平實重
藏人にならぬことを歎きて年來賀茂の社
にまうで侍りけるを二千三百度にもあまりける時貴舟の社にまうでゝ柱にかきつけゝる
今までになど沈むらむきぶね川かばかり早き神を頼むに
かくて後なむ程なく藏人になり侍りにける。近衛院の御時なり。
賀茂政平
片岡のはふりにて侍りけるをおなじ社の禰宜にわたらむと申しける比よみてかきつけ侍りける
さりともと頼みぞかくる木綿襷わがかた岡の神と思へば
その後なむ禰宜にまかりなりにける。
式子内親王
百首の歌の中に神祇の歌
とてよみ給ひける
さりともとたのむ心は神さびて久しくなりぬかもの瑞垣
賀茂重保
賀茂の社の歌合とて人々すゝめてよみ侍りける時述懷の歌によめる
君をいのる願を空にみて給へわけいかづちの神ならば神
皇太后宮大夫俊成
おなじき社の後番の歌合の時月の歌とてよめる
きぶね川玉ちる瀬々のいはなみに氷をくだく秋の夜の月
法印慈圓
述懷の歌の中によみ侍りける
わが憑む日吉の影は奥山の柴の戸までもさゝざらめやは
法橋性憲
日吉の大宮の本地を思ひてよみ侍りける
いつとなくわしのたかねに澄む月の光を宿す志がの唐崎
中原師尚
日吉の社に御幸侍りける時、雨のふり侍りける其時になりてはれにければよみ侍りける
御幸する高嶺の方に雲はれて空に日吉の志るしをぞ見る
圓位法師
高野の山を住みうかれて後、伊勢國二見浦の山寺に侍りけるに太神宮の御山をば神路山と申す大日如來の御垂跡を思ひてよみ侍りける
深くいりて神路の奥を尋ぬれば又うへもなき峯のまつ風
大中臣爲定朝臣
治承四年遷都の時伊勢太神宮に歸りまゐりて君の御祈念し申し侍りてよみ侍りける
月讀の神してさらば朝雲のかゝる浮世も晴れざらめやは
そののち世の中なほり侍りけるとなむ。
能蓮法師
石清水の社に歌合とて人々よみ侍りける時社頭月といへる心をよめる
岩清水きよき流れの絶えせねば宿る月さへ隈なかりけり
藤原義忠朝臣
長元九年後朱雀院の御時大甞會の主基方の神あそびの歌、丹波國神なび山をよめる
[1]よろづよのた
藤原經衡
治暦四年後三條院の御時大甞會の主基方の神樂の歌いはや山をよめる
動きなく千代をぞ祈るいはや山とる榊葉の色變へず志て
前中納言匡房
寛治元年堀川院の御時大甞會の悠紀方の神あそびの歌、諸神の郷をよめる
いにしへの神の御代よりもろ神の祈る祝は君が世のため
宮内卿永範
久壽二年院の御時、大甞會の悠紀方の神樂の歌、近江國木綿園をよめる
神うくる豊のあかりにゆふ園の日影葛ぞはえまさりける
嘉應元年高倉院の御時大甞會の悠紀方の神あそびの歌、近江國守山をよめる
すべらぎを八百萬代の神も皆常磐にまもる山の名ぞこれ
權中納言兼光
壽永元年大甞會の主基方の歌よみて奉りける時神樂歌丹波國神なび山をよめる
三嶋木綿かたに取懸け神なびの山の榊をかざしにぞする
藤原季經朝臣
元暦元年今上の御時大甞會の悠紀方の歌奉りける神遊の歌、近江國諸神の郷をよめる
諸神の心にいまぞかなふらし君をや千代と祈るまことは
藤原光範朝臣
おなじ大甞會の主基方の歌よみたてまつりける神樂の歌、丹後國千年山をよめる
ちとせ山神の代させる榊葉の榮えまさるは君がためとか
[1] Shinpen kokka taikan (Tokyo: Kadokawa Shoten, 1983, vol. 1) reads よろづよのため.