(English version here)
過去二十年の間に見られた、日本文学殊に日本古典文学への世界的関心の高まりには目を見張るべきものがある。一九六〇年代までは、アーサー・ウェイリー(Arthur Waley)による『源氏物語』全訳、そして清少納言の『枕草子』抄訳、それにウェイリー自身の編纂による能撰集が流布するばかりであった。その三十年後には、『源氏物語』の新翻訳に加え、初期日本伝統文学作品から十九世紀後半の初期近代文学までの散文、詩歌、演劇の新たな翻訳により、研究者および一般読者がこの一千年におよぶ伝統のめざましい展開を英語、作品によってはフランス語やドイツ語の翻訳を読むことにより、把握できるようになった。
翻訳の登場に平行して、二世代、またはそれ以上にわたる研究者ならびに読者が、華麗な原文を原語で堪能することが可能となってきた。現在、古文は欧米で広く教授され、一、二学期日本語を学んだ者は、伝統的な日本の和歌や鴨長明の『方丈記』の原文の美しさが、いかなる翻訳が啓示しうる以上に優れ、時にはより深遠であることを学ぶに至った。ここに抽出した日本古典文学の代表的作品が利用可能となることは、原文によって理解し研究しようと志す者には、ことに可能なかぎり英訳が原文とともに含まれているので、大きな助けとなろう。これに加え、今日の技術により可能となった語句の迅速な検索は、それ自体力強い学問の道具であると同時に、学問に貢献するものと思われる。
十四世紀の古典、『徒然草』の中で、著者吉田兼好は「ひとり、燈のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる」と記した。兼好のいわんとしたことは今日でも原則として不変であろう。兼好の説く燈を我々はいまだ必要とするものの、書籍はその重要性をコンピュータに取って代わられたと思う方もおられよう。その使い方によっては、新しく拡大しつつある可能性は、過去の世界をより親しみやすく身近なものとしてくれるであろう。
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トマス・ライマー |
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ピッツバーグ大学 |
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アメリカ合衆国ペンシルヴァニア州ピッツバーグ |
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