そんな気持の嵩じて来たお島には、自分一人がどんなに焦燥しても、出世する運が全く小野田にはないようにさえ考えられてきた。彼の顔が無下に卑しく貧相に見えだして来た。ビーヤホールの女などと、面白そうにふざけていることの出来る男の品性が、陋しく浅猿しいもののように思えた。
「己はまた親の悪口なぞ云う女は大嫌いだ」
顔色を変えて、お島の側を離れると、小野田は黙って仕事に取りかかろうとして、電気を引張って行ってミシンを踏みはじめた。
そのミシンは、支払うべき金がなかったために、お島が機転を利かして、機械の工合がわるいと言って、新しく取替えたばかりの代物であった。そうすれば試用の間、一時また支払いが猶予される訳であった。
「こんな際どいことでもしなかった日には、私たちはとてもやって行けやしません。成功するには、どうしたってヤマを張る必要があります」
お島はその時もそう言って、自分の気働きを矜ったが、何の気もなさそうに、それに腰かけている小野田の様子が、間抜らしく見えた。
がたがたと動いていたミシンの音が止ると、彼は裁板の前に坐って、縫目を熨すためにアイロンを使いはじめた。
「ふむ、莫迦だね」
お島は無性に腹立しいような気がして、腕を組みながら溜息を吐いた。
「一生職人で終る人間だね。それでも田を踏んで暮す親よりかいくらか優だろう」
「生意気を言うな。手前の親がどれだけ立派なものだ。やっぱり土弄りをして暮しているじゃないか」
「ふむ、誰がその親のところへ、籍を入れてくれろと頼みに行ったんだ。私の親父はああ見えても産れが好いんです。昔はお庄屋さまで威張っていたんだから。それだって私は親のことなんか口へ出したことはありゃしない」
「お前がまた親不孝だから、親が寄せつけないんだ。そう威張ってばかりいても得は取れない。ちっとはお辞儀をして、金を引出す算段でもした方が、※[30]に悧巧なんだ」
小野田はいつもお島に勧めているようなことを、また言出した。
「意気地のないことを言っておくれでないよ。私は通りへ店を持つまでは、親の家へなんか死んでも寄りつかない意だからね」
「だから、お前は商売気がなくて駄目だというのだよ」
仕事が一と片着け片着く時分に、二人はまたこんな相談に耽りはじめた。