宿舎の近くに、アイスクリイムスタンドがあって、そこに、十八歳になる、ナンシイという可愛い看板娘がおりました。
ぼくなぞは、夜間照明のベエスボオルなどを近所の子供達と見物した帰りに、スマックなぞ噛りに立寄るくらいでしたが、KOの柴山や上原などは、よくかよっていて行けばいつも顔を合せるほどでした。ことに美少年の上原などは、ナンシイ嬢と仲が良く、いつもスタンドに肘つきあっては話を交していました。
ある日の事、一緒に近所の床屋まできた柴山と肩をくんで、その店に入って行くと、上原がもう来ていて、娘さんとなにか笑い話をしています。ぼく達は隅っこでチョコレエトクリイムを貰い、二人でぼそぼそ嘗めているとき、入口のドアを荒々しく押して一人のアメリカの大学生が入ってきて、なにも註文せず、スタンドの前に立ち、腕を組んだまま、じっと上原とナンシイ嬢の様子をみつめていました。
やがて上原の傍につかつかと立ち寄り、彼の肩を押えて、早口になにか言いだします。素破とおどろき柴山と立ち上がろうとしましたが、意外にも大学生は、和やかな表情で、上原にドライブをしないかと誘っています。上原はぼく達に一緒に来るかい、と聞き、ぼく達が承諾すると、それではと、大学生に、行く旨を返事していました。
そこで四人が、表においてあった大学生のセダンに乗りこむと、彼は、ロングビイチの海岸まで車を走らせて行きました。賑やかで面白そうな海水浴場のほうは素通りにして、荒涼とした砂っ原に降りると、大学生は上原の腕をとって、浪打際のほうへゆきます。さっきから大学生の上原をみる眼が少し変ってるなと思っていたら、大学生はやにわに、上半身、真裸になって、上原に角力をいどみかけるのです。上原は、はにかんだような微笑みを浮べながらも、シャツを脱ぎ裸になりました。
ナルシサスもかくやと思われる美しい顔立ちに十九歳の若々しい肉体は、アポロのように見事に発育して引き締っています。大学生も毛深くて逞しいヘラクレスみたいな身体をしていましたが、上原のすべすべした小麦色の皮膚を愛情のこもった眼付で、撫でまわしていました。
二人の相撲は力を入れ、むきになっている癖に、時々いかにもこそばゆいという風に身悶えしてキャッキャッと笑い興じていました。汗ばんで転がるたびに砂塗れになってゆく、上原の肉体も、額に髪が絡みついた顔も、だんだん紅潮してゆくに従って、筋肉の線に、膨らみもでて来て美しく、ぼく達でさえ些か色情的に悩ましさを覚えたほどです。しかし何時迄もみているのは莫迦々々しくなって、ぼくと柴山はその場をはずし、なんとなくそこらを散歩してから歩いて帰りました。
遅く夕方になってから戻ってきた上原が、その大学生の着ていたレザァコオトを貰ったりしているので、ぼくは人間の愛欲の複雑さがちらっと判った気がしました。
帰朝する前日でしたか、ロオタリイ倶楽部での、鐘ばかり鳴らしてはその度に立ったり坐ったりする学者ばかりのしかつめらしい招待会から帰ってくると、在留邦人の歓送会が、夕方から都ホテルであるとのことで、出迎えの自動車も来ていて、直ぐとんで行ったのでした。
男はタキシイド、女は紋服かイブニング・ドレスといった豪奢な宴会で、カルホルニア一流の邦人名士の御接待でした。ぼくの坐った卓子は、沢村、松山、虎さんとぼくの四人で、接待して下さる邦人のほうは、立派な御主人夫妻と上品なお祖母様、それに二十一になる美しいお嬢さんの御一家でした。
話をしているうちに偶然、そのお嬢さんがぼくの育った鎌倉の稲村ケ崎につい昨年迄、おられたことが解り、二人の間に、七里ケ浜や極楽寺辺りの景色や土地の人の噂などがはずみ、ぼくは浮々と愉しかったのです。その内に始まった饗応の演芸が、いかにも亜米利加三界まで流れてきたという感じの浪花節で、虎髭を生した語り手が苦しそうに見えるまで面を歪めて水戸黄門様の声を絞りだすのに、御祖母様は顔を顰め、「妾はどうしても、浪花節は煩さいばかりで嫌いですよ」といわれる。お嬢さんとの会話で気が浮立っていたぼくは、また尾鰭について出しゃばり、浪花節を下品だとけなしてから、子供の頃より好きだった歌舞伎を熱心に賞めると、しとやかに坐っていた奥さんが、さも感に堪えたと言わぬばかりに、「そのお若さでお芝居がお好きとはお珍しい。御感心ですこと」とお世辞を言ってくれるので、ぼくは一層、有頂天になるのでした。お嬢さんはN女子大の国文科を出たとかで、芝居の話も詳しく、知ったか振りをしたぼくが南北、五瓶、正三、治助などという昔の作者達の比較論をするのに、上手な合槌を打ってくれ、ぼくは今夜は正に自分の独擅場だなと得意な気がして、たまらなく嬉しかったのです。
沢村さん始め皆は、いつになくお喋りなぼくを呆れてみつめ(大坂が、エヘ)とさも軽蔑したような表情をするのでしたが、その夜は、明らかに教養でみんなを圧倒した態なのも嬉しく、なおも図にのって、お嬢さんに媚びるように、「吉右衛門や菊五郎はどうも歌舞伎のオオソドックスに忠実だとはおもえません。まア羽左衛門あたりの生世話の風格ぐらいが――」など愚にもつかぬ気障っぽいことを言っていると、突然、大広間の奥からけたたましいジャズが鳴り響き、続いて、「どうぞ皆さんダンスにお立ち下さい」というマイクロフォンの高声がきこえて来ました。すると奥さんはたいへん丁寧にお嬢さんに向い、「佐保子や、お前坂本さんにダンスをお願いしなさい」と言われたので、ぼくは一遍に冷汗三斗の思いがしました。改めてお嬢さんの金糸銀糸でぬいとりした衣裳や、指に輝く金剛石、金と教養にあかし磨きこんだミルク色の疵ひとつない上品な顔をみると、ぼくはダンスは下手だし、その手をとるのも恐くなり、「駄目です。ぼくは踊れないんですから」と消え入りそうな声で、吃り吃りいいました。お嬢さんはかすかに片頬でほほえむと折からプロポオズして来た陸上のF氏の肩にかるく手をかけ、踊って行ってしまいました。
急に悄気てしまったぼくが片隅でひとりダンスを拝見していると、いつの間にかぼくの横に、油もつけていないバサバサの長髪を無造作に掻きあげた、血色の悪い小男の青年がやって来て立っていました。袴もつけず薄汚れた紺絣の着流しで、貧乏臭い懐ろ手をし、ぼんやりダンスをみているけれど、選手ではないし、招待側の邦人のひとりかとおもい、「今晩は、どうも――」と挨拶をすると「いやいや」と周章て、ぼくの顔をみて哀しい薄笑いをして、「ぼくは単なる見物人ですよ」と言いました。
畳みかけて、「米国はもうながいんですか」ときけば、「いやまだ上陸して一週間位ですよ」「なにか勉強に」と続けると、「いえいえ遊んでいるんです。日本は煩さくって」「こちらに御親類でも」と尚煩さくいうと、「いやなにもありません。行き当り飛蝗とともに草枕」と最前の浪花節の句をいってから笑いました。ではさっきから何処にもぐっていたのかと不審になり、それとなく尋ねようとした刹那、ぼくは彼の懐中にねじこまれている本が前田河広一郎の※[28]三等船客※[29]なのを見て、ハッとして、「文戦はやはり盛んにやっていますか」ときいてみると、「えッ」と吃驚したように問い返してから、「いや、ぼくは左翼は嫌いだから――」と歪んだ笑いかたをしました。
ぼくはなんだか、その青年にニヒリズムを感じて、寂しく、そして、それが米国最後のいちばん強い印象となりました。