あらくれ


 お島は作との縁談の、まだ持あがらぬずっと前から、よく養母のおとらに連れられて青柳と一緒に、大師さまやお稲荷いなりさまへ出かけたものであった。天性うまれつき目性の好くないお島は、いつの頃からこの医者に時々かかっていたか、分明はっきり覚えてもいないが、そこにいたお花と云う青柳のめいにあたる娘とも、遊び友達であった。

 おとらは時には、青柳の家で、お島とついの着物をお花にこしらえるために、そこへ反物屋を呼んで、がら品評しなさだめをしたりしたが、仕立あがった着物を着せられた二人の娘は、近所の人の目には、双児ふたごとしかみえなかった。おとらは青柳と大師まいりなどするおりには、初めはお島だけしか連れていかなかったものだが、たまにはお花をも誘い出した。

 お花というつれのある時はそうでもなかったが、自分一人のおりには、お島は大人同志からは、全然まるでけものにされていなければならなかった。

「じゃね、小父おじさんと阿母おっかさんは、此処ここで一服しているからね。お前は目がわるいんだからくおまいりをしておいで。ゆっくりでいよ。阿母さんたちはどうせ遊びに来たんだからね。小父さんも折角来たもんだから、お酒の一口も飲まなければつまらないだろうし、阿母さんだって偶に出るんだからね」

 おとらはそう言って、博多はかた琥珀こはくの昼夜帯の間から紙入を取出すと、多分のお賽銭さいせんをお島の小さい蟇口がまぐちに入れてくれた。そこは大師から一里も手前にある、ある町の料理屋であった。二人はその奥の、母屋おもやから橋がかりになっている新築の座敷の方へ落着いてからお島を出してやった。

 それは丁度初夏はつなつ頃の陽気で、肥ったお島は長い野道を歩いて、脊筋せすじが汗ばんでいた。顔にも汗がにじんで、白粉おしろいげかかったのを、懐中から鏡を取出して、直したりした。山がかりになっている料理屋の庭には、躑躅つつじが咲乱れて、泉水に大きな緋鯉が絵に描いたように浮いていた。始終働きづめでいるお島は、こんなところへ来て、偶に遊ぶのはそんなに悪い気持もしなかったが、落着のない青柳や養母の目色をうかがうと、何となく気がつまって居辛いづらかった。そしてちいさいおりから母親にびることを学ばされて、そんな事にのみさとい心から、自然ひとりでことさら二人に甘えてみせたり、はしゃいでみせたりした。

「ええ、ござんすとも」

 お島は大きくうなずいて、威勢よくそこを出ると、急いで大師の方へと歩き出した。

 町には同じような料理屋や、休み茶屋が外にも四五軒目に着いたが、人家を離れるとすぐ田圃たんぼ道へ出た。野や森は一面に青々して、空が美しく澄んでいた。白い往来には、大師詣りの人達の姿が、ちらほら見えて、或雑木林の片陰などには、汚い天刑病てんけいびょう者が、そこにも此処にも頭を土にすりつけていた。それらの或者は、お島のあとからまつわり着いて来そうな調子で恵みを強請ねだった。お島はどうかすると、蟇口を開けて、銭を投げつつ急いで通過とおりすぎた。

Etext Home | Library Home | Search the Library Web
Contact Us:UVA Library Feedback
Last Modified:Thursday, February 13, 2025
© 2025 The Rector and Visitors of the University of Virginia
Japanese Text Initiative
Electronic Text Center | University of Virginia Library
PO Box 400148 | Charlottesville VA 22904-4148
434.243.8800 | fax: 434.924.1431