「その書生さんの時も、本宅の旦那様、大喜びで、御酒は食らぬか。晩の物だけ重詰にして、夜さりまた掻餅でも焼いてお茶受けに、お茶も土瓶で持って行け。
言わっしゃったで、一風呂敷と夜具包みを引背負って出向いたがよ。
へい、お客様前刻は。……本宅でも宜しく申してでござりました。お手廻りのものや、何やかや、いずれ明日お届け申します。一餉ほんのお弁当がわり。お茶と、それから臥らっしゃるものばかり。どうぞハイ緩り休まっしゃりましと、口上言うたが、着物は既に浴衣に着換えて、燭台の傍へ……こりゃな、仁右衛門や私が時々見廻りに行く時、皆閉切ってあって、昼でも暗えから要害に置いてあった。……先に案内をした時に、彼これ日が暮れたで、取り敢ず点して置いたもんだね。そのお前様、蝋燭火の傍に、首い傾げて、腕組みして坐ってござるで、気になるだ。
(どうかさっせえましたか。)と尋ねるとの。
ここだ!」
と唐突に屹と云う。
「ええ何か、」と訓導は一足退く。
宰八は委細構わず。
「手毬の消えたちゅうがよ。(ここに確に置いたのが見えなくなった、)と若え方が言わっしゃるけ。
そうら、始まったぞ、と私一ツ腰をがっくりとやったが、縁側へつかまったあ――どんな風に、失くなったか、はあ、聞いたらばの。
三ツばかり、どうん、どうん、と屋根へ打附ったものがあった……大な石でも落ちたようで、吃驚して天井を見上げると、あすこから、と言わしっけ。仁右衛門、それ、の、西の鉢前の十畳敷の隅ッこ。あの大掃除の検査の時さ、お巡査様が階子さして、天井裏へ瓦斯を点けて這込まっしゃる拍子に、洋刀の鐺が上って倒になった刀が抜けたで、下に居た饂飩屋の大面をちょん切って、鼻柱怪我ァした、一枚外れている処だ。
どんと倒落しに飛んで下りたは三毛猫だあ。川の死骸と同じ毛色じゃ、(これは、と思うと縁へ出て)……と客人の若え方が言わっしゃったで、私は思わず傍へ退いたが。
庭へ下りて、草茫々の中へ隠れたのを、急いで障子の外へ出て見ている内に、床の間に据えて置いた、その手毬がさ。はい、忽然と消えちゅうは、……ここの事だね。」
「消えたか、落したか分るもんか。」
「はあ、分らねえから、変でがしょ、」
「何もちっとも変じゃない。いやしくも学校のある土地に不思議と云う事は無いのだから。」
「でも、お前様、その猫がね、」
「それも猫だか、鼬だか、それとも[10]鼠だが、知れたもんじゃない。森の中だもの、兎だって居るかも知れんさ。」
「そのお前様、知れねえについてでがさ。」
「だから、今夜行って、僕が正体を見届けてやろうと云うんだ。」
「はい、どうぞ、願えますだ。今までにも村方で、はあ、そんな事を言って出向いたものがの、なあ、仁右衛門。」
無言なり。
「前方へ行って目をまわしっけ、」
「馬鹿、」
と憤然とした調子で呟く。
きかぬ気の宰八、紅の鋏を押立て、
「お前様もまた、馬鹿だの、仁右衛門だの、坊様だの、人大勢の時に、よく今夜来さしった。今まではハイついぞ行って見ようとも言わねえだっけが。」
「当前です、学校の用を欠いて、そんな他愛もない事にかかり合っていられるもんかい。休暇になったから運動かたがた来て見たんだ。」
「へ、お前様なんざ、畳が刎ねるばかりでも、投飛ばされる御連中だ。」
「何を、」
「私なんざ臆病でも、その位の事にゃ馴れたでの、船へ乗った気で押こらえるだ。どうしてどうして、まだ、お前……」
「宰八よ、」
と陰気な声する。
「おお、」
「ぬしゃまた何も向う面になって、おかしなもののお味方をするにゃ当るめえでねえか。それでのうてせえ、おりゃ重いもので押伏せられそうな心持だ。」
と溜息をして云った。浮世を鎖したような黒門の礎を、靄がさそうて、向うから押し拡がった、下闇の草に踏みかかり、茂の中へ吸い込まれるや、否や、仁右衛門が、
「わっ、」
と叫んだ。









