「御免ください」
とはいって来しは四十五六とも見ゆる品よき婦人、目病ましきにや、水色の眼鏡をかけたり。顔のどことなく伊香保の三階に見し人に似たりと思うもそのはずなるべし。こは片岡中将の先妻の姉清子とて、貴族院議員子爵加藤俊明氏の夫人、媒妁として浪子を川島家に嫁がしつるもこの夫婦なりけるなり。
中将はにこやかにたちて椅子をすすめ、椅子に向かえる窓の帷を少し引き立てながら、
「さあ、どうか。非常にごぶさたをしました。御主人じゃ相変わらずお忙しいでしょうな。ははははは」
「まるで[10]※駝師でね、木鋏は放しませんよ。ほほほほ。まだ菖蒲には早いのですが、自慢の朝鮮柘榴が花盛りで、薔薇もまだ残ってますからどうかおほめに来てくださいまして、ね、くれぐれ申しましたよ。ほほほほ。――どうか、毅一さんや道ちゃんをお連れなすッて」と水色の眼鏡は片岡夫人の方に向かいぬ。
打ち明けていえば、子爵夫人はあまり水色の眼鏡をば好まぬなり。教育の差、気質の異なり、そはもちろんの事として、先妻の姉――これが始終心にわだかまりて、不快の種子となれるなり。われひとり主人中将の心を占領して、われひとり家に女主人の威光を振るわんずる鼻さきへ、先妻の姉なる人のしばしば出入して、亡き妻の面影を主人の眼前に浮かぶるのみか、口にこそ出さね、わがこれをも昔の名残とし疎める浪子、姥の幾らに同情を寄せ、死せる孔明のそれならねども、何かにつけてみまかりし人の影をよび起こしてわれと争わすが、はなはだ快からざりしなり。今やその浪子と姥の幾はようやくに去りて、治外の法権撤れしはやや心安きに似たれど、今もかの水色眼鏡の顔見るごとに、髣髴墓中の人の出で来たりてわれと良人を争い、主婦の権力を争い、せっかく立てし教育の方法家政の経綸をも争わんずる心地して、おのずから安からず覚ゆるなりけり。
水色の眼鏡は蝦夷錦の信玄袋より瓶詰の菓子を取り出し
「もらい物ですが、毅一さんと道ちゃんに。まだ学校ですか、見えませんねエ。ああ、そうですか。――それからこれは駒さんに」
と紅茶を持て来し紅のリボンの少女に紫陽花の花簪を与えつ。
「いつもいつもお気の毒さまですねエ、どんなに喜びましょう」と言いつつ子爵夫人は件の瓶をテーブルの上に置きぬ。
おりから婢の来たりて、赤十字社のお方の奥様に御面会なされたしというに、子爵夫人は会釈して場をはずしぬ。室を出でける時、あとよりつきて出でし少女を小手招きして、何事をかささやきつ。小戻りして、窓のカーテンの陰に内の話を立ち聞く少女をあとに残して、夫人は廊下伝いに応接間の方へ行きたり。紅のリボンのお駒というは、今年十五にて、これも先妻の腹なりしが、夫人は姉の浪子を疎めるに引きかえてお駒を愛しぬ。寡言にして何事も内気なる浪子を、意地わるき拗ね者とのみ思い誤りし夫人は、姉に比してやや侠なる妹のおのが気質に似たるを喜び、一は姉へのあてつけに、一はまた継子とて愛せぬものかと世間に見せたき心も――ありて、父の愛の姉に注げるに対しておのずから味方を妹に求めぬ。
私強き人の性質として、ある方には人の思わくも思わずわが思うままにやり通すこともあれど、また思いのほかにもろくて人の評判に気をかねるものなり。畢竟名と利とあわせ収めて、好きな事する上に人によく思われんとするは、わがまま者の常なり。かかる人に限りて、おのずからへつらいを喜ぶ。子爵夫人は男まさりの、しかも洋風仕込みの、議論にかけては威命天下に響ける夫中将にすら負を取らねど、中将のいたるところ友を作り逢う人ごとに慕わるるに引きかえて、愛なき身には味方なく、心さびしきままにおのずからへつらい寄る人をば喜びつ。召使いの僕婢も言に訥きはいつか退けられて、世辞よきが用いられるようになれば、幼き駒子も必ずしも姉を忌むにはあらざれど、姉を譏るが継母の気に入るを覚えてより、ついには告げ口の癖をなして、姥の幾に顔しかめさせしも一度二度にはあらず。されば姉は嫁ぎての今までも、継母のためには細作をも務むるなりけり。
東側の縁の、二つ目の窓の陰に身を側めて、聞きおれば、時々腹より押し出したような父の笑い声、凛とした伯母の笑い声、かわるがわる聞こえしが、後には話し声のようやく低音になりて、「姑」「浪さん」などのとぎれとぎれに聞こゆるに、紅リボンの少女はいよよ耳傾けて聞き居たり。