太平記 (Taiheiki) — 太平記 (国民文庫) 太平記巻第十八 不明 (Anonymous) 1366-1379 Taiheiki 太平記 Anonymous 不明 Kamakura-Muromachi-Azuchi-Momoyama Period 中世 14th century 14世紀 Fiction フィクション Japanese 日本語 Text 本文 1368 たいへいき Taiheiki 太平記 たいへいき Anonymous 不明 ふめい
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太平記 › 太平記 (国民文庫) 太平記巻第十八 Furigana ふりがな Vertical 縦書き
太平記 ( 国民文庫 ) 太平記巻第十八○先帝潜幸芳野事 主上( しゆしやう ) は重祚( ちようそ ) の御事( おんこと ) 相違候はじと、尊氏( たかうぢの ) 卿( きやう ) 様々被申たりし偽( いつはり ) の詞( ことば ) を御憑( おんたのみ ) 有( あつ ) て、自山門還幸( くわんかう ) 成( なり ) しか共( ども ) 、元来謀( たばか ) り進( まゐら ) せん為なりしかば、花山( くわざんの ) 院( ゐん ) の故宮( こきゆう ) に被押篭させ給( たまひ ) 、宸襟( しんきん ) を蕭颯( せうさつ ) たる寂寞( せきばく ) の中に悩( なやま ) さる。霜に響( ひび ) く遠寺( ゑんじ ) の鐘に御枕( おんまくら ) を欹( そばたて ) て、楓橋( ふうけう ) の夜泊( よるのとまり ) に、御哀( あはれ ) を副( そへ ) られ、梢に余( あま ) る北山( きたやま ) の雪に御簾( ぎよれん ) を撥( かかげ ) ては、梁園( りやうゑん ) の昔の御遊( ぎよいう ) に御涙( おんなみだ ) を催( もよほ ) さる。紅顔( こうがん ) 花の如( ごとく ) なりし三千( さんぜん ) の宮女( きゆうぢよ ) も、一朝の嵐に誘引( さそはれ ) て、何地( いづち ) ともなく成( なり ) しかば、夜( よん ) のをとゞに入( いら ) せ給( たまひ ) ても、夢より外( ほか ) の昔もなし。紫宸( ししん ) に星を列( つらね ) し百司( はくし ) の老臣も満天の雲に被掩、参仕( まゐりつかふ ) る人独( ひとり ) もなければ、天下の事如何に成( なり ) ぬ覧( らん ) と、可被尋聞召便( たより ) もなし。「抑( そもそも ) 朕( ちん ) が不徳何事( なにこと ) なれば、か程( ほど ) に仏神( ぶつしん ) にも放( はな ) たれ奉( たてまつ ) て、逆臣( ぎやくしん ) の為に被犯覧( らん ) 。」と、旧業( きうごふ ) の程浅猿( あさまし ) く、此世中( このよのなか ) も憑( たのみ ) 少く被思召ければ、寛平( くわんへい ) の遠き迹( あと ) をも尋ね、花山( くわざん ) の近き例をも追( おは ) ばやと思召立( おぼしめしたた ) せ給( たまひ ) ける処に、刑部( ぎやうぶの ) 大輔( たいふ ) 景繁( かげしげ ) 武家の許( ゆるし ) を得て、只一人伺候( しこう ) したりけるが、勾当内侍( こうたうのないし ) を以て潜( ひそか ) に奏聞申( そうもんまうし ) けるは、「越前の金崎( かねがさき ) の合戦に、寄手( よせて ) 毎度( まいど ) 打負( うちまけ ) 候なる間、加賀( かがの ) 国( くに ) ・剣( つるぎ ) ・白山( しらやま ) の衆徒等( しゆとら ) 御方( みかた ) に参り、富樫( とがしの ) 介( すけ ) が篭( こもつ ) て候那多( なた ) の城を責( せめ ) 落して金崎( かねがさき ) の後攻( ごづめ ) を仕らんと企( くはたて ) 候なる。是( これ ) を聞( きき ) て、還幸( くわんかう ) の時供奉( ぐぶ ) 仕( つかまつつ ) て京都へ罷上候( まかりのぼりさふらひ ) し菊池( きくち ) 掃部( かんもんの ) 助( すけ ) 武俊( たけとし ) ・日吉( ひよし ) 加賀( かがの ) 法眼( ほふげん ) 以下( いげ ) 、皆己( おのれ ) が国々へ逃下( にげくだつ ) て義兵を挙( あげ ) 、国中( こくちゆう ) を打順( うちしたが ) へて候なる間、天下の反覆( はんぶく ) 遠からじと、謳歌説( おうかのせつ ) 満耳に候。急ぎ近日の間( あひだ ) に、夜( よ ) に紛( まぎ ) れて大和( やまと ) の方へ臨幸成( なり ) 候( さふらひ ) て、吉野( よしの ) ・十津川( とつがは ) の辺( へん ) に皇居( くわうきよ ) を被定、諸国へ綸旨( りんし ) を被成下、義貞が忠心( ちゆうしん ) をも助( たすけ ) られ、皇統の聖化( せいくわ ) を被耀候へかし。」と、委細( ゐさい ) にぞ申入( まうしいれ ) たりける。主上( しゆしやう ) 事( こと ) の様( やう ) を具( つぶさ ) に被聞召、さては天下の武士猶( なほ ) 帝徳を慕ふ者多かりけり。是( これ ) 天照太神( あまてらすおほんがみ ) の、景繁( かげしげ ) が心に入替( いりかはら ) せ給( たまひ ) て、被示者也( なり ) と被思召ければ、「明夜( みやうや ) 必( かならず ) 寮( れう ) の御馬( おんむま ) を用意( ようい ) して、東の小門の辺に相待( あひまつ ) べし。」とぞ被仰出ける。相図( あひづ ) の刻限( こくげん ) にも成( なり ) ければ、三種( さんじゆ ) の神器( じんぎ ) をば、新勾当内侍( しんこうたうのないし ) に被持て、童部( わらんべ ) の蹈開( ふみあけ ) たる築地( ついぢ ) の崩( くづれ ) より、女房の姿にて忍出( しのびいで ) させ給ふ。景繁兼( かね ) てより用意( ようい ) したる事なれば、主上( しゆしやう ) をば寮( れう ) の御馬( おんむま ) に舁( かき ) 乗( の ) せ進( まゐら ) せ、三種( さんじゆの ) 神器( じんぎ ) を自( みづから ) 荷担( かたん ) して、未( いまだ ) 夜の中( うち ) に大和路( やまとぢ ) に懸( かかり ) て、梨間宿( なしまのしゆく ) までぞ落し進( まゐら ) せける。白昼( はくちう ) に南都( なんと ) を如此にて通らせ給はゞ、人の怪( あやし ) め申( まうす ) 事( こと ) もこそあれとて、主上( しゆしやう ) をば怪( あやし ) げなる張輿( はりごし ) に召替( めしかへ ) させ進( たてまつ ) て、供奉( ぐぶ ) の上北面( しやうほくめん ) 共( ども ) を輿舁( こしかき ) になし、三種( さんじゆ ) の神器( じんぎ ) をば足付( あしつけ ) たる行器( ほかゐ ) に入( いれ ) て、物詣( まうで ) する人の破篭( わりご ) なんど入( いれ ) て持( もた ) せたる様( やう ) に見せて、景繁夫( ぶ ) に成( なつ ) て是( これ ) を持つ。何( いづ ) れも皆習( なら ) はぬ態( わざ ) なれば、急ぐとすれども行( ゆき ) やらで、其( その ) 日( ひ ) の暮程( くれほど ) に内山( うちやま ) までぞ著( つか ) せ給( たまひ ) ける。此( ここ ) までも若( もし ) 敵の追蒐進( おつかけまゐ ) らする事もや有( あら ) んずらんと安き心も無( なか ) りければ、今夜( こんや ) 如何にもして吉野辺( よしのへん ) まで成進( なしまゐら ) せんとて、此( ここ ) より寮( れう ) の御馬( おんむま ) を進( まゐら ) せたれ共( ども ) 、八月二十八日の夜の事なれば道最( いと ) 暗( くらう ) して可行様( やう ) も無( なか ) りける処に、俄に春日( かすが ) 山の上より金峯山( きぶうぜん ) の嶺( みね ) まで、光物( ひかりもの ) 飛( とび ) 渡る勢( いきほ ) ひに見へて、松明( たいまつ ) の如くなる光終夜( よもすがら ) 天を耀( かかやか ) し地を照( てら ) しける間、行路( あんろ ) 分明( ぶんみやう ) に見へて程なく夜の曙( あけぼの ) に、大和( やまとの ) 国( くに ) 賀名生( あなふ ) と云( いふ ) 所へぞ落著( おちつか ) せ給( たまひ ) ける。此( この ) 所の有様、里遠( とほく ) して人烟( じんえん ) 幽( かすか ) に山深( ふかう ) して鳥の声も稀( まれ ) 也( なり ) 。柴( しば ) と云( いふ ) 物をかこいて家とし、芋野老( いもところ ) を堀( ほつ ) て渡世許( ばかり ) なれば皇居( くわうきよ ) に可成所もなく、供御( ぐご ) に備( そなふ ) べき其儲( そのまうけ ) も難尋。角( かく ) ては如何( いかが ) 可有なれば、吉野の大衆( だいしゆ ) を語( かたら ) ひて君を入進( いれまゐら ) せんと思( おもひ ) て、景繁則( すなはち ) 吉野へ行( ゆき ) 向ひ、当寺の宿老吉水( よしみづ ) の法印( ほふいん ) に此( この ) 由を申( まうし ) ければ、満山( まんさん ) の衆徒( しゆと ) を語( かたら ) ひ蔵王堂( ざわうだう ) に集会( しゆゑ ) して僉儀( せんぎ ) しけるは、「古( いにし ) へ清美原( きよみはら ) の天皇( てんわう ) 、大友( おほとも ) の皇子に被襲、此( この ) 所に幸成( みゆきなり ) しも、無程天下泰平( たいへい ) を被致。其先蹤( そのせんしよう ) に付( つい ) て今仙蹕( せんひつ ) を被促事( こと ) 、衆徒( しゆと ) 何ぞ異儀に可及乎( や ) 。就中( なかんづく ) 昨夜の光物( ひかりもの ) 臨幸の道を照( てら ) す。是( これ ) 然( しかしながら ) 当山の鎮守( ちんじゆ ) 蔵王権現( ざわうごんげん ) ・小守( こもり ) ・勝手大明神( かつてのだいみやうじん ) 、三種( さんじゆ ) の神器( じんぎ ) を擁護( おうご ) し万乗( ばんじよう ) の聖主を鎮衛( ちんゑ ) し給ふ瑞光( ずゐくわう ) 也( なり ) 。暫くも不可有猶予。」とて、若大衆( わかだいしゆ ) 三百( さんびやく ) 余人( よにん ) 、皆甲冑( かつちう ) を帯( たい ) して御迎( おんむかひ ) にぞ参りける。此外( このほか ) 楠帯刀( たてはき ) 正行( まさつら ) ・和田次郎・真木定観( まきのぢやうくわん ) ・三輪の西阿( せいあ ) 、紀伊( きの ) 国( くに ) には、恩地( おんぢ ) ・牲河( にへかは ) ・貴志( きし ) ・湯浅、五百騎( ごひやくき ) ・三百騎( さんびやくき ) 、引( ひき ) も切らず面々( めんめんに ) 馳参( はせまゐり ) ける間、雲霞( うんか ) の勢を腰輿( えうよ ) の前後に囲( かこ ) ませて、無程吉野へ臨幸( りんかう ) なる。春雷( しゆんらい ) 一たび動く時、蟄虫( ちつちゆう ) 萌蘇( はうそ ) する心地して、聖運忽( たちまち ) に開けて、功臣既( すで ) に顕( あらは ) れぬと、人皆歓喜( くわんぎ ) の思( おもひ ) をなす。
○高野( かうや ) 与根来不和( ふくわの ) 事( こと ) 先帝花山( くわざんの ) 院( ゐん ) を忍出( しのびいで ) させ玉( たまひ ) て吉野に潜幸( せんかう ) 成りしかば、近国の軍勢( ぐんぜい ) は申( まうす ) に不及、諸寺・諸社の衆徒・神官( じんぐわん ) に至( いたる ) まで、皆王化( わうくわ ) に随( したがつ ) て、或( あるひ ) は軍用を支( ささ ) へ、或( あるひ ) は御祷( おんいのり ) を致しけるに、根来( ねごろ ) の大衆は一人も吉野へ参( まゐ ) 〔ら〕ず。是( これ ) は必( かならず ) しも武家を贔負( ひいき ) して、公家を背申( そむきまうす ) には非( あら ) ず。此( この ) 君高野山を御崇敬有( ごそうきやうあつ ) て、方々の所領を被寄、様々の御立願有( ごりふぐわんあり ) と聞( きき ) て、偏執( へんしふ ) の心を挿( さしはさみ ) ける故( ゆゑ ) 也( なり ) 。抑( そもそも ) 為釈門徒者は、以柔和宗( むね ) とし以忍辱衣とする事にてこそあるに、根来と高野と、依何事是程( これほど ) 迄に霍執( くわくしつ ) の心をば結ぶぞと、事の起( おこ ) りを尋ぬれば、中比( なかごろ ) 高野伝法院( てんぽふゐん ) に、覚鑁( かくばん ) とて一人の上人御坐( おはし ) けり。一度( いちど ) 三密瑜伽( さんみつゆか ) の道場に入( いり ) しより、永四曼不離( くしまんふり ) の行業( ぎやうごふ ) に不懈、観法( くわんぼふ ) 座( ざ ) 闌( たけなはに ) して薫修( くんしゆ ) 年久しかりけるが、即身( そくしん ) 成仏と乍談、猶有漏( うろ ) の身を不替事を歎( なげき ) て、求聞持( くもんぢ ) の法を七座迄行ふ。され共三品成就( さんほんじやうじゆ ) の内、何( いづ ) れを得たりとも覚( おぼえ ) ざりければ、覚洞院( かくとうゐん ) の清憲( せいけん ) 僧正( そうじやう ) の室( しつ ) に入( いり ) 、一印( いちいん ) 一明( いちみやう ) を受( うけ ) て、又百日( ひやくにち ) 行( おこな ) ひ給ひければ、其( その ) 法忽( たちまち ) に成就( じやうじゆ ) して、自然( じねん ) 智を得給( たまひ ) て、浅略深秘( せんりやくじんひ ) の奥義( あうぎ ) 、不習底( そこ ) を極( きは ) め、不聞旨( むね ) を開けり。爰( ここ ) に我慢邪慢( がまんじやまん ) の大天狗共( てんぐども ) 、如何にして人の心中に依託( えたく ) して、不退( ふたい ) の行学( ぎやうがく ) を妨( さまたげ ) んとしけれ共( ども ) 、上人定力( ぢやうりき ) 堅固( けんご ) なりければ、隙( ひま ) を伺( うかがふ ) 事( こと ) を不得。されども或時上人温室( をんしつ ) に入( いつ ) て、瘡( かさ ) をたでられけるが、心身快( こころよう ) して纔( わづか ) の楽( たのしみ ) に婬著( いんぢやく ) す。是( この ) 時天狗共( てんぐども ) 力を得て、造作魔( ざうさくま ) の心をぞ付( つけ ) たりける。是( これ ) より覚鑁( かくばん ) 伝法院( てんぽふゐん ) を建立( こんりふ ) して、我門徒( わがもんと ) を昌( さかん ) にせばやと思ふ心懇( ねんごろ ) に成( なり ) ければ、鳥羽禅定( とばのぜんぢやう ) 法皇に経奏聞て、堂舎を立( たて ) 僧坊を作らる。されば一院の草創( さうさう ) 不日( ふじつ ) に事成りし後、覚鑁( かくばん ) 上人忽( たちまち ) に入定( にふぢやう ) の扉( とぼそ ) を閉( とぢ ) て、慈尊( じそん ) の出世五十六億七千万歳( ごじふろくおくしちせんまんさい ) の暁( あかつき ) を待( まち ) 給ふ。高野( かうや ) の衆徒等( しゆとら ) 是( これ ) を聞( きき ) て、「何条( なんでう ) 其御房( そのごばう ) 我慢の心にて被堀埋、高祖( かうそ ) 大師( だいし ) の御入定( ごにふぢやう ) に同じからんとすべき様( やう ) やある。其( その ) 儀ならば一院を破却( はきやく ) せよ。」とて、伝法院へ押寄せ堂舎を焼払( やきはら ) ひ、御廟( ごべう ) を堀破( ほりやぶつ ) て是( これ ) を見( みる ) に、上人は不動明王( みやうわう ) の形像( ぎやうざう ) にて、伽楼羅炎( かるらえん ) の内に座( ざ ) し給へり。或若大衆( あるわかだいしゆ ) 一人走( わし ) り寄( よつ ) て、是( これ ) を引立( ひきたて ) んとするに、其( その ) 身磐石( ばんじやく ) の如くにして、那羅延( ならえん ) が力にても動( うごか ) し難く、金剛( こんがう ) の杵( しよ ) も砕難( くだきがたく ) ぞ見へたりける。悪僧等( あくそうら ) 猶是( これ ) にも不恐、「穴( あな ) こと/\し。如何なる古狸( ふるたぬき ) ・古狐( ふるきつね ) なりとも、妖( ばく ) る程ならば是( これ ) にや劣( おと ) るべき。よし/\真( まこと ) の不動か、覚鑁( かくばん ) が妖( ばけ ) たる形か、打( うちて ) 見よ。」とて、大なる石を拾( ひろ ) ひ懸( かけ ) て十方より是( これ ) を打( うつ ) に、投( なぐ ) る飛礫( つぶて ) の声大日の真言( しんごん ) に聞へて、曾( かつ ) て其( その ) 身に不中、あらけて微塵( みぢん ) に砕( くだけ ) 去る。是( この ) 時覚鑁( かくばん ) 、「去( され ) ばこそ汝等( なんぢら ) が打( うつ ) 処の飛礫( つぶて ) 、全く我( わが ) 身に中( あた ) る事不可有。」と、少し■慢( けうまん ) の心被起ければ、一( ひとつ ) の飛礫( つぶて ) 上人の御額( おんひたひ ) に中( あたつ ) て、血の色漸( やうやく ) にして見へたりけり。「さればこそ。」とて、大衆共( だいしゆども ) 同音にどつと笑ひ、各( おのおの ) 院々( ゐんゐん ) 谷々( たにだに ) へぞ帰りける。是( これ ) より覚鑁( かくばん ) 上人の門徒( もんと ) 五百( ごひやく ) 坊( ばう ) 、心憂( こころうき ) 事( こと ) に思( おもひ ) て、伝法院の御廟を根来( ねごろ ) へ移して、真言( しんごん ) 秘密の道場を建立( こんりふ ) す。其( その ) 時の宿意( しゆくい ) 相残( あひのこつ ) て、高野・根来の両寺、動( ややも ) すれば確執( かくしつ ) の心を挿( さしはさ ) めり。
○瓜生( うりふ ) 挙旗事 去( さる ) 程( ほど ) に、先帝は吉野に御座有( あつ ) て、近国の兵馳( はせ ) 参る由聞へければ、京都の周章( しうしやう ) は申( まうす ) に不及、諸国の武士も又天下不穏と、安き心も無( なか ) りけり。此( この ) 事( こと ) 已( すで ) に一両月に及( および ) けれ共( ども ) 、金崎( かねがさき ) の城には出入( いでいり ) 絶( たえ ) たるに依( よつ ) て、知( しる ) 人も無( なか ) りける処に、十一月二日の朝暖( あさなぎ ) に、櫛川( くしかは ) の島崎( しまさき ) より金崎( かねがさき ) を差( さし ) て游( およぐ ) 者あり。海松( みる ) ・和布( わかめ ) を被( かづ ) く海士人( あまひと ) か、浪に漂( ただよ ) ふ水鳥かと、目を付( つけ ) て是( これ ) をみれば、其( それ ) には非( あら ) ずして、亘理( わたり ) 新左衛門( しんざゑもん ) と云( いひ ) ける者、吉野の帝( みかど ) より被成たる綸旨( りんし ) を、髻( もとどり ) には結付( ゆひつけ ) て游ぐにてぞ有( あり ) ける。城の中の人々驚( おどろき ) て、急ぎ開( ひらい ) て見るに、先帝潜( ひそか ) に吉野へ臨幸( りんかう ) 成( なつ ) て、近国の士卒( じそつ ) 悉( ことごとく ) 馳参( はせまゐ ) る間、不日( ふじつ ) に京都を可被責由被載たり。寄手( よせて ) は是( これ ) を聞( きき ) て、此際( このあひだ ) 隠( かく ) しつる事を、城中( じやうちゆう ) に早( はや ) 知( しり ) ぬと不安思へば、城の内には助( たすけ ) の兵共( つはものども ) 国々に出来( いできたつ ) て、今に寄手( よせて ) を追掃( おひはらひ ) ぬと、悦( よろこび ) の心( こころ ) 身に余( あま ) れり。中にも瓜生( うりふ ) 判官( はうぐわん ) 保( たもつ ) 、足利( あしかが ) 尾張( をはりの ) 守( かみ ) 高経( たかつね ) の手に属( しよく ) して金崎( かねがさき ) の責口( せめくち ) にあり。其弟( そのおとと ) 兵庫( ひやうごの ) 助( すけ ) 重( しげし ) ・弾正左衛門照( てらす ) ・義鑑房( ぎかんばう ) 三人( さんにん ) は、未( いまだ ) 金崎( かねがさき ) へは向( むか ) はで、杣山( そまやま ) の城に有( あり ) けるが、去月十一日に、新田( につた ) の人々北国へ被落たりし時、義鑑房が隠置( かくしおき ) たりし、脇屋( わきや ) 右衛門( うゑもんの ) 佐( すけ ) の子息、式部( しきぶの ) 大輔( たいふ ) 義治( よしはる ) を大将として、義兵を挙( あげ ) んと日々夜々にぞ巧( たくみ ) ける。兄の判官此( これ ) 事( こと ) を聞( きき ) て、「此( この ) 者共( ものども ) 若( もし ) 楚忽( そこつ ) に謀叛を発( おこ ) さば、我( われ ) 必( かならず ) 存知せぬ事は非じとて、金崎( かねがさき ) にて討( うた ) れぬ。」と思( おもひ ) ければ、兄弟一( ひとつ ) に成( なつ ) てこそ、兎( と ) も角( かく ) も成( なら ) めと思返( おもひかへ ) して、哀( あはれ ) 同心する人あれかしと、壁( かべ ) に耳を付( つけ ) て、心を人の腹に置( おい ) て、兎角( とかう ) 伺( うかが ) ひ聞( きき ) ける折節( をりふし ) 、陣屋を双( なら ) べて居たりける宇都宮( うつのみや ) 美濃( みのの ) 将監( しやうげん ) と、天野( あまの ) 民部( みんぶの ) 大輔( たいふ ) と寄合( よりあつ ) て、四方山( よもやま ) の雑談( ざふだん ) の次( ついで ) に、家々の旗の文共( もんども ) を云沙汰( いひさた ) しける処に、誰とは不知末座( まつざ ) なる者、「二引両( ふたつひきりやう ) と大中黒( おほなかぐろ ) と、何( いづ ) れか勝( すぐ ) れたる文( もん ) にて候覧( らん ) 。」と問( とひ ) ければ、美濃( みのの ) 将監( しやうげん ) 、「文( もん ) の善悪( ぜんあく ) をば暫( しばらく ) 置く、吉凶を云( いふ ) 者、大中黒程目出( めでた ) き文( もん ) は非じと覚( おぼ ) ゆ。其( その ) 故は前代の文( もん ) に三鱗形( みついろこがた ) をせられしが滅びて、今の世二引両( ふたつひきりやう ) に成( なり ) ぬ。是( これ ) を又亡( ほろぼ ) さんずる文( もん ) は、一引両( ひとつひきりやう ) にてこそあらんずらん。」と申( まうし ) ければ、天野( あまの ) 民部( みんぶの ) 大輔( たいふ ) 、「勿論( もちろんに ) 候、周易( しうえき ) と申( まうす ) 文( ふみ ) には、一文字( いちもんじ ) をばかたきなしと読( よみ ) て候なる。されば此御文( このごもん ) は、如何様( いかさま ) 天下を治めて、五畿七道を悉( ことごとく ) 敵無( なき ) 世に成( なし ) ぬと覚( おぼえ ) て候。」と、文字に付( つき ) て才学( さいかく ) を吐( はき ) ければ、又傍( かたは ) らなる者の、「天に口なし以人云( いは ) しむ。」と、無憚所笑戯( わらひたはむ ) れければ、瓜生( うりふ ) 判官( はうぐわん ) 是( これ ) を聞( きき ) て、「さては此( この ) 人々も、野心( やしん ) を挿( さしはさ ) む所存有( あり ) けり。」と、嬉( うれし ) く思( おもひ ) て、常に酒を送り茶を進( すすめ ) て連々( れんれん ) に睦近付( むつびちかづき ) て後、大儀( たいぎ ) を思立( おもひたち ) 候由を語りければ、宇都宮( うつのみや ) も天野( あまの ) も、「子細( しさい ) 非じ。」とぞ同じける。さらば軈( やが ) て杣山( そまやま ) へ帰( かへつ ) て旗を挙( あげ ) んと評定( ひやうぢやう ) しける処に、諸国の軍勢共( ぐんぜいども ) 、暇( いとま ) をも不乞、己( おのれ ) が所領へ抜々( ぬけぬけ ) に帰りけるを押留( おしとど ) めん為に、高( かうの ) 越後( ゑちごの ) 守( かみ ) 、四方( しはう ) の口々に堅く兵士( ひやうし ) を居( すゑ ) て人を不通。若( もし ) は所用ありて、此( この ) 道を通る人は、師泰( もろやす ) が判形( はんぎやう ) を取( とつ ) てぞ通( とほ ) りける。瓜生( うりふ ) 判官( はうぐわん ) 、さらば此関( このせき ) を謀( たばかつ ) て通らんと思( おもひ ) て、越後( ゑちごの ) 守( かみ ) の許( もと ) に行( ゆき ) て、「御馬( おんむま ) の大豆( まめ ) を召進( めしまゐら ) せん為に、杣山( そまやま ) へ人夫( にんぶ ) を百五十人( ひやくごじふにん ) 可遣候。関所( せきところ ) の御札( ふだ ) を給( たまは ) り候へ。」と云( いひ ) ければ、師泰が執事( しつじ ) 山口入道、杉板を札( ふだ ) に作( つくつ ) て、「此( この ) 人夫百五十人( ひやくごじふにん ) 可通。」と書( かき ) て判を居( すゑ ) てぞ出( いだ ) しける。瓜生( うりふ ) 此( この ) 札を請取( こひとつ ) て、下なる判形許( はんぎやうばかり ) を残し置( おき ) て、上なる文字を皆押削( おしけづり ) て、「上下三百人( さんびやくにん ) 可通。」と書直( かきなほ ) し、宇都宮( うつのみや ) ・天野相共( あひとも ) に、三山寺( みやまてら ) の関所( せきところ ) を無事故通( とほり ) てげり。瓜生( うりふ ) 判官( はうぐわん ) 杣山( そまやま ) に帰りければ、三人( さんにん ) の弟共( おととども ) 大( おほき ) に悦( よろこび ) て、軈( やがて ) 式部( しきぶの ) 大輔( たいふ ) 義治( よしはる ) を大将として、十一月八日飽和( あくわ ) の社( やしろ ) の前にて中黒( なかぐろ ) の旗を挙( あげ ) ける程( ほど ) に、去( さん ) ぬる十月坂本( さかもと ) より落下( おちくだり ) ける軍勢( ぐんぜい ) 、此彼( ここかしこ ) に隠居( かくれゐ ) たりけるが、此( この ) 事( こと ) を聞( きき ) て何( いつ ) の間( ま ) にか馳来( はせきた ) りけん、無程千( せん ) 余騎( よき ) に成( なり ) にけり。則( すなはち ) 其( その ) 勢( せい ) を五百( ごひやく ) 余騎( よき ) 差分( さしわけ ) て、鯖並( さばなみ ) の宿( しゆく ) ・湯尾( ゆのを ) の峠( たうげ ) に関( せき ) を居( すゑ ) て、北国の道を差塞( さしふさぐ ) 。昔の火打( ひうち ) が城の巽( たつみ ) に当る山の、水木足( たつ ) て嶮( けはし ) く峙( そばだち ) たる峯( みね ) を攻( つめ ) の城に拵( こしらへ ) て、兵粮七千( しちせん ) 余石( よこく ) 積篭( つみこめ ) たり。是( これ ) は千万( せんまん ) 蒐合( かけあひ ) の軍( いくさ ) に打負( うちまく ) る事あらば、楯篭( たてこも ) らん為の用意( ようい ) 也( なり ) 。越後( ゑちごの ) 守( かみ ) 師泰( もろやす ) は此( この ) 由を聞( きき ) て、「若( もし ) 遅( おそ ) く退治せば、剣( つるぎ ) ・白山( しらやま ) の衆徒等( しゆとら ) 成合( なりあひ ) て、由々敷( ゆゆしき ) 大事( だいじ ) なるべし、時を不替杣山( そまやま ) を打( うち ) 落して、金崎( かねがさき ) の城を心安く可責。」とて、能登・加賀・越中三箇国( さんかこく ) の勢六千( ろくせん ) 余騎( よき ) を、杣山( そまやま ) の城へぞ差向( さしむけ ) ける。瓜生( うりふ ) 是( これ ) を聞( きき ) て、敵の陣を要害に取( とら ) せじとて、新道( しんだう ) ・今庄( いまじやう ) ・桑原・宅良( たくら ) ・三尾( みつのを ) ・河内( かはのうち ) 四五里が間の在家( ざいけ ) を一宇( いちう ) も不残焼払( やきはらつ ) て、杣山( そまやま ) の城の麓なる湯尾( ゆのを ) の宿許( しゆくばかり ) をば、態( わざと ) 焼残( やきのこ ) してぞ置( おき ) たりける。去( さる ) 程( ほど ) に、十一月二十三日( にじふさんにち ) 、寄手( よせて ) 六千( ろくせん ) 余騎( よき ) 、深雪( じんせつ ) に橇( がんじき ) をも懸( かけ ) ず、山路( やまぢ ) 八里を一日に越( こえ ) て、湯尾( ゆのを ) の宿( しゆく ) にぞ著( つい ) たりける。此( ここ ) より杣山( そまやま ) へは五十町( ごじつちよう ) を隔( へだて ) て、其際( そのあいだ ) に大河あり。日暮( くれ ) て路に歩( あゆ ) み疲( つか ) れぬ、明日こそ相近付( あひちかづい ) て、矢合( やあはせ ) をもせめとて、僅( わづか ) なる在家( ざいけ ) に攻( つま ) り居( ゐ ) て、火を焼( たき ) 身を温( あたた ) めて、前後も不知して寝( ね ) たりける。瓜生( うりふ ) は兼( かね ) て案( あん ) の図( づ ) に敵を谷底へ帯( おび ) き入( いれ ) て、今はかうと思( おもひ ) ければ、其( その ) 夜の夜半許( やはんばかり ) に、野伏( のぶし ) 三千人( さんぜんにん ) を後( うしろ ) の山へあげ、足軽( あしがる ) の兵七百( しちひやく ) 余人( よにん ) 左右へ差回( さしまは ) して、鬨声( ときのこゑ ) をぞ揚( あげ ) たりける。寝( ね ) をびれたる寄手共( よせてども ) 、時声( ときのこゑ ) に驚( おどろい ) て周章翊( あわてふため ) く処へ、宇都宮( うつのみや ) ・紀清( きせい ) の両党乱入( みだれいつ ) て、家々に火を懸( かけ ) たれば、物具( もののぐ ) したる者は太刀を不取、弓を持( もち ) たる者は矢を不矯。五尺( ごしやく ) 余( あまり ) 降積( ふりつもつ ) たる雪の上に橇( がんじき ) も不懸して走出( わしりいで ) たれば、胸の辺迄( へんまで ) 落入( おちいつ ) て、足を抜( ぬか ) んとすれ共不叶。只( ただ ) 泥( どろ ) に粘( ねられ ) たる魚の如( ごとく ) にて、被生虜者三百( さんびやく ) 余人( よにん ) 、被討者は不知数を。希有( けう ) にして逃延( にげのび ) たる人も、皆物具( もののぐ ) を捨( す ) て、弓箭( ゆみや ) を失はぬ者は無( なか ) りけり。
○越前( ゑちぜんの ) 府( ふの ) 軍( いくさ ) 並( ならびに ) 金崎( かねがさき ) 後攻( ごづめの ) 事( こと ) 北国の道塞( ふさがつ ) て、後( うしろ ) に敵あらば、金崎( かねがさき ) を責( せめ ) ん事難儀なるべし。如何にもして杣山( そまやま ) の勢を、国中へはびこらぬ様( やう ) にせでは叶( かなふ ) まじとて、尾張( をはりの ) 守( かみ ) 高経( たかつね ) 、北陸道( ほくろくだう ) 四箇国( しかこく ) の勢三千( さんぜん ) 余騎( よき ) を率( そつ ) して、十一月二十八日に、蕪木( かぶらき ) の浦より越前の府( ふ ) へ帰( かへり ) 給ふ。瓜生此( この ) 事( こと ) を聞( きき ) て、敵に少しも足をためさせては悪( あし ) かるべしとて、同( おなじき ) 二十九日に、三千( さんぜん ) 余騎( よき ) にて押寄せ、一日( いちにち ) 一夜( いちや ) 責戦( せめたたかひ ) て、遂に高経が楯篭( たてごもつ ) たる新善光寺( しんぜんくわうじ ) の城を責( せめ ) 落す。此( この ) 時又被討者三百( さんびやく ) 余人( よにん ) 、生虜( いけどり ) 百三十人( さんじふにん ) が首( くび ) を刎( はね ) て、帆山河原( ほやまかはら ) に懸並( かけなら ) ぶ。夫( それ ) より式部( しきぶの ) 大輔( たいふ ) 義治( よしはる ) 勢( いきほ ) ひ漸く近国に振ひければ、平泉寺( へいせんじ ) ・豊原( といはら ) の衆徒、当国他国の地頭( ぢとう ) ・御家人( ごけにん ) 、引出物( ひきでもの ) を捧( ささ ) げ酒肴( さけさかな ) を舁( かか ) せて、日々に群集( くんじゆ ) しけれども、義治よに無興( ぶきよう ) げなる体( てい ) にのみ見へ給( たまひ ) ければ、義鑑房御前( おんまへ ) に近( ちかづい ) て、「是( これ ) 程目出( めでた ) き砌( みぎり ) にて候に、などや勇みげなる御気色( ごきしよく ) も候はぬやらん。」と申( まうし ) ければ、義治袖掻収( かきをさ ) め給( たまひ ) て、「御方( みかた ) 両度の軍( いくさ ) に打勝( うちかつ ) て、敵を多く亡( ほろぼ ) したる事( こと ) 、尤( もつとも ) 可悦処なれ共( ども ) 、春宮( とうぐう ) を始進( はじめまゐら ) せて、当家( たうけ ) の人々金崎( かねがさき ) の城に被取篭御座( ごさ ) あれば、さこそ兵粮にも詰( つま ) り戦( たたかひ ) にも苦( くるし ) みて、心安き隙( ひま ) もなく御坐( おは ) すらめと想像( おもひやり ) 奉る間、酒宴に臨め共( ども ) 楽( たのし ) む心も候はず。」と宣へば、義鑑房畏( かしこまつ ) て申( まうし ) けるは、「其( その ) 事( こと ) にて候はゞ、御心( おんこころ ) 安く被思召候へ。此間( このあひだ ) は余( あま ) りに雪吹( ふぶき ) 烈( はげし ) くして、長途( ちやうど ) の歩立( かちだち ) 難儀に候間( あひだ ) 、天気の少し晴るゝ程を相待( あひまつ ) にて候。」とて、感涙を押( おさ ) へながら御前( おんまへ ) をぞ立( たち ) にける。宇都宮( うつのみや ) と小野寺( をのでら ) と牆越( かきごし ) に是( これ ) を聞( きき ) て、「好堅樹( かうけんじゆ ) は地の底に有( あつ ) て芽( げ ) 百囲( ひやくゐ ) をなし、頻伽羅( びんぎやら ) は卵( かひこ ) の中に有( あつ ) て声( こゑ ) 衆鳥に勝( すぐ ) れたり」といへり。此( この ) 人丈夫( ぢやうぶ ) の心ねをはして、加様( かやう ) に思ひ給( たまひ ) けるこそ憑( たのも ) しけれ。さらば軈( やが ) て金崎( かねがさき ) の後攻( ごづめ ) をすべし。」とて、兵( つはもの ) を集め楯を作( はが ) せて、さ程雪の降( ふら ) ぬ日を門出( かどで ) にしてぞ相待( あひまち ) ける。正月七日椀飯( わうばん ) 事( こと ) 終( をはり ) て、同十一日雪晴( はれ ) 風止( やみ ) て、天気少し長閑( のどか ) なりければ、里見( さとみ ) 伊賀( いがの ) 守( かみ ) を大将として、義治( よしはる ) 五千( ごせん ) 余人( よにん ) を金崎( かねがさき ) の後攻( ごづめ ) の為に敦賀( つるが ) へ被差向。其( その ) 勢( せい ) 皆雪吹( ふぶき ) の用意( ようい ) をして、物具( もののぐ ) の上に蓑笠( みのかさ ) を著( き ) 、踏組( ふぐつ ) の上に橇( がんじき ) を履( ふん ) で、山路( やまぢ ) 八里が間の雪蹈分( ふみわけ ) て、其( その ) 日( ひ ) 桑原迄ぞ寄( よせ ) たりける。高( かうの ) 越後( ゑちごの ) 守( かみ ) も兼( かね ) て用意( ようい ) したる事なれば、敦賀津( つるがのつ ) より二十( にじふ ) 余町( よちやう ) 東に当( あたつ ) て、究竟( くつきやう ) の用害( ようがい ) の有( あり ) ける処へ、今河( いまがは ) 駿河( するがの ) 守( かみ ) を大将として、二万( にまん ) 余騎( よき ) を差向( さしむけ ) て、所々( しよしよ ) に掻楯( かいだて ) 掻( かか ) せて、今や寄( よす ) ると待懸( まちかけ ) たり。夜明( あけ ) ければ先( まづ ) 一番に、宇都宮( うつのみや ) ・紀清( きせい ) 両党三百( さんびやく ) 余人( よにん ) 押寄( おしよせ ) て、坂中( さかなか ) なる敵千( せん ) 余人( よにん ) を遥( はるか ) の峯へ巻( まく ) り上( あげ ) て、軈( やがて ) 二陣の敵に蒐( かか ) らんとしけるが、両方の峯なる大勢に被射立、北なる峯へ引退( ひきしりぞ ) く。二番に瓜生( うりふ ) ・天野( あまの ) ・斉藤・小野寺七百( しちひやく ) 余騎( よき ) 、鋒( きつさき ) を調( そろ ) へて上( あが ) りけるに、駿河( するがの ) 守( かみ ) の堅めたる陣を三箇所( さんかしよ ) 被追破、はつと引( ひき ) ける処へ、越後( ゑちごの ) 守( かみ ) が勢三千( さんぜん ) 余騎( よき ) 、荒手( あらて ) に代( かはつ ) て相( あひ ) 戦ふ処に、瓜生・小野寺が勢又追立( おつたて ) られて、宇都宮( うつのみや ) と一( ひとつ ) に成( なら ) んと、傍( そば ) なる峯へ引上( ひきあが ) りけるを、里見( さとみ ) 伊賀( いがの ) 守( かみ ) 僅( わづか ) の勢にて、「蓬( きたな ) し、返せ。」とて横合( よこあひ ) に進まれたり。敵是( これ ) を大将よと見てんげれば、自余( じよ ) の葉武者( はむしや ) には懸( かか ) らず、をつ取篭( とりこめ ) て討( うた ) んとしけるを、瓜生と義鑑房と屹( きつ ) と見て、「我等爰( ここ ) にて討死せでは御方( みかた ) の勢( せい ) は助( たすか ) るまじき処ぞ。」と自嘆( じたん ) して、只二人( ににん ) 打( うつ ) て蒐( かか ) り、敵の中へ破( わつ ) て入( いら ) んとするを見て、判官が弟( おとと ) 林( はやしの ) 次郎入道源琳( げんりん ) ・同( おなじき ) 舎弟兵庫( ひやうごの ) 助( すけ ) 重( しげし ) ・弾正左衛門照( てらす ) 三人( さんにん ) 是( これ ) を見て、遥( はるか ) に落延( おちのび ) たりけるが、共に討死( うちじに ) せんと取( とつ ) て返( かへ ) しけるを、義鑑房( ぎかんばう ) 尻目( しりめ ) に睨( にらん ) で、「日来( ひごろ ) 再三謂( いひ ) し事をば何( いつ ) の程( ほど ) に忘れけるぞ。我等( われら ) 二人( ににん ) 討死したらんは、永代の負( まけ ) にて有( あら ) んずるを、思篭( おもひこむ ) る心の無( なか ) りける事の云( いふ ) 甲斐なさよ。」と、あらゝかに申留( まうしとど ) めける間、三人( さんにん ) の者共( ものども ) 、現( げ ) もと思返( おもひかへ ) して少し猶予( いうよ ) しける間、大勢の敵に中( なか ) を被押隔、里見( さとみ ) ・瓜生・義鑑房三人( さんにん ) は一所( いつしよ ) にて被討にけり。桑原より深雪( じんせつ ) を分( わけ ) て重鎧( おもよろひ ) に肩をひける者共( ものども ) 、数刻( すこく ) の合戦に入替( いりかは ) る勢もなく戦疲( たたかひつか ) れければ、返さんとするに力尽( つ ) き引( ひか ) んとするに足たゆみぬ。されば此彼( ここかしこ ) に引延( ひきのび ) て、腹を切( きる ) 者数( かず ) を不知( しらず ) 。適( たまたま ) 落延( おちのぶ ) る兵( つはもの ) も、弓矢・物具( もののぐ ) を棄( すて ) ぬはなし。「さてこそ先日( せんじつ ) 府( ふ ) ・鯖並( さばなみ ) の軍( いくさ ) に多く捨( すて ) たりし兵具共( ひやうぐども ) をば、今皆取返( とりかへし ) たれ。」と、敦賀( つるが ) の寄手共( よせてども ) は笑( わらひ ) ける。是程( これほど ) に不定( ふぢやう ) の人間、化( あだ ) なる身命を資( たすからん ) とて、互に罪業( ざいごふ ) を造( つく ) り、長き世の苦( くるし ) みを受( うけ ) ん事こそ浅猿( あさまし ) けれ。
○瓜生判官( うりふはうぐわん ) 老母( らうぼが ) 事( こと ) 付( つけたり ) 程嬰( ていえい ) 杵臼( しよきうが ) 事( こと ) 去( さる ) 程( ほど ) に、敗軍( はいぐん ) の兵共( つはものども ) 杣山( そまやま ) へ帰( かへり ) ければ、手負( ておひ ) ・死人の数を註( しる ) すに、里見( さとみ ) 伊賀( いがの ) 守( かみ ) ・瓜生兄弟・甥( をひ ) の七郎( しちらう ) が外( ほか ) 、討死する者五十三人( ごじふさんにん ) 蒙疵者五百( ごひやく ) 余人( よにん ) 也( なり ) 。子は父に別れ弟( おとと ) は兄に殿( おく ) れて、啼哭( ていこく ) する声家々に充満( みちみちた ) り。去共( されども ) 瓜生判官が老母( らうぼ ) の尼公( にこう ) 有( あり ) けるが、敢( あへ ) て悲( かなし ) める気色( きしよく ) もなし。此尼公( このにこう ) 大将義治の前に参( まゐつ ) て、「此( この ) 度敦賀( つるが ) へ向ふて候者共( ものども ) が不覚( ふかく ) にてこそ里見殿( さとみどの ) を討( うた ) せ進( まゐら ) せて候へ。さこそ被思召候らめと、御心中推量( おしはか ) り進( まゐら ) せて候。但( ただし ) 是( これ ) を見ながら、判官兄弟何( いづ ) れも無恙してばし帰り参りて候はゞ、如何に今一入( ひとしほ ) うたてしさも無遣方候べきに、判官が伯父( をぢ ) ・甥( をひ ) 三人( さんにん ) の者、里見殿( さとみどの ) の御供( おんとも ) 申し、残( のこり ) の弟( おとと ) 三人( さんにん ) は、大将の御為に活( いき ) 残りて候へば、歎( なげき ) の中( うち ) に悦( よろこび ) とこそ覚( おぼえ ) て候へ。元来上( うへ ) の御為に此( この ) 一大事( いちだいじ ) を思立候( おもひたちさふらひ ) ぬる上は、百千の甥子共( をひこども ) が被討候( さうらふ ) 共( とも ) 、可歎にては候はず。」と、涙を流して申( まうし ) つゝ、自( みづから ) 酌( しやく ) を取( とつ ) て一献( いつこん ) を進め奉りければ、機( き ) を失へる軍勢( ぐんぜい ) も、別( わかれ ) を歎く者共( ものども ) も、愁( うれへ ) を忘れて勇( いさ ) みをなす。抑( そもそも ) 義鑑房が討死しける時、弟( おとと ) 三人( さんにん ) が続( つづい ) て返しけるを、堅く制( せい ) し留( とど ) めける謂( いは ) れを如何にと尋ぬれば、此( この ) 義鑑房合戦に出( いで ) ける度毎( たびごと ) に、「若( もし ) 此軍( このいくさ ) 難儀に及( およ ) ばゞ、我等( われら ) 兄弟の中に一両人は討死をすべし。残( のこり ) の兄弟は命を全( まつたく ) して、式部( しきぶの ) 大輔( たいふ ) 殿( どの ) を取立進( とりたてまゐら ) すべし。」とぞ申( まうし ) ける。是( これ ) も古( いにし ) への義を守り人を規( のり ) とせし故( ゆゑ ) 也( なり ) 。昔( むかし ) 秦( しん ) の世に趙盾( てうとん ) ・智伯( ちはく ) と云( いひ ) ける二人( ににん ) 、趙( てう ) の国を諍( あらそ ) ふ事年久し。或時( あるとき ) 智伯( ちはく ) 已( すで ) に趙盾( てうとん ) がために被取巻、夜明( あけ ) なば討死せんとしける時、智伯( ちはく ) が臣程嬰( ていえい ) ・杵臼( しよきう ) と云( いひ ) ける二人( ににん ) の兵( つはもの ) を呼寄( よびよせ ) て、「我( われ ) 已( すで ) に運命極迄( きはまりいたつて ) 趙盾に囲( かこ ) まれぬ。夜明( あけ ) ば必( かならず ) 討死すべし。汝等我に真実( しんじつ ) の志深くば、今夜潜( ひそか ) に城を逃出( にげいで ) て、我( わが ) 三歳の孤( みなしご ) を隠置( かくしおい ) て、長( ひとと ) ならば趙盾を亡( ほろぼ ) して、我( わが ) 生前の恥を雪( きよ ) むべし。」とぞ宣ひける。程嬰( ていえい ) ・杵臼( しよきう ) 是( これ ) を聞( きき ) て、「臣等主君と共に討死仕( つかまつら ) ん事は近( ちかう ) して易( やす ) し。三歳の孤( みなしご ) を隠( かく ) して命を全( まつたう ) せん事は遠( とほく ) して難( かた ) し。雖然、為臣道豈( あに ) 易( やすき ) を取( とつ ) て難( かた ) きを捨( すて ) ん哉( や ) 。必( かならず ) 君の仰( おほせ ) に可随。」とて、程嬰( ていえい ) ・杵臼( しよきう ) は、潜( ひそか ) に其( その ) 夜紛( まぎ ) れて城を落( おち ) にけり。夜明( あけ ) ければ、智伯( ちはく ) 忽( たちまち ) に討死して残る兵( つはもの ) も無( なか ) りしかば、多年諍( あらそ ) ひし趙( てうの ) 国( くに ) 終( つひ ) に趙盾( てうとん ) に随ひけり。爰( ここ ) に程嬰( ていえい ) ・杵臼( しよきう ) 二人( ににん ) は、智伯( ちはく ) が孤( みなしご ) を隠( かく ) さんとするに趙盾是( これ ) を聞付( ききつけ ) て、討( うた ) んとする事頻( しきり ) 也( なり ) 。程嬰( ていえい ) 是( これ ) を恐れて、杵臼( しよきう ) に向( むかつ ) て申( まうし ) けるは、「旧君( きうくん ) 三歳の孤( みなしご ) を以て、此( この ) 二人( ににん ) の臣に託( たくし ) たり。されば死( しし ) て敵を欺( あざむ ) かんと、暫( しばら ) く命( いのち ) を生( いき ) て孤( みなしご ) を取立( とりたて ) んと、何( いづ ) れか難( かた ) かるべき。」杵臼( しよきう ) が云( いは ) く、「死は一心の義に向ふ処に定( さだま ) り、生( せい ) は百慮( はくりよ ) の智を尽( つく ) す中に全( まつた ) し。然( しから ) ば吾( われ ) 生( せい ) を以て難( かた ) しとす。」と。程嬰( ていえい ) 、「さらば吾( われ ) は難( かた ) きに付( つい ) て命を全( まつたう ) すべし。御辺( ごへん ) は易( やす ) きに付( つい ) て討死せらるべし。」と云( いふ ) に、杵臼( しよきう ) 悦( よろこん ) で許諾( きよだく ) す。「さらば謀( はかりこと ) を回( めぐら ) すべし。」とて、杵臼( しよきう ) 我( わが ) 子の三歳に成( なり ) けるを旧主( きうしゆ ) の孤( みなしご ) なりと披露( ひろう ) して、是( これ ) を抱( いだ ) きかゝへ、程嬰( ていえい ) は主( しゆ ) の孤( みなしご ) 三( みつつ ) になるを我( わが ) 子なりと云( いひ ) て、朝夕是( これ ) を養育( やういく ) しける。角( かく ) て杵臼( しよきう ) は山深き栖( すみか ) に隠( かく ) れ、程嬰( ていえい ) は趙盾が許( もと ) に行( ゆき ) て、可降参由を申( まうす ) に、趙盾猶( なほ ) も心を置( おき ) て是( これ ) を不許。程嬰( ていえい ) 重( かさね ) て申( まうし ) けるは、「臣は元( もと ) 智伯( ちはく ) が左右に仕( つか ) へて、其行跡( そのふるまひ ) を見しに、遂( つひ ) に趙( てう ) の国を失はんずる人なりとしれり。遥( はるか ) に君の徳恵( とくけい ) を聞( きく ) に、智伯( ちはく ) に勝( すぐ ) れ給へる事千里を隔( へだて ) たり。故( ゆゑ ) に臣苟( いやしく ) も趙盾に仕へん事を乞( こふ ) 。豈( あに ) 亡国の先人( せんじん ) の為に有徳( いうとく ) の賢君( けんくん ) を謀( たばか ) らんや。君若( もし ) 我( われ ) をして臣たる道を許されば、亡君智伯( ちはく ) が孤( みなしご ) 三歳になる此( ここ ) にあり。杵臼( しよきう ) が養育深く隠置( かくしおき ) たる所我( われ ) 具( つぶさ ) にしれり。君是( これ ) を失( うしなは ) せ給ひ、趙国を永く令安給へ。」とぞ申( まうし ) たりける。趙盾是( これ ) を聞( きき ) 給ひて、さては程嬰( ていえい ) 不偽吾が臣とならんと思( おもひ ) けると信じて、程嬰( ていえい ) に武官を授( さづけ ) て、あたり近く被召仕けり。さて杵臼( しよきう ) が隠( かく ) したる所を委( くはしく ) 尋聞( たづねきき ) て、数千騎( すせんぎ ) の兵( つはもの ) を差遣( さしつかは ) して是( これ ) を召捕( めしと ) らんとするに、杵臼( しよきう ) 兼( かね ) て相謀( あひはかり ) し事なれば、未( いまだ ) 膝の上なる三歳の孤( みなしご ) を差( さし ) 殺して、「亡君智伯( ちはく ) の孤( みなしご ) 運命拙( つたなう ) して謀( はかりごと ) 已( すで ) に顕( あらは ) れぬ。」と喚( よばはつ ) て、杵臼( しよきう ) も腹掻切( かききつ ) て死( しし ) にけり。趙盾( てうとん ) 今より後( のち ) は吾( わが ) 子孫の代を傾( かたぶ ) けんとする者は非じと悦( よろこん ) で、弥( いよいよ ) 程嬰( ていえい ) に心をも不置。剰( あまつさへ ) 大禄を与へ高官を授( さづけ ) て国の政( まつりごと ) を令司。爰( ここ ) に智伯( ちはく ) が孤( みなしご ) 程嬰( ていえい ) が家に長( ひととな ) りしかば、程嬰( ていえい ) 忽( たちまち ) に兵を発( おこ ) して三年が中( うち ) に趙盾を亡( ほろぼ ) し、遂( つひ ) に智伯( ちはく ) が孤( みなしご ) に趙( てうの ) 国( くに ) を保( たも ) たせり。此( この ) 大功然( しかしながら ) 程嬰( ていえい ) が謀( はかりこと ) より出( いで ) しかば、趙王( てうわう ) 是( これ ) を賞して大禄を与へんとせらる。程嬰( ていえい ) 是( これ ) を不請。「我( われ ) 官に昇( のぼ ) り禄( ろく ) を得て卑( いやし ) くも生( せい ) を貪( むさぼ ) らば、杵臼( しよきう ) と倶に計( はかり ) し道に非( あら ) ず。」とて杵臼( しよきう ) が尸( かばね ) を埋( うづみ ) し古き墳( つか ) の前にて、自( みづから ) 剣( けん ) の上に伏( ふし ) て、同苔( おなじこけ ) にぞ埋( うづも ) れける。されば今の保( たもつ ) と義鑑房( ぎかんばう ) と討死( うちじに ) す。古( いにし ) への程嬰( ていえい ) ・杵臼( しよきう ) が振舞にも劣( おと ) るべしとも云( いひ ) がたし。
○金崎( かねがさきの ) 城( じやう ) 落( おつる ) 事( こと ) 金崎( かねがさきの ) 城( じやう ) には、瓜生( うりふ ) が後攻( ごづめ ) をこそ命に懸( かけ ) て待( また ) れしに、判官打負( うちまけ ) て、軍勢( ぐんぜい ) 若干( そくばく ) 討( うた ) れぬと聞へければ、憑( たのむ ) 方( かた ) なく成( なり ) はて、心細( ぼそく ) ぞ覚( おぼえ ) ける。日々に随( したがつ ) て兵粮乏( とぼし ) く成( なり ) ければ、或( あるひ ) は江魚( えのうを ) を釣( つり ) て飢( うゑ ) を資( たす ) け、或( あるひ ) は礒菜( いそな ) を取( とつ ) て日を過( すご ) す。暫( しば ) しが程こそ加様( かやう ) の物に命を続( つい ) で軍( いくさ ) をもしけれ。余( あま ) りに事迫( つま ) りければ、寮( れう ) の御馬( おんむま ) を始( はじめ ) として諸大将( しよだいしやう ) の被立たる秘蔵( ひさう ) の名馬( めいば ) 共( ども ) を、毎日一疋( いつぴき ) づゝ差殺( さしころ ) して、各是( これ ) をぞ朝夕の食( じき ) には当( あて ) たりける。是( これ ) に付( つけ ) ても後攻( ごづめ ) する者なくては、此( この ) 城( じやう ) 今十日とも堪( こらへ ) がたし。総大将( そうだいしやう ) 御兄弟( ごきやうだい ) 窃( ひそか ) に城を御出( おんいで ) 候( さふらひ ) て杣山( そまやま ) へ入( いら ) せ給ひ、与力( よりき ) の軍勢( ぐんぜい ) を被催て、寄手( よせて ) を被追払候へかしと、面々( めんめん ) に被勧申ければ、現( げ ) にもとて、新田左中将( さちゆうじやう ) 義貞・脇屋( わきや ) 右衛門( うゑもんの ) 佐( すけ ) 義助・洞院( とうゐん ) 左衛門( さゑもんの ) 督( かみ ) 実世( さねよ ) ・河島( かうしま ) 左近( さこんの ) 蔵人惟頼( これより ) を案内者( あんないしや ) にて上下七人( しちにん ) 、三月五日の夜半許( やはんばかり ) に、城を忍( しの ) び抜出( ぬけい ) て杣山( そまやま ) へぞ落著( おちつか ) せ給ひける。瓜生・宇都宮( うつのみや ) 不斜( なのめならず ) 悦( よろこび ) て、今一度( いちど ) 金崎( かねがさき ) へ向( むかつ ) て、先度( せんど ) の恥を雪( きよ ) め城中( じやうちゆう ) の思( おもひ ) を令蘇せと、様々思案を回( めぐら ) しけれども、東風漸( やうやく ) 閑( しづか ) に成( なつ ) て山路の雪も村消( むらぎえ ) ければ、国々の勢も寄手( よせて ) に加( くははり ) て兵十万騎( じふまんぎ ) に余れり。義貞の勢( せい ) は僅( わづか ) に五百( ごひやく ) 余人( よにん ) 、心許( ばかり ) は猛( たけ ) けれ共( ども ) 、馬・物具( もののぐ ) も墓々( はかばか ) しからねば、兎( と ) やせまし角( かく ) やせましと身を揉( もう ) で、二十日( はつか ) 余( あま ) りを過( すご ) しける程( ほど ) に、金崎( かねがさき ) には、早( はや ) 、馬共をも皆食尽( くひつく ) して、食事( しよくじ ) を断( た ) つ事十日許( ばかり ) に成( なり ) にければ、軍勢共( ぐんぜいども ) も今は手足もはたらかず成( なり ) にけり。爰( ここ ) に大手( おほて ) の攻口( せめくち ) に有( あり ) ける兵共( つはものども ) 、高( かうの ) 越後( ゑちごの ) 守( かみ ) が前に来( きたつ ) て、「此( この ) 城( じやう ) は如何様( いかさま ) 兵粮に迫( つま ) りて馬をばし食( くひ ) 候やらん。初め比( ごろ ) は城中( じやうちゆう ) に馬の四五十疋( しごじつぴき ) あるらんと覚( おぼ ) へて、常に湯洗( ゆあらひ ) をし水を蹴( け ) させなんどし候( さふらひ ) しが、近来( このごろ ) は一疋( いつぴき ) も引出( ひきだ ) す事も候はず。哀( あつぱれ ) 一攻( ひとせめ ) せめて見候はばや。」と申( まうし ) ければ、諸大将( しよだいしやう ) 、「可然。」と同じて、三月六日の卯刻( うのこく ) に、大手・搦手( からめて ) 十万騎( じふまんぎ ) 、同時に切岸( きりきし ) の下、屏際( へいきは ) にぞ付( つけ ) たりける。城中( じやうちゆう ) の兵共( つはものども ) 是( これ ) を防( ふせが ) ん為に、木戸( きど ) の辺迄( へんまで ) よろめき出( いで ) たれ共( ども ) 、太刀を仕( つか ) ふべき力もなく、弓を挽( ひく ) べき様( やう ) も無( なけ ) れば、只徒( いたづら ) に櫓( やぐら ) の上に登り、屏( へい ) の陰( かげ ) に集( あつまり ) て、息つき居たる許( ばかり ) 也( なり ) 。寄手共( よせてども ) 此( この ) 有様を見て、「さればこそ城は弱りてけれ。日の中に攻( せめ ) 落さん。」とて、乱杭( らんぐひ ) ・逆木( さかもぎ ) を引( ひき ) のけ屏( へい ) を打破( うちやぶつ ) て、三重( さんぢゆう ) に拵( こしらへ ) たる二の木戸( きど ) 迄ぞ攻入( せめいり ) ける。由良( ゆら ) ・長浜二人( ににん ) 、新田越後( ゑちごの ) 守( かみ ) の前に参( さん ) じて申( まうし ) けるは、「城中( じやうちゆう ) の兵共( つはものども ) 数日( すじつ ) の疲( つか ) れに依( よつ ) て、今は矢の一( ひとつ ) をも墓々敷( はかばかしく ) 仕( つかまつり ) 得候はぬ間、敵既( すで ) に一二の木戸( きど ) を破( やぶつ ) て、攻近付( せめちかづい ) て候也( なり ) 。如何( いかに ) 思食共( おぼしめすとも ) 叶( かなふ ) べからず。春宮( とうぐう ) をば小舟にめさせ進( まゐら ) せ、何( いづ ) くの浦へも落( おと ) し進( まゐら ) せ候べし。自余( じよ ) の人々は一所( いつしよ ) に集( あつまり ) て、御自害( ごじがい ) 有( ある ) べしとこそ存( ぞんじ ) 候へ。其( その ) 程は我等責口( せめくち ) へ罷向( まかりむかつ ) て、相支( あひささへ ) 候べし。見苦( みぐる ) しからん物共をば、皆海へ入( いれ ) させられ候へ。」と申( まうし ) て、御前( おんまへ ) を立( たち ) けるが、余( あま ) りに疲れて足も快( こころよ ) く立( たた ) ざりければ、二の木戸の脇( わき ) に被射殺伏( ふし ) たる死人( しにん ) の股( もも ) の肉を切( きつ ) て、二十( にじふ ) 余人( よにん ) の兵共( つはものども ) 一口づゝ食( くう ) て、是( これ ) を力にしてぞ戦( たたかひ ) ける。河野( かうの ) 備後( びんごの ) 守( かみ ) は、搦手( からめて ) より責入( せめいる ) 敵を支( ささへ ) て、半時計( はんじばかり ) 戦( たたかひ ) けるが、今はゝや精力( せいりよく ) 尽( つき ) て、深手( ふかで ) 余多( あまた ) 負( おひ ) ければ、攻口( せめくち ) を一足( ひとあし ) も引退( ひきしりぞ ) かず、三十二人( さんじふににん ) 腹切( きつ ) て、同枕( おなじまくら ) にぞ伏( ふし ) たりける。新田越後( ゑちごの ) 守( かみ ) 義顕( よしあき ) は、一宮( いちのみや ) の御前( おんまへ ) に参( まゐり ) て、「合戦の様( やう ) 今は是( これ ) までと覚( おぼ ) へ候。我等無力弓箭( きゆうせん ) の名を惜( をし ) む家にて候間、自害仕らんずるにて候。上様( うへさま ) の御事( おんこと ) は、縦( たとひ ) 敵の中へ御出( おんいで ) 候( さうらふ ) 共( とも ) 、失ひ進( まゐら ) するまでの事はよも候はじ。只加様( かやう ) にて御座( ござ ) 有( ある ) べしとこそ存( ぞんじ ) 候へ。」と被申ければ、一宮( いちのみや ) 何( いつ ) よりも御快気( おんこころよげ ) に打笑( うちゑま ) せ給( たまひ ) て、「主上( しゆしやう ) 帝都へ還幸( くわんかう ) 成( なり ) し時、以我元首( ぐわんしゆの ) 将とし、以汝令為股肱臣。夫( それ ) 無股肱元首( ぐわんしゆ ) 持( もつ ) 事( こと ) を得んや。されば吾( われ ) 命を白刃( はくじん ) の上に縮( しじ ) めて、怨( あた ) を黄泉( くわうせん ) の下( もと ) に酬( むく ) はんと思( おもふ ) 也( なり ) 。抑( そもそも ) 自害をば如何様( いかさま ) にしたるがよき物ぞ。」と被仰ければ、義顕( よしあき ) 感涙を押( おさ ) へて、「加様( かやう ) に仕る者にて候。」と申( まうし ) もはてず、刀を抜( ぬい ) て逆手( さかて ) に取直し、左の脇に突立( つきたて ) て、右の小脇のあばら骨二三枚懸( かけ ) て掻破( かきやぶ ) り、其( その ) 刀を抜( ぬい ) て宮の御前( おんまへ ) に差置( さしおき ) て、うつぶしに成( なつ ) てぞ死( しし ) にける。一宮( いちのみや ) 軈( やが ) て其( その ) 刀を被召御覧ずるに、柄口( つかぐち ) に血余( あま ) りすべりければ、御衣( ぎよい ) の袖にて刀の柄( つか ) をきり/\と押巻( おしまか ) せ給( たまひ ) て、如雪なる御膚( おんはだへ ) を顕( あらは ) し、御心( おんむね ) の辺( へん ) に突立( つきたて ) 、義顕が枕の上に伏させ給ふ。頭大夫( とうのだいぶ ) 行房( ゆきふさ ) ・里見( さとみ ) 大炊助( おほいのすけ ) 時義( ときよし ) ・武田( たけだの ) 与一・気比( けひの ) 弥三郎大夫( たいふ ) 氏治( うぢはる ) ・大田帥( おほたそつの ) 法眼( ほふげん ) 以下( いげ ) 御前( おんまへ ) に候( さふらひ ) けるが、いざゝらば宮の御供( おんとも ) 仕らんとて、同音に念仏唱( となへ ) て一度( いちど ) に皆腹を切る。是( これ ) を見て庭上( ていじやう ) に並( なみ ) 居たる兵( つはもの ) 三百( さんびやく ) 余人( よにん ) 、互に差違( さしちがへ ) 々々( さしちがへ ) 弥( いや ) が上に重伏( かさなりふす ) 。気比大宮司( けひのだいぐうじ ) 太郎は、元来力人に勝( すぐれ ) て水練( すゐれん ) の達者なりければ、春宮( とうぐう ) を小舟に乗進( のせまゐら ) せて、櫓( ろ ) かいも無( なけ ) れ共( ども ) 綱手( つなで ) を己( おのれ ) が横手綱( よこてつな ) に結付( ゆひつけ ) 、海上三十( さんじふ ) 余町( よちやう ) を游( およい ) で蕪木( かぶらき ) の浦へぞ著進( つけまゐら ) せける。是( これ ) を知( しる ) 人更( さら ) に無( なか ) りければ、潜( ひそか ) に杣山( そまやま ) へ入進( いれまゐら ) せん事は最( いと ) 安かりぬべかりしに、一宮( いちのみや ) を始進( はじめまゐら ) せて、城中( じやうちゆうの ) 人々不残自害する処に、我( われ ) 一人逃( にげ ) て命を活( いき ) たらば、諸人の物笑( ものわらひ ) なるべしと思( おもひ ) ける間、春宮( とうぐう ) を怪( あや ) しげなる浦人( うらびと ) の家に預け置進( おきまゐら ) せ、「是( これ ) は日本国の主( あるじ ) に成( なら ) せ給ふべき人にて渡( わたら ) せ給ふぞ。如何にもして杣山( そまやま ) の城へ入進( いれまゐら ) せてくれよ。」と申( まうし ) 含めて、蕪木( かぶらき ) の浦より取( とつ ) て返し、本( もと ) の海上を游ぎ帰( かへつ ) て、弥三郎大夫が自害して伏( ふし ) たる其( その ) 上( うへ ) に、自( みづから ) 我首( わがくび ) を掻落( かきおとし ) て片手に提( ひつさげ ) 、大膚脱( おほはだぬき ) に成( なつ ) て死( しし ) にけり。土岐( とき ) 阿波( あはの ) 守( かみ ) ・栗生( くりふ ) 左衛門・矢島七郎( しちらう ) 三人( さんにん ) は、一所( いつしよ ) にて腹切( きら ) んとて、岩の上に立並( たちならん ) で居たりける処に、船田長門( ながとの ) 守( かみ ) 来( きたつ ) て、「抑( そもそも ) 新田殿( につたどの ) の御一家( ごいつけ ) の運( うん ) 爰( ここ ) にて悉( ことごとく ) 極( きは ) め給はゞ、誰々も不残討死すべけれ共( ども ) 、惣大将( そうだいしやう ) 兄弟杣山( そまやま ) に御座( ござ ) あり、公達( きんだち ) も三四人( さんしにん ) 迄、此彼( ここかしこ ) に御座( ござ ) ある上は、我等一人も活残( いきのこつ ) て御用( ごよう ) に立( たた ) んずるこそ、永代の忠功にて侍( はんべ ) らめ。何( なん ) と云( いふ ) 沙汰もなく自害しつれて、敵に所得( しよとく ) せさせての用は何事ぞや。いざゝせ給へ、若( もし ) やと隠( かく ) れて見ん。」と申( まうし ) ければ、三人( さんにん ) の者共( ものども ) 船田が迹( あと ) に付( つい ) て、遥( はるか ) の礒へぞ遠浅( とほあさ ) の浪を分( わけ ) て、半町許( ばかり ) 行( ゆき ) たれば、礒打( うつ ) 波に当りて大( おほき ) に穿( うげ ) たる岩穴( いはあな ) あり。「爰( ここ ) こそ究竟( くつきやう ) の隠( かく ) れ所なれ。」とて、四人共に此( この ) 穴の中に隠れて、三日三夜を過( すご ) しける心の中( うち ) こそ悲しけれ。由良( ゆら ) ・長浜は、是( これ ) までも猶( なほ ) 木戸口( きどぐち ) に支( ささ ) へて、喉( のんど ) 乾( かわ ) けば、己( おのれ ) が疵( きず ) より流るゝ血を受( うけ ) て飲み、力落( おち ) 疲( つか ) るれば、前に伏( ふし ) たる死人の肉を切( きつ ) て食( くう ) て、皆人々の自害しはてん迄と戦( たたかひ ) けるを、安間( あまの ) 六郎左衛門( ろくらうざゑもん ) 走( わし ) り下( くだつ ) て、「何( いつ ) を期( ご ) に合戦をばし給( たまふ ) ぞ。大将は早御自害( ごじがい ) 候( さふらひ ) つるぞや。」と申( まうし ) ければ、「いざやさらば、とても死なんずる命を、若( もし ) やと寄手( よせて ) の大将のあたりへ紛( まぎ ) れ寄( よつ ) て、よからんずる敵と倶( とも ) に差違( さしちが ) へて死( しな ) ん。」とて、五十( ごじふ ) 余人( よにん ) の兵共( つはものども ) 、三の木戸( きど ) を同時に打出( うちいで ) 、責口( せめくち ) 一方の寄手( よせて ) 三千( さんぜん ) 余人( よにん ) を追巻( おひまく ) り、其( その ) 敵に相交( あひまじはつ ) て、高( かうの ) 越後( ゑちごの ) 守( かみ ) が陣へぞ近付( ちかづき ) ける。如何に心許( ばかり ) は弥武( やたけ ) に思へ共( ども ) 、城より打出( うちい ) でたる者共( ものども ) の為体( ていたらく ) 、枯槁憔悴( こかうせうすゐ ) して、尋常( よのつね ) の人に可紛も無( なか ) りければ、皆人是( これ ) を見知( しつ ) て、押隔( おしへだて ) ける間、一人も能( よき ) 敵に合( あふ ) 者無( なく ) して、所々( しよしよ ) にて皆討( うた ) れにけり。都( すべ ) て城中( じやうちゆう ) に篭( こも ) る処の勢( せい ) は百六十人( ひやくろくじふにん ) 、其( その ) 中に降人( かうにん ) に成( なつ ) て助かる者十二人( じふににん ) 、岩の中に隠れて活( いき ) たる者四人、其外( そのほか ) 百五十一人( ひやくごじふいちにん ) は一時に自害して、皆戦場の土と成( なり ) にけり。されば今に到( いたる ) 迄其怨霊共( そのをんりやうども ) 此( この ) 所に留( とどまつ ) て、月曇り雨暗き夜は、叫喚求食( けうくわんくじき ) の声啾々( しうしう ) として、人の毛孔( まうく ) を寒からしむ。「誓掃匈奴不顧身、五千貂錦喪胡塵、可憐無定河辺骨、猶是春閨夢裡人」と、己亥( きがい ) の歳( とし ) の乱( らん ) を見て、陳陶( ちんたう ) が作りし隴西行( ろうせいかう ) も角( かく ) やと被思知たり。
○春宮( とうぐう ) 還御( くわんぎよの ) 事( こと ) 付( つけたり ) 一宮( いちのみや ) 御息所( みやすどころの ) 事( こと ) 去( さる ) 程( ほど ) に夜明( あけ ) ければ、蕪木( かぶらき ) の浦より春宮( とうぐう ) 御座( ござ ) の由告( つげ ) たりける間、島津駿河( するがの ) 守( かみ ) 忠治( ただはる ) を御迎に進( まゐら ) せて取( とり ) 奉る。去( さんぬる ) 夜金崎( かねがさき ) にて討死自害の頚百五十一( ひやくごじふいち ) 取並( とりなら ) べて被実検けるに、新田( につた ) の一族( いちぞく ) には、越後( ゑちごの ) 守( かみ ) 義顕( よしあき ) ・里見( さとみ ) 大炊助( おほいのすけ ) 義氏( よしうぢ ) の頚許( ばかり ) 有( あつ ) て、義貞・義助二人( ににん ) の首( くび ) は無( なか ) りけり。さては如何様( いかさま ) 其辺( そのへん ) の淵の底なんどにぞ沈めたらんと、海人( あま ) を入( いれ ) て被( かづ ) かせけれ共( ども ) 、曾( かつて ) 不見ければ、足利( あしかが ) 尾張( をはりの ) 守( かみ ) 、春宮( とうぐう ) の御前( おんまへ ) に参( まゐり ) て、「義貞・義助二人( ににん ) が死骸、何( いづ ) くに有( あり ) とも見へ候はぬは、何( なん ) と成候( なりさふらひ ) けるやらん。」と被尋申ければ、春宮( とうぐう ) 幼稚なる御心( おんこころ ) にも、彼( かの ) 人々杣山( そまやま ) に有( あり ) と敵に知( しら ) せては、軈( やが ) て押寄( おしよす ) る事もこそあれと被思召けるにや。「義貞・義助二人( ににん ) 、昨日の暮程( ほど ) に自害したりしを、手( て ) の者共( ものども ) が役所の内にして火葬にするとこそ云( いひ ) 沙汰せしか。」と被仰ければ、「さては死骸のなきも道理也( なり ) けり。」とて、是( これ ) を求( もとむ ) るに不及。さてこそ杣山( そまやま ) には墓々敷( はかばかしき ) 敵なければ、降人にぞ出( いで ) んずらんとて、暫( しばし ) が程は閣( さしおき ) けれ。我執( がしふ ) と欲念( よくねん ) とにつかはれて、互に害心を発( おこ ) す人々も、終( つひ ) には皆無常の殺鬼( せつき ) に逢ひ、被呵責ことも不久。哀( あはれ ) に愚かなる事共( ことども ) なり。新田越後( ゑちごの ) 守( かみ ) 義顕( よしあき ) ・並( ならびに ) 一族( いちぞく ) 三人( さんにん ) 、其外( そのほか ) 宗徒( むねと ) の首( くび ) 七( ななつ ) を持( もた ) せ、春宮( とうぐう ) をば張輿( はりこし ) に乗進( のせまゐら ) せて、京都へ還( かへ ) し上( のぼ ) せ奉る。諸大将( しよだいしやう ) 事の体( てい ) 、皆美々敷( びびしく ) ぞ見へたりける。越後( ゑちごの ) 守( かみ ) 義顕( よしあき ) の首をば、大路( おほち ) を渡して獄門( ごくもん ) に被懸。新帝御即位( ごそくゐ ) の初( はじめ ) より三年の間は、天下の刑( けい ) を不行法也( なり ) 。未( いまだ ) 河原( かはら ) の御禊( おんはらひ ) 、大甞会( だいじやうゑ ) も不被遂行先に、首( くび ) を被渡事は如何( いかが ) あるべからん。先帝重祚( ちようそ ) の初( はじめ ) 、規矩掃部助( きくのかもんのすけ ) 高政( たかまさ ) ・糸田( いとだ ) 左近( さこんの ) 将監( しようげん ) 貞吉( さだよし ) が首を被渡たりしも、不吉の例( れい ) とこそ覚( おぼ ) ゆれと、諸人の意見共( いけんども ) 有( あり ) けれ共( ども ) 、是( これ ) は朝敵( てうてき ) の棟梁( とうりやう ) 義貞の長男なればとて、終( つひに ) 大路( おほち ) を被渡けり。春宮( とうぐう ) 京都へ還御成( なり ) ければ、軈( やがて ) 楼( ろう ) の御所を拵( こしら ) へて、奉押篭。一宮( いちのみや ) の御頚( おんくび ) をば、禅林寺( ぜんりんじ ) の長老夢窓国師( むさうこくし ) の方へ被送、御喪礼( ごさうれい ) の儀式を引繕( ひきつくろは ) る。さても御匣殿( みくしげどの ) の御歎( おんなげき ) 、中々( なかなか ) 申( まうす ) も愚( おろか ) 也( なり ) 。此御匣殿( このみくしげどの ) の一宮( いちのみや ) に参り初給( そめたまひ ) し古( いにし ) への御心( おんこころ ) 尽( つく ) し、世に類( たぐひ ) なき事とこそ聞へしか。一宮( いちのみや ) 已( すで ) に初冠( うひかうむり ) めされて、深宮( しんきゆう ) の内に長( ひととなら ) せ給( たまひ ) し後、御才学( ごさいかく ) もいみじく容顔( ようがん ) も世に勝( すぐ ) れて御座( おはせし ) かば、春宮( とうぐう ) に立( たた ) せ給( たまひ ) なんと、世の人時明逢( ときめきあ ) へりしに、関東( くわんとう ) の計( はから ) ひとして、慮( おもひ ) の外( ほか ) に後二条( ごにでうの ) 院( ゐん ) の第一( だいいち ) の御子春宮( とうぐう ) に立( たた ) せ給( たまひ ) しかば、一宮( いちのみや ) に参り仕( つかふ ) べき人々も、皆望( のぞみ ) を失ひ、宮も世中( よのなか ) 万( よろ ) づ打凋( うちしをれ ) たる御心地( おんここち ) して、明暮( あけくれ ) は只詩哥( しいか ) に御心( おんこころ ) を寄せ、風月に思( おもひ ) を傷( いたま ) しめ給ふ。折節( をりふし ) に付( つけ ) たる御遊( おんあそび ) などあれ共( ども ) 、差( さし ) て興( きよう ) ぜさせ給ふ事もなし。さるにつけては、何( いか ) なる宮腹( みやばら ) 、一( いち ) の人の御女( おんむすめ ) などを角( かく ) と仰( おほせ ) られば、御心( おんこころ ) を尽( つく ) させ給ふまでもあらじと覚( おぼ ) へしに、御心( おんこころ ) に染( そ ) む色も無( なか ) りけるにや、是( これ ) をと被思召たる御気色( ごきしよく ) もなく、只独( ひとり ) のみ年月を送らせ給( たまひ ) ける。或時( あるとき ) 関白左大臣の家にて、なま上達部( かんだちめ ) ・殿上人( てんじやうびと ) 余( あま ) た集( あつまり ) て、絵合( ゑあはせ ) の有( あり ) けるに、洞院( とうゐん ) の左大将の出されたりける絵に、源氏の優婆塞( うばそく ) の宮( みや ) の御女( おんむすめ ) 、少し真木柱( まきばしら ) に居隠( かくれ ) て、琵琶を調( しら ) べ給( たまひ ) しに、雲隠( くもがく ) れしたる月の俄( にはか ) に最( いと ) あかく指出( さしいで ) たれば、扇( あふぎ ) ならでも招( まねく ) べかりけりとて、撥( ばち ) を揚( あげ ) てさしのぞきたる顔つき、いみじく臈闌( らふたけ ) て、匂( にほ ) やかなる気色( けしき ) 云( いふ ) ばかりなく、筆を尽( つく ) してぞ書( かき ) たりける。一宮( いちのみや ) 此( この ) 絵を被御覧、無限御心( おんこころ ) に懸りければ、此( この ) 絵を暫被召置、みるに慰( なぐさ ) む方( かた ) もやとて、巻返( まきかへし ) 々々( まきかへし ) 御覧ぜらるれ共( ども ) 、御心( おんこころ ) 更( さら ) に不慰。昔漢李夫人( かんのりふじん ) 甘泉殿( かんせんでん ) の病( やまひ ) の床に臥して無墓成給( なりたまひ ) しを、武帝悲( かなし ) みに堪兼( たへかね ) て返魂香( はんごんかう ) を焼玉( たきたまひ ) しに、李夫人( りふじん ) の面影( おもかげ ) の烟の中に見へたりしを、似絵( にせゑ ) に書( かか ) せて被御覧しかども、「不言不笑令愁殺人。」と、武帝の歎給( なげきたまひ ) けんも、現( げ ) に理( ことわり ) と思知( おもひしら ) せ給ふ。我ながら墓( はか ) なの心迷( こころまよひ ) やな。誠の色を見てだにも、世は皆夢の中( うち ) の現( うつつ ) とこそ思ひ捨( すつ ) る事なるに、是( これ ) はそも何事( なにこと ) の化( あだ ) し心ぞや。遍照僧正( へんぜうそうじやう ) の哥の心を貫之( つらゆき ) が難( なん ) じて、「歌のさまは得たれ共( ども ) 実( まこと ) 少( すくな ) し。譬( たと ) へば絵に書ける女を見て徒( いたづら ) に心を動( うごか ) すが如し。」と云( いひ ) し、其類( そのたぐひ ) にも成( なり ) ぬる者哉( かな ) と思棄( おもひすて ) 給へ共( ども ) 、尚( なほ ) 文悪( あやにく ) なる御心( おんこころ ) 胸( むね ) に充( みち ) て、無限御物思( おんものおもひ ) に成( なり ) ければ、傍( かた ) への色異( こと ) なる人を御覧じても、御目をだにも回( めぐ ) らされず。況( まし ) て時々の便( たよ ) りにつけて事問通( とひかは ) し給ふ御方様( おんかたさま ) へは、一急雨( ひとむらさめ ) の過( すぐ ) る程の笠宿( かさやど ) りに可立寄心地( ここち ) にも思召( おぼしめ ) さず。世中( よのなか ) にさる人ありと伝聞( つたへきき ) て御心( おんこころ ) に懸( かか ) らば、玉垂( たまだれ ) の隙( ひま ) 求( もとむ ) る風の便( たより ) も有( あり ) ぬべし。又僅( わづか ) に人を見し許( ばかり ) なる御心( おんこころ ) 当( あて ) ならば、水の泡( あわ ) の消返( きえかへ ) りても、寄( よ ) る瀬( せ ) はなどか無( なか ) るべきに、是( これ ) は見しにも非( あら ) ず聞( きき ) しにも非( あら ) ず、古( いにしへ ) の無墓物語、化( あだ ) なる筆の迹( あと ) に御心( おんこころ ) を被悩ければ、無為方思召煩( おぼしめしわづら ) はせ給へば、せめて御心( おんこころ ) を遣方( やるかた ) もやと、御車( おんくるま ) に被召、賀茂( かも ) の糾( ただす ) の宮( みや ) へ詣( まうで ) させ給ひ、御手洗河( みたらしかは ) の川水を御手水( おんてうづ ) に結( むす ) ばれ、何( なん ) となく河に逍遥( せうえう ) せさせ給ふにも、昔業平( なりひらの ) 中将( ちゆうじやう ) 、恋せじと御祓( みそぎ ) せし事も、哀( あはれ ) なる様( さま ) に思召出( おぼしめしいだ ) されて、祈る共( とも ) 神やはうけん影をのみ御手洗河( みたらしかは ) の深き思( おもひ ) をと詠ぜさせ給ふ時しもあれ、一急雨( ひとむらさめ ) の過行( すぎゆく ) 程、木( こ ) の下( した ) 露( つゆ ) に立濡( たちぬれ ) て、御袖( おんそで ) もしほれたるに、「日も早暮( くれ ) ぬ。」と申( まうす ) 声して、御車( おんくるま ) を轟( とどろ ) かして一条を西へ過( すぎ ) させ給ふに、誰( た ) が栖宿( すむやど ) とは不知、墻( かき ) に苔( こけ ) むし瓦( かはら ) に松生( おひ ) て、年久( ひさし ) く住荒( すみあら ) したる宿( やど ) の物さびし気( げ ) なるに、撥音( ばちおと ) 気高( けだか ) く青海波( せいがいは ) をぞ調( しら ) べたる。「怪( あや ) しや如何なる人なるらん。」と、洗墻に御車( おんくるま ) を駐( とど ) めさせて、遥( はるか ) に見入( いれ ) させ給ひたれば、見る人有( あり ) とも不知体( てい ) にて、暮居( くれゐる ) 空の月影の、時雨( しぐれ ) の雲間( くもま ) より幽々( ほのぼの ) と顕( あらは ) れ出( いで ) たるに、御簾( みす ) を高く巻上( まきあげ ) て、年の程二八許( ばかり ) なる女房の、云( いふ ) ばかりなくあてやかなるが、秋の別( わかれ ) を慕ふ琵琶を弾( だん ) ずるにてぞ有( あり ) ける。鉄砕珊瑚一両曲、氷写玉盤千万声、雑錯( かきみだし ) たる其( その ) 声は、庭の落葉( おちば ) に紛( まぎれ ) つゝ、外( よそ ) には降らぬ急雨( むらさめ ) に、袖渋( しほ ) る許( ばかり ) にぞ聞へたる。宮御目も文( あや ) に熟々( つくつく ) と御覧ずるに、此( この ) 程漫( そぞろ ) に御心( おんこころ ) を尽して、夢にもせめて逢( あひ ) 見ばやと、恋悲( こひかなし ) み給ひつる似絵( にせゑ ) に少しも不違、尚あてやかに臈闌( らふたけ ) て、云はん方なくぞ見へたりける。御心地( おんここち ) 空( そら ) に浮( うかれ ) て、たど/\しき程( ほど ) に成( なら ) せ給へば、御車( おんくるま ) より下( おり ) させ給( たまひ ) て、築山( つきやま ) の松の木陰( こかげ ) の立寄( たちよら ) せ給へば、女房見る人有( あり ) と物侘( ものわび ) し気( げ ) にて、琵琶をば几帳( きちやう ) の傍( かたは ) らに指寄( さしよ ) せて内へ紛( まぎ ) れ入( いり ) ぬ。引( ひく ) や裳裾( もすそ ) の白地( あからさま ) なる面影( おもかげ ) に、又立出( たちいづ ) る事もやとて、立徘徊( たちやすら ) はせ給( たまひ ) たれば、怪( あやし ) げなる御所侍( ごしよさぶらひ ) の、御隔子進( みかうしまゐら ) する音して、早人定( しづま ) りぬれば、何迄( いつまで ) 角( かく ) ても可有とて、宮還御成( くわんぎよなり ) ぬ。絵にかきたりし形( かたち ) にだに、御心( おんこころ ) を悩( なやま ) されし御事( おんこと ) 也( なり ) 。まして実( まこと ) の色を被御覧て、何( いか ) にせんと恋忍( こひしの ) ばせ給( たまふ ) も理( ことわり ) 哉( かな ) 。其後( そののち ) よりは太( ひた ) すらなる御気色( おんけしき ) に見へながら、流石( さすが ) 御詞( おんことば ) には不被出けるに、常に御会( ぎよくわい ) に参り給ふ二条( にでうの ) 中将( ちゆうじやう ) 為冬( ためふゆ ) 、「何( いつ ) ぞや賀茂の御帰( おんかへ ) さの、幽( ほのか ) なりし宵( よひ ) の間( ま ) の月、又も御覧ぜまぼしく被思召にや。其( その ) 事( こと ) ならば最( いと ) 安き事にてこそ侍( はんべ ) るめれ。彼( か ) の女房の行末を委( くはしく ) 尋( たづね ) て候へば、今出河( いまでがはの ) 右大臣公顕( きんあき ) の女( むすめ ) にて候なるを、徳大寺( とくだいじの ) 左大将に乍申名、未( いまだ ) 皇太后宮( くわうたいごうぐう ) の御匣( みくしげ ) にて候なる。切( せつ ) に思召( おぼしめさ ) れ候はゞ、歌の御会( ぎよくわい ) に申寄( まうしよせ ) て彼亭( かのてい ) へ入( いら ) せ給( たまひ ) て、玉垂( たまだれ ) の隙( ひま ) にも、自( みづから ) 御心( おんこころ ) を露( あらは ) す御事( おんこと ) にて候へかし。」と申せば、宮例( れい ) ならず御快( おんこころよ ) げに打笑( うちわらは ) せ給( たまひ ) て、「軈( やがて ) 今夜其亭( そのてい ) にて可有褒貶御会。」と、右大臣の方へ被仰出ければ、公顕( きんあき ) 忝( かたじけなし ) と取りきらめきて、数寄( すき ) の人余( あま ) た集( あつめ ) て、角( かく ) と案内申せば、宮は為冬許( ばかり ) を御供( おんとも ) にて、彼亭( かのてい ) へ入( いら ) せ給( たまひ ) ぬ。哥の事は今夜さまでの御本意( ごほんい ) ならねば、只披講許( ひかうばかり ) にて、褒貶( はうへん ) はなし。主( あるじ ) の大臣( おとど ) こゆるぎの急ぎありて、土器( かはらけ ) もて参りたれば、宮( みや ) 常よりも興( きよう ) ぜさせ給( たまひ ) て、郢曲絃歌( えいきよくげんか ) の妙々( たへたへ ) に、御盃( さかづき ) 給はせ給ひたるに、主( あるじ ) も痛く酔臥( よひふし ) ぬ。宮も御枕( おんまくら ) を傾( かたむけ ) させ給へば、人皆定( しづま ) りて夜も已( すで ) に深( ふけ ) にけり。媒( なかだち ) の左中将( さちゆうじやう ) 心有( あつ ) て酔( よは ) ざりければ、其( その ) 案内せさせて、彼( かの ) 女房の栖( すみ ) ける西の台( たい ) へ忍入( しのびいら ) せ給( たまひ ) て、墻( かき ) の隙( ひま ) より見給へば、灯( ともしび ) の幽( かすか ) なるに、花紅葉( はなもみぢ ) 散乱( ちりみだれ ) たる屏風( びやうぶ ) 引回( ひきまは ) し、起( おき ) もせず寝( ね ) もせぬ体( てい ) に打濡( うちしをれ ) 、只今人々の読( よみ ) たりつる哥の短冊( たんじやく ) 取出( とりいだ ) して、顔打傾( うちかたむ ) けたれば、こぼれ懸りたる鬢( びん ) の端( はづ ) れより、匂( にほ ) やかに幽( ほのか ) なる容( かほば ) せ、露を含める花の曙( あけぼの ) 、風に随へる柳の夕の気色( けしき ) 、絵に書共( かくとも ) 筆も難及、語るに言( ことば ) も無( なか ) るべし。外( よそ ) ながら幽( ほのか ) に見てし形( かたち ) の、世に又類( たぐ ) ひもやあらんと、怪( あや ) しきまでに思ひしは、尚( なほ ) 数( かず ) ならざりけりと御覧じ居給ふに、御心( おんこころ ) も早ほれ/゛\と成( なつ ) て、不知我が魂( たましひ ) も其( その ) 袖の中にや入( いり ) ぬらんと、ある身ともなく覚( おぼえ ) させ給ふ。時節( をりふし ) 辺( あたり ) に人も無( なく ) て、灯( ともしび ) さへ幽( かすか ) なれば、妻戸( つまど ) を少し押開( おしあけ ) て内へ入( いら ) せ給( たまひ ) たるに、女( をんな ) は驚く貌( かたち ) にも非( あら ) ず、閑( のど ) やかにもてなして、やはら衣( きぬ ) 引被( ひきかづい ) て臥( ふし ) たる化妝( けはひ ) 、云( いひ ) 知らずなよやかに閑麗( みやびやか ) なり。宮も傍( そば ) に寄伏給( よりふさせたまひ ) て、有( あり ) しながらの心尽( づく ) し、哀( あはれ ) なる迄に聞へけれ共( ども ) 、女はいらへも申さず、只思( おもひ ) にしほれたる其気色( そのけしき ) 、誠( まこと ) に匂( にほひ ) 深( ふかう ) して、花薫( かを ) り月霞( かす ) む夜の手枕( たまくら ) に、見終( はて ) ぬ夢の化( おもかげ ) ある御心( おんこころ ) 迷( まよひ ) に、明( あく ) るも不知語( かたら ) ひ給へ共( ども ) 、尚( なほ ) 強顔( つれなき ) 気色( けしき ) にて程経( へ ) ぬれば、己( おのれ ) が翅( つばさ ) を並( なら ) べながら人の別( わかれ ) をも思知( おもひしら ) ぬ八声( やこゑ ) の鳥も告( つげ ) 渡り、涙の氷解( とけ ) やらず、衣々( きぬぎぬ ) も冷( ひや ) やかに成( なり ) て、類( たぐひ ) も怨( つら ) き在明( ありあけ ) の、強顔( つれなき ) 影( かげ ) に立帰( たちかへら ) せ給( たまひ ) ぬ。其後( そののち ) より度々( たびたび ) 御消息( ごせうそく ) 有( あつ ) て、云( いふ ) ばかりなき御文( おんふみ ) の数( かず ) 、早千束( ちづか ) にも成( なり ) ぬ覧( らん ) と覚( おぼゆ ) る程( ほど ) に積( つも ) りければ、女も哀( あはれ ) なる方に心引( ひか ) れて、のぼれば下( くだ ) る稲舟( いなふね ) の、否( いな ) には非( あら ) ずと思へる気色( けしき ) になん顕( あらは ) れたり。され共( ども ) 尚( なほ ) 互に人目を中( なか ) の関守( せきもり ) になして、月比( つきごろ ) 過( すぎ ) させ給( たまひ ) けるに、式部( しきぶの ) 少輔( せう ) 英房( ひでふさ ) と云( いふ ) 儒者、御文談( ごぶんだん ) に参じて、貞観政要( ぢやうぐわんせいえう ) を読( よみ ) けるに、「昔唐( たう ) の太宗、鄭仁基( ていじんき ) が女( むすめ ) を后( きさき ) に備( そな ) へ、元和殿( げんわてん ) に冊入( かしづきいれ ) んとし玉( たま ) ひしを、魏徴( ぎちよう ) 諌( いさめ ) て、「此女( このむすめ ) は已( すで ) に陸氏( りくし ) に約( やく ) せり」と申せしかば、太宗其諌( そのいさめ ) に随( したがつ ) て、宮中に召( めさ ) るゝ事を休( や ) め給( たまひ ) き。」と談( だん ) じけるを、宮熟々( つくつく ) と聞召( きこしめし ) て、何( いか ) なれば古( いにしへ ) の君は、かく賢人の諌( いさめ ) に付( つい ) て、好色心を棄給( すてたまひ ) けるぞ。何( いか ) なる我なれば、已( すで ) に人の云名付( いひなづけ ) て事定( さだま ) りたる中( なか ) をさけて、人の心を破( やぶ ) るらん。古の様( ためし ) を恥( はぢ ) 、世の譏( そしり ) を思食( おぼしめし ) て、只御心( おんこころ ) の中( うち ) には恋悲( こひかなし ) ませ給ひけれ共( ども ) 、御詞( おんことば ) には不被出、御文( おんふみ ) をだに書絶( かきたえ ) て、角( かく ) とも聞へねば、百夜( ももよ ) の榻( しぢ ) の端書( はしがき ) 、今は我や数( かず ) 書( かか ) ましと打侘( うちわび ) て、海士( あま ) の刈藻( かるも ) に思乱( おもひみだれ ) 給ふ。角( かく ) て月日も過( すぎ ) ければ、徳大寺此( この ) 事( こと ) を聞及( ききおよび ) 、「左様( さやう ) に宮なんどの御心( おんこころ ) に懸( かけ ) られんを、争( いか ) でか便( びん ) なうさる事可有。」とて、早( はや ) あらぬ方に通( かよ ) ふ道有( あり ) と聞へければ、宮も今は無御憚、重( かさね ) て御文( おんふみ ) の有( あり ) しに、何よりも黒( くろ ) み過( すぎ ) て、知( しら ) せばや塩やく浦の煙( けぶり ) だに思はぬ風になびく習( なら ) ひを女( をんな ) もはや余( あま ) りに強顔( つれな ) かりし心の程、我ながら憂( うき ) 物に思ひ返す心地( ここち ) になん成( なり ) にければ、詞( ことば ) は無( なく ) て、立( たち ) ぬべき浮( うき ) 名を兼( かね ) て思はずは風に烟( けぶり ) のなびかざらめや其後( そののち ) よりは、彼方此方( かなたこなた ) に結( むす ) び置( おか ) れし心の下紐( したひぼ ) 打解( うちとけ ) て、小夜( さよ ) の枕を河島の、水の心も浅からぬ御契( おんちぎり ) に成( なり ) しかば、生( いき ) ては偕老( かいらう ) の契( ちぎり ) 深く、又死( しし ) ては同苔( おなじこけ ) の下にもと思召通( おぼしめしかよは ) して、十月( とつき ) 余( あま ) りに成( なり ) にけるに、又天下の乱( らん ) 出来( いできたつ ) て、一宮( いちのみや ) は土佐( とさ ) の畑( はた ) へ被流させ給( たまひ ) しかば、御息所( みやすどころ ) は独( ひとり ) 都に留( とどま ) らせ給( たまひ ) て、明( あく ) るも不知歎き沈( しづま ) せ給( たまひ ) て、せめてなき世の別( わかれ ) なりせば、憂( うき ) に堪( たへ ) ぬ命にて、生( うま ) れ逢( あは ) ん後の契( ちぎり ) を可憑に、同( おなじ ) 世ながら海山を隔( へだ ) てゝ、互に風の便( たより ) の音信( おとづれ ) をだにも書絶( かきたえ ) て、此日比( このひごろ ) 召仕( めしつか ) はれける青侍( せいし ) ・官女( くわんぢよ ) の一人も参り通はず、万( よろ ) づ昔に替( かは ) る世に成( なつ ) て、人の住荒( すみあら ) したる蓬生( よもぎふ ) の宿( やど ) の露けきに、御袖( おんそで ) の乾( かわ ) く隙( ひま ) もなく、思召入( おぼしめしいら ) せ給ふ御有様( おんありさま ) 、争( いか ) でか涙の玉の緒( を ) も存( ながら ) へぬ覧( らん ) と、怪( あやし ) き程の御事( おんこと ) 也( なり ) 。宮も都を御出( おんいで ) 有( あり ) し日より、公( きみ ) の御事( おんこと ) 御身( おんみ ) の悲( かなし ) み、一方( ひとかた ) ならず晴( はれ ) やらぬに、又打添( うちそひ ) て御息所( みやすどころ ) の御名残( おんなごり ) 、是( これ ) や限( かぎり ) と思召( おぼしめし ) しかば、供御( くご ) も聞召入( きこしめしいれ ) られず、道の草葉( くさば ) の露共( とも ) に、消( きえ ) はてさせ給( たまひ ) ぬと見へさせ給ふ。惜共( をししとも ) 思食( おぼしめさ ) ぬ御命長( なが ) らへて、土佐( とさ ) の畑( はた ) と云( いふ ) 所の浅猿( あさまし ) く、此( この ) 世の中とも覚( おぼ ) へぬ浦の辺( あたり ) に流されて、月日を送らせ給へば、晴るゝ間( ま ) もなき御歎( おんなげき ) 、喩( たと ) へて云( いは ) ん方( かた ) もなし。余( あま ) りに思( おもひ ) くづほれさせ給ふ御有様( おんありさま ) の、御痛敷( おんいたはしく ) 見奉りければ、御警固( おんけいご ) に候( さふらひ ) ける有井庄司( ありゐのしやうじ ) 、「何( なに ) か苦( くるし ) く候べき。御息所( みやすどころ ) を忍( しのん ) で此( これ ) へ入進( いれまゐら ) せられ候へ。」とて、御衣( おんきぬ ) 一重( ひとかさね ) し立( たて ) て、道の程の用意( ようい ) 迄細々( さいさい ) に沙汰し進( まゐら ) せければ、宮無限喜( うれ ) しと思召( おぼしめし ) て、只一人召仕( めしつかは ) れける右衛門( うゑもん ) 府生( ふしやう ) 秦武文( はだのたけふん ) と申( まうす ) 随身( ずゐじん ) を、御迎( おんむかひ ) に京へ上( のぼ ) せらる。武文( たけふん ) 御文( おんふみ ) を給( たまはり ) て、急( いそぎ ) 京都へ上( のぼ ) り、一条堀川( いちでうほりかは ) の御所へ参りたれば、葎( むぐら ) 茂りて門( かど ) を閉( とぢ ) 、松の葉積りて道もなし。音信通( おとづれかよ ) ふものとては、古き梢( こづゑ ) の夕嵐( ゆふあらし ) 、軒もる月の影ならでは、問( とふ ) 人もなく荒( あれ ) はてたり。さては何( いづ ) くにか立忍( たちしの ) ばせ給( たまひ ) ぬらんと、彼方此方( あなたこなた ) の御行末を尋行( たづねゆく ) 程( ほど ) に、嵯峨の奥深草( ふかくさ ) の里に、松の袖垣( そでがき ) 隙( ひま ) あらはなるに、蔦( つた ) はい懸( かかり ) て池の姿も冷愁( さびし ) く、汀( みぎは ) の松の嵐も秋冷( すさまじ ) く吹( ふき ) しほりて、誰( たれ ) 栖( すみ ) ぬらんと見るも懶( ものう ) げなる宿の内に、琵琶を弾( だん ) ずる音しけり。怪( あや ) しやと立留( たちどまつ ) て、是( これ ) を聞( きけ ) ば、紛( まぎら ) ふべくもなき御撥音( ばちおと ) 也( なり ) 。武文( たけふん ) 喜( うれ ) しく思ひて、中々( なかなか ) 案内も不申、築地( ついぢ ) の破( やぶ ) れより内へ入( いつ ) て、中門( ちゆうもん ) の縁( えん ) の前に畏( かしこま ) れば、破( やぶ ) れたる御簾( みす ) の内より、遥( はるか ) に被御覧、「あれや。」と許( ばかり ) の御声幽( かすか ) に聞へながら、何共( なんとも ) 被仰出事もなく、女房達( にようばうたち ) 数( あま ) たさゞめき合ひて、先( まづ ) 泣( なく ) 声のみぞ聞へける。「武文( ためふん ) 御使( おんつかひ ) に罷上( まかりのぼ ) り、是( これ ) 迄尋( たづね ) 参りて候。」と申( まうし ) も不敢、縁( えん ) に手を打懸( うちかけ ) てさめ/゛\と泣( なき ) 居たり。良有( ややあつ ) て、「只此迄( これまで ) 。」と召( めし ) あれば、武文( たけふん ) 御簾( みす ) の前に跪( ひざまづ ) き、「雲井の外( よそ ) に想像進( おもひやりまゐ ) らするも、堪忍( たへしの ) び難( がた ) き御事( おんこと ) にて候へば、如何にもして田舎( ゐなか ) へ御下( おんくだ ) り候へとの御使( おんつかひ ) に参( まゐり ) て候。」とて、御文( おんふみ ) を捧( ささげ ) たり。急ぎ披( ひらい ) て御覧ぜらゝるに、げにも御思ひの切( せつ ) なる色さもこそと覚( おぼえ ) て、言( こと ) の葉毎( はごと ) に置( おく ) 露の、御袖( おんそで ) に余( あま ) る許( ばかり ) なり。「よしや何( いか ) なる夷( ひな ) の栖居( すまひ ) なりとも、其憂( そのうき ) にこそ責( せめ ) ては堪( たへ ) め。」とて、既( すで ) に御門出( おんかどで ) 有( あり ) ければ、武文( たけふん ) 甲斐々々敷( かひがひしく ) 御輿( おんこし ) なんど尋出( たづねいだ ) し、先( まづ ) 尼崎( あまがさき ) まで下( くだ ) し進( まゐら ) せて、渡海( とかい ) の順風をぞ相待( あひまち ) ける。懸( かか ) りける折節( をりふし ) 、筑紫人( つくしひと ) に松浦( まつら ) 五郎と云( いひ ) ける武士( ぶし ) 、此( この ) 浦に風を待( まち ) て居たりけるが、御息所( みやすどころ ) の御形( かたち ) を垣( かき ) の隙( ひま ) より見進( まゐら ) せて、「こはそも天人の此( この ) 土へ天降( あまくだ ) れる歟( か ) 。」と、目枯( めがれ ) もせず守( まも ) り居たりけるが、「穴( あな ) 無端や。縦( たとひ ) 主( ぬし ) ある人にてもあれ、又何( いか ) なる女院( にようゐん ) ・姫宮( ひめみや ) にても坐( おはし ) ませ。一夜( いちや ) の程( ほど ) に契( ちぎり ) を、百年の命に代( かへ ) んは何( なに ) か惜( をし ) からん。奪取( うばひとつ ) て下( くだ ) らばや。」と思( おもひ ) ける処に、武文( たけふん ) が下部( しもべ ) の浜の辺( あたり ) に出( いで ) て行( ゆき ) けるを呼寄( よびよせ ) て、酒飲( のま ) せ引出物( ひきでもの ) なんど取( とら ) せて、「さるにても御辺( ごへん ) が主( あるじ ) の具足( ぐそく ) し奉( たてまつ ) て、船に召( めさ ) せんとする上臈( じやうらふ ) は、何( いか ) なる人にて御渡( おんわたり ) あるぞ。」と問( とひ ) ければ、下臈( げらふ ) の墓( はか ) なさは、酒にめで引出物( ひきでもの ) に耽( ふけ ) りて、事の様( やう ) 有( あり ) の侭( まま ) にぞ語りける。松浦大( おほき ) に悦( よろこん ) で、「此比( このごろ ) 何( いか ) なる宮にても御座( おは ) せよ、謀反人( むほんにん ) にて流され給へる人の許( もと ) へ、忍( しのん ) で下給( くだりたま ) はんずる女房を、奪捕( うばひとつ ) たり共( とも ) 、差( さし ) ての罪科( ざいくわ ) はよも非じ。」と思( おもひ ) ければ、郎等共( らうどうども ) に彼宿( かのやど ) の案内能々( よくよく ) 見置( おか ) せて、日の暮( くる ) るをぞ相待( あひまち ) ける。夜既( すで ) に深( ふけ ) て人定( しづま ) る程( ほど ) に成( なり ) ければ、松浦が郎等( らうどう ) 三十( さんじふ ) 余人( よにん ) 、物具( もののぐ ) ひし/\と堅めて、続松( たいまつ ) に火を立( たて ) て蔀( しとみ ) ・遣戸( やりど ) を蹈破( ふみやぶ ) り、前後より打( うつ ) て入( いる ) 。武文( たけふん ) は京家( きやうけ ) の者と云( いひ ) ながら、心剛( かう ) にして日比( ひごろ ) も度々( どど ) 手柄( てがら ) を顕( あらは ) したる者なりければ、強盜( がうだう ) 入( いり ) たりと心得て、枕に立( たて ) たる太刀をゝつ取( とつ ) て、中門( ちゆうもん ) に走出( わしりいで ) て、打入( うちいる ) 敵三人( さんにん ) 目の前に切( きり ) 臥せ、縁( えん ) にあがりたる敵三十( さんじふ ) 余人( よにん ) 大庭へ颯( さつ ) と追出( おひだ ) して、「武文( たけふん ) と云( いふ ) 大剛( だいかう ) の者此( これ ) にあり。取( とら ) れぬ物を取らんとて、二( ふた ) つなき命を失( うしなふ ) な、盜人共( ぬすぶとども ) 。」と■( あざけつ ) て、仰( のつ ) たる太刀を押直( おしなほ ) し、門( もん ) の脇( わき ) にぞ立( たつ ) たりける。松浦が郎等共( らうどうども ) 武文( たけふん ) 一人に被切立て、門より外( そと ) へはつと逃( にげ ) たりけるが、「蓬( きたな ) し。敵は只一人ぞ。切( きつ ) て入( いれ ) 。」とて、傍( そば ) なる在家( ざいけ ) に火を懸( かけ ) て、又喚( をめい ) てぞ寄( よせ ) たりける。武文( たけふん ) 心は武( たけ ) しといへ共( ども ) 、浦風に吹覆( ふきおほ ) はれたる烟( けむり ) に目暮( くれ ) て、可防様( やう ) も無( なか ) りければ、先( まづ ) 御息所( みやすどころ ) を掻負進( かいおひまゐら ) せ、向ふ敵を打払( うちはらつ ) て、澳( おき ) なる船を招き、「何( いか ) なる舟にてもあれ、女性( によしやう ) 暫( しばらく ) 乗進( のせまゐら ) せてたび候へ。」と申( まうし ) て、汀( みぎは ) にぞ立( たち ) たりける。舟しもこそ多かるに、松浦が迎( むかひ ) に来たる舟是( これ ) を聞( きい ) て、一番に渚( なぎさ ) へ差寄( さしよせ ) たれば、武文( たけふん ) 大( おほき ) に悦( よろこん ) で、屋形( やかた ) の内に打置( うちおき ) 奉り、取落( とりおと ) したる御具足( ぐそく ) 、御伴( おんとも ) の女房達( にようばうたち ) をも、舟に乗( のせ ) んとて走帰( わしりかへり ) たれば、宿( やど ) には早( はや ) 火懸( かかつ ) て、我方様( わがかたざま ) の人もなく成( なり ) にけり。松浦は適( たまたま ) 我( わが ) 舟に此( この ) 女房の乗( のら ) せ給( たまひ ) たる事( こと ) 、可然契( ちぎり ) の程哉( かな ) と無限悦( よろこび ) て、「是( これ ) までぞ。今は皆舟に乗れ。」とて、郎等( らうどう ) ・眷属( けんぞく ) 百( ひやく ) 余人( よにん ) 、捕( とる ) 物も不取敢、皆此( この ) 舟に取乗( とりのつ ) て、眇( はるか ) の澳( おき ) にぞ漕出( こぎいだ ) したる。武文( たけふん ) 渚( なぎさ ) に帰来( かへりきたつ ) て、「其( その ) 御舟( おんふね ) 被寄候へ。先( さき ) に屋形( やかた ) の内に置進( おきまゐら ) せつる上臈( じやうらふ ) を、陸( くが ) へ上進( あげまゐら ) せん。」と喚( よばは ) りけれども、「耳にな聞入( ききいれ ) そ。」とて、順風に帆を上( あげ ) たれば、船は次第に隔( へだた ) りぬ。又手繰( てぐり ) する海士( あま ) の小船に打乗( うちのつ ) て、自( みづから ) 櫓( ろ ) を推( おし ) つゝ、何共( なんとも ) して御舟( おんふね ) に追著( おひつか ) んとしけれ共( ども ) 、順風を得たる大船に、押手( おして ) の小舟非可追付。遥( はるか ) の沖に向( むかつ ) て、挙扇招きけるを、松浦が舟にどつと笑( わらふ ) 声を聞( きい ) て、「安からぬ者哉( かな ) 。其( その ) 儀ならば只今の程( ほど ) に海底( かいてい ) の竜神( りゆうじん ) と成( なつ ) て、其( その ) 舟をば遣( やる ) まじき者を。」と忿( いかつ ) て、腹十文字( じふもんじ ) に掻切( かききつ ) て、蒼海( さうかい ) の底にぞ沈( しづみ ) ける。御息所( みやすどころ ) は夜討の入( いり ) たりつる宵の間( ま ) の騒( さわぎ ) より、肝心( きもたましひ ) も御身( おんみ ) に不副、只夢の浮橋( うきはし ) 浮沈( うきしづみ ) 、淵瀬をたどる心地して、何( なん ) と成行( なりゆく ) 事( こと ) 共( とも ) 知( しら ) せ給はず。舟の中なる者共( ものども ) が、「あはれ大剛( だいかう ) の者哉( かな ) 。主( あるじ ) の女房を人に奪はれて、腹を切( きり ) つる哀( あはれ ) さよ。」と沙汰するを、武文( たけふん ) が事やらんとは乍聞召、其方( そのかた ) をだに見遣( やら ) せ給はず。只衣( きぬ ) 引被( ひきかづい ) て屋形の内に泣沈( なきしづ ) ませ給ふ。見るも恐ろしくむくつけ気( げ ) なる髭男( ひげをとこ ) の、声最( いと ) なまりて色飽( あく ) まで黒きが、御傍( おんそば ) に参( まゐつ ) て、「何をかさのみむつからせ給ふぞ。面白き道すがら、名所共( めいしよども ) を御覧じて御心( おんこころ ) をも慰( なぐさ ) ませ給( たまひ ) 候へ。左様( さやう ) にては何( いか ) なる人も船には酔( よふ ) 物にて候ぞ。」と、兎角( とかく ) 慰め申せ共( ども ) 、御顔をも更( さらに ) 擡( もたげ ) させ給はず、只鬼を一車( ひとつくるま ) に載せて、巫( ぶ ) の三峡( さんかふ ) に棹( さをさ ) すらんも、是( これ ) には過( すぎ ) じと御心( おんこころ ) 迷ひて、消入( きえいら ) せ給( たまひ ) ぬべければ、むくつけ男も舷( ふなばた ) に寄懸( よりかかつ ) て、是( これ ) さへあきれたる体( てい ) なり。其( その ) 夜は大物( だいもつ ) の浦に碇( いかり ) を下( おろ ) して、世を浦風に漂( ただよ ) ひ給ふ。明( あく ) れば風能成( よくなり ) ぬとて、同じ泊( とま ) りの船共( ふねども ) 、帆を引( ひき ) 梶( かぢ ) を取り、己( おの ) が様々( さまざま ) 漕( こぎ ) 行けば、都は早迹( あと ) の霞に隔( へだた ) りぬ。九国にいつか行著( ゆきつか ) んずらんと、人の云( いふ ) を聞召( きこしめ ) すにぞ、さては心つくしに行( ゆく ) 旅也( なり ) と、御心( おんこころ ) 細きに付( つけ ) ても、北野天神荒人神( あらひとがみ ) に成( なら ) せ給( たまひ ) し其古( そのいにし ) への御悲( おんかなし ) み、思召知( おぼしめししら ) せ給( たま ) はゞ、我を都へ帰し御座( おはしま ) せと、御心( おんこころ ) の中( うち ) に祈( いのら ) せ給( たまふ ) 。其( その ) 日( ひ ) の暮( くれ ) 程( ほど ) に、阿波の鳴戸( なると ) を通る処に、俄に風替( かは ) り塩向( むか ) ふて、此( この ) 船更に不行遣。舟人( ふなうど ) 帆を引( ひい ) て、近辺の礒へ舟を寄( よせ ) んとすれば、澳( おき ) の塩合( しほあひ ) に、大( おほき ) なる穴の底も見へぬが出( いで ) 来て、舟を海底に沈( しづめ ) んとす。水主( すゐしゆ ) 梶取( かんどり ) 周章( あわて ) て帆薦( ほごも ) なんどを投入( なげいれ ) 々々( なげいれ ) 渦( うづ ) に巻( まか ) せて、其間( そのま ) に船を漕( こぎ ) 通さんとするに、舟曾( かつて ) 不去。渦巻くに随( したがつ ) て浪と共に舟の廻( めぐ ) る事( こと ) 、茶臼( ちやうす ) を推( おす ) よりも尚( なほ ) 速( すみやか ) 也( なり ) 。「是( これ ) は何様( いかさま ) 竜神( りゆうじん ) の財宝に目( め ) 懸( かけ ) られたりと覚( おぼ ) へたり。何をも海へ入( いれ ) よ。」とて、弓箭( ゆみや ) ・太刀・々( かたな ) ・鎧・腹巻、数( かず ) を尽( つく ) して投入( なげいれ ) たれ共( ども ) 、渦巻( うづまく ) 事( こと ) 尚( なほ ) 不休。「さては若( もし ) 色ある衣裳( いしやう ) にや目を見入( いれ ) たるらん。」とて、御息所( みやすどころ ) の御衣( おんきぬ ) 、赤き袴を投入( なげいれ ) たれば、白浪( しらなみ ) 色変( へん ) じて、紅葉( もみぢ ) を浸( ひた ) せるが如くなり。是( これ ) に渦巻( うづま ) き少し閑( しづ ) まりたれ共( ども ) 、船は尚( なほ ) 本( もと ) の所にぞ回居( めぐりゐ ) たる。角( かく ) て三日三夜に成( なり ) ければ、舟の中の人独( ひとり ) も不起上、皆船底( ふなぞこ ) に酔臥( よひふし ) て、声々に呼叫( をめきさけ ) ぶ事無限。御息所( みやすどころ ) は、さらでだに生( いけ ) る御心地( おんここち ) もなき上に、此( この ) 浪の騒( さわぎ ) になを御肝( おんきも ) 消( きえ ) て、更に人心( ここち ) も坐( ましま ) さず。よしや憂目( うきめ ) を見んよりは、何( いか ) なる淵瀬にも身を沈めばやとは思召( おぼしめし ) つれ共( ども ) 、さすがに今を限( かぎり ) と叫ぶ声を聞召( きこしめ ) せば、千尋( ちひろ ) の底の水屑( みくづ ) と成( なり ) 、深き罪に沈( しずみ ) なん後( のち ) の世をだに誰かは知( しり ) て訪( と ) はんと思召( おぼしめ ) す涙さへ尽( つき ) て、今は更に御( み ) くしをも擡( もたげ ) させ給はず。むくつけ男( をとこ ) も早忙然( ばうぜん ) と成( なつ ) て、「懸( かか ) る無止事貴人を取( とり ) 奉り下( くだ ) る故( ゆゑ ) に、竜神( りゆうじん ) の咎( とが ) めもある哉( や ) らん。無詮事をもしつる者哉( かな ) 。」と誠( まこと ) に後悔の気色( けしき ) なり。斯( かか ) る処に梶取( かんどり ) 一人船底( ふなぞこ ) より這出( はひいで ) て、「此鳴渡( このなると ) と申( まうす ) は、竜宮城( りゆうぐうじやう ) の東門( とうもん ) に当( あたつ ) て候間、何( なに ) にても候へ、竜神( りゆうじん ) の欲( ほ ) しがらせ給ふ物を、海へ沈め候はねば、いつも加様( かやう ) の不思議( ふしぎ ) ある所にて候は、何様( いかさま ) 彼( かの ) 上臈を龍神の思懸申( おもひかけまう ) されたりと覚( おぼ ) へ候。申( まうす ) も余( あまり ) に邪見( じやけん ) に無情候へ共( ども ) 、此御事( このおこと ) 独( ひとり ) の故( ゆゑ ) に若干( そくばく ) の者共( ものども ) が、皆非分の死を仕らん事は、不便( ふびん ) の次第にて候へば、此上臈( このじやうらふ ) を海へ入進( いれまゐら ) せて、百( ひやく ) 余人( よにん ) の命を助させ給へ。」とぞ申( まうし ) ける。松浦( まつら ) 元来無情田舎人( ゐなかうど ) なれば、さても命や助かると、屋形( やかた ) の内へ参( まゐつ ) て、御息所( みやすどころ ) を荒らかに引起し奉り、「余( あまり ) に強顔( つれなき ) 御気色( おんけしき ) をのみ見奉るも、無本意存( ぞんじ ) 候へば、海に沈め進( まゐら ) すべきにて候。御契( おんちぎり ) 深くば土佐( とさ ) の畑( はた ) へ流れよらせ給ひて、其宮( そのみや ) とやらん堂( だう ) とやらん、一つ浦に住( すま ) せ給へ。」とて、無情掻抱( かきだ ) き進( まゐら ) せて、海へ投入奉( なげいれたてまつら ) んとす。是( これ ) 程の事に成( なつ ) ては、何( なん ) の御詞( おんことば ) か可有なれば、只夢の様( やう ) に思召( おぼしめ ) して、つや/\息をも出( いだ ) させ給はず、御心( おんこころ ) の中( うち ) に仏の御名許( みなばかり ) を念じ思召( おぼしめし ) て、早絶入( たえいら ) せ給( たまひ ) ぬるかと見へたり。是( これ ) を見て僧の一人便船( びんせん ) せられたりけるが、松浦( まつら ) が袖を磬( ひかへ ) て、「こは如何なる御事( おんこと ) にて候ぞや。竜神( りゆうじん ) と申( まうす ) も、南方無垢( むく ) の成道( じやうだう ) を遂( とげ ) て、仏の授記( じゆき ) を得たる者にて候へば、全く罪業の手向( たむけ ) を不可受。而( しか ) るを生( いき ) ながら人を忽( たちまち ) に海中に沈められば、弥( いよいよ ) 竜神( りゆうじん ) 忿( いかつ ) て、一人も助( たすか ) る者や候べき。只経( きやう ) を読み陀羅尼( だらに ) を満( みて ) て法楽に備( そなへ ) られ候はんずるこそ可然覚( おぼ ) へ候へ。」と、堅く制止( せいし ) 宥( なだ ) めければ、松浦理( ことわり ) に折( をれ ) て、御息所( みやすどころ ) を篷屋( とまや ) の内に荒らかに投棄( なげすて ) 奉る。「さらば僧の儀に付( つい ) て祈りをせよや。」とて、船中の上下異口同音( いくどうおん ) に観音の名号( みやうがう ) を唱( となへ ) 奉りける時、不思議( ふしぎ ) の者共( ものども ) 波の上に浮( うか ) び出( いで ) て見へたり。先( まづ ) 一番に退紅( こきくれなゐ ) 著たる仕丁( じちやう ) が、長持を舁( かき ) て通ると見へて打失( うちうせ ) ぬ。其次( そのつぎ ) に白葦毛( しらあしげ ) の馬に白鞍( しらくら ) 置( おき ) たるを、舎人( とねり ) 八人して引( ひき ) て通ると見へて打失( うちうせ ) ぬ。其( その ) 次に大物( だいもつ ) の浦にて腹切( きつ ) て死( しし ) たりし、右衛門( うゑもんの ) 府生( ふしやう ) 秦武文( はだのたけふん ) 、赤糸威( あかいとをどし ) の鎧、同毛( おなじけ ) の五枚甲( ごまいかぶと ) の緒( を ) を縮( しめ ) 、黄■毛( きつきげ ) なる馬に乗( のつ ) て、弓杖( ゆんづゑ ) にすがり、皆紅( みなくれなゐ ) の扇( あふぎ ) を挙げ、松浦が舟に向( むかつ ) て、其( その ) 舟留( と ) まれと招く様( やう ) に見へて、浪の底にぞ入( いり ) にける。梶取( かんどり ) 是( これ ) を見て、「灘( なだ ) を走る舟に、不思議( ふしぎ ) の見ゆる事は常の事にて候へ共( ども ) 、是( これ ) は如何様( いかさま ) 武文( たけふん ) が怨霊( をんりやう ) と覚( おぼ ) へ候。其験( そのしるし ) を御覧ぜん為に、小船を一艘( いつさう ) 下( おろ ) して此( この ) 上臈を乗進( のせまゐら ) せ、波の上に突流( つきなが ) して、竜神( りゆうじん ) の心を如何と御覧( ごらん ) 候へかし。」と申せば、「此( この ) 儀げにも。」とて、小船を一艘( いつさう ) 引下( ひきおろ ) して、水手( すゐしゆ ) 一人と御息所( みやすどころ ) とを乗せ奉( たてまつ ) て、渦( うづ ) の波に漲( みなぎつ ) て巻却( まきかへ ) る波の上にぞ浮べける。彼早離( かのさうり ) ・速離( そくり ) の海岸山( かいがんさん ) に被放、「飢寒( きかん ) の愁( うれへ ) 深( ふかく ) して、涙も尽( つき ) ぬ。」と云( いひ ) けんも、人住( すむ ) 島( しま ) の中なれば、立寄( たちよる ) 方( かた ) も有( あり ) ぬべし。是( これ ) は浦にも非( あら ) ず、島にも非( あら ) ず、如何に鳴渡( なると ) の浪の上に、身を捨舟( すてぶね ) の浮( うき ) 沈み、塩瀬( しほせ ) に回( めぐ ) る泡( うたかた ) の、消( きえ ) なん事こそ悲( かなし ) けれ。されば竜神( りゆうじん ) もゑならぬ中をや被去けん。風俄に吹分( ふきわけ ) て、松浦が舟は西を指( さ ) して吹( ふか ) れ行( ゆく ) と見へけるが、一( いち ) の谷の澳津( おきつ ) より武庫山下風( むこやまおろし ) に被放て、行方( ゆきかた ) 不知成( なり ) にけり。其後( そののち ) 浪静( しづま ) り風止( やみ ) ければ、御息所( みやすどころ ) の御船( おんふね ) に被乗つる水主( すゐしゆ ) 甲斐々々敷( かひがひしく ) 舟を漕寄( こぎよせ ) て、淡路( あはぢ ) の武島( むしま ) と云( いふ ) 所へ著( つけ ) 奉り、此( この ) 島の為体( ていたらく ) 、回( まはり ) 一里に足( たら ) ぬ所にて、釣する海士( あま ) の家ならでは、住( すむ ) 人もなき島なれば、隙( ひま ) あらはなる葦( あし ) の屋( や ) の、憂節( うきふし ) 滋( しげ ) き栖( すみか ) に入進( いれまゐら ) せたるに、此( この ) 四五日の波風に、御肝( おんきも ) 消( きえ ) 御心( おんこころ ) 弱りて、軈( やが ) て絶入( たえいら ) せ給ひけり。心なき海人( あま ) の子共( こども ) 迄も、「是( これ ) は如何にし奉らん。」と、泣悲( なきかなし ) み、御顔に水を灑( そそ ) き、櫓床( ろどこ ) を洗( あらう ) て御口に入( いれ ) なんどしければ、半時許( はんじばかり ) して活出( いきいで ) させ給へり。さらでだに涙の懸( かか ) る御袖( おんそで ) は乾く間( ま ) も無( なか ) るべきに、篷漏( とまも ) る滴( しづく ) 藻塩草( もしほぐさ ) 、可敷忍旅寝( たびね ) ならねば、「何迄( いつまで ) 角( かく ) ても有佗( ありわ ) ぶべき。土佐( とさ ) の畑( はた ) と云( いふ ) 浦へ送りてもやれかし。」と、打佗( うちわび ) させ給へば、海士共( あまども ) 皆同じ心に、「是( これ ) 程厳敷( いつくしく ) 御渡( おんわたり ) 候上臈( じやうらふ ) を、我等が舟に乗進( のせまゐら ) せて、遥々( はるばる ) と土佐迄送り進( まゐら ) せ候はんに、何( いづく ) の泊( とまり ) にてか、人の奪取進( うばひとりまゐら ) せぬ事の候べき。」と、叶( かなふ ) まじき由を申せば、力( ちから ) 及ばせ給はずして、浪の立居( たちゐ ) に御袖( おんそで ) をしぼりつゝ、今年は此( ここ ) にて暮し給ふ。哀( あはれ ) は類( たぐ ) ひも無( なか ) りけり。さて一宮( いちのみや ) は武文( たけふん ) を京へ上( のぼ ) せられし後( のち ) は、月日遥( はるか ) に成( なり ) ぬれ共( ども ) 、何共( なんとも ) 御左右( おんさう ) を申さぬは、如何なる目にも逢( あひ ) ぬる歟( か ) と、静心( しづごころ ) なく思食( おぼしめし ) て、京より下( くだ ) れる人に御尋( おんたづね ) 有( あり ) ければ、「去年の九月に御息所( みやすどころ ) は都を御出( おんいで ) 有( あつ ) て、土佐へ御下( おんくだ ) り候( さふらひ ) しとこそ慥( たしか ) に承( うけたまは ) りしか。」と申( まうし ) ければ、さては道にて人に被奪ぬるか、又世を浦風に被放、千尋( ちひろ ) の底にも沈( しづみ ) ぬる歟( か ) と、一方( ひとかた ) ならず思ひくづほれさせ給( たまひ ) けるに、或( ある ) 夜御警固( おんけいご ) に参( まゐり ) たる武士共( ぶしども ) 、中門( ちゆうもん ) に宿直申( とのゐまうし ) て四方山( よもやま ) の事共( ことども ) 物語しける者の中に、「さるにても去年の九月、阿波の鳴渡( なると ) を過( すぎ ) て当国に渡りし時、船の梶( かぢ ) に懸( かかり ) たりし衣( きぬ ) を取上( とりあげ ) て見しかば、尋常( よのつね ) の人の装束( しやうぞく ) とも不見、厳( いつくし ) かりし事よ。是( これ ) は如何様( いかさま ) 院( ゐん ) ・内裏( だいり ) の上臈女房( じやうらふにようばう ) なんどの田舎( ゐなか ) へ下( くだ ) らせ給ふが、難風に逢( あう ) て海に沈み給( たまひ ) けん其( その ) 装束にてぞ有( ある ) らん。」と語( かたつ ) て、「穴( あな ) 哀( あはれ ) や。」なんど申合( まうしあひ ) ければ、宮墻越( かきごし ) に被聞召、若( もし ) 其行末( そのゆくへ ) にてや有( ある ) らんと不審( ふしん ) 多く思食( おぼしめし ) て、「聊( いささか ) 御覧ぜられたき御事( おんこと ) あり。其衣( そのきぬ ) 未( いまだ ) あらば持( もち ) て参れ。」と御使( おんつかひ ) 有( あり ) ければ、「色こそ損( そん ) じて候へ共( ども ) 未( いまだ ) 私に候。」とて召寄進( めしよせまゐら ) せたり。宮能々( よくよく ) 是( これ ) を御覧ずるに、御息所( みやすどころ ) を御迎( おんむかひ ) に武文( たけふん ) を京へ上( のぼ ) せられし時、有井( ありゐの ) 庄司( しやうじ ) が仕立( したて ) て進( まゐら ) せたりし御衣( おんきぬ ) 也( なり ) 。穴( あな ) 不思議( ふしぎ ) やとて、裁余( たちあま ) したる切( き ) れを召出( めしいだ ) して、差合( さしあは ) せられたるに、あやの文( もん ) 少( すこし ) も不違続( つづ ) きたれば、二目共( ふためとも ) 不被御覧、此衣( このきぬ ) を御顔に押当( おしあて ) て、御涙( おんなみだ ) を押拭( おしのご ) はせ給ふ。有井( ありゐ ) も御前( おんまへ ) に候( さふらひ ) けるが、涙を袖に懸( かけ ) つゝ罷立( まかりたち ) にけり。今は御息所( みやすどころ ) の此( この ) 世に坐( ましま ) す人とは露( つゆ ) も不被思召、此衣( このきぬ ) の橈( かぢ ) に懸( かか ) りし日を、なき人の忌日( きにち ) に被定、自( みづから ) 御経( おんきやう ) を書写( しよしや ) せられ、念仏を唱( とな ) へさせ給( たまひ ) て、「過去聖霊( くわこしやうりやう ) 藤原氏女( うぢのむすめ ) 、並( ならびに ) 物故秦武文( もつこはだのたけふん ) 共( とも ) に三界の苦海( くかい ) を出( いで ) て、速( すみやか ) に九品( くぼん ) の浄刹( じやうせつ ) に到れ。」と祈らせ給ふ。御歎( おんなげき ) の色こそ哀( あはれ ) なれ。去( さる ) 程( ほど ) に其( その ) 年の春( はる ) の比( ころ ) より、諸国に軍( いくさ ) 起( おこつ ) て、六波羅( ろくはら ) ・鎌倉( かまくら ) ・九国・北国の朝敵共( てうてきども ) 、同時に滅びしかば、先帝は隠岐( おきの ) 国( くに ) より還幸( くわんかう ) 成り、一宮( いちのみや ) は土佐( とさ ) の畑( はた ) より都へ帰り入らせ給ふ。天下悉( ことごとく ) 公家一統( くげいつとう ) の御世( みよ ) と成( なつ ) て目出( めでた ) かりしか共( ども ) 、一宮( いちのみや ) は唯御息所( みやすどころ ) の今( この ) 世に坐( ましま ) さぬ事を歎思食( なげきおぼしめし ) ける処に、淡路( あはぢ ) の武島( むしま ) に未( いまだ ) 生( いき ) て御坐( ござ ) 有( あり ) と聞( きこ ) へければ、急( いそぎ ) 御迎( おんむかひ ) を被下、都へ帰上( かへりのぼ ) らせ給ふ。只王質( わうしつ ) が仙より出( いで ) て七世の孫( まご ) に会ひ、方士( はうし ) が海に入( いつ ) て楊貴妃( やうきひ ) を見奉りしに不異。御息所( みやすどころ ) は、「心づくしに趣( おもむき ) し時の心憂( こころう ) さ、浪に回( めぐ ) りし泡( うたかた ) の消( きゆ ) るを争( あら ) そう命の程、堪兼( たへかね ) たりし襟( ものおもひ ) は御推量( おんおしはか ) りも浅くや。」とて、御袖( おんそで ) 濡( ぬる ) る許( ばかり ) なり。宮は又「外渡( とわた ) る舟の梶( かぢ ) の葉に、書共( かくとも ) 尽( つき ) ぬ御歎( おんなげき ) 、無跡( なきあと ) 問( とひ ) し月日の数( かず ) 、御身( おんみ ) に積( つも ) りし悲( かなし ) みは、語るも言( こと ) は愚( おろ ) か也( なり ) 。」と書口説( かきくどか ) せ給ひける。さしも憂( う ) かりし世中( よのなか ) の、時の間( ま ) に引替( ひきかへ ) て、人間の栄花( えいぐわ ) 、天上の娯楽、不極云( いふ ) 事( こと ) なく、不尽云御遊( ぎよいう ) もなし。長生殿( ちやうせいでん ) の裏( うち ) には、梨花( りくわ ) の雨不破壌を、不老門( ふらうもん ) の前には、楊柳( やうりう ) の風不鳴枝。今日を千年( ちとせ ) の始めと、目出( めでた ) きためしに思食( おぼしめし ) たりしに、楽( たのしみ ) 尽( つき ) て悲( かなし ) み来( きた ) る人間の習( ならひ ) なれば、中( なか ) 一年有( あつ ) て、建武元年の冬の比( ころ ) より又天下乱( みだれ ) て、公家( くげ ) の御世( みよ ) 、武家の成敗( せいばい ) に成( なり ) しかば、一宮( いちのみや ) は終( つひ ) に越前( ゑちぜんの ) 金崎( かねがさき ) の城にて御自害( ごじがい ) 有( あつ ) て、御首( おんくび ) 京都に上( のぼり ) て、禅林寺( ぜんりんじの ) 長老夢窓( むさう ) 国師、喪礼( さうれい ) 被執行など聞へしかば、御息所( みやすどころ ) は余( あま ) りの為方( せんかた ) なさに御車( おんくるま ) に被助載て、禅林寺( ぜんりんじ ) の辺( あたり ) まで浮( うか ) れ出( いで ) させ給へば、是( これ ) ぞ其御事( そのおこと ) と覚敷( おぼしく ) て、墨染( すみぞめ ) の夕( ゆふべ ) の雲に立( たつ ) 煙( けむり ) 、松の嵐に打靡( うちなび ) き、心細く澄上( すみのぼ ) る。さらぬ別( わかれ ) の悲( かなし ) さは、誰とても愚( おろか ) ならぬ涙なれ共( ども ) 、宮などの無止事御身( おんみ ) を、剣( やいば ) の先( さき ) に触( ふれ ) て、秋の霜の下に消終( きえはて ) させ給( たまひ ) ぬる御事( おんこと ) は、無類悲( かなしみ ) なれば、想像( おもひやり ) 奉る今はの際( きは ) の御有様( おんありさま ) も、今一入( ひとしほ ) の思ひを添( そへ ) て、共に東岱( とうたい ) 前後の烟と立登( たちのぼ ) り、北芒新丘( ほくばうしんきう ) の露共( とも ) 消( きえ ) なばやと、返る車の常盤( とことは ) に、臥沈( ふししづ ) ませ給( たまひ ) ける、御心( おんこころ ) の中( うち ) こそ哀( あはれ ) なれ。行( ゆき ) て訪旧跡、竹苑( ちくゑん ) 故宮( こきゆうの ) 月心を傷( いたま ) しめ、帰( かへりて ) 臥寒閨、椒房( さうばう ) 寡居( くわきよ ) の風夢を吹( ふき ) 、著見に順聞に、御歎( おんなげき ) 日毎( ひごと ) に深く成行( なりゆき ) ければ、軈( やがて ) 御息所( みやすどころ ) も御心地( おんここち ) 煩( わづら ) ひて、御中陰( ごちゆういん ) の日数( ひかず ) 未終( いまだをへざる ) 先( さき ) に、無墓成( なら ) せ給ひければ、聞( きく ) 人毎( ひとごと ) に押並( おしなべ ) て、類( たぐ ) ひ少なき哀( あはれ ) さに、皆袂( たもと ) をぞ濡( ぬら ) しける。
○比叡山( ひえいさん ) 開闢( かいびやくの ) 事( こと ) 金崎( かねがさき ) の城被攻落て後( のち ) 、諸国の宮方( みやがた ) 失力けるにや。或( あるひ ) は降参し、或( あるひ ) は退散( たいさん ) して、天下将軍の威に随ふ事( こと ) 、宛( あたかも ) 如吹風靡草木。在々所々( ざいざいしよしよ ) に宮方( みやがた ) の城有( あつ ) て、山門又如何なる事をかし出( いだ ) さんずらんと危( あやぶ ) まれし程こそ、衆徒( しゆと ) の心を不違、山門の所領共に被成安堵たりしか、今天下已( すで ) に武威に帰( き ) して静謐( せいひつ ) しぬる上は、何の憤( いきどほり ) か可有とて、以前の成敗( せいばい ) の事を変( へん ) じて、山門を三井寺( みゐでら ) の末寺( まつじ ) にやなす、又若干( そくばく ) の所領を塞( ふさ ) げたるも無益( むやく ) なれば、只一円に九院( きうゐん ) を没倒( もつたう ) し衆徒を追出( おひいだ ) して、其跡( そのあと ) を軍勢( ぐんぜい ) にや可充行、高( かう ) ・上杉の人々、将軍の御前( おんまへ ) に参( さん ) じて評定( ひやうぢやう ) しける処に、北小路( きたのこうぢ ) の玄慧法印( げんゑほふいん ) 出来( いできた ) れり。武蔵守( むさしのかみ ) 師直( もろなほ ) 、「此( この ) 人こそ大智広学( くわうがく ) の物知( ものしり ) にて候なれば、加様( かやう ) の事共( ことども ) も存知( ぞんぢ ) 候はんずれ。此( こ ) れに山門の事( こと ) 、委( くはし ) く尋問( たづねとひ ) 候はゞや。」と被申ければ、将軍、「げにも。」とて、「法印此方( こなた ) へ。」とぞ被呼ける。法印席に直( なほつ ) て四海( しかい ) 静謐( せいひつ ) の事共( ことども ) 賀し申( まうし ) て、種々の物語共( ものがたりども ) に及びける時、上杉伊豆( いづの ) 守( かみ ) 重能( しげよし ) 、法印に向( むかつ ) て被申けるは、「以前( いぜん ) 山門両度の臨幸を許容申( きよようまうし ) て将軍に敵し奉る事無他事。雖然武運合天命に故( ゆゑ ) に、遂に朝敵( てうてき ) を一時に亡( ほろぼ ) して、太平を四海( しかい ) に致候( いたしさふらひ ) き。抑( そもそも ) 山門毎年の祭礼に、洛中( らくちゆう ) の人民を煩( わづらは ) し、三千( さんぜん ) の聖供( しやうぐ ) 共( ども ) に、国土の庄園を領( りやう ) する事( こと ) 、為世雖多費、公家武家不止之事は、只専御祈祷( ごきたう ) 仰天下静謐故( ゆゑ ) 也( なり ) 。而( しかる ) に今為武家結怨、為朝敵( てうてき ) 致懇祈。是( これ ) 当家( たうけ ) の蠧害( とがい ) 、釈門( しやくもん ) の残賊( ざんぞく ) なるべし。風( ほのか ) に聞( きく ) 比叡山( ひえいさん ) 草創( さうさう ) の事( こと ) 、時は延暦の末の年に当( あた ) れり、君は桓武( くわんむ ) の治天( ちてん ) に始まれり。此( この ) 寺未( いまだ ) 立( たた ) ざりし先( さき ) に、聖主( せいしゆ ) 治国給ふ事相続( あひつづい ) て五十代、曾( かつて ) 異国にも不被侵、妖怪( えうくわい ) にも不被悩、君巍々( ぎぎ ) の徳を播( ほどこ ) し、民堂々( だうだう ) の化( くわ ) に誇( ほこ ) る。以是憶之、有( あつ ) て無益( むやく ) の者は山門( さんもん ) 也( なり ) 。無( なく ) て可能山法師( やまほふし ) 也( なり ) 。但( ただし ) 山門無( なく ) ては叶( かなふ ) まじき故候哉覧( やらん ) 。白河( しらかはの ) 院( ゐん ) も、「朕( ちん ) が心に不任は、双六( すごろく ) の賽( さい ) ・賀茂河( かもがは ) の水・山法師( やまほふし ) 也( なり ) 。」と被仰候( さふらひ ) けんなる。其議( そのぎ ) 誠( まこと ) に不審( いぶか ) しく覚( おぼえ ) 候。御物語( おんものがたり ) 候へ、次( つい ) での才学( さいかく ) に仕( つかまつり ) 候はん。」とぞ被申ける。法印熟々( つくづく ) と聞之、言語道断( ごんごだうだん ) の事なり。閉口去( さり ) 塞耳帰らばやと思ひけれ共( ども ) 、若( もし ) 一言の下( もと ) に、翻邪帰正事もやあらんずらんと思ひければ、中々( なかなか ) 旨( むね ) に逆( さか ) ひ儀を犯( をか ) す言( こと ) ばを留( と ) めて、長物語( ながものがたり ) をぞ始( はじめ ) られける。「夫( それ ) 斯( この ) 国( くに ) の起( おこ ) りは家々に伝( つたふ ) る処格別( かくべつ ) にして其( その ) 説区( まちまち ) 也( なり ) といへ共( ども ) 、暫( しばらく ) 記( き ) する処の一儀( いちぎ ) に、天地已( すで ) に分れて後、第九( だいく ) の減劫( げんこふ ) 人寿( にんじゆ ) 二万歳( にまんさい ) の時、迦葉仏( かせふぶつ ) 西天に出世し給ふ。于時大聖( だいしやう ) 釈尊得其授記、住都率天給ひしが、我( われ ) 八相成道( しやうじやうだう ) 之( の ) 後( のち ) 、遺教流布( ゆゐけうるふ ) の地、可有何所と、此南瞻部州( このなんぜんぶしう ) を遍( あまね ) く飛行して御覧じけるに、漫々( まんまん ) たる大海の上に、一切衆生( いつさいしゆじやう ) 悉有仏性( しつうぶつしやう ) 、如来常住( によらいじやうぢゆう ) 無有変易( むうへんやく ) と立( たつ ) 浪の音あり。釈尊是( これ ) を聞召( きこしめし ) て、此( この ) 波の流止( ながれとどま ) らんずる所、一つの国と成( なつ ) て、吾( わが ) 教法弘通( ぐつう ) する霊地( れいち ) たるべしと思召( おぼしめし ) ければ、則( すなはち ) 此( この ) 浪の流行( ながれゆく ) に随( したがつ ) て、遥( はるか ) に十万里の蒼海( さうかい ) を凌( しの ) ぎ給ふ。此( この ) 波忽( たちまち ) に一葉( いちえふ ) の葦( あし ) の海中に浮べるにぞ留( とどま ) りにける。此( この ) 葦の葉果( はた ) して一の島となる。今の比叡山( ひえいさん ) の麓、大宮権現( おほみやごんげん ) 垂跡給ふ波止土濃( はしどの ) 也( なり ) 。是( この ) 故( ゆゑ ) に波止( とどまつ ) て土( つち ) 濃( こまやか ) 也( なり ) とは書( かけ ) るなるべし。其後( そののち ) 人寿( にんじゆ ) 百歳の時釈尊中天竺( てんぢく ) 摩竭陀( まかだ ) 国浄飯王宮( じやうぼんわうぐう ) に降誕( がうたん ) し給ふ。御歳( おんとし ) 十九にて二月上八( じやうはち ) の夜半( やはん ) に王宮を遁( のが ) れ出( いで ) 、六年難行( なんぎやう ) して雪山( せつせん ) に捨身、寂場樹下( じやくぢやうじゆか ) に端坐( たんざ ) し給ふ事( こと ) 、又六年の後夜( ごや ) に正覚( しやうがく ) を成( なし ) し後、頓大( とんだい ) 三七日、遍小( へんせう ) 十二年( ねん ) 、染浄虚融( せんじやうこゆう ) の演説( えんぜつ ) 三十年( さんじふねん ) 、一実無相( いちじつむさう ) の開顕( かいけん ) 八箇年( はちかねん ) 、遂に滅度( めつど ) を抜提河( ばつだいが ) の辺( ほとり ) 、双林樹下に唱( となへ ) 給ふ。雖然、仏は元来本有常住( ほんうじやうぢゆう ) 周遍法界( しうへんほふかい ) の妙体( めうたい ) なれば、為遺教流布、昔葦( あし ) の葉の国と成( なり ) し南閻浮提( なんえんぶだい ) 豊葦原( とよあしはら ) の中津国( なかつくに ) に到( いたつ ) て見給ふに、時は鵜羽( うのは ) 不葺合尊( みこと ) の御代なれば、人未( いまだ ) 仏法の名字( みやうじ ) をだにも不聞。然共( しかれども ) 此( この ) 地大日遍照( だいにちへんぜう ) の本国として、仏法東漸( とうぜん ) の霊地たるべければ、何( いづ ) れの所にか可開応化利生之門、彼方此方( かなたこなた ) を遍歴( へんれき ) し給ふ処に、比叡山( ひえいさん ) の麓楽々名美也( ささなみや ) 志賀( しが ) の浦の辺( ほとり ) に、垂釣坐( おは ) せる老翁( らうをう ) あり。釈尊向之、「翁( おきな ) 若( もし ) 此( この ) 地の主( ぬし ) たらば此( この ) 山を吾( われ ) に与( あたへ ) よ。成結界地仏法を弘( ひろめ ) ん。」と宣( のたまひ ) ければ、此翁( このおきな ) 答曰( こたへていはく ) 、「我は人寿六千歳の始( はじめ ) より、此( この ) 所の主( ぬし ) として、此湖( このみづうみ ) の七度( しちど ) 迄蘆原( あしはら ) と変ぜしを見たり。但( ただし ) 此( この ) 地結界( けつかい ) の地と成らば、釣( つり ) する所を可失。釈尊早( はやく ) 去( さつ ) て他国に求め給へ。」とぞ惜( をし ) みける。此翁( このおきな ) は是( これ ) 白髭( しらひげの ) 明神也( なり ) 。釈尊因茲、寂光土( じやくくわうど ) に帰らんとし給ひける処に、東方浄瑠璃世界( とうばうじやうるりせかい ) の教主( けうしゆ ) 医王善逝( いわうぜんせい ) 忽然( こつぜん ) として来り給へり。釈尊大( おほき ) に歓喜( くわんぎ ) し給( たまひ ) て、以前老翁が云( いひ ) つる事を語り給ふに、医王善逝称歎( しようたん ) して宣はく、「善( よい ) 哉( かな ) 釈迦尊( しやかそん ) 、此( この ) 地に仏法を弘通( ぐづう ) し給はん事。我( われ ) 人寿二万歳( にまんさい ) の始( はじめ ) より此( この ) 国( くに ) の地主也( なり ) 。彼老翁( かのらうをう ) 未知我。何( なんぞ ) 此( この ) 山を可奉惜哉( や ) 。機縁( きえん ) 時至( いたつ ) て仏法東流( とうりう ) せば、釈尊は教( をしへ ) を伝( つたふ ) る大師( だいし ) と成( なつ ) て、此( この ) 山を開闢( かいびやく ) し給へ。我は此( この ) 山の王と成( なつ ) て久( ひさし ) く後五百歳( ごごひやくさい ) の仏法を可護。」と誓約( せいやく ) をなし、二仏( じぶつ ) 各東西に去給( さりたまひ ) にけり。角( かく ) て千八百年を経( へ ) て後、釈尊は伝教( でんげう ) 大師( だいし ) と成( なら ) せ給ふ。延暦( えんりやく ) 二十三年に始( はじめ ) て求法( ぐほふ ) の為に漢土( かんど ) に渡り給ふ。則( すなはち ) 顕密戒( けんみつかい ) の三学淵底( えんてい ) に玉を拾( ひろ ) ひ、同( おなじき ) 二十四年に帰朝し給( たまひ ) ぬ。爰( ここ ) に桓武( くわんむの ) 皇帝( くわうてい ) 、法の檀度( だんと ) と成( なら ) せ給( たまひ ) て比叡山( ひえいさん ) を被草創始め、伝教( でんげう ) 大師( だいし ) 承勅、根本中堂( こんぼんちゆうだう ) を建( たて ) んとて地を引( ひか ) れけるに、紅蓮( ぐれん ) の如くなる人の舌( した ) 一つ土の底に有( あつ ) て法華読誦( どくじゆ ) の声不止。大師( だいし ) 怪( あやしみ ) て其( その ) 故を問( とひ ) 給ふに、此( この ) 舌答( こたへ ) て曰く、「我( われ ) 古( いにし ) へ此( この ) 山に住( ぢゆう ) して、六万部の法華経( ほけきやう ) を読誦( どくじゆ ) せしが、寿命有限身已( すで ) に雖壊、音声( おんじやう ) 無尽舌は尚( なほ ) 存( ぞん ) せり。」とぞ申( まうし ) ける。又中堂造営( ざうえい ) 事( こと ) 終( をはつ ) て、為本尊大師( だいし ) 御手( てづ ) から薬師( やくし ) の像を作り給( たまひ ) しに、一度( いちど ) 斧( をの ) を下( くだ ) して、「像法転時( さうほふてんじ ) 、利益衆生( りやくしゆじやう ) 、故号薬師( こがうやくし ) 、瑠璃光仏( るりくわうぶつ ) 。」と唱( とな ) へて、礼拝( らいはい ) し給( たまひ ) ける時に、木像( もくざう ) の薬師屈首諾( うなづ ) かせ給ひけり。其( その ) 後大師( だいし ) は小比叡( をひえ ) の峯( みね ) に杉の庵( いほり ) を卜( しめ ) て、暫( しばらく ) 独住( ひとりずみ ) し坐( おはし ) ける。或時角( かく ) ぞ詠じ給ひける。波母山( はもやま ) や小比叡( をひえ ) の杉の独居( ひとりゐ ) は嵐も寒し問( とふ ) 人もなしと被遊、観月( くわんげつ ) を澄( すま ) して御坐( おはし ) ける処に、光明嚇奕( かくやく ) たる三( み ) つの日輪( にちりん ) 、空中より飛下( とびくだ ) れり。其( その ) 光の中に釈迦・薬師・弥陀( みだ ) の三尊( さんぞん ) 光を並べて坐し給ふ。此( この ) 三尊或( あるひ ) は僧形( そうぎやう ) を現( げんじ ) 或( あるひ ) は俗体に変じて、大師( だいし ) を礼( らい ) し奉( たてまつ ) て、「十方大菩薩( だいぼさつ ) ・愍衆故行道( みんしゆこぎやうだう ) ・応生恭敬心( おうしやうくきやうしん ) ・是則我大師( ぜそくがたいし ) 。」と讚( ほめ ) 給ふ。大師( だいし ) 大( おほき ) に礼敬( らいきやう ) し給( たまひ ) て、「願( ねがはく ) は其御名( そのみな ) を聞( きか ) ん。」と問( とひ ) 給ふに、三尊答曰( こたへていはく ) 、「竪( たて ) の三点に横( よこ ) の一点を加へ、横の三点に竪( たて ) の一点を添( そ ) ふ。我( われ ) 内には円宗( ゑんしゆう ) の教法を守り、外には済度( さいど ) の方便を助けん為に、此( これ ) 山に来れり。」と答( こたへ ) 給ふ。其光( そのひかり ) 天に懸( かか ) れる事( こと ) 、百練の鸞鏡( らんけい ) の如し。大師( だいし ) 此( この ) 言を以て文字( もんじ ) を成( なす ) に、竪( たて ) の三点に横の一点を加へては、山と云( いふ ) 字也( なり ) 。横の三点に竪( たて ) の一点を添( そへ ) ては王と云( いふ ) 字也( なり ) 。山は是( これ ) 高大( かうだい ) にして不動形、王は天・地・人の三才( さんさい ) に経緯( けいゐ ) たる徳を顕( あらは ) し玉( たま ) へる称号( しようがう ) なるべしとて、其( その ) 神を山王と崇( あが ) め奉る。所謂( いはゆる ) 大宮権現( おほみやごんげん ) は久遠実成( くをんじつじやう ) の古仏、天照太神( あまてらすおほんがみ ) の応作( おうさ ) 、専( もつぱら ) 護円宗教法、久( ひさしく ) 宿比叡山( ひえいさん ) 。故( ゆゑ ) に法宿( ほふしゆく ) 大菩薩( だいぼさつ ) とも奉申。既( すでに ) 是( これ ) 三界の慈父( じぶ ) 、我等が本師也( なり ) 。聖真子( しやうしんじ ) は九品安養界( くほんあんやうかい ) の化主( けしゆ ) 、八幡( はちまん ) 大菩薩( だいぼさつ ) の分身( ぶんじん ) 、光を和四明麓、速( すみやかに ) 示三聖形。雖十悪猶( なほ ) 引接( いんぜふしたまふ ) 事( こと ) は、疾風の雲霧( うんむ ) を披( ひらく ) よりも甚し。雖一念必( かならず ) 感応( かんおう ) なる事は、喩之巨海納涓露。和光同塵( わくわうどうじん ) は既( すで ) に為結縁始。往生安楽は豈( あに ) 非得脱終乎( や ) 。二の宮( みや ) は初め大聖釈尊( だいしやうしやくそん ) と約( やく ) をなし給ひし東方浄瑠璃世界( とうばうじやうるりせかい ) の如来( によらい ) 、吾( わが ) 国( くに ) 秋津州( あきつす ) の地主也( なり ) 。随所示願( ずゐしよじぐわん ) の誓ひ既( すで ) に叶ふ。現世安隠( げんぜあんおんの ) 人望( じんばう ) 、願生( ぐわんしやう ) 西方の願( ねがひ ) 、豈( あに ) 非後生菩提指南乎( や ) 。八王子は千手( せんしゆ ) 観音の垂跡( すゐじやく ) 、以無垢三昧力、済奈落伽重苦、潅頂( くわんぢやう ) 大法王子( わうじ ) 也( なり ) 。故( ゆゑ ) に云大八王子。本地( ほんち ) 清涼( しやうりやう ) の月( つき ) は雖処安養界、応化( おうげ ) 随縁( ずゐえん ) の影は遥( はるか ) に顕麓祠露に。各( おのおの ) 所居の浄土( じやうど ) を表( へうせ ) ば、是( これ ) 然( しかしなが ) ら補陀楽山( ふだらくせん ) 共( とも ) 申( まうし ) つべし。客人( きやくじんの ) 宮( みや ) は十一面観音の応作( おうさ ) 、白山禅定( しらやまぜんぢやう ) の霊神也( なり ) 。而( しかれども ) 助山王行化を、出北陸之崇峯来東山之霊地、故( ゆゑに ) 号客人。現在生( げんざいしやう ) の中には得十種勝利を、臨命終( りんみやうじゆう ) の時には生九品蓮台。十禅師の宮( みや ) は無仏世界の化王( けしゆ ) 、地蔵薩■( さつた ) の応化( おうげ ) 也( なり ) 。忝( かたじけなく ) も受牟尼遺教、懇( ねんごろに ) 預■利( たうりの ) 付嘱に。二仏中間( ちゆうげん ) の大導師、三聖執務( さんしやうしふむ ) の法体( ほつたい ) 也( なり ) 。彼御託宣( かのごたくせん ) に云( いはく ) 、「三千( さんぜん ) の衆徒を養( やしなつ ) て我( わが ) 子とし、一乗( いちじよう ) の教法を守( まもつ ) て我( わが ) 命とす。」と示し給ふ。設( たと ) ひ雖微少結縁也( なり ) 。宜( よろしく ) 蒙莫大利益。三の宮( みや ) は普賢( ふけん ) 菩薩の権化( ごんげ ) 、妙法蓮華の正体也( なり ) 。一乗( いちじよう ) 読誦( どくじゆ ) の窓の前には、影向( やうがう ) を垂( たれ ) て哀愍( あいみん ) を納受( なふじゆ ) し給ふ。既( すでに ) 是( これ ) 慚愧懺悔( ざんぎさんげ ) の教主たり。六根罪障の我等何( なんぞ ) 不奉仰之哉( や ) 。次に中( なかの ) 七社( しちしや ) 、牛( うし ) の御子( みこ ) は大威徳、大行事( だいぎやうじ ) は毘沙門( びしやもん ) 、早尾( はやを ) は不動、気比( けひ ) は聖観音( しやうくわんおん ) 、下( しも ) 八王子は虚空蔵( こくうざう ) 、王子( わうじ ) の宮( みや ) は文殊( もんじゆ ) 、聖女( しやうによ ) は如意輪( によいりん ) 、次に下( しもの ) 七社( しちしや ) の小禅師は弥勒竜樹( みろくりゆうじゆ ) 、悪( あく ) 王子( わうじ ) は愛染( あいぜん ) 明王( みやうわう ) 、新( しん ) 行事( ぎやうじ ) は吉祥天女( きちじやうてんによ ) 、岩滝( いはたき ) は弁才天、山末( やまずゑ ) は摩利支天( まりしてん ) 、剣( つるぎの ) 宮( みや ) は不動、大宮( おほみや ) の竃殿( かまどの ) は大日、聖真子( しやうしんじ ) の竃殿( かまどの ) は金剛界( こんがうかい ) の大日、二( にの ) 宮( みやの ) 竃殿( かまどの ) は日光・月光各出大悲門趣利生之道給ふ。其後( そののち ) 四所の菩薩、化( くわ ) を助けて十方より来至( らいし ) し、三七の霊神光を並べて四辺に囲繞( ゐねう ) し給ふ。夫( それ ) 済渡利生( さいどりしやう ) の区( まちまち ) なる徳( とくは ) 、百千劫( ひやくせんごふ ) の間( あひだ ) に舌を暢( のべ ) て説共( とくとも ) 不可尽。山は戒定慧( かいぢやうゑ ) の三学を表( へう ) し建三塔( さんたふ ) 。人は一念三千( さんぜん ) の義を以て員( かず ) とす。十二( じふにの ) 願王回眸故( ゆゑ ) に、天下の治乱( ちらん ) 此冥応( このみやうおう ) に不懸と云( いふ ) 事( こと ) なく、七社( しちしやの ) 権現( ごんげん ) 垂跡故( ゆゑ ) に、海内( かいだい ) の吉凶其玄鑒( そのげんかん ) に不依と云( いふ ) 事( こと ) なし。されば朝廷に有事日は祈之除災致福。山門( さんもんに ) 有訴時は傷之以非被理。爰( ここ ) に両度の臨幸を山門に許容申( きよようまうし ) たりしは、一往衆徒の僻事( ひがごと ) に以て候へ共( ども ) 、窮鳥( きゆうてう ) 入懐時は狩人( かりうど ) も哀之不殺事にて候。況乎( いはんや ) 十善の君の御恃( おんたのみ ) あらんに誰か可不与申。譬( たとへ ) ば其( その ) 時の久執( くしふ ) の輩( ともがら ) 、少々( せうせう ) 相残( あひのこつ ) て野心( やしん ) を挿( さしはさ ) み候( さうらふ ) 共( とも ) 、武将忘其恨、厚恩( こうおん ) 被行徳候者( さうらはば ) 、敵の運を祈らんずる勤( つとめ ) は却( かへつ ) て一家( いつけ ) の祈( いのり ) となり、朝敵( てうてき ) を贔負( ひいき ) せん心変じて、御方( みかた ) の御ために無弐者と成り候べし。」と、内外( ないげ ) の理致( りち ) 明かに、尽言被申たりければ、将軍・左兵衛( さひやうゑの ) 督( かみ ) を奉始、高( かう ) ・上杉・頭人( とうにん ) ・評定衆( ひやうぢやうしゆう ) に至る迄、さては山門なくて、天下を治( をさむ ) る事有( ある ) まじかりけりと信仰( しんがう ) して、則( すなはち ) 旧領安堵( あんど ) の外( ほか ) に、武家益々( ますます ) 寄進( きしん ) の地をぞ被副ける。