六
お島は作との縁談の、まだ持あがらぬずっと前から、よく養母のおとらに連れられて青柳と一緒に、大師さまやお稲荷さまへ出かけたものであった。天性目性の好くないお島は、いつの頃からこの医者に時々かかっていたか、分明覚えてもいないが、そこにいたお花と云う青柳の姪にあたる娘とも、遊び友達であった。
おとらは時には、青柳の家で、お島と対の着物をお花に拵えるために、そこへ反物屋を呼んで、柄の品評をしたりしたが、仕立あがった着物を着せられた二人の娘は、近所の人の目には、双児としかみえなかった。おとらは青柳と大師まいりなどするおりには、初めはお島だけしか連れていかなかったものだが、偶にはお花をも誘い出した。
お花という連のある時はそうでもなかったが、自分一人のおりには、お島は大人同志からは、全然除けものにされていなければならなかった。
「じゃね、小父さんと阿母さんは、此処で一服しているからね。お前は目がわるいんだから能くお詣りをしておいで。ゆっくりで可いよ。阿母さんたちはどうせ遊びに来たんだからね。小父さんも折角来たもんだから、お酒の一口も飲まなければ満らないだろうし、阿母さんだって偶に出るんだからね」
おとらはそう言って、博多と琥珀の昼夜帯の間から紙入を取出すと、多分のお賽銭をお島の小さい蟇口に入れてくれた。そこは大師から一里も手前にある、ある町の料理屋であった。二人はその奥の、母屋から橋がかりになっている新築の座敷の方へ落着いてからお島を出してやった。
それは丁度初夏頃の陽気で、肥ったお島は長い野道を歩いて、脊筋が汗ばんでいた。顔にも汗がにじんで、白粉の剥げかかったのを、懐中から鏡を取出して、直したりした。山がかりになっている料理屋の庭には、躑躅が咲乱れて、泉水に大きな緋鯉が絵に描いたように浮いていた。始終働きづめでいるお島は、こんなところへ来て、偶に遊ぶのはそんなに悪い気持もしなかったが、落着のない青柳や養母の目色を候うと、何となく気がつまって居辛かった。そして小いおりから母親に媚びることを学ばされて、そんな事にのみ敏い心から、自然に故ら二人に甘えてみせたり、燥いでみせたりした。
「ええ、可ござんすとも」
お島は大きく頷いて、威勢よくそこを出ると、急いで大師の方へと歩き出した。
町には同じような料理屋や、休み茶屋が外にも四五軒目に着いたが、人家を離れると直に田圃道へ出た。野や森は一面に青々して、空が美しく澄んでいた。白い往来には、大師詣りの人達の姿が、ちらほら見えて、或雑木林の片陰などには、汚い天刑病者が、そこにも此処にも頭を土に摺つけていた。それらの或者は、お島の迹から絡わり着いて来そうな調子で恵みを強請った。お島はどうかすると、蟇口を開けて、銭を投げつつ急いで通過ぎた。