其年も事なく暮れて、明くれば治承四年、淨海が暴虐は猶ほ已まず、殿とは名のみ、蜘手結びこめぬばかりの鳥羽殿には、去年より法皇を押籠め奉るさへあるに、明君の聞え高き主上をば、何の恙もお在さぬに、是非なくおろし參らせ、清盛の女が腹に生れし春宮の今年僅に三歳なるに御位を讓らせ給ふ。あはれ聞きも及ばぬ奇怪の讓位かなとおもはぬ人ぞなかりける。一秋毎に細りゆく民の竈に立つ烟、それさへ恨みと共に高くは上らず。野邊の草木にのみ春は歸れども、世はおしなべて秋の暮、枯枝のみぞ多かりける。元より民の疾苦を顧みるの入道ならねば、野に立てる怨聲を何處の風とも氣にかけず、或は嚴島行幸に一門の榮華を傾け盡し、或は新都の經營に近畿の人心を騷がせて少しも意に介せず。世を恨み義に勇みし源三位、數もなき白旗殊勝にも宇治川の朝風に飜へせしが、脆くも破れて空しく一族の血汐を平等院の夏草に染めたりしは、諸國源氏が旗揚の先陣ならんとは、平家の人々いかで知るべき。高倉の宮の宣旨、木曾の北、關の東に普ねく渡りて、源氏興復の氣運漸く迫れる頃、入道は上下萬民の望みに背き、愈々都を攝津の福原に遷し、天下の亂れ、國土の騷ぎを露顧みざるは、抑々之れ滅亡を速むるの天意か。平家の末はいよ/\遠からじと見えにけり。
右兵衞佐(頼朝)が旗揚に、草木と共に靡きし關八州、心ある者は今更とも思はぬに、大場の三郎が早馬ききて、夢かと驚きし平家の殿原こそ不覺なれ。討手の大將、三位中將維盛卿、赤地の錦の直垂に萌黄匂の鎧は天晴平門公子の容儀に風雅の銘を打つたれども、富士河の水鳥に立つ足もなき十萬騎は、關東武士の笑ひのみにあらず。前の非を悟りて舊都に歸り、さては奈良炎上の無道に餘忿を漏らせども、源氏の勢は日に加はるばかり、覺束なき行末を夢に見て其年も打ち過ぎつ。治承五年の春を迎ふれば、世愈々亂れ、都に程なき信濃には、木曾の次郎が兵を起して、兵衞佐と相應じて其勢ひ破竹の如し。傾危の際、老いても一門の支柱となれる入道相國は折柄怪しき病ひに死し、一門狼狽して爲す所を知らず。墨股の戰ひに少しく會稽の恥を雪ぎたれども、新中納言(知盛)軍機を失して必勝の機を外し、木曾の壓と頼みし城の四郎が北陸の勇を擧りし四萬餘騎、餘五將軍の遺武を負ひながら、横田河原の一戰に脆くも敗れしに驚きて、今はとて平家最後の力を盡して北に打向ひし十五萬餘騎、一門の存亡を賭せし倶利加羅、篠原の二戰に、哀れや殘り少なに打ちなされ、背疵抱へて、すごすご都に歸り來りし、打漏されの見苦しさ。木曾は愈々勢ひに乘りて、明日にも都に押寄せんず風評、平家の人々は今は居ながら生ける心地もなく、然りとて敵に向つて死する力もなし。木曾をだに支へ得ざるに、關東の頼朝來らば如何にすべき、或は都を枕にして討死すべしと言へば、或は西海に走つて再擧を謀るべしと説き、一門の評議まち/\にして定まらず。前には邦家の急に當りながら、後には人心の赴く所一ならず、何れ變らぬ亡國の末路なりけり。
平和の時こそ、供花燒香に經を飜して、利益平等の世とも感ぜめ、祖先十代と己が半生の歴史とを刻みたる主家の運命日に非なるを見ては、眼を過ぐる雲煙とは瀧口いかで看過するを得ん。人の噂に味方の敗北を聞く毎に、無念さ、もどかしさに耐へ得ず、雙の腕を扼して法體の今更變へ難きを恨むのみ。
或日瀧口、閼伽の水汲まんとて、まだ明けやらぬ空に往生院を出でて、近き泉の方に行きしに、都六波羅わたりと覺しき方に、一道の火焔天を焦して立上れり。そよとだに風なき夏の曉に、遠く望めば只々朝紅とも見ゆべかんめり。風靜なるに、六波羅わたり斯かる大火を見るこそ訝しけれ。いづれ唯事ならじと思へば何となく心元なく、水汲みて急ぎ坊に歸り、一杖一鉢、常の如く都をさして出で行きぬ。









