太平記 (Taiheiki) — 太平記(国民文庫) 太平記巻第十九 不明 (Anonymous) 1366-1379 Taiheiki 太平記 Anonymous 不明 Kamakura-Muromachi-Azuchi-Momoyama Period 中世 14th century 14世紀 Fiction フィクション Japanese 日本語 Text 本文 1368 たいへいき Taiheiki 太平記 たいへいき Anonymous 不明 ふめい
Titles ›
太平記 › 太平記(国民文庫) 太平記巻第十九 Furigana ふりがな Vertical 縦書き
太平記( 国民文庫 ) 太平記巻第十九○光厳院( くわうごんゐん ) 殿( どの ) 重祚( ちようその ) 御事( おんこと ) 建武( けんむ ) 三年六月十日、光厳( くわうごん ) 院( ゐん ) 太上( だじやう ) 天皇( てんわう ) 重祚( ちようそ ) の御位( おんくらゐ ) に即進( つけまゐら ) せたりしが、三年の内に天下( てんが ) 反覆( はんぶく ) して宋鑒( そうかん ) ほろびはてしかば、其( その ) 例いかゞあるべからんと、諸人( しよにん ) 異議( いぎ ) 多かりけれ共( ども ) 、此( この ) 将軍( しやうぐん ) 尊氏( たかうぢの ) 卿( きやう ) の筑紫より攻上( せめのぼり ) し時、院宣( ゐんぜん ) をなされしも此( この ) 君也( なり ) 。今又東寺( とうじ ) へ潜幸( せんかう ) なりて、武家に威( ゐ ) を加( くはへ ) られしも此御事( このおこと ) なれば、争( いかでか ) 其( その ) 天恩を報じ申さではあるべきとて、尊氏( たかうぢの ) 卿( きやう ) 平( ひら ) にはからひ申されける上は、末座( まつざ ) の異見再往( さいわう ) の沙汰に及ばず。其比( そのころ ) 物にも覚( おぼ ) へぬ田舎( ゐなか ) の者共( ものども ) 、茶の会酒宴( しゆえん ) の砌( みぎり ) にて、そゞろなる物語しけるにも、「あはれ此持明院殿( このぢみやうゐんどの ) ほど、大果報( だいくわはう ) の人はをはせざりけり。軍( いくさ ) の一度( いちど ) をもし給はずして、将軍より王位を給( たまは ) らせ給( たまひ ) たり。」と、申( まうし ) 沙汰しけるこそをかしけれ。
○本朝( ほんてう ) 将軍( しやうぐん ) 補任( ふにん ) 兄弟無其例事( こと ) 同年十月三日改元( かいげん ) 有( あつ ) て、延元( えんげん ) にうつる。其( その ) 十一月五日の除目( ぢもく ) に、足利( あしかが ) 宰相( さいしやう ) 尊氏( たかうぢの ) 卿( きやう ) 、上首( じやうしゆ ) 十一人を越( こえ ) て、位( くらゐ ) 正三位( じやうざんみ ) にあがり、官( つかさ ) 大納言( だいなごん ) に遷( うつり ) て、征夷将軍の武将に備( そなは ) り給ふ。舎弟( しやてい ) 左馬( さまの ) 頭( かみ ) 直義( ただよし ) 朝臣( あそん ) は、五人( ごにん ) を越( こえ ) て、位四品( しほん ) に叙( じよ ) し、官( つかさ ) 宰相( さいしやう ) に任( にん ) じて、日本( につぽん ) の副将軍( ふくしやうぐん ) に成( なり ) 給ふ。夫( それ ) 我朝( わがてう ) に将軍を置( おか ) れし初( はじめ ) は、養老四年に多治比( たぢひ ) の真人( まつと ) 県守( あがたもり ) 、神亀( じんき ) 元年に藤原( ふぢはらの ) 朝臣( あそん ) 宇合( うまかひ ) 、宝亀十一年に藤原朝臣( あそん ) 継綱( つぐつな ) 。其後( そののち ) 時代遥( はるか ) に隔( へだたつ ) て藤原( ふぢはらの ) 朝臣( あそん ) 小里丸( をざとまる ) 、大伴( おほともの ) 宿禰( すくね ) 家持( やかもち ) ・紀( きの ) 朝臣( あそん ) 古佐美( こさみ ) ・大伴( おほともの ) 宿禰( すくね ) 乙丸( おとまる ) ・坂上( さかのうへの ) 宿禰( すくね ) 田村丸( たむらまる ) ・文屋( ふんやの ) 宿禰( すくね ) 綿丸( わたまる ) ・藤原( ふぢはらの ) 朝臣( あそん ) 忠文( ただふみ ) ・右大将宗盛( むねもり ) ・新中納言知盛( とももり ) ・右大将源( みなもとの ) 頼朝( よりとも ) ・木曾( きその ) 左馬( さまの ) 頭( かみ ) 源( みなもとの ) 義仲( よしなか ) ・左衛門( さゑもんの ) 督( かみ ) 頼家( よりいへ ) ・右大臣実朝( さねとも ) に至( いたる ) まで其( その ) 人十六人皆功の抽賞( ちうしやう ) に依( よつ ) て、父子其先( そのさき ) を追( おふ ) 事( こと ) ありといへども、兄弟一時に相双( あひならん ) で、大樹( たいじゆ ) の武将に備( そなはる ) 事( こと ) 、古今未( いまだ ) 其( その ) 例を聞( きか ) ずと、其方様( そのかたざま ) の人は、皆驕逸( けういつ ) の思( おもひ ) 気色( きしよく ) に顕( あらはれ ) たり。其外( そのほか ) 宗( むね ) との一族( いちぞく ) 四十三人( しじふさんにん ) 、或( あるひ ) は象外( しやうぐわい ) の選( せん ) に当り、俗骨( しよくこつ ) 忽( たちまち ) に蓬莱( ほうらい ) の雲をふみ、或( あるひは ) 乱階( らんかい ) の賞( しやう ) に依( よつ ) て、庸才( ようさい ) 立( たちどこ ) ろに台閣( たいかく ) の月を攀( よづ ) 。加之( しかのみならず ) 其門葉( そのもんえふ ) たる者は、諸国の守護( しゆご ) 吏務( りむ ) を兼( かね ) て、銀鞍( ぎんあん ) 未解( いまだとかず ) 、五馬忽( たちまちに ) 策重山之雲、蘭橈( らんねう ) 未乾( いまだかわかず ) 、巨船( こせん ) 遥( はるかに ) 棹滄海之浪。総( すべ ) て博陸輔佐( はくりくふさ ) の臣も、是( これ ) に向( むかつ ) て上位を臨( のぞま ) ん事を憚( はばか ) る。況( いはん ) や名家儒林( めいかじゆりん ) の輩( ともがら ) は、彼仁( かのじん ) に列( つらなつ ) て下風( かふう ) に立( たた ) ん事を喜べり。
○新田( につた ) 義貞落越前府城事( こと ) 左中将( さちゆうじやう ) 義貞( よしさだ ) 朝臣( あそん ) ・舎弟脇屋( わきや ) 右衛門( うゑもんの ) 佐( すけ ) 義助は、金崎( かねがさきの ) 城( じやう ) 没落( ぼつらく ) の後、杣山( そまやま ) の麓瓜生( うりふ ) が館( たち ) に、有( ある ) も無( なき ) が如( ごとく ) にてをはしましけるが、いつまでか右( かく ) て徒( いたづら ) に時を待( まつ ) べき。所々( しよしよ ) に隠( かく ) れ居たる敗軍の兵を集( あつめ ) て国中へ打出( うちいで ) 、吉野に御座( ござ ) ある先帝の宸襟( しんきん ) をも休( やす ) め進( まゐら ) せ、金崎( かねがさき ) にて討( うた ) れし亡魂の恨( うらみ ) をも散ぜばやと思はれければ、国々へ潜( ひそか ) に使を通じて、旧功の輩( ともがら ) をあつめられけるに、竜鱗( りようりん ) に付き、鳳翼( ほうよく ) を攀( よぢ ) て、宿望を達せばやと、蟄居( ちつきよ ) に時を待( まち ) ける在々所々( ざいざいしよしよ ) の兵共( つはものども ) 、聞伝( ききつたへ ) 々々( ききつたへ ) 抜々( ぬけぬけ ) に馳集( はせあつま ) りける程( ほど ) に、馬・物具( もののぐ ) なんどこそきら/\敷( しく ) はなけれ共( ども ) 、心ばかりはいかなる樊■( はんくわい ) ・周勃( しうぼつ ) にも劣( おとら ) じと思へる義心金鉄( ぎしんきんてつ ) の兵共( つはものども ) 、三千( さんぜん ) 余騎( よき ) に成( なり ) にけり。此( この ) 事( こと ) 軈( やが ) て、京都に聞へければ、将軍より足利尾張( をはりの ) 守( かみ ) 高経・舎弟伊予( いよの ) 守( かみ ) 二人( ににん ) を大将として、北陸道( ほくろくだう ) 七( しち ) 箇国( かこく ) の勢六千( ろくせん ) 余騎( よき ) を差副( さしそへ ) 、越前( ゑちぜんの ) 府( ふ ) へぞ下( くだ ) されける。右( かく ) て数月( すげつ ) をふれ共( ども ) 、府( ふ ) は大勢なり、杣山( そまやま ) は要害なれば、城へも寄( より ) えず府へも懸( かか ) りへず、只両陣の堺( さかひ ) 、大塩( おほしほ ) ・松崎辺( まつさきへん ) に兵を出( いだ ) し合( あはせ ) て、日々夜々に軍( いくさ ) の絶( たゆ ) る隙( ひま ) もなし。かゝる所に加賀( かがの ) 国( くに ) の住人( ぢゆうにん ) 、敷地( しきぢ ) 伊豆( いづの ) 守( かみ ) ・山岸新左衛門( しんざゑもん ) ・上木( うへき ) 平九郎以下( いげ ) の者共( ものども ) 、畑六郎左衛門( ろくらうざゑもんの ) 尉( じよう ) 時能( ときよし ) が語( かたらひ ) に付( つい ) て、加賀・越前( ゑちぜんの ) 堺( さかひ ) 、細呂木( ほそろぎ ) の辺( へん ) に城郭( じやうくわく ) をかまへ、津葉( つばの ) 五郎が大聖寺( だいしやうじ ) の城を責落( せめおとし ) て、国中を押領( あふりやう ) す。此( この ) 時までは平泉寺( へいせんじ ) の衆徒等( しゆとら ) 、皆二心( ふたごころ ) なき将軍方( しやうぐんがた ) にてありけるが、是( これ ) もいかゞ思( おもひ ) けん、過半( くわはん ) 引分( ひきわかれ ) て宮方( みやがた ) に与力( よりき ) 申し、三峰( みつみね ) と云( いふ ) 所へ打出( うちいで ) 、城をかまへて敵を待( まつ ) 所に、伊自良( いじら ) 次郎左衛門( じらうざゑもんの ) 尉( じよう ) 、是( これ ) に与( くみ ) して三百( さんびやく ) 余騎( よき ) にて馳加( はせくはは ) る間、近辺の地頭・御家人等( ごけにんら ) 、ふせぎ戦( たたかふ ) に力を失( うしなつ ) て、皆己( おのれ ) が家々に火を懸( かけ ) て、府( ふ ) の陣へ落集( おちあつま ) る。北国是( これ ) より動乱して、汗馬( かんば ) の足を休めず。三峰( みつみね ) の衆徒の中より杣山( そまやま ) へ使者を立( た ) て、大将を一人給( たまはつ ) て合戦を致すべき由を申( まうし ) ける間、脇屋( わきや ) 右衛門( うゑもんの ) 佐( すけ ) 義助朝臣( あそん ) 五百( ごひやく ) 余騎( よき ) を相副( あひそへ ) て三峯( みつみね ) の陣へ指遣( さしつかは ) さる。牒使( てふし ) 又加賀( かがの ) 国( くに ) に来( きたつ ) て前に相図( あひづ ) を定( さだめ ) らるゝ間、敷地( しきぢ ) ・上木( うへき ) ・山岸・畑( はた ) ・結城( ゆふき ) ・江戸・深町の者共( ものども ) 、細屋( ほそや ) 右馬助( うまのすけ ) を大将として、其( その ) 勢( せい ) 三千( さんぜん ) 余騎( よき ) 越前国( ゑちぜんのくに ) へ打( うち ) こへ、長崎・河合( かはひ ) ・川口三箇所( さんかしよ ) に城( しろ ) を構( かまへ ) て漸々( ぜんぜん ) に府( ふ ) へぞ責寄( せめよせ ) ける。尾張( をはりの ) 守( かみ ) 高経は、六千( ろくせん ) 余騎( よき ) を随へて府中にたて篭( ごも ) られたりけるが、敵に国中を押取( おしとら ) れて、一所( いつしよ ) に篭( こもり ) 居ては兵粮につまりて、ついによかるまじとて、三千( さんぜん ) 余騎( よき ) をば府に残しをき、三千( さんぜん ) 余騎( よき ) をば一国に分遣( わけつかはし ) て山々峯々( みねみね ) に城を構( かま ) へ、兵を二百騎( にひやくき ) ・三百騎( さんびやくき ) づゝ三十( さんじふ ) 余箇所( よかしよ ) にぞ置( おか ) れける。戦場雪深( ふかく ) して馬の足の立( たた ) ぬ程は、城と城とを合( あはせ ) て昼夜旦暮( ちうやたんぼ ) 合戦を致すといへ共( ども ) 、僅( わづか ) に一日雌雄( しゆう ) を争ふ計( ばかり ) にて、誠( まこと ) の勝負( しようぶ ) は未( いまだ ) なかりけり。去( さる ) 程( ほど ) にあら玉の年立帰( たちかへつ ) て二月中旬にも成( なり ) ければ、余寒( よかん ) も漸( やうや ) く退( しりぞき ) て、士卒( じそつ ) 弓をひくに手かゞまらず、残雪( ざんせつ ) 半( なかば ) 村消( むらきえ ) て、疋馬( ひつば ) 地を蹈( ふむ ) に蹄( ひづめ ) を労( らう ) せず。今は時分よく成( なり ) ぬ。次第に府辺( ふのへん ) へ近付寄( ちかづきよせ ) て、敵の往反( わうへん ) する道々に城をかまへて、四方( しはう ) を差塞( さしふさい ) で攻戦( せめたたかふ ) べし。何( いづ ) くか用害( ようがい ) によかるべき所あると、見試( こころみ ) ん為に、脇屋( わきや ) 右衛門( うゑもんの ) 佐( すけ ) 僅( わづか ) 百四五十騎にて、鯖江( さばえ ) の宿( しゆく ) へ打出( うちいで ) られけり。名将小勢( こぜい ) にて城の外( そと ) に打出( うちいで ) たるを、能隙( よきひま ) なりと、敵にや人の告( つげ ) たりけん。尾張( をはりの ) 守( かみ ) の副将軍( ふくしやうぐん ) 細川出羽( ではの ) 守( かみ ) 五百( ごひやく ) 余騎( よき ) にて府の城より打出( うちいで ) 鯖江宿( さばえのしゆく ) へ押寄( おしよせ ) 、三方( さんぱう ) より相近付( あひちかづい ) て、一人もあまさじとぞ取巻( とりまき ) ける。脇屋( わきや ) 右衛門( うゑもん ) 前後の敵に囲( かこま ) れて、とても遁( のがれ ) ぬ所也( なり ) と思切( おもひきつ ) てければ、中々( なかなか ) 心を一( ひとつ ) にして少( すこし ) も機( き ) を撓( たをま ) さず。後陣( ごぢん ) に高木( たかき ) の社( やしろ ) をあて、左右に瓜生畔( うりふぐろ ) を取( とつ ) て、矢種( やだね ) を惜( をし ) まず散々( さんざん ) に射させて、敵に少( すこし ) も馬の足を立( たて ) させず、七八度( しちはちど ) が程遭( あう ) つ啓( ひらい ) つ追立追立( おつたておつたて ) 攻付( せめつけ ) たるに、細川・鹿草( かくさ ) が五百( ごひやく ) 余騎( よき ) 、纔( わづか ) の勢に懸立( かけたて ) られて、鯖江( さばえ ) の宿( しゆく ) の後( うしろ ) なる川の浅瀬( あさせ ) を打( うち ) わたり、向( むかう ) の岸へ颯( さつ ) と引( ひく ) 。結城( ゆふき ) 上野( かうづけの ) 介( すけ ) ・河野( かうの ) 七郎( しちらう ) ・熊谷( くまがえ ) 備中( びつちゆうの ) 守( かみ ) ・伊東大和( いとうやまとの ) 次郎・足立( あだち ) 新左衛門( しんざゑもん ) ・小島越後( ゑちごの ) 守( かみ ) ・中野藤内左衛門( とうないざゑもん ) ・瓜生( うりふ ) 次郎左衛門( じらうざゑもんの ) 尉( じよう ) 八騎の兵共( つはものども ) 、川の瀬頭( せがしら ) に打( うち ) のぞみ、つゞいて渡さんとしけるが、大将右衛門( うゑもんの ) 佐( すけ ) 、馬を打寄( うちよせ ) て制( せい ) せられけるは、「小勢の大勢に勝( かつ ) 事( こと ) は暫時( ざんじ ) の不思議( ふしぎ ) 也( なり ) 。若難所( もしなんしよ ) に向( むかつ ) て敵にかゝらば、水沢( みづさは ) に利( り ) を失( うしなつ ) て、敵却( かへつ ) て機( き ) に乗( のる ) べし。今日の合戦は、不慮( ふりよ ) に出来( いでき ) つる事なれば、遠所( ゑんしよ ) の御方( みかた ) 是( これ ) をしらで、左右なく馳来( はせきた ) らじと覚( おぼゆ ) るぞ。此辺( このへん ) の在家( ざいけ ) に火を懸( かけ ) て、合戦ありと知( しら ) せよ。」と、下知( げぢ ) せられければ、篠塚( しのづか ) 五郎左衛門( ごらうざゑもん ) 馳廻( はせまはつ ) て、高木( たかき ) ・瓜生( うりふ ) ・真柄( まがら ) ・北村の在家( ざいけ ) 二十( にじふ ) 余箇所( よかしよ ) に火を懸( かけ ) て、狼烟天を焦( こが ) せり。所々( しよしよ ) の宮方( みやがた ) 此烟( このけむり ) を見て、「すはや鯖江( さばえ ) の辺( へん ) に軍( いくさ ) の有( あり ) けるは、馳合( はせあはせ ) て御方( みかた ) に力を合( あはせ ) よ。」とて、宇都宮( うつのみや ) 美濃( みのの ) 将監( しやうげん ) 泰藤( やすふぢ ) ・天野( あまの ) 民部( みんぶの ) 大輔( たいふ ) 政貞( まささだ ) 三百( さんびやく ) 余騎( よき ) にて、鯖並( さばなみ ) の宿( しゆく ) より馳来( はせきたる ) 。一条( いちでうの ) 少将( せうしやう ) 行実( ゆきさね ) 朝臣( あそん ) 、二百( にひやく ) 余騎( よき ) にて飽和( あくわ ) より打出( うちいで ) らる。瓜生( うりふ ) 越前守( ゑちぜんのかみ ) 重( しげし ) ・舎弟加賀( かがの ) 守( かみ ) 照( てらす ) 、五百( ごひやく ) 余騎( よき ) にて妙法寺の城より馳下( はせくだ ) る。山徒( さんと ) 三百( さんびやく ) 余騎( よき ) は大塩( おほしほ ) の城よりをり合ひ、河島( かはしま ) 左近( さこんの ) 蔵人惟頼( これより ) は、三百( さんびやく ) 余騎( よき ) にて三峯( みつみね ) の城より馳( はせ ) 来り、総大将( そうだいしやう ) 左中将( さちゆうじやう ) 義貞( よしさだ ) 朝臣( あそん ) は、千( せん ) 余騎( よき ) にて杣山( そまやま ) よりぞ出られける。合戦の相図( あひづ ) ありと覚( おぼ ) へて、所々の宮方( みやがた ) 鯖江( さばえ ) の宿( しゆく ) へ馳集( はせあつま ) る由聞へければ、「未( いまだ ) 河ばたに叩( ひか ) へたる御方( みかた ) 討( うた ) すな。」とて、尾張( をはりの ) 守( かみ ) 高経・同( おなじき ) 伊予( いよの ) 守( かみ ) 三千( さんぜん ) 余騎( よき ) を率( そつ ) して、国分寺の北へ打出( うちいで ) らる。両陣相去( あひさる ) 事( こと ) 十( じふ ) 余町( よちやう ) 、中に一( ひとつ ) の河を隔( へだて ) つ。此( この ) 河さしもの大河にてはなけれ共( ども ) 、時節( をりふし ) 雪消( ゆきげ ) に水増( まし ) て、漲( みなぎ ) る浪( なみ ) 岸をひたしければ、互に浅瀬を伺見( うかがひみ ) て、いづくをか渡さましと、暫( しばら ) く猶予( いうよ ) しける処に、船田長門( ふなたながとの ) 守( かみ ) が若党( わかたう ) 葛( かつらの ) 新左衛門( しんざゑもん ) と云( いふ ) 者、川ばたに打寄( うちよせ ) て、「此( この ) 河は水だに増( まさ ) れば州( す ) 俄に出来( いでき ) て、案内知( しら ) ぬ人は、いつも謬( あやまり ) する河にて候ぞ。いで其( その ) 瀬ぶみ仕らん。」と云( いふ ) まゝに、白蘆毛( しらあしげ ) なる馬に、かし鳥威( どりをどし ) の鎧著て、三尺( さんじやく ) 六寸( ろくすん ) のかひしのぎの太刀を抜( ぬき ) 、甲( かぶと ) の真向( まつかう ) に指( さし ) かざし、たぎりて落( おつ ) る瀬枕( せまくら ) に、只一騎馬を打入( うちいれ ) て、白浪( しらなみ ) を立( たて ) てぞ游( およが ) せける。我先( われさき ) に渡さんと打( うち ) のぞみたる兵三千( さんぜん ) 余騎( よき ) これを見て、一度( いちど ) に颯( さつ ) と打入( うちいれ ) て、弓の本筈末筈( もとはずうらはず ) 取( とり ) ちがへ、馬の足の立( たつ ) 所をば手綱( たづな ) をさしくつろげて歩( あゆま ) せ、足のたゝぬ所をば馬の頭( かしら ) をたゝき上( あげ ) て泳( およが ) せ、真一文字( まいちもんじ ) に流( ながれ ) をきつて、向( むかう ) の岸へ懸( かけ ) あげたり。葛( かつらの ) 新左衛門( しんざゑもん ) は、御方( みかた ) の勢に二町( にちやう ) ばかり先立( さきだち ) て渡しければ、敵の為に馬のもろ膝( ひざ ) ながれて、歩立( かちだち ) に成( なつ ) て敵六騎に取篭( とりこめ ) られて、已( すで ) に打( うた ) れぬと見へける処に、宇都宮( うつのみや ) が郎等( らうどう ) に清( せい ) の新左衛門( しんざゑもん ) 為直( ためなほ ) 馳合( はせあつ ) て、敵二騎切( きつ ) て落( おと ) し、三騎に手負( ておふ ) せ、葛( かつらの ) 新左衛門( しんざゑもん ) をば助( たすけ ) てけり。寄( よす ) る勢も三千( さんぜん ) 余騎( よき ) 、ふせぐ勢も三千( さんぜん ) 余騎( よき ) 、大将は何( いづ ) れも名を惜( をし ) む源氏一流の棟梁( とうりやう ) 也( なり ) 。而( しか ) も馬の懸引( かけひき ) たやすき在所( ざいしよ ) なれば、敵御方( みかた ) 六千( ろくせん ) 余騎( よき ) 、前後左右に追( おう ) つ返( かへし ) つ入乱( いりみだれ ) 、半時( はんじ ) ばかりぞ戦( たたかひ ) たる。かくては只命( いのち ) を限( かぎり ) の戦( たたかひ ) にて、いつ勝負( しようぶ ) あるべしとも見へざりける処に、杣山( そまやま ) 河原( かはら ) より廻( まはり ) ける三峰( みつみね ) の勢と、大塩( おほしほ ) より下( くだ ) る山法師( やまほふし ) と差違( さしちがひ ) て、敵陣の後( うしろ ) へ廻( まは ) り、府中に火を懸( かけ ) たりけるに、尾張( をはりの ) 守( かみ ) の兵三千( さんぜん ) 余騎( よき ) 、敵を新善光寺( しんぜんくわうじ ) の城へ入( いり ) かはらせじと、府中を指( さして ) 引返( ひつかへ ) す。義貞( よしさだ ) 朝臣( あそん ) の兵三千( さんぜん ) 余騎( よき ) 、逃( にぐ ) る敵を追( おつ ) すがうて、透間( すきま ) もなく攻入( せめいり ) ける間、城へ篭( こも ) らんと逃入( にげいる ) 勢共( せいども ) 、己( おのれ ) が拵( こしらへ ) たる木戸逆木( きどさかもぎ ) に支( ささへ ) られて、城へ入( いる ) べき逗留( とうりう ) もなかりければ、新善光寺( しんぜんくわうじ ) の前を、府( ふ ) より西へ打過( うちすぐ ) る。伊予( いよの ) 守( かみ ) の勢千( せん ) 余騎( よき ) は、若狭をさして引( ひき ) ければ、尾張( をはりの ) 守( かみ ) の兵二千( にせん ) 余騎( よき ) 、織田( おだ ) ・大虫( おほむし ) を打過( うちすぎ ) て、足羽( あすは ) の城へぞ引( ひか ) れける。都( すべ ) て此( この ) 日( ひ ) 一時( いちじ ) の戦( たたかひ ) に、府( ふ ) の城すでに責( せめ ) 落されぬと聞及( ききおよび ) て、未( いまだ ) 敵も寄( よせ ) ざる先に、国中の城の落( おつる ) 事( こと ) 、同時に七十三( しちじふさん ) 箇所( かしよ ) 也( なり ) 。
○金崎東宮( かねがさきのとうぐう ) 並( ならびに ) 将軍( しやうぐんの ) 宮( みや ) 御隠( おんかくれの ) 事( こと ) 新田( につた ) 義貞・義助杣山( そまやま ) より打出( うちいで ) て、尾張( をはりの ) 守( かみ ) ・伊予( いよの ) 守( かみ ) 府中を落( おち ) 、其外( そのほか ) 所々( しよしよ ) の城落( おと ) されぬと聞へければ、尊氏( たかうぢの ) 卿( きやう ) ・直義( ただよし ) 朝臣( あそん ) 大( おほき ) に忿( いかつ ) て、「此( この ) 事( こと ) は偏( ひとへ ) に春宮( とうぐう ) の彼等( かれら ) を御扶( おんたすけ ) あらん為に、金崎( かねがさき ) にて此等( これら ) は腹を切( きり ) たりと宣( のたまひ ) しを、誠( まこと ) と心得て、杣山( そまやま ) へ遅( おそ ) く討手を差下( さしくだし ) つるによつて也( なり ) 。此( この ) 宮( みや ) 是程( これほど ) 当家を失はんと思召( おぼしめし ) けるを知らで、若( もし ) 只置( おき ) 奉らば、何様( いかさま ) 不思議( ふしぎ ) の御企( おんくはたて ) も有( あり ) ぬと覚( おぼゆ ) れば、潜( ひそか ) に鴆毒( ちんどく ) を進( まゐらせ ) て失( うしなひ ) 奉れ。」と、粟飯原( あひはら ) 下総( しもふさの ) 守( かみ ) 氏光( うぢみつ ) にぞ下知( げぢ ) せられける。春宮( とうぐう ) は、連枝( れんし ) の御兄弟( ごきやうだい ) 将軍( しやうぐん ) の宮( みや ) とて、直義( ただよし ) 朝臣( あそん ) 先年( せんねん ) 鎌倉( かまくら ) へ申下参( まうしくだしまゐら ) せたりし先帝第七( だいしち ) の宮( みや ) と、一処に押篭( おしこめ ) られて御座( ござ ) ありける処へ、氏光( うぢみつ ) 薬( くすり ) を一裹( ひとつつみ ) 持( もち ) て参り、「いつとなく加様( かやう ) に打篭( うちこもつ ) て御座( ござ ) 候へば、御病気なんどの萌( きざ ) す御事( おんこと ) もや候はんずらんとて、三条( さんでう ) 殿( どの ) より調進( てうしん ) せられて候、毎朝一七日( ひとなぬか ) 聞食( きこしめし ) 候へ。」とて、御前( おんまへ ) にぞ閣( さしおき ) ける。氏光罷帰( まかりかへつ ) て後、将軍( しやうぐんの ) 宮( みや ) 此( この ) 薬を御覧ぜられて宣( のたまひ ) けるは、「未( いまだ ) 見へざるさきに、兼( かね ) て療治( れうぢ ) を加( くはふ ) る程( ほど ) に我等( われら ) を思はゞ、此( この ) 一室( いつしつ ) の中に押篭( おしこめ ) て朝暮( てうぼ ) 物を思はすべしや。是( これ ) は定( さだめ ) て病( やまひ ) を治( ぢ ) する薬にはあらじ、只命( いのち ) を縮( しじむ ) る毒なるべし。」とて、庭へ打捨( うちすて ) んとせさせ給( たまひ ) けるを、春宮( とうぐう ) 御手( おんて ) に取( とら ) せ給( たまひ ) て、「抑( そもそも ) 尊氏・直義等( ただよしら ) 、其( それ ) 程( ほど ) に情( なさけ ) なき所存を挿( さしはさ ) む者ならば、縦( たとひ ) 此( この ) 薬をのまず共( とも ) 遁( のがる ) べき命かは。是( これ ) 元来( ぐわんらい ) 所願成就( じやうじゆ ) 也( なり ) 。此( この ) 毒を呑( のみ ) 世をはやうせばやとこそ存( ぞんじ ) 候へ。「夫れ人間の習( ならひ ) 、一日( いちにち ) 一夜( いちや ) を経( ふ ) る間に八億四千( はちおくしせん ) の念( ねん ) あり。一念悪を発( おこ ) せば一生( いつしやう ) の悪身を得( え ) 、十念悪を発( おこ ) せば十生悪身を受く。乃至( ないし ) 千億の念も又爾( しか ) 也( なり ) 。」といへり。如是一日の悪念の報( はう ) 、受尽( うけつく ) さん事猶( なほ ) 難( かた ) し。況( いはんや ) 一生( いつしやう ) の間の悪業( あくごふ ) をや。悲( かなしい ) 哉( かな ) 、未来無窮( むぐう ) の生死出離( しゆつり ) 何( いづ ) れの時ぞ。富貴栄花( ふつきえいぐわ ) の人に於て、猶此( この ) 苦を遁( のがれ ) ず。況( いはんや ) 我等( われら ) 篭鳥( ろうてう ) の雲を恋( こひ ) 、涸魚( かくぎよ ) の水を求( もとむ ) る如( ごとく ) に成( なつ ) て、聞( きく ) に付( つけ ) 見るに随ふ悲( かなしみ ) の中( うち ) に、待( まつ ) 事( こと ) もなき月日を送( おくつ ) て、日のつもるをも知らず。悪念に犯( をか ) されんよりも、命を鴆毒の為に縮( しじめ ) て、後生善処( ごしやうぜんしよ ) の望( のぞみ ) を達( たつせ ) んにはしかじ。」と仰られて、毎日法華経( ほけきやう ) 一部あそばされ、念仏唱( となへ ) させ給( たまひ ) て、此( この ) 鴆毒をぞ聞召( きこしめし ) ける。将軍の宮( みや ) 是( これ ) を御覧じて、「誰( たれ ) とても懸( かか ) る憂( う ) き世に心を留( とどむ ) べきにあらず、同( おなじく ) は後生( ごしやう ) までも御供( おんとも ) 申さんこそ本意なれ。」とて、諸共( もろとも ) に此( この ) 毒薬を七日までぞ聞食( きこしめし ) ける。軈( やがて ) 春宮( とうぐう ) は、其翌日( そのよくじつ ) より御心地( おんここち ) 例( れい ) に違( ちが ) はせ給( たまひ ) けるが、御終焉( ごじゆうえん ) の儀閑( しづか ) にして、四月十三日( じふさんにち ) の暮( くれ ) 程( ほど ) に、忽( たちまち ) に隠( かくれ ) させ給( たまひ ) けり。将軍( しやうぐんの ) 宮( みや ) は二十日余( あまり ) まで後座( ござ ) ありけるが、黄疸( わうだん ) と云( いふ ) 御いたはり出来( いでき ) て、御遍身( ごへんしん ) 黄( き ) に成( なら ) せ給( たまひ ) て、是( これ ) も終( つひ ) に墓( はか ) なくならせ給( たまひ ) にけり。哀( あはれなる ) 哉( かな ) 尸鳩樹頭( しきうじゆとう ) の花( はな ) 、連枝( れんし ) 早く一朝の雨に随ひ、悲( かなしい ) 哉( かな ) 鶺鴒原上( せきれいげんじやう ) の草、同根( どうこん ) 忽( たちまち ) に三秋の霜に枯( かれ ) ぬる事を。去々年は兵部卿( ひやうぶきやう ) 親王( しんわう ) 鎌倉( かまくら ) にて失( うしな ) はれさせ給ひ、又去年の春は中務( なかづかさの ) 親王( しんわう ) 金崎( かねがさき ) にて御自害( ごじがい ) あり。此等( これら ) をこそためしなく哀( あはれ ) なる事に、聞人( きくひと ) 心を傷( いたま ) しめつるに、今又春宮( とうぐう ) ・将軍( しやうぐんの ) 宮( みや ) 、幾程( いくほど ) なくて御隠( おんかく ) れありければ、心あるも心なきも、是( これ ) をきゝ及ぶ人毎( ひとごと ) に、哀( あはれ ) を催( もよほ ) さずと云( いふ ) 事( こと ) なし。かくつらくあたり給へる直義( ただよし ) 朝臣( あそん ) の行末、いかならんと思はぬ人も無( なか ) りけるが、果して毒害( どくがい ) せられ給ふ事こそ不思議( ふしぎ ) なれ。
○諸国宮方( みやがた ) 蜂起( ほうきの ) 事( こと ) 主上( しゆしやう ) 山門より還幸( くわんかう ) なり、官軍( くわんぐん ) 金崎( かねがさき ) にて皆うたれぬと披露( ひろう ) 有( あり ) ければ、今は再び皇威に服( ふく ) せん事、近き世にはあらじと、世挙( こぞつ ) て思定( おもひさだめ ) ける処に、先帝又三種( さんじゆ ) の神器( じんぎ ) を帯( たい ) して、吉野へ潜幸( せんかう ) なり、又義貞( よしさだ ) 朝臣( あそん ) 已( すで ) に数万騎( すまんぎ ) の軍勢( ぐんぜい ) を率( そつ ) して、越前国( ゑちぜんのくに ) に打出( うちいで ) たりと聞へければ、山門より降参したりし大館( おほたち ) 左馬( さまの ) 助( すけ ) 氏明( うぢあきら ) 、伊予( いよの ) 国( くに ) へ逃下( にげくだ ) り、土居( どゐ ) ・得能( とくのう ) が子共と引合( ひきあつ ) て、四国を討従( うちしたが ) へんとす。江田兵部( ひやうぶの ) 大夫( たいふ ) 行義( ゆきよし ) も丹波( たんばの ) 国( くに ) に馳来( はせきたつ ) て、足立( あだち ) ・本庄等( ほんじやうら ) を相語( あひかたらつ ) て、高山寺( かうせんじ ) にたて篭( ごも ) る。金谷( かなや ) 治部( ぢぶの ) 大輔( たいふ ) 経氏( つねうぢ ) 、播磨の東条( とうでう ) より打出( うちいで ) 、吉河( きつかは ) ・高田が勢を付( つけ ) て、丹生( にふ ) の山陰( やまかげ ) に城郭( じやうくわく ) を構へ、山陰( やまかげ ) の中道( なかみち ) を差塞( さしふさ ) ぐ。遠江の井介( ゐのすけ ) は、妙法院( めうほふゐんの ) 宮( みや ) を取立( とりたて ) まいらせて、奥の山に楯篭( たてごも ) る。宇都宮( うつのみや ) 治部( ぢぶの ) 大輔( たいふ ) 入道は、紀清( きせい ) 両党五百( ごひやく ) 余騎( よき ) を率( そつ ) して、吉野へ馳参( はせまゐり ) ければ、旧功を捨( すて ) ざる志( こころざし ) を君殊に叡感有( えいかんあつ ) て、則( すなはち ) 是( これ ) を還俗( げんぞく ) せさせられ四位( しゐの ) 少将( せうしやう ) にぞなされける。此外( このほか ) 四夷( しい ) 八蛮( はちばん ) 、此彼( ここかしこ ) よりをこるとのみ聞へしかば、先帝旧労( きうらう ) の功臣、義貞恩顧( おんこ ) の軍勢( ぐんぜい ) 等( ら ) 、病雀( びやうじやく ) 花( はな ) を喰( くらう ) て飛揚( ひやう ) の翅( つばさ ) を伸( のべ ) 、轍魚( てつぎよ ) 雨を得て■■( げんぐう ) の脣( くちびる ) を湿( うるほ ) すと、悦び思はぬ人もなし。
○相摸( さがみ ) 次郎時行( ときゆき ) 勅免( ちよくめんの ) 事( こと ) 先亡( せんばう ) 相摸( さがみ ) 入道( にふだう ) 宗鑒( そうかん ) が二男相摸次郎時行は、一家( いつけ ) 忽( たちまち ) に亡( ほろび ) し後( のち ) は、天に跼( せぐくま ) り地に蹐( ぬきあし ) して、一身( いつしん ) を置( おく ) に安き所なかりしかば、こゝの禅院( ぜんゐん ) 、彼( かしこ ) の律院( りつゐん ) に、一夜( いちや ) 二夜を明( あかし ) て隠( かくれ ) ありきけるが、窃( ひそか ) に使者を吉野殿( よしのどの ) へ進( まゐらせ ) て申入( まうしいれ ) けるは、「亡親( ばうしん ) 高時( たかとき ) 法師、臣たる道を弁( わきま ) へずして、遂に滅亡を勅勘( ちよくかん ) の下に得たりき。然( しかり ) といへ共( ども ) 、天誅( てんちう ) の理( り ) に当( あた ) る故を存ずるに依( よつ ) て、時行一塵( いちぢん ) も君を恨申( うらみまうす ) 処を存( ぞんじ ) 候はず。元弘に義貞は関東( くわんとう ) を滅( ほろぼ ) し、尊氏は六波羅( ろくはら ) を攻落( せめおと ) す。彼( かの ) 両人何( いづれ ) も勅命に依( よつ ) て、征罰( せいばつ ) を事とし候( さふらひ ) し間、憤( いきどほり ) を公儀に忘れ候( さふらひ ) し処に、尊氏忽( たちまち ) に朝敵( てうてき ) となりしかば、威を綸命( りんめい ) の下に仮( かつ ) て、世を叛逆( ほんぎやく ) の中( うち ) に奪( うばは ) んと企( くはたて ) ける心中、事已( すで ) に露顕( ろけん ) し候歟( か ) 。抑( そもそも ) 尊氏が其( その ) 人たる事偏( ひとへ ) に当家優如( いうじよ ) の厚恩に依候( よりさふらひ ) き。然( しかる ) に恩を荷( になう ) て恩を忘れ、天を戴( いただい ) て天を乖( そむ ) けり。其( その ) 大逆無道( ぶだう ) の甚( はなはだし ) き事、世の悪( にく ) む所人の指( ゆび ) さす所也( なり ) 。是( ここ ) を以( もつて ) 当家の氏族等( しぞくら ) 、悉( ことごとく ) 敵を他に取らず。惟( これ ) 尊氏・直義等( ただよしら ) が為に、其恨( そのうらみ ) を散( さんぜ ) ん事を存ず。天鑒明( あきらか ) に下情( かじやう ) を照されば、枉( まげ ) て勅免を蒙( かうむつ ) て、朝敵( てうてき ) 誅罰( ちうばつ ) の計略を廻( めぐら ) すべき由( よし ) 、綸旨( りんし ) を成下( なしくださ ) れば、宜( よろし ) く官軍( くわんぐん ) の義戦を扶( たす ) け、皇統の大化( たいくわ ) を仰申( あふぎまうす ) べきにて候。夫( それ ) 不義の父を誅せられて、忠功の子を召( めし ) 仕はるゝ例( れい ) あり。異国には趙盾( てうとん ) 、我朝( わがてう ) には義朝( よしとも ) 、其外( そのほか ) 泛々( はんはん ) たるたぐひ、勝計( しようけい ) すべからず。用捨( ようしや ) 無偏、弛張( ちちやう ) 有時、明王( みやうわう ) の撰士徳也( なり ) 。豈( あに ) 既往の罪を以て、当然の理を棄( すて ) られ候はんや。」と、伝奏( てんそう ) に属( しよく ) して委細にぞ奏聞( そうもん ) したりける。主上( しゆしやう ) 能々( よくよく ) 聞召( きこしめし ) て、「犁牛( りぎう ) のたとへ、其理( そのことわり ) しか也( なり ) 。罰( ばつ ) 其( その ) 罪にあたり、賞( しやう ) 其( その ) 功に感ずるは善政の最( さい ) たり。」とて、則( すなはち ) 恩免( おんめん ) の綸旨をぞ下( くださ ) れける。
○奥州国司( あうしうのこくし ) 顕家( あきいへの ) 卿( きやう ) 並( ならびに ) 新田徳寿丸( とくじゆまる ) 上洛( しやうらくの ) 事( こと ) 奥州( あうしう ) の国司( こくし ) 北畠源( みなもとの ) 中納言( ちゆうなごん ) 顕家( あきいへの ) 卿( きやう ) 、去( さんぬる ) 元弘三年正月に、園城寺( をんじやうじ ) 合戦の時上洛( しやうらく ) せられて義貞に力を加へ、尊氏( たかうぢの ) 卿( きやう ) を西海に漂( ただよ ) はせし無双( ぶさう ) の大功也( なり ) とて、鎮守府( ちんじゆふ ) の将軍に成( なさ ) れて、又奥州へぞ下されける。其翌年( そのよくねん ) 官軍( くわんぐん ) 戦( たたかひ ) 破れて、君は山門より還幸( くわんかう ) なりて、花山院の故宮( こきゆう ) に幽閉せられさせ給ひ、金崎( かねがさき ) の城は攻( せめ ) 落されて、義顕( よしあき ) 朝臣( あそん ) 自害したりと聞へし後は、顕家( あきいへの ) 卿( きやう ) に付( つき ) 随ふ郎従( らうじゆう ) 、皆落失( おちうせ ) て勢( いきほひ ) 微々( びび ) に成( なり ) しかば、纔( わづか ) に伊達郡( だてのこほり ) 霊山( りやうぜん ) の城一( ひとつ ) を守( まもつ ) て、有( ある ) も無( なき ) が如( ごとく ) にてぞをはしける。かゝる処に、主上( しゆしやう ) は吉野へ潜幸( せんかう ) なり義貞は北国へ打出( うちいで ) たりと披露( ひろう ) ありければ、いつしか又人の心替( かはり ) て催促に随ふ人多かりけり。顕家( あきいへの ) 卿( きやう ) 時を得たりと悦( よろこび ) て、廻文( くわいぶん ) を以て便宜( びんぎ ) の輩( ともがら ) を催( もよほ ) さるゝに、結城( ゆふき ) 上野入道々忠( だうちゆう ) を始( はじめ ) として、伊達( だて ) ・信夫( しのぶ ) ・南部( なんぶ ) ・下山( しもやま ) 六千( ろくせん ) 余騎( よき ) にて馳加( はせくはは ) る。国司( こくし ) 則( すなはち ) 其( その ) 勢( せい ) を合( あはせ ) て三万( さんまん ) 余騎( よき ) 、白川の関へ打越給( うちこえたまふ ) に、奥州( あうしう ) 五十四郡( ごじふしぐん ) の勢共( せいども ) 、多分はせ付( つき ) て、程なく十万( じふまん ) 余騎( よき ) に成( なり ) にけり。さらば軈( やがて ) 鎌倉( かまくら ) を責落( せめおとし ) て、上洛( しやうらく ) すべしとて、八月十九日白川( しらかはの ) 関( せき ) を立( たつ ) て、下野( しもつけの ) 国( くに ) へ打越( うちこえ ) 給ふ。鎌倉( かまくら ) の管領( くわんれい ) 足利( あしかが ) 左馬( さまの ) 頭( かみ ) 義詮( よしあきら ) 此( この ) 事( こと ) を聞給( ききたまひ ) て、上杉民部( みんぶの ) 大夫( たいふ ) ・細川阿波( あはの ) 守( かみ ) ・高( かうの ) 大和( やまとの ) 守( かみ ) 、其外( そのほか ) 武蔵( むさし ) ・相摸の勢八万( はちまん ) 余騎( よき ) を相副( あひそへ ) て、利根河( とねがは ) にて支( ささへ ) らる。去( さる ) 程( ほど ) に、両陣の勢東西の岸に打臨( うちのぞん ) で、互に是( これ ) を渡さんと、渡るべき瀬やあると見ければ、其時節( そのをりふし ) 余所( よそ ) の時雨( しぐれ ) に水増( まし ) て、逆波( さかなみ ) 高く漲( みなぎ ) り落( おち ) て、浅瀬はさてもありや無( なし ) やと、事問( とふ ) べき渡守( わたしもり ) さへなければ、両陣共に水の干落( ひおつ ) るほどを相待( あひまち ) て、徒( いたづら ) に一日( いちにち ) 一夜( いちや ) は過( すぎ ) にけり。爰( ここ ) に国司( こくし ) の兵に、長井( ながゐの ) 斉藤別当実永( さねなが ) と云( いふ ) 者あり。大将の前にすゝみ出( いで ) て申( まうし ) けるは、「古( いにしへ ) より今に至( いたる ) まで、河を隔( へだて ) たる陣多けれ共( ども ) 、渡して勝( かた ) ずと云( いふ ) 事( こと ) なし。縦( たとひ ) 水増( まし ) て日来( ひごろ ) より深く共、此( この ) 川宇治・勢多・藤戸( ふぢと ) ・富士川に勝( まさ ) る事はよもあらじ。敵に先づ渡されぬさきに、此方( こなた ) より渡( わたつ ) て、気を扶( たすけ ) て戦( たたかひ ) を決( けつし ) 候はんに、などか勝( かた ) で候べき。」と申( まうし ) ければ、国司( こくし ) 、「合戦の道は、勇士( ゆうし ) に任( まかす ) るにしかず、兎( と ) も角( かく ) も計( はから ) ふべし。」とぞ宣( のたまひ ) ける。実永( さねなが ) 大( おほき ) に悦( よろこび ) て、馬の腹帯( はるび ) をかため、甲( かぶと ) の緒( を ) をしめて、渡さんと打立( うちたち ) けるを見て、いつも軍( いくさ ) の先( さき ) を争ひける部井( へゐの ) 十郎・高木三郎、少( すこし ) も前後を見つくろはず、只二騎馬を颯( さつ ) と打入( うちいれ ) て、「今日の軍( いくさ ) の先懸( さきがけ ) 、後( のち ) に論ずる人あらば、河伯水神( かはくすゐじん ) に向( むかつ ) て問へ。」と高声( かうじやう ) に呼( よばはつ ) て、箆橈形( のためかた ) に流( ながれ ) をせいてぞ渡しける。長井( ながゐの ) 斉藤別当( べつたう ) ・舎弟豊後( ぶんごの ) 次郎、兄弟二人( ににん ) 是( これ ) を見て、「人の渡したる処を渡( わたつ ) ては、何の高名( かうみやう ) かあるべき。」と、共に腹を立( たて ) て、是( これ ) より三町( さんちやう ) 計( ばかり ) 上( かみ ) なる瀬を只二騎渡( わたし ) けるが、岩浪高( たかく ) して逆巻( さかま ) く波に巻入( まきいれ ) られて、馬人共( とも ) に見へず、水の底に沈( しづん ) で失( うせ ) にけり。其( その ) 身は徒( いたづら ) に溺( おぼれ ) て、尸( かばね ) は急流の底に漂( ただよふ ) といへ共( ども ) 、其( その ) 名は永く止( とどまり ) て武を九泉の先( さき ) に耀( かかやか ) す。さてこそ鬚髪( しゆはつ ) を染( そめ ) て討死せし実盛が末とは覚( おぼ ) へたれと、万人( ばんにん ) 感ぜし言( ことば ) の下に先祖の名をぞ揚( あげ ) たりける。是( これ ) を見て、奥州( あうしう ) の勢十万( じふまん ) 余騎( よき ) 、一度( いちど ) に打( うち ) 入れて、まつ一文字( いちもんじ ) に渡せば、鎌倉勢( かまくらぜい ) 八万( はちまん ) 余騎( よき ) 、同時に渡合( わたしあはせ ) て、河中にて勝負( しようぶ ) を決せんとす。され共( ども ) 先( まづ ) 一番に渡( わたし ) つる奥勢( おくぜい ) の人馬に、東岸( とうがん ) の流( ながれ ) せかれて、西岸の水の早き事、宛( あたか ) 竜門( りゆうもん ) 三級の如( ごとく ) なれば、鎌倉( かまくら ) の先陣三千( さんぜん ) 余騎( よき ) 、馬筏( むまいかだ ) を押破( おしやぶ ) られて、浮( うき ) ぬ沈( しづみ ) ぬ流行( ながれゆく ) 。後陣( ごぢん ) の勢( せい ) は是( これ ) を見て、叶( かな ) はじとや思( おもひ ) けん、河中より引返( ひつかへし ) て、平野( ひらの ) に支( ささへ ) て戦( たたかひ ) けるが、引立( ひきたち ) ける軍( いくさ ) なれば、右往左往( うわうさわう ) に懸( かけ ) ちらされて、皆鎌倉( かまくら ) へ引返( ひつかへ ) す。国司( こくし ) 利根川( とねがは ) の合戦に打勝( うちかつ ) て、勢( いきほひ ) 漸( やうやく ) 強大( きやうだい ) に成( なる ) と云( いへ ) ども、鎌倉( かまくら ) に猶( なほ ) 東( とう ) 八箇国( はちかこく ) の勢馳集( はせあつまつ ) て、雲霞( うんか ) の如( ごとく ) なりと聞( きこえ ) ければ、武蔵( むさし ) の府( ふ ) に五箇日( ごかにち ) 逗留( とうりう ) して、窃( ひそか ) に鎌倉( かまくら ) の様( やう ) をぞ伺ひきゝ給( たまひ ) ける。かゝる処に、宇都宮( うつのみや ) 左少将公綱( きんつな ) 、紀清( きせい ) 両党千( せん ) 余騎( よき ) にて国司( こくし ) に馳加( はせくはは ) る。然共( しかれども ) 、芳賀兵衛入道禅可( ぜんか ) 一人は国司( こくし ) に属( しよく ) せず。公綱が子息加賀寿丸( かがじゆまる ) を大将として、尚( なほ ) 当国( たうこく ) 宇都宮( うつのみや ) の城に楯篭( たてこも ) る。これに依( よつ ) て国司( こくし ) 、伊達( だて ) ・信夫( しのぶ ) の兵二万( にまん ) 余騎( よき ) を差遣( さしつかはし ) て、宇都宮( うつのみや ) の城を責( せめ ) らるゝに、禅可三日が中( うち ) に攻落( せめおとさ ) れて降参したりけるが、四五日を経( へ ) て後( のち ) 又将軍方( しやうぐんがた ) にぞ馳付( はせつき ) ける。此( この ) 時に先亡( せんばう ) の余類( よるゐ ) 相摸次郎時行( ときゆき ) も、已( すで ) に吉野殿( よしのどの ) より勅免を蒙( かうむり ) てければ、伊豆( いづの ) 国( くに ) より起( おこつ ) て、五千( ごせん ) 余騎( よき ) 足柄( あしがら ) ・箱根( はこね ) に陣を取( とつ ) て、相共( あひとも ) に鎌倉( かまくら ) を責( せむ ) べき由を国司( こくし ) の方へ牒( てふ ) せらる。又新田( につた ) 左中将( さちゆうじやう ) 義貞の次男徳寿丸( とくじゆまる ) 、上野( かうづけの ) 国( くに ) より起( おこつ ) て、二万( にまん ) 余騎( よき ) 武蔵( むさしの ) 国( くに ) へ打越( うちこえ ) て、入間河( いるまがは ) にて著到( ちやくたう ) を付け、国司( こくし ) の合戦若( もし ) 延引せば、自余( じよ ) の勢を待( また ) ずして鎌倉( かまくら ) を責( せむ ) べしとぞ相謀( あひはかり ) ける。鎌倉( かまくら ) には上杉民部( みんぶの ) 大夫( たいふ ) ・同中務( おなじきなかつかさの ) 大夫( たいふ ) ・志和( しわ ) 三郎・桃井( もものゐ ) 播磨( はりまの ) 守( かみ ) ・高( かうの ) 大和( やまとの ) 守( かみ ) 以下( いげ ) 宗( むね ) との一族( いちぞく ) 大名数十人( すじふにん ) 、大将足利左馬( さまの ) 頭( かみ ) 義詮( よしのり ) の御前( おんまへ ) に参( まゐり ) て、評定( ひやうぢやう ) ありけるは、「利根川( とねがは ) の合戦の後、御方( みかた ) は気を失( うしなつ ) て大半は落散( おちちり ) 候、御敵( おんてき ) は勢( いきほひ ) に乗( のつ ) て、弥( いよいよ ) 猛勢( まうせい ) に成候( なりさふらひ ) ぬ。今は重( かさね ) て戦共( たたかふとも ) 勝( かつ ) 事( こと ) を得難し。只安房( あは ) ・上総へ引退( ひきしりぞき ) て、東( とう ) 八箇国( はちかこく ) の勢何方( いづかた ) へか付( つく ) と見て、時の反違( へんゐ ) に随ひ、軍( いくさ ) の安否( あんぴ ) を計( はからう ) て戦ふべきか。」と、延々( のびのび ) としたる評定( ひやうぢやう ) のみ有( あつ ) て、誠( まこと ) に冷( すず ) しく聞へたる義勢( ぎせい ) は更になかりけり。
○追奥勢跡道々合戦( かつせんの ) 事( こと ) 大将左馬( さまの ) 頭( かみ ) 殿( どの ) は其比( そのころ ) 纔( わづか ) に十一歳也( なり ) 。未( いまだ ) 思慮( しりよ ) あるべき程( ほど ) にてもをはせざりけるが、つく/゛\と此( この ) 評定を聞給( ききたまひ ) て、「抑( そもそも ) 是( これ ) は面々( めんめん ) の異見( いけん ) 共( とも ) 覚( おぼ ) へぬ事哉( かな ) 、軍( いくさ ) をする程( ほど ) にては一方負( まけ ) ぬ事あるべからず。漫( そぞろ ) に怖( おぢ ) ば軍( いくさ ) をせぬ者にてこそあらめ。苟( いやしく ) も義詮( よしのり ) 東国の管領( くわんれい ) として、たま/\鎌倉( かまくら ) にありながら、敵大勢なればとて、爰( ここ ) にて一軍( ひといくさ ) もせざらんは、後難( こうなん ) 遁( のが ) れがたくして、敵の欺( あざむか ) ん事尤( もつとも ) 当然( たうぜん ) 也( なり ) 。されば縦( たとひ ) 御方( みかた ) 小勢( こぜい ) なりとも、敵寄来( よせきた ) らば馳向( はせむかつ ) て戦はんに、叶( かな ) はずは討死すべし。若( もし ) 又遁( のがれ ) つべくは、一方打破( うちやぶつ ) て、安房・上総の方へも引退( ひきしりぞき ) て、敵の後( しりへ ) に随( したがつ ) て上洛( しやうらく ) し、宇治・勢多にて前後より責( せめ ) たらんに、などか敵を亡( ほろぼ ) さゞらん。」と謀( はかりこと ) 濃( こまやか ) に義に当( あたつ ) て宣( のたまひ ) ければ、勇将猛卒均( ひとし ) く此( この ) 一言に励( はげま ) されて、「さては討死するより外( ほか ) の事なし。」と、一偏( いつぺん ) に思切( おもひきつ ) て鎌倉中( かまくらぢゆう ) に楯篭( たてこも ) る。其( その ) 勢( せい ) 一万( いちまん ) 余騎( よき ) には過( すぎ ) ざりけり。是( これ ) を聞( きき ) て国司( こくし ) ・新田徳寿丸・相摸次郎時行・宇都宮( うつのみや ) の紀清( きせい ) 両党、彼此( かれこれ ) 都合( つがふ ) 十万( じふまん ) 余騎( よき ) 、十二月二十八日に、諸方皆牒合( てふしあはせ ) て、鎌倉( かまくら ) へとぞ寄( よせ ) たりける。鎌倉( かまくら ) には敵の様( やう ) を聞( きき ) て、とても勝( かつ ) べき軍( いくさ ) ならずと、一筋( ひとすぢ ) に皆思切( おもひきつ ) たりければ、城を堅( かたう ) し塁( そこ ) を深くする謀( はかりこと ) をも事とせず、一万( いちまん ) 余騎( よき ) を四手に分( わけ ) て、道々に出合( いであひ ) 、懸合( かけあはせ ) 々々( かけあはせ ) 一日支( ささへ ) て、各( おのおの ) 身命を惜( をし ) まず戦( たたかひ ) ける程( ほど ) に、一方の大将に向はれける志和( しわ ) 三郎杉下( すぎもと ) にて討( うた ) れにければ、此( この ) 陣より軍( いくさ ) 破( やぶれ ) て寄手( よせて ) 谷々( やつやつ ) に乱( みだれ ) 入る。寄手( よせて ) 三方( さんぱう ) を囲( かこみ ) て御方( みかた ) 一処に集( あつまり ) しかば、打( うた ) るゝ者は多( おほく ) して戦兵( たたかふつはもの ) は少( すくなし ) 。かくては始終( しじゆう ) 叶( かなふ ) べしとも見へざりければ、大将左馬( さまの ) 頭( かみ ) 殿( どの ) を具足( ぐそく ) し奉( たてまつ ) て、高( かう ) ・上杉・桃井( もものゐ ) 以下( いげ ) の人々、皆思々( おもひおもひ ) に成( なつ ) てぞ落( おち ) られける。かゝりし後は、東国の勢宮( みや ) 方( がた ) に随付( したがひつく ) 事( こと ) 雲霞( うんか ) の如し。今は鎌倉( かまくら ) に逗留( とうりう ) して、何の用かあるべきとて、国司( こくし ) 顕家( あきいへの ) 卿( きやう ) 以下( いげ ) 、正月八日鎌倉( かまくら ) を立( たつ ) て、夜を日についで上洛( しやうらく ) し給へば、其( その ) 勢( せい ) 都合( つがふ ) 五十万騎( ごじふまんぎ ) 、前後五日路( いつかぢ ) 左右四五里を押( おし ) て通るに、元来無慚無愧( むざんむぎ ) の夷共( えびすども ) なれば、路次( ろし ) の民屋( みんをく ) を追捕( つゐふ ) し、神社仏閣を焼払( やきはら ) ふ。総( そうじて ) 此( この ) 勢( せい ) の打過( うちすぎ ) ける跡( あと ) 、塵を払( はらう ) て海道二三里が間には、在家( ざいけ ) の一宇( いちう ) も残らず草木の一本も無( なか ) りけり。前陣已( すで ) に尾張( をはり ) の熱田( あつた ) に著( つき ) ければ、摂津大宮司( せつつのだいぐうじ ) 入道源雄( げんゆう ) 、五百( ごひやく ) 余騎( よき ) にて馳付( はせつけ ) 、同( おなじき ) 日( ひ ) 美濃の根尾( ねを ) ・徳山( とこのやま ) より堀口美濃( みのの ) 守( かみ ) 貞満( さだみつ ) 、千( せん ) 余騎( よき ) にて馳加( はせくはは ) る。今は是( これ ) より京までの道に、誰ありとも此( この ) 勢( せい ) を聊( いささか ) も支( ささへ ) んとする者は有( あり ) がたしとぞ見へたりける。爰( ここ ) に鎌倉( かまくら ) の軍( いくさ ) に打負( うちまけ ) て、方々へ落( おち ) られたりける上杉民部( みんぶの ) 大輔( たいふ ) ・舎弟宮内少輔( くないのせう ) は、相摸( さがみの ) 国( くに ) より起り、桃井( もものゐ ) 播磨( はりまの ) 守( かみ ) 直常( なほつね ) は、箱根( はこね ) より打出( うちいで ) 、高( かうの ) 駿河( するがの ) 守( かみ ) は安房・上総より鎌倉( かまくら ) へ押( おし ) 渡り、武蔵( むさし ) ・相摸の勢を催( もよほさ ) るゝに、所存有( あつ ) て国司( こくし ) の方へは付( つか ) ざりつる江戸・葛西( かさい ) ・三浦・鎌倉( かまくら ) ・坂東( ばんどう ) の八平氏( はちへいじ ) ・武蔵( むさし ) の七党( しちたう ) 、三万( さんまん ) 余騎( よき ) にて馳来( はせきた ) る。又清( せい ) の党旗頭( たうのはたがしら ) 、芳賀兵衛入道禅可( ぜんか ) も、元来将軍方( しやうぐんがた ) に志有( あり ) ければ、紀清両党が国司( こくし ) に属( しよく ) して上洛( しやうらく ) しつる時は、虚病( きよびやう ) して国に留( とどまり ) たりけるが、清( せい ) の党千( せん ) 余騎( よき ) を率( そつ ) して馳加( はせくはは ) る。此( この ) 勢( せい ) 又五万( ごまん ) 余騎( よき ) 国司( こくし ) の跡( あと ) を追( おう ) て、先陣已( すで ) に遠江に著( つけ ) ば、其( その ) 国( くに ) の守護( しゆご ) 今河五郎入道、二千( にせん ) 余騎( よき ) にて馳加( はせくはは ) る。中( なか ) 一日ありて三河国に著( つけ ) ば、当国( たうごくの ) 守( かみ ) 護高( かうの ) 尾張( をはりの ) 守( かみ ) 、六千( ろくせん ) 余騎( よき ) にて馳加( はせくはは ) る。又美濃の州俣( すのまた ) へ著( つけ ) ば、土岐( とき ) 弾正少弼( せうひつ ) 頼遠、七百( しちひやく ) 余騎( よき ) にて馳加( はせくはは ) る。国司( こくし ) の勢六十万騎( ろくじふまんぎ ) 前( さき ) を急( いそぎ ) て、将軍を討( うち ) 奉らんと上洛( しやうらく ) すれば、高・上杉・桃井( もものゐ ) が勢( せい ) は八万( はちまん ) 余騎( よき ) 、国司( こくし ) を討( うた ) んと跡( あと ) に付( つき ) て追( おう ) て行( ゆく ) 。「蟷螂( たうらう ) 蝉( せみ ) をうかゞへば、野鳥( やてう ) 蟷螂( たうらう ) を窺ふ。」と云( いふ ) 荘子が人間世( じんげんせい ) のたとへ、げにもと思ひ知( しら ) れたり。
○青野原( あをのがはら ) 軍( いくさの ) 事( こと ) 付( つけたり ) 嚢沙背水( なうしやはいすゐの ) 事( こと ) 坂東( ばんどう ) よりの後攻( ごづめ ) の勢、美濃( みのの ) 国( くに ) に著( つき ) て評定しけるは、「将軍は定( さだめ ) て宇治・勢多の橋を引( ひい ) て、御支( ささへ ) あらんずらん。去( さる ) 程ならば国司( こくし ) の勢河を渡しかねて、徒( いたづら ) に日を送( おくる ) べし。其( その ) 時御方( みかた ) の勢労兵( らうへい ) の弊( つひえ ) に乗( のつ ) て、国司( こくし ) の勢を前後より攻( せめ ) んに、勝( かつ ) 事( こと ) を立( たちどこ ) ろに得つべし。」と申合( まうしあは ) れけるを、土岐( とき ) 頼遠黙然( もくねん ) として耳を傾( かたぶ ) けゝるが、「抑( そもそも ) 目の前を打( うち ) 通る敵を、大勢なればとて、矢の一( ひとつ ) をも射ずして、徒( いたづら ) に後日の弊( つひえ ) に乗( のら ) ん事を待( また ) ん事は、只楚( そ ) の宋義( そうぎ ) が「蚊を殺( ころす ) には其( その ) 馬を撃( うた ) ず。」と云( いひ ) しに似たるべし。天下( てんが ) の人口( じんこう ) 只此一挙( このいつきよ ) に有( ある ) べし。所詮( しよせん ) 自余( じよ ) の御事( おんこと ) は知( しら ) ず、頼遠に於ては命を際( きは ) の一合戦して、義にさらせる尸( かばね ) を九原( きうげん ) の苔( こけ ) に留( とど ) むべし。」と、又余儀もなく申( まう ) されければ、桃井( もものゐ ) 播磨( はりまの ) 守( かみ ) 、「某も如此存( ぞんじ ) 候。面々( めんめん ) はいかに。」と申されければ、諸大将( しよだいしやう ) 皆理( ことわり ) に服( ふく ) して、悉( ことごとく ) 此( この ) 儀にぞ同( どう ) じける。去( さる ) 程( ほど ) に奥勢( おくぜい ) の先陣、既( すでに ) 垂井( たるゐ ) ・赤坂( あかさか ) 辺( へん ) に著( つき ) たりけるが、跡( あと ) より上( のぼ ) る後攻( ごづめ ) の勢近づきぬと聞へければ、先( まづ ) 其( その ) 敵を退治( たいぢ ) せよとて、又三里引返( ひつかへ ) して、美濃・尾張( をはり ) 両国の間に陣を取らずと云( いふ ) 処なし。後攻( ごづめ ) の勢( せい ) は八万( はちまん ) 余騎( よき ) を五手に分( わけ ) 、前後を鬮( くじ ) に取( とつ ) たりければ、先( まづ ) 一番に小笠原信濃( しなのの ) 守( かみ ) ・芳賀清兵衛入道禅可二千( にせん ) 余騎( よき ) にて志貴( じき ) の渡( わたし ) へ馳向( はせむかへ ) ば、奥勢( おくぜい ) の伊達( だて ) ・信夫( しのぶ ) の兵共( つはものども ) 、三千( さんぜん ) 余騎( よき ) にて河を渡( わたつ ) てかゝりけるに、芳賀・小笠原散々( さんざん ) に懸( かけ ) 立られて、残少( のこりすくな ) に討( うた ) れにけり。二番に高( かうの ) 大和( やまとの ) 守( かみ ) 三千( さんぜん ) 余騎( よき ) にて、州俣河( すのまたがは ) を渡る所に、渡しも立( たて ) ず、相摸次郎時行五千( ごせん ) 余騎( よき ) にて乱合( みだれあひ ) 、互に笠符( かさじるし ) をしるべにて組( くん ) で落( おち ) 、々重( おちかさなつ ) て頚を取り、半時( はんじ ) ばかり戦( たたかひ ) たるに、大和( やまとの ) 守( かみ ) が憑切( たのみきつ ) たる兵三百( さんびやく ) 余人( よにん ) 討( うた ) れにければ、東西に散靡( あらけ ) て山を便( たより ) に引退( ひきしりぞ ) く。三番に今河五郎入道・三浦新介( しんすけ ) 、阿字賀( あじが ) に打出( うちいで ) て、横逢( よこあひ ) に懸( かか ) る所を、南部( なんぶ ) ・下山( しもやま ) ・結城( ゆふき ) 入道、一万( いちまん ) 余騎( よき ) にて懸合( かけあひ ) 、火出( いづる ) 程( ほど ) に戦( たたかひ ) たり。今河( いまがは ) ・三浦元来小勢なれば、打負( うちまけ ) て河より東へ引退( ひきしりぞ ) く。四番に上杉民部( みんぶの ) 大輔( たいふ ) ・同宮内小輔( くないのせう ) 、武蔵( むさし ) ・上野の勢一万( いちまん ) 余騎( よき ) を率( そつ ) して、青野原( あをのがはら ) に打出( うちいで ) たり。爰( ここ ) には新田徳寿丸( とくじゆまる ) ・宇都宮( うつのみや ) の紀清( きせい ) 両党三万( さんまん ) 余騎( よき ) にて相( あひ ) 向ふ。両陣の旗の紋( もん ) 皆知りたる兵共( つはものども ) なれば、後の嘲( あざけり ) をや恥( はぢ ) たりけん、互に一足( ひとあし ) も引( ひか ) ず、命を涯( きは ) に相戦ふ。毘嵐( びらん ) 断( たえ ) て大地忽( たちまち ) に無間獄( むげんごく ) に堕( おち ) 、水輪( すゐりん ) 涌( わい ) て世界こと/゛\く有頂天( うちやうてん ) に翻( ひるが ) へらんも、かくやと覚( おぼゆ ) るばかり也( なり ) 。され共( ども ) 大敵とりひしくに難( かた ) ければ、上杉遂( つひ ) に打負( うちまけ ) て、右往左往( うわうさわう ) に落( おち ) て行( ゆく ) 。五番に桃井( もものゐ ) 播磨( はりまの ) 守( かみ ) 直常( なほつね ) ・土岐弾正少弼頼遠、態( わざ ) と鋭卒をすぐつて、一千( いつせん ) 余騎( よき ) 渺々( べうべう ) たる青野原( おをのがはら ) に打出( うちいで ) て、敵を西北に請( うけ ) てひかへたり。是( これ ) には奥州( あうしう ) の国司( こくし ) 鎮守府( ちんじゆふの ) 将軍( しやうぐん ) 顕家( あきいへの ) 卿( きやう ) ・副将軍( ふくしやうぐん ) 春日( かすがの ) 少将( せうしやう ) 顕信( あきのぶ ) 、出羽・奥州( あうしう ) の勢六万( ろくまん ) 余騎( よき ) を率( そつ ) して相向ふ。敵に御方( みかた ) を見合( みあは ) すれば、千騎( せんぎ ) に一騎を合( あは ) すとも、猶( なほ ) 当( あた ) るに足( たら ) ずと見( み ) ける処に、土岐と桃井( もものゐ ) と、少( すこし ) も機を呑( のま ) れず、前に恐( おそる ) べき敵なく、後( うしろ ) に退( しりぞ ) くべき心有( あり ) とも見へざりけり。時の声を挙( あぐ ) る程こそ有( あり ) けれ、千( せん ) 余騎( よき ) 只一手( ひとて ) に成( なつ ) て、大勢の中に颯( さつ ) と懸入( かけいり ) 、半時計( はんじばかり ) 戦( たたかつ ) て、つと懸( かけ ) ぬけて其( その ) 勢( せい ) を見れば、三百( さんびやく ) 余騎( よき ) は討( うた ) れにけり。相残( あひのこる ) 勢( せい ) 七百( しちひやく ) 余騎( よき ) を又一手( ひとて ) に束( つか ) ねて、副将軍( ふくしやうぐん ) 春日( かすがの ) 少将( せうしやう ) のひかへたる二万( にまん ) 余騎( よき ) が中へ懸入( かけいつ ) て、東へ追靡( おひなびけ ) 、南へ懸散( かけちら ) し、汗馬( かんば ) の足を休めず、太刀の鐔音( つばおと ) 止( やむ ) 時なく、や声を出( いだし ) てぞ戦合( たたかひあひ ) たる。千騎( せんぎ ) が一騎に成( なる ) までも、引( ひく ) な引( ひく ) なと互に気を励( はげま ) して、こゝを先途( せんど ) と戦( たたかひ ) けれ共( ども ) 、敵雲霞( うんか ) の如くなれば、こゝに囲( かこま ) れ彼( かしこ ) に取篭( とりこめ ) られて、勢( せい ) もつき気も屈( くつ ) しければ、七百( しちひやく ) 余騎( よき ) の勢も、纔( わづか ) に二十三騎に打成( うちな ) され、土岐は左の目の下より右の口脇・鼻まで、鋒深( きつさきふか ) に切付( きりつけ ) られて、長森( ながもり ) の城へ引篭( ひきこも ) る。桃井( もものゐ ) も三十( さんじふ ) 余箇度( よかど ) の懸合( かけあひ ) に七十六騎( しちじふろくき ) に打成( うちな ) され、馬の三図( さんづ ) ・平頚( ひらくび ) 二太刀切( きら ) れ、草摺( くさずり ) のはづれ三所つかれて、余( あまり ) に戦疲( たたかひつかれ ) ければ、「此軍( このいくさ ) 是( これ ) に限( かぎ ) るまじ、いざや人々馬の足休( やすめ ) ん。」と、州俣河( すのまたがは ) に馬を追漬( おひひたし ) て、太刀・長刀( なぎなた ) の血を洗( あらう ) て、日も暮( くる ) れば野に下居( おりゐ ) て、終( つひ ) に河より東へは越( こえ ) 給はず。京都には奥勢( おくぜい ) 上洛( しやうらく ) の由( よし ) 、先立( さきだつ ) て聞へけれ共( ども ) 、土岐( とき ) 美濃( みのの ) 国( くに ) にあれば、さりとも一支( ひとささへ ) は支( ささ ) へんずらんと、憑敷( たのもしく ) 思はれける処に、頼遠既( すで ) に青野原( おをのがはら ) の合戦に打負( うちまけ ) て、行方( ゆくかた ) 知らずとも聞へ、又は討( うた ) れたり共( とも ) 披露( ひろう ) ありければ、洛中( らくちゆう ) の周章( しうしやう ) 斜( なのめ ) ならず。さらば宇治・勢多の橋を引( ひき ) てや相待つ。不然ば先( まづ ) 西国の方( かた ) へ引退( ひきしりぞき ) て、四国・九州の勢を付( つけ ) て、却( かへつ ) て敵をや攻( せむ ) べきと異議まち/\に分( わかれ ) て、評定未( いまだ ) 落居( らくきよ ) せざりけるに、越後( ゑちごの ) 守( かみ ) 師泰( もろやす ) 且( しばら ) く思案( しあん ) して申されけるは、「古( いにしへ ) より今に至( いたる ) まで、都へ敵の寄来( よせきた ) る時、宇治・勢多の橋を曳( ひい ) て戦( たたかふ ) 事( こと ) 度々( どど ) 也( なり ) 。然( しか ) れ共( ども ) 此( この ) 河にて敵を支( ささへ ) て、都を落されずと云( いふ ) 事( こと ) なし。寄( よす ) る者は広く万国を御方( みかた ) にして威に乗り、防ぐ者は纔( わづか ) に洛中( らくちゆう ) を管領( くわんれい ) して気を失( うしなふ ) 故( ゆゑ ) 也( なり ) 。不吉の例( れい ) を逐( おう ) て、忝( おほけな ) く宇治・勢多の橋を引( ひき ) 、大敵を帝都の辺( へん ) にて相待( あひまた ) んよりは、兵勝( へいしよう ) の利( り ) に付( つい ) て急( いそぎ ) 近江( あふみ ) ・美濃( みのの ) 辺( へん ) に馳( はせ ) 向ひ、戦( たたかひ ) を王城の外( ほか ) に決せんには如( しか ) じ。」と、勇( いさ ) み其( その ) 気に顕( あらは ) れ謀( はかりこと ) 其( その ) 理に協( かなう ) て申されければ、将軍も師直も、「此( この ) 儀然( しかる ) べし。」とぞ甘心( かんしん ) せられける。「さらば時刻をうつさず向へ。」とて、大将軍には高( かうの ) 越後( ゑちごの ) 守( かみ ) 師泰( もろやす ) ・同播磨( はりまの ) 守( かみ ) 師冬・細川刑部( ぎやうぶの ) 大輔( たいふ ) 頼春・佐々木( ささきの ) 大夫( たいふ ) 判官( はうぐわん ) 氏頼・佐々木( ささきの ) 佐渡( さどの ) 判官( はうぐわん ) 入道々誉・子息近江( あふみの ) 守( かみ ) 秀綱、此外( このほか ) 諸国の大名五十三人( ごじふさんにん ) 都合( つがふ ) 其( その ) 勢( せい ) 一万( いちまん ) 余騎( よき ) 、二月四日都を立( たち ) 、同六日の早旦( さうたん ) に、近江( あふみ ) と美濃との堺( さかひ ) なる黒地河( くろぢがは ) に著( つき ) にけり。奥勢( おくぜい ) も垂井( たるゐ ) ・赤坂( あかさか ) に著( つき ) ぬと聞へければ、こゝにて相( あひ ) まつべしとて、前には関( せき ) の藤川( ふじかは ) を隔( へだて ) 、後( うしろ ) には黒地川をあてゝ、其際( そのあひだ ) に陣をぞ取( とつ ) たりける。抑( そもそも ) 古より今に至( いたる ) まで、勇士( ゆうし ) 猛将の陣を取( とつ ) て敵を待( まつ ) には、後( うしろ ) は山により、前は水を堺( さか ) ふ事にてこそあるに、今大河を後( うしろ ) に当( あて ) て陣を取( とら ) れける事は又一( ひとつ ) の兵法( ひやうはふ ) なるべし。昔漢の高祖( かうそ ) と楚の項羽( かうう ) と天下( てんが ) を争( あらそふ ) 事( こと ) 八箇年( はちかねん ) が際( あひだ ) 戦( たたかふ ) 事( こと ) 休( やま ) ざりけるに、或時( あるとき ) 高祖( かうそ ) 軍( いくさ ) に負( まけ ) て逃( にぐ ) る事三十里( さんじふり ) 、討残( うちのこ ) されたる兵( つはもの ) を数( かぞふ ) るに三千( さんぜん ) 余騎( よき ) にも足( たら ) ざりけり。項羽( かうう ) 四十( しじふ ) 余万騎( よまんぎ ) を以て是( これ ) を追( おひ ) けるが、其( その ) 日( ひ ) 既( すで ) に暮( くれ ) ぬ。夜明( あくれ ) ば漢の陣へ押寄( おしよせ ) て、高祖( かうそ ) を一時( いちじ ) に亡( ほろぼ ) さん事隻手( せきしゆ ) の内に在( あり ) とぞ勇( いさ ) みける。爰( ここ ) に高祖( かうそ ) の臣に韓信と云( いひ ) ける兵を大将に成( な ) して、陣を取らせけるに、韓信態( わざ ) と後( うしろ ) に大河を当( あて ) て橋を焼( やき ) 落し、舟を打破( うちやぶつ ) てぞ棄( すて ) たりける。是( これ ) は兎( と ) ても遁( のが ) るまじき所を知( しつ ) て、士卒( じそつ ) 一引( ひとひき ) も引( ひく ) 心なく皆討死せよと、しめさん為の謀( はかりこと ) 也( なり ) 。夜明( あけ ) ければ、項羽( かうう ) の兵四十万騎( しじふまんぎ ) にて押寄( おしよせ ) 、敵を小勢也( なり ) と侮( あなどつ ) て戦( たたかひ ) を即時( そくじ ) に決せんとす。其( その ) 勢( せい ) 参然( さんぜん ) として左右を不顧懸( かかり ) けるを、韓信が兵三千( さんぜん ) 余騎( よき ) 、一足( ひとあし ) も引( ひか ) ず死を争( あらそう ) て戦( たたかひ ) ける程( ほど ) に、項羽( かうう ) 忽( たちまち ) に討負( うちまけ ) て、討( うた ) るゝ兵二十万人、逃( にぐ ) るを追( おふ ) 事( こと ) 五十( ごじふ ) 余里( より ) なり。沼を堺( さか ) ひ沢を隔( へだて ) て、こゝまでは敵よも懸( かく ) る事得じと、橋を引( ひき ) てぞ居( ゐた ) りける。漢の兵勝( かつ ) に乗( のつ ) て今夜軈( やが ) て項羽( かうう ) の陣へ寄( よせ ) んとしけるに、韓信兵共( つはものども ) を集( あつめ ) て申( まうし ) けるは、「我( われ ) 思様( おもふやう ) あり。汝等( なんぢら ) 皆持( もつ ) 所の兵粮を捨てゝ、其( その ) 袋に砂を入( いれ ) て持( もつ ) べし。」とぞ下知( げぢ ) しける。兵皆心得ぬ事哉( かな ) と思( おもひ ) ながら、大将の命( めい ) に随( したがひ ) て、士卒( じそつ ) 皆持( もつ ) 所の粮( かて ) を捨( すて ) て、其( その ) 袋に砂を入( いれ ) て、項羽( かうう ) が陣へぞ押寄( おしよせ ) たる。夜に入( いつ ) て項羽( かうう ) が陣の様( やう ) を見るに、四方( しはう ) 皆沼を堺( さか ) ひ沢を隔( へだて ) て馬の足も立( たた ) ず、渡るべき様( やう ) なき所にぞ陣取( ぢんどつ ) たりける。此( この ) 時に韓信持( もち ) たる所の砂嚢( すなふくろ ) を沢に投入( なげいれ ) 々々( なげいれ ) 、是( これ ) を堤( つつみ ) に成( なし ) て其( その ) 上( うへ ) を渡るに、深泥( しんでい ) 更に平地( へいち ) の如し。項羽( かうう ) の兵二十万騎( にじふまんぎ ) 終日( ひねもす ) の軍( いくさ ) には疲れぬ。爰( ここ ) までは敵よすべき道なしと油断して、帯紐( おびひぼ ) とひてねたる処に、高祖( かうそ ) の兵七千( しちせん ) 余騎( よき ) 時( とき ) を咄( どつ ) と作( つくり ) て押寄( おしよせ ) たれば、一戦( いつせん ) にも及ばず、項羽( かうう ) の兵十万( じふまん ) 余騎( よき ) 、皆河水にをぼれて討( うた ) れにけり。是( これ ) を名付( なづけ ) て韓信が嚢砂背水( なうしやはいすゐ ) の謀( はかりこと ) とは申( まうす ) 也( なり ) 。今師泰・師冬・頼春が敵を大勢也( なり ) と聞( きき ) て、態( わざと ) 水沢を後( うしろ ) に成( なし ) て、関( せき ) の藤川( ふじかは ) に陣を取( とり ) けるも、専( もつぱら ) 士卒( じそつ ) 心を一( ひとつ ) にして、再び韓信が謀を示す者なるべし。去( さる ) 程( ほど ) に国司( こくし ) の勢十万騎( じふまんぎ ) 、垂井( たるゐ ) ・赤坂( あかさか ) ・青野原( おをのがはら ) に充満( じゆうまん ) して、東西六里南北三里に陣を張る。夜々の篝( かがり ) を見渡せば、一天( いつてん ) の星計( せいと ) 落( おち ) て欄干( らんかん ) たるに異( こと ) ならず。此( この ) 時越前国( ゑちぜんのくに ) に、新田( につた ) 義貞( よしさだ ) ・義助、北陸道( ほくろくだう ) を順( したがへ ) て、天を幹( めぐ ) らし地を略( りやく ) する勢( いきほ ) ひ専( もつぱら ) 昌( さかん ) 也( なり ) 。奥勢( おくぜい ) 若( もし ) 黒地( くろぢ ) の陣を払( はらは ) ん事難儀ならば、北近江より越前へ打越( うちこえ ) て、義貞( よしさだ ) 朝臣( あそん ) と一つになり、比叡山( ひえいさん ) に攀上( よぢのぼ ) り、洛中( らくちゆう ) を脚下( あしのした ) に直下( みおろ ) して南方の官軍( くわんぐん ) と牒( てふ ) し合( あは ) せ、東西より是( これ ) 攻めば、将軍京都には一日も堪忍( かんにん ) し給はじと覚( おぼえ ) しを、顕家( あきいへの ) 卿( きやう ) 、我( わが ) 大功義貞の忠に成( なら ) んずる事を猜( そねん ) で、北国へも引合( ひきあは ) ず、黒地( くろぢ ) をも破りえず、俄( にはか ) に士卒( じそつ ) を引( ひき ) て伊勢より吉野へぞ廻( まは ) られける。さてこそ日来( ひごろ ) は鬼神の如くに聞へし奥勢( おくぜい ) 、黒地( くろぢ ) をだにも破( やぶり ) えず、まして後攻( ごづめ ) の東国勢京都に著( つき ) なば、恐るゝに足( たら ) ざる敵也( なり ) とぞ、京勢( きやうぜい ) には思ひ劣( おと ) されける。顕家卿南都( なんと ) に著( つき ) て、且( しばら ) く汗馬( かんば ) の足を休( やすめ ) て、諸卒に向( むかつ ) て合戦の異見( いけん ) を問( とひ ) 給ひければ、白河( しらかは ) の結城( ゆふき ) 入道進( すすみ ) て申( まうし ) けるは、「今度於路次、度々( どど ) の合戦に討勝( うちかち ) 、所々( しよしよ ) の強敵( かうてき ) を追散( おつちら ) し、上洛( しやうらく ) の道を開( ひらく ) といへども、青野原( おをのがはら ) の合戦に、聊( いささか ) 利( り ) を失ふに依( よつ ) て、黒地( くろぢ ) の橋をも渡り得ず、此侭( このまま ) 吉野殿( よしのどの ) へ参らん事、余( あまり ) に云甲斐( いふかひ ) なく覚( おぼ ) へ候。只此( この ) 御勢( おんせい ) を以て都へ攻上( せめのぼり ) 、朝敵( てうてき ) を一時に追落( おひおと ) す歟( か ) 、もし不然ば、尸( かばね ) を王城の土に埋( うづ ) み候はんこそ本意にて候へ。」と、誠( まこと ) に無予義申( まうし ) けり。顕家( あきいへの ) 卿( きやう ) も、此( この ) 義げにもと甘心( かんしん ) せられしかば、頓( やが ) て京都へ攻上( せめのぼり ) 給はんとの企( くはたて ) なり。其聞( そのきこ ) へ京都に無隠しかば、将軍大( おほき ) に驚給( おどろきたまひ ) て、急ぎ南都へ大勢を差下( さしくだ ) し、「顕家( あきいへの ) 卿( きやう ) を遮( さへぎ ) り留( とど ) むべし。」とて討手( うつて ) の評定ありしかども、我( わ ) れ向( むかは ) んと云( いふ ) 人無( なか ) りけり。角( かく ) ては如何と、両将其器( そのき ) を撰( えら ) び給ひけるに、師直被申けるは、「何としても此( この ) 大敵を拉( とりひし ) がん事は、桃井( もものゐ ) 兄弟にまさる事あらじと存( ぞんじ ) 候。其( その ) 故は自鎌倉( かまくら ) 退( しりぞい ) て経長途を、所々にして戦候( たたかひさふらひ ) しに、毎度( まいど ) 此( この ) 兵どもに手痛く当( あた ) りて、気を失ひ付( つけ ) たる者共( ものども ) なり。其( その ) 臆病神( おくびやうがみ ) の醒( さ ) めぬ先( さき ) に、桃井( もものゐ ) 馳向( はせむかつ ) て、南都( なんと ) の陣を追( おひ ) 落さん事、案( あん ) の内( うち ) に候。」と被申しかば、「さらば。」とて、頓( やが ) て師直を御使( おんつかひ ) にて桃井( もものゐ ) 兄弟に此( この ) 由を被仰しかば、直信( なほのぶ ) ・直常( なほつね ) 、子細を申( まうす ) に及ばずとて、其( その ) 日( ひ ) 頓( やが ) て打立( うちたつ ) て、南都へぞ進発( しんばつ ) せられける。顕家( あきいへの ) 卿( きやう ) 是( これ ) を聞( きき ) て、般若坂( はんにやざか ) に一陣を張( はり ) 、都よりの敵に相当( あひあた ) る。桃井( もものゐ ) 直常兵の先( さき ) に進んで、「今度諸人( しよにん ) の辞退する討手を我等( われら ) 兄弟ならでは不可叶とて、其撰( そのえらび ) に相当( あひあた ) る事、且( かつう ) は弓矢の眉目( びぼく ) 也( なり ) 。此( この ) 一戦( いつせん ) に利を失( うしな ) はゞ、度々( どど ) の高名( かうみやう ) 皆泥土( でいど ) にまみれぬべし。志を一に励( はげま ) して、一陣を先( まづ ) 攻破( せめやぶ ) れや。」と下知( げぢ ) せられしかば、曾我( そが ) 左衛門( さゑもんの ) 尉( じよう ) を始( はじめ ) として、究竟( くつきやう ) の兵七百( しちひやく ) 余騎( よき ) 身命を捨( すて ) て切( きつ ) て入る。顕家( あきいへの ) 卿( きやう ) の兵も、爰( ここ ) を先途( せんど ) と支戦( ささへたたかひ ) しかども、長途( ちやうど ) の疲( つか ) れ武者何( なに ) かは叶( かな ) ふべき。一陣・二陣あらけ破( やぶれ ) て、数万騎の兵ども、思々( おもひおもひ ) にぞ成( なり ) にける。顕家( あきいへの ) 卿( きやう ) も同( おなじ ) く在所( ざいしよ ) をしらず成給( なりたまひ ) ぬと聞( きこ ) へしかば、直信( なほのぶ ) ・直常兄弟は、大軍を容易( たやすく ) 追散( おひちら ) し、其( その ) 身は無恙都へ帰上( かへりのぼ ) られけり。されば戦功は万人の上に立( たち ) 、抽賞( ちうしやう ) は諸卒の望( のぞみ ) を塞( ふさ ) がんと、独( ひとり ) ゑみして待居給( まちゐたまひ ) たりしかども、更に其( その ) 功其( その ) 賞に不中しかば、桃井( もものゐ ) 兄弟は万( よろ ) づ世間( よのなか ) を述懐( じゆつくわい ) して、天下( てんが ) の大変を憑( たのみ ) にかけてぞ待( また ) れける。懸( かか ) る処に、顕家( あきいへの ) 卿( きやうの ) 舎弟春日( かすがの ) 少将( せうしやう ) 顕信( あきのぶ ) 朝臣( あそん ) 、今度南都を落( おち ) し敗軍を集め、和泉( いづみ ) の境( さかひ ) に打出( うちいで ) て近隣を犯奪( をかしうばひ ) 、頓( やが ) て八幡山( やはたやま ) に陣を取( とつ ) て、勢( いきほ ) ひ京洛を呑( のむ ) 。依之( これによつて ) 京都又騒動して、急ぎ討手の大将を差向( さしむく ) べしとて厳命を被下しかども、軍忠異于他桃井( もものゐ ) 兄弟だにも抽賞( ちうしやう ) の儀もなし。況( まし ) て其已下( そのいげ ) の者はさこそ有( あら ) んずらんとて、曾( かつ ) て進む兵更に無( なか ) りける間、角( かく ) ては叶( かなふ ) まじとて、師直一家( いつけ ) を尽( つく ) して打立給( うちたちたまひ ) ける間、諸軍勢( しよぐんぜい ) 是( これ ) に驚( おどろい ) て我( われ ) も我( われ ) もと馳下( はせくだ ) る。されば其( その ) 勢( せい ) 雲霞( うんか ) の如( ごとく ) にて、八幡山( やはたやま ) の下四方( しはう ) に尺地( せきち ) も不残充満( みちみち ) たり。されども要害の堀稠( きびしく ) して、猛卒悉( ことごと ) く志を同( おなじう ) して楯篭( たてこもり ) たる事なれば、寄手( よせて ) 毎度戦( たたかひ ) に利を失ふと聞( きこ ) へしかば、桃井( もものゐ ) 兄弟の人々、我( わが ) 身を省( かへり ) みて、今度の催促にも不応、都に残留( のこりとどま ) られたりけるが、高家氏族( かうけしぞく ) を尽し大家( たいか ) 軍兵を起すと云( いへ ) ども、合戦利を失( うしなふ ) と聞( きき ) て、余所( よそ ) には如何見て過( すぐす ) べき。述懐は私事( わたくしごと ) 、弓矢の道は公界( くがい ) の義、遁( のが ) れぬ所也( なり ) とて、偸( ひそ ) かに都を打立( うちたつ ) て手勢計( ばかり ) を引率( いんぞつ ) し、御方( みかた ) の大勢にも不牒合、自身( じしん ) 山下( さんげ ) に推( おし ) 寄せ、一日( いちにち ) 一夜( いちや ) 攻( せめ ) 戦ふ。是( これ ) にして官軍( くわんぐん ) も若干( そくばく ) 討( うた ) れ疵( きず ) を被( かうむ ) りける。直信( なほのぶ ) ・直常の兵ども、残少( のこりすくな ) に手負( ておひ ) 討( うた ) れて、御方( みかた ) の陣へ引( ひい ) て加( くはは ) る。此比( このころ ) の京童部( わらんべ ) が桃井塚( もものゐづか ) と名づけたるは、兄弟合戦の在所( ざいしよ ) 也( なり ) 。是( これ ) を始( はじめ ) として厚東( こうとう ) 駿河( するがの ) 守( かみ ) ・大平( おほひら ) 孫太郎・和田近江( あふみの ) 守( かみ ) 自( みづから ) 戦( たたかひ ) て疵( きず ) を被( かうむ ) り、数輩( すはい ) の若党( わかたう ) を討( うた ) せ、日夜旦暮( たんぼ ) 相挑( あひいどむ ) 。かゝる処に、執事( しつじ ) 師直所々の軍兵を招( まね ) き集め、「和泉の堺( さかひ ) 河内は故( こ ) 敵国なれば、さらでだに、恐懼( きようく ) する処に、強敵( かうてき ) 其( その ) 中に起( おこり ) ぬれば、和田・楠も力を合( あは ) すべし。未( いまだ ) 微( び ) 〔な〕るに乗( のつ ) て早速に退治( たいぢ ) すべし。」とて、八幡( やはた ) には大勢を差向( さしむけ ) て、敵の打( うつ ) て出( いで ) ぬ様( やう ) に四方( しはう ) を囲( かこ ) め、師直は天王寺( てんわうじ ) へぞ被向ける。顕家( あきいへの ) 卿( きやう ) の官軍共( くわんぐんども ) 、疲れて而( しか ) も小勢なれば、身命を棄( すて ) て支戦( ささへたたか ) ふといへども、軍( いくさ ) 無利して諸卒散々( ちりぢり ) に成( なり ) しかば、顕家( あきいへの ) 卿( きやう ) 立( たつ ) 足もなく成給( なりたまひ ) て、芳野( よしの ) へ参らんと志( こころざ ) し、僅( わづか ) に二十( にじふ ) 余騎( よき ) にて、大敵の囲( かこみ ) を出( いで ) んと、自( みづから ) 破利砕堅給ふといへども、其( その ) 戦功徒( いたづら ) にして、五月二十二日和泉( いづみ ) の堺安部野( さかひあべの ) にて討死し給( たまひ ) ければ、相従ふ兵( つはもの ) 悉( ことごと ) く腹切( きり ) 疵( きず ) を被( かうむつ ) て、一人も不残失( うせ ) にけり。顕家( あきいへの ) 卿( きやう ) をば武蔵( むさしの ) 国( くに ) の越生( こしふ ) 四郎左衛門( しらうざゑもんの ) 尉( じよう ) 奉討しかば、頚をば丹後( たんごの ) 国( くに ) の住人( ぢゆうにん ) 武藤右京( うきやうの ) 進( しん ) 政清( まさきよ ) 是( これ ) を取( とつ ) て、甲( かぶと ) ・太刀・々( かたな ) まで進覧( しんらん ) したりければ、師直是( これ ) を実検して、疑ふ所無( なか ) りしかば、抽賞( ちうしやう ) 御感( ぎよかん ) の御教書( みげうしよ ) を両人にぞ被下ける。哀( あはれなる ) 哉( かな ) 、顕家( あきいへの ) 卿( きやう ) は武略智謀其( その ) 家にあらずといへども、無双( ぶさう ) の勇将にして、鎮守府( ちんじゆふの ) 将軍( しやうぐん ) に任( にん ) じ奥州( あうしう ) の大軍を両度まで起( おこし ) て、尊氏( たかうぢの ) 卿( きやう ) を九州の遠境( ゑんきやう ) に追下( おひくだ ) し、君の震襟( しんきん ) を快( こころよ ) く奉休られし其誉( そのほま ) れ、天下( てんが ) の官軍( くわんぐん ) に先立( さきだつ ) て争ふ輩( ともがら ) 無( なか ) りしに、聖運( せいうん ) 天に不叶、武徳時至りぬる其謂( そのいはれ ) にや、股肱( ここう ) の重臣( ちようしん ) あへなく戦場の草の露と消給( きえたまひ ) しかば、南都( なんとの ) 侍臣・官軍( くわんぐん ) も、聞( きき ) て力をぞ失( うしなひ ) ける。