妹の百代、下の悌、忠一、又従兄の篤介、陽子まで加ったのでふき子の居間は満員であった。
陽子の足許の畳の上へ
――静けさ明るさに溶けるように、
「う? う?」
軟かく鼻にかかった百代の声がした。十六の彼女は従兄の忠一の後に大きな元禄紬の片腕を廻し背中に頻りに何か書いた。
「ね? だから」
何々と書くのだろう。忠一はしかつめらしく結んだ口を押しひろげるようにして、うむ、うむ、合点している。篤介がひょいと活動雑誌から頭を
「餌がないのかしら」
ふき子が妹に訊いた。
「百代さん、あなたけさやってくれた?」
百代は聞えないのか返事しなかった。
「よし、僕が見てやる」
篤介が横とびに廊下へ出て行った。
「猫が通ったんだよ」
弾機をひねくりながら悌がもったいぶっていったのが、忽ち、
「何? え、今のなに」
と、機械をすて篤介のところへ立って行った。
「何するんだい、この糸」
「糸じゃないよ」
「糸だい」
「馬の
「ふーむ、本当? どこから持って来たの」
「抜いて来たのさ」
「――嘘いってら! 蹴るよ」
「馬の脚は横へは曲りませんよ。
ふき子が伸びをするように胸を反して椅子から立ちながら、
「みんな紅茶のみたくない?」
「賛成!」
忠一が悲痛らしく眉を
「何にしろ、
といった。
「全くさ」
大きな声で、廊下から篤介が怒鳴った。
「
「でも、本当に、海老なかったのかしら」
小さい声で、思い出したようにふき子がいったので陽子は体をゆすって笑い出した。
彼等は昨夜、二時過ぎまで起きて騒いでいた。十時過ぎ目をさますと、ふき子は、
「岡本さん、おひる、何にしましょう、海老のフライどう?」
話し声が、彼等のいるところまで響いた。
「フライ、フライ!」
悌が最も素直に一同の希望を代表して叫び、彼等は喜色満面で食卓についた。ところが、変な顔をして、ふき子が、
「これ――海老?」
といい出した。
「違うよ、こんな海老あるもんか」
「海老じゃないぞ」
「何だい」
口々の不平を泰然と岡本はちょいと意地悪そうに眉根をぴりりとさせながら、
「生憎海老が切れましたから蝦姑にいたしました」
と答えた。――忠一や篤介と岡本は仲が悪く、彼等は彼女がその部屋におるのに庭を見ながら、
「おい、うらなりだね」
「西瓜糖はとれないってさ」
などといった。無遠慮な口を、岡本はまるで聞えなかったように、
「忠一さま、お茶さし上げましょうか」
と、丁寧な声と眼差しとで手をさし出す。その蒼白い頬に浮かんでいる軽蔑を、陽子は苦しいほど感じて見ることがあった。……
紅茶を運んで来た岡本の後姿が見えなくなると男たちは声を揃えて、
「ワッハッハ」
と笑い出した。さすがに今度は、
「およしなさい」
ふき子にきつく
彼等は皆で海岸へ出た。海浜ホテルの前あたりには大分人影があるが、川から此方はからりとしていた。陽炎で広い浜辺が短くゆれている……。川ふちを、一匹黒い犬が
「あら、一寸こんな虫!」
陽子は、腹這いになっているふき子の目の下を覗いた。茶色の小さい
「ウワーイ」
悌が手脚を一緒くたに振廻してそのあとを追っかけた。けろりとして戻って来ながら、
「とてもすてきだよ」
忠一は篤介にいった。
「やって御覧、海が上の方に見えるよ」
「どーれ」
篤介は徐ろに帽子を耳の上まで引下げ、腕組みをし、重々しく転がって行った。悌が、横になると思うや否や気違いのようにその後を追っかけた。
「ウワーイ」
「ワーイ」
「ウワーイ」
波は細かい砂を打ってその歓声に合わせるようさしては退き、退いてはさし、轟いている。陽子は嬉しいような、何かに誘われるような高揚した心持になって来た。彼女は男たちから少し離れたところへ行って、確り両方の脚を着物の裾で巻きつけた。
「ワーイ」
目を
「さあ、こんどは一列横隊だ。いい? 一、二、三!」
砂を飛ばしてころがるとき、陽子の胸を若々しい歓ばしさと一緒に小さい鋭い悲しさが貫くのであった。転がれ、転がれ、わがからだ! 夫のいない世界まで。悲しみのない処まで!
「ウワーイ!」
犬ころのように、陽子は悌と並んだり、篤介とぶつかったりしながら、小さい悲しみの花火をあげつつ幾度も幾度も春の砂丘を転がり落ちた。