「おお、自分の顔を隠したさ。貴僧を威す心ではない、戸外へ出ます支度のまま……まあ、お恥かしい。」
と、横へ取ったは白鬼の面。端麗にして威厳あり、眉美しく、目の優しき、その顔を差俯向け、しとやかに手を支いた。
「は、は、はじめまして、」
と、しどろになって会釈すると、面を上げた寂しい頬に、唇紅う莞爾して、
「前刻、憚へいらっしゃいます、廊下でお目に懸りましたよ。」
客僧も、今はなかなかに胴据りぬ。
「貴女はどなたでございます。」
と尋ねたが、その時はほぼその誰なるかを知っているような気がしたのである。
美女は褄を深う居直って、蚊帳を透して打傾く。
萌黄が迫って、その衣の色を薄く包んだ。
「この方の、母さんのお知己、明さんとも、お友達……」
と口を結んだが愁を帯びた。
此方は、じりじりと膝を向けて、
「ああ、貴女が、」
「あの、それに就きまして、貴僧にお願いがございますが、どうぞお聞き下さいまし。」
とまた蚊帳越に打視め、
「お最愛しい、沢山お窶れ遊ばした。罪も報もない方が、こんなに艱難辛苦して、命に懸けても唄が聞きたいとおっしゃるのも、母さんの恋しさゆえ。
その唄を聞こう聞こうと、お思いなさいます心から、この頃では身も世も忘れて、まあ、私を懐しがって、迷って恋におなりなすった。
その唄は稚い時、この方の母さんから、口移しに教わって、私は今も、覚えている。
こうまで、お憧れなさるもの、ちょっと一目お目にかかって、お聞かせ申とうござんすけれど、今顔をお見せ申しますと、お慕いなさいます御心から、前後も忘れて夢見るように、袖に搦んで手に縋り、胸に額を押当てて、母よ、姉よ、とおっしゃいますもの。
どうして貴僧、摺抜けられよう、突離されよう、振切られましょう、私は引寄せます、抱緊めます。
と血を分けぬ、男と女は、天にも地にも許さぬ掟。
私たちには自由自在――どの道浮世に背いた身体が、それでは外に願いのある、私の願の邪魔になります。よしそれとても、棄身の私、ただ最惜さ、可愛さに、気の狂い、心の乱れるに随せましても、覚悟の上なら私一人、自分の身は厭いはしませぬ。
厭わぬけれど……明さんがそうすると、私たちと同一ような身の上になりますもの……
それはもう、この頃のお心では、明さんは本望らしい――本望らしい、」
とさも懸想したらしく胸を抱いたが、鼻筋白く打背いて、
「あれあれ御覧なさいまし。こう言う中にも、明さんの母さんが、花の梢と見紛うばかり、雲間を漏れる高楼の、虹の欄干を乗出して、叱りも睨みも遊ばさず、児の可愛さに、鬼とも言わず、私を拝んでいなさいます。お美しい、お優しい、あの御顔を見ましては、恋の血汐は葉に染めても、秋のあの字も、明さんの名に憚って声には出ませぬ。
一言も交わさずに、ただ御顔を見たばかりでさえ、最愛しさに覚悟も弱る。私は夫のござんす身体。他の妻でありながらも、母さんをお慕い遊ばす、そのお心の優しさが、身に染む時は、恋となり、不義となり、罪となる。
実の産の母御でさえ、一旦この世を去られし上は――幻にも姿を見せ、乳を呑ませたく添寝もしたい――我が児最惜む心さえ、天上では恋となる、その忌憚で、御遠慮遊ばす。
まして私は他人の事。
余計な御苦労かけるのが御不便さ。決して私は明さんに、在所を知らせず隠れていたのに、つい膝許の稚いものが、粗相で手毬を流したのが悪縁となりました。
彼方も私も身を苦しめ、心を傷めておりましたが、お生命の危いまでも、ここをおたち遊ばさぬゆえ、私わきへ参ります。
あんまりお心が可傷しい、さまでに思召すその毬唄は、その内時節が参りますと、自然にお耳へ入りましょう!
それは今、私がこの邸を退きますと、もう隅々まで家中が明くなる。明さんも思い直して、またここを出て旅行立ちをなさいます。
早や今でも沙汰をする、この邸の不思議な事が、界隈へ拡がりますと、――近い処の、別荘にあの、お一方……」









