不如帰ほととぎす

一の三

 「やあ、くたびれた、くたびれた」

 足袋たび草鞋わらじぎすてて、出迎う二人ふたりにちょっと会釈しながら、廊下に上りて来し二十三四の洋服の男、提燈ちょうちん持ちし若い者を見返りて、

 「いや、御苦労、御苦労。その花は、面倒だが、湯につけて置いてもらおうか」

 「まあ、きれい!」

 「本当にま、きれいな躑躅つつじでございますこと! 旦那様、どちらでお採り遊ばしました?」

 「きれいだろう。そら、黄色いやつもある。葉が石楠しゃくなげに似とるだろう。明朝あすなみさんにけてもらおうと思って、折って来たんだ。……どれ、すぐ湯に入って来ようか」

 「本当に旦那様はお活発でいらっしゃいますこと! どうしても軍人のお方様はお違い遊ばしますねエ、奥様」

 奥様は丁寧にたたみし外套がいとうをそっと接吻せっぷんして衣桁いこうにかけつつ、ただほほえみて無言なり。

 階段はしごとどろと上る足音障子の外に絶えて、「ああいい心地きもち!」と入り来る先刻の壮夫わかもの

 「おや、旦那様もうお上がり遊ばして?」

 「男だもの。あはははは」と快く笑いながら、妻がきまりわるげにはお大縞おおじま褞袍どてら引きかけて、「失敬」と座ぶとんの上にあぐらをかき、両手にほおをなでぬ。栗虫くりむしのように肥えし五分刈り頭の、日にやけし顔はさながら熟せる桃のごとく、まゆ濃く目いきいきと、鼻下にうっすり毛虫ほどのひげは見えながら、まだどこやらに幼な顔の残りて、ほほえまるべき男なり。

 「あなた、お手紙が」

 「あ、乃舅おとっさんだな」

 壮夫わかものはちょいといずまいを直して、封を切り、なかをいだせば落つる別封。

 「これは浪さんのだ――ふむ、お変わりもないと見える……はははは滑稽こっけいをおっしゃるな……お話を聞くようだ」えみを含んで読み終えし手紙を巻いてそばに置く。

 「おまえにもよろしく。場所が変わるから、持病の起こらぬように用心おしっておっしゃってよ」と「浪さん」はぜんを運べる老女を顧みつ。

 「まあ、さようでございますか、ありがとう存じます」

 「さあ、飯だ、飯だ、今日きょうは握り飯二つで終日いちんち歩きずめだったから、腹が減ったこったらおびただしい。……ははは。こらあ何ちゅうさかなだな、あゆでもなしと……」

 「山女やまめとか申しましたっけ――ねエばあや」

 「そう? うまい、なかなかうまい、それお代わりだ」

 「ほほほ、旦那様のお早うございますこと」

 「そのはずさ。今日は榛名はるなから相馬そうまたけに上って、それからふただけに上って、屏風岩びょうぶいわの下まで来ると迎えの者に会ったんだ」

 「そんなにお歩き遊ばしたの?」

 「しかし相馬が嶽のながめはよかったよ。浪さんに見せたいくらいだ。一方は茫々ぼうぼうたる平原さ、利根とねがはるかに流れてね。一方はいわゆる山また山さ、その上から富士がちょっぽりのぞいてるなんぞはすこぶる妙だ。歌でもめたら、ひとつ人麿ひとまろと腕っ比べをしてやるところだった。あはははは。そらもひとつお代わりだ」

 「そんなに景色けしきがようございますの。行って見とうございましたこと!」

 「ふふふふ。浪さんが上れたら、金鵄きんし勲章をあげるよ。そらあ急嶮ひどい山だ、鉄鎖かなぐさりが十本もさがってるのを、つたって上るのだからね。僕なんざ江田島えたじまで鍛い上げたからだで、今でもすわというとマストでもリギングでもぶら下がる男だから、何でもないがね、浪さんなんざ東京の土踏んだ事もあるまい」

 「まあ、あんな事を」にっこり顔をあからめ「これでも学校では体操もいたしましたし――」

 「ふふふふ。華族女学校の体操じゃ仕方がない。そうそう、いつだっけ、参観に行ったら、琴だか何だかコロンコロン鳴ってて、一方で『地球の上に国というくうには』何とか歌うと、女生みんなが扇を持ってったりしゃがんだりぐるり回ったりしとるから、踊りの温習さらいかと思ったら、あれが体操さ! あはははは」

 「まあ、お口がお悪い!」

 「そうそう。あの時山木のむすめと並んで、垂髪おさげって、ありあ何とか言ったっけ、葡萄色ぶどういろはかまはいて澄ましておどってたのは、たしか浪さんだっけ」

 「ほほほほ、あんなことを! あの山木さんをご存じでいらっしゃいますの?」

 「山木はね、うちの亡父おやが世話したんで、今に出入りしとるのさ。はははは、浪さんが敗北したもんだから黙ってしまったね」

 「あんなこと!」

 「おほほほほ。そんなに御夫婦げんかを遊ばしちゃいけません。さ、さ、お仲直りのお茶でございますよ。ほほほほ」

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Last Modified:Thursday, February 13, 2025
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