口上
高うござりまするが、歌舞伎の古きならわしに從いまして、ふべんぜつなる口上なもって、申しあげたてまつりまする。さて、このたびごらんに入れまする、「鳴神」の儀にござりまするが、この狂言は、歌舞伎狂言の中におきましても、最も古きものにござりまして、「しばらく」「矢の根」「鎌ひげ」「スケロク」「勧進帳」などとともに、イチカワ家「歌舞伎十八番」の中に取り入れられましたるものにござりまする。
初めて、上演いたしましたるは、今よりちょうど、二六五年前、ジョウキョウ一年二月、エド、アサクサ、ナカムラ座におきまして、元祖イチカワ・ダンジュウロウの手により、「門松四天王」の題名のもとに、上演いたしましたるものにござりまする。そののち、カンポ二年一月、オウサカ、サドシマ座におきまして、「鳴神不動北山櫻」の題名にて、二代目イチカワ・ダンジュウロウが上演いたしましたるさいは、一月より七月まで、大入り客どめにて、うちつづけましたるものにござりまする。
かかる名狂言も、カエイ年間、八代目イチカワ・ダンジュウロウいらい、久しく、打ちたえておりましたるところ、メイジ四十三年五月、メイジザにおきまして、故人、イチカワ・サダンジ一座により、六十年ぶりに、復活いたしましたるものにござりまする。そののち、ショウワ十二年六月、当前進座、シンバシ演舞場において、取りあげましていらい、たびたび上演つかまつりまして、ただいまにては、前進座十八番のようにも相なっておりまするしだいにござりまする。さて、このたび、上演にあたりましては、取りわけ、古式にのっとりまして、根元歌舞伎のおもかげをつたえまするため、諸事おうまかに相つとめまする儀にござります。
さて、右よう、配役の儀は、鳴神上人、河原崎長十郎、雲の絶間(じつは里の女)河原崎國太郎、白雲坊、瀬川菊之丞、黒雲坊、中村公三郎、大ざつま、杵屋佐之助社中にて、まづは、このところ、「歌舞伎十八番鳴神」のはじまりにござりますれば、なにとぞ、日頃ごひいきのよけいを持ちまして、おうように御見物のほど、すみからすみまで、ずういと、こい願いあげたてまつります。
(口上、入る。)