Title: Wakana no uchi
Author: Izumi, Kyoka
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About the original source:
Title: Wakana no uchi
Title: Kyoka tanpenshu
Author: Kyoka Izumi
Publisher: Tokyo : Iwanami Shoten , 1987
Publication Note:




若菜のうち


 春の山――と、優に大きく、申出でるほどの事ではない。われら式のぶらぶらあるき、彼岸もはやくすぎた、四月上旬の田畝路は、些とのぼせるほど暖い。

 修善寺の温泉宿、新井から、――着て出た羽織は脱ぎたいくらい。が脱ぐと、ステッキの片手の荷になる。つれの家内が持って遣ろうというのだけれど、二十か、三十そこそこで双方容子が好いのだと野山の景色にもなろうもの……紫末濃でも小桜縅でも何でもない。茶縞の布子と来て、菫、げんげにも恥かしい。……第一そこらにひらひらしている蝶々の袖に対しても、果報ものの狩衣ではない、衣装持の後見は、いきすぎよう。

 汗ばんだ猪首の兜、いや、中折の古帽を脱いで、薄くなった折目を気にして、そっと撫でて、杖の柄に引っ掛けて、ひょいと、かつぐと、

「そこで端折ったり、じんじんばしょり、頬かぶり。」

 と、うしろから婦がひやかす。

「それ、狐がいる。」

「いやですよ。」

 何を、こいつら……大みそかの事を忘れたか。新春の読ものだからといって、暢気らしい。

 田畑を隔てた、桂川の瀬の音も、小鼓に聞えて、一方、なだらかな山懐に、桜の咲いた里景色。

 薄い桃も交っていた。

 近くに藁屋も見えないのに、その山裾の草の径から、ほかほかとして、女の子が――姉妹らしい二人づれ。……時間を思っても、まだ小学校前らしいのが、手に、すかんぼも茅花も持たないけれど、摘み草の夢の中を歩行くように、うっとりとした顔をしたのと、径の角で行逢った。

「今日は、姉ちゃん、蕨のある処を教えて下さいな。」

 肩に耳の附着くほど、右へ顔を傾けて、も一つ左へ傾けたから、

「わらび――……小さなのでもいいの、かわいらしい、あなたのような。」

 この無遠慮な小母さんに、妹はあっけに取られたが、姉の方は頷いた。

「はい、お煎餅、少しですよ。……お二人でね……」

 お駄賃に、懐紙に包んだのを白銅製のものかと思うと、銀の小粒で……宿の勘定前だから、怪しからず気前が好い。

 女の子は、半分気味の悪そうに狐に魅まれでもしたように掌に受けると――二人を、山裾のこの坂口まで、導いて、上へ指さしをした――その来た時とおんなじに妹の手を引いて、少しせき足にあの径を、何だか、ふわふわと浮いて行く。……

 さて、二人がその帰り道である。なるほど小さい、白魚ばかり、そのかわり、根の群青に、薄く藍をぼかして尖の真紫なのを五、六本。何、牛に乗らないだけの仙家の女の童の指示である……もっと山高く、草深く分入ればだけれども、それにはこの陽気だ、蛇体という障碍があって、望むものの方に、苦行が足りない。で、その小さなのを五、六本。園女の鼻紙の間に何とかいう菫に恥よ。懐にして、もとの野道へ出ると、小鼓は響いて花菜は眩い。影はいない。――彼処に、路傍に咲き残った、紅梅か。いや桃だ。……近くに行ったら、花が自ら、ものを言おう。

 その町の方へ、近づくと、桃である。根に軽く築いた草堤の蔭から、黒い髪が、額が、鼻が、口が、おお、赤い帯が、おなじように、揃って、二人出て、前刻の姉妹が、黙って……襟肩で、少しばかり、極りが悪いか、むずむずしながら、姉が二本、妹が一本、鼓草の花を、すいと出した。

「まあ、姉ちゃん。」

「どうも、ありがとう。」

 私も今はかぶっていた帽を取って、その二本の方を慾張った。

 とはいえ、何となく胸に響いた。響いたのは、形容でも何でもない。川音がタタと鼓草を打って花に日の光が動いたのである。濃く香しい、その幾重の花葩の裡に、幼児の姿は、二つながら吸われて消えた。

 ……ものには順がある。――胸のせまるまで、二人が――思わず熟と姉妹の顔を瞻った時、忽ち背中で――もお――と鳴いた。

 振向くと、すぐ其処に小屋があって、親が留守の犢が光った鼻を出した。

 ――もお――

 濡れた鼻息は、陽炎に蒸されて、長閑に銀粉を刷いた。その隙に、姉妹は見えなくなったのである。桃の花の微笑む時、黙って顔を見合せた。

 子のない夫婦は、さびしかった。

 おなじようなことがある。様子はちょっと違っているが、それも修善寺で、時節は秋の末、十一月はじめだから、……さあ、もう冬であった。

 場所は――前記のは、桂川を上る、大師の奥の院へ行く本道と、渓流を隔てた、川堤の岐路だった。これは新停車場へ向って、ずっと滝の末ともいおう、瀬の下で、大仁通いの街道を傍へ入って、田畝の中を、小路へ幾つか畝りつつ上った途中であった。

 上等の小春日和で、今日も汗ばむほどだったが、今度は外套を脱いで、杖の尖には引っ掛けなかった。行ると、案山子を抜いて来たと叱られようから。

 婦は、道端の藪を覗き松の根を潜った、竜胆の、茎の細いのを摘んで持った。これは袂にも懐にも入らないから、何に対し、誰に恥ていいか分らない。

「マッチをあげますか。」

「先ず一服だ。」

 安煙草の匂のかわりに、稲の甘い香が耳まで包む。日を一杯に吸って、目の前の稲は、とろとろと、垂穂で居眠りをするらしい。

 向って、外套の黒い裙と、青い褄で腰を掛けた、むら尾花の連って輝く穂は、キラキラと白銀の波である。

 預けた、竜胆の影が紫の灯のように穂をすいて、昼の十日ばかりの月が澄む。稲の下にも薄の中にも、細流の囁くように、ちちろ、ちちろと声がして、その鳴く音の高低に、静まった草もみじが、そこらの刈あとにこぼれた粟の落穂とともに、風のないのに軽く動いた。

 麓を見ると、塵焼場だという、煙突が、豚の鼻面のように低く仰向いて、むくむくと煙を噴くのが、黒くもならず、青々と一条立騰って、空なる昼の月に淡く消える。これも夜中には幽霊じみて、旅人を怯かそう。――夜泣松というのが丘下の山の出端に、黙った烏のように羽を重ねた。

「大分上ったな。」

「帰りますか。」

「一奮発、向うへ廻ろうか。その道は、修善寺の裏山へ抜けられる。」

 一廻り斜に見上げた、尾花を分けて、稲の真日南へ――スッと低く飛んだ、赤蜻蛉を、挿にして、小さな女の児が、――また二人。

「まあ、おんなじような、いつかの鼓草のと……」

「少し違うぜ、春のが、山姫のおつかわしめだと、向うへ出たのは山の神の落子らしいよ、柄ゆきが――最も今度の方はお前には縁がある。」

「大ありですね。」 

 と荒びた処が、すなわち、その山の神で……

「第一、大すきな柿を食べています。ごらんなさい。小さい方が。」

「どッちでも構わないが、その柿々をいうな、というのに――柿々というたびに、宿のかみさんから庭の柿のお見舞が来るので、ひやひやする。」

「春時分は、筍が掘って見たい筍が掘って見たいと、御主人を驚かして、お惣菜にありつくのは誰さ。……ああ、おいしそうだ、頬辺から、菓汁が垂れているじゃありませんか。」

 横なでをしたように、妹の子は口も頬も――熟柿と見えて、だらりと赤い。姉は大きなのを握っていた。

 涎も、洟も見える処で、

「その柿、おくれな、小母さんに。」

 と唐突にいった。

 昔は、川柳に、熊坂の脛のあたりで、みいん、みいん。で、薄の裾には、蟋蟀が鳴くばかり、幼児の目には鬼神のお松だ。

 ぎょっとしたろう、首をすくめて、泣出しそうに、べそを掻いた。

 その時姉が、並んで来たのを、衝と前へ出ると、ぴったりと妹をうしろに囲うと、筒袖だが、袖を開いて、小腕で庇って、いたいけな掌をパッと開いて、鏃の如く五指を反らした。

 しかして、踏留まって、睨むかと目をみはった。

「ごめんよ。」

 私が帽子を取ると斉しく、婦がせき込んで、くもった声で、

「ごめんなさい、姉ちゃん、ごめんなさい。」

 二人は、思わず、ほろりとした。

 宿の廊下づたいに、湯に行く橋がかりの欄干ずれに、その名樹の柿が、梢を暗く、紅日に照っている。

 二羽。

「雀がいる。」

 その雀色時。

「めじろですわ。」



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