声を聞いたより形を見れば、なお確実に、飛石を這って呻いていたのは、苦虫の仁右衛門であった。
月明に、まさしくそれと認めが着くと、同一疑の中にもいくらか与易く思った処へ、明が行燈を提げて来たので、ますます力づいた宰八は、二人の指図に、思切って庭へ出たが、もうそれまでに漕ぎ着ければ、露に濡れる分は厭わぬ親仁。
さやさやと葎を分けて、おじいどうした、と摺寄ると、ああ、宰八か助けてくれ。この手を引張って、と拝むがごとく指出した。左の腕を、ぐい、と掴んで、獣にしては毛が少ねえ、おおおお正真正銘の仁右衛門だ、よく化けた、とまだそんな事を云いながら、肩にかけて引立てると、飛石から離れるのが泥田を踏むような足取りで、せいせい呼吸を切って、しがみつくので、咽喉がしまる、と呟きながら、宰八も疾く埒を明けたさに、委細構わずずるずる引摺って縁側に来る間に、明はもう一枚、雨戸を開けて待構えて、気分はどう?まあ、こちらへ、と手伝って引入れた、仁右衛門の右の手は、竹槍を握っていたのである。
これは、と驚くと、仔細ござります。水を一口、と云う舌も硬ばり、唇は土気色。手首も冷たく只戦きに戦くので、ともかく座敷へ連れよう……何しろ危いから、こういうものはと、竹槍は明が預る。
引そいだ切尖の鋭いのが、法衣の袖を掠ったから、背後に立った僧は慌てて身を開いて、行燈は手前が、とこれが先へ立つ。
さあ負され、と蟹の甲を押向けると、いや、それには及ばぬ、と云った仁右衛門が、僧の裾を啣えた体に、膝で摺って縁側へ這上った。
あとへ、竹槍の青光りに艶のあるのを、柄長に取って、明が続く。
背後で雨戸を閉めかけて、おじい、腰が抜けたか、弱い男だ、とどうやら風向が可さそうなので、宰八が嘲けると、うんにゃ足の裏が血だらけじゃ、歩行と痕がつく、と這いながら云ったので――イヤその音の夥しさ。がらりと閉め棄てに、明の背へ飛縋った。――真先へ行燈が、坊さまの[16]据あたり宙を歩行いて、血だらけだ、と云う苦虫が馬の這身、竹槍が後を圧えて、暗がりを蟹が通る。……広縁をこの体は、さてさて尋常事ではない。
やがて座敷で介抱して、ようよう正気づくと、仁右衛門は四辺を[27]※し、あまたたび口籠りながら、相済みましねえ、お客様、御出家、宰八此方にはなおの事、四十年来の知己が、余り気心を知らんようで、面目もない次第じゃ。
御主人鶴谷様のこの別宅、近頃の怪しさ不思議さ。余りの事に、これは一分別ある処と、三日二夜、口も利かずにまじまじと勘考した。はて巧んだり!てっきりこいつ大詐欺に極まった。汝等が謀って、見事に妖物邸にしおおせる。棄て置けば狐狸の棲処、さもないまでも乞食の宿、焚火の火沙汰も不用心、給金出しても人は住まず、持余しものになるのを見済まし、立腐れの柱を根こぎに、瓦屋根を踏倒して、股倉へ掻込む算段、図星図星。しゃ!明神様の託宣――と眼玉で睨んで見れば、どうやら近頃から逗留した渡りものの書生坊、悪く優しげな顔色も、絵草子で見た自来也だぞ、盗賊の張本ござんなれ。晩方来せた旅僧めも、その同類、茶店の婆も怪しいわ。手引した宰八も抱込まれたに相違ない。道理こそ化物沙汰に輪を掛る。待て待て狂人の真似何でもない事、嘉吉も一升飲まされた――巫山戯た奴等、どこだと思う。秋谷村には甘え柿と、苦虫あるを知んねえか、とわざと臆病に見せかけて、宵に遁げたは真田幸村、やがてもり返して盗賊の巣を乗取る了簡。
いつものように黄昏の軒をうろつく、嘉吉奴を引捉え、確と親元へ預け置いたは、屋根から天蚕糸に鉤をかけて、行燈を釣らせぬ分別。
かねて謀計を喋合せた、同じく晩方遁げる、と見せた、学校の訓導と、その筋の諜者を勤むる、狐店の親方を誘うて、この三人、十分に支度をした。
二人は表門へ立向い、仁右衛門はただ一人、怪しきものは突殺そう。狸に化けた人間を打殺すに仔細はない、と竹槍を引そばめて、木戸口から庭づたいに、月あかりを辿り辿り、雨戸をあてに近づいて、何か、手品の種がありはせぬか、と透かして屋根の周囲をぐるりと見ると。……









