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Japanese Text Initiative
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觀阿彌
作
小町ものの一つにて。天下の美人なりし小野小町も。年老いて世に見捨 てられて零落し て物乞ひ歩く樣を。玉造といふ書に本づきて作れり。まづ卒都婆に腰か けたるより。僧 と佛法の問答を起こして僧をさへに敬服せしめ。戯れの歌などよみて驕 慢の心いにしへ に立ち歸りたりしに。忽ち少将の靈に附かれて物狂 なり。少将が死 しめたるを悔ゆ る心が菩提の種となりて。遂に佛果を得るといふ趣向なり。小町の事を 作れるもの。他 に通小町もあり。草子洗小町もあり。鸚鵡小町もあれば關寺小町もある をもて。區別し て卒都婆小町と名づく。深草少将の事は。「通小町」の處にいへるを見 るべし。
「山は 淺きに隱 れがの。山は 淺きに隠れがの。深きや心 なるらん。
「これは高野山 より出でたる僧 にて候。我 このたび 都にのぼらばやと思ひ 候。
「それ前佛 は既に去り。 後佛はいまだ世に出でず。
「夢の 中間に生 れ來て。何 を 現と思ふ べ き。たまたま受け難き 人身を受 け。逢ひ難 き 如來の佛教 に逢ひ奉 る 事。これぞ悟 りの種なると。
「思ふ 心もひとへなる。墨 の衣に身をなし て。
「生れぬ さきの身を知れば。生 れぬさきの身を知れば。憐むべき 親もなし。親 のなければ我ために。心 を留むる子 もなし。千里を行 くも遠からず。野 に臥し山に 泊る身の。 これぞ誠のすみかなる。これぞ誠のすみかなる。
「身は 浮草をさそふ水。身は 浮草をさそふ水。なきこそ悲しかりけ れ。
「あはれやげにいにしへは。 驕慢もつとも甚 しう。翡翠のかんざしは婀娜とたを やかにして。楊柳の春 の風になびくが如し。 また鶯舌の囀りは。 露を含 める糸萩の。かごとばかりに散 りそむる。花よりもなほめづらしや。 今は民間賤 の女にさへ穢 なまれ。諸人に耻 をさらし。うれし からぬ月日身に積つ て。百年の姥と爲りて候 。
「都は 人目つつましや。もしもそれとか 夕まぐれ。
「月も ろともに出でて行 く。月もろともに出でて行く。雲井百敷 や。大内山の山守 も。かかる 憂き身 はよも咎めじ。木 がくれてよし なや。鳥羽の戀塚秋 の山。月の 桂の河 瀬舟。 漕ぎゆく人は 誰やらん。漕ぎゆく人は誰やらん。
「あまりに苦 しう候ふほどに。これなる 朽木に腰 を懸けて休 まばやと思ひ候。
「なふはや日 の暮れて候ふ 道を急がうず るにて候。や。これなる乞食 の腰かけたるは。正 しく卒都婆にて候 。教化してのけうずるにて 候。いかにこれなる乞丐人 。お事の腰 かけたるは。かたじけなくも佛體色性 の卒都婆にては無きか。そ こたちのきて餘の所 に休み候へ。
「佛體色性 のかたじけなきとは宣へども。 是ほどに文字 も見えず。刻 める像もなし。ただ朽木とこそ 見えたれ。
「たとひ深山 の朽木なりとも。花 咲きし木はかくれもなし。 いはんや佛體に刻める 木。などかしるしのなかるべき。
「我も 賤しき埋 木なれど も。心の花のまだ 有れば。手向になど かならざらん。さて佛體たるべき 謂は如何 に。
「それ卒都婆 は金剛薩た。かりに 出假して三摩耶形を 行ひ給ふ。
「行ひ なせる形は如何に。
「地水火風空 。
「五體五輪 は人の體。 何しに隔 あるべき ぞ。
「形は それに違はずとも。心功徳は かはるべし。
「さて卒都婆 の功徳は如何 に。
「一見卒都婆永 離三惡道。
「一年發起菩提 心。それも如何でか 劣るべき。
「菩提心 あらばなど浮世をば 厭はぬぞ。
「姿が 世をも厭 はばこそ。 心こそ厭 へ。
「心な き身なればこそ。佛體 をば知らざるらめ。
「佛體 と知ればこそ卒都婆 には近づきたれ。
「さらばなど禮 をば爲さで敷 きたるぞ。
「とても臥 したる此卒都婆。我 も休むは苦し いか。
「それは順縁 にはづれたり。
「逆縁 なりと浮ぶべし。
「堤婆 が惡も。
「觀音 の慈悲。
「槃特 が愚癡も。
「文珠 の知惠。
「惡と 云ふも。
「善な り。
「煩惱といふ も。
「菩提 なり。
「菩提 もと。
「植木 にあらず。
「明鏡 また。
「臺に 無し。
「げに本來一物 なき時は。佛 も衆生も隔なし。も とより愚癡の凡夫 を。救はん爲めの 方便の。深き 誓ひの願なれば。 逆縁なりと浮かぶ べしと。ねんごろに申せば。誠に悟 れる非人なりとて。僧は 頭を地 につけて。 三度禮し給へば。
「我は 此時力を得。なほ 戯れの歌 をよむ。 極樂の内 ならばこそ 惡しからめ。外は 何かは苦しかるべ き。
「むつかしの僧 の教化や。むつかしの僧の教 化や。
「さて御事 は如何なる人 ぞ名を御 名のり候へ。
「はづかしながら名を名の り候ふべし。これは出羽の 郡司小野の良實がむ すめ。小野の小町が 爲れる果 にてさぶらふ なり。
「いたはしやな 小町は。さもいにしへは優女 にて。花のかたちかかやき。桂の 黛青うして。白粉を 絶えさず。羅綾の 衣多うして。桂殿の 間に餘 りしぞか し。
「歌を よみ詩を作り。
「醉を すすむる盃は。漢月袖 に靜なり。まこと優 なる有樣の。いつ其 ほどに引きかへて。 頭には霜蓬をいただき。 嬋妍たりし兩 鬢も。 膚にかじけて墨み だれ。艶々たりし雙蛾 も。遠山の色 を失ふ。百年 に一年足らぬつくも髪。斯 かる思ひは有明 の。影はづかしき我身かな。
「首に 懸けたる袋には。 如何なる物を入れたるぞ。
「今日 も命は知 らねども。 明日の飢 ゑを助けんと。粟豆 の餉を。袋 に入れて持 ちたるよ。
「うしろに負 へる袋には。
「垢膩 の垢つける衣あり。
「臂に かけたるあじかには。白黒の田烏子あり。
「破れ 簑。
「やぶれ笠 。
「面ば かりも隱さねば。
「まして霜雪雨 露。
「なみだをだにも抑ふべき。袂 も袖もあらばこそ。今は 路頭に物 を乞ひ。乞ひ 得ぬ時 は惡心。また狂 亂の心つきて。聲 かはりけし からず。
「なふ物給べな ふ御僧なふ。
「何事 ぞ。
「小町 がもとへ通はうよなふ。
「おことこそ小 町よ。何とて現 なき事をば申 すぞ。
「いや小町 といふ人は。あまりに色が深う て。あなたの 玉章こなたの文。か きくれて降る五月雨 の。空言なりとも一度 の返事もなうて。いき 百年に爲 るが報うて。あら人戀しや。 あら人こひしや。
「人こひ しいとは。さてお事には 如何なる者のつ きそひてあ るぞ。
「小町 に心を懸 けし人は多き 中にも。殊 に思ひ深草 の四位の少將 の。
「恨み の數のめぐり來て。 車のしじに通はん。 日は何時 ぞ夕暮。月 こそ友よ通路 の。關守はありとも。留まる まじや出で立た ん。
「淨衣 の袴かいとつて。
「淨衣 の袴かいとつて。立烏帽子 を風折り。狩衣 の袖をうちかついで。人目しのぶの通 路の。 月にも行 く暗にも行 く。雨の夜 も風の夜 も。木の葉 の時雨雪深し。
「軒の 玉水とくとくと。
「行きてはかへ りかへりては行き。 一夜二夜三夜四夜。七夜八夜九夜 。豐の明の 節會にも。逢は でぞかよふ 庭鳥の。時をもかへ ず曉の。榻 のはしがき。百夜までと 通ひゐて。九十九夜になり たり。
「あら苦 し目まひや。
「胸く るしやと悲しみて。一夜 を待たで死し たりし。深草の少將 の。その怨念が附き 添ひて。かやうに物 には狂はするぞや。
「これにつけても後の世を。 願ふぞ誠 なりける。砂を塔と 重ねて。黄金 の膚こまやかに。花を佛に手向 けつつ。悟りの道 に入らうよ。悟りの道に入らうよ。