- 戀は闇夜を晝の國
室津にかくれなき男有
- くけ帯よりあらはるゝ文
姫路に都まさりの女有
- 太皷に寄獅子舞
はや業は小袖幕の中に有
- 状箱は宿に置て來た男
心當の世帯大きに違ひ有
- 命のうちの七百兩のかね
世にはやり哥聞は哀有
春の海しづかに寶舟の浪枕室津はにきはへる大湊なり爰に酒つくれる商人に和泉清左衞門といふあり家榮えて萬に不足なし然も男子に清十郎とて自然と生つきてむかし男をうつし繪にも増り其さまうるはしく女の好ぬる風俗十四の秋より色道に身をなし此津の遊女八十七人有しをいづれかあはざるはなし誓紙千束につもり爪は手箱にあまり切せし黒髪は大綱になはせける是にはりんき深き女もつながるべし毎日の届文ひとつの山をなし紋付の送り小袖其まゝにかさね捨し三途川の姥も是みたらば欲をはなれ高麗橋の古手屋もねうちは成まし浮世藏と戸前に書付てつめ置ける此たはけいつの世にあがりを請べし追付勘當帳に付てしまふべしと見る人是をなげきしにやめがたきは此道其比はみな川といへる女郎に相馴大かたならず命に掛て人のそしり世の取沙汰なんともおもはず月夜に灯燈を晝ともさせ座敷の立具さし籠晝のない國をしてあそぶ所にこざかしき太鞁持をあまたあつめて番太か拍子木蝙蝠の鳴まねやりてに門茶を燒せて哥念仏を申死もせぬ久五郎がためとて尊靈の棚を祭楊枝もやして送り火の影夜するほとの事をしつくして後は世界の圖にある裸嶋とて家内のこらす女郎はいやがれど無理に帷子ぬがせて肌の見ゆるをはじける中にも吉崎といへる十五女郎年月かくし來りし腰骨の白なまず見付て生ながらの辨才天樣と座中拜みて興覺ける其外氣をつくる程見くるしく後は次第にしらけてをかしからずかゝる時清十郎親仁腹立かさ成此宿にたづね入思ひもよらぬ俄風荷をのける間もなければ是で燒とまります程にゆるし給へとさま/\詫ても聞ず菟角はすぐにいづかたへもお暇申てさらばとてかへられけるみな川を始女郎泣出してわけもなうなりける太鞁持の中に闇の夜の治介といふもの少もおどろかず男は裸か百貫たとへてらしても世はわたる清十郎樣せき給ふなといふ此中にもをかしく是を肴にして又酒を呑かけせめてはうきをわすれけるはや揚屋にはげんを見せてて扣ても返事せず吸物の出時淋しく茶のもといへば兩の手に天目二つかへりさまに油火の灯心をへしてゆく女郎それ/\に呼たつるさても/\替は色宿のならひ人の情は一歩小判あるうちなりみな川が身にしてはかなしくひとり跡に殘り泪に沈みければ清十郎も口惜きとばかり言葉も命はすつるにきはめしが此女の同し道にといふべき事をかなしくとやかく物思ふうちにみな川色を見すましかた樣は身を捨給はん御氣色去迚は/\愚申たき事なれ共いかにしても世に名殘あり勤はそれ/\に替心なれば何事も昔/\是迄と立行さりとはおもはく違ひ清十郎も我を折ていかに傾城なればとて今迄のよしみを捨淺ましき心底かうは有まじき事ぞと泪をこぼし立出る所へみな川白將ぞくしてかけ込清十郎にしがみつき死ずいづくへ行給ふぞさあさあ今じやと剃刀一對出しける清十郎又さしあたり是はと悦ぶ時皆/\出合兩方へ引わけ皆川は親かたの許へ連かへれば清十郎は人/\取まきて内への御詫言の種にもと旦那寺の永興院へ送りとゝけける其年は十九出家の望哀にこそ
やれ今の事じや外科よ氣付よと立さわぐ程に何事ぞといへば皆川じがいと皆/\なげきぬまだどうぞといふうちに脉があがるとやさても是非なき世や十日あまりも此事かくせば清十郎死おくれてつれなき人の命母人の申こされし一言にをしからぬ身をながらへ永興院をしのび出同國姫路によしみあればひそかに立のき爰にたづねゆきしにむかしを思ひ出てあしくはあたらず日數ふりけるうちに但馬屋九右衞門といへるかたに見せをまかする手代をたづねられしに後/\はよろしき事にもと頼にせし宿のきもいられてはじめて奉公の身とは成ける人たるものゝ育ちいやしからずこころざしやさしくすぐれてかしこく人の氣に入べき風俗なり殊に女の好る男ぶりいつとなく身を捨戀にあきはて明くれ律儀かまへ勤けるほとに亭主も萬事をまかせ金銀のたまるをうれしく清十郎をすゑ/\頼にせしに九右衞門妹におなつといへる有ける其年十六迄男の色好ていまに定る縁もなしされは此女田舎にはいかにして都にも素人女には見たる事なし此まへ嶋原に上羽の蝶を紋所に付し太夫有しがそれに見増程成美形と京の人の語けるひとつ/\いふ迄もなし是になぞらへて思ふべし情の程もさぞ有へし有時清十郎竜門の不斷帯中ゐのかめといへる女にたのみて此幅の廣をうたてしよき程にくけなほしてと頼しにそこ/\にほどきければ昔の文名殘ありて取亂し讀つゝけけるに紙數十四五枚有しに當名皆清さまと有てうら書は違ひて花鳥うきふね小太夫明石卯の葉筑前千壽長しう市之丞こよし松山小左衞門出羽みよしみな/\室君の名ぞかしいづれを見ても皆女郎のかたよりふかくなづみて氣をはこび命をとられ勤のつやらしき事はなくて誠をこめし筆のあゆみ是なれは傾城とてもにくからぬものぞかし又此男の身にしては浮世ぐるひせし甲斐こそあれさて内證にしこなしのよき事もありや女のあまねくおもひつくこそゆかしけれといつとなくおなつ清十郎に思ひつきそれより明暮心をつくし魂身のうちをはなれ清十郎が懷に入て我は現が物いふごとく春の花も闇となし秋の月を晝となし雪の曙も白くは見えず夕されの時鳥も耳に入ず盆も正月もわきまへず後は我を覺ずして恥は目よりあらはれいたづらは言葉にしれ世になき事にもあらねば此首尾何とぞつき%\の女も哀れにいたましく思ふうちにも銘/\に清十郎を戀詫お物師は針にて血をしほり心の程を書遣しける中居は人頼みして男の手にて文を調へ袂になげ込腰元ははこばても苦しからざりき茶を見世にはこび抱姥は若子さまに事よせて近寄お子を清十郎にいだかせ膝へ小便しかけさせこなたも追付あやかり給へ私もうつくしき子を産でからお家へ姥に出ました其男は役に立ずにて今は肥後の熊本に行て奉公せしとや世帯やぶる時分暇の状は取ておく男なしじやに本におれは生付こそ横ぶとれ口ちひさく髪も少はちゞみしにとしたゝるき独言いふこそをかしけれ下女は又それ/\に金じやくし片手に目黒のせんば煮を盛時骨かしらをゑりて清十郎にと氣をつくるもうたてしあなたこなたの心入清十郎身にしては嬉しかなしく内かたの勤は外になりて諸分の返事に隙なく後には是もうたてくと夢に目を明風情なるになほおなつ便を求てかず/\のかよはせ文清十郎ももや/\となりて御心にはしたがひながら人めせはしき宿なればうまひ事は成がたくしんいを互に燃し兩方戀にせめられ次第やせにあたら姿の替り行月日のうちこそ是非もなくやう/\聲を聞あひけるをたのしみに命は物種此戀草のいつぞはなびきあへる事もと心の通ひぢに兄娵の關を居ゑ毎夜の事を油斷なく中戸をさし火用心めしあはせの車の音神鳴よりはおそろし
尾上の櫻咲て人の妻のやうす自慢色ある娘は母の親ひけらかして花は見ずに見られに行は今の世の人心なり菟角女は化物姫路の於佐賀部狐もかへつて眉毛よまるべし但島屋の一家春の野あそびとて女中駕籠つらせて跡より清十郎萬の見集に遣しける高砂會禰の松も若緑立て砂濱の氣色又有まじき詠ぞかし里の童子さらへ手毎に落葉かきのけ松露の春子を取などすみれつばなをぬきしやそれめつらしく我もとり%\の若草すこしうすかりき所に花筵毛氈しかせて海原静に夕日紅人/\の袖をあらそひ外の花見衆も藤山吹はなんともおもはず是なる小袖幕の内ゆかしく覗おくれて歸らん事を忘れ樽の口を明て醉は人間のたのしみ萬事なげやりて此女中をけふの肴とてたんとうれしがりぬこなたには女酒盛男とては清十郎ばかり下/\天目呑に思ひ出申て夢を胡蝶にまけず廣野を我物にして息杖ながくたのしみ前後もしらず有ける其折から人むら立て曲太鞁大神樂のきたりおの/\のあそび所を見掛獅子がしらの身ぶり扨も/\仕くみて皆/\立こぞりて女は物見だけくて只何事をもわすれひたもの所望/\とやむ事ををしみけり此獅子舞もひとつ所をさらず美曲の有程はつくしけるおなつは見ずして独幕に殘て虫齒のいたむなどすこしなやむ風情に袖枕取乱して帯はしやらほどけを其まゝにあまたのぬぎ替小袖をつみかさねたる物陰にうつゝなき空鼾心にくしかゝる時はや業の首尾もがなと氣のつく事町女房はまたあるまじき帥さま也清十郎おなつばかり殘りおはしけるにこゝろを付松むら/\としげき後道よりまはりければおなつまねきて結髪の
ほどくるもかまはず、物もいはず、兩人鼻息せはしく、胸ばかりおどらして、幕の人見より目をはなさず兄娵こはく跡のかたへは心もつかず起さまにみれば柴人壹荷をおろして鎌を握しめふんどしうごかしあれはといふやうなる皃つきしてこゝちよげに見て居ともしらず誠にかしらかくしてや尻とかや此の此獅子舞清十郎幕の中より出しをみてかんじんのおもしろい半にてやめけるを見物興覺て殘り多き事山/\に霞ふかく夕日かたふけば萬を仕舞て姫路にかへるおもひなしかはやおなつ
腰つきひらたくなりぬ。清十郎跡にさかりて獅子舞の役人にけふはお影/\といへるを聞ば此大神樂は作り物にして手くだの爲に出しけるとはかしこき神もしらせ給ふまじましてやはしり智惠なる兄娵なんどが何としてしるべし
In the Hakubunkan copy-text this phrase was replaced by circles. The phrase has been added to this etext from the standard text in the Nihon Koten Bungaku Taikei. (Tokyo: Iwanami Shoten, 1957), vol. 47
In the Hakubunkan copy-text this phrase was replaced by circles. The phrase has been added to this etext from the standard text in the Nihon Koten Bungaku Taikei. (Tokyo: Iwanami Shoten, 1957), vol. 47.
乘かゝつたる舟なればしかまづより暮をいそぎ清十郎おなつを盗出し上方へのぼりて年浪の日數を立うき世帯もふたり往ならばとおもひ立取あへずもかり衣濱びさしの幽なる所に舟待をして思ひ/\の旅用意伊勢參宮の人も有大坂の小道具うりならの具足屋醍醐の法印高山の茶筅師丹波の蚊屋うり京のごふく屋鹿嶋の言ふれ十人よれば十國の者乘合舟こそをかしけれ船頭聲高にさあ/\出します銘/\の心祝なれば住吉さまへのお初尾とてしやく振て又あたま數よみて呑ものまぬも七文づゝの集錢出し間鍋もなくて小桶に汁椀入て飛魚のむしり肴取急ぎて三盃機嫌おの/\のお仕合此風眞艫で御座ると帆を八合もたせてはや一里あまりも出し時備前よりの飛脚横手をうつて扨も忘たり刀にくくりながら状箱を宿に置て來た男磯のかたを見てそれ/\持佛堂の脇にもたし掛て置ましたと慟きけるそれが爰から聞ゆるものか有さまにきん玉が有かと船中聲/\にわめけば此男念を入てさぐりいかにも/\二つこざりますといふいつれも大笑になつて何事もあれじや物舟をもどしてやりやれとて楫取直し湊にいればけふの首途あしやと皆/\腹立してやう/\舟汀に着ければ姫路より追手のもの爰かしこに立さわぎもし此舟にありやと人改めけるにおなつ清十郎かくれかねかなしやといふ聲計哀れしらずども是を耳にも聞いれずおなつはきびしき乘物に入清十郎は繩をかけ姫路にかへりける又もなき歎見し人ふびんをかけざるはなし其日より座敷籠に入て浮難義のうちにも我身の事はない物にしておなつは/\と口ばしりて其男目が状箱わすれねは今時分は大坂に着て高津あたりのうら座敷かりて年寄たかゝひとりつかうて先五十日計は
夜昼なしに、肩もかへずに、寐筈におなつと内談したもの皆むかしになる事の口惜や誰ぞころしてくれいかしさても/\一日のながき事世にあきつる身やと舌を齒にあて目をふさぎし事千度なれどもまだおなつに名殘ありて今一たびさい後の別れに美形を見る事もがなと恥も人のそしりもわきまへず男泣とは是ぞかし番の者ども見る目もかなしく色/\にいさめて日數をふりぬおなつも同じ歎にして七日のうちはだんじきにて願状を書て室の明神へ命乞したてまつりにけり不思義や其夜半とおもふ時老翁枕神に立せ給ひあらたなる御告なり汝我いふ事をよく聞べし惣じて世間の人身のかなしき時いたつて無理なる願ひ此明神がまゝにもならぬなり俄に福徳をいのり人の女をしのび惡き者を取りころしてのふる雨を日和にしたいの生つきたる鼻を高うしてほしいのとさま%\のおもひ事とても叶はぬに無用の佛神を祈りやつかいを掛ける過にし祭にも參詣の輩壹萬八千十六人いづれにても大欲に身のうへをいのらざるはなし聞てをかしけれ共散錢なげるがうれしく神の役に聞なり此參りの中に只壹人信心の者あり高砂の炭屋の下女何心もなく足手そくさいにて又まゐりましよと拜て立しがこもどりして私もよき男を持してくださりませいと申それは出雲の大社を頼めこちはしらぬ事といふたれどもえきかずに下向しけりその方も親兄次第に男を持ば別の事もないに色を好て其身もかゝる迷惑なるぞ汝をしまぬ命はながく命ををしむ清十郎は頓さい期ぞとあり/\との夢かなしく目を覺して心ほそくなりて泣明しける案のごとく清十郎めし出されて思ひもよらぬ詮義にあひぬ但馬屋内藏の金戸棚にありし小判七百兩見えざりしこれはおなつに盗出させ清十郎とりてにげしと云觸て折ふし惡敷此事ことはり立かね哀や廿五の四月十八日に其身をうしなひけるさてもはかなき世の中と見し人袖は村雨の夕暮をあらそひ惜みかなしまぬはなし其後六月のはじめ萬の虫干せしに彼七百兩の金子置所かはりて車長持より出けるとや物に念を入べき事と子細らしき親仁の申き
This part was circles in the Saikaku Zenshu published from Hakubunkan. It has been added to the etext from the Nihon Koten Bungaku Taikei.
何事も知ぬが佛おなつ清十郎がはかなくなりしとはしらずとやかく物おもふ折ふし里の童子の袖引連て清十郎ころさばおなつもころせとうたひける聞ば心に懸ておなつそだてし姥に尋ければ返事しかねて泪をこぼすさてはと狂乱になつて生ておもひをさしようよりもと子共の中にまじはり音頭とつてうたひける皆々是をかなしくさま%\とめてもやみがたく間もなく泪雨ふりてむかひ通るは清十郎ではないか笠がよく似たすげ笠がやはんはゝのけら/\笑ひうるはしき姿いつとなく取乱して狂出ける有時は山里に行暮て草の枕に夢をむすべば其まゝにつき%\の女もおのづから友みたれて後は皆/\乱人となりにけり清十郎年ころ語し人どもせめては其跡殘しおけとて草芥を染し血をすゝき尸を埋みてしるしに松柏をうゑて清十郎塚といひふれし世の哀は是ぞかしおなつは夜毎に此所へ來りて吊ひける其うちにまざ/\とむかしの姿を見し事うたがひなしそれより日をかさね百ケ日にあたる時塚の露草に座して守り脇指をぬきしをやう/\引とゞめて只今むなしうなり給ひてようなしまことならば髪をもおろさせ給ひすゑ/\なき人をとひ給ふこそぼたいの道なれ我/\も出家の望といへばおなつこゝろをしづめみな/\が心底さつしてともかくもいづれもがさしづはもれじと正覺寺に入て上人をたのみ十六の夏衣けふより墨染にして朝に谷の下水をむすびあげ夕に峯の花を手折夏中は毎夜手灯かゝげて大經のつとめおこたらず有難びくにとはなりぬ是を見る人殊勝さまして傳へきく中將姫のさいらいなるべしと此庵室に但馬屋も發心おこりて右の金子仏事供養して清十郎を吊ひけるとや其比は上方の狂言になし遠國村/\里/\迄ふたりが名を流しける是ぞ戀の新川舟をつくりておもひをのせて泡のあはれなる世や
- 戀に泣輪の井戸替
あい釣瓶もおりひに乱るゝ繩有
- 踊はくづれ桶夜更て化物
人はおそろしや蓋して見せぬ心有
- 京の水もらさぬ中忍て合釘
目印の錐紙に書付て有
- こけらは胸の燒付新世帯
心正直の細工人天滿に有
- 木屑の杉楊枝一寸先の命
りんきに逆目をやる杉有
身はかぎりあり戀はつきせず無常の我手細工のくわん桶に覺え世をわたる業とて錐のこぎりのせはしく鉋屑のけぶりみじかく難波のあしの屋をかりて天滿といふ所からすみなす男有女も同し片里の者にはすぐれて耳の根白く足もつちけはなれて十四の大晦日に親里の御年貢三分一銀にさしつまりて棟たかき町家に腰もとつかひして月日をかさねしに自然と才覺に生れつき御隱居への心づかひ奥さまの氣をとる事それよりすゑ%\の人に迄あしからず思はれ其後は内藏の出し入をもまかされ此家におせんといふ女なうてはと諸人に思ひつかれしは其身かしこきゆゑぞかしされ共情の道をわきまへず一生枕ひとつにてあたら夜を明しぬかりそめにたはふれ袖つま引にも遠慮なく聲高にして其男無首尾をかなしみ後は此女に物いふ人もなかりき是をそしれど人たる人の小女はかくありたき物なり折ふしは秋のはじめの七日織女に借小袖とていまだ仕立より一度もめしもせぬを色/\七つめんどりばにかさねかぢの葉に有ふれたる哥をあそばし祭給へば下/\もそれ/\に唐瓜枝柿かざる事のをかし横町うら借屋迄竃役にかゝつてお家主殿の井戸替けふことにめづらし濁水大かたかすりて眞砂のあがるにまじり日外見えぬとて人うたがひし薄刃も出昆布に針さしたるもあらはれしが是は何事にかいたしけるぞやなほさがし見るに駒引錢目鼻なしの裸人形くだり手のかたし目貫つぎ/\の涎掛さま%\の物こそあがれ蓋なしの外井戸こゝろもとなき事なり次第に涌水ちかく根輪の時むかしの合釘はなれてつぶれければ彼樽屋をよび寄て輪竹の新しくなしぬ爰に流ゆくさゞれ水をせきとめて三輪組すがたの老女いける虫をあいしけるを樽屋何ぞと尋しに是はたゞ今汲あげし井守といへるものなりそなたはしらずや此むし竹の筒に籠て煙となし戀ふる人の黒髪にふりかくればあなたより思ひ付事ぞとさも有のまゝに語ぬ此女もとは夫婦池のこさんとて子おろしなりしが此身すぎ世にあらためられて今は其むごき事をやめて素麪の碓など引て一日暮しの命のうちに寺町の入相の鐘も耳にうとく淺ましいやしく身に覺ての因果なほゆくすゑの心ながらおそろしき事を咄けるにそれは一つも聞もいれずして井守を燒て戀のたよりになる事をふかく問におのづと哀さもまさりて人にはもらさじ其思ひ人はいかなる御方樣ぞといへば樽屋我をわすれてこがるゝ人は忘れず口の有にまかせて樽のそこを扣てかたりしは其君遠にあらず内かたのお腰もとおせんが/\百度の文のかへしもなきと泪に語れば彼女うなづきてそれはゐもりもいらず我堀川の橋かけて此戀手に入てまなく思ひを晴させんとかりそめに請相ければ樽屋おどろき時分がらの世の中金銀の入事ならば思ひながらなりがたしあらば何かをしかるべし正月にもめん着物染やうはこのみ次第盆に奈良ざらしの中位なるを一つ内證はこんな事で埓の明やうにとたのめばそれは欲にひかるゝ戀ぞかし我たのまるゝは其分にはあらずおもひつかする仕かけに大事有此年月數千人のきもいりつひにわけのあしきといふ事なし菊の節句より前にあはし申べしといへば樽屋いとゝかしもゆる胸に燒付かゝ樣一代の茶の薪は我等のつゞけまゐらすべしと人はながいきのしれぬうき世に戀路とて大ぶんの事をうけあふはをかし
天滿に七つの化物有大鏡寺の前の傘火神明の手なし兒曽根崎の逆女十一丁目のくびしめ繩川崎の泣坊主池田町のわらひ猫うくひす塚の燃からうす是皆年をかさねし狐狸の業ぞかし世におそろしきは人間ばけて命をとれり心はおのづからの闇なれや七月廿八日の夜更て軒端を照せし灯籠も影なくけふあすばかりと名殘に聲をからしぬる馬鹿踊もひとり%\己か家/\に入て四辻の犬さへ夢を見し時彼樽屋にたのまれしいたづらかゝ面屋門口のいまだ明掛てありしを見合戸ざしけはしく内にかけ込廣敷にふしまろびやれ/\すさまじや水が呑たいといふ聲絶てかぎりの樣に見えしがされども息のかよふを頼みにして呼生けるに何の子細もなく正氣になりぬ内儀隱居のかみさまをはじめて何事か目に見えてかくはおそれけるぞ我事年寄のいはれざる夜ありきながら霄より寐ても目のあはぬあまりに踊見にまゐりしほどに鍋嶋殿屋敷のまへに京の音頭道念仁兵衞が口うつし山くどき松づくししばらく耳にあかずあまたの男の中を押わけ團かざして詠けるに闇にても人はかしこく老たる姿をかずかず白き帷子に黒き帯のむすびめを當風にあぢはやれどもかりそめに我尻つめる人もなく女は若きうちの物ぞとすこしはむかしのおもはれ口惜てかへるに此門ちかくなりて年の程二十四五の美男我にとりつき戀にせめられ今思ひ死ひとへ二日をうき世のかぎり腰もとのおせんつれなし此執心外へは行まし此家内を七日がうちに壹人ものこさず取ころさんといふ聲の下より鼻高く皃赤く眼ひかり住吉の御はらひの先へ渡る形のごとくそれに魂とられ只物すごく内かたへかけ人のよし語ばいつれもおとろく中に隱居泪を流し給ひ戀忍事世になきならひにはあらずせんも縁付ごろなれば其男身すぎをわきまへ博奕後家くるひもせずたまかならばとらすべきにいかなる者ともしれず其男ふびんやとしばし物いふ人もなし此かゝが仕懸さても/\戀にうとからず夜半なりておの/\手をひかれ小家にもどり此うへの首尾をたくらむうちに東窓よりあかりさし隣に火打石の音赤子泣出し紙帳もりて夜もすがら喰れし蚊をうらみて追拂二布の蚤とる片手に仏棚よりはした錢を取出しつまみ菜買なと物のせはしき世渡りの中にも夫婦のかたらひを樂み南枕に寐莚しとげなくなりしはすきつる夜きのへ子をもかまはず
何事をかし侍る。やう/\朝日かゝやき秋の風身にはしまざる程吹しにかゝは鉢巻して枕おもげにもてなし岡島道齋といへるを頼み藥代の當所もなく手づからやくわんにてかしらせんじのあがる時おせんうら道より見舞來てお氣相はいかゞとやさしく尋ひだりの袂より奈良漬瓜を片舟蓮の葉に包てたばね薪のうへに置醤油のたまりをまゐらばと云捨てかへるを。かゝ引とゞめて我ははやそなたゆゑにおもひよらざる命をすつるなり自娘とても持さればなき跡にて吊ひても給はれとふるき苧桶のそこより紅の織紐付し紫の革たび一足つぎ/\の珠數袋此中にさられた時の暇の状ありしを是はとつて捨此二色をおせんに形見とてわたせば女心のはかなく是を誠に泣出し我に心有人さもあらば何にとて其道しるゝこなた樣をたのみたまはぬぞおもはくしらせ給はゞそれをいたづらにはなさじと云かゝよき折ふしとはじめを語り今は何をかかくすべしかね/\我をたのまれし其心ざしの深き事哀とも不便とも又いふにたらず此男を見捨給はゞみづからが執着とても脇へはゆかじと年比の口上手にていひつゞければおせんも自然となびき心になりてもだ/\と上氣していつにても其御方にあはせ給へといふにうれしく約束をかため一段の出合所を分別せしと小語て八月十一日立にぬけ參を此道終契をこめ行すゑ迄互にいとしさかはゆさの枕物語しみ%\とにくかるまじきしかも男ぶりじやとおもひつくやうに申せばおせんもあはぬさきより其男をこがれ物も書きやりますかあたまは後さがりで御座るか職人ならば腰はかゞみませぬか爰出た日は守口か牧方に晝からとまりまして
ふとんをかりてはやう寐ましよと取まぜて談合するうちに中居の久米が聲しておせんどのおよびなされますといへばいよ/\十一日の事と申のこしてかへりける
This part was circles in the Saikaku Zenshu published from Hakubunkan. It has been added to the etext from the Nihon Koten Bungaku Taikei.
This part was circles in the Saikaku Zenshu published from Hakubunkan. It has been added to the etext from the Nihon Koten Bungaku Taikei.
朝皃のさかり朝詠はひとしほ凉しさもと宵より奥さまのおほせられて家居はなれしうらの垣ねに腰掛をならべ花氈しかせ重菓子入に燒飯そぎやうじ茶瓶わするな明六つのすこし前に行水をするぞ髪はつゐみつをりに帷子は廣袖に桃色のうら付を取出せ帯は鼠繻子に丸づくし飛紋の白きふたの物萬に心をつくるは隣町より人も見るなれば下/\にもつぎのあたらぬかたびらを着せよ天神橋の妹が方へはつねの起時に乘物にむかひにつかはせよと何事をもせんにまかせられゆたかなる蚊帳に入給へば四つの角の玉の鈴音なして寝入給ふまで番手に團の風静なり我家のうらなる草花見るさへかくやうだいなり惣して世間の女のうはかぶきなる事是にかぎらず亭主はなほおこりて嶋原の野風新町の荻野此二人を毎日荷ひ買して津村の御堂まゐりとてかたぎぬは持せ出しが直に朝ごみに行よし見えける八月十一日の曙まへに彼横町のかゝが板戸をひそかにたゝきせんで御座るといひもあへずそこ/\にからげたる風呂敷包一つなげ入てかへる物の取おとしも心得なく火をともしてみれば壹匁つなぎの錢五つこま銀十八匁もあらうか白突三升五合ほど鰹節一つ守袋に二つ櫛染分のかゝへ帯ぎんすゝたけの袷あふぎ流しの中なれなるゆかたうらときかけたるもめんたびわらんじの緒もしどけなく加賀笠に天滿堀川と無用の書付とよごれぬやうに墨をおとす時門の戸を音信かゝさま先へまゐると男の聲していひ捨て行其後せんが身をふるはして内かたの首尾は只今といへばかゝは風呂敷を堤て人しれぬ道をはしりすぎ我も大義なれ共神の事なれは伊勢迄見届てやらうといへばせんいやな皃して年よられて長の道思へば思へば及がたし其人に我を引合せ莵角伏見から夜舟でくだり給へとはやまき心になりて氣のせくまゝいそぎ行に京橋をわたりかゝる時はうばいの久七今朝の御番替りを見に罷りしが是はと見付られしは是非もなき戀のじやまなりそれがしもつね/\御參宮心懸しにねかふ所の道つれ荷物は我等持べし幸遣銀は有合す不自由なるめはmiせまじとしたしく申は久七もおせんに下心あるゆゑぞかしかゝ氣色をかへて女に男の同道さりとは/\人の見てよもや只とはいはじ殊更此神はさやうの事をかたく嫌ひ給へは世に耻さらせし人見及び聞傳へしなりひらに/\にまゐりたまふなといへば是はおもひもよらぬ事を改めらるゝさらにおせん殿に心をかくるにはあらず只信心の思ひ立それ戀は祈ずとても神の守給ひ心だにまことの道つれに叶ひなば日月のあはれみおせんさまの情次第に何國迄もまゐりて下向には京へ寄て四五日もなぐさめ折ふし高尾の紅葉嵯峨の松茸のさかり川原町に旦那の定宿あれどもそこは萬にむつかし三条の西づめにちんまりとした座敷をかりておかゝ殿は六条參をさせましよと我物にして行は久七がはまり也やう/\秋の日も山崎にかたむき淀堤の松蔭なかばゆきしに色つくりたる男の人まち皃にて丸葉の柳の根に腰をかけしをちかくなりてみれば申かはせし樽屋なり不首尾を目まぜして跡や先になりて行こそ案の外なれかゝは樽屋に言葉をかけこなたも伊勢參と見えまして然もおひとり氣立もよき人と見ました此方と一所の宿にと申せば樽屋よろこび旅は人の情とかや申せし萬事たのみますといへば久七中/\合點のゆかぬ皃して行衞もしれぬ人をことに女中のつれには思ひよらずといふかゝ情らしき聲して神は見通しおせん殿にはこなたといふ兵あり何事か有べしとかしま立の日より同し宿にとまりおもわくかたらすすきをみるに久七氣をつけ間の戸しやうじをひとつにはづし水風呂に入てもくび出して覗日暮て夢むすぶにも四人同じ枕をならべし久七寐ながら手をさしのばし行燈のかはらけかたむけやがて消るやうにすれば樽屋は枕にちかき窓蓋をつきあけ秋も此あつさはといへば折しも晴わたる月四人の寐姿をあらはすおせん空鼾を出せば久七右の足をもたす樽屋是を見て扇子拍子をとりて戀はくせもの皆人のと曽我の道行をかたり出すおせんは目覺してかゝに寐物がたり世に女の子を産ほどおそろしきはなし常/\思ふに年の明次年北野の不動堂のお弟子になりてすゑすゑは出家の望と申せばかゝ現のやうに聞てそれがまし思ふやうに物のならぬうき世にと前後をみれば宵ににし枕の久七は南かしらに
ふんどしときてゐるは物參りの旅ながら不用心なり樽屋は蛤貝に丁子の油を入れ小杉のはな紙に持添むねんなる皃つきをかし夜の内は互に戀に關をすゑ明の日は相坂山より大津馬をかりて三ぽうかうじんに男女のひとつにのるを脇からみてはをかしけれ共身の草臥或は思ひ入あれは人の見しも世間もわきまへなしおせんを中に乘て樽屋久七兩脇にのりながら久七おせんが足のゆびさきをにぎれば樽屋は脇腹に手をさし忍び/\たはふれ其心のほどをかしいづれも御參宮の心ざしにあらねば内宮二見へも掛ず外宮ばかりへちよつとまゐりてしるし計におはらひ串若和布を調へ道中兩方白眼あひて何の子細もなく京迄下向して久七が才覺の宿につけば樽屋は取替し物共目のこ算用にして此程は何分御やつかいに成ましてと一礼いうて別ぬ久七は我物にしてそれ/\のみやげ物を見出して買てやりける日の暮も待ひさしく烏丸のほとりへちかしき人有て見舞しうちにかゝはおせんをつれて清水さまへ參るのよし取いそぎ宿を出てゆきしが祇薗町の仕出し辨當屋の釣簾に付紙目印に錐と鋸を書置しが此うちへおせん入かと見えしが中二階にあがれば樽屋出合すゑ/\やくそくの盃事して其後かゝは箱階おりて爰はさて/\水がよいとてせんじ茶はてしもなく呑にける是を契のはじめにして樽屋は晝舟に大坂にくだりぬかゝおせんは宿にかへりて俄に今からくだるといへば是非二三日は都見物と久七とゞめけれ共いや/\奥さまに男ぐるひなどしたとおもはれましてはいかゞと出て行風呂敷包は大義ながら久七殿頼といへばかたがいたむとて持ず大仏稻荷の前藤の森に休し茶の錢も銘/\拂ひにしてくたりける
This part was circles in the Saikaku Zenshu published from Hakubunkan. It has been added to the etext from the Nihon Koten Bungaku Taikei.
參るならばまゐると内へしらして參ば通し駕籠か乘掛てまゐらすに物好なるぬけ參りして此みやげ物はどこの錢でかうたぞ夫婦つれたちてもその/\そんな事はせぬぞやうも/\二人つれで下向した事しや迄久七やせんが酒迎に寐所をしてとらせあれは女の事じやが久七がすゝめて智惠ない神に男心をしらすといふ物じやとお内儀さまの御腹立久七が申わけ一つも埓あかず罪なうしてうたがはれ九月五日の出替りをまたず御暇申て其後は北濱の備前屋といふ上問屋に季をかさね八橋の長といへるはすは女を女房にして今みれば柳小路にて鮓屋をして世を暮しせんが事つひわすれける人はみな移氣なる物ぞかしせんは別の事なく奉公をせしうちにも樽屋がかりの情をわすれかね心もそらにうかうかとなりて晝夜のわきまへもなくおのづから身を捨女に定つてのたしなみをもせず其さまいやしげに成て次第/\やつれけるかゝる折ふし鶏とぼけて宵鳴すれば大釜自然とくさりてそこをぬかし突込し朝夕の味噌風味かはり神鳴内藏の軒端に落かゝりよからぬ事うちつゝきし是皆自然の道理なるに此事氣に懸られし折から誰がいふともなくせんをこがるゝ男の執心今にやむ事なく其人は樽屋なるはと申せば親かた傳へ聞て何とぞして其男にせんをもらはさんと横町のかゝをよびよせ内談有しにつね/\せん申せしは男もつ共職人はいやといはれければ心もとなしと申せばそれはいらざる物好み何によらず世をさへわたらば勝手づくとさま/\異見して樽屋へ申遣し縁の約束極め程なくせんに脇ふさがせかねを付させ吉日をあらためられ二番の木地長持ひとつ伏見三寸の葛籠一荷糊地の挾筥一つ奥樣着おろしの小袖二つ夜着ふとん赤ね縁の蚊屋むかし染のかつき取あつめて物數廿三銀貳百目付ておくられけるに相生よく仕合よく夫は正直のかうべをかたぶけ細工をすれば女はふしかね染の嶋を織ならひ明くれかせぎける程に盆前大晦日にも内を出違ふほどにもあらず大かたに世をわたりけるが殊更男を大事に掛雪の日風の立時は食つぎを包おき夏は枕に扇をはなさず留守には宵から門口をかため夢/\外の人にはめをやらず物を二ついへばこちのお人/\とうれしがり年月つもりてよき中にふたり迄うまれて猶々男の事をわすれざりきされば一切の女移り氣なる物にしてうまき色咄しに現をぬかし道頓堀の作り狂言をまことに見なしいつともなく心をみだし天王寺の櫻の散前藤のたなのさかりにうるはしき男にうかれかへ男を嫌ひぬ是ほど無理なる事なしそれより萬の始末心を捨て大燒する竃をみず鹽が水になるやらいらぬ所に油火をともすもかまはず身躰うすくなりて暇の明を待かねけるかやうのかたらひさりとは/\おそろし死別ては七日も立ぬに後夫をもとめさられては五度七度縁づきさりとは口惜き下/\の心底なり上/\にはかりにもなき事ぞかし女の一生にひとりの男に身をまかせさはりあれば御若年にして河しうの道明寺南都の法花寺にて出家をとげらるゝ事も有しになんぞかくし男をする女うき世にあまたあれ共男も名の立事を悲しみ沙汰なしに里へ歸しあるひは見付てさもしくも金銀の欲にふけてあつかひにして濟し手ぬるく命をたすくるがゆゑに此事のやみがたし世に神有むくひあり隱してもしるべし人おそるべき此道なり
來ル十六日に無菜の御齋申上たく候御來駕においてはかたじけなく奉存候町衆次第不同麹屋長左衞門世の中の年月の立事夢まぼろしはやすぎゆかれし親仁五十年忌になりぬ我ながらへて是迄吊ふ事うれし古人の申傳へしは五十年忌になれば朝は精進して暮は魚類になして謡酒もり其後はとはぬ事と申せし是がをさめなればすこし物入もいとはずばんじその用意すれば近所の出入のかゝども集り椀家具壺平るすちやつ迄取さばき手毎にふきて膳棚にかさねける爰に樽屋が女房も日比御念比なれば御勝手にてはたらく事もと御見廻申けるに兼て才覺らしく見えければそなたは納戸にありし菓子の品/\を椽高へ組付てと申せば手元見合まんぢゆう御所柿唐ぐるみ落鳫榧杉やうじ是をあらましに取合時亭主の長左衞門棚より入子鉢をおろすとておせんがかしらに取おとしうるはしき髪の結目たちまちとけてあるじ是をかなしめばすこしもくるしからぬ御事と申てかい角ぐりて臺所へ出けるをかうぢやの内儀見とがめて氣をまはしそなたの髪は今のさきまでうつくしく有しが納戸にて俄にとけしはいかなる事ぞといはれしおせん身に覺なく物しづかに旦那殿棚より道具を取おとし給ひかくはなりけるとありやうに申せど是を更に合點せずさては晝も棚から入子鉢のおつる事も有よいたづらなる七つ鉢め枕せずにけはしく寐れば髪はほどくる物じやよい年をして親の吊ひの中にする事こそあれと人の氣つくして盛形さしみをなげこぼし酢にあて粉にあて一日此事いひやまず後は人も聞耳立て興覺ぬかゝるりんきのふかき女を持合すこそ其男の身にして因果なれおせんめいわくながら聞暮せしがおもへば/\にくき心中とてもぬれたる袂なれば此うへは是非におよばずあの長左衞門殿になさけをかけあんな女に鼻あかせんと思ひそめしより各別のこゝろざしほどなく戀となりしのび/\に申かはしいつぞのしゆびをまちける貞享二とせ正月廿二日の夜戀は引手の寶引繩女子の春なくさみふけゆくまて取みだれてまけのきにするも有勝にあかずあそぶもあり我しらず鼾を出すもありて樽屋もともし火消かゝり男は晝のくたびれに鼻をつまむもしらずおせんがかへるにつけこみないない約束今といはれていやがならず内に引入跡にもさきにも是が戀のはじめ
下帯下紐ときもあへぬに樽屋は目をあきあはゝのがさぬと聲をかくればよるの衣をぬぎ捨丸裸にて心玉飛がごとくはるかなる藤の棚にむらさきのゆかりの人有ければ命から%\にてにげのびけるおせんかなはじとかくごのまへ鉋にしてこゝろもとをさし通しはかなくなりぬ其後なきがらもいたづら男も同じ科野に耻をさらしぬ其名さま%\のつくり哥に遠國迄もつたへけるあしき事はのがれずあなおそろしの世や
This part was circles in the Saikaku Zenshu published from Hakubunkan. It has been added to the etext from the Nihon Koten Bungaku Taikei.
- 姿の關守
京の四條はいきた花見有
- してやられた枕の夢
灸もゆるよりおもひに燃有
- 人をはめたり湖
死もせぬ形見の衣裳有
- 小判しらぬ休み茶屋
都に見し土人形有
- 身のうへの立聞
夜の編笠子細もの有
天和二年の暦正月一日吉書萬によし二日姫はじめ神代のむかしより此事戀しり鳥のをしへ。男女のいたづらやむ事なし。爰に大經師の美婦とて浮名の立つゞき。都に情の山をうごかし祇薗會の月鉾かつらの眉をあらそひ。姿は清水の初櫻いまだ咲かゝる風情。口びるのうるはしきは高尾の木末色の盛と詠めし。すみ所は室町通。仕出し衣しやうの物好み當世女の只中廣京にも又有へからず。人こゝろもうきたつ春ふかくなりて。安井の藤今をむらさきの雲のごとく松さへ色をうしなひたそかれの人立。東山に又姿の山を見せける。折ふし洛中に隱なきさわぎ中間の男四天王。風義人にすぐれて目立親よりゆづりの有にまかせ。元日より大晦日迄一日も色にあそばぬ事なし。きのふは嶋原にもろこし花崎かほる高橋に明しけふは四条川原の竹中吉三郎唐松哥仙藤田吉三郎光瀬左近など愛して。衆道女道を晝夜のわかちもなくさま%\遊興つきて。芝居過より松屋といへる水茶屋に居ながれ。けふ程見よき地女の出し事もなし。若も我等が目にうつくしきと見しもある事もやと役者のかしこきやつを目利頭に。花見がへりを待暮%\是ぞかはりたる慰なり。大かたは女中乘物見ぬがこゝろにくし。乱ありきの一むれいやなるもなし。是ぞと思ふもなし菟角はよろしき女計書とめよと硯紙とりよせてそれを移しけるに。年の程三十四五と見えて首筋立のび目のはりりんとして額のはへぎは自然とうるはしく鼻おもふにはすこし高けれども。それが堪忍比なり下に白ぬめのひつかへし。中に淺黄ぬめのひつかへし上に椛つめのひつかへしに本繪にかゝせて左の袖に吉田の法師が面影。ひとり燈のもとにふるき文など見てのもんだんさりとは子細らしき物好帯は敷瓦の折びろうど御所かづきの取まはし薄色の絹足袋三筋緒の雪踏音もせずありきて。わざとならぬ腰のすわり。あの男めが果報と見る時。何かした%\へ物をいふとて口をあきしに下齒一枚ぬけしに戀を覺しぬ。間もなう其跡より十五六七にはなるまじき娘。母親と見えて左の方に付右のかたに墨衣きたるびくにの付て。下女あまた六尺供をかため大事に掛る風情。さては縁付前かと思ひしに。かね付て眉なし皃は丸くして見よく。目にりはつ顯れ耳の付やうしほらしく。手足の指ゆたやかに皮薄う色白く衣類の着こなし又有べからず。下に黄むく中に紫の地なし鹿子。上は鼠じゆすに百羽雀のきりつけ。段染の一幅帯むねあけ掛て身ぶりよく。ぬり笠にとら打て千筋ごよりの緒を付。見込のやさしさ是一度見しに脇皃に横に七分あまりのうち疵あり。更にうまれ付とはおもはれず。さぞ其時の抱姥をうらむべしと。皆/\笑うて通しける。さて又二十一二なる女のもめんの手織嶋を着て。其うらさへつぎ/\を風ふきかへされ耻をあらはしぬ。帯は羽織のおとしと見えて物哀にほそく。紫のかはたび有にまかせてはき。かたし%\のなら草履ふるき置わたして髪はいつ櫛のはを入しや。しどもなく乱しをついそこ/\にからげて。身に樣子もつけず獨たのしみて行をみるに。面道具ひとつもふそくなく。世にかゝる生付の又有物かと。いつれも見とれてあの女によき物を着せて見ば。人の命を取べしまゝならぬはひんふくと哀にいたましく其女のかへるに。忍びて人をつけける誓願寺通のすゑなる。たはこ切の女といへり聞に胸いたく煙の種ぞかし。其跡に廿七八の女さりとは花車に仕出し。三つ重たる小袖皆くろはぶたへに裙取の紅うら金のかくし紋帯は唐織寄嶋の大幅前にむすびて。髪はなげ嶋田に平もとゆひかけて。對のさし櫛はきかけの置手拭。吉弥笠に四つかはりのくけ紐を付て。皃自慢にあさくかづき。ぬきあし中びねりのありきすがた是/\是しやだまれとおの/\近づくを待みるに。三人つれし下女共にひとり%\三人の子を抱せける。さては年子と見えてをかし。跡からかゝ樣/\といふを聞ぬ振して行。あの身にしては我子ながらさぞうたてかるべし。人の風俗もうまぬうちが花ぞと。其女無常のおこる程どやきて笑ける。またゆたかに乘物つらせて。女いまだ十三か四か髪すき流し先をすこし折もどし。紅の絹たゝみてむすび前髪若衆のすなるやうにわけさせ。金もとゆひにて結せ五分櫛のきよらなるさし掛。まづはうつくしさひとつ/\いふ迄もなし。白しゆすに墨形の肌着上は玉むし色のしゆすに孔雀の切付見えすくやうに其うへに唐糸の網を掛さてもたくみし小袖に十二の色のたゝみ帯。素足に紙緒のはき物。うき世笠跡より持せて。藤の八房つらなりしをかざし。見ぬ人のためといはぬ計の風義今朝から見盡せし美女とも是にけをされて其名ゆかしく尋けるに室町のさる息女今小町と云ひ捨て行。花の色は是にこそあれいたつらものとは後に思ひあはせ侍る。
男所帯も氣さんじなる物ながら。お内義のなき夕暮一しほ淋しかりき。爰に大經師の何がし年久しくやもめ住せられける。都なれや物好の女もあるに品形すぐれてよきを望ば心に叶ひがたし。詫ぬれば身を浮草のゆかり尋て。今小町といへる娘ゆかしく見にまかりけるに。過し春四條に關居て見とがめし中にも。藤をかざして覺束なきさましたる人。是ぞとこがれてなんのかのなしに縁組を取いそくこそをかしけれ。其比下立賣烏丸上ル町に。しやべりのなるとて隱もなき仲人がゝ有。是をふかく頼樽のこしらへ。願ひ首尾して吉日をえらびておさんをむかへける。花の夕月の曙此男外を詠もやらずして夫婦のかたらひふかく三とせが程もかさねけるに明暮世をわたる女の業を大事に。手づからべんがら糸に氣をつくしすゑ%\の女に手紬を織せて。わが男の見よげに始末を本とし。竈も大くべさせず小遣帳を筆まめにあらため。町人の家に有たきはかやうの女ぞかし次第に榮てうれしさ限もなかりしに。此男東の方に行事有て。京に名殘は惜めど身過程悲しきはなし思ひ立旅衣室町の親里にまかりて。あらましを語しに我娘の留守中を思ひやりて萬にかしこき人もがな跡を預て表むきをさばかせ内證はおさんが心だすけにも成べしと。何國もあれ親の慈悲心より思ひつけて年をかさねてめし遣ひける茂右衞門といへる若きものを聟のかたへ遣しける此男の正直かうべは人まかせ額ちいさく袖口五寸にたらず髪置して此かた編笠をかぶらず。ましてや脇差をこしらへず。只十露盤を枕に夢にも銀まうけのせんさくばかり明しぬ。折節秋も夜嵐いたく冬の事思ひやりて。身の養生の爲とて茂右衞門灸おもひ立けるに腰元のりん手かるく居る事をえたれば。是をたのみて。もぐさ數捻てりんが鏡臺に嶋のもめんふとんを折かけ。初一つ二つはこらへかねて。お姥から中ゐからたけまでも其あたりをおさへて皃しかむるを笑ひし跡程煙つよくなりて。塩灸を待兼しに自然と居落して。脊骨つたひて身の皮ちゞみ苦しき事暫なれども。居手の迷惑さをおもひやりて目をふさぎ齒を喰しめ堪忍せしを。りんかなしくもみ消して是より肌をさすりそめて。いつとなくいとしやとばかり思ひ込人しれずこゝちなやみけるを後は沙汰しておさん樣の御耳にいれどなほやめがたくなりぬ。りんいやしかるそだちにして物書事にうとく。筆のたよりをなげき久七が心覺ほどにじり書をうらやましく。ひそかに是をたのめば茂右衞門よ我物にしたがるこそうたてけれ。是非なく日數ふる時雨も僞のはじめごろおさん樣江戸へつかはされける御状の次手に。りんがちわ文書てとらせんとざら%\と筆をあゆませ茂のじ樣まゐる身よりとばかり引むすびて。かいやり給ひしをりんうれしく。いつぞの時を見合けるに見せよりたばこの火よといへ共折から庭に人のなき事を幸に其事にかこつけ彼文を我事我と遣しにける茂右衞門もながな事はおさん樣の手ともしらず。りんをやさしきと計におもしろをかしきかへり事をして又渡しける。是をよみかねて御きげんよろしき折ふし。奥さまに見せ奉ればおぼしめしよりておもひもよらぬ御つたへ此方も若いものゝ事なればいやでもあらず候へどもちぎりかさなり候へば取あげばゝがむつかしく候去ながら着物羽織風呂錢身だしなみの事共を其方から賃を御かきなされ候はゝいやながらかなへてもやるべしとうちつけたる文章去迚はにくさもにくし世界に男の日照はあるまじりんも大かたなる生付茂右衞門め程成男をそもや持かねる事や有とかさねて又文にしてなげき茂右衞門を引なびけてはまらせんとかず/\書くどきてつかはされける程に茂右衞門文づらより哀ふかくなりて始の程嘲し事のくやしくそめ/\と返事をして五月十四日の夜はさだまつて影待あそばしけるかならず其折を得てあひみる約束いひ越ければおさん樣いづれも女房まじりに聲のある程は笑てとてもの事に其夜の慰にも成ぬべしとおさんさまりんに成かはらせられ身を木綿なるひとへ物にやつしりん不斷の寐所に曉がたまで待給へるにいつとなく心よく御夢をむすび給へり下/\の女どもおさん樣の御聲たてさせらるゝ時皆/\かけつくるけいやくにして手毎に棒乳切木手燭の用意して所/\にありしが宵よりのさわぎに草臥て我しらず鼾をかきける七つの鐘なりて後茂右衞門
下帯をときかけ闇がりに忍び
夜着の下にこがれて、裸身をさし込心のせくまゝに言葉かはしけるまでもなく
よき事をしすまして袖の移香しほらしやと又寐道具を引きせさし足して立のきさてもこざかしき浮世やまだ今やなどりんが男心は有ましきと思ひしに我さきにいかなる人か
物せし事ぞとおそろしく重てはいかな/\おもひとゝまるに極めし其後おさんはおのづから夢覺ておとろかれしかは
枕はづれてしどけなく、帯はほどけて手元になく、鼻紙のわけもなき事に心はづかしく成てよもや此事人にしれざる事あらじ此うへは身をすて命かぎりに名を立茂右衞門と死手の旅路の道づれとなほやめがたく心底申きかせければ茂右衞門おもひの外なるおもはく違ひのりかゝつたる馬はあれど君をおもへば夜毎にかよひ人のとがめもかへりみず外なる事に身をやつしけるは追付生死の二つ物掛是ぞあぶなし
This part was circles in the Saikaku Zenshu published from Hakubunkan. It has been added to the etext from the Nihon Koten Bungaku Taikei.
This part was circles in the Saikaku Zenshu published from Hakubunkan. It has been added to the etext from the Nihon Koten Bungaku Taikei.
This part was circles in the Saikaku Zenshu published from Hakubunkan. It has been added to the etext from the Nihon Koten Bungaku Taikei.
This part was circles in the Saikaku Zenshu published from Hakubunkan. It has been added to the etext from the Nihon Koten Bungaku Taikei.
This part was circles in the Saikaku Zenshu published from Hakubunkan. It has been added to the etext from the Nihon Koten Bungaku Taikei.
世にわりなきは情の道と源氏にも書殘せし爰に石山寺の開帳とて都人袖をつらね東山の櫻は捨物になして行もかへるも是や此關越て見しに大かたは今風の女出立どれかひとり後世わきまへて參詣けるとはみえさりき皆衣しやうくらべの姿自慢此心ざし觀音樣もをかしかるべし其比おさんも茂右衞門つれて御寺にまゐり花は命にたとへていつ散べきもさだめがたし此浦山を又見る事のしれざればけふのおもひ出にと勢田より手ぐり舟をかりて長橋の頼をかけても短は我/\がたのしびと浪は枕のとこの山あらはるゝまでの乱髪物思ひせし皃はせを鏡の山も曇世に鰐の御崎ののがれかたく堅田の舟よばひも若やは京よりの追手かと心玉もしづみてながらへて長柄山我年の程も爰にたとへて都の富士廿にもたらずして頓て消べき雪ならばと幾度袖をぬらし志賀の都はむかし語と我もなるべき身の果ぞと一しほに悲しく龍灯のあがる時白髭の宮所につきて神いのるにぞいとゞ身のうへはかなし菟角世にながらへる程つれなき事こそまされ此湖に身をなげてながく仏國のかたらひといひければ茂右衞門も惜からぬは命ながら死ての先はしらずおもひつけたる事こそあれ二人都への書置殘し入水せしといはせて此所を立のきいかなる國里にも行て年月を送らんといへばおさんよろこび我も宿を出しより其心掛ありと金子五百兩挿箱に入來りしとかたればそれこそ世をわたるたねなれいよいよ爰をしのべとそれ/\に筆をのこし我/\惡心おこりてよしなきかたらひ是天命のがれず身の置所もなく今月今日うき世の別と肌の守に一寸八ぶの如來に黒髪のすゑを切添茂右衞門はさし馴し壹尺七寸の大脇差關和泉守銅こしらへに巻龍の鉄鍔それぞと人の見覺しを跡に殘し二人が上着女草履男雪踏これにまで氣を付て岸根の柳がもとに置捨此濱の獵師ちやうれんして岩飛とて水入の男をひそやかに二人やとひて金銀とらせて有増をかたれば心やすく頼れてふけゆく時待合せけるおさんも茂右衞門も身こしらへして借家の笹戸明掛皆/\をゆすり起して思ふ子細のあつて只今さい期なるぞとかけ出あらけなき岩のうへにして念仏の聲幽に聞えしが二人ともに身をなげ給ふ水に音ありいつれも泣さわぐうちに茂右衞門おさんを肩に掛て山本わけて木ふかき杉村に立のけばすゐれんは浪の下くゞりておもひもよらぬ汀にあかりけるつき%\の者共手をうつて是を歎き浦人を頼さま%\さがして甲斐なく夜も明行ば泪に形見色色巻込京都にかへり此事を語れは人/\世間をおもひやりて外へしらさぬ内談すれども耳せはしき世の中此沙汰つのりて春慰にいひやむ事なくて是非もなきいたづらの身や
丹波越の身となりて道なきかたの草分衣茂右衞門おさんの手を引てやう/\峯高くのぼりて跡おそろしくおもへば生ながら死だぶんになるこそ心ながらうたてけれなほ行さき柴人の足形も見えず踏まよふ身の哀も今女のはかなくたどりかねて此くるしさ息も限と見えて皃色替りてかなしく岩もる雫を木の葉にそゝぎさま/\養生すれども次第にたよりすくなく脉もしづみて今に極まりける藥にすべき物とてもなく命のおはるを待居る時耳ぢかく寄て今すこし先へ行ばしるべある里ちかしさもあらば此浮をわすれておもひのまゝに枕さだめて語らん物をとなげゝは此事おさん耳に通しうれしや命にかへての男じやものと氣を取なほしけるさては魂にれんぼ入かはり外なき其身いたましく又屓て行程にわづかなる里の垣ねに着けり爰なん京への海道といへり馬も行違ふ程の岨に道もありけるわら葺る軒に杉折掛て上々諸白あり餅も幾日になりぬほこりをかづきて白き色なし片見世に茶筅土人形かぶり太鞁すこしは目馴し都めきて是に力を得しばし休て此うれしさにあるじの老人に金子一兩とらしけるに猫に傘見せたるごとくいやな皃つきして茶の錢置給へといふさても京候此所十五里はなかりしに小判見しらぬ里もあるよとをかしくなりぬそれより柏原といふ所に行てひさしく音信絶て無事をもしらぬ姨のもとへ尋入て昔を語れば流石よしみとてむごからず親の茂介殿の事のみいひ出して泪片手夜すがら咄し明ればうるはしき女らうに不思義を立いかなる御かたぞとたづね給ふに是さしあたつての迷惑此事までは分別もせずして是はわたくしの妹なるが年久しく御所方にみやづかひせしが心地なやみて都の物がたき住ひを嫌ひ物しづかなるかゝる山家に似合の縁もかな身をひきさげて里の仕業の庭はたらき望にて伴ひまかりける敷銀も貳百兩計たくはへありと何心もなく當座さばきに語りける何國もあれ欲の世中なれば此姨是におもひつきそれは幸の事こそあれ我一子いまだ定る妻とてもなしそなたものかぬ中なれば是にと申かけられさても氣毒まさりけるおさんしのびて泪を流し此行すゑいかゞあるべしと物おもふ所へ彼男夜更てかへりし其樣すさまじやすぐれてせい高かしらは唐獅子のごとくちゞみあがりて髭は熊のまぎれて眼赤筋立て光つよく足手其まゝ松木にひとしく身には割織を着て藤繩の組帯して鉄炮に切火繩かますに菟狸を取入是を渡世すと見えける其名をきけば岩飛の是太郎とて此里にかくれもなき惡人都衆と縁組の事を母親語りければむくつげなる男も是をよろこび善はいそぎ今宵のうちにとびん鏡取出して面を見るこそやさしけれ母は盃の用意とて塩目黒に口の欠たる酒徳利を取まはし筵屏風にて貳枚敷ほどかこひて木枕二つ薄縁二枚横嶋のふとん一つ火鉢に割松もやして此夕一しほにいさみけるおさんかなしさ茂右衞門迷惑かりそめの事を申出して是ぞ因果とおもひ定此口惜さまたもうきめに近江の海にて死べき命をながらへしとても天我をのがさずと脇差取て立をおさん押とゞめてさりとは短しさま%\分別こそあれ夜明て爰を立のくべし萬事は我にまかせ給へと氣をしづめて其夜は心よく祝言の盃取かはし我は世の人の嫌ひ給ふひのへ午なるとかたれば是太郎聞てたとへばひのへ猫にてもひのへ狼にてもそれにはかまはずそれがしは好で青どかけを喰てさへ死なぬ命今年廿八迄虫ばら一度おこらず茂右衞門殿も是にはあやかり給へ女房共は上方そだちにして物にやはらかなるが氣にはいらねども親類のふしやうなりとひざ枕してゆたかに臥けるかなしき中にもをかしくなつて寐入を待かね又爰を立のきなほ奥丹波に身をかくしけるやう/\日數ふりて丹後路に入て切戸の文珠堂につやしてまどろみしに夜半とおもふ時あらたに靈夢あり汝等世になきいたづらして何國までか其難のがれがたしされどもかへらぬむかしなり向後浮世の姿をやめて惜きとおもふ黒髪を切出家となり二人別/\に住て惡心さつて菩提の道に入ば人も命をたすくべしとありがたき夢心にすゑ/\は何にならうともかまはしやるなこちや是がすきにて身に替ての脇心文珠樣は衆道ばかりの御合點女道は會てしろしめさるまじといふかと思へばいやな夢覺て橋立の松の風ふけば塵の世じや物となほ/\やむ事のなかりし
あしき事は身に覺て博奕打まけてもだまり傾城買取あげられてかしこ皃するものなり喧くはしひけとる分かくし買置の商人損をつゝみ是皆闇がりの犬の糞なるべし中にもいたづらかたぎの女を持あはす男の身にして是程なさけなき物はなしおさん事も死ければ是非もなしと其通りに世間をすまし年月のむかしを思ひ出てにくしといふ心にも僧をまねきてなき跡を吊ひける哀や物好の小袖も旦那寺のはたてんがいと成無常の風にひるがへし更に又なげきの種となりぬされば世の人程だいたんなるものはなし茂右衞門そのりちぎさ闇には門へも出さりしがいつとなく身の事わすれて都ゆかしくおもひやりて風俗いやしげになし編笠ふかくかづきおさんは里人にあづけ置無用の京のぼり敵持身よりはなほおそろしく行に程なく廣沢あたりより暮/\になつて池に影ふたつの月にもおさん事を思ひやりておろかなる泪に袖をひたし岩に數ちる白玉は鳴瀧の山を跡になし御室北野の案内しるよしゝていそげば町中に入て何とやらおそろしげに十七夜の影法師も我ながら我わすれて折/\胸をひやして住馴し旦那殿の町に入てひそかに樣子を聞ば江戸銀のおそきせんさく若いもの集て頭つきの吟味もめん着物の仕立ぎはをあらためける是も皆色よりおこる男ぶりぞかし物語せし末を聞にさてこそ我事申出しさても/\茂右衞門めはならびなき美人をぬすみおしからぬ命しんでも果報といへばいかにも/\一生のおもひ出といふもありまた分別らしき人のいへるは此茂右衞門め人間たる者の風うへにも置やつにはあらず主人夫妻をたぶらかし彼是ためしなき惡人と義理をつめてそしりける茂右衞門立聞して慥今のは大文字屋の喜介めが聲なり哀をしらずにくさけに物をいひ捨つるやつかなおのれには預り手形にして銀八拾目の取替あり今のかはりに首おさへても取べしと齒ぎしめして立けれ共世にかくす身の是非なく無念の堪忍するうちに又ひとりのいへるは茂右衞門は今にしなずにどこぞ伊勢のあたりにおさん殿をつれて居るといのよい事をしをると語る是を聞と身にふるひ出て俄にさむく足ばやに立のき三条の旅籠屋に宿かりて水風呂にもいらず休けるに十七夜代待の通しに十二灯を包て我身の事すゑ/\しれぬやうにと祈ける其身の横しまあたご樣も何として助け給ふべし明れは都の名殘とて東山しのび/\に四条川原にさがり藤田狂言つくし三番つゞきのはじまりといひけるに何事やらん見てかへりておさんに咄しにもと圓座かりて遠目をつかひもしも我をしる人もと心元なくみしに狂言も人の娘をぬすむ所是さへきみあしくならび先のかた見ればおさん樣の旦那殿とましひ消てぢごくのうへの一足飛玉なる汗をかきて木戸口にかけ丹後なる里にかへり其後は京こはがりき折節は菊の節句近付て毎年丹波より栗商人の來しが四方山の咄しの次手にいやこなたのお内義樣はと尋けるに首尾あしく返事のしてもなし旦那にがい皃してそれはてこねたといはれける栗賣重而申は物には似た人も有物かな是の奥樣にみぢんも違はぬ人又若人も生うつしなり丹後の切戸邊に有けるよと語捨てかへる亭主聞とがめて人遣し見けるにおさん茂右衞門なれば身うち大勢もよふしてとらへに遣し其科のかれず樣々のせんぎ極中の使せし玉といへる女も同し道筋にひかれ粟田口の露草とはなりぬ九月廿二日の曙のゆめさら/\さい後いやしからず世語とはなりぬ今も淺黄の小袖の面影見るやうに名はのこりし
- 大節季はおもひの闇
かり着の袖に二つ紋有
- 虫出し神鳴もふんとしかきたる君樣
化物おそれぬ新發意有
- 雪の夜の情宿
戀の道しる似せ商人有
- 世に見をさめの櫻
惜やすかたのちる人有
- 樣子あつての俄坊主
前髪は又花の風より哀有
ならひ風はげしく師走の空雲の足さへはやく春の事共取いそぎ餅突宿の隣には小笹手毎に煤はきするもあり天秤のかわさえて取やりも世の定めとていそがし棚下を引連立てこん/\小目くらにお壹文くだされませいの聲やかましく古札納めざつ木賣榧かち栗かまくら海老通町にははま弓の出見世新物たび雪踏あしを空にしてと兼好が書出しおもひ合て今も世帯もつ身のいとまなき事にぞ有けるはやおしつめて廿八日の夜半にわや/\と火宅の門は車長持ひく音葛籠かけ硯かたに掛てにぐるも有穴藏の蓋とりあへずかる物をなけ込しに時の間の煙となつて燒野の雉子子を思ふがごとく妻をあはれみ老母をかなしみそれ/\のしるべの方へ立のしきしは更に悲しさかぎりなかりき。爰に本郷邊に八百屋八兵衞とて賣人むかしは俗姓賎しからず此人ひとりの娘あり名はお七といへり。年も十六花は上野の盛月は隅田川のかげきよくかゝる美女のあるべきものか都鳥其業平に時代ちがひにて見せぬ事の口惜是に心を掛ざるはなし此人火元ちかづけば母親につき添年比頼をかけし旦那寺駒込の吉祥寺といへるに行て當座の難をしのぎける此人/\にかぎらずあまた御寺にかけ入長老樣の寐間にも赤子泣聲仏前に女の二布物を取ちらし或は主人をふみこへ親を枕としわけもなく臥まろびて明れば鐃鉢鉦を手水だらいにしお茶湯天目もかりのめし椀となり此中の事なれば釋迦も見ゆるし給ふべしお七は母の親大事にかけ坊主にも油斷のならぬ世中と萬に氣を付侍る折ふしの夜嵐をしのぎかねしに亭坊慈悲の心から着替の有程出してかされける中に黒羽二重の大ふり袖に梧銀季のならべ紋紅うらを山道のすそ取。わけらしき小袖の仕立燒かけ殘りてお七心にとまり。いかなる上らうか世をはようなり給ひ形見もつらしと此寺にあがり物かと我年の比おもひ出して哀にいたましくあひみぬ人に無常おこりて思へば夢なれや。何事もいらぬ世や後生こそまことなれとしほ/\としづみ果。母人の珠數袋をあけて願ひの玉のを手にかけ口のうちにして題目いとまなき折からやことなき若衆の銀の毛貫片手に左の人さし指に有かなきかのとげの立けるも心にかゝると暮方の障子をひらき身をなやみおはしけるを母人見かね給ひ。ぬきまゐらせんとその毛貫を取て暫なやみ給へども老眼のさだかならず見付る事かたくて氣毒なる有さまお七見しより我なら目時の目にてぬかん物をと思ひながら近寄かねてたゝずむうちに母人よび給ひて。是をぬきてまゐらせよとのよしうれし。彼御手をとりて難儀をたすけ申けるに。此若衆我をわすれて自が手を痛くしめさせ給ふをはなれがたかれども母の見給ふをうたてく是非もなく立別れさまに覺て毛貫をとりて歸り又返しにと跡をしたひ其手を握かへせば是よりたがひの思ひとはなりけるお七次第にこがれて此若衆いかなる御方ぞと納所坊主に問ければあれは小野川吉三郎殿と申て先祖たゞしき御浪人衆なるが。さりとはやさしく情のふかき御かたとかたるにぞなほおもひまさりて忍び/\の文書て人しれずつかはしけるに便りの人かはりて結句吉三郎方よりおもはくかず/\の文おくりける心ざし互に入亂て是を諸思ひとや申べし兩方共に返事なしにいつとなく淺からぬ戀人こはれ人時節をまつうちこそうき世なれ大晦日はおもひの闇に暮て明れば新玉の年のはじめ女松男松を立餝て暦みそめしにも姫はじめをかしかりきされどもよき首尾なくてつひに枕も定ず君がため若菜祝ひける日もをはりて九月十日過十一日十二十三十四日の夕暮はや松のうちも皆になりて甲斐なく立し名こそはかなけれ
春の雨玉にもぬける柳原のあたりよりまゐりけるのよし十五日の夜半に外門あらけなく扣にぞ僧中夢おどろかし聞けるに米屋の八左衞門長病なりしが今宵相果申されしにおもひまうけし死人なれば夜のうちに野邊へおくり申度との使なり。出家の役なればあまたの法師めしつれられ晴間をまたず傘をとり%\に御寺を出てゆき給し跡は七十に餘りし庫裏姥ひとり十二三なる薪發意壹人赤犬ばかり殘物とて松の風淋しく虫出しの神鳴ひゞき渡りいづれも驚て姥は年越の夜の煎大豆取出すなど天井のある小座敷をたづねて身をひそめける母の親。子をおもふ道に迷ひ我をいたはり夜着の下へ引よせきびしく鳴時は耳ふさげなど心を付給ひける女の身なれば。おそろしさかぎりもなかりきされ共吉三郎殿にあふべき首尾今宵ならではとおもふ下心ありて扨もうき世の人何とて鳴神をおそれけるぞ。捨てから命すこしも我はおそろしからずと女のつよからずしてよき事に無用の言葉すゑ/\の女共まで是をそしりける。やう/\更過て人皆おのづからに寐入て鼾は軒の玉水の音をあらそひ雨戸のすきまより月の光もありなしに静なるをりふし客殿をしのび出けるに身にふるひ出し足元も定かね枕ゆたかに臥たる人の腰骨をふみてたましひ消がごとく胸いたく上氣して物はいはれず手をあはして。拜みしに此もの我をとがめざるを不思義と心をとめて詠めけるに食たかせける女のむめといふ下子なりそれをのり越て行を此女裙を引とゞめける程に又胸さわぎして我留るかとおもへばさにはあらず小判紙の壹折手にわたしけるさても/\いたづら仕付てかゝるいそがしき折からも氣の付たる女ぞとうれしく方丈に行てみれども彼兒人の寐姿見えぬはかなしくなつて臺所に出ければ姥目覺し今宵鼠めはとつぶやく片手に椎茸のにしめ。あげ麺葛袋など取おくもをかししばしあつて我を見付て吉三郎殿の寐所はその/\小坊主とひとつに三疊敷にと肩たゝいて小話ける思ひの外なる情しり寺には惜やといとしくなりて。してゐる紫鹿子の帯ときてとらし姥がをしへるにまかせ行に夜や八つ比なるべし常香盤の鈴落てひゞきわたる事しばらくなり薪發意其役にや有つらん起あがりて糸かけ直し香もりつぎて座を立ぬ事とけしなく寐所へ入を待かね女の出來こゝろにて髪をさばきこはい皃して闇がりよりおどしければ流石佛心そなはりすこしもおどろく氣色なく汝元來帯とけひろげにて世に徒ものやたちまち消され此寺の大黒になり迄待と目を見ひらき申けるお七しらけて。はしり寄りこなたを抱て寐にきたといひければ薪發意笑ひ吉三郎樣の事か。おれと今迄跡さして臥ける其證據には是そとこぶくめの袖をかざしけるに。白菊などいへる留木のうつり香どうもならぬとうちやみ其寐間に入を薪發意聲立て。はあ。お七さまよい事をといひけるに又驚き何ニ而もそなたのほしき物を調進ずべし。だまり給へといへばそれならば錢八十と松葉屋のかるたと淺草の米まんぢう五つと世に是よりほしき物はないといへば。それこそやすい事明日ははや/\遣し申べきと約束しける此小坊主枕かたむけ夜が明たらば。三色もらふはず必もらふはずと夢にもうつゝにも申寐入に静りける其後は心まかせになりて吉三郎寐姿に寄添て何共言葉なくしどけなくもたれかゝれば吉三郎夢覺てなほ身をふるはし小夜着の袂を引かぶりしを引のけ髪に用捨もなき事やといへば吉三郎せつなくわたくしは十六になりますといへばお七わたくしも十六になりますといへば吉三郎かさねて長老樣がこはやといふおれも長老樣はこはしといふ何とも此戀はじめもどかし後はふたりながら涙をこぼし不埓なりしに又雨のあがり神鳴あらけなくひゞきしに是は本にこはやと吉三郎にしがみ付けるにぞおのづからわりなき情ふかくひえわたりたる手足やと肌へちかよせしにお七うらみて申侍るはそなた樣にもにくからねばこそよしなき文給りながらかく身をひやせしは誰させけるぞと首筋に喰つきけるいつとなくわけもなき首尾してぬれ初しより袖は互にかぎりは命と定ける程なくあけぼのちかく谷中の鐘せはしく吹上の榎の木朝風はげしくうらめしや今寐ぬくもる間もなくあかぬは別れ世界は廣し晝を夜の國もがなと俄に願ひとても叶はぬ心をなやませしに母の親是はとたづね來てひつたてゆかれしおもへばむかし男の鬼一口の雨の夜のこゝちして吉三郎あきれ果てかなしかりき薪發意は宵の事をわすれず今の三色の物をたまはらずは今夜のありさまつげんといふ母親立歸りて。何事かしらね共お七が約束せし物は我が請にたつといひ捨て歸られしいたづらなる娘もちたる母なれば。大方なる事は聞ても合點してお七よりはなほ心を付て明の日はやく其もてあそびの品/\調ておくり給ひけるとや
油斷のならぬ世の中に殊更見せまじき物は道中の肌付金酒の醉に脇指娘のきはに捨坊主と御寺を立歸りて其後はきびしく改て戀をさきけるされ共下女が情にして文は數通はせて心の程は互にしらせける有夕板橋ちかき里の子と見えて松露土筆を手籠に入て世をわたる業とて賣きたれりお七親のかたに買とめける其暮は春ながら雪ふりやまずして里までかへる事をなげきぬ亭主あはれみて何ごゝろもなくつひ庭の片角にありて夜明なばかへれといはれしをうれしく牛房大根の莚かたよせ竹の小笠に面をかくし腰蓑身にまとひ一夜をしのぎける嵐枕にかよひ土間ひえあがりけるにぞ大かたは命もあやうかりき次第に息もきれ眼もくらみし時お七聲して先程の里の子あはれやせめて湯成共呑せよと有しに食燒の梅が下の茶碗にくみて久七にさし出しければ男請取て是をあたへける忝き御心入といへばくらまぎれに前髪をなぶりて我も江戸においたらば念者の有時分じやが痛しやといふいかにも淺ましくそだちまして田をすく馬の口を取眞柴刈より外の事をぞんじませぬといへば足をいらひてきどくにあかゞりを切さぬよ是なら口をすこしと口をよせけるに此悲しさ切なさ齒を喰しめて泪をこぼしけるに久七分別していや/\根深にんにく喰し口中もしれすとやめける事のうれし其後寐時に成て下/\はうちつけ階子を登り二階にともし火影うすくあるじは戸棚の錠前に心を付れば内義は火の用心能々云付てなほ娘に氣遣せられ中戸さしかためられしは戀路つなきれてうたてし八つの鐘の鳴時面の戸扣て女と男の聲して申姥樣只今よろこびあそばしましたがしかも若子樣にて旦那さまの御機嫌と頻によばはる家内起さわぎてそれはうれしやと寐所より直に夫婦連立出さまにまくりかんぞうを取持てかたし%\の草履をはきお七に門の戸をしめさせ急心ばかりにゆかれしお七戸をしめて歸りさまに暮方里の子思ひやりて下女に其手燭まてとて面影をみしに豊に臥ていとゞ哀の増りける心よく有しを其まゝおかせ給へと下女のいへるを聞ぬ皃してちかくよれば肌につけし兵部卿のかほり何とやらゆかしくて笠を取除みればやことなき脇顏のしめやかに鬢もそゝけざりしをしばし見とれてその人の年比におもひいたして袖に手をさし入て見るに淺黄はぶたへの下着是はとこゝろをとめしに吉三郎殿なり人のきくをもかまはずこりや何としてかゝる御すがたぞとしがみ付てなげきぬ吉三郎もおもてみあはせ物えいはざる事しばらかへてせめては君をかりそめに見る事ねがひ宵の憂思ひおぼしめしやられよとはじめよりの事共をつど/\にかたりければ菟角は是へ御入有て其御うらみも聞まゐらせんと手を引まゐらすれども宵よりの身のいたみ是非もなく哀なりやう/\下女と手をくみて車にかきのせてつねの寐間に入まゐらせて手のつゞくほどさすりて幾藥をあたへすこし笑ひ皃うれしく盃事して今宵は心に有程をかたりつくしなんとよろこぶ所へ親父かへらせ給ふにぞかさねて憂めにあひぬ衣桁のかげにかくしてさらぬ有さまにていよ/\おはつ樣は親子とも御まめかといへば親父よろこびてひとりの姪なればとやかく氣遣せしに重荷おろしたと機嫌よく産着のもやうせんさく萬祝て鶴龜松竹のすり箔はと申されけるにおそからぬ御事明日御心静にと下女も口/\に申せばいや/\かやうの事ははやきこそよけれと木枕鼻紙をたゝみかけてひな形を切るゝこそうたてけれやう/\其程過て色々たらしてねせまして語たき事ながらふすま障子ひとへなればもれ行事をおそろしく灯の影に硯帋置て心の程を互に書て見せたり見たり是をおもへば鴛のふすまとやいふべし夜もすがら書くどきて明がたの別れ又もなき戀があまりてさりとては物うき世や
それとはいはずに明暮女こゝろの墓なやあふべきたよりもなければある日風のはげしき夕暮に日外寺へにげ行世間のさわぎを思ひ出して又さもあらば吉三郎殿にあひ見る事の種とも成なんとよしなき出來こゝろにして惡事を思ひ立こそ因果なれすこしの煙立さわぎて人々不思義と心懸見しにお七が面影をあらはしけるこれを尋しにつゝまず有し通を語けるに世の哀とぞ成にけるけふは神田のくづれ橋に耻をさらし又は四谷芝の淺草日本橋に人こぞりてみるに惜まぬはなし是を思ふにかりにも人は惡事をせまじき物なり天是をゆるし給はぬなり此女思ひ込し事なれば身のやつるゝ事なくて毎日有し昔のごとく黒髪を結せてうるはしき風情惜や十七の春の花も散%\にほとゝぎすまでも惣鳴に卯月のはじめ。すがたさい後ぞとすゝめけるに心中更にたがはず夢幻の中ぞと一念に仏國を願ひける心ざし去迚は痛しく手向花とて咲おくれし櫻を一本もたせけるに打詠て世の哀春ふく風に名を殘し。おくれ櫻のけふ散し身はと吟しけるを聞人一しほにいたまはしく其姿をみおくりけるに限ある命のうち入相の鐘つく比品かはりたる道芝の邊にして其身はうき煙となりぬ人皆いづれの道にも煙はのかれず殊に不便は是にぞ有けるそれはきのふ今朝みれば塵も灰もなくて鈴の森松風ばかり殘て旅人も聞つたへて只は通らず廻向して其跡を吊ひけるされば其日の小袖郡内嶋のきれ%\迄も世の人拾もとめてすゑ/\の物語の種とぞ思ひける近付ならぬ人さへ忌日/\にしきみ折立此女をとひけるに其契を込し若衆はいかにしてさい後を尋問ざる事の不思義と諸人沙汰し侍る折節吉三郎は此女にこゝちなやみて前後を辨ず憂世の限と見えて便すくなく現のごとくなれば人/\の心得にて此事をしらせなばよもや命も有べきかつね%\申せし言葉のすゑ身の取置までしてさい後の程を待居しにおもへば人の命やと首尾よしなに申なしてけふ明日の内には其人爰にましまして思ふまゝなる御けんなどいひけるにぞ一しほ心を取直しあたへる藥を外になして君よ戀し其人まだかとそゞろ事いふほどこそあれしらずやけふははや三十五日と吉三郎にはかくして其女吊ひけるそれより四十九日の餅盛などお七親類御寺に參てせめて其戀人を見せ給へと歎きぬ樣子を語て又も哀を見給ふなればよし/\其通にと道理を責ければ流石人たる人なれば此事聞ながらよもやながらへ給ふまじ深くつゝみて病氣もつゝがなき身折節お七が申殘せし事共をも語りなぐさめて我子の形見にそれなりとも思ひはらしにと卒塔婆書たてゝ手向の水も泪にかはかぬ石こそなき人の姿かと跡に殘りし親の身無常の習とて是逆の世や
命程頼みすくなくて又つれなき物はなし中/\死ぬればうらみも戀もなかりしに百ケ日に當る日枕始て。あがり杖竹を便に寺中静に初立しけるに卒塔婆の薪しきに心を付てみしに其人の名に驚てさりとてはしらぬ事ながら人はそれとはいはじおくれたるやうに取沙汰も口惜と腰の物に手を掛しに法師取つきさま%\とゞめて迚も死すべき命ならば年月語りし人に暇乞をもして長老さまにも其斷を立さい後を極め給へしか子細はそなたの兄弟契約の御かたより當寺へ預ケ置給へば其御手前への難儀彼是覺しめし合られ此うへながら憂名の立ざるやうにといさめしに此斷至極して自害おもひとゞまりて菟角は世にながらへる心ざしにはあらず其後長老へ角と申せばおどろかせ給ひて其身は念比に契約の人わりなく愚僧をたのまれ預りおきしに其人今は松前に罷て此秋の比は必爰にまかるのよしくれ%\此程も申越れしにそれよりうちに申事もあらはさしあたつての迷惑我ぞかし兄分かへられてのうへに其身はいかやうともなりぬべき事こそあれと色々異見あそばしければ日比の御恩思ひ合せて何か仰はもれしとお請申あげしになほ心もとなく覺しめされては物を取てあまたの番を添られしに是非なくつねなるへやに入て人々に語しはさても/\わが身ながら世上のそしりも無念なりいまだ若衆を立し身のよしなき人のうき情にもだしがたくて剰其人の難儀此身のかなしさ衆道の神も佛も我を見捨給ひしと感涙を流し殊更兄分の人歸られての首尾身の立へきにあらずそれより内にさい後急たしされ共舌喰切首しめるなど世の聞えも手ぬるし情に一腰かし給へなにながらへて甲斐なしと泪にかたるにぞ座中袖をしぼりてふかく哀みける此事お七親より聞つけて御歎尤とは存ながらさい後の時分くれ%\申置けるは吉三郎殿まことの情ならばうき世捨させ給ひいかなる出家にもなり給ひてかくなり行跡をとはせ給ひなばいかばかり忘れ置まじき二世迄の縁は朽まじと申置しと樣々申せ共中々吉三郎聞分ずいよ/\思ひ極て舌喰切色めの時母親耳ちかく寄てしばし小語申されしは何事にか有哉らん吉三郎うなづきて菟も角もといへり其後兄分の人も立歸り至極の異見申盡て出家と成ぬ此前髪のちるあはれ坊主も剃刀なげ捨盛なる花に時のまの嵐のごとくおもひくらぶれば命は有ながらお七さい期よりはなほ哀なり古今の美僧是ををしまぬはなし惣じて戀の出家まことあり吉三郎兄分なる人も古里松前にかへり墨染の袖とはな/\取集たる戀や哀や無常也夢なり現なり
- つれ吹の笛竹息のあはれや
さつまにかくれなき當世男有
- もろきは命の鳥さし
床はむかしと成若衆有
- 衆道は兩の手に散花
中剃はいたづら女有
- 情はあちらこちらのちがひ
同じ色ながらひぢりめんのふたの物語
- 金銀も持あまつてめいわく
三百八十の鍵あつかる男有
世に時花哥源兵衞といへるはさつまの國かごしまの者なりしがかゝる田舎には稀なる色このめる男なりあたまつきは所ならはしにして後さがりに髪先みじかく長脇差もすぐれて目立なれども國風俗是をも人のゆるしける明暮若道に身をなしよは/\としたる髪長のたはふれ一生しらずして今ははや廿六歳の春とぞなりける年久しくふびんをかけし若衆に中村八十郎といへるにはしめより命を捨て淺からず念友せしに又あるまじき美皃たとへていはゞひとへなる初櫻のなかばひらきて花の物云風情たり有夜雨の淋しく只二人源五兵衞住なせる小座敷に取こもりつれ吹の横笛さらにまたしめやかに物の音も折にふれては哀さもひとしほなり窓よりかよふ嵐は梅がかほりをつれて振袖に移くれ竹のそよぐに寐鳥さわぎてとびかふ音もかなしかりき灯おのづからに影ほそく笛も吹をはりていつよりは情らしくうちまかせたる姿して心よく語し言葉にひとつ/\品替て戀をふくませさりとはいとしさまさりてうき世外なる欲心出來て八十郎形のいつまでもかはらで前髪あれかしとぞ思ふ同じ枕しどけなく夜の明がたになりていつとなく眠れば八十郎身をいためて起しあたら夜を夢にはなし給ふといへり源五兵衞現に聞て心さだまりかねしに我に語給ふも今宵をかぎりなりしに何か名殘に申たまへる事もといへば寐耳にも悲しくてかりにも心掛りなりひとへあはぬさへ面影まぼろしに見えけるにいかに我にせかすればとて今夜かぎりとは無用の云事やと手を取かはせばすこしうち笑て是非なきはうき世定がたきは人の命といひ果ず其身はたちまち脉あがりて誠のわかれとなりぬ是はと源五兵衞さわぎて忍びし事も外にして男泣にどよめは皆/\たち寄さま%\藥あたへける甲斐なく萬事のこときれてうたてし八十郎親もとにしらせければ二親のなげきかぎりなし年月したしくましましける中なれば八十郎がさい期何かうたがふまでもなしそれからそれ迄菟角は野邊へおくりて其姿を其まゝ大龜に入て萌出る草の片蔭に埋ける源五兵衞此塚にふししづみて悔とも命すつべきより外なくとやかく物思ひしがさても/\もろき人かなせめては此跡三とせは吊ひて月も日も又けふにあたる時かならず爰に來て露命と定むべき物をと野墓よりすくにもとゞりきりて西圓寺といへる長老に始を語心からの出家となりて夏中は毎日の花をつみ香を絶さず八十郎ぼだいをとひて夢のごとく其秋にもなりぬ垣根朝皃咲そめ花又世の無常をしらせける露は命よりは間のあるものぞとかへらぬむかしをおもひけるに此ゆふぐれはなき人の來る玉まつる業とて鼠尾草折しきて瓜なすびをかしげにえだ大豆かれ%\にをりかけ燈籠かすかに棚經せはしくむかひ火に麻がらの影きえて十四日のゆふま暮寺も借錢はゆるさず掛乞やかましく門前は踊太皷ひゞきわたりて爰もまたいやらしくなりて一たび高野山へのこゝろざし明れば文月十五日古里を立出るより墨染はなみたにしらけて袖は朽けるとなり
里は冬かまへして萩柴折添てふらぬさきより雪垣など北窓をふさぎ衣うつ音のやかましく野はづれに行ば紅林にねぐらあらそふ小鳥を見掛其年のほど十五か六か七まではゆかじ水色の袷帷子にむらさきの中幅帯金鍔の一つ脇差髪は茶筅に取乱そのゆたけさ女のごとしさし竿の中ほとを取まはして色鳥をねらひ給ひし事百たびなれ共一羽もとまらざりしをほいなき有樣しばし見とれてさても世にかゝる美童も有ものぞ其年の比は過にし八十郎に同しうるはしき所はそれに増りけるよと後世を取はづし暮かたまで詠つくして其かたちかく立寄てそれがしは法師ながら鳥さしてとる事をえたり其竿をこなたへと片肌ぬぎかけて諸の鳥共此皃人のお手にかゝりて命を捨が何とて惜きぞさても/\衆道のわけしらずめと時の間に數かぎりもなく取まゐらせければ此若衆外なくうれしくいかなる御出家ぞと問せけるほどに我を忘てはじめを語ければ此人もだ/\と泪くみてそれゆゑの御執行一しほ殊勝さ思ひやられける是非に今宵は我笹葺に一夜ととめられしになれ/\しくも伴ひ行に一かまへの森のうちにきれいなる殿作りありて馬のいなゝく音武具かざらせて廣間をすぎて縁より梯のはるかに熊笹むら/\として其奥に庭籠ありてはつがん唐鳩金鶏さま%\の聲なしてすこし左のかたに中二階四方を見晴し書物棚しほらしく爰は不斷の學問所とて是に座をなせばめしつかひのそれ/\をめされ此客僧は我物讀のお師匠なりよく/\もてなせとてかず/\の御事ありて夜に入ればしめやかに語慰みいつとなく契て千夜とも心をつくしぬ明れば別ををしみ給ひ高野のおぼしめし立かならず下向の折ふしは又もと約束ふかくして互に泪くらべて人しれず其屋形を立のき里人にたづねけるにあれは此所の御代官としか/\の事をかたりぬさてはとお情うれしく都にのぼるもはかどらず過にし八十郎を思ひ出し又彼若衆の御事のみ仏の道は外になしてやう/\弘法の御山にまゐりて南谷の宿坊に一日ありて奥の院にも參詣せず又國元にかへり約束せし人の御方に行ば日外見し御姿かはらず出むかひ給ひ一間なる所に入て此程のつもりし事を語り旅草臥の夢むすびけるに夜も明て彼御人の父此法師をあやしくとがめ給ひ起されておどろき源五兵衞落髪のはじめ又このたびの事有のまゝに語ればあるじ横手うつてさても/\不思義や我子ながら姿自慢せしにうき世とてはかなく此廿日あまりに成し跡にもろくも相果しが其きは迄彼御法されての事にとおもひしに扨はそなたの御事かとくれ%\なげき給ひけるなほ命をしからず此座をさらず身を捨べきとおもひしがさりとては死れぬもの人の命にそ有ける間もなく若衆ふたり迄のうきめをみていまだ世に有事の心ながら口惜さるほどに此二人が我にかゝるうき事しらせける大かたならぬ因果とや是を申べしかなし
人の身程あさましくつれなき物はなし世間に心を留て見るにいまだいたいけ盛の子をうしなひ又はすゑ%\永く契を籠し妻の若死かゝる哀れを見し時は即座に命を捨んと我も人もおもひしが泪の中にもはや欲といふ物つたなし萬の寶に心をうつしあるは又出來分別にて息も引とらぬうちより女は後夫のせんさくを耳に掛其死人の弟をすぐに跡しらすなど又は一門より似合しき入縁取事こゝろ玉にのりてなじみの事は外になし義理一へんの念佛香花も人の見るためぞかし三十五日の立をとけしなく忍び/\の薄白粉髪は品よく油にしたしながら結もやらずしどけなく下着は色をふくませうへには無紋の小袖目にたゝずしてなほ心にくき物ぞかし折ふしは無常を觀じはかなき物語の次手に髪を切うき世を野寺に暮して朝の露をせめては草のかけなる人に手向なんと縫箔鹿子の衣しやう取ちらし是もいらぬ物なればてんがいはたうち敷にせよといふ心には今すこし袖のちひさきをかなしみける女程おそろしきものはなし何事をも留めける人の中にては空泣しておどしけるされば世の中に化ものと後家たてすます女なしまして男の女房を五人や三人ころして後よびむかへてもとがにはならじそれとは違ひ源五兵衞入道は若衆ふたりまであへなきうきめを見て誠なるこゝろから片山蔭に草庵を引むすび後の世の道ばかり願ひ色道かつてやめしは更に殊勝さかぎりなし其比又さつまがた濱の町といふ所に琉球屋の何がしが娘おまんといへる有けり年の程十六夜の月をもそねむ生つき心ざしもやさしく戀の只中見し人おもひ掛ざるはなし此女過し年の春より源五兵衞男盛をなづみて數/\の文に氣をなやみ人しれぬ便につかはしけるに源五兵衞一生女をみかぎりかりそめの返事もせざるをかなしみ明暮是のみにて日數をおくりぬ外より縁のいへるをうたてくおもひの外なる作病して人の嫌うはことなど云て正しく乱人とは見えける源五兵衞姿をかへにし事もしらざりしに有時人の語りけるを聞もあへずさりとては情なしいつぞの時節には此思ひを晴べきとたのしみける甲斐なく惜や其人は墨染の袖うらめしや是非それに尋行て一たび此うらみをいはではと思ひ立を世の別と人/\にふかくかくして自よき程に切て中剃して衣類も兼ての用意にやまんまと若衆にかはりて忍びて行に戀の山入そめしより根笹の霜を打拂ひ比は神無月僞りの女心にしてはる%\過て人の申せし里ばなれなる杉村に入れば後にあらけなき岩ぐみありてにしづむばかり朽木のたよりなき丸太を二つ三つ四つならべてなげわたし橋も物すごく下は瀬のはやき浪もくだけてたましひ散るごとくわづかの平地のうへに片ひさしおろして軒端はもろ/\のかづらはひかゝりておのづからの滴爰のわたくし雨とや申べき南のかたに明り窓有て内を覗ばしづの屋にありしちんからりとやいへる物ひとつに青き松葉を燒捨て天目二つの外にはしやくしといふ物もなくてさりとてはあさましかゝる所に住なしてこそ佛の心にも叶ひてんと見廻しけるにあるじの法師ましまさぬ事かげかはしく何國へと尋べきかたも松より外にはなくて戸の明を幸に入てみれば見臺に書物ゆかしさにのぞけば待宵の諸袖といへる衆道の根元を書つくしたる本なりさてはいまも此色は捨給はずと其人のおかへりを待侘しにほどなく暮て文字も見えがたくともし火のたよりもなくて次第に淋しく独明しぬ是戀なればこそかくは居にけり夜半とおもふ時源五兵衞入道わづかなる松火に道をわけて菴ちかく立歸りしを嬉しくおもひしに枯葉の荻原よりやことなき若衆同じ年比なる花か紅葉かいづれか色をあらそひひとりはうらみひとりは歎若道のいきごみ源五兵衞坊主はひとり情人はふたりあなたこなたのおもはく戀にやるせなくさいなまれてもだもだとしてかなしき有樣見るもあはれ又興覺て扨もさても心の多き御かたとすこしはうるさかりきされ共思ひ込し戀なれば此まゝ置べきにもあらず我も一通り心の程を申ほどきてなんと立出れば此面影におとろき二人の若衆姿の消て是はとおもふ時源五兵衞入道不思義たちていかなる皃人さまそと言葉を掛ければおまん聞もあえず我事見えわたりたる通りの若衆をすこしたて申かね/\御法師さまの御事聞傳へ身捨是迄しのびしがさりとはあまたの心入それともしらずせつかく氣はこびし甲斐もなしおもはく違ひとうらみけるに法師横手をうつて是はかたじけなき御心さしやと又うつり氣になりて二人の若衆は世をさりし現の始を語にぞ友に涙をこぼし其かはりに我を捨給ふなといへば法師かんるゐ流し此身にも此道はすてがたしとはやたはふれける女ぞしらぬが仏さまもゆるし給ふべし
我そも/\出家せし時女色の道はふつとおもひ切し仏願也され共心中に美道前髪の事はやめがたし是ばかりはゆるし給へと其時より諸仏に御斷申せしなれば今又とがめける人をももたずふびんと是迄御尋有し御情からはすゑ%\見捨給ふななどたはふれけるにおまんこそぐるほどをかしく自ふともゝひねりて胸をさすり我いふ事も聞しめしわけられよ御かたさまの昔を忍び今此法師姿をなほいとしくてかく迄心をなやみ戀に身を捨ければ是よりして後脇に若衆のちなみは思ひもよらず我いふ事は御心にそまずとも背給ふまじとの御誓文のうへにてとてもの事に二世迄の契といへば源五兵衞入道おろかなる誓紙をかためて此うへはげんぞくしても此君の事ならばといへる言葉の下より
息づかいあらく成て、袖口より手をさし込、肌にさはり、下帯のあらざらん事を不思義なる皃つき又をかし其後鼻紙入より何か取出して口に入てかみしたし給ふ程に、何し給ふといへば此入道赤面して其まゝかくしける
是なん衆道にねり木といふ物なるべし。おまんなをおかしくて、袖ふりきりてふしければ、入道衣ぬぎ捨、足にて片隅へかいやりてぬれかけしは、我も人も餘念なき事ぞかし。中幅のうしろ帯ときかけて、此所は里にかはりて嵐はげしきにともめんの大袖をうち掛
是をと手枕の夢法師、寐もせぬうちにしやうねはなかりき。おづ/\手を背にまはして、「いまだ灸もあそばさぬやら、更に御身にさはりなき」と、腰よりそこ/\に手をやる時、おまんもきみあしかりき。折ふしを見合せ、空ねいりすれば、入道せき心になつて耳をいらふ。おまんかたあしもたせば、ひぢりめんのふたの物に肝をつぶして氣を付て見る程皃ばせやはらかにして女めきしに入道あきれはてゝしばしは詞もなく起出るを引とゞめさい前申かはせしは自がいふ事ならば何にてもそむき給ふまじとの御事をはやくもわすれさせ給ふか我事琉球屋のおまんといへる女なり過し年數/\のかよはせ文つれなくも御返事さへましまさずうらみある身にもいとしさやるかたもなくかやうに身をやつして爰にたづねしはそもやにくかるべき御事かと戀の只中もつてまゐれば入道俄にわけもなうなつて男色女色のへだてはなき物とあさましく取みだして移氣の世や心の外なる道心源五兵衞にかきらず皆是なるべしおもへばいやのならぬおとしあな釋迦も片あし踏込たまふべし
This part was circles in the Saikaku Zenshu published from Hakubunkan. It has been added to the etext from the Nihon Koten Bungaku Taikei.
This part was circles in the Saikaku Zenshu published from Hakubunkan. It has been added to the etext from the Nihon Koten Bungaku Taikei.
This part was circles in the Saikaku Zenshu published from Hakubunkan. It has been added to the etext from the Nihon Koten Bungaku Taikei.
頭は一年物衣をぬけばむかしに替る事なし源五兵衞と名にかへりて山中の梅暦うか/\と精進の正月をやめて二月はじめつかたかごしまの片陰にむかしのよしみの人を頼てわづかなる板びさしをかりてしのび住ひ何か渡世のたよりもなく源五兵衞親の家居に行て見しに人手に賣かはりて兩替屋せし天秤のひゞき絶て今は軒口に味噌のかんばんかけしなど口惜くながめすぎて我見しらぬ男にたよりて此あたりにすまれし源五右衞門といへる人はとたづねけるに申傳へしを語初はよろしき人なるが其子に源五兵衞といへる有此國にまたなき美男又なき色好八年此かたにおよそ千貫めをなくなしてあたら浮世に親はあさましく其身は戀より捨坊主になりけると也世にはかゝるうつけも有ものかなすゑ/\語りくにそいつめがつらを一目みたい事といへば其皃爰にある物とはづかしく編笠ふか/\とかたぶけやうやう宿に立歸り夕は灯も見ず朝の割木絶てさりとはかなしく人の戀もぬれも世のある時の物ぞかし同し枕はならべつれども夜かたるべき言葉もなく明れば三月三日童子草餅くばるなど鶏あはせさま%\の遊興ありしに我宿のさびしさ神の折敷はあれど鰯もなし桃の花を手折て酒なき徳利にさし捨其日も暮て四日なほうたてし互に世をわたる業とて都にて見覺し芝居事種となりて俄に皃をつくり髭戀の奴の物まね嵐三右衞門がいきうつしやつこの/\とはうたへとも腰さだめかね源五兵衞どこへ行さつまの山へ鞘が三文下緒か二文中は檜木のあらけなき聲して里/\の子共をすかしぬおまんはさらし布の狂言奇語に身をなし露の世をおくりぬ是を思ふに戀にやつす身人をもはぢらへず次第にやつれてむかしの形はなかりしをつらき世間なれば誰あはれむかたもなくておのづからしほれゆくむらさきの藤のはなゆかりをうらみ身をなげきけふをかぎりとなりはてし時おまん二親は此行方たづね侘しにやう/\さがし出してよろこぶ事のかず/\菟角娘のすける男なればひとつになして此家をわたせとあまたの手代來りて二人をむかひかへればいづれもよろこびなして物數三百八十三の諸の鎰を源五兵衞にわたされける吉日をあらため藏ひらきせしに判金貳百枚入の書付の箱六百五十小判千兩入の箱八百。銀十貫目入の箱はかびはへて下よりうめく事すさまじ牛とらの角に七つの壼あり蓋ふきあがる程今極め一歩錢などは砂のごとくにしてむさし庭藏みれば元渡りの唐織山をなし伽羅掛木のごとしさんごしゆは壹匁三十目迄の無疵の玉千貳百三十五柄鮫青磁の道具かぎりもなく飛鳥川の茶入かやうの類ごろつきてめげるをかまはず人魚の鹽引めなうの手桶かんたんの米から杵浦嶋か包丁箱辨才天の前巾着福録壽の剃刀多門天の枕鑓大黒殿の千石どをしゑびす殿の小遣帳覺えがたし世に有ほとの万寶ない物はなし源五兵衞うれしかなしく是をおもふに江戸京大坂の太夫のこらず請ても芝居銀本して捨ても我一代に皆になしがたし何とぞつかひへらす分別出ず是はなんとした物であらう
貞享三龍集丙寅歳仲春上旬日
北御堂前 攝州
書肆
森田正太郎板
|