太平記 (Taiheiki) — 太平記(国民文庫) 太平記巻第九 不明 (Anonymous) 1366-1379 Taiheiki 太平記 Anonymous 不明 Kamakura-Muromachi-Azuchi-Momoyama Period 中世 14th century 14世紀 Fiction フィクション Japanese 日本語 Text 本文 1368 たいへいき Taiheiki 太平記 たいへいき Anonymous 不明 ふめい
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太平記 › 太平記(国民文庫) 太平記巻第九 Furigana ふりがな Vertical 縦書き
太平記( 国民文庫 ) 太平記巻第九○足利殿( あしかがどの ) 御上洛( ごしやうらくの ) 事( こと ) 先朝( せんてう ) 船上( ふなのうへ ) に御坐( ござ ) 有( あつ ) て、討手を被差上、京都を被責由( よし ) 、六波羅( ろくはら ) の早馬( はやむま ) 頻( しきり ) に打( うつ ) て、事既( すで ) に難儀に及( およぶ ) 由( よし ) 、関東( くわんとう ) に聞へければ、相摸( さがみ ) 入道大( おほき ) に驚( おどろい ) て、さらば重( かさね ) て大勢を指上( さしのぼ ) せて半( なかば ) は京都を警固( けいご ) し、宗徒( むねと ) は舟上( ふなのうへ ) を可責と評定( ひやうぢやう ) 有( あつ ) て、名越( なごや ) 尾張( をはりの ) 守( かみ ) を大将として、外様( とざま ) の大名二十人を被催。其( その ) 中に足利( あしかが ) 治部大輔( ぢふのたいふ ) 高氏( たかうぢ ) は、所労( しよらう ) の事有( あつ ) て、起居( ききよ ) 未( いまだ ) 快( こころよからざり ) けるを、又上洛( しやうらく ) の其数( そのかず ) に入( いつ ) て、催促( さいそく ) 度々( どど ) に及べり。足利殿( あしかがどの ) 此( この ) 事( こと ) に依( よつ ) て、心中( しんちゆう ) に被憤思けるは、「我( われ ) 父の喪( も ) に居( ゐ ) て三月を過( すぎ ) ざれば、非歎( ひたん ) の涙( なんだ ) 未( いまだ ) 乾( かわかず ) 、又病気身を侵( をか ) して負薪( ふしん ) の憂( うれへ ) 未( いまだ ) 休( やまざる ) 処に、征罰( せいばつ ) の役( やく ) に随へて、被相催事こそ遺恨( ゐこん ) なれ。時移( うつ ) り事変( へん ) じて貴賎雖易位、彼( かれ ) は北条四郎時政( ときまさ ) が末孫( ばつそん ) 也( なり ) 。人臣に下( くだつ ) て年久し。我は源家累葉( げんけるゐえふ ) の族( やから ) 也( なり ) 。王氏( わうし ) を出( いで ) て不遠。此( この ) 理を知( しる ) ならば、一度( いちど ) は君臣の儀をも可存に、是( これ ) までの沙汰( さた ) に及( およぶ ) 事( こと ) 、偏( ひとへ ) に身の不肖( ふせう ) による故( ゆゑ ) 也( なり ) 。所詮( しよせん ) 重( かさね ) て尚上洛( しやうらく ) の催促( さいそく ) を加( くはふ ) る程ならば、一家( いつけ ) を尽( つく ) して上洛( しやうらく ) し、先帝( せんてい ) の御方( みかた ) に参( まゐつ ) て六波羅( ろくはら ) を責落( せめおと ) して、家の安否( あんぴ ) を可定者を。」と心中( しんちゆう ) に被思立けるをば、人更( さら ) に知( しる ) 事( こと ) 無( なか ) りけり。相摸( さがみ ) 入道( にふだう ) は、可斯事とは不思寄、工藤( くどう ) 左衛門( さゑもんの ) 尉( じよう ) を使にて、「御上洛( ごしやうらく ) 延引不被心得。」一日の中( うちに ) 両度までこそ被責けれ。足利殿( あしかがどの ) は反逆( はんぎやく ) の企( くはだて ) 、已( すで ) に心中( しんちゆう ) に被思定てげれば、中々( なかなか ) 異儀( いぎ ) に不及、「不日( ふじつ ) に上洛( しやうらく ) 可仕。」とぞ被返答ける。則( すなはち ) 夜を日に継( つい ) で被打立けるに、御一族( ごいちぞく ) ・郎従( らうじゆう ) は不及申、女性( によしやう ) 幼稚( えうち ) の君達( きんだち ) 迄も、不残皆可有上洛( しやうらく ) と聞へければ、長崎入道円喜( ゑんき ) 怪( あやし ) み思( おもひ ) て、急ぎ相摸( さがみ ) 入道( にふだう ) の方に参( まゐつ ) て申( まうし ) けるは、「誠( まこと ) にて候哉覧( やらん ) 。足利殿( あしかがどの ) こそ、御台( みだい ) ・君達( きんだち ) まで皆引具( ひきぐ ) し進( まゐら ) せて、御上洛( ごしやうらく ) 候なれ。事の体( てい ) 怪( あやし ) く存( ぞんじ ) 候。加様( かやう ) の時は、御一門( ごいちもん ) の疎( おろそ ) かならぬ人にだに、御心( おんこころ ) 被置候べし。況乎( いはんや ) 源家( げんけ ) の貴族として、天下の権柄( けんぺい ) を捨( すて ) 給へる事年久しければ、思召立( おぼしめしたつ ) 事( こと ) もや候覧( らん ) 。異国より吾朝( わがてう ) に至( いたる ) まで、世の乱( みだれ ) たる時は、覇王( はわう ) 諸候を集( あつめ ) て牲( いけにへ ) を殺し血を啜( すすつ ) て弐( ふたごこ ) ろ無( なか ) らん事を盟( ちか ) ふ。今の世の起請文( きしやうもん ) 是( これ ) 也( なり ) 。或( あるひ ) は又其( その ) 子を質( しち ) に出( いだ ) して、野心( やしん ) の疑( うたがひ ) を散ず。木曾殿( きそどの ) の御子( おんこ ) 、清水冠者( しみづのくわじや ) を大将殿( たいしやうどの ) の方へ被出き。加様( かやう ) の例を存( ぞんじ ) 候にも、如何様( いかさま ) 足利殿( あしかがどの ) の御子息( ごしそく ) と御台( みだい ) とをば、鎌倉( かまくら ) に被留申て、一紙( いつし ) の起請文を書( かか ) せ可被進とこそ存( ぞんじ ) 候へ。」と申ければ、相摸( さがみ ) 入道( にふだう ) げにもとや被思けん。頓( やが ) て使者を以て被申遣けるは、「東国( とうごく ) は未だ世閑( しづか ) にて、御心( おんこころ ) 安かるべきにて候。幼稚( えうち ) の御子息( ごしそく ) をば、皆鎌倉( かまくら ) に留置進( とめおきまゐら ) せられ候べし。次に両家( りやうけ ) の体( てい ) を一にして、水魚( すゐぎよ ) の思( おもひ ) を被成候上( うへ ) 、赤橋( あかはし ) 相州( さうしう ) 御縁( ごえん ) に成( なり ) 候、彼此( かれこれ ) 何の不審( ふしん ) か候べきなれ共( ども ) 、諸人( しよにん ) の疑( うたがひ ) を散( さん ) ぜん為にて候へば、乍恐一紙( いつし ) の誓言( せいごん ) を被留置候はん事( こと ) 、公私( こうし ) に付( つい ) て可然こそ存( ぞんじ ) 候へ。」と、被仰たりければ、足利殿( あしかがどの ) 、欝胸( うつきよう ) 弥( いよいよ ) 深かりけれ共( ども ) 、憤( いきどほり ) を押( おさ ) へて気色( きしよく ) にも不被出、「是( これ ) より御返事( ごへんじ ) を可申。」とて、使者をば被返てげり。其後( そののち ) 舎弟兵部( ひやうぶの ) 大輔( たいふ ) 殿( どの ) を被呼進て、「此( この ) 事( こと ) 可有如何。」と意見を被訪に、且( しばら ) く案( あん ) じて被申けるは、「今此( この ) 一大事( いちだいじ ) を思食立( おぼしめしたつ ) 事( こと ) 、全( まつた ) く御身( おんみ ) の為に非( あら ) ず、只天に代( かはつ ) て無道( ぶだう ) を誅( ちゆう ) し、君は御為( おんため ) に不義を退( しりぞけ ) んと也( なり ) 。其( その ) 上( うへ ) 誓言( せいごん ) は神も不受とこそ申習( まうしなら ) はして候へ。設( たと ) ひ偽( いつはつ ) て起請( きしやう ) の詞( ことば ) 被載候共( とも ) 、仏神などか忠烈( ちゆうれつ ) の志( こころざし ) を守らせ給はで候べき。就中( なかんづく ) 御子息( ごしそく ) と御台( みだい ) とは、鎌倉( かまくら ) に留置進( とめおきまゐら ) せられん事( こと ) 、大儀( たいぎ ) の前の少事( せうじ ) にて候へば、強( あながち ) に御心( おんこころ ) を可被煩に非( あら ) ず。公達( きんだち ) 未だ御幼稚( ごえうち ) に候へば、自然の事もあらん時は、其( その ) 為に少々被残置郎従共( らうじゆうども ) 、何方( いづかた ) へも抱拘( だきかか ) へて隠し奉り候( さふらひ ) なん。御台( みだい ) の御事( おんこと ) は、又赤橋殿( あかはしどの ) とても御坐( おはしまし ) 候はん程は、何の御痛敷( おんいたはしき ) 事( こと ) か候べき。「大行( たいかう ) は不顧細謹」とこそ申( まうし ) 候へ。此等( これら ) 程の少事( せうじ ) に可有猶予あらず。兎( と ) も角( かく ) も相摸( さがみ ) 入道( にふだう ) の申さん侭( まま ) に随( したがつ ) て其( その ) 不審を令散、御上洛( ごしやうらく ) 候( さふらひ ) て後( のち ) 、大儀の御計略( ごけいりやく ) を可被回とこそ存( ぞんじ ) 候へ。」と被申ければ、足利殿( あしかがどの ) 此( この ) 道理に服( ふく ) して、御子息( ごしそく ) 千寿王( せんじゆわう ) 殿( どの ) と、御台( みだい ) 赤橋( あかはし ) 相州( さうしう ) の御妹( おんいもうと ) とをば、鎌倉( かまくら ) に留置( とめおき ) 奉りて、一紙( いつし ) の起請文( きしやうもん ) を書( かい ) て相摸( さがみ ) 入道( にふだう ) の方へ被遣。相摸( さがみ ) 入道( にふだう ) 是( これ ) に不審( ふしん ) を散( さん ) じて喜悦( きえつ ) の思( おもひ ) を成し、高氏( たかうぢ ) を招請( せうしやう ) 有( あつ ) て、様々( さまざま ) 賞翫共( しやうぐわんども ) 有( あり ) しに、「御先祖( ごせんぞ ) 累代( るゐたい ) の白旌( しらはた ) あり、是( これ ) は八幡殿( はちまんどの ) より代々( だいだい ) の家督( かとく ) に伝( つたへ ) て被執重宝( ちようはう ) にて候( さふらひ ) けるを、故頼朝( こよりとも ) 卿( きやう ) の後室( こうしつ ) 、二位( にゐ ) の禅尼( ぜんに ) 相伝( さうでん ) して、当家( たうけ ) に今まで所持( しよぢ ) 候也( なり ) 。希代( きたい ) の重宝と申( まうし ) ながら、於他家に、無其詮候歟( か ) 。是( これ ) を今度の餞送( はなむけ ) に進( しん ) じ候也( なり ) 。此旌( このはた ) をさゝせて、凶徒( きようと ) を急ぎ御退治( ごたいぢ ) 候へ。」とて、錦( にしき ) の袋に入( いれ ) ながら、自( みづか ) ら是( これ ) をまいらせらる。其外( そのほか ) 乗替( のりがへ ) の御為( おんため ) にとて、飼( かう ) たる馬に白鞍( しろくら ) 置( おい ) て十疋( じつびき ) 、白幅輪( しろぶくりん ) の鎧( よろひ ) 十領( じふりやう ) 、金作( こがねづくり ) の太刀一副( ひとつそへ ) て被引たりけり。足利殿( あしかがどの ) 御兄弟( ごきやうだい ) ・吉良( きら ) ・上杉・仁木( につき ) ・細川・今河・荒河( あらかは ) ・以下( いげ ) の御一族( ごいちぞく ) 三十二人( さんじふににん ) 、高家( かうけ ) の一類( いちるゐ ) 四十三人( しじふさんにん ) 、都合其( その ) 勢三千( さんぜん ) 余騎( よき ) 、元弘三年三月二十七日( にじふしちにち ) に鎌倉( かまくら ) を立( たち ) 、大手の大将と被定、名越( なごや ) 尾張( をはりの ) 守( かみ ) 高家( たかいへ ) に三日先立( さきだつ ) て、四月十六日に京都に着( つき ) 給ふ。
○山崎攻( せめの ) 事( こと ) 付久我畷( くがなはて ) 合戦( かつせんの ) 事( こと ) 両六波羅( りやうろくはら ) は、度々( どど ) の合戦に打勝( うちかち ) ければ、西国( さいこく ) の敵恐( おそる ) るに不足と欺( あざむ ) きながら、宗徒( むねと ) の勇士( ゆうし ) と被憑たりける結城( ゆふき ) 九郎左衛門( くらうざゑもんの ) 尉( じよう ) は、敵に成( なつ ) て山崎の勢( せい ) に加( くはは ) りぬ。其外( そのほか ) 、国々の勢共( せいども ) 五騎十騎、或( あるひ ) は転漕( てんさう ) に疲( つかれ ) て国々に帰り、或( あるひ ) は時の運を謀( はかつ ) て敵に属( しよく ) しける間、宮方( みやがた ) は負( まく ) れ共( ども ) 勢弥( いよいよ ) 重( かさな ) り、武家は勝( かて ) 共( ども ) 兵( つはもの ) 日々( ひび ) に減( げん ) ぜり。角( かく ) ては如何( いかが ) 可有と、世を危( あやぶ ) む人多かりける処に、足利( あしかが ) ・名越( なごや ) の両勢叉雲霞( うんか ) の如く上洛( しやうらく ) したりければ、いつしか人の心替( かはつ ) て今は何事か可有と、色を直( なほ ) して勇合( いさみあ ) へり。かゝる処に、足利殿( あしかがどの ) は京着( きやうちやく ) の翌日( よくじつ ) より、伯耆( はうき ) の船上( ふなのうへ ) へ潛( ひそか ) に使を進( まゐら ) せて、御方( みかた ) に可参由を被申たりければ、君殊( こと ) に叡感( えいかん ) 有( あつ ) て、諸国の官軍( くわんぐん ) を相催( あひもよほ ) し朝敵( てうてき ) を可御追罰( ついばつ ) 由の綸旨( りんし ) をぞ被成下ける。両六波羅( りやうろくはら ) も名越( なごや ) 尾張( をはりの ) 守( かみ ) も、足利殿( あしかがどの ) にかゝる企( くはだて ) 有( あり ) とは思( おもひ ) も可寄事ならねば、日々( ひび ) に参会( さんくわい ) して八幡( やはた ) ・山崎を可被責内談評定( ないだんひやうぢやう ) 、一々( いちいち ) に心底( しんてい ) を不残被尽さけるこそはかなけれ。「大行之路能摧車、若比人心夷途。巫峡之水能覆舟、若比人心是安流也( なり ) 。人心好悪苦不常。」とは云( いひ ) ながら、足利殿( あしかがどの ) は代々( だいだい ) 相州( さうしう ) の恩を戴き徳を荷( になつ ) て、一家( いつけ ) の繁昌恐( おそら ) くは天下の肩( かた ) を可並も無( なか ) りけり。其( その ) 上( うへ ) 赤橋( あかはし ) 前( さきの ) 相摸守( さがみのかみ ) の縁( えん ) に成( なつ ) て、公達( きんだち ) 数( あま ) た出来給( いできたまひ ) ぬれば、此( この ) 人よも弐( ふたごころ ) はおはせじと相摸( さがみ ) 入道( にふだう ) 混( ひたすら ) に被憑けるも理( ことわり ) 也( なり ) 。四月二十七日( にじふしちにち ) には八幡( やはた ) ・山崎の合戦と、兼( かね ) てより被定ければ、名越( なごや ) 尾張( をはりの ) 守( かみ ) 大手の大将として七千六百( しちせんろつぴやく ) 余騎( よき ) 、鳥羽( とば ) の作道( つくりみち ) より被向。足利( あしかが ) 治部大輔( ぢぶのたいふ ) 高氏( たかうぢ ) は、搦手( からめて ) の大将として五千( ごせん ) 余騎( よき ) 、西岡( にしのをか ) よりぞ被向ける。八幡( やはた ) ・山崎の官軍( くわんぐん ) 是( これ ) を聞( きい ) て、さらば難所( なんじよ ) に出合( いであつ ) て不慮に戦( たたかひ ) を決せしめよとて、千種( ちぐさの ) 頭( とうの ) 中将( ちゆうじやう ) 忠顕( ただあき ) 朝臣は、五百( ごひやく ) 余騎( よき ) にて大渡( おほわたり ) の橋を打渡り、赤井河原( あかゐかはら ) に被扣。結城( ゆふきの ) 九郎左衛門( くらうざゑもんの ) 尉( じよう ) 親光( ちかみつ ) は、三百( さんびやく ) 余騎( よき ) にて狐河( きつねがは ) の辺( へん ) に向ふ。赤松入道円心( ゑんしん ) は、三千( さんぜん ) 余騎( よき ) にて淀( よど ) ・古河( ふるかは ) ・久我畷( こがなはて ) の南北三箇所( さんかしよ ) に陣を張( はる ) 。是( これ ) 皆強敵( がうてき ) を拉( とりひしぐ ) 気( き ) 、天を廻( めぐら ) し地を傾( かたむく ) と云共( いふとも ) 、機を解( と ) き勢( いきほひ ) を被呑とも、今上( いまのぼり ) の東国勢一万余騎( よき ) に対して可戦とはみへざりけり。足利殿( あしかがどの ) は、兼( かね ) て内通( ないつう ) の子細( しさい ) 有( あり ) けれ共( ども ) 、若( もし ) 恃( たばかり ) やし給ふ覧( らん ) とて、坊門( ばうもんの ) 少将雅忠( まさただ ) 朝臣は、寺戸( てらど ) と西岡( にしのをか ) の野伏共( のぶしども ) 五六百人( ごろつぴやくにん ) 駆催( かりもよほ ) して、岩蔵辺( いはくらへん ) に被向。去程( さるほど ) に搦手( からめて ) の大将足利殿( あしかがどの ) は、未明( びめい ) に京都を立給( たちたまひ ) ぬと披露有( ひろうあり ) ければ、大手( おほて ) の大将名越( なごや ) 尾張( をはりの ) 守( かみ ) 、「さては早( はや ) 人に先( さき ) を被懸ぬ。」と、不安思ひて、さしも深き久我畷( こがなはて ) の、馬の足もたゝぬ泥土( でいど ) の中へ馬を打入( うちい ) れ、我先( われさき ) にとぞ進みける。尾張( をはりの ) 守( かみ ) は、元( もと ) より気早( きばや ) の若武者( わかむしや ) なれば、今度の合戦、人の耳目( じもく ) を驚( おどろか ) す様( やう ) にして、名を揚( あげ ) んずる者をと、兼( かね ) て有増( あらまし ) の事なれば、其( その ) 日( ひ ) の馬物( もの ) の具( ぐ ) ・笠符( かさじるし ) に至( いたる ) まで、当( あた ) りを耀( かかや ) かして被出立たり。花段子( くわどんす ) の濃紅( こきくれなゐ ) に染( そめ ) たる鎧直垂( よろひひたたれ ) に、紫糸( むらさきいと ) の鎧金物( よろひかなもの ) 重( しげ ) く打( うつ ) たるを、透間( すきま ) もなく着下( きくだ ) して、白星( しらほし ) の五枚甲( ごまいかぶと ) の吹返( ふきかへし ) に、日光・月光の二天子を金と銀とにて堀透( ほりすか ) して打( うつ ) たるを猪頚( ゐくび ) に着成( きな ) し、当家累代( たうけるゐだいの ) 重宝( ちようはう ) に、鬼丸( おにまる ) と云( いひ ) ける金作( こがねづくり ) の円鞘( まるざや ) の太刀に、三尺( さんじやく ) 六寸( ろくすん ) の太刀を帯( は ) き添( そへ ) 、たかうすべ尾( を ) の矢( や ) 三十六( さんじふろく ) 指( さい ) たるを、筈高( はずだか ) に負成( おひなし ) 、黄瓦毛( きかはらげ ) の馬の太く逞( たくまし ) きに、三本( さんぼん ) 唐笠( からかさ ) を金具( かながひ ) に磨( すつ ) たる鞍( くら ) を置き、厚総( あつぶさ ) の鞦( しりがい ) の燃立許( もえたつばかり ) なるを懸け、朝日( あさひ ) の陰に耀( かかやか ) して、光渡( ひかりわたつ ) てみへたるが、動( ややもすれ ) ば軍勢より先( さき ) に進出( すすみいで ) て、当( あた ) りを払( はらつ ) て被懸ければ、馬物具( もののぐ ) の体( てい ) 、軍立( いくさたち ) の様( やう ) 、今日の大手の大将は是( これ ) なめりと、知( しら ) ぬ敵は無( なか ) りけり。されば敵も自余( じよ ) の葉武者共( はむしやども ) には目を不懸、此( ここ ) に開( ひら ) き合( あは ) せ彼( かしこ ) に攻合( せめあひ ) て、是( これ ) 一人を打( うた ) んとしけれども、鎧よければ裏かゝする矢もなし。打物達者( うちものたつしや ) なれば、近付( ちかづく ) 敵を切( きつ ) て落す。其勢( そのいきほ ) ひ参然( さんぜん ) たるに辟易( へきえき ) して、官軍( くわんぐん ) 数万( すまん ) の士卒( じそつ ) 、已( すで ) に開( ひら ) き靡( なび ) きぬとぞ見へたりける。爰( ここ ) に赤松の一族( いちぞく ) に佐用( さよ ) 佐衛門三郎範家( のりいへ ) とて、強弓( つよゆみ ) の矢継早( やつぎばや ) 、野伏( のぶし ) 戦( いくさ ) に心きゝて、卓宣( たくせん ) 公( こう ) が秘( ひ ) せし所を、我物( わがもの ) に得たる兵( つはもの ) あり。態( わざと ) 物具( もののぐ ) を解( ぬい ) で、歩立( かちだち ) の射手( いて ) に成( なり ) 、畔( くろ ) を伝( つた ) ひ、薮( やぶ ) を潛( くぐつ ) て、とある畔( くろ ) の陰( かげ ) にぬはれ臥( ふし ) 、大将に近付( ちかづい ) て、一矢( ひとや ) ねらはんとぞ待( まつ ) たりける。尾張( をはりの ) 守( かみ ) は、三方( さんぱう ) の敵を追( おひ ) まくり、鬼丸( おにまる ) に着( つき ) たる血を笠符( かさじるし ) にて推拭( おしのご ) ひ、扇( あふぎ ) 開仕( ひらきつか ) ふて、思ふ事もなげに扣( ひか ) へたる処を、範家( のりいへ ) 近々とねらひ寄( よつ ) て引( ひき ) つめて丁( ちやう ) と射る。其( その ) 矢思ふ矢坪( やつぼ ) を不違、尾張( をはりの ) 守( かみ ) が冑( かぶと ) の真甲( まつかふ ) のはづれ、眉間( みけん ) の真中( まんなか ) に当( あたつ ) て、脳を砕( くだき ) 骨( ほね ) を破( やぶつ ) て、頚( くび ) の骨のはづれへ、矢さき白く射出( いだし ) たりける間、さしもの猛将( まうしやう ) なれ共( ども ) 、此( この ) 矢一隻に弱( よわつ ) て、馬より真倒( まつさかさま ) にどうど落( おつ ) 、範家( のりいへ ) 箙( えびら ) を叩( たたい ) て矢呼( やさけび ) を成( な ) し、「寄手( よせて ) の大将名越( なごや ) 尾張( をはりの ) 守( かみ ) をば、範家が只一矢( ひとや ) に射殺( いころ ) したるぞ、続けや人々。」と呼( よばは ) りければ、引色( ひきいろ ) に成( なり ) つる官軍共( くわんぐんども ) 、是( これ ) に機を直( なほ ) し、三方( さんぱう ) より勝時( かつどき ) を作( つくつ ) て攻合( せめあは ) す。尾張( をはりの ) 守( かみ ) の郎従( らうじゆう ) 七千( しちせん ) 余騎( よき ) 、しどろに成( なつ ) て引( ひき ) けるが、或( あるひ ) は大将を打( うた ) せて何( いづ ) くへか可帰とて、引返( ひつかへし ) て討死( うちじに ) するもあり。或( あるひ ) は深田( ふかた ) に馬を馳( はせ ) こうで、叶( かな ) はで自害( じがい ) するもあり。されば狐河( きつねがは ) の端( はた ) より鳥羽( とば ) の今在家( いまざいけ ) まで、其( その ) 道五十( ごじふ ) 余町( よちやう ) が間には、死人( しにん ) 尺地( せきぢ ) もなく伏( ふし ) にけり。
○足利殿( あしかがどの ) 打越大江山事 追手( おふて ) の合戦は、今朝( こんてう ) 辰刻( たつのこく ) より始ま{ッ}て、馬煙( むまけぶり ) 東西に靡( なび ) き、時( とき ) の声天地( てんち ) を響( ひび ) かして攻合( せめあひ ) けれ共( ども ) 、搦手( からめて ) の大将足利殿( あしかがどの ) は、桂河( かつらがは ) の西の端( はた ) に下( お ) り居て、酒盛( さかもり ) してぞおはしける。角( かく ) て数刻( すこく ) を経( へ ) て後、大手の合戦に寄手( よせて ) 打負( うちまけ ) て、大将已( すで ) に被討ぬと告( つげ ) たりければ、足利殿( あしかがどの ) 、「さらばいざや山を越( こえ ) ん。」とて、各( おのおの ) 馬に打乗( うちのつ ) て、山崎の方を遥( はるか ) の余所( よそ ) に見捨( みすて ) て、丹波路( たんばぢ ) を西へ、篠村( しのむら ) を指( さし ) て馬を早められけり。爰( ここ ) に備前( びぜんの ) 国( くに ) の住人( ぢゆうにん ) 中吉( なかぎりの ) 十郎と、摂津国( つのくに ) の住人( ぢゆうにん ) に奴可( ぬかの ) 四郎とは、両陣の手合( てあはせ ) に依( よつ ) て搦手( からめて ) の勢の中に在( あり ) けるが、中吉( なかぎりの ) 十郎大江山( おいのやま ) の麓にて、道より上手( うはて ) に馬を打挙( うちあげ ) て、奴可四郎を呼( よび ) のけて云( いひ ) けるは、「心得ぬ様( やう ) 哉( かな ) 、大手の合戦は火を散( ちらし ) て、今朝の辰刻( たつのこく ) より始( はじま ) りたれば、搦手( からめて ) は芝居( しばゐ ) の長酒盛( ながさかもり ) にてさて休( やみ ) ぬ。結句( けつく ) 名越( なごや ) 殿( どの ) 被討給( たまひ ) ぬと聞へぬれば、丹波路( たんばぢ ) を指( さ ) して馬を早め給ふは、此( この ) 人如何様( いかさま ) 野心( やしん ) を挿給( さしはさみたまふ ) 歟( か ) と覚( おぼゆ ) るぞ。さらんに於ては、我等何( いづ ) くまでか可相従。いざや是( これ ) より引返( ひつかへし ) て、六波羅殿( ろくはらどの ) に此( この ) 由を申( まうさ ) ん。」と云( いひ ) ければ、奴可四郎、「いしくも宣( のたま ) ひたり。我( われ ) も事の体( てい ) 怪しくは存じながら、是( これ ) も又如何なる配立( はいりふ ) かある覧( らん ) と、兎角( とかう ) 案じける間に、早( はや ) 今日( こんにち ) の合戦には迦( はづ ) れぬる事こそ安からね。但( ただし ) 此人( このひと ) 敵に成給( なりたまひ ) ぬと見ながら、只引返( ひつかへ ) したらんは、余( あまり ) に云甲斐( いふかひ ) なく覚ゆれば、いざ一矢射て帰らん。」と云侭( いふまま ) に、中差( なかざし ) 取( とつ ) て打番( うちつがひ ) 、轟懸( とどろかけ ) てかさへ打( うつ ) て廻( まは ) さんとしけるを、中吉( なかぎり ) 、「如何なる事ぞ。御辺( ごへん ) は物に狂ふか。我等僅( わづか ) に二三十騎にて、あの大勢に懸合( かけあひ ) て、犬死( いぬじに ) したらんは本意歟( か ) 。嗚呼( をご ) の高名はせぬに不如、唯無事故引返( ひつかへし ) て、後( のち ) の合戦の為に命( いのち ) を全( まつたう ) したらんこそ、忠義を存( そんじ ) たる者也( なり ) けりと、後( のち ) までの名も留( とど ) まらんずれ。」と、再往( さいわう ) 制止( せいし ) ければ、げにもとや思( おもひ ) けん、奴可( ぬかの ) 四郎も中吉( なかぎり ) も、大江山( おいのやま ) より馬を引返( ひつかへ ) して、六波羅( ろくはら ) へこそ打帰( うちかへ ) りけれ。彼等二人( ににん ) 馳参( はせさんじ ) て事の由を申( まうし ) ければ、両六波羅( りやうろくはら ) は、楯鉾( たてほこ ) とも被憑たりける名越( なごや ) 尾張( をはりの ) 守( かみ ) は被討ぬ。是( これ ) ぞ骨肉( こつにく ) の如くなれば、さりとも弐( ふたごころ ) はおはせじと、水魚( すゐぎよ ) の思を被成つる足利殿( あしかがどの ) さへ、敵( てき ) に成給( なりたまひ ) ぬれば、憑( たの ) む木下( このもと ) に雨のたまらぬ心地( ここち ) して、心細きに就( つけ ) ても、今まで着纒( つきまと ) ひたる兵共( つはものども ) も、又さこそはあらめと、心の被置ぬ人もなし。
○足利殿( あしかがどの ) 着御篠村則( すなはち ) 国人( くにうど ) 馳参( はせまゐる ) 事( こと ) 去程( さるほど ) に、足利殿( あしかがどの ) 篠村( しのむら ) に陣を取( とつ ) て、近国の勢を被催けるに、当国の住人( ぢゆうにん ) に久下( くげの ) 弥三郎時重( ときしげ ) と云( いふ ) 者、二百五十騎にて最前( まつさき ) に馳( はせ ) 参る。其( その ) 旗の文( もん ) 、笠符( かさじるし ) に皆一番( いちばん ) と云( いふ ) 文字( もじ ) を書( かい ) たりける。足利殿( あしかがどの ) 是( これ ) を御覧( ごらん ) じて、怪しく覚( おぼ ) しければ、高( かうの ) 右衛門( うゑもんの ) 尉( じよう ) 師直( もろなほ ) を被召て、「久下( くげ ) の者共( ものども ) が、笠璽( かさじるし ) に一番と云( いふ ) を書( かい ) たるは、元来の家の文( もん ) 歟( か ) 、又是( これ ) へ一番に参りたりと云( いふ ) 符( しるし ) 歟( か ) 。」と尋給( たづねたまひ ) ければ、師直( もろなほ ) 畏( かしこまつ ) て、「由緒( ゆゐしよ ) ある文( もん ) にて候。彼が先祖、武蔵( むさしの ) 国( くに ) の住人( ぢゆうにん ) 久下( くげの ) 二郎重光( しげみつ ) 、頼朝( よりとも ) 大将殿( たいしやうどの ) 、土肥( とひ ) の杉山( すぎやま ) にて御旗( おんはた ) を被揚て候( さふらひ ) ける時、一番に馳( はせ ) 参じて候( さふらひ ) けるを、大将殿( たいしやうどの ) 御感( ぎよかん ) 候( さふらひ ) て、「若( もし ) 我( われ ) 天下を持( もた ) たば、一番に恩賞を可行。」と被仰て、自( みづから ) 一番と云( いふ ) 文字を書( かい ) てたび候( さふらひ ) けるを、頓( やがて ) 其( その ) 家の文( もん ) と成( なし ) て候。」と答申( こたへまうし ) ければ、「さては是( これ ) が最初に参りたるこそ、当家の吉例( きちれい ) なれ。」とて、御賞翫( ごしやうぐわん ) 殊に甚しかりけり。元来高山寺( かうせんじ ) に楯篭( たてごも ) りたる足立( あだち ) ・荻野( をぎの ) ・小島( こじま ) ・和田・位田( ゐんでん ) ・本庄( ほんじやう ) ・平庄( ひらじやう ) の者共( ものども ) 許( ばかり ) こそ、今更( いまさら ) 人の下風( したて ) に可立に非( あら ) ずとて、丹波より若狭( わかさ ) へ打越( うちこえ ) て、北陸道( ほくろくだう ) より責上( せめのぼ ) らんとは企( くはだて ) けれ。其外( そのほか ) 久下( くげ ) ・長沢・志宇知( しうち ) ・山内( やまのうち ) ・葦田( あしだ ) ・余田( よだ ) ・酒井( さかゐ ) ・波賀野( はがの ) ・小山( をやま ) ・波々伯部( はうかべ ) 、其外( そのほか ) 近国の者共( ものども ) 、一人も不残馳( はせ ) 参りける。篠村( しのむら ) の勢無程集( あつまつ ) て、其数( そのかず ) 既( すで ) に二万( にまん ) 三千( さんぜん ) 余騎( よき ) に成( なり ) にけり。六波羅( ろくはら ) には是( これ ) を聞( きい ) て、「さては今度の合戦天下の安否( あんぴ ) たるべし。若( もし ) 自然に打負( うちまく ) る事あらば、主上( しゆしやう ) ・々皇( しやうくわう ) を取奉( とりたてまつつ ) て、関東( くわんとう ) へ下向( げかう ) し、鎌倉( かまくら ) に都を立( たて ) て、重( かさね ) て大軍を揚( あげ ) 、凶徒を可追討。」と評定有( あつ ) て、去る三月より北方( きたのかた ) の館( たち ) を御所( ごしよ ) にしつらひ、院内( ゐんだい ) を行幸成( なし ) 奉らる。梶井( かぢゐの ) 二品( にほん ) 親王( しんわう ) は天台( てんだいの ) 座主( ざす ) にて坐( ましませ ) ば、縦( たとひ ) 転反( てんへん ) すとも、御身( おんみ ) に於ては何の御怖畏( ごふゐ ) か可有なれ共( ども ) 、当今( たうぎん ) の御連枝( ごれんし ) にて坐( ましませ ) ば、且( しばし ) は玉体に近付進( ちかづきまゐら ) せて、宝祚( はうそ ) の長久をも祈( いのり ) 申さんとにや、是( これ ) も同( おなじ ) く六波羅( ろくはら ) へ入( いら ) せ給ふ。加之( しかのみならず ) 国母( こくぼ ) ・皇后( くわうぐう ) ・女院( にようゐん ) ・北政所( きたのまんどころ ) ・三台( さんたい ) ・九卿( きうけい ) ・槐棘( くわいきよく ) ・三家( さんか ) の臣・文武百司( ぶんぶはくし ) の官・並( ならびに ) 竹園( ちくゑん ) 門徒の大衆( だいしゆ ) ・北面( ほくめん ) 以下( いげ ) 諸家( しよけ ) の侍( さぶらひ ) ・児( ちご ) 、女房達( にようばうたち ) に至( いたる ) まで我( われ ) も々( われ ) もと参集( まゐりあつまり ) ける間、京中は忽( たちまち ) にさびかへり、嵐の後( あと ) の木葉( このは ) の如く、己( おの ) が様々( さまざま ) 散行( ちりゆけ ) ば、白河( しらかは ) はいつしか昌( さかえ ) て、花一時( ひととき ) の盛( さかり ) を成せり。是( これ ) も幾程( いくほど ) の夢ならん、移り変る世の在様( ありさま ) 、今更被驚も理( ことわり ) 也( なり ) 。「夫( それ ) 天子は四海( しかい ) を以て為家」といへり。其( その ) 上( うへ ) 六波羅( ろくはら ) とても都近き所なれば、東洛渭川( とうらくゐせん ) の行宮( あんきゆう ) 、さまで御心( おんこころ ) を可被令傷には非ざれども、此( この ) 君御治天( ごちてん ) の後天下遂( つひ ) に不穏、剰( あまつさへ ) 百寮忽( たちまち ) に外都( ぐわいと ) の塵に交( まじは ) りぬれば、是( これ ) 偏( ひとへ ) に帝徳( ていとく ) の天に背( そむ ) きぬる故( ゆゑ ) 也( なり ) 。と、罪一人( いちじん ) に帰( き ) して主上( しゆしやう ) 殊に歎( なげき ) 被思召ければ、常は五更の天に至( いたる ) まで、夜( よん ) のをとゞにも入( いら ) せ給はず、元老( げんらう ) 智化( ちくわ ) の賢臣共( けんしんども ) を被召て、只■舜湯武( げうしゆんたうぶ ) の旧き迹( あと ) をのみ御尋( おんたづね ) 有( たづねあつ ) て、会( かつ ) て怪力( くわいりよく ) 乱神の徒( いたづら ) なる事をば不被聞食。卯月( うづき ) 十六日は、中( なか ) の申( さる ) なりしか共( ども ) 、日吉( ひよし ) の祭礼もなければ、国津御神( くにつみかみ ) も浦さびて、御贄( みにへ ) の錦鱗( きんりん ) 徒( いたづら ) に湖水( こすゐ ) の浪に撥辣( はつらつ ) たり。十七日( じふしちにち ) は中の酉( とり ) なれども、賀茂の御生所( みあれ ) もなければ、一条大路( いちでうのおほぢ ) 人すみて、車を争ふ所もなし。銀面空( むな ) しく塵( ちり ) 積( つもつ ) て、雲珠( うんじゆ ) 光を失へり。「祭( まつり ) は豊年にも不勝、凶年にも不減」とこそいへるに、開闢以来( かいびやくよりこのかた ) 無闕如両社の祭礼も、此( この ) 時に始( はじめ ) て絶( たえ ) ぬれば、神慮も如何と測( はかり ) 難く、恐有( おそれある ) べき事共( ことども ) 也( なり ) 。さて官軍( くわんぐん ) は五月七日京中に寄( よせ ) て、合戦可有と被定ければ、篠村( しのむら ) ・八幡( やはた ) ・山崎の先陣の勢( せい ) 、宵より陣を取寄( とりよせ ) て、西は梅津( うめづ ) ・桂( かつらの ) 里、南は竹田・伏見に篝( かがり ) を焼( たき ) 、山陽( せんやう ) ・山陰( せんおん ) の両道は已( すで ) に如此。又若狭路( わかさぢ ) を経( へ ) て、高山寺( かうせんじ ) の勢共( せいども ) 鞍馬路( くらまぢ ) ・高雄( たかを ) より寄( よす ) るとも聞( きこゆ ) 也( なり ) 。今は僅( わづか ) に東山道許( とうせんだうばかり ) こそ開( ひらき ) たれども、山門猶野心( やしん ) を含( ふく ) める最中( さいちゆう ) なれば、勢多( せた ) をも指塞( さしふさ ) ぎぬらん。篭( こ ) の中の鳥、網代( あじろ ) の魚( うを ) の如くにて、可漏方もなければ、六波羅( ろくはら ) の兵共( つはものども ) 、上( うへ ) には勇める気色( きしよく ) なれ共( ども ) 、心は下( した ) に仰天( ぎやうてん ) せり。彼雲南万里( かのうんなんばんり ) の軍( いくさ ) 、「戸( へべ ) に有三丁抽一丁」といへり。況( いはん ) や又千葉屋( ちはや ) 程の小城( こじろ ) 一( ひとつ ) を責( せめ ) んとて、諸国の勢( せい ) 数( かず ) を尽( つく ) して被向たれ共( ども ) 、其( その ) 城未( いまだ ) 落( おちざる ) 先( さき ) に禍( わざはひ ) 既( すで ) に蕭牆( せうしやう ) の中( うち ) より出( いで ) て、義旗( ぎき ) 忽( たちまち ) に長安の西に近付( ちかづき ) ぬ。防がんとするに勢( せい ) 少なく救はんとするに道塞( ふさが ) れり。哀( あは ) れ兼( かね ) てよりかゝるべしとだに知( しり ) たらば、京中の勢( せい ) をばさのみすかすまじかりし物をと、両六波羅( りやうろくはら ) を始( はじめ ) として後悔すれ共( ども ) 甲斐ぞなき。兼々( かねがね ) 六波羅( ろくはら ) に議( ぎ ) しけるは、「今度( こんど ) 諸方の敵( かたき ) 牒合( てふじあはせ ) て、大勢にて寄( よす ) るなれば、平場( ひらば ) の合戦許( ばかり ) にては叶( かなふ ) まじ。要害( えうがい ) を構( かまへ ) て時々( じじ ) 馬の足を休め、兵( つはもの ) の機( き ) を扶( たすけ ) て、敵近付( ちかづか ) ば、懸出々々( かけいでかけいで ) 可戦。」とて、六波羅( ろくはら ) の館( たち ) を中( なか ) に篭( こめ ) て、河原面( かはらおもて ) 七八町( しちはちちやう ) に堀を深く掘( ほつ ) て鴨川を懸入( かけいれ ) たれば、昆明池( こんめいち ) の春( はる ) の水西日( せいじつ ) を沈( しづめ ) て、■淪( いんりん ) たるに不異。残( のこり ) 三方( さんぱう ) には芝築地( しばついぢ ) を高く築( つい ) て、櫓( やぐら ) をかき双( なら ) べ、逆木( さかもぎ ) を重( しげ ) く引( ひい ) たれば、城塩州( しろえんしうの ) 受降城( じゆかうじやう ) も角( かく ) やと覚へてをびたゝし。誠( まこと ) に城の構( かまへ ) は、謀( はかりごと ) あるに似たれ共( ども ) 智( ち ) は長ぜるに非( あら ) ず。「剣閣雖高憑之者蹶。非所以深根固蔕也( なり ) 。洞庭雖浚負之者北。非所以愛人治国也( なり ) 。」とかや。今已( すで ) に天下二( ふた ) つに分れて、安危( あんき ) 此( この ) 一挙に懸( かけ ) たる合戦なれば、粮( かて ) を捨て舟を沈( しづむ ) る謀( はかりごと ) をこそ致さるべきに、今日より軈( やが ) て後足( うしろあし ) を蹈( ふん ) で纔( わづか ) の小城に楯篭( たてこも ) らんと、兼( かね ) て心をつかはれける、武略の程こそ悲しけれ。
○高氏被篭願書於篠村八幡宮事 去程( さるほど ) に、明( あく ) れば五月七日の寅刻( とらのこく ) に、足利( あしかが ) 治部( ぢぶの ) 大輔( たいふ ) 高氏朝臣、二万五千( にまんごせん ) 余騎( よき ) を率( そつ ) して、篠村( しのむら ) の宿( しゆく ) を立( たち ) 給ふ。夜( よ ) 未だ深かりければ、閑( しづか ) に馬を打( うつ ) て、東西を見給ふ処に、篠村の宿の南に当( あたつ ) て、陰森( いんしん ) たる故柳疎槐( こりうそくわい ) の下( もと ) に社壇( しやだん ) 有( あり ) と覚( おぼえ ) て、焼荒( たきすさみ ) たる燎( にはび ) の影の風( ほのか ) なるに、宜祢( きね ) が袖振( ふる ) 鈴( すず ) の音( おと ) 幽( かすか ) に聞へて神さびたり。何( いか ) なる社( やしろ ) とは知( しら ) ねども、戦場に赴く門出( かどで ) なればとて、馬より下( おり ) て甲( かぶと ) を脱( ぬぎ ) て、叢祠( ほこら ) の前に跪( ひざまつ ) き、「今日の合戦無事故、朝敵を退治する擁護( おうご ) の力を加へ給へ。」と祈誓( きせい ) を凝( こら ) してぞ坐( おはし ) ける。時に賽( かへりまうし ) しける巫( かんなぎ ) に、「此社( このやしろは ) 如何なる神を崇( あがめ ) 奉りたるぞ。」と問ひ給( たまひ ) ければ、「是( これ ) は中比( なかごろ ) 八幡( はちまん ) を遷( うつ ) し進( まゐ ) らせてより以来( このかた ) 、篠村の新八幡( しんはちまん ) と申( まうし ) 候也( なり ) 。」とぞ答申( こたへまうし ) ける。足利殿( あしかがどの ) 、「さては当家尊崇( そんそう ) の霊神にて御坐( おはしま ) しけり。機感( きかん ) 最( もつと ) も相応せり。宜( よろし ) きに随( したがつ ) て一紙( いつし ) の願書( ぐわんじよ ) を献( たてまつら ) ばや。」と宣ひければ、疋壇妙玄( ひきだのめうげん ) 、鎧の引合( ひきあはせ ) より矢立( やたて ) の硯( すずり ) を取出して、筆を引( ひか ) へて是( これ ) を書( かく ) 。其詞( そのことば ) に曰( いはく ) 敬白祈願事夫以八幡( はちまん ) 大菩薩( だいぼさつ ) 者、聖代前列之宗廟、源家中興之霊神也( なり ) 。本地内証之月、高懸于十万( じふまん ) 億土之天、垂迹外融之光、明冠於七千( しちせん ) 余座之上。触縁雖分化、聿未享非礼之奠、垂慈雖利生、偏期宿正直之頭。偉哉為其徳矣。挙世所以尽誠也( なり ) 。爰承久以来、当棘累祖之家臣、平氏末裔之辺鄙、恣執四海( しかい ) 之権柄、横振九代之猛威。剰今遷聖主於西海之浪、困貫頂於南山之雲。悪逆之甚前代未聞。是為朝敵之最。為臣之道不致命乎。又為神敵之先。為天之理不下誅乎。高氏苟見彼積悪、未遑顧匪躬、将以魚肉菲、偏当刀俎之利、義卒勠力、張旅於西南之日、上将軍鳩嶺、下臣軍篠村。共在于瑞籬之影、同出乎擁護之懐。函蓋相応。誅戮何疑。所仰百王鎮護之神約也( なり ) 。懸勇於石馬之汗。所憑累代帰依之( これによつて ) 家運也( なり ) 。寄奇於金鼠之咀。神将与義戦耀霊威。徳風加草而靡敵於千里之外、神光代剣而得勝於一戦( いつせん ) 之中。丹精有誠、玄鑒莫誤矣。敬白元弘三年五月七日源朝臣高氏敬白とぞ読上( よみあげ ) たりける。文章玉を綴( つづつ ) て、詞( ことば ) 明かに理濃( こまやか ) なれば、神も定( さだめ ) て納受し御坐( おはしま ) す覧( らん ) と、聞( きく ) 人皆信( しん ) を凝( こら ) し、士卒悉( ことごとく ) 憑( たのみ ) を懸奉( かけたてまつり ) けり。足利殿( あしかがどの ) 自( みづから ) 筆を執( とつ ) て判を居( すゑ ) 給ひ、上差( うはざし ) の鏑( かぶら ) 一筋( ひとすぢ ) 副( そへ ) て、宝殿( はうでん ) に被納ければ、舎弟直義( ただよし ) 朝臣を始( はじめ ) として、吉良( きら ) ・石塔( いしだふ ) ・仁木( につき ) ・細川・今河・荒川( あらかは ) ・高( かう ) ・上杉、以下相順( あひしたが ) ふ人々、我( われ ) も々( われ ) もと上矢( うはや ) 一( ひとつ ) づゝ献( たてまつ ) りける間、其箭( そのや ) 社壇( しやだん ) に充満( みちみち ) て、塚( つか ) の如くに積挙( つみあげ ) たり。夜( よ ) 既( すで ) に明( あけ ) ければ前陣進( すすん ) で後陣を待( まつ ) 。大将大江山( おいのやま ) の峠を打越給( うちこえたまひ ) ける時、山鳩一番( ひとつがひ ) 飛来( とびきたつ ) て白旗( しらはた ) の上に翩翻( へんぽん ) す。「是( これ ) 八幡( はちまん ) 大菩薩( だいぼさつ ) の立翔( たちかけつ ) て護( まぼ ) らせ給ふ験( しるし ) 也( なり ) 。此( この ) 鳩の飛行( とびゆか ) んずるに任( まかせ ) て可向。」と、被下知ければ、旗差( はたさし ) 馬を早めて、鳩の迹( あと ) に付( つい ) て行( ゆく ) 程に、此( この ) 鳩閑( しづか ) に飛( とん ) で、大内( たいだい ) の旧迹( きうせき ) 、神祇官( じんぎくわん ) の前なる樗木( あふちのき ) にぞ留( とま ) りける。官軍( くわんぐん ) 此奇瑞( このきずゐ ) に勇( いさん ) で、内野( うちの ) を指( さし ) て馳向( はせむかひ ) ける道すがら、敵五騎十騎旗を巻き甲( かぶと ) を脱( ぬい ) で降参す。足利殿( あしかがどの ) 篠村を出給( いでたまひ ) し時は、僅( わづか ) に二万( にまん ) 余騎( よき ) 有( あり ) しが、右近馬場( うこんのばば ) を過( すぎ ) 給へば、其( その ) 勢( せい ) 五万( ごまん ) 余騎( よき ) に及べり。
○六波羅( ろくはら ) 攻( ぜめの ) 事( こと ) 去程( さるほど ) に六波羅( ろくはら ) には、六万( ろくまん ) 余騎( よき ) を三手に分( わけ ) て、一手をば神祇官( じんぎくわん ) の前に引( ひか ) へさせて、足利殿( あしかがどの ) を防がせらる。一手をば東寺へ差向( さしむけ ) て、赤松を防がせらる。一手をば伏見の上へ向( むけ ) て、千種( ちくさ ) 殿( どの ) の被寄竹田・伏見を被支。巳( み ) の刻( こく ) の始( はじめ ) より、大手搦手( からめて ) 同時に軍( いくさ ) 始ま{ッ}て、馬煙( むまけぶり ) 南北に靡( なび ) き時( とき ) の声天地を響( ひび ) かす。内野( うちの ) へは陶山( すやま ) と河野( かうの ) とに宗徒( むねと ) の勇士二万( にまん ) 余騎( よき ) を副( そへ ) て被向たれば、官軍( くわんぐん ) も無左右不懸入、敵も輒( たやすく ) 不懸出両陣互に支( ささへ ) て、只矢軍( やいくさ ) に時をぞ移しける。爰( ここ ) に官軍( くわんぐん ) の中( なか ) より、櫨匂( はじにほひ ) の鎧に、薄紫の母衣( ほろ ) 懸( かけ ) たる武者( むしや ) 只一騎、敵の前に馬を懸居( かけすゑ ) て、高声( かうじやう ) に名乗( なのり ) けるは、「其( その ) 身人数( ひとかず ) ならねば、名を知( しる ) 人よもあらじ。是( これ ) は足利殿( あしかがどの ) の御内( みうち ) に、設楽( しだら ) 五郎左衛門( ごらうざゑもんの ) 尉( じよう ) と申( まうす ) 者也( なり ) 。六波羅殿( ろくはらどの ) の御内( みうち ) に、我と思はん人あらば、懸合( かけあひ ) て手柄の程をも御覧( ごらん ) ぜよ。」と云侭( いふまま ) に、三尺( さんじやく ) 五寸( ごすん ) の太刀を抜( ぬき ) 、甲( かぶと ) の真向( まつかう ) に差簪( さしかざ ) し、誠( まこと ) に矢所( やつぼ ) 少( すくな ) く馬を立( たて ) て引( ひか ) へたり。其勢( そのいきほ ) ひ一騎当千とみへたれば、敵御方( みかた ) 互に軍( いくさ ) を止( や ) めて見物す。爰( ここ ) に六波羅( ろくはら ) の勢( せい ) の中より年の程五十( ごじふ ) 計( ばかり ) なる老武者の、黒糸( くろいと ) の鎧に、五枚甲( ごまいかぶと ) の緒( を ) を縮( しめ ) て、白栗毛( しらくりげ ) の馬に青総懸( あをふさかけ ) て乗( のつ ) たるが、馬をしづ/゛\と歩( あゆ ) ませて、高声( かうじやう ) に名乗( なのり ) けるは、「其( その ) 身雖愚蒙、多年奉行( ぶぎやう ) の数( かず ) に加は{ッ}て、末席( まつせき ) を汚( けが ) す家なれば、人は定( さだめ ) て筆( ふで ) とりなんど侮( あなどつ ) て、あはぬ敵とぞ思ひ給ふ覧( らん ) 。雖然我等が先祖をいへば、利仁( としひとの ) 将軍の氏族( しぞく ) として、武略累葉( ぶりやくるゐえふ ) の家業( かげふ ) 也( なり ) 。今某( それがし ) 十七代の末孫( ばつそん ) に、斎藤伊予( いよの ) 房( ばう ) 玄基( げんき ) と云( いふ ) 者也( なり ) 。今日( けふ ) の合戦敵御方( みかた ) の安否( あんぴ ) なれば、命( いのち ) を何の為に可惜。死残( しにのこ ) る人あらば、我( わが ) 忠戦を語( かたつ ) て子孫に留( とど ) むべし。」と云捨( いひすて ) て、互に馬を懸合( かけあは ) せ、鎧の袖と々( そで ) とを引違( ひきちが ) へて、むずと組( くん ) でどうど落つ。設楽( しだら ) は力勝( まさ ) りなれば、上( うへ ) に成( なつ ) て斎藤が頚を掻く。斎藤は心早( はやき ) 者なりければ、挙様( あげさま ) に設楽( しだら ) を三刀( みかたな ) 刺( さ ) す。何( いづ ) れも剛( がう ) の者なりければ、死して後までも、互に引組( ひつくつ ) たる手を不放、共に刀を突立( つきたて ) て、同じ枕にこそ臥( ふし ) たりけれ。又源氏の陣より、紺( こん ) の唐綾威( からあやをどし ) の鎧に、鍬形( くはがた ) 打( うつ ) たる甲( かぶと ) の緒( を ) を縮( し ) め、¥¥¥五尺( ごしやく ) 余( あまり ) の太刀を抜( ぬい ) て肩に懸( かけ ) 、敵の前( まへ ) 半町計( ばかり ) に馬を駈寄( かけよせ ) て、高声( かうじやう ) に名乗( なのり ) けるは、「八幡( はちまん ) 殿( どの ) より以来( このかた ) 、源氏代々( だいだい ) の侍( さぶらひ ) として、流石( さすが ) に名は隠( かくれ ) なけれ共( ども ) 、時に取( とつ ) て名を被知ねば、然( しかる ) べき敵に逢( あひ ) 難し。是( これ ) は足利殿( あしかがどの ) の御内( みうち ) に大高( だいかうの ) 二郎重成( しげなり ) と云( いふ ) 者也( なり ) 。先日度々( どど ) の合戦に高名したりと聞ゆる陶山( すやま ) 備中( びつちゆうの ) 守( かみ ) ・河野対馬( つしまの ) 守( かみ ) はおはせぬか、出合( いであひ ) 給へ。打物( うちもの ) して人に見物せさせん。」と云侭( いふまま ) に、手縄( たづな ) かいくり、馬に白沫( しらあわ ) 嚼( かま ) せて引( ひか ) へたり。陶山( すやま ) は東寺( とうじ ) の軍( いくさ ) 強しとて、俄( にはか ) に八条へ向ひたりければ此( この ) 陣にはなし。河野対馬( つしまの ) 守( かみ ) 許( ばかり ) 一陣に進( すすん ) で有( あり ) けるが、大高( たいかう ) に詞( ことば ) を被懸て、元来( もとより ) たまらぬ懸武者( かけむしや ) なれば、なじかは少しもためらうべき、「通治( みちはる ) 是( これ ) に有( あり ) 。」と云侭( いふまま ) に、大高( だいかう ) に組( くま ) んと相近付( あひちちかづ ) く。是( これ ) を見て河野対馬( つしまの ) 守( かみ ) が猶子( いうし ) に、七郎通遠( みちとほ ) とて今年十六( じふろく ) に成( なり ) ける若武者( わかむしや ) 、父を討( うた ) せじとや思( おもひ ) けん、真前( まつさき ) に馳塞( はせふさがつ ) て、大高( たいかう ) に押双( おしならべ ) てむずと組( くむ ) 。大高・河野七郎が総角( あげまき ) を掴( つかん ) で中( ちゆう ) に提( ひつさ ) げ、「己( おの ) れ程の小者( こもの ) と組( くん ) で勝負はすまじきぞ。」とて、差( さし ) のけて鎧の笠符( かさじるし ) をみるに、其文( そのもん ) 、傍折敷( そばをしき ) に三文字を書( かい ) て着( つけ ) たりけり。さては是( これ ) も河野が子か甥( をひ ) 歟( か ) にてぞ有( ある ) らんと打見( うちみ ) て、片手打( かたてうち ) の下切( さげきり ) に諸膝( もろひざ ) 不懸切て落し、弓( ゆん ) だけ三杖( みつゑ ) 許( ばかり ) 投( なげ ) たりける。対馬( つしまの ) 守( かみ ) 最愛( さいあい ) の猶子( いうし ) を目の前に討( うた ) せて、なじかは命を可惜、大高( たいかう ) に組( くま ) んと諸鐙( もろあぶみ ) を合( あはせ ) て馳懸( はせかか ) る処に、河野が郎等共( らうどうども ) 是( これ ) を見て、主( しゆ ) を討( うた ) せじと三百( さんびやく ) 余騎( よき ) にてをめゐて懸る。源氏又大高を討( うた ) せじと、一千( いつせん ) 余騎( よき ) にて喚( をめい ) て懸る。源平互に入乱( いりみだれ ) て黒煙( くろけぶり ) を立( たて ) て責( せめ ) 戦ふ。官軍( くわんぐん ) 多( おほく ) 討( うた ) れて内野( うちの ) へはつと引( ひく ) 。源氏荒手( あらて ) を入替( いれかへ ) て戦ふに、六波羅勢( ろくはらぜい ) 若干( そくばく ) 討れて河原( かはら ) へさつと引( ひけ ) ば、平氏荒手を入替( いれかへ ) て、此( ここ ) を先途( せんど ) と戦ふ。一条・二条( にでう ) を東西へ、追( おつ ) つ返( かへし ) つ七八度が程ぞ揉合( もみあ ) ひたる。源平両陣諸共( もろとも ) に、互に命( いのち ) を惜( をし ) まねば、剛臆( がうおく ) 何( いづ ) れとは見へざりけれ共( ども ) 、源氏は大勢なれば、平氏遂に打負( うちまけ ) て、六波羅( ろくはら ) を指( さし ) て引退( ひきしりぞ ) く。東寺へは、赤松入道円心、三千( さんぜん ) 余騎( よき ) にて寄懸( よせかけ ) たり。楼門( ろうもん ) 近く成( なり ) ければ、信濃( しなのの ) 守( かみ ) 範資( のりすけ ) 、鐙( あぶみ ) 踏張( ふんばり ) 左右を顧( かへりみ ) て、「誰かある、あの木戸、逆木( さかもぎ ) 、引破( ひきやぶつ ) て捨( すて ) よ。」と下知( げぢ ) しければ、宇野( うの ) ・柏原( かしはばら ) ・佐用( さよ ) ・真島( ましま ) の早( はや ) り雄( を ) の若者共( わかものども ) 三百( さんびやく ) 余騎( よき ) 、馬を乗捨( のりすて ) て走り寄り、城の構( かまへ ) を見渡せば、西は羅城門( らしやうもん ) の礎( いしずゑ ) より、東は八条河原( はつでうがはら ) 辺( へん ) まで、五六八九寸の琵琶( びは ) の甲( かふ ) 、安郡( やすのこほり ) なんどを鐫貫( ゑりぬい ) て、したゝかに屏( へい ) を塗( ぬり ) 、前には乱杭( らんぐひ ) ・逆木( さかもぎ ) を引懸( ひつかけ ) て、広さ三丈余( あまり ) に堀をほり、流水( りうすゐ ) をせき入たり。飛漬( とびひた ) らんとすれば、水の深さの程を不知。渡らんとすれば橋を引( ひき ) たり。如何( いかが ) せんと案煩( あんじわずら ) ひたる処に、播磨の国の住人( ぢゆうにん ) 妻鹿( めがの ) 孫三郎( まごさぶらう ) 長宗( ながむね ) 馬より飛( とん ) で下( おり ) 、弓を差( さし ) をろして、水の深さを探るに、末弭( うらはず ) 僅( わづか ) に残りたり。さては我長( わがたけ ) は立( たた ) んずる物を、と思ひければ、五尺( ごしやく ) 三寸( さんずん ) の太刀を抜( ぬい ) て肩に掛( かけ ) 、貫脱( つらぬきぬい ) で抛( なげ ) すて、かつはと飛漬( とびひた ) りたれば、水は胸板( むないた ) の上へも不揚、跡( あと ) に続( つづ ) ひたる武部( たけべの ) 七郎是( これ ) を見て、「堀は浅かりけるぞ。」とて、長( たけ ) 五尺( ごしやく ) 許( ばかり ) なる小男( こをとこ ) が、無是非飛入( とびいり ) たれば、水は甲( かぶと ) をぞ越( こえ ) たりける。長宗( ながむね ) きつと見返( みかへつ ) て、「我総角( わがあげまき ) に取着( とりつい ) てあがれ。」と云( いひ ) ければ、武部( たけべの ) 七郎、妻鹿( めが ) が鎧の上帯( うはおび ) を蹈( ふん ) で肩に乗揚( のりあが ) り、一刎( ひとはね ) 刎( はね ) て向( むかひ ) の岸にぞ着( つき ) ける。妻鹿( めが ) から/\と笑( わらつ ) て、「御辺( ごへん ) は我を橋にして渡( わたり ) たるや。いで其屏( そのへい ) 引破( ひきやぶつ ) て捨( すて ) ん。」と云侭( いふまま ) に、岸より上へづんど刎揚( はねあが ) り、屏柱( へいばしら ) の四五寸( しごすん ) 余( あまり ) て見へたるに手を懸( かけ ) 、ゑいや/\と引( ひく ) に一二丈掘挙( ほりあ ) げて、山の如くなる揚土( あげつち ) 、壁( かべ ) と共に崩れて、堀は平地に成( なり ) にけり。是( これ ) を見て、築垣( ついがき ) の上に三百( さんびやく ) 余箇所( よかしよ ) 掻双( かきなら ) べたる櫓( やぐら ) より、指攻( さしつめ ) 引攻( ひきつめ ) 射ける矢、雨の降( ふる ) よりも猶滋( しげ ) し。長宗( ながむね ) が鎧の菱縫( ひしぬひ ) 、甲( かぶと ) の吹返( ふきかへし ) に立( たつ ) 所の矢、少々折懸( をりかけ ) て、高櫓( たかやぐら ) の下へつ走入( はしりい ) り、両金剛( こんがう ) の前に太刀を倒( さかさま ) につき、上咀( うはぐひ ) して立( たち ) たるは、何( いづ ) れを二王、何れを孫三郎( まごさぶらう ) とも分兼( わけかね ) たり。東寺( とうじ ) ・西八条・針( はり ) ・唐橋( からはし ) に引( ひか ) へたる、六波羅( ろくはら ) の兵( つはもの ) 一万余騎( よき ) 、木戸口の合戦強( つよ ) しと騒( さわい ) で、皆一手に成( なり ) 、東寺の東門( とうもん ) の脇より、湿雲( しふうん ) の雨を帯( おび ) て、暮山( ぼざん ) を出( いで ) たるが如( ごとく ) 、ましくらに打( うつ ) て出( いで ) たり。妻鹿( めが ) も武部( たけべ ) もすはや被討ぬと見へければ、佐用( さよ ) 兵庫( ひやうごの ) 助( すけ ) ・得平( とくひらの ) 源太・別所( べつしよの ) 六郎左衛門( ろくらうざゑもん ) ・同( おなじき ) 五郎左衛門( ごらうざゑもん ) 相懸( あひがか ) りに懸( かかり ) て面( おもて ) も不振戦ふたり。「あれ討( うた ) すな殿原( とのばら ) 。」とて、赤松入道円心( ゑんしん ) 、嫡子( ちやくし ) 信濃( しなのの ) 守( かみ ) 範資( のりすけ ) ・次男筑前( ちくぜんの ) 守( かみ ) 貞範( さだのり ) ・三男律師( りつし ) 則祐( そくいう ) ・真島( まじま ) ・上月( かうづき ) ・菅家( くわんけ ) ・衣笠( きぬがさ ) の兵三千( さんぜん ) 余騎( よき ) 抜連( ぬきつれ ) てぞ懸りける。六波羅( ろくはら ) の勢一万余騎( よき ) 、七縦八横( しちじゆうはちわう ) に被破て、七条河原( しちでうがはら ) へ被追出。一陣破( やぶれ ) て残党( ざんたう ) 全( まつた ) からざれば、六波羅( ろくはら ) の勢( せい ) 竹田( たけだ ) の合戦にも打負( うちまけ ) 、木幡( こはた ) ・伏見の軍( いくさ ) にも負( まけ ) て、落行( おちゆく ) 勢( せい ) 散々( ちりぢり ) に、六波羅( ろくはら ) の城へ逃篭( にげこも ) る。勝( かつ ) に乗( のつ ) て逃( にぐる ) を追ふ四方( しはう ) の寄手( よせて ) 五万( ごまん ) 余騎( よき ) 、皆一所( いつしよ ) に寄( よせ ) て、五条の橋爪( はしづめ ) より七条河原( しちでうがはら ) まで、六波羅( ろくはら ) を囲( かこみ ) ぬる事幾千万( いくせんまん ) と云( いふ ) 数( かず ) を不知。されども東一方をば態( わざと ) 被開たり。是( これ ) は敵の心を一( ひとつ ) になさで、輒( たやす ) く責落( せめおと ) さん為の謀( はかりごと ) 也( なり ) 。千種頭( ちぐさのとうの ) 中将( ちゆうじやう ) 忠顕( ただあき ) 朝臣、士卒に向( むかつ ) て被下知けるは、「此( この ) 城尋常( よのつね ) の思( おもひ ) を成( なし ) て延々( のびのび ) に責( せめ ) ば、千葉屋( ちはや ) の寄手( よせて ) 彼( かしこ ) を捨( すて ) て、此後攻( ここのうしろづめ ) を仕( し ) つと覚( おぼゆ ) るぞ。諸卒( しよそつ ) 心を一( ひとつ ) にして一時( いちじ ) が間に可責落。」と被下知ければ、出雲・伯耆( はうき ) の兵共( つはものども ) 、雑車( ざふぐるま ) 二三百( にさんびやく ) 両取集( とりあつめ ) て、轅( ながえ ) と々( ながえ ) とを結合( ゆひあは ) せ、其( その ) 上( うへ ) に家を壊( こぼつ ) て山の如くに積挙( つみあげ ) て、櫓( やぐら ) の下へ指寄( さしよせ ) 、一方の木戸を焼破( やきやぶり ) けり。爰( ここ ) に梶井( かぢゐの ) 宮( みや ) の御門徒( ごもんと ) 、上林房( じやうりんばう ) ・勝行房( しようぎやうばう ) の同宿共( どうじゆくども ) 、混甲( ひたかぶと ) にて三百( さんびやく ) 余人( よにん ) 、地蔵堂の北の門より、五条の橋爪( はしづめ ) へ打( うつ ) て出( いで ) たりける間、坊門( ばうもんの ) 少将、殿( とのの ) 法印の兵共( つはものども ) 三千( さんぜん ) 余騎( よき ) 、僅( わづか ) の勢( せい ) にまくり立( たて ) られて、河原( かはら ) 三町を追越( おつこさ ) る。されども山徒( さんと ) さすがに小勢( こぜい ) なれば、長追( ながおひ ) しては悪( あし ) かりなんとて、又城の中へ引篭( ひきこも ) る。六波羅( ろくはら ) に楯篭( たてこも ) る所の軍勢雖少と、其( その ) 数五万騎に余れり。此( この ) 時若( もし ) 志を一( ひとつ ) にして、同時に懸出( かけいで ) たらましかば、引立( ひきたつ ) たる寄手共( よせてども ) 、足をためじとみへしか共( ども ) 、武家可亡運の極( きわ ) めにや有( あり ) けん、日来( ひごろ ) 名を顕( あらは ) せし剛( がう ) の者といへ共( ども ) 不勇、無双( ぶさうの ) 強弓精兵( つよゆみせいびやう ) と被云者も弓を不引して、只あきれたる許( ばかり ) にて、此彼( ここかしこ ) に村立( むらたつ ) て、落支度( おちじたく ) の外( ほか ) は儀勢( ぎせい ) もなし。名を惜( をし ) み家を重( おもん ) ずる武士共( ぶしども ) だにも如此。何況( いかにいはんや ) 主上( しゆしやう ) ・々皇( しやうくわう ) を始進( はじめまゐ ) らせて、女院( にようゐん ) ・皇后( くわうごう ) ・北政所( きたのまんどころ ) ・月卿( げつけい ) ・雲客( うんかく ) ・児( ちご ) ・女童( をんなわらは ) ・女房達( にようばうたち ) に至るまで、軍( いくさ ) と云( いふ ) 事( こと ) は未だ目にも見玉( たま ) はぬ事なれば、時( とき ) の声矢叫( やさけび ) の音( おと ) に懼( おぢ ) をのゝかせ給ひて、「こは如何( いかが ) すべき。」と、消入計( きえいるばかり ) の御気色( おんきしよく ) なれば、げにも理( ことわり ) 也( なり ) 。と御痛敷( おんいたはしき ) 様( さま ) を見進( まゐ ) らするに就( つけ ) ても、両六波羅( りやうろくはら ) 弥( いよいよ ) 気を失( うしなつ ) て、惘然( ばうぜん ) の体( てい ) 也( なり ) 。今まで無弐者とみへつる兵なれども、加様( かやう ) に城中の色めきたる様( さま ) を見て、叶はじとや思ひけん、夜に入( いり ) ければ、木戸を開( ひらき ) 逆木( さかもぎ ) を越( こえ ) て、我れ先にと落行( おちゆき ) けり。義を知( しり ) 命を軽( かろん ) じて残留( のこりとどま ) る兵( つはもの ) 、僅( わづか ) に千騎( せんぎ ) にも不足見へにけり。
○主上( しゆしやう ) ・々皇( しやうくわう ) 御沈落( ごちんらくの ) 事( こと ) 爰( ここ ) に糟谷( かすや ) 三郎宗秋( むねあき ) 、六波羅殿( ろくはらどの ) の前に参( まゐつ ) て申( まうし ) けるは、「御方( みかた ) の御勢( おんぜい ) 次第に落( おち ) て、今は千騎( せんぎ ) にたらぬ程に成( なつ ) て候。此( この ) 御勢にて大敵を防がん事は叶はじとこそ覚へ候へ。東( ひがし ) 一方( いつぱう ) をば敵未だ取( とり ) まはし候はねば、主上( しゆしやう ) ・々皇( しやうくわう ) を奉取て、関東( くわんとう ) へ御下候( くだりさふらふ ) て後( のち ) 、重( かさね ) て大勢を以て、京都を被責候へかし。佐々木( ささきの ) 判官時信( ときのぶ ) 、勢多( せた ) の橋を警固して候を被召具ば、御勢も不足( ふそく ) 候まじ。時信( ときのぶ ) 御伴( おんとも ) 仕る程ならば、近江( あふみの ) 国( くに ) に於ては手差( てさす ) 者は候まじ。美濃( みの ) ・尾張( をはり ) ・三河・遠江( とほたふみ ) には御敵( おんてき ) 有( あり ) とも承( うけたまは ) らねば、路次( ろし ) は定( さだめ ) て無為( ぶゐ ) にぞ候はんずらん。鎌倉( かまくら ) に御着候( つきさふらひ ) なば、逆徒( ぎやくと ) の退治( たいぢ ) 踵( くびす ) を不可回、先( まづ ) 思召立( おぼしめしたち ) 候へかし。是程( これほど ) にあさまなる平城( ひらじやう ) に、主上( しゆしやう ) ・々皇( しやうくわう ) を篭進( こめまゐ ) らせて、名将匹夫( ひつぷ ) の鋒( きつさき ) に名を失はせ給はん事( こと ) 、口惜( くちをし ) かるべき事に候はずや。」と、再三強( しひ ) て申( まうし ) ければ、両六波羅( りやうろくはら ) げにもとや被思けん、「さらば先( まづ ) 、女院( にようゐん ) ・皇后・北政所( きたのまんどころ ) を始進( はじめまゐら ) せて、面々( めんめん ) の女性( によしやう ) 少( をさな ) き人々を、忍びやかに落して後( のち ) 、心閑( しづか ) に一方を打破( うちやぶつ ) て落( おつ ) べし。」と評定( ひやうぢやう ) 有( あつ ) て、小串( こぐし ) 五郎兵衛( ごらうびやうゑの ) 尉( じよう ) を以て、此( この ) 由院( ゐん ) ・内( だい ) へ被申たりければ、国母( こくぼ ) ・皇后・女院( にようゐん ) ・北政所( きたのまんどころ ) ・内侍( ないし ) ・上童( うへわらは ) ・上臈( じやうらふ ) 女房達( にようばうたち ) に至( いたる ) まで、城中に篭( こも ) りたるが恐( おそろし ) さに、思はぬ別( わかれ ) の悲しさも、後( のち ) 何( いか ) に成行( なりゆか ) んずる様( やう ) をも不知。歩跣( かちはだし ) にて我先( われさき ) にと迷出( まよひいで ) 給ふ。只金谷園裡( きんこくゑんり ) の春( はる ) の花、一朝( いつてう ) の嵐に被誘て、四方( しはう ) の霞に散行( ちりゆき ) し、昔の夢に不異。越後( ゑちごの ) 守( かみ ) 仲時( なかとき ) 北( きた ) の方( かた ) に向( むかつ ) て宣ひけるは、「日来( ひごろ ) の間は、縦( たとひ ) 思の外( ほか ) に都を去( さる ) 事( こと ) 有( あり ) 共、何( いづ ) くまでも伴( ともな ) ひ申さんとこそ思ひつれ共( ども ) 、敵東西に満( みち ) て、道を塞( ふさ ) ぎぬと聞ゆれば、心安く関東( くわんとう ) まで落延( おちのび ) ぬとも不覚( おぼえず ) 。御事( おこと ) は女性( にやしやう ) の身なれば苦しかるまじ。松寿( まつじゆ ) は未( いまだ ) 幼稚なれば、敵設( たとひ ) 見付( みつけ ) たりとも誰( た ) が子共( とも ) よもしらじ。只今の程に、夜( よ ) に紛( まぎ ) れて何方( いづかた ) へも忍出給( しのびいでたまひ ) て、片辺土( かたへんど ) の方にも身を隠し、暫( しばら ) く世の静まらん程を待( まち ) 給ふべし。道の程事故( ことゆゑ ) なく関東( くわんとう ) に着( つき ) なば、頓( やが ) て御迎( むかひ ) に人を可進す。若( もし ) 又我等道にて被討ぬと聞( きき ) 給はゞ、如何なる人にも相馴( あひなれ ) て、松寿( まつじゆ ) を人と成し、心付( つき ) なば僧に成して、我後世( わがごせ ) を問( とは ) せ給へ。」と心細げに云置( いひおい ) て、泪( なみだ ) を流( ながし ) て立( たち ) 給ふ。北( きた ) の方( かた ) 、越後( ゑちごの ) 守( かみ ) の鎧の袖を引( ひか ) へて、「などや角( かく ) うたてしき言葉( ことのは ) に聞へ侍( はんべ ) るぞや。此折節( このをりふし ) 少( をさな ) き者なんど引具( ひきぐ ) して、しらぬ傍( あたり ) にやすらはゞ、誰か落人( おちうど ) の其方様( そのかたさま ) と思はざらん。又日比( ひごろ ) より知( しつ ) たる人の傍( あたり ) に立宿( たちやど ) らば、敵に捜し被出て、我( わが ) 身の恥を見( みる ) のみにあらず、少( をさな ) き者の命をさへ失はん事こそ悲しけれ。道にて思( おもひ ) の外( ほか ) の事あらば、そこにてこそ共に兎( と ) も角( かく ) も成( なり ) はてめ。憑( たの ) む陰( かげ ) なき木( こ ) の下( もと ) に、世を秋風の露の間( ま ) も、被棄置進( まゐ ) らせては、ながらうべき心地( ここち ) もせず。」と、泣悲( なきかなし ) み給( たまひ ) ければ、越後( ゑちごの ) 守( かみ ) も心は猛( たけ ) しといへども、流石( さすが ) に岩木( いはき ) の身ならねば、慕ふ別( わかれ ) を捨兼( すてかね ) て、遥( はるか ) に時をぞ移されける。昔漢( かん ) の高祖( かうそ ) と楚( そ ) の項羽( かうう ) と戦ふ事七十( しちじふ ) 余度( よど ) 也( なり ) 。しに、項羽( かうう ) 遂に高祖( かうそ ) に被囲て、夜( よ ) 明( あけ ) ば討死せんとせし時に、漢の兵四面( しめん ) にして皆楚歌( そか ) するを聞( きい ) て、項羽( かうう ) 則( すなはち ) 帳中( ちやうちゆう ) に入り、其婦人( そのふじん ) 虞氏( ぐし ) に向( むかつ ) て、別( わかれ ) を慕( した ) ひ悲( かなし ) みを含んで、自( みづから ) 歌( うたを ) 作( つくつ ) て云( いはく ) 、力抜山兮気蓋世。時不利兮騅不逝。々々々可奈何。虞氏兮々々々奈若何。と悲歌慷慨( ひかかうがい ) して、項羽( かうう ) 泪( なみだ ) を流し給( たまひ ) しかば、虞氏悲( かなし ) みに堪兼( たへかね ) て、則( すなはち ) 自( みづから ) 剣( けん ) の上に伏( ふ ) し、項羽( かうう ) に先立( さきだつ ) て死にけり。項羽( かうう ) 明( あく ) る日の戦( たたかひ ) に、二十八騎を伴( ともなひ ) て、漢の軍( ぐん ) 四十万騎( しじふまんぎ ) を懸破( かけやぶ ) り、自( みづから ) 漢の将軍三人( さんにん ) が首( くび ) を取( とつ ) て、被討残たる兵に向( むかつ ) て、「我( われ ) 遂( つひ ) に漢の高祖( かうそ ) が為に被亡ぬる事戦の罪に非( あら ) ず、天我を亡( ほろぼ ) せり。」と、自( みづから ) 運を計( はかつ ) て遂に烏江( をうがう ) の辺( へん ) にして自害したりしも、角( かく ) やと被思知て泪を落さぬ武士( ぶし ) はなし。南方( みなみのかた ) 左近( さこんの ) 将監( しやうげん ) 時益( ときます ) は、行幸( ぎやうがう ) の御前( おんさき ) を仕( つかまつつ ) て打( うち ) けるが、馬に乍乗北方( きたのかた ) 越後( ゑちごの ) 守( かみ ) の中門( ちゆうもんの ) 際( きは ) まで打寄せて、「主上( しゆしやう ) 早( はや ) 寮の御馬( おんむま ) に被召て候に、などや長々敷( ながながしく ) 打立( うちたた ) せ給はぬぞ。」と云捨( いひすて ) て打出( うちいで ) ければ、仲時( なかとき ) 無力鎧の袖に取着( とりつき ) たる北( きた ) の方( かた ) 少( をさな ) き人を引放( ひきはな ) して、縁( えん ) より馬に打乗り、北の門を東へ打出( うちいで ) 給へば、被捨置人々、泣々( なくなく ) 左右へ別( わかれ ) て、東の門より迷出( まよひいで ) 給ふ。行々( ゆくゆく ) 泣悲( なきかなし ) む声遥( はるか ) に耳に留( とどまつ ) て、離れもやらぬ悲( かなし ) さに、落行( おちゆく ) 前( さき ) の路暮( くれ ) て、馬に任( まかせ ) て歩( あゆま ) せ行( ゆく ) 。是( これ ) を限( かぎり ) の別( わかれ ) とは互に知( しら ) ぬぞ哀( あはれ ) なる。十四五町( じふしごちやう ) 打延( うちのび ) て跡( あと ) を顧( かへりみ ) れば、早( はや ) 両六波羅( りやうろくはら ) の館( たち ) に火懸( かかり ) て、一片( いつぺん ) の煙( けむり ) と焼揚( やきあげ ) たり。五月闇( さつきやみ ) の比( ころ ) なれば、前後も不見暗きに、苦集滅道( くずめぢ ) の辺( へん ) に野伏( のぶし ) 充満( みちみち ) て、十方より射ける矢に、左近( さこんの ) 将監( しやうげん ) 時益( ときます ) は、頚( くび ) の骨を被射て、馬より倒( さかさま ) に落( おち ) ぬ。糟谷( かすや ) 七郎馬より下( おり ) て、其( その ) 矢を抜( ぬけ ) ば、忽( たちまち ) に息止( とどまり ) にけり。敵何( いづ ) くに有( あり ) とも知( しら ) ねば、馳合( はせあはせ ) て敵を可討様( やう ) もなし。又忍( しのび ) て落( おつ ) る道なれば、傍輩( はうばい ) に知( しら ) せて可返合にてもなし。只同じ枕に自害( じがい ) して、後世までも主従( しゆうじゆう ) の義を重( おもん ) ずるより外( ほか ) の事はあらじと思( おもひ ) ければ、糟谷( かすや ) 泣々( なくなく ) 主( しゆう ) の頚を取( とつ ) て錦の直垂( ひたたれ ) の袖に裹( つつ ) み、道の傍( かたはら ) の田の中に深く隠して則( すなはち ) 腹掻切( かききつ ) て主の死骸( しがい ) の上に重( かさなつ ) て、抱着( いだきつい ) てぞ伏( ふし ) たりける。竜駕( りようが ) 遥( はるか ) に四宮( しのみや ) 河原( かはら ) を過( すぎ ) させ給ふ処に、「落人( おちうど ) の通るぞ、打留( うちとめ ) て物具( もののぐ ) 剥( はげ ) 。」と呼( よばはる ) 声前後( ぜんご ) に聞へて、矢を射る事雨の降( ふる ) が如し。角( かく ) ては行末( ゆくすゑ ) とても如何( いかが ) 有( ある ) べきとて、東宮を始進( はじめまゐ ) らせて供奉( ぐぶ ) の卿相雲客( けいしやううんかく ) 、方々( はうばう ) へ落散給( おちちりたまひ ) ける程に、今は僅( わづか ) に日野( ひの ) 大納言資名( すけな ) ・勧修寺( くわんしゆじ ) 中納言経顕( つねあき ) ・綾小路( あやのこうぢ ) 中納言重資( しげすけ ) ・禅林寺宰相( さいしやう ) 有光許( ありみつばかり ) ぞ竜駕の前後には被供奉ける。都を一片( いつぺん ) の暁( あかつき ) の雲に阻( へだて ) て、思( おもひ ) を万里の東( あづま ) の道に傾( かたむけ ) させ給へば、剣閣( けんかく ) の遠き昔も被思召合、寿水の乱れたりし世も、角( かく ) こそと叡襟( えいきん ) を悩( なやま ) し玉ひ、主上( しゆしやう ) ・々皇( しやうくわう ) も御涙( おんなみだ ) 更にせきあへず。五月( さつき ) の短夜( みじかよ ) 明( あけ ) やらで、関( せき ) の此方( こなた ) も闇( くら ) ければ、杉の木陰( こかげ ) に駒を駐( とどめ ) て、暫( しばらく ) やすらはせ給ふ処に、何( いづ ) くより射る共( とも ) 知らぬ流矢( ながれや ) 、主上( しゆしやう ) の左の御肱( おんひぢ ) に立( たち ) にけり。陶山( すやま ) 備中( びつちゆうの ) 守( かみ ) 急ぎ馬より飛下( とびおり ) て、矢を抜( ぬい ) て御疵( きず ) を吸( すふ ) に、流るゝ血( ち ) 雪( ゆき ) の御膚( おんはだへ ) を染( そめ ) て、見進( まゐ ) らするに目もあてられず。忝( かたじけなく ) も万乗( ばんじよう ) の主( あるじ ) 、卑( いやしき ) 匹夫( ひつぷ ) の矢前( やさき ) に被傷て、神竜( しんりよう ) 忽( たちまち ) に釣者( てうしや ) の網( あみ ) にかゝれる事( こと ) 、浅猿( あさまし ) かりし世中( よのなか ) 也( なり ) 。去程( さるほど ) に篠目( しののめ ) 漸( やうやく ) 明初( あけそめ ) て、朝霧( あさぎり ) 僅( わづか ) に残れるに、北なる山を見渡せば、野伏共( のぶしども ) と覚( おぼえ ) て、五六百人( ごろつぴやくにん ) が程、楯をつき鏃( やじり ) を支( ささへ ) て待懸( まちかけ ) たり。是( これ ) を見て面々( めんめん ) 度( ど ) を失( うしなつ ) てあきれたり。爰( ここ ) に備前( びぜんの ) 国( くに ) の住人( ぢゆうにん ) 中吉( なかぎりの ) 弥八、行幸の御前( おんまへ ) に候( さふらひ ) けるが、敵近く馬を懸寄( かけよせ ) て、「忝( かたじけなく ) も一天( いつてん ) の君、関東( くわんとう ) へ臨幸成( りんかうなる ) 処に、何者なれば加様( かやう ) の狼籍( らうぜき ) をば仕るぞ。心ある者ならば、弓を伏せ甲( かぶと ) を脱( ぬい ) で、可奉通。礼儀を知( しら ) ぬ奴原( やつばら ) ならば、一々に召捕( めしとつ ) て、頚切懸( きりかけ ) て可通。」と云( いひ ) ければ、野伏共( のぶしども ) から/\と笑( わらう ) て、「如何なる一天( いつてん ) の君にても渡らせ給へ、御運( ごうん ) 已( すで ) に尽( つき ) て、落( おち ) させ給はんずるを、通し進( まゐ ) らせんとは申( まうす ) まじ。輒( たやす ) く通( とほ ) り度( たく ) 思食( おぼしめ ) さば、御伴( おんとも ) の武士( ぶし ) の馬物具( もののぐ ) を皆捨( すて ) させて、御心( おんこころ ) 安く落( おち ) させ給へ。」と云( いひ ) もはてず、同音( どうおん ) に時( とき ) をどつど作る。中吉( なかぎりの ) 弥八是( これ ) を聞( きい ) て、「悪( にく ) ひ奴原( やつばら ) が振舞( ふるまひ ) 哉( かな ) 。いでほしがる物具( もののぐ ) とらせん。」と云侭( いふまま ) に、若党( わかたう ) 六騎馬の鼻を双( なら ) べて懸( かけ ) たりけるに、慾心熾盛( よくしんしじやう ) の野伏共( のぶしども ) 、六騎の兵に被懸立て、蛛( くも ) の子を散( ちら ) す如く、四角八方へぞ逃散( にげちり ) ける。六騎の兵、六方へ分( わかれ ) て、逃( にぐ ) るを追( おふ ) 事( こと ) 各数( す ) 十町( じつちよう ) 也( なり ) 。弥八余( あまり ) に長追( ながおひ ) したりける程に、野伏二十( にじふ ) 余人( よにん ) 返合( かへしあはせ ) て、是( これ ) を中( なか ) に取篭( とりこむ ) る。然共( しかれども ) 弥八少( すこし ) もひるまず、其( その ) 中の棟梁( とうりやう ) と見へたる敵に、馳並( はせなら ) べてむずと組( くみ ) 、馬二疋が間( あひだ ) へどうど落( おち ) て、四五丈許( ばかり ) 高き片岸( かたきし ) の上より、上に成( なり ) 下に成( なり ) ころびけるが、共に組( くみ ) も放れずして深田( ふかた ) の中へころび落( おち ) にけり。中吉( なかぎり ) 下に成( なり ) てければ、挙様( あげざま ) に一刀( ひとかたな ) さゝんとて、腰刀( こしがたな ) を捜( さぐ ) りけるにころぶ時抜( ぬけ ) てや失( うせ ) たりけん、鞘許( さやばかり ) 有( あつ ) て刀はなし。上なる敵、中吉( なかぎり ) が胸板( むないた ) の上に乗懸( のつかかつ ) て、鬢( びん ) の髪を掴( つかん ) で、頚を掻( かか ) んとしける処に、中吉刀加( かたなぐは ) へに、敵の小腕( こうで ) を丁( ちやう ) と掬( にぎ ) りすくめて、「暫く聞( きき ) 給へ、可申事あり。御辺( ごへん ) 今は我をな恐( おそれ ) 給ふそ、刀があらばこそ、刎返( はねかへ ) して勝負をもせめ。又続く御方( みかた ) なければ、落重( おちかさなつ ) て我を助( たすく ) る人もあらじ。されば御辺( ごへん ) の手に懸( かけ ) て、頚を取( とつ ) て被出さたりとも、曾( かつて ) 実検にも及( およぶ ) まじ、高名( かうみやう ) にも成( なる ) まじ。我は六波羅殿( ろくはらどの ) の御雑色( おんざふしき ) に、六郎太郎と云( いふ ) 者にて候へば、見知( みしり ) ぬ人は候まじ。無用の下部( しもべ ) の頚取( とつ ) て罪を作り給はんよりは、我( わが ) 命を助( たすけ ) てたび候へ、其悦( そのよろこび ) には六波羅殿( ろくはらどの ) の銭を隠くして、六千貫被埋たる所を知( しつ ) て候へば、手引申( てびきまうし ) て御辺( ごへん ) に所得( しよとく ) せさせ奉( たてまつら ) ん。」と云( いひ ) ければ、誠とや思( おもひ ) けん、抜( ぬい ) たる刀を鞘( さや ) にさし、下( した ) なる中吉( なかぎり ) を引起( ひきおこ ) して、命を助( たすく ) るのみならず様々( さまざま ) の引出物( ひきでもの ) をし、酒なんどを勧( すすめ ) て、京へ連( つれ ) て上( のぼ ) りたれば、弥八六波羅( ろくはら ) の焼跡( やけあと ) へ行( ゆき ) 、「正( まさ ) しく此( ここ ) に被埋たりし物を、早( はや ) 人が掘( ほつ ) て取( とり ) たりけるぞや。徳( とく ) 着( つ ) け奉( たてまつら ) んと思( おもう ) たれば、耳のびくが薄く坐( おは ) しけり。」と欺( あざむい ) て、空笑( そらわらひ ) してこそ返しけれ。中吉が謀( はかりごと ) に道開( ひら ) けて、主上( しゆしやう ) 其( その ) 日は篠原( しのはら ) の宿( しゆく ) に着( つか ) せ給ふ。此( ここ ) にて怪しげなる網代輿( あじろのこし ) を尋出( たづねいだし ) て、歩立( かちだち ) なる武者共( むしやども ) 俄に駕輿丁( かよちやう ) の如くに成( なつ ) て、御輿( おんこし ) の前後をぞ仕りける。天台座主( てんだいのざす ) 梶井( かぢゐの ) 二品親王( にほんしんわう ) は、是( これ ) まで御供申させ給ひたりけるが、行末( ゆくすゑ ) とても道の程( ほど ) 心安く可過共覚( おぼえ ) させ給はねば、何( いづ ) くにも暫( しば ) し立忍( たちしの ) ばゞやと思召( おぼしめし ) て、「御門徒( ごもんと ) に誰か候( さぶらふ ) 。」と御尋( おんたづね ) 有( たづねあり ) けれ共( ども ) 、「去( さん ) ぬる夜( よ ) の路次( ろし ) の合戦に、或( あるひ ) は疵( きず ) を蒙( かうむつ ) て留( とどま ) り、或( あるひ ) は心替( こころがはり ) して落( おち ) けるにや。中納言僧都( そうづ ) 経超( きやうてう ) 、二位( にゐの ) 寺主( てらじ ) 浄勝( じやうしよう ) 二人( ににん ) より外( ほか ) は供奉( ぐぶ ) 仕りたる出世( しゆつせ ) ・坊官( ばうくわん ) 一人も候はず。」と申( まうし ) ければ、さては殊更( ことさら ) 長途( ちやうど ) の逆旅( げきりよ ) 叶ふまじとて、是( これ ) より引別( ひきわかれ ) て、伊勢の方へぞ赴かせ給( たまひ ) ける。さらでだに山立( やまだち ) 多き鈴鹿( すずか ) 山を、飼( かひ ) たる馬に白鞍( しろくら ) 置( おい ) て被召たらんは、中々( なかなか ) 道の可為讎とて、御馬( おんむま ) を皆宿( やど ) の主( ある ) じに賜( たまう ) て、門主( もんじゆ ) は長々( ながなが ) と蹴垂( けたれ ) たる長絹( ちやうけん ) の御衣( おんころも ) に、檳榔( びんらう ) の裏無( うらなし ) を被召、経超( きやうてう ) 僧都は、袙重( あこめがさ ) ねたる黒衣( こくえ ) に、水精( すゐしやう ) の念珠( ねんじゆ ) 手に持( もつ ) て、歩兼( あゆみかね ) たる有様、如何なる人も是( これ ) を見て、すはや是( これ ) こそ落人( おちうど ) よと、思はぬ者は不可有。され共( ども ) 山王大師( さんわうたいし ) の御加護( おんかご ) にや依( より ) けん、道に行逢( ゆきあひ ) 奉る山路( やまぢ ) の樵( きこり ) 、野径( やけい ) の蘇( くさかり ) 、御手( おんて ) を引( ひき ) 御腰( おんこし ) を推( おし ) て、鈴鹿( すずか ) 山を越( こし ) 奉る。さて伊勢の神官( しんくわん ) なる人を、平( ひら ) に御憑( おんたのみ ) 有( あつ ) て御坐( おはしま ) しけるに、神官( しんくわん ) 心有( あつ ) て身の難に可遇をも不顧、兎角( とかく ) 隠置進( かくしおきまゐら ) せければ、是( ここ ) に三十( さんじふ ) 余日( よにち ) 御忍( おんしのび ) 有( あつ ) て、京都少し静( しづま ) りしかば還御成( くわんぎよなつ ) て、三四年が間は、白毫院( びやくがうゐん ) と云( いふ ) 処に、御遁世( ごとんせい ) の体( てい ) にてぞ御坐( ござ ) 有( あり ) ける。
○越後( ゑちごの ) 守( かみ ) 仲時( なかとき ) 已下( いげ ) 自害( じがいの ) 事( こと ) 去程( さるほど ) に、両六波羅( りやうろくはら ) 京都の合戦に打負( うちまけ ) て、関東( くわんとう ) へ被落由披露有( ひろうあり ) ければ、安宅( あたか ) ・篠原( しのはら ) ・日夏( ひなつ ) ・老曾( おいそ ) ・愛智川( えちかは ) ・小野( をの ) ・四十九院( しじふくゐん ) ・摺針( すりはり ) ・番場( ばんば ) ・醒井( さめがゐ ) ・柏原( かしはばら ) 、其外( そのほか ) 伊吹山( いぶきやま ) の麓、鈴鹿河( すずかがは ) の辺( へん ) の山立( やまだち ) ・強盜( がうだう ) ・溢者共( あふれものども ) 二三千人( にさんぜんにん ) 、一夜( いちや ) の程に馳集( はせあつまつ ) て、先帝( せんてい ) 第五の宮( みや ) 御遁世( ごとんせい ) の体( てい ) にて、伊吹( いぶき ) の麓に忍( しのん ) で御坐( ござ ) 有( あり ) けるを、大将に取奉( とりたてまつつ ) て、錦の御旗( おんはた ) を差挙( さしあ ) げ、東山道( とうせんだう ) 第一( だいいち ) の難所( なんじよ ) 、番馬( ばんば ) の宿( しゆく ) の東なる、小山( こやま ) の峯に取上( とりのぼ ) り、岸の下( した ) なる細道( ほそみち ) を中( なか ) に夾( はさ ) みて待懸( まちかけ ) たり。夜( よ ) 明( あけ ) ければ越後( ゑちごの ) 守( かみ ) 仲時( なかとき ) 、篠原( しのはら ) の宿( しゆく ) を立( たつ ) て、仙蹕( せんひつ ) を重山( ちようざん ) の深きに促( うなが ) し奉る。都を出( いで ) し昨日( きのふ ) までは、供奉( ぐぶ ) の兵二千騎( にせんぎ ) に余( あま ) りしかども、次第に落散( おちちり ) けるにや、今は僅( わづか ) に七百騎( しちひやくき ) にも足( たら ) ざりけり。「若( もし ) 跡( あと ) より追懸( おつかけ ) 奉る事もあらば、防矢( ふせぎや ) 仕れ。」とて、佐々木( ささきの ) 判官時信( ときのぶ ) をば後陣( ごぢん ) に打( うた ) せられ、「賊徒( ぞくと ) 道を塞( ふさ ) ぐ事あらば、打散( うちちら ) して道を開( あけ ) よ。」とて、糟谷( かすや ) 三郎に先陣を被打せ、鸞輿( らんよ ) 迹( あと ) に連( つらなつ ) て、番馬の峠を越( こえ ) んとする処に、数千( すせん ) の敵道を中に夾( はさ ) み、楯を一面に双( ならべ ) て、矢前( やさき ) をそろへて待懸( まちかけ ) たり。糟谷遥( はるか ) に是( これ ) を見て、「思ふに当国・他国の悪党共( あくたうども ) が、落人( おちうど ) の物具( もののぐ ) 剥( は ) がんとてぞ集( あつま ) りたるらん。手痛( ていた ) く当( あて ) て捨( すつ ) る程ならば、命を惜( をし ) まで戦ふ程の事はよも非じ。只一懸( ひとかけ ) に駈散( かけちら ) して捨( すて ) よ。」と云侭( いふまま ) に、三十六騎の兵共( つはものども ) 馬の鼻を並( ならべ ) てぞ掛( かけ ) たりける。一陣を堅( かた ) めたる野伏( のぶし ) 五百( ごひやく ) 余人( よにん ) 、遥( はるか ) の峯へまくり揚( あげ ) られて、二陣の勢( せい ) に逃加( にげくはは ) る。糟谷は一陣の軍( いくさ ) には打勝( うちかつ ) つ、今はよも手に碍( さは ) る者非じと、心安く思( おもひ ) て、朝霧の晴行侭( はれゆくまま ) に、可越末( すゑ ) の山路( やまぢ ) を遥( はるか ) に見渡したれば、錦の旗一流( ひとながれ ) 、峯の嵐に翻( ひるがへ ) して、兵五六千人( ごろくせんにん ) が程要害( えうがい ) を前に当( あて ) て待掛( まちかけ ) たり。糟谷二陣の敵大勢を見て、退屈してぞ引( ひか ) へたる。重( かさね ) て懸破( かけやぶら ) んとすれば、人馬共に疲れて、敵嶮岨( けんそ ) に支( ささ ) へたり。相近付( あひちかづい ) て矢軍( やいくさ ) をせんとすれば、矢種( やだね ) 皆射尽( いつく ) して、敵若干( そくばく ) の大勢也( なり ) 。兎( と ) にも角( かう ) にも可叶とも覚へざりければ、麓に辻堂の有( あり ) けるに、皆下居( おりゐ ) て、後陣の勢( せい ) をぞ相待( あひまち ) ける。越後( ゑちごの ) 守( かみ ) は前陣に軍( いくさ ) 有( あり ) と聞( きい ) て、馬を早めて馳来( はせきたり ) 給ふ。糟谷( かすやの ) 三郎、越後( ゑちごの ) 守( かみ ) に向( むかつ ) て申( まうし ) けるは、「弓矢取( ゆみやとり ) の可死処にて死せざれば恥を見( みる ) と申し習はしたるは理( ことわり ) にて候( さふらひ ) けり。我等( われら ) 都にて可打死候( さうらひ ) し者が、一日の命を惜( をしみ ) て是( これ ) まで落( おち ) もて来て、今云甲斐( いふかひ ) なき田夫野人( でんぶやじん ) の手に懸( かかつ ) て、尸( かばね ) を路径( ろけい ) の露に曝( さら ) さん事こそ口惜( くちをしく ) 候へ。敵此( この ) 一所許( ばかり ) にて候はゞ身命を捨( すて ) て、打払( うちはらう ) ても可通候が、推量仕るに、先( まづ ) 土岐が一族( いちぞく ) 、最初より謀叛( むほん ) の張本( ちやうほん ) にて候( さふらひ ) しかば、折( をり ) を得て、美濃( みのの ) 国( くに ) をば通さじとぞ仕( つかまつり ) 候はんずらん。吉良( きら ) の一族( いちぞく ) も度々( どど ) の召( めし ) に不応して、遠江( とほたふみの ) 国( くに ) に城郭( じやうくわく ) を構( かまへ ) て候と、風聞( ふうぶん ) 候( さふらひ ) しかば、出合( いであは ) ぬ事は候はじ。此等( これら ) を敵に受( うけ ) ては、退治( たいぢ ) せん事( こと ) 、恐( おそら ) くは万騎( ばんき ) の勢( せい ) にても難叶。況( いはんや ) 我等落人( おちうど ) の身と成( なつ ) て、人馬共に疲れ、矢の一双( せき ) をも、はか/゛\しく射候べき力もなく成( なつ ) て候へば、何( いづ ) く迄か落延( おちのび ) 候べき。只後陣( ごぢん ) の佐々木( ささき ) を御待候( おんまちさふらう ) て、近江( あふみの ) 国( くに ) へ引返し、暫( しばらく ) さりぬべからんずる城に楯篭( たてごもつ ) て、関東( くわんとう ) 勢の上洛( しやうらく ) し候はんずるを御待( まち ) 候へかし。」と申( まうし ) ければ、越後( ゑちごの ) 守( かみ ) 仲時( なかとき ) も、「此( この ) 義を存ずれ共( ども ) 、佐々木( ささき ) とても今は如何なる野心( やしん ) か存ずらんと、憑( たのみ ) 少( すくな ) く覚( おぼゆ ) れば、進退( しんたい ) 谷( きはまつ ) て、面々( めんめん ) の意見を訪( とひ ) 申さんと存ずる也( なり ) 。さらば何様( いかさま ) 此( この ) 堂に暫く彳( たたずみ ) て、時信( ときのぶ ) を待( まち ) てこそ評定あらめ。」とて、五百( ごひやく ) 余騎( よき ) の兵共( つはものども ) 、皆辻堂( つじだう ) の庭にぞ下居( おりゐ ) たる。佐々木( ささきの ) 判官時信は一里許( ばかり ) 引( ひき ) さがりて、三百( さんびやく ) 余騎( よき ) にて打( うち ) けるが、如何なる天魔波旬( てんまはじゆん ) の所為( しわざ ) にてか有( あり ) けん、「六波羅殿( ろくはらどの ) は番馬の当下( たうげ ) にて、野伏( のぶし ) 共に被取篭て一人も不残被討給( たまひ ) たり。」とぞ告( つげ ) たりける。時信、「今は可為様( やう ) 無( なか ) りけり。」と愛智河( えぢかは ) より引返し、降人( かうにん ) に成( なつ ) て京都へ上( のぼ ) りにけり。越後( ゑちごの ) 守( かみ ) 仲時( なかとき ) 、暫( しばし ) は時信を遅しと待給( まちたまひ ) けるが、待期( まつご ) 過( すぎ ) て時移( うつり ) ければ、さては時信も早( はや ) 敵に成( なり ) にけり。今は何( いづ ) くへか引返し、何( いづ ) くまでか可落なれば、爽( さわやか ) に腹を切らんずる物をと、中々( なかなか ) 一途( いちづ ) に心を取定( とりさだめ ) て、気色( きしよく ) 涼( すずし ) くぞ見へける。其( その ) 時軍勢共( ぐんぜいども ) に向( むかつ ) て宣( のたま ) ひけるは、「武運( ぶうん ) 漸( やうやく ) 傾( かたむい ) て、当家( たうけ ) の滅亡( めつばう ) 近きに可在と見給ひながら、弓矢の名を重( おもん ) じ、日来( ひごろ ) の好( よし ) みを不忘して、是( これ ) まで着纏( つきまと ) ひ給へる志、中々申( まうす ) に言( ことば ) は可無る。其報謝( そのはうしや ) の思( おもひ ) 雖深と、一家の運已( すで ) に尽( つき ) ぬれば、何を以てか是( これ ) を可報。今は我( われ ) 旁( かたがた ) の為に自害( じがい ) をして、生前( しやうぜん ) の芳恩( はうおん ) を死後に報ぜんと存ずる也( なり ) 。仲時( なかとき ) 雖不肖也( なり ) 。平氏一類( へいじいちるゐ ) の名を揚( あぐ ) る身なれば、敵共( てきども ) 定( さだめ ) て我首( わがくび ) を以て、千戸侯( せんここう ) にも募( つの ) りぬらん。早く仲時( なかとき ) が首を取( とつ ) て源氏の手に渡し、咎( とが ) を補( おぎなう ) て忠( ちゆう ) に備へ給へ。」と、云( いひ ) はてざる言( ことば ) の下に、鐙脱( ぬい ) で押膚脱( おしはだぬぎ ) 、腹掻切( かききつ ) て伏( ふし ) 給ふ。糟谷( かすやの ) 三郎宗秋( むねあき ) 是( これ ) を見て、泪( なみだ ) の鎧の袖に懸りけるを押( おさ ) へて、「宗秋( むねあき ) こそ先( まづ ) 自害( じがい ) して、冥途( めいど ) の御先( おんさき ) をも仕らんと存候( ぞんじさふらひ ) つるに、先立( さきだた ) せ給( たまひ ) ぬる事こそ口惜( くちをし ) けれ。今生( こんじやう ) にては命( いのち ) を際( きは ) の御先途( ごせんど ) を見終進( はてまゐ ) らせつ。冥途なればとて見放( みはなし ) 可奉に非( あら ) ず。暫( しばらく ) 御待( まち ) 候へ。死出( しで ) の山の御伴( おんとも ) 申( ともまうし ) 候はん。」とて、越後( ゑちごの ) 守( かみ ) の、鞆口( つかぐち ) まで腹に突立( つきたて ) て被置たる刀を取( とつ ) て、己( おのれ ) が腹に突立( つきたて ) 、仲時( なかとき ) の膝に抱( いだ ) き付( つき ) 、覆( うつぶし ) にこそ伏( ふし ) たりけれ。是( これ ) を始( はじめ ) て、佐々木( ささきの ) 隠岐前司( おきのぜんじ ) ・子息次郎右衛門( じらううゑもん ) ・同( おなじき ) 三郎兵衛( さぶらうひやうゑ ) ・同永寿丸( えいじゆまる ) ・高橋九郎左衛門( くらうざゑもん ) ・同孫四郎・同又四郎・同弥四郎左衛門・同五郎・隅田( すだ ) 源七左衛門( げんしちざゑもんの ) 尉( じよう ) ・同孫五郎・同藤内( とうない ) 左衛門( さゑもんの ) 尉( じよう ) ・同与一( よいち ) ・同四郎・同五郎・同孫八・同新左衛門( しんざゑもんの ) 尉( じよう ) ・同又五郎・同藤六・同三郎・安藤太郎左衛門入道・同孫三郎( まごさぶらう ) 入道・同左衛門太郎・同左衛門三郎・同十郎・同三郎・同又次郎・同新左衛門( しんざゑもん ) ・同七郎三郎・同藤次郎・中布利( なかぶり ) 五郎左衛門( ごらうざゑもん ) ・石見( いはみ ) 彦三郎・武田( たけだ ) 下条( げでう ) 十郎・関屋( せきや ) 八郎・同十郎・黒田新左衛門( しんざゑもん ) ・同次郎左衛門( じらうざゑもん ) ・竹井( たけゐの ) 太郎・同掃部( かもん ) 左衛門( さゑもんの ) 尉( じよう ) ・寄藤( よりふぢ ) 十郎兵衛・皆吉( みなぎり ) 左京( さきやうの ) 亮( すけ ) ・同勘解由( かげゆ ) 七郎兵衛・小屋木( こやきの ) 七郎・塩屋( しほや ) 右馬( うまの ) 充( じよう ) ・同八郎・岩切( いはぎり ) 三郎左衛門・子息新左衛門( しんざゑもん ) ・同四郎・浦上( うらかみ ) 八郎・岡田( をかだ ) 平六兵衛・木工介( もくのすけ ) 入道・子息介三郎( すけさぶらう ) ・吉井( よしゐ ) 彦三郎・同四郎・壱岐( いきの ) 孫四郎・窪( くぼの ) 二郎・糟谷( かすやの ) 弥次郎入道・同孫三郎( まごさぶらう ) 入道・同六郎・同次郎・同伊賀( いがの ) 三郎・同彦三郎入道・同大炊( おほゐ ) 次郎・同次郎入道・同六郎・櫛橋( くしはし ) 次郎左衛門( じらうざゑもんの ) 尉( じよう ) ・南和( なわの ) 五郎・同又五郎・原宗( はらむねの ) 左近( さこんの ) 将監( しやうげん ) 入道・子息彦七・同七郎・同七郎次郎・同平( へい ) 右馬三郎・御器所( ごきその ) 七郎・怒借屋( ぬかりや ) 彦三郎・西郡( にしこり ) 十郎・秋月( あきづき ) 二郎兵衛・半田( はんだ ) 彦三郎・平塚( ひらつか ) 孫四郎・毎田( まいでん ) 三郎・花房( はなぶさ ) 六郎入道・宮崎三郎・同太郎次郎・山本八郎入道・同七郎入道・子息彦三郎・同小五郎・子息彦五郎・同孫四郎・足立( あだち ) 源五・三河( みかは ) 孫六・広田( ひろた ) 五郎左衛門( ごらうざゑもん ) ・伊佐治部( いさぢぶの ) 丞・同孫八・同三郎・息男( そくなん ) 孫四郎・片山十郎入道・木村四郎・佐々木( ささきの ) 隠岐( おきの ) 判官・二階堂( にかいだう ) 伊予( いよの ) 入道・石井中務( いしゐなかづかさの ) 丞・子息弥三郎・同四郎・海老名( えびなの ) 四郎・同与一・弘田( ひろた ) 八郎・覚井( さめがゐ ) 三郎・石川九郎・子息又次郎・進藤( しんどう ) 六郎・同彦四郎( ひこしらう ) ・備後( びんご ) 民部( みんぶの ) 大夫・同三郎入道・加賀( かがの ) 彦太郎・同弥太郎( やたらう ) ・三嶋( みしま ) 新三郎・同新太郎・武田( たけだ ) 与三・満王野( みをのや ) 藤左衛門・池守( いけもり ) 藤内兵衛・同左衛門五郎・同左衛門七郎・同左衛門太郎・同新左衛門( しんざゑもん ) ・斎藤宮内( くないの ) 丞・子息竹丸( たけまる ) ・同宮内左衛門・子息七郎・同三郎・筑前( ちくぜんの ) 民部( みんぶの ) 大夫・同七郎左衛門・田村中務( なかつかさの ) 入道・同彦五郎・同兵衛次郎・信濃小外記( しなののせうげき ) ・真上( まかみの ) 彦三郎・子息三郎・陶山( すやま ) 次郎・同小五郎・小見山( こみやま ) 孫太郎・同五郎・同六郎次郎・高境( たかさか ) 孫三郎( まごさぶらう ) ・塩谷( しほのやの ) 弥次郎・庄( しやうの ) 左衛門四郎・藤田六郎・同七郎・金子( かねこの ) 十郎左衛門・真壁( まかべ ) 三郎・江馬( えま ) 彦次郎( ひこじらう ) ・近部( こんべ ) 七郎・能登( のとの ) 彦次郎( ひこじらう ) ・新野( にひのの ) 四郎・佐海( さみの ) 八郎三郎・藤里( ふぢさと ) 八郎・愛多義( あたぎ ) 中務( なかつかさの ) 丞・子息弥次郎、是等( これら ) を宗徒( むねと ) の者として、都合( つがふ ) 四百三十二人( しひやくさんじふににん ) 、同時に腹をぞ切( きつ ) たりける。血は其( その ) 身を浸( ひた ) して恰( あたかも ) 黄河( くわうが ) の流( ながれ ) の如く也( なり ) 。死骸は庭に充満( じゆうまん ) して、屠所( どしよ ) の肉に不異。彼己亥( かのきがい ) の年、五千の貂錦( てうきん ) 胡塵( こぢん ) に亡( ほろ ) び、潼関( とうくわん ) の戦( たたかひ ) に、百万の士卒河水に溺( おぼ ) れなんも、是( これ ) にはよも過( すぎ ) じと哀( あはれ ) なりし事共( ことども ) 、目もあてられず、言( いふ ) に詞( ことば ) も無( なか ) りけり。主上( しゆしやう ) ・々皇( しやうくわう ) は、此死人共( このしにんども ) の有様を御覧( ごらん ) ずるに、肝心( きもこころ ) も御身( おんみ ) に不傍、只あきれてぞ坐( ま ) しましける。
○主上( しゆしやう ) ・々皇( しやうくわう ) 為五宮被囚給( たまふ ) 事( こと ) 付資名( すけなの ) 卿( きやう ) 出家{の}事( こと ) 去程( さるほど ) に五宮( ごのみや ) の官軍共( くわんぐんども ) 、主上( しゆしやう ) ・々皇( しやうくわう ) を取進( とりまゐ ) らせて其( その ) 日先( まづ ) 長光寺へ入( いれ ) 奉り、三種( さんじゆの ) 神器( じんぎ ) 並( ならびに ) 玄象( げんじやう ) ・下濃( すそご ) ・二間( ふたま ) の御本尊( ごほんぞん ) に至( いたる ) まで、自( みづから ) 五( ごの ) 宮( みや ) の御方( かた ) へぞ被渡ける。秦( しん ) の子嬰( しえい ) 漢祖( かんそ ) の為に被亡て天子の璽符( しふ ) を頚に懸( かけ ) 、白馬素車( はくばそしや ) に乗( のつ ) て、■道( しだう ) の傍( かたはら ) に至り給ひし亡秦( ばうしん ) の時に不異。日野( ひのの ) 大納言資名卿( すけなのきやう ) は、殊更当今( たうぎん ) 奉公の寵臣( ちようしん ) 也( なり ) 。しかば、如何なる憂目( うきめ ) をか見んずらんとて、身を危( あや ) ぶんで被思ければ、其辺( そのへん ) の辻堂に遊行( ゆぎやう ) の聖( ひじり ) の有( あり ) ける処へおはして、可出家由を宣( のたま ) ひければ、聖( ひじり ) 軈( やが ) て戒師( かいし ) と成( なつ ) て、無是非髪( かみ ) を剃落( そりおと ) さんとしけるを、資名卿( すけなのきやう ) 聖に向( むかつ ) て、「出家( しゆつけ ) の時は、何とやらん四句( しく ) の偈( げ ) を唱( となふ ) る事の有( あり ) げに候者を。」と被仰ければ、此聖( このひじり ) 其( その ) 文をや知( しら ) ざりけん、「汝是畜生発菩提心( によぜちくしやうほつぼだいしん ) 。」とぞ唱( となへ ) たりける。三河( みかはの ) 守( かみ ) 友俊( ともとし ) も同( おなじ ) く此( ここ ) にて出家せんとて、既( すで ) に髪を洗( あらひ ) けるが、是( これ ) を聞( きい ) て、「命の惜( をし ) さに出家すればとて、汝( なんぢ ) は是( これ ) 畜生( ちくしやう ) 也( なり ) 。と唱( となへ ) 給ふ事の悲しさよ。」と、ゑつぼに入( いつ ) てぞ笑( わらはれ ) ける。如此今まで付纏( つきまと ) ひ進( まゐ ) らせたる卿相雲客( けいしやううんかく ) も、此彼( ここかしこ ) に落留( おちとどまつ ) て、出家遁世( とんせい ) して退散( たいさん ) しける間、今は主上( しゆしやう ) ・春宮( とうぐう ) ・両上皇の御方様( おんかたさま ) とては、経顕( つねあき ) ・有光( ありみつ ) 卿( きやう ) 二人( ににん ) より外( ほか ) は供奉( ぐぶ ) 仕る人もなし。其外( そのほか ) は皆見狎( みなれ ) ぬ敵軍に前後( ぜんご ) を被打囲て、怪( あやし ) げなる網代輿( あじろのこし ) に被召て、都へ帰上( かへりのぼ ) らせ給へば、見物( けんぶつ ) の貴賎( きせん ) 岐( ちまた ) に立( たつ ) て、「あら不思議( ふしぎ ) や、去年先帝を笠置( かさぎ ) にて生捕進( いけどりまゐ ) らせて、隠岐の国へ流し奉りし其報( そのむくい ) 、三年( みとせ ) の中( うち ) に来りぬる事の浅猿( あさまし ) さよ。昨日( きのふ ) は他州( たしう ) の憂( うれへ ) と聞( きき ) しかど、今日( けふ ) は我( わが ) 上の責( せめ ) に当( あた ) れりとは、加様( かやう ) の事をや申すべき。此( この ) 君も又如何なる配所( はいしよ ) へか被遷させ給( たまひ ) て宸襟( しんきん ) を被悩ずらんと、心あるも心なきも、見る人毎( ごと ) に因果歴然( いんぐわれきぜん ) の理( ことわり ) を感思( かんし ) して、袖をぬらさぬは無( なか ) りけり。
○千葉屋( ちはやの ) 城寄手( よせて ) 敗北( はいぼくの ) 事( こと ) 去程( さるほど ) に昨日( きのふ ) の夜、六波羅( ろくはら ) 已( すで ) に被責落て、主上( しゆしやう ) ・々皇( しやうくわう ) 皆関東( くわんとう ) へ落( おち ) させ給( たまひ ) ぬと、翌日( よくじつ ) の午刻( うまのこく ) に、千葉屋( ちはや ) へ聞へたりければ、城中には悦び勇( いさん ) で、唯篭( こ ) の中の鳥の、出( いで ) て林に遊ぶ悦( よろこび ) をなし、寄手( よせて ) は牲( にへ ) に赴く羊の、被駆て廟( べう ) に近づく思( おもひ ) を成す。何様( なにさま ) 一日も遅く引かば、野伏( のぶし ) 弥( いよいよ ) 勢重( かさな ) りて、山中の路可難儀とて、十日の早旦( さうたん ) に、千葉屋( ちはや ) の寄手( よせて ) 十万( じふまん ) 余騎( よき ) 、南都( なんと ) の方( かた ) へと引( ひい ) て行く。前( さき ) には兼( かね ) て野臥( のぶし ) 充満( みちみち ) たり。跡( あと ) よりは又敵急に追懸( おつかか ) る。都( すべ ) て大勢の引立( ひきたつ ) たる時の癖( くせ ) なれば、弓矢を取捨( とりすて ) て、親子( しんし ) 兄弟を離( はなれ ) て、我先( われさき ) にと逃( にげ ) ふためきける程に、或( あるひ ) は道もなき岩石( がんぜき ) の際( きは ) に行( ゆき ) つまりて腹を切り、或( あるひ ) は数千丈( すせんぢやう ) 深き谷の底へ落入( おちいつ ) て、骨を微塵( みぢん ) に打摧( うちくだ ) く者、幾千万( いくせんまん ) と云( いふ ) 数を不知。始( はじめ ) 御方( みかた ) の勢( せい ) を帰さじとて、寄手( よせて ) の方より警固を居( すゑ ) 、谷合( たにあひ ) の関( せき ) ・逆木( さかもぎ ) も引除( ひきのけ ) て通る人無ければ、被関落ては馬に離れ、倒れては人に被蹈殺。二三里が間の山路( やまぢ ) を、数万の敵に被追立て一軍( ひといくさ ) もせで引( ひき ) しかば、今朝まで十万( じふまん ) 余騎( よき ) と見へつる寄手( よせて ) の勢( せい ) 、残少( のこりずく ) なに被討成、僅( わづか ) に生( いき ) たる軍勢も、馬物具( もののぐ ) を捨( すて ) ぬは無( なか ) りけり。されば今に至るまで、金剛山( こんがうせん ) の麓、東条谷( とうでうだに ) の路( みち ) の辺( へん ) には、矢の孔( あな ) の刀の疵( きず ) ある白骨、収( をさむ ) る人もなければ、苔に纏( まとは ) れて塁々( るゐるゐ ) たり。されども宗徒( むねと ) の大将達( たち ) は、一人も道にては不被討して生( いき ) たる甲斐はなけれ共( ども ) 、其( その ) 日( ひ ) の夜半( やはん ) 許( ばかり ) に、南都( なんと ) にこそ被落着けれ。