About the electronic version:
Title: Midaregami [a machine-readable transcription]
Author: Yosano, Akiko
Creation of machine-readable version: Sachiko Iwabuchi, University of Virginia Electronic Text Center
Conversion to TEI.2-conformant markup: University of Virginia Library Electronic Text Center.
University of Virginia Library.
URL: http://etext.lib.virginia.edu/japanese/
Note: Additional proofing by Ryuichi Takahashi
©1998 by the Rector and Visitors of the University of Virginia


About the original source:
Title: Midaregami
Author: Akiko Yosano
Publisher: Tokyo: Tokyo Shinshisha, Meiji 34 [1901]




臙脂紫





1

夜の帳にささめき盡きし星の今を下界の人の鬢のほつれよ




2

歌にきけな誰れ野の花に紅き否むおもむきあるかな春罪もつ子




3

髪五尺ときなば水にやはらかき少女ごころは秘めて放たじ




4

血ぞもゆるかさむひと夜の夢のやど春を行く人神おとしめな




5

椿それも梅もさなりき白かりきわが罪問はぬ色桃に見る




6

その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな




7

堂の鐘のひくきゆふべを前髪の桃のつぼみに經たまへ君




8

紫にもみうらにほふみだれ篋をかくしわづらふ宵の春の神




9

臙脂色は誰にかたらむ血のゆらぎ春のおもひのさかりの命




10

紫の濃き虹説きしさかづきに映る春の子眉毛かぼそき




11

紺青を絹にわが泣く春の暮やまぶきがさね友歌ねびぬ




12

まゐる酒に灯あかき宵を歌たまへ女はらから牡丹に名なき




13

海棠にえうなくときし紅すてて夕雨みやる瞳よたゆきる




14

水にねし嵯峨の大堰のひと夜神絽蚊帳の裾の歌ひめたまへ




15

春の國戀の御國のあさぼらけしるきは髪か梅花のあぶら




16

今はゆかむさらばと云ひし夜の神の御裾さはりてわが髪ぬれぬ




17

細きわがうなじにあまる御手のべてささへたまへな歸る夜の神




18

清水へ祇園をよぎる櫻月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき




19

秋の神の御衣より曵く白き虹ものおもふ子の額に消えぬ




20

經はにがし春のゆふべを奥の院の二十五菩薩歌うけたまへ




21

山ごもりかくてあれなのみをしへよ紅つくるころ桃の花のさかむ




22

とき髪に室むつまじの百合のかをり消えをあやぶむ夜の淡紅色よ




23

雲ぞ青き來し夏姫が朝の髪うつくしいかな水に流るる




24

夜の神の朝のり歸る羊とらへちさき枕のしたにかくさむ




25

みぎはくる牛かひ男歌あれな秋のみづうみあまりさびしき




26

やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君




27

許したまへあらずばこその今のわが身うすむらさきの酒うつくしき




28

わすれがたきとのみに趣味をみとめませ説かじ紫その秋の花




29

人かへさず暮れむの春の宵ごこち小琴にもたす亂れ亂れ髪




30

たまくらに鬢のひとすぢきれし音を小琴と聞きし春の夜の夢




31

春雨にぬれて君こし草の門よおもはれ顏の海棠の夕




32

小草いひぬ『醉へる涙の色にさかむそれまで斯くて覺めざれな少女』




33

牧場いでて南にはしる水ながしさても緑の野にふさふ君




34

春よ老いな藤によりたる夜の舞殿ゐならぶ子らよ束の間老いな




35

雨みゆるうき葉しら蓮繪師の君に傘まゐらする三尺の船




36

御相いとどしたしみやすきなつかしき若葉木立の中の盧遮那佛




37

さて責むな高きにのぼり君みずや紅の涙の永劫のあと




38

春雨にゆふべの宮をまよひ出でし小羊君をのろはしの我れ




39

ゆあみする泉の底の小百合花二十の夏をうつくしと見ぬ




40

みだれごこちまどひごこちぞ頻なる百合ふむ神に乳おほひあへず




41

くれなゐの薔薇のかさねの唇に靈の香のなき歌のせますな




42

旅のやど水に端居の僧の君をいみじと泣きぬ夏の夜の月




43

春の夜の闇の中くるあまき風しばしかの子が髪に吹かざれ




44

水に飢ゑて森をさまよふ小羊のそのまなざしに似たらずや君




45

誰ぞ夕ひがし生駒の山の上のまよひの雲にこの子うらなへ




46

悔いますなおさへし袖に折れし劒つひの理想の花に刺あらじ




47

額ごしに曉の月みる加茂川の淺水色のみだれ藻染よ




48

御袖くくりかへりますかの薄闇の欄干夏の加茂川の神




49

なほ許せ御國遠くば夜の御神紅盃船に送りまゐらせむ




50

狂ひの子われに焔の翅かろき百三十里あわただしの旅




51

今ここにかへりみすればわがなさけ闇をおそれぬめしひに似たり




52

うつくしき命を惜しと神のいひぬ願ひのそれは果してし今




53

わかき小指胡粉をとくにまどひあり夕ぐれ寒き木蓮の花




54

ゆるされし朝よそほひのしばらくを君に歌へな山の鶯




55

ふしませとその間さがりし春の宵衣桁にかけし御袖かつぎぬ




56

みだれ髪を京の島田にかへし朝ふしてゐませの君ゆりおこす




57

しのび足に君を追ひゆく薄月夜右のたもとの文がらおもき




58

紫に小草が上へ影おちぬ野の春かぜに髪けづる朝




59

繪日傘をかなたの岸の草になげわたる小川よ春の水ぬるき




60

しら壁へ歌ひとつ染めむねがひにて笠はあらざりき二百里の旅




61

嵯峨の君を歌に假せなの朝のすさびすねし鏡のわが夏姿




62

ふさひ知らぬ新婦かざすしら萩に今宵の神のそと片笑みし




63

ひと枝の野の梅をらば足りぬべしこれかりそめのかりそめの別れ




64

鶯は君が聲よともどきながら緑のとばりそとかかげ見る




65

紫の虹の滴り花におちて成りしかひなの夢うたがふな




66

ほととぎす嵯峨へは一里京へは三里水の清瀧夜の明けやすき




67

紫の理想の雲はちぎれ/\仰ぐわが空それはた消えぬ




68

乳ぶさおさへ神秘のとばりそとけりぬここなる花の紅ぞ濃き




69

神の背にひろきながめをねがはずや今かたかたの袖ぞむらさき




70

とや心朝の小琴の四つの緒のひとつを永久に神きりすてし




71

ひく袖に片笑もらす春ぞわかき朝のうしほの戀のたはぶれ




72

くれの春隣すむ畫師うつくしき今朝山吹に聲わかかりし




73

郷人にとなり邸のしら藤の花はとのみに問ひもかねたる




74

人にそひて樒ささぐるこもり妻母なる君を御墓に泣きぬ




75

なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな




76

おばしまにおもひはてなき身をもたせ小萩をわたる秋の風見る




77

ゆあみして泉を出でしやははだにふるるはつらき人の世のきぬ




78

賣りし琴にむつびの曲をのせしひびき逢魔がどきの黒百合折れぬ




79

うすものの二尺のたもとすべりおちて螢ながるる夜風の青き




80

戀ならぬねざめたたずむ野のひろさ名なし小川のうつくしき夏




81

このおもひ何とならむのまどひもちしその昨日すらさびしかりし我れ




82

おりたちてうつつなき身の牡丹見ぬそぞろや夜を蝶のねにこし




83

その涙のごふゑにしは持たざりきさびしの水に見し二十日月




84

水十里ゆうふべの船をあだにやりて柳による子ぬかうつくしき(をとめ)




85

旅の身の大河ひとつまどはむや徐かに日記の里の名けしぬ(旅びと)




86

小傘とりて朝の水くむ我とこそ穂麥あをあを小雨ふる里




87

おとに立ちて小川をのぞく乳母が小窓小雨のなかに山吹のちる




88

戀か血か牡丹に盡きし春のおもひとのゐの宵のひとり歌なき




89

長き歌を牡丹にあれの宵の殿妻となる身の我れぬけ出でし




90

春三月柱おかぬ琴に音たてぬふれしそぞろの宵の亂れ髪




91

いづこまで君は歸るとゆうべ野にわが袖ひきぬ翅ある童




92

ゆふぐれの戸に倚り君がうたふ歌『うき里去りて往きて歸らじ』




93

さびしさに百二十里をそぞろ來ぬと云ふ人あらば如何ならむ




94

君が歌に袖かみし子を誰と知る浪速の宿は秋寒かりき




95

その日より魂にわかれし我れむくろ美しと見ば人にとぶらへ




96

今の我に歌のありやを問ひますな柱なき纎絃これ二十五絃




97

神のさだめ命のひびき終の我世琴に斧うつ音ききたまへ




98

人ふたり無才の二字を歌に笑みぬ戀二萬年ながき短き




蓮の花船





99

漕ぎかへる夕船おそき僧の君紅蓮や多きしら蓮や多き




100

あづまやに水のおときく藤の夕はづしますなのひくき枕よ




101

御袖ならず御髪のたけときこえたり七尺いづれしら藤の花




102

夏花のすがたは細きくれなゐに眞晝いきむの戀よこの子よ




103

肩おちて經にゆらぎのそぞろ髪をとめ有心者春の雲こき




104

とき髪を若枝にからむ風の西よ二尺足らぬうつくしき虹




105

うながされて汀の闇に車おりぬほの紫の反橋の藤




106

われとなく梭の手とめし門の唄姉がゑまひの底はづかしき




107

ゆあがりのみじまひなりて姿見に笑みし昨日の無きにしもあらず




108

人まへを袂すべりしきぬでまり知らずと云ひてかかへてにげぬ




109

ひとつ篋にひひなをさめて蓋とぢて何となき息桃にはばかる




110

ほの見しは奈良のはづれの若葉宿うすまゆずみのなつかしかりし




111

紅に名の知らぬ花さく野の小道いそぎたまふな小傘の一人




112

くだり船昨夜月かげに歌そめし御堂の壁も見えず見えずなりぬ




113

師の君の目を病みませる庵の庭へうつしまゐらす白菊の花




114

文字ほそく君が歌ひとつ染めつけぬ玉虫ひめし小筥の蓋に




115

ゆふぐれを籠へ鳥よぶいもうとの爪先ぬらす海棠の雨




116

ゆく春をえらびよしある絹袷衣ねびのよそめを一人に問ひぬ




117

ぬしいはずとれなの筆の水の夕そよ墨足らぬ撫子がさね




118

母よびてあかつき問ひし君といはれそむくる片頬柳にふれぬ




119

のろひ歌かきかさねたる反古とりて黒き胡蝶をおさへぬるかな




120

額しろき聖よ見ずや夕ぐれを海棠に立つ春夢見姿




121

笛の音に法華經うつす手をとどめひそめし眉よまだうらわかき




122

白檀のけむりこなたへ絶えずあふるにくき扇をうばひぬるかな




123

母なるが枕經よむかたはらのちひさき足をうつくしと見き




124

わが歌に瞳のいろをうるませしその君去りて十日たちにけり




125

かたみぞと風なつかしむ小扇のかなめあやふくなりにけるかな




126

春の川のりあひ舟のわかき子が昨夜の泊の唄ねたましき




127

泣かで急げやは手にはばき解くゑにしゑにし持つ子の夕を待たむ




128

燕なく朝をはばきの紐ぞゆるき柳かすむやその家のめぐり




129

小川われ村のはづれの柳かげに消えぬ姿を泣く子朝見し




130

鶯に朝寒からぬ京の山おち椿ふむ人むつまじき




131

道たま/\蓮月が庵のあとに出でぬ梅に相行く西の京の山




132

君が前に李春蓮説くこの子ならずよき墨なきを梅にかこつな




133

あるときはねたしと見たる友の髪に香の煙のはひかかるかな




134

わが春の二十姿と打ぞ見ぬ底くれなゐのうす色牡丹




135

春はただ盃にこそ注ぐべけれ知慧あり顏の木蓮や花




136

さはいへど君が昨日の戀がたりひだり枕の切なき夜半よ




137

人そぞろ宵の羽織の肩うらへかきしは歌か芙蓉といふ文字




138

琴の上に梅の實おつる宿の晝よちかき清水に歌ずする君




139

うたたねの君がかたへの旅づつみ戀の詩集の古きあたらしき




140

戸に倚りて菖蒲賣る子がひたひ髪にかかる薄靄にほひある朝




141

五月雨もむかしに遠き山の庵通夜する人に卯の花いけぬ




142

四十八寺そのひと寺の鐘なりぬ今し江の北雨雲ひくき




143

人の子にかせしは罪かわがかひな白きは神になどゆづるべき




144

ふりかへり許したまへの袖だたみ闇くる風に春ときめきぬ




145

夕ふるはなさけの雨よ旅の君ちか道とはで宿とりたまへ




146

巖をはなれ谿をくだりて躑躅をりて都の繪師と水に別れぬ




147

春の日を戀に誰れ倚るしら壁ぞ憂きは旅の子藤たそがるる




148

油のあと島田のかたと今日知りし壁に李の花ちりかかる




149

うなじ手にひくきささやき藤の朝をよしなやこの子行くは旅の君




150

まどひなくて經ずする我と見たまふか下品の佛上品の佛




151

ながしつる四つの笹舟紅梅を載せしがことにおくれて往きぬ




152

奥の間のうらめづらしき初聲に血の氣のぼりし面まだ若き




153

人の歌をくちずさみつつ夕よる柱つめたき秋の雨かな




154

小百合さく小草がなかに君まてば野末にほひて虹あらはれぬ




155

かしこしといなみていひて我とこそその山坂を御手に倚らざりし




156

鳥邊野は御親の御墓あるところ清水坂に歌はなかりき




157

御親まつる墓のしら梅中に白く熊笹小笹たそがれそめぬ




158

男きよし載するに僧のうらわかき月にくらしの蓮の花船




159

經にわかき僧のみこゑの片明り月の蓮船兄こぎかへる




160

浮葉きるとぬれし袂の紅のしづく蓮にそそぎてなさけ教へむ




161

こころみにわかき唇ふれて見れば冷かなるよしら蓮の露




162

明くる夜の河はばひろき嵯峨の欄きぬ水色の二人の夏よ




163

藻の花のしろきを摘むと山みづに文がら濡ぢぬうすものの袖




164

牛の子を木かげに立たせ繪にうつす君がゆかたに柿の花ちる




165

誰が筆に染めし扇ぞ去年までは白きをめでし君にやはあらぬ




166

おもざしの似たるにまたもまどひけりたはぶれますよ戀の神々




167

五月雨に築土くづれし鳥羽殿のいぬゐの池におもだかさきぬ




168

つばくらの羽にしたたる春雨をうけてなでむかわが朝寐髪




169

しら菊を折りてゑまひし朝すがた垣間みしつと人の書きこし




170

八つ口をむらさき緒もて我れとめじひかばあたへむ三尺の袖




171

春かぜに櫻花ちる層塔のゆふべを鳩の羽に歌そめむ




172

憎からぬねたみもつ子とききし子の垣の山吹歌うて過ぎぬ




173

おばしまのその片袖ぞおもかりし鞍馬を西へ流れにし霞




174

ひとたびは神より更ににほひ高き朝をつつみし練の下襲




小百合





175

月の夜の蓮のおばしま君うつくしうら葉の御歌わすれはせずよ




176

たけの髪をとめ二人に月うすき今宵しら蓮色まどはずや




177

荷葉なかば誰にゆるすの上の御句ぞ御袖片取るわかき師の君




178

おもひおもふ今のこころに分ち分かず君やしら萩われやしろ百合




179

いづれ君ふるさと遠き人の世ぞと御手はなしは昨日の夕




180

三たりをば世にうらぶれしはらからとわれ先づ云ひぬ西の京の宿




181

今宵まくら神にゆづらぬやは手なりたがはせまさじ白百合の夢




182

夢にせめてせめてと思ひその神に小百合の露の歌ささやきぬ




183

次のまのあま戸そとくるわれをよびて秋の夜いかに長きみぢかき




184

友のあしのつめたかりきと旅の朝わかきわが師に心なくいいひぬ




185

ひとまおきてをりをりもれし君がいきその夜しら梅だくと夢みし




186

いはず聽かずただうなづきて別れけりその日は六日二人と一人




187

もろ羽かはし掩ひしそれも甲斐なかりきうつくしの友西の京の秋




188

星となりて逢はむそれまで思ひ出でな一つふすまに聞きし秋の聲




189

人の世に才秀でたるわが友の名の末かなし今日秋くれぬ




190

星の子のあまりによわし袂あげて魔にも鬼にも勝たむと云へな




191

百合の花わざと魔の手に折らせおきて拾ひてだかむ神のこころか




192

しろ百合はそれその人の高きおもひおもわは艶ふ紅芙蓉とこそ




193

さはいへどそのひと時よまばゆかりき夏の野しめし白百合の花




194

友は二十ふたつこしたる我身なりふさはずあらじ戀と傳へむ




195

その血潮ふたりは吐かぬちぎりなりき春を山蓼たづねますな君




196

秋を三人椎の實なげし鯉やいづこ池の朝かぜ手と手つめたき




197

かの空よ若狹は北よわれ載せて行く雲なきか西の京の山




198

ひと花はみづから渓にもとめきませ若狹の雪に堪へむ紅




199

『筆のあとに山居のさまを知りたまへ』人への人の文さりげなき




200

京はもののつらきところと書きさして見おろしませる加茂の河しろき




201

恨みまつる湯におりしまの一人居を歌なかりきの君へだてあり




202

秋の衾あしたわびし身うらめしきつめたきためし春の京に得ぬ




203

わすれては谿へおりますうしろ影ほそき御肩に春の日よわき




204

京の鐘この日このとき我れあらずこの日このとき人と人を泣きぬ




205

琵琶の海山ごえ行かむいざと云ひし秋よ三人よ人そぞろなりし




206

京の水の深み見おろし秋を人の裂きし小指の血のあと寒き




207

山蓼のそれよりふかきくれなゐは梅よはばかれ神にとがおはむ




208

魔のまへに理想くだきしよわき子と友のゆふべをゆびさしますな




209

魔のわざを神のさだめと眼を閉ぢし友の片手の花あやぶみぬ




210

歌をかぞへその子この子にならふなのまだ寸ならぬ白百合の芽よ




はたち妻





211

露にさめて瞳もたぐる野の色よ夢のただちの紫の虹




212

やれ壁にチチアンが名はつらかりき湧く酒がめを夕に秘めな




213

何となきだた一ひらの雲に見ぬみちびきさとし聖歌のにほひ




214

袖にそむきふたたびここに君と見ぬ別れの別れさいへ亂れじ




215

淵の水になげし聖書を又もひろひ空仰ぎ泣くわれまどひの子




216

聖書だく子人の御親の墓に伏して彌勒の名をば夕に喚びぬ




217

神ここに力をわびぬとき紅のにほひ興がるめしひの少女




218

痩せにたれかひなもる血ぞ猶わかき罪を泣く子と神よ見ますな




219

おもはずや夢ねがはずや若人よもゆるくちびる君に映らずや




220

君さらば巫山の春のひと夜妻またの世までは忘れゐたまへ




221

あまきにがき味うたがひぬ我を見てわかきひじりの流しにし涙




222

歌に名は相問はざりきさいへ一夜ゑにしのほかの一夜とおぼすな




223

水の香をきぬにおほひぬわかき神草には見えぬ風のゆるぎよ




224

ゆく水のざれ言きかす神の笑まひ御齒あざやかに花の夜あけぬ




225

百合にやる天の小蝶のみづいろの翅にしつけの絲をとる神




226

ひとつ血の胸くれなゐの春のいのちひれふすかをり神もとめよる




227

わがいだくおもかげ君はそこに見む春のゆふべの黄雲のちぎれ




228

むねの清水あふれてつひに濁りけり君も罪の子我も罪の子




229

うらわかき僧よびさます春の窓ふり袖ふれて經くづれきぬ




230

今日を知らず智慧の小石は問はでありき星のおきてと別れにし朝




231

春にがき貝多羅葉の名をききて堂の夕日に友の世泣きぬ




232

ふた月を歌にただある三本樹加茂川千鳥戀はなき子ぞ




233

わかき子が乳の香まじる春雨に上羽を染めむ白き鳩われ




234

夕ぐれを花にかくるる小狐のにこ毛にひびく北嵯峨の鐘




235

見しはそれ緑の夢のほそき夢ゆるせ旅人かたり草なき




236

胸と胸とおもひことなる松のかぜ友の頬を吹きぬ我頬を吹きぬ




237

野茨をりて髪にもかざし手にもとり永き日野邊に君まちわびぬ




238

春を説くなその朝かぜにほころびし袂だく子に君こころなき




239

春をおなじ急瀬さばしる若鮎の釣緒の細うくれなゐならぬ




240

みなぞこにけぶる黒髪ぬしや誰れ緋鯉のせなに梅の花ちる




241

秋を人のよりし柱にとがぬあり梅にことかるきぬぎぬの歌




242

京の山のこぞめしら梅人ふたりおなじ夢みし春と知りたまへ




243

なつかしの湯の香梅が香山の宿の板戸によりて人まちし闇




244

詞にも歌にもなさじわがおもひその日そのとき胸より胸に




245

歌にねて昨夜梶の葉の作者見ぬうつくしかりき黒髪の色




246

下京や紅屋が門をくぐりたる男かわゆし春の夜の月




247

枝折戸あり紅梅さけり水ゆけり立つ子われより笑みうつくしき




248

しら梅は袖に湯の香は下のきぬにかりそめながら君さらばさらば




249

二十とせの我世の幸はうすかりきせめて今見る夢やすかれな




250

二十とせのうすきいのちのひびきありと浪華の夏の歌に泣きし君




251

かつぐきぬにその間の床の梅ぞにくき昔がたりを夢に寄する君




252

それ終に夢にはあらぬそら語り中のともしびいつ君きえし




253

君ゆくとその夕ぐれに二人して柱にそめし白萩の歌




254

なさけあせし文みて病みておとろへてかくても人を猶戀ひわたる




255

夜の神のあともとめよるしら綾の鬢の香朝の春雨の宿




256

その子ここに夕片笑みの二十びと虹のはしらを説くに隱れぬ




257

このあした君があげたるみどり子のやがて得む戀うつくしかれな




258

戀の神にむくいまつりし今日の歌ゑにしの神はいつ受けまさむ




259

かくてなほあくがれますか眞善美わが手の花はくれなゐよ君




260

くろ髪の千すぢの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる




261

そよ理想おもひにうすき身なればか朝の露草人ねたかりし




262

とどめあへぬそぞろ心は人しらむくづれし牡丹さぎぬに紅き




263

『あらざりき』そは後の人のつぶやきし我には永久のうつくしの夢




264

行く春の一絃一柱におもひありさいへ火かげのわが髪ながき




265

のらす神あふぎ見するに瞼おもきわが世の闇の夢の小夜中




266

そのわかき羊は誰に似たるぞの瞳の御色野は夕なりし




267

あえかなる白きうすものまなじりの火かげの榮の咀はしき君




268

紅梅にそぞろゆきたる京の山叔母の尼すむ寺は訪はざりし




269

くさぐさの色ある花によそはれし棺のなかの友うつくしき




270

五つとせは夢にあらずよみそなはせ春に色なき草ながき里




271

すげ笠にあるべき歌と強ひゆきぬ若葉よ薫れ生駒葛城




272

裾たるる紫ひくき根なし雲牡丹が夢の眞晝しづけき




273

紫のわが世の戀のあさぼらけ諸手のかをり追風ながき




274

このおもひ眞晝の夢と誰か云ふ酒のかをりのなつかしき春




275

みどりなるは學びの宮とさす神にいらへまつらで摘む夕すみれ




276

そら鳴りの夜ごとのくせぞ狂ほしき汝よ小琴よ片袖かさむ(琴に)




277

ぬしえらばず胸にふれむの行く春の小琴とおぼせ眉やはき君(琴のいらへて)




278

去年ゆきし姉の名よびて夕ぐれの戸に立つ人をあはれと思ひぬ




279

十九のわれすでに菫を白く見し水はやつれぬはかなかるべき




280

ひと年をこの子のすがた絹に成らず畫の筆すてて詩にかへし君




281

白きちりぬ紅きくづれぬ床の牡丹五山の僧の口おそろしき




282

今日の身に我をさそひし中の姉小町のはてを祈れと去にぬ




283

秋もろし春みじかしをまどひなく説く子ありなば我れ道きかむ




284

さそひて入れてさらばと我手はらひます御衣のにほひ闇やはらかき




285

病みてこもる山の御堂に春くれぬ今日文ながき繪筆とる君




286

河ぞひの門小雨ふる柳はら二人の一人めす馬しろき




287

歌は斯くよ血ぞゆらぎしと語る友に笑まひを見せしさびしき思




288

とおもへばぞ垣をこえたる山ひつじとおもへばぞの花よわりなの




289

庭下駄に水をあやぶむ花あやめ鋏にたらぬ力をわびぬ




290

柳ぬれし今朝門すぐる文づかひ青貝ずりのその箱ほそき




291

『いまさらにそは春せまき御胸なり』われ眼をとぢて御手にすがりぬ




292

その友はもだえのはてに歌を見ぬわれを召す神きぬ薄黒き




293

そのなさけかけますな君罪の子が狂ひのはてを見むと云ひたまへ




294

いさめますか道ときますかさとしますか宿世のよそに血を召しませな




295

もろかりしはかなかりしと春のうた焚くにこの子の血ぞあまり若き




296

夏やせの我やねたみの二十妻里居の夏に京を説く君




297

こもり居に集の歌ぬくねたみ妻五月のやどの二人うつくしき




舞姫





298

人に侍る大堰の水のおばしまにわかきうれひの袂の長き




299

くれなゐの扇に惜しき涙なりき嵯峨のみぢか夜曉寒かりし




300

朝を細き雨に小鼓おほひゆくだんだら染の袖ながき君




301

人にそひて今日京の子の歌をきく祇園清水春の山まろき




302

くれなゐの襟にはさめる舞扇醉のすさびのあととめられな




303

桃われの前髪ゆへるくみ紐やときいろなるがことたらぬかな




304

淺黄地に扇ながしの都染九尺のしごき袖よりも長き




305

四條橋おしろいあつき舞姫のぬかささやかに撲つ夕あられ




306

さしかざす小傘に紅き揚羽蝶小褄とる手に雪ちりかかる




307

舞姫のかりね姿ようつくしき朝京くだる春の川舟




308

紅梅に金糸のぬひの菊づくし五枚かさねし襟なつかしき




309

舞ぎぬの袂に聲をおほひけりここのみ闇の春の廻廊




310

まこと人を打たれむものかふりあげし袂このまま夜をなに舞はむ




311

三たび四たびおなじしらべの京の四季おとどの君をつらしと思ひぬ




312

あでびとの御膝へおぞやおとしけり行幸源氏の卷繪の小櫛




313

しろがねの舞の花櫛おもくしてかへす袂のままならぬかな




314

四とせまへ皷うつ手にそそがせし涙のぬしに逢はれむ我か




315

おほづつみ抱えかねたるその頃よ美き衣きるをうれしと思ひし




316

われなれぬ千鳥なく夜の川かぜに皷拍子をとりて行くまで




317

いもうとの琴には惜しきおぼろ夜よ京の子こひし皷のひと手




318

よそほひし京の子すゑて絹のべて繪の具とく夜を春の雨ふる




319

そのなさけ今日舞姫に強ひますか西の秀才が眉よやつれし




春思





320

いとせめてもゆるがままにもえしめよ斯くぞ覺ゆる暮れて行く春




321

春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳を手にさぐらせぬ




322

夜の室に繪の具かぎよる懸想の子太古の神に春似たらずや




323

そのはてにのこるは何と問ふな説くな友よ歌あれ終の十字架




324

わかき子が胸の小琴の音を知るや旅ねの君よたまくらかさむ




325

松かげにまたも相見る君とわれゑにしの神をにくしとおぼすな




326

きのふをば千とせの前の世とも思ひ御手なほ肩に有りとも思ふ




327

歌は君醉ひのすさびと墨ひかばさても消ゆべしさても消ぬべし




328

神よとはにわかきまどひのあやまちとこの子の悔ゆる歌ききますな




329

湯あがりを御風めすなのわが上衣ゑんじむらさき人うつくしき




330

さればとておもにうすぎぬかつぎなれず春ゆるしませ中の小屏風




331

しら綾に鬢の香しみし夜着の襟そむるに歌のなきにしもあらず




332

夕ぐれの霧のまがひもさとしなりき消えしともしび神うつくしき




333

もゆる口になにを含まむぬれといひし人のをゆびの血は涸れはてぬ




334

人の子の戀をもとむる唇に毒ある蜜をわれぬらむ願ひ




335

ここに三とせ人の名を見ずその詩よます過すはよわきよわき心なり




336

梅の渓の靄くれなゐの朝すがた山うつくしき我れうつくしき




337

ぬしや誰れねぶの木かげの釣床の網のめもるる水色のきぬ




338

歌に聲のうつくしかりし旅人の行手の村の桃しろかれな




339

朝の雨につばさしめりし鶯を打たむの袖のさだすぎし君




340

御手づからの水にうがひしそれよ朝かりし紅筆歌かきてやまむ




341

春寒のふた日を京の山ごもり梅にふさはぬわが髪の亂れ




342

歌筆を紅にかりたる尖凍てぬ西のみやこの春さむき朝




343

春の宵をちひさく撞きて鐘を下りぬ二十七段堂のきざはし




344

手をひたし水は昔にかはらずとさけぶ子の戀われあやぶみぬ




345

病むわれにその子五つのをとこなりつたなの笛をあはれと聞く夜




346

とおもひてぬひし春着の袖うらにうらみの歌は書かさせますな




347

かくて果つる我世さびしと泣くは誰ぞしろ桔梗さく伽藍のうらに




348

人とわれおなじ十九のおもかげをうつせし水よ石津川の流れ




349

卯の衣を小傘にそへて褄とりて五月雨わぶる村はづれかな




350

大御油ひひなの殿にまゐらするわが前髪に桃の花ちる




351

夏花に多くの戀をゆるせしを神悔い泣くか枯野ふく風




352

道を云はず後を思はず名を問はずここに戀ひ戀ふ君と我と見る




353

魔に向ふつるぎの束をにぎるには細き五つの御指と吸ひぬ




354

消えむものか歌よむ人の夢とそはそは夢ならむさて消えむものか




355

戀と云はじそのまぼろしのあまき夢詩人もありき畫だくみもありき




356

君さけぶ道のひかりの遠を見ずやおなじ紅なる靄たちのぼる




357

かたちの子春の子血の子ほのほの子今を自在の翅なからずや




358

ふとそれより花に色なき春となりぬ疑ひの神まどはしの神




359

うしや我れさむるさだめの夢を永久にさめなと祈る人の子におちぬ




360

わかき子が髪のしづくの草に凝りて蝶とうまれしここ春の國




361

結願のゆふべの雨に花ぞ黒き五尺こちたき髪かるうなりぬ




362

罪おほき男こらせと肌きよく黒髪ながくつくられし我れ




363

そとぬけてその靄おちて人を見ず夕の鐘のかたへさびしき




364

春の小川うれしの夢に人遠き朝を繪の具の紅き流さむ




365

もろき虹の七いろ戀ふるちさき者よめでたからずや魔神の翼




366

醉に泣くをとめに見ませ春の神男の舌のなにかするどき




367

その酒の濃きあちはひを歌ふべき身なり君なり春のおもひ子




368

花にそむきダビデの歌を誦せむにはあまりに若き我身とぞ思ふ




369

みかへりのそれはた更につらかりき闇におぼめく山吹垣根




370

ゆく水に柳に春ぞなつかしぎ思はれ人に外ならぬ我れ




371

その夜かの夜よわきためいきせまりし夜琴にかぞふる三とせは長き




372

きけな神戀はすみれの紫にゆふべの春の讃嘆のこゑ




373

病みませるうなじに纖きかひな捲きて熱にかわける御口を吸はむ




374

天の川そひねの床のとばりごしに星のわかれをすかし見るかな




375

染めてよと君がみもとへおくりやりし扇かへらず風秋となりぬ




376

たまはりしうす紫の名なし草うすきゆかりを歎きつつ死なむ




377

うき身朝をはなれがたなの細柱たまはる梅の歌ことたらぬ




378

さおぼさずや宵の火かげの長き歌かたみに詞あまり多かりき




379

その歌を誦します聲にさめし朝なでよの櫛の人はづかしき




380

明日を思ひ明日の今おもひ宿の戸に倚る子やよわき梅暮れそめぬ




381

金色の翅あるわらは躑躅くはへ小舟こぎくるうつくしき川




382

月こよひいたみの眉はてらさざるに琵琶だく人の年とひますな




383

戀をわれもろしと知りぬ別れかねおさへし袂風の吹きし時




384

星の世のむくのしらぎぬかばかりに染めしは誰のとがとおぼすぞ




385

わかき子のこがれよりしは斧のにほひ美妙の御相けふ身にしみぬ




386

清し高しさはいへさびし白銀のしろきほのほと人の集見し(醉茗の君の詩集に)




387

雁よそよわがさびしきは南なりのこりの戀のよしなき朝夕




388

來し秋の何に似たるのわが命せましちひさし萩よ紫苑よ




389

柳あをき堤にいつか立つや我れ水はさばかり流とからず




390

幸おはせ羽やはらかき鳩とらへ罪ただしたる高き君たち




391

打ちますにしろがねの鞭うつくしき愚かよ泣くか名にうとき羊




392

誰に似むのおもひ問はれし春ひねもすやは肌もゆる血のけに泣きぬ




393

庫裏の藤に春ゆく宵のものぐるひ御經のいのちうつつをかしき




394

春の虹ねりのくけ紐たぐります羞ひ神の曉のかをりよ




395

室の神に御肩かけつつひれふしぬゑんじなればの宵の一襲




396

天の才ここににほひの美しき春をゆふべに集ゆるさずや




397

消えて凝りて石と成らむの白桔梗秋の野生の趣味さて問ふな




398

歌の手に葡萄をぬすむ子の髪のやはらかいかな虹のあさあけ




399

そと秘めし春のゆふべのちさき夢はぐれさせつる十三絃よ