Title: Shinkokinshu ["Kana" preface]
Author: Various
Editor: Cook, Lewis
Creation of machine-readable version: Atsuko Nakamoto and Sachiko Iwabuchi
Conversion to TEI.2-conformant markup: Atsuko Nakamoto and Sachiko Iwabuchi, University of Virginia Library Japanese Text Initiative
URL: http://etext.lib.virginia.edu/japanese
©1999 by the Rector and Visitors of the University of Virginia

About the original source:
Title: Tamesuke-bon
Title: Bunkashozo Shinkokin Wakashu
Author: Various
Publisher: Tokyo: Zaidan Hojin Hihon Koten Bungakkai, n.d.



(新古今和歌集仮名序)

 やまとうたは、むかしあめつちひらけはじめて、人のしわざいまださだまらざりし時、葦原中国のことのはとして、稲田姫素鵞のさとよりぞつたはれりける。しかありしよりこのかた、そのみちさかりにおこり、そのながれいまにたゆることなくして、いろにふけり、こゝろをのぶるなかだちとし、世をおさめ、たみをやはらぐるみちとせり。

 かゝりければ、よゝのみかどもこれをすてたまはず、えらびをかれたる集ども、家々のもてあそびものとして、ことばの花のこれるこのもとかたく、おもひのつゆもれたるくさがくれもあるべからず。しかはあれども、いせのうみきよきなぎさのたまは、ひろふともつくることなく、いづみのそましげき宮木は、ひくともたゆべからず。ものみなかくのごとし。うたのみちまたおなじかるべし。

 これによりて、右衛門督源朝臣通具、大蔵卿藤原朝臣有家、左近中将藤原朝臣定家、前上総介藤原朝臣家隆、左近少将藤原朝臣雅経らにおほせて、むかしいまときをわかたず、たかきいやしき人をきらはず、めに見えぬかみほとけのことの葉も、うばたまのゆめにつたへたる事まで、ひろくもとめ、あまねくあつめしむ。

 をのをのえらびたてまつれるところ、なつびきのいとのひとすぢならず、ゆふべのくものおもひさだめがたきゆへに、みどりのほら、花かうばしきあした、たまのみぎり、風すゞしきゆふべ、なにはづのながれをくみて、すみにごれるをさだめ、あさか山のあとをたづねて、ふかきあさきをわかてり。

 万葉集にいれる哥は、これをのぞかず、古今よりこのかた七代の集にいれる哥をば、これをのする事なし。たゞし、ことばのそのにあそび、ふでのうみをくみても、そらとぶとりのあみをもれ、みづにすむうをのつりをのがれたるたぐひは、むかしもなきにあらざれば、いまも又しらざるところなり。すべてあつめたる哥ふたちゝはたまき、なづけて新古今和哥集といふ。

 はるがすみたつたの山にはつはなをしのぶより、夏はつまごひする神なびの郭公、秋は風にちるかづらきのもみぢ、ふゆはしろたへのふじのたかねにゆきつもるとしのくれまで、みなおりにふれたるなさけなるべし。しかのみならず、たかきやにとをきをのぞみて、たみのときをしり、すゑのつゆもとのしづくによそへて、人のよをさとり、たまぼこのみちのべにわかれをしたひ、あまざかるひなのながぢにみやこをおもひ、たかまの山のくもゐのよそなる人をこひ、ながらのはしのなみにくちぬる名をおしみても、こゝろうちにうごき、ことほかにあらはれずといふことなし。いはむや、すみよしの神はかたそぎのことの葉をのこし、伝教大師はわがたつそまのおもひをのべたまへり。かくのごとき、しらぬむかしの人のこゝろをもあらはし、ゆきて見ぬさかひのほかのことをもしるは、たゞこのみちならし。

 そもそも、むかしはいつたびゆづりしあとをたづねて、あまつひつぎのくらゐにそなはり、いまはやすみしる名をのがれて、はこやの山にすみかをしめたりといへども、すべらぎはこたるみちをまもり、ほしのくらゐはまつりごとをたすけしちぎりをわすれずして、あめのしたしげきことわざ、くものうへのいにしへにもかはらざりければ、よろづのたみ、かすがのゝくさのなびかぬかたなく、よものうみ、あきつしまの月しづかにすみて、わかのうらのあとをたづね、しきしまのみちをもてあそびつゝ、この集をえらびて、ながきよにつたへんとなり。

 かの万葉集はうたのみなもとなり。時うつりことへだゝりて、いまの人しることかたし。延喜のひじりのみよには、四人に勅して古今集をえらばしめ、天暦のかしこきみかどは、五人におほせて後撰集をあつめしめたまへり。そのゝち、拾遺、後拾遺、金葉、詞華、千載等の集は、みな一人これをうけたまはれるゆへに、きゝもらし見をよばざるところもあるべし。よりて、古今、後撰のあとをあらためず、五人のともがらをさだめて、しるしたてまつらしむるなり。

 そのうへ、みづからさだめ、てづからみがけることは、とをくもろこしのふみのみちをたづぬれば、はまちどりあとありといへども、わがくにやまとことのはゝじまりてのち、くれたけのよゝに、かゝるためしなんなかりける。

 このうち、みづからの哥をのせたること、ふるきたぐひはあれど、十首にはすぎざるべし。しかるを、いまかれこれえらべるところ、三十首にあまれり。これみな、人のめたつべきいろもなく、こゝろとゞむべきふしもありがたきゆへに、かへりて、いづれとわきがたければ、もりのくち葉かずつもり、みぎはのもくづかきすてずなりぬることは、みちにふけるおもひふかくして、のちのあざけりをかへりみざるなるべし。

 ときに元久二年三月廿六日なんしるしをはりぬる。

 めをいやしみ、みゝをたふとぶるあまり、いそのかみふるきあとをはづといへども、ながれをくみて、みなもとをたづぬるゆへに、とみのをがはのたえせぬみちをおこしつれば、つゆしもはあらたまるとも、まつふく風のちりうせず、はるあきはめぐるとも、そらゆく月のくもりなくして、この時にあへらんものは、これをよろこび、このみちをあふがんものは、いまをしのばざらめかも。