オリンポスの果実

二十三

 再び青きハワイ――。

 ワイキキ。プウルを村川と二人、平泳の競泳をしながら、日本へ帰ったらうんと遊ぼうや、とつまらない約束をし、プウルから上がり、脱衣場に戻って行ったら、まんまと五弗入りの財布を盗まれていました。

 ホノルルの日本領事館で、官民合同の歓迎会が催されたのち、邦人の方の御好意で、選手一同ハワイの名勝ダイヤモンド・ヘッドからハナウマイヘかけて、見物させて貰いました。殊にハナウマイの涯しない白砂のなだらかさ、緑葉伸び張ったパルムの梢の鮮やかさ、赤や青の海草が繚乱と潮に揺れてみえる岩礁の、幾十尋と透いてみえる海の碧さは、原始的な風景というより風景の純粋さといった感銘がふかく、ながく心に残っています。

 また、それ迄みも知らぬ赤の他人の邦人の方が、日本選手という名前だけで、自動車と昼食とアイスクリイムを提供してくれ、その上、細々と御世話を焼いて下さった御好意は、真実、日本人同士ならばこそという気持を味って嬉しかった。あれ程、損得から離れた親切さには、その後めったに逢いません。

 出帆前の船に、またハワイ生れのお嬢さん達が集まって、華やかな、幾分エロチックな空気をふりまいていました。

 往きのときに会った、だぼはぜ嬢さんや、テエプを投げてやった可憐な娘も、みんな集まっていて、会えばお互いに忘れず、なによりも微笑が先に立つ懐しさでした。

 だぼはぜ嬢は、相不変の心臓もので、ぼく達よりも一船前にホノルルを去った野球部のDさんやHさんに、生のパインアップルをやけに沢山託づけました。船室に置いておいたら、いつの間にか誰か食ってしまい、ぼくには、そんな空しい贈り物をする、だぼはぜ嬢さんが哀れだった。Dさんにファン・レタアも頼まれたのですが、それも結局、次から次へと託づけて行くうちに幾人もの男達に読まれて笑われ、どうにか当人に渡ったにしても、所詮、真面目には読んで貰えないものにと思われて気の毒だったのです。

 また例の可憐な娘に、テエプを抛る約束をしたら、その娘は下船するとき、彼女の写真と手紙を渡してくれました。船が出てから、便所に持ちこんで読んだらこんな風に書いてありました。

[30]二三日前、新聞でオリムピック選手達が、明日ホノルルに寄航するという記事を読み、坂本さんにも会えると思ったら、その晩夢をみました。

 ずっと前、日本に帰って死んだお祖母さんが夢に出てきて、妾の手を曳いてくれ、「これから坂本さんのお宅に行くんだよ」と言います。「嬉しいなア」と妾は喜んで、冷たくてカサカサするお祖母さんの手に縋り、どんどん暗い狭い路を歩いて行きますと、まだ見たこともない日本の町は、燈火が少なくて、たいへん淋しくありました。

 少し前方に、大きな灯のついた家がひとつあってお祖母さんは指をさし、「あれが坂本さんのホオムだよ」と申されました。

 ところが、お家の前に広い深い河がありまして、お祖母さんは妾の腕を抜けそうに引張り、ジャブジャブ渡って行きましたが、妾の着物はびしょぬれで、皺くちゃになりました。すると、お祖母さんは、たいへん怖い顔になって、「坂本さんのお宅は、お行儀が煩さいから、ちゃんとしたなりで、お前が行かないと、花嫁さんにはなれないよ」と怒ったので、妾はいつ迄もいつ迄も泣いていました※[31]

 それからなんと書いてあったか忘れましたが、要するに、お兄さんみたいな気がするとか、いつ迄も忘れずにお便りを下さいな、とかそんな手紙の文句でした。でも、その夢の話だけは非常にシムボリックな気がして、感銘ふかく覚えています。異境に培われた一輪の花の、やはり、実を結びがたい悩みと儚なさが露わにあらわれていて、ぼくには如何にも哀れに、悲しい夢だとおもわれたのです。

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Last Modified:Thursday, February 13, 2025
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