その夜は、船長にとっては、全く不愉快きわまる長い夜であった。その夜は、ボースン一行にとっては、全く愉快きわまる短い一夜であった。そして、おもての者たちにとっては、それは、灰色に塗りつぶされた、懲役囚の一夜のように惰力的な一夜であった。
その夜が明けると、ボースンらは、陸地近くの、日本海特有のまき浪の中から、その伝馬の姿を見せた。浪は、その波のような色と幅を持って、沖の方から陸地の方へ巻きころがして行く反物のように見えた。伝馬は、陸近くでは、よくこの浪に見事にくつがえされるのであった。伝馬は巻き込まれるように見えた。が、すぐにヒョコリと現われた。芥子粒のような伝馬は、だんだん大きくなって来た。
よせばいいのに、ボースン――海軍出のおもしろい男だった――は、伝馬の舳[43]につっ立って、その功を誇りでもするように、ハンケチを振っていた。
それは、客観的には浦島太郎が、龍宮の乙姫様のところから、帰って来るのではないかと思われるほど、美しく、詩的であった。
黒青い、大うねりのある海には、外には一艘の船もなかった。空気は甘く、恋人の肌のようににおった。空は海一杯を映した鏡のようだった。伝馬の背には、白い砂山の続きの間から、松と屋根とが延び上がってのぞいていた。
一切が澄みわたって、静かであった。それは一九一四年のことではなくて、紀元二百年の日本海と名のつかない、前の海面であった。
そしてボースンは乙姫様からもらった箱をさげて、ハンケチを振っていた。
ボーイが、船長にボースンの伝馬が見えると報告した時の、彼の憤り方の気持ちや、態度を説明するのには、匙を投げる。
彼は、ドイツ製の双眼鏡をオッ取って、ブリッジに駆けのぼった。彼の双眼鏡は伝馬を拡大した。
「図々しいにもほどがある、やつはハンケチを振っている!」彼はうなった。
水夫たちも、火夫たちもデッキへ出て、悲惨な遊蕩児たちをながめた。伝馬は近づいた。大工は鼻歌をうたっていた。彼は、また声がいいのだ。それは、だれでも聞く者を、母にすがりついて乳を飲んでいたころの、甘い追憶を誘い出さずには置かなかった。
彼らは、おもてからロープをおろしてもらって上がった。
彼らが、皆まだ上がり切らないうちに、コーターマスターが飛んで来た。
「伝馬はそのままにしといて、ボースンにすぐ来いって、船長が」とボースンにいって、
「オイ、ボースン、気をつけないと、まっ赤になって憤ってるぜ」
ボースンは、女房と、六人の子供が、打ち上げられた藻屑のように、ゴタゴタしている、自分の家庭のことを思い出してしまった。「こいつあしまった。行かなきゃよかった」と、彼は思った。深刻に彼は悔いた。悪いと思ってでなく、より悪いことの誘因になったことを、彼は、……頭をデッキへ打っつけたかった。……心臓がまるで肋骨の外側についてるように、彼は、動悸がした。捕まった犯罪人のように、彼は、自分の運命が決定したことを直感した。彼は、その破滅に瀕した自分の家で、疲れ衰え弱った、妻や、子供らと一緒に飢え凍えている状態を想像して、震えながら、船長の所へと行った。
彼の共犯者? たちも、霜寄りした魚のように、一つところに集まって「困った」のであった。三上だけが一人その中で、昨夜はいかにして遊んだかということを、仲間の者に発表する勇気と、発表せざるを得ない衝動とを持っていた。
その話によると、若い船員たちにとっては、その歓びを得たことは、そのために首を切られることがあるにしても、なおかつ非常にいい、得難いことであった。なぜかならば、
三上はこう説明した。「ほんとに、自分の亭主のように親切にした」と。
彼らは、人間の「愛」には、うそにもほんとにも、沙漠のように渇き飢えていたのだ。沙漠にオアシスの蜃気楼を旅人が見るように、彼らは「愛」の蜃気楼さえをもさがし求めたので。それは「愛」の形骸であったかもしれない。しかも彼らは、それ以上のものを知らなかったのだ。彼らは、そこへ持って来て、原始的な制度の残っている、いくらか何か真実らしいもののある――それは、彼らの幻影と、極端な想像とから来たものであろう――「愛」の一夜を過ごしたのだ。
彼女らが、彼らに、ほんとに人間として、仲間として接近された時、彼女らも、時としては、その夜、強い反抗と、自暴自棄とから、涙の多いその女性としての一面をフト、見せることがあるものだ。それは、よくないことであろう。だが、それから先には、なおらないであろう。
船長はサロンに待っていた。チーフメートもそこにいた。セコンド、サードもそこにいた、陳列されたように頭をそろえていた。船長はそれらの人間にとっても、犯すことのできない人間であった。従って、ボースンなどは「陪臣」であった。
ボースンは落ちて来た煙火の人形のように、ガッカリしていた。彼は、ドーアのところへ立って、マゴマゴしていた。彼はためらっていたが、死のような沈黙と、屍のような冷たい目とが、集まっていたので、そのまま思いを決めて、中へはいった。
そこは、まるで法廷のようであった。そこでは、善人と悪人とは決定されてあった。
ボースンのしたことは、論ずる余地がなかった。
「お前に下船を命ずる! 今からすぐに。荷をまとめて、あの伝馬で上陸して行け、合意下船ではないぞ、下船命令だ! それでよろしい」
きわめて簡単であった。抗弁もなかった。ありもしなかった。余裕もなかった。船長は自分の室へ、赤くなった目を休めに引っ込んだ。それぞれメートらも幽霊のごとく引き取った。
ボースンはおもてへかえった。そして、どっかと自分の寝箱の中へ、からだを投げつけた。一切は決定した。ボースンは業務怠慢で下船命令を食ったから、一年間乗船を海事局の名によって停止されるのだ。それだけの事実なのだ!
悲惨なる事実は、新聞の三面に「死んだ人」の欄に一括して載せられる。ブルジョアの結婚が破れたことは、全紙を数日間にわたって埋める。それだけのことなのだ!
(以下十九字不明)凍死し、飢え死にし、病死し、自殺し、殺戮されることは、その状態なのだ! (以下七字不明)! もし、新聞や、その他の社会が事実を顛倒してると考えるならば、それは、君が資本主義の社会を見ていないからだ。
もし、それらの悲惨なる事実がなかったならば、それらの悲惨事の上にのみ建つ、ブルジョアの社会建築はどうなるのだ。それは、だから、実は悲惨事ではないのだ。貧窮のために死滅して行くことは、すこしも悲惨ではないのだ。死滅して行くほどに多数が貧窮であるからこそ、これほど、ブルジョアが富んでいるんだ!
だから、一切は、最上の状態なので、「これを動かしてはならない!」のだ。
ボースンは、そこらの物を片づけ始めた。帆布で作った袋の中へ、一切合財押し込み始めた。そして、その間に、アーッとため息をもらした。曇った夕暮れのように、どんよりと考え、どんよりと感じた。彼は寝床の下から、長いこと、そこにつっこんであった、破れたゴムの長靴をとり出して、それにながめ入っていた。白い粉のように、塩がフイていた。が、彼はその靴の事を考えているというわけでもなかった。彼は、それをぼんやりと見入っていた。
ナンバン、大工などの連累者は、ボースンの命乞いを計画して、それぞれ手分けをして頼み回っていた。ことに大工は、船長と同じ国の山口県の者であった。彼は、国者という、――何という哀れな、せせこましい、けちくさいことだろう、――理由で、船長のところへ、日ごろの寵を恃んで出かけて行った。
「お前が、国の者でなかったら、お前も一緒なんだぞ!」大工は、船長にそう怒鳴りつけられて、失望したような、ホッと安心したような、何だか浮き浮きしてうれしそうな気にまでなりながら、おもてへかえって、「だめだった」ことを報告した。そして、心の中では口笛でも吹きたいような元気元気した気になった。
三上は、何とも思わなかった。それは、人のことなのだ! ナンバン、ナンブトーも、同様であった。
読者は、作者に対してこのことで憤っては困る。作者が冷淡にしたわけではないのだ! もしまた、皆がそうでなかったら、ボースンがおろされるようなことも初めっから生じ得なかったろう。要するに、労働者が結合していないことを、作者に向かって憤られるのははなはだ迷惑だ。
ボースンはばかな子が、その帯をくわえるように、その靴をいつまでもいじくっていた。
しばらくして、彼は、その靴を床へ力一杯たたきつけた。そして、しばらくまた考えていたが、また、それを拾い上げて、その破け目を子細に調べて、ソーッと、下へ置いた。彼は、寝床の縁板のすみに、セルロイドの妻楊枝を作って置いてあった。それは歯のためにいいだろうと、彼は自分で思い込んでいた。彼はまた、それへ目をつけた。これはどうしよう。彼は、それをとり上げて、また、子細に検査を始めるのであった。一切のものが急に、非常に重大な、貴重なものであるように、彼は感じ初めた。
水夫たちは、ボースンの室をのぞいては、気の毒そうな顔をした。波田は、ボースンを、月二割も利子をとるので、船長の模型ぐらいに評価していたのであったが、彼が「馘首」されたことを聞いて、急に同情者になってしまった。
彼は、梅雨時の夕方みたいな気持ちでいる、ボースンの室へはいった。そして、何かと手伝ったのであった。――彼が、今時々足にはめるゴム長靴の「ゲートル」はこの時に、もらった記念品であった――。
ともからは、ボースンはまだ上がらないかと、しきりに急き立てて来た。
「人間ほどわからんものはない。ああ人間ほどわからんものはない」と、ボースンはため息と共に言った。
ボースンは、三上に送られて、自分も一本の櫓を押して、今帰ったばかりの直江津の街へ向かって漕ぎ去った。
ブリッジからは、船長とチーフメーツが望遠鏡でこれを見送った。伝馬はだんだん小さく、波山と波谷との上にのりつつ見えつ、沈みつして行った。
ちょうど、その日も荷役がなかった。また別に仕事もなかったので、水夫らは、船首甲板にウォーニンを張って、その下で寝ころびながら、ボースンの伝馬を見送っていた。
伝馬はどんどん進んで行った。そして、陸岸近くなって、もう一、二間と、いうくらいのところまで進んだ時に、後ろから追っかけられた、例の巻き浪に、くるまれて、旋風が埃でも渦巻くように、ゴロゴロッと横にころがしてしまった。もちろん、船長とチーフメーツはこの上もなくおもしろがり、手を打って喜んだ。
岸には、石炭の人足たちが、もう少し凪いだらば、本船へ仕事に出かけようとして沢山集まって、そのありさまを見ていた。
人足の四、五[44]の者は直ちにおどり入った。そして、二人は――三上は櫓と抱き合って、ゴロゴロころがった、彼は、立とうとして二、三度試みたが、彼の四倍も長い重い櫓を抱えていたので立てないで、その代わりに潮を飲んだ。ボースンは、そのとっさの場合にも、荷物を流すまいとして、手を章魚のように八方に広げて、手にさわるものをつかもうとしながら、グルグルと巻きころがされた。そして、彼は手に舟板一枚と洋傘一本とをしっかりと握りしめていた。
もし、人足が助けてくれなかったならば、伝馬はもちろん、流されているし、ボースンにしても、三上にしても、死に得た。彼らは足が立たなかったといっていた。そのはずであった。どんな大男でも、海の幅ほど丈のあるものはないからだ。つまり彼らは、横になりながら足を突っぱろうと試みたのだ。
二人は、櫓と、舟板と洋傘とをしっかり握りしめて、人足に助け上げられた。
ボースンの荷物は、布団一枚と毛布一枚との包みが取りとめられた。そして、帆木綿の袋の方は流れた。そして、一切は残るくまなく完全にぬれてしまった。それは、吸い取り紙が完全にぬれたように、ほとんど一切を役に立たなくしてしまった。
それは、ブリッジから、望遠鏡で見る時に、流れて行く行李まで見えたくらいであった。
「これは痛快だ、こいつあおもしろい、ワッハッハハハハハハ、ワッハッハッハハハハハ、とてもたまらない[45]、ワッハッハハハハハ、あれを見たまえ! 舟板を虎の子みたいに抱いてるぞ、ワッハッハハハハハ」船長はころげ歩くばかりに笑い狂った。全く、それは、関係のない者から見ると、おかしい情景でもあったろうさ。チーフメーツも笑った。
おもてのウォーニンの下でも、砂丘の上の粒のような人間たちが、動揺し始めたことを見た。何だろう? と伝馬の行方をさがしたが見えない。そのうちに、ブリッジで、船長とチーフメーツが腹を抱えて笑いころげているのを見た。そこへ、ブリッジから、非番になったコーターマスターがおりて来て、ボースンの伝馬が、巻き浪に巻き込まれて顛覆したが、人命だけは人足に救われたことを知らせた。
彼らは、ウォーニンの柱やレールに上ったり、つかまったりして、それをながめようとした。けれども、波にさえぎられて見えなかった。彼らは下に降りて、寝そべりながら、彼らについて話し合った。
夕方になって、三上は、ふくれっ面をしてボースンと共に、また帰って来て、船長に、子細を告げた。ボースンは、船長に損害賠償を要求しようとしたが、テンで、デッキまでも上がらされなかった。すでに彼は、万寿丸のデッキさえも踏み得なくなっていた。そして、一切は浪にさらわれた!
三上は、再びボースンを送って行って、夜になって帰った。
ボースンは、横浜へ帰って、全く、くず鉄の山の中の一本のねじ釘のように、わずかに存在しているに止まった。彼は、帆布の縫い工になって、一日七十銭を取っているのであった。
これが、船長の偉業であり、これが、ボースンが、「当然」受けねばならない報いであった!