太平記 (Taiheiki) — 太平記(国民文庫) 太平記巻第四十 不明 (Anonymous) 1366-1379 Taiheiki 太平記 Anonymous 不明 Kamakura-Muromachi-Azuchi-Momoyama Period 中世 14th century 14世紀 Fiction フィクション Japanese 日本語 Text 本文 1368 たいへいき Taiheiki 太平記 たいへいき Anonymous 不明 ふめい
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太平記 › 太平記(国民文庫) 太平記巻第四十 Furigana ふりがな Vertical 縦書き
太平記( 国民文庫 ) 太平記巻第四十○中殿( ちゆうでん ) 御会( ごくわいの ) 事( こと ) 貞治( ぢやうぢ ) 六年三月十八日、長講堂( ちやうかうだう ) へ行幸あり。是( これ ) は後白河法皇の御遠忌( ごゑんき ) 追賁( つゐひ ) 之( の ) 御為に、三日まで御逗留( ごとうりう ) 有て法花御読経( みどきやう ) あり。安居院( あぐゐ ) の良憲( りやうけん ) 法印・竹中( たけのうちの ) 僧正( そうじやう ) 慈照( じせう ) 、導師にぞ被参ける。難有法会( ほふゑ ) なれば、聴聞の緇素( しそ ) 不随喜云( いふ ) 者なし。惣( そう ) じて此( この ) 君御治天( ちてん ) の間、万( よろ ) づ継絶、興廃御坐( おはしま ) す叡慮也( なり ) しかば、諸事の御遊( ぎよいう ) に於( おい ) て、不尽云( いふ ) 事不御座。故( ゆゑ ) に中殿( ちゆうでんの ) 御会( ごくわい ) は、累世( るゐせ ) の規摸( きぼ ) 也( なり ) 。然( しか ) るを此( この ) 御世に未( いまだ ) 無其沙汰。仍連々に思食( おぼしめし ) 立( たち ) しかば、関白殿( くわんばくどの ) 其( その ) 外の近臣内々被仰合、中殿の宸宴( しんえん ) は大儀なる上、毎度天下の凶事( きようじ ) にて先規不快( せんきふくわいの ) 由( よし ) 、面々一同に被申ければ、重( かさね ) て有勅定( ちよくぢやう ) けるは、聖人有謂、詩三百一言( さんぱくいちげん ) 思無邪と。されば治( をさま ) れる代の音( こゑ ) は安( やすく ) して楽( たのし ) む。乱れたる代の音( こゑ ) は恨( うらみ ) て忿( いか ) るといへり。日本哥( やまとうた ) も可如此。政( まつりこと ) を正( ただ ) して邪正( じやせい ) を教へ、王道の興廃を知( しる ) は此( この ) 道也( なり ) 。されば昔の代々( だいだい ) の帝も、春( はる ) の花の朝( あした ) ・秋の月の夜、事に付( つけ ) つゝ哥を合( あは ) せて奉らん人の慧( めぐ ) み、賢愚( さかしくおろか ) なるをも知食( しろしめし ) けるにや。神代( じんだい ) の風俗( ならはし ) 也( なり ) 。何( いづ ) れの君か是( これ ) を捨( すて ) 給( たまは ) ん。聖代の教誡( けうかい ) 也( なり ) 。誰人か不哢之。抑中殿の宸宴( しんえん ) と申侍るは、後冷泉院天喜四年三月画工( ぐわこう ) の桜花( さくらばな ) を叡覧有て土御門大納言師房( もろふさ ) 卿( きやう ) に勅して、「新成桜花。」と云( いふ ) 題を令献、清涼殿に召群臣( ぐんしん ) 御製を被加、同( おなじく ) 糸竹( しちく ) の宴会あり。自爾以来( このかた ) 、白河( しらかはの ) 院( ゐん ) 応徳元年三月左大弁( さだいべん ) 匡房( ただふさ ) に勅して「花契多春。」と云( いふ ) 題を令献、於中殿被講之。又堀河( ほりかはの ) 院( ゐんの ) 御代( みよ ) 永長元年三月権大納言( ごんだいなごん ) 匡房( ただふさ ) 卿( きやう ) に課( おほせ ) て、「花契千年。」と云( いふ ) 題を令献、宴遊を被伸。又崇徳( しゆとく ) 院( ゐんの ) 御宇( ぎよう ) 天承元年十月、権中納言師頼( もろより ) に勅して、「松樹緑久。」と云( いふ ) 題を令献、宸宴( しんえん ) 有( あり ) き。其( その ) 後建保六年八月順徳院光明峯寺( くわうみやうぶじ ) の関白に勅して、「池月久澄。」と云( いふ ) 題を令献被講き。次( つぎに ) 後醍醐( ごだいごの ) 院( ゐんの ) 御宇( ぎよう ) 元徳二年二月、権中納言為定( ためさだ ) 卿( きやう ) に勅して、「花契万春。」と云( いふ ) 題にて、中殿の御会を被行之。此( この ) 外承保二年四月・長治二年三月・嘉承二年三月・建武二年正月、清涼殿にして和哥の宴雖在之、非一二度( にど ) 、中殿の御会( ごくわいの ) 先規( せんき ) には不加侍にや。加様( かやう ) の先蹤( せんしよう ) 皆聖代( せいだいの ) 洪化( こうくわ ) なり。何ぞ不快の例( れい ) といはんや。然( しかる ) に今年の春は九城の裏( うち ) の花香( かうばし ) く、八島の外に風治( をさま ) れる時至れり。早く尋建保芳躅、題並( ならびに ) 序の事。関白可被献之( の ) 由( よし ) 強( しひ ) て有勅定( ちよくぢやう ) しかば、中殿の御会の事内々已( すで ) に定りにけり。征夷将軍も、此( この ) 道に数奇( すき ) 給ふ事なれば、勅撰なんど被申行上、近比( ちかごろ ) は建武の宸宴( しんえん ) 、贈( ぞう ) 左府の嘉躅( かしよく ) 非無由緒、被仰出しかば、不及子細領掌被申けり。因此蔵人左少弁( くらんどのさせうべん ) 仲光を奉行にて、三月二十九日を被定。勅喚( ちよくくわん ) の人々に賦題。「花多春友。」と云( いふ ) 題を、任建保例兼日( けんじつ ) に関白被出けるとかや。既( すで ) に其( その ) 日( ひ ) に成( なり ) しかば、母屋( もや ) の廂( ひさし ) の御簾( みす ) を捲( まい ) て、階( はし ) の西の間( ま ) より三間( さんげん ) 北にして、二間( ふたま ) に各( おのおの ) 菅( すげ ) の円座( ゑんざ ) を布( しき ) て公卿の座とす。長治元年には雖為二行、今度は関白殿( くわんばくどの ) の加様( かやう ) に座を被設。御帳( みちやう ) の東西には三尺( さんじやく ) の几帳( きちやう ) を被立、昼の御座の上には、御剣( ぎよけん ) ・御硯箱( すずりばこ ) を被措たり。大臣の座( ざの ) 末( すゑ ) 、参議の坐の前には、各( おのおの ) 高灯台( たかとうだい ) を被立たり。関白直廬( ちよくろ ) より御参あれば、内大臣( ないだいじん ) 已下相随( あひしたが ) ひ給ふ。任保安例今日既( すで ) に直衣( なほし ) 始( はじめ ) の事あり。前駆( せんく ) ・布衣( ほい ) ・随身( ずゐじん ) の褐衣( かつい ) 如常なれば、差( さし ) たる見事は無( なか ) りけり。丑刻( うしのこく ) 許( ばかり ) に将軍已( すで ) に参内あり。其行妝( そのぎやうさう ) 見物の貴賎皆( みな ) 目を驚かせり。公家家礼( けらい ) の人々には、為秀( ためひで ) ・行忠( ゆきだだ ) ・実綱( さねつな ) 卿( きやう ) ・為邦( ためくに ) 朝臣( あつそん ) なんど庭上に下( おり ) て礼あり。左衛門の陣の四脚( よつあし ) に、将軍即( すなはち ) 参入あり。先( まづ ) 帯刀( たてはき ) 十人( じふにん ) 左右に相番( あひつがう ) て曳列。左は佐々木( ささきの ) 佐渡( さどの ) 四郎左衛門( しらうざゑもんの ) 尉( じよう ) 時秀、地白( ぢしろ ) の直垂( ひたたれ ) に金銀の薄( はく ) にて四日結( よつめゆひ ) を挫( おし ) たる紅( くれなゐ ) の腰に、鰄( かひらぎ ) の金作( こがねづくり ) の太刀を帯( は ) く。右は小串( こくし ) 次郎左衛門( じらうざゑもんの ) 尉( じよう ) 詮行( のりゆき ) 、地緇( ぢぐろ ) の直垂( ひたたれ ) に、銀薄( ぎんばく ) にて二雁( ふたつかり ) を挫( おし ) 白太刀を佩( は ) く。次( つぎに ) 伊勢七郎左衛門( しちらうざゑもん ) 貞行( さだゆき ) 、地白( ぢしろ ) の直垂に、金薄( きんばく ) にて村蝶( むらてふ ) を押( おし ) て白太刀を佩( はい ) て左に歩( あゆ ) む。右は斉藤三郎左衛門( さぶらうざゑもんの ) 尉( じよう ) 清永( きよなが ) 、地香( ぢかう ) の直垂に、二筋違( ふたつすぢちがへ ) の中に、銀薄にて■菱( なでしこ ) を押( おし ) たる黄腰( きごし ) に、鰄( かひらぎ ) の太刀を佩( はい ) たり。次に大内( おほち ) 修理( しゆりの ) 亮( すけ ) 、直垂に金薄にて大菱( おほびし ) を押す。打鰄( うちざめ ) に金作( こがねづくり ) の太刀を帯( は ) く。右は海老名( えびな ) 七郎左衛門( しちらうざゑもんの ) 尉( じよう ) 詮季( のりすゑ ) 、地黒( ぢぐろ ) に茶染( ちやぞめの ) 直垂に、金薄にて大笳篭( おほかご ) を押して、黄なる腰に白太刀帯( はい ) たり。次( つぎに ) 本間左衛門太郎義景、地白紫の片身易( かたみがはり ) の直垂に金銀の薄( はく ) にて十六( じふろく ) 目結( めゆひ ) を押( おし ) 、紅( くれなゐ ) の腰に白太刀を佩( は ) く。右に山城四郎左衛門( しらうざゑもんの ) 尉( じよう ) 師政( もろまさ ) 、地白に金泥( こんでい ) にて州流( すながれ ) を書( かき ) たる直垂に、白太刀佩( はい ) て相随ふ。次に粟飯原( あいはら ) 弾正左衛門( だんじやうざゑもんの ) 尉( じよう ) 詮胤( のりたね ) 、地黄■( かりやす ) に銀泥( ぎんでい ) にて水を書( かき ) 、金泥にて鶏冠木( かへで ) を書( かき ) たる直垂に、帷( かたびら ) は黄なる腰に白太刀を帯( はい ) たり。由々敷( ゆゆしく ) ぞ見へたりける。此( この ) 次に征夷大将軍正二位( しやうにゐの ) 大納言源( みなもとの ) 朝臣( あつそん ) 義詮卿、薄色( うすいろ ) の立紋( たてもん ) の織物( おりもの ) の指貫( さしぬき ) に、紅( くれなゐ ) の打衣を出し、常の直垂也( なり ) 。左の傍( わき ) に山名民部少輔( みんぶのせう ) 氏清( うぢきよ ) 、濃( こき ) 紫の指貫に款冬( やまぶき ) 色の狩衣著( ちやく ) して帯剣( たいけん ) の役に随( したが ) へり。右は摂津掃部( かもんの ) 頭( かみ ) 能直( よしなほ ) 、薄色の指貫、白青( あさぎの ) 織物( おりもの ) の狩衣著て沓( くつ ) の役に候( こう ) す。佐々木( ささきの ) 備前五郎左衛門( ごらうざゑもんの ) 尉( じよう ) 高久、二重( ふたへ ) 狩衣にて御調度( おんてうど ) の役に候( こう ) す。本郷左近( さこんの ) 大夫( たいふ ) 将監( しやうげん ) 詮泰( のりやす ) は、香( かう ) の狩衣にて笠の役に随( したが ) ふ。今河伊予( いよの ) 守( かみ ) 貞世は侍所にて、爽( さはや ) かに胄( よろう ) たる随兵、百騎( ひやくき ) 許( ばかり ) 召具して、轅門( ゑんもん ) の警固に相随( あひしたがふ ) 。此( この ) 外土岐伊予( いよの ) 守( かみ ) 直氏・山城中務少輔( なかつかさのせう ) 行元・赤松大夫判官( たいふのはうぐわん ) 光範・佐々木( ささきの ) 尾張( をはりの ) 守( かみ ) 高信・安東信濃( しなのの ) 守( かみ ) 高泰・曾我美濃( みのの ) 守( かみ ) 氏助・小島掃部( かもんの ) 助( すけ ) 詮重・朝倉小次郎詮繁・同又四郎高繁・彦部( ひこべ ) 新左衛門( しんざゑもんの ) 尉( じよう ) 秀光。藤民部五郎左衛門( ごらうざゑもん ) 盛時・八代( やしろ ) 新蔵人師国・佐脇( さわき ) 右京( うきやうの ) 亮( すけ ) 明秀・藁科( わらしな ) 新左衛門( しんざゑもんの ) 尉( じよう ) 家治・中島弥次郎( やじらう ) 家信・後藤伊勢( いせの ) 守( かみ ) ・久下( くげ ) 筑前( ちくぜんの ) 守( かみ ) ・荻野( をぎの ) 出羽( ではの ) 守( かみ ) ・横地( よこち ) 山城( やましろの ) 守( かみ ) ・波多野出雲( いづもの ) 守( かみ ) ・浜名左京( さきやうの ) 亮( すけ ) ・長次郎、是等( これら ) の人々思々( おもひおもひ ) の直垂にて、飼( かう ) たる馬に厚総( あつぶさ ) 係( かけ ) て、折花尽美。将軍堂上( だうじやう ) の後、帯刀の役人は、皆申門の外に敷皮( しきかは ) を布( しい ) て列居す。先( まづ ) 依別勅御前( おんまへ ) の召あり。関白殿( くわんばくどの ) 御前( おんまへ ) に被参。其( その ) 後刻限に至て、人々殿上に著座あり。右大臣・内大臣( ないだいじん ) ・按察使実次( さねつぐ ) ・藤中納言時光・冷泉中納言為秀・別当忠光・侍従( じじゆう ) 宰相( さいしやう ) 行忠・小倉前宰相実名( さねな ) ・二条( にでうの ) 宰相( さいしやう ) 中将( ちゆうじやう ) 為忠・富小路( とみのこうじ ) 前( さきの ) 宰相( さいしやう ) 中将( ちゆうじやう ) 実遠なんどぞ被参ける。関白殿( くわんばくどの ) 奉行( ぶぎやうの ) 職事( しきじ ) 仲光を召( めし ) て、事の具否( ぐふ ) を尋( たづね ) らる。軈( やが ) て被伺出御。御衣は黄( きの ) 直衣・打の御袴也( なり ) 。関白殿( くわんばくどの ) 著座( ちやくざ ) 有て後、頭( とうの ) 左中弁嗣房( つぎふさ ) 朝臣( あつそん ) を召( めし ) て、公卿可著坐由を仰( おほ ) す。嗣房於殿上諸卿を召す。右大臣・内大臣( ないだいじん ) 以下、次第に著座有( あり ) しかば、将軍は殿上には著座し給はで、直( ぢき ) に御前( おんまへ ) に進著せらる。爾後( そののち ) 嗣房朝臣( あつそん ) ・仲光・懐国( やすくに ) ・五位( ごゐの ) 殿上人( てんじやうびと ) 伊顕( これあき ) なんど、面々の役に随( したがつ ) て、灯台( とうだい ) ・円座( ゑんざ ) ・懐紙( くわいし ) 等( ら ) を措( お ) く。為敦( ためあつ ) ・為有・為邦朝臣( あつそん ) ・為重( ためしげ ) ・行輔( ゆきすけ ) なんど迄著座ありしか共、右兵衛( うひやうゑの ) 督( かみ ) 為遠は御前( おんまへ ) には不著、殿上の辺( ほとり ) に徘徊( はいくわい ) す。是( これ ) は建保に定家卿如此の行迹( かうせき ) たりし其例( そのれい ) とぞ申合( まうしあひ ) ける。富小路( とみのこうぢ ) 前( さきの ) 宰相( さいしやう ) 中将( ちゆうじやう ) ・冷泉院( れんぜいゐん ) 中納言( ちゆうなごん ) ・藤中納言・鎌倉( かまくらの ) 大納言( だいなごん ) ・内大臣( ないだいじん ) ・右大臣・関白なんど懐紙の名、膝行( しつかう ) 皆思々( おもひおもひ ) 也( なり ) 。関白は依建保之例雖為序者、任位次置之。又直衣蹈哺( ふみくくみ ) て膝行あり。故太閤( たいかう ) 元徳の中殿の御会に被参しに此( この ) 作法侍( はんべ ) りけるとかや。右大臣依為読師、直( ぢき ) に御前( おんまへ ) の円座( ゑんざ ) に著し給て、講師仲光を召す。又序( じよ ) を為講、由別勅時光卿を被召。右大弁為重を召て懐紙を令重。序より次第に是( これ ) を読( よみ ) 上( あげ ) たり。春日侍中殿同詠花多春友応製和歌一首( いつしゆ ) 並( ならびに ) 序関白従( じゆ ) 一位( いちゐ ) 臣( しん ) 藤原( ふぢはらの ) 朝臣( あつそん ) 良基上。夫天之仁者春也( なり ) 。地之和者花也( なり ) 。則天地悠久之道、而施於不仁之仁、玩煙霞明媚之景、而布大和之和。黄鴬呼友、遷万年之枝、粉蝶作舞、戯百里之囿。鑠乎聖徳、時哉宸宴。爰騰哥詠於五雲之間、忽興治世之風。奏簫韶於九天之上、再聞大古之調。況又玉笙之操、高引紫鸞之声焉。奎章之巧、新■( つぐ ) 素鵝之詞矣。盛乱之世、未必弄雅楽、兼之者此時也( なり ) 。好文之主、未必携和語、兼之者我君也( なり ) 。一場偉観千載( せんざい ) 之( の ) 徽猷者耶。小臣久奉謁竜顔、忝佐万機之政。親奏鳳詔、聊記一日之遊。其辞曰、つかへつゝ齢( よはい ) は老( おい ) ぬ行末の千年も花になをや契( ちぎ ) らん此( この ) 次に右大臣正二位( しやうにゐ ) 藤原( ふぢはらの ) 朝臣( あつそん ) 実俊( さねとし ) ・内大臣( ないだいじん ) 正二位( しやうにゐ ) 臣( しん ) 藤原( ふぢはらの ) 朝臣( あつそん ) 師良( もろよし ) ・正二位( しやうにゐ ) 行( ぎやう ) 陸奥出羽按察使( あぜちし ) 藤原( ふぢはらの ) 朝臣( あつそん ) 実継( さねつぐ ) 、此( この ) 次は征夷大将軍正二位( しやうにゐ ) 臣( しん ) 源( みなもとの ) 朝臣( あつそん ) 義詮( よしあきら ) ・正二位( しやうにゐ ) 行( ぎやう ) 権中納言臣藤原( ふぢはらの ) 朝臣( あつそん ) 時光・正二位( しやうにゐ ) 行( ぎやう ) 権中納言藤原( ふぢはらの ) 朝臣( あつそん ) 為秀( ためひで ) ・権中納言従三位( じゆさんみ ) 兼行( けんぎやう ) 左衛門( さゑもんの ) 督( かみ ) 臣( しん ) 藤原( ふぢはらの ) 朝臣( あつそん ) 忠光、此( この ) 次( つぎに ) 参議従三位( じゆさんみ ) 兼行( けんぎやう ) 侍従( じじゆう ) 兼( けん ) 備中( びつちゆうの ) 権( ごんの ) 守( かみ ) 臣( しん ) 藤原( ふぢはらの ) 朝臣( あつそん ) 行忠・従三位( じゆさんみ ) 兼( けん ) 右兵衛( うひやうゑの ) 督( かみ ) 臣( しん ) 藤原( ふぢはらの ) 朝臣( あつそん ) 為遠( ためとほ ) ・蔵人内舎人六位上行( ぎやう ) 式部( しきぶの ) 大丞( だいじやう ) 臣( しん ) 藤原( ふぢはらの ) 朝臣( あつそん ) 懐国等( やすくにら ) に至( いたる ) 迄、披講( ひかう ) 事終て、講師皆( みな ) 退( しりぞき ) 給( たまひ ) ければ、講誦( かうじゆ ) の人々、猶( なほ ) 可祗候由( よし ) 、依天気関白読師( どくし ) の円座( ゑんざ ) に著( つき ) 給( たまひ ) しかば、別勅にて権中納言時光卿を被召、御製の講師として、開匂( さきにほ ) ふ雲居の花の本つ枝( え ) に百代( ももよ ) の春を尚( なほ ) や契覧( ちぎらん ) 講誦( かうじゆ ) 十返許( ばかり ) に及( および ) しかば、日已( すで ) に内樋( うちひ ) に耀( かかや ) く程也( なり ) 。されば物( もの ) の色合さだかに、花の薫( にほひ ) も懐( なつか ) しく、霞( かすみ ) 立( たつ ) 気幸( けはひ ) も最( いと ) 艶( えん ) なるに、面々の詠哥の声も雲居に通る心地して、身に入許( しむばかり ) ぞ聞へける。御製の披講( ひかう ) 終て、各( おのおの ) 本坐に退( しりぞ ) けば、伶人( れいじん ) にあらざる人々も座を退( しりぞ ) く。其( その ) 後軈( やが ) て御遊( ぎよいう ) 始( はじま ) り、笛は三条( さんでうの ) 大納言( だいなごん ) 実知( さねとも ) 卿( きやう ) 、和琴( わごん ) は左( ひだんの ) 宰相( さいしやう ) 中将( ちゆうじやう ) 実綱、篳篥( ひちりき ) は前( さきの ) 兵部卿( ひやうぶきやう ) 兼親( かねちか ) 、笙( しやう ) は前( さきの ) 右衛門( うゑもんの ) 督( かみ ) 刑時( のりとき ) 、拍子は綾小路( あやのこうぢ ) 三位( さんみ ) 成方( なりかた ) 、琴は公全( きんまさ ) 朝臣( あつそん ) 、付歌( つけうた ) 者( は ) 宗泰( むねやす ) 朝臣( あつそん ) 也( なり ) 。呂( りよ ) には此殿( このとの ) ・鳥( とり ) の破( は ) ・席田( むしろだ ) ・鳥( とり ) の急( きふ ) 、律( りつ ) には万歳楽( まんざいらく ) ・伊勢海( いせのうみ ) ・三台急( さんだいのきう ) 也( なり ) けり。玉笙( ぎよくしやう ) の声の中には鳳鳥( ほうてう ) も来儀( らいぎ ) し、和琴の調( しらべ ) の間には鬼神も感動するかとぞ覚( おぼえ ) し。此( この ) 宸宴に有御所作事邂逅( たまさか ) 也( なり ) 。建保には御琵琶にて有( あり ) ける也( なり ) 。爾後( そののち ) は稀( まれ ) なる御事( おんこと ) なるを、今此( この ) 御宇( ぎよう ) に詩哥両度の宸宴( しんえん ) に、毎度の御所作難有事とぞ聞へし。懸( かか ) る大会( たいゑ ) は聊( いささか ) の故障( こしやう ) もある事なるに、一事( いちじ ) の違乱煩( わづらひ ) なく無為( ぶゐ ) に被遂行ぬれば、万邦磯城島( しきしま ) の政道に帰( き ) し、四海( しかい ) 難波津( なにはづ ) の古風を仰( あふぎ ) て、人皆柿本( かきのもと ) の遺愛( ゐあい ) を恋( こふ ) るのみならず、世挙( こぞつ ) て柳営( りうえい ) の数奇( すき ) を感嘆し、翌日午刻( むまのこく ) 許( ばかり ) に人々被退出しかば、目出( めでたし ) なんど云ふ許( ばか ) りなし。さても中殿の御会と云( いふ ) 事は、吾朝( わがてうに ) 不相応宸宴( しんえん ) たるに依て、毎度天下に重事( ちようじ ) 起ると人皆申慣( ならは ) せる上、近臣悉( ことごとく ) 眉( まゆ ) を顰( ひそめ ) て諌言を上( たてまつり ) たりしか共、一切( つやつや ) 無御承引終( つひ ) に被遂行けり。さるに合( あは ) せて、同三月二十八日( にじふはちにち ) 丑刻( うしのこく ) に、夥敷( おびたたしく ) 大変西より東を差( さし ) て飛( とび ) 行( ゆく ) と見へしが、翌日( よくじつ ) 二十九日申刻( さるのこく ) に天竜寺( てんりゆうじ ) 新造の大廈( たいか ) 、土木の功未終( いまだをへざるに ) 、失火忽( たちまち ) に燃( もえ ) 出て一時の灰燼( くわいじん ) と成( なり ) にけり。故( ことさら ) に此( この ) 寺は、公家武家尊崇( そんそう ) 異于他して、五山第二( だいに ) の招提( せうだい ) なれば、聊爾( れうじ ) にも攘災集福( じやうさいしゆふく ) の懇祈( こんき ) を専( もつぱら ) にする大伽藍( がらん ) なるに、時節こそあれ、不思議( ふしぎ ) の表示( へうじ ) 哉( かな ) と、貴賎唇( くちびる ) をぞ翻( ひるがへ ) しける。因慈将軍御参内( ごさんだい ) の事は可有斟酌由( よし ) 、再三被経奏聞しか共、是( この ) 寺已( すで ) に勅願寺たる上者( は ) 、最( もつとも ) 天聴を驚( おどろか ) す所なれ共( ども ) 、如此の拠災殃、臨期宸宴を被止事無先規。早( はやく ) 諸卿に被仰下しかば、此( この ) 問答に時遷( うつり ) て、御参内( ごさんだい ) も夜深( よふけ ) 過( すぐ ) る程になり、御遊( ぎよいう ) も翌日に及びけるとかや。浅猿( あさまし ) かりし事共( ことども ) なり。
○左馬( さまの ) 頭( かみ ) 基氏逝去( せいきよの ) 事( こと ) 角( かく ) ては天下も如何( いか ) んと危( あや ) ぶめる処に、今年の春( はる ) の比( ころ ) より、鎌倉( かまくらの ) 左馬( さまの ) 頭( かみ ) 基氏( もとうぢ ) 、聊( いささか ) 不例の事有( あり ) と聞へしかば、貞治六年四月二十六日( にじふろくにち ) 、生年二十八歳( にじふはつさい ) にて忽( たちまち ) に逝去( せいきよ ) し給( たまひ ) けり。連枝( れんし ) の鍾愛( しようあい ) は多けれ共( ども ) 、此( この ) 別( わかれ ) に至ては争( いかで ) か可不悲。矧( いはん ) や是( これ ) は唯二人( ににん ) 、二翼両輪( によくりやうりん ) の如くに華夷( くわい ) の鎮憮( ちんぶ ) と成( なり ) 給( たまひ ) しかば、さらぬ別( わかれ ) の悲( かなし ) さもさる事ながら、関東( くわんとう ) の柱石( ちゆうせき ) 摧( くだけ ) ぬれば、柳営( りうえい ) の力衰( おとろへ ) ぬと、愁歎( しうたん ) 特( こと ) に不浅。就之京都大に怖慎( おそれつつしみ ) て、祈祷( きたう ) なども可有と沙汰ありけり。
○南禅寺( なんぜんじと ) 与三井寺( みゐでら ) 確執( かくしつの ) 事( こと ) 同六月十八日、園城寺の衆徒蜂起( ほうき ) して、公武( くぶ ) に致列訴事あり。其謂( そのいはれ ) を何事ぞと尋ぬれば、南禅寺( なんぜんじ ) 為造営此比( このころ ) 被建たる於新関、三井寺( みゐでら ) 帰院の児( ちご ) を関務( くわんむ ) の禅僧是( これ ) を殺害( せつがい ) す。是( これ ) 希代( きたい ) の珍事( ちんじ ) とて寺門の衆徒鬱憤( うつふん ) を散ぜんと、大勢を卒し、不日に推( おし ) 寄( よせ ) て、当務の僧共・人工( にんぐ ) ・行者( あんじや ) に至( いたる ) 迄、打殺すのみならず、猶( なほ ) も憤( いきどほり ) を不休、南禅寺( なんぜんじ ) を令破却、達磨宗( だるましゆう ) の蹤跡( しようせき ) を削( けづり ) て、為令達宿訴、忽( たちまち ) に嗷訴( がうそ ) にぞ及( および ) ける。即( すなはち ) 山門・南都へ牒送( てふそう ) して、四箇( しか ) の大寺の安否を可定由( よし ) 、已( すで ) に往日( わうじつ ) の堅約( けんやく ) 也( なり ) 。何( なん ) の余儀( よぎ ) にか可及。一国に触訴( ふれうつたへ ) て、事令遅々、神輿( しんよ ) ・神木・神坐の本尊、共に可有入洛罵( ののし ) りければ、■( すは ) や天下の重事( ちようじ ) 出来ぬるはと、有才人は潜( ひそか ) に是( これ ) を危( あやぶ ) みける。され共事大儀なれば、山門も南都も急には不思立。結句( けつく ) 山門には、東西両塔に様々( さまざま ) の異儀( いぎ ) 有て、三塔( さんたふ ) の事書、鳥使( てうし ) 翅( つばさ ) を費許( つひやすばかり ) 也( なり ) 。然( しかれ ) ば無左右可事行共不覚( おぼえず ) 、公方の御沙汰( ごさた ) は、載許( さいきよ ) 無其期しかば、園城寺は款状( くわんじやう ) 徒( いたづら ) に被抛て、忿( いかり ) の中に日数をぞ送りける。
○最勝講( さいしようかう ) 之( の ) 時( とき ) 及闘諍事( こと ) 去( さる ) 程( ほど ) に同八月十八日、最勝講可被行とて、南都・北嶺( ほくれい ) に課( おほせ ) て、所作の人数をぞ被召( めされ ) ける。興福寺( こうぶくじ ) より十人( じふにん ) 、東大寺( とうだいじ ) より二人( ににん ) 、延暦寺( えんりやくじ ) より八人( はちにん ) 也( なり ) 。園城寺は今度の訴詔に、是非の左右に不及間、不可随公請由所存( しよぞんを ) 申( まうす ) に依て、四箇( しか ) の一寺は被除畢( をはんぬ ) 。証義( しようぎ ) は前( さきの ) 大僧正( だいそうじやう ) 懐雅( くわいが ) ・山門の慈能( じのう ) 僧正( そうじやう ) をぞ被召( めされ ) ける。講演論場( ろんぢやう ) の砌( みぎり ) には、学海智水を涌( わか ) し、慧剣( ゑけん ) を令闘事なるに、南都・北嶺の衆徒等( しゆとら ) 、於南庭不慮( ふりよ ) に喧嘩を引出して、散々の合戦にぞ及( および ) ける。紫宸殿( ししんでん ) の東、薬殿( くすどの ) の前には南都の大衆、西の長階( ながはし ) の前には山門の衆徒、列立したりけるが、南都の衆徒は、面々に脇差( わきざし ) の太刀なんど用意( ようい ) の事なれば、抜連( ぬきつれ ) て切て懸( かか ) る。山門の大衆は、太刀・長刀も不持ければ争( いかで ) か可叶。一歩( いつほ ) も不践止、紫宸殿( ししんでん ) の大床( おほゆか ) の上へ被捲上、足手にも不係けるに、光円坊良覚( りやうかく ) ・一心坊の越後( ゑちごの ) 注記( ちゆうき ) 覚存( かくそん ) ・行泉坊の宗運・明静( みやうじやう ) 房の学運・月輪房の同宿円光房・十乗房を始( はじめ ) として、宗徒( むねと ) の大衆腰刀許( こしがたなばかり ) にて取て返し、勇( いさみ ) 誇( ほこつ ) たる南都の衆徒の中へ、面( おもて ) も不振切て入る。中にも一心坊の越後( ゑちごの ) 注記は、南都若大衆の持たる四尺( ししやく ) 八寸( はつすん ) の太刀を引( ひき ) 奪( うばう ) て、我一人の大事( だいじ ) と切て廻( まはり ) けるに、奈良法師被切立、村雲( むらくも ) 立て見へける処に、手掻( てんがい ) の侍従( じじゆう ) 房只一人蹈止( ふみとどまり ) て、一足( ひとあし ) も不退、喚叫( をめきさけん ) で切合たり。追ひ廻( まは ) し追( おひ ) 靡( なび ) け、時移る程闘( たたかひ ) けるに、山門の衆徒、始( はじめ ) は小勢にて而( しか ) も無( ぶ ) 用意( ようい ) 也( なり ) ける間、叶( かなふ ) べくも不見けるが、山徒の召仕ふ中方( ちゆうはう ) の者共( ものども ) 、太刀・長刀の鋒( きつさき ) を調( そろ ) へ、四脚( よつあし ) の門より込( こみ ) 入て、縦横無碍( じゆうわうむげ ) に切て廻( まはり ) しかば、南都の大衆は大勢也( なり ) といへ共、怺兼( こらへかね ) て、北( きた ) の門より一条大路( いちでうのおほぢ ) へ、白雲の風に雲珠巻( うずまく ) が如( ごとく ) にぞ、靉( たなびき ) 出たりける。されば南庭の白砂( しらすの ) 上には、手蓋( てんがい ) の侍従( じじゆう ) を始( はじめ ) として、宗( むね ) との衆徒八人( はちにん ) まで、尸( かばね ) を双( ならべ ) て切( きり ) 臥( ふせ ) らる。山門方にも手負( ておひ ) 数( あま ) た有( あり ) けり。半死半生の者共( ものども ) を、戸板・楯( たて ) なんどに乗( の ) せて、舁連( かきつらね ) たる有様、前代未聞( ぜんだいみもん ) の事共( ことども ) 也( なり ) 。浅猿( あさましい ) 哉( かな ) 、紫宸北闕( ししんほくけつ ) の雲の上、玄圃茨山( げんほしざん ) の月の前には、霜剣( さうけん ) の光冷( すさまじく ) して、干戈( かんくわ ) の場( には ) と成( なり ) しかば、御溝( ぎよこう ) の水も紅( くれなゐ ) を流し、著座の公卿大臣も束帯悉( ことごと ) く緋( あけ ) の色に染成( そめな ) して、呆( あきれ ) 給( たまふ ) 許( ばかり ) 也( なり ) 。さしも是( これ ) 程の騒動なりしか共、主上( しゆしやう ) は是( これ ) にも騒がせ給( たまふ ) 御事( おんこと ) もなく、手負( ておひ ) ・死人共を取捨( とりすて ) させ、血を濯( あらひ ) 清めさせ、席を改( あらため ) させられて、最勝講をば無子細被遂行けるとかや。是( これ ) 則( すなはち ) 厳重( げんぢゆう ) の御願、天下の大会( だいゑ ) たるに、斯( かか ) る不思議( ふしぎ ) 出来ぬれば、就公私不吉の前相( ぜんさう ) 哉と、人皆物を待( まつ ) 心地ぞせられける。
○将軍薨逝( こうせいの ) 事( こと ) 斯( かか ) る処に、同九月下旬の比( ころ ) より、征夷将軍義詮身心例ならずして、寝食不快しかば、和気( わけ ) ・丹波の両流は不及申、医療に其( その ) 名を被知程の者共( ものども ) を召して、様々の治術( ぢじゆつ ) に及( および ) しか共、彼大聖( かのたいしやう ) 釈尊( しやくそん ) 、双林( さうりん ) の必滅( ひつめつ ) に、耆婆( ぎば ) が霊薬も其験( そのしるし ) 無( なか ) りしは、寔( まこと ) に浮世の無常を、予( あらかじ ) め示し置( おか ) れし事也( なり ) 。何( いづれ ) の薬か定業( ぢやうごふ ) の病をば愈( いや ) すべき。是( これ ) 明らけき有待転変( うだいてんべん ) の理( ことわり ) なれば、同( おなじき ) 十二月七日子刻( ねのこく ) に、御年三十八にて忽( たちまち ) に薨逝( こうせい ) し給( たまひ ) にけり。天下久( ひさし ) く武将の掌( たなごころ ) に入て、戴恩慕徳者幾千万( いくせんまん ) と云( いふ ) 事を不知( しらず ) 。歎き悲( かなし ) みけれ共( ども ) 、其( その ) 甲斐更( さら ) に無( なか ) りけり。さて非可有とて、泣々( なくなく ) 薨礼の儀式を取営( いとなみ ) て、衣笠山( きぬがさやま ) の麓( ふもと ) 等持院( とうぢゐん ) に奉遷。同( おなじき ) 十二日午刻( むまのこく ) に、荼毘( だび ) の規則( きそく ) を調( ととのへ ) て、仏事の次第厳重( げんぢゆう ) 也( なり ) 。鎖龕( さがん ) は東福寺( とうふくじの ) 長老信義堂( しんぎだう ) 、起龕( きがん ) は建仁寺( けんにんじ ) 沢竜湫( たくりゆうしう ) 、奠湯( てんたうは ) 万寿寺( まんじゆじの ) 桂岩( けいがん ) 、奠茶( てんちやは ) 真如寺( しんによじの ) 清■( せいぎん ) 西堂、念誦( ねんじゆは ) 天竜寺( てんりゆうじの ) 春屋( しゆんをく ) 、下火( あこ ) は南禅寺( なんぜんじの ) 定山和尚にてぞをはしける。文々( もんもん ) に悲涙( ひるゐ ) の玉詞( ぎよくし ) を瑩( みが ) き、句々に真理の法義を被宣しかば、尊儀速( すみやか ) に出三界苦輪、直( ぢきに ) 到四徳楽邦給( たまひ ) けんと哀なりし事共( ことども ) 也( なり ) 。去( さる ) 程( ほど ) に今年は何( いか ) なる年なれば、京都と鎌倉( かまくら ) と相同( おなじ ) く、柳営( りうえい ) の連枝忽( たちまち ) に同根空( むなし ) く枯( かれ ) 給ひぬれば、誰か武将に備( そなは ) り、四海( しかい ) の乱をも可治と、危( あやふ ) き中に愁( うれへ ) 有て、世上今はさてとぞ見へたりける。
○細河右馬( うまの ) 頭( かみ ) 自西国上洛( しやうらくの ) 事( こと ) 爰( ここ ) に細河右馬( うまの ) 頭( かみ ) 頼之( よりゆき ) 、其比( そのころ ) 西国の成敗を司( つかさどつ ) て、敵を亡( ほろぼ ) し人をなつけ、諸事の沙汰の途轍( とてつ ) 、少し先代貞永( ぢやうえい ) ・貞応( ぢやうおう ) の旧規( きうき ) に相似たりと聞へける間、則( すなはち ) 天下の管領職( くわんれいしよく ) に令居、御幼稚の若君を可奉輔佐と、群議同赴( おなじおもむき ) に定りしかば、右馬( うまの ) 頭( かみ ) 頼之を武蔵守( むさしのかみ ) に補任( ふにん ) して、執事職を司( つかさど ) る。外相内徳( げさうないとく ) げにも人の云( いふ ) に不違しかば、氏族も是( これ ) を重( おも ) んじ、外様( とざま ) も彼命( かのめい ) を不背して、中夏無為( ちゆうかぶゐ ) の代に成て、目出( めでた ) かりし事共( ことども ) 也( なり ) 。