「それからその少え方は、(どうだろう、その黒門の空家というのを、一室借りるわけには行くまいか、自炊を遣って、しばらく旅の草臥を休めたい、)と相談打ったが。
ねえ、先生様。
お前様、今の住居は、隣の嚊々が小児い産んで、ぎゃあぎゃあ煩え、どこか貸す処があるめえか、言わるるで、そん当時黒門さどうだちゅったら、あれは、と二の足を蹈ましっけな。」
と横ざまに浴せかけると、訓導は不意打ながら、さしったりで、杖を小脇に引抱き、
「学校へ通うのに足場が悪くって、道が遠くって仕様がないから留めたんだ。」
「朝寝さっしゃるせいだっぺい。」
仁右衛門が重い口で。
訓導は教うるごとく、
「第一水が悪い。あの、また真蒼な、草の汁のようなものが飲めるものかい。」
「そうかね――はあ、まず何にしろだ。こっちから頼めばとって、昼間掃除に行くのさえ、厭がります空屋敷じゃ。そこが望み、と仰有るに、お住居下さればその部屋一ツだけも、屋根の草が無うなって、立腐れが保つこんだで、こっちは願ったり、叶ったり、本家の旦那もさぞ喜びましょうが、尋常体の家でねえ。あの黒門を潜らっしゃるなら、覚悟して行かっせえ、可うがすか、と念を入れると、
(いやその位の覚悟はいつでもしている。)
と落着いたもんだてえば。
はてな、この度胸だら盗賊でも大将株だ、と私、油断はねえ、一分別しただがね、仁右衛門よ、」
「おおよ。」
「前刻、着たっきりで、手毬を拾いに川ん中さ飛込んだ時だ。旅空かけて衣服をどうするだ、と私頼まれ効もなかったけえ、気の毒さもあり、急がずば何とかで濡れめえものを夕立だ、と我鳴った時よ。
(着物は一枚ありますから……)
と見得でねえわ、見得でねえね。極りの悪そうに、人の心を無にしねえで言訳をするように言わしっけが、こいつを睨んで、はあ、そこへ私が押惚れただ。
殊勝な、優しい、最愛い人だ。これなら世話をしても仔細あんめえ。第一、あの色白な仁体じゃ……化……仁右衛門よ。」
「何い、」
「暗くなったの、」
「彼これ、酉刻じゃ。」
「は、南無阿弥陀仏、黒門前は真暗だんべい。」
「大丈夫、月が射すよ。」
と訓導は空を見て、
「お前、その手毬の行方はどうしたんだい。」
「そこだてね、まあ聞かっせえ、客人が、その最愛らしい容子じゃ……化、」
とまた言い掛けたが、青芒が川のへりに、雑木一叢、畑の前を背屈み通る真中あたり、野末の靄を一呼吸に吸込んだかと、宰八唐突に、
「はッくしょ!」
胴震いで、立縮み、
「風がねえで、えら太い蜘蛛の巣だ。仁右衛門、お前、はあ、先へ立って、よく何ともねえ。」
「巣、巣どころか、己あ樹の枝から這いかかった、土蜘蛛を引掴んだ。」
「ひゃあ、」
「七日風が吹かねえと、世界中の人を吸殺すものだちゅっけ、半日蒸すと、早やこれだ。」
と握占めた掌を、自分で捻開けるようにして開いたが、恐る恐る透して見ると、
「何ぢゃ、蟹か。」
水へ、ザブン。
背後で水車のごとく杖を振廻していた訓導が、
「長蛇を逸すか、」
と元気づいて、高らかに、
「たちまち見る大蛇の路に当って横わるを、剣を抜いて斬らんと欲すれば老松の影!」
「ええ、静にしてくらっせえ、……もう近えだ。」
と仁右衛門は真面目に留める。
「おい、手毬はどうして消えたんだな、焦ったい。」
「それだがね、疾え話が、御仁体じゃ。化物が、の、それ、たとい顔を嘗めればとって、天窓から塩とは言うめえ、と考えたで、そこで、はい、黒門へ案内しただ。仁右衛門も知っての通り――今日はまた――内の婆々殿が肝入で、坊様を泊めたでの、……御本家からこうやって夜具を背負って、私が出向くのは二度目だがな。」









