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廃物利用奨励の愚挙であることはかつて別に述べましたが、贈答や送迎の廃止に熱中される婦人たちに対しても、その事の徒労であるのを私は気の毒に思います。贈答には自ら限度があります。昔から贈答に由って家を亡し産を破ったという例を聞きません。それが物質的理由で出来なくなれば、各自が気が附いて止めずに置かない性質のものです。飲酒の害と同一に言われないものです。私は酒さえも絶対に禁じることに反対しています。贈答の弊害や浪費を注意するのは好いに違いありませんが、贈答や送迎を単に金銭や時間の利害ばかりで批判するのは、愛や趣味のような大切な人間性の発揚を無視した野蛮な行為です。動物や自然人には贈答や送迎の必要がないかも知れませんが、こういう功利主義以上の感情生活を撥無して何処に文化人の生活があり得るでしょうか。私はそれらの婦人たちが進んで芸術の無用をさえ説かれるに到ることを怖れます。
世の中には、功利主義的の打算ばかりで生きて行かれない事もありませんから、買物帳をきちょうめんに附けたり、食べる物も食べず、自分と良人と子供との営養を削り取ってまで貯金の殖えることを楽みにして、唯だ口先ばかりで愛とか趣味とかを説き、他人の吉事に祝の品も贈らず、時々の音信に添えて珍しい物の贈答もせねば、他人の旅行に送迎を廃するというような日送りも、それでその人たちの感情が満足される限り、その人たち自身の処世法としては自由であると思いますが、それを印刷物や手紙やで私たちにまで勧告されるに到っては迷惑千万だといわねばなりません。そのような非人情的な運動に、他人の感触を害してまで力瘤を入れられる必要が何処にあるでしょうか。私は敢てそれを無駄なことだと断言します、私たちは経済的の打算ばかりで生きるには余りに自己の尊貴を知り過ぎました。