横浜を出てから一週間も経った頃、朝の練習が済むと、B甲板に、全員集合を命ぜられました。役員のひとりで、豪放磊落なG博士が肩幅の広い身体をゆすりあげ、設けの席につくと、みんなをずっと見廻したのち、
「諸君。ぼくはこんなことを、日本選手でもあり、立派な紳士、淑女でもある皆さんに、お話するのは、じつに残念であるが、止むを得ん。とにかく、本日只今から、男子と女子の交際は、絶対にこれを禁止する。
遊ぶのは勿論ならんし、話をしても不可ん。今後、この規則を破るものがあったら、発見次第それぞれの所属チイムの責任者によって、処分して貰う。尚、その程度によっては、ホノルルなり、サンフランシスコなりに、船が着いたら、下船させてしまうぞ。スポオツマンとしての資格の欠けるものに、日本は選手として、出場して貰いたくないのだ」
日頃、太ッ腹な氏としては、珍しく、話すのも汚らわしいといった激越ぶりでした。ぼくにしてみれば、話の最中ふりかえって此方をみる、クルウの先輩達もいるし、それでなくとも、氏の一言一句が、ただ、ぼくに向っての叱声に聞え、かあッと、あがってしまうのでした。氏は語をついで、
「だいたい、この前のアムステルダム行の時は、このことを怖れ、男子船と女子船とを別々に立たせたものだ、今回も前に比べれば、人数も増えているし、万一のことがあってはと心配して『男女七歳にして席を同じうせず』式の議論から、別々に立たせるのを主張する人もあったが、ぼくは、『厳粛なる自由』を称え、笑って、その議論を一蹴した。諸君、もう一度、君達の胸のバッジをみたまえ。光輝ある日の丸の下に、書かれた Japanese Delegation の文字は、伊達では、ねエんだろ。俺は今朝、ある忌わしい場面を、この船の事務員が見たとか、いう話をきいたときは、初めは話のほうが信用できなかった。否、今でも、そんな話は信用しとらん。
しかし、こういっただけで、若し、その事実ありとしても、その当人達は、充分、自戒してくれると思う。頼むから諸君、二度と俺にこんなことを、言わさないでくれ。終りッ」
そういい棄てると博士をはじめ、幹部連はさっさと引揚げてしまいましたが、そうなると、今度はかえって、あとの騒ぎが大変。どこにでもいる噂好きな人達が、大声で、見てきたような嘘をいいあったり、猥褻な想像をしあっては喜んでいる。そのなかで、ぼく一人、また一人ぼッち、茫然と身動きもできませんでした。
ボオトの連中はてっきり、ぼくとあなたをこの醜聞にあて嵌めてしまったのでしょう。森さんなんかは血相かえ、「俺達のなかで、困るのは、まあ大坂一人位のものだな」と皮肉をいいます。松山さんは、「大坂だけ困るんじゃねえぞ。ボオト部全体の恥だからな」とぼくを睨みつけます。と、東海さんが、「Gさんも、ああ言うんだし、皆でよく今後を打合せたらどうだい」と横目でぼくを見ながらいう。日頃、寡黙なKOの主将、八郎さんまで、「よかろう」と積極的に嘴をだします。結局、それからぼくの査問会らしきものが、皆で開かれることになりました。
尤も、あとで考えると、G博士のいった醜聞は、子供ッぽいぼく等の友情などは、問題としておらず、先夜、ある男女が、ボオト・デッキの蔭で、抱擁し合っていたのを、船員にみられたという噂からだったのを、すでに連中は知っていたかとも思われますが――。
皆はぞろぞろ二等のサロンに入りました。ぼくは、勢い、衆目の帰する処です。出帆前からの神経異常が、あなたとの愉しい交わりに、紛らわされてはいたが、こうした場合一度に出て来て、頭の芯は重だるく、気力もなくなり、なにをいわれても聞いてはいずに肯くばかりでした。
ぼくは前から、左側の瞼だけが二重で、右は一重瞼なのです。それを両方共、二重にする為には、眼を大きく上に瞠ってから、パチリとやれば、右も二重瞼になる。それを、あなたと逢う前には、よくやって、顔を綺麗にしようと思ったものです。その癖がちょうど、皆から査問を受けている最中、ひょっくり出て、瞳をパチリと動かす。
と、森さんが、「おい大坂、止さんか」と真ッ赤になって怒りだした。しまった。ぼくは取返しのつかない思いにうつむく。と、「どうしたんだ」松山さんが、面白がり、声を荒げて聞いた。森さんが「否、厭らしいッたら、ありゃしない。此奴ったら」と、ぼくのほうを顎でしゃくって、「ウインクの真似をしてやがるんだ。こんなにしてな」と、さも厭らしく三白眼をむいてみせます。「ハハア、それがウインクてんだな。新式の――」と補欠の佐藤が、憎らしく、お節介な口を出すと、皆がどッとふきだしました。
その笑いのなかで、ぼくはもう死にたい、という気がする程、弱虫でした。まだ、松山氏は、沢村さんに向って、「こんなにするんだとよ。気味が悪い」とやって見せています。こんなふうに、皆から扱われるのには慣れていますが、あなたのことが、有るだけに、たまらなかったのです。
結局さんざん嘲弄されてから、解放されましたが、それからまた、バック台練習は、以前のように口喧しく、先輩達から怒鳴られるようになるし、怒鳴られるほど、またギゴチなくなって行きました。
こう書くと、いかにもぼくが、弱々しいだけに見えますが、先輩達だとて、ぼくが本当に弱く降参しきっていれば、あれ迄いじめなかったでしょう。加えて、ぼくには、文学少年にありがちな孤独癖がありました。それも生意気だとか、図々しいとか見られていたのでしょう。実際、図々しい処もありました。あなたから、この手記の初めに書いた、杏の実を貰ったのは、その問題があった日の昼のことでしたから――。
とにかく、その日の昼は、もうあなたと遊べなくなった淋しさと、口惜しさから、殆ど飯も食べずに、トレイニング・パンツに着更え、誰もいないB甲板をうろついていると、ひょッくりあなたと小さい中村嬢に逢いました。
中村さんは、小さい唇をとがらせ、「うち、つまらんわア、もう男のひとと、遊んではいけない言うて、監督さんから説教されたわ。おんなじ船に乗ってて、口利いてもいかん、なんて、阿呆らしいわ」ぼくも、合槌うって「すこし、変ですね」と言えば、あなたも「ほんとうにつまらんわア」中村嬢は、益々雄弁に「ほんとに嫌らし。山田さんや高橋さんみたいに、仰山、白粉や紅をべたべた塗るひといるからやわ」と、なおも小さな唇をつきだします。ぼくは只、中村さんに喋らしておいて、心のなかでは、つまらない、つまらない、と言い続けていました。
やがて、あなたは、剽軽に、「こんなにしていて、見つけられたら大変やわ、これ上げましょ」と、ぼくの掌に、よく熟れた杏の実をひとつ載せると、二人で船室のほうへ駆けてゆきました。ぼくも、杏の実を握りしめ、くるくると鉄梯子をあがって、頂辺のボオト・デッキに出ました。
太平洋は、日本晴の上天気。雲も波もなく、ただ一面にボオッと、青いまま霞んでいます。ぼくは、手摺に凭れかかって、杏を食べはじめました。甘酸っぱい実を、よく眺めては、食べているうち、ふっと瞼の裏が、熱くなりました。食いおわった杏の種子を、陽にかがやく海に、抛ろうとしてから、ふと思い直し、ポケットのなかに、しまいこみました。
しばらく海をみてから、もう練習かなと、Bデッキを瞰下すと、皆はまだ麻雀でもしているのでしょう。甲板にいるのはデッキ・チェアに寄りかかったあなたと、船客で羅府行の第二世のお嬢さんだけ。二人で、なにか仲良さそうに話している。こちらは、莫迦みたいに、頬笑んで、瞰下していると、あなたは、直ぐ気づき、上をむいて、にっこりした。隣のお嬢さんも、おなじく見上げる。ぼくは、視線のやりばに困るから、船尾のほうを眺めるふりをしている。とまもなく、第二世のお嬢さんは、眼をつむり、寝てしまっている様子です。
思いきって、ぼくが合図に、右手を高くあげると、あなたも右手をあげて振る。ほんとうに、片眼をおもいッきり、つぶってウインクをしてみる。あなたの顔は、笑いだす。ぼくも、だらしなくにこにこします。
一瞬、船は停り、時も停止し、ただ、この上もなく、じいんと碧い空と、碧い海、暖かい碧一色の空間にぼくは溶け込んだ気がしたが、それも束の間、ぼくは誰かにみられるのと、こうした幸福の持続が、あんまり恐しく、身体を翻えし、バック台の方へ逃げて行き、こっとん、こっとん、微笑のうちに、二三回ひいてから、また、手摺まで走って行ってはあなたに手をあげ、あなたも手をあげ応えると、また、にこにこと笑い交して、バック台まで逃げてゆく。そうしているときは愉しく、その想い出も愉しかった。
翌晩でしたか、ひどい時化の最中、すき[4]焼会がありました。大抵のひとが出て来ないほど、船が、凄まじくロオリングするなか、ぼくは盛んに、牛飲馬食、二番の虎さんや、水泳の安さんなんかと一緒に、殆ど、最後まで残って、たしか飯を五杯以上は食いました。その飯には、杏の味の甘美さが、まだ残っている気がしたのでした。
そして、いよいよ Blue Hawaii です。