お島が数度の交渉の後、到頭また養家へ帰ることになって、青柳につれられて家を出たのは、或日の晩方であった。
お島はそれまでに、幾度となく父親や母親に逆って、彼等を怒らせたり悲しませたり、絶望させたりした。滅多に手荒なことをしたことのなかった父親をして、終にお島の頭髪を掴んで、彼女をそこに捻伏せて打のめすような憤怒を激発せしめた。お島を懲しておかなければならぬような報告が、この数日のあいだに養家から交渉に来た二三の顔利きの口から、父親の耳へも入っていた。それらの人の話によると、安心して世帯を譲りかねるような挙動がお島に少くなかった。金遣いの荒いことや、気前の好過ぎることなどもその一つであった。おとらと青柳との秘密を、養父に言告けて、内輪揉めをさせるというのもその一つであったが、総てを引括めて、養家に辛抱しようと云う堅い決心がないと云うのが、養父等のお島に対する不満であるらしかった。
「だから言わんこっちゃない。稚い時分から私が黒い目でちゃんと睨んでおいたんだ。此方から出なくたって、先じゃ疾の昔に愛相をつかしているのだよ」母親はまた意地張なお島の幼い時分のことを言出して、まだ娘に愛着を持とうとしている未練げな父親を詛った。
「こんなやくざものに、五万十万と云う身上を渡すような莫迦が、どこの世界にあるものか」
太てていて、飯にも出て来ようとしないお島を、妹や弟の前で口汚く嘲るのが、この場合母親に取って、自分に隠して長いあいだお島を庇護だてして来た父親に対する何よりの気持いい復讎であるらしく見えた。
お島も負けていなかった。母親が、角張った度強い顔に、青い筋を立てて、わなわな顫えるまでに、毒々しい言葉を浴せかけて、幼いおりの自分に対する無慈悲を数えたてた。目からぽろぽろ涙が流れて、抑えきれない悲しみが、遣瀬なく涌立って来た。
「手前」とか、「くたばってしまえ」とか、「親不孝」とか、「鬼婆」とか、「子殺し」とか云うような有りたけの暴言が、激しきった二人の無思慮な口から、連に迸り出た。
そんな争いの後に、お島は言葉巧な青柳につれられて、また悄々と家を出て行ったのであった。