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Title: Manyoshu [Book 11]
Author: Anonymous
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Makoto Yoshimura, Akihiro Okajima, et al.
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Sachiko Iwabuchi and Christine Ruotolo, University of Virginia Library Electronic Text Center.
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第十一巻旋頭歌2351
[原文]新室 壁草苅邇 御座給根 草如 依逢未通女者 公随 [訓読]新室の壁草刈りにいましたまはね草のごと寄り合ふ娘子は君がまにまに [仮名],にひむろの,かべくさかりに,いましたまはね,くさのごと,よりあふをとめは,きみがまにまに
2352
[原文]新室 踏静子之 手玉鳴裳 玉如 所照公乎 内等白世 [訓読]新室を踏み鎮む子が手玉鳴らすも玉のごと照らせる君を内にと申せ [仮名],にひむろを,ふみしづむこが,ただまならすも,たまのごと,てらせるきみを,うちにとまをせ
2353
[原文]長谷 弓槻下 吾隠在妻 赤根刺 所光月夜邇 人見點鴨 [一云 人見豆良牟可] [訓読]泊瀬の斎槻が下に我が隠せる妻あかねさし照れる月夜に人見てむかも [一云 人見つらむか] [仮名],はつせの,ゆつきがしたに,わがかくせるつま,あかねさし,てれるつくよに,ひとみてむかも,[ひとみつらむか]
2354
[原文]健男之 念乱而 隠在其妻 天地 通雖<光> 所顕目八方 [一云 大夫乃 思多鶏備弖] [訓読]ますらをの思ひ乱れて隠せるその妻天地に通り照るともあらはれめやも [一云 ますらをの思ひたけびて] [仮名],ますらをの,おもひみだれて,かくせるそのつま,あめつちに,とほりてるとも,あらはれめやも,[ますらをの,おもひたけびて]
2355
[原文]恵得 吾念妹者 早裳死耶 雖生 吾邇應依 人云名國 [訓読]愛しと我が思ふ妹は早も死なぬか生けりとも我れに寄るべしと人の言はなくに [仮名],うつくしと,あがおもふいもは,はやもしなぬか,いけりとも,われによるべしと,ひとのいはなくに
2356
[原文]狛錦 紐片<叙> 床落邇祁留 明夜志 将来得云者 取置<待> [訓読]高麗錦紐の片方ぞ床に落ちにける明日の夜し来なむと言はば取り置きて待たむ [仮名],こまにしき,ひものかたへぞ,とこにおちにける,あすのよし,きなむといはば,とりおきてまたむ
2357
[原文]朝戸出 公足結乎 閏露原 早起 出乍吾毛 裳下閏奈 [訓読]朝戸出の君が足結を濡らす露原早く起き出でつつ我れも裳裾濡らさな [仮名],あさとでの,きみがあゆひを,ぬらすつゆはら,はやくおき,いでつつわれも,もすそぬらさな
2358
[原文]何為 命本名 永欲為 雖生 吾念妹 安不相 [訓読]何せむに命をもとな長く欲りせむ生けりとも我が思ふ妹にやすく逢はなくに [仮名],なにせむに,いのちをもとな,ながくほりせむ,いけりとも,あがおもふいもに,やすくあはなくに
2359
[原文]息緒 吾雖念 人目多社 吹風 有數々 應相物 [訓読]息の緒に我れは思へど人目多みこそ吹く風にあらばしばしば逢ふべきものを [仮名],いきのをに,われはおもへど,ひとめおほみこそ,ふくかぜに,あらばしばしば,あふべきものを
2360
[原文]人祖 未通女兒居 守山邊柄 朝々 通公 不来哀 [訓読]人の親処女児据ゑて守山辺から朝な朝な通ひし君が来ねば悲しも [仮名],ひとのおや,をとめこすゑて,もるやまへから,あさなさな,かよひしきみが,こねばかなしも
2361
[原文]天在 一棚橋 何将行 穉草 妻所云 足<壮>嚴 [訓読]天なる一つ棚橋いかにか行かむ若草の妻がりと言はば足飾りせむ [仮名],あめなる,ひとつたなはし,いかにかゆかむ,わかくさの,つまがりといはば,あしかざりせむ
2362
[原文]開木代 来背若子 欲云余 相狭丸 吾欲云 開木代来背 [訓読]山背の久背の若子が欲しと言ふ我れあふさわに我れを欲しと言ふ山背の久世 [仮名],やましろの,くせのわくごが,ほしといふわれ,あふさわに,われをほしといふ,やましろのくぜ
2363
[原文]岡前 多未足道乎 人莫通 在乍毛 公之来 曲道為 [訓読]岡の崎廻みたる道を人な通ひそありつつも君が来まさむ避き道にせむ [仮名],をかのさき,たみたるみちを,ひとなかよひそ,ありつつも,きみがきまさむ,よきみちにせむ
2364
[原文]玉垂 小簾之寸鶏吉仁 入通来根 足乳根之 母我問者 風跡将申 [訓読]玉垂の小簾のすけきに入り通ひ来ねたらちねの母が問はさば風と申さむ [仮名],たまだれの,をすのすけきに,いりかよひこね,たらちねの,ははがとはさば,かぜとまをさむ
2365
[原文]内日左須 宮道尓相之 人妻<め> 玉緒之 念乱而 宿夜四曽多寸 [訓読]うちひさす宮道に逢ひし人妻ゆゑに玉の緒の思ひ乱れて寝る夜しぞ多き [仮名],うちひさす,みやぢにあひし,ひとづまゆゑに,たまのをの,おもひみだれて,ぬるよしぞおほき
2366
[原文]真十鏡 見之賀登念 妹相可聞 玉緒之 絶有戀之 繁比者 [訓読]まそ鏡見しかと思ふ妹も逢はぬかも玉の緒の絶えたる恋の繁きこのころ [仮名],まそかがみ,みしかとおもふ,いももあはぬかも,たまのをの,たえたるこひの,しげきこのころ
2367
[原文]海原乃 路尓乗哉 吾戀居 大舟之 由多尓将有 人兒由恵尓 [訓読]海原の道に乗りてや我が恋ひ居らむ大船のゆたにあるらむ人の子ゆゑに [仮名],うなはらの,みちにのりてや,あがこひをらむ,おほぶねの,ゆたにあるらむ,ひとのこゆゑに
正述心緒2368
[原文]垂乳根乃 母之手放 如是許 無為便事者 未為國 [訓読]たらちねの母が手離れかくばかりすべなきことはいまだせなくに [仮名],たらちねの,ははがてはなれ,かくばかり,すべなきことは,いまだせなくに
2369
[原文]人所寐 味宿不寐 早敷八四 公目尚 欲嘆 [或本歌云 公矣思尓 暁来鴨] [訓読]人の寝る味寐は寝ずてはしきやし君が目すらを欲りし嘆かむ [或本歌云 君を思ふに明けにけるかも] [仮名],ひとのぬる,うまいはねずて,はしきやし,きみがめすらを,ほりしなげかむ,[きみをおもふに,あけにけるかも]
2370
[原文]戀死 戀死耶 玉鉾 路行人 事告<無> [訓読]恋ひしなば恋ひも死ねとや玉桙の道行く人の言も告げなく [仮名],こひしなば,こひもしねとや,たまほこの,みちゆくひとの,こともつげなく
2371
[原文]心 千遍雖念 人不云 吾戀つ 見依鴨 [訓読]心には千重に思へど人に言はぬ我が恋妻を見むよしもがも [仮名],こころには,ちへにおもへど,ひとにいはぬ,あがこひづまを,みむよしもがも
2372
[原文]是量 戀物 知者 遠可見 有物 [訓読]かくばかり恋ひむものぞと知らませば遠くも見べくあらましものを [仮名],かくばかり,こひむものぞと,しらませば,とほくもみべく,あらましものを
2373
[原文]何時 不戀時 雖不有 夕方<任> 戀無乏 [訓読]いつはしも恋ひぬ時とはあらねども夕かたまけて恋ひはすべなし [仮名],いつはしも,こひぬときとは,あらねども,ゆふかたまけて,こひはすべなし
2374
[原文]是耳 戀度 玉切 不知命 歳經管 [訓読]かくのみし恋ひやわたらむたまきはる命も知らず年は経につつ [仮名],かくのみし,こひやわたらむ,たまきはる,いのちもしらず,としはへにつつ
2375
[原文]吾以後 所生人 如我 戀為道 相与勿湯目 [訓読]我れゆ後生まれむ人は我がごとく恋する道にあひこすなゆめ [仮名],われゆのち,うまれむひとは,あがごとく,こひするみちに,あひこすなゆめ
2376
[原文]健男 現心 吾無 夜晝不云 戀度 [訓読]ますらをの現し心も我れはなし夜昼といはず恋ひしわたれば [仮名],ますらをの,うつしごころも,われはなし,よるひるといはず,こひしわたれば
2377
[原文]何為 命継 吾妹 不戀前 死物 [訓読]何せむに命継ぎけむ我妹子に恋ひぬ前にも死なましものを [仮名],なにせむに,いのちつぎけむ,わぎもこに,こひぬさきにも,しなましものを
2378
[原文]吉恵哉 不来座公 何為 不Q吾 戀乍居 [訓読]よしゑやし来まさぬ君を何せむにいとはず我れは恋ひつつ居らむ [仮名],よしゑやし,きまさぬきみを,なにせむに,いとはずあれは,こひつつをらむ
2379
[原文]見度 近渡乎 廻 今哉来座 戀居 [訓読]見わたせば近き渡りをた廻り今か来ますと恋ひつつぞ居る [仮名],みわたせば,ちかきわたりを,たもとほり,いまかきますと,こひつつぞをる
2380
[原文]早敷哉 誰障鴨 玉桙 路見遺 公不来座 [訓読]はしきやし誰が障ふれかも玉桙の道見忘れて君が来まさぬ [仮名],はしきやし,たがさふれかも,たまほこの,みちみわすれて,きみがきまさぬ
2381
[原文]公目 見欲 是二夜 千歳如 吾戀哉 [訓読]君が目を見まく欲りしてこの二夜千年のごとも我は恋ふるかも [仮名],きみがめを,みまくほりして,このふたよ,ちとせのごとも,あはこふるかも
2382
[原文]打日刺 宮道人 雖満行 吾念公 正一人 [訓読]うち日さす宮道を人は満ち行けど我が思ふ君はただひとりのみ [仮名],うちひさす,みやぢをひとは,みちゆけど,あがおもふきみは,ただひとりのみ
2383
[原文]世中 常如 雖念 半手不<忘> 猶戀在 [訓読]世の中は常かくのみと思へどもはたた忘れずなほ恋ひにけり [仮名],よのなかは,つねかくのみと,おもへども,はたたわすれず,なほこひにけり
2384
[原文]我勢古波 幸座 遍来 我告来 人来鴨 [訓読]我が背子は幸くいますと帰り来と我れに告げ来む人も来ぬかも [仮名],わがせこは,さきくいますと,かへりくと,あれにつげこむ,ひともこぬかも
2385
[原文]<麁>玉 五年雖經 吾戀 跡無戀 不止恠 [訓読]あらたまの五年経れど我が恋の跡なき恋のやまなくあやし [仮名],あらたまの,いつとせふれど,あがこひの,あとなきこひの,やまなくあやし
2386
[原文]石尚 行應通 建男 戀云事 後悔在 [訓読]巌すら行き通るべきますらをも恋といふことは後悔いにけり [仮名],いはほすら,ゆきとほるべき,ますらをも,こひといふことは,のちくいにけり
2387
[原文]日<位> 人可知 今日 如千歳 有与鴨 [訓読]日並べば人知りぬべし今日の日は千年のごともありこせぬかも [仮名],ひならべば,ひとしりぬべし,けふのひは,ちとせのごとも,ありこせぬかも
2388
[原文]立座 <態>不知 雖念 妹不告 間使不来 [訓読]立ちて居てたづきも知らず思へども妹に告げねば間使も来ず [仮名],たちてゐて,たづきもしらず,おもへども,いもにつげねば,まつかひもこず
2389
[原文]烏玉 是夜莫明 朱引 朝行公 待苦 [訓読]ぬばたまのこの夜な明けそ赤らひく朝行く君を待たば苦しも [仮名],ぬばたまの,このよなあけそ,あからひく,あさゆくきみを,またばくるしも
2390
[原文]戀為 死為物 有<者> 我身千遍 死反 [訓読]恋するに死するものにあらませば我が身は千たび死にかへらまし [仮名],こひするに,しにするものに,あらませば,あがみはちたび,しにかへらまし
2391
[原文]玉響 昨夕 見物 今朝 可戀物 [訓読]玉かぎる昨日の夕見しものを今日の朝に恋ふべきものか [仮名],たまかぎる,きのふのゆふへ,みしものを,けふのあしたに,こふべきものか
2392
[原文]中々 不見有 従相見 戀心 益念 [訓読]なかなかに見ずあらましを相見てゆ恋ほしき心まして思ほゆ [仮名],なかなかに,みずあらましを,あひみてゆ,こほしきこころ,ましておもほゆ
2393
[原文]玉桙 道不行為有者 惻隠 此有戀 不相 [訓読]玉桙の道行かずあらばねもころのかかる恋には逢はざらましを [仮名],たまほこの,みちゆかずあらば,ねもころの,かかるこひには,あらざらましを
2394
[原文]朝影 吾身成 玉垣入 風所見 去子故 [訓読]朝影に我が身はなりぬ玉かきるほのかに見えて去にし子ゆゑに [仮名],あさかげに,あがみはなりぬ,たまかきる,ほのかにみえて,いにしこゆゑに
2395
[原文]行々 不相妹故 久方 天露霜 <沾>在哉 [訓読]行き行きて逢はぬ妹ゆゑひさかたの天露霜に濡れにけるかも [仮名],ゆきゆきて,あはぬいもゆゑ,ひさかたの,あまつゆしもに,ぬれにけるかも
2396
[原文]玉坂 吾見人 何有 依以 亦一目見 [訓読]たまさかに我が見し人をいかならむよしをもちてかまた一目見む [仮名],たまさかに,わがみしひとを,いかならむ,よしをもちてか,またひとめみむ
2397
[原文]ま 不見戀 吾妹 日々来 事繁 [訓読]しましくも見ぬば恋ほしき我妹子を日に日に来れば言の繁けく [仮名],しましくも,みぬばこほしき,わぎもこを,ひにひにくれば,ことのしげけく
2398
[原文]<玉>切 及世定 恃 公依 事繁 [訓読]たまきはる世までと定め頼みたる君によりてし言の繁けく [仮名],たまきはる,よまでとさだめ,たのみたる,きみによりてし,ことのしげけく
2399
[原文]朱引 秦不經 雖寐 心異 我不念 [訓読]赤らひく肌も触れずて寐ぬれども心を異には我が思はなくに [仮名],あからひく,はだもふれずて,いぬれども,こころをけには,わがおもはなくに
2400
[原文]伊田何 極太甚 利心 及失念 戀故 [訓読]いで何かここだはなはだ利心の失するまで思ふ恋ゆゑにこそ [仮名],いでなにか,ここだはなはだ,とごころの,うするまでおもふ,こひゆゑにこそ
2401
[原文]戀死 戀死哉 我妹 吾家門 過行 [訓読]恋ひ死なば恋ひも死ねとか我妹子が我家の門を過ぎて行くらむ [仮名],こひしなば,こひもしねとか,わぎもこが,わぎへのかどを,すぎてゆくらむ
2402
[原文]妹當 遠見者 恠 吾戀 相依無 [訓読]妹があたり遠くも見ればあやしくも我れは恋ふるか逢ふよしなしに [仮名],いもがあたり,とほくもみれば,あやしくも,あれはこふるか,あふよしなしに
2403
[原文]玉久世 清川原 身秡為 齊命 妹為 [訓読]玉くせの清き川原にみそぎして斎ふ命は妹がためこそ [仮名],たまくせの,きよきかはらに,みそぎして,いはふいのちは,いもがためこそ
2404
[原文]思依 見依 物有 一日間 忘念 [訓読]思ひ寄り見ては寄りにしものにあれば一日の間も忘れて思へや [仮名],おもひより,みてはよりにし,ものにあれば,ひとひのあひだも,わすれておもへや
2405
[原文]垣廬鳴 人雖云 狛錦 紐解開 公無 [訓読]垣ほなす人は言へども高麗錦紐解き開けし君ならなくに [仮名],かきほなす,ひとはいへども,こまにしき,ひもときあけし,きみならなくに
2406
[原文]狛錦 紐解開 夕<谷> 不知有命 戀有 [訓読]高麗錦紐解き開けて夕だに知らずある命恋ひつつかあらむ [仮名],こまにしき,ひもときあけて,ゆふへだに,しらずあるいのち,こひつつかあらむ
2407
[原文]百積 船潜納 八占刺 母雖問 其名不謂 [訓読]百積の船隠り入る八占さし母は問ふともその名は告らじ [仮名],ももさかの,ふねかくりいる,やうらさし,はははとふとも,そのなはのらじ
2408
[原文]眉根削 鼻鳴紐解 待哉 何時見 念<吾> [訓読]眉根掻き鼻ひ紐解け待つらむかいつかも見むと思へる我れを [仮名],まよねかき,はなひひもとけ,まつらむか,いつかもみむと,おもへるわれを
2409
[原文]君戀 浦經居 悔 我裏紐 結手徒 [訓読]君に恋ひうらぶれ居れば悔しくも我が下紐の結ふ手いたづらに [仮名],きみにこひ,うらぶれをれば,くやしくも,わがしたびもの,ゆふていたづらに
2410
[原文]璞之 年者竟杼 敷白之 袖易子少 忘而念哉 [訓読]あらたまの年は果つれど敷栲の袖交へし子を忘れて思へや [仮名],あらたまの,としははつれど,しきたへの,そでかへしこを,わすれておもへや
2411
[原文]白細布 袖小端 見柄 如是有戀 吾為鴨 [訓読]白栲の袖をはつはつ見しからにかかる恋をも我れはするかも [仮名],しろたへの,そでをはつはつ,みしからに,かかるこひをも,あれはするかも
2412
[原文]我妹 戀無乏 夢見 吾雖念 不所寐 [訓読]我妹子に恋ひすべながり夢に見むと我れは思へど寐ねらえなくに [仮名],わぎもこに,こひすべながり,いめにみむと,われはおもへど,いねらえなくに
2413
[原文]故無 吾裏紐 令解 人莫知 及正逢 [訓読]故もなく我が下紐を解けしめて人にな知らせ直に逢ふまでに [仮名],ゆゑもなく,わがしたびもを,とけしめて,ひとになしらせ,ただにあふまでに
2414
[原文]戀事 意追不得 出行者 山川 不知来 [訓読]恋ふること慰めかねて出でて行けば山を川をも知らず来にけり [仮名],こふること,なぐさめかねて,いでてゆけば,やまをかはをも,しらずきにけり
寄物陳思2415
[原文]處女等乎 袖振山 水垣<乃> 久時由 念来吾等者 [訓読]娘子らを袖振る山の瑞垣の久しき時ゆ思ひけり我れは [仮名],をとめらを,そでふるやまの,みづかきの,ひさしきときゆ,おもひけりわれは
2416
[原文]千早振 神持在 命 誰為 長欲為 [訓読]ちはやぶる神の持たせる命をば誰がためにかも長く欲りせむ [仮名],ちはやぶる,かみのもたせる,いのちをば,たがためにかも,ながくほりせむ
2417
[原文]石上 振神杉 神成 戀我 更為鴨 [訓読]石上布留の神杉神さぶる恋をも我れはさらにするかも [仮名],いそのかみ,ふるのかむすぎ,かむさぶる,こひをもあれは,さらにするかも
2418
[原文]何 名負神 幣嚮奉者 吾念妹 夢谷見 [訓読]いかならむ名負ふ神に手向けせば我が思ふ妹を夢にだに見む [仮名],いかならむ,なおふかみにし,たむけせば,あがおもふいもを,いめにだにみむ
2419
[原文]天地 言名絶 有 汝吾 相事止 [訓読]天地といふ名の絶えてあらばこそ汝と我れと逢ふことやまめ [仮名],あめつちと,いふなのたえて,あらばこそ,いましとあれと,あふことやまめ
2420
[原文]月見 國同 山隔 愛妹 隔有鴨 [訓読]月見れば国は同じぞ山へなり愛し妹はへなりたるかも [仮名],つきみれば,くにはおやじぞ,やまへなり,うつくしいもは,へなりたるかも
2421
[原文]も路者 石踏山 無鴨 吾待公 馬爪盡 [訓読]来る道は岩踏む山はなくもがも我が待つ君が馬つまづくに [仮名],くるみちは,いはふむやまは,なくもがも,わがまつきみが,うまつまづくに
2422
[原文]石根踏 重成山 雖不有 不相日數 戀度鴨 [訓読]岩根踏みへなれる山はあらねども逢はぬ日まねみ恋ひわたるかも [仮名],いはねふみ,へなれるやまは,あらねども,あはぬひまねみ,こひわたるかも
2423
[原文]路後 深津嶋山 ま 君目不見 苦有 [訓読]道の後深津島山しましくも君が目見ねば苦しかりけり [仮名],みちのしり,ふかつしまやま,しましくも,きみがめみねば,くるしかりけり
2424
[原文]紐鏡 能登香山 誰故 君来座在 紐不開寐 [訓読]紐鏡能登香の山も誰がゆゑか君来ませるに紐解かず寝む [仮名],ひもかがみ,のとかのやまも,たがゆゑか,きみきませるに,ひもとかずねむ
2425
[原文]山科 強田山 馬雖在 歩吾来 汝念不得 [訓読]山科の木幡の山を馬はあれど徒歩より我が来し汝を思ひかねて [仮名],やましなの,こはたのやまを,うまはあれど,かちよりわがこし,なをおもひかねて
2426
[原文]遠山 霞被 益遐 妹目不見 吾戀 [訓読]遠山に霞たなびきいや遠に妹が目見ねば我れ恋ひにけり [仮名],とほやまに,かすみたなびき,いやとほに,いもがめみねば,あれこひにけり
2427
[原文]是川 瀬々敷浪 布々 妹心 乗在鴨 [訓読]宇治川の瀬々のしき波しくしくに妹は心に乗りにけるかも [仮名],うぢかはの,せぜのしきなみ,しくしくに,いもはこころに,のりにけるかも
2428
[原文]千早人 宇治度 速瀬 不相有 後我つ [訓読]ちはや人宇治の渡りの瀬を早み逢はずこそあれ後も我が妻 [仮名],ちはやひと,うぢのわたりの,せをはやみ,あはずこそあれ,のちもわがつま
2429
[原文]早敷哉 不相子故 徒 是川瀬 裳襴潤 [訓読]はしきやし逢はぬ子ゆゑにいたづらに宇治川の瀬に裳裾濡らしつ [仮名],はしきやし,あはぬこゆゑに,いたづらに,うぢがはのせに,もすそぬらしつ
2430
[原文]是川 水阿和逆纒 行水 事不反 思始為 [訓読]宇治川の水泡さかまき行く水の事かへらずぞ思ひ染めてし [仮名],うぢかはの,みなあわさかまき,ゆくみづの,ことかへらずぞ,おもひそめてし
2431
[原文]鴨川 後瀬静 後相 妹者我 雖不今 [訓読]鴨川の後瀬静けく後も逢はむ妹には我れは今ならずとも [仮名],かもがはの,のちせしづけく,のちもあはむ,いもにはわれは,いまならずとも
2432
[原文]言出 云忌々 山川之 當都心 塞耐在 [訓読]言に出でて言はばゆゆしみ山川のたぎつ心を塞かへたりけり [仮名],ことにいでて,いはばゆゆしみ,やまがはの,たぎつこころを,せかへたりけり
2433
[原文]水上 如數書 吾命 妹相 受日鶴鴨 [訓読]水の上に数書くごとき我が命妹に逢はむとうけひつるかも [仮名],みづのうへに,かずかくごとき,わがいのち,いもにあはむと,うけひつるかも
2434
[原文]荒礒越 外徃波乃 外心 吾者不思 戀而死鞆 [訓読]荒礒越し外行く波の外心我れは思はじ恋ひて死ぬとも [仮名],ありそこし,ほかゆくなみの,ほかごころ,われはおもはじ,こひてしぬとも
2435
[原文]淡海々 奥白浪 雖不知 妹所云 七日越来 [訓読]近江の海沖つ白波知らずとも妹がりといはば七日越え来む [仮名],あふみのうみ,おきつしらなみ,しらずとも,いもがりといはば,なぬかこえこむ
2436
[原文]大船 香取海 慍下 何有人 物不念有 [訓読]大船の香取の海にいかり下ろしいかなる人か物思はずあらむ [仮名],おほぶねの,かとりのうみに,いかりおろし,いかなるひとか,ものもはずあらむ
2437
[原文]奥藻 隠障浪 五百重浪 千重敷々 戀度鴨 [訓読]沖つ裳を隠さふ波の五百重波千重しくしくに恋ひわたるかも [仮名],おきつもを,かくさふなみの,いほへなみ,ちへしくしくに,こひわたるかも
2438
[原文]人事 ま吾妹 縄手引 従海益 深念 [訓読]人言はしましぞ我妹綱手引く海ゆまさりて深くしぞ思ふ [仮名],ひとごとは,しましぞわぎも,つなてひく,うみゆまさりて,ふかくしぞおもふ
2439
[原文]淡海 奥嶋山 奥儲 吾念妹 事繁 [訓読]近江の海沖つ島山奥まけて我が思ふ妹が言の繁けく [仮名],あふみのうみ,おきつしまやま,おくまけて,あがおもふいもが,ことのしげけく
2440
[原文]近江海 奥滂船 重下 蔵公之 事待吾序 [訓読]近江の海沖漕ぐ舟のいかり下ろし隠りて君が言待つ我れぞ [仮名],あふみのうみ,おきこぐふねの,いかりおろし,こもりてきみが,ことまつわれぞ
2441
[原文]隠沼 従裏戀者 無乏 妹名告 忌物矣 [訓読]隠り沼の下ゆ恋ふればすべをなみ妹が名告りつ忌むべきものを [仮名],こもりぬの,したゆこふれば,すべをなみ,いもがなのりつ,いむべきものを
2442
[原文]大土 採雖盡 世中 盡不得物 戀在 [訓読]大地は取り尽すとも世の中の尽しえぬものは恋にしありけり [仮名],おほつちは,とりつくすとも,よのなかの,つくしえぬものは,こひにしありけり
2443
[原文]隠處 澤泉在 石根 通念 吾戀者 [訓読]隠りどの沢泉なる岩が根も通してぞ思ふ我が恋ふらくは [仮名],こもりどの,さはいづみにある,いはがねも,とほしてぞおもふ,あがこふらくは
2444
[原文]白檀 石邊山 常石有 命哉 戀乍居 [訓読]白真弓石辺の山の常磐なる命なれやも恋ひつつ居らむ [仮名],しらまゆみ,いしへのやまの,ときはなる,いのちなれやも,こひつつをらむ
2445
[原文]淡海々 沈白玉 不知 従戀者 今益 [訓読]近江の海沈く白玉知らずして恋ひせしよりは今こそまされ [仮名],あふみのうみ,しづくしらたま,しらずして,こひせしよりは,いまこそまされ
2446
[原文]白玉 纒持 従今 吾玉為 知時谷 [訓読]白玉を巻きてぞ持てる今よりは我が玉にせむ知れる時だに [仮名],しらたまを,まきてぞもてる,いまよりは,わがたまにせむ,しれるときだに
2447
[原文]白玉 従手纒 不<忘> 念 何畢 [訓読]白玉を手に巻きしより忘れじと思ひけらくは何か終らむ [仮名],しらたまを,てにまきしより,わすれじと,おもひけらくは,なにかをはらむ
2448
[原文]<白>玉 間開乍 貫緒 縛依 後相物 [訓読]白玉の間開けつつ貫ける緒もくくり寄すれば後もあふものを [仮名],しらたまの,あひだあけつつ,ぬけるをも,くくりよすれば,のちもあふものを
2449
[原文]香山尓 雲位桁曵 於保々思久 相見子等乎 後戀牟鴨 [訓読]香具山に雲居たなびきおほほしく相見し子らを後恋ひむかも [仮名],かぐやまに,くもゐたなびき,おほほしく,あひみしこらを,のちこひむかも
2450
[原文]雲間従 狭や月乃 於保々思久 相見子等乎 見因鴨 [訓読]雲間よりさ渡る月のおほほしく相見し子らを見むよしもがも [仮名],くもまより,さわたるつきの,おほほしく,あひみしこらを,みむよしもがも
2451
[原文]天雲 依相遠 雖不相 異手枕 吾纒哉 [訓読]天雲の寄り合ひ遠み逢はずとも異し手枕我れまかめやも [仮名],あまくもの,よりあひとほみ,あはずとも,あたしたまくら,われまかめやも
2452
[原文]雲谷 灼發 意追 見乍<居> 及直相 [訓読]雲だにもしるくし立たば慰めて見つつも居らむ直に逢ふまでに [仮名],くもだにも,しるくしたたば,なぐさめて,みつつもをらむ,ただにあふまでに
2453
[原文]春楊 葛山 發雲 立座 妹念 [訓読]春柳葛城山に立つ雲の立ちても居ても妹をしぞ思ふ [仮名],はるやなぎ,かづらきやまに,たつくもの,たちてもゐても,いもをしぞおもふ
2454
[原文]春日山 雲座隠 雖遠 家不念 公念 [訓読]春日山雲居隠りて遠けども家は思はず君をしぞ思ふ [仮名],かすがやま,くもゐかくりて,とほけども,いへはおもはず,きみをしぞおもふ
2455
[原文]我故 所云妹 高山之 峯朝霧 過兼鴨 [訓読]我がゆゑに言はれし妹は高山の嶺の朝霧過ぎにけむかも [仮名],わがゆゑに,いはれしいもは,たかやまの,みねのあさぎり,すぎにけむかも
2456
[原文]烏玉 黒髪山 山草 小雨零敷 益々所<思> [訓読]ぬばたまの黒髪山の山菅に小雨降りしきしくしく思ほゆ [仮名],ぬばたまの,くろかみやまの,やますげに,こさめふりしき,しくしくおもほゆ
2457
[原文]大野 小雨被敷 木本 時依来 我念人 [訓読]大野らに小雨降りしく木の下に時と寄り来ね我が思ふ人 [仮名],おほのらに,こさめふりしく,このもとに,ときとよりこね,わがおもふひと
2458
[原文]朝霜 消々 念乍 何此夜 明鴨 [訓読]朝霜の消なば消ぬべく思ひつついかにこの夜を明かしてむかも [仮名],あさしもの,けなばけぬべく,おもひつつ,いかにこのよを,あかしてむかも
2459
[原文]吾背兒我 濱行風 弥急 急事 益不相有 [訓読]我が背子が浜行く風のいや早に言を早みかいや逢はずあらむ [仮名],わがせこが,はまゆくかぜの,いやはやに,ことをはやみか,いやあはずあらむ
2460
[原文]遠妹 振仰見 偲 是月面 雲勿棚引 [訓読]遠き妹が振り放け見つつ偲ふらむこの月の面に雲なたなびき [仮名],とほきいもが,ふりさけみつつ,しのふらむ,このつきのおもに,くもなたなびき
2461
[原文]山葉 追出月 端々 妹見鶴 及戀 [訓読]山の端を追ふ三日月のはつはつに妹をぞ見つる恋ほしきまでに [仮名],やまのはを,おふみかつきの,はつはつに,いもをぞみつる,こほしきまでに
2462
[原文]我妹 吾矣念者 真鏡 照出月 影所見来 [訓読]我妹子し我れを思はばまそ鏡照り出づる月の影に見え来ね [仮名],わぎもこし,われをおもはば,まそかがみ,てりいづるつきの,かげにみえこね
2463
[原文]久方 天光月 隠去 何名副 妹偲 [訓読]久方の天照る月の隠りなば何になそへて妹を偲はむ [仮名],ひさかたの,あまてるつきの,かくりなば,なにになそへて,いもをしのはむ
2464
[原文]若月 清不見 雲隠 見欲 宇多手比日 [訓読]三日月のさやにも見えず雲隠り見まくぞ欲しきうたてこのころ [仮名],みかづきの,さやにもみえず,くもがくり,みまくぞほしき,うたてこのころ
2465
[原文]我背兒尓 吾戀居者 吾屋戸之 草佐倍思 浦乾来 [訓読]我が背子に我が恋ひ居れば我が宿の草さへ思ひうらぶれにけり [仮名],わがせこに,あがこひをれば,わがやどの,くささへおもひ,うらぶれにけり
2466
[原文]朝茅原 小野印 <空>事 何在云 公待 [訓読]浅茅原小野に標結ふ空言をいかなりと言ひて君をし待たむ [仮名],あさぢはら,をのにしめゆふ,むなことを,いかなりといひて,きみをしまたむ
2467
[原文]路邊 草深百合之 後云 妹命 我知 [訓読]道の辺の草深百合の後もと言ふ妹が命を我れ知らめやも [仮名],みちのへの,くさふかゆりの,のちもといふ,いもがいのちを,われしらめやも
2468
[原文]<湖>葦 交在草 知草 人皆知 吾裏念 [訓読]港葦に交じれる草のしり草の人皆知りぬ我が下思ひは [仮名],みなとあしに,まじれるくさの,しりくさの,ひとみなしりぬ,わがしたもひは
2469
[原文]山<萵>苣 白露重 浦經 心深 吾戀不止 [訓読]山ぢさの白露重みうらぶれて心も深く我が恋やまず [仮名],やまぢさの,しらつゆおもみ,うらぶれて,こころもふかく,あがこひやまず
2470
[原文]<湖> 核延子菅 不竊隠 公戀乍 有不勝鴨 [訓読]港にさ根延ふ小菅ぬすまはず君に恋ひつつありかてぬかも [仮名],みなとに,さねばふこすげ,ぬすまはず,きみにこひつつ,ありかてぬかも
2471
[原文]山代 泉小菅 凡浪 妹心 吾不念 [訓読]山背の泉の小菅なみなみに妹が心を我が思はなくに [仮名],やましろの,いづみのこすげ,なみなみに,いもがこころを,わがおもはなくに
2472
[原文]見渡 三室山 石穂菅 惻隠吾 片念為 [一云 三諸山之 石小菅] [訓読]見わたしの三室の山の巌菅ねもころ我れは片思ぞする [一云 みもろの山の岩小菅] [仮名],みわたしの,みむろのやまの,いはほすげ,ねもころわれは,かたもひぞする,[みもろのやまの,いはこすげ]
2473
[原文]菅根 惻隠君 結為 我紐緒 解人不有 [訓読]菅の根のねもころ君が結びてし我が紐の緒を解く人もなし [仮名],すがのねの,ねもころきみが,むすびてし,わがひものをを,とくひともなし
2474
[原文]山菅 乱戀耳 令為乍 不相妹鴨 年經乍 [訓読]山菅の乱れ恋のみせしめつつ逢はぬ妹かも年は経につつ [仮名],やますげの,みだれこひのみ,せしめつつ,あはぬいもかも,としはへにつつ
2475
[原文]我屋戸 甍子太草 雖生 戀忘草 見未生 [訓読]我が宿の軒にしだ草生ひたれど恋忘れ草見れどいまだ生ひず [仮名],わがやどは,のきにしだくさ,おひたれど,こひわすれくさ,みれどいまだおひず
2476
[原文]打田 稗數多 雖有 擇為我 夜一人宿 [訓読]打つ田には稗はしあまたありといへど選えし我れぞ夜をひとり寝る [仮名],うつたには,ひえはしあまた,ありといへど,えらえしわれぞ,よをひとりぬる
2477
[原文]足引 名負山菅 押伏 君結 不相有哉 [訓読]あしひきの名負ふ山菅押し伏せて君し結ばば逢はずあらめやも [仮名],あしひきの,なおふやますげ,おしふせて,きみしむすばば,あはずあらめやも
2478
[原文]秋柏 潤和川邊 細竹目 人不顏面 <公无>勝 [訓読]秋柏潤和川辺の小竹の芽の人には忍び君に堪へなくに [仮名],あきかしは,うるわかはへの,しののめの,ひとにはしのび,きみにあへなくに
2479
[原文]核葛 後相 夢耳 受日度 年經乍 [訓読]さね葛後も逢はむと夢のみにうけひわたりて年は経につつ [仮名],さねかづら,のちもあはむと,いめのみに,うけひわたりて,としはへにつつ
2480
[原文]路邊 壹師花 灼然 人皆知 我戀つ [或本歌<曰> 灼然 人知尓家里 継而之念者] [訓読]道の辺のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我が恋妻は [或本歌曰 いちしろく人知りにけり継ぎてし思へば] [仮名],みちのへの,いちしのはなの,いちしろく,ひとみなしりぬ,あがこひづまは,[いちしろく,ひとしりにけり,つぎてしおもへば]
2481
[原文]大野 跡状不知 印結 有不得 吾眷 [訓読]大野らにたどきも知らず標結ひてありかつましじ我が恋ふらくは [仮名],おほのらに,たづきもしらず,しめゆひて,ありかつましじ,あがこふらくは
2482
[原文]水底 生玉藻 打靡 心依 戀比日 [訓読]水底に生ふる玉藻のうち靡き心は寄りて恋ふるこのころ [仮名],みなそこに,おふるたまもの,うちなびき,こころはよりて,こふるこのころ
2483
[原文]敷栲之 衣手離而 玉藻成 靡可宿濫 和乎待難尓 [訓読]敷栲の衣手離れて玉藻なす靡きか寝らむ我を待ちかてに [仮名],しきたへの,ころもでかれて,たまもなす,なびきかぬらむ,わをまちかてに
2484
[原文]君不来者 形見為等 我二人 殖松木 君乎待出牟 [訓読]君来ずは形見にせむと我がふたり植ゑし松の木君を待ち出でむ [仮名],きみこずは,かたみにせむと,わがふたり,うゑしまつのき,きみをまちいでむ
2485
[原文]袖振 可見限 吾雖有 其松枝 隠在 [訓読]袖振らば見ゆべき限り我れはあれどその松が枝に隠らひにけり [仮名],そでふらば,みゆべきかぎり,われはあれど,そのまつがえに,かくらひにけり
2486
[原文]珍海 濱邊小松 根深 吾戀度 人子め [訓読]茅渟の海の浜辺の小松根深めて我れ恋ひわたる人の子ゆゑに [仮名],ちぬのうみの,はまへのこまつ,ねふかめて,あれこひわたる,ひとのこゆゑに
2486S
[原文]血沼之海之 塩干能小松 根母己呂尓 戀屋度 人兒故尓 [訓読]茅渟の海の潮干の小松ねもころに恋ひやわたらむ人の子ゆゑに [仮名]ちぬのうみの,しほひのこまつ,ねもころに,こひやわたらむ,ひとのこゆゑに
2487
[原文]平山 子松末 有廉叙波 我思妹 不相止<者> [訓読]奈良山の小松が末のうれむぞは我が思ふ妹に逢はずやみなむ [仮名],ならやまの,こまつがうれの,うれむぞは,あがおもふいもに,あはずやみなむ
2488
[原文]礒上 立廻香<樹> 心哀 何深目 念始 [訓読]礒の上に立てるむろの木ねもころに何しか深め思ひそめけむ [仮名],いそのうへに,たてるむろのき,ねもころに,なにしかふかめ,おもひそめけむ
2489
[原文]橘 本我立 下枝取 成哉君 問子等 [訓読]橘の本に我を立て下枝取りならむや君と問ひし子らはも [仮名],たちばなの,もとにわをたて,しづえとり,ならむやきみと,とひしこらはも
2490
[原文]天雲尓 翼打附而 飛鶴乃 多頭々々思鴨 君不座者 [訓読]天雲に翼打ちつけて飛ぶ鶴のたづたづしかも君しまさねば [仮名],あまくもに,はねうちつけて,とぶたづの,たづたづしかも,きみしまさねば
2491
[原文]妹戀 不寐朝明 男為鳥 従是此度 妹使 [訓読]妹に恋ひ寐ねぬ朝明にをし鳥のこゆかく渡る妹が使か [仮名],いもにこひ,いねぬあさけに,をしどりの,こゆかくわたる,いもがつかひか
2492
[原文]念 餘者 丹穂鳥 足<沾>来 人見鴨 [訓読]思ひにしあまりにしかばにほ鳥のなづさひ来しを人見けむかも [仮名],おもひにし,あまりにしかば,にほどりの,なづさひこしを,ひとみけむかも
2493
[原文]高山 峯行完 <友>衆 袖不振来 忘念勿 [訓読]高山の嶺行くししの友を多み袖振らず来ぬ忘ると思ふな [仮名],たかやまの,みねゆくししの,ともをおほみ,そでふらずきぬ,わするとおもふな
2494
[原文]大船 真楫繁拔 榜間 極太戀 年在如何 [訓読]大船に真楫しじ貫き漕ぐほともここだ恋ふるを年にあらばいかに [仮名],おほぶねに,まかぢしじぬき,こぐほとも,ここだこふるを,としにあらばいかに
2495
[原文]足常 母養子 眉隠 隠在妹 見依鴨 [訓読]たらつねの母が養ふ蚕の繭隠り隠れる妹を見むよしもがも [仮名],たらつねの,ははがかふこの,まよごもり,こもれるいもを,みむよしもがも
2496
[原文]肥人 額髪結在 染木綿 染心 我忘哉 [一云 所忘目八方] [訓読]肥人の額髪結へる染木綿の染みにし心我れ忘れめや [一云 忘らえめやも] [仮名],こまひとの,ぬかがみゆへる,しめゆふの,しみにしこころ,われわすれめや,[わすらえめやも]
2497
[原文]早人 名負夜音 灼然 吾名謂 つ恃 [訓読]隼人の名に負ふ夜声のいちしろく我が名は告りつ妻と頼ませ [仮名],はやひとの,なにおふよごゑの,いちしろく,わがなはのりつ,つまとたのませ
2498
[原文]剱刀 諸刃利 足踏 死々 公依 [訓読]剣大刀諸刃の利きに足踏みて死なば死なむよ君によりては [仮名],つるぎたち,もろはのときに,あしふみて,しなばしなむよ,きみによりては
2499
[原文]我妹 戀度 劔刀 名惜 念不得 [訓読]我妹子に恋ひしわたれば剣大刀名の惜しけくも思ひかねつも [仮名],わぎもこに,こひしわたれば,つるぎたち,なのをしけくも,おもひかねつも
2500
[原文]朝月 日向黄楊櫛 雖舊 何然公 見不飽 [訓読]朝月の日向黄楊櫛古りぬれど何しか君が見れど飽かざらむ [仮名],あさづきの,ひむかつげくし,ふりぬれど,なにしかきみが,みれどあかざらむ
2501
[原文]里遠 眷浦經 真鏡 床重不去 夢所見与 [訓読]里遠み恋ひうらぶれぬまそ鏡床の辺去らず夢に見えこそ [仮名],さとどほみ,こひうらぶれぬ,まそかがみ,とこのへさらず,いめにみえこそ
2502
[原文]真鏡 手取以 朝々 雖見君 飽事無 [訓読]まそ鏡手に取り持ちて朝な朝な見れども君は飽くこともなし [仮名],まそかがみ,てにとりもちて,あさなさな,みれどもきみは,あくこともなし
2503
[原文]夕去 床重不去 黄楊枕 <何>然汝 主待固 [訓読]夕されば床の辺去らぬ黄楊枕何しか汝れが主待ちかたき [仮名],ゆふされば,とこのへさらぬ,つげまくら,なにしかなれが,ぬしまちかたき
2504
[原文]解衣 戀乱乍 浮沙 生吾 <有>度鴨 [訓読]解き衣の恋ひ乱れつつ浮き真砂生きても我れはありわたるかも [仮名],とききぬの,こひみだれつつ,うきまなご,いきてもわれは,ありわたるかも
2505
[原文]梓弓 引不許 有者 此有戀 不相 [訓読]梓弓引きてゆるさずあらませばかかる恋にはあはざらましを [仮名],あづさゆみ,ひきてゆるさず,あらませば,かかるこひには,あはざらましを
2506
[原文]事霊 八十衢 夕占問 占正謂 妹相依 [訓読]言霊の八十の街に夕占問ふ占まさに告る妹は相寄らむ [仮名],ことだまの,やそのちまたに,ゆふけとふ,うらまさにのる,いもはあひよらむ
2507
[原文]玉桙 路徃占 占相 妹逢 我謂 [訓読]玉桙の道行き占に占なへば妹に逢はむと我れに告りつも [仮名],たまほこの,みちゆきうらに,うらなへば,いもにあはむと,われにのりつも
問答2508
[原文]皇祖乃 神御門乎 懼見等 侍従時尓 相流公鴨 [訓読]すめろぎの神の御門を畏みとさもらふ時に逢へる君かも [仮名],すめろぎの,かみのみかどを,かしこみと,さもらふときに,あへるきみかも
2509
[原文]真祖鏡 雖見言哉 玉限 石垣淵乃 隠而在つ [訓読]まそ鏡見とも言はめや玉かぎる岩垣淵の隠りたる妻 [仮名],まそかがみ,みともいはめや,たまかぎる,いはがきふちの,こもりたるつま
2510
[原文]赤駒之 足我枳速者 雲居尓毛 隠徃序 袖巻吾妹 [訓読]赤駒が足掻速けば雲居にも隠り行かむぞ袖まけ我妹 [仮名],あかごまが,あがきはやけば,くもゐにも,かくりゆかむぞ,そでまけわぎも
2511
[原文]隠口乃 豊泊瀬道者 常<滑>乃 恐道曽 戀由眼 [訓読]こもりくの豊泊瀬道は常滑のかしこき道ぞ恋ふらくはゆめ [仮名],こもりくの,とよはつせぢは,とこなめの,かしこきみちぞ,こふらくはゆめ
2512
[原文]味酒之 三毛侶乃山尓 立月之 見我欲君我 馬之<音>曽為 [訓読]味酒のみもろの山に立つ月の見が欲し君が馬の音ぞする [仮名],うまさけの,みもろのやまに,たつつきの,みがほしきみが,うまのおとぞする
2513
[原文]雷神 小動 刺雲 雨零耶 君将留 [訓読]鳴る神の少し響みてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ [仮名],なるかみの,すこしとよみて,さしくもり,あめもふらぬか,きみをとどめむ
2514
[原文]雷神 小動 雖不零 吾将留 妹留者 [訓読]鳴る神の少し響みて降らずとも我は留まらむ妹し留めば [仮名],なるかみの,すこしとよみて,ふらずとも,わはとどまらむ,いもしとどめば
2515
[原文]布細布 枕動 夜不寐 思人 後相物 [訓読]敷栲の枕響みて夜も寝ず思ふ人には後も逢ふものを [仮名],しきたへの,まくらとよみて,よるもねず,おもふひとには,のちもあふものを
2516
[原文]敷細布 枕人 事問哉 其枕 苔生負為 [訓読]敷栲の枕は人に言とへやその枕には苔生しにたり [仮名],しきたへの,まくらはひとに,こととへや,そのまくらには,こけむしにたり
正述心緒2517
[原文]足千根乃 母尓障良婆 無用 伊麻思毛吾毛 事應成 [訓読]たらちねの母に障らばいたづらに汝も我れも事なるべしや [仮名],たらちねの,ははにさはらば,いたづらに,いましもあれも,ことなるべしや
2518
[原文]吾妹子之 吾呼送跡 白細布乃 袂漬左右二 哭四所念 [訓読]我妹子が我れを送ると白栲の袖漬つまでに泣きし思ほゆ [仮名],わぎもこが,われをおくると,しろたへの,そでひつまでに,なきしおもほゆ
2519
[原文]奥山之 真木乃板戸乎 押開 思恵也出来根 後者何将為 [訓読]奥山の真木の板戸を押し開きしゑや出で来ね後は何せむ [仮名],おくやまの,まきのいたとを,おしひらき,しゑやいでこね,のちはなにせむ
2520
[原文]苅薦能 一重S敷而 紗眠友 君共宿者 冷雲梨 [訓読]刈り薦の一重を敷きてさ寝れども君とし寝れば寒けくもなし [仮名],かりこもの,ひとへをしきて,さぬれども,きみとしぬれば,さむけくもなし
2521
[原文]垣幡 丹<頬>經君S 率尓 思出乍 嘆鶴鴨 [訓読]かきつはた丹つらふ君をいささめに思ひ出でつつ嘆きつるかも [仮名],かきつはた,につらふきみを,いささめに,おもひいでつつ,なげきつるかも
2522
[原文]恨登 思狭名<盤> 在之者 外耳見之 心者雖念 [訓読]恨めしと思ふさなはにありしかば外のみぞ見し心は思へど [仮名],うらめしと,おもふさなはに,ありしかば,よそのみぞみし,こころはおもへど
2523
[原文]散<頬>相 色者不出 小文 心中 吾念名君 [訓読]さ丹つらふ色には出でず少なくも心のうちに我が思はなくに [仮名],さにつらふ,いろにはいでず,すくなくも,こころのうちに,わがおもはなくに
2524
[原文]吾背子尓 直相者社 名者立米 事之通尓 何其故 [訓読]我が背子に直に逢はばこそ名は立ため言の通ひに何かそこゆゑ [仮名],わがせこに,ただにあはばこそ,なはたため,ことのかよひに,なにかそこゆゑ
2525
[原文]懃 片<念>為歟 比者之 吾情利乃 生戸裳名寸 [訓読]ねもころに片思ひすれかこのころの我が心どの生けるともなき [仮名],ねもころに,かたもひすれか,このころの,あがこころどの,いけるともなき
2526
[原文]将待尓 到者妹之 懽跡 咲儀乎 徃而早見 [訓読]待つらむに至らば妹が嬉しみと笑まむ姿を行きて早見む [仮名],まつらむに,いたらばいもが,うれしみと,ゑまむすがたを,ゆきてはやみむ
2527
[原文]誰此乃 吾屋戸来喚 足千根乃 母尓所嘖 物思吾呼 [訓読]誰れぞこの我が宿来呼ぶたらちねの母に嘖はえ物思ふ我れを [仮名],たれぞこの,わがやどきよぶ,たらちねの,ははにころはえ,ものもふわれを
2528
[原文]左不宿夜者 千夜毛有十万 我背子之 思可悔 心者不持 [訓読]さ寝ぬ夜は千夜にありとも我が背子が思ひ悔ゆべき心は持たじ [仮名],さねぬよは,ちよにありとも,わがせこが,おもひくゆべき,こころはもたじ
2529
[原文]家人者 路毛四美三荷 雖<徃>来 吾待妹之 使不来鴨 [訓読]家人は道もしみみに通へども我が待つ妹が使来ぬかも [仮名],いへびとは,みちもしみみに,かよへども,わがまついもが,つかひこぬかも
2530
[原文]璞之 寸戸我竹垣 編目従毛 妹志所見者 吾戀目八方 [訓読]あらたまの寸戸が竹垣網目ゆも妹し見えなば我れ恋ひめやも [仮名],あらたまの,きへがたけがき,あみめゆも,いもしみえなば,あれこひめやも
2531
[原文]吾背子我 其名不謂跡 玉切 命者棄 忘賜名 [訓読]我が背子がその名告らじとたまきはる命は捨てつ忘れたまふな [仮名],わがせこが,そのなのらじと,たまきはる,いのちはすてつ,わすれたまふな
2532
[原文]凡者 誰将見鴨 黒玉乃 我玄髪乎 靡而将居 [訓読]おほならば誰が見むとかもぬばたまの我が黒髪を靡けて居らむ [仮名],おほならば,たがみむとかも,ぬばたまの,わがくろかみを,なびけてをらむ
2533
[原文]面忘 何有人之 為物焉 言者為<金>津 継手志<念>者 [訓読]面忘れいかなる人のするものぞ我れはしかねつ継ぎてし思へば [仮名],おもわすれ,いかなるひとの,するものぞ,われはしかねつ,つぎてしおもへば
2534
[原文]不相思 人之故可 璞之 年緒長 言戀将居 [訓読]相思はぬ人のゆゑにかあらたまの年の緒長く我が恋ひ居らむ [仮名],あひおもはぬ,ひとのゆゑにか,あらたまの,としのをながく,あがこひをらむ
2535
[原文]凡乃 行者不念 言故 人尓事痛 所云物乎 [訓読]おほろかの心は思はじ我がゆゑに人に言痛く言はれしものを [仮名],おほろかの,こころはおもはじ,わがゆゑに,ひとにこちたく,いはれしものを
2536
[原文]氣緒尓 妹乎思念者 年月之 徃覧別毛 不所念鳧 [訓読]息の緒に妹をし思へば年月の行くらむ別も思ほえぬかも [仮名],いきのをに,いもをしおもへば,としつきの,ゆくらむわきも,おもほえぬかも
2537
[原文]足千根乃 母尓不所知 吾持留 心<者>吉恵 君之随意 [訓読]たらちねの母に知らえず我が持てる心はよしゑ君がまにまに [仮名],たらちねの,ははにしらえず,わがもてる,こころはよしゑ,きみがまにまに
2538
[原文]獨寝等 ゆ朽目八方 綾席 緒尓成及 君乎之将待 [訓読]ひとり寝と薦朽ちめやも綾席緒になるまでに君をし待たむ [仮名],ひとりぬと,こもくちめやも,あやむしろ,をになるまでに,きみをしまたむ
2539
[原文]相見者 千歳八去流 否乎鴨 我哉然念 待公難尓 [訓読]相見ては千年やいぬるいなをかも我れやしか思ふ君待ちかてに [仮名],あひみては,ちとせやいぬる,いなをかも,われやしかおもふ,きみまちかてに
2540
[原文]振別之 髪乎短弥 <青>草乎 髪尓多久濫 妹乎師<僧>於母布 [訓読]振分けの髪を短み青草を髪にたくらむ妹をしぞ思ふ [仮名],ふりわけの,かみをみじかみ,あをくさを,かみにたくらむ,いもをしぞおもふ
2541
[原文]徊俳 徃箕之里尓 妹乎置而 心空在 土者踏鞆 [訓読]た廻り行箕の里に妹を置きて心空にあり地は踏めども [仮名],たもとほり,ゆきみのさとに,いもをおきて,こころそらにあり,つちはふめども
2542
[原文]若草乃 新手枕乎 巻始而 夜哉将間 二八十一不在國 [訓読]若草の新手枕をまきそめて夜をや隔てむ憎くあらなくに [仮名],わかくさの,にひたまくらを,まきそめて,よをやへだてむ,にくくあらなくに
2543
[原文]吾戀之 事毛語 名草目六 君之使乎 待八金手六 [訓読]我が恋ふることも語らひ慰めむ君が使を待ちやかねてむ [仮名],あがこふる,こともかたらひ,なぐさめむ,きみがつかひを,まちやかねてむ
2544
[原文]<寤>者 相縁毛無 夢谷 間無見君 戀尓可死 [訓読]うつつには逢ふよしもなし夢にだに間なく見え君恋ひに死ぬべし [仮名],うつつには,あふよしもなし,いめにだに,まなくみえきみ,こひにしぬべし
2545
[原文]誰彼登 問者将答 為便乎無 君之使乎 還鶴鴨 [訓読]誰ぞかれと問はば答へむすべをなみ君が使を帰しやりつも [仮名],たぞかれと,とはばこたへむ,すべをなみ,きみがつかひを,かへしやりつも
2546
[原文]不念丹 到者妹之 歡三跡 咲牟眉曵 所思鴨 [訓読]思はぬに至らば妹が嬉しみと笑まむ眉引き思ほゆるかも [仮名],おもはぬに,いたらばいもが,うれしみと,ゑまむまよびき,おもほゆるかも
2547
[原文]如是許 将戀物衣常 不念者 妹之手本乎 不纒夜裳有寸 [訓読]かくばかり恋ひむものぞと思はねば妹が手本をまかぬ夜もありき [仮名],かくばかり,こひむものぞと,おもはねば,いもがたもとを,まかぬよもありき
2548
[原文]如是谷裳 吾者戀南 玉梓之 君之使乎 待也金手武 [訓読]かくだにも我れは恋ひなむ玉梓の君が使を待ちやかねてむ [仮名],かくだにも,あれはこひなむ,たまづさの,きみがつかひを,まちやかねてむ
2549
[原文]妹戀 吾哭涕 敷妙 木枕通而 袖副所沾 [或本歌<曰> 枕通而 巻者寒母] [訓読]妹に恋ひ我が泣く涙敷栲の木枕通り袖さへ濡れぬ [或本歌曰 枕通りてまけば寒しも] [仮名],いもにこひ,わがなくなみた,しきたへの,こまくらとほり,そでさへぬれぬ,[まくらとほりて,まけばさむしも]
2550
[原文]立念 居毛曽念 紅之 赤裳下引 去之儀乎 [訓読]立ちて思ひ居てもぞ思ふ紅の赤裳裾引き去にし姿を [仮名],たちておもひ,ゐてもぞおもふ,くれなゐの,あかもすそびき,いにしすがたを
2551
[原文]念之 餘者 為便無三 出曽行 其門乎見尓 [訓読]思ひにしあまりにしかばすべをなみ出でてぞ行きしその門を見に [仮名],おもひにし,あまりにしかば,すべをなみ,いでてぞゆきし,そのかどをみに
2552
[原文]情者 千遍敷及 雖念 使乎将遣 為便之不知久 [訓読]心には千重しくしくに思へども使を遣らむすべの知らなく [仮名],こころには,ちへしくしくに,おもへども,つかひをやらむ,すべのしらなく
2553
[原文]夢耳 見尚幾許 戀吾者 <寤>見者 益而如何有 [訓読]夢のみに見てすらここだ恋ふる我はうつつに見てばましていかにあらむ [仮名],いめのみに,みてすらここだ,こふるあは,うつつにみてば,ましていかにあらむ
2554
[原文]對面者 面隠流 物柄尓 継而見巻能 欲公毳 [訓読]相見ては面隠さゆるものからに継ぎて見まくの欲しき君かも [仮名],あひみては,おもかくさゆる,ものからに,つぎてみまくの,ほしききみかも
2555
[原文]旦<戸>乎 速莫開 味澤相 目之乏流君 今夜来座有 [訓読]朝戸を早くな開けそあぢさはふ目が欲る君が今夜来ませる [仮名],あさとを,はやくなあけそ,あぢさはふ,めがほるきみが,こよひきませる
2556
[原文]玉垂之 小簀之垂簾乎 徃褐 寐者不眠友 君者通速為 [訓読]玉垂の小簾の垂簾を行きかちに寐は寝さずとも君は通はせ [仮名],たまだれの,をすのたれすを,ゆきかちに,いはなさずとも,きみはかよはせ
2557
[原文]垂乳根乃 母白者 公毛余毛 相鳥羽梨丹 <年>可經 [訓読]たらちねの母に申さば君も我れも逢ふとはなしに年ぞ経ぬべき [仮名],たらちねの,ははにまをさば,きみもあれも,あふとはなしに,としぞへぬべき
2558
[原文]愛等 思篇来師 莫忘登 結之紐乃 解樂念者 [訓読]愛しと思へりけらしな忘れと結びし紐の解くらく思へば [仮名],うつくしと,おもへりけらし,なわすれと,むすびしひもの,とくらくおもへば
2559
[原文]昨日見而 今日社間 吾妹兒之 幾<許>継手 見巻欲毛 [訓読]昨日見て今日こそ隔て我妹子がここだく継ぎて見まくし欲しも [仮名],きのふみて,けふこそへだて,わぎもこが,ここだくつぎて,みまくしほしも
2560
[原文]人毛無 古郷尓 有人乎 愍久也君之 戀尓令死 [訓読]人もなき古りにし里にある人をめぐくや君が恋に死なする [仮名],ひともなき,ふりにしさとに,あるひとを,めぐくやきみが,こひにしなする
2561
[原文]人事之 繁間守而 相十方八 反吾上尓 事之将繁 [訓読]人言の繁き間守りて逢ふともやなほ我が上に言の繁けむ [仮名],ひとごとの,しげきまもりて,あふともや,なほわがうへに,ことのしげけむ
2562
[原文]里人之 言縁妻乎 荒垣之 外也吾将見 悪有名國 [訓読]里人の言寄せ妻を荒垣の外にや我が見む憎くあらなくに [仮名],さとびとの,ことよせづまを,あらかきの,よそにやわがみむ,にくくあらなくに
2563
[原文]他眼守 君之随尓 余共尓 夙興乍 裳<裾>所沾 [訓読]人目守る君がまにまに我れさへに早く起きつつ裳の裾濡れぬ [仮名],ひとめもる,きみがまにまに,われさへに,はやくおきつつ,ものすそぬれぬ
2564
[原文]夜干玉之 妹之黒髪 今夜毛加 吾無床尓 靡而宿良武 [訓読]ぬばたまの妹が黒髪今夜もか我がなき床に靡けて寝らむ [仮名],ぬばたまの,いもがくろかみ,こよひもか,あがなきとこに,なびけてぬらむ
2565
[原文]花細 葦垣越尓 直一目 相視之兒故 千遍嘆津 [訓読]花ぐはし葦垣越しにただ一目相見し子ゆゑ千たび嘆きつ [仮名],はなぐはし,あしかきごしに,ただひとめ,あひみしこゆゑ,ちたびなげきつ
2566
[原文]色出而 戀者人見而 應知 情中之 隠妻波母 [訓読]色に出でて恋ひば人見て知りぬべし心のうちの隠り妻はも [仮名],いろにいでて,こひばひとみて,しりぬべし,こころのうちの,こもりづまはも
2567
[原文]相見而<者> 戀名草六跡 人者雖云 見後尓曽毛 戀益家類 [訓読]相見ては恋慰むと人は言へど見て後にぞも恋まさりける [仮名],あひみては,こひなぐさむと,ひとはいへど,みてのちにぞも,こひまさりける
2568
[原文]凡 吾之念者 如是許 難御門乎 退出米也母 [訓読]おほろかに我れし思はばかくばかり難き御門を罷り出めやも [仮名],おほろかに,われしおもはば,かくばかり,かたきみかどを,まかりでめやも
2569
[原文]将念 其人有哉 烏玉之 毎夜君之 夢西所見 [或本歌<曰> 夜晝不云 吾戀渡] [訓読]思ふらむその人なれやぬばたまの夜ごとに君が夢にし見ゆる [或本歌曰 夜昼と言はずあが恋ひわたる] [仮名],おもふらむ,そのひとなれや,ぬばたまの,よごとにきみが,いめにしみゆる,[よるひるといはず,あがこひわたる]
2570
[原文]如是耳 戀者可死 足乳根之 母毛告都 不止通為 [訓読]かくのみし恋ひば死ぬべみたらちねの母にも告げずやまず通はせ [仮名],かくのみし,こひばしぬべみ,たらちねの,ははにもつげず,やまずかよはせ
2571
[原文]大夫波 友之驂尓 名草溢 心毛将有 我衣苦寸 [訓読]大夫は友の騒きに慰もる心もあらむ我れぞ苦しき [仮名],ますらをは,とものさわきに,なぐさもる,こころもあらむ,われぞくるしき
2572
[原文]偽毛 似付曽為 何時従鹿 不見人戀尓 人之死為 [訓読]偽りも似つきてぞするいつよりか見ぬ人恋ふに人の死せし [仮名],いつはりも,につきてぞする,いつよりか,みぬひとごひに,ひとのしにせし
2573
[原文]情左倍 奉有君尓 何物乎鴨 不云言此跡 吾将竊食 [訓読]心さへ奉れる君に何をかも言はず言ひしと我がぬすまはむ [仮名],こころさへ,まつれるきみに,なにをかも,いはずいひしと,わがぬすまはむ
2574
[原文]面忘 太尓毛得為也登 手握而 雖打不寒 戀<云>奴 [訓読]面忘れだにもえすやと手握りて打てども懲りず恋といふ奴 [仮名],おもわすれ,だにもえすやと,たにぎりて,うてどもこりず,こひといふやつこ
2575
[原文]希将見 君乎見常衣 左手之 執弓方之 眉根掻礼 [訓読]めづらしき君を見むとこそ左手の弓取る方の眉根掻きつれ [仮名],めづらしき,きみをみむとこそ,ひだりての,ゆみとるかたの,まよねかきつれ
2576
[原文]人間守 蘆垣越尓 吾妹子乎 相見之柄二 事曽左太多寸 [訓読]人間守り葦垣越しに我妹子を相見しからに言ぞさだ多き [仮名],ひとまもり,あしかきごしに,わぎもこを,あひみしからに,ことぞさだおほき
2577
[原文]今谷毛 目莫令乏 不相見而 将戀<年>月 久家真國 [訓読]今だにも目な乏しめそ相見ずて恋ひむ年月久しけまくに [仮名],いまだにも,めなともしめそ,あひみずて,こひむとしつき,ひさしけまくに
2578
[原文]朝宿髪 吾者不梳 愛 君之手枕 觸義之鬼尾 [訓読]朝寝髪我れは梳らじうるはしき君が手枕触れてしものを [仮名],あさねがみ,われはけづらじ,うるはしき,きみがたまくら,ふれてしものを
2579
[原文]早去而 何時君乎 相見等 念之情 今曽水葱少熱 [訓読]早行きていつしか君を相見むと思ひし心今ぞなぎぬる [仮名],はやゆきて,いつしかきみを,あひみむと,おもひしこころ,いまぞなぎぬる
2580
[原文]面形之 忘戸在者 小豆鳴 男士物屋 戀乍将居 [訓読]面形の忘るとあらばあづきなく男じものや恋ひつつ居らむ [仮名],おもかたの,わするとあらば,あづきなく,をとこじものや,こひつつをらむ
2581
[原文]言云者 三々二田八酢四 小九毛 心中二 我念羽奈九二 [訓読]言に言へば耳にたやすし少なくも心のうちに我が思はなくに [仮名],ことにいへば,みみにたやすし,すくなくも,こころのうちに,わがもはなくに
2582
[原文]小豆奈九 何<狂>言 今更 小童言為流 老人二四手 [訓読]あづきなく何のたはこと今さらに童言する老人にして [仮名],あづきなく,なにのたはこと,いまさらに,わらはごとする,おいひとにして
2583
[原文]相見而 幾久毛 不有尓 如<年>月 所思可聞 [訓読]相見ては幾久さにもあらなくに年月のごと思ほゆるかも [仮名],あひみては,いくびささにも,あらなくに,としつきのごと,おもほゆるかも
2584
[原文]大夫登 念有吾乎 如是許 令戀波 小可者在来 [訓読]ますらをと思へる我れをかくばかり恋せしむるは悪しくはありけり [仮名],ますらをと,おもへるわれを,かくばかり,こひせしむるは,あしくはありけり
2585
[原文]如是為乍 吾待印 有鴨 世人皆乃 常不在國 [訓読]かくしつつ我が待つ験あらぬかも世の人皆の常にあらなくに [仮名],かくしつつ,わがまつしるし,あらぬかも,よのひとみなの,つねにあらなくに
2586
[原文]人事 茂君 玉梓之 使不遣 忘跡思名 [訓読]人言を繁みと君に玉梓の使も遣らず忘ると思ふな [仮名],ひとごとを,しげみときみに,たまづさの,つかひもやらず,わするとおもふな
2587
[原文]大原 <古>郷 妹置 吾稲金津 夢所見乞 [訓読]大原の古りにし里に妹を置きて我れ寐ねかねつ夢に見えこそ [仮名],おほはらの,ふりにしさとに,いもをおきて,われいねかねつ,いめにみえこそ
2588
[原文]夕去者 公来座跡 待夜之 名凝衣今 宿不勝為 [訓読]夕されば君来まさむと待ちし夜のなごりぞ今も寐ねかてにする [仮名],ゆふされば,きみきまさむと,まちしよの,なごりぞいまも,いねかてにする
2589
[原文]不相思 公者在良思 黒玉 夢不見 受旱宿跡 [訓読]相思はず君はあるらしぬばたまの夢にも見えずうけひて寝れど [仮名],あひおもはず,きみはあるらし,ぬばたまの,いめにもみえず,うけひてぬれど
2590
[原文]石根踏 夜道不行 念跡 妹依者 忍金津毛 [訓読]岩根踏み夜道は行かじと思へれど妹によりては忍びかねつも [仮名],いはねふみ,よみちはゆかじ,とおもへれど,いもによりては,しのびかねつも
2591
[原文]人事 茂間守跡 不相在 終八子等 面忘南 [訓読]人言の繁き間守ると逢はずあらばつひにや子らが面忘れなむ [仮名],ひとごとの,しげきまもると,あはずあらば,つひにやこらが,おもわすれなむ
2592
[原文]戀死 後何為 吾命 生日社 見幕欲為礼 [訓読]恋死なむ後は何せむ我が命生ける日にこそ見まく欲りすれ [仮名],こひしなむ,のちはなにせむ,わがいのち,いけるひにこそ,みまくほりすれ
2593
[原文]敷細 枕動而 宿不所寝 物念此夕 急明鴨 [訓読]敷栲の枕響みて寐ねらえず物思ふ今夜早も明けぬかも [仮名],しきたへの,まくらとよみて,いねらえず,ものもふこよひ,はやもあけぬかも
2594
[原文]不徃吾 来跡可夜 門不閇 L怜吾妹子 待筒在 [訓読]行かぬ我れを来むとか夜も門閉さずあはれ我妹子待ちつつあるらむ [仮名],ゆかぬわれを,こむとかよるも,かどささず,あはれわぎもこ,まちつつあるらむ
2595
[原文]夢谷 何鴨不所見 雖所見 吾鴨迷 戀茂尓 [訓読]夢にだに何かも見えぬ見ゆれども我れかも惑ふ恋の繁きに [仮名],いめにだに,なにかもみえぬ,みゆれども,われかもまとふ,こひのしげきに
2596
[原文]名草漏 心莫二 如是耳 戀也度 月日殊 [或本歌<曰> 奥津浪 敷而耳八方 戀度奈牟] [訓読]慰もる心はなしにかくのみし恋ひやわたらむ月に日に異に [或本歌曰 沖つ波しきてのみやも恋ひわたりなむ] [仮名],なぐさもる,こころはなしに,かくのみし,こひやわたらむ,つきにひにけに,[おきつなみ,しきてのみやも,こひわたりなむ]
2597
[原文]何為而 忘物 吾妹子丹 戀益跡 所忘莫苦二 [訓読]いかにして忘れむものぞ我妹子に恋はまされど忘らえなくに [仮名],いかにして,わすれむものぞ,わぎもこに,こひはまされど,わすらえなくに
2598
[原文]遠有跡 公衣戀流 玉桙乃 里人皆尓 吾戀八方 [訓読]遠くあれど君にぞ恋ふる玉桙の里人皆に我れ恋ひめやも [仮名],とほくあれど,きみにぞこふる,たまほこの,さとひとみなに,あれこひめやも
2599
[原文]驗無 戀毛為<鹿> <暮>去者 人之手枕而 将寐兒故 [訓読]験なき恋をもするか夕されば人の手まきて寝らむ子ゆゑに [仮名],しるしなき,こひをもするか,ゆふされば,ひとのてまきて,ぬらむこゆゑに
2600
[原文]百世下 千代下生 有目八方 吾念妹乎 置嘆 [訓読]百代しも千代しも生きてあらめやも我が思ふ妹を置きて嘆かむ [仮名],ももよしも,ちよしもいきて,あらめやも,あがおもふいもを,おきてなげかむ
2601
[原文]現毛 夢毛吾者 不思寸 振有公尓 此間将會十羽 [訓読]うつつにも夢にも我れは思はずき古りたる君にここに逢はむとは [仮名],うつつにも,いめにもわれは,おもはずき,ふりたるきみに,ここにあはむとは
2602
[原文]黒髪 白髪左右跡 結大王 心一乎 今解目八方 [訓読]黒髪の白髪までと結びてし心ひとつを今解かめやも [仮名],くろかみの,しらかみまでと,むすびてし,こころひとつを,いまとかめやも
2603
[原文]心乎之 君尓奉跡 念有者 縦比来者 戀乍乎将有 [訓読]心をし君に奉ると思へればよしこのころは恋ひつつをあらむ [仮名],こころをし,きみにまつると,おもへれば,よしこのころは,こひつつをあらむ
2604
[原文]念出而 哭者雖泣 灼然 人之可知 嘆為勿謹 [訓読]思ひ出でて音には泣くともいちしろく人の知るべく嘆かすなゆめ [仮名],おもひいでて,ねにはなくとも,いちしろく,ひとのしるべく,なげかすなゆめ
2605
[原文]玉桙之 道去夫利尓 不思 妹乎相見而 戀比鴨 [訓読]玉桙の道行きぶりに思はぬに妹を相見て恋ふるころかも [仮名],たまほこの,みちゆきぶりに,おもはぬに,いもをあひみて,こふるころかも
2606
[原文]人目多 常如是耳志 候者 何時 吾不戀将有 [訓読]人目多み常かくのみしさもらはばいづれの時か我が恋ひずあらむ [仮名],ひとめおほみ,つねかくのみし,さもらはば,いづれのときか,あがこひずあらむ
2607
[原文]敷細之 衣手可礼天 吾乎待登 在<濫>子等者 面影尓見 [訓読]敷栲の衣手離れて我を待つとあるらむ子らは面影に見ゆ [仮名],しきたへの,ころもでかれて,わをまつと,あるらむこらは,おもかげにみゆ
2608
[原文]妹之袖 別之日従 白細乃 衣片敷 戀管曽寐留 [訓読]妹が袖別れし日より白栲の衣片敷き恋ひつつぞ寝る [仮名],いもがそで,わかれしひより,しろたへの,ころもかたしき,こひつつぞぬる
2609
[原文]白細之 袖者間結奴 我妹子我 家當乎 不止振四二 [訓読]白栲の袖はまゆひぬ我妹子が家のあたりをやまず振りしに [仮名],しろたへの,そではまゆひぬ,わぎもこが,いへのあたりを,やまずふりしに
2610
[原文]夜干玉之 吾黒髪乎 引奴良思 乱而反 戀度鴨 [訓読]ぬばたまの我が黒髪を引きぬらし乱れてさらに恋ひわたるかも [仮名],ぬばたまの,わがくろかみを,ひきぬらし,みだれてさらに,こひわたるかも
2611
[原文]今更 君之手枕 巻宿米也 吾紐緒乃 解都追本名 [訓読]今さらに君が手枕まき寝めや我が紐の緒の解けつつもとな [仮名],いまさらに,きみがたまくら,まきぬめや,わがひものをの,とけつつもとな
2612
[原文]白細布<乃> 袖觸而夜 吾背子尓 吾戀落波 止時裳無 [訓読]白栲の袖触れてし夜我が背子に我が恋ふらくはやむ時もなし [仮名],しろたへの,そでふれてしよ,わがせこに,あがこふらくは,やむときもなし
2613
[原文]夕卜尓毛 占尓毛告有 今夜谷 不来君乎 何時将待 [訓読]夕占にも占にも告れる今夜だに来まさぬ君をいつとか待たむ [仮名],ゆふけにも,うらにものれる,こよひだに,きまさぬきみを,いつとかまたむ
2614
[原文]眉根掻 下言借見 思有尓 去家人乎 相見鶴鴨 [訓読]眉根掻き下いふかしみ思へるにいにしへ人を相見つるかも [仮名],まよねかき,したいふかしみ,おもへるに,いにしへひとを,あひみつるかも
2614S1
[原文]眉根掻 誰乎香将見跡 思乍 氣長戀之 妹尓相鴨 [訓読]眉根掻き誰をか見むと思ひつつ日長く恋ひし妹に逢へるかも [仮名],まよねかき,たれをかみむと,おもひつつ,けながくこひし,いもにあへるかも
2614S2
[原文]眉根掻 下伊布可之美 念有之 妹之容儀乎 今日見都流香裳 [訓読]眉根掻き下いふかしみ思へりし妹が姿を今日見つるかも [仮名],まよねかき,したいふかしみ,おもへりし,いもがすがたを,けふみつるかも
2615
[原文]敷栲乃 枕巻而 妹与吾 寐夜者無而 <年>曽經来 [訓読]敷栲の枕をまきて妹と我れと寝る夜はなくて年ぞ経にける [仮名],しきたへの,まくらをまきて,いもとあれと,ぬるよはなくて,としぞへにける
2616
[原文]奥山之 真木<乃>板戸乎 音速見 妹之當乃 <霜>上尓宿奴 [訓読]奥山の真木の板戸を音早み妹があたりの霜の上に寝ぬ [仮名],おくやまの,まきのいたとを,おとはやみ,いもがあたりの,しものうへにねぬ
2617
[原文]足日木能 山櫻戸乎 開置而 吾待君乎 誰留流 [訓読]あしひきの山桜戸を開け置きて我が待つ君を誰れか留むる [仮名],あしひきの,やまさくらとを,あけおきて,わがまつきみを,たれかとどむる
2618
[原文]月夜好三 妹二相跡 直道柄 吾者雖来 夜其深去来 [訓読]月夜よみ妹に逢はむと直道から我れは来つれど夜ぞ更けにける [仮名],つくよよみ,いもにあはむと,ただちから,われはきつれど,よぞふけにける
寄物陳思2619
[原文]朝影尓 吾身者成 辛衣 襴之不相而 久成者 [訓読]朝影に我が身はなりぬ韓衣裾のあはずて久しくなれば [仮名],あさかげに,あがみはなりぬ,からころも,すそのあはずて,ひさしくなれば
2620
[原文]解衣之 思乱而 雖戀 何如汝之故跡 問人毛無 [訓読]解き衣の思ひ乱れて恋ふれどもなぞ汝がゆゑと問ふ人もなき [仮名],とききぬの,おもひみだれて,こふれども,なぞながゆゑと,とふひともなき
2621
[原文]摺衣 著有跡夢見津 <寤>者 孰人之 言可将繁 [訓読]摺り衣着りと夢に見つうつつにはいづれの人の言か繁けむ [仮名],すりころも,けりといめにみつ,うつつには,いづれのひとの,ことかしげけむ
2622
[原文]志賀乃白水<郎>之 塩焼衣 雖穢 戀云物者 忘金津毛 [訓読]志賀の海人の塩焼き衣なれぬれど恋といふものは忘れかねつも [仮名],しかのあまの,しほやきころも,なれぬれど,こひといふものは,わすれかねつも
2623
[原文]呉藍之 八塩乃衣 朝旦 穢者雖為 益希将見裳 [訓読]紅の八しほの衣朝な朝な馴れはすれどもいやめづらしも [仮名],くれなゐの,やしほのころも,あさなさな,なれはすれども,いやめづらしも
2624
[原文]紅之 深染衣 色深 染西鹿齒蚊 遺不得鶴 [訓読]紅の深染めの衣色深く染みにしかばか忘れかねつる [仮名],くれなゐの,こそめのころも,いろふかく,しみにしかばか,わすれかねつる
2625
[原文]不相尓 夕卜乎問常 幣尓置尓 吾衣手者 又曽可續 [訓読]逢はなくに夕占を問ふと幣に置くに我が衣手はまたぞ継ぐべき [仮名],あはなくに,ゆふけをとふと,ぬさにおくに,わがころもでは,またぞつぐべき
2626
[原文]古衣 打棄人者 秋風之 立来時尓 物念物其 [訓読]古衣打棄つる人は秋風の立ちくる時に物思ふものぞ [仮名],ふるころも,うつつるひとは,あきかぜの,たちくるときに,ものもふものぞ
2627
[原文]波祢蘰 今為妹之 浦若見 咲見慍見 著四紐解 [訓読]はねかづら今する妹がうら若み笑みみ怒りみ付けし紐解く [仮名],はねかづら,いまするいもが,うらわかみ,ゑみみいかりみ,つけしひもとく
2628
[原文]去家之 倭文旗帶乎 結垂 孰云人毛 君者不益 [訓読]いにしへの倭文機帯を結び垂れ誰れといふ人も君にはまさじ [仮名],いにしへの,しつはたおびを,むすびたれ,たれといふひとも,きみにはまさじ
2628S
[原文]古之 狭織之帶乎 結垂 誰之能人毛 君尓波不益 [訓読]いにしへの狭織の紐を結び垂れ誰れしの人も君にはまさじ [仮名],いにしへの,さおりのひもを,むすびたれ,たれしのひとも,きみにはまさじ
2629
[原文]不相友 吾波不怨 此枕 吾等念而 枕手左宿座 [訓読]逢はずとも我れは恨みじこの枕我れと思ひてまきてさ寝ませ [仮名],あはずとも,われはうらみじ,このまくら,われとおもひて,まきてさねませ
2630
[原文]結紐 解日遠 敷細 吾木枕 蘿生来 [訓読]結へる紐解かむ日遠み敷栲の我が木枕は苔生しにけり [仮名],ゆへるひも,とかむひとほみ,しきたへの,わがこまくらは,こけむしにけり
2631
[原文]夜干玉之 黒髪色天 長夜S 手枕之上尓 妹待覧蚊 [訓読]ぬばたまの黒髪敷きて長き夜を手枕の上に妹待つらむか [仮名],ぬばたまの,くろかみしきて,ながきよを,たまくらのうへに,いもまつらむか
2632
[原文]真素鏡 直二四妹乎 不相見者 我戀不止 年者雖經 [訓読]まそ鏡直にし妹を相見ずは我が恋やまじ年は経ぬとも [仮名],まそかがみ,ただにしいもを,あひみずは,あがこひやまじ,としはへぬとも
2633
[原文]真十鏡 手取持手 朝旦 将見時禁屋 戀之将繁 [訓読]まそ鏡手に取り持ちて朝な朝な見む時さへや恋の繁けむ [仮名],まそかがみ,てにとりもちて,あさなさな,みむときさへや,こひのしげけむ
2634
[原文]里遠 戀和備尓家里 真十鏡 面影不去 夢所見社 [訓読]里遠み恋わびにけりまそ鏡面影去らず夢に見えこそ [仮名],さとどほみ,こひわびにけり,まそかがみ,おもかげさらず,いめにみえこそ
2635
[原文]剱刀 身尓佩副流 大夫也 戀云物乎 忍金手武 [訓読]剣大刀身に佩き添ふる大夫や恋といふものを忍びかねてむ [仮名],つるぎたち,みにはきそふる,ますらをや,こひといふものを,しのびかねてむ
2636
[原文]剱刀 諸刃之於荷 去觸而 所g鴨将死 戀管不有者 [訓読]剣大刀諸刃の上に行き触れて死にかもしなむ恋ひつつあらずは [仮名],つるぎたち,もろはのうへに,ゆきふれて,しにかもしなむ,こひつつあらずは
2637
[原文]<ら> 鼻乎曽嚏鶴 劔刀 身副妹之 思来下 [訓読]うち鼻ひ鼻をぞひつる剣大刀身に添ふ妹し思ひけらしも [仮名],うちはなひ,はなをぞひつる,つるぎたち,みにそふいもし,おもひけらしも
2638
[原文]梓弓 末之腹野尓 鷹田為 君之弓食之 将絶跡念甕屋 [訓読]梓弓末のはら野に鳥狩する君が弓弦の絶えむと思へや [仮名],あづさゆみ,すゑのはらのに,とがりする,きみがゆづるの,たえむとおもへや
2639
[原文]葛木之 其津彦真弓 荒木尓毛 憑也君之 吾之名告兼 [訓読]葛城の襲津彦真弓新木にも頼めや君が我が名告りけむ [仮名],かづらきの,そつびこまゆみ,あらきにも,たのめやきみが,わがなのりけむ
2640
[原文]梓弓 引見<弛>見 不来者<不来> 来者<来其>乎奈何 不来者来者其乎 [訓読]梓弓引きみ緩へみ来ずは来ず来ば来そをなぞ来ずは来ばそを [仮名],あづさゆみ,ひきみゆるへみ,こずはこず,こばこそをなぞ,こずはこばそを
2641
[原文]時守之 打鳴鼓 數見者 辰尓波成 不相毛恠 [訓読]時守の打ち鳴す鼓数みみれば時にはなりぬ逢はなくもあやし [仮名],ときもりの,うちなすつづみ,よみみれば,ときにはなりぬ,あはなくもあやし
2642
[原文]燈之 陰尓蚊蛾欲布 虚蝉之 妹蛾咲状思 面影尓所見 [訓読]燈火の影にかがよふうつせみの妹が笑まひし面影に見ゆ [仮名],ともしびの,かげにかがよふ,うつせみの,いもがゑまひし,おもかげにみゆ
2643
[原文]玉戈之 道行疲 伊奈武思侶 敷而毛君乎 将見因<母>鴨 [訓読]玉桙の道行き疲れ稲席しきても君を見むよしもがも [仮名],たまほこの,みちゆきつかれ,いなむしろ,しきてもきみを,みむよしもがも
2644
[原文]小墾田之 板田乃橋之 壊者 従桁将去 莫戀吾妹 [訓読]小治田の板田の橋の壊れなば桁より行かむな恋ひそ我妹 [仮名],をはりだの,いただのはしの,こほれなば,けたよりゆかむ,なこひそわぎも
2645
[原文]宮材引 泉之追馬喚犬二 立民乃 息時無 戀<渡>可聞 [訓読]宮材引く泉の杣に立つ民のやむ時もなく恋ひわたるかも [仮名],みやぎひく,いづみのそまに,たつたみの,やむときもなく,こひわたるかも
2646
[原文]住吉乃 津守網引之 浮笶緒乃 得干蚊将去 戀管不有者 [訓読]住吉の津守網引のうけの緒の浮かれか行かむ恋ひつつあらずは [仮名],すみのえの,つもりあびきの,うけのをの,うかれかゆかむ,こひつつあらずは
2647
[原文]東細布 従空延越 遠見社 目言踈良米 絶跡間也 [訓読]手作りを空ゆ引き越し遠みこそ目言離るらめ絶ゆと隔てや [仮名],てづくりを,そらゆひきこし,とほみこそ,めことかるらめ,たゆとへだてや
2648
[原文]云<々> 物者不念 斐太人乃 打墨縄之 直一道二 [訓読]かにかくに物は思はじ飛騨人の打つ墨縄のただ一道に [仮名],かにかくに,ものはおもはじ,ひだひとの,うつすみなはの,ただひとみちに
2649
[原文]足日木之 山田守翁 置蚊火之 <下>粉枯耳 余戀居久 [訓読]あしひきの山田守る翁が置く鹿火の下焦れのみ我が恋ひ居らむ [仮名],あしひきの,やまたもるをぢが,おくかひの,したこがれのみ,あがこひをらむ
2650
[原文]十寸板持 盖流板目乃 不<合>相者 如何為跡可 吾宿始兼 [訓読]そき板もち葺ける板目のあはざらばいかにせむとか我が寝そめけむ [仮名],そきいたもち,ふけるいための,あはざらば,いかにせむとか,わがねそめけむ
2651
[原文]難波人 葦火燎屋之 酢<四>手雖有 己妻許増 常目頬次吉 [訓読]難波人葦火焚く屋の煤してあれどおのが妻こそ常めづらしき [仮名],なにはひと,あしひたくやの,すしてあれど,おのがつまこそ,つねめづらしき
2652
[原文]妹之髪 上小竹葉野之 放駒 蕩去家良思 不合思者 [訓読]妹が髪上げ竹葉野の放れ駒荒びにけらし逢はなく思へば [仮名],いもがかみ,あげたかはのの,はなれごま,あらびにけらし,あはなくおもへば
2653
[原文]馬音之 跡杼登毛為者 松蔭尓 出曽見鶴 若君香跡 [訓読]馬の音のとどともすれば松蔭に出でてぞ見つるけだし君かと [仮名],うまのおとの,とどともすれば,まつかげに,いでてぞみつる,けだしきみかと
2654
[原文]君戀 寝不宿朝明 誰乗流 馬足音 吾聞為 [訓読]君に恋ひ寐ねぬ朝明に誰が乗れる馬の足の音ぞ我れに聞かする [仮名],きみにこひ,いねぬあさけに,たがのれる,うまのあのおとぞ,われにきかする
2655
[原文]紅之 襴引道乎 中置而 妾哉将通 公哉将来座 [一云 須蘇衝河乎 又曰 待香将待] [訓読]紅の裾引く道を中に置きて我れは通はむ君か来まさむ [一云 裾漬く川を 又曰 待ちにか待たむ] [仮名],くれなゐの,すそびくみちを,なかにおきて,われかかよはむ,きみかきまさむ,[すそつくかはを,まちにかまたむ]
2656
[原文]天飛也 軽乃社之 齊槻 幾世及将有 隠嬬其毛 [訓読]天飛ぶや軽の社の斎ひ槻幾代まであらむ隠り妻ぞも [仮名],あまとぶや,かるのやしろの,いはひつき,いくよまであらむ,こもりづまぞも
2657
[原文]神名火尓 紐呂寸立而 雖忌 人心者 間守不敢物 [訓読]神なびにひもろき立てて斎へども人の心はまもりあへぬもの [仮名],かむなびに,ひもろきたてて,いはへども,ひとのこころは,まもりあへぬもの
2658
[原文]天雲之 八重雲隠 鳴神之 音<耳尓>八方 聞度南 [訓読]天雲の八重雲隠り鳴る神の音のみにやも聞きわたりなむ [仮名],あまくもの,やへくもがくり,なるかみの,おとのみにやも,ききわたりなむ
2659
[原文]争者 神毛悪為 縦咲八師 世副流君之 悪有莫君尓 [訓読]争へば神も憎ますよしゑやしよそふる君が憎くあらなくに [仮名],あらそへば,かみもにくます,よしゑやし,よそふるきみが,にくくあらなくに
2660
[原文]夜並而 君乎来座跡 千石破 神社乎 不祈日者無 [訓読]夜並べて君を来ませとちはやぶる神の社を祷まぬ日はなし [仮名],よならべて,きみをきませと,ちはやぶる,かみのやしろを,のまぬひはなし
2661
[原文]霊治波布 神毛吾者 打棄乞 四恵也壽之 ね無 [訓読]霊ぢはふ神も我れをば打棄てこそしゑや命の惜しけくもなし [仮名],たまぢはふ,かみもわれをば,うつてこそ,しゑやいのちの,をしけくもなし
2662
[原文]吾妹兒 又毛相等 千羽八振 神社乎 不祷日者無 [訓読]我妹子にまたも逢はむとちはやぶる神の社を祷まぬ日はなし [仮名],わぎもこに,またもあはむと,ちはやぶる,かみのやしろを,のまぬひはなし
2663
[原文]千葉破 神之伊垣毛 可越 今者吾名之 惜無 [訓読]ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし今は我が名の惜しけくもなし [仮名],ちはやぶる,かみのいかきも,こえぬべし,いまはわがなの,をしけくもなし
2664
[原文]暮月夜 暁闇夜乃 朝影尓 吾身者成奴 汝乎念金丹 [訓読]夕月夜暁闇の朝影に我が身はなりぬ汝を思ひかねに [仮名],ゆふづくよ,あかときやみの,あさかげに,あがみはなりぬ,なをおもひかねに
2665
[原文]月之有者 明覧別裳 不知而 寐吾来乎 人見兼鴨 [訓読]月しあれば明くらむ別も知らずして寝て我が来しを人見けむかも [仮名],つきしあれば,あくらむわきも,しらずして,ねてわがこしを,ひとみけむかも
2666
[原文]妹目之 見巻欲家口 <夕>闇之 木葉隠有 月待如 [訓読]妹が目の見まく欲しけく夕闇の木の葉隠れる月待つごとし [仮名],いもがめの,みまくほしけく,ゆふやみの,このはごもれる,つきまつごとし
2667
[原文]真袖持 床打拂 君待跡 居之間尓 月傾 [訓読]真袖持ち床うち掃ひ君待つと居りし間に月かたぶきぬ [仮名],まそでもち,とこうちはらひ,きみまつと,をりしあひだに,つきかたぶきぬ
2668
[原文]二上尓 隠經月之 雖惜 妹之田本乎 加流類比来 [訓読]二上に隠らふ月の惜しけども妹が手本を離るるこのころ [仮名],ふたかみに,かくらふつきの,をしけども,いもがたもとを,かるるこのころ
2669
[原文]吾背子之 振放見乍 将嘆 清月夜尓 雲莫田名引 [訓読]我が背子が振り放け見つつ嘆くらむ清き月夜に雲なたなびき [仮名],わがせこが,ふりさけみつつ,なげくらむ,きよきつくよに,くもなたなびき
2670
[原文]真素鏡 清月夜之 湯<徙>去者 念者不止 戀社益 [訓読]まそ鏡清き月夜のゆつりなば思ひはやまず恋こそまさめ [仮名],まそかがみ,きよきつくよの,ゆつりなば,おもひはやまず,こひこそまさめ
2671
[原文]今夜之 在開月夜 在乍文 公S置者 待人無 [訓読]今夜の有明月夜ありつつも君をおきては待つ人もなし [仮名],こよひの,ありあけつくよ,ありつつも,きみをおきては,まつひともなし
2672
[原文]此山之 嶺尓近跡 吾見鶴 月之空有 戀毛為鴨 [訓読]この山の嶺に近しと我が見つる月の空なる恋もするかも [仮名],このやまの,みねにちかしと,わがみつる,つきのそらなる,こひもするかも
2673
[原文]烏玉乃 夜渡月之 湯移去者 更哉妹尓 吾戀将居 [訓読]ぬばたまの夜渡る月のゆつりなばさらにや妹に我が恋ひ居らむ [仮名],ぬばたまの,よわたるつきの,ゆつりなば,さらにやいもに,あがこひをらむ
2674
[原文]朽網山 夕居雲 薄徃者 余者将戀名 公之目乎欲 [訓読]朽網山夕居る雲の薄れゆかば我れは恋ひむな君が目を欲り [仮名],くたみやま,ゆふゐるくもの,うすれゆかば,あれはこひむな,きみがめをほり
2675
[原文]君之服 三笠之山尓 居雲乃 立者継流 戀為鴨 [訓読]君が着る御笠の山に居る雲の立てば継がるる恋もするかも [仮名],きみがきる,みかさのやまに,ゐるくもの,たてばつがるる,こひもするかも
2676
[原文]久堅之 天飛雲尓 在而然 君相見 落日莫死 [訓読]ひさかたの天飛ぶ雲にありてしか君をば相見むおつる日なしに [仮名],ひさかたの,あまとぶくもに,ありてしか,きみをばあひみむ,おつるひなしに
2677
[原文]佐保乃内従 下風之 吹礼波 還者胡粉 歎夜衣大寸 [訓読]佐保の内ゆあらしの風の吹きぬれば帰りは知らに嘆く夜ぞ多き [仮名],さほのうちゆ,あらしのかぜの,ふきぬれば,かへりはしらに,なげくよぞおほき
2678
[原文]級子八師 不吹風故 玉匣 開而左宿之 吾其悔寸 [訓読]はしきやし吹かぬ風ゆゑ玉櫛笥開けてさ寝にし我れぞ悔しき [仮名],はしきやし,ふかぬかぜゆゑ,たまくしげ,あけてさねにし,あれぞくやしき
2679
[原文]窓超尓 月臨照而 足桧乃 下風吹夜者 公乎之其念 [訓読]窓越しに月おし照りてあしひきのあらし吹く夜は君をしぞ思ふ [仮名],まどごしに,つきおしてりて,あしひきの,あらしふくよは,きみをしぞおもふ
2680
[原文]河千鳥 住澤上尓 立霧之 市白兼名 相言始而言 [訓読]川千鳥棲む沢の上に立つ霧のいちしろけむな相言ひそめてば [仮名],かはちどり,すむさはのうへに,たつきりの,いちしろけむな,あひいひそめてば
2681
[原文]吾背子之 使乎待跡 笠毛不著 出乍其見之 雨落久尓 [訓読]我が背子が使を待つと笠も着ず出でつつぞ見し雨の降らくに [仮名],わがせこが,つかひをまつと,かさもきず,いでつつぞみし,あめのふらくに
2682
[原文]辛衣 君尓内<著> 欲見 戀其晩師之 雨零日乎 [訓読]韓衣君にうち着せ見まく欲り恋ひぞ暮らしし雨の降る日を [仮名],からころも,きみにうちきせ,みまくほり,こひぞくらしし,あめのふるひを
2683
[原文]彼方之 赤土少屋尓 W<X>零 床共所沾 於身副我妹 [訓読]彼方の埴生の小屋に小雨降り床さへ濡れぬ身に添へ我妹 [仮名],をちかたの,はにふのをやに,こさめふり,とこさへぬれぬ,みにそへわぎも
2684
[原文]笠無登 人尓者言<手> 雨乍見 留之君我 容儀志所念 [訓読]笠なしと人には言ひて雨障み留まりし君が姿し思ほゆ [仮名],かさなしと,ひとにはいひて,あまつつみ,とまりしきみが,すがたしおもほゆ
2685
[原文]妹門 去過不勝都 久方乃 雨毛零奴可 其乎因将為 [訓読]妹が門行き過ぎかねつひさかたの雨も降らぬかそをよしにせむ [仮名],いもがかど,ゆきすぎかねつ,ひさかたの,あめもふらぬか,そをよしにせむ
2686
[原文]夜占問 吾袖尓置 <白>露乎 於公令視跡 取者<消>管 [訓読]夕占問ふ我が袖に置く白露を君に見せむと取れば消につつ [仮名],ゆふけとふ,わがそでにおく,しらつゆを,きみにみせむと,とればけにつつ
2687
[原文]櫻麻乃 苧原之下草 露有者 令明而射去 母者雖知 [訓読]桜麻の麻生の下草露しあれば明かしてい行け母は知るとも [仮名],さくらをの,をふのしたくさ,つゆしあれば,あかしていゆけ,はははしるとも
2688
[原文]待不得而 内者不入 白細布之 吾袖尓 露者置奴鞆 [訓読]待ちかねて内には入らじ白栲の我が衣手に露は置きぬとも [仮名],まちかねて,うちにはいらじ,しろたへの,わがころもでに,つゆはおきぬとも
2689
[原文]朝露之 消安吾身 雖老 又若反 君乎思将待 [訓読]朝露の消やすき我が身老いぬともまたをちかへり君をし待たむ [仮名],あさつゆの,けやすきあがみ,おいぬとも,またをちかへり,きみをしまたむ
2690
[原文]白細布乃 吾袖尓 露者置 妹者不相 猶<豫>四手 [訓読]白栲の我が衣手に露は置き妹は逢はさずたゆたひにして [仮名],しろたへの,わがころもでに,つゆはおき,いもはあはさず,たゆたひにして
2691
[原文]云<々> 物者不念 朝露之 吾身一者 君之随意 [訓読]かにかくに物は思はじ朝露の我が身ひとつは君がまにまに [仮名],かにかくに,ものはおもはじ,あさつゆの,あがみひとつは,きみがまにまに
2692
[原文]夕凝 霜置来 朝戸出<尓> 甚踐而 人尓所知名 [訓読]夕凝りの霜置きにけり朝戸出にいたくし踏みて人に知らゆな [仮名],ゆふこりの,しもおきにけり,あさとでに,いたくしふみて,ひとにしらゆな
2693
[原文]如是許 戀乍不有者 朝尓日尓 妹之将履 地尓有申尾 [訓読]かくばかり恋ひつつあらずは朝に日に妹が踏むらむ地にあらましを [仮名],かくばかり,こひつつあらずは,あさにけに,いもがふむらむ,つちにあらましを
2694
[原文]足日木之 山鳥尾乃 一峰越 一目見之兒尓 應戀鬼香 [訓読]あしひきの山鳥の尾の一峰越え一目見し子に恋ふべきものか [仮名],あしひきの,やまどりのをの,ひとをこえ,ひとめみしこに,こふべきものか
2695
[原文]吾妹子尓 相縁乎無 駿河有 不盡乃高嶺之 焼管香将有 [訓読]我妹子に逢ふよしをなみ駿河なる富士の高嶺の燃えつつかあらむ [仮名],わぎもこに,あふよしをなみ,するがなる,ふじのたかねの,もえつつかあらむ
2696
[原文]荒熊之 住云山之 師齒迫山 責而雖問 汝名者不告 [訓読]荒熊のすむといふ山の師歯迫山責めて問ふとも汝が名は告らじ [仮名],あらぐまの,すむといふやまの,しはせやま,せめてとふとも,ながなはのらじ
2697
[原文]妹之名毛 吾名毛立者 惜社 布仕能高嶺之 燎乍渡 [訓読]妹が名も我が名も立たば惜しみこそ富士の高嶺の燃えつつわたれ [仮名],いもがなも,わがなもたたば,をしみこそ,ふじのたかねの,もえつつわたれ
2697S
[原文]君名毛 妾名毛立者 惜己曽 不盡乃高山之 燎乍毛居 [訓読]君が名も我が名も立たば惜しみこそ富士の高嶺の燃えつつも居れ [仮名],きみがなも,わがなもたたば,をしみこそ,ふじのたかねの,もえつつもをれ
2698
[原文]徃而見而 来戀敷 朝香方 山越置代 宿不勝鴨 [訓読]行きて見て来れば恋ほしき朝香潟山越しに置きて寐ねかてぬかも [仮名],ゆきてみて,くればこほしき,あさかがた,やまごしにおきて,いねかてぬかも
2699
[原文]安太人<乃> 八名打度 瀬速 意者雖念 直不相鴨 [訓読]阿太人の梁打ち渡す瀬を早み心は思へど直に逢はぬかも [仮名],あだひとの,やなうちわたす,せをはやみ,こころはおもへど,ただにあはぬかも
2700
[原文]玉蜻 石垣淵之 隠庭 伏<雖>死 汝名羽不謂 [訓読]玉かぎる岩垣淵の隠りには伏して死ぬとも汝が名は告らじ [仮名],たまかぎる,いはかきふちの,こもりには,ふしてしぬとも,ながなはのらじ
2701
[原文]明日香川 明日文将渡 石走 遠心者 不思鴨 [訓読]明日香川明日も渡らむ石橋の遠き心は思ほえぬかも [仮名],あすかがは,あすもわたらむ,いしはしの,とほきこころは,おもほえぬかも
2702
[原文]飛鳥川 水徃増 弥日異 戀乃増者 在勝<申><自> [訓読]明日香川水行きまさりいや日異に恋のまさらばありかつましじ [仮名],あすかがは,みづゆきまさり,いやひけに,こひのまさらば,ありかつましじ
2703
[原文]真薦苅 大野川原之 水隠 戀来之妹之 紐解吾者 [訓読]ま薦刈る大野川原の水隠りに恋ひ来し妹が紐解く我れは [仮名],まこもかる,おほのがはらの,みごもりに,こひこしいもが,ひもとくわれは
2704
[原文]悪氷木<乃> 山下動 逝水之 時友無雲 戀度鴨 [訓読]あしひきの山下響み行く水の時ともなくも恋ひわたるかも [仮名],あしひきの,やましたとよみ,ゆくみづの,ときともなくも,こひわたるかも
2705
[原文]愛八師 不相君故 徒尓 此川瀬尓 玉裳<沾>津 [訓読]はしきやし逢はぬ君ゆゑいたづらにこの川の瀬に玉裳濡らしつ [仮名],はしきやし,あはぬきみゆゑ,いたづらに,このかはのせに,たまもぬらしつ
2706
[原文]泊湍<川> 速見早湍乎 結上而 不飽八妹登 問師公羽裳 [訓読]泊瀬川早み早瀬をむすび上げて飽かずや妹と問ひし君はも [仮名],はつせがは,はやみはやせを,むすびあげて,あかずやいもと,とひしきみはも
2707
[原文]青山之 石垣沼間乃 水隠尓 戀哉<将>度 相縁乎無 [訓読]青山の岩垣沼の水隠りに恋ひやわたらむ逢ふよしをなみ [仮名],あをやまの,いはかきぬまの,みごもりに,こひやわたらむ,あふよしをなみ
2708
[原文]四長鳥 居名山響尓 行水乃 名耳所縁之 内妻波母 [一云 名<耳>所縁而 戀管哉将在] [訓読]しなが鳥猪名山響に行く水の名のみ寄そりし隠り妻はも [一云 名のみ寄そりて恋ひつつやあらむ] [仮名],しながどり,ゐなやまとよに,ゆくみづの,なのみよそりし,こもりづまはも,[なのみよそりて,こひつつやあらむ]
2709
[原文]吾妹子 吾戀樂者 水有者 之賀良三<超>而 應逝衣思 [或本歌發句云 相不思 人乎念久] [訓読]我妹子に我が恋ふらくは水ならばしがらみ越して行くべく思ほゆ [或本歌發句云 相思はぬ人を思はく] [仮名],わぎもこに,あがこふらくは,みづならば,しがらみこして,ゆくべくおもほゆ,[あひおもはぬ,ひとをおもはく]
2710
[原文]狗上之 鳥籠山尓有 不知也河 不知二五寸許瀬 余名告奈 [訓読]犬上の鳥籠の山なる不知哉川いさとを聞こせ我が名告らすな [仮名],いぬかみの,とこのやまなる,いさやかは,いさとをきこせ,わがなのらすな
2711
[原文]奥山之 木葉隠而 行水乃 音聞従 常不所忘 [訓読]奥山の木の葉隠りて行く水の音聞きしより常忘らえず [仮名],おくやまの,このはがくりて,ゆくみづの,おとききしより,つねわすらえず
2712
[原文]言急者 中波余騰益 水無河 絶跡云事乎 有超名湯目 [訓読]言急くは中は淀ませ水無川絶ゆといふことをありこすなゆめ [仮名],こととくは,なかはよどませ,みなしがは,たゆといふことを,ありこすなゆめ
2713
[原文]明日香河 逝湍乎早見 将速登 待良武妹乎 此日晩津 [訓読]明日香川行く瀬を早み早けむと待つらむ妹をこの日暮らしつ [仮名],あすかがは,ゆくせをはやみ,はやけむと,まつらむいもを,このひくらしつ
2714
[原文]物部乃 八十氏川之 急瀬 立不得戀毛 吾為鴨 [一云 立而毛君者 忘金津藻] [訓読]もののふの八十宇治川の早き瀬に立ちえぬ恋も我れはするかも [一云 立ちても君は忘れかねつも] [仮名],もののふの,やそうぢがはの,はやきせに,たちえぬこひも,あれはするかも,[たちてもきみは,わすれかねつも]
2715
[原文]神名火 打廻前乃 石淵 隠而耳八 吾戀居 [訓読]神なびの打廻の崎の岩淵の隠りてのみや我が恋ひ居らむ [仮名],かむなびの,うちみのさきの,いはぶちの,こもりてのみや,あがこひをらむ
2716
[原文]自高山 出来水 石觸 破衣念 妹不相夕者 [訓読]高山ゆ出で来る水の岩に触れ砕けてぞ思ふ妹に逢はぬ夜は [仮名],たかやまゆ,いでくるみづの,いはにふれ,くだけてぞおもふ,いもにあはぬよは
2717
[原文]朝東風尓 井<堤超>浪之 世<染>似裳 不相鬼故 瀧毛響動二 [訓読]朝東風にゐで越す波の外目にも逢はぬものゆゑ瀧もとどろに [仮名],あさごちに,ゐでこすなみの,よそめにも,あはぬものゆゑ,たきもとどろに
2718
[原文]高山之 石本瀧千 逝水之 音尓者不立 戀而雖死 [訓読]高山の岩もとたぎち行く水の音には立てじ恋ひて死ぬとも [仮名],たかやまの,いはもとたぎち,ゆくみづの,おとにはたてじ,こひてしぬとも
2719
[原文]隠沼乃 下尓戀者 飽不足 人尓語都 可忌物乎 [訓読]隠り沼の下に恋ふれば飽き足らず人に語りつ忌むべきものを [仮名],こもりぬの,したにこふれば,あきだらず,ひとにかたりつ,いむべきものを
2720
[原文]水鳥乃 鴨之住池之 下樋無 欝悒君 今日見鶴鴨 [訓読]水鳥の鴨の棲む池の下樋なみいぶせき君を今日見つるかも [仮名],みづとりの,かものすむいけの,したびなみ,いぶせききみを,けふみつるかも
2721
[原文]玉藻苅 井<堤>乃四賀良美 薄可毛 戀乃余杼女留 吾情可聞 [訓読]玉藻刈るゐでのしがらみ薄みかも恋の淀める我が心かも [仮名],たまもかる,ゐでのしがらみ,うすみかも,こひのよどめる,あがこころかも
2722
[原文]吾妹子之 笠乃借手乃 和射見野尓 吾者入跡 妹尓告乞 [訓読]我妹子が笠のかりての和射見野に我れは入りぬと妹に告げこそ [仮名],わぎもこが,かさのかりての,わざみのに,われはいりぬと,いもにつげこそ
2723
[原文]數多不有 名乎霜惜三 埋木之 下<従>其戀 去方不知而 [訓読]あまたあらぬ名をしも惜しみ埋れ木の下ゆぞ恋ふるゆくへ知らずて [仮名],あまたあらぬ,なをしもをしみ,うもれぎの,したゆぞこふる,ゆくへしらずて
2724
[原文]冷風之 千江之浦廻乃 木積成 心者依 後者雖不知 [訓読]秋風の千江の浦廻の木屑なす心は寄りぬ後は知らねど [仮名],あきかぜの,ちえのうらみの,こつみなす,こころはよりぬ,のちはしらねど
2725
[原文]白細<砂> 三津之黄土 色出而 不云耳衣 我戀樂者 [訓読]白真砂御津の埴生の色に出でて言はなくのみぞ我が恋ふらくは [仮名],しらまなご,みつのはにふの,いろにいでて,いはなくのみぞ,あがこふらくは
2726
[原文]風不吹 浦尓浪立 無名乎 吾者負香 逢者無二 [一云 女跡念而] [訓読]風吹かぬ浦に波立ちなき名をも我れは負へるか逢ふとはなしに [一云 女と思ひて] [仮名],かぜふかぬ,うらになみたち,なきなをも,われはおへるか,あふとはなしに,[をみなとおもひて]
2727
[原文]酢蛾嶋之 夏身乃浦尓 依浪 間文置 吾不念君 [訓読]酢蛾島の夏身の浦に寄する波間も置きて我が思はなくに [仮名],すがしまの,なつみのうらに,よするなみ,あひだもおきて,わがおもはなくに
2728
[原文]淡海之海 奥津嶋山 奥間經而 我念妹之 言繁<苦> [訓読]近江の海沖つ島山奥まへて我が思ふ妹が言の繁けく [仮名],あふみのうみ,おきつしまやま,おくまへて,あがおもふいもが,ことのしげけく
2729
[原文]霰零 遠<津>大浦尓 縁浪 縦毛依十万 憎不有君 [訓読]霰降り遠つ大浦に寄する波よしも寄すとも憎くあらなくに [仮名],あられふり,とほつおほうらに,よするなみ,よしもよすとも,にくくあらなくに
2730
[原文]木海之 名高之浦尓 依浪 音高鳧 不相子故尓 [訓読]紀の浦の名高の浦に寄する波音高きかも逢はぬ子ゆゑに [仮名],きのうらの,なたかのうらに,よするなみ,おとだかきかも,あはぬこゆゑに
2731
[原文]牛窓之 浪乃塩左猪 嶋響 所依之<君> 不相鴨将有 [訓読]牛窓の波の潮騒島響み寄そりし君は逢はずかもあらむ [仮名],うしまどの,なみのしほさゐ,しまとよみ,よそりしきみは,あはずかもあらむ
2732
[原文]奥波 邊浪之来縁 左太能浦之 此左太過而 後将戀可聞 [訓読]沖つ波辺波の来寄る佐太の浦のこのさだ過ぎて後恋ひむかも [仮名],おきつなみ,へなみのきよる,さだのうらの,このさだすぎて,のちこひむかも
2733
[原文]白浪之 来縁嶋乃 荒礒尓毛 有申物尾 戀乍不有者 [訓読]白波の来寄する島の荒礒にもあらましものを恋ひつつあらずは [仮名],しらなみの,きよするしまの,ありそにも,あらましものを,こひつつあらずは
2734
[原文]塩満者 水沫尓浮 細砂裳 吾者生鹿 戀者不死而 [訓読]潮満てば水泡に浮かぶ真砂にも我はなりてしか恋ひは死なずて [仮名],しほみてば,みなわにうかぶ,まなごにも,わはなりてしか,こひはしなずて
2735
[原文]住吉之 城師乃浦箕尓 布浪之 數妹乎 見因欲得 [訓読]住吉の岸の浦廻にしく波のしくしく妹を見むよしもがも [仮名],すみのえの,きしのうらみに,しくなみの,しくしくいもを,みむよしもがも
2736
[原文]風緒痛 甚振浪能 間無 吾念君者 相念濫香 [訓読]風をいたみいたぶる波の間なく我が思ふ妹は相思ふらむか [仮名],かぜをいたみ,いたぶるなみの,あひだなく,あがおもふいもは,あひおもふらむか
2737
[原文]大伴之 三津乃白浪 間無 我戀良苦乎 人之不知久 [訓読]大伴の御津の白波間なく我が恋ふらくを人の知らなく [仮名],おほともの,みつのしらなみ,あひだなく,あがこふらくを,ひとのしらなく
2738
[原文]大船乃 絶多經海尓 重石下 何如為鴨 吾戀将止 [訓読]大船のたゆたふ海にいかり下ろしいかにせばかも我が恋やまむ [仮名],おほぶねの,たゆたふうみに,いかりおろし,いかにせばかも,あがこひやまむ
2739
[原文]水沙兒居 奥<麁>礒尓 縁浪 徃方毛不知 吾戀久波 [訓読]みさご居る沖つ荒礒に寄する波ゆくへも知らず我が恋ふらくは [仮名],みさごゐる,おきつありそに,よするなみ,ゆくへもしらず,あがこふらくは
2740
[原文]大船之 <艫毛舳>毛 依浪 <依>友吾者 君之<任>意 [訓読]大船の艫にも舳にも寄する波寄すとも我れは君がまにまに [仮名],おほぶねの,ともにもへにも,よするなみ,よすともわれは,きみがまにまに
2741
[原文]大海二 立良武浪者 間将有 公二戀等九 止時毛梨 [訓読]大船に立つらむ波は間あらむ君に恋ふらくやむ時もなし [仮名],おほぶねに,たつらむなみは,あひだあらむ,きみにこふらく,やむときもなし
2742
[原文]<壮>鹿海部乃 火氣焼立而 燎塩乃 辛戀毛 吾為鴨 [訓読]志賀の海人の煙焼き立て焼く塩の辛き恋をも我れはするかも [仮名],しかのあまの,けぶりやきたて,やくしほの,からきこひをも,あれはするかも
2743
[原文]中々二 君二不戀者 <枚>浦乃 白水郎有申尾 玉藻苅管 [訓読]なかなかに君に恋ひずは比良の浦の海人ならましを玉藻刈りつつ [仮名],なかなかに,きみにこひずは,ひらのうらの,あまならましを,たまもかりつつ
2743S
[原文]中々尓 君尓不戀波 留<牛馬>浦之 海部尓有益男 珠藻苅<々> [訓読]なかなかに君に恋ひずは縄の浦の海人にあらましを玉藻刈る刈る [仮名],なかなかに,きみにこひずは,なはのうらの,あまにあらましを,たまもかるかる
2744
[原文]鈴寸取 海部之燭火 外谷 不見人故 戀比日 [訓読]鱸取る海人の燈火外にだに見ぬ人ゆゑに恋ふるこのころ [仮名],すずきとる,あまのともしび,よそにだに,みぬひとゆゑに,こふるこのころ
2745
[原文]湊入之 葦別小<舟> 障多見 吾念<公>尓 不相頃者鴨 [訓読]港入りの葦別け小舟障り多み我が思ふ君に逢はぬころかも [仮名],みなといりの,あしわけをぶね,さはりおほみ,あがおもふきみに,あはぬころかも
2746
[原文]庭浄 奥方榜出 海舟乃 執梶間無 戀為鴨 [訓読]庭清み沖へ漕ぎ出る海人舟の楫取る間なき恋もするかも [仮名],にはきよみ,おきへこぎづる,あまぶねの,かぢとるまなき,こひもするかも
2747
[原文]味鎌之 塩津乎射而 水手船之 名者謂手師乎 不相将有八方 [訓読]あぢかまの塩津をさして漕ぐ船の名は告りてしを逢はざらめやも [仮名],あぢかまの,しほつをさして,こぐふねの,なはのりてしを,あはざらめやも
2748
[原文]大<船>尓 葦荷苅積 四美見似裳 妹心尓 乗来鴨 [訓読]大船に葦荷刈り積みしみみにも妹は心に乗りにけるかも [仮名],おほぶねに,あしにかりつみ,しみみにも,いもはこころに,のりにけるかも
2749
[原文]驛路尓 引舟渡 直乗尓 妹情尓 乗来鴨 [訓読]駅路に引き舟渡し直乗りに妹は心に乗りにけるかも [仮名],はゆまぢに,ひきふねわたし,ただのりに,いもはこころに,のりにけるかも
2750
[原文]吾妹子 不相久 馬下乃 阿倍橘乃 蘿生左右 [訓読]我妹子に逢はず久しもうましもの安倍橘の苔生すまでに [仮名],わぎもこに,あはずひさしも,うましもの,あへたちばなの,こけむすまでに
2751
[原文]味乃住 渚沙乃入江之 荒礒松 我乎待兒等波 但一耳 [訓読]あぢの住む渚沙の入江の荒礒松我を待つ子らはただ独りのみ [仮名],あぢのすむ,すさのいりえの,ありそまつ,あをまつこらは,ただひとりのみ
2752
[原文]吾妹兒乎 聞都賀野邊能 靡合歡木 吾者隠不得 間無念者 [訓読]我妹子を聞き都賀野辺のしなひ合歓木我れは忍びず間なくし思へば [仮名],わぎもこを,ききつがのへの,しなひねぶ,われはしのびず,まなくしおもへば
2753
[原文]浪間従 所見小嶋 濱久木 久成奴 君尓不相四手 [訓読]波の間ゆ見ゆる小島の浜久木久しくなりぬ君に逢はずして [仮名],なみのまゆ,みゆるこしまの,はまひさぎ,ひさしくなりぬ,きみにあはずして
2754
[原文]朝柏 閏八河邊之 小竹之眼笶 思而宿者 夢所見来 [訓読]朝柏潤八川辺の小竹の芽の偲ひて寝れば夢に見えけり [仮名],あさかしは,うるやかはへの,しののめの,しのひてぬれば,いめにみえけり
2755
[原文]淺茅原 苅標刺而 空事文 所縁之君之 辞鴛鴦将待 [訓読]浅茅原刈り標さして空言も寄そりし君が言をし待たむ [仮名],あさぢはら,かりしめさして,むなことも,よそりしきみが,ことをしまたむ
2756
[原文]月草之 借有命 在人乎 何知而鹿 後毛将相<云> [訓読]月草の借れる命にある人をいかに知りてか後も逢はむと言ふ [仮名],つきくさの,かれるいのちに,あるひとを,いかにしりてか,のちもあはむといふ
2757
[原文]王之 御笠尓縫有 在間菅 有管雖看 事無吾妹 [訓読]大君の御笠に縫へる有間菅ありつつ見れど事なき我妹 [仮名],おほきみの,みかさにぬへる,ありますげ,ありつつみれど,ことなきわぎも
2758
[原文]菅根之 懃妹尓 戀西 益卜<男>心 不所念鳧 [訓読]菅の根のねもころ妹に恋ふるにし大夫心思ほえぬかも [仮名],すがのねの,ねもころいもに,こふるにし,ますらをごころ,おもほえぬかも
2759
[原文]吾屋戸之 穂蓼古幹 採生之 實成左右二 君乎志将待 [訓読]我が宿の穂蓼古幹摘み生し実になるまでに君をし待たむ [仮名],わがやどの,ほたでふるから,つみおほし,みになるまでに,きみをしまたむ
2760
[原文]足桧之 山澤徊具乎 採将去 日谷毛相<為> 母者責十方 [訓読]あしひきの山沢ゑぐを摘みに行かむ日だにも逢はせ母は責むとも [仮名],あしひきの,やまさはゑぐを,つみにゆかむ,ひだにもあはせ,はははせむとも
2761
[原文]奥山之 石本菅乃 根深毛 所思鴨 吾念妻者 [訓読]奥山の岩本菅の根深くも思ほゆるかも我が思ひ妻は [仮名],おくやまの,いはもとすげの,ねふかくも,おもほゆるかも,あがおもひづまは
2762
[原文]蘆垣之 中之似兒草 尓故余漢 我共咲為而 人尓所知名 [訓読]葦垣の中の和草にこやかに我れと笑まして人に知らゆな [仮名],あしかきの,なかのにこぐさ,にこやかに,われとゑまして,ひとにしらゆな
2763
[原文]紅之 淺葉乃野良尓 苅草乃 束之間毛 吾忘渚菜 [訓読]紅の浅葉の野らに刈る草の束の間も我を忘らすな [仮名],くれなゐの,あさはののらに,かるかやの,つかのあひだも,あをわすらすな
2764
[原文]為妹 壽遺在 苅<薦>之 思乱而 應死物乎 [訓読]妹がため命残せり刈り薦の思ひ乱れて死ぬべきものを [仮名],いもがため,いのちのこせり,かりこもの,おもひみだれて,しぬべきものを
2765
[原文]吾妹子尓 戀乍不有者 苅薦之 思乱而 可死鬼乎 [訓読]我妹子に恋つつあらずは刈り薦の思ひ乱れて死ぬべきものを [仮名],わぎもこに,こひつつあらずは,かりこもの,おもひみだれて,しぬべきものを
2766
[原文]三嶋江之 入江之薦乎 苅尓社 吾乎婆公者 念有来 [訓読]三島江の入江の薦を刈りにこそ我れをば君は思ひたりけれ [仮名],みしまえの,いりえのこもを,かりにこそ,われをばきみは,おもひたりけれ
2767
[原文]足引乃 山橘之 色出而 吾戀南雄 <人>目難為名 [訓読]あしひきの山橘の色に出でて我は恋なむを人目難みすな [仮名],あしひきの,やまたちばなの,いろにいでて,あはこひなむを,ひとめかたみすな
2768
[原文]葦多頭乃 颯入江乃 白菅乃 知為等 乞痛鴨 [訓読]葦鶴の騒く入江の白菅の知らせむためと言痛かるかも [仮名],あしたづの,さわくいりえの,しらすげの,しらせむためと,こちたかるかも
2769
[原文]吾背子尓 吾戀良久者 夏草之 苅除十方 生及如 [訓読]我が背子に我が恋ふらくは夏草の刈り除くれども生ひしくごとし [仮名],わがせこに,あがこふらくは,なつくさの,かりそくれども,おひしくごとし
2770
[原文]道邊乃 五柴原能 何時毛々々々 人之将縦 言乎思将待 [訓読]道の辺のいつ柴原のいつもいつも人の許さむ言をし待たむ [仮名],みちのへの,いつしばはらの,いつもいつも,ひとのゆるさむ,ことをしまたむ
2771
[原文]吾妹子之 袖乎憑而 真野浦之 小菅乃笠乎 不著而来二来有 [訓読]我妹子が袖を頼みて真野の浦の小菅の笠を着ずて来にけり [仮名],わぎもこが,そでをたのみて,まののうらの,こすげのかさを,きずてきにけり
2772
[原文]真野池之 小菅乎笠尓 不縫為<而> 人之遠名乎 可立物可 [訓読]真野の池の小菅を笠に縫はずして人の遠名を立つべきものか [仮名],まののいけの,こすげをかさに,ぬはずして,ひとのとほなを,たつべきものか
2773
[原文]刺竹 齒隠有 吾背子之 吾許不来者 吾将戀八方 [訓読]さす竹の世隠りてあれ我が背子が我がりし来ずは我れ恋めやも [仮名],さすたけの,よごもりてあれ,わがせこが,わがりしこずは,あれこひめやも
2774
[原文]神南備能 淺小竹原乃 美 妾思公之 聲之知家口 [訓読]神奈備の浅小竹原のうるはしみ我が思ふ君が声のしるけく [仮名],かむなびの,あさぢのはらの,うるはしみ,あがおもふきみが,こゑのしるけく
2775
[原文]山高 谷邊蔓在 玉葛 絶時無 見因毛欲得 [訓読]山高み谷辺に延へる玉葛絶ゆる時なく見むよしもがも [仮名],やまたかみ,たにへにはへる,たまかづら,たゆるときなく,みむよしもがも
2776
[原文]道邊 草冬野丹 履干 吾立待跡 妹告乞 [訓読]道の辺の草を冬野に踏み枯らし我れ立ち待つと妹に告げこそ [仮名],みちのへの,くさをふゆのに,ふみからし,われたちまつと,いもにつげこそ
2777
[原文]疊薦 隔編數 通者 道之柴草 不生有申尾 [訓読]畳薦へだて編む数通はさば道の芝草生ひずあらましを [仮名],たたみこも,へだてあむかず,かよはさば,みちのしばくさ,おひずあらましを
2778
[原文]水底尓 生玉藻之 生不出 縦比者 如是而将通 [訓読]水底に生ふる玉藻の生ひ出でずよしこのころはかくて通はむ [仮名],みなそこに,おふるたまもの,おひいでず,よしこのころは,かくてかよはむ
2779
[原文]海原之 奥津縄乗 打靡 心裳<四>怒尓 所念鴨 [訓読]海原の沖つ縄海苔うち靡き心もしのに思ほゆるかも [仮名],うなはらの,おきつなはのり,うちなびき,こころもしのに,おもほゆるかも
2780
[原文]紫之 名高乃浦之 靡藻之 情者妹尓 因西鬼乎 [訓読]紫の名高の浦の靡き藻の心は妹に寄りにしものを [仮名],むらさきの,なたかのうらの,なびきもの,こころはいもに,よりにしものを
2781
[原文]海底 奥乎深目手 生藻之 最今社 戀者為便無寸 [訓読]海の底奥を深めて生ふる藻のもとも今こそ恋はすべなき [仮名],わたのそこ,おきをふかめて,おふるもの,もともいまこそ,こひはすべなき
2782
[原文]左寐蟹齒 孰共毛宿常 奥藻之 名延之君之 言待吾乎 [訓読]さ寝がには誰れとも寝めど沖つ藻の靡きし君が言待つ我れを [仮名],さぬがには,たれともぬめど,おきつもの,なびきしきみが,ことまつわれを
2783
[原文]吾妹子之 奈何跡裳吾 不思者 含花之 穂應咲 [訓読]我妹子が何とも我れを思はねばふふめる花の穂に咲きぬべし [仮名],わぎもこが,なにともわれを,おもはねば,ふふめるはなの,ほにさきぬべし
2784
[原文]隠庭 戀而死鞆 三苑原之 鶏冠草花乃 色二出目八<方> [訓読]隠りには恋ひて死ぬともみ園生の韓藍の花の色に出でめやも [仮名],こもりには,こひてしぬとも,みそのふの,からあゐのはなの,いろにいでめやも
2785
[原文]開花者 雖過時有 我戀流 心中者 止時毛梨 [訓読]咲く花は過ぐる時あれど我が恋ふる心のうちはやむ時もなし [仮名],さくはなは,すぐるときあれど,あがこふる,こころのうちは,やむときもなし
2786
[原文]山振之 尓保敝流妹之 翼酢色乃 赤裳之為形 夢所見管 [訓読]山吹のにほへる妹がはねず色の赤裳の姿夢に見えつつ [仮名],やまぶきの,にほへるいもが,はねずいろの,あかものすがた,いめにみえつつ
2787
[原文]天地之 依相極 玉緒之 不絶常念 妹之當見津 [訓読]天地の寄り合ひの極み玉の緒の絶えじと思ふ妹があたり見つ [仮名],あめつちの,よりあひのきはみ,たまのをの,たえじとおもふ,いもがあたりみつ
2788
[原文]生緒尓 念者苦 玉緒乃 絶天乱名 知者知友 [訓読]息の緒に思へば苦し玉の緒の絶えて乱れな知らば知るとも [仮名],いきのをに,おもへばくるし,たまのをの,たえてみだれな,しらばしるとも
2789
[原文]玉緒之 絶而有戀之 乱者 死巻耳其 又毛不相為而 [訓読]玉の緒の絶えたる恋の乱れなば死なまくのみぞまたも逢はずして [仮名],たまのをの,たえたるこひの,みだれなば,しなまくのみぞ,またもあはずして
2790
[原文]玉緒之 久栗縁乍 末終 去者不別 同緒将有 [訓読]玉の緒のくくり寄せつつ末つひに行きは別れず同じ緒にあらむ [仮名],たまのをの,くくりよせつつ,すゑつひに,ゆきはわかれず,おなじをにあらむ
2791
[原文]片絲用 貫有玉之 緒乎弱 乱哉為南 人之可知 [訓読]片糸もち貫きたる玉の緒を弱み乱れやしなむ人の知るべく [仮名],かたいともち,ぬきたるたまの,ををよわみ,みだれやしなむ,ひとのしるべく
2792
[原文]玉緒之 <寫>意哉 年月乃 行易及 妹尓不逢将有 [訓読]玉の緒の現し心や年月の行きかはるまで妹に逢はずあらむ [仮名],たまのをの,うつしごころや,としつきの,ゆきかはるまで,いもにあはずあらむ
2793
[原文]玉緒之 間毛不置 欲見 吾思妹者 家遠在而 [訓読]玉の緒の間も置かず見まく欲り我が思ふ妹は家遠くありて [仮名],たまのをの,あひだもおかず,みまくほり,あがおもふいもは,いへどほくありて
2794
[原文]隠津之 澤立見尓有 石根従毛 達而念 君尓相巻者 [訓読]隠り津の沢たつみなる岩根ゆも通してぞ思ふ君に逢はまくは [仮名],こもりづの,さはたつみなる,いはねゆも,とほしてぞおもふ,きみにあはまくは
2795
[原文]木國之 飽等濱之 礒貝之 我者不忘 <年>者雖歴 [訓読]紀の国の飽等の浜の忘れ貝我れは忘れじ年は経ぬとも [仮名],きのくにの,あくらのはまの,わすれがひ,われはわすれじ,としはへぬとも
2796
[原文]水泳 玉尓接有 礒貝之 獨戀耳 <年>者經管 [訓読]水くくる玉に交じれる磯貝の片恋ひのみに年は経につつ [仮名],みづくくる,たまにまじれる,いそかひの,かたこひのみに,としはへにつつ
2797
[原文]住吉之 濱尓縁云 打背貝 實無言以 余将戀八方 [訓読]住吉の浜に寄るといふうつせ貝実なき言もち我れ恋ひめやも [仮名],すみのえの,はまによるといふ,うつせがひ,みなきこともち,あれこひめやも
2798
[原文]伊勢乃白水郎之 朝魚夕菜尓 潜云 鰒貝之 獨念荷指天 [訓読]伊勢の海人の朝な夕なに潜くといふ鰒の貝の片思にして [仮名],いせのあまの,あさなゆふなに,かづくといふ,あはびのかひの,かたもひにして
2799
[原文]人事乎 繁跡君乎 鶉鳴 人之古家尓 相<語>而遣都 [訓読]人言を繁みと君を鶉鳴く人の古家に語らひて遣りつ [仮名],ひとごとを,しげみときみを,うづらなく,ひとのふるへに,かたらひてやりつ
2800
[原文]旭時等 鶏鳴成 縦恵也思 獨宿夜者 開者雖明 [訓読]暁と鶏は鳴くなりよしゑやしひとり寝る夜は明けば明けぬとも [仮名],あかときと,かけはなくなり,よしゑやし,ひとりぬるよは,あけばあけぬとも
2801
[原文]大海之 荒礒之渚鳥 朝名旦名 見巻欲乎 不所見公可聞 [訓読]大海の荒礒の洲鳥朝な朝な見まく欲しきを見えぬ君かも [仮名],おほうみの,ありそのすどり,あさなさな,みまくほしきを,みえぬきみかも
2802
[原文]念友 念毛金津 足桧之 山鳥尾之 永此夜乎 [訓読]思へども思ひもかねつあしひきの山鳥の尾の長きこの夜を [仮名],おもへども,おもひもかねつ,あしひきの,やまどりのをの,ながきこのよを
2802S
[原文]足日木乃 山鳥之尾乃 四垂尾乃 長永夜乎 一鴨将宿 [訓読]あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む [仮名],あしひきの,やまどりのをの,しだりをの,ながながしよを,ひとりかもねむ
2803
[原文]里中尓 鳴奈流鶏之 喚立而 甚者不鳴 隠妻羽毛 [一云 里動 鳴成鶏] [訓読]里中に鳴くなる鶏の呼び立てていたくは泣かぬ隠り妻はも [一云 里響め鳴くなる鶏の] [仮名],さとなかに,なくなるかけの,よびたてて,いたくはなかぬ,こもりづまはも,[さととよめ,なくなるかけの]
2804
[原文]高山尓 高部左渡 高々尓 余待公乎 待将出可聞 [訓読]高山にたかべさ渡り高々に我が待つ君を待ち出でむかも [仮名],たかやまに,たかべさわたり,たかたかに,わがまつきみを,まちいでむかも
2805
[原文]伊勢能海従 鳴来鶴乃 音杼侶毛 君之所聞者 吾将戀八方 [訓読]伊勢の海ゆ鳴き来る鶴の音どろも君が聞こさば我れ恋ひめやも [仮名],いせのうみゆ,なきくるたづの,おとどろも,きみがきこさば,あれこひめやも
2806
[原文]吾妹兒尓 戀尓可有牟 奥尓住 鴨之浮宿之 安雲無 [訓読]我妹子に恋ふれにかあらむ沖に棲む鴨の浮寝の安けくもなし [仮名],わぎもこに,こふれにかあらむ,おきにすむ,かものうきねの,やすけくもなし
2807
[原文]可旭 千鳥數鳴 白細乃 君之手枕 未Q君 [訓読]明けぬべく千鳥しば鳴く白栲の君が手枕いまだ飽かなくに [仮名],あけぬべく,ちとりしばなく,しろたへの,きみがたまくら,いまだあかなくに
問答2808
[原文]眉根掻 鼻火紐解 待八方 何時毛将見跡 戀来吾乎 [訓読]眉根掻き鼻ひ紐解け待てりやもいつかも見むと恋ひ来し我れを [仮名],まよねかき,はなひひもとけ,まてりやも,いつかもみむと,こひこしわれを
2809
[原文]今日有者 鼻<火鼻火之> 眉可由見 思之言者 君西在来 [訓読]今日なれば鼻ひ鼻ひし眉かゆみ思ひしことは君にしありけり [仮名],けふなれば,はなひはなひし,まよかゆみ,おもひしことは,きみにしありけり
2810
[原文]音耳乎 聞而哉戀 犬馬鏡 <直目>相而 戀巻裳太口 [訓読]音のみを聞きてや恋ひむまそ鏡直目に逢ひて恋ひまくもいたく [仮名],おとのみを,ききてやこひむ,まそかがみ,ただめにあひて,こひまくもいたく
2811
[原文]此言乎 聞跡<平> 真十鏡 照月夜裳 闇耳見 [訓読]この言を聞かむとならしまそ鏡照れる月夜も闇のみに見つ [仮名],このことを,きかむとならし,まそかがみ,てれるつくよも,やみのみにみつ
2812
[原文]吾妹兒尓 戀而為便無<三> 白細布之 袖反之者 夢所見也 [訓読]我妹子に恋ひてすべなみ白栲の袖返ししは夢に見えきや [仮名],わぎもこに,こひてすべなみ,しろたへの,そでかへししは,いめにみえきや
2813
[原文]吾背子之 袖反夜之 夢有之 真毛君尓 如相有 [訓読]我が背子が袖返す夜の夢ならしまことも君に逢ひたるごとし [仮名],わがせこが,そでかへすよの,いめならし,まこともきみに,あひたるごとし
2814
[原文]吾戀者 名草目金津 真氣長 夢不所見而 <年>之經去礼者 [訓読]我が恋は慰めかねつま日長く夢に見えずて年の経ぬれば [仮名],あがこひは,なぐさめかねつ,まけながく,いめにみえずて,としのへぬれば
2815
[原文]真氣永 夢毛不所見 雖絶 吾之片戀者 止時毛不有 [訓読]ま日長く夢にも見えず絶えぬとも我が片恋はやむ時もあらじ [仮名],まけながく,いめにもみえず,たえぬとも,あがかたこひは,やむときもあらじ
2816
[原文]浦觸而 物莫念 天雲之 絶多不心 吾念莫國 [訓読]うらぶれて物な思ひそ天雲のたゆたふ心我が思はなくに [仮名],うらぶれて,ものなおもひそ,あまくもの,たゆたふこころ,わがおもはなくに
2817
[原文]浦觸而 物者不念 水無瀬川 有而毛水者 逝云物乎 [訓読]うらぶれて物は思はじ水無瀬川ありても水は行くといふものを [仮名],うらぶれて,ものはおもはじ,みなせがは,ありてもみづは,ゆくといふものを
2818
[原文]垣津旗 開沼之菅乎 笠尓縫 将著日乎待尓 <年>曽經去来 [訓読]かきつはた佐紀沼の菅を笠に縫ひ着む日を待つに年ぞ経にける [仮名],かきつはた,さきぬのすげを,かさにぬひ,きむひをまつに,としぞへにける
2819
[原文]臨照 難波菅笠 置古之 後者誰将著 笠有莫國 [訓読]おしてる難波菅笠置き古し後は誰が着む笠ならなくに [仮名],おしてる,なにはすがかさ,おきふるし,のちはたがきむ,かさならなくに
2820
[原文]如是谷裳 妹乎待南 左夜深而 出来月之 傾二手荷 [訓読]かくだにも妹を待ちなむさ夜更けて出で来し月のかたぶくまでに [仮名],かくだにも,いもをまちなむ,さよふけて,いでこしつきの,かたぶくまでに
2821
[原文]木間従 移歴月之 影惜 俳徊尓 左夜深去家里 [訓読]木の間より移ろふ月の影を惜しみ立ち廻るにさ夜更けにけり [仮名],このまより,うつろふつきの,かげををしみ,たちもとほるに,さよふけにけり
2822
[原文]栲領布乃 白濱浪乃 不肯縁 荒振妹尓 戀乍曽居 [一云 戀流己呂可母] [訓読]栲領布の白浜波の寄りもあへず荒ぶる妹に恋ひつつぞ居る [一云 恋ふるころかも] [仮名],たくひれの,しらはまなみの,よりもあへず,あらぶるいもに,こひつつぞをる,[こふるころかも]
2823
[原文]加敝良末尓 君社吾尓 栲領巾之 白濱浪乃 縁時毛無 [訓読]かへらまに君こそ我れに栲領巾の白浜波の寄る時もなき [仮名],かへらまに,きみこそわれに,たくひれの,しらはまなみの,よるときもなき
2824
[原文]念人 <将>来跡知者 八重六倉 覆庭尓 珠布益乎 [訓読]思ふ人来むと知りせば八重葎覆へる庭に玉敷かましを [仮名],おもふひと,こむとしりせば,やへむぐら,おほへるにはに,たましかましを
2825
[原文]玉敷有 家毛何将為 八重六倉 覆小屋毛 妹与居者 [訓読]玉敷ける家も何せむ八重葎覆へる小屋も妹と居りせば [仮名],たましける,いへもなにせむ,やへむぐら,おほへるこやも,いもとをりせば
2826
[原文]如是為乍 有名草目手 玉緒之 絶而別者 為便可無 [訓読]かくしつつあり慰めて玉の緒の絶えて別ればすべなかるべし [仮名],かくしつつ,ありなぐさめて,たまのをの,たえてわかれば,すべなかるべし
2827
[原文]紅 花西有者 衣袖尓 染著持而 可行所念 [訓読]紅の花にしあらば衣手に染め付け持ちて行くべく思ほゆ [仮名],くれなゐの,はなにしあらば,ころもでに,そめつけもちて,ゆくべくおもほゆ
譬喩2828
[原文]紅之 深染乃衣乎 下著者 人之見久尓 仁寳比将出鴨 [訓読]紅の深染めの衣を下に着ば人の見らくににほひ出でむかも [仮名],くれなゐの,こそめのきぬを,したにきば,ひとのみらくに,にほひいでむかも
2829
[原文]衣霜 多在南 取易而 著者也君之 面忘而有 [訓読]衣しも多くあらなむ取り替へて着ればや君が面忘れたる [仮名],ころもしも,おほくあらなむ,とりかへて,きればやきみが,おもわすれたる
2830
[原文]梓弓 弓束巻易 中見刺 更雖引 君之随意 [訓読]梓弓弓束巻き替へ中見さしさらに引くとも君がまにまに [仮名],あづさゆみ,ゆづかまきかへ,なかみさし,さらにひくとも,きみがまにまに
2831
[原文]水沙兒居 渚座船之 夕塩乎 将待従者 吾社益 [訓読]みさご居る洲に居る舟の夕潮を待つらむよりは我れこそまされ [仮名],みさごゐる,すにゐるふねの,ゆふしほを,まつらむよりは,われこそまされ
2832
[原文]山河尓 筌乎伏而 不肯盛 <年>之八歳乎 吾竊N師 [訓読]山川に筌を伏せて守りもあへず年の八年を我がぬすまひし [仮名],やまがはに,うへをふせて,もりもあへず,としのやとせを,わがぬすまひし
2833
[原文]葦鴨之 多集池水 雖溢 儲溝方尓 吾将越八方 [訓読]葦鴨のすだく池水溢るともまけ溝の辺に我れ越えめやも [仮名],あしがもの,すだくいけみづ,はふるとも,まけみぞのへに,われこえめやも
2834
[原文]日本之 室原乃毛桃 本繁 言大王物乎 不成不止 [訓読]大和の室生の毛桃本繁く言ひてしものをならずはやまじ [仮名],やまとの,むろふのけもも,もとしげく,いひてしものを,ならずはやまじ
2835
[原文]真葛延 小野之淺茅乎 自心毛 人引目八面 吾莫名國 [訓読]ま葛延ふ小野の浅茅を心ゆも人引かめやも我がなけなくに [仮名],まくずはふ,をののあさぢを,こころゆも,ひとひかめやも,わがなけなくに
2836
[原文]三嶋菅 未苗在 時待者 不著也将成 三嶋菅笠 [訓読]三島菅いまだ苗なり時待たば着ずやなりなむ三島菅笠 [仮名],みしますげ,いまだなへなり,ときまたば,きずやなりなむ,みしますがかさ
2837
[原文]三吉野之 水具麻我菅乎 不編尓 苅耳苅而 将乱跡也 [訓読]み吉野の水隈が菅を編まなくに刈りのみ刈りて乱りてむとや [仮名],みよしのの,みぐまがすげを,あまなくに,かりのみかりて,みだりてむとや
2838
[原文]河上尓 洗若菜之 流来而 妹之當乃 瀬社因目 [訓読]川上に洗ふ若菜の流れ来て妹があたりの瀬にこそ寄らめ [仮名],かはかみに,あらふわかなの,ながれきて,いもがあたりの,せにこそよらめ
2839
[原文]如是為哉 猶八成牛鳴 大荒木之 浮田之<社>之 標尓不有尓 [訓読]かくしてやなほやまもらむ大荒木の浮田の社の標にあらなくに [仮名],かくしてや,なほやまもらむ,おほあらきの,うきたのもりの,しめにあらなくに
2840
[原文]幾多毛 不零雨故 吾背子之 三名乃幾許 瀧毛動響二 [訓読]いくばくも降らぬ雨ゆゑ我が背子が御名のここだく瀧もとどろに [仮名],いくばくも,ふらぬあめゆゑ,わがせこが,みなのここだく,たきもとどろに
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