太平記 (Taiheiki) — 太平記(国民文庫) 太平記巻第三十三 不明 (Anonymous) 1366-1379 Taiheiki 太平記 Anonymous 不明 Kamakura-Muromachi-Azuchi-Momoyama Period 中世 14th century 14世紀 Fiction フィクション Japanese 日本語 Text 本文 1368 たいへいき Taiheiki 太平記 たいへいき Anonymous 不明 ふめい
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太平記 › 太平記(国民文庫) 太平記巻第三十三 Furigana ふりがな Vertical 縦書き
太平記( 国民文庫 ) 太平記巻第三十三○京軍( きやういくさの ) 事( こと ) 昨日神南( かうない ) の合戦に山名打負( うちまけ ) て、本陣へ引返( ひつかへし ) ぬと聞へしかば、将軍比叡山( ひえいさん ) を打おり下て、三万( さんまん ) 余騎( よき ) の勢を卒( そつ ) し、東山に陣をとる。仁木左京( さきやうの ) 大夫( たいふ ) 頼章( よりあきら ) は、丹後( たんご ) ・丹波の勢三千( さんぜん ) 余騎( よき ) を順( したが ) へて、嵐山( あらしやま ) に取上( とりあが ) る。京より南、淀・鳥羽・赤井・八幡( やはた ) に至るまでは、宮方( みやがた ) の陣となり、東山・西山・山崎・西岡( にしのをか ) は、皆将軍方( しやうぐんがた ) の陣となる。其( その ) 中に有( あり ) とあらゆる神社仏閣は役所( やくしよ ) の掻楯( かいだて ) の為に毀( こぼ ) たる。山林竹木( さんりんちくぼく ) は薪櫓( たきぎやぐら ) の料( れう ) に剪尽( きりつく ) さる。京中( きやうぢゆう ) をば敵横合( よこあひ ) に懸る時、見透( みすか ) す様になせとて、東山より寄( よせ ) て日々夜夜( にちにちやや ) に焼仏ふ。白河をば敵を雨露( あめつゆ ) に侵( をか ) させて、人馬( じんば ) に気を尽( つく ) させよとて、東寺より寄( よせ ) て焼仏ふ。僅( わづか ) に残る竹苑( ちくゑん ) ・枡庭( せうてい ) ・里内裏( さとだいり ) ・三台( さんだい ) ・九棘( きうきよく ) の宿所々々( しゆくしよしゆくしよ ) 、皆門戸( もんこ ) を閉( とぢ ) て人も無( なけ ) れば、野干( やかん ) の栖( すみか ) と成( なり ) はて、荊棘( けいきよく ) 扉( とぼそ ) を掩( おほ ) へり。去程( さるほど ) に二月八日、細川相摸守( さがみのかみ ) 清氏千( せん ) 余騎( よき ) にて、四条大宮( しでうおほみや ) へ押寄せ、北陸道( ほくろくだう ) の敵八百( はつぴやく ) 余騎( よき ) に懸( かけ ) 合て、追( おう ) つ返( かへし ) つ終日( ひねもす ) に戦ひ暮して、左右へ颯( さつ ) と引退( ひきしりぞく ) 処に、紺糸( こんいと ) の鎧( よろひ ) に紫の母衣( ほろ ) 懸( かけ ) て、黒瓦毛( くろかはらけ ) なる馬に厚総( あつぶさ ) 懸( かけ ) て乗たる武者、年の程四十許( ばかり ) に見へたるが、只( ただ ) 一騎( いつき ) 馬を閑々( しづしづ ) と歩( あゆ ) ませ寄( より ) て、「今日の合戦に、進む時は士率( しそつ ) に先立( さきだち ) て進み、引( ひく ) 時( とき ) は士率に殿( おく ) れて引( ひか ) れ候( さうらひ ) つるは、如何様( いかさま ) 細河相摸守( さがみのかみ ) 殿( どの ) にてぞ坐( おは ) すらん。声を聞ても我を誰とは知( しり ) 給はんずれ共( ども ) 、日已( すで ) に夕陽( せきやう ) に成( なり ) ぬれば分明( ふんみやう ) に見分( みわ ) くる人もなくて、あはぬ敵にや逢( あは ) んずらんと存ずる間、事新( あたらし ) く名乗( なのり ) 申( まうす ) 也( なり ) 。是( これ ) は今度北陸道( ほくろくだう ) を打順( うちしたが ) へて罷上( まかりのぼ ) りて候桃井( もものゐ ) 播磨( はりまの ) 守( かみ ) 直常( なほつね ) にて候ぞ。あはれ相摸殿( さがみどの ) に参り会( あう ) て、日来( ひごろ ) 承( うけたまはり ) 及( および ) し力の程をも見奉り、直常が太刀の金( かね ) をも金引( かなびい ) て御覧候へかし。」と、高声( かうしやう ) に名乗( なのり ) 懸( かけ ) て、馬を北頭( きたがし ) らに立( たて ) てぞ控( ひか ) へたる。相摸守( さがみのかみ ) は元来敵に少( すこし ) も言( こと ) ばを懸( かけ ) られて、たまらぬ気の人なりければ、桃井( もものゐ ) と名乗たるを聞て、少( すこし ) も不擬議、是( これ ) も只一騎( いつき ) 馬を引返( ひつかへし ) て歩ませ寄る。あひ近( ぢか ) に成( なり ) ければ、互( たがひ ) にあはれ敵や、天下の勝負只( ただ ) 我と彼( かれ ) とが死生に可有。馬を懸( かけ ) 合( あは ) せ、組( くん ) で勝負をせんと、鎧の綿嚼( わたがみ ) を掴( つか ) んで引著( ひきつけ ) たるに、言( ことば ) には不似桃井( もものゐ ) が力弱く覚へければ、甲( かぶと ) を引切( ひつきつ ) て抛( な ) げ捨て、鞍の前輪( まへわ ) に押当( あて ) て、頚( くび ) 掻切( かききつ ) てぞ差挙( さしあげ ) たる。軈( やが ) て相摸守( さがみのかみ ) の郎従十四五騎( じふしごき ) 来たるに、此( この ) 首と母衣( ほろ ) とを持( もた ) せて将軍の御前( おんまへ ) へ参り、「清氏こそ桃井( もものゐ ) 播磨( はりまの ) 守( かみ ) を討て候へ。」とて軍の様( やう ) を申されければ、蝋燭( らつそく ) を明( あきらか ) に燃( とぼ ) し是( これ ) を見給ふに、年の程はさもやと覚へ乍( なが ) らさすがそれとは不見へ、田舎に住( すみ ) て早( は ) や多年になりぬれば面替( おもがは ) りしけるにやと不審( ふしん ) にて、昨日降人( かうにん ) に出たりける八田( やだ ) 左衛門大郎と云( いひ ) ける者を被召( めされ ) 、「是( これ ) をば誰( た ) が頚( くび ) とか見知( みしり ) たる。」と問( とは ) れければ、八田此( この ) 頚を一目見て、涙をはら/\と流し、「是( これ ) は越中( ゑつちゆうの ) 国( くに ) の住人( ぢゆうにん ) に二宮( にのみや ) 兵庫( ひやうごの ) 助( すけ ) と申( まうす ) 者の頚にて候。去月( きよぐわつ ) に越前の敦賀( つるが ) に著( つき ) て候( さふらひ ) し此時、二宮、気比( けひ ) の大明神( だいみやうじん ) の御前( おんまへ ) にて、今度京都の合戦に、仁木・細川の人々と見る程ならば、我( われ ) 桃井( もものゐ ) と名乗て組( くん ) で勝負を仕( つかまつ ) るべし。是( これ ) 若( もし ) 偽( いつはり ) 申さば、今生( こんじやう ) にては永く弓矢の名を失ひ後生にては無間( むげん ) の業( ごふ ) を受( うく ) べしと、一紙( いつし ) の起請( きしやう ) を書て宝殿( はうでん ) の柱に押( おし ) て候( さうらひ ) しが、果( はた ) して討死仕( つかまつ ) りけるにこそ。」と申ければ、其母衣( そのほろ ) を取寄( とりよせ ) て見給ふに、げにも、「越中( ゑつちゆうの ) 国( くに ) の住人( ぢゆうにん ) 二宮兵庫( ひやうごの ) 助( すけ ) 、曝尸於戦場、留名於末代。」とぞ書たりける。昔の実盛( さねもり ) は鬢鬚( びんひげ ) を染( そめ ) て敵にあひ、今の二宮は名字を替( かへ ) て命をすつ。時代隔( へだ ) たるといへ共其( その ) 志相同( あひおな ) じ。あはれ剛の者哉と惜( をし ) まぬ人こそ無( なか ) りけれ。二月十五日の朝は、東山の勢共( せいども ) 上京( かみきやう ) へ打入て、兵粮( ひやうらう ) を取( とる ) 由( よし ) 聞へければ、蹴散( けちら ) かさんとて、苦桃( にがもも ) 兵部( ひやうぶの ) 太輔( たいふ ) ・尾張( をはりの ) 左衛門( さゑもんの ) 佐( すけ ) 、五百( ごひやく ) 余騎( よき ) にて東寺を打出、一条・二条( にでう ) の間を二手( ふたて ) に成て打廻( うちまは ) る。是( これ ) を見て細川相摸守( さがみのかみ ) 清氏・佐々木( ささきの ) 黒田判官、七百( しちひやく ) 余騎( よき ) にて東山よりをり下( くだ ) る。尾張( をはりの ) 左衛門( さゑもんの ) 佐( すけ ) が後陣( ごぢん ) に朝倉( あさくら ) 下野( しもつけの ) 守( かみ ) が五十騎( ごじつき ) 許( ばかり ) にて通( とほ ) りけるを、追切( おひきつ ) て討( うた ) んと、六条河原( ろくでうかはら ) より京中( きやうぢゆう ) へ懸入る。朝倉少( すこし ) も不騒、馬を東頭( ひがしがし ) らに立て直( なほ ) して、閑( しづか ) に敵を待( まち ) 懸( かけ ) たり。細川・黒田が大勢是( これ ) を見て、あなづりにくしとや思( おもひ ) けん。あはひ半町計( ばかり ) に成て、馬を一足( ひとあし ) に颯( さつ ) とかけ居( すゑ ) て、同音( どうおん ) に時をどつと作る。朝倉少( すこし ) も不擬議大勢の中へ懸( かけ ) 入て、馬烟( けぶり ) を立( たて ) て切合ふ。左衛門( さゑもんの ) 佐( すけ ) 是( これ ) を見て、「朝倉討( うた ) すな、つゞけ。」とて、三百( さんびやく ) 余騎( よき ) にて取て返し、六条( ろくでう ) 東洞院( ひがしのとうゐん ) を東へ烏丸( からすまる ) を西へ、追つ返つ七八度( しちはちど ) までぞ揉合( もみあひ ) たる。細河度毎( たびごと ) に被追立体( てい ) に見へけるに、南部( なんぶ ) 六郎( ろくらう ) とて世に勝( すぐれ ) たる兵有( あり ) けるが、只( ただ ) 一騎( いつき ) 踏止( ふみとどまつ ) て戦ひ、返し合( あはせ ) ては切て落( おと ) し、八方( はつぱう ) をまくりて戦ひけるに、左衛門( さゑもんの ) 佐( すけ ) の兵共( つはものども ) 、箆白( のじろ ) に成てぞ見へたりける。左衛門( さゑもんの ) 佐( すけ ) の兵の中に、三村首藤左衛門( みむらすどうざゑもん ) ・後藤掃部助( かもんのすけ ) ・西塔( さいたふ ) の金乗坊( こんじようばう ) とて、手番( てつが ) ふたる勇士( ゆうし ) 五騎あり。互に屹( きつ ) と合眼( めくはせ ) して、南部に組( くま ) んと相近付く。南部尻目( しりめ ) に見て、から/\と打咲( うちわら ) ひ、「物々しの人々哉( かな ) 。いで胴( どう ) 切( きつ ) て太刀の金の程見せん。」とて、五尺( ごしやく ) 六寸( ろくすん ) の太刀を以( もつ ) て開( ひらい ) て片手打( かたてうち ) にしとゝ打( うつ ) 。金乗房無透間つと懸寄てむずと組( くむ ) 。南部元来大力なれば、金乗を取て中( ちう ) に差( さし ) 上( あげ ) たれ共( ども ) 、人飛礫( ひとつぶて ) に打( うつ ) まではさすが不叶、太刀の寸延( のび ) たれば、手本近( ちかく ) してさげ切( きり ) にもせられず、只( ただ ) 押殺さんとや思( おもひ ) けん、築地( ついぢ ) の腹に推当( おしあて ) て、ゑいや/\と押( おし ) けるに、已( すで ) に乗たる馬尻居( しりゐ ) に動( どう ) と倒( たふ ) れければ、馬は南部が引敷( ひつしき ) の下に在( あり ) ながら、二人( ににん ) 引組( ひつくん ) で伏( ふし ) たり。四騎の兵馳寄( はせより ) て、遂( つひ ) に南部を打てければ、金乗( こんじよう ) 南部が首を取て鋒( きつさき ) に貫( つらぬい ) て馳返( はせかへ ) る。此( これ ) にて軍は止( やん ) で敵御方( みかた ) 相引( あひびき ) に京白河へぞ帰りにける。又同日の晩景( ばんげい ) に、仁木右京( うきやうの ) 大夫( たいふ ) 義長( よしなが ) ・土岐大膳( だいぜんの ) 大夫( たいふ ) 頼康( よりやす ) 、其( その ) 勢( せい ) 三千( さんぜん ) 余騎( よき ) にて七条河原( しちでうがはら ) へ押寄せ、桃井( もものゐ ) 播磨( はりまの ) 守( かみ ) 直常・赤松弾正少弼( だんじやうせうひつ ) 氏範( うぢのり ) ・原・蜂屋( はちや ) が勢二千( にせん ) 余騎( よき ) と寄合( よせあはせ ) て、川原( かはら ) 三町( さんちやう ) を東西へ追つ返( かへし ) つ、烟塵( えんぢん ) を捲( まい ) て戦( たたかふ ) 事二十( にじふ ) 余度( よど ) に及べり。中にも桃井( もものゐ ) 播磨( はりまの ) 守( かみ ) が兵共( つはものども ) 、半( なか ) ば過て疵( きず ) を被( かうむり ) ければ、悪手( あらて ) を替( かへ ) て相助( たすけ ) ん為に、東寺へ引返しける程に、土岐の桔梗一揆( いつき ) 百( ひやく ) 余騎( よき ) に被攻立、返し合( あはす ) る者は切て落され、城へ引篭( ひきこも ) る者は城戸( きど ) ・逆木( さかもぎ ) にせかれ不入得。城中( じやうちゆう ) 騒( さわ ) ぎ周章( あわて ) て、すはや只今( ただいま ) 此( この ) 城( じやう ) 被攻落ぬとぞ見へたりける。赤松弾正少弼( だんじやうせうひつ ) 氏範は、郎等( らうどう ) 小牧( こまき ) 五郎左衛門( ごらうざゑもん ) が痛手( いたで ) を負( おう ) て引兼( ひきかね ) たるを助( たすけ ) んと、馬( むまの ) 上より手を引立( ひきたて ) て歩( あゆ ) ませけるを、大将直冬( ただふゆ ) 朝臣( あそん ) 、高櫓( たかやぐら ) の上より遥( はるか ) に見給( たまひ ) て、「返して御方( みかた ) を助けよ。」と、扇を揚( あげ ) て二三度( にさんど ) まで招( まねか ) れける間、氏範、小牧五郎左衛門( ごらうざゑもん ) をかひ掴( つかんで ) 城戸( きど ) の内へ投( なげ ) 入( いれ ) 、五尺( ごしやく ) 七寸( しちすん ) の太刀の鐔本( つばもと ) 取延( とりのべ ) て、只( ただ ) 一騎( いつき ) 返( かへし ) 合( あはせ ) 々々( かへしあはせ ) 、馳並( はせならべ ) 々々( はせならべ ) 切( きり ) けるに、或( あるひ ) は甲( かぶと ) の鉢を立破( たてわり ) に胸板( むないた ) まで破付( わりつけ ) られ、或( あるひ ) は胴中( どうなか ) を瓜切( うりきり ) に斬( きつ ) て落されける程に、さしも勇める桔梗一揆( いつき ) 叶はじとや思( おもひ ) けん、七条河原( しちでうがはら ) へ引退て、其( その ) 日( ひ ) の軍は留りけり。三月十三日( じふさんにち ) 、仁木・細川・土岐・佐々木( ささき ) ・佐竹・武田( たけだ ) ・小笠原( をがさはら ) 相集( あひあつまつ ) て七千( しちせん ) 余騎( よき ) 、七条西( にしの ) 洞院( とうゐん ) へ押寄せ、一手( ひとて ) は但馬・丹後( たんご ) の敵と戦ひ、一手( ひとて ) は尾張( をはりの ) 修理( しゆりの ) 大夫( たいふ ) 高経と戦ふ。此( この ) 陣の寄手( よせて ) 動( ややもすれ ) ば被懸立体( てい ) に見へければ、将軍より使者を立( たて ) られて、「那須五郎を可罷向。」と被仰ける。那須は此( この ) 合戦に打出ける始( はじめ ) 、古郷( こきやう ) の老母( らうぼ ) の許( もと ) へ人を下して、「今度の合戦に若( もし ) 討死仕( つかまつ ) らば、親に先立( さきだ ) つ身と成( なり ) て、草の陰( かげ ) ・苔( こけ ) の下までも御歎( おんなげき ) あらんを見奉らんずる事こそ、想像( おもひやる ) も悲( かなし ) く存( ぞんじ ) 候へ。」と、申遣( まうしつかは ) したりければ、老母( らうぼ ) 泣々( なくなく ) 委細( ゐさい ) に返事を書て申送( おくり ) けるは、古( いにしへ ) より今に至( いたる ) まで、武士の家に生( うま ) るゝ人、名を惜( をしみ ) て命を不惜、皆是( これ ) 妻子に名残( なごり ) を慕( した ) ひ父母に別( わかれ ) を悲( かなし ) むといへ共、家を思ひ嘲( あざけり ) を恥( はづ ) る故( ゆゑ ) に惜( をし ) かるべき命を捨( すつ ) る者也( なり ) 。始め身体髪膚( しんていはつぷ ) を我に受( うけ ) て残傷( そこなひやぶら ) ざりしかば、其( その ) 孝已( すで ) に顕( あらはれ ) ぬ。今又身を立( たて ) 道を行( おこなう ) て名を後( のち ) の世に揚( あぐ ) るは、是( これ ) 孝の終( をはり ) たるべし。されば今度( こんどの ) 合戦に相構( あひかまへ ) て身命を軽( かろん ) じて先祖の名を不可失。是( これ ) は元暦( げんりやく ) の古へ、曩祖( なうそ ) 那須( なすの ) 与一資高( すけたか ) は、八島( やしま ) の合戦の時扇を射て名を揚( あげ ) たりし時の母衣( ほろ ) 也( なり ) 。」とて、薄紅( うすくれなゐ ) の母衣( ほろ ) を錦( にしき ) の袋に入( いれ ) てぞ送りたりける。さらでだに戦場に臨( のぞみ ) て、いつも命を軽( かろん ) ずる那須五郎が、老母( らうぼ ) に義を勧( すす ) められて弥( いよいよ ) 気を励( はげま ) しける処に、将軍より別( べつ ) して使を立( たて ) られ、「此( この ) 陣の戦( たたかひ ) 難儀に及ぶ。向て敵を払へ。」と無与儀も被仰ければ、那須曾( かつ ) て一儀( いちぎ ) も不申畏( かしこまつ ) て領状( りやうじやう ) す。只今( ただいま ) 御方( みかた ) の大勢共立足( たつあし ) もなくまくり立( たて ) られて、敵皆勇み進める真中( まんなか ) へ会尺( ゑしやく ) もなく懸( かけ ) 入て、兄弟二人( ににん ) 一族( いちぞく ) 郎従三十六騎( さんじふろくき ) 、一足( ひとあし ) も不引討死しける。那須が討死に、東寺の敵機( き ) に乗らば、合戦又難儀に成( なり ) ぬと危( あやふ ) く覚へける処に、佐々木( ささきの ) 六角判官入道( ろくかくはうぐわんにふだう ) 崇永( そうえい ) と相摸守( さがみのかみ ) 清氏と両勢一手( ひとて ) に成て、七条大宮( しちでうおほみや ) へ懸( かけ ) 抜け、敵を西にうけ東に顧( かへりみ ) て、入替々々半時許( はんじばかり ) ぞ戦( たたかう ) たる。東寺の敵も此( ここ ) を先途( せんど ) と思( おもひ ) けるにや、戒光寺( かいくわうじ ) の前に掻楯( かいだて ) 掻( かい ) て打出( うちいで ) 々々( うちいで ) 火を散( ちら ) して戦( たたかひ ) けるに、相摸守( さがみのかみ ) 薄手( うすで ) 数所( あまたところ ) に負( おう ) て、すはや討( うた ) れぬと見へければ、崇永( そうえい ) 弥( いよいよ ) 進( すすみ ) て是( これ ) を討( うた ) せじと戦ふたる。斯( かかる ) 処に土岐桔梗( ききやう ) 一揆( いつき ) 五百( ごひやく ) 余騎( よき ) にて、悪手( あらて ) に替( かは ) らんと進( すすみ ) けるを見て、敵も悪手( あらて ) をや憑( たのみ ) けん、掻楯( かいだて ) の陰( かげ ) をばつと捨( すてて ) 半町計( ばかり ) ぞ引( ひき ) たりける。敵に息を継( つが ) せば又立直( たてなほ ) す事もこそあれとて、佐々木( ささき ) と土岐と掻楯( かいだて ) の内へ入て、敵の陣に入替( いれかは ) らんとしけるが、廻( まは ) る程も猶( なほ ) 遅くや覚へけん、佐佐木が旗差( はたさし ) 堀( ほりの ) 次郎、竿( さを ) ながら旗を内へ投げ入( いれ ) て、己( おのれ ) が身は軈( やが ) て掻楯を上り越てぞ入たりける。其( その ) 後相摸守( さがみのかみ ) と桔梗一揆( いつき ) と左右より回( まはつ ) て掻楯の中へ入( いり ) 、南に楯を突双( つきならべ ) て、三千( さんぜん ) 余騎( よき ) を一所に集め、向城( むかひじやう ) の如くにて蹈( ふま ) せたれば、東寺に篭( こも ) る敵軍の勢、気を屈( くつ ) し勢を呑( のま ) れて、城戸( きど ) より外( そと ) へ出ざりけり。京中( きやうぢゆう ) の合戦は、如此数日( すじつ ) に及て雌雄( しゆう ) 日々( ひび ) に替( かは ) り、安否( あんぴ ) 今にありと見へけれ共( ども ) 、時の管領( くわんれい ) 仁木( につき ) 左京( さきやうの ) 大夫( たいふ ) 頼章( よりあきら ) は、一度( いちど ) も桂川より東へ打越( うちこえ ) ず、只( ただ ) 嵐山より遥( はるか ) に直下( みおろ ) して、御方の勝( かち ) げに見ゆる時は延上( のびあが ) りて悦び、負( まく ) るかと覚( おぼ ) しき時は、色を変( へん ) じて落支度( おちじたく ) の外( ほか ) は他事( たじ ) なし。同陣に有( あり ) ける備中の守護( しゆご ) 飽庭許( あいばばかり ) ぞ、余( あま ) りに見兼( かね ) て、己( おのれ ) が手勢許( ばかり ) を引分( ひきわけ ) て、度々の合戦をばしたりける。され共大廈( たいか ) は非一本支、山陰道( せんおんだう ) をば頼章の勢( せい ) に塞( ふさ ) がれ、山陽道( せんやうだう ) は義詮朝臣( よしあきらあそん ) に囲( かこま ) れ、東山・北陸( ほくろく ) の両道は将軍の大勢に塞( ふさ ) がつて、僅( わづか ) に河内路( かうちぢ ) より外はあきたる方( かた ) 無( なか ) りければ、兵粮( ひやうらう ) 運送( うんそう ) の道も絶( たえ ) ぬ。重( かさね ) て攻( せめ ) 上るべき助( たすけ ) の兵もなし。合戦は今まで牛角( ごかく ) なれ共( ども ) 、将軍の勢日々に随( したがひ ) て重( かさな ) る。角( かく ) ては始終叶はじとて、三月十三日( じふさんにち ) の夜に入て右兵衛( うひやうゑの ) 佐( すけ ) 直冬朝臣( ただふゆあそん ) 、国々の大将相共に、東寺・淀・鳥羽の陣を引て、八幡・住吉( すみよし ) ・天王寺( てんわうじ ) ・堺( さかひ ) の浦へぞ落( おち ) られける。
○八幡御託宣( ごたくせんの ) 事( こと ) 爰( ここ ) にて落( おち ) 集( あつまつ ) たる勢を見れば五万騎( ごまんぎ ) に余れり。此( この ) 上に伊賀・伊勢・和泉・紀伊国の勢共( せいども ) 、猶( なほ ) 馳集( はせあつま ) るべしと聞へしかば、暫( しばらく ) 此( この ) 勢を散( ちら ) さで今一合戦( ひとかつせん ) 可有歟( か ) と、諸大将( しよだいしやう ) の異見区( まちまち ) 也( なり ) けるを、直冬朝臣( ただふゆあそん ) 、「許否( きよひ ) 凡慮( ぼんりよ ) の及ぶ処に非( あら ) ず。八幡の御宝前にして御神楽( みかぐら ) を奏し、託宣( たくせん ) の言( ことば ) に付て軍の吉凶( きつきよう ) を知( しる ) べし。」とて、様々( さまざま ) の奉幣( ほうへい ) を奉り、蘋■( ひんぱん ) を勧( すすめ ) て、則( すなはち ) 神の告( つげ ) をぞ待( また ) れける。社人( しやじん ) の打つ鼓( つづみ ) の声、きねが袖ふる鈴( すず ) の音、深( ふ ) け行( ゆく ) 月に神さびて、聞( きく ) 人信心を傾( かたぶけ ) たり。託宣の神子( みこ ) 、啓白( けいびやく ) の句、言( こと ) ば巧( たく ) みに玉を連( つら ) ねて、様々( さまざま ) の事共( ことども ) を申( まうし ) けるが、たらちねの親を守りの神なれば此手向( このたむけ ) をば受( うく ) る物かはと一首( いつしゆ ) の神歌をくり返し/\二三反( にさんべん ) 詠( えい ) じて、其後( そののち ) 御神( かみ ) はあがらせ給( たまひ ) にけり。諸大将( しよだいしやう ) 是( これ ) を聞て、さては此( この ) 兵衛( ひやうゑの ) 佐( すけ ) 殿( どの ) を大将にて将軍と戦はん事は、向後( きやうこう ) も叶( かなふ ) まじかりけりとて、東山( とうせん ) ・北陸( ほくろく ) の勢( せい ) は、駒に策( むち ) をうち己が国々へ馳下り、山陰( せんおん ) ・西海( さいかい ) の兵は、舟に帆( ほ ) を揚( あげ ) て落て行( ゆく ) 。誠( まこと ) に征罰( せいばつ ) の法、合戦の体は士卒に有( あり ) といへ共、雌雄( しゆう ) は大将に依( よ ) る者也( なり ) 。されば周( しう ) の武王は木主( もくしゆ ) を作て殷( いん ) の世を傾( かたぶ ) け、漢( かんの ) 高祖( かうそ ) は、義帝( ぎてい ) を尊( たつとみ ) て秦の国を滅( ほろぼ ) せし事、旧記( きうき ) の所載誰か是( これ ) を不知( しらず ) 。直冬是( これ ) 何人ぞや、子として父を攻( せめ ) んに、天豈( あに ) 許( ゆる ) す事あらんや。始め遊和軒( いうくわけん ) の朴翁( はくをう ) が天竺・震旦( しんだん ) の例( れい ) を引て、今度の軍に宮方( みやがた ) 勝( かつ ) 事を難得と、眉を顰( ひそめ ) て申( まうし ) しを、げにも理( ことわり ) なりけりとは、今社( こそ ) 思ひ知( しら ) れたれ。東寺落( おち ) て翌( あけ ) の日、東寺の門にたつ。兔( と ) に角( かく ) に取立にける石堂( いしたう ) も九重( くぢゆう ) よりして又落( おち ) にけり深き海高き山名と頼( たのむ ) なよ昔もさりし人とこそきけ唐橋( からはし ) や塩の小路( こうぢ ) の焼( やけ ) しこそ桃井殿( もものゐどの ) は鬼味噌( おにみそ ) をすれ
○三上皇自芳野御出( おんいでの ) 事( こと ) 足利右兵衛( うひやうゑの ) 佐( すけ ) 直冬( ただふゆ ) ・尾張( をはりの ) 修理( しゆりの ) 大夫( たいふ ) 高経・山名伊豆( いづの ) 守( かみ ) 時氏・桃井( もものゐ ) 播磨( はりまの ) 守( かみ ) 直常以下の官軍( くわんぐん ) 、今度諸国より責( せめ ) 上て、東寺・神南( かうない ) 度々( どど ) の合戦に打負( うちまけ ) しかば、皆己( おのれ ) が国々に逃下( にげくだり ) て、猶( なほ ) 此素懐( このそくわい ) を達せん事を謀( はか ) る。依之( これによつて ) 洛中( らくちゆう ) は今静謐( せいひつ ) の体( てい ) にて、髪を被( かうむ ) り衽( じん ) を左にする人はなけれ共( ども ) 、遠国は猶( なほ ) しづまらで、戈( ほこ ) を荷( にな ) ひ粮( かて ) を裹( つつむ ) こと隙( ひま ) なし。爰( ここ ) に持明院の本院( ほんゐん ) ・新院・主上( しゆしやう ) ・春宮( とうぐう ) は皆( みな ) 去々年の春南方へ囚( とらは ) れさせ給( たまひ ) て、賀名生( あなふ ) の奥に被押篭御坐( おはせ ) しかば、とても都には茨( いばら ) の宮( みや ) 已( すで ) に御位に即( つか ) せ給( たまひ ) ぬる上は、山中の御棲居( おんすまゐ ) 余( あま ) りに御痛( おんいた ) はしければとて、延文( えんぶん ) 二年の二月に、皆賀名生( あなふ ) の山中より出し奉て、都へ還幸( くわんかう ) なし奉る。上皇は故院の住( すみ ) 荒させ給( たまひ ) し伏見殿に移らせ給て御座( ござ ) あれば、参り仕( つかまつ ) る月卿( げつけい ) 雲客( うんかく ) の一人もなし。庭には草生滋( おひしげ ) りて、梧桐( ごとう ) の黄葉( くわうえふ ) を踏( ふみ ) 分( わけ ) たる道もなく、軒には苔( こけ ) 深くむして、見( みる ) 人からに袖ぬらす月さへ疎( うと ) く成( なり ) にけり。本院( ほんゐん ) は去( さんぬる ) 観応三年八月八日、河内の行宮にして御出家あり。御年四十一、法名勝光智( しようくわうち ) とぞ申( まうし ) ける。御帰洛の後、本院( ほんゐん ) ・新院、両御所ともに夢窓国師の御弟子( おんでし ) に成( なら ) せ給( たまひ ) て、本院( ほんゐん ) は嵯峨( さが ) の奥小倉( をぐら ) の麓に幽( かすか ) なる御庵( おんいほ ) りを結ばれ、新院は伏見の大光明寺にぞ御座( ござ ) 有( あり ) ける。何( いづ ) れも物さびしく人目枯( かれ ) たる御栖居( おんすまゐ ) 、申( まうす ) も中々疎( おろ ) かなり。彼悉達( かのしつだ ) 太子( たいし ) は、浄飯( じやうばん ) 王の宮( みや ) を出て檀特山( だんどくせん ) に分( わけ ) 入( いり ) 、善施( ぜんせ ) 太子( たいし ) は、鳩留国( くるこく ) の翁( おきな ) に身を与へて檀施( だんせ ) の行( ぎやう ) を修( しゆ ) し給ふ。是( これ ) は皆十善の国を合( あは ) せたる十六( じふろく ) の大国を保( たもち ) 給ひし王位なれ共( ども ) 、捨( すつ ) るとなれば其( その ) 位一塵( いちぢん ) よりも猶( なほ ) 軽し。況( いはん ) や我( わが ) 国( くに ) は粟散辺地( ぞくさんへんち ) の境( さかひ ) 也( なり ) 。縦( たとひ ) 天下を一統( いつとう ) にして無為( ぶゐ ) の大化( たいくわ ) に楽( たのし ) ませ給ふ共、彼( か ) の大国の王位に比( ひ ) せば千億にして其( その ) 一にも難及。加様( かやう ) の理( ことわ ) りを思食( おぼしめし ) 知( しら ) せ給( たまひ ) て、憂( うき ) を便( たよ ) りに捨( すて ) はてさせ給ひぬる世なれば、御身( おんみ ) も軽( かろ ) きのみならず御心( おんこころ ) も又閑( しづか ) にして、半間( はんかん ) の雲一榻( いつたふ ) の月、禅余( ぜんよ ) の御友( おんとも ) と成( なり ) にければ、中々御心( おんこころ ) 安くぞ渡らせ給( たまひ ) ける。
○飢人( きにん ) 投身事( こと ) 角( かく ) て事の様を見聞( みきく ) に、天下此( こ ) の二十( にじふ ) 余年( よねん ) の兵乱に、禁裏( きんり ) ・仙洞・竹苑( ちくゑん ) ・枡房( せうばう ) を始( はじめ ) として、公卿( くぎやう ) ・殿上( てんじやう ) ・諸司( しよし ) ・百官の宿所々々多く焼け亡( ほろび ) て、今は纔( わづか ) に十が二三残りたりしを、又今度の東寺合戦の時、地を払( はらつ ) て、京白川に武士( ぶし ) の屋形( やかた ) の外は在家( ざいけ ) の一宇( いちう ) もつゞかず。離々( りり ) たる原上( げんじやう ) の草、塁々( るゐるゐ ) たる白骨( はつこつ ) 、叢( くさむら ) に纏( まとは ) れて、有( あり ) し都の迹( あと ) 共( とも ) 不見成( なり ) にければ、蓮府槐門( れんぶくわいもん ) の貴族・なま上達部( かんだちめ ) ・上臈( じやうらふ ) ・女房達( にようばうたち ) に至るまで、或( あるひ ) は大井( おほゐ ) 、桂川の波の底の水屑( みくづ ) となる人もあり、或( あるひ ) は遠国に落下て田夫野人( でんぶやじん ) の賎( いやし ) きに身を寄せ、或( あるひ ) は片田舎に立忍( しのび ) て、桑門( さうもん ) 、竹( たけの ) 扉( とぼそ ) に住( すみ ) はび給へば、夜( よ ) るの衣薄( うすく ) して暁( あかつき ) の霜冷( すさまじ ) く、朝気( あさけ ) の煙絶( たえ ) て後、首陽( しゆやう ) に死する人多し。中にも哀( あはれ ) に聞へしは、或る御所の上北面( じやうほくめん ) に兵部( ひやうぶの ) 少輔( せう ) なにがしとかや云( いひ ) ける者、日来( ひごろ ) は富栄( とみさかえ ) て楽( たのし ) み身に余( あま ) りけるが、此( この ) 乱の後財宝は皆取散( とりちら ) され、従類眷属( じゆうるゐけんぞく ) は何地( いづち ) 共( とも ) なく落( おち ) 失( うせ ) て、只( ただ ) 七歳になる女子、九になる男子( なんし ) と年比( としごろ ) 相馴( あひなれ ) し女房と、三人( さんにん ) 許( ばかり ) ぞ身に添( そひ ) ける。都の内には身を可置露のゆかりも無( なく ) て、道路に袖をひろげん事もさすがなれば、思( おもひ ) かねて、女房は娘の手を引( ひき ) 、夫( をつと ) は子の手を引て、泣々( なくなく ) 丹波の方へぞ落行( おちゆき ) ける。誰を憑( たのむ ) としもなく、何( いづ ) くへ可落著共覚( おぼえ ) ねば、四五町( しごちやう ) 行( ゆき ) ては野原( のばら ) の露に袖を片敷( かたしき ) て啼明( なきあか ) し、一足( ひとあし ) 歩( あゆん ) では木の下草にひれ臥( ふし ) て啼( な ) き暮す。只夢路をたどる心地して、十日許( ばかり ) に丹波( たんばの ) 国( くに ) 井原( ゐはら ) の岩屋( いはや ) の前に流( ながれ ) たる思出河( おもひでがは ) と云( いふ ) 所に行至りぬ。都を出しより、道に落( おち ) たる栗柿( くりかき ) なんどを拾( ひろう ) て纔( わづか ) に命を継( つぎ ) しかば、身も余( あま ) りにくたびれ足も不立成( なり ) ぬとて、母・少( をさな ) き者、皆( みな ) 川のはたに倒れ伏( ふし ) て居たりければ、夫( をつと ) 余( あま ) りに見かねて、とある家のさりぬべき人の所と見へたる内へ行( ゆき ) て、中門の前に彳( たたずん ) で、つかれ乞( こひ ) をぞしたりける。暫( しばら ) く有て内より侍・中間( ちゆうげん ) 十( じふ ) 余人( よにん ) 走( はしり ) 出て、「用心( ようじん ) の最中( さいちゆう ) 、なまばうたる人のつかれ乞( ごひ ) するは、夜討強盜( ようちがうだう ) の案内見る者歟( か ) 。不然は宮方( みやがた ) の廻文( くわいぶん ) 持て回( まは ) る人にてぞあるらん。誡置( いましめおき ) て嗷問( がうもん ) せよ。」とて手取( とり ) 足取( とり ) 打縛( うちしば ) り、挙( あげ ) つ下( おろし ) つ二時許( ばかり ) ぞ責( せめ ) たりける。女房・少( をさな ) き者、斯( かか ) る事とは不思寄、川の端( はた ) に疲( つか ) れ臥( ふし ) て、今や/\と待( まち ) 居たりける処に、道を通る人行( ゆき ) やすらひて、「穴( あな ) 哀( あはれ ) や、京家( きやうけ ) の人かと覚( おぼ ) しき人の年四十許( ばかり ) なりつるが、疲( つか ) れ乞( ごひ ) しつるを怪( あやし ) き者かとて、あれなる家に捕( とら ) へて、上( あげ ) つ下( おろし ) つ責( せめ ) つるが、今は責( せめ ) 殺( ころし ) てぞあるらん。」と申( まうし ) けるを聞て、此( この ) 女房・少( をさな ) き者、「今は誰に手を牽( ひか ) れ誰を憑( たのみ ) てか暫( しばら ) くの命をも助( たすか ) るべき。後( おく ) れて死なば冥途( めいど ) の旅に独( ひとり ) 迷( まよ ) はんも可憂。暫( しばらく ) 待( まち ) て伴( ともな ) はせ給へ。」と、声々に泣( なき ) 悲( かなしん ) で、母と二人( ににん ) の少( をさな ) き者、互( たがひ ) に手に手を取( とり ) 組( くみ ) 、思出河( おもひでがは ) の深( ふかき ) 淵( ふち ) に身を投( なげ ) けるこそ哀( あはれ ) なれ。兵部( ひやうぶの ) 少輔( せう ) は、いかに責( せめ ) 問( とひ ) けれ共( ども ) 、此( この ) 者元来( ぐわんらい ) 咎( とが ) なければ、落( おち ) ざりける間、「さらば許せ。」とて許されぬ。是( これ ) にもこりず、妻子の飢( うゑ ) たるが悲しさに、又とある在家( ざいけ ) へ行て、菓( このみ ) なんどを乞集( こひあつめ ) て、先( さき ) の川端( かはばた ) へ行( ゆき ) て見るに、母・少( をさな ) き者共( ものども ) が著( つけ ) たる小草鞋( こわらぢ ) ・杖なんどは有て其( その ) 人はなし。こは如何( いか ) に成( なり ) ぬる事ぞやと周章騒( あわてさわ ) ぎて、彼方此方( かなたこなた ) 求( もとめ ) ありく程に、渡より少( すこ ) し下( し ) もなる井堰( ゐせき ) に、奇( あやし ) き物( もの ) のあるを立寄( たちより ) て見たれば、母と二人( ににん ) の子と手に手を取組( とりくみ ) て流( ながれ ) 懸りたり。取上( とりあげ ) て泣( なき ) 悲( かなし ) め共、身もひへはてゝ色も早( はや ) 替りはてゝければ、女房と二人( ににん ) の子を抱拘( だきかか ) へて、又本( もと ) の淵に飛入( とびいり ) 、共に空( むなし ) く成( なり ) にけり。今に至( いたる ) まで心なき野人村老( やじんそんらう ) 、縁( ゆかり ) も知( しら ) ぬ行客( かうかく ) 旅人までも、此( この ) 川を通る時、哀( あはれ ) なる事に聞( きき ) 伝( つたへ ) て、涙を流さぬ人はなし。誠( まこと ) に悲しかりける有様哉と、思遣( おもひやら ) れて哀なり。
○公家武家( くげぶけ ) 栄枯( えいこ ) 易地事( こと ) 公家の人は加様に窮困( きゆうこん ) して、溝壑( こうがく ) に填( うづまり ) 道路に迷ひけれ共( ども ) 、武家の族( やから ) は富貴( ふつき ) 日来( ひごろ ) に百倍( ひやくばい ) して、身には錦繍( きんしう ) を纏( まと ) ひ食には八珍( はつちん ) を尽せり。前代相摸守( さがみのかみ ) の天下を成敗( せいばい ) せし時、諸国の守護( しゆご ) 、大犯( だいぼん ) 三箇条の検断( けんだん ) の外は綺( いろ ) ふ事無( なか ) りしに、今は大小( だいせう ) の事、共( とも ) に只( ただ ) 守護( しゆご ) の計( はから ) ひにて、一国の成敗雅意( がい ) に任すには、地頭後家人を郎従の如くに召仕( めしつか ) ひ、寺社本所の所領を兵粮料所とて押( おさ ) へて管領( くわんりやう ) す。其( その ) 権威只( ただ ) 古( いにしへ ) の六波羅( ろくはら ) 、九州の探題( たんだい ) の如し。又都には佐々木( ささきの ) 佐渡( さどの ) 判官入道( はうぐわんにふだう ) 々誉( だうよ ) 始( はじめ ) として在京( ざいきやう ) の大名、衆( しゆ ) を結( むすん ) で茶の会( くわい ) を始め、日々寄合( よりあひ ) 活計( くわつけい ) を尽すに、異国本朝の重宝を集め、百座の粧( よそほひ ) をして、皆曲■( きよくろく ) の上に豹( へう ) ・虎( とら ) の皮を布( し ) き、思々( おもひおもひ ) の段子金襴( どんすきんらん ) を裁( たち ) きて、四主頭( ししゆちやう ) の座に列( れつ ) をなして並居( なみゐ ) たれば、只百福荘厳( ひやくふくしやうごん ) の床( ゆか ) の上に、千仏の光を双( ならべ ) て坐( ざ ) し給へるに不異。異国の諸侯は遊宴をなす時、食膳方丈( しよくぜんはうぢやう ) とて、座の囲( まはり ) 四方( しはう ) 一丈( いちぢやう ) に珍( ちん ) 物を備( そな ) ふなれば、其( それ ) に不可劣とて、面五尺( ごしやく ) の折敷( をしき ) に十番の斎羹( さいかう ) ・点心( てんじん ) 百種・五味( ごみ ) の魚鳥・甘酸苦辛( かんさんくしん ) の菓子( くわし ) 共( ども ) 、色々様々居双( すゑなら ) べたり。飯後( はんご ) に旨酒( ししゆ ) 三献( さんこん ) 過( すぎ ) て、茶の懸物( かけもの ) に百物、百の外に又前引( まへひき ) の置物をしけるに、初度( しよど ) の頭人( とうにん ) は、奥染物( おくそめもの ) 各百充( づつ ) 六十三人( ろくじふさんにん ) が前に積む。第二度( だいにど ) の頭人は、色々の小袖十重充( とかさねづつ ) 置( おく ) 。三番の頭人は、沈( ぢん ) のほた百両宛( づつ ) 、麝香( じやかう ) の臍( ほそ ) 三充( づつ ) 副( そへ ) て置( おく ) 。四番の頭人は沙金( しやきん ) 百両宛( づつ ) 金糸花( きんしくわ ) の盆( ぼん ) に入( いれ ) て置( おく ) 。五番の頭人は、只今( ただいま ) 為立( したて ) たる鎧( よろひ ) 一縮( いつしゆく ) に、鮫( さめ ) 懸( かけ ) たる白太刀、柄鞘( つかさや ) 皆金にて打くゝみたる刀に、虎の皮の火打袋( ひうちぶくろ ) をさげ、一様( いちやう ) に是( これ ) を引く。以後の頭人二十( にじふ ) 余人( よにん ) 、我( われ ) 人に勝( すぐ ) れんと、様( さま ) をかへ数を尽して、如山積重( つみかさ ) ぬ。されば其費( そのつひえ ) 幾千万( いくせんまん ) と云( いふ ) 事を不知( しらず ) 。是( これ ) をもせめて取て帰らば、互に以此彼( かれ ) に替( かへ ) たる物共とすべし。ともにつれたる遁世者( とんせいしや ) 、見物の為に集( あつま ) る田楽( でんがく ) ・猿楽( さるがく ) ・傾城( けいせい ) ・白拍子( しらびやうし ) なんどに皆取( とり ) くれて、手を空( むなしく ) して帰( かへり ) しかば、窮民( きゆうみん ) 孤独の飢( うゑ ) を資( たすく ) るにも非( あら ) ず、又供仏施僧( くぶつせそう ) の檀施( だんせ ) にも非( あら ) ず。只金( こがね ) を泥( でい ) に捨て玉を淵( ふち ) に沈( しづ ) めたるに相( あひ ) 同じ。此( この ) 茶事過( すぎ ) て後( のち ) 又博奕( ばくえき ) をして遊びけるに、一立( ひとた ) てに五貫( ごくわん ) 十貫( じつくわん ) 立( たて ) ければ、一夜( いちや ) の勝負に五六千貫負( まく ) る人のみ有て百貫( ひやくくわん ) とも勝つ人はなし。此( これ ) も田楽( でんがく ) ・猿楽・傾城・白拍子に賦( くば ) り捨( すて ) ける故( ゆゑ ) 也( なり ) 。抑( そもそも ) 此( この ) 人々長者( ちやうじや ) の果報( くわはう ) 有( あり ) て、地より物が涌( わき ) ける歟( か ) 、天より財( たから ) が降( ふり ) けるか。非降非涌、只( ただ ) 寺社本所の所領を押へ取り、土民百姓の資財( しざい ) を責取( せめとり ) 、論人( ろんにん ) ・訴人( そにん ) の賄賂( わいろ ) を取( とり ) 集めたる物共也( なり ) 。古の公人たりし人は、賄賂( わいろ ) をも不取、勝負をもせず、囲碁( ゐご ) 双六( すごろく ) をだに酷( はなはだ ) 禁ぜしに、万事の沙汰を閣( さしおい ) て、訴人来れば酒宴茶の会( くわい ) なんど云( いひ ) て不及対面、人の歎( なげき ) をも不知、嘲( あざけり ) をも不顧、長時に遊び狂( くる ) ひけるは、前代未聞( ぜんだいみもん ) の癖事( ひがこと ) なり。懸( かかり ) し程に、延文三年二月十二日、故左兵衛( さひやうゑの ) 督( かみ ) 直義入道慧源( ゑげん ) 、さしも爪牙耳目( さうげじぼく ) の武臣たりしかば、従二位の贈爵( ぞうしやく ) を苔( こけ ) の下( した ) なる遺骸( ゆゐがい ) にぞ賜( たま ) ひける。法体( ほつたい ) 死去の後、如此宣下( せんげ ) 無其例とぞ人皆申合( まうしあは ) れける。
○将軍御逝去( ごせいきよの ) 事( こと ) 同年四月二十日、尊氏( たかうぢの ) 卿( きやうの ) 背( せなか ) に癰瘡( ようさう ) 出て、心地( ここち ) 不例御坐( おはし ) ければ、本道( ほんだう ) ・外科( げくわ ) の医師( いし ) 数を尽して参( まゐり ) 集る。倉公( さうこう ) ・華他( くわた ) が術( じゆつ ) を尽し、君臣佐使( さし ) の薬を施( ほどこ ) し奉れ共更( さらに ) 無験。陰陽頭( おんやうのかみ ) ・有験( うげん ) の高僧集( あつまつ ) て、鬼見( きけん ) ・太山府君( たいさんぶくん ) ・星供( しやうく ) ・冥道供( みやうだうく ) ・薬師( やくし ) の十二神将( じふにじんじやうの ) 法・愛染明王( あいぜんみやうわう ) ・一字文殊・不動慈救( ふどうじく ) 延命( えんめい ) の法、種々の懇祈( こんき ) を致せ共、病( やまひ ) 日( ひ ) に随て重くなり、時を添( そへ ) て憑( たのみ ) 少( すくな ) く見へ給ひしかば、御所中( ごしよぢゆう ) の男女機( き ) を呑( の ) み、近習の従者涙を押へて、日夜( にちや ) 寝食( しんしよく ) を忘( わすれ ) たり。懸( かか ) りし程に、身体( しんたい ) 次第に衰へて、同( おなじき ) 二十九日寅( とらの ) 刻( こく ) 、春秋五十四歳にて遂( つひ ) に逝去( せいきよ ) し給( たまひ ) けり。さらぬ別( わかれ ) の悲( かなし ) さはさる事ながら、国家の柱石( ちゆうせき ) 摧( くだ ) けぬれば、天下今も如何( いかが ) とて、歎き悲( かなし ) む事無限。さて可有非( あら ) ずとて、中( なか ) 一日有て、衣笠山( きぬがさやま ) の麓( ふもと ) 等持院( とうぢゐん ) に葬( さう ) し奉る。鎖龕( そがん ) は天竜寺( てんりゆうじ ) の竜山( りようざん ) 和尚、起龕( きがん ) は南禅寺( なんぜんじ ) の平田( へいでん ) 和尚、奠茶( てんちや ) は建仁寺( けんにんじ ) の無徳( ぶとく ) 和尚、奠湯( てんたう ) は東福寺( とうふくじ ) の鑑翁( かんをう ) 和尚、下火( あこ ) は等持院の東陵( とうりよう ) 和尚にてぞをはしける。哀( あはれ ) なる哉、武将に備( そなはつ ) て二十五年、向ふ処は必( かならず ) 順( したが ) ふといへ共、無常の敵の来るをば防( ふせ ) ぐに其( その ) 兵なし。悲( かなしい ) 哉、天下を治( をさめ ) て六十( ろくじふ ) 余州( よしう ) 、命( めい ) に随( したが ) ふ者多しといへ共、有為( うゐ ) の境( さかひ ) を辞( じ ) するには伴( ともなう ) て行く人もなし。身は忽( たちまち ) に化( け ) して暮天( ぼてん ) 数片( すへん ) の煙と立( たち ) 上り、骨( ほね ) は空( むなし ) く留( とどまつ ) て卵塔( らんたふ ) 一掬( いつきく ) の塵( ちり ) と成( なり ) にけり。別れの泪( なみだ ) 掻暮( かきくれ ) て、是( これ ) さへとまらぬ月日哉( かな ) 。五旬( ごじゆん ) 無程過( すぎ ) ければ、日野( ひの ) 左中弁忠光( ただみつ ) 朝臣( あそん ) を勅使( ちよくし ) にて、従( じゆ ) 一位( いちゐ ) 左大臣の官を贈( おく ) らる。宰相中将( さいしやうのちゆうじやう ) 義詮朝臣( よしあきらあそん ) 、宣旨を啓( ひらい ) て三度( さんど ) 拝せられけるが、涙を押へて、帰( かへる ) べき道しなければ位山( くらゐやま ) 上( のぼ ) るに付( つけ ) てぬるゝ袖かなと被詠けるを、勅使( ちよくし ) も哀なる事に聞て、有( あり ) の侭( まま ) に奏聞しければ、君無限叡感( えいかん ) 有て、新千載集( しんせんざいしふ ) を被撰けるに、委細( ゐさい ) の事書( ことがき ) を載( のせ ) られて、哀傷( あいしやう ) の部にぞ被入ける。勅賞( ちよくしやう ) の至り、誠( まこと ) に忝( かたじけな ) かりし事共( ことども ) なり。
○新待賢門院( しんたいけんもんゐん ) 並梶井( かぢゐの ) 宮( みや ) 御隠( おんかくれの ) 事( こと ) 同四月十八日、吉野の新待賢門の女院( にようゐん ) 隠れさせ給( たまひ ) ぬ。一方の国母( こくぼ ) にて御坐( おは ) しければ、一人( いちじん ) を始め進( まゐら ) せて百官皆( みな ) 椒房( せうばう ) の月に涙を落( おと ) し、掖庭( えきてい ) の露に思( おもひ ) を摧( くだ ) く時節( をりふし ) 、何( いか ) に有( あり ) ける事ぞやとて、涙を拭( のごひ ) ける処に、又同年五月二日、梶井( かぢゐの ) 二品( にほん ) 親王( しんわう ) 御隠( おんかくれ ) 有( あり ) ければ、山門の悲歎( ひたん ) 、竹苑( ちくゑん ) の御歎( おんなげき ) 更( さら ) に類( たぐひ ) なし。此等( これら ) は皆( みな ) 天下の重き歎( なげき ) なりしかば、知( しる ) も知( しら ) ぬも推並( おしなべ ) て、世の中如何( いかが ) あらんずらんと打ひそめき、洛中( らくちゆう ) ・山上・南方、打続( うちつづき ) たる哀傷( あいしやう ) 、蘭省( らんしやう ) 露( つゆ ) 深く、柳営( りうえい ) 烟( けむり ) 暗( くらく ) して、台嶺( たいれい ) の雲の色悲( かなし ) んで今年は如何( いか ) なる歳なれば、高き歎( なげき ) の花散( ちり ) て、陰( かげ ) の草葉に懸( かか ) るらんと、僧俗男女共に押並( おしなべ ) て袖をぞ絞( しぼ ) りける。
○崇徳院( しゆとくゐんの ) 御事( おんこと ) 今年の春、筑紫( つくし ) の探題( たんだい ) にて将軍より被置たりける一色左京( さきやうの ) 大夫( たいふ ) 直氏・舎弟( しやてい ) 修理( しゆりの ) 大夫( たいふ ) 範光は、菊池( きくち ) 肥前( ひぜんの ) 守( かみ ) 武光( たけみつ ) に打負( うちまけ ) て京都へ被上ければ、小弐( せうに ) ・大友( おほとも ) ・島津( しまづ ) ・松浦( まつら ) ・阿蘇( あそ ) ・草野に至るまで、皆( みな ) 宮方( みやがた ) に順( したが ) ひ靡( なび ) き、筑紫九国の内には、只( ただ ) 畠山治部( ぢぶの ) 大輔( たいふ ) が日向( ひうが ) の六笠( むかさ ) の城( じやう ) に篭( こもり ) たる許( ばかり ) ぞ、将軍方( しやうぐんがた ) とては残りける。是( これ ) を無沙汰( ぶさた ) にて閣( さしお ) かば、今将軍の逝去( せいきよ ) に力を得て、菊池( きくち ) 如何様( いかさま ) 都へ責( せめ ) 上りぬと覚( おぼゆ ) る。是( これ ) 天下の一大事( いちだいじ ) 也( なり ) 。急( いそい ) で打手( うつて ) の大将を下さでは叶( かなふ ) まじとて、故細川陸奥( むつの ) 守( かみ ) 顕氏( あきうぢの ) 子息、式部( しきぶの ) 大夫( たいふ ) 繁氏( しげうじ ) を伊予( いよの ) 守( かみ ) になして、九国の大将にぞ下されける。此( この ) 人先( まづ ) 讃岐( さぬきの ) 国( くに ) へ下り、兵船をそろへ軍勢( ぐんぜい ) を集( あつむ ) る程に、延文四年六月二日俄( にはか ) に病( やまひ ) 付て物狂( ものぐるひ ) に成( なり ) たりけるが、自( みづか ) ら口走( くちばしつ ) て、「我( われ ) 崇徳院( しゆとくゐん ) の御領を落( おと ) して、軍勢( ぐんぜい ) の兵粮( ひやうらう ) 料所( れうしよ ) に充行( あておこなひ ) しに依て重病を受( うけ ) たり。天の譴( せめ ) 八万( はちまん ) 四千( しせん ) の毛孔( けのあな ) に入て五臓( ござう ) 六府( ろつぷ ) に余る間、冷( すず ) しき風に向へ共盛なる炎( ほのほ ) の如く、ひやゝかなる水を飲( のめ ) 共( ども ) 沸返( わきかへ ) る湯の如し。あらあつや難堪や、是( これ ) 助( たすけ ) てくれよ。」と悲( かなし ) み叫( さけび ) て、悶絶僻地( もんぜつびやくぢ ) しければ、医師( いし ) 陰陽師( おんやうじ ) の看病( かんびやう ) の者共( ものども ) 近付( ちかづか ) んとするに、当り四五間( しごけん ) の中は猛火( みやうくわ ) の盛( さかり ) に燃( もえ ) たる様に熱( ねつ ) して、更( さら ) に近付( ちかづく ) 人も無( なか ) りけり。病付( やみつき ) て七日に当りける卯( う ) の刻に黄なる旗一流( ひとながれ ) 差( さし ) て、混( ひ ) た甲( かぶと ) の兵千騎( せんぎ ) 許( ばかり ) 、三方( さんぱう ) より同時に時の声を揚( あげ ) て押寄( おしよせ ) たり。誰とは不知敵寄( よせ ) たりと心得( こころえ ) て、此( この ) 間馳集( はせあつまり ) たる兵共( つはものども ) 五百( ごひやく ) 余人( よにん ) 、大庭( おほには ) に走( はしり ) 出て散々に射る。箭種( やだね ) 尽( つき ) ぬれば打物( うちもの ) に成て、追つ返( かへし ) つ半時許( はんじばかり ) ぞ戦たる。搦手( からめて ) より寄( よせ ) ける敵かと覚( おぼえ ) て、紅( くれなゐ ) の母衣( ほろ ) 掛( かけ ) たる兵十( じふ ) 余騎( よき ) 、大将細川伊予( いよの ) 守( かみ ) が頚( くび ) と家人( けにん ) 行吉掃部助( ゆきよしかもんのすけ ) が頚( くび ) とを取て鋒( きつさき ) に貫( つらぬ ) き、「悪( にく ) しと思ふ者をば皆打取( うちとり ) たるぞ。是( これ ) 看( み ) よや兵共( つはものども ) 。」とて、二( ふたつ ) の頚を差上( さしあげ ) たれば、大手の敵七百( しちひやく ) 余騎( よき ) 、勝時( かちどき ) を三声( みこゑ ) どつと作て帰るを見れば、此寄手( このよせて ) 天に上り雲に乗( じよう ) じて、白峯( しらみね ) の方へぞ飛( とび ) 去( さり ) ける。変化( へんげ ) の兵帰( かへり ) 去れば、是( これ ) を防( ふせぎ ) つる者共( ものども ) 、討( うた ) れぬと見へつる人も不死、手負( ておひ ) と見つるも恙( つつが ) なし。こはいかなる不思議( ふしぎ ) ぞと、互( たがひ ) に語り互に問( とひ ) て、暫( しばら ) くあれば、伊予( いよの ) 守( かみ ) も行吉( ゆきよし ) も同時に無墓成( なり ) にけり。誠( まこと ) に濁悪( ぢよくあく ) の末世( まつせ ) と乍云、不思議( ふしぎ ) なる事共( ことども ) なり。
○菊池( きくち ) 合戦( かつせんの ) 事( こと ) 小弐( せうに ) ・大友( おほとも ) は、菊池( きくち ) に九国を打順( うちしたがへ ) られて、其( その ) 成敗に随( したがふ ) 事不安思( おもひ ) ければ、細川伊予( いよの ) 守( かみ ) の下向を待て旗を挙( あげ ) んと企( くはたて ) けるが、伊予( いよの ) 守( かみ ) 、崇徳院( しゆとくゐん ) の御霊( ごりやう ) に罰( ばつ ) せられて、犬死( いぬじに ) しぬと聞へければ、力を失( うしなひ ) て機( き ) を呈( あらは ) さず。斯( かか ) る処に畠山治部( ぢぶの ) 太輔( たいふ ) が、未( いまだ ) 宮方( みやがた ) には随( したが ) はで楯篭( たてこもり ) たる六笠( むかさ ) の城( じやう ) を責( せめ ) んとて、菊池( きくち ) 肥後( ひごの ) 守( かみ ) 武光五千( ごせん ) 余騎( よき ) にて、十一月十七日( じふしちにち ) 肥後( ひごの ) 国( くに ) を立て日向( ひうがの ) 国( くに ) へぞ向( むかひ ) ける。道四日路( よつかぢ ) が間、山を超( こえ ) 川を渡て、行先は嶮岨( けんそ ) に跡は難所にてぞ有( あり ) ける。小弐( せうに ) ・大友( おほとも ) 、菊池( きくち ) が催促( さいそく ) に応( おう ) じて、豊後( ぶんごの ) 国中( こくぢゆう ) に打出て勢汰( せいぞろへ ) をしけるが、是( これ ) こそよき時分なりと思( おもひ ) ければ、菊池( きくち ) を日向( ひうがの ) 国( くに ) へ遣( や ) り過( すご ) して後、大友( おほとも ) 刑部( ぎやうぶの ) 太輔( たいふ ) 氏時、旗を挙( あげ ) て豊後( ぶんご ) の高崎( たかさき ) の城( じやう ) に取上る。宇都宮( うつのみや ) 大和( やまとの ) 前司( ぜんじ ) は、河を前にして豊前の路を塞( ふさ ) ぎ、肥前( ひぜんの ) 刑部( ぎやうぶの ) 太輔( たいふ ) は、山を後( うしろ ) に当( あて ) て筑後( ちくご ) の道をぞ塞ぎける。菊池( きくち ) 已( すで ) に前後の大敵に取篭( とりこめ ) られて何( いづ ) くへか可引。只篭( こ ) の中( うち ) の鳥、網代( あじろ ) の魚の如しと、哀( あはれ ) まぬ人も無( なか ) りけり。菊池( きくち ) 此( この ) 二十四年が間、筑紫九国の者共( ものども ) が軍立手柄( いくさだててがら ) の程を、敵に受け御方( みかた ) になして、能( よく ) 知透( しりすか ) したりければ、後( うし ) ろには敵旗を上( あげ ) 道を塞( ふさぎ ) たりと聞へけれ共( ども ) 、更に事ともせず、十一月十日より矢合( やあはせ ) して、畠山治部( ぢぶの ) 太輔( たいふ ) が子息民部少輔( みんぶのせう ) が篭( こもり ) たる三保( みつまた ) の城( じやう ) を夜昼十七日( じふしちにち ) が中に責( せめ ) 落( おと ) して、敵を打( うつ ) こと三百人( さんびやくにん ) に及べり。畠山父子憑切( たのみきり ) たる三保( みつまた ) の城( じやう ) 落されて、叶はじとや思ひけん、攻( つめ ) の城( じやう ) にもたまらず、引て深山( みやま ) の奥へ逃篭( にげこも ) りければ、菊池( きくち ) 今は是( これ ) までぞとて肥後( ひごの ) 国( くに ) へ引返すに、跡を塞ぎし大敵共更( さら ) に戦ふ事なければ、箭の一( ひとつ ) をも不射己( おのれ ) が館( たち ) へぞ帰りける。是( これ ) までは未( いまだ ) 太宰小弐( だざいのせうに ) ・阿蘇大宮司( あそのだいぐうじ ) 、宮方( みやがた ) を背( そむ ) く気色( けしき ) 無( なか ) りければ、彼等( かれら ) に牒( てふ ) し合( あは ) せて、菊池( きくち ) 五千( ごせん ) 余騎( よき ) を卒( そつ ) して大友( おほとも ) を退治( たいぢ ) せん為に豊後( ぶんごの ) 国( くに ) へ馳向ふ。是( この ) 時( とき ) 太宰( だざいの ) 小弐( せうに ) 俄( にはか ) に心替( こころがはり ) して太宰府( だざいふ ) にして旗を挙( あげ ) ければ、阿蘇( あその ) 大宮司( だいぐうじ ) 是( これ ) に与( くみ ) して菊池( きくち ) が迹を塞( ふさ ) がんと、小国( をくに ) と云( いふ ) 処に九箇所( くかしよ ) の城( じやう ) を構( かまへ ) て、菊池( きくち ) を一人も打漏( うちもら ) さじとぞ企( くはたて ) ける。菊池( きくち ) 兵粮( ひやうらう ) 運送の路を止( とめ ) られて豊後( ぶんご ) へ寄( よす ) る事も不叶、又太宰府へ向はんずる事も難儀也( なり ) ければ、先( まづ ) 我肥後( ひごの ) 国( くに ) へ引返してこそ、其( その ) 用意( ようい ) をも致さめとて、菊池( きくち ) へ引返しけるが、阿蘇( あその ) 大宮司( だいぐうじ ) が構( かまへ ) たる九箇所( くかしよ ) の城( じやう ) を一々に責( せめ ) 落( おと ) して通るに、阿蘇( あその ) 大宮司( だいぐうじ ) 憑切( たのみきり ) たる手( ての ) 者共( ものども ) 三百( さんびやく ) 余人( よにん ) 討( うた ) れければ、敵の通路( つうろ ) を止むるまでは不寄思、我( わが ) 身の命を希有( けう ) にしてこそ落( おち ) 行( ゆき ) けれ。去( さる ) 程( ほど ) に七月に征西( せいせい ) 将軍( しやうぐんの ) 宮( みや ) を大将として、新田の一族( いちぞく ) ・菊池( きくち ) の一類( いちるゐ ) 、太宰府へ寄( よする ) と聞へしかば、小弐( せうに ) は陣を取て敵を待( また ) んとて、大将太宰( だざいの ) 筑後( ちくごの ) 守( かみ ) 頼尚( よりひさ ) ・子息筑後( ちくごの ) 新小弐( せうに ) 忠資( ただすけ ) ・甥( をひ ) 太宰( だざいの ) 筑後( ちくごの ) 守( かみ ) 頼泰・朝井( あさゐ ) 但馬( たぢまの ) 将監( しやうげん ) 胤信( たねのぶ ) ・筑後( ちくごの ) 新左衛門( しんざゑもん ) 頼信( よりのぶ ) ・窪能登( くぼののとの ) 太郎泰助( やすすけ ) ・肥後( ひごの ) 刑部( ぎやうぶの ) 太輔( たいふ ) 泰親( やすちか ) ・太宰( だざいの ) 出雲( いづもの ) 守( かみ ) 頼光( よりみつ ) ・山井( やまゐ ) 三郎惟則( これのり ) ・饗場( あいば ) 左衛門( さゑもんの ) 蔵人( くらんど ) 重高( しげたか ) ・同左衛門( さゑもんの ) 大夫( たいふ ) 行盛( ゆきもり ) ・相馬( さうま ) 小太郎・木綿( こわたの ) 左近( さこんの ) 将監( しやうげん ) ・西河( さいかの ) 兵庫( ひやうごの ) 助( すけ ) ・草壁( くさかべ ) 六郎( ろくらう ) ・牛糞( うしくそ ) 刑部( ぎやうぶの ) 大輔( たいふ ) 、松浦党( まつらたう ) には、佐志( さしの ) 将監( しやうげん ) ・田平( たひら ) 左衛門( さゑもんの ) 蔵人( くらんど ) ・千葉( ちば ) 右京( うきやうの ) 大夫( たいふ ) ・草野( くさの ) 筑後( ちくごの ) 守( かみ ) ・子息肥後( ひごの ) 守( かみ ) ・高木肥前( ひぜんの ) 守( かみ ) ・綾部( あやべ ) 修理( しゆりの ) 亮( すけ ) ・藤木( ふぢのき ) 三郎・幡田( はたた ) 次郎・高田筑前( ちくぜんの ) 々司・三原( みはら ) 秋月( あきづき ) の一族( いちぞく ) ・島津上総( かづさの ) 入道( にふだう ) ・渋谷( しぶや ) 播磨( はりまの ) 守( かみ ) ・本間( ほんま ) 十郎・土屋( つちや ) 三郎・松田弾正少弼( だんじやうせうひつ ) ・河尻( かはじり ) 肥後( ひごの ) 入道( にふだう ) ・託間( たくま ) 三郎・鹿子木( かのこぎ ) 三郎、此等( これら ) を宗( むね ) との侍として都合其( その ) 勢( せい ) 六万( ろくまん ) 余騎( よき ) 、杜( えずり ) の渡( わたり ) を前に当( あて ) て味坂庄( あぢさかのしやう ) に陣を取る。宮方( みやがた ) には、先帝第六の王子( わうじ ) 征西( せいせい ) 将軍( しやうぐんの ) 宮( みや ) 、洞院( とうゐん ) 権大納言( ごんだいなごん ) ・竹林院三位( さんみの ) 中将( ちゆうじやう ) ・春日( かすがの ) 中納言( ちゆうなごん ) ・花山院( くわざんのゐん ) 四位( しゐの ) 少将( せうしやう ) ・土御門( つちみかどの ) 少将( せうしやう ) ・坊城( ばうじやうの ) 三位( さんみ ) ・葉室( はむろの ) 左衛門( さゑもんの ) 督( かみ ) ・日野( ひのの ) 左少弁( させうべん ) ・高辻( たかつじの ) 三位( さんみ ) ・九条( くでうの ) 大外記( だいげき ) ・子息主水頭( もんどのかみ ) 、新田( につたの ) 一族( いちぞく ) には、岩松( いはまつ ) 相摸守( さがみのかみ ) ・瀬良田( せらだ ) 大膳( だいぜんの ) 大夫( たいふ ) ・田中弾正( だんじやうの ) 大弼( だいひつ ) ・桃井( もものゐ ) 左京( さきやうの ) 亮( すけ ) ・江田( えた ) 丹後( たんごの ) 守( かみ ) ・山名因幡( いなばの ) 守( かみ ) ・堀口( ほりぐち ) 三郎・里見( さとみ ) 十郎、侍大将には、菊池( きくち ) 肥後( ひごの ) 守( かみ ) 武光・子息肥後( ひごの ) 次郎・甥( をひの ) 肥前( ひぜんの ) 二郎武信・同孫三郎( まごさぶらう ) 武明( たけあきら ) ・赤星( あかほし ) 掃部助( かもんのすけ ) 武貫( たけつら ) ・城( じやうの ) 越前守( ゑちぜんのかみ ) ・賀屋( かや ) 兵部( ひやうぶの ) 太輔( たいふ ) ・見参岡( みさをか ) 三川( みかはの ) 守( かみ ) ・庄( しやうの ) 美作( みまさかの ) 守( かみ ) ・国分( こくぶんの ) 二郎・故伯耆( はうきの ) 守( かみ ) 長年( ながとし ) が次男名和( なわ ) 伯耆( はうきの ) 権( ごんの ) 守( かみ ) 長秋( ながあき ) ・三男( さんなん ) 修理( しゆりの ) 亮( すけ ) ・宇都宮( うつのみや ) 刑部( ぎやうぶの ) 丞( じよう ) ・千葉刑部( ぎやうぶの ) 太輔( たいふ ) ・白石( しらいし ) 三川( みかはの ) 入道( にふだう ) ・鹿島( かしま ) 刑部( ぎやうぶの ) 太輔( たいふ ) ・大村弾正少弼( だんじやうせうひつ ) ・太宰( だざいの ) 権( ごんの ) 小弐( せうに ) ・宇都宮( うつのみや ) 壱岐( いきの ) 守( かみ ) ・大野式部( しきぶの ) 太輔( たいふ ) ・派( みなまた ) 讃岐守( さぬきのかみ ) ・溝口( みぞぐち ) 丹後( たんごの ) 守( かみ ) ・牛糞( うしくそ ) 越前( ゑちぜんの ) 権( ごんの ) 守( かみ ) ・波多野( はだの ) 三郎・河野辺( かはのべ ) 次郎・稲佐( いなさ ) 治部( ぢぶの ) 太輔( たいふ ) ・谷山( たにやま ) 右馬助( うまのすけ ) ・渋谷( しぶや ) 三河( みかはの ) ・同修理( しゆりの ) 亮( すけ ) ・島津上総四郎・斉所( さいしよ ) 兵庫( ひやうごの ) 助( すけ ) ・高山( たかやま ) 民部( みんぶの ) 太輔( たいふ ) ・伊藤摂津( つの ) 守( かみ ) ・絹脇( きぬわき ) 播磨( はりまの ) 守( かみ ) ・土持( つちもち ) 十郎・合田( あふた ) 筑前( ちくぜんの ) 守( かみ ) 、此等( これら ) を宗( むね ) との兵として、其( その ) 勢( せい ) 都合八千( はつせん ) 余騎( よき ) 、高良山( かうらさん ) ・柳坂( やなぎさか ) ・水縄山( みなふやま ) 三箇所( さんかしよ ) に陣をぞ取たりける。同七月十九日に、菊池( きくち ) は先( まづ ) 己( おのれ ) が手勢( てぜい ) 五千( ごせん ) 余騎( よき ) にて筑後河( ちくごがは ) を打渡り、小弐( せうに ) が陣へ押寄す。小弐( せうに ) 如何( いかが ) 思( おもひ ) けん不戦、三十( さんじふ ) 余町( よちやう ) 引退( ひきの ) き大原( おほはら ) に陣を取る。菊池( きくち ) つゞひて責( せめ ) んとしけるが、あはひに深き沼有て細道一つ有( あり ) けるを、三所( みところ ) 堀( ほり ) 切て、細き橋を渡したりければ、可渡様( やう ) も無( なか ) りけり。両陣僅( わづか ) に隔( へだて ) て旗の文( もん ) 鮮( あざやか ) に見ゆる程になれば、菊池( きくち ) 態( わざと ) 小弐( せうに ) を為令恥、金銀にて月日を打て著( つけ ) たる旗の蝉本( せみもと ) に、一紙( いつし ) の起請文( きしやうもん ) をぞ押( おし ) たりける。此( これ ) は去年太宰( だざいの ) 小弐( せうに ) 、古浦城( ふるうらのじやう ) にて已( すで ) に一色( いつしき ) 宮内( くないの ) 太輔( たいふ ) に討( うた ) れんとせしを、菊池( きくち ) 肥後( ひごの ) 守( かみ ) 大勢を以( もつ ) て後攻( ごづめ ) をして、小弐( せうに ) を助( たすけ ) たりしかば、小弐( せうに ) 悦びに不堪、「今より後子孫七代に至( いたる ) まで、菊池( きくち ) の人々に向て弓を引( ひき ) 矢を放( はなつ ) 事不可有。」と、熊野( くまの ) の牛王( ごわう ) の裏に、血をしぼりて書( かき ) たりし起請( きしやう ) なれば、今無情心替( こころがは ) りしたる処のうたてしさを、且( かつう ) は訴天に、且( かつう ) は為令知人に也( なり ) けり。八月十六日( じふろくにち ) の夜半許( ばかり ) に、菊池( きくち ) 先( まづ ) 夜討に馴( なれ ) たる兵を三百人( さんびやくにん ) 勝( すぐつ ) て、山を越( こえ ) 水を渡て搦手( からめて ) へ廻( まは ) す。宗( むね ) との兵七千( しちせん ) 余騎( よき ) をば三手( みて ) に分て、筑後河の端( はた ) に副( そう ) て、河音( かはおと ) に紛( まぎ ) れて嶮岨( けんそ ) へ廻( まは ) りて押寄す。大手の寄手( よせて ) 今は近付( ちかづか ) んと覚( おぼえ ) ける程に、搦手( からめて ) の兵三百人( さんびやくにん ) 敵の陣へ入て、三処に時の声を揚( あ ) げ十方に走( はしり ) 散( ちつ ) て、敵の陣々へ矢を射懸( いかけ ) て、後( うしろ ) へ廻( まはつ ) てぞ控( ひかへ ) たる。分内( ぶんない ) 狭( せば ) き所に六万( ろくまん ) 余騎( よき ) の兵、沓( くつ ) の子( こ ) を打たる様( やう ) に役所( やくしよ ) を作り双( ならべ ) たれば、時の声に驚き、何( いづれ ) を敵と見分たる事もなく此( ここ ) に寄合( よせあはせ ) 彼( かしこ ) に懸合( かけあひ ) て、呼叫( をめきさけび ) 追つ返( かへし ) つ同士打( どしうち ) をする事数剋( すこく ) 也( なり ) しかば、小弐( せうに ) 憑切( たのみきり ) たる兵三百( さんびやく ) 余人( よにん ) 、同士打( どしうち ) にこそ討( うた ) れけれ。敵陣騒乱( さわぎみだれ ) て、夜已( すで ) に明( あけ ) ければ、一番に菊池( きくち ) 二郎、件( くだん ) の起請( きしやう ) の旗を進めて、千( せん ) 余騎( よき ) にてかけ入( いる ) 。小弐( せうに ) が嫡子( ちやくし ) 太宰( だざいの ) 新小弐( せうに ) 忠資( ただすけ ) 、五十( ごじふ ) 余騎( よき ) にて戦( たたかひ ) けるが、父が起請や子に負( おひ ) けん。忠資忽( たちまち ) に打負( うちまけ ) て、引返( ひつかへし ) 々々( ひつかへし ) 戦( たたかひ ) けるが、敵に組( くま ) れて討( うた ) れにけり。是( これ ) を見て朝井( あさゐ ) 但馬( たぢまの ) 将監( しやうげん ) 胤信( たねのぶ ) ・筑後( ちくごの ) 新左衛門( しんざゑもん ) ・窪( くぼの ) 能登( のとの ) 守( かみ ) ・肥前( ひぜんの ) 刑部( ぎやうぶの ) 大輔( たいふ ) 、百( ひやく ) 余騎( よき ) にて取て返し、近付く敵に引組( ひつくみ ) 々々差違( さしちがへ ) て死( しに ) ければ、菊池( きくち ) 孫次郎武明( たけあきら ) ・同越後( ゑちごの ) 守( かみ ) ・賀屋( かや ) 兵部( ひやうぶの ) 大輔( たいふ ) ・見参岡( みさをか ) 三川( みかはの ) 守( かみ ) ・庄( しやうの ) 美作( みまさかの ) 守( かみ ) ・宇都宮( うつのみや ) 刑部( ぎやうぶの ) 丞( じよう ) ・国分( こくぶん ) 次郎以下宗( むね ) との兵八十三人( はちじふさんにん ) 、一所にて皆討( うた ) れにけり。小弐( せうに ) が一陣の勢( せい ) は、大将の新小弐( せうに ) 討( うた ) れて引退( ひきしりぞき ) ければ、菊池( きくち ) が前陣の兵、汗馬( かんば ) を伏て引( ひか ) へたり。二番に菊池( きくち ) が甥( をひ ) 肥前( ひぜんの ) 二郎武信・赤星掃部( かもんの ) 助( すけ ) 武貫( たけつら ) 、千( せん ) 余騎( よき ) にて進めば、小弐( せうに ) が次男太宰越後( ゑちごの ) 守( かみ ) 頼泰、並( ならびに ) 太宰出雲( いづもの ) 守( かみ ) 、二万( にまん ) 余騎( よき ) にて相向ふ。初( はじめ ) は百騎( ひやくき ) 宛( づつ ) 出合( いであひ ) て戦( たたかひ ) けるが、後には敵御方( みかた ) 二万( にまん ) 二千( にせん ) 余騎( よき ) 、颯( さつ ) と入( いり ) 乱( みだれ ) 、此( ここ ) に分れ彼( かしこ ) に合( あひ ) 、半時許( はんじばかり ) 戦( たたかひ ) けるが、組( くん ) で落( おつ ) れば下重( おりかさな ) り、切て落せば頚( くび ) をとる。戦未( いまだ ) 決( けつせざる ) 前( さき ) に、小弐( せうに ) 方には赤星掃部( かもんの ) 助( すけ ) 武貫を討て悦び、寄手( よせて ) は引返す。菊池( きくち ) が方には太宰( だざいの ) 越後( ゑちごの ) 守( かみ ) を虜( いけどり ) て、勝時( かちどき ) を上( あげ ) てぞ悦( よろこび ) ける。此( この ) 時( とき ) 宮方( みやがた ) に、結城( ゆふき ) 右馬( うまの ) 頭( かみ ) ・加藤大夫判官( たいふのはうぐわん ) ・合田( あふた ) 筑前( ちくぜんの ) 入道( にふだう ) ・熊谷( くまがえ ) 豊後( ぶんごの ) 守( かみ ) ・三栗屋( みくりや ) 十郎・太宰( だざいの ) 修理( しゆりの ) 亮( すけ ) ・松田丹後( たんごの ) 守( かみ ) ・同出雲( いづもの ) 守( かみ ) ・熊谷( くまがえ ) 民部( みんぶの ) 大輔( たいふ ) 以下、宗( むね ) との兵三百( さんびやく ) 余人( よにん ) 討死しければ、将軍方( しやうぐんがた ) には、饗庭( あいば ) 右衛門( うゑもんの ) 蔵人( くらんど ) ・同左衛門( さゑもんの ) 大夫( たいふ ) ・山井( やまゐ ) 三郎・相馬( さうま ) 小太郎・木綿( こわた ) 左近( さこんの ) 将監( しやうげん ) ・西川( にしかは ) 兵庫( ひやうごの ) 助( すけ ) ・草壁( くさかべ ) 六郎( ろくらう ) 以下、憑切( たのみきり ) たる兵共( つはものども ) 七百( しちひやく ) 余人( よにん ) 討( うた ) れにけり。三番には、宮の御勢( おんせい ) ・新田の一族( いちぞく ) ・菊池( きくち ) 肥後( ひごの ) 守( かみ ) 一手( ひとて ) に成て、三千( さんぜん ) 余騎( よき ) 、敵の中を破( わつ ) て、蜘手( くもて ) 十文字( じふもんじ ) に懸( かけ ) 散( ちらさ ) んと喚( をめ ) ひて蒐( かか ) る。小弐( せうに ) ・松浦( まつら ) ・草壁・山賀( やまが ) ・島津・渋谷( しぶや ) の兵二万( にまん ) 余騎( よき ) 、左右へ颯( さつ ) と分れて散々( さんざん ) に射る。宮方( みやがた ) の勢射立( いたて ) られて引( ひき ) ける時、宮は三所( みところ ) まで深手を負( おは ) せ給( たまひ ) ければ日野( ひのの ) 左少弁( させうべん ) ・坊城( ばうじやう ) 三位( さんみ ) ・洞院( とうゐん ) 権大納言( ごんだいなごん ) ・花山院四位( しゐの ) 少将・北山( きたやま ) 三位( さんみの ) 中将( ちゆうじやう ) ・北畠( きたばたけ ) 源( げん ) 中納言( ぢゆうなごん ) ・春日( かすがの ) 大納言( だいなごん ) ・土御門( つちみかど ) 右少弁・高辻( たかつじの ) 三位( さんみ ) ・葉室( はむろ ) 左衛門( さゑもんの ) 督( かみ ) に至るまで、宮を落( おと ) し進( まゐら ) せんと蹈止( ふみとどまつ ) て討( うた ) れ給ふ。是( これ ) を見て新田の一族( いちぞく ) 三十三人( さんじふさんにん ) 、其( その ) 勢( せい ) 千( せん ) 余騎( よき ) 横合( よこあひ ) に懸て、両方の手崎( てさき ) を追( おひ ) まくり、真中( まんなか ) へ会尺( ゑしやく ) もなく懸( かけ ) 入て、引組( ひつくん ) で落( おち ) 、打違( うちちがへ ) て死( しに ) 、命を限( かぎり ) に戦( たたかひ ) けるに、世良田( せらだ ) 大膳( だいぜんの ) 大夫( たいふ ) ・田中弾正( だんじやうの ) 大弼( だいひつ ) ・岩松( いはまつ ) 相摸守( さがみのかみ ) ・桃井( もものゐ ) 右京( うきやうの ) 亮( すけ ) ・堀口三郎・江田( えだ ) 丹後( たんごの ) 守( かみ ) ・山名播磨( はりまの ) 守( かみ ) 、敵に組( くま ) れて討( うた ) れにけり。菊池( きくち ) 肥後( ひごの ) 守( かみ ) 武光・子息肥後( ひごの ) 次郎は、宮の御手( おんて ) を負( おは ) せ給( たまふ ) のみならず、月卿( げつけい ) 雲客( うんかく ) ・新田( につたの ) 一族( いちぞく ) 達若干( そくばく ) 討( うた ) るゝを見て、「何( いつ ) の為に可惜命ぞや。日来( ひごろ ) の契約( けいやく ) 不違、我に伴( ともな ) ふ兵共( つはものども ) 、不残討死せよ。」と励( はげま ) されて、真前( まつさき ) に懸入る。敵此( これ ) を見知( みしり ) たりければ、射て落さんと、鏃( やじり ) をそろへて如雨降射けれ共( ども ) 、菊池( きくち ) が著( き ) たる鎧( よろひ ) は、此( この ) 合戦の為に三人( さんにん ) 張( ばり ) の精兵( せいびやう ) に草摺( くさずり ) を一枚宛( づつ ) 射させて、通らぬさねを一枚まぜに拵( こしらへ ) て威( をどし ) たれば、何( いか ) なる強弓( つよゆみ ) が射けれ共( ども ) 、裏かく矢一( ひとつ ) も無( なか ) りけり。馬は射られて倒( たふる ) れ共乗手は疵( きず ) を被( かうむ ) らねば、乗替( のりかへ ) ては懸( かけ ) 入( いり ) 々々( かけいり ) 、十七度( じふしちど ) 迄( まで ) 懸( かけ ) けるに、菊池( きくち ) 甲( かぶと ) を落されて、小鬢( こびん ) を二太刀切( きら ) れたり。すはや討( うた ) れぬと見へけるが、小弐( せうに ) 新左衛門( しんざゑもん ) 武藤( たけふぢ ) と押双( おしならべ ) て組( くん ) で落( おち ) 、小弐( せうに ) が頚を取て鋒( きつさき ) に貫( つらぬ ) き、甲( かぶと ) を取て打著( うちき ) て、敵の馬に乗替( のりかへ ) 、敵の中へ破( わつ ) て入( いり ) 、今日の卯( うの ) 剋より酉( とり ) の下( さがり ) まで一息をも不継相戦( あひたたかひ ) けるに、新小弐( せうに ) を始( はじめ ) として一族( いちぞく ) 二十三人( にじふさんにん ) 、憑切( たのみきり ) たる郎従四百( しひやく ) 余人( よにん ) 、其( その ) 外の軍勢( ぐんぜい ) 三千二百二十六人まで討( うた ) れにければ、小弐( せうに ) 今は叶はじとや思( おもひ ) けん、太宰府へ引退( ひきのい ) て、宝万( はうまん ) が岳( だけ ) に引上( ひきあが ) る。菊池( きくち ) も勝軍( かちいくさ ) はしたれども、討死したる人を数( かぞふ ) れば、千八百( はつぴやく ) 余人( よにん ) と注( しる ) したりける。続( つづい ) て敵にも不懸、且( しばら ) く手負( ておひ ) を助( たすけ ) てこそ又合戦を致さめとて、肥後国へ引返す。其( その ) 後は、敵も御方( みかた ) も皆己( おのれ ) が領知( りやうち ) の国に楯篭( たてこもり ) て、中々軍( いくさ ) も無( なか ) りけり。
○新田左兵衛( さひやうゑの ) 佐( すけ ) 義興( よしおき ) 自害( じがいの ) 事( こと ) 去( さる ) 程( ほど ) に尊氏( たかうぢの ) 卿( きやう ) 逝去( せいきよ ) あつて後、筑紫は加様( かやう ) に乱れぬといへ共、東国は未( いまだ ) 静( しづか ) 也( なり ) 。爰( ここ ) に故新田左中将( さちゆうじやう ) 義貞の子息左兵衛( さひやうゑの ) 佐( すけ ) 義興・其( その ) 弟武蔵( むさしの ) 少将( せうしやう ) 義宗( よしむね ) ・故脇屋( わきや ) 刑部( ぎやうぶの ) 卿( きやう ) 義助( よしすけの ) 子息右衛門( うゑもんの ) 佐( すけ ) 義治( よしはる ) 三人( さんにん ) 、此( この ) 三四年が間越後国( ゑちごのくに ) に城郭( じやうくわく ) を構( かま ) へ半国許( ばかり ) を打随( うちしたが ) へて居たりけるを、武蔵・上野の者共( ものども ) の中より、無弐由( よし ) の連署( れんじよ ) の起請( きしやう ) を書て、「両三人( さんにん ) の御中に一人( いちにん ) 東国へ御越( おんこし ) 候へ。大将にし奉て義兵を揚( あ ) げ候はん。」とぞ申たりける。義宗・義治( よしはる ) 二人( ににん ) は思慮深き人也( なり ) ければ、此比( このころ ) の人の心無左右難憑とて不被許容。義興は大早( おほはやり ) にして、忠功人に先立( さきだ ) たん事をいつも心に懸( かけ ) て思はれければ、是非の遠慮を廻( めぐら ) さるゝまでもなく、纔( わづか ) に郎従百( ひやく ) 余人( よにん ) を行( ゆき ) つれたる旅人の様に見せて、窃( ひそか ) に武蔵( むさしの ) 国( くに ) へぞ越( こえ ) られける。元来( ぐわんらい ) 張本( ちやうぼん ) の輩( ともがら ) は申( まうす ) に不及、古( いにし ) へ新田( につた ) 義貞( よしさだ ) に忠功有( あり ) し族( やから ) 、今( いま ) 畠山入道々誓( だうせい ) に恨( うらみ ) を含む兵、窃( ひそか ) に音信( いんしん ) を通じ、頻( しきり ) に媚( こび ) を入て催促( さいそく ) に可随由( よし ) を申( まうす ) 者多かりければ、義興今は身を寄( よす ) る所多く成( なり ) て、上野・武蔵両国の間に其( その ) 勢( いきほ ) ひ漸( やうやく ) 萌( きざ ) せり。天に耳無( なし ) といへ共是( これ ) を聞( きく ) に人を以( もつ ) てする事なれば、互( たがひ ) に隠密( おんみつ ) しけれ共( ども ) 、兄( あに ) は弟( おとと ) に語り子は親に知( しら ) せける間、此( この ) 事無程鎌倉( かまくら ) の管領( くわんれい ) 足利左馬( さまの ) 頭( かみ ) 基氏( もとうぢ ) 朝臣( あそん ) ・畠山入道々誓( だうせい ) に聞へてげり。畠山大夫入道( たいふにふだう ) 是( これ ) を聞( きき ) しより敢( あへ ) て寝食を安くせず、在所を尋( たづね ) 聞( きい ) て大勢を差遣( さしつかは ) せば、国内通計( つうげ ) して行方を不知( しらず ) 。又五百騎( ごひやくき ) 三百騎( さんびやくき ) の勢を以て、道に待( まち ) て夜討に寄( よせ ) て討( うた ) んとすれば、義興更( さら ) に事共( こととも ) せず、蹴散( けちら ) しては道を通( とほ ) り打破( やぶつ ) ては囲( かこみ ) を出て、千変万化( せんべんばんくわ ) 総( すべ ) て人の態( わざ ) に非( あら ) ずと申ける間、今はすべき様( やう ) なしとて、手に余( あま ) りてぞ覚へける。さても此( この ) 事如何( いか ) がすべきと、畠山入道々誓昼夜( ちうや ) 案じ居たりけるが、或( ある ) 夜潜( ひそか ) に竹沢右京( うきやうの ) 亮( すけ ) を近付( ちかづけ ) て、「御辺( ごへん ) は先年( せんねん ) 武蔵野の合戦の時、彼( か ) の義興の手に属( しよく ) して忠ありしかば、義興も定( さだめ ) て其旧好( そのきうかう ) を忘れじとぞ思はるらん。されば此( この ) 人を忻( たばかつ ) て討( うた ) んずる事は、御辺( ごへん ) に過( すぎ ) たる人可有。何( いか ) なる謀( はかりこと ) をも運( めぐら ) して、義興を討て左馬( さまの ) 頭( かみ ) 殿( どの ) の見参に入( いれ ) 給へ。恩賞は宜依請に。」とぞ語( かたら ) れける。竹沢は元来( ぐわんらい ) 欲心( よくしん ) 熾盛( しじやう ) にして、人の嘲( あざけり ) をも不顧古( いにし ) への好( よし ) みをも不思、無情者也( なり ) ければ、曾( かつ ) て一義をも申さず。「さ候はゞ、兵衛( ひやうゑの ) 佐( すけ ) 殿( どの ) の疑( うたがひ ) を散じて相近付( あひちかづき ) 候はん為に、某( それがし ) 態( わざと ) 御制法( せいはふ ) 候はんずる事を背( そむい ) て御勘気( かんき ) を蒙( かうむ ) り、御内( みうち ) を罷( まかり ) 出たる体( てい ) にて本国へ罷( まかり ) 下て後( のち ) 、此( この ) 人に取寄り候べし。」と能々( よくよく ) 相謀( あひはかつ ) て己( おのれ ) が宿所へぞ帰( かへり ) ける。兼( かね ) て謀( はか ) りつる事なれば、竹沢翌日( よくじつ ) より、宿々( しゆくしゆく ) の傾城( けいせい ) 共( ども ) を数十人( すじふにん ) 呼( よび ) 寄( よせ ) て、遊び戯( たはぶ ) れ舞( まひ ) 歌( うたふ ) 。是( これ ) のみならず、相伴( あひともな ) ふ傍輩( はうばい ) 共( ども ) 二三十人( にさんじふにん ) 招集( まねきあつめ ) て、博奕( ばくち ) を昼夜( ちうや ) 十( じふ ) 余日( よにち ) までぞしたりける。或( ある ) 人是( これ ) を畠山に告( つげ ) 知( しら ) せたりければ、畠山大に偽( いつは ) り忿( いかつ ) て、「制法( せいはふ ) を破る罪科( ざいくわ ) 非一、凡( およそ ) 破道理法はあれども法を破る道理なし。況( いはん ) や有道( いうだう ) の法をや。一人の科( とが ) を誡( いましむ ) るは万人を為助也( なり ) 。此( この ) 時( とき ) 緩( ゆる ) に沙汰致さば、向後( きやうこう ) の狼籍( らうぜき ) 不可断。」とて、則( すなはち ) 竹沢が所帯を没収( もつしゆ ) して其( その ) 身を被追出けり。竹沢一言の陳謝( ちんじや ) にも不及、「穴( あな ) こと/゛\し、左馬( さまの ) 頭( かみ ) 殿( どの ) に仕( つか ) はれぬ侍は身一( ひとつ ) は過( すぎ ) ぬ歟( か ) 。」と、飽( あく ) まで広言( くわうげん ) 吐散( はきちら ) して、己( おのれ ) が所領へぞ帰( かへり ) にける。角( かく ) て数日( すじつ ) 有て竹沢潜( ひそか ) に新田兵衛( ひやうゑの ) 佐( すけ ) 殿( どの ) へ人を奉て申けるは、「親にて候( さうらひ ) し入道、故新田殿( につたどの ) の御手( おんて ) に属( しよく ) し、元弘の鎌倉( かまくら ) 合戦に忠を抽( ぬきん ) で候( さうらひ ) き。某( それがし ) 又先年武蔵野の御合戦の時、御方( みかた ) に参て忠戦致し候( さうらひ ) し条、定( さだめ ) て思召( おぼしめし ) 忘( わすれ ) 候はじ。其( その ) 後は世の転変( てんぺん ) 度々( どど ) に及て、御座( ござの ) 所をも存知仕( ぞんぢつかまつ ) らで候( さうらひ ) つる間、無力暫( しばら ) くの命を助( たすけ ) て御代( みよ ) を待( まち ) 候はん為に、畠山禅門に属( しよく ) して候( さうらひ ) つるが、心中の趣( おもむき ) 気色に顕( あらは ) れ候( さうらひ ) けるに依て、差( さし ) たる罪科( ざいくわ ) とも覚へぬ事に一所懸命の地を没収( もつしゆ ) せらる。結句( けつく ) 可討なんどの沙汰に及び候( さうらひ ) し間、則( すなはち ) 武蔵( むさし ) の御陣を逃( にげ ) 出て、当時は深山幽谷( しんざんいうこく ) に隠れ居たる体( てい ) にて候。某( それがし ) が此( この ) 間の不義をだに御免あるべきにて候はゞ、御内( みうちに ) 奉公の身と罷( まかり ) 成( なり ) 候( さうらひ ) て、自然の御大事( おんだいじ ) には御命に替( かは ) り進( まゐら ) せ候べし。」と、苦( ねんごろ ) にぞ申入たりける。兵衛( ひやうゑの ) 佐( すけ ) 是( これ ) を聞給て、暫( しばらく ) は申( まうす ) 所誠( まこと ) しからずとて見参をもし給はずして、密儀( みつぎ ) なんどを被知事も無( なか ) りければ、竹沢尚( なほ ) も心中の偽( いつは ) らざる処を顕( あらは ) して近付( ちかづき ) 奉らんため、京都へ人を上せ、ある宮の御所より少将殿と申( まうし ) ける上臈女房の、年十六七( じふろくしち ) 許( ばかり ) なる、容色( ようしよく ) 無類、心様( こころさま ) 優( いう ) にやさしく坐( おはし ) けるを、兔角( とかく ) 申( まうし ) 下して、先( まづ ) 己( おのれ ) が養君( やうくん ) にし奉り、御装束( しやうぞく ) 女房達( にようばうたち ) に至( いたる ) まで、様々( さまざま ) にし立て潜( ひそか ) に兵衛( ひやうゑの ) 佐( すけ ) 殿( どの ) の方へぞ出したりける。義興元来( もとより ) 好色( かうしよく ) の心深かりければ、無類思通( おもひかよは ) して一夜( いちや ) の程の隔( へだて ) も千年を経( へ ) る心地に覚( おぼえ ) ければ、常の隠家( かくれが ) を替( かへ ) んともし給はず、少し混( ひたた ) けたる式( しき ) にて、其方様( そのかたざま ) の草のゆかりまでも、可心置事とは露許( ばかり ) も思( おもひ ) 給はず。誠( まこと ) に褒■( ほうじ ) 一たび笑( ゑん ) で幽王( いうわう ) 傾国、玉妃( ぎよくひ ) 傍( かたはら ) に媚( こび ) て玄宗失世給( たまひ ) しも、角( かく ) やと被思知たり。されば太公望が、好利者与財珍迷之、好色者与美女惑之と、敵を謀( はか ) る道を教( をしへ ) しを不知けるこそ愚かなれ。角( かく ) て竹沢奉公の志( こころざし ) 切( せつ ) なる由を申けるに、兵衛( ひやうゑの ) 佐( すけ ) 早( はや ) 心打解( うちとけ ) て見参し給ふ。軈( やが ) て鞍置( おき ) たる馬三疋( さんびき ) 、只今( ただいま ) 威( をど ) し立てたる鎧( よろひ ) 三領、召替への為とて引進( ひきまゐら ) す。是( これ ) のみならず、越後より著( つ ) き纏( まとひ ) 奉て此彼( ここかしこ ) に隠居( かくれゐ ) たる兵共( つはものども ) に、皆一献( いつこん ) を進( すす ) め、馬・物具( もののぐ ) ・衣裳・太刀・々( かたな ) に至( いたる ) まで、用々に随て不漏是( これ ) を引( ひき ) ける間、兵衛( ひやうゑの ) 佐( すけ ) 殿( どの ) も竹沢を異于也( なり ) 。思( おもひ ) をなされ、傍輩( はうばい ) 共( ども ) も皆是( これ ) に過( すぎ ) たる御要人( ごえうにん ) 不可有と悦ばぬ者は無( なか ) りけり。加様( かやう ) に朝夕宮仕( みやづかひ ) の労( らう ) を積み昼夜無二( むに ) の志を顕( あらはし ) て、半年計( ばかり ) に成( なり ) にければ、佐殿今は何事に付ても心を置( おき ) 給はず、謀反( むほん ) の計略、与力( よりき ) の人数、一事( いちじ ) も不残、心底( しんてい ) を尽( つくし ) て被知けるこそ浅猿( あさまし ) けれ。九月十三夜は暮天( ぼてん ) 雲晴( はれ ) て月も名にをふ夜を顕はしぬと見へければ、今夜明月の会( くわい ) に事を寄( よせ ) て佐殿を我館( わがたち ) へ入れ奉り、酒宴の砌( みぎり ) にて討( うち ) 奉らんと議( ぎ ) して、無二の一族( いちぞく ) 若党( わかたう ) 三百( さんびやく ) 余人( よにん ) 催( もよほ ) し集め、我館( わがたち ) の傍( かたはら ) にぞ篭置( こめおき ) ける。日暮( くれ ) ければ竹沢急ぎ佐殿に参て、「今夜は明月の夜にて候へば、乍恐私( わたくし ) の茅屋( ばうをく ) へ御入( おんいり ) 候( さふらひ ) て、草深き庭の月をも御覧候へかし。御内( みうち ) の人々をも慰め申( まうし ) 候はん為に、白拍子共少々召( めし ) 寄( よせ ) て候。」と申( まうし ) ければ、「有興遊( あそび ) ありぬ。」と面々に皆悦( よろこび ) て、軈( やが ) て馬に鞍置( おか ) せ、郎従共召集( めしあつめ ) て、已( すで ) に打出( いで ) んとし給( たまひ ) ける処に、少将の御局よりとて佐殿へ御消息( ごせうそく ) あり。披( ひらい ) て見給へば、「過( すぎ ) し夜の御事( おんこと ) を悪( あし ) き様なる夢に見進( まゐらせ ) て候( さうらひ ) つるを、夢説( ゆめとき ) に問( とひ ) て候へば、重き御慎( おんつつしみ ) にて候。七日が間は門の内を不可有御出( おんいで ) と申( まうし ) 候也( なり ) 。御心( おんこころ ) 得候べし。」とぞ被申たりける。佐殿是( これ ) を見給て、執事( しつじ ) 井( ゐの ) 弾正を近付( ちかづけ ) て、「如何( いかが ) 可有。」と問( とひ ) 給へば、井( ゐの ) 弾正、「凶( きよう ) を聞て慎( つつし ) まずと云( いふ ) 事や候べき。只( ただ ) 今夜の御遊( ぎよいう ) をば可被止とこそ存( ぞんじ ) 候へ。」とぞ申( まうし ) ける。佐殿げにもと思( おもひ ) 給( たまひ ) ければ、俄( にはか ) に風気( ふうき ) の心地有( あり ) とて、竹沢をぞ被帰ける。竹沢は今夜の企( くはたて ) 案に相違して、不安思( おもひ ) けるが、「抑( そもそも ) 佐( すけ ) 殿( どの ) の少将の御局の文を御覧じて止( とどま ) り給( たまひ ) つるは、如何様( いかさま ) 我企( わがくはたて ) を内々( ないない ) 推( すゐ ) して被告申たる者也( なり ) 。此女姓( このによしやう ) を生( いけ ) て置ては叶( かなふ ) まじ。」とて、翌( あけ ) の夜潜( ひそか ) に少将の局を門へ呼( よび ) 出奉て、差殺して堀の中にぞ沈( しづ ) めける。痛( いたはしい ) 乎( かな ) 、都をば打続きたる世の乱( みだれ ) に、荒( あれ ) のみまさる宮の中に、年経( へ ) て住( すみ ) し人々も、秋の木葉( このは ) の散々( ちりぢり ) に、をのが様々( さまざま ) に成( なり ) しかば、憑( たの ) む影なく成( なり ) はてゝ、身を浮草( うきくさ ) の寄( よる ) べとは、此( この ) 竹沢をこそ憑( たのみ ) 給ひしに、何故( なにゆゑ ) と、思( おもひ ) 分( わき ) たる方もなく、見てだに消( きえ ) ぬべき秋の霜の下に伏( ふし ) て、深き淵に沈( しづめ ) られ給ひける今はの際( きは ) の有様を、思遣( おもひやる ) だに哀( あはれ ) にて、外( よそ ) の袖さへしほれにけり。其( その ) 後より竹沢我( わが ) 力にては尚( なほ ) 討( うち ) 得じと思ひければ、畠山殿の方へ使を立て、「兵衛( ひやうゑの ) 佐( すけ ) 殿( どの ) の隠れ居られて候所をば委細( ゐさい ) に存知仕( つかまつつ ) て候へ共、小勢にては打漏( うちもら ) しぬと覚へ候。急( いそぎ ) 一族( いちぞく ) にて候江戸遠江守( とほたふみのかみ ) と下野守とを被下候へ。彼等( かれら ) に能々( よくよく ) 評定( ひやうぢやう ) して討( うち ) 奉( たてまつり ) 候はん。」とぞ申( まうし ) ける。畠山大夫入道( たいふにふだう ) 大に悦( よろこび ) て、軈( やが ) て江戸遠江守( とほたふみのかみ ) と其甥( そのをひ ) 下野( しもつけの ) 守( かみ ) を被下けるが、討手を下す由兵衛( ひやうゑの ) 佐( すけ ) 伝( つたへ ) 聞かば、在所( ざいしよ ) を替( かへ ) て隔( へだつ ) る事も有( あり ) とて、江戸伯父甥が所領、稲毛( いなげ ) の庄( しやう ) 十二郷( じふにがう ) を闕所( けつしよ ) になして則( すなはち ) 給人( きふにん ) をぞ被付ける。江戸伯父甥大に偽( いつは ) り忿( いかつ ) て、軈( やが ) て稲毛の庄へ馳下り、給人を追出して城郭( じやうくわく ) を構( かま ) へ、一族( いちぞく ) 以下の兵五百( ごひやく ) 余騎( よき ) 招( まねき ) 集( あつめ ) て、「只( ただ ) 畠山殿に向ひ一矢射て討死せん。」とぞ罵( ののし ) りける。程経て後、江戸遠江守( とほたふみのかみ ) 、竹沢右京( うきやうの ) 亮( すけ ) を縁( えん ) に取て兵衛( ひやうゑの ) 佐( すけ ) に申けるは、「畠山殿無故懸命の地を没収( もつしゆ ) せられ、伯父甥共に牢篭( らうろう ) の身と罷( まかり ) なる間、力不及一族共( いちぞくども ) を引卒( いんぞつ ) して、鎌倉殿( かまくらどの ) の御陣に馳向( はせむか ) ひ、畠山殿に向て一矢射んずるにて候。但( ただし ) 可然大将を仰( あふぎ ) 奉らでは、勢の著( つ ) く事有( ある ) まじきにて候へば、佐殿を大将に憑( たのみ ) 奉らんずるにて候。先( まづ ) 忍( しのび ) て鎌倉( かまくら ) へ御越( おんこし ) 候へ。鎌倉中( かまくらぢゆう ) に当家の一族( いちぞく ) いかなりとも二三千騎( にさんぜんぎ ) も可有候。其( その ) 勢を付て相摸( さがみの ) 国( くに ) を打随( うちしたが ) へ、東( とう ) 八箇国( はちかこく ) を推( おし ) て天下を覆( くつがへ ) す謀( はかりこと ) を運( めぐ ) らし候はん。」と、誠( まこと ) に容易( たやす ) げにぞ申たりける。さしも志深き竹沢が執( しつし ) 申( まうす ) なれば、非所疑憑( たのま ) れて、則( すなはち ) 武蔵・上野・常陸・下総の間に、内々与力( よりき ) しつる兵どもに、事の由( よし ) を相触( あひふれ ) て、十月十日の暁に兵衛( ひやうゑの ) 佐( すけ ) 殿( どの ) は忍( しのん ) で先( まづ ) 鎌倉( かまくら ) へとぞ被急ける。江戸・竹沢は兼( かね ) て支度( したく ) したる事なれば、矢口( やぐち ) の渡りの船の底を二所( ふたところ ) えり貫( ぬい ) て、のみを差( さ ) し、渡の向( むかふ ) には宵( よひ ) より江戸遠江守( とほたふみのかみ ) ・同下野( しもつけの ) 守( かみ ) 、混物具( ひたもののぐ ) にて三百( さんびやく ) 余騎( よき ) 、木の陰( かげ ) 岩の下に隠( かくれ ) て、余る所あらば討( うち ) 止めんと用意( ようい ) したり。跡には竹沢右京( うきやうの ) 亮( すけ ) 、究竟( くつきやう ) の射手( いて ) 百五十人( ひやくごじふにん ) 勝( すぐつ ) て、取て帰されば遠矢( とほや ) に射殺さんと巧( たくみ ) たり。「大勢にて御( おん ) 通( とほ ) り候はゞ人の見尤( みとが ) め奉る事もこそ候へ。」とて、兵衛( ひやうゑの ) 佐( すけ ) の郎従共をば、兼( かね ) て皆抜々( ぬけぬけ ) に鎌倉( かまくら ) へ遣( つかは ) したり。世良田( せらだ ) 右馬助( うまのすけ ) ・井( ゐの ) 弾正( だんじやうの ) 忠( ちゆう ) ・大島周防( すはうの ) 守( かみ ) ・土肥( とひの ) 三郎佐衛門・市河五郎・由良( ゆら ) 兵庫( ひやうごの ) 助( すけ ) ・同新左衛門( しんざゑもんの ) 尉( じよう ) ・南瀬口( みなせくち ) 六郎( ろくらう ) 僅( わづか ) に十三人( じふさんにん ) を打連( うちつれ ) て、更( さら ) に他人をば不雑、のみを差( さし ) たる船にこみ乗( のり ) て、矢口( やぐちの ) 渡( わたり ) に押出す。是( これ ) を三途( さんづ ) の大河( たいが ) とは、思( おもひ ) 寄( よら ) ぬぞ哀( あはれ ) なる。倩( つらつら ) 是( これ ) を譬( たと ) ふれば、無常の虎に追( おは ) れて煩悩( ぼんなう ) の大河を渡れば、三毒( さんどく ) の大蛇( だいじや ) 浮( うかび ) 出て是( これ ) を呑( のま ) んと舌を暢( の ) べ、其餐害( そのざんがい ) を遁( のがれ ) んと岸の額( ひたひ ) なる草の根( ね ) に命を係( かけ ) て取( とり ) 付( つき ) たれば、黒白二( ふたつ ) の月の鼠が其( その ) 草の根をかぶるなる、無常の喩( たと ) へに不異。此( この ) 矢口の渡( わたり ) と申( まうす ) は、面( おもて ) 四町( しちやう ) に余( あま ) りて浪嶮( けはし ) く底深し。渡し守( も ) り已( すで ) に櫓を押て河の半( なか ) ばを渡る時、取はづしたる由にて、櫓( ろ ) かいを河に落( おと ) し入れ、二( ふたつ ) ののみを同時に抜( ぬき ) て、二人( ににん ) の水手同じ様に河にかは/\と飛( とび ) 入て、うぶに入てぞ逃去( にげさり ) ける。是( これ ) を見て、向の岸より兵四五百騎( しごひやくき ) 懸出て時をどつと作れば、跡より時を合せて、「愚( おろか ) なる人々哉( かな ) 。忻( たばか ) るとは知( しら ) ぬか。あれを見よ。」と欺( あざむい ) て、箙( えびら ) を扣( たたい ) てぞ笑( わらひ ) ける。去( さる ) 程( ほど ) に水船に涌( わき ) 入て腰中許( こしなかばかり ) に成( なり ) ける時、井( ゐの ) 弾正、兵衛( ひやうゑの ) 佐( すけ ) 殿( どの ) を抱( いだき ) 奉て、中( ちう ) に差揚( さしあげ ) たれば、佐殿、「安からぬ者哉( かな ) 。日本一( につぽんいち ) の不道人( ふたうじん ) 共( ども ) に忻( たばか ) られつる事よ。七生( しちしやう ) まで汝等( なんぢら ) が為に恨( うらみ ) を可報者を。」と大に忿( いかつ ) て腰の刀を抜き、左の脇より右のあばら骨まで掻回( かきまはし ) 々々( かきまはし ) 、二刀( ふたかたな ) まで切( きり ) 給ふ。井( ゐの ) 弾正腸( はらわた ) を引切て河中へかはと投( なげ ) 入れ、己( おのれ ) が喉笛( のどぶえ ) 二所( ふたところ ) さし切て、自( みづか ) らかうづかを掴( つか ) み、己( おのれ ) が頚を後( うし ) ろへ折( を ) り付( つく ) る音、二町( にちやう ) 許( ばかり ) ぞ聞へける。世良田右馬助( うまのすけ ) と大島周防( すはうの ) 守( かみ ) とは、二人( ににん ) 刀を柄口( つかぐち ) まで突違( つきちがへ ) て、引組( ひつくん ) で河へ飛入る。由良兵庫( ひやうごの ) 助( すけ ) ・同新左衛門( しんざゑもん ) は舟の艫舳( ともへ ) に立( たち ) あがり、刀を逆手( さかて ) に取直して、互( たがひ ) に己( おのれ ) が頚を掻落す。土肥( とひの ) 三郎左衛門( さぶらうざゑもん ) ・南瀬口( みなせくち ) 六郎( ろくらう ) ・市河五郎三人( さんにん ) は、各( おのおの ) 袴( はかま ) の腰( こし ) 引( ひき ) ちぎりて裸( はだか ) に成( なり ) 、太刀を口えくわへて、河中に飛( とび ) 入( いり ) けるが、水の底を潜( くぐり ) て向の岸へかけあがり、敵三百騎( さんびやくき ) の中へ走( はしり ) 入り、半時計( はんじばかり ) 切( きり ) 合( あひ ) けるが、敵五人( ごにん ) 打取り十三人( じふさんにん ) に手負( ておほ ) せて、同( おなじ ) 枕に討( うた ) れにけり。其( その ) 後水練( すゐれん ) を入( いれ ) て、兵衛( ひやうゑの ) 左( すけ ) 殿( どの ) 並( ならび ) に自害討死の頚十三求( もとめ ) 出し、酒に浸( ひた ) して、江戸遠江守( とほたふみのかみ ) ・同下野( しもつけの ) 守( かみ ) ・竹沢右京( うきやうの ) 亮( すけ ) 五百( ごひやく ) 余騎( よき ) にて、左馬( さまの ) 頭( かみ ) 殿( どの ) の御坐( おはします ) 武蔵( むさし ) の入間( いるま ) 河の陣へ馳( はせ ) 参( まゐる ) 。畠山入道不斜( なのめならず ) 悦( よろこび ) て、小俣( をまた ) 少輔( せう ) 次郎・松田・河村を呼( よび ) 出して此( これ ) を被見に、「無子細兵衛佐殿( ひやうゑのすけどの ) にて御坐( おは ) し候( さふらひ ) けり。」とて、此( この ) 三四年が先に、数日( すじつ ) 相馴( あひなれ ) 奉( たてまつり ) し事共( ことども ) 申( まうし ) 出て皆泪( なみだ ) をぞ流しける。見る人悦( よろこび ) の中に哀( あはれ ) 添( そう ) て、共に袖をぞぬらしける。此( この ) 義興と申( まうす ) は、故新田左中将( さちゆうじやう ) 義貞の思ひ者の腹に出来たりしかば、兄越後( ゑちごの ) 守( かみ ) 義顕( よしあき ) が討( うた ) れし後も、親父( しんぶ ) 猶( なお ) 是( これ ) を嫡子( ちやくし ) には不立、三男( さんなん ) 武蔵守( むさしのかみ ) 義宗を六歳( ろくさい ) の時より昇殿( しやうでん ) せさせて時めきしかば、義興は有( ある ) にも非( あら ) ず、孤( みなしご ) にて上野( かうづけの ) 国( くに ) に居たりしを、奥州( あうしう ) の国司顕家卿、陸奥( むつの ) 国( くに ) より鎌倉( かまくら ) へ責( せめ ) 上る時、義貞に志ある武蔵・上野の兵共( つはものども ) 、此( この ) 義興を大将に取立て、三万( さんまん ) 余騎( よき ) にて奥州( あうしう ) の国司に力を合( あは ) せ、鎌倉( かまくら ) を責( せめ ) 落( おと ) して吉野へ参じたりしかば、先帝叡覧有て、「誠( まこと ) に武勇( ぶよう ) の器用( きよう ) たり。尤( もつとも ) 義貞が家をも可興者也( なり ) 。」とて、童名( わらべな ) 徳寿丸( とくじゆまる ) と申( まうし ) しを、御前( おんまへ ) にて元服( げんぶく ) させられて、新田左兵衛( さひやうゑの ) 佐( すけ ) 義興( よしおき ) とぞ召( めさ ) れける。器量( きりやう ) 人に勝( すぐ ) れ謀( はかりこと ) 巧( たくみ ) に心飽( あく ) まで早かりしかば、正平七年の武蔵野の合戦、鎌倉( かまくら ) の軍にも大敵を破り、万卒( ばんそつ ) に当る事、古今未( いまだ ) 聞( きかざる ) 処多し。其( その ) 後身を側( そば ) め、只二三人( にさんにん ) 武蔵・上野の間に隠れ行( ありき ) 給ひし時、宇都宮( うつのみや ) の清党( せいのたう ) が、三百( さんびやく ) 余騎( よき ) にて取篭( とりこめ ) たりしも不討得。其振舞( そのふるまひ ) 恰( あたか ) も天を翔( かけり ) 地を潜( くぐ ) る術( じゆつ ) ありと、怪( あやし ) き程の勇者( ようしや ) なりしかば、鎌倉( かまくら ) の左馬( さまの ) 頭( かみ ) 殿( どの ) も、京都の宰相中将( さいしやうのちゆうじやう ) も、安き心地をばせざりつるに、運命窮( きはま ) りて短才庸愚( たんさいようぐ ) の者共( ものども ) に忻( たばか ) られ、水に溺( おぼ ) れて討( うた ) れ給ふ。懸( かか ) りし程に江戸・竹沢が忠功抜群( ばつくん ) 也( なり ) とて、則( すなはち ) 数箇所( すかしよ ) の恩賞をぞ被行ける。「あはれ弓矢の面目哉( かな ) 。」と是( これ ) を羨( うらや ) む人もあり、又、「涜( きたな ) き男の振舞( ふるまひ ) 哉( かな ) 。」と爪弾( つまはじき ) をする人もあり。竹沢をば猶( なほ ) も謀反与同( よとう ) の者共( ものども ) を委細( ゐさい ) に尋( たづね ) らるべしとて、御陣に被留置、江戸二人( ににん ) には暇( いとま ) たびて恩賞の地へぞ下されける。江戸遠江守( とほたふみのかみ ) 喜悦( きえつ ) の眉( まゆ ) を開て、則( すなはち ) 拝領の地へ下向しけるが、十月二十三日( にじふさんにち ) の暮程に、矢口の渡( わたり ) に下居( おりゐ ) て渡の舟を待( まち ) 居たるに、兵衛( ひやうゑの ) 佐( すけ ) 殿( どの ) を渡し奉( たてまつり ) し時、江戸が語らひを得て、のみを抜( ぬい ) て舟を沈( しづ ) めたりし渡守( わたしもり ) が、江戸が恩賞給て下ると聞て、種々の酒肴( さかな ) を用意( ようい ) して、迎( むかひ ) の舟をぞ漕( こぎ ) 出しける。此( この ) 舟已( すで ) に河中を過( すぎ ) ける時、俄( にはか ) に天掻曇( かきくも ) りて、雷( いかづち ) 鳴( なり ) 水嵐( すゐらん ) 烈( はげし ) く吹漲( ふきみなぎ ) りて、白波舟を漂( ただよ ) はす、渡守周章騒( あわてさわい ) で、漕戻( こぎもどさ ) んと櫓( ろ ) を押( おし ) て舟を直しけるが、逆巻( さかまく ) 浪に打返されて、水手梶取( かんとり ) 一人も不残、皆水底( みなそこ ) に沈( しづ ) みけり。天の忿( いかり ) 非直事是( これ ) は如何様( いかさま ) 義興の怨霊( をんりやう ) 也( なり ) と、江戸遠江守( とほたふみのかみ ) 懼( おそれ ) をのゝきて、河端( かはばた ) より引返( ひつかへし ) 、余( よ ) の処をこそ渡さめとて、此( これ ) より二十( にじふ ) 余町( よちやう ) ある上( かみ ) の瀬( せ ) へ馬を早めて打( うち ) ける程に、電行( でんかう ) 前( さき ) に閃( ひらめい ) て、雷( いかづち ) 大に鳴霆( なりはた ) めく、在家( ざいけ ) は遠し日は暮( くれ ) ぬ。只今( ただいま ) 雷神( らいしん ) に蹴殺( けころ ) されぬと思ひければ、「御助( おんたすけ ) 候へ兵衛( ひやうゑの ) 佐( すけ ) 。」と、手を合( あは ) せ虚空( こくう ) を拝して逃( にげ ) たりけるが、とある山の麓なる辻堂を目に懸( かけ ) て、あれまでと馬をあをりける処に、黒雲( くろくも ) 一村( ひとむら ) 江戸が頭( かうべ ) の上に落さがりて、雷電( らいでん ) 耳の辺に鳴閃( なりひら ) めきける間、余( あま ) りの怖( おそろし ) さに後( うし ) ろを屹( きつ ) と顧( かへりみ ) たれば、新田左兵衛( さひやうゑの ) 佐( すけ ) 義興、火威( ひをどし ) の鎧に竜頭( たつがしら ) の五枚甲( ごまいかぶと ) の緒( を ) を縮( しめ ) て、白栗毛なる馬の、額( ひたひ ) に角( つの ) の生( はえ ) たるに乗( のり ) 、あひの鞭( むち ) をしとゝ打( うち ) て、江戸を弓手の物になし、鐙( あぶみ ) の鼻に落( おち ) さがりて、わたり七寸( しちすん ) 許( ばかり ) なる雁俣( かりまた ) を以て、かひがねより乳( ち ) の下へ、かけずふつと射とをさるゝと思( おもひ ) て、江戸馬より倒( さかさま ) に落( おち ) たりけるが、やがて血を吐( は ) き悶絶僻地( もんぜつびやくぢ ) しけるを、輿( こし ) に乗( のせ ) て江戸が門へ舁著( かきつけ ) たれば、七日が間足手をあがき、水に溺( おぼれ ) たる真似( まね ) をして、「あら難堪や、是( これ ) 助けよ。」と、叫び死( じに ) に死( しに ) にけり。有為( うゐ ) 無常の世の習( ならひ ) 、明日を知( しら ) ぬ命の中に、僅( わづか ) の欲( よく ) に耽( ふけ ) り情なき事共( ことども ) を巧( たく ) み出し振舞( ふるまひ ) し事、月を阻( へだて ) ず因果歴然( いんぐわれきぜん ) 乍( たちまち ) に身に著( つき ) ぬる事、是( これ ) 又未来永劫( みらいやうごふ ) の業障( ごふしやう ) 也( なり ) 。其( その ) 家に生( うま ) れて箕裘( ききう ) を継( つぎ ) 弓箭( ゆみや ) を取( とる ) は、世俗の法( はふ ) なれば力なし。努々( ゆめゆめ ) 人は加様( かやう ) の思( おもひ ) の外( ほか ) なる事を好み翔( ふるま ) ふ事有( ある ) べからず。又其翌( そのあけ ) の夜の夢に、畠山大夫( たいふ ) 入道殿( にふだうどの ) の見給ひけるは、黒雲( くろくも ) の上に大鼓( たいこ ) を打て時を作る声しける間、何者( なにもの ) の寄( よせ ) 来るやらんと怪( あやし ) くて、音する方を遥( はるか ) に見遣( みやり ) たるに、新田左兵衛( さひやうゑの ) 佐( すけ ) 義興、長( たけ ) 二丈( にぢやう ) 許( ばかり ) なる鬼に成( なり ) て、牛頭( ごづ ) ・馬頭( めづ ) ・阿放( あはう ) ・羅刹( らせつ ) 共( ども ) 十( じふ ) 余人( よにん ) 前後に随( したが ) へ、火( ひの ) 車( くるま ) を引て左馬( さまの ) 頭( かみ ) 殿( どの ) のをはする陣中( ぢんちゆう ) へ入( いる ) と覚へて、胸打騒( うちさわぎ ) て夢覚( さめ ) ぬ。禅門夙( つと ) に起( おき ) て、「斯( かか ) る不思議( ふしぎ ) の夢をこそ見て候へ。」と、語り給ひける言( こと ) ばの未( いまだ ) 終( はて ) ざるに、俄( にはか ) に雷火( らいくわ ) 落懸り、入間河( いるまがは ) の在家( ざいけ ) 三百( さんびやく ) 余宇( よう ) 、堂舎( だうしや ) 仏閣数十箇所( すじつかしよ ) 、一時に灰燼( くわいじん ) と成( なり ) にけり。是( これ ) のみならず義興討( うた ) れし矢口の渡( わたり ) に、夜々( よなよな ) 光( ひかり ) 物出来て往来( わうらい ) の人を悩( なやま ) しける間、近隣( きんりん ) の野人村老( やじんそんらう ) 集( あつまつ ) て、義興の亡霊( ばうれい ) を一社( いつしや ) の神に崇( あが ) めつゝ、新田( につた ) 大明神( だいみやうじん ) とて、常盤堅盤( ときはかきは ) の祭礼、今に不絶とぞ承( うけたまは ) る。不思議( ふしぎ ) なりし事共( ことども ) なり。