草迷宮


「利かぬ気の親仁じゃ、お前様、月夜の遠見に、纏ったものの形は、葦簀張の柱の根を圧えて置きます、お前様の背後の、その[23]石※か、私が立掛けて置いて帰ります、この床几の影ばかり。

 大崩壊まで見通しになって、貴女の姿は、蜘蛛巣ほども見えませぬ。それをの、透かし透かし、山際に附着いて、薄墨引いた草の上を、跫音を盗んで引返しましたげな。

 嘉吉をどう始末さっしゃるか、それを見届けよう、という、爺どの了簡でござります。

 荷車はの、明神様石段の前を行けば、御存じの三崎街道、横へ切れる畦道が在所の入口でござりますで、そこへ引込んだものでござります。人気も穏なり、積んだものを見たばかりで、鶴谷様御用、と札の建ったも同一じゃで、誰も手の障え人はござりませぬで。

 爺どのは、這うようにして、身体を隠して引返したと言いましけ。よう姿が隠さりょう、光った天窓と、顱巻の茜色が月夜に消えるか。主ゃそこで早や、貴女の術で、活きながら鋏の紅い月影の蟹になった、とあとで村の衆にひやかされて、ええ、措けやい、気味の悪い、と目をぱちくり、泡を吹いたでござりますよ。

 笑うてやらっしゃりませ。いけ年を仕って、貴女が、去ね、とおっしゃったを止せば可いことでござります。」

 法師はかくと聞いて眉を顰め、

「笑い事ではない。何かお爺様に異状でもありましたか。」

「お目こぼしでござります、」

 と姥は謹んだ、顔色して、

「爺どのはお庇と何事もござりませんで、今日も鶴谷様の野良へ手伝いに参っております。」

「じゃ、その嘉吉と云うのばかりが、変な目に逢ったんだね。」

「それも心がらでござります。はじめはお前様、貴女が御親切に、勿体ない……お手ずから薫の高い、水晶を噛みますような、涼しいお薬を下さって、水ごと残しておきました、……この手桶から、」……

 と姥は見返る。捧げた心か、葦簀に挟んで、常夏の花のあるが下に、日影涼しい手桶が一個、輪の上に、――大方その時以来であろう――注連を張ったが、まだ新しい。

「水も汲んで、くくめておやり遊ばした。嘉吉の我に返った処で、心得違いをしたために、主人の許へ帰れずば、これを代に言訳して、と結構な御宝を。……

 それがお前様、真緑の、光のある、美しい、珠じゃったげにございます。

 爺どのが、潜り込んだ草の中から、その蟹の目を密と出して、見た時じゃったと申します。

 こう、貴女がお持ちなさりました指の尖へ、ほんのりと蒼く映って、白いお手の透いた処は、大な蛍をお撮みなさりましたようじゃげな。

 貴女のお身体に附属ていてこそじゃが、やがて、はい、その光は、嘉吉が賽ころを振る掌の中へ、消えましたとの。

 それから、抜かっしゃりましたものらしい、少し俯向いて、ええ、やっぱり、顔へは団扇を当てたまんまで、お髪の黒い、前の方へ、軽く簪をお挿なされて、お草履か、雪駄かの、それなりに、はい、すらすらと、月と一所に女浪のように歩行かっしゃる。

 これでまた爺どのは悚然としたげな。のう、いかな事でも、明神様の知己じゃ言わしったは串戯で、大方は、葉山あたりの誰方のか御別荘から、お忍びの方と思わしっけがの。

 今行かっしゃるのは反対に秋谷の方じゃ。……はてな、と思うと、変った事は、そればかりではござりませぬよ。

 嘉吉の奴がの、あろう事か、慈悲を垂れりゃ、何とやら。珠は掴む、酒の上じゃ、はじめはただ、御恩返しじゃの、お名前を聞きたいの、ただ一目お顔の、とこだわりましけ。柳に受けて歩行かっしゃるで、機織場の姉やが許へ、夜さり、畦道を通う時の高声の唄のような、真似もならぬ大口利いて、果は増長この上なし、袖を引いて、手を廻して、背後から抱きつきおる。

 爺どのは冷汗掻いたげな。や、それでも召ものの裾に、草鞋が引かかりましたように、するすると嘉吉に抱かれて、前ざまに行かっしゃったそうながの、お前様、飛んでもない、」

「怪しからん事を――またしたもんです。」

 と小次郎法師は苦り切る。

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Last Modified:Thursday, February 13, 2025
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