Title: Kokusen'ya kassen
Author: Chikamatsu, Monzaemon
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About the original source:
Title: Gidayu kyogenshu zokuzoku
Title: Nihon gikyoku zenshu, vol. 37
Author: Monzaemon Chikamatsu
Publisher: Tokyo: Shun'yodo, 1932



國性爺合戰

序幕 平戸海岸鴫蛤の場

  1. 役名==漁師、和藤内。


  2. 老一官。


  3. 和藤内妻、小むつ。


本舞臺、一面の波幕、太鼓入り大漁の唄にて幕あく。

[唄]

祝へ大漁平戸の濱へ、山は鯨か海豚の土手に、追込む磯は鯛ひらめ。



[ト書]

トこの唄へ太鼓入りにて、花道より漁師一先きに、片手に大太鼓を持ち叩きながら、後より同じく漁師二、三、四、大びくへ魚を一ぱい入れしを、櫂にて擔ぎ、出て來り、花道にて



四人

大漁ぢや/\/\。



漁一

イヤ、今日は夕方のそこりぢやから、いゝ加減にして上つて來たが、どのくらゐ漁があるか、實に數が知れぬではないか。



漁二

この生洲を平戸の明神樣へ供へて、大漁の御祝ひを申さねばならぬぞよ。



漁三

もっと、大漁を觸れてくれさつせえ。



四人

大漁ぢや/\。



[ト書]

トわや/\云ひながら舞臺へ來り、びくを下ろし



漁一

時に、今見えた珍しい船は、何であらうか、鯨舟でもなし、赤く塗つた形を見ると、唐の茶舟か唐人の遊山舟かゞ、この日本へ流れて來たのではござらぬかの。



漁二

さうぢや。楫は折れ、艪櫂はなし、何でも唐人舟の難船が、こちへ流れて來たに違ひござらぬが、波六どんの云ふには、よい女子が乘つて居たといふことだ。



漁三

馬鹿ア云はツせえ。それは貴樣かつがれたのぢや。なんであの異國舟に女子が乘つて居て、爰迄生きて來られるものだ。



漁四

イヤ、さうでござらぬ。おらが舟へ沖でぶツかつた時に、ちよつと目にかゝつたは、痩せおとろへた、よい器量の女子で、楊貴妃の幽靈のやうでござつたが、形といひ髮形ちといひ、畫に書いた唐の后のやうであつたわえ。



漁一

そりや妙ぢやの。マア斯ういふ事の分るのは、村の和藤内どのの所へ、この頃異國から來られて父御に聞いたが、いつち早いワ。



漁二

オヽ、さうぢや/\。大明とやらの御方ぢやといふから、こりや地頭樣などへ行つて聞くより、いつちそれがよからうわい。



漁三

さう云へば和藤内どの初め、父御の老一官とやらいふ人や、内儀の小むつどのも、最前濱邊へ出て行つたれば、その唐人船を見に行つたかも知れぬわえ。



漁四

これを明神樣へ供へたら、和藤内どのの所へ、尋ねて行つて見ようではござらぬかえ。



漁一

オヽ、それがつつち近道ぢや。そんなら皆の衆、ドレ、明神樣へ。



四人

お供へ申さうわえ。大漁ぢや/\。



[ト書]

トわや/\云ひながら太鼓を叩き、右の唄にて、四人上手へ入る。知らせに付き、波幕を切つて落す。

本舞臺、向う一面の海原、下手より沖へ突き出たる岩山の書割、上手中足程の岩山、磯馴れの松、澤山にあり、下手芦原の見切り、すべて備前平戸海岸の體、波の音にて道具納まる。


[ト書]

ト鳴り物打上げ、大薩摩になる。


[唄]

それ綿蠻たる黄鳥丘隅に止まる、人として止まる所に止まらずんば、鳥に如かざる可しとかや、爰は備前の松浦潟、波路遙に磯千鳥、見渡す干瀉すき返し、貝とりどりの面白し。



[ト書]

ト文句の切れ、賑やかな鳴り物、波の音になり、漁師和藤内、大縞の着附け、前帶、繻子の脚絆、藁草履、腰蓑にて岩に腰かけ、煙草をのみ、この前に大蛤、相引にて口をあいて居る。爰へ差しがねの鴫一羽飛び居る。これを和藤内、見込み居る見得にて、舞臺眞中へセリ上げる。


[唄]

和藤内きつと目を附け、



和藤

ハテ、面白し。



[ト書]

ト誂らへの合ひ方になり



[和藤]

我が父は大明國の忠臣、大爺鄭芝龍と云ツし者なりしが、くらき帝を諫め兼ね、自ら長沙の罪をさけ、この日の本へ筑紫潟、老一官と名を改め、和藤内に唐土の兵書を教しへ、我れも專ら軍法に心ゆだねしが、この鴫蛤の爭ひに依つて、軍法の奧義、一時に悟りたり。



[ト書]

トぢつと見やり



[和藤]

蛤は貝の質堅きを頼んで、鴫の來るを知らず、まつた鴫は嘴の鋭きに誇つて、蛤の口を閉づるを知らず。ムウ、イヤ、挑むワ/\。


[唄]

取る人ありとも白泡の、たゞ一突きと覘ひ寄る。



[ト書]

トこのうち鴫は蛤の口へ嘴を入れる。これにて蛤口をしめるゆゑ、鴫飛ばうとして動かれぬこなし。



[和藤]

ムウ、貝は放さじ鴫は放れんとして、前へ氣を漲つて後を顧みるに隙なし。爰に臨んで、我れ手を濡らさず、二つを一度に引ツ掴むにいと易きは、これぞ兩雄戰はずして、その虚を討つといふ軍法の祕密。幸なるかな父一官の生國大明韃靼は、いま鴫蛤の國爭ひ、合戰最中と聞き及ぶ。これより唐土に渡り、この理を以て彼の理を押さば、大明韃靼兩國を只一呑みに、我が日の本の名を上げん。ハテ、幸先のよき事ぢやなア。


[唄]

天を拜し、地を拜し、國の譽ぞ勇ましゝ。



[ト書]

ト立ち上がり、鴫蛤を後ろへ蹴返し、よろしく思ひ入れ。大薩摩の上げ。本釣鐘を打込み。少し闇くなる。爰へ幕明きの漁師一、櫂を持ち窺ひ出て



漁一

 怪しい奴め。



[ト書]

ト打つてかゝるを、ちよつと立廻つて突きやる。この時上手半腹、立木の間へ老一官、異國の氣附け、劔を附け、沓、竹の子笠をかざし、下手蘆原より和藤内妻小むつ、氣流し前帶、片褄はしをり、手拭を吹流しにして出て、三方一時の見得。本釣鐘、誂らへの合ひ方になり、兩人は和藤内を曲者と疑ひ寄る。この間へ漁師、櫂を持つてからみ、だんまりの立廻りあつて、トド三人、夜目に顏をすかし見やり



小む

ヤ、こちの人か。



老一

オヽ、忰であつたか。



漁師

なにを。



[ト書]

ト打つてかゝるを、和藤内、ちよつと立廻つて、ポンとかへすを、木の頭。



和藤

イヤ、ひやいな事の。



[ト書]

トこのもやうよろしく、波の音、一セイにて

ひやうし幕

二幕目 獅子ヶ城樓門の場

  1. 役名==和藤内。


  2. 老一官。


  3. 下官、珍澤山。


  4. 同、三河良。


  5. 錦祥女。


  6. 和藤内の母、渚。


本舞臺、正面、朱塗り高欄付きの樓門、扉、上下とも出はひり。東西高き峽間付きの石の練塀。高張り提灯、鉾、大旗並びよく立て、日覆より松の吊り枝。朧月を見せあり、すべて獅子ケ城の體。時の太鼓にて幕あく。


[ト書]

ト上手より、三河良、腰に異風なる提灯を差し、鉦を叩き、時廻りの心にて出て來る。下手より下官珍澤山、割り竹を持ち、これも見廻りの心にて出て來り、互ひに行き合ひ



三河

ヤア、珍澤山ではないか。



珍澤

三河良か。



三河

オイヤイ、なんと今夜も、きつう冷える晩ではないか。



珍澤

イヤモウ、僅かな禄を頂戴して、時毎に三度づゝ城外を見廻りも、辛い事ではないか。



三河

辛いのなんのと、孫子の末まで武家奉公はさせぬ事だ。世になる時は炬燵よ行火よ温石よと、榮耀榮華な事もいつたけれど、今ぢやア雲泥の違ひ。體もどこも冷え凍るワ。



珍澤

そりやアお互ひの事よ。併し斯ういふ晩には、濁酒でもやらずばなるまい。



三河

それは何よりの樂しみ。したが、肴はあるかよ。



珍澤

云ふな。狆ころりがあるワ。



三河

狆ころりでは飮めぬ/\。



珍澤

それでも今となつて、買ふ事があらぬワ。



三河

オツと、そこはぬからぬ三河良、齋應寺の天麩羅で、極く旨い肴があるから買つて來た。旨い物なら彼處に限るて。



珍澤

われ持つてゐるかよ。フウ/\。



[ト書]

ト鼻で嗅ぐこなし。



三河

オヽ、おはすとも/\。これを見やれ。



[ト書]

ト股倉から竹の皮包みを出し



[三河]

我れ/\が食物なら、豚の脂身か象の煎付ぢや。餘人に他言は無用だが、合點か。



珍澤

これは結構。象の煎付なら、文字は違へど、藏入り藏入り。吉左右々々々。



兩人

これは妙々。



[ト書]

ト兩人喜び、思はず鉦を叩き立て踊る。この音を聞きつけ、下官四人出て



皆々

ナンウン/\。



兩人

何でもハウ/\。



[ト書]

ト竹の皮包みを隱す。



下一

コリヤ/\隱すな/\。珍澤山、三河良、旨い物なら、おいらにも喰はせろ。コレ、おれも今唐丸を閉めて置いた。早く行つて、われも閉めろ/\。



三河

それはほんまか。エンライ/\。



[ト書]

ト行きかけるを留めて



下一

イヤ、それはさうと、今御番頭の仰せには、この度日本船來國によつて、もし爰へ亂入すれば、手柄次第に捕るべしとの仰せなり。



皆々

ケン蓮ツ/\。



[ト書]

トきよろ/\する。



下二

この上は生捕らば、數多の御褒美、錦の卷物、黄金を下し置かるゝ。



下三

もし又日本人と知つて助け置かば、國法に取行ふとのお觸れ。



下四

何れも手柄に任せて、出世の雲が棚引きまするぞ。



下四

なんでもその氣で、働け/\。



皆々

合點々々。



下一

それがよければ、イコライ/\。



皆々

ハイラウ/\。



[ト書]

ト賑やかなる鳴り物になり、皆々門の内へ入る。鳴り物打上げ、床の淨瑠璃になる。


[唄]

仁ある君も用なき臣は養ふ事能はず。慈ある父も益なき子は愛する事あたはず、日本唐土樣々に道の巷は別るれど、迷はで急ぐ誠の道、赤壁山の麓にて、親子三人巡り合ひ、我が聟とばかり聞き及ぶ、伍將軍甘輝が館、獅子ケ城にぞ着きにける。



[ト書]

ト唐樂になり、花道より老一官、白髮かづら唐衣裳、着込みの旅の形、杖を突き、次ぎに和藤内の母、渚、好みの氣附け同じく、次に和藤内、厚綿衣裳、丸ぐけ胴丸の着込み、重ね草鞋、長大小にて連立ち出で來る。


[唄]

聞きしに勝る要害は、まだ冴返る春の夜の、霜に閃めく軒の瓦、鯱鉾天に鰭振りて、石疊高く築上げたり、濠の水藍に似て繩を引くが如く、末は黄河に流れ入り、樓門堅く鎖せり、城内には夜廻りの鐘の聲喧すく、矢狹間に弩隙間なく、所々に石火矢を仕掛け置き、すはといはゞ打放さんその勢ひ、和國に目馴れぬ要害なり、一官案に相違して。



[ト書]

ト各々よろしくこなしあつて



一官

亂世といひ、かゝる嚴しき城門、事々しく夜中に敲き、聞きも慣れぬ舅が、日本より來りしなんどいふとも、誠と思ひ取次ぐ者もあるまじ。例へ娘が聞きたりとも、容易く城内へ入れん事難かるべし。ハテ、如何致したものであらうな。


[唄]

如何はせんとぞ囁きける。和藤内聞きもあへず



和藤

今更驚く事ならず、一身の外味方なしとは、日本を出づる時より覺悟の前、遂に見ぬ舅よ聟よと、親しみ立して不覺を取らんより、頼まれうか頼まれぬか一口商ひ。否といはゞ即座の敵、二歳で別れし娘なれば、我れらとも行逢ひ姉。彼奴孝行の心あらば、日本の風も懷しく、文の通りもあるべき筈、頼まれぬ心底。我れ竹林の虎狩に從へし、島夷の軍兵を手元にして、切り靡ける程ならば、五萬や十萬の勢ひ手間暇入らず。なんの人頼みせんよりこの門を蹴破り、不孝の姉が首、捻切つてくれべいか。


[唄]

躍り出づれば、母縋りつき押止め。




その娘御の心入れは知らねども、夫につれて世の中の、儘にならぬは女の習ひ、父とは親子、御身とは胤一つ、他人は自分一人にて。


[唄]

海山千里を隔てゝも、繼母といふ名は遁がれず。娘の心に親兄弟、戀ひ慕ふまいものでもなし。



[母]

その所へ切り込んで、日本の繼母が妬みなりと云はれんは、我が恥ばかりか日本の國の恥、御身不肖の身を以て、韃靼の大敵を攻め破り、大明の御代に返さん事、大義を思ひ立つからは、私しの恥を捨て、我が身の無念を堪忍し、人を懷け從へ、一人の雜兵も味方に招き入るゝこそ、軍法と聞く。聟の甘輝は一城の主、これを味方に頼む事、大方にてなるべきか、心を納め案内せよ。


[唄]

と制すれば、和藤内、門外に大音上げ。



和藤

伍將軍甘輝公へ、直談の申したき事あり。開門々々。


[唄]

開門々々と敲きしは、城中響くばかりなり。當番の兵士聲々に。



[ト書]

ト門の内より三人の官人、塀より半身出して



官一

主君甘輝公は大王のお召しによつて、昨日より出仕あり。何時お歸りとも計られず、お留守といひ夜中といひ、何者なれば直談とは推參至極。云ふ事あらばそれから申せ。お歸りの節披露して取らすべし。


[唄]

と呼ばゝりけり、一官は小聲になり。



一官

イヤ、人傳に申す事ならず、甘輝公の留守ならば、御内室の女性に直に逢うて申すべし。日本より渡りし者と申せば、合點のある筈。


[唄]

云ひも果てぬに城中騒ぎ。



官二

ナニ、日本人とや。ソレ者ども、油斷致すな。



稼々

ハヽア。



官一

我れ/\さへ面も拜まぬ御臺所。對面せんとは不敵者。殊に日本人とや、油斷するな。


[唄]

油斷するなと高提灯、銅鑼鐃鉢を打立て/\、塀の上には數多の兵士、鐵砲の筒先揃へ、石火矢放して打ちみしやげ、火繩よ玉よとひしめきける。



[ト書]

ト鉦、鐃鉢の音になり、官人四人の外に、下官大勢、何れも唐人のこしらへ、塀越しに半身出して身構へる。


[唄]

奧へかくやと主の女房、樓門より見下ろして。



[ト書]

ト錦祥女、見事なる唐女の裝束にて、誂らへの鬘、唐團扇をかざし、同じく子役の唐子二人、柄の附きし雪洞を持ち、唐衣裳の腰元手箱鏡など、好み通りの道具を持ちて附き添ひ出る。錦祥女こなしあつて



錦祥

騒がしい。方々、鎭まられよ。



[ト書]

ト音樂になり



[錦祥]

聞き馴れぬ和言といひ、卒爾ありては國の恥、鐵砲無益に用ひまいぞ。ナウ/\、門外の人々へ物申さん。伍將軍甘輝が妻、錦祥女とは我が事なり。天下悉く韃靼大王に靡き、世に從ふ我が夫も、大王の幕下に屬し、この城を預かり、守り嚴しき折も折、夫の留守の女房に、逢はんとは心得ず。さりながら日本とされば懷しゝ、身の上を語られよ。


[唄]

聞かまほしやといふ内にも、もし我が親が、何ゆゑ尋ね給ふぞと、心元なき危なさに、懷しさも又先立つて。



[錦祥]

コリヤ兵ども、粗相すな。


[唄]

むざと鐵砲放すなと、心遣ひぞ道理なる。一官も始めて見る、娘の顏も朧月、涙に曇る聲を上げ。



[ト書]

ト一官、思ひ入れあつて



一官

近頃粗忽の申し事ながら、御身の父は大明の鄭芝龍。母は當座に空しくなり、父は逆鱗蒙り、日本へ身退く。その時は二歳にて、親子名殘りの憂き別れ。辨へなくとも乳人が噂、物語りにも聞きつらん、我れこそ父の鄭芝龍。日本肥前の國、平戸の浦に年を經て、今の名は老一官。日本で儲けし弟はこの男、まつたこれなるは今の母。密かに語り頼みたき事あつて、替り果てしこの姿、恥を包まず來りしぞ。


[唄]

門を開かせたべかしてと、しみ%\口説く詞の末、思ひ當りて錦祥女、さては父かと飛び下りて、縋り付きたや顏見たや、心は千々に亂るれど、流石一城の主甘輝が妻、下々の見る所と涙押へて。



錦祥

成る程、一々覺えあり。


[唄]

さりながら、證據なくては胡亂なり。



[錦祥]

自分が父といふ證據あらば、聞かまほし。


[唄]

云ふより雜兵口々に、



皆々

證據を出せ。



一官

ハテ、親子といふより外に、變つた證據もなし。



官皆

ソレ、曲者よ。油斷すな。



[ト書]

ト各々、鐵砲を差向ける。


[唄]

鐵砲の筒先、一度にばらりと突ツかくるを、和藤内かけ隔て。



[ト書]

ト和藤内、きつとなつて



和藤

ヤア、無用の鐵砲。ポンとは云はさば、撫切りぞ。



官皆

こざかしい奴つめ、共に遁すな。



皆々

ハア/\。



[ト書]

ト大勢は鐵砲を差向ける。


[唄]

火蓋を切らんと取圍み。



皆々

證據々々。


[唄]

證據々々と責めかけて、既に危ふく見えけるが、一官は兩手をあげ。



一官

アヽ、コレ/\、證據は其方にある筈。一年唐土を立退く時、成人の後形見にせよと、我が姿を繪に寫し、乳人に預け置きつるが。


[唄]

老の姿に變るとも、面影殘る繪に合せ。



[一官]

疑ひ晴らし給へかし。



錦祥

ナウその詞が、はや證據。


[唄]

肌に放さぬ姿繪を、高欄に押開き、柄付の鏡取出だし。



[ト書]

トこれにて袱紗に包みし一官の姿繪を取出し、又腰元へこなしあると、誂らへの臺にかけし鏡を取出す事、よろしくありて


[唄]

月に映らふ父の顏、鏡の面ちか%\と、寫し取つて引較べ、引合せてよくよく見れば、繪にとゞめしは古への、顏も艶ある翠の鬢、鏡は今の老窶れ、頭は雪と變れども、變らで殘る面影の



[錦祥]

目もと。


[唄]

口許その儘に、我が影にもさも似たり。父方讓りの額の黒子。



[錦祥]

親子の證疑ひなし。



[ト書]

トこのうち文句のかゝりに、取出せし姿繪と一官の顏を鏡に映し、見較べる思ひ入れいろ/\あつて


[唄]

さては誠の日本とやらに、父上ありとばかりにて、便りを聞かん知邊もなく、東の果と聞くからは、明くれば朝日を父ぞと拜み、暮るれば世界の圖を開き。



[ト書]

トこのうち手箱の内より世界の圖を出し、開き見る事よろしくこなしあつて



[錦祥]

これは唐土、これは日本。


[唄]

父は爰にましますよと、繪圖では近いやうなれど、三千餘里のあなたとや。



[錦祥]

この世の對面思ひ絶え、もしや冥土で逢ふこともと。


[唄]

死なぬ先から來世を待ち、歎き暮し泣き明かし、二十年の夜晝は、我が身さへ辛かりし、よう生きてゐて下さつた、父を拜むは有難やと、聲も惜しまぬ嬉し泣き、一官は咽せ返り、樓門に縋り付き、見上ぐれば見下ろして、心餘りて詞なく、盡きぬ涙ぞ哀れなる。武勇に逸る和藤内、母諸共に伏沈めば、心なき兵も、こぼす涙に鐵砲の



[ト書]

ト各々よろしく思ひ入れ。トヾ上官下官の唐人、殘らず聲をあげて泣く事。


[唄]

火繩も濕るばかりなり。やゝあつて老一官。



一官

我れ/\これへ來る事、聟の甘輝を密かに頼みたき一大事。先づ/\御身に語るべし。門を開かせ、城門へ入れてたべ。



錦祥

ナウ、仰せなくとも、これへと申す筈なれども、この國未だ軍半ば、韃靼王の掟にて、例へ親類縁者たりとも、他國の者は城中へ、堅く禁制との掟なり。されどもこれは格別。兵ども、如何せん。


[唄]

如何せんとありければ、料簡もなき唐人ども。



官一

イヤ/\、思ひ寄らぬ事。ならぬ/\。



官二

歸去來々々。びんくわんださつ。



皆々

ぶおん/\。


[唄]

又鐵砲を差向ければ、人々案に相違して、呆れ果てゝぞ見えけるが、母進み出で。




尤も/\、大王より掟とあれば力なし。さりながら、年寄つたこの母に、何の用心入るべきぞ。あの姫に只一言、物語りするばかり。妾一人通してたべ。まこと浮世の情ぞや。


[唄]

手を合わせても、聞き入れず。



官一

イヤ/\、女とて宥免せよとの仰せはなし。併し我れ/\が料簡を以て、城内にあるうちは、繩をかけて縛り置かん。



官二

繩付きにして通せば、韃靼王へ聞えても、主君の云ひ譯我れらが身晴れ、急いで繩をかけられよ。



官三

それが厭なら、此方も。



四人

歸去來々々々。



皆々

びんくわんださつ。ぶおん/\。


[唄]

と睨めつける。和藤内眼をくわつと怒らし。



和藤

ヤイ、毛唐人めら、うぬらが耳は何處について、なんと聞く。忝くも鄭芝龍一官が女房は身が母、姫の爲にも母同然、それになんぞや、犬猫を飼ふやうに、繩付けて通さんとは奇ツ怪千萬。日本人はそんな事聞いては居ぬ。小むづかしい城内へ、入らいでも大事ない。サア、ござれ。


[唄]

引立つれば母振り放し。




それ/\、今云ひしを忘れしか。大事を人に頼む身には、幾度かさま%\の、憂目もあり恥もあり。繩は愚か、足枷手枷かゝりても、願ひさへ叶はゞ、コレ。


[唄]

瓦に黄金を換へるが如し。



[母]

小國なれども日本は、男も女も義は捨てず、繩かけ給へ、一官どの。


[唄]

恥ぢしめられて力なく、要心の腰繩を取出し、高手小手に縛り上げ、親子が顏を見合はせて、笑顏をつくる日本の、人の育ちぞ健氣なる。錦祥女も堪えかぬる、難儀の色を押包み。



錦祥

何事も時世にて、國の掟は是非もなし。



[ト書]

トこのうち老一官、腰の下げ緒を取り渚を縛る。このうち門を開き、下官數名出て來る。錦祥女こなしあつて



[錦祥]

母御は自らが、預かる上は氣遣ひなし。何事か存ぜねど、お願ひの一通り、御物語り承はり、夫甘輝に云ひ聞かせ、何とぞ叶へまゐらせん。この城の廻りに堀りたる濠の水上は、自らが化粧殿の、庭より落つる遣り水の。


[唄]

末は黄河の川水と、流れ入る水筋なり。



[錦祥]

夫の甘輝が聞入れて、御願ひ成就せば、白粉溶いて流すべし。


[唄]

川水白く流るゝは、めでたき證と思し召し。



[錦祥]

勇んで城へ入り給へ。又願ひ叶はずば、紅を溶いて流すべし、川水赤く流るは、叶はぬ左右と思召し、母御を受取りに門外まで、お出であれ。


[唄]

善惡二つは白妙と、唐紅の川水に、心をつけて御覽ぜよ。




そんなら我が夫、伜。



和藤

母人。



一官

必ず吉左右。



和藤

相待ち申す。



錦祥

おさらば、



皆々

さらば。


[唄]

さらば/\と夕月に、門の扉さつと押開き、伴ふ母は生死の境。



[ト書]

トこのうち樓の上へ出し侍女、門の内より出て、下官附添ひ、門の内へ入る。


[唄]

菩提門に引き替へて、これは浮世の無明門、貫ぬきちやうと下ろす音、錦祥女は目もたえ%\、弱きは唐土女の風、和藤内も一官も、泣かぬが日本武士の風、大手の門の閉開に、石火箭放つ韃靼風、一つに響く石火箭の、音に。



[ト書]

トこの時、門内にて本鐵砲の音はげしく、和藤内、門の内へこなし。下官各々支へる。和藤内ムウと思ひ入れ。これにて下官各々ホウ/\と、尻居に だうと海老折れになる。これに構はず、一官、和藤内、花道へかゝる。唐樂にてよろしく。


[唄]

聞くさへ。



[ト書]

ト三重にて

幕引付けると、誂らへの鳴り物になり、和藤内、よろしく花道揚幕へ振つて入る。あと唐人囃しのツナギにて引返す。

大詰 伍將軍甘輝館の場

  1. 役名==和藤内。


  2. 伍將軍甘輝館。


  3. 錦祥女


  4. 和藤内母、渚。


本舞臺、三間の間、奧深に高足の二重、四枚飾り、正面大模樣の襖。異形の瓦燈口。上手前へ一間の障子屋體。双方とも誂らへの蝦夷錦の緞帳。異風なる明り窓。この前に芭蕉、蘇鐵の植込み、取合せよろしく、本屋根、軒に誂への燈籠をかけ、蹴込み通り一面は石の組上げ。雷紋形唐草など好みの書割り。欄間びいどろ入り。この道具極彩色、朱塗り、見事に飾り、爰に唐女腰元七人。一人は燗銅壺にて酒の燗をしてゐる。その外の腰元は大廣蓋の上に、ギヤマン酒道具、いろ/\の器物を置き並べ、酒宴の支度の模樣にて、三味線入り唐樂にて幕明く。

[唄]

夢も通はぬ唐土に通へば、通ふ親子の縁、恩愛の綱結び合ひ、結ぶ餘りの縛り繩、かゝる例は異國にも、稀に咲き出す雪の梅、色香は同じ鶯の、聲にぞ通辭入らざりし。錦祥女は孝行深く、母を奧の一間に移し、二重の褥三重の蒲團、山海の珍菓名酒を以て、重んじもてなす有樣は、天上の榮華とも、又高手小手の縛めは、十惡五逆の科人とも、見る目いぶせく痛はしく、樣々に宮仕へ、誠の母と勞はりし、心の内こそ殊勝なれ、腰元の侍女寄り集り。



[ト書]

ト唐樂の合ひ方になり



腰一

サア/\、御酒のお燗は、もうよい/\、出來たぞえ。



腰二

これはマア南面女どのの忙しない。なんぼ日本人ぢやというて、女子は短氣な事もござんすまい。叮嚀にして上げたがよいわいなア。



腰三

さうぢやわいなア。急いでは事を仕損じ勝ち。お呵りを受けやうより、萬事ゆるりと氣をつけて。とはいふものゝ氣心知れぬ日本人。思へばひよんなお客樣。



腰四

珍味佳肴の品々の、お加減の違はぬうち、上げようではあるまいか。



腰五

それがようござんす。サア/\、御膳のお支度をしませうわいなア。



腰二

マア、それよりは、酒から先にせにやならぬぞえ。



腰三

こりやお前の指圖の通り、なんぼ日本人でも、お腹をこやしたその上では、御酒宴にならう筈もなし。



腰一

そこらは我が國の機轉をきかせ、燗となう急のですと、わたしが急いだは、どうぢやいなア。



腰五

ほんにこれは、南面女どの機轉は又格別。



腰六

御酒宴ならばそのお肴、わたしが持つて參りませう。



腰一

それはさうと、あのお客人の日本の女子を見たが、目も鼻も變らぬが、をかしい髮の結びやうといひ、變つた衣裳の縫ひやうぢやわいなア。



腰四

さいばいなう、若い女子もあの通りであらう。



腰一

なんぢややら、裾も褄もほら/\となるであらう。風が吹いたら太股まで、見えさうなものであるまいか。



腰三

さればいなア。日本人の着物は夏着には、よい都合でありさうなわいなア。



腰四

それ/\、日本は東の果とあるゆゑ、どうでも日の近い所だけ、寒い事はないと見える。ナア、皆さん。



腰五

オヽ、それ/\夏は素肌でゐるといなう。



腰七

エヽ又、當推量ばつかり。



腰一

したが、よう聞かんせや。あのやうな衣裳を着たならば、ほら/\と風が通つて、得ならぬ匂ひもするであらう。日本人になりたいなア。



腰五

そりやマア、どういふ譯ぢやぞえ。



腰四

恥かしい事ぢやなう。わしや日本人の女子に生るゝは



皆々

否ぢやわいやア。



腰六

さうして南面女どのが、日本人になりたいといふは、なんぞ譯のある事かや。



腰一

ハテ、日本は大きく和ぐ大和の國といふげな。なんと女子の爲には、よからうではないかいなア。



皆々

エヽ、そりや何を云ひやるぞいなう。



腰一

でも、こちや兎角好もしう思ふわいなア。


[唄]

目を細めてぞ喜びける、一間の内より錦祥女、物案じなる屈し顏、ひそ/\と立出で給ひ。



[ト書]

ト錦祥女、奧より出る。後より子役の唐子二人、附き添ひ出る。



錦祥

コレ/\、面白さうに何云ふぞ。一間にござる珍客は、自分とは生さぬ仲の母上なれば、孝といひ義理といひ、誠の母より重けれども、國の掟に詮方なく。


[唄]

縛りからめるおいとしさ、韃靼王へ洩れ聞え、連合ひに咎めあらうかと、宥免もなりがたく。



[錦祥]

難儀といふは我が身一つ、推量してたもいなう。



腰二

サア、あの御老母樣のお身の上、一伍一什を承はり、我が身のやうに思はれて。



皆々

ほんにお笑止な事でござります。


[唄]

笑止な事やと打しをれ、各々詞もなかりけり、錦祥女ひとり戀しく。



錦祥

いやとよ、母樣へ御馳走と申すには、其方衆よきに頼むぞかし。



腰三

イエモウ、それに如在はござりませぬが、何につけても日本は、食物も皆違ふ事なれば、どうしてよろしからうやら。



皆々

私しどもには分りませぬ。



錦祥

成る程、こりやさうありさうなもの。兎に角お口に合ふ物を、伺うて進ぜてたも。


[唄]

と宣へば。



腰一

今日の御膳部はお料理に念を入れ、龍眼肉の御飯に、お汁は家鴨の油揚、豚のこくせう、羊の濱燒き、牛の蒲鉾、虎の一鹽、樣々にして上げても。



腰四

なう忌々しい、そんなものは否とばかり御意なされまする。



腰五

何にも外に召上がらず、縛られて手も叶はぬ事なれば、つい握飯をしてくれと御意なさるゆゑ。



腰二

その握飯といふ食物は、どのやうな物であらうぞと、南面女どのに問合せましたところ。



腰一

わたしがつく%\考へるに、日本では角力取りを結びと申すげな。それゆゑ方々尋ねても、折も惡うお齒に合ひさうな、角力取りが切れ物でござりまする。


[唄]

評議とり%\する所へ、表に轟く馬車。



呼び

御歸館。



錦祥

ナニ、我が夫の御歸館とあれば、この品々を一先づ取除けてしまや。



皆々

心得ました。



[ト書]

ト銘々臺の物を片附ける。


[唄]

歸館なりとさゞめけば、唐櫃先に舁入れさせ、優々たる絹傘に、流石は猛き伍將軍、甘輝と名に負ふその勿體。



[ト書]

ト誂らへの唐樂になり、花道より下官、笛を吹き、下官兩人、太鼓を擔ぎ、これを下官打ち、後より下官、銅鑼を携へ、各々唐樂を奏し、歸去來下官兩人、唐櫃を擔ぎ、後より幟二本二行に並び、官人四人、左右へ警固して、伍將軍甘輝、唐冠、見事なる裝束、軍配を持ち、中通りの官人、絹傘をさしかけ出づる。替へ沓の臺共に持つ下官大勢附き添ひ出る。各々舞臺へ來ると、鳴り物打上げる。錦祥女こなしあつて



錦祥

何とて早き御退出、先づ/\。



[ト書]

トこれにて舞臺より所へ住ふ。下官、誂らへの床几、結構なる煙草盆などを甘輝の前へ持ち行く。皆々下座へ入る。



[錦祥]

我が夫、御前は何と候ふぞや。



甘輝

されば/\、韃靼王叡聞深く、過分の御加増、十萬騎の旗頭、散騎將軍の官に任ぜられ、諸侯王の冠裝束賜はり、大役を仰せつけらるゝ、家の面目、これに過ぎず。


[唄]

とありければ、錦祥女笑みを含み。



錦祥

それはお手柄、おめでたう存じまする。家の吉事は重なる物、日頃戀しい床しいと、申し暮せし父上、日本にて儲け給ひし母兄弟、頼みたき事あるとて、門外まで來り給へども、お留守といひ嚴しき國の掟を憚り、男子は皆還し、母上ばかりを留め置きしが、猶も上の聞えを恐れ、繩を懸けてアレあの、奧の亭にて御馳走は申せども、胎内借らぬ母上、繩懸けて置きましたも、悲しい事でござりまする。


[唄]

悲しさよとぞ語りけり。



甘輝

ナニ、繩懸けしとは好い料簡、上へ聞えて云ひ譯あり。隨分ともに疎略なきやうもてなせよ。イザ先づ我れも對面せん。案内申せ。


[唄]

と云ふ聲の、洩れ聞えてや褄戸の内。




なう錦祥女、甘輝どのがお歸りとや。爰は餘り高上がり、妾はそれへ。


[唄]

立出づる、形はいとゞ老木の松の、しめからまれし藤葛、起居苦しきその風情、甘輝見る目も痛はしく。



甘輝

誠世の中に、子といふ者のあればこそ、山川萬里を越え給ふ。


[唄]

その甲斐もなき縛めは、時代の掟是非もなし、それ女房お手が痛むか、氣をつけよ。優曇華の客人、聊か疎略に存ぜず。



[甘輝]

何事なりともこの甘輝が、身に相應の事ならば、必ず心置かるゝな。


[唄]

必ず心措かるゝなと、世に睦じくもてなせば、老母が顏色打解けて。




オヽ頼もしい。忝ない。その詞を聞くからは、何しに心措くべきぞ。頼み入りたき一大事。さりながら、他聞を憚る事なれば。



[ト書]

ト皆々へこなし。



甘輝

いかさま、ソレ。



[ト書]

ト錦祥女へ思ひ入れ。



錦祥

腰元どもには、暫く次へ。



皆々

ハアヽ。



[ト書]

ト音樂にて、皆々奧へ入る。甘輝、後を見送り、思ひ入れあつて



甘輝

サヽ、お心措きなう。



母甘

イザ、それへ。


[唄]

ひそかにこれへと小聲になり。



[ト書]

トこれより木琴びんざゝら入りの合ひ方になり。



[母]

なう、我れ/\この度唐土へ渡りしは、娘床しいばかりでなく、去年の初冬、備前の國松浦といふ所へ、大明の帝の御妹、栴檀皇女小船に召されて、御代を韃靼に奪はれし御物語り聞くと等しく、父は元より明朝の陪臣。我が子の和藤内と申す者、賤しき海士の手業ながら、唐土日本の軍書を學び、韃靼大王を滅ぼし、昔の御代に飜へし、姫宮を王位に即けんと、先づ日本に殘し置き、親子三人。


[唄]

この唐土へ來れども、淺ましや草木までも、皆韃靼に從ひ靡き。



[母]

大明の味方に志す者、一人も候はず、和藤内が片腕の、味方に頼むは甘輝殿、力を添へて下されかし。


[唄]

偏へに頼みまゐらする、老が頼みも眞實心、額を膝に押下げて、只一筋の志し、思ひ乞うてぞ見えにける。甘輝大きに驚きて。



甘輝

ムウ、さては聞き及ぶ日本の和藤内と申すは、この錦祥女とは同胞、鄭芝龍一官の子息に候ふとな。ムウ、武勇の程唐土までも隱れなく、頼もしき思ひ立ち、尤も斯くこそあるべけれ。我れらも先祖は大明の臣下。帝亡び給ひてより、頼むべき主君もなく、韃靼の恩賞蒙り、月日を送る折柄、望む所の御頼みなれど、少しく存ずる旨あれば、急に返事もなしがたし。とつくりと思案の上、


[唄]

お返事を申したきが、と云はせも果てず。




アヽ、そりや御卑怯な、詞が違ふ。これ程の一大事、口より出せば世間ぞや。思案のうちに洩れ聞えて、不覺を取らば悔んでも返らぬ。。お恨みとは思ふまじ、成る成らざるの御返事を、サア只今。


[唄]

と責めつくれば。



甘輝

ムウ、急に返答聞きたくば、易い事/\。いかにも伍將軍甘輝、和藤内が味方なり。


[唄]

云ふより早く、錦祥女が胸許取つて引寄せ、劍引拔き咽喉吭に差當つる。老母はあはて飛蒐り、二人が中へ割つて入り、持つたる手をば振り放し、娘を背に押遣り押遣り、仰向けに重なり臥し、大聲揚げて、これ情なし何事ぞ。



[ト書]

ト甘輝、劔を拔き、錦祥女を劔にて刺さんとするを、母、錦祥女を庇ひ、隔て留めるこなしよろしくあつて




コレ情ない何事ぞ。人に物を頼まれては、女房を刺し殺すが唐土の習ひか。心に染まぬ無心を聞くも、女房の縁あるゆゑと、腹が立つての事なるか。但し狂氣召されたか。


[唄]

たま/\初めて來て見たる、母親の目の前で、殺さうとする無法人、日頃より思ひ遣られた。



[母]

味方をせずばせぬまでよ。今までと違うて親のある大事な娘。コレ、怖い事はない。母にしつかと取りつきやいなう。


[唄]

隔ての垣と身を捨てゝ、かこち歎けば錦祥女、夫の心は知らぬども、母の情の有難さ。



錦祥

怪我遊ばすな。


[唄]

とばかりにて、共に涙に咽びけり、甘輝飛び退つて。



[ト書]

ト甘輝、劔を取り直し、キツと見得よろしくあつて、合ひ方きつぱりとなり



甘輝

オヽ、御不審な尤も。全く某無法にあらず、狂氣にも候はず。昨日韃靼王より某を召して、この頃日本より和藤内といふえせ者、下劣の身を以て、智謀軍術逞しく、韃靼王を傾け、大明の世に飜さんとこの土に渡る。彼れが討手誰れならんと、數千人の諸侯のうちより、この甘輝を選り出され、散騎將軍の官に任じ、十萬騎の大將を賜はる。然るに和藤内は我が妻の弟なりと夢にも知らず、彼奴日本に傳へ聞く、楠とやらんが肝膽を出で、朝比奈辨慶とやらんが勇力あるとも、我れ又孔明が脹に分け入り、樊項羽が骨隨を借つて、一戰に退つて退ひまくり、和藤内が月代首提げて來らんと、廣言を吐きし某が。


[唄]

一太刀も合せず、矢の一本も放さず、ぬく/\と味方せば。



[甘輝]

アレ見よ、伍將軍甘輝、なか/\日本の武勇に聞き怖ぢするものでなし、察するところ女に絆され、縁に引かれ腰が拔けて、弓矢の義を忘れしと、韃靼王の雜口に、かけられんは必定。然れば子孫末孫の恥辱遁がれ難し。


[唄]

恩愛不便の妻を害し、女の縁に引かれざる、義信の二字を額に當て、さつぱりと味方せんため。



[甘輝]

ヤイ錦祥女、とゞむる母の詞には慈悲心籠る。殺す夫の劔の先には忠孝籠る。親の慈悲と忠孝に、命を捨てよ、コリヤ女房。


[唄]

理非をかざらぬ勇士の詞。



錦祥

オヽ聞き分けた。身に適うた忠孝。親に貰うたこの體。


[唄]

孝行のため捨てる命は、をしいとも思ひませぬと、母を押しのけ、つツと寄り。



[錦祥]

サア、お手にかけて下さりませ。



甘輝

オヽ、よい覺悟。


[唄]

胸押明くれば引寄せて、見る目危ふき氷の刃、なう悲しやと駈け隔て、押分けんにも詮方なく、退けんとするに手は叶はず、娘の袖に喰ひついて、引退くれば夫が寄る、夫の袖を咥へて引けば、娘は死なんと又立寄るを、口に咥へて唐猫の、塒をかゆる如くにて、母は目もくれ身も疲れ、わつとばかりに だうと伏し、前後不覺に見えければ、錦祥女縋りつき。



[ト書]

ト三人よろしく動きあつて



錦祥

一生親知らず、ついに一度も孝行なく、なんで恩を送らうぞ。死なせてたべ母上樣。


[唄]

口説き歎けばわつと泣き。




なう悲しい事云ふ人や。殊に御身は、娑婆と冥土に親三人、殘る二人の父母は、産み落した大恩あり、中に一人のこの母は、憐みかけず恩もなく。


[唄]

うたてや繼母の名は、削つても削られず、今爰で死なせては。



[母]

日本の繼母が、三千里隔てたる、唐土の繼子を憎んで見殺しに殺せしと、我が身の恥ばかりか、あまねく國々に日本人は邪險なりと、國の名を引出すは、我が日本の恥ぞかし、


[唄]

唐を照らす日の影も、日本を照らす日の影も、光りに二つなけれども。



[母]

日本は日の始め、仁義五常あり、慈悲專ら、神國に生を享けたるこの母が。


[唄]

娘殺すを見物し、そも生きてゐられうか。



[母]

願はくばこの繩が、日本の神々の注連繩になれよかし。


[唄]

我れを縛り殺し。



[母]

屍は異國に曝すとも、


[唄]

魂は日本に、導き給へと聲を上げ、道もあり情もあり、哀れも籠る口説き泣き、錦祥女は縋りつき、母の袂のもろ涙に、甘輝も道理に至極して、そゞろ涙に暮れけるが、やゝあつて席を打ち。



甘輝

ハヽア、是非もなし力なし、母の承引なき上は、今日より和藤内とは敵味方。老母をこれに止め置きては、人質と思はれんも本意ならず、輿車用意して、所を尋ね送り參らせよ。


[唄]

とありければ。



錦祥

いやとよ、この遣り水より黄河まで、よき便りには白粉流し、叶はぬ知らせは紅を流す約束にて、迎ひにお出である筈。イデ、紅を解いて流し知らせん。



甘輝

それ屈竟の思ひ立ち、時刻移さず、早く/\。また客人には暫時の間も無慙の繩目、さぞかし御手の痛からん。さりながら、國の掟の是非もなく、又門外へ出る時は、再び繩目にかくるとも、暫く繩解き、寛ぎ得させん。



錦祥

妾は紅をとく/\と、イザ門外へ、お知らせ申さん。


[唄]

いざ紅溶いて流さんと、一間の内へ入りけり。



[ト書]

ト錦祥女思ひ入れあつて、上手の緞帳の内へ入る。


[唄]

母は思ひにかきくれて。




思ふに違ふ世の中を、立歸りて夫や子に、何と語り聞かせんぞ。


[唄]

思ひやる方涙の色、老母はきつと心を定め。



[母]

よし/\、この儘歸り、何とて面が合はされう。今一度娘に逢うて、オヽさうぢや。


[唄]

驅け入らんと息込むを、甘輝隔てゝ立ち塞がり、



甘輝

老母、いづれへ行かるゝぞ。マア、待たれよ。


[唄]

いたはり止むる伍將軍、智仁兼備の大將と、云はねど知れし形相なり。



[ト書]

トこれにて正面へ緞帳を振りおろし、甘輝母の兩人を隱す。


[唄]

甘輝が詞是非なくも、化粧殿より城外の、二人へ見する叶はぬ知らせ、涙とともに押流す、紅より先の唐錦。


[唄]

錦祥女は瑠璃の鉢、紅溶き入れて携へ出で。



[ト書]

ト唐樂になり、上手の緞帳を卷き上げる。錦祥女、銀張りの紅鉢を持ち、こなしあつて


[唄]

これぞ親子が渡らぬ錦中絶ゆる、名殘は今ぞと夕波の、泉水にさら/\/\、落せば瀧津瀬の紅葉と、浮世の秋をせき下し、共に染めたるうたかたの、紅くゞる遣り水の、落ちて黄河の流れの末、哀れ果敢なき有樣なり。



[ト書]

ト錦祥女、件の瑠璃の器より紅を流すこなしよろしく、これにて舞臺前の波板へよろしく流るゝ仕掛け好みの通り。波の音のあしらひよろしくあつて、トヾ文句一杯に屋體へ緞帳を下ろす。知らせにつき、本舞臺へ誂らへの鐵の條金入りし、唐門の幕を振り下ろす。

本舞臺、一面に左右切石疊みへ瓦燈口の如く、上へ獅噛みの鑄物形、嚴重なる唐門、彩色せる書き起しの道具幕になる。本舞臺眞中へ和藤内、厚綿衣裳織物の丸ぐけ、荒事のこしらへ。竹笠をかざし、松明を振り照らし、吉例のこしらへよろしく、石橋の上へ立ち身。前なる流れへ紅流るゝ模樣。これを見込みし見得。賑やかなる鳴物にてセリ上がる。

[唄]

和藤内は岩頭に、簑打かづき座を占めて、赤白二つの河水に、心をつけて水の面。



[ト書]

ト和藤内、波をぢつと見込みし思ひ入れあつて



和藤

南無三、紅が流るゝは、さては望みは叶はぬよな。味方もせぬ甘輝めに、大事の母人預けて置かれぬ。イデ踏み込んで。


[唄]

踏み出す足の早瀬川、流れを留めて駈け行く折柄。



[ト書]

ト駈け出さんとする。文句へかぶせて早笛になり、唐人大勢揚幕より出て



皆々

バア/\。



[ト書]

ト取卷く。


[唄]

出で逢ふ軍卒かけ隔て、やらじと組付く下官ども。



[ト書]

ト唐人囃子早めて、皆々和藤内をやらじと支へるを、大太鼓入りの鳴物にて、大まくしの立廻りよろしくあつて


[唄]

右と左へ人礫、目覺ましかりける次第なり。



[ト書]

ト和藤内、皆々を打つけ/\、トヾ右の鳴り物早笛にて、皆々を追ひ、よろしき見得にて、揚幕へ入る。橋をセリおろし、知らせにつき、道具幕切つて落す。

本舞臺、元の唐屋體に戻る、爰に母、繩にかゝりしなりに、上手に甘輝、以前の拵へにて住ひ、唐樂にて道具納まる。

[唄]

はや時移る館には、主人の甘輝謹然と、座を占めて打守れば、母はやうやく顏を上げ




コレ甘輝どの、母が願ひぢや程に聞き分けて、味方について下されいなう。



甘輝

イヤ、何程お願ひあらうとも、叶はぬ事ぢや。聞く耳はござらぬ。




すりや、どのやうに願うても。



甘輝

アヽ、くどい事ぢや。




ハアヽ。


[唄]

鋭き詞に云ひ放され、思案途方に暮れゐたる。折もこそあれ俄かに城内騒がしく、荒に荒れ來る和藤内、堀を飛び越し塀を乘り越え、籬透垣踏み破り、甘輝が城の奧の庭、見ぬ唐土の阿房宮。珊瑚のゆき桁瑪瑙の梁、錦の帳瑠璃の柱、金銀珠玉を鏤めて、あたり閃めく有樣に、しばし呆るゝばかりなり。



[ト書]

ト早笛になり、花道より和藤内、以前のこしらへ脱ぎ掛けにて走り出て來る。これを以前の唐人、下官のうち四人程、ちよつと支へるを張り退け、立廻つて皆々を投げ退けキツとなり


[唄]

母の縛め繩引きちぎり、甘輝が前に立ちはだかり。



[ト書]

ト和藤内、走り寄つて母の縛めの繩引ちぎり、甘輝へキツと詰め寄りて



和藤

伍將軍甘輝といふ髭唐人は和主よな。天にも地にもたつた一人の母に繩懸け、おのれをおのれと奉つたは、味方に頼まん爲なるに、持ち長すれば方圖もない。味方にはこの大將が不足なか。第一女房の縁といひ、其方から從ふ筈。サヽ、日本無双の和藤内が、直に返答聞かう。いかに/\。


[唄]

柄に手をかけ突ツ立つたり。



[ト書]

ト和藤内、荒事の見得。



甘輝

ヘヽハヽア。オヽ、女房の縁と云はゞ猶ならぬ。御邊が日本無双なれば、我れは唐土、稀代の甘輝。



[ト書]

ト誂への鳴り物になり



[甘輝]

女に絆され味方する勇士にあらず。女房を去る所もなし。病死するまでべん/\とも待たれまい。追風次第早歸れ。但し置土産に、首が置いて行きたいか。


[唄]

空嘯いて吹く煙り。



和藤

イヤサ、日本の土産に、うぬが首を持つて行く。



甘輝

イヤ、其方が首置いて行け。



和藤

何を小癪な。


[唄]

兩方拔かんとする所、一間の内より錦祥女聲をかけ。



[ト書]

トこの前に緞帳卷き上げ、錦祥女窺ひゐて



錦祥

なう/\早まり給ふな。病死を待つまでもなく。只今流せし紅いの、水上を見給へや。



[ト書]

トいひながら、ツカ/\と眞中に出る。


[唄]

衣裳の胸を押開けば、九寸五分の懷劔、乳の下より肝先まで、横に縫うて刺通し、朱に染みたるその有樣。



[ト書]

ト錦祥女兩肌脱ぐと、自害せし體にて、血に染まり苦しき思ひ入れ。


[唄]

母はこれはとばかりにて、かつぱと伏して正體なく、和藤内も動顛し、覺悟を極めし夫さへ、そゞろに驚くばかりなり。錦祥女は苦しげに顏をあげ。



[錦祥]

これにござる母上は、日本の國の恥を思し召し、殺すまいとなさるれど、我が命を惜しみ、親兄弟を貢がずば、唐土の國の恥と、斯くなる上は女に惹かさるゝ


[唄]

人の誹りはよもあるまじ。



[錦祥]

ナウ甘輝どの。親兄弟の味方して、力ともなつてたべ。父にも斯くと告げてたべ。もう物云はせて下さるな。


[唄]

苦しいわいのとばかりにて、消え%\にこそなりにけり、甘輝涙を押しかくし。



甘輝

オヽ、出來した/\。自害を無にはさせまいため、この場に於て甘輝が誓言。


[唄]

和藤内が前に頭を下げ。



[甘輝]

某先祖は明朝の臣下、進んで味方申すべき身の、女の縁に迷ひしと、俗難を憚りしに、我が妻只今死を以て義を勸むる上は、心清く御味方、大將軍と仰ぎ、諸侯になぞらへ、御名を改め、延平王國性爺、鄭成功。


[唄]

と號すべし。裝束召させ奉らん。



[甘輝]

者ども、用意。



[ト書]

トこの時、奧にて



皆々

ハヽア。


[唄]

武運開くる唐櫃の、二重の錦、羅綾の袂、緋の裝束、昆龍朱雀彩糸に、黄金綾どり、燕紫の纐纈紅ゐ恥づる錦繍の、花に薫りも深見草。



[ト書]

トこのうち唐人皆々、籏、差し物、鐵砲、弓、矢、鉾をめい/\持ち出て後に並ぶ。この内唐人のうち皆々誂へし裝束を持ち出て、和藤内、裝束を着る。甘輝も爰にて裝束を改める事、好みの通りあるべし。前の文句につゞき


[唄]

章甫の冠花紋の沓、珊瑚琥珀の石の帶、莫耶の劔黄金を磨き。



[ト書]

ト兩人裝束着けよろしく、このうちに舞臺上下へ誂への椅子へ虎の皮を掛けしを持ち出て、よき所へ直す。すべて誂への通り飾りつきし絹傘を二蓋持ち出でて、よろしく警衞する事あつて、和藤内甘輝兩人、冠裝束誂への通り着し終る。


[唄]

絹傘さつと差しかくれば、十萬餘騎の軍兵とも、憧の旗の旗、吹拔楯鉾弓鐵砲、鎧の袖を列ねしは、會稽山に越王の、再び出でたる如くなり、母は大聲高笑ひ。



[ト書]

ト母、嬉しきこなしあつて




アヽ嬉しや本望や、あれを見や錦祥女。御身が命を捨てしゆゑ、親子の本望達したり。親子と思へど天下の本望。この劔は九寸五分なれど、四百餘州を治むる自害、この上母が存らへては、始めの詞虚言となり、再び日本の國の恥を引起す。


[唄]

娘の劔をおつ取つて、咽喉へがばと突き立つる、人々これはと立騒げば。



[ト書]

ト母、錦祥女が貫きし懷劍を取上げ自害する。皆々思ひ入れ。



[母]

アヽ、寄るまい/\。ナウ甘輝、國性爺、母や娘の最期をも、必ず歎くな悲しむな。韃靼王は面々の母の敵妻の敵と、思へば討つに力あり、氣をたるませぬ母の慈悲、この遺言を忘るゝな。父一官が在すれば、親には事を缺くまいぞ。母は死して諫めをなし、父は存らへ教訓せば、世に不足なき大將軍、浮世の思ひ出、早これまで。


[唄]

肝のたばねを一抉り切りさばき、あへなき息も絶え絶えに。



[母]

サア錦祥女、この世に心殘らぬか。



錦祥

なんの未練が殘りませう。


[唄]

云へども殘る夫婦の名殘、親子手に取り引寄せて、國性爺が扮裝を、見上げ見下ろし嬉しげに、笑顏を娑婆の形見にて、一度に息は絶えにけり。



[ト書]

ト母、錦祥女兩人よろしく思ひ入れあつて。


[唄]

鬼を欺く國性爺、龍虎と勇む伍將軍、涙に眼は眩めども、母の遺言背くまじ、妻の心を破らじと、國性爺は甘輝を耻ぢ、甘輝は又國性爺に、愧ぢて萎るゝ顏かくす、義勇劣らぬ英傑の、涙を含む鐵石心、泣くに優りし思ひなり。



[ト書]

ト甘輝和藤内、このうち愁ひの浮みし顏をそむけ、思ひ入れあつて、思はず落涙しかけ、ヂツと怺へし思ひ入れ。大オトシよろしくあつて


[唄]

甘輝心を取り直し。



甘輝

心合する上からは。



和藤

國家へ盡す。



兩人

忠義の首途、



和藤

御身が軍慮は、如何に/\。



甘輝

ホヽウ、我が出陣の手始めに。



[ト書]

ト軍配を取り思ひ入れあつて


[唄]

黄河の境に陣を敷き、右龍左龍虎先鋒とし、六千餘騎の隊伍を分ち、魚鱗鶴翼龍蛇の備へ、千變萬化と攻付けて、雲門關を乘取らば。



[ト書]

ト物語りよろしくあつて



[甘輝]

味方の勝利幸先よし。


[唄]

これにて鄭成勇み立ち。



和藤

ムヽ、ムヽ、ヘヽヽヽヽ、面白し潔し。


[唄]

我れはもと日の本の、頭を照す旭影。



[和藤]

旗差物も翩翻と、靡かば敵にも手段やあらん。


[唄]

孫呉が奇計の虚々實々、赤洞城を一騎駈け、粉灰微塵と踏破り、勝鬨あげんな目のあたり。



[和藤]

アラ心地よや、嬉しやなア。


[唄]

と勇み立つ。



[ト書]

ト和藤内キツと見得。甘輝こなしあつて



甘輝

生死二つを一道に



和藤

母の遺言釈迦の經。



甘輝

この虚に乘つて韃靼王の



和藤

髭首引拔き、イデ物見せん。



甘輝

ハア/\、潔し/\。


[唄]

玉ある淵は岸破れず、龍栖む池は水涸れず、かゝる勇者の出生す、國々たり君々たり。



[甘輝]

日本の麒麟、これならん。


[唄]

異國に武勇を照らしけり。



[ト書]

ト和藤内、上に、甘輝、下にて立身。これへ絹傘を差みかけ、皆々引張りの見得よく、唐樂をあしらひ、



國性爺合戰(終り)