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瀧口入道
第一
やがて來む壽永の秋の哀れ、治承の春の樂みに知る由もなく、六歳の後に昔の夢を辿りて、直衣の袖を絞りし人々には、今宵の歡曾も中々に忘られぬ思寢の涙なるべし。
驕る平家を盛りの櫻に比べてか、散りての後の哀れは思はず、入道相國が花見の宴とて、六十餘州の春を一夕の臺に集めて都西八條の邸宅。君ならでは人にして人に非ずと唱はれし一門の公達、宗徒の人々は言ふも更なり、[1]華冑攝※の子弟の、苟も武門の蔭を覆ひに當世の榮華に誇らんずる輩は、今日を晴にと裝飾ひて綺羅星の如く連りたる有樣、燦然として眩き許り、さしも善美を盡せる虹梁鴛瓦の砌も影薄げにぞ見えし。あはれ此程までは殿上の交をだに嫌はれし人の子、家の族、今は紫緋紋綾に禁色を猥にして、をさ/\傍若無人の振舞あるを見ても、眉を顰むる人だに絶えてなく、夫れさへあるに衣袍の紋色、烏帽子のため樣まで萬六波羅樣をまねびて時知り顏なる、世は愈々平家の世と覺えたり。
見渡せば正面に唐錦の茵を敷ける上に、沈香の脇息に身を持たせ、解脱同相の三衣の下に天魔波旬の慾情を去りやらず、一門の榮華を三世の命とせる入道清盛、さても鷹揚に坐せる其の傍には、嫡子小松の内大臣重盛卿、次男中納言宗盛、三位中將知盛を初めとして、同族の公卿十餘人、殿上三十餘人、其他、衞府諸司數十人、平家の一族を擧げて世には又人なくぞ見られける。時の帝の中宮、後に建禮門院と申せしは、入道が第四の女なりしかば、此夜の盛宴に漏れ給はず、册ける女房曹司は皆々晴の衣裳に奇羅を競ひ、六宮の粉黛何れ劣らず粧を凝らして、花にはあらで得ならぬ匂ひ、そよ吹く風毎に素袍の袖を掠むれば、末座に竝み居る若侍等の亂れもせぬ衣髮をつくろふも可笑し。時は是れ陽春三月の暮、青海の簾高く捲き上げて、前に廣庭を眺むる大弘間、咲きも殘らず散りも初めず、欄干近く雲かと紛ふ滿朶の櫻、今を盛りに匂ふ樣に、月さへ懸りて夢の如き圓なる影、朧に照り渡りて、滿庭の風色碧紗に包まれたらん如く、一刻千金も啻ならず。内には遠侍のあなたより、遙か對屋に沿うて樓上樓下を照せる銀燭の光、錦繍の戸帳、龍鬢の板疊に輝きて、さしも廣大なる西八條の館に光到らぬ隈もなし。あはれ昔にありきてふ、金谷園裏の春の夕も、よも是には過ぎじとぞ思はれける。
饗宴の盛大善美を盡せることは言ふも愚なり、庭前には錦の幔幕を張りて舞臺を設け、管絃鼓箏の響は興を助けて短き春の夜の闌くるを知らず、豫て召し置かれたる白拍子の舞もはや終りし頃ほひ、さと帛を裂くが如き四絃一撥の琴の音に連れて、繁絃急管のしらべ洋々として響き亙れば、堂上堂下俄に動搖めきて、『あれこそは隱れもなき四位の少將殿よ』、『して此方なる壯年は』、『あれこそは小松殿の御内に花と歌はれし重景殿よ』など、女房共の罵り合ふ聲々に、人々等しく樂屋の方を振向けば、右の方より薄紅の素袍に右の袖を肩脱ぎ、螺鈿の細太刀に紺地の水の紋の平緒を下げ、白綾の水干、櫻萌黄の衣に山吹色の下襲、背には[2]胡※を解きて老掛を懸け、露のまゝなる櫻かざして立たれたる四位の少將維盛卿。御年辛く二十二、青絲の髮、紅玉の膚、平門第一の美男とて、かざす櫻も色失せて、何れを花、何れを人と分たざりけり。左の方よりは足助の二郎重景とて、小松殿恩顧の侍なるが、維盛卿より弱きこと二歳にて、今年方に二十の壯年、上下同じ素絹の水干の下に燃ゆるが如き緋の下袍を見せ、厚塗の立烏帽子に平塵の細鞘なるを佩き、袂豐に舞ひ出でたる有樣、宛然一幅の畫圖とも見るべかりけり。二人共に何れ劣らぬ優美の姿、適怨清和、曲に隨つて一絲も亂れぬ歩武の節、首尾能く青海波をぞ舞ひ納めける。滿座の人々感に堪へざるはなく、中宮よりは殊に女房を使に纏頭の御衣を懸けられければ、二人は面目身に餘りて退り出でぬ。跡にて口善惡なき女房共は、少將殿こそ深山木の中の楊梅、足助殿こそ枯野の小松、何れ花も實も有る武士よなどと言い合へりける。知るも知らぬも羨まぬはなきに、父なる卿の眼前に此を見て如何許り嬉しく思い給ふらんと、人々上座の方を打ち見やれば、入道相國の然も喜ばしげなる笑顏に引換へて、小松殿は差し俯きて人に面を見らるゝを懶げに見え給ふぞ訝しき。
第二
西八條殿の搖ぐ計りの喝采を跡にして、維盛・重景の退り出でし後に一個の少女こそ顯はれたれ。是ぞ此夜の舞の納めと聞えければ、人々眸を凝らして之を見れば、年齒は十六七、精好の緋の袴ふみしだき、柳裏の五衣打ち重ね、丈にも餘る緑の黒髮後にゆりかけたる樣は、舞子白拍子の媚態あるには似で、閑雅に[3]※長たけて見えにける。一曲舞ひ納む春鶯囀、細きは珊瑚を碎く一雨の曲、風に靡けるさゝがにの絲輕く、太きは瀧津瀬の鳴り渡る千萬の聲、落葉の蔭に村雨の響重し。綾羅の袂ゆたかに飜るは花に休める女蝶の翼か、蓮歩の節急なるは蜻蛉の水に點ずるに似たり。折らば落ちん萩の露、拾はば消えん玉篠の、あはれにも亦婉やかなる其の姿。見る人[4]※然として醉へるが如く、布衣に立烏帽子せる若殿原は、あはれ何處の誰が女子ぞ、花薫り月霞む宵の手枕に、君が夢路に入らん人こそ世にも果報なる人なれなど、袖褄引合ひてののしり合へるぞ笑止なる。
榮華の夢に昔を忘れ、細太刀の輕さに風雅の銘を打ちたる六波羅武士の腸をば一指の舞に溶したる彼の少女の、滿座の秋波に送られて退り出でしを此夜の宴の終として、人々思ひ思ひに退出し、中宮もやがて還御あり。跡には春の夜の朧月、殘り惜げに欄干の邊に[5]蛉※ふも長閑けしや。
此夜、三條大路を左に、御所の裏手の御溝端を辿り行く骨格逞しき一個の武士あり。月を負ひて其の顏は定かならねども、立烏帽子に綾長の布衣を着け、蛭卷の太刀の柄太きを横へたる夜目にも爽かなる出立は、何れ六波羅わたりの内人と知られたり。御溝を挾んで今を盛りたる櫻の色の見て欲しげなるに目もかけず、物思はしげに小手叉きて、少しくうなだれたる頭の重げに見ゆるは、太息吐く爲にやあらん。扨ても春の夜の月花に換へて何の哀れぞ。西八條の御宴より歸り途なる侍の一群二群、舞の評など樂げに誰憚らず罵り合ひて、果は高笑ひして打ち興ずるを、件の侍は折々耳側て、時に冷やかに打笑む樣、仔細ありげなり。中宮の御所をはや過ぎて、垣越の松影月を漏らさで墨の如く暗き邊に至りて、不圖首を擧げて暫し四邊を眺めしが、俄に心付きし如く早足に元來し道に戻りける。西八條より還御せられたる中宮の御輿、今しも宮門を入りしを見、最と本意なげに跡見送りて門前に佇立みける。後れ馳せの老女訝しげに己れが容子を打ち[6]※り居るに心付き、急ぎ立去らんとせしが、何思ひけん、つと振向て、件の老女を呼止めぬ。
何の御用と問はれて稍々、躊躇ひしが、『今宵の御宴の終に春鶯囀を舞はれし女子は、何れ中宮の御内ならんと見受けしが、名は何と言はるゝや』。老女は男の容姿を暫し眺め居たりしが微笑みながら、『扨も笑止の事も有るものかな、西八條を出づる時、色清げなる人の妾を捉へて同じ事を問はれしが、あれは横笛とて近き頃御室の郷より曹司しに見えし者なれば、知る人なきも理にこそ、御身は名を聞いて何にし給ふ』。男はハツと顏赤らめて、『勝れて舞の上手なれば』。答ふる言葉聞きも了らで、老女はホヽと意味ありげなる笑を殘して門内に走り入りぬ。
『横笛、横笛』、件の武士は幾度か獨語ちながら、徐に元來し方に歸り行きぬ。霞の底に響く法性寺の鐘の聲、初更を告ぐる頃にやあらん。御溝の那方に長く曳ける我影に駭きて、傾く月を見返る男、眉太く鼻隆く、一見凜々しき勇士の相貌、月に笑めるか、花に咲ふか、あはれ瞼の邊に一掬の微笑を帶びぬ。
第三
當時小松殿の侍に齋藤瀧口時頼と云ふ武士ありけり。父は左衞門茂頼とて、齡古稀に餘れる老武者にて、壯年の頃より數ケ所の戰場にて類稀なる手柄を顯はししが、今は年老たれば其子の行末を頼りに殘年を樂みける。小松殿は其功を賞で給ひ、時頼を瀧口の侍に取立て、數多の侍の中に殊に恩顧を給はりける。
時頼是の時年二十三、性濶達にして身の丈六尺に近く、筋骨飽くまで逞しく、早く母に別れ、武骨一邊の父の膝下に養はれしかば、朝夕耳にせしものは名ある武士が先陣拔懸けの譽れある功名談にあらざれば、弓箭甲冑の故實、髻垂れし幼時より劒の光、弦の響の裡に人と爲りて、浮きたる世の雜事は刀の柄の塵程も知らず、美田の源次が堀川の功名に現を拔かして赤樫の木太刀を振り舞はせし十二三の昔より、空肱撫でて長劒の輕きを喞つ二十三年の春の今日まで、世に畏ろしきものを見ず、出入る息を除きては、六尺の體、何處を膽と分つべくも見えず、實に保平の昔を其儘の六波羅武士の模型なりけり。然れば小松殿も時頼を末頼母しきものに思ひ、行末には御子維盛卿の附人になさばやと常々目を懸けられ、左衞門が伺候の折々に『茂頼、其方は善き悴を持ちて仕合者ぞ』と仰せらるゝを、七十の老父、曲りし背も反らん計りにぞ嬉しがりける。
時は治承の春、世は平家の盛、そも天喜、康平以來九十年の春秋、都も鄙も打ち靡きし源氏の白旗も、保元、平治の二度の戰を都の名殘に、脆くも武門の哀れを東海の隅に留めしより、六十餘州に到らぬ隈なき平家の權勢、驕るもの久しからずとは驕れるもの如何で知るべき。養和の秋、富士河の水禽も、まだ一年の來ぬ夢なれば、一門の公卿殿上人は言はずもあれ、上下の武士何時しか文弱の流に染みて、嘗て丈夫の譽に見せし向ふ疵も、いつの間にか水鬢の陰に掩はれて、重きを誇りし圓打の野太刀も、何時しか銀造の細鞘に反を打たせ、清らなる布衣の下に練貫の袖さへ見ゆるに、弓矢持つべき手に管絃の調とは、言ふもうたてき事なりけり。
時頼世の有樣を觀て熟々思ふ樣、扨も心得ぬ六波羅武士が擧動かな、父なる人、祖父なる人は、昔知らぬ若殿原に行末短き榮耀の夢を貪らせんとて其の膏血はよも濺がじ。萬一事有るの曉には絲竹に鍛へし腕、白金造の打物は何程の用にか立つべき。射向の袖を却て覆ひに捨鞭のみ烈しく打ちて、笑ひを敵に殘すは眼のあたり見るが如し。君の御馬前に天晴勇士の名を昭して討死すべき武士が、何處に二つの命ありて、歌舞優樂の遊に荒める所存の程こそ知られね。――弓矢の外には武士の住むべき世ありとも思はぬ一徹の時頼には、兎角慨はしく、苦々しき事のみ耳目に觸れて、平和の世の中面白からず、あはれ何處にても一戰の起れかし、いでや二十餘年の風雨に鍛へし我が技倆を顯はして、日頃我れを武骨物と嘲りし優長武士に一泡吹かせんずと思ひけり。衆人醉へる中に獨り醒むる者は容れられず、斯かる氣質なれば時頼は自から儕輩に疎ぜられ、瀧口時頼とは武骨者の異名よなど嘲り合ひて、時流外れに粗大なる布衣を着て鐵卷の丸鞘を鴎尻に横へし後姿を、蔭にて指し笑ふ者も少からざりし。
* *
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西八條の花見の宴に時頼も連りけり。其夜更闌けて家に歸り、其の翌朝は常に似ず朝日影窓に差込む頃やうやく臥床を出でしが、顏の色少しく蒼味を帶びたり、終夜眠らでありしにや。
此夜、御所の溝端に人跡絶えしころ、中宮の御殿の前に月を負ひて歩むは、紛ふ方なく先の夜に老女を捉へて横笛が名を尋ねし武士なり。物思はしげに御門の邊を行きつ戻りつ、月の光に振向ける顏見れば、まさしく齋藤瀧口時頼なりけり。
第四
物の哀れも是れよりぞ知る、戀ほど世に怪しきものはあらじ。稽古の窓に向つて三諦止觀の月を樂める身も、一朝折りかへす花染の香に幾年の行業を捨てし人、百夜の榻の端書につれなき君を怨みわびて、亂れ苦き忍草の露と消えにし人、さては相見ての後のたゞちの短きに、戀ひ悲みし永の月日を恨みて三衣一鉢に空なる情を觀ぜし人、惟へば孰れか戀の奴に非ざるべき。戀や、秋萩の葉末に置ける露のごと、空なれども、中に寫せる月影は圓なる望とも見られぬべく、今の憂身をつらしと喞てども、戀せぬ前の越方は何を樂みに暮らしけんと思へば、涙は此身の命なりけり。夕旦の鐘の聲も餘所ならぬ哀れに響く今日は、過ぎし春秋の今更心なきに驚かれ、鳥の聲、蟲の音にも心何となう動きて、我にもあらで情の外に行末もなし。戀せる今を迷と觀れば、悟れる昔の慕ふべくも思はれず、悟れる今を戀と觀れば、昔の迷こそ中々に樂しけれ。戀ほど世に訝しきものはあらじ。そも人、何を望み何を目的に渡りぐるしき戀路を辿るぞ。我も自ら知らず、只々朧げながら夢と現の境を歩む身に、ましてや何れを戀の始終と思ひ分たんや。そも戀てふもの、何こより來り何こをさして去る、人の心の隈は映すべき鏡なければ何れ思案の外なんめり。
いかなれば齋藤瀧口、今更武骨者の銘打つたる鐵卷をよそにし、負ふにやさしき横笛の名に笑める。いかなれば時頼、常にもあらで夜を冒して中宮の御所には忍べる。吁々いつしか戀の淵に落ちけるなり。
西八條の花見の席に、中宮の曹司横笛を一目見て時頼は、世には斯かる氣高き美しき女子も有るもの哉と心竊に駭きしが、雲を遏め雲を[7]※す妙なる舞の手振を見もて行くうち、胸怪しう轟き、心何となく安からざる如く、二十三年の今まで絶えて覺なき異樣の感情雲の如く湧き出でて、例へば渚を閉ぢし池の氷の春風に溶けたらんが如く、若しくは滿身の力をはりつめし手足の節々一時に緩みしが如く、茫然として行衞も知らぬ通路を我ながら踏み迷へる思して、果は舞終り樂收まりしにも心付かず、軈て席を退り出でて何處ともなく出で行きしが、あはれ横笛とは時頼其夜初めて覺えし女子の名なりけり。
日來快濶にして物に鬱する事などの夢にもなかりし時頼の氣風何時しか變りて、憂はしげに思ひ煩ふ朝夕の樣唯ならず、紅色を帶びしつや/\しき頬の色少しく蒼ざめて、常にも似で物言ふ事も稀になり、太息の數のみぞ唯ゝ増さりける。果は濡羽の厚鬢に水櫛當て、筈長の大束に今樣の大紋の布衣は平生の氣象に似もやらずと、時頼を知れる人、訝しく思はぬはなかりけり。
第五
打つて變りし瀧口が今日此頃の有樣に、あれ見よ、當世嫌ひの武骨者も一度は折らねばならぬ我慢なるに、笑止や日頃吾等を尻目に懸けて輕薄武士と言はぬ計りの顏、今更何處に下げて吾等に對ひ得るなど、後指さして嘲り笑ふものあれども、瀧口少しも意に介せざるが如く、應對等は常の如く振舞ひけり。されど自慢の頬鬢掻撫づる隙もなく、青黛の跡絶えず鮮かにして、萌黄の狩衣に摺皮の藺草履など、よろづ派手やかなる出立は人目に夫と紛うべくもあらず。顏容さへ稍々窶れて、起居も懶きがごとく見ゆれども、人に向つて氣色の勝れざるを喞ちし事もなく、偶々病などなきやと問ふ人あれば、却つて意外の面地して、常にも増して健かなりと答へけり。
皆是れ戀の業なりとは、哀れや時頼未だ夢にも心づかず、我ともなく人ともあらで只々思ひ煩へるのみ。思ひ煩へる事さへも心自ら知らず、例へば夢の中に伏床を拔け出でて終夜出の巓、水の涯を迷ひつくしたらん人こそ、さながら瀧口が今の有樣に似たりとも見るべけれ。
人にも我にも行衞知れざる戀の夢路をば、瀧口何處のはてまで辿りけん、夕とも言はず、曉とも言はず、屋敷を出でて行先は己れならで知る人もなく、只々門出の勢ひに引きかへて、戻足の打ち蕭れたる樣、さすがに遠路の勞とも思はれず。一月餘も過ぎて其年の春も暮れ、青葉の影に時鳥の初聲聞く夏の初めとなりたれども、かゝる有樣の悛まる色だに見えず、はては十幾年の間、朝夕樂みし弓馬の稽古さえ自ら怠り勝になりて、胴丸に積もる埃の堆きに目もかけず、名に負へる鐵卷は高く長押に掛けられて、螺鈿の櫻を散らせる黒鞘に摺鮫の鞘卷指し添ヘたる立姿は、若し我ならざりせば一月前の時頼、唾も吐きかねざる華奢の風俗なりし。
されば變り果てし容姿に慣れて、笑ひ譏る人も漸く少くなりし頃、蝉聲喧しき夏の暮にもなりけん。瀧口が顏愈々やつれ、頬肉は目立つまでに落ちて眉のみ秀で、凄きほど色蒼白みて濃かなる雙の鬢のみぞ、愈々其の澤を増しける。氣向かねばとて、病と稱して小松殿が熊野參寵の伴にも立たず、動もすれば、己が室に閉籠りて、夜更くるまで寢もやらず、日頃は絶えて用なき机に向ひ、一穗の燈挑げて怪しげなる薄色の折紙延べ擴げ、命毛の細々と認むる小筆の運び絶間なく、卷いてはかへす思案の胸に、果は太息と共に封じ納むる文の數々、燈の光に宛名を見れば、薄墨の色の哀れを籠めて、何時の間に習ひけん、貫之流の流れ文字に『横笛さま』。
世に艷かしき文てふものを初めて我が思ふ人に送りし時は、心のみを頼みに安からぬ日を覺束なくも暮らせしが、籬に觸るゝ夕風のそよとの頼だになし。前もなき只の一度に人の誠のいかで知らるべきと、更に心を籠めて寄する言の葉も亦仇し矢の返す響もなし。心せはしき三度五度、答なきほど迷ひは愈々深み、氣は愈々狂ひ、十度、二十度、哀れ六尺の丈夫が二つなき魂をこめし千束なす文は、底なき谷に投げたらん礫の如く、只の一度の返り言もなく、天の戸渡る梶の葉に思ふこと書く頃も過ぎ、何時しか秋風の哀れを送る夕まぐれ、露を命の蟲の音の葉末にすだく聲悲し。
第六
思へば我しらで戀路の闇に迷ひし瀧口こそ哀れなれ。鳥部野の煙絶ゆる時なく、仇し野の露置くにひまなき、まゝならぬ世の習はしに漏るゝ我とは思はねども、相見ての刹那に百年の契をこむる頼もしき例なきにもあらぬ世の中に、いかなれば我のみは、天の羽衣撫で盡すらんほど永き悲しみに、只々一時の望みだに得協はざる。思へば無情の横笛や、過ぎにし春のこのかた、書き連ねたる百千の文に、今は我には言殘せる誠もなし、良しあればとて此上短き言の葉に、胸にさへ餘る長き思を寄せん術やある。情なの横笛や、よしや送りし文は拙くとも、變らぬ赤心は此の春秋の永きにても知れ。一夜の松風に夢さめて、思寂しき衾の中に、我ありし事、薄が末の露程も思ひ出ださんには、など一言の哀れを返さぬ事やあるべき。思へば/\心なの横笛や。
然はさりながら、他し人の心、我が誠もて規るべきに非ず。路傍の柳は折る人の心に任せ、野路の花は摘む主常ならず、數多き女房曹司の中に、いはば萍の浮世の風に任する一女子の身、今日は何れの汀に留まりて、明日は何處の岸に吹かれやせん。千束なす我が文は讀みも了らで捨てやられ、さそふ秋風に桐一葉の哀れを殘さざらんも知れず。況てや、あでやかなる彼れが顏は、浮きたる色を愛づる世の中に、そも幾その人を惱しけん。かの宵にすら、かの老女を捉へて色清げなる人の、嫉ましや、早や彼が名を尋ねしとさへ言へば、思ひを寄するもの我のみにてはなかりけり。よしや他にはあらぬ赤心を寄するとも、風や何處と聞き流さん。浮きたる都の艷女に二つなき心盡しのかず/\は我身ながら恥かしや、アヽ心なき人に心して我のみ迷いし愚さよ。
待てしばし、然るにても立波荒き大海の下にも、人知らぬ眞珠の光あり、外には見えぬ木影にも、情の露の宿する例。まゝならぬ世の習はしは、善きにつけ、惡しきにつけ、人毎に他には測られぬ憂はあるものぞかし。あはれ後とも言はず今日の今、我が此思ひを其儘に、いづれいかなる由ありて、我が思ふ人の悲しみ居らざる事を誰か知るや。想へば、那の氣高き[8]※たけたる横笛を萍の浮きたる艷女とは僻める我が心の誤ならんも知れず。さなり、我が心の誤ならんも知れず。鳴く蝉よりも鳴かぬ螢の身を焦すもあるに、聲なき哀れの深さに較ぶれば、仇浪立てる此胸の淺瀬は物の數ならず。そもや心なき草も春に遇へば笑ひ、情なき蟲も秋に感ずれば鳴く。血にこそ染まね、千束なす紅葉重の燃ゆる計りの我が思ひに、薄墨の跡だに得還さぬ人の心の有耶無耶は、誰か測り、誰か知る。然なり、情なしと見、心なしと思ひしは、僻める我身の誤なりけり。然るにても――
瀧口の胸は麻の如く亂れ、とつおいつ、或は恨み、或は疑ひ、或は惑ひ、或は慰め、去りては來り、往きては還り、念々不斷の妄想、流は千々に異れども、落行く末はいづれ同じ戀慕の淵。迷の羈絆目に見えねば、勇士の刃も切らんに術なく、あはれや、鬼も挫がんず六波羅一の剛の者、何時の間にか戀の奴となりすましぬ。
一夜時頼、更闌けて尚ほ眠りもせず、意中の幻影を追ひながら、爲す事もなく茫然として机に憑り居しが、越し方、行末の事、端なく胸に浮び、今の我身の有樣に引き比べて、思はず深々と太息つきしが、何思ひけん、一聲高く胸を叩いて躍り上り、『嗚呼過てり/\』。
第七
歌物語に何の癡言と聞き流せし戀てふ魔に、さては吾れ疾より魅せられしかと、初めて悟りし今の刹那に、瀧口が心は如何なりしぞ。『嗚呼過てり』とは何より先に口を衝いて覺えず出でし意料無限の一語、襟元に雪水を浴びし如く、六尺の總身ぶる/\と震ひ上りて、胸轟き、息せはしく、『むゝ』とばかりに暫時は空を睨んで無言の體。やがて眼を閉ぢてつくづく過越方を想ひ返せば、哀れにもつらかりし思ひの數々、さながら世を隔てたらん如く、今更明かし暮らせし朝夕の如何にしてと驚かれぬる計り。夢かと思へば、現せ身の陽炎の影とも消えやらず、現かと見れば、夢よりも尚ほ淡き此の春秋の經過、例へば永の病に本性を失ひし人の、やうやく我に還りしが如く、瀧口は只々恍惚として呆るゝばかりなり。
『嗚呼過てり/\、弓矢の家に生まれし身の、天晴功名手柄して、勇士の譽を後世に殘すこそ此世に於ける本懷なれ。何事ぞ、眞の武士の唇頭に上ぼすも忌はしき一女子の色に迷うて、可惜月日を夢現の境に過さんとは。あはれ南無八幡大菩薩も照覽あれ、瀧口時頼が武士の魂の曇なき證據、眞此の通り』と、床なる一刀スラリと拔きて、青燈の光に差し付くれば、爛々たる氷の刃に水も滴らんず無反の切先、鍔を銜んで紫雲の如く立上る燒刃の匂ひ目も覺むるばかり。打ち見やりて時頼莞爾と打ち笑み、二振三振、不圖平見に映る我が顏見れば、こはいかに、内落ち色蒼白く、ありし昔に似もつかぬ悲慘の容貌。打ち駭きて、ためつ、すがめつ、見れば見るほど變り果てし面影は我ならで外になし。扨も窶れたるかな、愧しや我を知れる人は斯かる容を何とか見けん――、そも斯くまで骨身をいためし哀れを思へば、深さは我ながら程知らず、是も誰が爲め、思へば無情の人心かな。
碎けよと握り詰めたる柄も氣も何時しか緩みて、臥蠶の太眉閃々と動きて、覺えず『あゝ』と太息つけば、霞む刀に心も曇り、映るは我面ならで、烟の如き横笛が舞姿。是はとばかり眼を閉ぢ、氣を取り直し、鍔音高く刃を鞘に納むれば、跡には燈の影ほの暗く、障子に映る影さびし。
嗚呼々々、六尺の體に人竝みの膽は有りながら、さりとは腑甲斐なき我身かな。影も形もなき妄念に惱まされて、しらで過ぎし日はまだしもなれ、迷ひの夢の醒め果てし今はの際に、めめしき未練は、あはれ武士ぞと言ひ得べきか。輕しと喞ちし三尺二寸、双腕かけて疊みしはそも何の爲の極意なりしぞ。祖先の苦勞を忘れて風流三昧に現を拔かす當世武士を尻目にかけし、半歳前の我は今何處にあるぞ。武骨者と人の笑ふを心に誇りし齋藤時頼に、あはれ今無念の涙は一滴も殘らずや。そもや瀧口が此身は空蝉のもぬけの殼にて、腐れしまでも昔の膽の一片も殘らぬか。
世に畏るべき敵に遇はざりし瀧口も、戀てふ魔神には引く弓もなきに呆れはてぬ。無念と思へば心愈々亂れ、心愈々亂るゝに隨れて、亂脈打てる胸の中に迷ひの雲は愈々擴がり、果は狂氣の如くいらちて、時ならぬ鳴弦の響、劍撃の聲に胸中の渾沌を清さんと務むれども、心茲にあらざれば見れども見えず、聞けども聞えず、命の蔭に蹲踞る一念の戀は、玉の緒ならで斷たん術もなし。
誠や、戀に迷へる者は猶ほ底なき泥中に陷れるが如し。一寸上に浮ばんとするは、一寸下に沈むなり、一尺岸に上らんとするは、一尺底に下るなり、所詮自ら掘れる墳墓に埋るゝ運命は、悶え苦みて些の益もなし。されば悟れるとは己れが迷を知ることにして、そを脱せるの謂にはあらず。哀れ、戀の鴆毒を渣も殘さず飮み干せる瀧口は、只々坐して致命の時を待つの外なからん。
第八
消えわびん露の命を、何にかけてや繋ぐらんと思ひきや、四五日經て瀧口が顏に憂の色漸く去りて、今までの如く物につけ事に觸れ、思ひ煩ふ樣も見えず、胸の嵐はしらねども、表面は槇の梢のさらとも鳴らさず、何者か失意の戀にかへて其心を慰むるものあればならん。
一日、瀧口は父なる左衞門に向ひ、『父上に事改めて御願ひ致し度き一義あり』。左衞門『何事ぞ』と問へば、『斯かる事、我口より申すは如何なものなれども、二十を越えてはや三歳にもなりたれば、家に洒掃の妻なくては萬に事缺けて快からず、幸ひ時頼見定め置きし女子有れば、父上より改めて婚禮を御取計らひ下されたく、願ひと言ふは此事に候』。人傳てに名を聞きてさへ愧らふべき初妻が事、顏赤らめもせず、落付き拂ひし語の言ひ樣、仔細ありげなり。左衞門笑ひながら、『これは異な願ひを聞くものかな、晩かれ早かれ、いづれ持たねばならぬ妻なれば、相應はしき縁もあらばと、老父も疾くより心懸け居りしぞ。シテ其方が見定め置きし女子とは、何れの御内か、但しは御一門にてもあるや、どうぢや』。『小子が申せし女子は、然る門地ある者ならず』。『然らばいかなる身分の者ぞ、衞府附の侍にてもあるか』。『否、さるものには候はず、御所の曹司に横笛と申すもの、聞けば御室わたりの郷家の娘なりとの事』。
瀧口が顏は少しく青ざめて、思ひ定めし眼の色徒ならず。父は暫し語なく俯ける我子の顏を凝視め居しが、『時頼、そは正氣の言葉か』。『小子が一生の願ひ、神以て詐りならず』。左衞門は兩手を膝に置き直して聲勵まし、『やよ時頼、言ふまでもなき事なれど、婚姻は一生の大事と言ふこと、其方知らぬ事はあるまじ。世にも人にも知られたる然るべき人の娘を嫁子にもなし、其方が出世をも心安うせんと、日頃より心を用ゆる父を其方は何と見つるぞ。よしなき者に心を懸けて、家の譽をも顧みぬほど、無分別の其方にてはなかりしに、扨は豫てより人の噂に違はず、横笛とやらの色に迷ひしよな』。『否、小子こと色に迷はず、香にも醉はず、神以て戀でもなく浮氣でもなし、只々少しく心に誓ひし仔細の候へば』。
左衞門は少しく色を起し、『默れ時頼、父の耳目を欺かん其の語、先頃其方が儕輩の足助の二郎殿、年若きにも似ず、其方が横笛に想ひを懸け居ること、後の爲ならずと懇に潛かに我に告げ呉れしが、其方に限りて浮きたる事のあるべきとも思はれねば、心も措かで過ぎ來りしが、思へば父が庇蔭目の過ちなりし。神以て戀にあらずとは何處まで此父を袖になさんずる心ぞ、不埒者め。話にも聞きつらん、祖先兵衞直頼殿、餘五將軍に仕へて拔群の譽を顯はせしこのかた、弓矢の前には後れを取らぬ齋藤の血統に、女色に魂を奪はれし未練者は其方が初めぞ。それにても武門の恥と心付かぬか、弓矢の手前に面目なしとは思はずか。同じくば名ある武士の末にてもあらばいざしらず、素性もなき土民郷家の娘に、茂頼斯くて在らん内は、齋藤の門をくゞらせん事思ひも寄らず』。
老の一徹短慮に息卷き荒く罵れば、時頼は默然として只々差俯けるのみ。やゝありて、左衞門は少しく面を和らげて、『いかに時頼、人若き間は皆過ちはあるものぞ、萌え出づる時の美はしさに、霜枯の哀れは見えねども、何れか秋に遭はで果つべき。花の盛りは僅に三日にして、跡の青葉は何れも色同じ、あでやかなる女子の色も十年はよも續かぬものぞ、老いての後に顧れば、色めづる若き時の心の我ながら解らぬほど癡けたるものなるぞ。過ちは改むるに憚る勿れとは古哲の金言、父が言葉腑に落ちたるか、横笛が事思ひ切りたるか。時頼、返事のなきは不承知か』。
今まで眼を閉ぢて默然たりし瀧口は、やうやく首を擡げて父が顏を見上げしが、兩眼は潤ひて無限の情を湛へ、滿面に顯せる悲哀の裡に搖がぬ決心を示し、徐ろに兩手をつきて、『一一道理ある御仰、横笛が事、只今限り刀にかけて思ひ切つて候、其の代りに時頼が又の願ひ、御聞屆下さるべきや』。左衞門は然さもありなんと打點頭き、『それでこそ茂頼が悴、早速の分別、父も安堵したるぞ、此上の願とは何事ぞ』。『今日より永のおん暇を給はりたし』。言ひ終るや、堰止めかねし溜涙、はら/\と流しぬ。
第九
天にも地にも意外の一言に、左衞門呆れて口も開かず、只々其子の顏色打ち[9]※れば、瀧ロは徐ろに涙を拂ひ、『思ひの外なる御驚きに定めて浮の空とも思されんが、此願ひこそは時頼が此座の出來心にては露候はず、斯かる曉にはと豫てより思決めし事に候。事の仔細を申さば、只々御心に違ふのみなるべけれども、申さざれば猶ほ以て亂心の沙汰とも思召されん。申すも思はゆげなる横笛が事、まこと言ひ交せし事だになけれども、我のみの哀れは中々に深さの程こそ知れね、つれなき人の心に猶更ら狂ふ心の駒を繋がむ手綱もなく、此の春秋は我身ながら辛かりし。神かけて戀に非ず、迷に非ずと我は思へども、人には浮氣とや見えもしけん。唯々劒に切らん影もなく、弓もて射ん的もなき心の敵に向ひて、そも幾その苦戰をなせしやは、父上、此の顏容のやつれたるにて御推量下されたし。時頼が六尺の體によくも擔ひしと自らすら駭く計りなる積り/\し憂事の數、我ならで外に知る人もなく、只々戀の奴よ、心弱き者よと世上の人に歌はれん殘念さ、誰れに向つて推量あれとも言はん人なきこそ、返す返すも口惜しけれ。此儘の身にては、どの顏下げて武士よと人に呼ばるべき、腐れし心を抱きて、外見ばかりの伊達に指さん事、兩刀の曇なき手前に心とがめて我から忍びず、只々此上は横笛に表向き婚姻を申入るゝ外なし、されどつれなき人心、今更靡かん樣もなく、且や素性賤しき女子なれば、物堅き父上の御容しなき事元より覺悟候ひしが、只々最後の思出にお耳を汚したるまでなりき。所詮天魔に魅入られし我身の定業と思へば、心を煩はすもの更になし。今は小子が胸には横笛がつれなき心も殘らず、月日と共に積りし哀れも宿さず、人の恨みも我が愛しみも洗ひし如く痕なけれども、殘るは只々此世の無常にして頼み少きこと、秋風の身にしみ/″\と感じて有漏の身の換へ難き恨み、今更骨身に徹へ候。惟れば誰が保ちけん東父西母が命、誰が嘗めたりし不老不死の藥、電光の裏に假の生を寄せて、妄念の間に露の命を苦しむ、愚なりし我身なりけり。横笛が事、御容しなきこと小子に取りては此上もなき善知識。今日を限りに世を厭ひて誠の道に入り、墨染の衣に一生を送りたき小子が決心。二十餘年の御恩の程は申すも愚なれども、何れ遁れ得ぬ因果の道と御諦ありて、永の御暇を給はらんこと、時頼が今生の願に候』。胸一杯の悲しみに語さへ震へ、語り了ると其儘、齒根喰ひ絞りて、詰と耐ゆる斷腸の思ひ、勇士の愁歎、流石にめゝしからず。
過ぎ越せし六十餘年の春秋、武門の外を人の住むべき世とも思はず、涙は無念の時出づるものぞと思ひし左衞門が耳に、哀れに優しき瀧口が述懷の、何として解かるべき。歌詠む人の方便とのみ思ひ居し戀に惱みしと言ふさへあるに、木の端とのみ嘲りし世捨人が現在我子の願ならんとは、左衞門如何でか驚かざるを得べき。夢かとばかり、一度は呆れ、一度は怒り、老の兩眼に溢るゝばかりの涙を浮べ、『やよ悴、今言ひしは慥に齋藤時頼が眞の言葉か、幼少より筋骨人に勝れて逞しく、膽力さへ座りたる其方、行末の出世の程も頼母しく、我が白髮首の生甲斐あらん日をば、指折りながら待侘び居たるには引換へて、今と言ふ今、老の眼に思ひも寄らぬ恥辱を見るものかな。奇怪とや言はん、不思議とや言はん。慈悲深き小松殿が、左衞門は善き子を持たれし、と我を見給ふ度毎のお言葉を常々人に誇りし我れ、今更乞食坊主の悴を持ちて、いづこに人に合する二つの顏ありと思うてか。やよ、時頼、ヨツク聞け、他は言はず、先祖代々よりの齋藤一家が被りし平家の御恩はそも幾何なりと思へるぞ。殊に弱年の其方を那程に目をかけ給ふ小松殿の御恩に對しても、よし如何に堪へ難き理由あればとて、斯かる方外の事、言はれ得る義理か。弓矢の上にこそ武士の譽はあれ、兩刀捨てて世を捨てて、悟り顏なる悴を左衞門は持たざるぞ。上氣の沙汰ならば容赦もせん、性根を据ゑて、不所存のほど過つたと言はぬかツ』。兩の拳を握りて、怒りの眼は鋭けれども、恩愛の涙は忍ばれず、雙頬傳うてはふり落つるを拭ひもやらず、一息つよく、『どうぢや、時頼、返答せぬかッ』。
第十
深く思ひ決めし瀧口が一念は、石にあらねば轉ばすべくもあらざれども、忠と孝との二道に恩義をからみし父の言葉。思ひ設けし事ながら、今更に腸も千切るゝばかり、聲も涙に曇りて、見上ぐる父の顏も定かならず、『仰せらるゝ事、時頼いかで理と承らざるべき。小松殿の御事は云ふも更なり、年寄り給ひたる父上に、斯かる嘆を見參らする小子が胸の苦しさは喩ふるに物もなけれども、所詮浮世と觀じては、一切の望に離れし我心、今は返さん術もなし、忠孝の道、君父の恩、時頼何として疎かに存じ候べき。然りながら、一度人身を失へば萬劫還らずとかや、世を換へ生を移しても、生死妄念を離れざる身を思へば、悟の日の晩かりしに心急かれて、世は是れ迄とこそ思はれ候へ。只々是れまで思ひ決めしまで重ね/″\し幾重の思案をば、御知りなき父上には、定めて若氣の短慮とも、當座の上氣とも聞かれつらんこそ口惜しけれ、言はば一生の浮沈に關る大事、時頼不肖ながらいかでか等閑に思ひ候べき。詮ずるに自他の悲しみを此胸一つに收め置いて、亡らん後の世まで知る人もなき身の果敢なさ、今更是非もなし。父上、願ふは此世の縁を是限りに、時頼が身は二十三年の秋を一期に病の爲に敢なくなりしとも御諦め下されかし。不孝の悲しみは胸一つには堪へざれども、御詫申さんに辭もなし、只々御赦しを乞ふ計りに候』。
濺ぐ涙に哀れを籠めても、飽くまで世を背に見たる我子の決心、左衞門今は夢とも上氣とも思はれず、愛しと思ふほど彌増す憎さ。慈悲と恩愛に燃ゆる怒の焔に滿面朱を濺げるが如く、張り裂く計りの胸の思ひに言葉さへ絶え/″\に、『イ言はして置けば父をさし置きて我れ面白の勝手の理窟、左衞門聞く耳持たぬぞ。無常困果と、世にも癡けたる乞食坊主のえせ假聲、武士がどの口もて言ひ得る語ぞ。弓矢とる身に何の無常、何の困果。――時頼、善く聞け、畜類の狗さへ、一日の飼養に三年の恩を知ると云ふに非ずや。匐へば立て、立てば歩めと、我が年の積るをも思はで育て上げし二十三年の親の辛苦、さては重代相恩の主君にも見換へんもの、世に有りと思ふ其方は、犬にも劣りしとは知らざるか。不忠とも、不孝とも、亂心とも、狂氣とも、言はん樣なき不所存者、左衞門が眼には、我子の容に化けし惡魔とより外は見えざるぞ、それにても見事其處に居直りて、齋藤左衞門茂頼が一子ぞと言ひ得るか、ならば御先祖の御名立派に申して見よ。其方より暇乞ふ迄もなし、人の數にも入らぬ木の端は、勿論親でもなく、子でもなし。其一念の直らぬ間は、時頼、シヽ七生までの義絶ぞ』。言ひ捨てて、襖立切り、疊觸りはも荒々しく、ツと奧に入りし左衞門。跡見送らんともせず、時頼は兩手をはたとつきて、兩眼の涙さながら雨の如し。
外には鳥の聲うら悲しく、枯れもせぬに散る青葉二つ三つ、無情の嵐に搖落されて窓打つ音さへ恨めしげなる。――あはれ、世は汝のみの浮世かは。
第十一
一門の采邑、六十餘州の半を越え、公卿・殿上人三十餘人、諸司衞府を合せて門下郎黨の大官榮職を恣にするもの其の數を知らず、げに平家の世は今を盛りとぞ見えにける。新大納言が隱謀脆くも敗れて、身は西海の隅に死し、丹波の少將成經、平判官康頼、法勝寺の執事俊寛等、徒黨の面々、波路遙かに名も恐ろしき鬼界が島に流されしより、世は愈々平家の勢ひに麟伏し、道路目を側つれども背後に指す人だになし。一國の生殺與奪の權は、入道が眉目の間に在りて、衞府判官は其の爪牙たるに過ぎず。苟も身一門の末葉に連れば、公卿華胄の公達も敢えて肩を竝ぶる者なく、前代未聞の榮華は、天下の耳目を驚かせり。されば日に増し募る入道が無道の行爲、一朝の怒に其の身を忘れ、小松内府の諫をも用ひず、恐れ多くも後白河法皇を鳥羽の北殿に押籠め奉り、卿相雲客の或は累代の官職を褫れ、或は遠島に流人となるもの四十餘人。鄙も都も怨嗟の聲に充ち、天下の望み既に離れて、衰亡の兆漸く現はれんとすれども、今日の歡びに明日の哀れを想ふ人もなし。盛者必衰の理とは謂ひながら、權門の末路、中々に言葉にも盡されね。父入道が非道の擧動は一次再三の苦諫にも及ばれず、君父の間に立ちて忠孝二道に一身の兩全を期し難く、驕る平家の行末を浮べる雲と頼みなく、思ひ積りて熟々世の無常を感じたる小松の内大臣重盛卿、先頃思ふ旨ありて、熊野參籠の事ありしが、歸洛の後は一室に閉籠りて、猥りに人に面を合はせ給はず、外には所勞と披露ありて出仕もなし。然れば平生徳に懷き恩に浴せる者は言ふも更なり、知るも知らぬも潛かに憂ひ傷まざるはなかりけり。
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短き秋の日影もやゝ西に傾きて、風の音さへ澄み渡るはづき半の夕暮の空、前には閑庭を控へて左右は廻廊[10]を繞らし、青海の簾長く垂れこめて、微月の銀鈎空しく懸れる一室は、小松殿が居間なり。内には寂然として人なきが如く、只々簾を漏れて心細くも立迷ふ香煙一縷、をりをりかすかに聞ゆる戞々の音は、念珠を爪繰る響にや、主が消息を齎らして、いと奧床し。
やゝありて『誰かある』と呼ぶ聲す、那方なる廊下の妻戸を開けて徐ろに出で來りたる立烏帽子に布衣着たる侍は齋藤瀧口なり。『時頼參りて候』と申上ぐれば、やがて一間を出で立ち給ふ小松殿、身には山藍色の形木を摺りたる白布の服を纏ひ、手には水晶の珠數を掛け、ありしにも似ず窶れ給ひし御顏に笑を含み、『珍らしや瀧口、此程より病氣の由にて予が熊野參籠の折より見えざりしが、僅の間に痛く痩せ衰へし其方が顏容、日頃鬼とも組まんず勇士も身内の敵には勝たれぬよな、病は癒えしか』。瀧口はやゝしばし、詰と御顏を見上げ居たりしが、『久しく御前に遠りたれば、餘りの御懷しさに病餘の身をも顧みず、先刻遠侍に伺候致せしが、幸にして御拜顏の折を得て、時頼身にとりて恐悦の至りに候』。言ふと其儘御前に打ち伏し、濡羽の鬢に小波を打たせて悲愁の樣子、徒ならず見えけり。
哀れや瀧口、世を捨てん身にも今を限りの名殘には一切の諸縁何れか煩惱ならぬはなし。比世の思ひ出に、夫とはなしに餘所ながらの告別とは神ならぬ身の知り給はぬ小松殿、瀧口が平生の快濶なるに似もやらで、打ち萎れたる容姿を、訝しげに見やり給ふぞ理なる。
四方山の物語に時移り、入日の影も何時しか消えて、冴え渡る空に星影寒く、階下の叢に蟲の鳴く聲露ほしげなり。燭を運び來りし水干に緋の袴着けたる童の後影見送りて、小松殿は聲を忍ばせ、『時頼、近う寄れ、得難き折なれば、予が改めて其方に頼み置く事あり』。
第十二
一穗の燈を狹みて相對せる小松殿と時頼、物語の樣、最と肅やかなり。
『こは思ひも寄らぬ御言葉を承はり候ものかな、御世は盛りとこそ思はれつるに、など然る忌まはしき事を仰せらるゝにや。憚り多き事ながら、殿こそは御一門の柱石、天下萬民の望みの集まる所、吾れ人諸共に御運の程の久しかれと祈らぬ者はあらざるに、何事にて御在するぞ、聊かの御不例に忌まはしき御身の後を仰せ置かるゝとは。殊更少將殿の御事、不肖弱年の時頼、如何でか御託命の重きに堪へ申すべき。御言葉のゆゑよし、時頼つや/\合點參らず』。
『時頼、さては其方が眼にも世は盛りと見えつるよな。盛りに見ゆればこそ、衰へん末の事の一入深く思ひ遣らるゝなれ。弓矢の上に天下を與奪するは武門の慣習。遠き故事を引くにも及ばず、近き例は源氏の末路。仁平、久壽の盛りの頃には、六條判官殿、如何でか其の一族の今日あるを思はれんや。治に居て亂を忘れざるは長久の道、榮華の中に沒落を思ふも、徒に重盛が杞憂のみにあらじ』。
『然るにても幾千代重ねん殿が御代なるに、など然ることの候はんや』。
『否とよ時頼、朝の露よりも猶ほ空なる人の身の、何時消えんも測り難し。我れ斯くてだに在らんにはと思ふ間さへ中々に定かならざるに、いかで年月の後の事を思ひ料らんや。我もし兎も角もならん跡には、心に懸かるは只々少將が身の上、元來孱弱の性質、加ふるに幼より詩歌數寄の道に心を寄せ、管絃舞樂の娯しみの外には、弓矢の譽あるを知らず。其方も見つらん、去ぬる春の花見の宴に、一門の面目と稱へられて、舞妓、白拍子にも比すべからん己が優技をば、さも誇り顏に見えしは、親の身の中々に恥かしかりし。一旦事あらば、妻子の愛、浮世の望みに惹かされて、如何なる未練の最期を遂ぐるやも測られず。世の盛衰は是非もなし、平家の嫡流として卑怯の擧動などあらんには、祖先累代の恥辱この上あるべからず。維盛が行末守り呉れよ、時頼、之ぞ小松が一期の頼みなるぞ』。
『そは時頼の分に過ぎたる仰せにて候ぞや。現在足助二郎重景など屈竟の人々、少將殿の扈從には候はずや。若年未熟の時頼、人に勝りし何の能ありて斯かる大任を御受け申すべき』。
『否々左にあらず。いかに時頼、六波羅上下の武士が此頃の有樣を何とか見つる。一時の太平に狎れて衣紋裝束に外見を飾れども、誠武士の魂あるもの幾何かあるべき。華奢風流に荒める重景が如き、物の用に立つべくもあらず。只々彼が父なる與三左衞門景安は平治の激亂の時、二條堀河の邊りにて、我に代りて惡源太が爲に討たれし者ゆゑ、其の遺功を思うて我名の一字を與へ、少將が扈從となせしのみ。繰言ながら維盛が事頼むは其方一人。少將事あるの日、未練の最期を遂ぐるやうのことあらんには、時頼、予は草葉の蔭より其方を恨むぞよ』。
思ひ入りたる小松殿の御氣色、物の哀れを含めたる、心ありげの語の端々も、餘りの忝なさに思ひ紛れて只々感涙に咽ぶのみ。風にあらで小忌の衣に漣立ち、持ち給へる珠數震ひ搖ぎてさら/\と音するに瀧口首を擡げて、小松殿の御樣見上ぐれば、燈の光に半面を背けて、御袖の唐草に徒ならぬ露を忍ばせ給ふ、御心の程は知らねども、痛はしさは一入深し。夜も更け行きて、何時しか簾を漏れて青月の光凄く、澄み渡る風に落葉ひゞきて、主が心問ひたげなり。
蟲の音亙りて月高く、いづれも哀れは秋の夕、憂しとても逃れん術なき己が影を踏みながら、腕叉きて小松殿の門を立ち出でし瀧口時頼。露にそぼちてか、布衣の袖重げに見え、足の運さながら醉へるが如し。今更思ひ決めし一念を吹きかへす世に秋風はなけれども、積り積りし浮世の義理に迫られ、胸は涙に塞りて、月の光も朧なり。武士の名殘も今宵を限り、餘所ながらの告別とは知り給はで、亡からん後まで頼み置かれし小松殿。御仰の忝さと、是非もなき身の不忠を想ひやれば、御言葉の節々は骨を刻むより猶つらかりし。哀れ心の灰に冷え果てて浮世に立てん烟もなき今の我、あゝ何事も因果なれや。
月は照れども心の闇に夢とも現とも覺えず、行衞もしらず歩み來りしが、ふと頭を擧ぐれば、こはいかに身は何時の間にか御所の裏手、中宮の御殿の邊にぞ立てりける。此春より來慣れたる道なればにや、思はぬ方に迷ひ來しものかなと、無情かりし人に通ひたる昔忍ばれて、築垣の下に我知らず彳みける。折柄傍らなる小門の蔭にて『横笛』と言ふ聲するに心付き、思はず振向けば、立烏帽子に狩衣着たる一個の侍の此方に背を向けたるが、年の頃五十計りなる老女と額を合せて囁けるなり。
第十三
月より外に立聞ける人ありとも知らで、件の侍は聲潛ませて、『いかに冷泉、折重ねし薄樣は薄くとも、こめし哀れは此秋よりも深しと覺ゆるに、彼の君の氣色は如何なりしぞ。夜毎の月も數へ盡して、圓なる影は二度まで見たるに、身の願の滿たん日は何れの頃にや。頼み甲斐なき懸橋よ』。
怨みの言葉を言はせも敢へず、老女は疎らなる齒莖を顯はしてホヽと打笑み、『然りとは戀する御身にも似合はぬ事を。此の冷泉に如才は露なけれども、まだ都慣れぬ彼の君なれば、御身が事可愛しとは思ひながら、返す言葉のはしたなしと思はれんなど思ひ煩うてお在すにこそ、咲かぬ中こそ莟ならずや』。言ひつゝツと男の傍に立寄りて耳に口よせ、何事か暫し囁きしが、一言毎に點頭きて冷かに打笑める男の肩を輕く叩きて、『お解りになりしや、其時こそは此の老婆にも、秋にはなき梶の葉なれば、渡しの料は忘れ給ふな、世にも憎きほど羨ましき二郎ぬしよ』。男は打笑ふ老女の袂を引きて、『そは誠か、時頼めはいよ/\思ひ切りしとか』。
己れが名を聞きて、松影に潛める瀧口は愈々耳を澄しぬ。老女『此春より引きも切らぬ文の、此の二十日計りはそよとだに音なきは、言はでも著るき、空なる戀と思ひ絶えしにあんなれ。何事も此の老婆に任せ給へ、又しても心元なげに見え給ふことの恨めしや、今こそ枯技に雪のみ積れども、鶯鳴かせし昔もありし老婆、萬に拔目のあるべきや』。袖もて口を覆ひ、さなきだに繁き額の皺を集めて、ホヽと打笑ふ樣、見苦しき事言はん方なし。
後の日を約して小走りに歸り行く男の影をつく/″\見送りて、瀧口は枯木の如く立ちすくみ、何處ともなく見詰むる眼の光徒ならず。『二郎、二郎とは何人ならん』。獨りごちつゝ首傾けて暫し思案の樣なりしが、忽ち眉揚り眼鋭く『さては』とばかり、面色見る/\變りて握り詰めし拳ぶる/\と震ひぬ。何に驚きてか、垣根の蟲、礑と泣き止みて、空に時雨るゝ落葉散る響だにせず。良ありて瀧口、顏色和らぎて握りし拳も自ら緩み、只々太息のみ深し。『何事も今の身には還らぬ夢の、恨みもなし。友を賣り人を詐る末の世と思へば、我が爲に善知識ぞや、誠なき人を戀ひしも浮世の習と思へば少しも腹立たず』。
立上りつゝ築垣の那方を見やれば、琴の音微かに聞ゆ。月を友なる怨聲は、若しや我が慕ひてし人にもやと思へば、一期の哀れ自ら催されて、ありし昔は流石に空ならず、あはれ、よりても合はぬ片絲の我身の運は是非もなし。只々塵の世に我が思ふ人の長へに汚れざれ。戀に望みを失ひても、世を果敢なみし心の願、優に貴し。
千緒萬端の胸の思ひを一念「無常」の熔爐に溶かし去りて、澄む月に比べん心の明るさ。何れ終りは同じ紙衣玉席、白骨を抱きて榮枯を計りし昔の夢、觀じ來れば世に秋風の哀れもなし。君も、父も、戀も、情も、さては世に産聲擧げてより二十三年の旦夕に疊み上げ折重ねし一切の衆縁、六尺の皮肉と共に夜半の嵐に吹き籠めて、行衞も知らぬ雲か煙。跡には秋深く夜靜にして、亙る雁の聲のみ高し。
第十四
治承三年五月、熊野參籠の此方、日に増し重る小松殿の病氣。一門の頼、天下の望みを繋ぐ御身なれば、さすがの横紙裂りける入道も心を痛め、此日朝まだき西八條より遙々の見舞に、内府も暫く寢處を出でて對面あり、[11]半※計り經て還り去りしが、鬼の樣なる入道も稍々涙含みてぞ見えにける。相隨ひし人々の、入道と共に還りし跡には、館の中最と靜にて、小松殿の側に侍るものは御子維盛卿と足助二郎重景のみ。維盛卿は父に向ひ、『先刻祖父禪門の御勸めありし宋朝渡來の醫師、聞くが如くんば世にも稀なる名手なるに、父上の拒み給ひしこそ心得ね』。訝げに尋ぬるを、小松殿は打見やりて、はら/\と涙を流し、『形ある者は天命あり。三界の教主さへ、耆婆が藥にも及ばずして跋提河の涅槃に入り給ひき。佛體ならぬ重盛、まして唯ならぬ身の業繋なれば、藥石如何でか治するを得べき。唯々父禪門の御身こそ痛ましけれ。位人臣を極め、一門の榮華は何れの國、何れの代にも例なく、齡六十に越え給へば、出離生死の御營、無上菩提の願ひの外、何御不足のあれば、煩惱劫苦の浮世に非道の權勢を貧り給ふ淺ましさ。如何に少將、此頃の御擧動を何とか見つる、臣として君を押し籠め奉るさへあるに、下民の苦を顧みず、遷都の企ありと聞く。そもや平安三百年の都を離れて、何こに平家の盛りあらん。父の非道を子として救ひ得ず、民の怨みを眼のあたり見る重盛が心苦しさ。思ひ遣れ少將』。
維盛卿も、傍らに侍せる重景も首を垂れて默然たり。内府は病み疲れたる身を脇息に持たせて、少しく笑を含みて重景を見やり給ひ、『いかに二郎、保元の弓勢、平治の太刀風、今も草木を靡かす力ありや。盛りと見ゆる世も何れ衰ふる時はあり、末は濁りても涸れぬ源には、流れも何時か清まんずるぞ。言葉の旨を忖り得しか』。重景は愧しげに首を俯し、『如何でかは』と答へしまゝ、はか/″\しく應せず。
折から一人の青侍廊下に手をつきて、『齋藤左衞門、只今御謁見を給はりたき旨願ひ候が、如何計らひ申さんや』と恐る/\申上ぐれば、小松殿、『是れへ連れ參れ』と言ふ。暫くして件の青侍に導かれ、緩端に平伏したる齋藤茂頼、齡七十に近けれども、猶ほ矍鑠として健やかなる老武者、右の鬢先より頬を掠めたる向疵に、栗毛の琵琶股叩いて物語りし昔の武功忍ばれ、籠手摺に肉落ちて節のみ高き太腕は、そも幾その人の首を切り落としけん。肩は山の如く張り、頭は雪の如く白し。『久しや左衞門』、小松殿聲懸け給へば、左衞門は窪みし兩眼に涙を浮べ、『茂頼、此の老年に及び、一期の恥辱、不忠の大罪、御詫申さん爲め、御病體を驚かせ參らせて候』。小松殿眉を顰め、『何事ぞ』と問ひ給えば、茂頼は無念の顏色にて、『愚息時頼』、と言ひさして涙をはらはらと流せば、重景は傍らより膝を進め、『時頼殿に何事の候ひしぞ』。『遁世致して候』。
是はと驚く維盛・重景、仔細如何にと問ひ寄るを應も得せず、やうやく涙を拭ひ、『君が山なす久年の御恩に對し、一日の報效をも遂げず、猥りに身を捨つる條、不忠とも不義とも言はん方なき愚息が不所存、茂頼此期に及び、君に合はす面目も候はず』。言ひつゝ懷より取り出す一封の書、『言語に絶えたる亂心にも、君が御事忘れずや、不忠を重ぬる業とも知らで、殘しありし此の一通、君の御名を染めたれば、捨てんにも處なく、餘儀なく此に』と差上ぐるを、小松殿は取上げて、『こは予に殘せる時頼が陳情よな』と言ひつゝ繰りひろげ、つく/″\讀み了りて歎息し給い、『あゝ我れのみの浮世にてはなかりしか。――時頼ほどの武士も物の哀れに向はん刃なしと見ゆるぞ。左衞門、今は嘆きても及ばぬ事、予に於いて聊か憾みなし。禍福はあざなえる繩の如く、世は塞翁が馬、平家の武士も數多きに、時頼こそは中々に嫉しき程の仕合者ぞ』。
第十五
更闌けて、天地の間にそよとも音せぬ後夜の靜けさ、やゝ傾きし下弦の月を追うて、冴え澄める大空を渡る雁の影遙かなり。ふけ行く夜に奧も表も人定まりて、築山の木影に鐵燈の光のみ侘しげなる御所の裏局、女房曹司の室々も、今を盛りの寢入花、對屋を照せる燈の火影に迷うて、妻戸を打つ蟲の音のみ高し。※[12]廊のあなたに、蘭燈尚ほ微なるは誰が部屋ならん、主は此の夜深きにまだ寢もやらで、獨り黒塗の小机に打ちもたれ、首を俯して物思はしげなり。側らにある衣桁には、紅梅萌黄の三衣を打懸けて、薫き籠めし移り香に時ならぬ花を匂はせ、机の傍に据ゑ付けたる蒔繪の架には、色々の歌集物語を載せ、柱には一面の古鏡を掛けて、故とならぬ女の魂見えて床し。主が年の頃は十七八になりもやせん、身には薄色に草模樣を染めたる小袿を着け、水際立ちし額より丈にも餘らん濡羽の黒髮、肩に振分けて後に下げたる姿、優に氣高し。誰れ見ねども膝も崩さず、時々鬢のほつれに小波を打たせて、吐く息の深げなるに、哀れは此處にも漏れずと見ゆ。主は誰ぞ、是れぞ中宮が曹司横笛なる。
其の振り上ぐる顏を見れば、鬚眉の魂を蕩かして此世の外ならで六尺の體を天地の間に置き所なきまでに狂はせし傾國の色、凄き迄に美はしく、何を悲しみてか眼に湛ゆる涙の珠、海棠の雨も及ばず。膝の上に半ば繰弘げたる文は何の哀れを籠めたるや、打ち見やる眼元に無限の情を含み、果は恰も悲しみに堪へざるものの如く、ブル/\と身震ひして、丈もて顏を掩ひ、泣音を忍樣いぢらし。
折から、此方を指して近づく人の跫音に、横笛手早く文を藏め、涙を拭ふ隙もなく、忍びやかに、『横笛樣、まだ御寢ならずや』と言ひつゝ部屋の障子徐に開きて入り來りしは、冷泉と呼ぶ老女なりけり。横笛は見るより、蕭れし今までの容姿忽ち變り、屹と容を改め、言葉さへ雄々しく、『冷泉樣には、何の要事あれば夜半には來給ひし』、と咎むるが如く問ひ返せば、ホヽと打笑ひ、『横笛さま、心強きも程こそあれ、少しは他の情を酌み給へや。老い枯れし老婆の御身に嫌はるゝは、可惜武士の戀死せん命を思へば物の數ならず、然るにても昨夜の返事、如何に遊ばすやら』。『幾度申しても御返事は同じこと、あな蒼蠅き人や』。慚しげに面を赧らむる常の樣子と打つて變りし、さてもすげなき捨言葉に、冷泉訝しくは思へども、流石は巧者、氣を外さず、『其の御心の強さに、彌増す思ひに堪へ難き重景さま、世に時めく身にて、霜枯の夜毎に只一人、憂身をやつさるゝも戀なればこそ、横笛樣、御身はそを哀れとは思さずか。若氣の一徹は吾れ人ともに思ひ返しのなきもの、可惜丈夫の焦れ死しても御身は見殺しにせらるゝ氣か、さりとは情なの御心や』。横笛はさも懶げに、『左樣の事は横笛の知らぬこと』。『またしてもうたてき事のみ、恥かしと思ひ給うての事か。年弱き内は誰しも同じながら、斯くては戀は果てざるものぞ。女子の盛りは十年とはなきものになるに、此上なき機會を取り外して、卒塔婆小町の故事も有る世の中。重景樣は御家と謂ひ、器量と謂ひ、何不足なき好き縁なるに、何とて斯くは否み給ふぞ。扨は瀧口殿が事思ひ給うての事か、武骨一途の瀧口殿、文武兩道に秀で給へる重景殿に較ぶべくも非ず。況してや瀧口殿は何思ひ立ちてや、世を捨て給ひしと專ら評判高きをば、御身は未だ聞き給はずや。世捨人に情も義理も要らばこそ、花も實もある重景殿に只々一言の色善き返り言をし給へや。軈て兵衞にも昇り給はんず重景殿、御身が行末は如何に幸ならん。未だ浮世慣れぬ御身なれば、思ひ煩らひ給ふも理なれども、六十路に近き此の老婆、いかで爲惡しき事を申すべき、聞分け給ひしかや』。
顏差し覗きて猫撫聲、『や、や』と媚びるが如く笑を含みて袖を引けば、今まで應えもせず俯き居たりし横笛は、引かれし袖を切るが如く打ち拂ひ、忽ち柳眉を逆立て、言葉鋭く、『無禮にはお在さずや冷泉さま、榮華の爲に身を賣る遊女舞妓と横笛を思ひ給うてか。但しは此の横笛を飽くまで不義淫奔に陷れんとせらるゝにや。又しても問ひもせぬ人の批判、且つは深夜に道ならぬ媒介、横笛迷惑の至り、御歸りあれ冷泉樣。但し高聲擧げて宿直の侍を呼び起し申さんや』。
第十六
鋭き言葉に言い懲されて、餘儀なく立ち上る冷泉を、引き立てん計りに送り出だし、本意なげに見返るを見向もやらず、其儘障子を礑と締めて、仆るゝが如く座に就ける横笛。暫しは恍然として氣を失へる如く、いづこともなく詰と凝視め居しが、星の如き眼の裏には溢るゝばかりの涙を湛へ、珠の如き頬にはら/\と振りかゝるをば拭はんともせず、蕾の唇惜氣もなく喰ひしばりて、噛み碎く息の切れ/″\に全身の哀れを忍ばせ、はては耐へ得で、體を岸破とうつ伏して、人には見えぬ幻に我身ばかりの現を寄せて、よゝとばかりに泣き轉びつ。涙の中にかみ絞る袂を漏れて、幽に聞ゆる一言は、誰れに聞かせんとてや、『ユ許し給はれ』。
良しや眼前に屍の山を積まんとも涙一滴こぼさぬ勇士に、世を果敢なむ迄に物の哀れを感じさせ、夜毎の秋に浮身をやつす六波羅一の優男を物の見事に狂はせながら、「許し給はれ」とは今更ら何の醉興ぞ。吁々然に非ず、何處までの浮世なれば、心にもあらぬ情なさに、互ひの胸の隔てられ、恨みしものは恨みしまゝ、恨みられしものは恨みられしまゝに、あはれ皮一重を堺に、身を換へ世を隔てても胡越の思ひをなす、吾れ人の運命こそ果敢なけれ。横笛が胸の裏こそ、中々に口にも筆にも盡されね。
飛鳥川の明日をも俟たで、絶ゆる間もなく移り變る世の淵瀬に、百千代を貫きて變らぬものあらば、そは人の情にこそあんなれ。女子の命は只一つの戀、あらゆる此世の望み、樂み、さては優にやさしき月花の哀れ、何れ戀ならぬはなし。胸に燃ゆる情の焔は、他を燒かざれば其身を焚かん、まゝならぬ戀路に世を喞ちて、秋ならぬ風に散りゆく露の命葉、或は墨染の衣に有漏の身を裹む、さては淵川に身を棄つる、何れか戀の炎に其躯を燒き蓋くし、殘る冷灰の哀れにあらざらんや。女子の性の斯く情深きに、いかで横笛のみ濁り無情かるべきぞ。
人知らぬ思ひに秋の夜半を泣きくらす横笛が心を尋ぬれば、次の如くなりしなり。
想ひ[13]※せば、はや半歳の昔となりぬ。西八條の屋方に花見の宴ありし時、人の勸めに默し難く、舞ひ終る一曲の春鶯囀に、數ならぬ身の端なくも人に知らるゝ身となりては、御室の郷に靜けき春秋を娯しみし身の心惑はるゝ事のみ多かり。見も知らず、聞きも習はぬ人々の人傳に送る薄色の折紙に、我を宛名の哀れの數々。都慣れぬ身には只々胸のみ驚かれて、何と答へん術だに知らず、其儘心なく打ち過ぐる程に、雲井の月の懸橋絶えしと思ひてや、心を寄するものも漸く尠くなりて、始めに渝らず文をはこぶは只々二人のみぞ殘りける。一人は齋藤瀧口にして、他の一人は足助二郎なり。横笛今は稍々浮世に慣れて、風にも露にも、餘所ならぬ思ひ忍ばれ、墨染の夕の空に只々一人、連れ亙る雁の行衞消ゆるまで見送りて、思はず太息吐く事も多かりけり。二人の文を見るに付け、何れ劣らぬ情の濃かさに心迷ひて、一つ身の何れを夫とも別ち兼ね、其れとは無しに人の噂に耳を傾くれば、或は瀧口が武勇人に勝れしを譽むるもあれば、或は二郎が容姿の優しきを稱ふるもあり。共に小松殿の御内にて、世にも知られし屈指の名士。横笛愈々心惑ひて、人の哀れを二重に包みながら、浮世の義理の柵に何方へも一言の應へだにせず、無情と見ん人の恨みを思ひやれば、身の心苦しきも數ならず、夜半の夢屡々駭きて、涙に浮くばかりなる枕邊に、燻籠の匂ひのみ肅やかなるぞ憐れなる。
或日のこと。瀧口時頼が發心せしと、誰れ言ふとなく大奧に傳はりて、さなきだに口善惡なき女房共、寄ると觸ると瀧口が噂に、横笛轟く胸を抑へて蔭ながら樣子を聞けば、情なき戀路に世を果敢なみての業と言ひ囃すに、人の手前も打ち忘れ、覺えず『そは誠か』と力を入れて尋ぬれば、女房共、『罪造りの横笛殿、可惜勇士を木の端とせし』。人の哀れを面白げなる高笑に、是れはとばかり、早速のいらへもせず、ツと己が部屋に走り歸りて、終日夜もすがら泣き明かしぬ。
第十七
『罪造りの横笛殿、あたら勇士に世を捨てさせし』。あゝ半ば戲れに、半ば法界悋氣の此一語、横笛が耳には如何に響きしぞ。戀に望を失ひて浮世を捨てし男女の事、昔の物語に見し時は世に痛はしき事に覺えて、草色の袂に露の哀れを置きし事ありしが、猶ほ現ならぬ空事とのみ思ひきや、今や眼前かゝる悲しみに遇はんとは。而も世を捨てし其人は、命を懸けて己れを戀ひし瀧口時頼。世を捨てさせし其人は、可愛とは思ひながらも世の關守に隔てられて無情しと見せたる己れ横笛ならんとは。餘りの事に左右の考も出でず、夢幻の思ひして身を小机に打ち伏せば、『可惜武士に世を捨てさせし』と怨むが如く、嘲けるが如き聲、何處よりともなく我が耳にひゞきて、其度毎に總身宛然水を浴びし如く、心も體も凍らんばかり、襟を傳ふ涙の雫のみさすが哀れを隱し得ず。
掻き亂れたる心、辛う我に歸りて、熟々思へば、世を捨つるとは輕々しき戲事に非ず。瀧口殿は六波羅上下に名を知られたる屈指の武士、希望に滿てる春秋長き行末を、二十幾年の男盛りに截斷りて、樂しき此世を外に、身を佛門に歸し給ふ、世にも憐れの事にこそ。數多の人に優りて、君の御覺殊に愛たく、一族の譽を雙の肩に擔うて、家には其子を杖なる年老いたる親御もありと聞く。他目にも數あるまじき君父の恩義惜氣もなく振り捨てて、人の譏り、世の笑ひを思ひ給はで、弓矢とる御身に瑜伽三密の嗜は、世の無常を如何に深く觀じ給ひけるぞ。ああ是れ皆此の身、此の横笛の爲せし業、刃こそ當てね、可惜武士を手に掛けしも同じ事。――思へば思ふほど、乙女心の胸塞りて泣くより外にせん術もなし。
吁々、協はずば世を捨てんまで我を思ひくれし人の情の程こそ中々に有り難けれ。儘ならぬ世の義理に心ならずとは言ひながら、斯かる誠ある人に、只々一言の返事だにせざりし我こそ今更に悔しくも亦罪深けれ。手筐の底に祕め置きし瀧口が送りし文、涙ながらに取り出して心遣りにも繰り返せば、先には斯くまでとも思はざりしに、今の心に讀みもて行く一字毎に腸も千切るゝばかり。百夜の榻の端がきに、今や我も數書くまじ、只々つれなき浮世と諦めても、命ある身のさすがに露とも消えやらず、我が思ふ人の忘れ難きを如何にせん。――など書き聯ねたるさへあるに、よしや墨染の衣に我れ哀れをかくすとも、心なき君には上の空とも見えん事の口惜しさ、など硯の水に泪落ちてか、薄墨の文字定かならず。つらつら數ならぬ賤しき我身に引較べ、彼を思ひ此を思へば、横笛が胸の苦しさは、譬へんに物もなし。世を捨てんまでに我を思ひ給ひし瀧口殿が誠の情と竝ぶれば、重景が戀路は物ならず。況して日頃より文傳へする冷泉が、ともすれば瀧口殿を惡し樣に言ひなせしは、我を誘はん腹黒き人の計略ならんも知れず。斯く思ひ來れば、重景の何となう疎ましくなるに引き換へて、瀧口を憐れむの情愈々切にして、世を捨て給ひしも我れ故と思ふ心の身にひし/\と當りて、立ちても坐りても居堪らず、窓打つ落葉のひゞきも、蟲の音も、我を咎むる心地して、繰擴げし文の文字は、宛然我れを睨むが如く見ゆるに、目を閉ぢ耳を塞ぎて机の側らに伏し轉べば、『あたら武士を汝故に』と、いづこともなく囁く聲、心の耳に聞えて、胸は刃に割かるゝ思ひ。あはれ横笛、一夜を惱み明かして、朝日影窓に眩き頃、ふらふらと縁前に出づれば、憎くや、檐端に歌ふ鳥の聲さへ、己が心の迷ひから、『汝ゆゑ/\』と聞ゆるに、覺えず顏を反向けて、あゝと溜息つけば、驚きて起つ群雀、行衞も知らず飛び散りたる跡には、秋の朝風音寂しく、殘んの月影夢の如く淡し。
第十八
女子こそ世に優しきものなれ。戀路は六つに變れども、思ひはいづれ一つ魂に映る哀れの影とかや。つれなしと見つる浮世に長生へて、朝顏の夕を竣たぬ身に百年の末懸けて、覺束なき朝夕を過すも胸に包める情の露のあればなり。戀かあらぬか、女子の命はそも何に喩ふべき。人知らぬ思ひに心を傷りて、あはれ一山風に跡もなき東岱前後の烟と立ち昇るうら弱き眉目好き處女子は、年毎に幾何ありとするや。世の隨意ならぬは是非もなし、只ゝいさゝ川、底の流れの通ひもあらで、人はいざ、我れにも語らで、世を果敢なむこそ浮世なれ。
然れば横笛、我れ故に武士一人に世を捨てさせしと思へば、乙女心の一徹に思ひ返さん術もなく、此の朝夕は只々泣き暮らせども、影ならぬ身の失せもやらず、せめて嵯峨の奧にありと聞く瀧口が庵室に訪れて我が誠の心を打明かさばやと、さかしくも思ひ決めつ。誰彼時に紛れて只々一人、うかれ出でけるこそ殊勝なれ。
頃は長月の中旬すぎ、入日の影は雲にのみ殘りて野も出も薄墨を流せしが如く、月未だ上らざれば、星影さへも最と稀なり。袂に寒き愛宕下しに秋の哀れは一入深く、まだ露下りぬ野面に、我が袖のみぞ早や沾ひける。右近の馬場を右手に見て、何れ昔は花園の里、霜枯れし野草を心ある身に踏み摧きて、太秦わたり辿り行けば、峰岡寺の五輪の塔、夕の空に形のみ見ゆ。やがて月は上りて桂の川の水烟、山の端白く閉罩めて、尋ぬる方は朧ろにして見え分かず。素より慣れぬ徒歩なれば、數たび或は里の子が落穗拾はん畔路にさすらひ、或は露に伏す鶉の床の草村に立迷うて、絲より細き蟲の音に、覺束なき行末を喞てども、問ふに聲なき影ばかり。名も懷しき梅津の里を過ぎ、大堰川の邊を沿ひ行けば、河風寒く身に染みて、月影さへもわびしげなり。裾は露、袖は涙に打蕭れつ、霞める眼に見渡せば、嵯峨野も何時しか奧になりて、小倉山の峰の紅葉、月に黒みて、釋迦堂の山門、木立の間に鮮なり。噂に聞きしは嵯峨の奧とのみ、何れの院とも坊とも知らざれば、何を便に尋ぬべき、燈の光を的に、數もなき在家を彼方此方に彷徨ひて問ひけれども、絶えて知るものなきに、愈々心惑ひて只々茫然と野中に彳みける。折から向ふより庵僧とも覺しき一個の僧の通りかゝれるに、横笛、渡に舟の思ひして、『慮外ながら此のわたりの庵に、近き頃樣を變へて都より來られし、俗名齋藤時頼と名告る年壯き武士のお在さずや』。聲震はして尋ぬれば、件の僧は、横笛が姿を見て暫し首傾けしが、『露しげき野を女性の唯々一人、さても/\痛はしき御事や。げに然る人ありとこそ聞きつれど、まだ其人に遇はざれば、御身が尋ぬる人なりや、否やを知りがたし』。『して其人は何處にお在する』。『そは此處より程遠からぬ往生院と名くる古き僧庵に』。
僧は最と懇ろに道を教ふれば、横笛世に嬉しく思ひ、禮もいそ/\別れ行く後影、鄙には見なれぬ緋の袴に、夜目にも輝く五柳の一重。件の僧は暫したヽずみて訝しげに見送れば、焚きこめし異香、吹き來る風に時ならぬ春を匂はするに、俄に忌はしげに顏背けて小走りに立ち去りぬ。
第十九
斯くて横笛は教へられしまゝに辿り行けば、月の光に影暗き、杜の繁みを徹して、微に燈の光見ゆるは、げに古りし庵室と覺しく、隣家とても有らざれば、闃として死せるが如き夜陰の靜けさに、振鈴の響さやかに聞ゆるは、若しや尋ぬる其人かと思へば、思ひ設けし事ながら、胸轟きて急ぎし足も思はず緩みぬ。思へば現とも覺えで此處までは來りしものの、何と言うて世を隔てたる門を敲かん、我が眞の心をば如何なる言葉もて打ち明けん。うら若き女子の身にて夜を冒して來つるをば、蓮葉のものと卑下み給はん事もあらば如何にすべき。將また、千束の文に一言も返さざりし我が無情を恨み給はん時、いかに應へすべき、など思ひ惑ひ、恥かしさも催されて、御所を拔出でしときの心の雄々しさ、今更怪しまるゝばかりなり。斯くて果つべきに非ざれば、辛く我れと我身に思ひ決め、ふと首を擧ぐれば、振鈴の響耳に迫りて、身は何時しか庵室の前に立ちぬ。月の光にすかし見れば、半ば頽れし門の廂に蟲食みたる一面の古額、文字は危げに往生院と讀まれたり。
横笛四邊を打ち見やれば、八重葎茂りて門を閉ぢ、拂はぬ庭に落葉積りて、秋風吹きし跡もなし。松の袖垣隙あらはなるに、葉は枯れて蔓のみ殘れる蔦生えかゝりて、古き梢の夕嵐、軒もる月の影ならでは訪ふ人もなく荒れ果てたり。檐は朽ち柱は傾き、誰れ棲みぬらんと見るも物憂げなる宿の態。扨も世を無常と觀じては斯かる侘しき住居も、大梵高臺の樂みに換ヘらるゝものよと思へば、主の貴さも彌増して、今宵の我身やゝ愧かしく覺ゆ。庭の松が枝に釣したる、仄暗き鐵燈籠の光に檐前を照らさせて、障子一重の内には振鈴の聲、急がず緩まず、四曼不離の夜毎の行業に慣れそめてか、籬の蟲の駭かん樣も見えず。横笛今は心を定め、ほとほとと門を音づるれども答なし。玉を延べたらん如き纖腕痲るゝばかりに打敲けども應ぜん氣はひも見えず。實に佛者は行の半には、王侯の召にも應ぜずとかや、我ながら心なかりしと、暫し門下に彳みて、鈴の音の絶えしを待ちて復び門を敲けば、内には主の聲として、『世を隔てたる此庵は、夜陰に訪はるゝ覺なし、恐らく門違にても候はんか』。横笛潛めし聲に力を入れて、『大方ならぬ由あればこそ、夜陰に御業を驚かし參らせしなれ。庵は往生院と覺ゆれば、主の御身は、小松殿の御内なる齋藤瀧口殿にてはお在さずや』。『如何にも某が世に在りし時の名は齋藤瀧口にて候ひしが、そを尋ねらるゝ御身はそも何人』。『妾こそは中宮の曹司横笛と申すもの、隨意ならぬ世の義理に隔てられ、世にも厚き御情に心にもなき情なき事の數々、只今の御身の上と聞き侍りては、悲しさ苦しさ、女子の狹き胸一つには納め得ず、知られで永く已みなんこと口惜しく、一には妾が眞の心を打明け、且つは御身の恨みの程を承はらん爲に茲まで迷ひ來りしなれ。こゝ開け給へ瀧口殿』。言ふと其儘、門の扉に身を寄せて、聲を潛びて泣き居たり。
瀧口はしばらく應へせず、やゝありて、『如何に女性、我れ世に在りし時は、御所に然る人あるを知りし事ありしが、我が知れる其人は我れを知らざる筈なり、されば今宵我れを訪れ給へる御身は、我が知れる横笛にてはよもあらじ。良しや其人なりとても、此世の中に心は死して、殘る體は空蝉の我れ、我れに恨みあればとて、そを言ふの要もなく、よし又人に誠あらばとて、そを聞かん願ひもなし。一切諸縁に離れたる身、今更ら返らぬ世の浮事を語り出でて何かせん。聞き給へや女性、何事も過ぎにし事は夢なれば、我れに恨みありとな思ひ給ひそ。己れに情なきものの善知識となれる例、世に少からず、誠に道に入りし身の、そを恨みん謂れやある。されば遇うて益なき今宵の我れ、唯々何事も言はず、此儘歸り給へ。二言とは申すまじきぞ、聞き分け給ひしか、横笛殿』。
第二十
因果の中に哀れを含みし言葉のふし/″\、横笛が悲しさは百千の恨みを聞くよりもまさり、『其の御語、いかで仇に聞侍るべき、只々親にも許さぬ胸の中、女子の恥をも顧みず、聞え參らせんずるをば、聞かん願ひなしと仰せらるゝこそ恨みなれ。情なかりし昔の報いとならば、此身を千千に刻まるゝとも露壓はぬに、憖ひ仇を情の御言葉は、心狹き妾に、恥ぢて死ねとの御事か。無情かりし妾をこそ憎め、可惜武士を世の外にして、樣を變へ給ふことの恨めしくも亦痛はしけれ。茲開け給へ、思ひ詰めし一念、聞き給はずとも言はでは已まじ。喃瀧口殿、ここ開け給へ、情なきのみが佛者かは』。喃々と門を叩きて、今や開くると待侘ぶれども、内には寂然として聲なし。やゝありて人の立居する音の聞ゆるに、嬉しやと思ひきや、振鈴の響起りて、りん/\と鳴り渡るに、是れはと駭く横笛が、呼べども叫べども答ふるものは庭の木立のみ。
月稍々西に傾きて、草葉に置ける露白く、桂川の水音幽に聞えて、秋の夜寒に立つ鳥もなき眞夜中頃、往生院の門下に蟲と共に泣き暮らしたる横笛、哀れや、紅花緑葉の衣裳、涙と露に絞るばかりになりて、濡れし袂に裹みかねたる恨みのかず/\は、そも何處までも浮世ぞや。我れから踏める己が影も、萎るゝ如く思ほえて、情なき人に較べては、月こそ中々に哀れ深けれ。横笛、今はとて、涙に曇る聲張上げて、『喃、瀧口殿、葉末の露とも消えずして今まで立ちつくせるも、妾が赤心打明けて、許すとの御身が一言聞かんが爲め、夢と見給ふ昔ならば、情なかりし横笛とは思ひ給はざるべきに、など斯くは慈悲なくあしらひ給ふぞ、今宵ならでは世を換へても相見んことのありとも覺えぬに、喃、瀧口殿』。
春の花を欺く姿、秋の野風に暴して、恨みさびたる其樣は、如何なる大道心者にても、心動かんばかりなるに、峰の嵐に埋れて嘆きの聲の聞えぬにや、鈴の音は調子少しも亂れず、行ひすましたる瀧口が心、飜るべくも見えざりけり。
何とせん術もあらざれば、横笛は泣く/\元來し路を返り行きぬ。氷の如く澄める月影に、道芝の露つらしと拂ひながら、ゆりかけし丈なる髮、優に波打たせながら、畫にある如き乙女の歩姿は、葛飾の眞間の手古奈が昔偲ばれて、斯くもあるべしや。あはれ横笛、乙女心の今更に、命に懸けて思ひ決めしこと空となりては、歸り路に足進まず、我れやかたき、人や無情き、嵯峨の奧にも秋風吹けば、いづれ浮世には漏れざりけり。
第二十一
胸中一戀字を擺脱すれば、便ち十分爽淨、十分自在。人生最も苦しき處、只々是れ此の心。然ればにや失意の情に世をあぢきなく觀じて、嵯峨の奧に身を捨てたる齋藤時頼、瀧口入道と法の名に浮世の名殘を留むれども、心は生死の境を越えて、瑜伽三密の行の外、月にも露にも唱ふべき哀れは見えず、荷葉の三衣、秋の霜に堪へ難けれども、一杖一鉢に法捨を求むるの外、他に望なし。實にや輪王位高けれども七寶終に身に添はず、雨露を凌がぬ檐の下にも圓頓の花は匂ふべく、眞如の月は照らすべし。旦に稽古の窓に凭れば、垣を掠めて靡く霧は不斷の烟、夕に鑽仰の嶺を攀づれば、壁を漏れて照る月は常住の燭、晝は御室、太秦、梅津の邊を巡錫して、夜に入れば、十字の繩床に結跏趺坐して[14]※阿の行業に夜の白むを知らず。されば僧坊に入りてより未だ幾日も過ぎざるに、苦行難業に色黒み、骨立ち、一目にては十題判斷の老登科とも見えつべし。あはれ、厚塗の立烏帽子に鬢を撫上げし昔の姿、今安くにある。今年二十三の壯年とは、如何にしても見えざりけり。
顧みれば瀧口、性質にもあらで形容邊幅に心を惱めたりしも戀の爲なりき。仁王とも組んず六尺の丈夫、體のみか心さへ衰へて、めゝしき哀れに弓矢の恥を忘れしも戀の爲なりき。思ヘば戀てふ惡魔に骨髓深く魅入られし身は、戀と共に浮世に斃れんか、將た戀と共に世を捨てんか、擇ぶベき途只々此の二つありしのみ。時頼世を無常と觀じては、何恨むべき物ありとも覺えず、武士を去り、弓矢を捨て、君に離れ、親を辭し、一切衆縁を擧げ盡して戀てふ惡魔の犧牲に供へ、跡に殘るは天地の間に生れ出でしまゝの我身瀧口時頼、命とともに受繼ぎし濶達の氣風再び欄漫と咲き出でて、容こそ變れ、性質は戀せぬ前の瀧口に少しも違はず。名利の外に身を處けば、自から嫉妬の念も起らず、憎惡の情も萌さず、山も川も木も草も、愛らしき垂髫も、醜き老婆も、我れに惠む者も、我れを賤しむ者も、我れには等しく可愛らしく覺えぬ。げに一視平等の佛眼には四海兄弟と見えしとかや。病めるものは之を慰め、貧しきものは之を分ち、心曲りて郷里の害を爲すものには因果應報の道理を諭し、凡て人の爲め世の爲めに益あることは躊躇ふことなく爲し、絶えて彼此の差別なし。然れば瀧口が錫杖の到る所、其風を慕ひ其徳を仰がざるはなかりけり。或時は里の子供等を集めて、昔の剛者の物語など面白く言ひ聞かせ、喜び勇む無邪氣なる者の樣を見て呵々と打笑ふ樣、二十三の瀧口、何日の間に習ひ覺えしか、さながら老翁の孫女を弄ぶが如し。
斯くて風月ならで訪ふ人もなき嵯峨野の奧に、世を隔てて安らけき朝夕を樂しみ居しに、世に在りし時は弓矢の譽も打捨て、狂ひ死に死なんまで焦れし横笛。親にも主にも振りかへて戀の奴となりしまで慕ひし横笛。世を捨て樣を變へざれば、吾から懸けし戀の絆を解く由もなかりし横笛。其の横笛の音づれ來しこそ意外なれ。然れど瀧口、口にくはへし松が枝の小搖ぎも見せず。見事振鈴の響に耳を澄まして、含識の流、さすがに濁らず。思へば悟道の末も稍々頼もしく、風白む窓に、傾く月を麾きて冷かに打笑める顏は、天晴大道心者に成りすましたり。
* *
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さるにても横笛は如何になりつるや、往生院の門下に一夜を立ち明かして曉近く御所に還り、後の二三日は何事もなく暮せしが、間もなく行衞知れずなりて、其部屋の壁には日頃手慣れし古桐の琴、主待ちげに見ゆるのみ。
第二十二
或日、天長閑に晴れ渡り、衣を返す風寒からず、秋蝉の翼暖む小春の空に、瀧口そゞろに心浮かれ、常には行かぬ桂、鳥羽わたり巡錫して、嵯峨とは都を隔てて南北、深草の邊に來にける。此あたりは山近く林密にして、立田の姫が織り成せる木々の錦、二月の花よりも紅にして、匂あらましかばと惜しまるゝ美しさ、得も言はれず。薪採る翁、牛ひく童、餘念なく歌ふ節、餘所に聞くだに樂しげなり。瀧口行く/\四方の景色を打ち眺め、稍々疲れを覺えたれば、とある路傍の民家に腰打ち掛けて、暫く休らひぬ。主婦は六十餘とも覺しき老婆なり、一椀の白湯を乞ひて喉を濕し、何くれとなき浮世話の末、瀧口、『愚僧が庵は嵯峨の奧にあれば、此わたりには今日が初めて。何處にも土地珍しき話一つはある物ぞ、何れ名にし負はば、哀れも一入深草の里と覺ゆるに、話して聞かせずや』。老女は笑ひながら、『かゝる片邊なる鄙には何珍しき事とてはなけれども、其の哀れにて思ひ出だせし、世にも哀れなる一つの話あり。問ひ給ひしが困果、事長くとも聞き給へ。御身の茲に來られし途すがら、溪川のある邊より、山の方にわびしげなる一棟の僧庵を見給ひしならん。其庵の側に一つの小やかなる新塚あり、主が名は言はで、此の里人は只々戀塚々々と呼びなせり。此の戀塚の謂に就きて、最とも哀れなる物語の候なり』。『戀塚とは餘所ながら床しき思ひす、剃らぬ前の我も戀塚の主に半ばなりし事あれば』。言ひつゝ瀧口は呵々と打笑へば、老婆は打消し、『否、笑ふことでなし。此月の初頃なりしが、畫にある樣な[15]上※の如何なる故ありてか、かの庵室に籠りたりと想ひ給へ。花ならば蕾、月ならば新月、いづれ末は玉の輿にも乘るべき人が、品もあらんに世を外なる尼法師に樣を變へたるは、慕ふ夫に別れてか、情なき人を思うてか、何の途、戀路ならんとの噂。薪とる里人の話によれば、庵の中には玉を轉ばす如き柔しき聲して、讀經の響絶ゆる時なく、折々閼伽の水汲みに、谷川に下りし姿見たる人は、天人の羽衣脱ぎて袈裟懸けしとて斯くまで美しからじなど罵り合へりし。心なき里人も世に痛はしく思ひて、色々の物など送りて慰むる中、かの上※[16]は思重りてや、病みつきて程も經ず返らぬ人となりぬ。言ひ殘せし片言だになければ、誰れも尼になるまでの事の由を知らず、里の人々相集りて涙と共に庵室の側らに心ばかりの埋葬を營みて、卒塔婆一基の主とはせしが、誰れ言ふとなく戀塚々々と呼びなしぬ。來慣れぬ此里に偶々來て此話を聞かれしも他生の因縁と覺ゆれば、歸途には必らず立寄りて一片の[17]※向をせられよ。いかに哀れなる話に候はずや』。老婆は話し了りて、燃えぬ薪の烟に咽びて、涙押拭ひぬ。
瀧口もやゝ哀れを催して、『そは氣の毒なる事なり、其の上※[18]は何處の如何なる人なりしぞ』。『人の噂に聞けば、御所の曹司なりとかや』。『ナニ曹司とや、其の名は聞き知らずや』。『然れば、最とやさしき名と覺えしが、何とやら、おゝ――それ慥に横笛とやら言ひし。嵯峨の奧に戀人の住めると、人の話なれども、定かに知る由もなし。聞けば御僧の坊も同じ嵯峨なれば、若し心當の人もあらば、此事傳へられよ。同じ世に在りながら、斯かる婉やかなる上※[19]の樣を變へ、思ひ死するまでに情なかりし男こそ、世に罪深き人なれ。他し人の事ながら、誠なき男見れば取りも殺したく思はるゝよ』。餘所の恨みを身に受けて、他とは思はぬ吾が哀れ、老いても女子は流石にやさし。瀧口が樣見れば、先の快げなる氣色に引きかへて、首を垂れて物思ひの體なりしが、やゝありて、『あゝ餘りに哀れなる物語に、法體にも恥ぢず、思はず落涙に及びたり。主婦が言に從ひ、愚僧は之れより其の戀塚とやらに立寄りて、暫し[20]※向の杖を停めん』。
網代の笠に夕日を負うて立ち去る瀧口入道が後姿、頭陀の袋に麻衣、鐵鉢を掌に捧げて、八つ目のわらんづ踏みにじる、形は枯木の如くなれども、息ある間は血もあり涙もあり。
第二十三
深草の里に老婆が物語、聞けば他事ならず、いつしか身に振りかゝる哀の露、泡沫夢幻と悟りても、今更ら驚かれぬる世の起伏かな。樣を變へしとはそも何を觀じての發心ぞや、憂ひに死せしとはそも誰れにかけたる恨みぞ。あゝ横笛、吾れ人共に誠の道に入りし上は、影よりも淡き昔の事は問ひもせじ語りもせじ、閼伽の水汲み絶えて流れに宿す影留らず、觀經の音已みて梢にとまる響なし。いづれ業繋の身の、心と違ふ事のみぞ多かる世に、夢中に夢を喞ちて我れ何にかせん。
瀧口入道、横笛が墓に來て見れば、墓とは名のみ、小高く盛りし土饅頭の上に一片の卒塔婆を立てしのみ。里人の手向けしにや、半枯れし野菊の花の仆れあるも哀れなり。四邊は斷草離離として趾を着くべき道ありとも覺えず、荒れすさぶ夜々の嵐に、ある程の木々の葉吹き落とされて、山は面痩せ、森は骨立ちて目もあてられぬ悲慘の風景、聞きしに増りて哀れなり。ああ是れぞ横笛が最後の住家よと思へば、流石の瀧口入道も法衣の袖を絞りあへず、世にありし時は花の如き艷やかなる乙女なりしが、一旦無常の嵐に誘はれては、いづれ遁れぬ古墳の一墓の主かや。そが初めの内こそ憐れと思ひて香花を手向くる人もあれ、やがて星移り歳經れば、冷え行く人の情に隨れて顧みる人もなく、あはれ何れをそれと知る由もなく荒れ果てなんず、思へば果敢なの吾れ人が運命や。都大路に世の榮華を嘗め盡すも、賤が伏屋に畦の落穗を拾ふも、暮らすは同じ五十年の夢の朝夕。妻子珍寶及王位、命終る時に隨ふものはなく、野邊より那方の友とては、結脈一つに珠數一聯のみ。之を想へば世に悲しむべきものもなし。
瀧口衣の袖を打はらひ、墓に向つて合掌して言へらく、『形骸は良しや冷土の中に埋れても、魂は定かに六尺の上に聞こしめされん。そもや御身と我れ、時を同うして此世に生れしは過世何の因、何の果ありてぞ。同じ哀れを身に擔うて、そを語らふ折もなく、世を隔て樣を異にして此の悲しむべき對面あらんとは、そも又何の業、何の報ありてぞ。我は世に救ひを得て、御身は憂きに心を傷りぬ。思へば三界の火宅を逃れて、聞くも嬉しき眞の道に入りし御身の、欣求淨土の一念に浮世の絆を解き得ざりしこそ恨みなれ。戀とは言はず、情とも謂はず、遇ふや柳因、別るゝや絮果、いづれ迷は同じ流轉の世事、今は言ふべきことありとも覺えず。只々此上は夜毎の松風に御魂を澄されて、未來の解脱こそ肝要なれ。仰ぎ願くは三世十方の諸佛、愛護の御手を垂れて出離の道を得せしめ給へ。過去精麗、出離生死、證大菩提』。生ける人に向へるが如く言ひ了りて、暫し默念の眼を閉ぢぬ。花の本の半日の客、月の前の一夜の友も、名殘は惜しまるゝ習ひなるに、一向所感の身なれば、先の世の法縁も淺からず思はれ、流石の瀧口、限りなき感慨胸に溢れて、轉々今昔の情に堪へず。今かゝる哀れを見んことは、神ならぬ身の知る由もなく、嵯峨の奧に夜半かけて迷ひ來りし時は我れ情なくも門をば開けざりき。恥をも名をも思ふ遑なく、樣を變へ身を殺す迄の哀れの深さを思へば、我れこそ中々に罪深かりけれ。あゝ横笛、花の如き姿今いづこにある、菩提樹の蔭、明星額を照らす邊、耆闍窟の中、香烟肘を繞るの前、昔の夢を空と見て、猶ほ我ありしことを思へるや否。逢ひ見しとにはあらなくに、別れ路つらく覺ゆることの、我れながら訝しさよ。思ひ胸に迫りて、吁々と吐く太息に覺えず我れに還りて首を擧ぐれば日は半西山に入りて、峰の松影色黒み、落葉を誘ふ谷の嵐、夕ぐれ寒く身に浸みて、ばら/\と顏打つものは露か時雨か。
第二十四
其の年の秋の暮つかた、小松の内大臣重盛、豫ての所勞重らせ給ひ、御年四十三にて薨去あり。一門の人々、思顧の侍は言ふも更なり、都も鄙もおしなべて、悼み惜しまざるはなく、町家は商を休み、農夫は業を廢して哀號の聲到る處に充ちぬ。入道相國が非道の擧動に御恨みを含みて時の亂を願はせ給ふ法住寺殿の院と、三代の無念を呑みて只すら時運の熟すを待てる源氏の殘黨のみ、内府が遠逝を喜べりとぞ聞えし。
士は己れを知れる者の爲に死せんことを願ふとかや。今こそ法體なれ、ありし昔の瀧口が此君の御爲ならばと誓ひしは天が下に小松殿只一人。父祖十代の御恩を集めて此君一人に報し參らせばやと、風の旦、雪の夕、蛭卷のつかの間も忘るゝ隙もなかりしが、思ひもかけぬ世の波風に、身は嵯峨の奧に吹き寄せられて、二十年來の志も皆空事となりにける。世に望みなき身ながらも、我れから好める斯かる身の上の君の思召の如何あらんと、折々思ひ出だされては流石に心苦しく、只々長き將來に覺束なき機會を頼みしのみ。小松殿逝去と聞きては、それも協はず、御名殘今更に惜しまれて、其日は一日坊に閉籠りて、内府が平生など思ひ出で、[21]※向三昧に餘念なく、夜に入りては讀經の聲いと蕭やかなりし。
先には横笛、深草の里に哀れをとゞめ、今は小松殿、盛年の御身に世をかへ給ふ。彼を思ひ是を思ふに、身一つに降りかゝる憂き事の露しげき今日此ごろ、瀧口三衣の袖を絞りかね、法體の今更遣瀬なきぞいぢらしき。實にや縁に從つて一念頓に事理を悟れども、曠劫の習氣は一朝一夕に淨むるに由なし。變相殊體に身を苦しめて、有無流轉と觀じても、猶ほ此世の悲哀に離れ得ざるぞ是非もなき。
徳を以て、將人を以て、柱とも石とも頼まれし小松殿、世を去り給ひしより、誰れ言ひ合はさねども、心ある者の心にかゝるは、同じく平家の行末なり。四方の波風靜にして、世は盛りとこそは見ゆれども、入道相國が多年の非道によりて、天下の望み已に離れ、敗亡の機はや熟してぞ見えし。今にも蛭が小島の頼朝にても、筑波おろしに旗揚げんには、源氏譜代の恩顧の士は言はずもあれ、苟も志を當代に得ず、怨みを平家に銜める者、響の如く應じて關八州は日ならず平家の有に非ざらん。萬一斯かる事あらんには、大納言殿(宗盛)は兄の内府にも似ず、暗弱の性質なれば、素より物の用に立つべくもあらず。御子三位の中將殿(維盛)は歌道より外に何長じたる事なき御身なれば、紫宸殿の階下に源家の嫡流と相挑みし父の卿の勇膽ありとしも覺えず。頭の中將殿(重衡)も管絃の奏こそ巧みなれ、千軍萬馬の間に立ちて采配とらん器に非ず。只々數多き公卿殿上人の中にて、知盛、教經の二人こそ天晴未來事ある時の大將軍と覺ゆれども、これとても螺鈿の細太刀に風雅を誇る六波羅上下の武士を如何にするを得べき。中には越中次郎兵衞盛次、上總五郎兵衞忠光、惡七兵衞景清なんど、名だたる剛者なきにあらねど、言はば之れ匹夫の勇にして、大勢に於て元より益する所なし。思へば風前の燈に似たる平家の運命かな。一門上下花に醉ひ、月に興じ、明日にも覺めなんず榮華の夢に、萬代かけて行末祝ふ、武運の程ぞ淺ましや。
入道ならぬ元の瀧口は平家の武士。忍辱の衣も主家興亡の夢に襲はれては、今にも掃魔の堅甲となりかねまじき風情なり。
第二十五
其年も事なく暮れて、明くれば治承四年、淨海が暴虐は猶ほ已まず、殿とは名のみ、蜘手結びこめぬばかりの鳥羽殿には、去年より法皇を押籠め奉るさへあるに、明君の聞え高き主上をば、何の恙もお在さぬに、是非なくおろし參らせ、清盛の女が腹に生れし春宮の今年僅に三歳なるに御位を讓らせ給ふ。あはれ聞きも及ばぬ奇怪の讓位かなとおもはぬ人ぞなかりける。一秋毎に細りゆく民の竈に立つ烟、それさへ恨みと共に高くは上らず。野邊の草木にのみ春は歸れども、世はおしなべて秋の暮、枯枝のみぞ多かりける。元より民の疾苦を顧みるの入道ならねば、野に立てる怨聲を何處の風とも氣にかけず、或は嚴島行幸に一門の榮華を傾け盡し、或は新都の經營に近畿の人心を騷がせて少しも意に介せず。世を恨み義に勇みし源三位、數もなき白旗殊勝にも宇治川の朝風に飜へせしが、脆くも破れて空しく一族の血汐を平等院の夏草に染めたりしは、諸國源氏が旗揚の先陣ならんとは、平家の人々いかで知るべき。高倉の宮の宣旨、木曾の北、關の東に普ねく渡りて、源氏興復の氣運漸く迫れる頃、入道は上下萬民の望みに背き、愈々都を攝津の福原に遷し、天下の亂れ、國土の騷ぎを露顧みざるは、抑々之れ滅亡を速むるの天意か。平家の末はいよ/\遠からじと見えにけり。
右兵衞佐(頼朝)が旗揚に、草木と共に靡きし關八州、心ある者は今更とも思はぬに、大場の三郎が早馬ききて、夢かと驚きし平家の殿原こそ不覺なれ。討手の大將、三位中將維盛卿、赤地の錦の直垂に萌黄匂の鎧は天晴平門公子の容儀に風雅の銘を打つたれども、富士河の水鳥に立つ足もなき十萬騎は、關東武士の笑ひのみにあらず。前の非を悟りて舊都に歸り、さては奈良炎上の無道に餘忿を漏らせども、源氏の勢は日に加はるばかり、覺束なき行末を夢に見て其年も打ち過ぎつ。治承五年の春を迎ふれば、世愈々亂れ、都に程なき信濃には、木曾の次郎が兵を起して、兵衞佐と相應じて其勢ひ破竹の如し。傾危の際、老いても一門の支柱となれる入道相國は折柄怪しき病ひに死し、一門狼狽して爲す所を知らず。墨股の戰ひに少しく會稽の恥を雪ぎたれども、新中納言(知盛)軍機を失して必勝の機を外し、木曾の壓と頼みし城の四郎が北陸の勇を擧りし四萬餘騎、餘五將軍の遺武を負ひながら、横田河原の一戰に脆くも敗れしに驚きて、今はとて平家最後の力を盡して北に打向ひし十五萬餘騎、一門の存亡を賭せし倶利加羅、篠原の二戰に、哀れや殘り少なに打ちなされ、背疵抱へて、すごすご都に歸り來りし、打漏されの見苦しさ。木曾は愈々勢ひに乘りて、明日にも都に押寄せんず風評、平家の人々は今は居ながら生ける心地もなく、然りとて敵に向つて死する力もなし。木曾をだに支へ得ざるに、關東の頼朝來らば如何にすべき、或は都を枕にして討死すべしと言へば、或は西海に走つて再擧を謀るべしと説き、一門の評議まち/\にして定まらず。前には邦家の急に當りながら、後には人心の赴く所一ならず、何れ變らぬ亡國の末路なりけり。
平和の時こそ、供花燒香に經を飜して、利益平等の世とも感ぜめ、祖先十代と己が半生の歴史とを刻みたる主家の運命日に非なるを見ては、眼を過ぐる雲煙とは瀧口いかで看過するを得ん。人の噂に味方の敗北を聞く毎に、無念さ、もどかしさに耐へ得ず、雙の腕を扼して法體の今更變へ難きを恨むのみ。
或日瀧口、閼伽の水汲まんとて、まだ明けやらぬ空に往生院を出でて、近き泉の方に行きしに、都六波羅わたりと覺しき方に、一道の火焔天を焦して立上れり。そよとだに風なき夏の曉に、遠く望めば只々朝紅とも見ゆべかんめり。風靜なるに、六波羅わたり斯かる大火を見るこそ訝しけれ。いづれ唯事ならじと思へば何となく心元なく、水汲みて急ぎ坊に歸り、一杖一鉢、常の如く都をさして出で行きぬ。
第二十六
瀧口入道、都に來て見れば、思ひの外なる大火にて、六波羅、池殿、西八條の邊より京白川四五萬の在家、方に煙の中にあり。洛中の民はさながら狂せるが如く、老を負ひ幼を扶けて火を避くる者、僅の家財を携へて逃ぐる者、或は雜沓の中に傷きて助けを求むる者、或は連れ立ちし人に離れて路頭に迷へる者、何れも容姿を取り亂して右に走り左に馳せ、叫喚呼號の響、街衢に充ち滿ちて、修羅の巷もかくやと思はれたり。只々見る幾隊の六波羅武者、蹄の音高く馳せ來りて、人波打てる狹き道をば、容赦もなく蹴散し、指して行衞は北鳥羽の方、いづこと問へど人は知らず、平家一門の邸宅、武士の宿所、殘りなく火中にあれども消し止めんとする人の影見えず。そも何事の起れるや、問ふ人のみ多くして、答ふる者はなし。全都の民は夢に夢見る心地して、只々心安からず惶れ惑へるのみ。
瀧口、事の由を聞かん由もなく、轟く胸を抑へつゝ、朱雀の方に來れば、向ひより形亂せる二三人の女房の大路を北に急ぎ行くに、瀧口呼留めて事の由を尋ぬれば、一人の女房立留りて悲しげに、『未だ聞かれずや、大臣殿(宗盛)の思召にて、主上を始め一門殘らず西國に落ちさせ給ふぞや、もし縁の人ならば跡より追ひつかれよ』。言捨てて忙しげに走り行く。瀧口、あッとばかりに呆れて、さそくの考も出でず、鬼の如き兩眼より涙をはら/\と流し、恨めしげに伏見の方を打ち見やれば、明けゆく空に雲行のみ早し。
榮華の夢早や覺めて、沒落の悲しみ方に來りぬ。盛衰興亡はのがれぬ世の習なれば、平家に於て獨り歎くべきに非ず。只々まだ見ぬ敵に怯をなして、輕々しく帝都を離れ給へる大臣殿の思召こそ心得ね。兎ても角ても叶はぬ命ならば、御所の礎枕にして、魚山の夜嵐に屍を吹かせてこそ、散りても芳しき天晴名門の末路なれ。三代の仇を重ねたる關東武士が野馬の蹄に祖先の墳墓を蹴散させて、一門おめ/\西海の陲に迷ひ行く。とても流さん末の慫名はいざ知らず、まのあたり百代までの恥辱なりと思はぬこそ是非なけれ。
瀧口はしばし無念の涙を絞りしが、せめて燒跡なりとも弔はんと、西八條の方に辿り行けば、夜半にや立ちし、早や落人の影だに見えず、昨日までも美麗に建て連ねし大門高臺、一夜の煙と立ち昇りて、燒野原、茫々として立木に迷ふ鳥の聲のみ悲し。燒け殘りたる築垣の蔭より、屋方の跡を眺むれば、朱塗の中門のみ半殘りて、門もる人もなし。嗚呼、被官郎黨の日頃寵に誇り恩を恣にせる者、そも幾百千人の多きぞや。思はざりき、主家仆れ城地亡びて、而かも一騎の屍を其の燒跡に留むる者なからんとは。げにや榮華は夢か幻か、高厦十年にして立てども一朝の煙にだも堪へず、朝夕玉趾珠冠に容儀正し、參仕拜趨の人に册かれし人、今は長汀の波に漂ひ、旅泊の月に[22][23]※※ひて、思寢に見ん夢ならでは還り難き昔、慕うて益なし。有爲轉變の世の中に、只々最後の潔きこそ肝要なるに、天に背き人に離れ、いづれ遁れぬ終をば、何處まで惜しまるゝ一門の人々ぞ。彼を思ひ是を思ひ、瀧口は燒跡にたゝずみて、暫時感慨の涙に暮れ居たり。
稍々ありて太息と共に立上り、昔ありし我が屋數を打見やれば、其邊は一面の灰燼となりて、何處をそれとも見別け難し。さても我父は如何にしませしか、一門の人々と共に落人にならせ給ひしか。御老年の此期に及びて、斯かる大變を見せ參らするこそうたてき限りなれ。瀧口今は、誰れ知れる人もなき跡ながら、昔の盛り忍ばれて、盡きぬ名殘に幾度か[24]振※りつ、持ちし錫杖重げに打ち鳴らして、何思ひけん、小松殿の墓所指して立去りし頃は、夜明け、日も少しく上りて、燒野に引ける垣越の松影長し。
第二十七
世の果は何處とも知らざれば、亡き人の碑にも萬代かけし小松殿内府の墳墓、見上ぐるばかりの石の面に彫り刻みたる淨蓮大禪門の五字、金泥の色洗ひし如く猶ほ鮮なり。外には沒落の嵐吹き荒さみて、散り行く人の忙しきに、一境闃として聲なき墓門の靜けさ、鏘々として響くは松韵、戞々として鳴るは聯珠、世の哀れに感じてや、鳥の歌さへいと低し。
墓の前なる石階の下に跪きて默然として祈念せる瀧口入道、やがて頭を擧げ、泣く/\御墓に向ひて言ひけるは、『あゝ淺ましき御一門の成れの果、草葉の蔭に加何に御覽ぜられ候やらん。御墓の石にまだ蒸す苔とてもなき今の日に、早や退沒の悲しみに遇はんとは申すも中々に愚なり。御靈前に香華を手向くるもの明日よりは有りや無しや。北國、關東の夷共の、君が安眠の砌を駭かせ參らせん事、思へば心外の限りにこそ候へ。君は元來英明にましませば、事今日あらんこと、かねてより悟らせ給ひ、神佛三寶に祈誓して御世を早うさせ給ひけるこそ、最と有り難けれ。夢にも斯くと知りなば不肖時頼、直ちに後世の御供仕るべう候ひしに、性頑冥にして悟り得ず、望みなき世に長生へて斯かる無念をまのあたり見る事のかへすがへすも口惜しう候ふぞや、時頼進んでは君が鴻恩の萬一に答ふる能はず、退いては亡國の餘類となれる身の、今更君に合はす面目も候はず。あはれ匹夫の身は物の數ならず、願ふは尊靈の冥護を以て、世を昔に引き返し、御一門を再び都に納れさせ給へ』。
急きくる涙に咽びながら、掻き口説く言の葉も定かならず、亂れし心を押し鎭めつ、眼を閉ぢ首を俯して石階の上に打伏せば、あやにくや、沒落の今の哀れに引き比べて、盛りなりし昔の事、雲の如く胸に湧き、祈念の珠數にはふり落つる懷舊の涙のみ滋し。あゝとばかり我れ知らず身を振はして立上り、踉めく體を踏みしむる右手の支柱、曉の露まだ冷やかなる内府の御墳、哀れ榮華十年の遺物なりけり。
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盛りの花と人に惜しまれ、世に歌はれて、春の眞中に散りにし人の羨まるゝ哉。陽炎の影より淡き身を憖ひ生き殘りて、木枯嵐の風の宿となり果てては、我が爲に哀れを慰むる鳥もなし、家仆れ國滅びて六尺の身おくに處なく、天低く地薄くして昔をかへす夢もなし。――吁々思ふまじ、我ながら不覺なりき、修行の肩に歌袋かけて、天地を一爐と觀ぜし昔人も有りしに、三衣を纏ひ一鉢を捧ぐる身の、世の盛衰に離れ得ず、生死流轉の間に彷徨へるこそ口惜しき至りなれ。世を捨てし昔の心を思ひ出せば、良しや天落ち地裂くるとも、今更驚く謂れやある。常なしと見つる此世に悲しむべき秋もなく、喜ぶべき春もなく、青山白雲長へに青く長へに白し。あはれ、本覺大悟の智慧の火よ、我が胸に尚ほ蛇の如く[25]※はれる一切煩惱を渣滓も殘らず燒き盡せよかし。
斯くて瀧口、主家の大變に動きそめたる心根を、辛くも抑へて、常の如く嵯峨の奧に朝夕の行を懈らざりしが、都近く住みて、變り果てし世の様を見る事を忍び得ざりけん、其年七月の末、久しく住みなれし往生院を跡にして、飄然と何處ともなく出で行きぬ。
第二十八
昨日は東關の下に轡竝べし十萬騎、今日は西海の波に漂ふ三千餘人。強きに附く人の情なれば、世に落人の宿る蔭はなく、太宰府の一夜の夢に昔を忍ぶ遑もあらで、緒方に追はれ、松浦に逼られ、九國の山野廣けれども、立ち止まるべき足場もなし。去年は九重の雲に見し秋の月を、八重の汐路に打眺めつ、覺束なくも明かし暮らせし壽永二年。水島、室山の二戰に勝利を得しより、勢ひ漸く強く、頼朝、義仲の爭ひの隙に山陰、山陽を切り從へ、福原の舊都まで攻上りしが、一の谷の一戰に源九郎が爲に脆くも打破られ、須磨の浦曲の潮風に、散り行く櫻の哀れを留めて、落ち行く先は、門司、赤間の元の海、六十餘州の半を領せし平家の一門、船を繋ぐべき渚だになく、波のまに/\行衞も知らぬ梶枕、高麗、契丹の雲の端までもとは思へども、流石忍ばれず。今は屋島の浦に錨を留めて、只すら最後の日を待てるぞ哀れなる。
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壽永三年三月の末、夕暮近き頃、紀州高野山を上り行く二人の旅人ありけり。浮世を忍ぶ旅路なればにや、一人は深編笠に面を隱して、顏容知るに由なけれども、其の裝束は世の常ならず、古錦襴の下衣に、紅梅萌黄の浮文に張裏したる狩衣を着け、紫裾濃の袴腰、横幅廣く結ひ下げて、平塵の細鞘、優に下げ、摺皮の踏皮に同じ色の行纏穿ちしは、何れ由緒ある人の公達と思はれたり。他の一人は年の頃廿六七、前なる人の從者と覺しく、日に燒け色黒みたれども、眉秀いで眼涼しき優男、少し色剥げたる厚塗の立烏帽子に卯の花色の布衣を着け、黒塗の野太刀を佩きたり。放慣れぬにや、將永の徒歩に疲れしにや、二人とも弱り果てし如く、踏み締むる足に力なく青竹の杖に身を持たせて、主從相扶け、喘ぎ/\上り行く高野の山路、早や夕陽も名殘を山の巓に留めて、崖の陰、森の下、恐ろしき迄に黒みたり。祕密の山に常夜の燈なければ、あなたの木の根、こなたの岩角に膝を打ち足を挫きて、仆れんとする身を辛く支へ、主從手に手を取り合ひて、顏見合す毎に彌増る太息の數、春の山風身に染みて、入相の鐘の音に梵缶の響き幽なるも哀れなり。
十歩に小休、百歩に大憩、辛じて猶ほ上り行けば、讀經の聲、振鈴の響、漸く繁くなりて、老松古杉の木立を漏れて仄に見ゆる諸坊の燈、早や行先も遠からじと勇み勵みて行く程に、間もなく蓮生門を過ぎて主從御影堂の此方に立止まりぬ。從者は近き邊の院に立寄りて何事か物問ふ樣子なりしが、やがて元の所に立歸り、何やら主人に耳語けば、點頭きて尚も山深く上り行きぬ。
飛鈷地に落ちて嶮に生ひし古松の蔭、半立木を其儘に結びたる一個の庵室、夜毎の嵐に破れ寂びたる板間より、漏る燈の影暗く、香烟窓を迷ひ出で、心細き鈴の音、春ながら物さびたり。二人は此の庵室の前に立ち止まりしが、從者はやがて門に立ちよりて、『瀧口入道殿の庵室は茲に非ずや。遙々訪ね來りし主從二人、こゝ開け給へ』と呼ばはれば、内より燈提げて出來りたる一個の僧、『瀧口が庵は此處ながら、浮世の人にはる/″\訪はるゝ覺えはなきに』と言ひつゝ訝しげなる顏色して門を開けば、編笠脱ぎつゝ、ツと通る件の旅人、僧は一目見るより打驚き、砌にひたと頭を附けて、『これは/\』。
第二十九
世移り人失せぬれば、都は今は故郷ならず、滿目奮山川、眺むる我も元の身なれども、變り果てし盛衰に、憂き事のみぞ多かる世は、嵯峨の里も樂しからず、高野山に上りて早や三年、山遠く谷深ければ、入りにし跡を訪ふ人とてあらざれば、松風ならで世に友もなき庵室に、夜に入りて訪れし其人を誰れと思ひきや、小松の三位中將維盛卿にて、それに從へるは足助二郎重景ならんとは。夢かとばかり驚きながら、扶け參らせて一間に招じ、身は遙に席を隔てて拜伏しぬ。思ひ懸けぬ對面に左右の言葉もなく、先だつものは涙なり。瀧口つらつら御容姿を見上ぐれば、沒落以來、幾その艱苦を忍び給ひけん、御顏痩せ衰へ、青總の髮疏かに、紅玉の膚色消え、平門第一の美男と唱はれし昔の樣子、何こにと疑はるゝばかり、年にもあらで老い給ひし御面に、故内府の俤あるも哀れなり。『こは現とも覺え候はぬものかな。扨も屋島をば何として遁れ出でさせ給ひけん。當今天が下は源氏の勢に充ちぬるに、そも何地を指しての御旅路にて候やらん』。維盛卿は涙を拭ひ、『さればとよ、一門沒落の時は我も人竝に都を立ち出でて西國に下りしが、行くも歸るも水の上、風に漂ふ波枕に此三年の春秋は安き夢とてはなかりしぞや。或はよるべなき門司の沖に、磯の千鳥とともに泣き明かし、或は須磨を追はれて明石の浦に昔人の風雅を羨み、重ね重ねし憂事の數、堪へ忍ぶ身にも忍び難きは、都に殘せし妻子が事、波の上に起居する身のせん術なければ、此の年月は心にもなき疎遠に打過ぎつ。嘸や我を恨み居らんと思へば彌増す懷しさ。兎ても亡びんうたかたの身にしあれば、息ある内に、最愛しき者を見もし見られもせんと辛くも思ひ決め、重景一人伴ひ、夜に紛れて屋島を逃れ、數々の憂き目を見て、阿波の結城の浦より名も恐ろしき鳴門の沖を漕ぎ過ぎて、辛く此地までは來つるぞや。憐れと思へ瀧口』。打ち萎れし御有樣、重景も瀧口も只々袂を絞るばかりなり。瀧口、『優に哀れなる御述懷、覺えず法衣を沾し申しぬ。然るにても如何なれば都へは行き給はで、此山には上り給ひし』。維盛卿は太息吐き給ひ、『然ればなり、都に直に歸りたき心は山山なれども、熟々思へば、斯かる體にて關東武士の充てる都の中に入らんは、捕はれに行くも同じこと、先には本三位の卿(重衡)の一の谷にて擒となり、生恥を京鎌倉に曝せしさへあるに、我れ平家の嫡流として名もなき武士の手にかゝらん事、如何にも口惜しく、妻子の愛は燃ゆるばかりに切なれども、心に心を爭ひて辛く此山に上りしなり。高野に汝あること風の便に聞きしゆゑ、汝を頼みて戒を受け、樣を變へ、其上にて心安く都にも入り、妻子にも遇はばやとこそ思ふなれ』。
瀧口は首を床に附けしまゝ、暫し泪に咽び居たりしが、『都は君が三代の故郷なるに、樣を變へでは御名も唱へられぬ世の變遷こそ是非なけれ。思へば故内府の思顧の侍、其數を知らざる内に、世を捨てし瀧口の此期に及びて君の御役に立たん事、生前の面目此上や候べき。故内府の鴻恩に比べては高野の山も高からず、熊野の海も深からず、いづれ世に用なき此身なれば、よしや一命を召され候とも苦しからず。あゝ斯かる身は枯れても折れても野末の朽木、素より物の數ならず。只々金枝玉葉の御身として、定めなき世の波風に漂ひ給ふこと、御痛はしう存じ候』。言ひつゝ涙をはら/\と流せば、維盛卿も、重景も、昔の身の上思ひ出でて、泣くより外に言葉もなし。
第三十
二人の賓客を次の室にやすませて、瀧口は孤燈の下に只々一人寢もやらず、つら/\[26]思※らせば、痛はしきは維盛卿が身の上なり。誰れあらん小松殿の嫡男として、名門の跡を繼ぐべき御身なるに、天が下に此山ならで身を寄せ給ふ處なきまでに零落れさせ給ひしは、過世如何なる因縁あればにや。習ひもお在さぬ徒歩の旅に、知らぬ山川を遙る/″\彷徨ひ給ふさへあるに、玉の襖、錦の床に隙もる風も厭はれし昔にひき換へて、露にも堪へぬかゝる破屋に一夜の宿を願ひ給ふ御可憐しさよ。變りし世は隨意ならで、指せる都には得も行き給はず、心にもあらぬ落髮を逐げてだに、相見んと焦れ給ふ妻子の恩愛は如何に深かるべきぞ。御容さへ窶れさせ給ひて、此年月の忍び給ひし憂事も思ひやらる。思ひ出せば治承の春、西八條の花見の宴に、櫻かざして青海波を舞ひ給ひし御姿、今尚ほ昨の如く覺ゆるに、脇を勤めし重景さへ同じ落人となりて、都ならぬ高野の夜嵐に、昔の哀れを物語らんとは、怪しきまで奇しき縁なれ。あはれ、肩に懸けられし恩賜の御衣に一門の譽を擔ひ、竝み居る人よりは深山木の楊梅と稱へられ、枯野の小松と歌はれし其時は、人も我も誰れかは今日あるを想ふべき。昔は夢か今は現か。十年にも足らぬ間に變り果てたる世の樣を見るもの哉。
果しなき今昔の感慨に、瀧口は柱に凭りしまゝしばし茫然たりしが、不圖電の如く胸に感じて、想ひ起したる小松殿の言葉に、顰みし眉動き、沈みたる眼閃めき、頽せし膝立て直し屹と衣の襟を掻合はせぬ。思へば思へば、情なき人を恨み侘びて樣を變へんと思ひ決めつゝ、餘所ながら此世の告別に伺候せし時、世を捨つる我とも知り給はで、頼み置かれし維盛卿の御事、盛りと見えし世に衰へん世の末の事、愚なる我の思ひ料らん由もなければ少しも心に懸けざりしが、扨は斯からん後の今の事を仰せ置かれしよ。『少將は心弱き者、一朝事あらん時、妻子の愛に惹かされて未練の最後に一門の恥を暴さんも測られず、時頼、たのむは其方一人』。幾度となく繰返されし御仰、六波羅上下の武士より、我れ一人を擇ばれし御心の、我は只々忝なさに前後をも辨へざりしが、今の維盛卿の有樣、正に御遺言に適中せり。都を跡に西國へ落ち給ひしさへ口惜しきに、屋島の浦に明日にも亡びん一門の人々を振り捨てて、武士は櫻木、散りての後の名をも惜しみ給はで、妻子の愛にめゝしくも茲まで迷ひ來られし御心根、哀れは深からぬにはあらねども、平家の嫡流として未練の譏りは末代までも逃れ給はじ。斯くならん末を思ひ料らせ給ひたればこそ、故内府殿の扨こそ我に仰せ置かれしなれ。此處ぞ御恩の報じ處、情を殺し心を鬼にして、情なき諫言を進むるも、御身の爲め御家の爲め、さては過ぎ去り給ひし父君の御爲ぞや。世に埋木の花咲く事もなかりし我れ、圖らずも御恩の萬一を報ゆるの機會に遇ひしこそ、息ある内の面目なれ。あゝ然なり、然なりと點頭きしが、然るにても痛はしきは維盛卿、斯かる由ありとも知り給はで、情なの者よ、變りし世に心までがと、一圖に我を恨み給はん事の心苦しさよ。あゝ忠義の爲めとは言ひながら、君を恨ませ、辱しめて、仕たり顏なる我はそも何の困果ぞや。
義理と情の二岐かけて、瀧口が心はとつおいつ、外には見えぬ胸の嵐に亂脈打ちて、暫時思案に暮れ居しが、やゝありて、兩眼よりはら/\と落涙し、思はず口走る絞るが如き一語『オ御許あれや、君』。言ひつゝ眼を閉ぢ、維盛卿の御寢間に向ひ岸破と打伏しぬ。
折柄杉の妻戸を徐ろに押し開くる音す、瀧口首を擧げ、燈差し向けて何者と打見やれば、足助二郎重景なり。端なくは進まず、首を垂れて萎れ出でたる有樣は仔細ありげなり。瀧口訝しげに、『足助殿には未だ御寢ならざるや』と問へば、重景太息吐き、『瀧口殿』、聲を忍ばせて、『重景改めて御邊に謝罪せねばならぬ事あり』。『何と仰せある』。
第三十一
何事と眉を顰むる瀧口を、重景は怯ろしげに打ち[27]※り、『重景、今更御邊と面合する面目もなけれども、我身にして我身にあらぬ今の我れ、逃れんに道もなく、厚かましくも先程よりの體たらく、御邊の目には嘸や厚顏とも鐵面とも見えつらん。維盛卿の前なれば心を明さん折もなく、暫しの間ながら御邊の顏見る毎に胸を裂かるゝ思ひありし、そは他事にもあらず、横笛が事』。言ひつゝ瀧口が顏、竊むが如く見上ぐれば、默然として眼を閉ぢしまゝ、衣の袖の搖ぎも見せず。『世を捨てし御邊が清き心には、今は昔の恨みとて殘らざるべけれ共、凡夫の悲しさは、一度犯せる惡事は善きにつけ惡しきにつけ、影の如く附き纏ひて、此の年月の心苦しさ、自業自得なれば誰れに向ひて憂を分たん術もなく、なせし罪に比べて只々我が苦しみの輕きを恨むのみ。喃、瀧口殿、最早や世に浮ぶ瀬もなき此身、今更惜しむべき譽もなければ、誰れに恥づべき名もあらず、重景が一期の懺悔聞き給へ。御邊の可惜武士を捨てて世を遁れ給ひしも、扨は横笛が深草の里に果敢なき終りを遂げたりしも、起りを糾せば皆此の重景が所業にて候ぞや』。瀧口は猶ほも默然として、聞いて驚く樣も見えず。重景は語を續けて、『事の始めはくだくだしければ言はず、何れ若氣の春の駒、止めても止まらぬ戀路をば行衞も知らず踏み迷うて、窶す憂身も誰れ故とこそ思ひけめ。我が心の萬一も酌みとらで、何處までもつれなき横笛、冷泉と云へる知れる老女を懸橋に樣子を探れば、御身も疾ぐより心を寄する由。扨は横笛、我に難面きも御邊に義理を立つる爲と、心に嫉ましく思ひ、彼の老女を傳手に御邊が事、色々惡樣に言ひなせし事、いかに戀路に迷ひし人の常とは言へ、今更我れながら心の程の怪しまるゝばかり。又夫れのみならず、御邊に横笛が事を思ひ切らせん爲め、潛かに御邊が父左衞門殿に、親實を上べに言ひ入れしこともあり、皆之れ重景ならぬ女色に心を奪はれし戀の奴の爲せし業、云ふも中々慚愧の至りにこそ。御邊が世を捨てしと聞きて、あゝ許し給へ、六波羅の人々知るも知らぬも哀れと思はざるはなかりしに、同じ小松殿の御内に朝夕顏を見合せし朋輩の我、却て心の底に喜びしも戀てふ惡魔のなせる業。あはれ時こそ來りたれ、外に戀を爭ふ人なければ、横笛こそは我れに靡かめと、夜となく晝とも言はず掻口説きしに、思ひ懸けなや、横笛も亦程なく行衞しれずなりぬ。跡にて人の噂に聞けば、世を捨つるまで己れを慕ひし御邊の誠に感じ、其身も深草の邊に庵を結びて御邊が爲に節を守りしが、乙女心の憂に耐へ得で、秋をも待たず果敢なくなりしとかや。思ひし人は世を去りて、殘る哀れは我れにのみ集まり、迷の夢醒めて、初めて覺る我身の罪、あゝ我れ微りせば、御邊も可惜武士を捨てじ、横笛も亦世を早うせじ、とても叶はぬ戀とは知らで、道ならぬ手段を用ひても望みを貫かんと務めし愚さよ。唯々我れありし爲め浮世の義理に明けては言はぬ互の心、底の流れの通ふに由なく、御邊と言ひ、横笛と言ひ、皆盛年の身を以て、或は墨染の衣に世を遁れ、或は咲きもせぬ蕾のまゝに散り果てぬ、世の恨事何物も之に過ぐべうも覺えず。今宵端なく御邊に遇ひ、ありしにも似ぬ體を見るにつけ、皆是れ重景が爲せる業と思へば、いぶせき庵に多年の行業にも若し知り給はば、嘸や我を恨み給ひけん。――此期に及び多くは言はじ、只々御邊が許しを願ふのみ』。慚愧と悲哀に情迫り聲さへうるみて、額の汗を拭ひ敢へず。
重景が事、斯くあらんとは豫てより略々察し知りし瀧口なれば、さして騷がず、只々横笛が事、端なく胸に浮びては、流石に色に忍びかねて、法衣の濡るゝを覺えず。打蕭れたる重景が樣を見れば、今更憎む心も出でず、世にときめきし昔に思ひ比べて、哀れは一入深し。『若き時の過失は人毎に免れず、懺悔めきたる述懷は瀧口却て迷惑に存じ候ぞや。戀には脆き我れ人の心、など御邊一人の罪にてあるべき。言うて還らぬ事は言はざらんには若かず、何事も過ぎし昔は恨みもなく喜びもなし。世に望みなき瀧口、今更何隔意の候べき、只々世にある御邊の行末永き忠勤こそ願はしけれ』。淡きこと水の如きは大人の心か、昔の仇を夢と見て、今の現に報いんともせず、恨みず、亂れず、光風霽月の雅量は、流石は世を觀じたる瀧口入道なり。
第三十二
早ほの/″\と明けなんず春の曉、峰の嶺、空の雲ならで、まだ照り染めぬ旭影。霞に鎖せる八つの谷間に夜尚ほ彷徨ひて、梢を鳴らす清嵐に鳥の聲尚ほ眠れるが如し。遠近の僧院庵室に漸く聞ゆる經の聲、鈴の響、浮世離れし物音に曉の靜けさ一入深し。まことや帝城を離れて二百里、郷里を去りて無人生、同じ土ながら、さながら世を隔てたる高野山、眞言祕密の靈跡に感應の心も轉々澄みぬべし。
竹苑椒房の音に變り、破れ頽れたる僧庵に如何なる夜をや過し給へる、露深き枕邊に夕の夢を殘し置きて起出で給へる維盛卿。重景も共に立ち出でて、主や何處と打見やれば、此方の一間に瀧口入道、終夜思ひ煩ひて顏の色徒ならず、肅然として佛壇に向ひ、眼を閉ぢて祈念の體、心細くも立ち上る一縷の香煙に身を包ませて、爪繰る珠數の音冴えたり。佛壇の正面には故内府の靈位を安置しあるに、維盛卿も重景も、是れはとばかりに拜伏し、共に祈念を凝らしける。
軈て看經終りて後、維盛卿は瀧口に向ひ、『扨も殊勝の事を見るものよ、今廣き日の本に、淨蓮大禪門の御靈位を設けて、朝夕の[28]※向をなさんもの、瀧口、爾ならで外に其人ありとも覺えざるぞ。思へば先君の被官内人、幾百人と其の數を知らざりしが、世の盛衰に隨れて、多くは身を浮草の西東、舊の主人に弓引くものさへある中に、世を捨ててさへ昔を忘れぬ爾が殊勝さよ。其れには反して、世に落人の見る影もなき今の我身、草葉の蔭より先君の嘸かし腑甲斐なき者と思ひ給はん。世に望みなき維盛が心にかゝるは此事一つ』。言ひつゝ涙を拭ひ給ふ。
瀧口は默然として居たりしが、暫くありて屹と面を擧げ、襟を正して維盛が前に恭しく兩手を突き、『然ほど先君の事御心に懸けさせ給ふ程ならば、何とて斯かる落人にはならせ給ひしぞ』。意外の一言に維盛卿は膝押進めて、『ナ何と言ふ』。『御驚きは然ることながら、御身の爲め、又御一門の爲め、御恨みの程を身一つに忍びて瀧口が申上ぐる事、一通り御聞きあれ。そも君は正しく平家の嫡流にてお在さずや。今や御一門の方々屋島の浦に在りて、生死を一にし、存亡を共にして、囘復の事叶はぬまでも、押寄する源氏に最後の一矢を酬いんと日夜肝膽を碎かるゝ事申すも中々の事に候へ。そも壽永の初め、指す敵の旗影も見で都を落ちさせ給ひしさへ平家末代の恥辱なるに、せめて此上は、一門の將士、御座船枕にして屍を西海の波に浮ベてこそ、天晴名門の最後、潔しとこそ申すべけれ。然るを君には宗族故舊を波濤の上に振捨てて、妻子の情に迷はせられ、斯く見苦しき落人に成らせ給ひしぞ心外千萬なる。明日にも屋島沒落の曉に、御一門殘らず雄々しき最後を遂げ給ひけん時、君一人は如何にならせ給ふ御心に候や。若し又關東の手に捕はれ給ふ事のあらんには、君こそは妻子の愛に一門の義を捨てて、死すべき命を卑怯にも遁れ給ひしと世の口々に嘲られて、京鎌倉に立つ浮名をば君には風やいづこと聞き給はんずる御心に候や。申すも恐れある事ながら、御父重盛卿は智仁勇の三徳を具へられし古今の明器。敵も味方も共に景慕する所なるに、君には其の正嫡と生れ給ひて、先君の譽を傷けん事、口惜しくは思さずや。本三位の卿の擒となりて京鎌倉に恥を曝せしこと、君には口惜しう見え給ふほどならば、何とて無官の大夫が健氣なる討死を譽とは思ひ給はぬ。あはれ君、先君の御事、一門の恥辱となる由を思ひ給はば、願くは一刻も早く屋島に歸り給へ、瀧口、君を宿し參らする庵も候はず。あゝ斯くつれなく待遇し參らするも、故内府が御恩の萬分の一に答へん瀧口が微哀、詮ずる處、君の御爲を思へばなり。御恨みのほどもさこそと思ひ遣らるれども、今は言ひ解かん術もなし。何事も申さず、只々屋島に歸らせ給ひ、御一門と生死を共にし給へ』。
忌まず、憚らず、涙ながらに諫むる瀧口入道。維盛卿は至極の道理に面目なげに差し俯き、狩衣の御袖を絞りかねしが、言葉もなく、ツと次の室に立入り給ふ。跡見送りて瀧口は、其儘岸破と伏して男泣きに泣き沈みぬ。
第三十三
よもすがら恩義と情の岐巷に立ちて、何れをそれと決め難し瀧口が思ひ極めたる直諫に、さすがに御身の上を恥らひ給ひてや、言葉もなく一間に入りし維盛卿、吁々思へば君が馬前の水つぎ孰りて、大儀ぞの一聲を此上なき譽と人も思ひ我れも誇りし日もありしに、如何に末の世とは言ひながら、露忍ぶ木蔭もなく彷徨ひ給へる今の痛はしきに、快き一夜の宿も得せず、面のあたり主を恥しめて、忠義顏なる我はそも如何なる因果ぞや。末望みなき落人故の此つれなさと我を恨み給はんことのうたてさよ。あはれ故内府在天の靈も照覽あれ、血を吐くばかりの瀧口が胸の思ひ、聊か二十餘年の御恩に酬ゆるの寸志にて候ぞや。
松杉暗き山中なれば、傾き易き夕日の影、はや今日の春も暮れなんず。姿ばかりは墨染にして、君が行末を嶮しき山路に思ひ較べつ、溪間の泉を閼伽桶に汲取りて立ち歸る瀧口入道、庵の中を見れば、維盛卿も重景も、何處に行きしか、影もなし。扨は我が諫めを納れ給ひて屋島に歸られしか、然るにても一言の我に御告知なき訝しさよ。四邊を[29]見※せば不圖眼にとまる經机の上にある薄色の折紙、取り上げ見れば維盛卿の筆と覺しく、水莖の跡鮮やかに走り書せる二首の和歌、
かへるべき梢はあれどいかにせん
風をいのちの身にしあなれば
濱千鳥入りにし跡をしらせねば
潮のひる間に尋ねてもみよ
哀れ、御身を落葉と觀じ給ひて元の枝をば屋島とは見給ひけん、入りにし跡を何處とも知らせぬ濱千鳥、潮干の磯に何を尋ねよとや。――扨はとばかり瀧口は、折紙の面を凝視めつゝ暫時茫然として居たりしが、何思ひけん、豫じめ祕藏せし昔の名殘の小鍛冶の鞘卷、狼狽しく取出して衣の袖に隱し持ち、麓の方に急ぎける。
路傍の家に維盛卿が事それとなしに尋ぬれば、狩衣着し侍二人、麓の方に下りしは早や程過ぎし前の事なりと答ふるに、愈々足を早め、走るが如く山を下りて、路すがら人に問へば、尋ぬる人は和歌の浦さして急ぎ行きしと言ふ。瀧口胸愈々轟き、氣も半亂れて飛ぶが如く濱邊をさして走り行く。雲に聳ゆる高野の山よりは、眼下に瞰下す和歌の浦も、歩めば遠き十里の郷路、元より一[30]刻半※の途ならず。日は既に暮れ果てて、朧げながら照り渡る彌生半の春の夜の月、天地を鎖す青紗の幕は、雲か烟か、將た霞か、風雄のすさびならで、生死の境に爭へる身のげに一刻千金の夕かな。夢路を辿る心地して、瀧口は夜すがら馳せて辛く着ける和歌の浦。見渡せば海原遠く烟籠めて、月影ならで物もなく、濱千鳥聲絶えて、浦吹く風に音澄める磯馳松、波の響のみいと冴えたり。入りにし人の跡もやと、此處彼處彷徨へば、とある岸邊の大なる松の幹を削りて、夜目にも著き數行の文字。月の光に立寄り見れば、南無三寶。『祖父太政大臣平朝臣清盛公法名淨海、親父小松内大臣左大將重盛公法名淨蓮、三位中將維盛年二十七歳、壽永三年三月十八日和歌の浦に入水す、徒者足助二郎重景二十五歳殉死す』。墨痕淋漓として乾かざれども、波靜かにして水に哀れの痕も殘らず。瀧口は、あはやと計り松の根元に伏轉び、『許し給へ』と言ふも切なる涙聲、哀れを返す何處の花ぞ、行衞も知らず二片三片、誘ふ春風は情か無情か。
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次の日の朝、和歌の浦の漁夫、磯邊に來て見れば、松の根元に腹掻切りて死せる一個の僧あり。流石汚すに忍びでや、墨染の衣は傍らの松枝に打ち懸けて、身に纏へるは練布の白衣、脚下に綿津見の淵を置きて、刀持つ手に毛程の筋の亂れも見せず、血汐の糊に塗れたる朱溝の鞘卷逆手てに握りて、膝も頽さず端坐せる姿は、何れ名ある武士の果ならん。
嗚呼是れ、戀に望みを失ひて、世を捨てし身の世に捨てられず、主家の運命を影に負うて二十六年を盛衰の波に漂はせし、齋藤瀧口時頼が、まこと浮世の最後なりけり。