青年

     五

 純一は机の上にある仏蘭西フランスの雑誌を取り上げた。中学にいるときの外国語は英語であったが、聖公会の宣教師の所へ毎晩通って、仏語を学んだ。はじめ暁星ぎょうせい学校の教科書を読むのも辛かったが、一年程通っているうちに、ふいと楽に読めるようになった。そこで教師のベルタンさんに頼んで、巴里パリイの書店に紹介して貰った。それからは書目を送ってくれるので、新刊書を直接に取寄せている。雑誌もその書店が取り次いで送ってくれるのである。

 開けた処には、セガンチニの死ぬるところが書いてある。氷山を隣に持った小屋のような田舎屋である。ろくな煖炉だんろもない。そこで画家は死にひんしている。体のうちの臓器はもう運転をとどめようとしているのに、画家は窓を開けさせて、氷の山のいただきに棚引く雲を眺めている。

 純一は巻をおおうて考えた。芸術はこうしたものであろう。自分のがくべきアルプの山は現社会である。国にいたとき夢みていた大都会の渦巻は今自分を漂わせているのである。いや、漂わせているのならい。漂わせていなくてはならないのに、自分は岸の蔦蘿つたかずらにかじり附いているのではあるまいか。正しい意味で生活していないのではあるまいか。セガンチニが一度も窓を開けず、戸の外へ出なかったら、どうだろう。そうしたら、山の上に住まっている甲斐かいはあるまい。

 今東京で社会の表面に立っている人に、国の人は沢山ある。世はY県の世である。国を立つとき某元老に紹介して遣ろう、某大臣に紹介して遣ろうと云った人があったのを皆ことわった。それはそういう人達がどんなに偉大であろうが、どんなに権勢があろうが、そんな事は自分の目中もくちゅうに置いていなかったからである。それから又こんな事を思った。人の遭遇というものは、紹介状や何ぞで得られるものではない。紹介状や何ぞで得られたような遭遇は、別に或物が土台を造っていたのである。紹介状は偶然そこへ出くわしたのである。いている扉があったら足をれよう。扉が閉じられていたら通り過ぎよう。こう思って、田中さんの紹介状一本の外は、皆貰わずに置いたのである。

 自分は東京に来ているには違ない。しかしこんなにしていて、東京が分かるだろうか。こうしていては国の書斎にいるのも同じ事ではあるまいか。同じ事なら、まだい。国で中学を済ませた時、高等学校の試験を受けに東京へ出て、今では大学にはいっているものもある。瀬戸のように美術学校にはいっているものもある。直ぐに社会に出て、職業を求めたものもある。自分が優等の成績を以て卒業しながら、仏蘭西語の研究を続けて、暫く国にとどまっていたのは、自信があり抱負があっての事であった。学士や博士になることは余り希望しない。世間にこれぞと云って、て見たい職業もない。家には今のように支配人任せにしていても、一族が楽に暮らしてかれるだけの財産がある。そこで親類の異議のうるさいのを排して創作家になりたいと決心したのであった。

 そう思い立ってから語学を教えて貰っている教師のベルタンさんに色々な事を問うて見たが、この人は巴里の空気を呼吸していた人の癖に、そんな方面の消息は少しも知らない。本業で読んでいるはずの新旧約全書でも、それを偉大なる文学として観察するという事はない。何かその中の話を問うて見るのに、ただに文学としてていないばかりではない、たのしんで読んでいるという事さえないようである。只寺院の側から観た煩瑣はんさな註釈を加えた大冊の書物を、深く究めようともせずに、貯蔵しているばかりである。そして日々の為事には、国から来た新聞を読む。新聞では列国の均勢とか、どこかで偶々たまたま起っている外交問題とかいうような事に気を着けている。そんなら何か秘密な政治上のミッションでも持っているかと云うに、そうでもないらしい。恐らくは、欧米人の珈琲卓コオフィイづくえの政治家の一人いちにんなのであろう。その外には東洋へ立つ前に買って来たという医書を少し持っていて、それを読んで自分の体だけの治療をする。殊にこの人の褐色の長い髪に掩われている頭には、持病の頭痛があって、古びたタラアルのような黒い衣で包んでいる腰のあたりにも、いやな病気があるのを、いつも手前療治で繕っているらしい。そんな人柄なので少し話を文学や美術の事に向けようとすると、顧みて他を言うのである。ようようのおもいでこの人に為て貰った事は巴里の書肆しょしへ紹介して貰っただけである。

 こんな事を思っている内に、故郷の町はずれの、田圃たんぼの中に、じめじめした処へ土を盛って、不恰好ぶかっこうに造ったペンキ塗の会堂が目に浮ぶ。聖公会と書いた、古びた木札の掛けてある、赤く塗った門を這入ると、かわらで築き上げた花壇が二つある。その一つには百合ゆりが植えてある。今一つの方にはコスモスが植えてある。どちらも春から芽を出しながら、百合は秋の初、コスモスは秋のすえ覚束おぼつかなげな花が咲くまで、いじけたままに育つのである。中にもコスモスは、胡蘿蔔にんじんのような葉がちぢれて、せた幹がひょろひょろして立っているのである。

 その奥の、搏風はふだけゴチックまがいに造った、ペンキ塗のがらくた普請が会堂で、仏蘭西語を習いにく、少数の青年の外には、いつまで立っても、この中へ這入って来る人はない。ベルタンさんは老いぼれた料理人兼小使を一人使って、がらんとした、やや大きい家に住んでいるのだから、どこも彼処かしこほこりだらけで、白昼にねずみが駈け廻っている。

 ベルタンさんは長崎から買って来たという大きいデスクに、千八百五十何年などという年号の書いてある、クロオスの色の赤だか黒だか分からなくなった書物を、乱雑に積み上げて置いている。その側には食い掛けた腸詰や乾酪かんらくを載せた皿が、不精にも勝手へ下げずに、国から来たFigaroフィガロ反古ほごかぶせて置いてある。虎斑とらふの猫が一匹積み上げた書物の上に飛び上がって、そこで香箱を作って、腸詰のにおい[3]いでいる。

 その向うに、茶褐色の長い髪を、白い広い額から、背後うしろき上げて、例のタラアルまがいの黒い服を着て、お祖父じいさん椅子に、たれやらに貰ったという、北海道の狐の皮を掛けて、ベルタンさんが据わっている。夏も冬も同じ事である。冬は部屋の隅の鉄砲煖炉に松真木まつまきくすぶっているだけである。

 或日稽古の時間より三十分ばかり早く行ったので、ベルタンさんといろいろな話をした。その時教師がお前は何になる積りかと問うたので、正直にRomancierロマンシェエになると云った。ベルタンさんは二三度問い返して、妙な顔をして黙ってしまった。この人は小説家というものに就いては、これまで少しも考えて見た事がないので、何と云っていか分からなかったらしい。殆どわたくしは火星へ移住しますとでも云ったのと同じ位に呆れたらしい。

 純一は読み掛けた雑誌も読まずにこんな回想にふけっていたが、ふと今朝婆あさんの起して置いてくれた火鉢の火が、真白い灰を被って小さくなってしまったのに気が附いて、慌てて炭をついで、頬を膨らせてしきりに吹き始めた。

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Last Modified:Thursday, February 13, 2025
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