太平記 (Taiheiki) — 太平記(国民文庫) 太平記巻十三 不明 (Anonymous) 1366-1379 Taiheiki 太平記 Anonymous 不明 Kamakura-Muromachi-Azuchi-Momoyama Period 中世 14th century 14世紀 Fiction フィクション Japanese 日本語 Text 本文 1368 たいへいき Taiheiki 太平記 たいへいき Anonymous 不明 ふめい
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太平記 › 太平記(国民文庫) 太平記巻十三 Furigana ふりがな Vertical 縦書き
太平記( 国民文庫 ) 太平記巻十三○龍馬( りゆうめ ) 進奏( しんそうの ) 事( こと ) 鳳闕( ほうけつ ) の西二条( にしにでう ) 高倉( たかくら ) に、馬場殿( ばばどの ) とて、俄に離宮( りきゆう ) を被立たり。天子常に幸成( みゆきなり ) て、歌舞( かぶ ) ・蹴鞠( しうきく ) の隙( ひま ) には、弓馬( きゆうば ) の達者( たつしや ) を被召、競馬( けいば ) を番( つが ) はせ、笠懸( かさかけ ) を射させ、御遊( ぎよいう ) の興( きよう ) をぞ被添ける。其比( そのころ ) 佐々木( ささきの ) 塩冶( えんや ) 判官( はうぐわん ) 高貞( たかさだ ) が許( もと ) より、竜馬( りゆうめ ) 也( なり ) とて月毛( つきげ ) なる馬の三寸計( みきばかり ) なるを引進( ひきまゐら ) す。其相形( そのさうぎやう ) げにも尋常( よのつね ) の馬に異( こと ) 也( なり ) 。骨( ほね ) 挙( あが ) り筋( すぢ ) 太( ふと ) くして脂肉( しじく ) 短( みじか ) し。頚は鶏( にはとり ) の如( ごとく ) にして、須弥( しゆみ ) の髪( かみ ) 膝( ひざ ) を過ぎ、背( せなか ) は竜( りゆう ) の如( ごとく ) にして、四十二の辻毛( つじげ ) を巻( まい ) て背筋( せすぢ ) に連( つらな ) れり。両の耳( みみ ) は竹を剥( そい ) で直( ぢき ) に天を指( さ ) し、双( さう ) の眼( まなこ ) は鈴( すず ) を懸( かけ ) て、地に向ふ如し。今朝の卯刻( うのこく ) に出雲の富田( とんだ ) を立( たつ ) て、酉剋( とりのこく ) の始( はじめ ) に京著( きやうちやく ) す。其( その ) 道已( すで ) に七十六( しちじふろく ) 里( り ) 、鞍( くら ) の上( うへ ) 閑( しづか ) にして、徒( ただ ) に坐( ざ ) せるが如し。然共( しかれども ) 、旋風( せふう ) 面を撲( うつ ) に不堪とぞ奏( そう ) しける。則( すなはち ) 左馬寮( さまれう ) に被預、朝には禁池( きんち ) に水飼( かひ ) 、夕には花廏( くわきう ) に秣( まくさ ) 飼( かふ ) 。其比( そのころ ) 天下一の馬乗( むまのり ) と聞( きこ ) へし本間( ほんま ) 孫四郎を被召て被乗、半漢雕梁( はんかんてうりやう ) 甚( はなはだ ) 不尋常。四蹄( てい ) を縮( ちぢ ) むれば双六盤( すごろくばん ) の上( うへ ) にも立ち、一鞭( いちべん ) を当( あ ) つれば十丈( じふぢやう ) の堀をも越( こえ ) つべし。誠( まこと ) に天馬に非( あら ) ずば斯( かか ) る駿足( しゆんそく ) は難有とて、叡慮( えいりよ ) 更に類無( たぐひなか ) りけり。或時( あるとき ) 主上( しゆしやう ) 馬場殿( ばばどの ) に幸成( みゆきなつ ) て、又此( この ) 馬を叡覧有( えいらんあり ) けるに、諸卿皆左右に候( こう ) す。時に主上( しゆしやう ) 洞院( とうゐん ) の相国( しやうこく ) に向( むかつ ) て被仰けるは、「古( いにし ) へ、屈産( くつさん ) の乗( じよう ) 、項羽( かうう ) が騅( すゐ ) 、一日に千里を翔( かけ ) る馬有( あり ) といへども、我( わが ) 朝に天馬の来( きた ) る事を未だ聞( きか ) ず。然( しかる ) に朕( ちん ) が代( よ ) に当( あたつ ) て此( この ) 馬不求出来( いできた ) る。吉凶如何。」と御尋( おんたづね ) ありけるに、相国( しやうこく ) 被申けるは、「是( これ ) 聖明( せいめい ) の徳に不因ば、天豈( あに ) 此嘉瑞( このかずゐ ) を降( くだし ) 候はんや。虞舜( ぐしゆん ) の代には鳳凰( ほうわう ) 来( きたり ) 、孔子( こうし ) の時は麒麟( きりん ) 出( いづ ) といへり。就中( なかんづく ) 天馬の聖代( せいだい ) に来( きた ) る事第一( だいいち ) の嘉祥( かしやう ) 也( なり ) 。其故( そのゆゑ ) は昔周( しう ) の穆王( ぼくわう ) の時、驥( き ) ・■( たう ) ・驪( り ) ・■( くわ ) ・■( りう ) ・■( ろく ) ・■( じ ) ・駟( し ) とて八疋( はつぴき ) の天馬来れり。穆王是( これ ) に乗( のつ ) て、四荒八極( しくわうはつきよく ) 不至云所( いふところ ) 無( なか ) りけり。或( ある ) 時西天( さいてん ) 十万里の山川を一時に越( こえ ) て、中天竺( ぢく ) の舎衛国( しやゑこく ) に至り給ふ。時に釈尊( しやくそん ) 霊鷲山( りやうじゆせん ) にして法華( ほつけ ) を説( とき ) 給ふ。穆王馬より下( おり ) て会座( ゑざ ) に臨( のぞん ) で、則( すなはち ) 仏( ほとけ ) を礼( らい ) し奉( たてまつ ) て、退( しりぞい ) て一面に坐( ざ ) し給へり。如来( によらい ) 問( とひ ) て宣( のたまは ) く、「汝( なんぢ ) は何( いづれ ) の国の人ぞ。」穆王答曰( こたへていはく ) 、「吾( われ ) は是( これ ) 震旦国( しんだんこく ) の王也( なり ) 。」仏( ほとけ ) 重( かさね ) て宣( のたまは ) く、「善( よい ) 哉( かな ) 今来此会場。我( われ ) 有治国法、汝欲受持否( いなや ) 。」穆王曰( いはく ) 、「願( ねがはく ) は信受奉行( しんじゆぶぎやう ) して理民安国の施功徳。」爾( その ) 時、仏( ほとけ ) 以漢語、四要品( しえうぼん ) の中の八句の偈( げ ) を穆王に授( さづけ ) 給ふ。今の法華の中の経律( けいりつ ) の法門有( あり ) と云ふ深秘( しんひ ) の文是( これ ) 也( なり ) 。穆王震旦( しんだん ) に帰( かへつ ) て後深( ふかく ) 心底( しんてい ) に秘( ひ ) して世に不被伝。此( この ) 時慈童( じどう ) と云( いひ ) ける童子( どうじ ) を、穆王寵愛( ちようあい ) し給ふに依( よつ ) て、恒( つね ) に帝( みかど ) の傍( かたはら ) に侍( はんべり ) けり。或( ある ) 時彼慈童( かのじどう ) 君( きみ ) の空位( くうゐ ) を過( すぎ ) けるが、誤( あやまつ ) て帝( みかど ) の御枕( おんまくら ) の上をぞ越( こえ ) ける。群臣( ぐんしん ) 議( ぎ ) して曰( いはく ) 、「其例( そのれい ) を考( かんがふ ) るに罪科( ざいくわ ) 非浅に。雖然事( こと ) 誤( あやまり ) より出( いで ) たれば、死罪一等を宥( なだめ ) て遠流( をんる ) に可被処。」とぞ奏( そう ) しける。群議( ぐんぎ ) 止( やむ ) 事( こと ) を不得して、慈童( じどう ) を■県( てつけん ) と云( いふ ) 深山( しんざん ) へぞ被流ける。彼■県( かのてつけん ) と云( いふ ) 所は帝城( ていじやう ) を去( さる ) 事( こと ) 三百里、山深( ふかう ) して鳥だにも不鳴、雲暝( くらう ) して虎狼( こらう ) 充満( じゆうまん ) せり。されば仮( かり ) にも此( この ) 山へ入( いる ) 人の、生( いき ) て帰ると云( いふ ) 事( こと ) なし。穆王猶( なほ ) 慈童を哀( あはれ ) み思召( おぼしめし ) ければ、彼( かの ) 八句の内を分( わか ) たれて、普門品( ふもんぼん ) にある二句の偈( げ ) を、潛( ひそか ) に慈童に授( さづけ ) させ給( たまひ ) て、「毎朝( まいてう ) に十方を一礼( いちらい ) して、此( この ) 文を可唱。」と被仰ける。慈童遂( つひ ) に■県( てつけん ) に被流、深山幽谷( しんざんいうこく ) の底( そこ ) に被棄けり。爰( ここ ) に慈童君( きみ ) の恩命に任( まかせ ) て、毎朝に一反( いつぺん ) 此( この ) 文を唱( となへ ) けるが、若( もし ) 忘( わすれ ) もやせんずらんと思( おもひ ) ければ、側( そば ) なる菊の下葉( したば ) に此( この ) 文を書付( かきつけ ) けり。其( それ ) より此( この ) 菊の葉にをける下露( したつゆ ) 、僅( わづか ) に落( おち ) て流るゝ谷の水に滴( しただ ) りけるが、其( その ) 水皆( みな ) 天の霊薬( れいやく ) と成る。慈童渇( かつ ) に臨( のぞん ) で是( これ ) を飲( のむ ) に、水の味( あぢはひ ) 天の甘露( かんろ ) の如( ごとく ) にして、恰( あたか ) 百味の珍( ちん ) に勝( まさ ) れり。加之( しかのみならず ) 天人花を捧( ささげ ) て来り、鬼神手を束( つかね ) て奉仕( ぶし ) しける間、敢( あへ ) て虎狼悪獣( こらうあくじう ) の恐( おそれ ) 無( なく ) して、却( かへつ ) て換骨羽化( くわんこつうげ ) の仙人と成る。是( これ ) のみならず、此( この ) 谷の流( ながれ ) の末を汲( くん ) で飲( のみ ) ける民三百( さんびやく ) 余家、皆病( びやう ) 即( そく ) 消滅( せうめつ ) して不老不死の上寿( しやうじゆ ) を保( たも ) てり。其( その ) 後時代推移( おしうつつ ) て、八百( はつぴやく ) 余年( よねん ) まで慈童猶( なほ ) 少年の貌( かたち ) 有( あつ ) て、更に衰老( すゐらう ) の姿( すがた ) なし。魏( ぎ ) の文帝( ぶんてい ) の時、彭祖( はうそ ) と名を替( かへ ) て、此術( このじゆつ ) を文帝に授( さづけ ) 奉る。文帝是( これ ) を受( うけ ) て菊花( きくくわ ) の盃( さかづき ) を伝へて、万年の寿( ことぶき ) を被成。今の重陽( ちようやう ) の宴( えん ) 是( これ ) 也( なり ) 。其( それ ) より後( のち ) 、皇太子位( くらゐ ) を天に受( うけ ) させ給ふ時、必( かならず ) 先( まづ ) 此( この ) 文を受持( じゆぢ ) し給ふ。依之( これによつて ) 普門品( ふもんぼん ) を当途王経( たうづわうきやう ) とは申( まうす ) なるべし。此( この ) 文我朝( わがてう ) に伝はり、代々( だいだい ) の聖主( せいしゆ ) 御即位( ごそくゐ ) の日必ず是( これ ) を受持( じゆぢ ) し給ふ。若( もし ) 幼主の君( きみ ) 践祚( せんそ ) ある時は、摂政( せつしやう ) 先( まづ ) 是( これ ) を受( うけ ) て、御治世( ごぢせい ) の始( はじめ ) に必( かならず ) 君に授( さづけ ) 奉る。此( この ) 八句の偈( げ ) の文、三国( さんごく ) 伝来( でんらい ) して、理世安民の治略( ちりやく ) 、除災与楽( ぢよさいよらく ) の要術( えうじゆつ ) と成る。是( これ ) 偏( ひとへ ) に穆王( ぼくわう ) 天馬の徳也( なり ) 。されば此龍馬( このりゆうめ ) の来( きた ) れる事( こと ) 、併( しかしながら ) 仏法・王法の繁昌宝祚( はうそ ) 長久の奇瑞( きずゐ ) に候べし。」と被申たりければ、主上( しゆしやう ) を始進( はじめまゐら ) せて、当座の諸卿悉( ことごとく ) 心に服( ふく ) し旨( むね ) を承( うけたまはつ ) て、賀( が ) し申( まう ) さぬ人は無( なか ) りけり。暫有( しばらくあつ ) て万里小路( までのこうぢ ) の中納言藤房( ふぢふさの ) 卿( きやう ) 被参。座定( さだ ) ま{ッ}て後( のち ) 、主上( しゆしやう ) 又藤房( ふぢふさの ) 卿( きやう ) に向( むかつ ) て、「天馬の遠( とほき ) より来れる事( こと ) 、吉凶( きつきよう ) の間( あひだ ) 、諸臣の勘例( かんれい ) 、已( すで ) に皆先( さきに ) 畢( をはん ) ぬ。藤房( ふぢふさ ) は如何( いかが ) 思へるぞ。」と勅問( ちよくもん ) 有( あり ) ければ、藤房( ふぢふさの ) 卿( きやう ) 被申けるは、「天馬の本朝に来れる事( こと ) 、古今未だ其( その ) 例を承( うけたまはり ) 候はねば、善悪( ぜんあく ) ・吉凶勘( かんが ) へ申難( もうしがた ) しといへども退( しりぞい ) て愚案( ぐあん ) を回( めぐら ) すに、是( これ ) 不可有吉事に。其故( そのゆゑ ) は昔漢( かん ) の文帝( ぶんてい ) の時、一日に千里を行( ゆく ) 馬を献( けん ) ずる者あり。公卿( くぎやう ) ・大臣( だいじん ) 皆( みな ) 相見て是( これ ) を賀( が ) す。文帝笑( わらつ ) て曰( いはく ) 、「吾( われ ) 吉( きつ ) に行( ゆく ) 日は三十里( さんじふり ) 凶( きよう ) に行( ゆく ) 日は十里( ごじふり ) 、鸞輿在前、属車在後、吾独乗千里駿馬将安之乎。」とて乃( すなはち ) 償其道費而遂被返之。又後漢( ごかん ) の光武( くわうぶの ) 時、千里の馬( むま ) と宝剣( はうけん ) とを献( けん ) ずる者あり。光武( くわうぶ ) 是( これ ) を珍( ちん ) とせずして、馬をば鼓車( こしや ) に駕( が ) し、剣( けん ) をば騎士( きし ) に賜( たま ) ふ。又周( しう ) の代( よ ) 已( すで ) に衰( おとろへ ) なんとせし時、房星( ばうせい ) 降( くだつ ) て八匹の馬と成れり。穆王是( これ ) を愛( あい ) して造父( ざうほ ) をして御( ぎよ ) たらしめて、四荒( くわう ) 八極( きよく ) の外瑶池( えうち ) に遊び碧台( へきたい ) に宴( えん ) し給ひしかば、七廟( しちべう ) の祭( まつり ) 年( とし ) を逐( おつ ) て衰( おとろ ) へ、明堂( みやうどう ) の礼日( ひ ) に随( したがつ ) て廃( すた ) れしかば、周( しう ) の宝祚( はうそ ) 傾( かたむ ) けり。文帝・光武の代( よ ) には是( これ ) を棄( すて ) て福祚( ふくそ ) 久( ひさし ) く栄( さか ) へ、周穆( しうぼく ) の時には是( これ ) を愛して王業( わうげふ ) 始( はじめ ) て衰ふ。拾捨( しふしや ) の間、一( ひとつは ) 凶( きよう ) 一( ひとつは ) 吉( きつ ) 的然( てきぜん ) として在耳。臣愚( ぐ ) 窃( ひそか ) に是( これ ) を案( あん ) ずるに、「由来尤物是非天、只蕩君心則為害。」といへり。去( され ) ば今政道正( ただし ) からざるに依( よつ ) て、房星( ばうせい ) の精( せい ) 、化( くわ ) して此( この ) 馬と成( なつ ) て、人の心を蕩( とら ) かさんとする者也( なり ) 。其故( そのゆゑ ) は大乱の後( のち ) 民弊( つひ ) へ人苦( くるしん ) で、天下未安( いまだやすからざ ) れば、執政( しつせい ) 吐哺を、人の愁( うれへ ) を聞( きき ) 、諌臣( かんしん ) 上表を、主( しゆ ) の誤( あやまり ) を可正時なるに、百辟( ひやくへき ) は楽( たのしみ ) に婬( いん ) して世の治否( ちひ ) を不見、群臣( ぐんしん ) は旨( むね ) に阿( おもねつ ) て国の安危( あんき ) を不申。依之( これによつて ) 記録所( きろくところ ) ・決断所( けつだんところ ) に群集( ぐんしゆ ) せし訴人( そにん ) 日々に減( げん ) じて訴陳( そちん ) 徒( いたづら ) に閣( さしお ) けり。諸卿是( これ ) を見て、虞■( ぐぜい ) の訴( うつたへ ) 止( とどまつ ) て諌鼓( かんこ ) 撃( うつ ) 人なし。無為( ぶゐ ) の徳( とく ) 天下に及( およん ) で、民( たみ ) 皆( みな ) 堂々( だうだう ) の化( くわ ) に誇( ほこ ) れりと思へり。悲( かなしい ) 乎( かな ) 其迷( そのまよ ) へる事。元弘大乱の始( はじめ ) 、天下の士卒( じそつ ) 挙( こぞつ ) て官軍( くわんぐん ) に属( しよく ) せし事更に無他。只一戦( いつせん ) の利を以て勲功( くんこう ) の賞( しやう ) に預( あづか ) らんと思へる故( ゆゑ ) 也( なり ) 。されば世静謐( せいひつ ) の後( のち ) 、忠を立( たて ) 賞を望む輩( ともがら ) 、幾千万( いくせんまん ) と云数( いふかず ) を知( しら ) ず。然共( しかれども ) 公家被官( くげひくわん ) の外( ほか ) は、未( いまだ ) 恩賞( おんしやう ) を給( たまひ ) たる者あらざるに、申状( まうしじやう ) を捨( すて ) て訟( うつたへ ) を止( やめ ) たるは、忠功の不立を恨( うら ) み、政道の不正を褊( さみ ) して、皆( みな ) 己( おのれ ) が本国( ほんごく ) に帰( かへ ) る者也( なり ) 。諌臣( かんしん ) 是( これ ) に驚( おどろい ) て、雍歯( ようし ) が功を先( さき ) として、諸卒( しよそつ ) の恨( うらみ ) を散( さん ) ずべきに、先( まづ ) 大内裏造営( だいだいりざうえい ) 可有とて、諸国の地頭( ぢとう ) に二十分( にじふぶんの ) 一( いち ) の得分( とくぶん ) を割分( さきわけ ) て被召れば、兵革( ひやうかく ) の弊( つひえ ) の上に此功課( このこうくわ ) を悲( かなし ) めり。又国々には守護( しゆご ) 威( ゐ ) を失ひ国司( こくし ) 権( けん ) を重くす。依之( これによつて ) 非職凡卑( ひしよくぼんひ ) の目代等( もくだいら ) 、貞応( ぢやうおう ) 以後の新立( しんりふ ) の庄園を没倒( もつたう ) して、在庁官人( ざいちやうくわんにん ) ・検非違使( けびゐし ) ・健児所( こんでいどころ ) 等( ら ) 過分( くわぶん ) の勢( いきほ ) ひを高( たかく ) せり。加之( しかのみならず ) 諸国の御家人( ごけにん ) の称号( しようがう ) は、頼朝( よりとも ) 卿( きやう ) の時より有( あつ ) て已( すで ) に年久しき武名なるを、此御代( このみよ ) に始( はじめ ) て其号( そのがう ) を被止ぬれば、大名( だいみやう ) ・高家( かうけ ) いつしか凡民( ぼんみん ) の類( るゐ ) に同じ。其憤( そのいきどほり ) 幾千万( いくせんまん ) とか知らん。次には天運( てんうん ) 図( と ) に膺( あたつ ) て朝敵自( みづから ) 亡( ほろび ) ぬといへども、今度天下を定( しづめ ) て、君の宸襟( しんきん ) を休( やす ) め奉( たてまつり ) たる者は、高氏( たかうぢ ) ・義貞( よしさだ ) ・正成( まさしげ ) ・円心( ゑんしん ) ・長年( ながとし ) なり。彼等( かれら ) が忠を取( とつ ) て漢の功臣( こうしん ) に比( ひ ) せば、韓信( かんしん ) ・彭越( はうゑつ ) ・張良( ちやうりやう ) ・蕭何( せうが ) ・曹参( さうさん ) 也( なり ) 。又唐( たう ) の賢佐( けんさ ) に譬( たとへ ) ば、魏徴( ぎちよう ) ・玄齢( げんれい ) ・世南( せいなん ) ・如晦( じよくわい ) ・李勣( りせき ) なるべし。其志( そのこころざし ) 節( せつ ) に当( あた ) り義に向( むかつ ) て忠を立( たつる ) 所、何( いづ ) れをか前( さき ) とし何れをか後( のち ) とせん。其賞( そのしやう ) 皆均( ひとしく ) 其爵( そのしやく ) 是( これ ) 同( おなじ ) かるべき処に、円心( ゑんしん ) 一人僅( わづか ) に本領( ほんりやう ) 一所( いつしよ ) の安堵( あんど ) を全( まつたう ) して、守護( しゆご ) 恩補( おんふ ) の国を被召返事、其咎( そのとが ) そも何事ぞや。「賞中其功則有忠之者進、罰当其罪則有咎之者退。」と云へり。痛( いたはしき ) 哉( かな ) 今の政道、只抽賞( ちうしやう ) の功( こう ) に不当譏( そしり ) のみに非( あら ) ず。兼( かね ) ては綸言( りんげん ) の掌( たなごころ ) を翻( かへ ) す憚( はばかり ) あり。今若( もし ) 武家の棟梁( とうりやう ) と成( なり ) ぬべき器用( きよう ) の仁( じん ) 出来( いでき ) て、朝( てう ) 家を褊( さみ ) し申( まうす ) 事( こと ) あらば、恨( うらみ ) を含み政道を猜( そね ) む天下の士、糧( かて ) を荷( になひ ) て招( まねか ) ざるに集( あつま ) らん事不可有疑。抑( そもそも ) 天馬の用( もちゐる ) 所を案ずるに、徳の流行( りうかう ) する事は郵( いう ) を置( おい ) て命( めい ) を伝( つたふ ) るよりも早ければ、此( この ) 馬必( かならず ) しも不足用。只大逆( たいぎやく ) 不慮( ふりよ ) に出来( いできた ) る日、急( きふ ) を遠国( ゑんこく ) に告( つぐ ) る時、聊( いささか ) 用( もちゐる ) に得( とく ) あらんか。是( これ ) 静謐( せいひつ ) の朝( てう ) に出で、兼( かね ) て大乱の備( そなへ ) を設( まう ) く。豈( あに ) 不吉( ふきつ ) の表事( へうじ ) に候はずや。只奇物( きぶつ ) の翫( もてあそび ) を止( やめ ) て、仁政( じんせい ) の化( くわ ) を致( いたさ ) れんには不如。」と、誠を至し言を不残被申しに、竜顔( りようがん ) 少( すこ ) し逆鱗( げきりん ) の気色有( あつ ) て、諸臣皆( みな ) 色を変( へん ) じければ、旨酒高会( ししゆかうぐわい ) も無興( ぶきよう ) して、其( その ) 日( ひ ) の御遊( ぎよいう ) はさて止( やみ ) にけりとぞ聞へし。
○藤房( ふぢふさの ) 卿( きやう ) 遁世( とんせいの ) 事( こと ) 其( その ) 後藤房( ふぢふさの ) 卿( きやう ) 連続( れんぞく ) して諌言( かんげん ) を上( たてまつ ) りけれども、君遂( つひ ) に御許容( きよよう ) 無( なか ) りしかば、大内裏( だいだいり ) 造営( ざうえい ) の事をも不被止、蘭籍桂筵( らんせきけいえん ) の御遊( ぎよいう ) 猶( なほ ) 頻( しきり ) なりければ、藤房( ふぢふさ ) 是( これ ) を諌兼( いさめかね ) て、「臣たる道我( われ ) に於て至( いた ) せり。よしや今は身を退( しりぞけん ) には不如。」と、思定( おもひさだめ ) てぞ坐( おは ) しける。三月十一日は、八幡( やはた ) の行幸( ぎやうがう ) にて、諸卿皆( みな ) 路次( ろし ) の行装( ぎやうさう ) を事とし給( たまひ ) けり。藤房( ふぢふさ ) も時の大理( だいり ) にて坐( おは ) する上( うへ ) 、今は是( これ ) を限( かぎり ) の供奉( ぐぶ ) と被思ければ、御供( おんとも ) の官人( くわんにん ) 、悉( ことごとく ) 目を驚( おどろか ) す程( ほど ) に出立( いでたた ) れたり。看督長( かどのをさ ) 十六人、冠( かふり ) の老懸( おいかけ ) に、袖単( ひとへ ) 白くしたる薄紅( うすくれなゐ ) の袍( うはきぬ ) に白袴( はかま ) を著し、いちひはばきに乱( みだ ) れ緒( を ) をはいて列( れつ ) をひく。次に走( わし ) り下部( しもべ ) 八人、細烏帽子( ほそゑぼし ) に上下( かみしも ) 、一色( ひといろ ) の家の紋( もん ) の水干( すゐかん ) 著て、二行に歩( あゆみ ) つゞきたり。其( その ) 後大理( だいり ) は、巻纓( まきふさ ) の老懸( おいかけ ) に、赤裏( あかうら ) の表( うへ ) の袴( はかま ) 、靴( くわ ) の沓( くつ ) はいて、蒔絵( まきゑ ) の平鞘( ひらざやの ) 太刀を佩( はき ) 、あまの面( おもて ) の羽( は ) 付( つき ) たる平胡■( ひらやなぐひ ) の箙( えびら ) を負( おひ ) 、甲斐の大黒( おほぐろ ) とて、五尺( ごしやく ) 三寸( さんずん ) 有( あり ) ける名馬の太( ふと ) く逞( たくましき ) に、いかけ地( ぢ ) の鞍( くら ) 置( おい ) て、水色の厚総( あつぶさ ) の鞦( しりがい ) に、唐糸( からいと ) の手縄( たづな ) ゆるらかに結( むすん ) でかけ、鞍の上( うへ ) 閑( しづか ) に乗( のり ) うけて、町に三処手縄( たづな ) 入( いれ ) させ小路( こうぢ ) に余( あまつ ) て歩( あゆま ) せ出( いで ) たれば、馬副( むまぞひ ) 四人、か千冠( ちかぶり ) に猪( ゐ ) の皮の尻鞘( しりさや ) の太刀佩( はい ) て、左右にそひ、かい副( ぞへ ) の侍( さぶらひ ) 二人( ににん ) をば、烏帽子( ゑぼし ) に花田( はなた ) のうち絹( きぬ ) を重( かさね ) て、袖単( そでひとへ ) を出( いだ ) したる水干( すゐかん ) 著( き ) たる舎人( とねり ) の雑色( ざふしき ) 四人、次に白張( しらはり ) に香( かう ) の衣( きぬ ) 重( かさね ) たる童( わらは ) 一人( いちにん ) 、次に細烏帽子( ほそゑぼし ) に袖単( そでひとへ ) 白( しろく ) して、海松色( みるいろ ) の水干( すゐかん ) 著( き ) たる調度懸( てうどかけ ) 六人、次に細烏帽子に香( かう ) の水干著たる舎人( とねり ) 八人、其( その ) 次に直垂著( ひたたれき ) の雑人( ざふにん ) 等( ら ) 百( ひやく ) 余人( よにん ) 、警蹕( けいひつ ) の声高らかに、傍( あたり ) を払( はらつ ) て被供奉たり。伏拝( ふしをがみ ) に馬を留( とどめ ) て、男山( をとこやま ) を登( のぼり ) 給ふにも、栄行( さかゆく ) 時も有( あり ) こし物也( なり ) と、明日( あす ) は被謂ぬべき身の程も哀( あはれ ) に、石清水( いはしみづ ) を見給( たまふ ) にも、可澄末( すゑ ) の久しさを、君が御影( みかげ ) に寄( よせ ) て祝( しゆく ) し、其言葉( そのことのは ) の引替( ひきかへ ) て、今よりは心の垢( あか ) を雪( きよめ ) 、憂世( うきよ ) の耳( みみ ) を可洗便( たよ ) りに成( なり ) ぬと思( おもひ ) 給ひ、大菩薩( だいぼさつ ) の御前( おんまへ ) にして、潛( ひそか ) に自受法楽( じじゆほふらく ) の法施( ほつせ ) を献( たてまつ ) ても、道心堅固速証菩提( けんごそくしようぼだい ) と祈( いのり ) 給へば、和光同塵( わくわうどうぢん ) の月明( あきら ) かに心の闇( やみ ) をや照( てら ) すらんと、神慮( しんりよ ) も暗( あん ) に被量たり。御神拝( ごじんはい ) 一日有( あつ ) て還幸( くわんかう ) 事散( ことさん ) じければ、藤房( ふぢふさ ) 致仕( ちじ ) の為に被参内、竜顔( りようがん ) に近付進( ちかづきまゐら ) せん事( こと ) 、今ならでは何事にかと被思ければ、其( その ) 事( こと ) となく御前( おんまへ ) に祗候( しこう ) して、竜逢( りようほう ) ・比干( ひかん ) が諌( いさめ ) に死せし恨( うらみ ) 、伯夷( はくい ) ・叔斉( しゆくせい ) が潔( いさぎよ ) きを蹈( ふみ ) にし跡( あと ) 、終夜( よもすがら ) 申出( まうしいで ) て、未明( びめい ) に退出( たいしゆつ ) し給へば、大内山( おほうちやま ) の月影( つきかげ ) も涙に陰( くも ) りて幽( かすか ) なり。陣頭( ぢんとう ) より車をば宿所へ返( かへ ) し遣( つかは ) し、侍( さぶらひ ) 一人召具( めしぐ ) して、北山( きたやま ) の岩蔵( いはくら ) と云( いふ ) 所へ趣( おもむ ) かれける。此( ここ ) にて不二房( ふにばう ) と云( いふ ) 僧を戒師( かいし ) に請( しやう ) じて、遂( つひ ) に多年拝趨( はいすう ) の儒冠( じゆくわん ) を解( ぬい ) で、十戒持律( じつかいぢりつ ) の法体( ほつたい ) に成給( なりたまひ ) けり。家貧( まどし ) く年老( おい ) ぬる人だにも、難離難捨恩愛( おんあい ) の旧( ふる ) き栖( すみか ) 也( なり ) 。況乎( いはんや ) 官禄( くわんろく ) 共( とも ) に卑( いやし ) からで、齢( よはひ ) 未( いまだ ) 四十に不足人の、妻子( さいし ) を離( はな ) れ父母( ふぼ ) を捨( すて ) て、山川抖薮( とそう ) の身と成りしは、ためしすくなき発心( ほつしん ) 也( なり ) 。此( この ) 事( こと ) 叡聞( えいぶん ) に達しければ、君無限驚き思召( おぼしめし ) て、「其( その ) 在所を急ぎ尋出( たづねいだ ) し、再び政道輔佐( ふさ ) の臣と可成。」と、父宣房( のぶふさの ) 卿( きやう ) に被仰下ければ、宣房( のぶふさの ) 卿( きやう ) 泣々( なくなく ) 車を飛( とば ) して、岩蔵( いはくら ) へ尋行給( たづねゆきたまひ ) けるに、中納言入道は、其( その ) 朝まで岩蔵( いはくら ) の坊( ばう ) にをはしけるが、是( これ ) も尚( なほ ) 都( みやこ ) 近き傍( あた ) りなれば、浮世( うきよ ) の人の事問( ことと ) ひかはす事もこそあれと厭( いと ) はしくて、何地( いづち ) と云方( いふかた ) もなく足に信( まかせ ) て出( いで ) 給ひけり。宣房( のぶふさの ) 卿( きやう ) 彼( かの ) 坊に行給( ゆきたまひ ) て、「左様( さやう ) の人やある。」と被尋ければ、主( あるじ ) の僧、「さる人は今朝まで是( これ ) に御坐候( ござさふらひ ) つるが、行脚( あんぎや ) の御志( おんこころざし ) 候とて、何地( いづち ) へやらん御出( おんいで ) 候( さふらひ ) つる也( なり ) 。」とぞ答へける。宣房( のぶふさの ) 卿( きやう ) 悲歎( ひたん ) の泪( なみだ ) を掩( おさへ ) て其住捨( そのすみすて ) たる菴室( あんじつ ) を見給へば、誰( た ) れ見よとてか書置( かきおき ) ける、破( やれ ) たる障子( しやうじ ) の上に、一首( いつしゆ ) の歌を被残たり。住捨( すみすつ ) る山を浮世( うきよ ) の人とはゞ嵐や庭の松にこたへん棄恩入無為( きおんにふむゐ ) 、真実報恩者( しんじつはうおんしや ) と云( いふ ) 文の下( した ) に、白頭望断万重山。曠劫恩波尽底乾。不是胸中蔵五逆( ごぎやく ) 。出家端的報親難。と、黄蘗( わうばく ) の大義渡( たいぎと ) を題せし古き頌( じゆ ) を被書たり。さてこそ此( この ) 人設( たと ) ひ何( いづ ) くの山にありとも、命( いのち ) の中( うち ) の再会( さいくわい ) は叶( かな ) ふまじかりけるよと、宣房( のぶふさの ) 卿( きやう ) 恋慕( れんぼ ) の泪( なみだ ) に咽( むせ ) んで、空( むなし ) く帰り給ひけり。抑( そもそも ) 彼( かの ) 宣房( のぶふさの ) 卿( きやう ) と申( まうす ) は、吉田( よしだの ) 大弐( だいに ) 資経( すけつね ) の孫( まご ) 、藤三位資通( とうのさんみすけみち ) の子也( なり ) 。此( この ) 人閑官( かんくわん ) の昔、五部( ごぶ ) の大乗経( だいじようきやう ) を一字三礼( いちじさんらい ) に書供養( かきくやう ) して、子孫( しそん ) の繁昌を祈( いの ) らん為に、春日( かすが ) の社( やしろ ) にぞ被奉納ける。其夜( そのよ ) の夢想( むさう ) に、黄衣( くわうえ ) 著( き ) たる神人( じんにん ) 、榊( さかき ) の枝( えだ ) に立文( たてぶみ ) を著( つけ ) て、宣房( のぶふさの ) 卿( きやう ) の前に差置( さしおき ) たり。何( いか ) なる文( ふみ ) やらんと怪( あやしみ ) て、急( いそぎ ) 是( これ ) を披( ひらい ) て見給へば、上書( うはがき ) に万里小路( までのこうじ ) 一位( いちゐ ) 殿( どの ) へと書( かき ) て、中( なか ) には、速証無上大菩提( そくしようむじやうだいぼだい ) と、金字( こんじ ) にぞ書( かき ) たりける。夢覚( さめ ) て後( のち ) 静( しづか ) に是( これ ) を案( あん ) ずるに、我( われ ) 朝廷に仕へて、位一品( くらゐいつぼん ) に至らんずる条無疑。中( なか ) に見へつる金字( こんじ ) の文( ぶん ) は、我( われ ) 則( すなはち ) 此作善( このさぜん ) を以て、後生善処( ごしやうぜんしよ ) の望( のぞみ ) を可達者也( なり ) と、二世の悉地( しつち ) 共( ども ) に成就( じやうじゆ ) したる心地( ここち ) して、憑( たの ) もしく思給( おもひたまひ ) けるが、果( はた ) して元弘の末に、父祖代々( ふそだいだい ) 絶( たえ ) て久( ひさし ) き従( じゆ ) 一位( いちゐ ) に成給( なりたまひ ) けり。中( なか ) に見へし金字( こんじ ) の文は、子息藤房( ふぢふさの ) 卿( きやう ) 出家得道( しゆつけとくだう ) し給( たまふ ) べき、其善縁( そのぜんえん ) 有( あり ) と被示ける明神( みやうじん ) の御告( おんつげ ) なるべし。誠( まこと ) に百年の栄耀( えいえう ) は風前( ふうぜん ) の塵( ちり ) 、一念の発心( ほつしん ) は命後( みやうご ) の灯( とぼしび ) 也( なり ) 。一子( いつし ) 出家( しゆつけ ) すれば、七世の父母( ふも ) 皆( みな ) 仏道を成( な ) すと、如来( によらい ) の所説( しよせつ ) 明( あきらか ) なれば、此( この ) 人一人の発心( ほつしん ) に依( よつ ) て、七世の父母諸共( もろとも ) に、成仏得道( じやうぶつとくだう ) せん事( こと ) 、歎( なげき ) の中( うち ) の悦( よろこび ) なるべければ、是( これ ) を誠( まこと ) に第一( だいいち ) の利生( りしやう ) 預( あづか ) りたる人よと、智ある人は聞( きい ) て感歎( かんたん ) せり。
○北山殿( きたやまどの ) 謀叛( むほんの ) 事( こと ) 故相摸( こさがみ ) 入道( にふだう ) の舎弟( しやてい ) 、四郎( しらう ) 左近( さこんの ) 大夫( たいふ ) 入道( にふどう ) は、元弘の鎌倉( かまくら ) 合戦の時、自害( じがい ) したる真似( まね ) をして、潛( ひそか ) に鎌倉( かまくら ) を落( おち ) て、暫( しばし ) は奥州( あうしう ) に在( あり ) けるが、人に見知( しら ) れじが為に、還俗( げんぞく ) して京都に上( のぼり ) 、西園寺殿( さいをんじどの ) を憑奉( たのみたてまつ ) て、田舎侍( ゐなかさぶらひ ) の始( はじめ ) て召( めし ) 仕はるゝ体( てい ) にてぞ居たりける。是( これ ) も承久( しようきう ) の合戦の時、西園寺の太政( だいじやう ) 大臣( だいじん ) 公経公( きんつねこう ) 、関東( くわんとう ) へ内通( ないつう ) の旨( むね ) 有( あり ) しに依( よつ ) て、義時( よしとき ) 其( その ) 日( ひ ) の合戦に利( り ) を得たりし間、子孫( しそん ) 七代迄( まで ) 、西園寺殿( さいをんじどの ) を可憑申と云置( いひおき ) たりしかば、今に至迄( いたるまで ) 武家異他思( おもひ ) を成( な ) せり。依之( これによつて ) 代々( だいだい ) の立后( りつこう ) も、多( おほく ) は此( この ) 家より出( いで ) て、国々の拝任( はいにん ) も半( なかば ) は其族( そのぞく ) にあり。然れば官( くわん ) 太政( だいじやう ) 大臣( だいじん ) に至り、位一品( くらゐいつぼん ) の極位( ごくゐ ) を不極と云( いふ ) 事( こと ) なし。偏( ひとへ ) に是( これ ) 関東( くわんとう ) 贔屓( ひいき ) の厚恩( こうおん ) 也( なり ) と被思けるにや、如何( いか ) にもして故相摸( こさがみ ) 入道が一族( いちぞく ) を取立( とりたて ) て、再び天下の権( けん ) を取( とら ) せ、我( わが ) 身公家( くげ ) の執政( しつせい ) として、四海( しかい ) を掌( たなごころ ) に握( にぎ ) らばやと被思ければ、此( この ) 四郎( しらう ) 左近( さこんの ) 大夫( たいふ ) 入道を還俗( げんぞく ) せさせ、刑部少輔( ぎやうぶのせう ) 時興( ときおき ) と名を替( かへ ) て、明暮( あけくれ ) は只謀叛( むほん ) の計略( けいりやく ) をぞ被回ける。或夜( あるよ ) 政所( せいしよ ) の入道、大納言殿( だいなごんどの ) の前に来( きたつ ) て申( まうし ) けるは、「国の興亡( きようばう ) を見( みる ) には、政( まつりごと ) の善悪( ぜんあく ) を見( みる ) に不如、政( まつりごと ) の善悪( ぜんあく ) を見( みる ) には、賢臣( けんしん ) の用捨( ようしや ) を見( みる ) に不如、されば微子( びし ) 去( さつ ) て殷( いん ) の代傾( かたむ ) き、范増( はんぞう ) 被罪楚王( そわう ) 滅( ほろび ) たり。今の朝家( てうけ ) には只藤房( ふぢふさ ) 一人のみにて候( さふらひ ) つるが、未然( みぜん ) に凶( きよう ) を鑑( かんがみ ) て、隠遁( いんとん ) の身と成( なり ) 候事( こと ) 、朝廷の大凶( たいきよう ) 、当家( たうけ ) の御運( ごうん ) とこそ覚( おぼえ ) て候へ。急( いそぎ ) 思召立( おぼしめしたた ) せ給( たまひ ) 候はゞ、前代( ぜんだい ) の余類( よるゐ ) 十方より馳参( はせまゐつ ) て、天下を覆( くつがへ ) さん事( こと ) 、一日を不可出。」とぞ勧( すす ) め申( まうし ) ける。公宗卿( きんむねきやう ) げにもと被思ければ、時興( ときおき ) を京都の大将として、畿内近国( きないきんごく ) の勢( せい ) を被催。其甥( そのをひ ) 相摸次郎時行( ときゆき ) をば関東( くわんとう ) の大将として、甲斐( かひ ) ・信濃( しなの ) ・武蔵( むさし ) ・相摸( さがみ ) の勢を付( つけ ) らる。名越( なごや ) 太郎時兼( ときかぬ ) をば北国の大将として、越中・能登・加賀の勢をぞ被集ける。如此諸方の相図( あひづ ) を同時に定( さだめ ) て後( のち ) 、西の京( きやう ) より番匠( ばんじやう ) 数( あま ) た召寄( めしよせ ) て、俄に温殿( ゆどの ) をぞ被作ける。其襄場( そのあがりば ) に板( いた ) を一間( ひとま ) 蹈( ふ ) めば落( おつ ) る様( やう ) に構( かま ) へて、其( その ) 下に刀の簇( ひし ) を被殖たり。是( これ ) は主上( しゆしやう ) 御遊( ぎよいう ) の為に臨幸( りんかう ) 成( なり ) たらんずる時、華清宮( くわせいきゆう ) の温泉( をんせん ) に准( なぞら ) へて、浴室( よくしつ ) の宴( えん ) を勧( すす ) め申( まうし ) て、君を此( この ) 下へ陥入奉( おとしいれたてまつ ) らん為の企( くはだて ) 也( なり ) 。加様( かやう ) に様々( さまざま ) の謀( はかりこと ) を定( さだ ) め兵( つはもの ) を調( ととのへ ) て、「北山( きたやま ) の紅葉( もみぢ ) 御覧( ごらん ) の為に臨幸( りんかう ) 成( なり ) 候へ。」と被申ければ、則( すなはち ) 日を被定、行幸( ぎやうがう ) の儀則( ぎそく ) をぞ被調ける。已( すで ) に明日午刻( うまのこく ) に可有臨幸由( よし ) 、被相触たりける其夜( そのよ ) 、主上( しゆしやう ) 且( しばら ) く御目睡有( おんまどろみあり ) ける御夢( おんゆめ ) に、赤袴( あかきはかま ) に鈍色( にぶいろ ) の二( ふた ) つ衣( ぎぬ ) 著( き ) たる女一人来( きたつ ) て、「前には虎狼( こらう ) の怒( いかれ ) るあり。後( うし ) ろには熊羆( いうひ ) の猛( たけ ) きあり、明日の行幸( ぎやうがう ) をば思召留( おぼしめしとま ) らせ給ふべし。」とぞ申( まうし ) ける。主上( しゆしやう ) 御夢( おんゆめ ) の中( うち ) に、「汝( なんぢ ) は何( いづ ) くより来れる者ぞ。」と御尋( おんたづね ) 有( あり ) ければ、「神泉園( しんぜんゑん ) の辺( あたり ) に多年住侍( すみはんべ ) る者也( なり ) 。」と、答申( こたへまうし ) て立帰( たちかへり ) ぬと被御覧、御夢( おんゆめ ) は無程覚( さめ ) にけり。主上( しゆしやう ) 怪( あやし ) き夢の告( つげ ) 也( なり ) と被思召ながら、是( これ ) まで事定( さだ ) まりぬる臨幸( りんかう ) 、期( ご ) に臨( のぞん ) では如何( いかが ) 可被停と被思食ければ、遂( つひ ) に鳳輦( ほうれん ) を被促。乍去夢の告( つげ ) 怪( あや ) しければとて、先( まづ ) 神泉苑( しんぜんゑん ) に幸成( みゆきなつ ) て、竜神( りゆうじん ) の御手向有( おんたむけあり ) けるに、池水( ちすゐ ) 俄に変( へん ) じて、風不吹白浪( しらなみ ) 岸を打( うつ ) 事( こと ) 頻( しきり ) 也( なり ) 。主上( しゆしやう ) 是( これ ) を被御覧弥( いよいよ ) 夢の告( つげ ) 怪( あやし ) く被思召ければ、且( しばら ) く鳳輦( ほうれん ) を留( とどめ ) て御思案( ごしあん ) 有( あり ) ける処に、竹林院( ちくりんゐん ) の中納言公重( きんしげ ) 卿( きやう ) 馳参( はせさん ) じて被申けるは、「西園寺大納言公宗( きんむね ) 、隠媒( いんぼう ) の企( くはたて ) 有( あつ ) て臨幸( りんかう ) を勧( すす ) め申( まうす ) 由( よし ) 、只今或方( あるかた ) より告示( つげしめし ) 候。是( これ ) より急( いそぎ ) 還幸成( くわんかうなつ ) て、橋本( はしもとの ) 中将( ちゆうじやう ) 俊季( としすゑ ) 、並( ならびに ) 春衡( はるひら ) ・文衡( ぶんひら ) 入道を被召て、子細( しさい ) を御尋( おんたづね ) 候べし。」と被申ければ、君去夜( さんぬるよ ) の夢告( ゆめつげ ) の、今日の池水( ちすゐ ) の変( へん ) ずる態( わざ ) 、げにも様( やう ) ありと思召合( おぼしめしあはせ ) て、軈( やが ) て還幸成( なり ) にけり。則( すなはち ) 中院( なかのゐん ) の中将( ちゆうじやう ) 定平( さだひら ) に結城( ゆふき ) 判官( はうぐわん ) 親光( ちかみつ ) ・伯耆( はうきの ) 守( かみ ) 長年( ながとし ) を差副( さしそへ ) て、「西園寺の大納言公宗( きんむね ) 卿( きやう ) ・橋本( はしもとの ) 中将( ちゆうじやう ) 俊季( としすゑ ) ・並( ならびに ) 文衡( ぶんひら ) 入道を召取( めしとつ ) て参れ。」とぞ被仰下ける。勅宣( ちよくせん ) の御使( おんつかひ ) 、其( その ) 勢( せい ) 二千( にせん ) 余騎( よき ) 、追手( おふて ) 搦手( からめて ) より押寄( おしよせ ) て、北山殿( きたやまどの ) の四方( しはう ) を七重( ななへ ) 八重( やへ ) にぞ取巻( とりまき ) ける。大納言殿( だいなごんどの ) 、早( はや ) 此間( このあひだ ) の隠謀( いんぼう ) 顕( あらは ) れけりと思( おもひ ) 給ふ。されば中々( なかなか ) 騒( さわぎ ) たる気色もなし。事の様( やう ) をも知( しら ) ぬ北御方( きたのおんかた ) ・女房達( にようばうたち ) ・侍( さぶらひ ) 共( ども ) はこは如何なる事ぞやと、周章( あわて ) ふためき逃倒( にげたふ ) る。御弟( おんおとと ) 俊季朝臣( としすゑあそん ) は、官軍( くわんぐん ) の向( むかひ ) けるを見て、心早( はやき ) 人なりければ、只一人抽( ぬきんで ) て、後( うしろ ) の山より何地( いづち ) ともなく落給( おちたまひ ) にけり。定平( さだひら ) 朝臣先( まづ ) 大納言殿( だいなごんどの ) に対面( たいめん ) 有( あつ ) て、穏( おだやか ) に事の子細( しさい ) を被演ければ、大納言殿( だいなごんどの ) 涙を押( おさ ) へて宣( のたまひ ) けるは、「公宗( きんむね ) 不肖( ふせう ) の身なりといへども、故中宮( こちゆうぐう ) の御好( おんよしみ ) に依( よつ ) て、官禄( くわんろく ) 共( とも ) に人に不下、是( これ ) 偏( ひとへ ) に明王慈恵( みやうわうじけい ) の恩幸( おんかう ) なれば、争( いかで ) か居陰折枝、汲流濁源志可存候。倩( つらつら ) 事( こと ) の様( やう ) を案( あん ) ずるに、当家数代( たうけすだい ) の間官爵( くわんしやく ) 人に超( こ ) へ、恩禄( おんろく ) 身に余れる間、或( あるひ ) は清花( せいぐわ ) の家是( これ ) を妬( ねた ) み、或( あるひ ) は名家( めいか ) の輩( ともがら ) 是( これ ) を猜( そねん ) で、如何様( いかさま ) 種々( しゆじゆ ) の讒言( ざんげん ) を構( かま ) へ、様々( さまざま ) の虚説( きよぜつ ) を成( なし ) て、当家( たうけ ) を失( うしな ) はんと仕る歟( か ) とこそ覚( おぼえ ) て候へ。乍去天鑑真、虚名( きよめい ) いつまでか可掠上聞候なれば、先( まづ ) 召( めし ) に随( したがつ ) て陣下( ぢんか ) に参じ、犯否( ぼんび ) の御糺明( きうめい ) を仰( あふ ) ぎ候べし。但( ただし ) 俊季( としすゑ ) に於( おいて ) は、今朝已( すで ) に逐電候( ちくてんさふらひ ) ぬる間召具( めしぐ ) するに不及。」とぞ宣( のたまひ ) ける。官軍共( くわんぐんども ) 是( これ ) を聞( きい ) て、「さては橋本( はしもとの ) 中将殿( ちゆうじやうどの ) を隠( かく ) し被申にてこそあれ。御所中( ごしよちゆう ) を能々( よくよく ) 見奉れ。」とて数千( すせん ) の兵共( つはものども ) 殿中( でんちゆう ) に乱入( みだれいつ ) て、天井塗篭( てんじやうぬりこめ ) 打破( うちやぶり ) 、翠簾几帳( すゐれんきちやう ) を引落( ひきおと ) して、無残処捜( さがし ) けり。依之( これによつて ) 只今まで可有紅葉の御賀とて楽絃( がくげん ) を調( しら ) べつる伶人( れいじん ) 、装束( しやうぞく ) をも不脱、東西に逃迷( にげまよ ) ひ、見物の為とて群( ぐん ) をなせる僧俗男女、怪( あやし ) き者歟( か ) とて、多く被召捕不慮( ふりよ ) に刑戮( けいりく ) に逢( あひ ) けり。其辺( そのへん ) の山の奥( おく ) 、岩( いは ) のはざま迄( まで ) 、若( もし ) やと猶( なほ ) 捜( さがし ) けれども、俊季( としすゑ ) 朝臣遂( つひ ) に見へ給はざりければ、官軍( くわんぐん ) 無力、公宗( きんむね ) 卿( きやう ) と文衡( ぶんひら ) 入道とを召捕奉( めしとりたてまつ ) て、夜中に京( きやう ) へぞ帰( かへり ) ける。大納言殿( だいなごんどの ) をば定平( さだひら ) 朝臣の宿所に、一間( ひとま ) なる所を攻篭( つめろう ) の如( ごとく ) に拵( こしらへ ) て、押篭( おしこめ ) 奉る。文衡( ぶんひら ) 入道をば結城( ゆふき ) 判官( はうぐわん ) に被預、夜昼( よるひる ) 三日まで、上( あげ ) つ下( おろし ) つ被拷問けるに、無所残白状( はくじやう ) しければ、則( すなはち ) 六条河原( ろくでうかはら ) へ引出( ひきいだ ) して、首( くび ) を被刎けり。公宗( きんむね ) をば伯耆守( はうきのかみ ) 長年( ながとし ) に被仰付、出雲( いづもの ) 国( くに ) へ可被流と、公儀( こうぎ ) 已( すで ) に定( さだま ) りにけり。明日必( かならず ) 配所( はいしよ ) へ赴き給( たまふ ) べしと、治定( ぢてい ) 有( あり ) ける其夜( そのよ ) 、中院( なかのゐん ) より北( きた ) の御方( おんかた ) へ被告申ければ、北( きた ) の方( かた ) 忍( しのび ) たる体( てい ) にて泣々( なくなく ) 彼( かし ) こへ坐( おは ) したり。暫( しばら ) く警固( けいご ) の武士( ぶし ) をのけさせて、篭( ろう ) の傍( あた ) りを見給へば、一間( ひとま ) なる所の蜘手( くもで ) 密( きびし ) く結( ゆう ) たる中( なか ) に身を縮( ちぢ ) めて、起伏( おきふし ) もなく泣沈( なきしづ ) み給( たまひ ) ければ、流るゝ泪( なみだ ) 袖に余( あま ) りて、身も浮く許( ばかり ) に成( なり ) にけり。大納言殿( だいなごんどの ) 北( きた ) の方( かた ) を一目( ひとめ ) 見給( たまひ ) て、いとゞ泪( なみだ ) に咽( むせ ) び、云出( いひいだ ) し給へる言葉( ことのは ) もなし。北( きた ) の方( かた ) も、「こは如何に成( なり ) ぬる御有様( おんありさま ) ぞや。」と許( ばかり ) 涙( なみだ ) の中( うち ) に聞( きこ ) へて、引( ひき ) かづき泣伏( なきふし ) 給ふ。良( やや ) 暫有( しばらくあつ ) て、大納言殿( だいなごんどの ) 泪( なみだ ) を押( おさ ) へて宣( のたまひ ) けるは、「我( わが ) 身かく引( ひく ) 人もなき捨小舟( すてをぶね ) の如く、深罪( ふかきつみ ) に沈( しづ ) みぬるに付( つい ) ても、たゞならぬ御事( おんこと ) とやらん承( うけたまは ) りしかば、我故( われゆゑ ) の物思( ものおも ) ひに、如何( いか ) なる煩( わづら ) はしき御心地( おんここち ) かあらんずらんと、それさへ後の闇路( やみぢ ) の迷( まよひ ) と成( なり ) ぬべう覚( おぼえ ) てこそ候へ。若( もし ) それ男子( なんし ) にても候はゞ、行末( ゆくすゑ ) の事思捨( おもひすて ) 給はで、哀( あはれ ) みの懐( ふところ ) の中に人となし給( たまふ ) べし。我家( わがいへ ) に伝( つたふ ) る所の物なれば、見ざりし親の忘形見( わすれがたみ ) ともなし給へ。」とて、上原( しやうげん ) ・石上( せきしやう ) ・流泉( りうせん ) ・啄木( たくぼく ) の秘曲( ひきよく ) を被書たる琵琶の譜( ふ ) を一帖( いちでふ ) 、膚( はだ ) の護( まぶり ) より取出( とりいだ ) し玉( たまひ ) て、北( きた ) の方( かた ) に手( てづ ) から被渡けるが、側( そば ) なる硯( すずり ) を引寄( ひきよせ ) て、上巻( うはまき ) の紙に一首( いつしゆ ) の歌を書( かき ) 給ふ。哀( あはれ ) なり日影( ひかげ ) 待( まつ ) 間( ま ) の露の身に思( おもひ ) をかるゝ石竹( なでしこ ) の花硯の水に泪( なみだ ) 落( おち ) て、薄墨( うすずみ ) の文字さだかならず、見る心地( ここち ) さへ消( きえ ) ぬべきに、是( これ ) を今はの形見( かたみ ) とも、泪( なみだ ) と共に留玉( とどめたま ) へば、北( きた ) の御方( おんかた ) はいとゞ悲( かなし ) みを被副て中々( なかなか ) 言葉( ことのは ) もなければ、只顔をも不擡泣( なき ) 給ふ。去( さる ) 程( ほど ) に追立( おつたて ) の官人( くわんにん ) 来( きたつ ) て、「今夜先( まづ ) 伯耆( はうきの ) 守( かみ ) 長年( ながとし ) が方へ渡し奉( たてまつ ) て暁( あかつき ) 配所( はいしよ ) へ可奉下。」と申( まうし ) ければ、頓( やが ) て物騒( ものさわが ) しく成( なつ ) て、北方( きたのかた ) も傍( あたり ) へ立隠給( たちかくれたまひ ) ぬ。さても猶( なほ ) 今より後の御有様( おんありさま ) 如何( いかが ) と心苦( くるしく ) 覚( おぼえ ) て、透垣( すいがき ) の中に立紛( たちまぎれ ) て見玉( みたま ) へば、大納言殿( だいなごんどの ) を請取進( うけとりまゐらせ ) んとて、長年物具( もののぐ ) したる者共( ものども ) 二三百人( にさんびやくにん ) 召具( めしぐ ) して、庭上( ていじやう ) に並居( なみゐ ) たり。余( あま ) りに夜( よ ) の深候( ふけさふらひ ) ぬると急( いそぎ ) ければ、大納言殿( だいなごんどの ) 縄取( なはとり ) に引( ひか ) へられて中門( ちゆうもん ) へ出( いで ) 玉ふ。其( その ) 有様を見給( たまひ ) ける北( きた ) の御方( おんかた ) の心の中( うち ) 、譬( たと ) へて云はん方もなし。既( すで ) に庭上に舁居( かきすゑ ) たる輿( こし ) の簾( すだれ ) を掲( かかげ ) て乗( の ) らんとし給( たまひ ) ける時、定平( さだひら ) 朝臣長年に向( むかつ ) て、「早( はや ) 。」と被云けるを、「殺( ころ ) し奉れ。」との詞( ことば ) ぞと心得て、長年、大納言に走懸( はしりかかつ ) て鬢髪( びんのかみ ) を掴( つかん ) で覆( うつぶし ) に引伏( ひきふ ) せ、腰( こしの ) 刀を抜( ぬい ) て御頚( おんくび ) を掻落( かきおと ) しけり。下( しも ) として上( かみ ) を犯( をかさ ) んと企( くはだつ ) る罰( ばつ ) の程こそ恐( おそろ ) しけれ。北( きた ) の方( かた ) は是( これ ) を見給( たまひ ) て、不覚あつとをめいて、透垣( すいがき ) の中に倒( たふ ) れ伏( ふし ) 給ふ。此侭( このまま ) 頓( やが ) て絶( たえ ) 入り給( たまひ ) ぬと見へければ、女房達( にようばうたち ) 車に扶乗奉( たすけのせたてまつ ) て、泣々( なくなく ) 又北山( きたやま ) 殿( どの ) へ帰( かへ ) し入れ奉る。さしも堂上( だうじやう ) 堂下( だうか ) 雲の如( ごとく ) なりし青侍官女( せいしくわんぢよ ) 、何地( いづち ) へか落行( おちゆき ) けん。人一人も不見成( なつ ) て、翠簾几帳( すゐれんきちやう ) 皆被引落たり。常の御方( おんかた ) を見給へば、月の夜( よ ) ・雪の朝( あした ) 、興( きよう ) に触( ふれ ) て読棄( よみすて ) 給へる短冊共( たんじやくども ) の、此彼( ここかしこ ) に散乱( ちりみだれ ) たるも、今はなき人の忘形見( わすれがたみ ) と成( なつ ) て、そゞろに泪( なみだ ) を被催給ふ。又夜( よん ) の御方( おんかた ) を見給へば、旧( ふる ) き衾( ふすま ) は留( とどまつ ) て、枕ならべし人はなし。其面影( そのおもかげ ) はそれながら、語( かたり ) て慰( なぐさ ) む方もなし。庭( には ) には紅葉( もみぢ ) 散敷( ちりしい ) て、風の気色( けしき ) も冷( すさまじ ) きに、古き梢( こずゑ ) の梟( ふくろの ) 声、けうとげに啼( ない ) たる暁( あかつき ) の物さびしさ、堪( たへ ) ては如何( いかが ) と住( すみ ) はび給へる処に、西園寺( さいをんじ ) の一跡( いつせき ) をば、竹林院( ちくりんゐん ) 中納言公重( きんしげ ) 卿( きやう ) 賜( たまは ) らせ給( たまひ ) たりとて、青侍共( あをさぶらひども ) 数( あま ) た来( きたつ ) て取貸( とりまかな ) へば、是( これ ) さへ別( わかれ ) の憂数( うきかず ) に成( なつ ) て、北( きた ) の御方( おんかた ) は仁和寺( にんわじ ) なる傍( かたはら ) に、幽( かすか ) なる住所( すみところ ) 尋出( たづねいだ ) して移( うつり ) 玉ふ。時しもこそあれ、故( こ ) 大納言殿( だいなごんどの ) の百箇日( ひやくかにち ) に当( あた ) りける日、御産( ごさん ) 事故無( ことゆゑなく ) して、若君生( うま ) れさせ玉へり。あはれ其( その ) 昔ならば、御祈( おんいのり ) の貴僧高僧歓喜( くわんき ) の眉( まゆ ) を開( ひら ) き、弄璋( ろうしやう ) の御慶( ぎよけい ) 天下に聞( きこ ) へて門前の車馬( しやば ) 群( ぐん ) を可成に、桑( くは ) の弓引( ひく ) 人もなく、蓬( よもぎ ) の矢射( い ) る所もなきあばら屋( や ) に、透間( すきま ) の風冷( すさま ) じけれども、防( ふせ ) ぎし陰( かげ ) もかれはてぬれば、御乳母( おんめのと ) なんど被付までも不叶、只母上( ははうへ ) 自( みづから ) 懐( いだ ) きそだて給へば、漸( やうや ) く故( こ ) 大納言殿( だいなごんどの ) に似( に ) 給へる御顔つきを見( み ) 玉ふにも、「形見( かたみ ) こそ今はあたなれ是( これ ) なくば忘( わす ) るゝ時もあらまし物を。」と古人( いにしへびと ) の読( よみ ) たりしも、泪( なみだ ) の故( ゆゑ ) と成( なり ) にけり。悲歎( ひたん ) の思( おもひ ) 胸に満( みち ) て、生産( うぶや ) の筵( むしろ ) 未乾、中院( なかのゐんの ) 中将( ちゆうじやう ) 定平( さだひら ) の許( もと ) より、以使、「御産( ごさん ) の事に付( つい ) て、内裡( だいり ) より被尋仰事候。もし若君にても御渡( おんわたり ) 候はゞ、御乳母( おんめのと ) に懐( いだ ) かせて、是( これ ) へ先( まづ ) 入進( いれまゐらせ ) られ候へ。」と被仰ければ、母上( ははうへ ) 、「あな心憂( こころう ) や、故( こ ) 大納言( だいなごん ) の公達( きんだち ) をば、腹の中( なか ) までも開( あけ ) て可被御覧聞( きこ ) へしかば、若君( わかぎみ ) 出来( いでき ) させ給( たまひ ) ぬと漏聞( もれきこ ) へけるにこそ有( あり ) けれ。歎( なげき ) の中( うち ) にも此( この ) 子をそだてゝこそ、故( こ ) 大納言殿( だいなごんどの ) の忘形見( わすれがたみ ) とも見、若( もし ) 人とならば僧にもなして、無跡( なきあと ) をも問( とは ) せんと思( おもひ ) つるに、未だ乳房( ちぶさ ) も離( はなれ ) ぬみどり子を、武士( もののふ ) の手に懸( かけ ) て被失ぬと聞( きい ) て、有( あり ) し別( わかれ ) の今の歎( なげき ) に、消( きえ ) はびん露の命( いのち ) を何( なに ) に懸( かけ ) てか可堪忍。あるを限( かぎり ) の命だに、心に叶ふ者ならで、斯( かか ) る憂( うき ) 事( こと ) をのみ見聞く身こそ悲しけれ。」と泣( なき ) 沈み給( たまひ ) ければ、春日( かすが ) の局( つぼね ) 泣々( なくなく ) 内( うち ) より御使( おんつかひ ) に出合給( いであひたまひ ) て、「故( こ ) 大納言殿( だいなごんどの ) の忘形見( わすれがたみ ) の出来( いでき ) させ給( たまひ ) て候( さふらひ ) しが、母上( ははうへ ) のたゞならざりし時節( をりふし ) 限( かぎり ) なき物思( おもひ ) に沈( しづみ ) 給ふ故( ゆゑ ) にや、生( うま ) れ落( おち ) 玉ひし後、無幾程はかなく成給( なりたまひ ) 候。是( これ ) も咎( とが ) 有( あり ) し人の行( ゆく ) ゑなれば、如何( いか ) なる御沙汰( ごさた ) にか逢( あひ ) 候はんずらんと、上( うへ ) の御尤( おんとがめ ) を怖( おそれ ) て、隠( かく ) し侍( はんべ ) るにこそと被思召事も候( さふらひ ) ぬべければ、偽( いつはり ) ならぬしるしの一言を、仏神( ぶつじん ) に懸( かけ ) て申入( まうしいれ ) 候べし。」とて、泣々( なくなく ) 消息( せうそく ) を書( かき ) 給ひ、其( その ) 奥に、
偽(いつはり)を糺( ただす ) の森に置( おく ) 露( つゆ ) の消( きえ ) しにつけて濡( ぬ ) るゝ袖哉( かな )
使(つかひ)此( この ) 御文を持( もつ ) て帰( かへ ) り参( まゐ ) れば、定平( さだひら ) 泪( なみだ ) を押( おさ ) へて奏覧( そうらん ) し給ふ。此( この ) 一言に、君も哀( あはれ ) とや思召( おぼしめさ ) れけん、其( その ) 後は御尋( おんたづね ) もなかりければ、うれしき中に思ひ有( あつ ) て、焼野( やけの ) の雉( きぎす ) の残る叢( くさむら ) を命にて、雛( ひな ) を育( はごくむ ) らむ風情( ふぜい ) にて、泣( なく ) 声をだに人に聞( きか ) せじと、口を押( おさ ) へ乳( ち ) を含( ふくめ ) て、同枕( おなじまくら ) の忍( しの ) びねに、泣明( なきあか ) し泣暮( なきくら ) して、三年( みとせ ) を過( すご ) し給( たまひ ) し心の中( うち ) こそ悲しけれ。其後( そののち ) 建武( けんむ ) の乱出来( いでき ) て、天下将軍の代( よ ) と成( なり ) しかば、此( この ) 人朝( てう ) に仕へて、西園寺( さいをんじ ) の跡( あと ) を継給( つぎたまひ ) し、北山の右大将( うだいしやう ) 実俊( さねとし ) 卿( きやう ) 是( これ ) 也( なり ) 。さても故( こ ) 大納言殿( だいなごんどの ) 滅( ほろ ) び給ふべき前表( ぜんべう ) のありけるを、木工頭( もくのかみ ) 孝重( たかしげ ) が兼( かね ) て聞( きき ) たりけるこそ不思議( ふしぎ ) なれ。彼( かの ) 卿( きやう ) 謀叛( むほん ) の最初( さいしよ ) 、祈祷( きたう ) の為に一七日( ひとなぬか ) 北野に参篭( さんろう ) して、毎夜( まいよ ) 琵琶( びは ) の秘曲( ひきよく ) を弾( だん ) じ給( たまひ ) けるが、七日( なぬか ) に満( まん ) じける其夜( そのよ ) は、殊更( ことさら ) 聖廟( せいべう ) の法楽( ほふらく ) に備( そなふ ) べき為とや被思けん。月冷( すさまじ ) く風秋( ひややか ) なる小夜深方( さよふけがた ) に、翠簾( すゐれん ) を高く捲上( まきあげ ) させて、玉樹( ぎよくじゆ ) 三女の序( じよ ) を弾( だん ) じ給ふ。「第一( だいいち ) ・第二( だいにの ) 絃( げんは ) 索々( さくさくたり ) 秋( あきの ) 風払松疎韻( そゐん ) 落( おつ ) 。第三( だいさん ) ・第四( だいしの ) 絃( げんは ) 冷々( れいれいたり ) 夜鶴( よるのつる ) 憶子篭( この ) 中( うちに ) 鳴( なく ) 、絃々( げんげん ) 掩抑( えんよく ) 只拍子( ひやうし ) に移る。六反( ろくへん ) の後( のち ) の一曲( いつきよく ) 、誠( まこと ) に嬰児( えいじ ) も起( たつ ) て舞許( まふばかり ) 也( なり ) 。時節( をりふし ) 木工頭( もくのかみ ) 孝重( たかしげ ) 社頭( しやとう ) に通夜( つや ) して、心を澄( すま ) し耳を側( そばだて ) て聞( きき ) けるが、曲終( はて ) て後に、人に向( むかつ ) て語りけるは、「今夜の御琵琶( びは ) 祈願( きぐわん ) の御事( おんこと ) 有( あつ ) て遊( あそ ) ばさるゝならば、御願( ごぐわん ) 不可成就。其故( そのゆゑ ) は此玉樹( このぎよくじゆ ) と申( まうす ) 曲( きよく ) は、昔晉( しん ) の平公( へいこう ) 濮水( ぼくすゐ ) の辺( ほとり ) を過給( すぎたまひ ) けるに、流るゝ水の声に絃管( げんくわん ) の響( ひびき ) あり。平公( へいこう ) 則( すなはち ) 師涓( しけん ) と云( いふ ) 楽人( がくにん ) を召( めし ) て、琴( こと ) の曲( きよく ) に移( うつ ) さしむ。其( その ) 曲殺声( さつせい ) にして、聞人( きくひと ) 泪( なみだ ) を不流云( いふ ) 事( こと ) なし。然共( しかれども ) 平公( へいこう ) 是( これ ) を愛( あい ) して、専( もつぱら ) 楽絃( がくげん ) に用( もちゐ ) 給ひしを、師曠( しくわう ) と云( いひ ) ける伶倫( れいりん ) 、此曲( このきよく ) を聴( きき ) て難( なん ) じて奏( そう ) しけるは、「君是( これ ) を弄( もてあそ ) び玉( たま ) はゞ、天下一( ひと ) たび乱( みだれ ) て、宗廟( そうべう ) 全( まつた ) からじ。如何( いかん ) となれば、古( いにし ) へ殷( いん ) の紂王( ちうわう ) 彼婬声( かのいんせい ) の楽( がく ) を作( なし ) て弄( もてあそ ) び給( たまひ ) しが、無程周( しう ) の武王に被滅給( たまひ ) き。其魂魄( そのこんばく ) 猶( なほ ) 濮水( ぼくすゐ ) の底( そこ ) に留( とどまつ ) て、此( この ) 曲を奏( そう ) するを、君今新楽( しんがく ) に写( うつ ) して、是( これ ) を翫( もてあそ ) び給ふ。鄭声( ていせい ) 雅( が ) を乱( みだ ) る故( ゆゑ ) に一唱( いつしやう ) 三歎( さんたん ) の曲に非( あら ) ず。」と申( まうし ) けるが、果( はた ) して平公( へいこう ) 滅( ほろ ) びにけり。其( その ) 後此楽( このがく ) 猶( なほ ) 止( やま ) ずして、陳( ちん ) の代( よ ) に至る。陳( ちん ) の後主( こうしゆ ) 是( これ ) を弄( もてあそん ) で、隋( ずゐ ) の為に被滅ぬ。隋( ずゐ ) の煬帝( やうたい ) 又是( これ ) を翫( もてあそ ) ぶ事甚( はなはだしく ) して唐( たう ) の太宗( たいそう ) に被滅ぬ。唐の末( すゑ ) の代( よ ) に当( あたつ ) て、我朝( わがてう ) の楽人( がくじん ) 掃部頭( かもんのかみ ) 貞敏( さだとし ) 、遣唐使( けんたうし ) にて渡( わたり ) たりしが、大唐( だいたう ) の琵琶( びは ) の博士( はかせ ) 廉承夫( れんせふふ ) に逢( あう ) て、此( この ) 曲を我朝( わがてう ) に伝来( でんらい ) せり。然( しかれ ) ども此( この ) 曲に不吉の声( ね ) 有( あり ) とて、一手( ひとて ) を略( りやく ) せる所あり。然( しかる ) を其夜( そのよ ) の御法楽( ほふらく ) に、宗( むね ) と此( この ) 手を引( ひき ) 給ひしに、然( しか ) も殊( こと ) に殺発( さつばつ ) の声( ね ) の聞( きこ ) へつるこそ、浅増( あさまし ) く覚( おぼ ) へ侍( はんべ ) りけれ、八音( はちいんと ) 与政通( つう ) ずといへり。大納言殿( だいなごんどの ) の御身( おんみ ) に当( あたつ ) て、いかなる煩( わづらひ ) か出来( いでく ) らん。」と、孝重( たかしげ ) 歎( なげき ) て申( まうし ) けるが、無幾程して、大納言殿( だいなごんどの ) 此死刑( このしけい ) に逢( あひ ) 給ふ。不思議( ふしぎ ) 也( なり ) ける前相( ぜんさう ) 也( なり ) 。
○中前代( なかせんだい ) 蜂起( ほうきの ) 事( こと ) 今天下一統( いつとう ) に帰( き ) して、寰中( くわんちゆう ) 雖無事、朝敵の余党( よたう ) 猶( なほ ) 東国に在( あり ) ぬべければ、鎌倉( かまくら ) に探題( たんだい ) を一人をかでは悪( あし ) かりぬべしとて、当今( たうぎん ) 第八の宮( みや ) を、征夷将軍になし奉( たてまつ ) て、鎌倉( かまくら ) にぞ置進( おきまゐら ) せられける。足利( あしかが ) 左馬頭( さまのかみ ) 直義( ただよし ) 其執権( そのしつけん ) として、東国の成敗( せいばい ) を司( つかさど ) れども、法令( はふれい ) 皆( みな ) 旧( ふるき ) を不改。斯( かか ) る処に、西園寺( さいをんじの ) 大納言( だいなごん ) 公宗( きんむね ) 卿( きやう ) 隠謀( いんぼう ) 露顕( ろけん ) して被誅給( たまひ ) し時、京都にて旗( はた ) を挙( あげ ) んと企( くはたて ) つる平家の余類共( よるゐども ) 、皆( みな ) 東国・北国に逃下( にげくだつ ) て、猶其素懐( そのそくわい ) を達せん事を謀る。名越( なごや ) 太郎時兼( ときかぬ ) には、野尻( のじり ) ・井口( ゐのくち ) ・長沢・倉満( くらみつ ) の者共( ものども ) 、馳著( はせつき ) ける間、越中・能登・加賀の勢共( せいども ) 、多く与力( よりき ) して、無程六千( ろくせん ) 余騎( よき ) に成( なり ) にけり。相摸( さがみ ) 次郎時行( ときゆき ) には、諏訪( すは ) 三河( みかはの ) 守( かみ ) ・三浦( みうらの ) 介入道・同若狭( わかさの ) 五郎・葦名( あしな ) 判官( はうぐわん ) 入道・那和( なわ ) 左近( さこんの ) 大夫( たいふ ) ・清久( きよくの ) 山城( やましろの ) 守( かみ ) ・塩谷( しほのや ) 民部( みんぶの ) 大夫( たいふ ) ・工藤( くどう ) 四郎左衛門( しらうざゑもん ) 已下( いげ ) 宗( むね ) との大名五十( ごじふ ) 余人( よにん ) 与( くみ ) してげれば、伊豆・駿河( するが ) ・武蔵・相摸・甲斐・信濃の勢共( せいども ) 不相付云( いふ ) 事( こと ) なし。時行( ときゆき ) 其( その ) 勢( せい ) を率( そつ ) して、五万( ごまん ) 余騎( よき ) 、俄に信濃( しなのの ) 国( くに ) に打越( こえ ) て、時日( ときひ ) を不替則( すなはち ) 鎌倉( かまくら ) へ責上( せめのぼ ) りける。渋河( しぶかは ) 刑部( ぎやうぶの ) 大夫( たいふ ) ・小山( をやま ) 判官( はうぐわん ) 秀朝( ひでとも ) 武蔵( むさしの ) 国( くに ) に出合( いであ ) ひ、是( これ ) を支( ささへ ) んとしけるが、共に、戦( たたかひ ) 利( り ) 無( なう ) して、両人所々( しよしよ ) にて自害( じがい ) しければ、其郎従( そのらうじゆう ) 三百( さんびやく ) 余人( よにん ) 、皆両所にて被討にけり。又新田( につた ) 四郎上野( こうづけの ) 国( くに ) 利根川( とねがは ) に支( ささへ ) て、是( これ ) を防( ふせ ) がんとしけるも、敵( てき ) 目( め ) に余( あま ) る程の大勢なれば、一戦( いつせん ) に勢力を被砕、二百( にひやく ) 余人( よにん ) 被討にけり。懸( かか ) りし後は、時行( ときゆき ) 弥( いよいよ ) 大勢に成( なつ ) て、既( すで ) に三方( さんぱう ) より鎌倉( かまくら ) へ押寄( おしよす ) ると告( つげ ) ければ、直義( ただよし ) 朝臣は事の急( きふ ) なる時節( をりふし ) 、用意( ようい ) の兵( つはもの ) 少( すくな ) かりければ、角( かく ) ては中々( なかなか ) 敵に利( り ) を付( つけ ) つべしとて、将軍の宮( みや ) を具足( ぐそく ) し奉( たてまつ ) て、七月十六日の暁( あかつき ) に、鎌倉( かまくら ) を落給( おちたまひ ) けり。
○兵部卿宮( ひやうぶきやうのみや ) 薨御( こうぎよの ) 事( こと ) 付( つけたり ) 干将莫耶( かんしやうばくやが ) 事( こと ) 左馬頭( さまのかみ ) 既( すで ) に山の内を打過給( すぎたまひ ) ける時、淵辺( ふちべ ) 伊賀( いがの ) 守( かみ ) を近付( ちかづけ ) て宣( のたまひ ) けるは、「御方( みかた ) 依無勢、一旦( いつたん ) 鎌倉( かまくら ) を雖引退、美濃・尾張( をはり ) ・三河・遠江( とほたふみ ) の勢を催( もよほ ) して、頓( やが ) て又鎌倉( かまくら ) へ寄( よせ ) んずれば、相摸次郎時行( ときゆき ) を滅( ほろぼ ) さん事は、不可回踵。猶も只当家( たうけ ) の為に、始終( しじゆう ) 可被成讎は、兵部卿( ひやうぶきやう ) 親王( しんわう ) 也( なり ) 。此御事( このおこと ) 死刑( しけい ) に行( おこな ) ひ奉れと云( いふ ) 勅許( ちよくきよ ) はなけれ共( ども ) 、此次( このついで ) に只失( うしなひ ) 奉らばやと思ふ也( なり ) 。御辺( ごへん ) は急( いそぎ ) 薬師堂( やくしだう ) の谷( やつ ) へ馳帰( はせかへつ ) て、宮( みや ) を刺殺( さしころ ) し進( まゐ ) らせよ。」と被下知ければ、淵辺( ふちべ ) 畏( かしこまつ ) て、「承( うけたまはり ) 候。」とて、山の内( うち ) より主従( しゆじゆう ) 七騎引返( ひきかへ ) して宮の坐( ましまし ) ける篭( ろう ) の御所( ごしよ ) へ参( まゐり ) たれば、宮はいつとなく闇( やみ ) の夜( よ ) の如( ごとく ) なる土篭( つちろう ) の中に、朝( あした ) に成( なり ) ぬるをも知( しら ) せ給はず、猶( なほ ) 灯( ともしび ) を挑( かかげ ) て御経あそばして御坐( ござ ) 有( あり ) けるが、淵辺( ふちべ ) が御迎( むかひ ) に参( まゐり ) て候由を申( まうし ) て、御輿( おんこし ) を庭に舁居( かきす ) へたりけるを御覧( ごらん ) じて、「汝( なんぢ ) は我を失( うしなは ) んとの使にてぞ有( ある ) らん。心得たり。」と被仰て、淵辺が太刀を奪はんと、走り懸( かか ) らせ給( たまひ ) けるを、淵辺持( もち ) たる太刀を取直( とりなほ ) し、御膝( おんひざ ) の辺( あたり ) をしたゝかに奉打。宮は半年許( ばかり ) 篭( ろう ) の中に居屈( ゐかがま ) らせ給( たまひ ) たりければ、御足( あし ) も快( こころよく ) 立( たた ) ざりけるにや、御心( おんこころ ) は八十梟( やたけ ) に思召( おぼしめし ) けれ共( ども ) 、覆( うつぶし ) に被打倒、起挙( おきあが ) らんとし給ひける処を、淵辺( ふちべ ) 御胸の上に乗( のり ) 懸り、腰の刀を抜( ぬい ) て御頚( おんくび ) を掻( かか ) んとしければ、宮御頚( おんくび ) を縮( ちぢめ ) て、刀のさきをしかと呀( くはへ ) させ給ふ。淵辺( ふちべ ) したゝかなる者なりければ、刀を奪はれ進( まゐ ) らせじと、引合ひける間、刀の鋒( きつさき ) 一寸余( あま ) り折( をれ ) て失( うせ ) にけり。淵辺其( その ) 刀を投捨( なげすて ) 、脇差( わきざし ) の刀を抜( ぬい ) て、先( まず ) 御心( おんむな ) もとの辺( へん ) を二刀( ふたかたな ) 刺( さ ) す。被刺て宮少し弱( よわ ) らせ給ふ体( てい ) に見へける処を、御髪を掴( つかん ) で引挙( あ ) げ、則( すなはち ) 御頚( おんくび ) を掻( かき ) 落す。篭( ろう ) の前に走出( はしりいで ) て、明( あか ) き所にて御頚( おんくび ) を奉見、噬切( くひき ) らせ給ひたりつる刀の鋒( きつさき ) 、未だ御口の中に留( とどまつ ) て、御眼( まなこ ) 猶( なほ ) 生( いき ) たる人の如し。淵辺是( これ ) を見て、「さる事あり。加様( かやう ) の頚をば、主には見せぬ事ぞ。」とて、側( かたはら ) なる薮( やぶ ) の中へ投捨( なげすて ) てぞ帰りける。去( さる ) 程( ほど ) に御かいしやくの為( ために ) 、御前( おんまへ ) に候( さふら ) はれける南( みなみ ) の御方( おかた ) 、此( この ) 有様を見奉( たてまつ ) て、余( あまり ) の恐( おそろ ) しさと悲しさに、御身( おんみ ) もすくみ、手足もたゝで坐( ましま ) しけるが、暫( しばらく ) 肝( きも ) を静( しづ ) めて、人心付( つき ) ければ、薮( やぶ ) に捨( すて ) たる御頚( おんくび ) を取挙( とりあげ ) たるに、御膚( おんはだ ) へも猶( なほ ) 不冷、御目も塞( ふさが ) せ給はず、只元( もと ) の気色( きしよく ) に見へさせ給へば、こは若( もし ) 夢にてや有( あ ) らん、夢ならばさむるうつゝのあれかしと泣悲( なきかなし ) み給ひけり。遥( はるか ) に有( あつ ) て理致光院( りちくわうゐん ) の長老、「斯( かか ) る御事( おんこと ) と承及( うけたまはりおよび ) 候。」とて葬礼( さうれい ) の御事( おんこと ) 取営( とりいとな ) み給へり。南( みなみ ) の御方( おんかた ) は、軈( やが ) て御髪被落ろて泣々( なくなく ) 京( きやう ) へ上( のぼ ) り給ひけり。抑( そもそも ) 淵辺が宮( みや ) の御頚( おんくび ) を取( とり ) ながら左馬頭( さまのかみ ) 殿( どの ) に見せ奉らで、薮( やぶ ) の傍( かたはら ) に捨( すて ) ける事聊( いささか ) 思へる所あり。昔周( しう ) の末( すゑ ) の代( よ ) に、楚王( そわう ) と云( いひ ) ける王、武( ぶ ) を以て天下を取らん為に、戦( たたかひ ) を習はし剣( けん ) を好む事年久し。或( ある ) 時楚王の夫人( ふじん ) 、鉄( くろがね ) の柱に倚傍( よりそひ ) てすゞみ給( たまひ ) けるが、心地( ここち ) 只ならず覚( おぼえ ) て忽( たちまちに ) 懐姙( くわいにん ) し玉( たまひ ) けり。十月( とつき ) を過( すぎ ) て後、生産( うぶや ) の席( せき ) に苦( くるしん ) で一( ひとつ ) の鉄丸( てつぐわん ) を産( うみ ) 給ふ。楚王是( これ ) を怪しとし玉( たま ) はず、「如何様( いかさま ) 是( これ ) 金鉄の精霊( せいれい ) なるべし。」とて、干将( かんしやう ) と云( いひ ) ける鍛冶( かじ ) を被召、此鉄( このくろがね ) にて宝剣( はうけん ) を作( つくつ ) て進( まゐら ) すべき由を被仰。干将此鉄( このくろがね ) を賜( たまはつ ) て、其妻( そのつま ) の莫耶( ばくや ) と共に呉山( ござん ) の中に行( ゆき ) て、竜泉( りゆうせん ) の水に淬( にぶらし ) て、三年が内に雌雄( しゆう ) の二剣( にけん ) を打出( うちいだ ) せり。剣成( なつ ) て未奏前( さき ) に、莫耶( ばくや ) 、干将( かんしやう ) に向( むかつ ) て云( いひ ) けるは、「此二( このふたつ ) の剣( けん ) 精霊( せいれい ) 暗( あん ) に通じて坐( ゐ ) ながら怨敵( をんでき ) を可滅剣也( なり ) 。我( われ ) 今懐姙( くわいにん ) せり。産子( うむこ ) は必( かならず ) 猛( たけ ) く勇( いさ ) める男なるべし。然れば一( ひとつ ) の剣をば楚王に献( たてまつ ) るとも今一( ひとつ ) の剣をば隠( かく ) して我子( わがこ ) に可与玉。」云( いひ ) ければ、干将( かんしやう ) 、莫耶( ばくや ) が申( まうす ) に付( つい ) て、其雄剣( そのゆうけん ) 一( ひとつ ) を楚王に献( けん ) じて、一( ひとつ ) の雌剣( しけん ) をば、未だ胎内( たいない ) にある子の為に深く隠( かく ) してぞ置( おき ) ける。楚王雄剣( ゆうけん ) を開( ひらい ) て見給ふに、誠( まこと ) に精霊( せいれい ) 有( あり ) と見へければ、箱の中に収( をさめ ) て被置たるに、此剣( このけん ) 箱の中にして常に悲泣( ひきふ ) の声あり。楚王怪( あやしみ ) て群臣( ぐんしん ) に其泣( そのなく ) 故( ゆゑ ) を問( とひ ) 給ふに、臣皆申( まう ) さく、「此剣( このけん ) 必( かならず ) 雄( ゆう ) と雌( し ) と二( ふた ) つ可有。其( その ) 雌雄一所( いつしよ ) に不在間、是( これ ) を悲( かなしん ) で泣( なく ) 者也( なり ) 。」とぞ奏( そう ) しける。楚王大( おほき ) に忿( いかつ ) て、則( すなはち ) 干将を被召出、典獄( てんごく ) の官に仰( おほせ ) て首( くび ) を被刎けり。其後( そののち ) 莫耶( ばくや ) 子を生( うめ ) り。面貌( めんばう ) 尋常( よのつね ) の人に替( かはつ ) て長( たけ ) の高( たかき ) 事( こと ) 一丈( いちぢやう ) 五尺( ごしやく ) 、力は五百人( ごひやくにん ) が力を合( あは ) せたり。面( おもて ) 三尺( さんじやく ) 有( あつ ) て眉間( みけん ) 一尺( いつしやく ) 有( あり ) ければ、世の人其( その ) 名を眉間尺( みけんじやく ) とぞ名付( なづけ ) ける。年十五に成( なり ) ける時、父が書置( かきおき ) ける詞( ことば ) を見るに、日出北戸( ほつこにいづ ) 。南山其松。松生於石。剣在其中。と書( かけ ) り。さては此剣( このけん ) 北戸( ほつこ ) の柱の中に在( あり ) と心得て、柱を破( はつ ) て見るに、果( はた ) して一( ひとつ ) の雌剣( しけん ) あり。眉間尺( みけんじやく ) 是( これ ) を得て、哀( あはれ ) 楚王を奉討父の仇( あた ) を報ぜばやと思ふ事骨髄( こつずゐ ) に徹( とほ ) れり。楚王も眉間尺( みけんじやく ) が憤( いきどほり ) を聞給( ききたまひ ) て、彼( か ) れ世にあらん程は、不心安被思ければ、数万( すまん ) の官軍( くわんぐん ) を差遣( さしつかは ) して、是( これ ) を被責けるに、眉間尺( みけんじやく ) 一人が勇力( ゆうりき ) に被摧、又其雌剣( そのしけん ) の刃( やいば ) に触れて、死傷する者幾千万( いくせんまん ) と云数( いふかず ) を不知( しらず ) 。斯( かか ) る処に、父干将( かんしやう ) が古( いにし ) への知音( ちいん ) なりける甑山人( そうさんじん ) 来( きたつ ) て、眉間尺( みけんじやく ) に向( むかつ ) て云( いひ ) けるは、「我( わ ) れ汝( なんぢ ) が父干将と交( まじは ) りを結ぶ事年久( ひさし ) かりき。然れば、其朋友( そのほういう ) の恩を謝( しや ) せん為、汝と共に楚王を可奉討事を可謀。汝若( もし ) 父の仇( あた ) を報ぜんとならば、持所( もつところ ) の剣( けん ) の鋒( きつさき ) を三寸( さんずん ) 嚼切( くひきつ ) て口の中に含( ふくん ) で可死。我( われ ) 汝が頭( くび ) を取( とつ ) て楚王に献( けん ) ぜば、楚王悦( よろこん ) で必( かならず ) 汝が頭( くび ) を見給はん時、口に含( ふく ) める剣( けん ) のさきを楚王に吹懸( ふきかけ ) て、共( ともに ) 可死。」と云( いひ ) ければ、眉間尺( みけんじやく ) 大( おほき ) に悦( よろこん ) で、則( すなはち ) 雌剣( しけん ) の鋒( きつさき ) 三寸( さんずん ) 喫切( くひきつ ) て、口の内に含( ふく ) み、自( みづから ) 己( おのれ ) が頭( くび ) をかき切( きつ ) て、客( かく ) の前にぞ指置( さしおき ) ける。客( かく ) 眉間尺( みけんじやく ) が首( くび ) を取( とつ ) て、則( すなはち ) 楚王に献( たてまつ ) る。楚王大( おほき ) に喜( よろこび ) て是( これ ) を獄門( ごくもん ) に被懸たるに、三月まで其頭( そのくび ) 不爛( ただれず ) 、■( みはり ) 目を、切歯を、常に歯喫( はがみ ) をしける間、楚王是( これ ) を恐( おそれ ) て敢( あへ ) て不近給。是( これ ) を鼎( かなへ ) の中( なか ) に入れ、七日七夜までぞ被煮( にられ ) ける。余( あまり ) につよく被煮( にられ ) て、此頭( このくび ) 少し爛( ただれ ) て目を塞( ふさ ) ぎたりけるを、今は子細( しさい ) 非( あら ) じとて、楚王自( みづから ) 鼎( かなへ ) の蓋( ふた ) を開( あけさ ) せて、是( これ ) を見給( たまひ ) ける時、此頭( このくび ) 、口に含( ふくん ) だる剣( けん ) の鋒( きつさき ) を楚王にはつと奉吹懸。剣( けん ) の鋒( きつさき ) 不誤、楚王の頚の骨( ほね ) を切( きり ) ければ、楚王の頭( くび ) 忽( たちまち ) に落( おち ) て、鼎( かなへ ) の中へ入( いり ) にけり。楚王の頭( くび ) と眉間尺( みけんじやく ) が首( くび ) と、煎揚( にえあが ) る湯の中( なか ) にして、上( うへ ) になり下( した ) に成り、喫相( くひあひ ) けるが、動( ややもすれ ) ば眉間尺( みけんじやく ) が頭( くび ) は下に成( なつ ) て、喫負( くひまけ ) ぬべく見へける間、客( かく ) 自( みづから ) 己( おのれ ) が首( くび ) を掻落( かきおとし ) て鼎の中( なか ) へ投入( なげいれ ) 、則( すなはち ) 眉間尺( みけんじやく ) が頭( くび ) と相共( あいとも ) に、楚王の頭( くび ) を喫破( くひやぶつ ) て、眉間尺( みけんじやく ) が頭( くび ) は、「死して後( のち ) 父の怨( あた ) を報じぬ。」と呼( よばは ) り、客( かく ) の頭( くび ) は、「泉下( せんか ) に朋友( ほういう ) の恩を謝( しや ) しぬ。」と悦ぶ声して、共に皆煮爛( にえただ ) れて失( うせ ) にけり。此( この ) 口の中に含( ふくん ) だりし三寸( さんずん ) の剣( けん ) 、燕( えん ) の国に留( とどまつ ) て太子丹( たいしたん ) が剣( けん ) となる。太子丹( たいしたん ) 、荊軻( けいか ) ・秦舞陽( しんぶやう ) をして秦始皇( しんのしくわう ) を伐( うた ) んとせし時、自( みづから ) 差図( さしづ ) の箱の中( なか ) より飛出( とびいで ) て、始皇帝( しくわうてい ) を追( おひ ) 奉りしが、薬の袋を被投懸ながら、口( くち ) 六尺の銅( あかがね ) の柱の半( なか ) ばを切( きつ ) て、遂( つひ ) に三( みつつ ) に折( をれ ) て失( うせ ) たりし匕首( ひしゆ ) の剣( けん ) 是( これ ) 也( なり ) 。其雌雄( そのしゆう ) 二( ふたつ ) の剣( けん ) は干将莫耶( かんしやうばくや ) の剣( けん ) と被云て、代々( だいだい ) の天子の宝( たから ) たりしが、陳代( ちんのよ ) に至( いたつ ) て俄に失( うせ ) にけり。或( ある ) 時天に一( ひとつ ) の悪星( あくせい ) 出( いで ) て天下の妖( えう ) を示す事あり。張華( ちやうくわ ) ・雷煥( らいくわん ) と云( いひ ) ける二人( ににん ) の臣( しん ) 、楼台( ろうだい ) に上( のぼつ ) て此( この ) 星を見るに、旧獄門( ふるきごくもん ) の辺( へん ) より剣( けん ) の光( ひかり ) 天に上( のぼつ ) て悪星( あくせい ) と闘( たたか ) ふ気あり。張華怪( あやし ) しで光の指( さ ) す所を掘( ほら ) せて見るに、件( くだん ) の干将莫耶( かんしやうばくや ) の剣土( つち ) 五尺( ごしやく ) が下( した ) に埋( うづも ) れてぞ残りける。張華・雷煥是( これ ) を取( とつ ) て天子に献( たてまつ ) らん為に、自( みづから ) 是( これ ) を帯( たい ) し、延平津( えんへいしん ) と云( いふ ) 沢( さわ ) の辺( へん ) を通( とほり ) ける時、剣( けん ) 自( みづから ) 抜( ぬけ ) て水の中( なか ) に入( いり ) けるが、雌雄( しゆう ) 二( ふたつ ) の竜( りゆう ) と成( なつ ) て遥( はるか ) の浪( なみ ) にぞ沈みける。淵辺( ふちべ ) 加様( かやう ) の前蹤( ぜんしよう ) を思( おもひ ) ければ、兵部卿( ひやうぶきやう ) 親王( しんわう ) の刀の鋒( きつさき ) を喫切( くひき ) らせ給( たまひ ) て、御口の中に被含たりけるを見て、左馬( さまの ) 頭に近付( ちかづけ ) 奉らじと、其( その ) 御頚( おんくび ) をば薮( やぶ ) の傍( かたはら ) に棄( すて ) けるとなり。
○足利殿( あしかがどの ) 東国下向( とうごくげかうの ) 事( こと ) 付( つけたり ) 時行( ときゆき ) 滅亡( めつばうの ) 事( こと ) 直義( ただよし ) 朝臣は鎌倉( かまくら ) を落( おち ) て被上洛( しやうらく ) けるが、其路次( そのろし ) に於て、駿河( するがの ) 国( くに ) 入江庄( いりえのしやう ) は、海道第一( だいいち ) の難所( なんしよ ) 也( なり ) 。相摸次郎が与力( よりき ) の者共( ものども ) 、若( もし ) 道をや塞( ふさが ) んずらんと、士卒( じそつ ) 皆是( これを ) 危( あやふく ) 思へり。依之( これによつて ) 其所( そのところ ) の地頭( ぢとう ) 入江( いりえ ) 左衛門( さゑもんの ) 尉( じよう ) 春倫( はるとも ) が許( もと ) へ使を被遣て、可憑由を被仰たりければ、春倫( はるとも ) が一族共( いちぞくども ) 、関東( くわんとう ) 再興( さいこう ) の時到りぬと、料簡( れうけん ) しける者共( ものども ) は、左馬( さまの ) 頭を奉打、相摸次郎殿( さがみじらうどの ) に馳参( はせまゐ ) らんと云( いひ ) けるを、春倫( はるとも ) つく/゛\思案( しあん ) して、「天下の落居( らくきよ ) は、愚蒙( ぐもう ) の我等( われら ) が可知処に非( あら ) ず。只義の向ふ所を思ふに、入江庄( いりえのしやう ) と云( いふ ) は、本( もと ) 徳宗領( とくそうりやう ) にて有( あり ) しを、朝恩( てうおん ) に下( くだ ) し賜( たまは ) り、此( この ) 二三年が間、一家を顧( かへりみ ) る事日来( ひごろ ) に勝( まさ ) れり。是( これ ) 天恩の上( うへ ) に猶( なお ) 義を重ねたり。此( この ) 時争( いかで ) か傾敗( けいはい ) の弊( つひえ ) に乗( のつ ) て、不義の振舞( ふるまひ ) を致さん。」とて、春倫( はるとも ) 則( すなはち ) 御迎( むかひ ) に参じければ、直義( ただよし ) 朝臣不斜( なのめならず ) 喜( よろこび ) て、頓( やが ) て彼等( かれら ) を召具( めしぐ ) し、矢矯( やはぎ ) の宿( しゆく ) に陣( ぢん ) を取( とつ ) て、是( これ ) に暫( しばらく ) 汗馬( かんば ) の足を休( やす ) め、京都へ早馬( はやむま ) をぞ被立ける。依之( これによつて ) 諸卿議奏( ぎそう ) 有( あつ ) て、急( いそぎ ) 足利( あしかが ) 宰相高氏( たかうぢ ) 卿( きやう ) を討手( うつて ) に可被下に定( さだま ) りけり。則( すなはち ) 勅使( ちよくし ) を以て、此( この ) 由を被仰下ければ、相公( しやうこう ) 勅使( ちよくし ) に対して被申けるは、「去( さん ) ぬる元弘の乱の始( はじめ ) 、高氏御方( みかた ) に参ぜしに依( よつ ) て、天下の士卒( じそつ ) 皆( みな ) 官軍( くわんぐん ) に属( しよく ) して、勝( かつ ) 事( こと ) を一時に決候( けつしさふらひ ) き。然( しかれ ) ば今一統( いつとう ) の御代( みよ ) 、偏( ひとへ ) に高氏が武功( ぶこう ) と可云。抑( そもそも ) 征夷将軍の任( にん ) は、代々( だいだい ) 源平の輩( ともがら ) 功( こう ) に依( よつ ) て、其位( そのくらゐ ) に居( きよ ) する例不可勝計。此( この ) 一事( いちじ ) 殊( こと ) に為朝為家、望み深き所也( なり ) 。次には乱( らん ) を鎮( しづ ) め治( ち ) を致す以謀、士卒( じそつ ) 有功時節( をりふし ) に、賞を行( おこなふ ) にしくはなし。若( もし ) 註進( ちゆうしん ) を経( へ ) て、軍勢( ぐんぜい ) の忠否( ちゆうび ) を奏聞( そうもん ) せば、挙達( ぎよたつ ) 道遠( とおく ) して、忠戦( ちゆうせん ) の輩( ともがら ) 勇( いさみ ) を不可成。然れば暫( しばらく ) 東( とう ) 八箇国( はちかこく ) の官領( くわんれい ) を被許、直( ぢき ) に軍勢( ぐんぜい ) の恩賞を執行( とりおこな ) ふ様( やう ) に、勅裁( ちよくさい ) を被成下、夜( よ ) を日に継( つい ) で罷下( まかりくだつ ) て、朝敵( てうてき ) を退治( たいぢ ) 仕るべきにて候。若( もし ) 此( この ) 両条勅許( ちよくきよ ) を蒙( かうむら ) ずんば、関東( くわんとう ) 征罰( せいばつ ) の事( こと ) 、可被仰付他人候。」とぞ被申ける。此( この ) 両条は天下治乱( ちらん ) の端( はし ) なれば、君も能々( よくよく ) 御思案( ごしあん ) あるべかりけるを、申請( まうしうく ) る旨( むね ) に任( まかせ ) て、無左右勅許( ちよくきよ ) 有( あり ) けるこそ、始終( しじゆう ) 如何( いかが ) とは覚( おぼ ) へけれ。但( ただし ) 征夷将軍の事は関東( くわんとう ) 静謐( せいひつ ) の忠( ちゆう ) に可依。東( とう ) 八箇国( はちかこく ) の官領( くわんれい ) の事は先( まづ ) 不可有子細とて、則( すなはち ) 綸旨( りんし ) を被成下ける。是( これ ) のみならず、忝( かたじけなく ) も天子の御諱( おんいみな ) の字( じ ) を被下て、高氏( たかうぢ ) と名のられける高の字を改めて、尊( そん ) の字にぞ被成ける。尊氏( たかうぢ ) 卿( きやう ) 東( とう ) 八箇国( はちかこく ) を官領( くわんれい ) の所望( しよまう ) 、輒( たやす ) く道行( ゆき ) て、征夷将軍の事は今度の忠節( ちゆうせつ ) に可依と勅約( ちよくやく ) 有( あり ) ければ、時日( ときひ ) を不回関東( くわんとう ) へ被下向けり。吉良( きら ) 兵衛( ひやうゑの ) 佐( すけ ) を先立( さきだて ) て、我( わが ) 身は五日引( ひき ) さがりて進発( しんばつ ) し給( たまひ ) けり。都( みやこ ) を被立ける日は其( その ) 勢( せい ) 僅( わづか ) に五百( ごひやく ) 余騎( よき ) 有( あり ) しか共( ども ) 、近江( あふみ ) ・美濃・尾張( をはり ) ・三河・遠江( とほたふみ ) の勢馳加( はせくははつ ) て、駿河( するがの ) 国( くに ) に著給( つきたまひ ) ける時は三万( さんまん ) 余騎( よき ) に成( なり ) にけり。左馬( さまの ) 頭( かみ ) 直義( ただよし ) 、尊氏( たかうぢ ) 卿( きやう ) の勢を合( あはせ ) て五万( ごまん ) 余騎( よき ) 、矢矯( やはぎ ) の宿( しゆく ) より取( とつ ) て返して又鎌倉( かまくら ) へ発向( はつかう ) す。相摸次郎時行( ときゆき ) 是( これ ) を聞( きい ) て、「源氏は若干( そくばく ) の大勢と聞( きこ ) ゆれば、待軍( まちいくさ ) して敵に気を呑( のま ) れては不叶。先( さきん ) ずる時は人を制( せい ) するに利( り ) 有( あり ) 。」とて、我( わが ) 身は鎌倉( かまくら ) に在( あり ) ながら、名越式部( なごやしきぶの ) 大輔( たいふ ) を大将として、東海・東山( とうせん ) 両道を押( おし ) て責上( せめのぼ ) る。其( その ) 勢( せい ) 三万( さんまん ) 余騎( よき ) 、八月三日鎌倉( かまくら ) を立( たた ) んとしける夜( よ ) 、俄( にはか ) に大風吹( ふい ) て、家々を吹破( ふきやぶり ) ける間、天災( てんさい ) を遁( のが ) れんとて大仏殿( だいぶつでん ) の中へ逃( にげ ) 入り、各( おのおの ) 身を縮( ちぢめ ) て居( ゐ ) たりけるに、大仏殿( だいぶつでん ) の棟梁( とうりやう ) 、微塵( みぢん ) に折( を ) れて倒( たふ ) れける間、其( その ) 内にあつまり居( ゐ ) たる軍兵共五百( ごひやく ) 余人( よにん ) 、一人も不残圧( おし ) にうてゝ死( し ) にけり。戦場( せんぢやう ) に趣( おもむ ) く門出( かどで ) にかゝる天災に逢ふ。此軍( このいくさ ) はか/゛\しからじと、さゝやきけれ共( ども ) 、さて有( ある ) べき事ならねば、重( かさね ) て日を取り、名越式部( しきぶの ) 大輔( たいふ ) 鎌倉( かまくら ) を立( たつ ) て、夜( よ ) を日( ひ ) に継( つい ) で路( みち ) を急( いそぎ ) ける間、八月七日前陣( ぜんぢん ) 已( すで ) に遠江( とほたふみ ) 佐夜( さよ ) の中山( なかやま ) を越( こえ ) けり。足利相公( あしかがのしやうこう ) 此由( このよし ) を聞給( ききたまひ ) て、「六韜( りくたう ) の十四変に、敵経長途来急可撃と云へり。是( これ ) 太公( たいこう ) 武王に教( をしふ ) る所の兵法也( なり ) 。」とて、同( おなじき ) 八日の卯刻( うのこく ) に平家の陣へ押寄( おしよせ ) て、終日( ひねもす ) 闘( たたかひ ) くらされけり。平家も此( ここ ) を前途( せんど ) と心を一( ひとつ ) にして相当( あひあた ) る事三十( さんじふ ) 余箇度( よかど ) 、入替々々( いれかへいれかへ ) 戦ひけるが、野心( やしん ) の兵( つわもの ) 後( うしろ ) に在( あつ ) て、跡( あと ) より引( ひき ) けるに力を失( うしなつ ) て、橋本( はしもと ) の陣を引退( ひきしりぞ ) き、佐夜( さよ ) の中山( なかやま ) にて支( ささ ) へたり。源氏の真前( まつさき ) には、仁木( につき ) ・細河( ほそかわ ) の人々、命を義に軽( かろん ) じて進みたり。平家の後陣には、諏方( すは ) の祝部( はふり ) 身を恩に報じて、防( ふせぎ ) 戦ひけり。両陣牙( たがひ ) に勇気を励( はげま ) して、終日( ひねもす ) 相戦( あひたたかひ ) けるが、平家此( ここ ) をも被破( やぶられ ) て、箱根( はこね ) の水飲( みづのみ ) の峠( たうげ ) へ引退( ひきしりぞ ) く。此( この ) 山は海道第一( だいいち ) の難所( なんしよ ) なれば、源氏無左右懸( かか ) り得じと思( おもひ ) ける処に、赤松( あかまつ ) 筑前( ちくぜんの ) 守( かみ ) 貞範( さだのり ) 、さしも嶮( けはし ) き山路( やまぢ ) を、短兵( たんへい ) 直( ただち ) に進んで、敵( てき ) の中へ懸入( かけいつ ) て、前後( ぜんご ) に当り、左右に激( げき ) しける勇力に被払て、平家又此( この ) 山をも支( ささ ) へず、大崩( おほくづれ ) まで引退( ひきしりぞ ) く。清久( きよく ) 山城( やましろの ) 守( かみ ) 返( かへ ) し合( あは ) せて、一足( ひとあし ) も不引闘( たたかひ ) けるが、源氏の兵に被組て、腹( はら ) 切る間もや無( なか ) りけん、其( その ) 身は忽( たちまち ) に被虜、郎従( らうじゆう ) は皆被討にけり。路次( ろし ) 数箇度( すかど ) の合戦に打負( うちまけ ) て、平家やたけに思へ共( ども ) 不叶。相摸河を引越( こし ) て、水を阻( へだて ) て支へたり。時節( をりふし ) 秋の急雨( しぐれ ) 一通( ひととほ ) りして、河水岸( きし ) を浸( ひた ) しければ、源氏よも渡( わた ) しては懸( かか ) らじと、平家少し由断( ゆだん ) して、手負( ておひ ) を扶け馬を休めて、敗軍( はいぐん ) の士( し ) を集めんとしける処に、夜に入( いつ ) て、高( かうの ) 越後( ゑちごの ) 守( かみ ) 二千( にせん ) 余騎( よき ) にて上( かみ ) の瀬を渡し、赤松( あかまつ ) 筑前( ちくぜんの ) 守( かみ ) 貞範( さだのり ) は中( なか ) の瀬を渡し、佐々木( ささきの ) 佐渡( さどの ) 判官( はうぐわん ) 入道々誉( だうよ ) と、長井( ながゐ ) 治部( ぢぶの ) 少輔は、下( しも ) の瀬を渡して、平家の陣の後( うし ) ろへ回( まは ) り、東西に分れて、同時に時( とき ) をどつと作る。平家の兵( つはもの ) 、前後( ぜんご ) の敵に被囲て、叶はじとや思( おもひ ) けん、一戦( いつせん ) にも不及、皆鎌倉( かまくら ) を指( さし ) て引( ひき ) けるが、又腰越( こしごえ ) にて返( かへ ) し合( あは ) せて葦名( あしなの ) 判官( はうぐわん ) も被討にけり。始( はじめ ) 遠江( とほたふみ ) の橋本( はしもと ) より、佐夜( さよ ) の中山( なかやま ) ・江尻( えじり ) ・高橋・箱根山・相摸( さがみ ) 河・片瀬( かたせ ) ・腰越( こしごえ ) ・十間坂( じつけざか ) 、此等( これら ) 十七( じふしち ) 箇度( かど ) の戦ひに、平家二万( にまん ) 余騎( よき ) の兵共( つはものども ) 、或( あるひ ) は討( うた ) れ或( あるひ ) は疵( きず ) を蒙( かうむ ) りて、今僅( わづか ) に三百( さんびやく ) 余騎( よき ) に成( なり ) ければ、諏方( すは ) 三河( みかはの ) 守( かみ ) を始( はじめ ) として宗( むね ) との大名四十三人( しじふさんにん ) 、大御堂( おほみだう ) の内に走入( はしりい ) り、同( おなじ ) く皆自害( じがい ) して名を滅亡( めつばう ) の跡( あと ) にぞ留( とど ) めける。其死骸( そのしがい ) を見るに、皆面の皮を剥( はい ) で何( いづ ) れをそれとも見分( みわけ ) ざれば、相摸次郎時行( ときゆき ) も、定( さだめ ) て此( この ) 内にぞ在( ある ) らんと、聞( きく ) 人哀( あは ) れを催( もよほ ) しけり。三浦介( みうらのすけ ) 入道一人は、如何( いかが ) して遁( のが ) れたりけん、尾張( をはりの ) 国( くに ) へ落( おち ) て、舟より挙( あが ) りける所を、熱田( あつた ) の大宮司( だいぐうじ ) 是( これ ) を生捕( いけどつ ) て京都へ上( のぼ ) せければ、則( すなはち ) 六条河原( ろくでうかはら ) にて首を被刎けり。是( これ ) のみならず、平家再興の計略( けいりやく ) 、時や未だ至( いた ) らざりけん、又天命にや違( たが ) ひけん。名越( なごや ) 太郎時兼( ときかぬ ) が、北陸道( ほくろくだう ) を打順( したが ) へて、三万( さんまん ) 余騎( よき ) にて京都へ責上( せめのぼり ) けるも、越前と加賀との堺( さかひ ) 、大聖寺( だいしやうじ ) と云( いふ ) 所にて、敷地( しきぢ ) ・上木( うへき ) ・山岸・瓜生( うりふ ) ・深町( ふかまち ) の者共( ものども ) が僅( わづか ) の勢( せい ) に打負( うちまけ ) て、骨( ほね ) を白刃( はくじん ) の下に砕( くだ ) き、恩を黄泉( くわうせん ) の底( そこ ) に報ぜり。時行( ときゆき ) は已( すで ) に関東( くわんとう ) にして滅( ほろ ) び、時兼( ときかぬ ) は又北国にて被討し後( のち ) は、末々( すゑずゑ ) の平氏共( へいじども ) 、少々( せうせう ) 身を隠( かく ) し貌( かたち ) を替( かへ ) て、此( ここ ) の山( やま ) の奥( おく ) 、彼( かしこ ) の浦の辺にありといへ共( ども ) 、今は平家の立直( たちなほ ) る事難有とや思( おもひ ) けん、其( その ) 昔を忍( しの ) びし人も皆怨敵( をんてき ) の心を改( あらため ) て、足利相公( あしかがのしやうこう ) に属( しよく ) し奉らずと云( いふ ) 者無( なか ) りけり。さてこそ、尊氏( たかうぢ ) 卿( きやう ) の威勢( ゐせい ) 自然( じねん ) に重く成( なつ ) て、武運( ぶうん ) 忽( たちまち ) に開けゝれば、天下又武家の世とは成( なり ) にけり。