばかりの日數こそとまらぬ春の頼なりけれ




皇太后宮大夫俊成女

題志らず


積りぬる別れは春にならへども慰めかねて暮るゝ空かな




土御門内大臣


如何計り今日の暮るゝを嘆かまし明日もと春を思わざりせば




常磐井入道前太政大臣

弘長元年百首の歌奉りける時、三月盡


月日とてやすくな過ぎそ暮れて行く彌生の空の春の別路




みつね

同じ心を


徒然と花を見つゝぞ暮しつる今日をし春の限とおもへば




[1] Shinpen kokka taikan (Tokyo: Kadokawa Shoten, 1983, vol. 1; hereafter cited as SKT) reads 御製.




新後拾遺和歌集卷第三
夏歌

前中納言定家

正治二年百首の歌奉りける時


脱ぎかへてかたみとまらぬ夏衣さてしも花の面影ぞ立つ




嘉陽門院越前

千五百番歌合に


夏衣いそぎかへつるかひもなく立ちかさねたる花の面影




深守法親王

百首の歌奉りし時、更衣


今日と云へば早ぬぎかへぬ花衣散りて幾かの形見 なりけむ


後西園寺前内大臣女

遲櫻の咲きて侍りけるを見て詠める


何をかは春のかたみと尋ねまし心ありける遲ざくらかな




藤原爲冬朝臣

元弘三年、立后の屏風に、新樹を


青葉にも暫し殘ると見し花の散りてさながら茂る頃かな




贈從三位爲子

百首の歌詠み侍りける時に


袖にこそ移らざりけれ卯の花の垣根ばかりの夜はの月影




法印淨辨

夕卯花と云ふ事を


卯の花の垣根ばかりの夕月夜をちかたびとの道や迷はむ




常磐井入道前太政大臣

弘長元年百首の歌奉りける時


布晒す宇治のわたりの垣根より珍しげなく咲ける卯の花




前右兵衛督教定

中務卿宗尊親王の家の百首の歌に


神祭る今日は葵のもろかづら八十氏人のかざしにぞさす




讀人志らず

藤原爲道朝臣二たび賀茂の祭の使勤めて侍りけるにいひ遣しける


君が代に二たびかざす葵草神のめぐみもかさねてぞ知る




藤原爲道朝臣

かへし


君が代に又たちかへり葵草かけてぞ神のめぐみをば知る




前中納言匡房

堀川院に百首の歌奉りけるとき、葵を


大空のひかりに靡く神山の今日のあふひや日影なるらむ




花山院御製

夏の御歌の歌の中に


春を今はいたくも戀ひじ足びきの山郭公うらみもぞする




侍從爲親

法印長舜すゝめ侍りける八幡の社の歌に


つれなさや變らざるらむ人毎に待つとのみ聞く時鳥かな




前中納言實任

文保三年百首の歌奉りける時


まだ聞かぬ恨もあらじ郭公鳴きぬと告ぐる人なかりせば




忠岑

題志らず


郭公おのが初音を心から鳴かでやひとにうらみらるらむ




[2]A子内親王


出でなばと頼めも置かぬ山の端の月に待たるゝ郭公かな




後二絛院御製


鳴きぬべき頃と思へば時鳥寐覺にまたぬあかつきぞなき




後京極攝政前太政大臣

正治二年百首の歌奉りける時


今こむとたのめやはせじ郭公ふけぬよはを何恨むらむ




御製

人々に百首の歌召されしついでに


つらき名の立つをば知らで時鳥鳴く音計りと何忍ぶらむ




前大納言爲氏

時鳥の歌とて詠める


遂に聞く物ゆゑなどて郭公まづいそがるゝ初音なるらむ




源義將朝臣

左大臣の家にて人々三首の歌詠み侍りし時、待時鳥の心を


山ざとに去年まで聞きし郭公都に待つといかで知らせむ




前大納言經繼

嘉元の百首の歌奉りける時、同じ心を


待ち侘ぶる心にまけよ郭公しのぶならひの初音なりとも




衣笠前内大臣

弘長元年百首の歌奉りける時


忍び音を誰れに知らせて時鳥稀なる頃に待たれそめけむ




寳篋院贈左大臣

延文の百首の歌奉りける時


心をも我こそ儘せほとゝぎす誰がため惜む初音なるらむ




中宮大夫公宗母

時鳥を


わきてまづ我に語らへ郭公待つらむ里はあまたありとも




前内大臣

延文の百首の歌に


郭公人傳にのみ聞きふりてうき身よそなる音こそつらけれ




前大僧正慈鎭

題志らず


千枝にこそかたらはずとも時鳥信太の森のひと聲もがな




正三位知家

名所の百首の歌奉りけるに


郭公今やみやこへいづみなる志のだの杜のあけがたの聲




後嵯峨院御製

五十首の御歌の中に


是ぞげに初音なるらむ聞く人も待ちあへぬ間の郭公かな




西行法師

題志らず


郭公思ひも分かぬ一こゑを聞きつといかで人にかたらむ




平氏村

曙郭公


明くるをぞ待つべかりける横雲の嶺より出づる郭公かな




權中納言爲重

里郭公と云ふ事を


山路をば今朝越えぬとや時鳥やがて音羽の里に鳴くらむ




後光明峯寺攝政左大臣

山里にて郭公を聞きて


この里もなほつれなくば時鳥いづくの山の奧をたづねむ




赤人

題志らず


宵の間もおぼつかなきを時鳥鳴くなる聲のほどの遙けき




野宮入道前内大臣


知らせばやたゞ一こゑの郭公待ちしにまさる心づくしを




前中納言爲秀

貞和の百首の歌奉りける時


なべて世に難面きよりも時鳥里わく頃の音こそつらけれ




從三位宣子

百首の歌奉りし時


時ははや知りぬるころの郭公この里人も聞きやふりなむ




左大臣

上のをのこども時鳥數聲と云ふ事を仕うまつりけるに


いく聲とかぞへむ物を時鳥鳴きつとばかりなに思ひけむ




家にて人々三首の歌詠み侍りしに、菖蒲を


菖蒲草今日はかけよと長き根を袖より見する時は來に鳬




枇杷皇太后宮

五月五日藥玉をおくるとて


ながき世の例に引けば菖蒲草同じ淀野もわかれざりけり




法成寺入道前攝政太政大臣

返し


おりたちて引ける菖蒲の根を見てぞ今日より長き例ともしる




前關白太閤

百首の歌奉りし時、菖蒲


菖蒲草今日刈る跡に殘れるや淀野に生ふる眞菰なるらむ




前關白近衛


引き結ぶあやめの草の枕をば旅とやいはむ一夜寐にけり




中宮大夫公宗

夏の歌の中に


長き根を引くに任せて沼水の深さ知らるゝあやめ草かな




一品法親王寛尊


隱沼に生ひて根深きあやめぐさ心も知らず誰かひくらむ




後光嚴院御製

百首のうためされしついでに、五月雨


五月雨はあやめの草の志づくより猶落ちまさる軒の玉水




前中納言匡房

夏の歌とて


五月雨はやどにつくまの菖蒲草軒の雫に枯れじとぞ思ふ




寂蓮法師

題志らず


小山田に水引き侘ぶる賤の男が心や晴るゝさみだれの空




皇太后宮大夫俊成

百首の歌よみ侍りける中に


種蒔しわさ田の早苗植ゑて鳬いつ秋風の吹かむとすらむ




民部卿爲藤

題志らず


小山田に板井の清水くみためて我が門去らず取る早苗哉




進子内親王


杉立てる外面の谷に水おちて早苗すゞしき山のしたかげ




前大納言爲定

文保の百首の歌奉りけるに


早苗取る同じ田面も山かげの暮るゝかたよりかへる里人




前關白九絛

百首の歌奉りし時、橘


匂ひ來る花たちばなの夕風は誰がむかしをか驚かすらむ




左大臣

右大將に任じ侍りて後内裏にて三十首の歌講ぜられし時、簷橘を


ためしある御階の右にうつるより猶袖ふれて匂ふたち花




中納言家持

夏の歌の中に


我が宿の花たちばなに郭公夜ふかく鳴けば戀まさりけり




前關白近衛


鳴く音をや忍び果てまし時鳥己が五月のなき世なりせば




藤原清正


夏の夜の月待つ程は郭公我がやどばかり過ぎがてに鳴け




山階入道前左大臣


をち返り鳴きふるせども郭公猶あかなくに今日は暮しつ




藤原爲尹朝臣

百首の歌奉りし時、郭公遍を


をちこちにはや鳴きふるす郭公今は聞きても誰に語らむ




後鳥羽院御製

題志らず


夏の夜の夢路に來鳴く子規覺めても聲はなほのこりつゝ




皇太后宮大夫俊成女

名所の百首の歌奉りける時


五月雨のをやむ晴間の日影にもなほ雲深しあまの香具山




權中納言爲重

百首の歌奉りし時、五月雨雲


暮れぬとて出づべき月も待ち侘びぬ雲に峰なき梅雨の頃




津守國量


いとゞ猶八重立つ雲の五月雨に横川の水もさぞ増るらむ




順徳院兵衛内侍

建保の百首の歌奉りし時


五月雨に小笹が原を見渡せば猪名野につゞくこやの池水




順徳院御製


眞菰生ふる伊香保の沼のいか計り浪越えぬらむ梅雨の頃




後西園寺入道前太政大臣

文保三年百首の歌奉りける時


日を經れば元の道さへ忘れ水野澤となれるさみだれの頃




從二位家隆

題志らず


庭の面に任せし水も岩越えてよそにせきやる五月雨の頃




寳篋院贈左大臣

延文の百首の歌奉りけるに


五月雨の水かさを見れば飛鳥川昨日の淵も淺瀬なりけり




關白前左大臣

百首の歌奉りし時、河五月雨


飛鳥川明日さへ降らば淵は瀬に戀るも知らじ五月雨の頃




御製

同じ心を詠ませ給うける


三吉野や川音たかき五月雨に岩もと見せぬ瀧のしらあわ




前右大臣

百首の歌奉りし時、五月雨


庭清くなりぞしぬらし五月雨に藻くづ流るゝ山河のみづ




頓阿法師

題志らず


名のみして山は朝日の影も見ず八十うぢ川の五月雨の頃




前中納言爲相

嘉元の百首の歌奉りけるに


湊川うは波早くかつ越えてしほまでにごる五月雨のころ




津守國道

夏の歌の中に


いとゞ猶入海とほくなりにけり濱名の橋の五月雨のころ




前大納言爲定

前大僧正慈勝人々に詠ませ侍りし千首の歌の中に


五月雨に落ちそふ瀧の白玉や頓てふり行く日數なるらむ




太政大臣

延文二年百首の歌奉りけるに、五月雨


しばしほす波の間もなし蜑衣田簑の志まの五月雨のころ




津守國夏

同じ心を


伊勢のあまの鹽やき衣此の程やすつとは云はむ梅雨の頃




從三位行能

名所の百首の歌奉りけるに


難波潟こやの八重ぶき洩りかねて芦間に宿る夏の夜の月




左兵衛督基氏

題志らず


忘れては春かとぞ思ふ蚊遣火の烟にかすむ夏の夜のつき




權大納言爲遠

百首の歌奉りし時、夏月


更けてこそ置くべき霜を宵の間に暫し見せたる庭の月影




前大僧正隆辨

同じ心を


見る程もなくて明行く夏の夜の月もや人の老となるらむ




從二位嚴子


待ち出づる山の端ながら明けにけり月に短き夏の夜の空




和泉式部

照射を詠める


夏の夜は照射の鹿のめをだにも合せぬ程に明けぞしにける




權中納言爲重


五月闇ともす火串の松山に待つとて鹿のよらぬ夜もなし




前大納言爲世

文保三年百首の歌奉りけるに


大井川山もと遠く漕ぎつれてひろ瀬にならぶ篝火のかげ




惟宗光吉朝臣

二品親王の家の五十首の歌に、鵜川の心を詠み侍りける


鵜飼舟のぼりもやらぬ同じ瀬に友待ちそふる篝火のかげ




權大納言時光

延文二年百首の歌奉りける時


鵜飼舟くだす早瀬の河波に流れて消えぬかゞり火のかげ




前參議忠定

名所の百首の歌奉りける時


夏草はしげりにけりな大江山越えて生野の道もなきまで




從二位家隆


春ぞ見しみつの御牧にあれし駒ありもやすらむ草隠れつゝ




後京極攝政前太政大臣

正治の百首の歌の中に


吾妹子が宿のさゆりの花かづら長き日暮しかけて凉まむ




太政大臣

延文の百首の歌奉りけるに、螢


穗に出でぬ尾花がもとの草の名もかつ顕れて飛ぶ螢かな




式子内親王

正治の百首の歌に


水暗き岩間にまよふ夏虫のともし消たでも夜を明すかな




按察使資康

百首の歌奉りし時


掬ぶ手のあかぬ志づくも影見えて石井の水に飛ぶ螢かな




後鳥羽院御製

千五百番歌合に


風をいたみ蓮のうき葉に宿占めて凉しき玉に蛙なくなり




前大納言實教

題志らず


風通ふ池のはちす葉なみかけてかたぶく方につたふ白玉




光嚴院御製

貞和の百首の歌召しけるついでに


夕立の降りくる池の蓮葉にくだけてもろき露の志らたま




後深草院辨内侍

寶治の百首の歌奉りけるとき、夕立


おのづからかたへの雲や晴れぬらむ山の端遠き夕立の空




祝部成茂


夏山の木の葉の色は染めねども時雨に似たる夕立のそら




前參議能清

夏の歌の中に


一むらはやがて過ぎぬる夕立の猶くも殘る空ぞすゞしき




僧正果守


夕立の一むら薄つゆ散りて虫の音添はぬあきかぜぞ吹く




前大納言爲定

延文二年百首の歌奉りけるに


鳴る神の音ばかりかと聞くほどに山風烈しゆふだちの空




前大納言公蔭


稻妻の光の間ともいふばかりはやくぞ晴るゝ夕立のそら




前大納言爲世

嘉元の百首の歌奉りける時


夕立のかつ%\晴るゝ雲間より雨をわけてもさす日影哉




後宇多院御製


過ぎにけり軒の雫は殘れども雲におくれぬ夕だちのあめ




讀人志らず

題志らず


行く末は露だにおかじ夕立の雲にあまれるむさし野の原




前大納言實教

蝉を


村雨の名殘の露はかつ落ちて本末にとまる蝉のもろごゑ




前大納言俊光女


雨晴るゝ夕かげ山に鳴く蝉の聲より落つる木々の下つゆ




後山本前左大臣

文保の百首の歌奉りける時


わけ過ぐる山志た道の追風にはるかに送る蝉のもろごゑ




前中納言定家

名所の百首の歌奉りける頃


蝉の羽の衣に秋をまつら潟ひれふる山のくれぞすゞしき




太政大臣

延文二年百首のうた奉りけるに、納凉


涼しさはいづれともなし松風の聲のうちなる山の瀧つ瀬




源頼之朝臣

同じ心を


靜かなる心の中や松かげのみづよりも猶すゞしかるらむ




前中納言雅孝


山もとのならの木蔭の夕すゞみ岩もるみづに秋風ぞ吹く




後醍醐院御製


凉しくば行きても汲まむ水草ゐる板井の清水里遠くとも




後京極攝政前太政大臣

和歌所にて六首の歌奉りける時


松立てる與謝の湊の夕すゞみ今も吹かなむ沖つ志ほかぜ




好忠

題志らず


芦の葉に隱れて住めば難波女のこやは夏こそ凉しかりけれ




等持院贈左大臣

貞和二年百首の歌奉りける時


難波人御祓すらしも夏かりの芦の一夜にあきをへだてゝ




權大納言爲遠

百首の歌奉りし時、六月祓


みたらしや誰が御祓とも白木綿の知らず流るゝ夏の暮哉




入道二品親王尊道


みたらしや引く手も今日は大幣の幾瀬に流す御祓なる覽




前大納言資名

夏の歌の中に


御祓川年も今宵の中空に更くるをあきとかぜぞすゞしき




入道二品親王覺譽

延文の百首の歌奉りける時、夏祓


御祓してかへさ夜深き河波の秋にかゝれる音のすゞしさ




左京大夫顯輔

同じ心を


河の瀬に生ふる玉藻の行く水になびきてもする夏禊かな




[2] The kanji for A is not available in the JIS code table. The kanji is Morohashi's Dai Kan-wa jiten kanji number 21114. Tetsuji Morohashi, ed., Dai Kan-Wa jiten (Tokyo: Taishukan shoten, 1966-68).




新後拾遺和歌集卷第四
秋歌上

太政大臣

百首の歌奉りし時、初秋の心を


朝戸あけの軒端の荻に吹きてけり一葉のさきの秋の初風




等持院贈左大臣

貞和二年百首の歌奉りける時


此寐ぬる朝げの風の變るより荻の葉そよぎ秋や來ぬらむ




前中納言爲相

文保三年百首の歌奉りける時


昨日まで人に待たれし凉しさをおのれと急ぐ秋の初かぜ




前關白近衛

百首の歌奉りし時


凉しさの増る計りを吹き變る風とて今日は秋や來ぬらむ




西宮左大臣

題志らず


今日よりは秋の始と聞くからに袖こそ痛く露けかりけれ




皇太后宮大夫俊成女

寶治の百首の歌奉りける時


風かはる夏の扇は手になれて袖にまづ置く秋のしらつゆ




贈從三位爲子

嘉元の百首の歌奉りけるに、七夕


淵は瀬にかはらぬ程も天の河としのわたりの契にぞ知る




花園院御製

同じ心を詠ませ給うける


鵲の渡せる橋のひまを遠み逢はぬ絶間の多くもあるかな




御製

百首の歌めされしついでに


年を經て今日よりほかの逢ふ瀬をば誰が柵ぞ天の川なみ




入道二品親王性助

きても猶うすき契や恨むらむとしに稀なる天の羽ごろも




入道一品親王法守

織女契と云ふ事を


七夕の戀も恨もいかにして一夜のほどに云ひつくすらむ




左大臣

百首の歌奉りける時、荻


夜の程の露の下荻おと立てゝ今朝ほにしるき秋風ぞ吹く




前關白太閤


秋風の吹きしく時は荻の葉のおとぞ中々きこえざりける




後西園寺入道前太政大臣

文保三年百首の歌奉りけるに


音づるゝ情ばかりを待ちえてもおのれ寂しき荻の上かぜ




祝部行氏

題志らず


荻の葉の露をも袖に誘ひきてあまる涙にあきかぜぞ吹く




前中納言定資


小牡鹿の朝立つ跡もあらはれて露まばらなる野邊の萩原




從二位嚴子


宮城野に志がらむ鹿の跡なれや本あらの小萩露も溜らず




前參議忠定

名所の百首の歌奉りけるに


宮城野の露わけ衣朝立てばわすれがたみのはぎが花ずり




正三位通藤女

題志らず


露のぬき弱きも知らず宮城野の萩のにしきに秋風ぞ吹く




藤原行輔朝臣


眞萩咲く秋の花野のすり衣露にまかせてなほや分けまし




前大納言爲定

文保三年百首の歌奉りける時


咲きてこそ野中の水に映りけれ古枝の萩の本のこゝろは




御製

百首の歌めされし時、萩を詠ませ給うける


九重や今住む宿の萩の戸をいく世古枝のいろに咲くらむ




前大納言爲世

嘉元の百首の歌奉りける時


野邊ごとに招けばとても花薄袖をたのみてくる人もなし




山階入道左大臣

題志らず


招くとて行くもとまるも同じ野に人だのめなる花薄かな




法印長舜

民部卿爲藤詠ませ侍りける十首の歌に


招くとはよそに見れども花薄我かと云ひて訪ふ人もなし




源頼之朝臣

野徑薄を


打拂ふ袖よりなびく初尾花わくるを野邊とあき風ぞ吹く




民部卿爲藤

嘉元の百首の歌奉りけるに


花薄誰をとまれといはくらの小野のあきつに人招くらむ




中務卿宗尊親王

題志らず


いまよりの誰が手枕も夜寒にて入野の薄あきかぜぞ吹く




後京極攝政前太政大臣

家の百首の歌合に、野分


昨日まで蓬に閉ぢし柴の戸も野分に晴るゝ岡のべのさと




從二位家隆


かりにさす庵までこそ靡きけれ野分に堪へぬ小野の篠原




瞻西上人

苅萱を詠める


咲き交る花のあだ名も立ちぬべし何亂るらむ野邊の苅萱




前中納言定家

入道二品親王の家の五十首の歌に、尋虫聲


松虫の鳴く方遠く咲く花のいろ/\惜しき露やこぼれむ




後西園寺入道前太政大臣

弘安元年百首の歌奉りける時


暮れ行けば虫の音にさへ埋れて露もはらはぬ蓬生のやど




前大納言爲氏

弘長元年百首の歌に、虫を


芦垣のまぢかきほどの蛬おもひやなぞといかでとはまし




太政大臣

貞和二年百首の歌奉りける時


よそに聞くこゑだにあるを蛬枕の志たになにうらむらむ




後嵯峨院御製

人々に百首の歌めしけるに、曉虫を詠ませたまうける


曉の枕の志たに住みなれて寐覺ことゝふきり%\すかな




寶篋院贈左大臣

延文二年奉りける百首の歌に


見るまゝに門田の面は暮れ果てゝ稻葉に殘る風の音かな




從三位仲子

百首の歌奉りし時


見渡せば山だの穗波かた寄りに靡けばやがて秋風ぞ吹く




前大納言俊光

文保の百首の歌に


夢覺むるひたの庵の明け方に鹿の音寒くあきかぜぞ吹く




參議雅經

健保二年内裏の秋の十五首の歌合に、秋鹿


思ひ入る山にても又鳴く鹿の尚憂きときやあきの夕ぐれ




從二位業子

夜鹿と云ふ事を


妻戀の心は知らず小牡鹿の月にのみ鳴くこゑぞ更けゆく




御製

百首の歌召されしついでに


心からあはれならひの妻戀に誰が秋ならぬ小牡鹿のこゑ




讀人志らず

題志らず


秋を經て變らぬ聲に鳴く鹿は同じつまをや戀ひ渡るらむ




祝部成光

權大納言爲遠の家にて人々三首の歌詠みはべりけるに


眞萩散る秋の野風やさむからし尚この暮は鹿ぞ鳴くなる




左衛門督資教

百首の歌奉りし時、鹿


ねに立てゝ秋に變らぬ妻戀をなれぬる物と鹿や鳴くらむ




前大納言爲世

嘉元の百首の歌に、秋夕


詠めじと思ひ棄つれど哀のみ身にそひて憂き秋の夕ぐれ




權中納言爲重

百首の歌奉りし時、同じ心を


一方に思ひわくべき身の憂さのそれにもあらぬ秋の夕暮




前中納言定家

健保の百首の歌奉りけるに


誰が方による鳴く鹿の音に立てゝ涙移ろふ武藏野のはら




崇徳院御製

秋の御歌の中に


雁がねのかき連ねたる玉章を絶え%\にけつ今朝の秋霧




權少僧都覺家

題志らず


霧晴れぬ空にはそこと知らねどもくるを頼むの雁の玉章




前關白太閤

百首の歌奉りし時、雁


誰が爲とうはの空なる玉づさを必ずかけて雁はきぬらむ




坂上是則

同じ心を


いく千里ほどは雲居の秋ごとに都を旅とかりのきぬらむ




寶篋院贈左大臣

延文二年百首のうた奉りけるに、雁


いつしかと鳴きて來にけり秋風の夜寒知らるゝ衣雁がね




中務卿宗尊親王

秋の歌の中に


この里は村雨降りて雁がねの聞ゆる山にあきかぜぞ吹く




衣笠前内大臣

題志らず


佐保山の木ずゑも色や變るらむ霧立つ空に雁はきにけり




入道二品親王覺譽


をち力の霧のうちより聞き初めて月に近づく初雁のこゑ




前中納言定家

名所の百首の歌奉りける時


はつ雁の來鳴く常磐のもりの露そめぬ雫も秋は見えけり




常磐井入道前太政大臣

弘長元年百首の歌奉りける時


かへりみば此方もさこそ隔つらめ霧に分け入る秋の旅人




後光明照院前關白左大臣

文保三年百首の歌奉りけるに


峯になる夕日の影は殘れども霧より晴るゝをちの山もと




讀人志らず


河霧のみをも末より隙見えて絶え%\落つる宇治の柴舟




權中納言爲重

百首の歌奉りし時、霧


立ち曇る霧のへだても末見えて阿武隈河にあまる志ら浪




皇太后宮大夫俊成女

寶治の百首の歌奉りける時


立ちこむる關路も知らぬ夕霧に猶吹き越ゆる須磨の秋風




後岡屋前關白左大臣

貞和の百首の歌に


暮るゝよりやがて待たるゝ心にも習はで遅き山の端の月




前右大臣

百首の歌奉りし時、峯月


出でやらぬ嶺よりをちの月影にあたり映ろふ村雲のそら




等持院贈左大臣

題志らず


程もなく松より上になりにけり樹間に見つる山の端の月




權大納言爲遠

延文二年百首の歌奉りける時


峯越ゆる程こそ知らねゐる雲の立ちそふ隙を出づる月影




後鳥羽院御製

月の御歌の中に


石見潟高津の山にくも晴れてひれふる峯を出づる月かげ




伏見院御製

月前風と云ふ事を詠ませ給うける


むら雲も山の端遠くなり果てゝ月にのみ吹く峰の松かぜ





嵐吹く峯のうき雲さそはれて心もそらに澄めるつきかげ




後光嚴院御製

延文二年百首の歌召されし次でに


行くへなく漂ふ雲を吹きかけて風にもしばし曇る月かな




後宇多院御製

龜山殿にて人々題を探りて千首の歌仕うまつりけるついでに、月を


空に澄む物ならなくに我が心月見る度にあくがれて行く




後京極攝政前太政大臣

同じ心を


雲消ゆる千里のほかの空冴えて月よりうづむ秋の白ゆき




藤原盛徳


山の端の月に立ちそふ浮雲のよそになるまで秋風ぞ吹く




津守國久


吹分くる木の間も著し秋風につれて出でぬる山の端の月




正三位成國


雲拂ふ風のあとより出で初めてさはる影なき秋の夜の月




源經氏


誘はれて月にかゝれる浮雲もやがて晴れ行くよはの秋風




津守國夏


天の原月のみやこも玉敷のひかりにみがく秋かぜぞ吹く




前大納言爲定

文保の百首の歌奉りける時


天つ風いかに吹くらむ久方の雲のかよひぢ月ぞさやけき




後二條院御製

月の歌とて詠ませ給うける


更科や姨捨山もさもあらばあれ唯我がやどの雲の上の月




待賢門院堀河

題志らず


逢坂の關の杉むら霧こめて立つとも見えぬゆふかげの駒




皇太后宮大夫俊成

法性寺入道前關白の家の百首の歌に


清見潟波路さやけき月を見てやがて心やせきをもるらむ




皇太后宮大夫俊成女

健保の内裏の三首の歌合に、秋野月


思ひ出でよ露を一夜の形見にて篠分くる野邊の袖の月影




太宰權帥仲光

題志らず


小男鹿の志がらむ萩に秋見えて月もいろなる野路の玉川




大藏卿有家


絶々に見ゆる野中の忘れ水夜がれがちにや月も澄むらむ




前大納言爲兼

弘安の百首の歌に


蓬生の露のみ深き古さとにもと見しよりも月ぞすみける




前大納言實教

建武元年九月十三夜内裏にて人々題を探りて歌つかうまつりけるに、水邊月


夜もすがら空を映して行く水に流れて更くる月の影かな




津守國道

題志らず


三島江は芦の葉隱れ茂ければ漕ぎ出でゝ見る秋の夜の月




讀人志らず

水上月を


水やそら空や水とも見え分かず通ひて澄める秋の夜の月




新後拾遺和歌集卷第五
秋歌下

順徳院御製

秋の御歌の中に


秋田もるかりほの苫屋薄からし月に濡れたるよはのさ莚




仁和寺二品法親王守覺

田家曉月と云へる事を


明けぬとは宵より見つる月なれど今ぞ門田に鴫も鳴くなる




津守國助

題志らず


霧晴るゝ田面の末の山の端に月立ち出でゝ秋かぜぞ吹く




如願法師


わさ田もる床の秋風吹き初めて假寐寂しき月を見るかな




前大納言爲定

文保の百首の歌奉りける時


夜な/\は月の影もやうつるらむ遠山どりのをろの鏡に




御製

人々に廿首の歌めされしついでに


天の河くもの志がらみ洩れ出でゝ緑の瀬々に澄める月影




讀人志らず

題志らず


月の舟さし出づるより空の海ほしの林は晴れにけらしも




津守經國

水郷月を


久方の中にありてふ里の名を空に知れとも澄める月かな




法眼慶融

題志らず


かずならぬ身を知る袖の涙とも月より外は誰かとふべき




爲冬朝臣


あくがるゝ心の果よ孰く迄さやけきよはの月にそふらむ




從三位爲信

嘉元の百首の歌奉りけるに、月


あくがれむ心の果も身の憂さも秋に任せて月を見るかな




藤原仲實朝臣

同じ心を


諸共に見るとはなしに行き歸り月に棹さす舟路なりけり




前大納言爲家

月の歌の中に


さしかへる雫も袖の影なれば月になれたる宇治の河をさ





月かげもにほてる浦の秋なれば鹽やくあまの烟だになし




御製

百首の歌めされしついでに、潟月


夕汐のさすには連れし影ながら干潟にのこる秋の夜の月




左兵衛督基氏

磯月を


舟とむる磯の松蔭くるゝ間にはや月のぼる浦のとほやま




左大臣

百首の歌奉りし時、湖月


月ばかり澄めとぞなれる小波や荒れにし里は志賀の浦風




安嘉門院高倉

寶治の百首の歌奉りける時、同じ心を


鏡山くもらぬ秋の月なればひかりをみがく志賀の浦なみ




前關白近衞

百首の歌奉りし時


山の名を分けては云はじ月影のにほてる海も鏡なりけり




源頼春朝臣

月の歌とて


さゞ波の音にもよはや更けぬらし月に靜まる志賀の浦風




前中納言基成


あくがれてこと浦ならば出でなまし須磨の浮寐に見つる月影




藤原信實朝臣

西園寺入道前太政大臣の家にて人々十首の歌詠ませ侍りける時、橋月


道遠き佐野の舟橋夜をかけて月にぞ渡るあきのたびゞと




藤原長秀

題志らず


あらち山矢田の庵野の月影にやどり殘さぬ淺茅生のつゆ




從一位宣子

百首の歌奉りし時


小笹しく猪名野の月の更くる夜にふし原寒きつゆの手枕




伏見院御製

月前露を詠ませ給うける


更けぬるか露のやどりも夜寒にて淺茅が月に秋風ぞ吹く




仁和寺二品法親王守覺

題志らず


荒間もる軒端の月は露滋き志のぶよりこそ宿り初めけれ




信實朝臣

弘長元年百首の歌奉りける時、月


濡れてこそ月をも宿せ我が袖の露をばほさじ涙なりとも




正二隆教

嘉元の百首の歌奉りけるに、同じ心を


それをだに身の思出と慰めて秋のいく夜か月を見つらむ




伏見院御製

山路月を


誰に又月より外はうれへましなれぬ山路の秋のこゝろを




大藏卿有家

題志らず


末の松待つ夜更け行く空晴れて涙より出づる山の端の月




等持院贈左大臣

延文二年百首の歌奉りけるに


音ばかり志ぐるとぞ聞く月影の曇らぬよはの峯の松かぜ




惟宗光之朝臣

前大納言實教人々に三十首の歌詠ませ侍りけるに、松間月


山風に志ぐるゝ松を洩る月は雲間に出づる影かとぞ見る




西行法師

題志らず


誠とも誰か思はむひとり見て後にこよひの月をかたらば




後鳥羽院御製

建永の頃太神宮に奉らせ給うける百首の御歌の中に


思ふこと我が身にありや空の月片敷く袖に置ける志ら露




正三位知家

月の歌とて詠める


積るとて厭ひしかども身はふりぬ今は飽く迄月をだに見む




光俊朝臣

秋の歌の中に


積るとも何のためにか厭ふべき老いぬる後の秋の夜の月




權中納言公雄

文保三年百首の歌奉りける時


身一つに積り果てたる老なれば心のまゝに月をこそ見れ




津守國冬

題志らず


夜寒なる野寺の鐘はおとづれて淺茅が霜と澄める月かげ




民部卿資宣


初瀬山明けぬと月におどろけば夜深き鐘の音ぞきこゆる




平貞秀

曉月の心を詠める


いづるより入る迄見るを秋の夜の月には誰か寐覺しつ覽




前大納言爲世

同じ心を


西になる影は木の間に顯れて松の葉見ゆるありあけの月




皇太后宮大夫俊成

爲忠朝臣の家の百首の歌に、有明月


秋の夜のふかき哀は有明の月見しよりぞ知られ初めにし




從二位爲敦

永和四年九月十三夜内裏にて十三首の歌構ぜられけるに、月前虫


露はまだ結びもかへぬ月影を草葉の霜とむしや鳴くらむ




大江宗秀

題志らず


終夜つゆのやどりに鳴くむしのなみだ數そふ庭の淺茅生




太政大臣


宵の間に置くなる野邊の露よりも猶こと繁き虫の聲かな




按察使資明

蛬を詠める


長き夜は絶間もあれや蛬鳴きつくすべきうらみならぬを




式乾門院御匣

前大納言爲氏人々に詠ませ侍りし住吉の社の十首の歌に


きり%\す鳴く音も悲し人知れず秋の思のふかき寢覺に




津守國冬

嘉元の百首の歌奉りけるに


浪を越す尾花がもとによわるなり夜寒の末の松虫のこゑ




後京極攝政前太政大臣

題志らず


今年見る我が元結の初霜に三十ぢあまりの秋ぞ更けぬる




頓阿法師


里人は衣うつなり志がらきの外山の秋や夜さむなるらむ




神祇伯顯仲

堀河院に百首の歌奉りける時


唐衣この里人のうつ聲を聞き初めしよりぬる夜半ぞなき




前中納言定宗

入道二品親王詠ませ侍りける五十首の歌に


里人や夜寒の霜のおきゐつゝ更くるも知らず衣うつらむ




兵部卿長綱

題志らず


小夜衣うつ聲さむし秋風の更け行く袖に志もや置くらむ




三善爲連


あくがるゝ心なればや小夜衣明くるも知らず月に擣つ覽




前大僧正覺濟


秋ふかき夜寒は里を分かねばや同じ心にころも擣つらむ




鎌倉右大臣

月前擣衣を


小夜更けて半たけ行く月かげにあかでや人の衣擣つらむ




寶篋院贈左大臣

題志らず


宵の間は志ばしとだえて有明の月よりさらに擣つ衣かな




從二位行家

九條前内大臣の家の百首の歌合に


あすかには衣擣つなりたをやめの袖の秋風夜寒なるらし




前中納言定家

題志らず


山水の老いせぬ千代をせきとめておのれ移ろふ白菊の花




貫之

小野宮の大いまうち君の屏風の繪に長月の九日の日のかたかけるを詠める


露とてもあだにやは見る長月の菊は千歳を過すと思へば




藤原基任

題志らず


いつまでに老いせぬ秋とかざしけむ戴く霜の志ら菊の花




前大納言爲定

文保三年百首の歌奉りける時


分け過ぐる山路の菊の花の香に濡れてもほさぬ袖の白露




前大納言實教


日數こそ移ろひ果てめ暮れて行く秋をばのこせ庭の白菊




權大納言實直母

秋の歌に


白菊の一色ならず移ろふや八重咲く花の志るしなるらむ




中勢卿宗尊親王

古郷秋風と云ふ事を


故郷の垣ほの蔦もいろづきて河原のまつに秋かぜぞ吹く




藤原行朝

題志らず


初霜の岡の葛はら今よりはうらがれわたる秋かぜぞ吹く




好忠


最どしく夜を長月になりぬれば寢覺がちにて明すべき哉




從二位家隆


明方に秋の寐ざめやなりぬらむ殘るかたなく物ぞ悲しき




讀人志らず


夕されば雁の越え行く立田山時雨にきほひ色づきにけり




入道一品親王法守

山紅葉を


初時雨降りにし日より足引の山の木の葉は紅葉しぬらし




柿本人丸

同じ心を


露霜の置く朝より神なびの三室のやまはいろづきにけり




欣子内親王


日に添へて色こそ増れ昨日より今日は志ぐるゝ峯のもみぢ葉




前内大臣

百首の歌奉りし時、杜紅葉


染めてけり時雨も露もほしやらぬ雫の杜の秋のもみぢ葉




讀人志らず

題志らず


唐錦おりはへそめよ山姫のたちきる袖のつゆも志ぐれも





立田姫紅葉の庵にすみなさばたまらで染めよ露も時雨も




源和義朝臣


むら時雨降り出てそむる紅も今いくしほの紅葉なるらむ




津守國夏


唐錦時雨の雨のたてぬきに織りかけてほす山のもみぢ葉




太政大臣

延文二年百首の歌奉りけるに


立田川紅葉を水のみかさとやうつるも深き色に見ゆらむ




津守國冬

伏見院に三十首の歌奉りける時、山紅葉を


もみぢ葉も誰が禊とて立田山秋風吹けばぬさと散るらむ




儀同三司

百首の歌奉りし時、瀧紅葉


となせ川山もひとつのもみぢ葉に染めて殘らぬ瀧の白糸




源義將朝臣


となせ川紅葉に咽ぶたきつ瀬の中なる淀や色まさるらむ




前内大臣


まだきより散るかとぞ見るもみぢ葉の移りて落つる山の瀧つ瀬




内大臣

題志らず


嵐山散らぬ紅葉の影ながら移れば落つるたきの志らなみ




前大納言爲兼

弘安の百首の歌に


秋深き紅葉の幣の唐にしきけふも手向のやまぞ志ぐるゝ




伏見院御製

題志らず


行く秋の末葉の淺茅露ばかりなほ影とむるありあけの月




後深草院辨内侍

百首の歌奉りける時


名殘をば夕の空にとゞめ置きて明日とだになき秋の別路




新後拾遺和歌集卷第六
冬歌

中務卿宗尊親王

初冬の心を


秋よりも音ぞ寂しき神無月あらぬ時雨や降りかはるらむ




前大納言爲定

文保三年百首の歌奉りける時


今朝はなほ志ぐれもあへず神無月日數や冬の始なるらむ




等持院贈左大臣

貞治二年三百首の歌奉りけるに


信樂の外山の空のうちしぐれ今日や里人ふゆを知るらむ




山階入道前左大臣

弘安元年龜山殿にて十首の歌講ぜられけるに、初冬雨時


袖濡れし秋のなごりも慕はれて時雨を冬と定めかねつゝ




深守法親王

百首の歌奉りし時、時雨


降るもかつ晴るゝもやすき我袖の涙乾かぬ時雨なりけり




前大納言爲世

同じ心を


風に行くたゞ一村の浮雲にあたりは晴れて降る時雨かな




源高秀


聞きなれし木の葉の音はそれながら時雨に變る神無月哉




藤原爲量朝臣


山風のさそひもやらぬうき雲の漂ふ空はなほしぐれつゝ




前大僧正道意


わきて又曇るとはなき村雲の往來につけて猶志ぐれつゝ




津守國冬

嘉元の百首の歌奉りける時


山の端に暫し絶間のある程や里までめぐる時雨なるらむ




法印慶運

題志らず


曇るとも分かぬ山路の木の間より日影と共に洩る時雨哉




山本入道前太政大臣

山時雨と云へる事を


山の端に漂ふ雲の晴れぞのみ浮きて時雨の降らぬ日ぞなき




前中納言定家

名所の百首の歌奉りける時


淡路島むかひの雲の村時雨そめもおよばぬすみよしの松




前大納言爲氏

弘安元年百首の歌奉りける時


嵐山脆き木の葉に降りそへて峯行く雲もまた志ぐれつゝ




藤原泰宗

題志らず


誘はるゝ嵐と共に志ぐれきて軒端に散るは木の葉 なりけり


藤原行春


神無月今や落葉の初時雨にはを木ずゑにそめ變へてけり




源藤經

寶篋院贈左大臣の家にて人々三首の歌詠み侍りけるに、落葉


山風の吹く方にのみ誘れて木の葉は根にも歸らざりけり




前大僧正公朝

同じ心を


足引の山颪吹きて冬はきぬいかに木の葉の降り増るらむ




前參議能清


外山なる楢の落葉をさそひ來て枯野にさわぐ木枯のかぜ




前關白近衞

百首の歌奉りし時


千しほとは何急ぎけむ色深き木葉よりこそ散初めにけれ




源重之女

題志らず


四方の山木々の紅葉も散果てゝ冬はあらはになりにける哉




昭慶門院一條

嘉元の百首の歌奉りける時


梢にはさてもかへらぬもみぢ葉を庭よりおくる木枯の風




權大納言忠光

百首の歌奉りける時


落ち積る程より薄き紅葉かなあらしやにはを又拂ふらむ




太政大臣

貞和二年百首の歌奉りし時


亂れつる落葉は庭に志づまりて弱るあらしを梢にぞ聞く




皇太后宮大夫俊成

百首の歌詠み侍りけるに


初霜は降りにけらしな志ながどり猪名の笹原色變るまで




俊頼朝臣

堀川院に百首の歌奉りけるに、霜


住吉の千木の片そぎ行きも逢はで霜置き迷ふ冬は來に鳬




祝部成光

寒草の心を詠める


人目さへかれ行く霜の古郷に殘るも寂しにはのふゆぐさ




前大納言爲定

文保三年百首の歌奉りける時


枯れ殘る冬野の尾花うちなびき誰が手枕も霜や置くらむ




皇太后宮大夫俊成

冬の歌の中に


難波潟芦の枯葉にかぜさえて汀のたづも志もに鳴くなり




權中納言爲重

江寒蘆を


難波江やあしの夜な/\霜氷り枯葉亂れて浦かぜぞ吹く




津守國助

後西園寺入道前太政大臣の家の十首の歌に


入江なるあしの霜枯かりにだに難波の冬をとふ人もがな




從三位雅家

百首の歌奉りし時、寒蘆


難波潟枯れても立てる芦の葉の折れ臥す迄と浦風ぞ吹く




源義種

題志らず


霜さやぐよはも更け行く篠の葉に氷れる月を拂ふ山かぜ




平重時朝臣


霜枯の野なかにこほる忘水志のぶかげなきふゆの夜の月




權中納言公時


閨の上に積る木葉を吹きわけて風ぞ板間の月は見せける




從二位行家

弘長元年百首の歌奉りける時、冬月


村雲の斯れとてしも烏羽玉の夜渡る月のなど志ぐるらむ




順徳院御製

同じ心を詠ませ給うける


志ぐれつる村雲ながら吹く風を知らでや月の山を出づ覽




百首の歌召されしついでに


清瀧や岩間によどむ冬がはのうへは氷にむすぶつきかげ




從二位隆博

弘安の百首の歌に


庭まではやどるとも見ず山川の氷のうへをみがく月かげ




寶篋院贈左大臣

延文二年百首の歌奉りける時


空よりも影や冴ゆらむ池水の氷にやどるふゆの夜のつき




前大納言資季

題志らず


久かたの月のかゞみとなる水をみがくは冬の氷なりけり




等持院贈左大臣

延文二年百首の歌奉りけるに


二見潟月影冴えて更くる夜に伊勢島とほく千鳥鳴くなり




醍醐入道太政大臣

千五百番歌合に


小夜千鳥浦傳ひ行く涙の上にかたぶく月も遠ざかりぬる




御製

百首の歌召されしついでに、千鳥


風に寄る浪のまくらを厭ひ來て汐干や床と千鳥鳴くらむ




前大納言爲定

文保三年百首の歌奉りけるに


友千鳥何をかたみの浦づたひ跡なき波に鳴きて行くらむ




左近中將親雅

上のをのこども三首の歌仕うまつりける時、浦千鳥


浪よりも先にと立ちて浦風の吹き越す磯に鳴く千鳥かな




伴周清

題志らず


沖つ波立ちも歸らで潮風の吹き志くかたに鳴く千鳥かな




按察使資明

貞和二年百首の歌奉りける時


舟いだす與謝の港のあけ方に友呼ぶこゑは千鳥なりけり




寶篋院贈左大臣

延文二年百首の歌奉りけるに、千鳥


解けて寐ぬ須磨の關守夜や寒き友呼ぶ千鳥月に鳴くなり




源氏頼

題志らず


楫枕うき寐も寒き浦風にゆめをさそひて鳴く千どりかな




贈從三位爲子

嘉元の百首の歌奉りける時


冬の夜はつがはぬをしも友と見よ同じ入江にやどる月影




郁芳門院安藝

題志らず


逢ふ事の滯りたる水の上につがはぬ鴛のうき音をぞ鳴く




等持院贈左大臣

貞和二年百首の歌奉りし時


置く霜を拂ひかねてや青羽なる鴨の羽がひも色變るらむ




權大納言具通

題志らず


下くゞる道と見し間に鳰どりのうき巣をかけて氷る池水




左大臣

百首の歌奉りし時、水鳥


薄氷なほ閉ぢやらで池水の鴨のうき寐を志たふなみかな




二品法親王承覺

題志らず


おのづから氷に洩れて行く浪も末は音せぬ山がはのみづ




正三位成國


絶え%\になほ水上は流れきて氷にとまる山がはのみづ




前中納言實遠

百首の歌奉りし時、氷


落ちたぎつ碎くる波は岩越えて行く瀬に氷る山川のみづ




藤原長秀

同じ心を


澤田川袖つく程のなみもなしこほりにわたる眞木の繼橋




入道贈一品親王尊圓

貞和二年百首の歌奉りけるに


あじろ木にせかるゝ水や氷るらむ音こそ弱れ宇治の川波




惟明親王

題志らず


網代木に寄りくる色は一つにて止らぬ氷魚や宇治の川波




從二位家隆

冬の歌の中に


志ぐれつる宵の村雲冴えかへり更け行く風に霰降るなり




後二條院御製


嵐吹く楢のひろ葉の冬枯にたまらぬ玉はあられなりけり




入道二品親王尊道

百首の歌奉りし時、霰


暫しこそ音も聞ゆれ楢の葉のともにたまらず散る霰かな




常磐井入道前太政大臣

弘長元年百首の歌奉りける時、同じ心を


枯れ果てゝ霜の下なる荻の葉も碎くばかりに降る霰かな




源頼光

題志らず


音たてゝ降れどもいとゞ溜らぬや小笹が上の霰なるらむ




寶篋院贈左大臣

延文の百首の歌の中に、鷹狩


今日も早交野のみのに立つ鳥の行方も見えず狩暮しつゝ




源貞世

同じ心を


はし鷹のと返る山の木の下にやどり取るまで狩暮しつゝ




前參議實名

延文の百首の歌奉りける時


御狩する交野の雪の夕ぐれに天の川かぜさむく吹くらし




皇太后宮大夫俊成

百首の歌詠み侍りけるに


御狩する交野の小野に日は暮れぬ草の枕を誰にからまし




按察使資康

百首の歌奉りし時


狩人の暮るれば歸る鈴の音に合せぬとりや草がくるらむ




寂眞法師

題志らず


御狩塲のつかれの鳥のおち草は中々雪のつもるにぞ知る




前大納言爲兼

弘安の百首の歌に


この里は志ぐれて寒き冬の夜の明くる高嶺に降れる白雪




御製

百首の歌めされし時、庭雪


峯にまづよその眺めはふりぬれど庭こそ雪の始なりけれ




龜山院御製

曙雪を詠ませ給うける


ほの%\と明け行く山の高嶺より横雲かけて降れる白雪




藤原雅幸朝臣

題志らず


さえあかす嵐の程も今朝見えて雪に別るゝ峯のよこぐも




權大僧都經賢


月はなほ雲間に殘る影ながら雪に明け行くをちの山の端




讀人志らず


足引の山の白きは我が宿に昨日のくれに降りしゆきかも




從三位爲理

庭雪を


今朝はまづともなふ方に誘はれて人をも待たず庭の白雪




前中納言定家

名所の百首の歌奉りけるに


有乳山峯の木枯さきだてゝ雲の行くてに落つる志らゆき




前大納言爲家

雪の歌の中に


矢田の野に打出でゝ見れば山風の有乳の嶺は雪降りに鳬




津守國貴


今朝は猶まだ霜がれと見ゆるまで初雪うすき淺茅生の庭




後徳大寺左大臣


久かたの空も紛ひぬ雲かゝる高間の山にゆきの降れゝば




源兼氏朝臣

樵路雪と云ふ事を


さらでだにかへさ苦しき山人のつま木の上に積る雪かな




津守國助

題志らず


吉野山奧よりつもる志ら雪の古郷ちかくなりまさるかな




法印顯詮


三吉野の山の通路絶えしより雪降るさとは訪ふ人もなし




源氏經朝臣


奥山のまさ木のかづら埋れて雪にはいとゞ來る人もなし




源有長朝臣


誰か又同じ山路をたどるらむ越ゆればうづむ跡の志ら雪




仲實朝臣

八條太政大臣の家に歌合しはべりけるに、雪を詠める


いつの間に降り積りぬる雪なれば歸る山路に道迷ふらむ




從二位行家

弘長元年百首の歌奉りける時


降り積る上葉の雪の夕ごりに氷りてかゝるまつの下つゆ




光明峰寺入道前攝政左大臣

後鳥羽院に奉りける百首の歌の中に


佐野の岡越え行く人の衣手に寒き朝げのゆきはふりつゝ




左大臣

百首の歌奉りし時、庭雪


草枯に殘ると見えし籬さへ猶あともなくうづむゆきかな




入道二品親王尊道

野雪を


立ち歸る君ぞ殘さむ跡絶えし野べの深雪の古きためしは




源義將朝臣


氷るぞと見しよりくまぬいなみ野の野中の水を埋む白雪




法眼行濟

題志らず


訪はでふる日數のみこそ積りけれ今日も跡なき庭の白雪




法印淨辨

閑居雪を


山深きすみかならずば庭の雪に訪はれぬ迄も跡や待たれむ




寂蓮法師

和歌所にて六首奉りけるに


山人の道のたよりも自から思ひ絶えねとゆきは降りつゝ




贈從三位爲子

嘉元の百首の歌奉りける時


跡惜む我が習はしに云ひなさむさのみ訪はれぬ庭の白雪




前大納言爲世

題志らず


踏分けて出でつるもとの跡をさへ又降り埋む庭の雪かな




小侍從

千五百番歌合に


跡つけしその昔こそ悲しけれ長閑につもる雪を見るにも




式部卿邦省親王

題志らず


庭にこそ積り添へけれ松が枝の梢のゆきを拂ふあらしに




後三條入道前太政大臣

文保の百首の歌に


沖つ風吹き越す磯の岩根松浪こそかゝれゆきはたまらず




元可法師

海邊雪を


埋もれぬ烟をやどの志るべにて雪に潮くむさとの海士人




權中納言爲重

同じ心を


渡つ海の浪もひとつに冴ゆる日の雪ぞかざしの淡路島山




從三位頼政

題志らず


身の上にかゝらむことぞ遠からぬ黒髮山に降れる志ら雪




卜部兼直


雲のぼる富士の山風そら冴えて烟も見えず雪ぞ降りつゝ




源頼春朝臣


冴ゆる日に猶たき増る炭竈の烟はゆきもうづまざりけり




前大納言善成


炭竈のあたりの松も埋もれて殘るけぶりは雪よりぞ立つ




寶篋院贈左大臣

炭竈煙といふ事をよみ侍りける


炭竈の烟の末もうち靡きゆき吹きおろす小野のやまかぜ




讀人志らず


なげきのみ大原山の炭竈に思ひ絶えせぬ身をいかにせむ




贈從三位爲子

百首の歌詠み侍りける中に


いつ迄か烟も立てむ降る雪につま木絶えぬる小野の炭竈




光俊朝臣

雪中歳暮を


誰が身にも積れる年の暮なればさこそは雪も深くなるらめ




前中納言匡房

題志らず


吉野川流れて過ぐる年波にたちゐの影もくれにけるかな




權中納言公雄

正中の百首の歌に


何となき世の人事に紛れきて暮れ果てゝこそ年は惜けれ




信實朝臣

歳暮の心を


はからざる八十ぢのそとの年の暮積るとだにも今は覺えず




入道二品親王道助

寶治の百首の歌奉りける時


哀れ又末の松山六十ぢにもちかづく年のこえむとすらむ




太政大臣

延文の百首の歌に


今は身にこむと云ふなる老ゆらくの春より近き年の暮哉




入道贈一品親王尊圓

貞和二年百首の歌奉りける時


過ぎ來つる五十ぢの夢のほどなさを更に驚く年の暮かな




新後拾遺和歌集卷第七
雜春歌

花園院御製

貞和二年百首の歌召されけるついでに


身に積る數こそ替れ立ち歸り今年もおなじ春は來にけり




選子内親王

春立つ朝に詠める


春知らでおぼつかなきに鶯の今日珍しきこゑを聞かばや




大納言經信

寛和二年、殿上の歌合に


氷解く風の音にや古巣なる谷のうぐひすはるを知るらむ




入道贈一品親王尊圓

朝鶯を


出で初むる朝日隱れのたにかげにねぐらながらの鶯の聲




信專法師

題志らず


入りしより春知らぬ身もあるものを深山な出でそ谷の鶯




前關白近衞


打ち出づる波の花かと見ゆるまで氷の上にあわ雪ぞ降る




權僧正頼印


こと浦の春よりも猶かすめるややく鹽がまの烟なるらむ




爲冬朝臣


鹽がまの浦よりほかも霞めるを同じ烟の立つかとぞ見る




從三位定久


若菜摘む我が跡ばかり消初めてよそには見えぬ雪間 なり


源直氏


知る知らず同じ野原に打ち群れて一つ雪間の若菜摘む なり


權僧正興雅


踏分けし昨日の野邊の雪間より今日萠出づる若菜をぞ摘む




三善爲連


今日も猶若菜摘まばや春日野の昨日の雪は最ど消ゆらむ




津守國貴

春の歌とて


花にだにそはでよそなる梅が香を袖に移して春風ぞ吹く




瓊子内親王家小督


朧なる名には立てども春の月やどる袖まで霞まずもがな




源兼氏朝臣

山階入道左大臣の家の十首の歌に春月


今更に曇りな果てそ春の月晴れぬは老のなみだなりとも




前大納言爲世

後醍醐院みこの宮と申しける時三首の歌講ぜられけるに、同じ心を


かすむとも此春よりやよはの月老の心も晴れて見るべき




前中納言定宗

題志らず


老いぬれば我から霞む春の夜を月やあらぬと何喞つらむ




法印定爲

文保三年百首の歌奉りけるに


老いぬるも元の身ぞとは喞てども涙ぞ晴れぬ春の夜の月




清原通定

題志らず


老が身の涙のとがになし果てゝ霞むも分かぬ春の夜の月




權中納言公雄

小倉の山庄思の外なる事出で來て住まずなりにける頃、古郷春月を


住み憂さに暫し小倉の宿かへて見るにも霞む春の夜の月




從一位宣子

百首の歌奉りし時、春月を


山の端もともに匂ひて春の月かすみの庭に影ぞいざよふ




津守棟國

題志らず


鳴きて行く聲ぞ聞ゆる春の雁わかれはおのが心なれども




藤原雅能


我が方に寄るともなかぬ契をも歸れば志たふ春の雁がね




淨阿上人


古さとの花の盛も過ぎぬべし歸らばいそげ春のかりがね




前大僧正公朝


己が住む越路の花はまだ咲かじ急がで歸れ春のかりがね




津守國量

百首の歌奉りし時


猶深く尋ねも入らば山櫻咲かぬにまづやいへぢわすれむ




道甚法師

題志らず


あらましの心の中に咲き初めて人に知られぬやま櫻かな




法印實性


咲きやらで待たれしほどの日數より盛すくなき山櫻かな




前大僧正慈鎭


山櫻思ふあまりに世にふれば花こそ人のいのちなりけれ




中務卿宗尊親王

人々題を探て歌詠侍けるに、山花を


三吉野も同じ浮世の山なればあだなる色に花ぞ咲きける




式部卿邦省親王

題志らず


山櫻咲きそふまゝに佐保姫の霞のそでにあまる志らくも




權大僧都經賢


出でそむる月は梢に見えながら尚暮れ果てぬ花の影かな




源詮政


初瀬山花のあたりはさやかにてよそより暮るゝ入相の鐘




寂眞法師


咲きあまる尾上の花や伊駒山隔つる雲をまたへだつらむ




法印定圓

弘安元年百首の歌奉りける時


交野なるなぎさの櫻幾春か絶えてと云ひし跡に咲くらむ




津守國助

花の歌の中に


宿かさぬ天の河原や憂からまし交野に花の蔭なかりせば




前大納言善成


さしこもる葎のやどの花にさへなほ思ある春かぜぞ吹く




法印頼俊


逢坂の關はとざしもなかりけり往來の人を花にまかせて




藤原藤茂


山里は花故にだに訪はれねば散りても誰か戀しかるべき




法印源全


咲きぬとて人に語らば山櫻身のかくれがも今や訪はれむ




深守法親王


長閑にぞ中々見つる山ざくら暮れて歸らむ家路ならねば




後鳥羽院宮内卿

五十首の歌奉りけるに、花下送日と云ふ事を


花にふる日數も知らず今日とてや古郷人の我を待つらむ




二品法親王覺助

文保三年百首の歌奉りけるに


年々の花になれてもふり果てぬさのみや後の春を待つべき




前大納言經繼


あだし世に去年は今年を知らざりし命難面く花を見る哉




祖月法師

題志らず


思出のなき身と云はゞ春毎になれし八十ぢの花や恨みむ




賀茂雅久


七十ぢの春にもあひぬあだに散る花や難面く身を思ふ覽




大江廣房


山蔭の軒端の花を尋ねてもあるじまで訪ふ人やなからむ




信專法師


恨むなよ我が住む山の櫻花みやこの春にかへるこゝろを




超空上人


春毎に恨みも果てぬ心とやをしむによらで花の散るらむ




讀人志らず

見ればこそ散るも惜けれ春毎に花なき里の隱れがもがな





覺増法親王

落花の心を詠み侍りける


木のもとに散敷くだにも憂き物を誘ひなはてそ庭の春風




道英法師

題志らず


散るまゝに庭には跡もなかりけり梢や花の雪間なるらむ




源義則


散る花の名殘を庭に吹きとめて木のもと匂へ春の山かぜ




源頼隆


散る花の雪と積らば尋ねこし志をりをさへや又辿らまし




津守國久


散る花のいろなりけりな春の日の光に降れるみねの白雪




淳家法師


尋ね來て雲は紛はぬ木のもとにいかで櫻の雪と散るらむ




藤原基任


紛ひつる雲や嵐に晴れぬらむ散らで尾上の花ぞすくなき




源頼貞


峯に立つ雲も別れて吉野川あらしにまさる花のしらなみ




正三位通藤女


渡るべき物とも見えず山川に風のかけたる花のうきはし




源頼康


山櫻ながるゝ水をせきとめて瀬々の埋木はな咲きにけり




爲道朝臣

水上花を詠める


山颪の櫻吹きまく志賀のうらに浮きて立ちそふ花の小波




源藤經

題志らず


比良の山高嶺の嵐吹くなべに花を寄せ來る志賀のうら波




素性法師

春の歌とて


春深くなりゆく草の淺みどり野原の雨は降りにけらしも




權大納言忠光

雲雀をよめる


影うつす野澤の水の底見ればあがるも沈む夕ひばりかな




法印慶運


庵むすぶ山の裾野の夕雲雀あがるも落つる聲かとぞ聞く




前中納言爲秀

貞和の百首の歌に


雉子鳴く岩田の菫咲きしより小野の芝草分けぬ日はなし




源義將朝臣

春の歌の中に


貴船川末せき入るゝ苗代に神のみ志めを引きやそへまし




攝政太政大臣

題志らず


袖觸れしむかし覺えてたちばなの小島にかをる山吹の花




法眼頼英


吉野川いはとがしはも色かへて花散りかゝるきしの山吹




平重基


山城の井手の中道踏み分けて訪はではえこそ山吹のはな




源重之


光なき谷にも春の岩つゝじいはで入日のいろに咲くらむ




民部卿資宣

五位の職事になりて侍りける頃、松上藤と云ふ事を


春日山松にかけつゝいのりこし藤の末葉は今ぞはな咲く




儀同三司

題志らず


花散りし山は青葉に咲く藤の色にも殘るはるや見ゆらむ




前大納言資名


心なき花こそ根にも歸るとも鳥さへなどか雲に入りけむ




源高秀


己が音の殘るばかりや鶯のなれにし花のかたみなるらむ




藤原宗遠


とゞまらぬ恨も知らず春毎に慕ひなれたる今日の暮かな




左近中將具氏


明日知らぬ命の程に別れてはいつ逢見むと春の行くらむ




前參議雅有

弘安の百首の歌に


數ならぬ身にはよそなる春なれど今日の別は猶や慕はむ




權律師桓輸

首夏の心を


大井川春をとゞめぬ志がらみに花も昨日の瀬々の志ら波




津守國夏

夏の歌の中に


遅櫻春暮れて咲く花なればのこる物からかたみともなし




平師氏


夏山の青葉にまじり咲く花や春に後るゝ木ずゑなるらむ




前參議爲實

文保三年百首の歌奉りけるに


もろ葛いかにみあれの年を經て都をだにもかけ離れけむ




前大僧正賢俊

延文二年百首の歌奉りけるに、時鳥を


いつなれてうき身と知れば時鳥我に初音の難面かるらむ




權律師承惠

同じ心を


いかばかり待たるゝ物と時鳥知りて難面き初音なるらむ




信空法師


待ち侘ぶる山郭公人づてに聞くばかりこそ初音なりけれ




照覺法師


時鳥いつとさだめぬ初音こそやがて待つ日の頼なりけれ




二品法親王承覺


今年又鳴かずと聞かば時鳥身につれなさも恨みざらまし




法印源意


去年聞きし頃ぞ過ぎぬる時鳥今年は猶やつれなかるらむ




後三條入道前太政大臣

文保の百首の歌奉りけるとき


さゝがにの雲のはたての郭公くべき宵とや空に待つらむ




前大納言爲世

待郭公と云ふ事を


つれなさを志ばし忘れて時鳥待たでや見まし有明のそら




聖尊法親王


待ちかねて我ぞ恨むる郭公なが鳴くこゑは人を分かじを




法印隆淵


よしさらば唯つれなかれ時鳥待つをうき身の慰めにせむ




太宰權帥爲經

寛治二年、百首の歌に


郭公聞かぬかぎりはまどろまで待てばや夏のよはの短き




小辨

夏の歌の中に


思ふ事なき身なりせば時鳥聞きての後はまどろみなまし




藤原永行


いく聲もあだにぞ聞かぬ子規待つ里人のかぎりなければ




清原良兼


山ふかく尋ねて聞けば時鳥過ぎつる方のそらに鳴くなり




祝部成廣


時鳥まだ里なれぬ程なれや聞きぬとかたる人のすくなき




讀人志らず


鳴き明す心地こそすれ時鳥一こゑなれどみじか夜のそら




藤原宗秀


宵の間は志ばし待たれて郭公更くれば月の影に鳴くなり




卜部兼 [3]A朝臣

昇殿ゆるされての頃、郭公の歌に


待たれつる雲居の上の時鳥今年かひあるはつ音をぞ聞く




藤原基名

題志らず


待つひとのためならずとも時鳥おのが五月に聲な惜みそ




源經氏


朽ちねたゞ岩垣沼の菖蒲草うきみごもりは引く人もなし




卜部兼直


引く人のなきにつけても菖蒲草うきに沈めるねこそなかるれ




前内大臣


雲かゝるゆつきが嶽の五月雨にあなしの川は水増るらし




平貞秀


難波より見えし雲間の伊駒山今はいづくぞ五月雨のころ




紀親文朝臣


徒らに日數ふるなり飛鳥川かはらぬ淵やさみだれのころ




橘遠村


鈴鹿川あらぬ流も落ちそひて八十瀬にあまる五月雨の頃




爲冬朝臣

河五月雨


吉野川みづの心も今さらにはやさ知らるゝ五月雨のころ




源光正

題志らず


水まさる淀の若ごも末ばかりもえしに似たる五月雨の頃




源氏春


五月雨に猶水深きみなと田は急ぐ早苗も取りぞかねぬる




讀人志らず


五月雨に田面の早苗水越えており立ち難く見ゆる頃かな




前左兵衞督教定

海邊早苗と云ふ事を


早苗とる田子の浦人この頃やもしほもくまぬ袖濡すらむ




前關白近衞

題志らず


山水のあるに任せていくばくもつくらぬ小田の早苗取 なり


平常顯


水莖の岡邊の小田の村さめに露かきわけて早苗とるなり




多々良義弘朝臣


日數のみふるのわさ田の梅雨にほさぬ袖にも取る早苗哉




淨阿上人


古郷の花たち花にむかし誰そでの香ながら移し植ゑけむ




權中納言爲重

百首の歌奉りし時、橘


後はみな忍ぶならひの橘にいまそへ置かむ袖の香もがな




忠房親王

文保三年後宇多院に百首の歌奉りける時、夏の歌


たち花の影ふむ道はあれにけり昔のあとを誰に問はまし




源基時朝臣

題志らず


立ちなれしはなたち花の移り香も今は殘らぬ墨ぞめの袖




聖統法師


やがてはやかくろへぬるか夏野行く牡鹿の角の短夜の月




藤原爲量朝臣


夏草は深くぞ茂る清水くむ野中のそこと見えぬばかりに




法印宗信


秋近き小野の志の原置く露のあまりてよそに飛ぶ螢かな




道元法師


山の端のほのめく宵の月影に光もうすく飛ぶほたるかな




讀人志らず


さとの名の月のかつらに飛ぶ螢暮るゝ方にや光そふらむ




權大納言時光

述懷の歌の中に


世々經ぬる跡をば殘せ我が身こそ集めぬ窓の螢なりとも




前大納言爲世

文保三年百首の歌奉りけるに


やがて又つゞきの里にかきくれて遠くも過ぎぬ夕立の空




大中臣頼基朝臣

扇を詠める


内も外も見えぬ扇の程なきに凉しき風をいかでこめけむ




前參議實名

題志らず


楸おふる影にや秋も通ふらしきよき河原のなつの夕かぜ




後花山院内大臣

文保三年、百首の歌に


夕すゞみ峰立ちのぼる久方の月は夏とも見えぬそらかな




源詮政

題志らず


志づかなる心はいさや結ぶての岩間の水ぞ身さへ凉しき




秀幸法師


松風の吹く音ながら山水の岩根をつたふなみぞすゞしき




讀人志らず


岩枕した行く水の凉しきを袖ひづばかりせきやかけまし




[4]B子内親王家宰相


御祓川はや瀬凉しく行く水ややがて夏なき音を立つらむ




讀人志らず


なごむてふ神の驗もみたらしの川の瀬清き夏ばらへかも




[3] The kanji in place of A is not available in the JIS code table. It is Morohashi's kanji number 1721.

[4] The kanji in place of B is not available in the JIS code table. It is Morohashi's kanji number 21114.




新後拾遺和歌集卷第八
雜秋歌

土御門院御製

題志らず


かぞふれば涙の露も止まらずこれや三十ぢの秋のはつ風




僧正果守


一葉こそ落つともおちめ涙さへさそひなそへそ秋の初風




深守法親王

百首の歌奉りし時、早秋


吹きにけり我が手枕の塵ならで立つ名も志るき秋の初風




前大納言公兼

同じ心を


露だにもまだ置きあへぬ朝あけに風こそ秋をつげのを枕




頓阿法師

式部卿邦省親王の家の五首の歌合に、初秋風


行く水の淵瀬ならねど飛鳥風昨日にかはる秋は來にけり




爲冬朝臣

題志らず


更に尚凉しくなりぬ星あひの影見る水に夜や更けぬらむ




津守國基

七月七日住吉より都の方へまかり侍りけるに、天の河と云ふ所にて日の暮れにしかば舟をとゞめて河原におりゐ侍りて


七夕は思ひ知らなむ天の河いそぐわたりに舟をかしつる




藤原資衡朝臣

百首の歌奉りし時


一夜をも契になして織女のうときもなかと恨みやはする




後二條院御製

七夕露を詠ませ給うける


織女のちぎり待つ間の涙より露はゆふべの物とやは置く




前中納言定家

内裏の十五首の歌合に、秋風を


をさまれる民の草葉を見せがほに靡く田面の秋の初かぜ




清原景實

題志らず


風の音も今朝こそ變れ荻の葉に秋を知せて露や置くらむ




前中納言親賢女


ゆふべのみ身にしむものと思ひしを寐覺も悲し荻の上風




平英時朝臣


露をこそはらひも果てめうたゝねの夢をも誘ふ荻の上風




大江氏元


わけつゝや衣は摺らむ朝露に濡れて色そふあき萩のはな




爲道朝臣

露を詠み侍りける


夕ぐれは草葉の外のおきどころありとや袖にかゝる白露




大納言顯實母

延文二年百首のうた奉りけるに、秋夕


昔今思ふにものゝ悲しきは老いて世にふる秋のゆふぐれ




道應法師

題志らず


袖のうへの露をばつゆと拂ひても涙かずそふ秋の夕ぐれ




讀人志らず


その事と思はで袖のつゆけきや秋の夕のならひなるらむ




前大納言善成


秋の田のかりほの眞萩咲きしより尚庵近く鹿ぞ鳴くなる




權僧正増瑜


夜もすがらもる庵近き鹿の音は稻葉の風や誘ひ來ぬらむ




式部卿邦省親王


秋を經て忘れぬ雁の玉章を誰待ち見よとかけて來ぬらむ




左兵衞督直義

貞和の百首の歌に


天の戸の霧晴れそめてほの%\と明行く空を渡る雁がね




津守國量

百首の歌奉りし時、雁


秋風の吹くにまぢかく聞ゆるは聲に後れて雁や來ぬらむ




素觀上人

題志らず


湊田の稻葉に風の立ちしより雁鳴きわたる秋のうらなみ




前内大臣


雲をなすわさ田の穗なみ吹き立ちて村雨ながら渡る秋風




爲道朝臣

秋田を詠める


夕されば野田の稻葉の穗並より尾花をかけて秋風ぞ吹く




前中納言公勝


秋にのみ音はひゞきて住吉の岸田の穗なみあき風ぞ吹く




雄舜法師

題志らず


秋の夜の長き思は老が身の寐覺よりこそまづ知られけれ




讀人志らず


志ばし尚いざよふ雲を先だてゝ跡より出づる山の端の月




藤原爲量朝臣


葛城やよるとも見えず晴れにけり雲のよそなる秋の月影




權大納言爲遠

應安六年九月十三夜内裏にて三首の歌講ぜられけるに、月前雲


待ち出づる月のあたりの浮雲によきよと拂ふ秋風ぞ吹く




權僧正良憲

題志らず


月もなほ木の葉隱れの小倉山秋待つほどゝなに思ひけむ




後西園寺入道前太政大臣

文保三年百首の歌奉りけるに


苔の袖ほしえぬ雲に宿りきて月さへ影のやつれぬるかな




兵部卿長綱

題志らず


月かげも露のやどりや尋ぬらむ草に果てなむ武藏野の原




後九條前内大臣

百首の歌の中に


河上に里あれ殘るみなせ山見しものとては月ぞすむらむ




民部卿爲藤

文保の百首の歌奉りけるに


大井川瀬々にいく世かみなれざをくだす筏の床の月かげ




藤原昌家

題志らず


夜舟漕ぐかいの雫や志げからし濡るゝ袂にやどる月かげ




津守國實


芦の屋は住むあまやなき月影に漕ぎ出でゝ見る灘の友舟




崇金法師


忘れずよ旅をかさねて鹽木積む阿漕が浦になれし月かげ




祝部成仲


いつまでか世に在明と思ふにもかたぶく月を哀とぞ見る




藤原雅朝朝臣


鳥の音はふもとの里に音づれて峯より西にのこる月かげ




六條内大臣

文保の百首の歌に


入方の山の端近き月影を身にたぐへてもあはれとぞ見る




後深草院辨内侍

光明峯寺入道攝政の家の三十首の歌に


なく涙我とつゆけき虫の音の秋の草葉をなにかこつらむ




從一位宣子

百首の歌奉りし時、虫


松虫の鳴くとも誰か來て訪はむ深き蓬のもとのすみかを




源高秀

題志らず


矢田の野の淺茅色づく程をだに待たで枯行く虫の聲かな




丹波成忠朝臣


うら枯るゝ後はなか/\おく露も淺茅が庭の松むしの聲




源頼之朝臣


淺茅原すゑ葉枯れゆく初霜のしたにも殘る虫のこゑかな




光嚴院御製

貞和の百首の歌めされける次でに


伏見山門田の霧は夜をこめてまくらに近き鴫のはねがき




右大辨秀長

題志らず


初瀬山尾上の霧のへだてにもあけ行く鐘はなほ聞えつゝ




一品法親王寛尊


夜を殘す寐覺の友となりにけり老のまくらに衣打つこゑ




爲冬朝臣


誰れか尚閨へも入らでもとゆひの霜の夜寒に衣打つらむ




儀同三司


月影に置きそふ霜の夜や寒き更くるにつけて打つ衣かな




後三條前内大臣

貞和二年百首の歌に


露の間と何か思はむ濡れてほす山路の菊の千世の行く末




安喜門院大貳

題志らず


物思ふ誰が涙にか染めつらむ色こそ變れころも手のもり




藤原嗣定朝臣


晴曇り志ぐるゝ山のもみぢ葉に急ぐ千しほの袖ぞ見えける




讀人志らず


時雨せぬかたこそあらめ柞原そめても薄き色に見ゆらむ




前權僧正良宋

大峯修行し侍りける時、笙の岩屋にて蔦の紅葉を見て詠み侍りける


心とや色に出づらむ雨露も洩らぬ岩屋のつたのもみぢば




源頼隆

暮秋紅葉を


明日までの時雨も知らず秋の色を染め盡しぬる峯のもみぢ葉




藤原朝村

暮秋月を


長月のありあけの月の程ばかり時雨は冬を急がずもがな




權大納言實直母

題志らず


今日といへば何ぞは露の形見だにおきも留めず歸る秋哉




光俊朝臣

時雨を詠める


うきにこそ涙は落つれ神無月その事となく降る時雨かな




中務卿宗尊親王

同じ心を


秋の空如何に詠めし名殘とて今朝も時雨の袖ぬらすらむ




源經氏


降初むる音より冬は知らるゝを幾度つぐる時雨なるらむ




元可法師


冬をこそ時雨もつぐれ定なき世はいつよりは始なりけむ




道洪法師


過ぐるかと思へば猶も廻りきて同じ寐覺に降る時雨かな




藤原懷通朝臣

冬の歌の中に


今朝は又空も曇らで神無月木の葉ばかりぞ先志ぐれける




藤原行朝


荒れ果つる軒は木葉に埋もれて中々洩らぬ時雨をぞ聞く




鎌倉右大臣

松風似二時雨一と云ふ事を


降らぬ夜も降る夜もまがふ時雨哉木の葉の後の峯の松風




土御門院御製

百首の御歌に、時雨を


呉竹のみどりは時も變らねば時雨降りにし眞垣ともなし




權僧正經深

同じ心を


里までは吹きもおくらぬ山風にしぐれてとまる峯の浮雲




人丸


山川の水しまさらば水上につもる木葉はおとしはつらむ




攝政太政大臣

正文の百首の歌に、落葉


みなの河流れて瀬々に積るこそ峰より落つる木葉なりけれ


榮寶法師

題志らず


紅葉せし蔦もまさ木も散果てゝ匐ふ木數多に山風ぞ吹く




權大僧都宋親


秋に見し色も匂もそれながら霜にのこれる庭の志らぎく




源直頼


置く霜に殘れる庭の白菊を秋なきときのかたみとぞ見る




前關白近衞

百首の歌奉りし時、霜


朝日さすまやの軒端の霜解けてしぐれぬ空に落つる玉水




藤原滿親

題志らず


風さむき入江の芦の夕霜に枯れてもさやぐ音ぞのこれる




祝部成豐


難波潟入江の芦の枯れしより浦吹く風のおとぞすくなき




如願法師

建保四年後鳥羽院に奉りける百首の歌に


月待つと立ちやすらへば白妙の衣の袖に置けるはつしも




讀人志らず

題志らず


志ぐるとは見ゆる物から木葉のみ降れば晴行く冬の夜の月




土御門院御製

百首の御歌の中に


龍田山紅葉やまれになりぬらむ河なみ白き冬の夜のつき




式子内親王

題志らず


玉の井の氷のうへに見ぬ人や月をば秋のものと云ひけむ




是法法師


夜もすがら山おろし吹きて衣手の田上川にこほる月かげ




權僧正圓守


さゆる日は氷閉ぢそふ山川の志た行く水も殘りやはする




澄覺法親王


夏だにも頃を忘れし松蔭の岩井のみづはさぞこほるらむ




源和義朝臣


聞くだにもあやふき淵の薄氷望むに似たる世を渡るかな




法印長尊


うきねする浦わの波の枕より跡より通ふともちどりかな




讀人志らず


さす汐に汀やかはる小夜千鳥鳴きつる聲の近くきこゆる




前關白近衞

嶋千鳥と云ふ事を


遠ざかるあしはや小舟跡とめて又嶋づたふとも千鳥かな




嚴阿上人

熱田の龜井の寺に住み侍りける時あまた詠み侍りける歌の中に、濱千鳥を


鳴海潟夕浪千鳥たちかへり友よびつきのはまに鳴くなり




小槻匡遠

題志らず


古の跡ある和歌の浦千鳥立ちかへりても名をやのこさむ




前中納言親賢女


和歌の浦に通ひけりとも濱千鳥心の跡をいつか知られむ




三善爲永


知べせよ和歌の浦わの友千鳥いつ人數の名をもかけまし




[5]A子内親王


冴ゆる夜は誘ふ水だに絶えぬとや氷柱の床に鴛の鳴く覽




前大納言隆房


霜にだに上毛はさゆる葦鴨の玉藻の床につらゝゐにけり




民部卿實遠

百首の歌奉りし時、水鳥


大井川ゐせきの浪に立つ鴫の歸りて跡にまたくだりつゝ




源和氏

同じ心を


あし鴨の群れゐる方の池水やこほりも果てぬ汀なるらむ




信快法師

題志らず


池水のこほる汀のあし鴨は更けてや聲のとほざかるらむ




前關白近衞


氷魚ならぬ浪もかへりて網代木に今夜は氷る宇治の河風




圓昭法師


さゝ竹の大宮人の袖の上にかざしの玉と降るあられかな




前大納言爲家


嵐こす外山の峯のときは木に雪げしぐれてかゝるむら雲




通深上人


初瀬山みねの檜原もうづもれて雪のしたなる入相のかね




前中納言有光

延文二年、百首の歌に、雪


降りうづむ峰の横雲夜をこめて雪より白むありあけの空




前大納言爲家

題志らず


富士の嶺は冬こそ高く成ぬらめ分かぬ深雪に時を重ねて




昭祐法師


雲よりも上に見えたる富士の嶺の雪は何とて降始めけむ




源秀法師

埋もるゝ風や下より拂ふらむ積れば落つる松のしらゆき





權大納言時光

延文の百首の歌に


山おろしに松の上葉は顯れて木かげよりまづ積るしら雪




紀親文朝臣

題志らず


木にも非ず草にもあらで咲く花や竹のさ枝に降れる白雪




後勸修寺前内大臣


此の儘に降らばと見つる白雪の思ふ程こそ積らざりけれ




賀茂定宣朝臣


跡絶えて訪はれぬ庭は雪もさぞ降りてかひなき宿と知る覽




等持院贈左大臣

雪の朝に申し贈り侍りける


古に今もならひて白雪のふるきあとをばわれぞつけつる




前大納言爲定

返し


いにしへに今立ち歸る道ぞともとはれて知りぬ庭の白雪




攝政太政大臣

延文の百首の歌奉りけるに


東屋のまやの今やと待つ人も餘りに降ればとはぬ雪かな




權大納言宣明

題志らず


世々を經る庭のをしへの跡ばかり殘して積れ宿のしら雪




内大臣


如何にして跡をもつけむ教へ置く事は數多の庭のしら雪




權大僧都能運


あつめこし志るしもあれや我が山の杉生の窓に殘る白雪




攝政太政大臣

延文の百首の歌に、雪


時しあれば今はたあひに逢坂の關の白雪三代にふりつゝ




侍從爲敦

百首の歌奉りし時、庭雪


庭の面は我が通路に踏分けて訪はれぬ雪の跡も見えつゝ




周防内侍

堀川院位におはしましける時、南殿の北面に雪の山造らせ給ふよしを聞きて、内なる人に申し遣しける


行きて見ぬ心のほどを思ひやれ都のうちのこしのしら山




中宮上總

返し


きても見よ關守すゑぬ道なれば大うち山に積るしらゆき




陽徳院少將

題志らず


山深み雪に閉ぢたる柴の戸の唯そのまゝに經る日數かな




性威法師


箸鷹の木居の下草枯れしより隱れかねてや雉子鳴くらむ




權律師則祐


暮れぬるか疲れにかゝる箸鷹の草取る跡も見えぬ計りに




紀盛家


あら鷹を頓てとりかふ狩人や暮れぬに歸る山路なるらむ




源兼能朝臣


風さむみ曉ふかく寐覺して又おきむかふねやのうづみ火




兼好法師

炭竈を


すみ竈も年の寒きにあらはれぬ烟や松のつま木なるらむ




讀人志らず


降りうづむ雪のうへにも炭竈の烟は猶ぞ立ちて見えける




大中臣行廣朝臣

題志らず


身こそかくふりぬる物を年くれて積るを雪と何思ひけむ




藤原信良


いたづらに過ぐる月日の早瀬川早くも寄する老の波かな




權大納言實直母


うき身まで待つとはいはぬ春ながら心に急ぐ年の暮かな




前關白近衞


皆人の急ぐ心にさそはれて過ぐるもはやく暮るゝ年かな




花山院御製


つく%\と明し暮して年月を遂にはいかゞ算へなすべき




寶篋院贈左大臣

歳暮の心を詠み侍りける


過ぎきつる月日の程はおどろかで今さら歎く年の暮かな




[5] The kanji in place of A is not available in the JIS code table. It is Morohashi's kanji number 21114.




新後拾遺和歌集卷第九
離別歌

權中納言敦忠

題志らず


行き歸る物と知る/\怪しくも別と云へば惜まるゝかな




中務


行く人にそふる心の怪しくも知るべな ごとをまどはるゝ哉


中納言兼輔

大江のちふるが美濃へいきけるにきぬ遣すとて


もろともに惜む別の唐衣かたみばかりぞまづそぼちける




源兼澄

題志らず


行く人は思ひやすつるとまる身はそれぞ別のしづ心なき




藤原高範

遠き國へまかりける時あとの事などを申し置きける人の許に詠みて遣しける


尋ね見よ和歌の浦路の友千鳥立ち離れ行く跡はいかにと




讀人志らず

友だちの遠き國へまかりけるに詠める


志たひえぬ名殘にそへて思ふかな歸らむ程の心づくしを




中務卿宗尊親王

旅にまかりける人に


さらぬ世のならひをつらき限にて命の内は別れずもがな




女御徽子女王

琴習ひ侍りける人のみちの國に下りけるに裝束遣すとて


今よりはたゞ行く末の松風をよその事とや思ひなしてむ




花山院御製

實方朝臣みちの國へ下り侍りける時給はせける


何事も語らひてこそ過しつれいかにせよとて人の行く覽




貫之

信濃へ下りける人に大納言師氏の餞し侍りけるに詠める


君が行くところと聞けば月見つゝ姨捨山ぞ戀しかるべき




中宮大夫公宗母

題志らず


志のべとや空行く月に契らまし誰が慕ふべき別ならねど




藤原行朝

法印實性あづまに下りて歸りのぼりけるに申し贈り侍りける


行く人の心とめずば足柄のせきもる神もかひやなからむ




藤原仲實朝臣

堀河院の御時百首の歌たてまつりけるに


とまるべき道にもあらぬ別路はしたふ心や關となるらむ




權中納言師時


玉きはる心も知らず別れぬる人を待つべき身こそ老ぬれ




法印實清

題志らず


命あらばめぐり逢ふべき別ぞと慰めながら濡るゝ袖かな




讀人志らず


命ありて別るゝ道はおのづから又逢ふ末を頼むばかりぞ




順徳院御製

百首の歌めしけるついでに


知る知らず行くも歸るも逢坂の關の清水に影は見ゆらむ




爲道朝臣

あづまの方へ下り侍りけるに、賀茂のあたりゐせきと云ふ所に住み侍りける女の許へ詠みて遣しける


忘れずばゐせきの水に影を見よ思ふ心はそれにこそすめ




土御門院御製

題志らず


あさ霧に淀のわたりを行く舟の知らぬ別も袖は濡れけり




藤原長能

物へ行く人に餞すとて


古も今もあらばや我がごとく思ひつきせぬわかれする人




大藏卿行宗

俊頼朝臣ものへまかりける時遣しける


頼むべき我身なりせば幾度か歸りこむ日を君に問はまし




大納言經信

帥になりて下りけるに別れ惜むとて津守國基が、六とせにぞ君はきまさむと云へりける返事に


とゞまるも過ぎ行く身をも住吉の松の齡と祈らざらめや




新後拾遺和歌集卷第十
羇旅歌

民部卿爲藤

嘉元の百首の歌奉りける時、旅


志ひて猶思ひ立つかな旅衣行きてはかへる道とばかりに




後芬陀利花院前關白左大臣

旅の歌とて


故郷を立ちし日數は積れどもなほ末とほき旅ごろもかな




前大納言爲定

文保三年百首の歌奉りける時


やすらひに我が古郷を出でしより頓て日數の積る旅かな




平政村朝臣

題志らず


都出でゝ今日越え初むる逢坂の關や旅寐の始めなるらむ




後照念院關白太政大臣

嘉元の百首の歌奉りけるに、關


越えて行く杉の下道明けやらで鳥のねくらき逢坂のせき




前關白近衞

百首の歌奉りし時、旅


鳥の音に關をば越えて逢坂の山路よりこそ明初めにけれ




後鳥羽院御製

題志らず


駒なべて打出の濱を見わたせば朝日にさわぐ志賀の浦波




人丸


朝まだき我がうち越ゆる立田山深くも見ゆる松の色かな




小式部内侍


人もこえ駒もとまらぬ逢坂の關は清水のもる名なりけり




正三位經朝

旅行の心を


夕烟訪ふべき里の知るべだにまだはるかなる武藏野の原




源頼貞


雲もなほ志たに立ちける棧の遙かに高き木曾のやまみち




堯尋法師


里まではまだ遙かなる宇津の山夕ゐる雲に宿や訪はまし




藤原政宗

題志らず


明けば又獨や行かむ夜もすがら月に伴なふ宇津の山ごえ




式子内親王


自から逢ふ人あらば言傳てよ宇津の山邊を越え別るとも




後山階前内大臣

延文二年百首の歌奉りしに、旅


足引の山わけ衣さのみやは雲よりくもに日かずかさねむ




後光嚴院御製


露拂ふ袂もいとゞ干し侘びぬ山わけごろも日數かさねて




藤原爲盛

題志らず


行く末を急ぐにつけて旅衣ふる里とほくなほへだてつゝ




權中納言資教

百首の歌奉りし時、旅


行きつるゝ友となるより旅衣立ち寄る宿に人もつきつゝ




從二位嚴子

旅の歌とて


行き暮るゝ露わけごろも干しやらでさながら結ぶ草枕哉




藤原基世女


都思ふ涙の上にたびごろも野山のつゆをかさねてぞ敷く




兼好法師


都思ふ草のまくらの夢をだにたのむかたなく山風ぞ吹く




僧正行意

峰より出で侍りて又あづまの方へ修行し侍りけるにさやの中山にて詠み侍りける


これよりも深き嵐に聞きなれて今宵は寐ぬるさやの中山




法印顯詮

題志らず


露拂ふ草の枕に聞き侘びぬ今宵かり寐の鳥籠のやまかぜ




法眼澄基


嵐吹く野原の草の露ながら結ぶかり寐のゆめぞはかなき




讀人志らず


草枕たびは如何なる契にてなれぬ人をもともと待つらむ




中宮大夫公宗

行き暮れて今日も宿訪ふたび衣着つゝ假寐の數や重ねむ





後久我太政大臣

八幡宮の撰歌合に、羇中暮


暮は又いづくに宿をかりの鳴く峯に別るゝ袖のあきかぜ




前參議爲實

題志らず


暮れぬとて山路わかるゝ衣手に伴ひ捨つる峯のあきかぜ




源詮直


行く末の宿をやかねて定めけむ暮れて急がぬ今日の旅人




祝部尚長


我が爲は結びも置かぬいほ崎の隅田河原に宿や借らまし




讀人志らず


たづの音の聞ゆる田居に庵志て我れ旅 なりと妹に告げこせ


刑部卿範兼

旅の歌の中に


はかなしや何處を遂の住みかにて之をば旅と思ひなすらむ




按察使公敏


思ひねと知りてもせめて慰むは都にかよふ夢路なりけり




常磐井入道前太政大臣


かり寐する岡の萱根のかや莚かた敷き明す旅のつゆけさ




權中納言爲重

曉旅と云ふ事を


急げたゞ曉おきの旅ごろも立ちて山路はつゆふかくとも




源兼澄

初瀬に詣でゝ曉に歸るに川霧の立ちけるを見てよめる


川霧も旅の空とや思ふらむまだ夜深くも立ちにけるかな




和泉式部

題志らず


見るらむと思ひおこせて古郷の今宵の月を誰れ詠むらむ




左大臣

百首の歌奉りし時、旅


都をば花を見捨てゝ出でしかど月にぞ越ゆる白川のせき




後京極攝政前太政大臣

和歌所にて六首の歌奉りけるに


夢にだに逢ふ夜稀なる都人寢られぬ月にとほざかりぬる




定顯法師

題志らず


假寐訪ふ月を一夜のちぎりにて手枕うとき猪名のさゝ原




道成法師


さゝ枕猪名野のよはに假寐して古郷とほき月を見るかな




平宗宣朝臣

東へ下りける道にて詠みける


山の端にかたぶく方を都とて心におくるありあけのつき




光嚴院御製

貞和二年百首の歌召しける次でに


草枕假寐の露に我れを置きて伴なふ月もあけがたのそら




前參議雅有

題志らず


明けぬるか今は立ちなむ旅衣袖に消え行く野邊の月かげ




信實朝臣

弘長の百首の歌に、海路


月を見て泊はせじと漕行けば知らぬ浪路に夜ぞ明けにける




崇賢門院

百首の歌奉りし時


有明の影を志るべに誘はれて夜ふかくいづる須磨の浦舟




前大納言爲氏

弘長の百首の歌に


浦波のたよりに風やなりぬらむ由良のみなとを渡る舟人




讀人志らず

題志らず


限なく思ひしよりもわたの原漕ぎ出でゝ遠き末のうら浪




源頼春朝臣


浦風の湊によわる明方もしほにまかせてふなでをぞする




讀人志らず


淡路潟瀬戸の追風吹き添ひてやがてなるとにかゝる舟人




源秀春


舵枕幾夜なれてか浪の音におどろくほどの夢をだに見む




十佛法師


風寒き磯屋の枕夢覺めてよそなるなみに濡るゝそでかな




賀茂清宣朝臣


夢ながら結び捨てつる草枕いく夜になりぬ野邊の假ぶし




等持院贈左大臣

貞和二年、百首の歌に


東路は古郷ながら武藏野のとほきに末をなほやまよはむ




源頼康

旅の歌に


草枕あまた旅寢をかぞへてもまだ武藏野は末ぞのこれる




宗久法師


武藏野も流石果ある日數にや富士の嶺ならぬ山も見ゆ覽




藤原長秀

旅行の心を


富士の嶺をふりさけ見れば白雪の尾花に續く武藏野の原




權大納言經嗣


あらち山越ゆべき道も行き暮れぬ矢田野の草に枕結ばむ




前大納言爲定


孰くにか今宵はさ寢む印南野の淺茅が上も雪降りにけり




讀人志らず

題志らず


古郷の人知るらめやかくばかり旅寢露けき小野のしの原




藤原隆信朝臣

後法性寺入道前關白、右大臣に侍りける時、よませ侍りける百首の歌に


柞原した葉折り敷く山城の岩田の小野に侘びつゝぞぬる




新後拾遺和歌集卷第十一
戀歌一

藤原道信朝臣

始めて人に遣はしける


如何にしていかに打出でむ言はゞ又なべての事になりぬべき哉




左大臣

百首の歌奉りし時、初戀


行く末は猶如何ならむ思ひ入る今だにやがてまよふ心は




前關白近衞


踏み初むる程は苦しき戀路ぞと迷ふを強ひて思ひ入る哉




權中納言公雄

文保三年百首の歌奉りけるに


涙川如何に堰くべき流れとも習はぬ物をそでのしがらみ




相摸

題志らず


陸奥の袖のわたりのなみだ川心のうちにながれてぞすむ




讀人志らず


思ひつゝ程經るまゝに涙河いとゞ深くもなりまさるかな




從二位業子

戀の歌の中に


物思ふみなかみよりや涙川そでに流るゝものとなりけむ




前大納言爲定

文保三年、百首の歌に


堰き侘びぬ洩しやせまし涙川ひとめづゝみも心なりけり




權中納言爲重

百首の歌奉りし時、忍戀


涙川袖のなかなるみをなれば瀬々を早しと知る人もなし




入道二品親王尊道

題志らず


したむせぶ岩垣淵の草がくれ淺しとだにも知る人ぞなき




前僧正宋縁


思ふとも誰かは知らむ初尾花まだ穗に出でぬしたの心を




攝政太政大臣


知られじな氷をかづく鳰鳥の底に碎くるこゝろありとは




正三位通藤女


うきにはふ芦間のみくり下にのみ絶えず苦しき物をこそ思へ




安嘉門院四條


袖も知れ枕も洩らせ戀しさを堰きとゞむべき涙ならねば




源義久二女


よしさらば夜は涙に任せなむ枕ならでは誰か知るべき




唯圓法師


洩さじとおもふは誰れが涙にてつゝむ袂のひま求むらむ




源直氏


涙川はては浮名や流さましせくかひもなき袖のしがらみ




藤原頼兼


如何にせむ程なき袖のしがらみに包みなれても餘る涙を




爲冬朝臣


袖までもまだ洩さねば夜な/\の月だに知らぬ涙 なりけり


前大納言資季

寶治の百首の歌に、寄月戀


天の川光とゞめず行く月の早くもひとにこひやわたらむ




天暦御製

戀の御歌の中に、同じ心を


月影に身をやかへまし哀れてふ人の心に入りて見るべく




權中納言爲重


更けてこそ思絶ゆとも三日月の宵の間ばかり見る影もがな




讀人志らず


山の端に廿日の月のはつ/\に見し計りにや斯は戀しき




前大納言爲定

貞和二年、百首の歌に


通路の無きにつけてぞ志のぶ山つらき心の奧は見えける




藤原藤經

題志らず


心こそ絶えぬ思ひに亂るとも色にな出でそ忍ぶもぢずり




深守法親王

百首の歌奉りし時、忍戀


名取川音にな立てそ陸奧のしのぶが原はつゆあまるとも




藤原惟成

女に遣しける


うら若み荻の下葉に置く露をさもほのめかす風の音かな




源兼氏朝臣

題志らず


我が戀はまだ古巣なる鶯の鳴きても人に知らせかねつゝ




爲道朝臣


螢より燃ゆといひても頼まれず光に見ゆる思ひならねば




藻壁門院少將

洞院攝政の家の百首の歌に


人知れぬ泪の色はかひもなし見せばやとだに思ひ寄らねば




讀人志らず

題志らず


人知れぬ思ひするがの國にこそ身を木枯の杜はありけれ




前中納言定家

建保二年内裏に百首の歌奉りけるに


片絲のあだの玉の緒より懸てあはでの杜に露消えねとや




惟宗光吉朝臣

題志らず


戀ひ死なむ命をだにも惜まぬに誰がため包む心なるらむ




參議教長


人目をも包まぬ計り戀しきはおぼろげならぬ心とを知れ




前大納言爲定

寄烟戀


絶えず立つ烟よりこそ富士の嶺のならぬ思も身に知られけれ




信慶法師


思ふとも知らじなよそに海士の燒く藻鹽の烟下に焦れて




深守法親王


夕烟さしも苦しき下もえの立つ名とならば猶やこがれむ




藤原爲量朝臣


我が方に靡くとも見ば夕烟せめて浮名はよそに立つとも




權中納言經重


共にさてうき名や立たむあづまなる霞の浦の烟ならねど




太上天皇

百首の歌めされし時、忍戀


なほざりに抑ふる方もありけりと洩らば涙を人や喞たむ




從二位家隆

建保二年、内裏の百首の歌に


筑波山しづくと絶えぬ谷水の如何なる隙に洩し初めまし




三善長康

題志らず


よそに散る玉とな見えそ堰く袖のたぎつ心は湧き返る共




前大納言爲定

貞和二年百首の歌奉りけるに


洩れぬべき袖の涙に知らせばや問へど白玉いはぬ習ひを




左大臣

永徳元年五月五日内裏にて三首の歌講ぜられし時、思不言戀を


戀しさの例もいかゞ岩躑躅染めてなみだは色に見ゆとも




左近大將朝光

女に思ふやと問ひたりけれどいらへもせざりければ


思ふともいはずなりぬる時よりも増る方にて頼まるゝ哉




讀人志らず

返し


言はねども心の程を見えぬれば何れをまさる方と頼まむ




前中納言爲明

貞和二年、百首の歌に


よしさらば言ひだに放てとにかくに芦間の池の障る契を




前大納言爲定

建長二年八月十五夜、鳥羽殿の歌合に


消えねたゞ蜑のすくも火下燃の烟やそれと人もこそ問へ




基運法師

題志らず


消え果てむむなし烟の末までも靡く方とは人に知られじ




祝部行藤


人知れずまた懲りずまに燒く鹽の烟は下に猶むせびつゝ




從三位爲信

里はいづくぞと問へばそことも無く海士のやうになむあると云ふ人に遣はしける


渡つ海のそことも知らぬ蜑なれば藻鹽の烟立たば尋ねむ




讀人志らず

返し


みるめなき潮の亂るゝ蜑なれば袖の浦にぞ尋ねても見む




前大納言爲兼

弘安の百首の歌に


蜑のかる磯の玉藻の下亂れ知らせ初むべき波の間もがな




左衛門督資康

百首の歌奉りし時


昨日より今日は色添ふ染川に立つ名も知らず戀や渡らむ




深守法親王


如何にして空に立ちける浮名ぞと宿りし袖の月にとはゞや




源義種

題志らず


靡くともみぬめの浦の夕烟かくてうき名を猶や立つらむ




道喜法師


如何なれば小野の秋津にゐる雲の靡きもあへず浮名立つらむ




寶篋院贈左大臣


つひに早おさふる袖も朽ち果てぬ何に涙を今はつゝまむ




前關白近衞

百首の歌奉りし時、顯戀


朽ち果てむ後をば何に歎きけむ今より袖に餘るなみだを




權律師義寶

題志らず


身にあまる思ひや猶も知られまし涙は袖に包み來ぬれど




勝部師綱


なほざりに思ひし程や包みけむ恨にあまる袖のなみだを




寶篋院贈左大臣

延文の百首の歌に、寄烟戀


身に餘る思の烟遂にはやよそにうき名の立ちにけるかな




善源法師

題志らず


如何にせむ芦のしのびの夕烟無き名計りは早立ちにけり




元可法師


いかゞせむうだの燒野にふす鳥のよそに隱れぬ戀の疲を




源兼能朝臣


逢ふ ことに堪へぬ心を較ぶればせめては惜しき名をや洩さむ


正三位通藤女


戀死なば逢ふにかへたる命かと無き名をさへや跡に殘さむ




右衞門督親雅

内裏にて人々題を探りて歌仕うまつりけるに、寄玉戀


逢ふ夜はの數になさばや袖の上に落ちて淀なき瀧の白玉




太上天皇

百首の御歌に


衣手よさのみな漏れそ藤代の御坂を越ゆるこひの道かは




讀人志らず

題志らず


大井川おろす筏の如何なれば流れてつひに戀しかるらむ




權律師桓輸


戀ひ死ねと駿河の海の濱つゞら來る世も波の袖濡すらむ




小槻兼治


逢ふ事は猶かた岡の眞葛原恨みも果てず濡るゝそでかな




後鳥羽院下野

戀の歌の中に


最上川いなとこたへていな舟のしばし計りは心をも見む




道因法師


最上川登りもやらぬいな舟の逢ふ瀬過ぐべき程ぞ久しき




讀人志らず


瀬を早み絶えず流るゝ水よりも盡きせぬ物は涙なりけり




二品法親王覺助

弘安の百首の歌に


深き江に流れもやらぬ亂芦のうき節ながらさてや朽なむ




攝政太政大臣

延文の百首の歌奉りけるに、寄橋戀


芦根はふ堀江の橋の絶えず猶下に亂れて戀ひわたるかな




寂眞法師

寄舟戀を


浦風のむかふ潮瀬に行く舟のたゆむ時なく身は焦れつゝ




前大納言經繼

文保の百首の歌に


如何なれば我身の方に置く網のこと浦にのみ心引くらむ




前中納言定家

建保二年、内裏の百首の歌に


梓弓いそまの浦に引く網の目にかけながら逢はぬ君かな




新後拾遺和歌集卷第十二
戀歌二

讀人志らず

題志らず


徒然のはる日に迷ふかげろふの影見しよりぞ人は戀しき




躬恒


秋風に音はすれども花薄ほのかにだにも見えぬきみかな




左大臣

百首の歌奉りし時、聞戀


面影もまだ見ぬ中に吹く風のたよりばかりを何頼むらむ


聖武天皇御製

題志らず


紅の濃染の衣染めかけていまたかるよりいろづかむかも




後嵯峨院御製

人々題を探りて歌仕うまつりけるついでに恨戀の心を詠ませ給うける


小夜衣かへすかひなき思ひ寐の夢にも人を恨みつるかな




讀人志らず

題志らず


うたゝ寐にはかなく人を夢に見て現にさへも落つる涙か




法印善算


待ち侘びて暫しまどろむ轉寐の夢にも見せよ人の面かげ




祝部行直


侘びぬれば見てもかひ無き思寐に今將同じ夢ぞ待たるゝ




平行氏


頼まれぬ夢も誠の有る世ぞと逢ひ見て何時か人に語らむ




素性法師


戀しさにおもひ亂れて寐ぬる夜の深き夢路を現ともがな




後二條院御製

戀の御歌の中に


いとゞ猶歎かむ爲か逢ふと見て人無きとこの夢の名殘は




等持院贈左大臣

延文二年百首の歌奉りけるに、寄猪戀


獨寐は如何にふす猪の床なれば夢路も易く通はざるらむ




從二位業子

題志らず


宵々に行きかへるさへはかなきはうちぬる程の夢の通路




式部卿久明親王


我戀は只思ひ寐の夢なれや見るとはすれど逢ふ事のなき




善爲法師


はかなしや我が思ひ寐の心より通ふ直路の夢のちぎりは




前僧正弘賢


小車のしぢの端書如何で尚ぬる夜の數を添へて待つべき




等持院贈左大臣

寄篠戀


夜を重ねうき節見えて笹の葉に置く初霜と爭で消えなむ




入道贈一品親王尊圓

通書戀を


幾度も書きこそやらめ水莖の岡のかや原なびくばかりに




後光嚴院御製

延文の百首の歌召されし時寄鳰戀


心だに通はゞなどか鳰鳥の芦間を分くるみちもなからむ




讀人志らず

題志らず


水鳥をよそに見しかど戀すれば我も涙にうき音をぞ鳴く




法印實算


つれなくて來ぬ夜數かく涙川淀む逢ふ瀬はいかゞ頼まむ




前大納言爲定

延文の百首の歌に、寄弓戀


強ひてよもいふにもよらじみ菰苅る信濃のま弓引かぬ心は




高階宗顯

題志らず


[6]眞A鏡我が面かげは見てもかひなし




大貳三位

黒戸に立ちながら人に物云ひ明して又の日遣しける


知るらめやまやの仄々明くる迄あまそゝぎして立濡れしとは




等持院贈左大臣

延文二年百首の歌奉りける時、寄雲戀


知られじなひとの心の浮雲は我が袖晴れぬ時雨なりとも




前大納言公任

殿上の人々一品宮に參りて物云ひける人に、雨の降りければ急ぎ歸りてつとめて遣しける


飽かで來し空の雫は秋の夜の月さへ曇る物にぞ有りける




源頼言

題志らず


身に知らぬ逢坂山のさね葛關をば越えて來るひともなし




眞覺法師


かひなしや關の此方に年を經て遂に越ゆべき道を知らねば




大中臣能宣朝臣

女の許に云ひ遣しける


現ともゆめとも見えぬ程ばかり通はゞゆるせ下ひもの關




平光俊

題志らず


うきなかの關は宵々守り添へて人目よく間の夢も通はず




寂眞法師

等持院贈左大臣の家にて人々三首の歌詠み侍りけるに


關守の打ちぬる宵の通路は許さぬなかと言はぬばかりぞ




從二位家隆

建保二年、内裏の百首の歌に


遠からぬ伏見の里の關守は木幡のみねにきみぞ据ゑける




源兼氏朝臣

寄關戀


越えかぬる習もつらし逢坂の山しもなどか關路なるらむ




右兵衛督基氏

題志らず


なきになす身をばよそにや思ふらむ心より又物の悲しき




壽曉法師


生きてこそ思ふも憂けれ死ぬ計つらきや人の情なるらむ




前中納言季雄


同じ世のつらき限を見ぬほどの命ぞ戀のたのみなりける




前大納言爲兼

弘安の百首の歌に


逢ふまでの契もよしや今は唯憂きにまけぬる命ともがな




[7]遠村

題志らず


後の世の契の程も知らぬ身に戀ひ死ぬばかり何慕ふらむ




蓮生法師


後の世と我だに身をば思はねば頼み置くべき人も無き哉




頓阿法師


限とも言はでは如何戀死なむ誰が惜むべきうき身ならねど




藤原基任


はかなくぞ後の世知らで生ける身のつらき計を思侘ぬる




平政村朝臣

中務卿宗尊親王の家の百首の歌に


生ける身の爲と思ひし逢ふ事も今は命に換へつべきかな




信實朝臣

光俊朝臣詠ませ侍りける百首の歌に


生ける身の爲こそ憂けれそれをだに喞つ方とて戀や死なまし




權律師秀雅

題志らず


戀ひ死なぬほどとて身にぞ急がるゝ人は命もかけぬ契に




道勝法師


思ひかね又やしたはむ後までは恨み果つべき心ならねば




雅成親王


さのみよも後の世まではつらからじ命ぞ人の別なるべき




源棟義


戀ひ死なぬ身の爲つらき命ともさて長らふる契にぞ知る




民部卿爲藤

嘉元の百首の歌に、不逢戀


さりともと頼む心の身になくばうきにつけてや思弱らむ




藤原範永朝臣

題志らず


忘れじと思ふにそへて悲しきは心にかなふこゝろ なりけり


藤原元眞


心をばならはし物と言ふなれど片時の間も忘れやはする




平守時朝臣女


いかゞせむ逢ふにかへむと思ふ身のそをだに待たぬ命 なりせば


源尊宣朝臣


命にも換へなで人のつれなきはながらへて猶物思へとや




祝部成光


かひなしや憂きつれなさに存へて有りと聞かれむ命計は




源頼康


よそにだに見ぬ目の浦の忘貝かひなく拾ふ袖は濡れつゝ




津守國量

百首の歌奉りし時


ちりは猶こぬ夜も拂ふ床の上につもるまゝなる中の年月




前右大臣


逢ふ事も知らぬ世に猶長らへて我が爲憂きは命なりけり




前大納言實教

題志らず


年月のつらさに堪へて存ふる我がつれなさぞ喞つ方なき




後山本前左大臣

文保三年百首の歌奉りけるに


恨みても戀ひても經ぬる月日哉忍ぶばかりを慰めにして




二品法親王覺助

嘉元の百首の歌に、不逢戀を


つれなしな逢ふ頼なき年月をかくてもすぐす命ながさは




藤原長秀

題志らず


戀侘びぬいかに待ち見む三輪の山杉立つ門は訪ふ人もなし




前關白太閤

百首の歌奉りし時、祈戀


つれなさを祈るとだにも木綿襷かけてや人に先知せまし




太上天皇

題志らず


祈りこし幾年波の御手洗にかけぬ御祓は言ふかひもなし




中納言定頼

みあれの日葵に付けて女の許に遣しける


千早ぶる神の志るしと頼むかな思ひもかけぬ今日の葵を




權中納言爲重

百首の歌奉りし時、祈戀


頼むとや祈れば神も思ふらむ憂きつれなさに負けぬ心を




前内大臣

同じく奉りける百首の歌に、契戀


一かたに頼みぞせまし僞に習はぬさきのちぎりなりせば




藤原清春

題志らず


僞と思ひなせども言の葉や志ばしも殘るいのちなるらむ




前關白太閤

百首の歌奉りし時、契戀


僞と思ふちぎりをせめて身の慰むかたにたのむはかなさ




伴周清

題志らず


さらば又頼みてや見む僞と喞つによらぬなかのちぎりを




權津師寛宗


さりともと猶こそ頼め僞に思ひ爲すべきちぎりならねば




源和氏


そのまゝにいかで頼まむ僞もまことに似たる人の言の葉




和泉式部

人語らひける男の許より忘るなとのみ云ひおこせ侍りければ


いさやまた變るも知らず今こそは人の心を見ても習はめ




權中納言爲重

百首の歌奉りける時、契戀


僞のある世に習ふなかならば我がかね言もいかゞ殘さむ




爲冬朝臣

元亨三年七月、龜山殿の七百首の歌に


かねてより人の心も知らぬ世に契ればとても如何頼まむ




法眼能賢

題志らず


打ち解けぬ人の心の下ひもに強ひて契をなにむすぶらむ




素暹法師

寄書戀と云ふ事を


僞のことの葉しげき玉章に引きかへしても恨みつるかな




前僧正榮海

題志らず


契りしを誠とまでは思はねど又頼むべきことの葉ぞなき




法印淨辨


行くすゑを待ち見むまでの命こそ契に添へて疑はれけれ




權津師隆覺


何時までの命と知りて變らじと行く末までを契置くらむ




前大納言爲世

文永七年九月、内裏の三首の歌に


忘れじと言ひしばかりの契こそ行く末遠き頼みなりけれ




六條右大臣

郁芳門院の根合に、戀の心を人に代りて読み侍りける


思ひかねさてもや暫し慰むと唯なほざりに頼めやはせぬ




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[7] SKT reads 橘遠村.




新後拾遺和歌集卷第十三
戀歌三

寶篋院贈左大臣

待戀の心を詠み侍りける


僞に又やなりぬと思ふより待つにつけても濡るゝ袖かな




後光嚴院御製

應安六年三月十八日三首の歌講ぜられしついでに契待戀と云ふ ことを詠ませ給うける

僞の有る世を知らぬ身になして障るや喞つ言の葉にせむ




後岡屋前關白左大臣

貞和二年百首の歌奉りけるに


誠ぞと思ひ定めぬ夕暮のなほざりならずなど待たるらむ




前大納言爲兼

弘安の百首の歌に


さりともと心ひとつに頼めども言ひし儘なる夕暮も無し




花園院御製

貞和二年百首の歌召されし次でに


頼めしも忘れむと思ふ今日の日をくるとな告げそ入相の鐘




前内大臣

應安六年三月 [8]廿音の歌講ぜられし時、待戀を

契しも頼むとまではなきなかに何と待たるゝ夕なるらむ




源頼春朝臣

戀の歌の中に


僞の有る世も知らず待てとのみ言ひし夜毎の頼まるゝ哉




民部卿爲藤

文保三年百首の歌奉りけるに


僞は待つとばかりのちぎりにて心に頼むゆふぐれぞ無き




從二位業子

題志らず


憂きは身になれぬる後も僞をたのむや負くる心なるらむ




大江冬時


僞にならふうき身は中々に契らぬくれやたのみたるらむ




法印覺爲


僞を頼むだにこそはかなきを契らぬ暮のなどまたるらむ




源和義朝臣


僞と思ひながらも契りしや夕ぐれごとのたのみなるらむ




平英時


さりともと思ふ心やよわるらむ今は待たれぬ夕ぐれの空




從二位長衡


さのみよも來ぬ僞はかさねじと心に待たぬ夕ぐれぞなき




順徳院御製


鳥の音の曉よりもつらかりきおとせぬ人の夕ぐれのそら




從一位宣子


如何にせむ障らば明日の頼だに知らぬ契の宵のむらさめ




後光嚴院御製

延文の百首の歌召されけるついでに、寄蛛戀を


小蟹の蛛のふるまひ兼てより志るしも見えば猶や頼まむ




權大納言爲遠


かねて憂き心盡しとなりにけり頼をかくるさゝがにの絲




源氏頼

題志らず


徒らに待つは苦しき僞をかねてより知るゆふぐれもがな




惟宗行冬


更けぬとも暫し恨みじなほざりに頼めし人の契ならねば




祝部成光

權大納言爲遠の家にて人々三首の歌詠み侍りけるに、待戀を


更くるまで猶待たれしは僞にならばぬさきの心なりけり




宗仲法師

題志らず


僞の數添ふなかは契りてもたのみならはぬ夕ぐれのそら




津守國夏


獨寐のよはをも如何で明さまし訪はれぬ暮は思ひ絶ゆ共




曉勝法師


歸るさのよその恨を待ち明す身の類ひとはいかゞ思はむ




藤原俊頼朝臣


待つ人の來ぬ夜の數に較ぶれば枕のちりも積らざりけり




津守國貴


現にてこぬ憂さよりも逢ふと見る夢は幾夜も待つべかり鳬




前大納言俊定


僞のつらさにかへて詠むれば月ぞ來ぬ夜の數は知るらむ




大炊御門右大臣


ともすれば雲間隱れに待たれつゝ空頼めするよはの月哉




監命婦

男の人の國に罷りて、歸り來むと云ひける程も過ぎにければ詠みて遣しける


人を待つ門は暗くぞなりにける頼めし月のうちに見えねば




從三位頼政

深夜戀と云ふ事を


見よかしな廿日餘りの月だにも今迄人に待たれやはする




源氏清

題志らず


逢はざりしつらさを喞つ言の葉に今だに濡るゝ新枕かな




藤原宗遠

戀の歌に


なみだのみ片敷く袖の新枕いくとせ濡れて今宵干すらむ




多々良義弘朝臣


逢ふ夜だに猶干しやらぬ我袖や恨みなれにし涙なるらむ




法印淨辨

初逢戀の心を


自づから逢ふ夜はかはる心かな涙や戀のひまを知るらむ




前關白近衞

延文の百首の歌奉りける時、寄關戀


戀路には迷ふとばかり思ひしに越えける物を逢坂のせき




前大納言爲定

文保三年、百首の歌に


戀ひ死なばかひなからまし存へて逢ふを限りも命なり鳬




内大臣

題志らず


逢ふ夜こそ思ひ知りぬれ我ながら慕ひ來にける心長さを




大納言師賢

正中二年百首の歌奉りけるに


其儘にやがて命もたえぬべしげに身にかふる逢瀬 なりせば


能譽法師

逢戀をよめる


ならはねば身にこそ夢と辿るとも是は現と言ふ人もがな




法印長舜

百首の歌の中に、同じ心を


今宵かくかはし初めつる手枕に今は涙のかゝらずもがな




延喜御製

題志らず


夢路より惑初めぬと侘びつるに導べ有りとは今ぞ知りぬる




爲冬朝臣


思ひ出づる雲間の月の面影は又何時までのわすれ形見ぞ




權中納言爲重

急別戀と云ふ事を詠める


轉てなど憂き身知らるゝ別路を急がぬ先に慕はざりけむ




左大臣

永徳元年六月十二日三十首の歌講ぜられし時、惜別戀


夜を籠めて急ぐ別の憂きなかに頼めぬ末を何ちぎるらむ




藤原爲尹朝臣

百首の歌奉りし時、別戀


我が心慰めとてや別路にかはらじとのみちぎり置くらむ




等持院贈左大臣

貞和二年百首の歌奉りけるに


鳥の音は鳴くとも未夜深きになど憂き人の急ぐなるらむ




源詮信

題志らず


せめてたゞ聞きも盡さば別路の八聲の鳥をさのみ恨みじ




後野宮前内大臣


よしさらば又とも言はじ別路のつらさに堪へむ命ならねば




太上天皇

永和四年八月十五夜三首の歌講ぜられしついでに、月前別戀


つらき名のたぐひまでやは喞つべき別れし袖の有明の月




權中納言資教

百首の歌奉りし時、別戀


憂きまゝにさのみかこたじ衣々の形見はのちも有明の月




源頼元

同じ心を


形見ぞと言はぬばかりの別れ路に殘るもつらき有明の月




前大納言爲氏

月前別戀の心を


忘るなよ又逢ふまでの契とも知らぬ形見のありあけの月




源基時朝臣

戀の歌の中に


今よりやつらき形見となりもせむ我が衣々の袖のつき影




正三位知家

建保二年内裏に百首の歌奉りけるに


曉の別れは何時もから衣濡れてぞかへるそでのうらなみ




前中納言基成

題志らず


死ぬばかり人は別れを思はでや又逢ふ事を契り置くらむ




崇賢門院

百首の歌奉りし時


我のみや干さで忍ばむ衣々の袖に殘さぬひとのなみだを




祝部成豐


道芝の露と消えなば衣々の別れやながきわかれならまし




後鳥羽院宮内卿

千五百番歌合に


明くるだに惜まぬ物を暮ればとは心の外の空だのめかな




兵部卿元良親王

かく定めなうあくがれ給ひけれどいと心ありてをかしくおはする宮と聞きて大夫の御息所の御腹の女八宮にあはせ給ひて、あしたに


程もなく歸るあしたのから衣心まどひにいかゞきつらむ




光明峯寺入道前攝政左大臣

百首の歌の中に、後朝戀


暮るゝ間を待つべき身とも頼まれず歸りし道の心惑ひに




讀人志らず

年頃つれなかりける女にからうじてあひそめける其の夜程なく明けぬれば詠める


つらかりし君が心は忘られて明けぬる空の恨めしきかな




二條院御製

後朝戀を詠ませ給ひける


ひとり寐も習はぬ身には非ねども妹が歸れる床の寂しさ




皇太后宮大夫俊成

爲忠朝臣の家に百首の歌詠ませ侍りける時、後朝隱戀


飽かなくに起きつるだにも有る物を行方も知らぬ道芝の露




本院侍從

元良親王の、くや/\と待つ夕暮といまはとて歸るあしたといづれ増れりと云ふ歌を數多の人の許に遣はして返事を見けるに


夕暮は頼む心になぐさめつ歸るあしたはけぬべきものを




源季廣

後朝戀の心を


逢ふまでを限と思ひし涙こそ歸る今朝さへ先だちにけれ




從二位家隆


歸るさの今朝の別をすぐしてぞ命ありとも身を頼むべき




侍從爲敦

百首の歌奉りし時


志ばし猶待たれぬ夢ぞ覺めやらぬ現とも無き今朝の別に




法印定爲

文保の百首の歌に


別れつる身には心の有らばこそ夢現ともひとにかたらめ




[8] SKT reads 二十首.




新後拾遺和歌集卷第十四
戀歌四

西園寺入道前太政大臣

洞院攝政の家の百首の歌に


曇るさへ嬉しと見えし大空の暮るゝもつらく何時なりに劍




讀人志らず

題志らず


言の葉もかき絶えぬればつらかりし空頼めさへ戀しかり鳬




爲冬朝臣

元亨三年三月盡、後醍醐院に三首の歌講ぜられける時、契戀


僞と思はゞ猶も如何ならむ頼むにだにもかはるちぎりを




前大納言爲定

契變戀


契りしも頼まぬ物を今更に變るこゝろの如何で見ゆらむ




後勸修寺前内大臣

貞和二年、百首の歌に


逢ふまでを限る命と思ひしは行くすゑしらぬ心なりけり




讀人志らず

題志らず


來る人もあらじ今はの山かづら曉かけてなにと待つらむ




津守國助

寄帆戀


頼まじなことうら風に行く舟の片帆ばかりにかゝる契は




讀人志らず

題志らず


寄る方と頼むもよその中なれやこと浦舟のすゑの潮かぜ




太上天皇

百首の歌召されし時、絶戀


こと浦に心をかけしかた帆より跡まで知らぬ中のはや舟




讀人志らず

煩ひて久しうこざりける男の許よりさうぶの實を遣して身のなり行くさまを見せばやと云へりける返り ごとにむすめに代りて

永からぬうきねと見れば菖蒲草我ぞ物思ふ身とはなりぬる




中納言朝忠

語らふ女の音せぬに


今年生ひの竹の一夜も隔つれば覺束なくもなり増るかな




太上天皇

をのこども題を探りて卅首の歌仕うまつりける時變戀と言へる事を詠ませ給ひける


頼めこし淺茅が末に秋暮れて今はのつゆを袖にかけつゝ




讀人志らず

思ひやみにたる事を傳ふる人の許より


嵐吹く外山の紅葉冬來れば今はことの葉絶え果てぬらむ




前大納言公任

とありければ


遠近の嶺のあらしに言とはむいづれの方か色はかはると




從二位嚴子

題志らず


今こむと契りしなみも早越えぬうき僞のすゑのまつやま




津守國助

變戀


越えぬなり末の松山すゑ遂にかねて思ひし人のあだなみ




崇賢門院

百首の歌奉りし時、絶戀


逢ふ事は遠山鳥のおのづから影見し中もへだて果てつゝ




定顯法師

戀の歌に


果は又ゆくへも知らぬ村鳥の立つ名ばかりを何歎きけむ




太宰大貳重家

逢不會戀


御狩野のつかれになづむ箸鷹のこゐにも更に歸りぬる哉




大江宗秀

題志らず


つらかりし鳥の音計り形見にて我が逢坂は隔て果てゝき




宜秋門院丹波

千五百番歌合に


中々に越えてぞ迷ふ逢坂の關のあなたやこひ路なるらむ




權大納言宗實

題志らず


立ち歸り越ゆべき物と思ひきや絶えにし中のあふ坂の關




源頼之朝臣

寄關戀と云へる事を


通ふとも人は知らでや宵々に心のせきのさはり果つらむ




侍從爲敦

百首の歌奉りし時、遇不逢戀


關守の打ちぬる程と待ちし夜も今は隔つる中のかよひ路




前大納言爲家

同じ心を


今は早十市の池のみくり繩來る夜も知らぬ人に戀ひつゝ




秀胤法師

題志らず


小山田の引板のかけ繩絶えしより驚かすべき便だになし




藤原行詮


今は早よそにみつのゝこも枕假寐の後はゆめだにもなし




三善頼秀


面影を忘れもやらぬこゝろこそ人の殘さぬ形見なりけれ




兵部卿隆親

寶治の百首の歌奉りける時、寄橋戀


舊りにける長柄の橋の跡よりも猶絶えぬべき戀の道かな




藤原長秀

同じ心を


片糸のをだえの橋や我が中にかけしばかりの契なるらむ




平貞秀

寄水戀と云ふ事を


さもこそは淺き契のすゑならめやがて瀬絶えし中河の水




前中納言爲忠

貞和二年、百首の歌に


如何にせむ憂き中河の淺き瀬に結ぶとすれば絶ゆる契を




讀人志らず

題志らず


中川の淺き契のすゑかけて猶も逢ふ瀬をたのむはかなさ




衣笠前内大臣


思ひ出づや荒磯なみのうつせ貝われても逢ひし昔語りは




津守國量

權中納言爲重の家にて三首の歌詠ませ侍りしに、絶不逢戀を


我が中は身を宇治橋と舊りしよりいざよふ波を懸けて戀ひつゝ




宗祐法師

題志らず


よそにのみ鳴海の海の沖つ浪立ち歸りてもしたふ頃かな




讀人志らず


人目もる山下くゞる水莖のかき絶えぬるか音づれもせぬ




參議雅經


み草のみ茂る板井の忘れ水汲まねば人のかげをだに見ず




權中納言爲重


思ひ出でよ野中の水の草隱れもとすむ程の影は見ずとも




前大納言宗明


結び置くもとの契の面影も見えぬ野中のみづからぞ憂き




前大納言爲家


かき遣りし山井の清水更に又絶えての後の影を戀ひつゝ




寶篋院贈左大臣

延文の百首の歌に、寄枕戀


敷妙の枕にかゝる涙かな如何なるゆめの名ごりなるらむ




入道二品親王尊道

同じく奉りける百首の歌に、寄衣戀


須磨の蜑の潮垂衣朽ちぬ間や間遠ながらも重ねきつらむ




左兵衛督基氏

寄虫戀を詠める


枯れ果つる人の契は淺茅生になほ松虫の音こそなかるれ




宗覺法師

題志らず


白菊の移ろひ果つる契ゆゑ濡れて干す間も無きたもと哉




大納言通具


さても猶えやはいぶきの下草の跡なき霜に思ひ消えなむ




寶篋院贈左大臣

延文の百首の歌に、寄風戀


吹く風に嶺越えて行くうき雲の如何に跡なき契なるらむ




安嘉門院高倉

題志らず


言の葉のかゝる方なくなりぬれば僞さへぞ今はこひしき




後岡屋前關白左大臣

貞和二年百首の歌奉りけるに


遠ざかる人の心に任せなば見し面かげも身をやはなれむ




太宰權帥仲光

永徳元年六月十二日内裏にて三十首の歌講ぜられけるに、違約戀と云ふ事を


遂にさて障り果てぬる人目こそつらきか ごとの契なりけれ


祝部行親

會不逢戀


昔ともおもひなされぬ面影におなじ世つらき身の契かな




權律師實藏

題志らず


面影の殘るかたみもかひぞ無き見し夜の夢の契ならねば




中宮大夫公宗母

文保の百首の歌に


自ら思出でゝも訪はれぬは同じ世になき身とや知るらむ




大中臣行廣朝臣女

戀の歌とて


今はたゞ思ひ絶えねと月日さへ隔つる中を何したふらむ




後二條院御製

忍絶戀を


志ばしこそ人目思ひし宵々の忍ぶ方より絶えや果つべき




今出河院近衞

題志らず


同じ世に何慕ふらむ有明の面かげばかりさらぬわかれを




源氏經朝臣


廻り逢ふ月こそひとの形見とも涙曇らで見る夜はぞ無き




伴周清


よしさらば涙いとはで袖の月曇るをだにも形見とや見む




前關白左大臣

百首の歌奉りし時、遇不逢戀


今はまたありしその夜の面影もつらき形見に月ぞ殘れる




源頼遠

題志らず


忘れては見し夜の影ぞ忍ばるゝ憂き習はしの有明のつき




源親長朝臣


そのまゝに頓て別れの形見とも知らでぞ見つる有明の月




後二條院御製


忘らるゝ身をこそ月に喞ちつれ人をうらみぬ心よわさに




正二位隆教

嘉元の百首の歌奉りけるに


あだ人の形見顏なる影も憂し見し世に變る山の端のつき




西園寺入道前太政大臣

題志らず


待つとせしならひばかりの夕暮に面影のこる山の端の月




左衛門督資康

三十首の歌講ぜられける時、寄鏡戀


面影は殘るともなき眞澄鏡曇るなみだもよしやいとはじ




法印守遍

題志らず


つらしともたれをかこたむ眞澄鏡曇るも人の泪ならねば




前大納言爲家


人はいさ鏡に見ゆる影をだにうつる方には頼みやはする




攝政太政大臣

延文の百首の歌に、寄鏡戀


何時よりか鏡に見ゆる影をさへ向ふ泪にへだて果てけむ




讀人志らず

題志らず


月日のみうつるにつけて眞澄鏡見し面影は遠ざかりつゝ




前大納言爲氏

寶治の百首の歌奉りける時


眞澄かゞみ何面影の殘るらむつらき心はうつりはてにき




新後拾遺和歌集卷第十五
戀歌五

素性法師

題志らず


忘れなむ時忍べとぞ空蝉のむなしきからを袖にとゞむる




藤原光俊朝臣


忘られて生けるべしとも知らざりし命ぞ人のつらさ なりける


馬内侍

雪の降れるあしたに男の來りてかく習ひて絶えなむはいかゞ思ふべきと云ひければ詠める


忘れなば越路の雪の跡絶えて消ゆる例になりぬばかりぞ




讀人志らず

男のかれ%\になりにける女に變りて詠める


今はたゞ人を忘るゝ心こそ君にならひて知らまほしけれ




太上天皇

戀の御歌の中に


心よりかはる契のすゑなれば驚かしてもかひやなからむ




萬秋門院

嘉元の百首の歌奉りけるに、忘戀


ともすれば有りし習に立ち歸り猶元の身と頼むはかなさ




源頼之朝臣

題志らず


はかなくや人は許さぬ面影を忘らるゝ身に添へて殘さむ




攝政太政大臣

寄書戀


かき絶えて殘るうき身ぞ玉章のふりぬるよりも置所無き




法印定爲

嘉元の百首の歌に、忘戀


形見とて人は殘さぬ身にし有れば今はあだなる頼だに無し




太上天皇

百首の歌召されしついでに同じ心を詠ませたまうける


心にも今は殘らぬ契とやいとひしほどのおもかげもなき




讀人志らず

物云ひわたる男の久しう音せで、忘れずと云ひたりければ詠める


忘れずと云ふにつけてぞ中々に訪はぬ日數の積るとは知る




源義將朝臣

百首の歌奉りける時、忘戀


忘草生ふと聞くより住吉のきしはよそなる中のかよひ路




左衛門督資康


摘みに行く道だに知らず忘草きしなるたねや人に任せむ




入道二品親王覺譽

延文二年百首の歌奉りしに、寄蛛戀


忘てし人は軒端の草の葉にかけても待たず蛛のふるまひ




伏見院御製

寄草戀を


色かはる心の秋の葛かづら恨みをかけてつゆぞこぼるゝ




前中納言匡房


ともすれば靡くさ山の葛かづら恨みよとのみ秋風ぞ吹く




源頼資

題志らず


契り置きし露をか ごとの葛かづら來るも遅しと猶や恨みむ


平貞秀


斯ばかり絶えける物を葛かづら來る夜をかけて何恨みけむ




後西園寺入道前太政大臣

弘安元年、百首の歌に


身の憂きに思ひ返せば眞葛原たゞうらみよと秋風ぞ吹く




權大納言教嗣

戀の歌に


知られじなかた山蔭の眞葛原うらむる風は身に寒くとも




祝部成景


秋風のたよりならでは眞葛原恨むとだにも如何で知せむ




從三位忠兼

寄草恨戀


眞葛原露の情もとゞまらず恨みしなかはあきかぜぞ吹く




參議經宣

題志らず


身を秋の末野の原の霜枯に猶吹きやまぬくずのうらかぜ




示空上人


言の葉の枯れにし後は眞葛原恨むる程のなぐさめもなし




兵部卿長綱


海士の住む里の烟の志るべだに我にはよその浦風ぞ吹く




頓阿法師

絶恨戀


蜑の住む里の烟は絶えにしをつらき導べのなに殘るらむ




紀俊長

題志らず


須磨のあまの鹽燒衣恨み侘び猶も間どほに濡るゝ袖かな




前中納言爲明

貞和の百首の歌に


恨のみ深き難波の水脉つくし志るしや孰ら寄る船もなし




前大納言爲氏

弘安の百首の歌に


荒磯に寄り來る浪のさのみやは心砕けて身をもうらみむ




題志らず


我身をぞ喞つ方とは恨みつる人のつらさの云ふに叶はで




藤原秀長


積り行く恨もかひぞ無かりける月日に添へてつらき契は




權中納言爲重


身の程の憂きはよそ迄知らる共恨み止らばかひや無からむ




大藏卿有家

千五百番歌合に


誰も皆憂きをば厭ふ ことわりを知らずはこそは人も恨みめ


前關白左大臣

百首の歌奉りし時、恨戀


果は又身を憂き物と喞つこそせめて恨のあまりなりけれ




津守國久

戀の歌の中に


ことわりも思ひ知らばと頼むかな恨を後のあらましにして


入道贈一品親王尊圓

貞和二年、百首の歌に


身の憂さを思ひしらずばいかに猶心の儘に恨み果てまし




民部卿爲藤

嘉元の百首の歌に、恨戀


つらしとも心の儘に言ひてまし恨み果つべき中と思はゞ




亭子院御製

戀の御歌の中に


つくるなる橋と知る/\恨むれば思ひながらを云ふにぞ有ける




花園院御製

貞和二年百首の歌召されけるついでに


一筋に思ひ知らぬに爲しやする云はぬ恨も同じつらさを




前大納言善成

百首の歌奉りし時、恨戀を


今はよも言ふにもよらじ等閑のつらさをなどか恨ざりけむ




如法三寶院入道前内大臣

恨身戀と云ふ事を


身の憂さを歎くも猶や立ち歸り人をうらむる心なるらむ




伏見院御製

人を恨みむと云ふ言葉を詠ませ給うける


つらしとて人を恨みむ理のなきにうき身の程ぞ知らるゝ




新後拾遺和歌集卷第十六
雜歌上

後嵯峨院御製

題志らず


八雲立つ出雲八重垣かきつけて昔語りを見るぞかしこき




太上天皇

百首の歌召されしついでに、述懷


露も我が知らぬ言葉の玉なれど拾ふや代々の數に殘らむ




圓融院御製

題志らず


光さす雲の上のみ戀しくてかけ離るべきこゝちだにせず




入道親王道覺

天台座主になりて西山より出で侍りける時


心をば西の山邊にとゞめ置かむ廻逢ふべき月日有りやと




從三位藤子

題志らず


長らへてうき世の果は三輪の山杉の過ぎにし方ぞ戀しき




法印増運


いかにせむ我が立つ杣の杉の門過ぎこし老の驗無き身を




津守國夏


かざし折る跡とも見えぬ梢かな檜はら重なる三輪の茂山




法印俊憲


八十ぢまで長柄の山に存へて人こそ知らね代を祈るとは




津守國量

山を詠める


故郷に間近ければやあし垣の吉野の山と名にし負ふらむ




津守國冬


浦路より打ち越え來ればたかし山峯まで同じ松風ぞ吹く




永福門院内侍


伏見山裾野をかけて見わたせば遙かに下る宇治のしば舟




攝政太政大臣

延文の百首の歌奉りける時


朝霧に磯の波分け行く舟は沖に出でぬもとほざかりつゝ




津守國冬

永仁六年十月、龜山院住吉の社御幸の時、遠島眺望と云ふことを仕うまつりける


朝夕に見ればこそ有れ住吉の浦よりをちの淡路しまやま




冷泉前太政大臣

寶治の百首の歌に、海眺望


渡の原八重の潮路を見渡せば浮きたる雲につゞく白なみ




太上天皇

百首の御歌の中に


夕汐の引く方遠く見渡せば雲にかけたるあまのうけなは




左大臣

百首の歌奉りし時


若の浦の松に絶せぬ風の音に聲打添ふるたづぞ鳴くなる




權中納言爲重


沖つ浪寄するひゞきをのこしても浦に鳴尾の松風ぞ吹く




爲冬朝臣

磯浪と云ふ事を


潮風の荒磯かけて沖つなみ猶寄せかへるおとのひまなき




從三位爲繼

寶治の百首の歌に、磯嚴を


潮風に荒磯波のいくかへり碎けてもまたいはにかくらむ




源義春

題志らず


潮滿てばそれとも見えず澪標松こそ浦のしるしなりけれ




等持院贈左大臣

貞和二年、百首の歌に


渡り來て身は安くとも浮橋のあやふき道をいかゞ忘れむ




僧正定伊

題志らず


苔ふかき谷の懸橋年ふりて有るかひもなき世を渡るかな




橘遠村


長らへば十綱の橋に引く綱のくるしき世をも猶や渡らむ




讀人志らず


歎かじよ久米の岩橋とても世を渡り果つべき我身ならねば




津守國冬

嘉元の百首の歌奉りけるに、橋


淺き瀬はたゞも行くべき澤田河まきの繼橋何わたすらむ




源頼之朝臣

雜の歌の中に


逢坂の木綿附鳥や急ぐらむまだ關もりも明けぬ戸ざしを




寶篋院贈左大臣

延文の百首の歌に、曉鷄


一かたに鳴きぬと聞けば里毎にやがて數添ふ鳥の聲かな




西園寺前内大臣女

同じ心を


寐覺にも流石驚くあかつきを思ひしらずと鳥や鳴くらむ




權大納言時光

延文の百首の歌に


今も猶つかへて急ぐあかつきを知らでや鳥の驚かすらむ




攝政太政大臣


鳥の音に急ぎなれても年は經ぬいまは長閑けき曉もがな




光嚴院御製

雜の御歌の中に


山里は明け行く鳥の聲もなし枕のみねにくもぞわかるゝ




入道二品親王尊道

百首の歌奉りし時、曉


長き夜の老の寢覺は中々にかねより後ぞしばしまどろむ




内大臣

曉更鐘と云ふ事を


聞きなるゝ野寺のかねのこゑのみぞ曉毎の友となりける




淨阿上人

題志らず


老が身の寐覺の後やあかつきの木綿附鳥も八聲鳴くらむ




前大僧正頼仲


數々に思ひ續くるむかしこそ長き寐覺になほのこりけれ




源頼春朝臣


夜を深くのこす寐覺の枕とてまだ消えやらぬまどの燈火




在原業平朝臣


背くとて雲には乘らぬ物なれど世の憂き事ぞよそになるてふ




前中納言定宗

入道二品親王詠ませ侍りし五十首の歌に


人はみな越えぬる跡の位山後れてだにものぼりかねつゝ




前大納言爲定

述懷の歌とて


位山あるにまかする道なれど今一さかぞさすがくるしき




平政村朝臣


登るべき程はのぼりぬ位山これよりうへの道ぞゆかしき




前大納言爲氏

弘安の百首の歌奉りける時


杣山の谷の埋れ木年經れど跡あるかたに引くひとも無し




平常顯

題志らず


朽ち殘る名だに聞えよ埋木の花咲く迄は知らぬ身なれば




前參議敦有


憂かりける汀の眞菰何時迄か越え行く波の下にしをれむ




爲道朝臣


世の中は苦しき物かうきぬなはうきをも下に思ひ亂れて




[9]A子内親王


浮草の浮たる世には誘ふ水有りともいかゞ身をば任せむ




信實朝臣

みづからの歌ども書き置くとて


袖濡らす人もや有ると藻鹽草形見のうらに書きぞ集むる




一品親王寛尊

題志らず


藻鹽草流石かき置く跡なれや八十ぢを越ゆる和歌の浦波




源義將朝臣

述懷の歌の中に


人並の數にとのみや和歌の浦の入江の藻屑書き集めまし




讀人志らず


磨くなる玉と聞くにも和歌の浦の藻屑は最ど寄る方も無し





及ぶべき便もあらば松が枝に名をだにかけよ和歌の浦波




鴨長明

後鳥羽院の御時和歌所にさふらふべき由仰せられければ


しづみにき今更和歌の浦浪に寄らばや寄せむあまの捨舟




讀人志らず

題志らず


偖も何時誰かは引かむ若の浦にまだ寄りやらぬ世々の捨舟




順徳院御製

百首の歌めしけるついでに


和歌の浦や羽根打ちかはし濱千鳥波に書置く跡や殘らむ




從二位家隆

題志らず


さても猶哀はかけよ老の波末吹きよわる和歌のうらかぜ




前大納言爲家


今はとて世にも人にも捨てらるゝ身に七十ぢの老ぞ悲しき




前權僧正雲雅

文保の百首の歌に


問ふ人の有らばぞ言はむ山里は思しよりも住み憂からぬを




參玄法師

題志らず


猶深く山より山を尋ねてぞ捨てしこゝろの奧も知られむ




津守量夏


世を背く山は吉野と聞きながら心の奧に何時しるべせむ




法印慶運


遁れ來て住むは如何なる宿とだに人に知られぬ山の奧哉




常磐井入道前太政大臣

弘長元年百首の歌奉りける時、山家


顯はれて我が住む山の奧に又人に訪はれぬいほり結ばむ




法眼圓忠

同じ心を


松風を友と聞きても寂しさは猶忍ばれぬやまのおくかな




元可法師


山里は住み果てよとや世のうさを來る人毎に先語るらむ




讀人志らず

題志らず


山深き苔の下道踏み分けてげには訪ひ來る人ぞまれなる




紹辨上人


それ迄は厭はぬ物を山深み訪ひくる人のなど無かるらむ




正三位通藤女


長閑にと求めし山の奧も又あくがれぬべくまつ風ぞ吹く




攝政太政大臣

山家嵐を


心住む松のあらしもなれにけり遁るゝ山の奧ならねども




源義將朝臣

百首の歌奉りし時、山家


寂しさはなれて忘るゝ山ざとを訪ひ來る人や驚かすらむ




頓阿法師

題志らず


自づから又身を隱す人にだに住むと知られぬ山の奧かな




祝部成景


靜かなる心の内の隱れがは遁れてけりと知るひともなし




藤原長信


寂しさになれての後や山里の松のあらしも友と聞かまし




讀人志らず


かねて我が思しよりも山里はなれぬる後ぞ寂しかりける




惟宗貞俊朝臣


いづくをも厭ふ心の身に添はゞ此山陰も住みや捨てまし




權中納言資教


あらましの其儘ならば山里に住むなる人の數や添はまし




源頼之朝臣


寂しとて又住みかふる山里も猶聞き侘ぶる軒のまつかぜ




權大僧都經賢


寂しさは思ひし儘の山里にいとふ人目のなど待たるらむ




祝部成詮


よそに我が思やるより山里は寂しからでや人の住むらむ




源頼康


訪はれぬを憂しと思ひし山里はまだ住みなれぬ心 なりけり


權大僧都隆縁


住むからにうき世とならば猶深く入りても山のかひやなからむ




藤原康行


遁れ入るかひや無からむ山里も心に背くうき世ならずば




蓮道法師


浮世より住み憂くとても身を捨てゝ後は出づべき山の奧かは




源顯則


共に住む心も習へ山水をたよりとむすぶ志ばのいほりに




前大僧正行尊

筧の水の曉になれば音の増るを聞きて詠める


寢ぬ程に夜や明け方になりぬらむ懸樋の水は音増るなり




藤原頼清朝臣

題志らず


あらましに思ひしよりも山里のかけひの水は心すみけり




藤原行輔朝臣


此里は竹の懸樋の末うけて軒端のやまにつま木をぞ取る




法印慶運

前大僧正慈勝人々に詠ませ侍りける千首の歌に、田家


牡鹿ふす門田の霜の冴ゆる夜ぞもる頃よりも寢ねがてにする




靜法仁親王

弘安の百首の歌に


露霜の洩らぬ岩屋に洩る物はこけの袂の志づくなりけり




覺増法親王

述懷の心を詠める


世の中を憂しとは誰も言ひながら誠に捨つる人や少なき




前大納言實教


古へは猶さりともと此頃の憂きを待ちけむ程ぞはかなき




宗鏡禪師

雜の歌に


思ひ出づる心に浮ぶ古へを遠きものぞとへだてこしかな




權中納言經定女


思出の無き古へを忍ぶるは身の憂き事やなほまさるらむ




前大僧正圓伊


老いて猶憂かりける身を古は行く末とのみ頼まれしかな




藤原行春


世の憂さは今はた同じ古への老せぬばかり志のばるゝ哉




昌義法師


こし方に歸る道無き老の坂何を志るべに越えて來つらむ




法印乘基


何時までと思ふ心に老が身の憂き程よりは世をぞ歎かぬ




性嚴法師


歸りこぬ身の昔をば忍べども迷はむ後の世をばなげかず




平重基


斯計り老ぬる身には命だに有らばと頼むあらましも無し




讀人志らず


はかなくもさて幾程の思出にかへて厭はぬ浮世なるらむ




源孝行


長らふる心よわさを命にてそむかぬ世こそ老となりけれ




兼好法師


後の世を歎かぬ程ぞ知られける身の憂きにのみ袖は濡れつゝ




權中納言公雄

嘉元の百首の歌に、述懷


世の中のうきに換へてし墨染の袖になみだの何殘るらむ




[9] The kanji in place of A is unavailable in the JIS code table. The kanji is Morohashi's Dai-Kanwa kanji number 6487.




新後拾遺和歌集卷第十七
雜歌下

藤原高光

世を遁れて横川に住み侍りける頃詠める


見わたせば烟絶えたる山里に如何に干さまし墨染のそで




讀人志らず

題志らず


墨染の袖にうき世を遁れても心のいろはかはるともなし




頓阿法師

述懷の歌に


年も經ぬ今一志ほと思ひしもこゝろに朽つる墨染のそで




中務卿宗尊親王


厭ひても後を如何にと思ふこそ猶世に止まる心なりけれ




後岡屋前關白左大臣

貞和二年、百首の歌に


我が心曇りあらじと思ふ身を友とは知らで月や澄むらむ




後醍醐院御製

正中二年百首の歌召されし次でに


自づから人の心のくまもあらばさやかに照せ秋の夜の月




前大僧正道基

御持僧に侍りて二間に侍りける事を思ひ出でゝ詠み侍りける


祈りこし昔の夜居の跡なくばよそにぞ見まし雲の上の月




從三位爲理

題志らず


憂き身をも流石雲居の月ばかり同じ友とは思ひ出づらむ




攝政太政大臣

永和二年八月十五夜三首の歌講ぜられし時


今は身の山とし高き秋の月出でゝ幾たび世につかふらむ




題志らず


さらでだに思ひも捨てぬ世の中に住むを友なる月の影哉




源光行


老が身の涙に浮ぶ月のみや我がむかしをも思ひ出づらむ




[10]A子内親王


よしさらば積らば積れ月をだに見て老らくの思出にせむ




大納言通具

建保三年、内裏にて五首の歌合に

影清き蓬が洞の秋の月志もをてらさば捨てずもあらなむ




法印延全

題志らず


我ばかりなほ古郷にのこり居て蓬が庭のつきを見るかな




前大納言公蔭

貞和の百首の歌に


秋の月こたへば如何に語らまし心に浮ぶ代々のあはれを




夢窓國師

題志らず


世を捨てゝ後は詠めぬ物ならば月に心や志ばしとゞめむ




源頼貞


住み侘びぬわが身伴なへ秋の月いづくの方の野山 なりとも


中園入道前太政大臣

閑居月を


山深き月に今よりなれ初めて背かむ後のこゝろをぞ知る




前中納言定家

入道二品親王詠ませ侍りける五十首の歌に


斯計り厭ふべき世に存へて憂きをも知らぬ身とぞ成ぬる




津守國冬

題志らず


徒らにすぐすになれる月日かなさすが心の隙はなけれど




平直基


厭ふべき世の有らましもなかり鳬憂き時にだに捨られぬ身は




中忻法師


身の爲に歎かぬのみぞ世の中はよそに爲しても猶憂かり鳬




藤原爲量朝臣


捨遣らで心からなる身の憂さを唯世の咎にいかゞ恨みむ




前大納言實教

文保の百首の歌に


さりともと行く末頼むあらましに難面く過ぎし身の昔哉




權僧正良憲

題志らず


頼むべき身にはあらねど行末のあらましにこそ暫し慰め




法印昌算


存へてあるさへ厭ふ老らくの身のあらましは末も頼まじ




法印宗信


あらましの叶ふ世ならば捨てかぬる身の行末を猶や頼まむ




藤原高範


一すぢに思ひも絶えて遁るべき世を等閑に過しつるかな




前權僧正宋助


さりともと慰め來つる行末も頼無きまで身こそ舊りぬれ




三善爲連


今迄も遁れは果てぬ老が身に世を憂き物と思はずもがな




讀人志らず


とに斯に又や歎かむ遁れても身のよそならぬ浮世 なりせば


法眼聖承


如何なれば我があらましの末をだに思定めぬ心なるらむ




前大納言爲世

弘安元年百首の歌奉りける時


自から憂きをわするゝあらましの身の慰めは心なりけり




法印有雅

題志らず


あらましのなからましかば何をかは數ならぬ身の慰めにせむ




妙藤法師


背くぞとよそには見れど古のあらまし程は捨ぬ身ぞ憂き




昭覺法師


厭ふべきあらましならで世の中の實に憂き時の慰めぞ無き




窓覺法師


思ひ侘び世の憂き時はあらましに幾度捨てし心なるらむ




夢窓國師

雜の歌とて


忘れては世を捨て顏に思ふ哉遁れずとても數ならぬ身を




源氏直


憂き物と思知りても過ぐる世を如何に住む身と人の見る覧




權少僧都覺家


遂にさて捨つる身ならば徒に過ぎにし方や悔しからまし




讀人志らず

題志らず


思ふより外なる物は世の憂さに堪へて難面き命なりけり





つらしとて厭ひも果てば中々に世の憂き事を誰か歎かむ




禪要法師


よしさらば捨られぬ身をあだし世の憂きに任せて果をこそ見め




道雄法師


何事を待つとは無くて移行く月日の儘に世をやすぐさむ




太宰大貳高遠


中々につらきにつけて忘れなば誰も浮世や歎かざらまし




小町


我れが身に來にける物を憂き事は人の上とも思ひける哉




前大納言爲家


定めなき心弱さを顧みてそむかぬ世こそいとゞ惜しけれ




讀人志らず


さもこそは竹の園生の末ならめ身に憂き節のなど茂る覧




前中納言雅孝

嘉元の百首の歌に、述懷


數ならぬ身を思ふには代々經ぬる道をも爭で猶傳へけむ




攝政太政大臣

永徳二年護國の宣命に攝政の事載せられ侍りしに、忠仁公始めて此の宣をかうぶりしが、同じ年六十三にて侍りしを思ひ出でゝ


古への跡に及ばぬ身なれども老の數こそかはらざりけれ




權中納言爲重

百首の歌奉りし時、述懷


敷嶋の道は代々經し跡ながら猶身に越ゆる和歌のうら波




二條院讃岐

正治の百首の歌に


今はとて澤邊に歸る芦たづのなほ立ち出づる和歌の浦波




等持院贈左大臣

延文二年百首の歌奉りける時


我が方に和歌の浦風吹きしより藻屑も波の便りをぞ待つ




光嚴院御製

貞和の百首の歌召されける次でに


十年餘り世を助くべき名は舊りて民をし救ふ一事もなし




左兵衛督直義

道大法師病に煩ひ侍りけるに泰山府君まつるべき由申して太刀など贈り遣しけるに詠みて添へて侍りける


世の爲に我れも祈れば限ある命なりともながらへやせむ




西行法師

世を遁れける折ゆかり有りける人の許へ云ひ贈りける


世の中を背き果てぬと言置かむ思知るべき人は無くとも




定顯法師

題志らず


元の身の憂きは捨てゝも變らじと思ひし儘の世を歎きつゝ




權大僧都顯源


此の頃の憂きに較べて思出の無きむかしをも又忍ぶかな




權僧正果守


更に今聞きてだにこそ忍ばるれ見しより先の昔がたりは




西園寺前内大臣女


せめて今言ひて慰む友もがな心にあまるむかしがたりを




源高秀


かへりこぬ習ばかりを昔にて見しはきのふの代々の面影




清輔朝臣


うきながら今はとなれば惜しき身を心の儘に厭ひつる哉




橘重吉


はかなくも世のうき事を喞つ哉遁れぬ程の身をば歎かで




源光正


遁るべき我があらましも頼まれず憂世と云て年の經ぬれば




三善資連


愚なる身は空蝉の世の中に捨てぬ物から侘びつゝぞ經る




僧正永縁


我ならで物思ふ人を世の中に又有りけりと見るぞ悲しき




權少僧都運圓


現とも夢とも分かでこしかたの昔語りになるぞはかなき




光嚴院御製


見し人は面影ちかきおなじ世に昔がたりの夢ぞはかなき




前僧正尊玄


驚かぬ現こそ猶はかなけれ何かぬる夜のゆめにまさらむ




法眼宗濟


夜な/\に通ふ夢路や現にも面影ちかきむかしなるらむ




前大僧正桓惠


思寐の其儘ならば行く末の我があらましは夢に見てまし




[11]B子内親王家宰相


寐ぬに見し昔の夢のはかなさを今だに覺めず猶忍ぶらむ




前大納言爲氏

弘安の百首の歌に


現とて見るに現の有らばこそ夢をもゆめと思ひあはせめ




前大納言忠良

六條攝政の思ひに侍りけるに詠める


夢ならば又も見るべき面影の頓て紛るゝ世を如何にせむ




貫之

題志らず


立歸り悲しくも有る哉別れては知るも知らぬも烟也けり




後京極攝政前太政大臣

世のはかなき事を思ひて


鳥部山多くの人の烟立ち消え行くすゑはひとつ志らくも




良遍法師

重く煩ひて雲林院に罷れりける時友とする人の許に詠みて遣しける


此世をば雲の林にかど出してけぶりとならむ夕をぞ待つ




山階入道前左大臣

西園寺の花を見て


山櫻見ぬ世の春と植ゑ置きて袖のみぬらす花のしたつゆ




前中納言定家

母の思ひに侍りける春の暮に後京極攝政の許より、春霞かすみし空のなごりさへけふをかぎりの別れなりけりと申し侍りし返事に


別れにし身の夕暮に雲絶えてなべての春は恨みはてゝき




前中納言有忠

前坊失せ給ひぬと吾妻にて傳へ聞きて三月つごもりかしらおろし侍りける時に思ひ續けゝる


大方の春の別れの外に又我が世も盡くる今日ぞかなしき




一響上人

題志らず


何時を夢何時を現の程ぞとも見定めがたきあだし世の中




高辨上人


世の中を捨てぬ身 なりと思ひせば常無き事も悲しからまし


藤原光俊朝臣

少將内侍身まかりて弁内侍さまかへ侍りける由聞きて申し遣しける


亡き人もあるが姿の變るをも見て如何ばかり涙落つらむ




信實朝臣

返し


無きが無く有るが有るにも非ぬ世を見るこそ老の涙 なりけれ


[12]C子内親王

後二條院、御歌どもの奧に、我が身世になからむ後は哀とも誰か岩間の水莖の跡と遊ばしたるを見て


今は世に我れより外は哀れとも誰れ水莖の跡をしのばむ




藤原仲文

頼めたる女の身罷りければはらからの許に詠みて遣しける


流れてと契りし事は行く末の涙の河を云ふにぞありける




讀人志らず

題志らず


たらちねの形見ばかりの藤衣脱ぐにつけても濡るゝ袖哉




津守國夏

祖父國助が卅三廻の佛事沙汰するとて父國冬が事思ひ出でゝ


垂乳根ぞ更に悲しき親の親を我訪ふべしと思ひやはせし




前大納言爲氏

弘安の百首の歌奉りける時


垂乳根の有りて諌めし言の葉は亡き跡にこそ思知らるれ




源順

世の中を何に譬へむと云へる歌を句のかみに置きて數多歌詠み侍りける中に


世の中を何に譬へむ夕露も待たで消えぬる朝がほのはな




花園左大臣家小大進

題志らず


如何にして思ひ捨てまし朝顏の昨日の花のあり難き世を




權大納言長家


草の葉に消え行く露を見る毎に有りし有明の影ぞ悲しき




源仲綱


淺茅原末葉にすがる露の身はもとの雫をよそにやは見る




藻壁門院少將

父に後れて後、前栽の枯たるを見て


後れ居て猶風寒し何時までか霜のくち葉に立ち隱れけむ




周防内侍

藤原伊家がむすめ子生みて程なく失せぬと聞きて遣はしける


霜がれの荻の上葉の袖の露うしろめたくや思ひ置きけむ




雄舜法師

前大納言爲定の十三回に一品經すゝめ侍りしついでに、懷舊を


算ふれば我も八十ぢの同じ身に殘りて今日の跡を訪ふ哉




惟宗光吉朝臣

民部卿爲藤の一めぐりの追善に、同じ心を


別れにし月日や何の隔てにて昨日は人のむかしなるらむ




伏見院御製

後深草院の御事覺し召し出でゝ七月十六日、月のあかゝりけるに詠ませ給うける


算ふれば十とせあまりの秋なれど面影近き月ぞかなしき




法印實甚

母の身まかりて後詠める


忘らるゝひまなき物は面影もさらぬ別れの名殘なりけり




託阿上人

無常の歌に


遂に行く道も今はの時なれやひつじの歩み身にぞ近づく




二品法親王守覺


はかなしや如何なる野べの蓬生に遂には誰れも枕定めむ




如空上人


命こそ猶頼まれねあだし野の露は風待つほども有る世に




高階宗成朝臣

後近衛關白身罷りて淨妙寺に送り置き侍りける時常には日野の山庄に通ひ侍りける事を思ひ出でゝ


木幡山君が往來はなれにしをかちより送る旅ぞかなしき




前大納言忠良

なき人の櫛の有るを見て


行方無き玉の小櫛も形見にて猶そのかみを忘れ侘びぬる




土御門院御製

題志らず


春の花秋の紅葉の情だにうき世にとまるいろぞまれなる




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[11] The kanji in place of B is unavailable in the JIS code table. The kanji is Morohashi's Dai-Kanwa number 21117.

[12] The kanji in place of C is unavailable in the JIS code table. The kanji is Morohashi's Dai-Kanwa number 21117.




新後拾遺和歌集卷第十八
釋教歌

皇太后宮大夫俊成

花嚴經の高山頓説の心を


朝日さす高嶺の雲は匂へども麓の人は知らずぞ有りける




中務卿宗尊親王

同じ心を詠める


いづくにも春は來ぬれど朝日さす高嶺よりこそ雪は消ゆらめ




入道贈一品親王尊圓

方便品、唯有一乘法無二亦無三と云ふ心を


春は唯花をぞ思ふ二つ無く三つ無き物はこゝろなりけり




源空上人

釋教の歌とて詠みける


我れは唯佛に何時かあふひ草心のつまにかけぬ間ぞ無き




後嵯峨院御製

法華經序品、以是知今佛欲説法花經


法の花今も古枝に咲きぬとはもと見し人や思ひ出づらむ




寂然法師

妙音品


隈もなき月の光にさそはれて鷲の深山をさして來にけり




成尋法師母

夜ふけて月の入るを見てよめる


山の端に出で入る月も廻りては心の内に住むとこそ聞け




法眼源承

寶塔品


苔の庭を玉の砌に敷きかへてひかりを分つ峯のつきかげ




讀人志らず

題志らず


今ぞ知る誠の道に雲晴れて西をたのめばありあけのつき




慶政上人

梵網經、名聞強健努力脩善の心を


我れ斯くて山の端近く成る儘に過ぎし月日の數ぞ悲しき




前大僧正頼仲

化城喩品の心を


浮かれたる我身よ如何で故郷に旅と思はで住み定むべき




讀人志らず

題志らず


身を分けし教しなくば垂乳根の浮き世の闇を猶や歎かむ




津守國夏

唯識論を


とも斯も心こそなせ同じくば我とさとりを爭で知らまし




覺深法師

題志らず


皆人のこゝろの月の晴れやらで迷ふ後瀬の山の端のくも




頓阿法師

心經の不増不滅を


變らじな空しき空の夕月夜又ありあけにうつり行くとも




夢窓國師

釋教の歌とて


雲よりも高き所に出でゝ見よ志ばしも月に隔てやは有る




後京極攝政前太政大臣

舍利講


願はくは心の月をあらはして鷲のみ山にあとをてらさむ




信生法師

觀無量壽經の徳益分を


隔てこし世々の浮雲今日消えて昔まだ見ぬ月を見るかな




示證上人

想於西方を


入る月の名殘を添へて志たふかな峰より西の雲のをち方




權律師幸圓

華嚴經の心を詠み侍りける


うへもなく頼む日吉の影なれば高き峯とやまづ照すらむ




入道二品親王尊道

百日入堂の爲に比叡山の無動寺に登りて詠み侍りける


閼伽むすぶ跡をば殘せながらなる山の下水苔ふかくとも




前大僧正道玄

題志らず


誰れに又問はゞ答へむ我が山の法の流れの深きこゝろを




願蓮法師


濁ある水にも月は宿るぞと思へばやがて澄むこゝろかな




賢珠上人


濁る世の人の心をそのまゝに捨てぬ誓ひを頼むばかりぞ




讀人志らず


人なみに法の流れを傳へても水のこゝろやなほ濁るらむ




前大納言爲家

觀經釋文、釋迦此方發遺彌陀即彼國來迎


船よばふ聲にむかふる渡し守浮世の岸に誰れかとまらむ




前大納言基良

囑累品、今以付囑汝等の心を戀に寄せて詠み侍りける


忍べとて書きおく浦の藻鹽草長らへてだに形見ともなれ




法眼源承

涌出品、父少而子老


年經れど松のみどりは變らぬに霜をいたゞくかけの下草




寂然法師

十戒授くるを聞きて詠める


先の世の報と聞けど身の憂さに思ひこるべき心地こそせね




入道贈一品親王尊圓

囑累品、令一切衆生普得聞知を


みな人のうき世の夢もさむばかり遥に響けあかつきの鐘




權中納言爲重

前大納言爲定の十三年の佛事に一品經すゝめ侍りしに、五百弟子品の心を


夢よ待つよはの衣のうらなれば現に知らぬ玉も見てまし




重阿上人

題志らず


心をぞ猶磨くべき墨染のころものうらのたまは見ずとも




赤染衛門

涅槃經説くを聞きて


今はとて説きける法の悲しきは今日別れぬる心地こそすれ




如月法師

題志らず


法の道入るべき門は變れども遂には同じさとりとぞ聞く




花園院御製

此方何足厭一聚虚空塵


厭ふとも惜むともなり假初の浮世に宿る我が身と思へば




新後拾遺和歌集卷第十九
神祇歌

後九條前内大臣

弘長の百首の歌奉りける時、神祇


世の爲に立てし内外の宮柱たかき神路のやまはうごかじ




等持院贈左大臣

貞和の百首の歌に


身を祈る人よりも猶男山すなほなるをぞまもるとは聞く




源家長朝臣

石清水の社の歌合に


八幡山神やきりけむ鳩の杖老いてさかゆく道のためとて




攝政太政大臣

百首の歌奉りし時


春日山さか行く神の惠もて千世ともさゝじみねの松が枝




中臣延朝

題志らず


仕へこし跡をぞ頼む三笠山流石に神の捨てじとおもへば




後西園寺入道前太政大臣


ひとすぢに世を長かれと祈るかな頼む三笠の杜の志め繩




前中納言定家

建暦二年十二月、和歌所の廿首の歌に


跡垂れて誓ひを仰ぐ神も皆身のことわりに頼みかねつゝ




中務卿宗尊親王

文永二年二月二所に詣でける時伊豆のみ山に奉りける三十首の歌の中に


神も又捨てぬ道とは頼めども哀れ知るべき言の葉ぞ無き




信實朝臣

社頭述懷を


老の波猶志ば/\もありと見ばあはれを懸けよ玉津島姫




前大僧正光濟

新玉津島の社の歌合に、神祇


玉津島たむくるからに言の葉の露に磨く色や見ゆらむ




荒木田經直

題志らず


五十鈴河瀬々の岩波かけまくも畏き御代となほ祈るかな




左大臣

百首の歌奉りし時、神祇


頼むかな我がみなもとの石清水ながれの末を神に任せて




恒助法親王

題志らず


さのみなど濁る心ぞ石清水さこそ流れのかずならずとも




源顯氏朝臣


よしさらば神に任せて石清水澄める心を手むけにもせむ




祝部成繁


仕ふべき身とて捨て得ぬ理を流石哀れとかみや見るらむ




權少僧都慶有

梅宮の立柱の日詠める


更に今花咲く梅のみや柱立てゝぞ千世のさかりをも見む




賀茂脩久

題志らず


雲分けし神代は知らず今も猶かげみたらしに宿る月かな




正二位隆教

嘉元の百首の歌奉りける時


忘れずよみたらし河の深き江になれて影見し山あゐの袖




法眼玄全

神祇の歌に


辛崎や小波ながら寄る船を神代にかへすまつかぜぞ吹く




津守國冬


神垣の松も榊も常磐なるためしかさねて世をいのるかな




法眼禪嚴

題志らず


神垣や一夜の松のみしめ繩千とせをかけて世を祈るかな




度會朝勝

御禊する豐宮河の志き波の數よりきみをなほいのるかな





津守國平


沖つ風濱松が枝にかけてけりたむけがほなる浪の白木綿




權中納言爲重

百首の歌奉りし時、神祇


あらはれし元の潮路は知らねどもいま住吉も浦風ぞ吹く




津守國量


たちばなの小戸の潮瀬にあらはれて昔舊りにし神ぞ此神




藤原敏行朝臣

題志らず


住吉の松の村だち幾かへりなみにむかしの花咲きぬらむ




新後拾遺和歌集卷第二十
慶賀歌

前大納言爲氏

題志らず


渡つ海の眞砂の數にあまれるは久しき君が千年なりけり




前中納言匡房


神山の麓をとむるみたらしの岩打つ浪やよろづ代のかず




前中納言定家

建保四年、百首の歌に/p>

芳野川いはとがしはを越す波の常磐堅磐ぞ我が君の御世




後醍醐院御製

中殿にて花契萬春と云ふ事を講ぜられける時詠ませ給うける


時知らば花も常磐の色に咲け我が九重はよろづ代のはる




太上天皇

永和元年三月廿三日松樹春久と云ふ事を講ぜられしついでに


十かへりの花を今日より松が枝に契るも久し萬代のはる




京極前關白太政大臣

題志らず


君が代の最ど久しくなりぬれば千歳の松も若葉さしけり




法印定爲

文保の百首の歌奉りける時


更に又百代はじめて我が君の天つ日嗣のすゑもかぎらじ




權大納言具通

題志らず


男山いまを百代の始めにてさらにやきみを又まもらまし




二條院御製


天のしたひとの心や晴れぬらむ出づる朝日の曇なければ




權大納言忠光

應安二年二月六日三首の歌講ぜられし時、寄世祝


限無く代をこそてらせ雲に住む月日や君が御影なるらむ




前關白近衛

應安四年九月十三夜、池月添光と云ふ事を講ぜられし時、序奉りて


千年とも言ひ出でがたし限なく月も澄むべき宿の池みづ




前大納言爲定

雜の歌の中に


臥して思ひ起きて祈りし程よりも猶榮え行く君が御代哉




左大臣

永徳元年六月十二日三十首の歌講ぜられし時、寄道祝


治まれる御代の志るしも更に今見えて榮ゆる敷島のみち




後深草院少將内侍

寛元元年大甞會の主基方の女工所に侍りけるに雪の降る日、九重の大内山の如何ならむ限も知らず積る白雪と、常磐井入道前太政大臣の許より言ひ遣して侍りける返事に


九重のうちのゝ雪に跡つけて遙かに千世の道を見るかな




後伏見院御製

花園院位におはしましける時大なるかんなを奉らせ給ふとて包紙に書きつけさせ給うける

百敷にみどり添ふべき呉竹の變らぬかげは代々久しかれ




花園院御製

御返し


百敷に移し植ゑてぞ色添はむ藐姑射の山の千世のくれ竹




後西園寺入道前太政大臣

嘉元の百首の歌奉りけるに、松


四代までに舊りぬと思ふ宿の松千年の末はまだ遙かなり




後二條院御製

雜の御歌の中に


高砂の尾上に立てる松が枝の色にや經べき君が千とせは




伊勢

亭子院の六十の賀に京極の御息所に奉りける御屏風の歌


生ふるより年定れる松なれば久しき物と誰れか見ざらむ




從二位家隆

元久二年、新古今の竟宴の歌


君住めば寄する玉藻も磨きいでつ千世も傳へよ和歌の浦風




左近中將具氏

文永三年、續古今の竟宴の歌


今日や又代々のためしを繰り返しまさ木の葛長く傳へむ




後光明峰寺攝政前左大臣


盡きもせじ濱の眞砂の數々に今も積れるやまとことの葉




儀同三司

永和元年大甞會の悠紀方の辰の日の退出の音聲、千々松原


君が代は契るも久し百とせを十かへりふべき千々の松原






新後拾遺和歌集
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Last Modified: Tuesday, August 31, 2004
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