蒲団


 その翌年の一月には、時雄は地理の用事で、上武の境なる利根とね河畔かはんに出張していた。彼は昨年の年末からこの地に来ているので、家のこと──芳子のことがことに心配になる。さりとて公務を如何いかんともすることが出来なかった。正月になって二日にちょっと帰京したが、その時は次男が歯を病んで、妻と芳子とがしきりにそれを介抱していた。妻に聞くと、芳子の恋は更に惑溺わくできの度を加えた様子。大晦日おおみそかの晩に、田中が生活のたつきを得ず、下宿に帰ることも出来ずに、終夜運転の電車に一夜を過したということ、余り頻繁ひんぱんに二人が往来するので、それをそれとなしに注意して芳子と口争いをしたということ、その他種々のことを聞いた。困ったことだと思った。一晩泊って再び利根の河畔に戻った。

 今は五日の夜であった。ぼうとした空に月がかさを帯びて、その光が川の中央にきらきらと金を砕いていた。時雄は机の上に一通の封書をひらいて、深くその事を考えていた。その手紙は今少し前、旅館の下女が置いて行った芳子の筆である。

[15]

先生、

まことに、申訳が御座いません。先生の同情ある御恩は決して一生っても忘るることでなく、今もそのお心を思うと、涙がこぼるるのです。

父母はあの通りです。先生があのようにおっしゃって下すっても、旧風むかしふう頑固かたくなで、私共の心をんでくれようとも致しませず、泣いて訴えましたけれど、許してくれません。母の手紙を見れば泣かずにはおられませんけれど、少しは私の心も汲んでくれても好いと思います。恋とはこう苦しいものかと今つくづく思い当りました。先生、私は決心致しました。聖書にも女は親に離れて夫に従うと御座います通り、私は田中に従おうと存じます。

田中はいまだに生活のたつきを得ませず、準備した金は既に尽き、昨年の暮れは、うらぶれの悲しい生活を送ったので御座います。私はもう見ているに忍びません。国からの補助を受けませんでも、私等は私等二人で出来るまでこの世に生きてみようと思います。先生に御心配を懸けるのは、まことに済みません。監督上、御心配なさるのも御尤ごもっともです。けれど折角先生があのように私等の為めに国の父母をお説き下すったにもかかわらず、父母は唯無意味に怒ってばかりいて、取合ってくれませんのは、余りと申せば無慈悲です、勘当かんどうされても為方しかたが御座いません。堕落々々と申して、ほとんよわいせぬばかりに申しておりますが、私達の恋はそんなに不真面目ふまじめなもので御座いましょうか。それに、家の門地々々と申しますが、私は恋を父母の都合によって致すような旧式の女でないことは先生もお許し下さるでしょう。

先生、

私は決心致しました。昨日上野図書館で女の見習生が入用だという広告がありましたから、応じてみようと思います。二人して一生懸命に働きましたら、まさかにえるようなことも御座いますまい。先生のお家にこうして居ますればこそ、先生にも奥様にも御心配を懸けて済まぬので御座います。どうか先生、私の決心をお許し下さい。

[16]芳子

[17]

先生 おんもとへ

[18]

 恋の力は遂に二人を深い惑溺わくできふちに沈めたのである。時雄はもうこうしてはおかれぬと思った。時雄が芳子の歓心を得る為めに取った「温情の保護者」としての態度を考えた。備中の父親に寄せた手紙、その手紙には、極力二人の恋を庇保ひほして、どうしてもこの恋を許してもらわねばならぬという主旨であった。時雄は父母の到底これを承知せぬことを知っていた。むしろ父母の極力反対することを希望していた。父母は果して極力反対して来た。言うことを聞かぬなら勘当するとまで言って来た。二人はまさに受くべき恋の報酬を受けた。時雄は芳子の為めにあくまで弁明し、汚れた目的の為めに行われたる恋でないことを言い、父母の中一人、是非出京してこの問題を解決して貰いたいと言い送った。けれど故郷の父母は、監督なる時雄がそういう主張であるのと、到底その口から許可することが出来ぬのとで、上京しても無駄であると云って出て来なかった。

 時雄は今、芳子の手紙に対して考えた。

 二人の状態は最早一刻も猶予すべからざるものとなっている。時雄の監督を離れて二人一緒に暮したいという大胆な言葉、その言葉の中には警戒すべき分子の多いのを思った。いや、既に一歩を進めているかも知れぬと思った。又一面にはこれほどその為めに尽力しているのに、その好意を無にして、こういう決心をするとは義理知らず、情知らず、勝手にするが好いとまで激した。

 時雄は胸のとどろきを静める為め、月おぼろなる利根川の堤の上を散歩した。月がかさを帯びた夜は冬ながらやや暖かく、土手下の家々の窓には平和な燈火が静かに輝いていた。川の上には薄いもやが懸って、おりおり通る船のの音がギイと聞える。下流でおーいと渡しを呼ぶものがある。舟橋を渡る車の音がとどろに響いてそして又一時静かになる。時雄は土手を歩きながら種々のことを考えた。芳子のことよりは一層痛切に自己の家庭のさびしさということが胸を往来した。三十五六歳の男女の最もあじわうべき生活の苦痛、事業に対する煩悩ぼんのう、性慾より起る不満足等がすさまじい力でその胸を圧迫した。芳子はかれの為めに平凡なる生活の花でもあり又かてでもあった。芳子の美しい力に由って、荒野のごとき胸に花咲き、び果てた鐘は再び鳴ろうとした。芳子の為めに、復活の活気は新しく鼓吹された。であるのに再び寂寞せきばく荒涼たる以前の平凡なる生活にかえらなければならぬとは……。不平よりも、嫉妬しっとよりも、熱い熱い涙がかれのほおを伝った。

 かれは真面目に芳子の恋とその一生とを考えた。二人同棲どうせいして後の倦怠けんたい、疲労、冷酷を自己の経験に照らしてみた。そして一たび男子に身を任せて後の女子の境遇のあわれむべきを思いった。自然の最奥さいおうに秘める暗黒なる力に対する厭世えんせいの情は今彼の胸を簇々むらむらとして襲った。

 真面目なる解決を施さなければならぬという気になった。今までの自分の行為おこないはなはだ不自然で不真面目であるのに思いついた。時雄はその夜、備中の山中にある芳子の父母に寄する手紙を熱心に書いた。芳子の手紙をその中に巻込んで、二人の近況を詳しく記し、最後に、

[19]

父たる貴下と師たる小生と当事者たる二人と相対して、の問題を真面目に議すべき時節到来せりと存候ぞんじそうろう、貴下は父としての主張あるべく、芳子は芳子としての自由あるべく、小生また師としての意見有之これあり候、御多忙の際には有之候えども、是非々々御出京下されたく、幾重にも希望つかまつり候。

[20]

 と書いて筆を結んだ。封筒に収めて備中国新見町にいみまち横山兵蔵様と書いて、傍に置いて、じっとそれを見入った。この一通が運命の手だと思った。思いきっておんなを呼んで渡した。

 一日二日、時雄はその手紙の備中の山中に運ばれて行くさまを想像した。四面山で囲まれた小さな田舎町いなかまち、その中央にある大きな白壁造、そこに郵便脚夫が配達すると、店に居た男がそれを奥へ持って行く。たけの高い、ひげのある主人がそれを読む──運命の力は一刻毎に迫って来た。

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Last Modified:Thursday, February 13, 2025
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