面影もまだ見ぬ中に吹く風のたよりばかりを何頼むらむ
聖武天皇御製
題志らず
紅の濃染の衣染めかけていまたかるよりいろづかむかも
後嵯峨院御製
人々題を探りて歌仕うまつりけるついでに恨戀の心を詠ませ給うける
小夜衣かへすかひなき思ひ寐の夢にも人を恨みつるかな
讀人志らず
題志らず
うたゝ寐にはかなく人を夢に見て現にさへも落つる涙か
法印善算
待ち侘びて暫しまどろむ轉寐の夢にも見せよ人の面かげ
祝部行直
侘びぬれば見てもかひ無き思寐に今將同じ夢ぞ待たるゝ
平行氏
頼まれぬ夢も誠の有る世ぞと逢ひ見て何時か人に語らむ
素性法師
戀しさにおもひ亂れて寐ぬる夜の深き夢路を現ともがな
後二條院御製
戀の御歌の中に
いとゞ猶歎かむ爲か逢ふと見て人無きとこの夢の名殘は
等持院贈左大臣
延文二年百首の歌奉りけるに、寄猪戀
獨寐は如何にふす猪の床なれば夢路も易く通はざるらむ
從二位業子
題志らず
宵々に行きかへるさへはかなきはうちぬる程の夢の通路
式部卿久明親王
我戀は只思ひ寐の夢なれや見るとはすれど逢ふ事のなき
善爲法師
はかなしや我が思ひ寐の心より通ふ直路の夢のちぎりは
前僧正弘賢
小車のしぢの端書如何で尚ぬる夜の數を添へて待つべき
等持院贈左大臣
寄篠戀
夜を重ねうき節見えて笹の葉に置く初霜と爭で消えなむ
入道贈一品親王尊圓
通書戀を
幾度も書きこそやらめ水莖の岡のかや原なびくばかりに
後光嚴院御製
延文の百首の歌召されし時寄鳰戀
心だに通はゞなどか鳰鳥の芦間を分くるみちもなからむ
讀人志らず
題志らず
水鳥をよそに見しかど戀すれば我も涙にうき音をぞ鳴く
法印實算
つれなくて來ぬ夜數かく涙川淀む逢ふ瀬はいかゞ頼まむ
前大納言爲定
延文の百首の歌に、寄弓戀
強ひてよもいふにもよらじみ菰苅る信濃のま弓引かぬ心は
高階宗顯
題志らず
[6]眞A鏡我が面かげは見てもかひなし
大貳三位
黒戸に立ちながら人に物云ひ明して又の日遣しける
知るらめやまやの仄々明くる迄あまそゝぎして立濡れしとは
等持院贈左大臣
延文二年百首の歌奉りける時、寄雲戀
知られじなひとの心の浮雲は我が袖晴れぬ時雨なりとも
前大納言公任
殿上の人々一品宮に參りて物云ひける人に、雨の降りければ急ぎ歸りてつとめて遣しける
飽かで來し空の雫は秋の夜の月さへ曇る物にぞ有りける
源頼言
題志らず
身に知らぬ逢坂山のさね葛關をば越えて來るひともなし
眞覺法師
かひなしや關の此方に年を經て遂に越ゆべき道を知らねば
大中臣能宣朝臣
女の許に云ひ遣しける
現ともゆめとも見えぬ程ばかり通はゞゆるせ下ひもの關
平光俊
題志らず
うきなかの關は宵々守り添へて人目よく間の夢も通はず
寂眞法師
等持院贈左大臣の家にて人々三首の歌詠み侍りけるに
關守の打ちぬる宵の通路は許さぬなかと言はぬばかりぞ
從二位家隆
建保二年、内裏の百首の歌に
遠からぬ伏見の里の關守は木幡のみねにきみぞ据ゑける
源兼氏朝臣
寄關戀
越えかぬる習もつらし逢坂の山しもなどか關路なるらむ
右兵衛督基氏
題志らず
なきになす身をばよそにや思ふらむ心より又物の悲しき
壽曉法師
生きてこそ思ふも憂けれ死ぬ計つらきや人の情なるらむ
前中納言季雄
同じ世のつらき限を見ぬほどの命ぞ戀のたのみなりける
前大納言爲兼
弘安の百首の歌に
逢ふまでの契もよしや今は唯憂きにまけぬる命ともがな
[7]遠村
題志らず
後の世の契の程も知らぬ身に戀ひ死ぬばかり何慕ふらむ
蓮生法師
後の世と我だに身をば思はねば頼み置くべき人も無き哉
頓阿法師
限とも言はでは如何戀死なむ誰が惜むべきうき身ならねど
藤原基任
はかなくぞ後の世知らで生ける身のつらき計を思侘ぬる
平政村朝臣
中務卿宗尊親王の家の百首の歌に
生ける身の爲と思ひし逢ふ事も今は命に換へつべきかな
信實朝臣
光俊朝臣詠ませ侍りける百首の歌に
生ける身の爲こそ憂けれそれをだに喞つ方とて戀や死なまし
權律師秀雅
題志らず
戀ひ死なぬほどとて身にぞ急がるゝ人は命もかけぬ契に
道勝法師
思ひかね又やしたはむ後までは恨み果つべき心ならねば
雅成親王
さのみよも後の世まではつらからじ命ぞ人の別なるべき
源棟義
戀ひ死なぬ身の爲つらき命ともさて長らふる契にぞ知る
民部卿爲藤
嘉元の百首の歌に、不逢戀
さりともと頼む心の身になくばうきにつけてや思弱らむ
藤原範永朝臣
題志らず
忘れじと思ふにそへて悲しきは心にかなふこゝろ
なりけり
藤原元眞
心をばならはし物と言ふなれど片時の間も忘れやはする
平守時朝臣女
いかゞせむ逢ふにかへむと思ふ身のそをだに待たぬ命
なりせば
源尊宣朝臣
命にも換へなで人のつれなきはながらへて猶物思へとや
祝部成光
かひなしや憂きつれなさに存へて有りと聞かれむ命計は
源頼康
よそにだに見ぬ目の浦の忘貝かひなく拾ふ袖は濡れつゝ
津守國量
百首の歌奉りし時
ちりは猶こぬ夜も拂ふ床の上につもるまゝなる中の年月
前右大臣
逢ふ事も知らぬ世に猶長らへて我が爲憂きは命なりけり
前大納言實教
題志らず
年月のつらさに堪へて存ふる我がつれなさぞ喞つ方なき
後山本前左大臣
文保三年百首の歌奉りけるに
恨みても戀ひても經ぬる月日哉忍ぶばかりを慰めにして
二品法親王覺助
嘉元の百首の歌に、不逢戀を
つれなしな逢ふ頼なき年月をかくてもすぐす命ながさは
藤原長秀
題志らず
戀侘びぬいかに待ち見む三輪の山杉立つ門は訪ふ人もなし
前關白太閤
百首の歌奉りし時、祈戀
つれなさを祈るとだにも木綿襷かけてや人に先知せまし
太上天皇
題志らず
祈りこし幾年波の御手洗にかけぬ御祓は言ふかひもなし
中納言定頼
みあれの日葵に付けて女の許に遣しける
千早ぶる神の志るしと頼むかな思ひもかけぬ今日の葵を
權中納言爲重
百首の歌奉りし時、祈戀
頼むとや祈れば神も思ふらむ憂きつれなさに負けぬ心を
前内大臣
同じく奉りける百首の歌に、契戀
一かたに頼みぞせまし僞に習はぬさきのちぎりなりせば
藤原清春
題志らず
僞と思ひなせども言の葉や志ばしも殘るいのちなるらむ
前關白太閤
百首の歌奉りし時、契戀
僞と思ふちぎりをせめて身の慰むかたにたのむはかなさ
伴周清
題志らず
さらば又頼みてや見む僞と喞つによらぬなかのちぎりを
權津師寛宗
さりともと猶こそ頼め僞に思ひ爲すべきちぎりならねば
源和氏
そのまゝにいかで頼まむ僞もまことに似たる人の言の葉
和泉式部
人語らひける男の許より忘るなとのみ云ひおこせ侍りければ
いさやまた變るも知らず今こそは人の心を見ても習はめ
權中納言爲重
百首の歌奉りける時、契戀
僞のある世に習ふなかならば我がかね言もいかゞ殘さむ
爲冬朝臣
元亨三年七月、龜山殿の七百首の歌に
かねてより人の心も知らぬ世に契ればとても如何頼まむ
法眼能賢
題志らず
打ち解けぬ人の心の下ひもに強ひて契をなにむすぶらむ
素暹法師
寄書戀と云ふ事を
僞のことの葉しげき玉章に引きかへしても恨みつるかな
前僧正榮海
題志らず
契りしを誠とまでは思はねど又頼むべきことの葉ぞなき
法印淨辨
行くすゑを待ち見むまでの命こそ契に添へて疑はれけれ
權津師隆覺
何時までの命と知りて變らじと行く末までを契置くらむ
前大納言爲世
文永七年九月、内裏の三首の歌に
忘れじと言ひしばかりの契こそ行く末遠き頼みなりけれ
六條右大臣
郁芳門院の根合に、戀の心を人に代りて読み侍りける
思ひかねさてもや暫し慰むと唯なほざりに頼めやはせぬ
[6] A character in place of A is illegible. SKT reads ます鏡.
[7] SKT reads 橘遠村.
寶篋院贈左大臣
待戀の心を詠み侍りける
僞に又やなりぬと思ふより待つにつけても濡るゝ袖かな
後光嚴院御製
應安六年三月十八日三首の歌講ぜられしついでに契待戀と云ふ
ことを詠ませ給うける
僞の有る世を知らぬ身になして障るや喞つ言の葉にせむ
後岡屋前關白左大臣
貞和二年百首の歌奉りけるに
誠ぞと思ひ定めぬ夕暮のなほざりならずなど待たるらむ
前大納言爲兼
弘安の百首の歌に
さりともと心ひとつに頼めども言ひし儘なる夕暮も無し
花園院御製
貞和二年百首の歌召されし次でに
頼めしも忘れむと思ふ今日の日をくるとな告げそ入相の鐘
前内大臣實
應安六年三月
[8]廿音の歌講ぜられし時、待戀を
契しも頼むとまではなきなかに何と待たるゝ夕なるらむ
源頼春朝臣
戀の歌の中に
僞の有る世も知らず待てとのみ言ひし夜毎の頼まるゝ哉
民部卿爲藤
文保三年百首の歌奉りけるに
僞は待つとばかりのちぎりにて心に頼むゆふぐれぞ無き
從二位業子
題志らず
憂きは身になれぬる後も僞をたのむや負くる心なるらむ
大江冬時
僞にならふうき身は中々に契らぬくれやたのみたるらむ
法印覺爲
僞を頼むだにこそはかなきを契らぬ暮のなどまたるらむ
源和義朝臣
僞と思ひながらも契りしや夕ぐれごとのたのみなるらむ
平英時
さりともと思ふ心やよわるらむ今は待たれぬ夕ぐれの空
從二位長衡
さのみよも來ぬ僞はかさねじと心に待たぬ夕ぐれぞなき
順徳院御製
鳥の音の曉よりもつらかりきおとせぬ人の夕ぐれのそら
從一位宣子
如何にせむ障らば明日の頼だに知らぬ契の宵のむらさめ
後光嚴院御製
延文の百首の歌召されけるついでに、寄蛛戀を
小蟹の蛛のふるまひ兼てより志るしも見えば猶や頼まむ
權大納言爲遠
かねて憂き心盡しとなりにけり頼をかくるさゝがにの絲
源氏頼
題志らず
徒らに待つは苦しき僞をかねてより知るゆふぐれもがな
惟宗行冬
更けぬとも暫し恨みじなほざりに頼めし人の契ならねば
祝部成光
權大納言爲遠の家にて人々三首の歌詠み侍りけるに、待戀を
更くるまで猶待たれしは僞にならばぬさきの心なりけり
宗仲法師
題志らず
僞の數添ふなかは契りてもたのみならはぬ夕ぐれのそら
津守國夏
獨寐のよはをも如何で明さまし訪はれぬ暮は思ひ絶ゆ共
曉勝法師
歸るさのよその恨を待ち明す身の類ひとはいかゞ思はむ
藤原俊頼朝臣
待つ人の來ぬ夜の數に較ぶれば枕のちりも積らざりけり
津守國貴
現にてこぬ憂さよりも逢ふと見る夢は幾夜も待つべかり鳬
前大納言俊定
僞のつらさにかへて詠むれば月ぞ來ぬ夜の數は知るらむ
大炊御門右大臣
ともすれば雲間隱れに待たれつゝ空頼めするよはの月哉
監命婦
男の人の國に罷りて、歸り來むと云ひける程も過ぎにければ詠みて遣しける
人を待つ門は暗くぞなりにける頼めし月のうちに見えねば
從三位頼政
深夜戀と云ふ事を
見よかしな廿日餘りの月だにも今迄人に待たれやはする
源氏清
題志らず
逢はざりしつらさを喞つ言の葉に今だに濡るゝ新枕かな
藤原宗遠
戀の歌に
なみだのみ片敷く袖の新枕いくとせ濡れて今宵干すらむ
多々良義弘朝臣
逢ふ夜だに猶干しやらぬ我袖や恨みなれにし涙なるらむ
法印淨辨
初逢戀の心を
自づから逢ふ夜はかはる心かな涙や戀のひまを知るらむ
前關白近衞
延文の百首の歌奉りける時、寄關戀
戀路には迷ふとばかり思ひしに越えける物を逢坂のせき
前大納言爲定
文保三年、百首の歌に
戀ひ死なばかひなからまし存へて逢ふを限りも命なり鳬
内大臣
題志らず
逢ふ夜こそ思ひ知りぬれ我ながら慕ひ來にける心長さを
大納言師賢
正中二年百首の歌奉りけるに
其儘にやがて命もたえぬべしげに身にかふる逢瀬
なりせば
能譽法師
逢戀をよめる
ならはねば身にこそ夢と辿るとも是は現と言ふ人もがな
法印長舜
百首の歌の中に、同じ心を
今宵かくかはし初めつる手枕に今は涙のかゝらずもがな
延喜御製
題志らず
夢路より惑初めぬと侘びつるに導べ有りとは今ぞ知りぬる
爲冬朝臣
思ひ出づる雲間の月の面影は又何時までのわすれ形見ぞ
權中納言爲重
急別戀と云ふ事を詠める
轉てなど憂き身知らるゝ別路を急がぬ先に慕はざりけむ
左大臣
永徳元年六月十二日三十首の歌講ぜられし時、惜別戀
夜を籠めて急ぐ別の憂きなかに頼めぬ末を何ちぎるらむ
藤原爲尹朝臣
百首の歌奉りし時、別戀
我が心慰めとてや別路にかはらじとのみちぎり置くらむ
等持院贈左大臣
貞和二年百首の歌奉りけるに
鳥の音は鳴くとも未夜深きになど憂き人の急ぐなるらむ
源詮信
題志らず
せめてたゞ聞きも盡さば別路の八聲の鳥をさのみ恨みじ
後野宮前内大臣
よしさらば又とも言はじ別路のつらさに堪へむ命ならねば
太上天皇
永和四年八月十五夜三首の歌講ぜられしついでに、月前別戀
つらき名のたぐひまでやは喞つべき別れし袖の有明の月
權中納言資教
百首の歌奉りし時、別戀
憂きまゝにさのみかこたじ衣々の形見はのちも有明の月
源頼元
同じ心を
形見ぞと言はぬばかりの別れ路に殘るもつらき有明の月
前大納言爲氏
月前別戀の心を
忘るなよ又逢ふまでの契とも知らぬ形見のありあけの月
源基時朝臣
戀の歌の中に
今よりやつらき形見となりもせむ我が衣々の袖のつき影
正三位知家
建保二年内裏に百首の歌奉りけるに
曉の別れは何時もから衣濡れてぞかへるそでのうらなみ
前中納言基成
題志らず
死ぬばかり人は別れを思はでや又逢ふ事を契り置くらむ
崇賢門院
百首の歌奉りし時
我のみや干さで忍ばむ衣々の袖に殘さぬひとのなみだを
祝部成豐
道芝の露と消えなば衣々の別れやながきわかれならまし
後鳥羽院宮内卿
千五百番歌合に
明くるだに惜まぬ物を暮ればとは心の外の空だのめかな
兵部卿元良親王
かく定めなうあくがれ給ひけれどいと心ありてをかしくおはする宮と聞きて大夫の御息所の御腹の女八宮にあはせ給ひて、あしたに
程もなく歸るあしたのから衣心まどひにいかゞきつらむ
光明峯寺入道前攝政左大臣
百首の歌の中に、後朝戀
暮るゝ間を待つべき身とも頼まれず歸りし道の心惑ひに
讀人志らず
年頃つれなかりける女にからうじてあひそめける其の夜程なく明けぬれば詠める
つらかりし君が心は忘られて明けぬる空の恨めしきかな
二條院御製
後朝戀を詠ませ給ひける
ひとり寐も習はぬ身には非ねども妹が歸れる床の寂しさ
皇太后宮大夫俊成
爲忠朝臣の家に百首の歌詠ませ侍りける時、後朝隱戀
飽かなくに起きつるだにも有る物を行方も知らぬ道芝の露
本院侍從
元良親王の、くや/\と待つ夕暮といまはとて歸るあしたといづれ増れりと云ふ歌を數多の人の許に遣はして返事を見けるに
夕暮は頼む心になぐさめつ歸るあしたはけぬべきものを
源季廣
後朝戀の心を
逢ふまでを限と思ひし涙こそ歸る今朝さへ先だちにけれ
從二位家隆
歸るさの今朝の別をすぐしてぞ命ありとも身を頼むべき
侍從爲敦
百首の歌奉りし時
志ばし猶待たれぬ夢ぞ覺めやらぬ現とも無き今朝の別に
法印定爲
文保の百首の歌に
別れつる身には心の有らばこそ夢現ともひとにかたらめ
[8] SKT reads 二十首.
西園寺入道前太政大臣
洞院攝政の家の百首の歌に
曇るさへ嬉しと見えし大空の暮るゝもつらく何時なりに劍
讀人志らず
題志らず
言の葉もかき絶えぬればつらかりし空頼めさへ戀しかり鳬
爲冬朝臣
元亨三年三月盡、後醍醐院に三首の歌講ぜられける時、契戀
僞と思はゞ猶も如何ならむ頼むにだにもかはるちぎりを
前大納言爲定
契變戀
契りしも頼まぬ物を今更に變るこゝろの如何で見ゆらむ
後勸修寺前内大臣
貞和二年、百首の歌に
逢ふまでを限る命と思ひしは行くすゑしらぬ心なりけり
讀人志らず
題志らず
來る人もあらじ今はの山かづら曉かけてなにと待つらむ
津守國助
寄帆戀
頼まじなことうら風に行く舟の片帆ばかりにかゝる契は
讀人志らず
題志らず
寄る方と頼むもよその中なれやこと浦舟のすゑの潮かぜ
太上天皇
百首の歌召されし時、絶戀
こと浦に心をかけしかた帆より跡まで知らぬ中のはや舟
讀人志らず
煩ひて久しうこざりける男の許よりさうぶの實を遣して身のなり行くさまを見せばやと云へりける返り
ごとにむすめに代りて
永からぬうきねと見れば菖蒲草我ぞ物思ふ身とはなりぬる
中納言朝忠
語らふ女の音せぬに
今年生ひの竹の一夜も隔つれば覺束なくもなり増るかな
太上天皇
をのこども題を探りて卅首の歌仕うまつりける時變戀と言へる事を詠ませ給ひける
頼めこし淺茅が末に秋暮れて今はのつゆを袖にかけつゝ
讀人志らず
思ひやみにたる事を傳ふる人の許より
嵐吹く外山の紅葉冬來れば今はことの葉絶え果てぬらむ
前大納言公任
とありければ
遠近の嶺のあらしに言とはむいづれの方か色はかはると
從二位嚴子
題志らず
今こむと契りしなみも早越えぬうき僞のすゑのまつやま
津守國助
變戀
越えぬなり末の松山すゑ遂にかねて思ひし人のあだなみ
崇賢門院
百首の歌奉りし時、絶戀
逢ふ事は遠山鳥のおのづから影見し中もへだて果てつゝ
定顯法師
戀の歌に
果は又ゆくへも知らぬ村鳥の立つ名ばかりを何歎きけむ
太宰大貳重家
逢不會戀
御狩野のつかれになづむ箸鷹のこゐにも更に歸りぬる哉
大江宗秀
題志らず
つらかりし鳥の音計り形見にて我が逢坂は隔て果てゝき
宜秋門院丹波
千五百番歌合に
中々に越えてぞ迷ふ逢坂の關のあなたやこひ路なるらむ
權大納言宗實
題志らず
立ち歸り越ゆべき物と思ひきや絶えにし中のあふ坂の關
源頼之朝臣
寄關戀と云へる事を
通ふとも人は知らでや宵々に心のせきのさはり果つらむ
侍從爲敦
百首の歌奉りし時、遇不逢戀
關守の打ちぬる程と待ちし夜も今は隔つる中のかよひ路
前大納言爲家
同じ心を
今は早十市の池のみくり繩來る夜も知らぬ人に戀ひつゝ
秀胤法師
題志らず
小山田の引板のかけ繩絶えしより驚かすべき便だになし
藤原行詮
今は早よそにみつのゝこも枕假寐の後はゆめだにもなし
三善頼秀
面影を忘れもやらぬこゝろこそ人の殘さぬ形見なりけれ
兵部卿隆親
寶治の百首の歌奉りける時、寄橋戀
舊りにける長柄の橋の跡よりも猶絶えぬべき戀の道かな
藤原長秀
同じ心を
片糸のをだえの橋や我が中にかけしばかりの契なるらむ
平貞秀
寄水戀と云ふ事を
さもこそは淺き契のすゑならめやがて瀬絶えし中河の水
前中納言爲忠
貞和二年、百首の歌に
如何にせむ憂き中河の淺き瀬に結ぶとすれば絶ゆる契を
讀人志らず
題志らず
中川の淺き契のすゑかけて猶も逢ふ瀬をたのむはかなさ
衣笠前内大臣
思ひ出づや荒磯なみのうつせ貝われても逢ひし昔語りは
津守國量
權中納言爲重の家にて三首の歌詠ませ侍りしに、絶不逢戀を
我が中は身を宇治橋と舊りしよりいざよふ波を懸けて戀ひつゝ
宗祐法師
題志らず
よそにのみ鳴海の海の沖つ浪立ち歸りてもしたふ頃かな
讀人志らず
人目もる山下くゞる水莖のかき絶えぬるか音づれもせぬ
參議雅經
み草のみ茂る板井の忘れ水汲まねば人のかげをだに見ず
權中納言爲重
思ひ出でよ野中の水の草隱れもとすむ程の影は見ずとも
前大納言宗明
結び置くもとの契の面影も見えぬ野中のみづからぞ憂き
前大納言爲家
かき遣りし山井の清水更に又絶えての後の影を戀ひつゝ
寶篋院贈左大臣
延文の百首の歌に、寄枕戀
敷妙の枕にかゝる涙かな如何なるゆめの名ごりなるらむ
入道二品親王尊道
同じく奉りける百首の歌に、寄衣戀
須磨の蜑の潮垂衣朽ちぬ間や間遠ながらも重ねきつらむ
左兵衛督基氏
寄虫戀を詠める
枯れ果つる人の契は淺茅生になほ松虫の音こそなかるれ
宗覺法師
題志らず
白菊の移ろひ果つる契ゆゑ濡れて干す間も無きたもと哉
大納言通具
さても猶えやはいぶきの下草の跡なき霜に思ひ消えなむ
寶篋院贈左大臣
延文の百首の歌に、寄風戀
吹く風に嶺越えて行くうき雲の如何に跡なき契なるらむ
安嘉門院高倉
題志らず
言の葉のかゝる方なくなりぬれば僞さへぞ今はこひしき
後岡屋前關白左大臣
貞和二年百首の歌奉りけるに
遠ざかる人の心に任せなば見し面かげも身をやはなれむ
太宰權帥仲光
永徳元年六月十二日内裏にて三十首の歌講ぜられけるに、違約戀と云ふ事を
遂にさて障り果てぬる人目こそつらきか
ごとの契なりけれ
祝部行親
會不逢戀
昔ともおもひなされぬ面影におなじ世つらき身の契かな
權律師實藏
題志らず
面影の殘るかたみもかひぞ無き見し夜の夢の契ならねば
中宮大夫公宗母
文保の百首の歌に
自ら思出でゝも訪はれぬは同じ世になき身とや知るらむ
大中臣行廣朝臣女
戀の歌とて
今はたゞ思ひ絶えねと月日さへ隔つる中を何したふらむ
後二條院御製
忍絶戀を
志ばしこそ人目思ひし宵々の忍ぶ方より絶えや果つべき
今出河院近衞
題志らず
同じ世に何慕ふらむ有明の面かげばかりさらぬわかれを
源氏經朝臣
廻り逢ふ月こそひとの形見とも涙曇らで見る夜はぞ無き
伴周清
よしさらば涙いとはで袖の月曇るをだにも形見とや見む
前關白左大臣
百首の歌奉りし時、遇不逢戀
今はまたありしその夜の面影もつらき形見に月ぞ殘れる
源頼遠
題志らず
忘れては見し夜の影ぞ忍ばるゝ憂き習はしの有明のつき
源親長朝臣
そのまゝに頓て別れの形見とも知らでぞ見つる有明の月
後二條院御製
忘らるゝ身をこそ月に喞ちつれ人をうらみぬ心よわさに
正二位隆教
嘉元の百首の歌奉りけるに
あだ人の形見顏なる影も憂し見し世に變る山の端のつき
西園寺入道前太政大臣
題志らず
待つとせしならひばかりの夕暮に面影のこる山の端の月
左衛門督資康
三十首の歌講ぜられける時、寄鏡戀
面影は殘るともなき眞澄鏡曇るなみだもよしやいとはじ
法印守遍
題志らず
つらしともたれをかこたむ眞澄鏡曇るも人の泪ならねば
前大納言爲家
人はいさ鏡に見ゆる影をだにうつる方には頼みやはする
攝政太政大臣
延文の百首の歌に、寄鏡戀
何時よりか鏡に見ゆる影をさへ向ふ泪にへだて果てけむ
讀人志らず
題志らず
月日のみうつるにつけて眞澄鏡見し面影は遠ざかりつゝ
前大納言爲氏
寶治の百首の歌奉りける時
眞澄かゞみ何面影の殘るらむつらき心はうつりはてにき
素性法師
題志らず
忘れなむ時忍べとぞ空蝉のむなしきからを袖にとゞむる
藤原光俊朝臣
忘られて生けるべしとも知らざりし命ぞ人のつらさ
なりける
馬内侍
雪の降れるあしたに男の來りてかく習ひて絶えなむはいかゞ思ふべきと云ひければ詠める
忘れなば越路の雪の跡絶えて消ゆる例になりぬばかりぞ
讀人志らず
男のかれ%\になりにける女に變りて詠める
今はたゞ人を忘るゝ心こそ君にならひて知らまほしけれ
太上天皇
戀の御歌の中に
心よりかはる契のすゑなれば驚かしてもかひやなからむ
萬秋門院
嘉元の百首の歌奉りけるに、忘戀
ともすれば有りし習に立ち歸り猶元の身と頼むはかなさ
源頼之朝臣
題志らず
はかなくや人は許さぬ面影を忘らるゝ身に添へて殘さむ
攝政太政大臣
寄書戀
かき絶えて殘るうき身ぞ玉章のふりぬるよりも置所無き
法印定爲
嘉元の百首の歌に、忘戀
形見とて人は殘さぬ身にし有れば今はあだなる頼だに無し
太上天皇
百首の歌召されしついでに同じ心を詠ませたまうける
心にも今は殘らぬ契とやいとひしほどのおもかげもなき
讀人志らず
物云ひわたる男の久しう音せで、忘れずと云ひたりければ詠める
忘れずと云ふにつけてぞ中々に訪はぬ日數の積るとは知る
源義將朝臣
百首の歌奉りける時、忘戀
忘草生ふと聞くより住吉のきしはよそなる中のかよひ路
左衛門督資康
摘みに行く道だに知らず忘草きしなるたねや人に任せむ
入道二品親王覺譽
延文二年百首の歌奉りしに、寄蛛戀
忘てし人は軒端の草の葉にかけても待たず蛛のふるまひ
伏見院御製
寄草戀を
色かはる心の秋の葛かづら恨みをかけてつゆぞこぼるゝ
前中納言匡房
ともすれば靡くさ山の葛かづら恨みよとのみ秋風ぞ吹く
源頼資
題志らず
契り置きし露をか
ごとの葛かづら來るも遅しと猶や恨みむ
平貞秀
斯ばかり絶えける物を葛かづら來る夜をかけて何恨みけむ
後西園寺入道前太政大臣
弘安元年、百首の歌に
身の憂きに思ひ返せば眞葛原たゞうらみよと秋風ぞ吹く
權大納言教嗣
戀の歌に
知られじなかた山蔭の眞葛原うらむる風は身に寒くとも
祝部成景
秋風のたよりならでは眞葛原恨むとだにも如何で知せむ
從三位忠兼
寄草恨戀
眞葛原露の情もとゞまらず恨みしなかはあきかぜぞ吹く
參議經宣
題志らず
身を秋の末野の原の霜枯に猶吹きやまぬくずのうらかぜ
示空上人
言の葉の枯れにし後は眞葛原恨むる程のなぐさめもなし
兵部卿長綱
海士の住む里の烟の志るべだに我にはよその浦風ぞ吹く
頓阿法師
絶恨戀
蜑の住む里の烟は絶えにしをつらき導べのなに殘るらむ
紀俊長
題志らず
須磨のあまの鹽燒衣恨み侘び猶も間どほに濡るゝ袖かな
前中納言爲明
貞和の百首の歌に
恨のみ深き難波の水脉つくし志るしや孰ら寄る船もなし
前大納言爲氏
弘安の百首の歌に
荒磯に寄り來る浪のさのみやは心砕けて身をもうらみむ
題志らず
我身をぞ喞つ方とは恨みつる人のつらさの云ふに叶はで
藤原秀長
積り行く恨もかひぞ無かりける月日に添へてつらき契は
權中納言爲重
身の程の憂きはよそ迄知らる共恨み止らばかひや無からむ
大藏卿有家
千五百番歌合に
誰も皆憂きをば厭ふ
ことわりを知らずはこそは人も恨みめ
前關白左大臣
百首の歌奉りし時、恨戀
果は又身を憂き物と喞つこそせめて恨のあまりなりけれ
津守國久
戀の歌の中に
ことわりも思ひ知らばと頼むかな恨を後のあらましにして
入道贈一品親王尊圓
貞和二年、百首の歌に
身の憂さを思ひしらずばいかに猶心の儘に恨み果てまし
民部卿爲藤
嘉元の百首の歌に、恨戀
つらしとも心の儘に言ひてまし恨み果つべき中と思はゞ
亭子院御製
戀の御歌の中に
つくるなる橋と知る/\恨むれば思ひながらを云ふにぞ有ける
花園院御製
貞和二年百首の歌召されけるついでに
一筋に思ひ知らぬに爲しやする云はぬ恨も同じつらさを
前大納言善成
百首の歌奉りし時、恨戀を
今はよも言ふにもよらじ等閑のつらさをなどか恨ざりけむ
如法三寶院入道前内大臣
恨身戀と云ふ事を
身の憂さを歎くも猶や立ち歸り人をうらむる心なるらむ
伏見院御製
人を恨みむと云ふ言葉を詠ませ給うける
つらしとて人を恨みむ理のなきにうき身の程ぞ知らるゝ
後嵯峨院御製
題志らず
八雲立つ出雲八重垣かきつけて昔語りを見るぞかしこき
太上天皇
百首の歌召されしついでに、述懷
露も我が知らぬ言葉の玉なれど拾ふや代々の數に殘らむ
圓融院御製
題志らず
光さす雲の上のみ戀しくてかけ離るべきこゝちだにせず
入道親王道覺
天台座主になりて西山より出で侍りける時
心をば西の山邊にとゞめ置かむ廻逢ふべき月日有りやと
從三位藤子
題志らず
長らへてうき世の果は三輪の山杉の過ぎにし方ぞ戀しき
法印増運
いかにせむ我が立つ杣の杉の門過ぎこし老の驗無き身を
津守國夏
かざし折る跡とも見えぬ梢かな檜はら重なる三輪の茂山
法印俊憲
八十ぢまで長柄の山に存へて人こそ知らね代を祈るとは
津守國量
山を詠める
故郷に間近ければやあし垣の吉野の山と名にし負ふらむ
津守國冬
浦路より打ち越え來ればたかし山峯まで同じ松風ぞ吹く
永福門院内侍
伏見山裾野をかけて見わたせば遙かに下る宇治のしば舟
攝政太政大臣
延文の百首の歌奉りける時
朝霧に磯の波分け行く舟は沖に出でぬもとほざかりつゝ
津守國冬
永仁六年十月、龜山院住吉の社御幸の時、遠島眺望と云ふことを仕うまつりける
朝夕に見ればこそ有れ住吉の浦よりをちの淡路しまやま
冷泉前太政大臣
寶治の百首の歌に、海眺望
渡の原八重の潮路を見渡せば浮きたる雲につゞく白なみ
太上天皇
百首の御歌の中に
夕汐の引く方遠く見渡せば雲にかけたるあまのうけなは
左大臣
百首の歌奉りし時
若の浦の松に絶せぬ風の音に聲打添ふるたづぞ鳴くなる
權中納言爲重
沖つ浪寄するひゞきをのこしても浦に鳴尾の松風ぞ吹く
爲冬朝臣
磯浪と云ふ事を
潮風の荒磯かけて沖つなみ猶寄せかへるおとのひまなき
從三位爲繼
寶治の百首の歌に、磯嚴を
潮風に荒磯波のいくかへり碎けてもまたいはにかくらむ
源義春
題志らず
潮滿てばそれとも見えず澪標松こそ浦のしるしなりけれ
等持院贈左大臣
貞和二年、百首の歌に
渡り來て身は安くとも浮橋のあやふき道をいかゞ忘れむ
僧正定伊
題志らず
苔ふかき谷の懸橋年ふりて有るかひもなき世を渡るかな
橘遠村
長らへば十綱の橋に引く綱のくるしき世をも猶や渡らむ
讀人志らず
歎かじよ久米の岩橋とても世を渡り果つべき我身ならねば
津守國冬
嘉元の百首の歌奉りけるに、橋
淺き瀬はたゞも行くべき澤田河まきの繼橋何わたすらむ
源頼之朝臣
雜の歌の中に
逢坂の木綿附鳥や急ぐらむまだ關もりも明けぬ戸ざしを
寶篋院贈左大臣
延文の百首の歌に、曉鷄
一かたに鳴きぬと聞けば里毎にやがて數添ふ鳥の聲かな
西園寺前内大臣女
同じ心を
寐覺にも流石驚くあかつきを思ひしらずと鳥や鳴くらむ
權大納言時光
延文の百首の歌に
今も猶つかへて急ぐあかつきを知らでや鳥の驚かすらむ
攝政太政大臣
鳥の音に急ぎなれても年は經ぬいまは長閑けき曉もがな
光嚴院御製
雜の御歌の中に
山里は明け行く鳥の聲もなし枕のみねにくもぞわかるゝ
入道二品親王尊道
百首の歌奉りし時、曉
長き夜の老の寢覺は中々にかねより後ぞしばしまどろむ
内大臣
曉更鐘と云ふ事を
聞きなるゝ野寺のかねのこゑのみぞ曉毎の友となりける
淨阿上人
題志らず
老が身の寐覺の後やあかつきの木綿附鳥も八聲鳴くらむ
前大僧正頼仲
數々に思ひ續くるむかしこそ長き寐覺になほのこりけれ
源頼春朝臣
夜を深くのこす寐覺の枕とてまだ消えやらぬまどの燈火
在原業平朝臣
背くとて雲には乘らぬ物なれど世の憂き事ぞよそになるてふ
前中納言定宗
入道二品親王詠ませ侍りし五十首の歌に
人はみな越えぬる跡の位山後れてだにものぼりかねつゝ
前大納言爲定
述懷の歌とて
位山あるにまかする道なれど今一さかぞさすがくるしき
平政村朝臣
登るべき程はのぼりぬ位山これよりうへの道ぞゆかしき
前大納言爲氏
弘安の百首の歌奉りける時
杣山の谷の埋れ木年經れど跡あるかたに引くひとも無し
平常顯
題志らず
朽ち殘る名だに聞えよ埋木の花咲く迄は知らぬ身なれば
前參議敦有
憂かりける汀の眞菰何時迄か越え行く波の下にしをれむ
爲道朝臣
世の中は苦しき物かうきぬなはうきをも下に思ひ亂れて
[9]A子内親王
浮草の浮たる世には誘ふ水有りともいかゞ身をば任せむ
信實朝臣
みづからの歌ども書き置くとて
袖濡らす人もや有ると藻鹽草形見のうらに書きぞ集むる
一品親王寛尊
題志らず
藻鹽草流石かき置く跡なれや八十ぢを越ゆる和歌の浦波
源義將朝臣
述懷の歌の中に
人並の數にとのみや和歌の浦の入江の藻屑書き集めまし
讀人志らず
磨くなる玉と聞くにも和歌の浦の藻屑は最ど寄る方も無し
及ぶべき便もあらば松が枝に名をだにかけよ和歌の浦波
鴨長明
後鳥羽院の御時和歌所にさふらふべき由仰せられければ
しづみにき今更和歌の浦浪に寄らばや寄せむあまの捨舟
讀人志らず
題志らず
偖も何時誰かは引かむ若の浦にまだ寄りやらぬ世々の捨舟
順徳院御製
百首の歌めしけるついでに
和歌の浦や羽根打ちかはし濱千鳥波に書置く跡や殘らむ
從二位家隆
題志らず
さても猶哀はかけよ老の波末吹きよわる和歌のうらかぜ
前大納言爲家
今はとて世にも人にも捨てらるゝ身に七十ぢの老ぞ悲しき
前權僧正雲雅
文保の百首の歌に
問ふ人の有らばぞ言はむ山里は思しよりも住み憂からぬを
參玄法師
題志らず
猶深く山より山を尋ねてぞ捨てしこゝろの奧も知られむ
津守量夏
世を背く山は吉野と聞きながら心の奧に何時しるべせむ
法印慶運
遁れ來て住むは如何なる宿とだに人に知られぬ山の奧哉
常磐井入道前太政大臣
弘長元年百首の歌奉りける時、山家
顯はれて我が住む山の奧に又人に訪はれぬいほり結ばむ
法眼圓忠
同じ心を
松風を友と聞きても寂しさは猶忍ばれぬやまのおくかな
元可法師
山里は住み果てよとや世のうさを來る人毎に先語るらむ
讀人志らず
題志らず
山深き苔の下道踏み分けてげには訪ひ來る人ぞまれなる
紹辨上人
それ迄は厭はぬ物を山深み訪ひくる人のなど無かるらむ
正三位通藤女
長閑にと求めし山の奧も又あくがれぬべくまつ風ぞ吹く
攝政太政大臣
山家嵐を
心住む松のあらしもなれにけり遁るゝ山の奧ならねども
源義將朝臣
百首の歌奉りし時、山家
寂しさはなれて忘るゝ山ざとを訪ひ來る人や驚かすらむ
頓阿法師
題志らず
自づから又身を隱す人にだに住むと知られぬ山の奧かな
祝部成景
靜かなる心の内の隱れがは遁れてけりと知るひともなし
藤原長信
寂しさになれての後や山里の松のあらしも友と聞かまし
讀人志らず
かねて我が思しよりも山里はなれぬる後ぞ寂しかりける
惟宗貞俊朝臣
いづくをも厭ふ心の身に添はゞ此山陰も住みや捨てまし
權中納言資教
あらましの其儘ならば山里に住むなる人の數や添はまし
源頼之朝臣
寂しとて又住みかふる山里も猶聞き侘ぶる軒のまつかぜ
權大僧都經賢
寂しさは思ひし儘の山里にいとふ人目のなど待たるらむ
祝部成詮
よそに我が思やるより山里は寂しからでや人の住むらむ
源頼康
訪はれぬを憂しと思ひし山里はまだ住みなれぬ心
なりけり
權大僧都隆縁
住むからにうき世とならば猶深く入りても山のかひやなからむ
藤原康行
遁れ入るかひや無からむ山里も心に背くうき世ならずば
蓮道法師
浮世より住み憂くとても身を捨てゝ後は出づべき山の奧かは
源顯則
共に住む心も習へ山水をたよりとむすぶ志ばのいほりに
前大僧正行尊
筧の水の曉になれば音の増るを聞きて詠める
寢ぬ程に夜や明け方になりぬらむ懸樋の水は音増るなり
藤原頼清朝臣
題志らず
あらましに思ひしよりも山里のかけひの水は心すみけり
藤原行輔朝臣
此里は竹の懸樋の末うけて軒端のやまにつま木をぞ取る
法印慶運
前大僧正慈勝人々に詠ませ侍りける千首の歌に、田家
牡鹿ふす門田の霜の冴ゆる夜ぞもる頃よりも寢ねがてにする
靜法仁親王
弘安の百首の歌に
露霜の洩らぬ岩屋に洩る物はこけの袂の志づくなりけり
覺増法親王
述懷の心を詠める
世の中を憂しとは誰も言ひながら誠に捨つる人や少なき
前大納言實教
古へは猶さりともと此頃の憂きを待ちけむ程ぞはかなき
宗鏡禪師
雜の歌に
思ひ出づる心に浮ぶ古へを遠きものぞとへだてこしかな
權中納言經定女
思出の無き古へを忍ぶるは身の憂き事やなほまさるらむ
前大僧正圓伊
老いて猶憂かりける身を古は行く末とのみ頼まれしかな
藤原行春
世の憂さは今はた同じ古への老せぬばかり志のばるゝ哉
昌義法師
こし方に歸る道無き老の坂何を志るべに越えて來つらむ
法印乘基
何時までと思ふ心に老が身の憂き程よりは世をぞ歎かぬ
性嚴法師
歸りこぬ身の昔をば忍べども迷はむ後の世をばなげかず
平重基
斯計り老ぬる身には命だに有らばと頼むあらましも無し
讀人志らず
はかなくもさて幾程の思出にかへて厭はぬ浮世なるらむ
源孝行
長らふる心よわさを命にてそむかぬ世こそ老となりけれ
兼好法師
後の世を歎かぬ程ぞ知られける身の憂きにのみ袖は濡れつゝ
權中納言公雄
嘉元の百首の歌に、述懷
世の中のうきに換へてし墨染の袖になみだの何殘るらむ
[9] The kanji in place of A is unavailable in the JIS code table. The kanji is Morohashi's Dai-Kanwa kanji number 6487.
藤原高光
世を遁れて横川に住み侍りける頃詠める
見わたせば烟絶えたる山里に如何に干さまし墨染のそで
讀人志らず
題志らず
墨染の袖にうき世を遁れても心のいろはかはるともなし
頓阿法師
述懷の歌に
年も經ぬ今一志ほと思ひしもこゝろに朽つる墨染のそで
中務卿宗尊親王
厭ひても後を如何にと思ふこそ猶世に止まる心なりけれ
後岡屋前關白左大臣
貞和二年、百首の歌に
我が心曇りあらじと思ふ身を友とは知らで月や澄むらむ
後醍醐院御製
正中二年百首の歌召されし次でに
自づから人の心のくまもあらばさやかに照せ秋の夜の月
前大僧正道基
御持僧に侍りて二間に侍りける事を思ひ出でゝ詠み侍りける
祈りこし昔の夜居の跡なくばよそにぞ見まし雲の上の月
從三位爲理
題志らず
憂き身をも流石雲居の月ばかり同じ友とは思ひ出づらむ
攝政太政大臣
永和二年八月十五夜三首の歌講ぜられし時
今は身の山とし高き秋の月出でゝ幾たび世につかふらむ
題志らず
さらでだに思ひも捨てぬ世の中に住むを友なる月の影哉
源光行
老が身の涙に浮ぶ月のみや我がむかしをも思ひ出づらむ
[10]A子内親王
よしさらば積らば積れ月をだに見て老らくの思出にせむ
大納言通具
建保三年、内裏にて十五首の歌合に
影清き蓬が洞の秋の月志もをてらさば捨てずもあらなむ
法印延全
題志らず
我ばかりなほ古郷にのこり居て蓬が庭のつきを見るかな
前大納言公蔭
貞和の百首の歌に
秋の月こたへば如何に語らまし心に浮ぶ代々のあはれを
夢窓國師
題志らず
世を捨てゝ後は詠めぬ物ならば月に心や志ばしとゞめむ
源頼貞
住み侘びぬわが身伴なへ秋の月いづくの方の野山
なりとも
中園入道前太政大臣
閑居月を
山深き月に今よりなれ初めて背かむ後のこゝろをぞ知る
前中納言定家
入道二品親王詠ませ侍りける五十首の歌に
斯計り厭ふべき世に存へて憂きをも知らぬ身とぞ成ぬる
津守國冬
題志らず
徒らにすぐすになれる月日かなさすが心の隙はなけれど
平直基
厭ふべき世の有らましもなかり鳬憂き時にだに捨られぬ身は
中忻法師
身の爲に歎かぬのみぞ世の中はよそに爲しても猶憂かり鳬
藤原爲量朝臣
捨遣らで心からなる身の憂さを唯世の咎にいかゞ恨みむ
前大納言實教
文保の百首の歌に
さりともと行く末頼むあらましに難面く過ぎし身の昔哉
權僧正良憲
題志らず
頼むべき身にはあらねど行末のあらましにこそ暫し慰め
法印昌算
存へてあるさへ厭ふ老らくの身のあらましは末も頼まじ
法印宗信
あらましの叶ふ世ならば捨てかぬる身の行末を猶や頼まむ
藤原高範
一すぢに思ひも絶えて遁るべき世を等閑に過しつるかな
前權僧正宋助
さりともと慰め來つる行末も頼無きまで身こそ舊りぬれ
三善爲連
今迄も遁れは果てぬ老が身に世を憂き物と思はずもがな
讀人志らず
とに斯に又や歎かむ遁れても身のよそならぬ浮世
なりせば
法眼聖承
如何なれば我があらましの末をだに思定めぬ心なるらむ
前大納言爲世
弘安元年百首の歌奉りける時
自から憂きをわするゝあらましの身の慰めは心なりけり
法印有雅
題志らず
あらましのなからましかば何をかは數ならぬ身の慰めにせむ
妙藤法師
背くぞとよそには見れど古のあらまし程は捨ぬ身ぞ憂き
昭覺法師
厭ふべきあらましならで世の中の實に憂き時の慰めぞ無き
窓覺法師
思ひ侘び世の憂き時はあらましに幾度捨てし心なるらむ
夢窓國師
雜の歌とて
忘れては世を捨て顏に思ふ哉遁れずとても數ならぬ身を
源氏直
憂き物と思知りても過ぐる世を如何に住む身と人の見る覧
權少僧都覺家
遂にさて捨つる身ならば徒に過ぎにし方や悔しからまし
讀人志らず
題志らず
思ふより外なる物は世の憂さに堪へて難面き命なりけり
つらしとて厭ひも果てば中々に世の憂き事を誰か歎かむ
禪要法師
よしさらば捨られぬ身をあだし世の憂きに任せて果をこそ見め
道雄法師
何事を待つとは無くて移行く月日の儘に世をやすぐさむ
太宰大貳高遠
中々につらきにつけて忘れなば誰も浮世や歎かざらまし
小町
我れが身に來にける物を憂き事は人の上とも思ひける哉
前大納言爲家
定めなき心弱さを顧みてそむかぬ世こそいとゞ惜しけれ
讀人志らず
さもこそは竹の園生の末ならめ身に憂き節のなど茂る覧
前中納言雅孝
嘉元の百首の歌に、述懷
數ならぬ身を思ふには代々經ぬる道をも爭で猶傳へけむ
攝政太政大臣
永徳二年護國の宣命に攝政の事載せられ侍りしに、忠仁公始めて此の宣をかうぶりしが、同じ年六十三にて侍りしを思ひ出でゝ
古への跡に及ばぬ身なれども老の數こそかはらざりけれ
權中納言爲重
百首の歌奉りし時、述懷
敷嶋の道は代々經し跡ながら猶身に越ゆる和歌のうら波
二條院讃岐
正治の百首の歌に
今はとて澤邊に歸る芦たづのなほ立ち出づる和歌の浦波
等持院贈左大臣
延文二年百首の歌奉りける時
我が方に和歌の浦風吹きしより藻屑も波の便りをぞ待つ
光嚴院御製
貞和の百首の歌召されける次でに
十年餘り世を助くべき名は舊りて民をし救ふ一事もなし
左兵衛督直義
道大法師病に煩ひ侍りけるに泰山府君まつるべき由申して太刀など贈り遣しけるに詠みて添へて侍りける
世の爲に我れも祈れば限ある命なりともながらへやせむ
西行法師
世を遁れける折ゆかり有りける人の許へ云ひ贈りける
世の中を背き果てぬと言置かむ思知るべき人は無くとも
定顯法師
題志らず
元の身の憂きは捨てゝも變らじと思ひし儘の世を歎きつゝ
權大僧都顯源
此の頃の憂きに較べて思出の無きむかしをも又忍ぶかな
權僧正果守
更に今聞きてだにこそ忍ばるれ見しより先の昔がたりは
西園寺前内大臣女
せめて今言ひて慰む友もがな心にあまるむかしがたりを
源高秀
かへりこぬ習ばかりを昔にて見しはきのふの代々の面影
清輔朝臣
うきながら今はとなれば惜しき身を心の儘に厭ひつる哉
橘重吉
はかなくも世のうき事を喞つ哉遁れぬ程の身をば歎かで
源光正
遁るべき我があらましも頼まれず憂世と云て年の經ぬれば
三善資連
愚なる身は空蝉の世の中に捨てぬ物から侘びつゝぞ經る
僧正永縁
我ならで物思ふ人を世の中に又有りけりと見るぞ悲しき
權少僧都運圓
現とも夢とも分かでこしかたの昔語りになるぞはかなき
光嚴院御製
見し人は面影ちかきおなじ世に昔がたりの夢ぞはかなき
前僧正尊玄
驚かぬ現こそ猶はかなけれ何かぬる夜のゆめにまさらむ
法眼宗濟
夜な/\に通ふ夢路や現にも面影ちかきむかしなるらむ
前大僧正桓惠
思寐の其儘ならば行く末の我があらましは夢に見てまし
[11]B子内親王家宰相
寐ぬに見し昔の夢のはかなさを今だに覺めず猶忍ぶらむ
前大納言爲氏
弘安の百首の歌に
現とて見るに現の有らばこそ夢をもゆめと思ひあはせめ
前大納言忠良
六條攝政の思ひに侍りけるに詠める
夢ならば又も見るべき面影の頓て紛るゝ世を如何にせむ
貫之
題志らず
立歸り悲しくも有る哉別れては知るも知らぬも烟也けり
後京極攝政前太政大臣
世のはかなき事を思ひて
鳥部山多くの人の烟立ち消え行くすゑはひとつ志らくも
良遍法師
重く煩ひて雲林院に罷れりける時友とする人の許に詠みて遣しける
此世をば雲の林にかど出してけぶりとならむ夕をぞ待つ
山階入道前左大臣
西園寺の花を見て
山櫻見ぬ世の春と植ゑ置きて袖のみぬらす花のしたつゆ
前中納言定家
母の思ひに侍りける春の暮に後京極攝政の許より、春霞かすみし空のなごりさへけふをかぎりの別れなりけりと申し侍りし返事に
別れにし身の夕暮に雲絶えてなべての春は恨みはてゝき
前中納言有忠
前坊失せ給ひぬと吾妻にて傳へ聞きて三月つごもりかしらおろし侍りける時に思ひ續けゝる
大方の春の別れの外に又我が世も盡くる今日ぞかなしき
一響上人
題志らず
何時を夢何時を現の程ぞとも見定めがたきあだし世の中
高辨上人
世の中を捨てぬ身
なりと思ひせば常無き事も悲しからまし
藤原光俊朝臣
少將内侍身まかりて弁内侍さまかへ侍りける由聞きて申し遣しける
亡き人もあるが姿の變るをも見て如何ばかり涙落つらむ
信實朝臣
返し
無きが無く有るが有るにも非ぬ世を見るこそ老の涙
なりけれ
[12]C子内親王
後二條院、御歌どもの奧に、我が身世になからむ後は哀とも誰か岩間の水莖の跡と遊ばしたるを見て
今は世に我れより外は哀れとも誰れ水莖の跡をしのばむ
藤原仲文
頼めたる女の身罷りければはらからの許に詠みて遣しける
流れてと契りし事は行く末の涙の河を云ふにぞありける
讀人志らず
題志らず
たらちねの形見ばかりの藤衣脱ぐにつけても濡るゝ袖哉
津守國夏
祖父國助が卅三廻の佛事沙汰するとて父國冬が事思ひ出でゝ
垂乳根ぞ更に悲しき親の親を我訪ふべしと思ひやはせし
前大納言爲氏
弘安の百首の歌奉りける時
垂乳根の有りて諌めし言の葉は亡き跡にこそ思知らるれ
源順
世の中を何に譬へむと云へる歌を句のかみに置きて數多歌詠み侍りける中に
世の中を何に譬へむ夕露も待たで消えぬる朝がほのはな
花園左大臣家小大進
題志らず
如何にして思ひ捨てまし朝顏の昨日の花のあり難き世を
權大納言長家
草の葉に消え行く露を見る毎に有りし有明の影ぞ悲しき
源仲綱
淺茅原末葉にすがる露の身はもとの雫をよそにやは見る
藻壁門院少將
父に後れて後、前栽の枯たるを見て
後れ居て猶風寒し何時までか霜のくち葉に立ち隱れけむ
周防内侍
藤原伊家がむすめ子生みて程なく失せぬと聞きて遣はしける
霜がれの荻の上葉の袖の露うしろめたくや思ひ置きけむ
雄舜法師
前大納言爲定の十三回に一品經すゝめ侍りしついでに、懷舊を
算ふれば我も八十ぢの同じ身に殘りて今日の跡を訪ふ哉
惟宗光吉朝臣
民部卿爲藤の一めぐりの追善に、同じ心を
別れにし月日や何の隔てにて昨日は人のむかしなるらむ
伏見院御製
後深草院の御事覺し召し出でゝ七月十六日、月のあかゝりけるに詠ませ給うける
算ふれば十とせあまりの秋なれど面影近き月ぞかなしき
法印實甚
母の身まかりて後詠める
忘らるゝひまなき物は面影もさらぬ別れの名殘なりけり
託阿上人
無常の歌に
遂に行く道も今はの時なれやひつじの歩み身にぞ近づく
二品法親王守覺
はかなしや如何なる野べの蓬生に遂には誰れも枕定めむ
如空上人
命こそ猶頼まれねあだし野の露は風待つほども有る世に
高階宗成朝臣
後近衛關白身罷りて淨妙寺に送り置き侍りける時常には日野の山庄に通ひ侍りける事を思ひ出でゝ
木幡山君が往來はなれにしをかちより送る旅ぞかなしき
前大納言忠良
なき人の櫛の有るを見て
行方無き玉の小櫛も形見にて猶そのかみを忘れ侘びぬる
土御門院御製
題志らず
春の花秋の紅葉の情だにうき世にとまるいろぞまれなる
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皇太后宮大夫俊成
花嚴經の高山頓説の心を
朝日さす高嶺の雲は匂へども麓の人は知らずぞ有りける
中務卿宗尊親王
同じ心を詠める
いづくにも春は來ぬれど朝日さす高嶺よりこそ雪は消ゆらめ
入道贈一品親王尊圓
方便品、唯有一乘法無二亦無三と云ふ心を
春は唯花をぞ思ふ二つ無く三つ無き物はこゝろなりけり
源空上人
釋教の歌とて詠みける
我れは唯佛に何時かあふひ草心のつまにかけぬ間ぞ無き
後嵯峨院御製
法華經序品、以是知今佛欲説法花經
法の花今も古枝に咲きぬとはもと見し人や思ひ出づらむ
寂然法師
妙音品
隈もなき月の光にさそはれて鷲の深山をさして來にけり
成尋法師母
夜ふけて月の入るを見てよめる
山の端に出で入る月も廻りては心の内に住むとこそ聞け
法眼源承
寶塔品
苔の庭を玉の砌に敷きかへてひかりを分つ峯のつきかげ
讀人志らず
題志らず
今ぞ知る誠の道に雲晴れて西をたのめばありあけのつき
慶政上人
梵網經、名聞強健努力脩善の心を
我れ斯くて山の端近く成る儘に過ぎし月日の數ぞ悲しき
前大僧正頼仲
化城喩品の心を
浮かれたる我身よ如何で故郷に旅と思はで住み定むべき
讀人志らず
題志らず
身を分けし教しなくば垂乳根の浮き世の闇を猶や歎かむ
津守國夏
唯識論を
とも斯も心こそなせ同じくば我とさとりを爭で知らまし
覺深法師
題志らず
皆人のこゝろの月の晴れやらで迷ふ後瀬の山の端のくも
頓阿法師
心經の不増不滅を
變らじな空しき空の夕月夜又ありあけにうつり行くとも
夢窓國師
釋教の歌とて
雲よりも高き所に出でゝ見よ志ばしも月に隔てやは有る
後京極攝政前太政大臣
舍利講
願はくは心の月をあらはして鷲のみ山にあとをてらさむ
信生法師
觀無量壽經の徳益分を
隔てこし世々の浮雲今日消えて昔まだ見ぬ月を見るかな
示證上人
想於西方を
入る月の名殘を添へて志たふかな峰より西の雲のをち方
權律師幸圓
華嚴經の心を詠み侍りける
うへもなく頼む日吉の影なれば高き峯とやまづ照すらむ
入道二品親王尊道
百日入堂の爲に比叡山の無動寺に登りて詠み侍りける
閼伽むすぶ跡をば殘せながらなる山の下水苔ふかくとも
前大僧正道玄
題志らず
誰れに又問はゞ答へむ我が山の法の流れの深きこゝろを
願蓮法師
濁ある水にも月は宿るぞと思へばやがて澄むこゝろかな
賢珠上人
濁る世の人の心をそのまゝに捨てぬ誓ひを頼むばかりぞ
讀人志らず
人なみに法の流れを傳へても水のこゝろやなほ濁るらむ
前大納言爲家
觀經釋文、釋迦此方發遺彌陀即彼國來迎
船よばふ聲にむかふる渡し守浮世の岸に誰れかとまらむ
前大納言基良
囑累品、今以付囑汝等の心を戀に寄せて詠み侍りける
忍べとて書きおく浦の藻鹽草長らへてだに形見ともなれ
法眼源承
涌出品、父少而子老
年經れど松のみどりは變らぬに霜をいたゞくかけの下草
寂然法師
十戒授くるを聞きて詠める
先の世の報と聞けど身の憂さに思ひこるべき心地こそせね
入道贈一品親王尊圓
囑累品、令一切衆生普得聞知を
みな人のうき世の夢もさむばかり遥に響けあかつきの鐘
權中納言爲重
前大納言爲定の十三年の佛事に一品經すゝめ侍りしに、五百弟子品の心を
夢よ待つよはの衣のうらなれば現に知らぬ玉も見てまし
重阿上人
題志らず
心をぞ猶磨くべき墨染のころものうらのたまは見ずとも
赤染衛門
涅槃經説くを聞きて
今はとて説きける法の悲しきは今日別れぬる心地こそすれ
如月法師
題志らず
法の道入るべき門は變れども遂には同じさとりとぞ聞く
花園院御製
此方何足厭一聚虚空塵
厭ふとも惜むともなり假初の浮世に宿る我が身と思へば
後九條前内大臣
弘長の百首の歌奉りける時、神祇
世の爲に立てし内外の宮柱たかき神路のやまはうごかじ
等持院贈左大臣
貞和の百首の歌に
身を祈る人よりも猶男山すなほなるをぞまもるとは聞く
源家長朝臣
石清水の社の歌合に
八幡山神やきりけむ鳩の杖老いてさかゆく道のためとて
攝政太政大臣
百首の歌奉りし時
春日山さか行く神の惠もて千世ともさゝじみねの松が枝
中臣延朝
題志らず
仕へこし跡をぞ頼む三笠山流石に神の捨てじとおもへば
後西園寺入道前太政大臣
ひとすぢに世を長かれと祈るかな頼む三笠の杜の志め繩
前中納言定家
建暦二年十二月、和歌所の廿首の歌に
跡垂れて誓ひを仰ぐ神も皆身のことわりに頼みかねつゝ
中務卿宗尊親王
文永二年二月二所に詣でける時伊豆のみ山に奉りける三十首の歌の中に
神も又捨てぬ道とは頼めども哀れ知るべき言の葉ぞ無き
信實朝臣
社頭述懷を
老の波猶志ば/\もありと見ばあはれを懸けよ玉津島姫
前大僧正光濟
新玉津島の社の歌合に、神祇
玉津島たむくるからに言の葉の露に磨く色や見ゆらむ
荒木田經直
題志らず
五十鈴河瀬々の岩波かけまくも畏き御代となほ祈るかな
左大臣
百首の歌奉りし時、神祇
頼むかな我がみなもとの石清水ながれの末を神に任せて
恒助法親王
題志らず
さのみなど濁る心ぞ石清水さこそ流れのかずならずとも
源顯氏朝臣
よしさらば神に任せて石清水澄める心を手むけにもせむ
祝部成繁
仕ふべき身とて捨て得ぬ理を流石哀れとかみや見るらむ
權少僧都慶有
梅宮の立柱の日詠める
更に今花咲く梅のみや柱立てゝぞ千世のさかりをも見む
賀茂脩久
題志らず
雲分けし神代は知らず今も猶かげみたらしに宿る月かな
正二位隆教
嘉元の百首の歌奉りける時
忘れずよみたらし河の深き江になれて影見し山あゐの袖
法眼玄全
神祇の歌に
辛崎や小波ながら寄る船を神代にかへすまつかぜぞ吹く
津守國冬
神垣の松も榊も常磐なるためしかさねて世をいのるかな
法眼禪嚴
題志らず
神垣や一夜の松のみしめ繩千とせをかけて世を祈るかな
度會朝勝
御禊する豐宮河の志き波の數よりきみをなほいのるかな
津守國平
沖つ風濱松が枝にかけてけりたむけがほなる浪の白木綿
權中納言爲重
百首の歌奉りし時、神祇
あらはれし元の潮路は知らねどもいま住吉も浦風ぞ吹く
津守國量
たちばなの小戸の潮瀬にあらはれて昔舊りにし神ぞ此神
藤原敏行朝臣
題志らず
住吉の松の村だち幾かへりなみにむかしの花咲きぬらむ
前大納言爲氏
題志らず
渡つ海の眞砂の數にあまれるは久しき君が千年なりけり
前中納言匡房
神山の麓をとむるみたらしの岩打つ浪やよろづ代のかず
前中納言定家
建保四年、百首の歌に/p>
芳野川いはとがしはを越す波の常磐堅磐ぞ我が君の御世
後醍醐院御製
中殿にて花契萬春と云ふ事を講ぜられける時詠ませ給うける
時知らば花も常磐の色に咲け我が九重はよろづ代のはる
太上天皇
永和元年三月廿三日松樹春久と云ふ事を講ぜられしついでに
十かへりの花を今日より松が枝に契るも久し萬代のはる
京極前關白太政大臣
題志らず
君が代の最ど久しくなりぬれば千歳の松も若葉さしけり
法印定爲
文保の百首の歌奉りける時
更に又百代はじめて我が君の天つ日嗣のすゑもかぎらじ
權大納言具通
題志らず
男山いまを百代の始めにてさらにやきみを又まもらまし
二條院御製
天のしたひとの心や晴れぬらむ出づる朝日の曇なければ
權大納言忠光
應安二年二月六日三首の歌講ぜられし時、寄世祝
限無く代をこそてらせ雲に住む月日や君が御影なるらむ
前關白近衛
應安四年九月十三夜、池月添光と云ふ事を講ぜられし時、序奉りて
千年とも言ひ出でがたし限なく月も澄むべき宿の池みづ
前大納言爲定
雜の歌の中に
臥して思ひ起きて祈りし程よりも猶榮え行く君が御代哉
左大臣
永徳元年六月十二日三十首の歌講ぜられし時、寄道祝
治まれる御代の志るしも更に今見えて榮ゆる敷島のみち
後深草院少將内侍
寛元元年大甞會の主基方の女工所に侍りけるに雪の降る日、九重の大内山の如何ならむ限も知らず積る白雪と、常磐井入道前太政大臣の許より言ひ遣して侍りける返事に
九重のうちのゝ雪に跡つけて遙かに千世の道を見るかな
後伏見院御製
花園院位におはしましける時大なるたかんなを奉らせ給ふとて包紙に書きつけさせ給うける
百敷にみどり添ふべき呉竹の變らぬかげは代々久しかれ
花園院御製
御返し
百敷に移し植ゑてぞ色添はむ藐姑射の山の千世のくれ竹
後西園寺入道前太政大臣
嘉元の百首の歌奉りけるに、松
四代までに舊りぬと思ふ宿の松千年の末はまだ遙かなり
後二條院御製
雜の御歌の中に
高砂の尾上に立てる松が枝の色にや經べき君が千とせは
伊勢
亭子院の六十の賀に京極の御息所に奉りける御屏風の歌
生ふるより年定れる松なれば久しき物と誰れか見ざらむ
從二位家隆
元久二年、新古今の竟宴の歌
君住めば寄する玉藻も磨きいでつ千世も傳へよ和歌の浦風
左近中將具氏
文永三年、續古今の竟宴の歌
今日や又代々のためしを繰り返しまさ木の葛長く傳へむ
後光明峰寺攝政前左大臣
盡きもせじ濱の眞砂の數々に今も積れるやまとことの葉
儀同三司
永和元年大甞會の悠紀方の辰の日の退出の音聲、千々松原
君が代は契るも久し百とせを十かへりふべき千々の松原
新後拾遺和歌集終