續拾遺和歌集 (Shoku Shūi wakashū) — 續拾遺和歌集卷第十六 雜歌上 作者複数 (Various) 14th Century Shoku Shūi wakashū 續拾遺和歌集 Various 作者複数 Kamakura-Muromachi-Azuchi-Momoyama Period 中世 14th century 14世紀 Poetry 韻文 Japanese 日本語 Text 本文 1325 しょくしゅういわかしゅう Shoku Shūi wakashū 續拾遺和歌集 しょくしゅういわかしゅう Various 作者複数 さくしゃふくすう
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續拾遺和歌集 Shoku Shūi wakashū
作者複数 Various
續拾遺和歌集卷第十六 雜歌上
1095
西園寺入道前太政大臣
建保百首の歌奉りける時
いかばかり昔を遠くへだてきぬその神山にかゝるしら雲
1096
正三位知家
題志らず
神代より年の幾とせつもるらむ月日をすぐす天のかぐ山
1097
藤原道經
年ふ共吉野の瀧の白糸はいかなる世にも絶えじとぞ思ふ
1098
光明峯寺入道前攝政左大臣
百首の歌よみ侍りけるに
宮瀧のたきの水上たづねみむふるき御幸の跡やのこると
1099
後嵯峨院御製
白河殿の七百首の歌に名所瀧といへる事をよませ給ひける
今もまた行きても見ばや石の上ふるの瀧つせ跡を尋ねて
1100
典侍親子朝臣
中務卿宗尊親王の家の百首の歌に
泪とてからぬ時さへきてみれば袖にぞかゝる瀧のしら玉
1101
前大納言爲家
山階入道左大臣の家の十首の歌に、名所松
我みても昔は遠くなりにけりともに老木のからさきの松
1102
法印良覺
往來には頼む陰ぞと立寄りて五十ぢ馴れぬる志がの濱松
1103
前大納言爲氏
かひなしや因幡の山のまつとても又歸りこむ昔ならねば
1104
右衛門督忠基
題志らず
いかにせむわが身にこゆる白波の末の松山まつ事もなし
1105
前參議忠定
高松の松もかひなし誰をかもあはれ歎きの志る人にせむ
1106
前關白左大臣一條
われのみかとけぬ恨は古のよゝにもありといはしろの松
1107
常磐井入道前太政大臣
弘長元年百首の歌奉りける時、關
昔よりかよひし中の跡とめてこゝろ隔つなあしがらの關
1108
橋
聞渡る長柄の橋も朽にけり身のたぐひなる古き名ぞなき
1109
光明峯寺入道前攝政左大臣
題志らず
徒らに消えかへりつゝ山河のあはれ何れの世を頼むらむ
1110
前左兵衛督教定
いかにせむみをはや乍ら思河うたかた計あるかひもなし
1111
安嘉門院大貳
賀茂の社に詣でゝよみ侍りける
みたらしや身は沈む共永き世に名を流すべき泡沫もがな
1112
藻壁門院少將
みづからの歌を書きおき侍るとて
思ひ出でゝ誰か忍ばむ濱千鳥いはねがくれの跡の儚なさ
1113
法橋顯尋
入道二品親王の家の五十首の歌に、述懷の歌
いにしへの跡をばつげよ濱千鳥昔にかへる浪のたよりに
1114
藤原泰朝
おなじ心を
わかの浦に昔を忍ぶはま千鳥跡思ふとてねをのみぞ鳴く
1115
權律師定爲
前大納言爲氏玉津島の社にて歌合し侍りし時、浦月
和歌の浦の浪の下草いかにして月に志らるゝ名を殘さまし
1116
前參議教長
廣田の社の歌合に、海上眺望
波の上に浮ぶ木葉を見ゆる哉漕ぎ離れ行くあけのそぼ舟
1117
俊頼朝臣
題志らず
わび人の泪はうみの波なれや袖師の浦によらぬ日ぞなき
1118
藻壁門院但馬
數ならぬ水屑にまじるうつせ貝拾ふにつけて袖ぞ萎るゝ
1119
嘉陽門院越前
千五百番歌合に
捨てやらぬ我身の浦のうつせ貝空しき世とは思ふ物から
1120
山階入道左大臣
述懷の歌の中に
儚くもおほの浦なし君が代にならばと身をも頼みける哉
1121
藤原爲綱朝臣
難波なる同じ入江の芦のねも浮身のかたや沈み果てなむ
1122
前中納言資平
何かその難波の芦のかりの世にうき節とても思ひ亂れむ
1123
前内大臣基
よと共に浮節志らぬ芦のやの蜑の袖だにほしぞかねける
1124
紫式部
津の國にまかれりける時都なる女ともだちの許に遣しける
難波がたむれたる鳥の諸共に立ちゐる物と思はましかば
1125
源兼氏朝臣
題志らず
澤にのみいく年つきをかさぬらむ雲居へだつる鶴の毛衣
1126
好忠
夢にても思はざりしを白雲のかゝる浮世に住ひせむとは
1127
俊頼朝臣
我が心身にすまはれて古郷をいく度出でゝ立ち歸るらむ
1128
前大僧正覺忠
かきこもる宿のよそめは靜にて哀れ心のいとまなきかな
1129
前關白左大臣一條
樂天を
世の中をくるしきものとのがれきて草の庵や心すむらむ
1130
權僧正圓經
大隱在朝市といふ事を
世を厭ふ心はさてもすぎぬべし必ず山のおくならずとも
1131
讀人志らず
題志らず
さても猶あり果つまじき山里を浮世の外と何いそぐらむ
1132
前左兵衛督教定
人はいさ世のうき外の山とても我心からえやはすまれむ
1133
平重時朝臣
うしといひて山路に深く入りぬれど猶も此世の月をみる哉
1134
法眼良珎
山里に籠り居てよみ侍りける
うき世をば出でゝ入りぬる山陰に心をかへて月をみる哉
1135
法印公澄
題志らず
我ばかりすむと思ひし山里に月もやどるか苔のさむしろ
1136
法印最信
奧山の岩間がくれの埋水ありとばかりはすむかひもなし
1137
前參議忠定
寳治百首の歌奉りける時、山家水
山ふかく世にすみかぬる埋水やるかたもなきわが心かな
1138
近衛關白左大臣
弘長三年内裏の百首の歌奉りし時、山家夢
おのづから都にかよふ夢をさへまたおどろかす嶺の松風
1139
覺盛法師
秋の頃山寺にこもりて出で侍りける曉よめる
山ふかみ松のあらしに聞きなれて更に都や旅ごゝちせむ
1140
惟明親王
建仁元年歌合、山家暮嵐
住みわびぬ人はおとせぬ柴の戸に嵐ばかりの夕ぐれの空
1141
法印行清
題志らず
おのづからとひこし人もかれ%\に跡絶果つる宿の道芝
1142
右兵衛督基氏
とはれぬは岩根の苔に顯はれて道絶えはつる山かげの庵
1143
前大僧正道玄
無動寺に住み侍りけるに前大僧正慈鎭、おほけなくうき世の民におほふかな我が立つ杣にすみ染の袖とよみて侍りけること を思ひ出でゝよみ侍りける
祈りおきしすゑをぞ頼むいにしへの跡には今も墨染の袖
1144
從三位光成
新日吉社の松屋のまへの楓の木は右兵衛督光能植ゑ置きて侍りけるに競馬の事おこなふとて思ひつゞけ侍りける
植ゑおきし昔をさらに頼むかな殘る木ずゑのけふの下陰
1145
侍從雅有
參議雅經はやう住み侍りける家にまりのかゞりの柳二もと殘りて侍りけるをみてよみ侍りける
ふる里の朽木の柳いにしへの名殘は我もあるかひぞなき
1146
前關白左大臣一條
題志らず
いかにせむ昔のあとを尋ねてもおよばぬ道を猶歎きつゝ
1147
慈助法親王
我山のさかゆく道をたづねつゝいかで昔の跡をふまゝし
1148
前内大臣公
山階入道左大臣の家の十首の歌に秋述懷といへる心をよみて遣しける
をしへ置く言のはにのみ語るかな昔の庭の露のなごりは
1149
西行法師
高野山に侍りける頃皇太后宮大夫俊成千載集えらび侍るよし聞きて歌をおくり侍るとてかきそへ侍りける
花ならぬ言のはなれど自から色もやあると君ひろはなむ
1150
皇太后宮大夫俊成
返し
世を捨てゝ入りにし道の言のはぞ哀も深き色ぞみえける
1151
道信朝臣
前大納言公任書きおきたる歌どもをかたみにせむと契りて後、かくばかりふる事かたき世の中にかたみに見する跡のはかなさと申し遣したりける返事に
ふる事は難くなるとも形見なる跡は今こむ世にも忘れじ
1152
皇太后宮大夫俊成
崇徳院に書きて奉りける御草子のつゝみ紙に
數ならぬ名をのみと社思ひしか斯る跡さへ世にや殘らむ
1153
崇徳院御製
御返し
水莖のあと計していかなれば書き流すらむ人はみえこぬ
1154
前中納言定家
西行法師みづからの歌を合せて判の詞しるし付くべきよし申し侍りけるを書きて遣すとて
山水のふかゝれとてもかきやらず君に契を結ぶばかりぞ
1155
圓嘉法師
從二位家隆千載集かゝせ侍りけるを遣すとてつゝみ紙に書き付け侍りける
跡とめて訪るゝかひもなからまし昔覺ゆるすさびなり せば
1156
從二位家隆
返し
いにしへの流れの末のたえぬかな書き傳へたる水莖の跡
1157
前大納言爲家
弘長元年百首の歌奉りけるとき、述懷
わかの浦におひずば爭で藻汐草浪の所爲もかき集めまし
1158
道洪法師
皇太后宮大夫俊成前中納言定家書きて侍りける草子をはからざるに傳へたりけるを夢の告ありて爲氏が許に送り遣すとて
たえもせじ昔の代々の跡とめて立ち歸りぬるわかの浦浪
1159
中納言教良
中將にて年久しく志づみ侍りける頃よみ侍りける
さしもなど跡ある道に迷ふらむ三笠の山の名さへ變らで
1160
前右兵衛督爲教
建長五年七月三首の歌に、述懷
さしのぼる跡とは見れど三笠山仕ふるほかの道は頼まず
1161
藤原隆祐朝臣
洞院攝政の家の百首の歌に、おなじ心を
位山ふもとばかりの路をだに猶わけがたくかゝるしら雲
1162
前中納言定家
承元の頃述懷の歌あまたよみ侍りける中に
なきかげの親のいさめは背きにき子を思ふ道の心弱さに
1163
藤原爲綱朝臣
範親、少納言にて豐明節會に日影をつけて侍りけるを見てよみ侍りける
契あれば身の思ひでの日影草この世をかけて又結ぶかな
1164
殷富門院大輔
參議定經はじめて辨官になりて侍りける朝に申し遣しける
嬉しさをかさぬる袖の數ごとに染め増す色の心にぞ志む
1165
藤原長景
検 非違使になりてよみ侍りける
嬉しさも泪なりけりわが袖はうき時ばかりぬるゝ物かは
1166
源兼泰
身をうれへてよめる
ふりはつる同じみどりの袖の上におちて泪の色變りぬる
1167
丹波經長朝臣
建長元年勸賞仰せられけるを志るし置くとてよみける
仕へこし身は志も乍ら我道の名をや雲居のよゝに留めむ
1168
藤原爲兼朝臣
百首の歌奉りし時
つかへこしよゝの流れを思ふにも我身にたのむ關の藤河
1169
前大納言良教
夜述懷といへる心を
仕へつゝ家路急がぬよな/\の更行く鐘を雲居にぞ聞く
1170
前大納言爲氏
弘長元年百首の歌奉りし時、曉を
鳥の音ぞ曉ごとになれにける君につかふる道いそぐとて
1171
前中納言定家
洞院攝政の家の百首の歌に、述懷
はからずよ世に有明の月に出でゝふたゝび急ぐ鳥の初聲
1172
常磐井入道前太政大臣
弘長元年百首の歌奉りし時、おなじ心を
唐土もたぐひやあると尋ねばや三たび逢ひみる秋の宮人