太平記 (Taiheiki) — 太平記(国民文庫) 太平記巻第二 不明 (Anonymous) 1366-1379 Taiheiki 太平記 Anonymous 不明 Kamakura-Muromachi-Azuchi-Momoyama Period 中世 14th century 14世紀 Fiction フィクション Japanese 日本語 Text 本文 1368 たいへいき Taiheiki 太平記 たいへいき Anonymous 不明 ふめい
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太平記 › 太平記(国民文庫) 太平記巻第二 Furigana ふりがな Vertical 縦書き
太平記( 国民文庫 ) 太平記巻第二
○南都北嶺( なんとほくれい ) 行幸( ぎやうがうの ) 事( こと ) 元徳( げんとく ) 二年二月四日、行事( ぎやうじ ) の弁別当( べんのべつたう ) 、万里小路( までのこうぢ ) 中納言( ちゆうなごん ) 藤房卿( ふぢふさのきやう ) を召( めさ ) れて、「来月八日東大寺興福寺( こうふくじ ) 行幸( ぎやうがう ) 有( ある ) べし、早( はやく ) 供奉( ぐぶ ) の輩( ともがら ) に触仰( ふれおほ ) すべし。」と仰出( おほせいだ ) されければ、藤房( ふぢふさ ) 古( ふるき ) を尋( たづね ) 、例( れい ) を考( かんがへ ) て、供奉( ぐぶ ) の行装( かうさう ) 、路次( ろし ) の行列( かうれつ ) を定( さだめ ) らる。佐々木( ささきの ) 備中守( びつちゆうのかみ ) 廷尉( ていゐ ) に成( なつ ) て橋を渡( わた ) し、四十八箇所( しじふはちかしよの ) 篝( かがり ) 、甲胄( かつちう ) を帯( たい ) し、辻( つじ ) 々を堅( かた ) む。三公( さんこう ) 九卿( きうけい ) 相従( あひしたが ) ひ、百司千官( はくしせんくわん ) 列( れつ ) を引( ひく ) 、言語道断( ごんごだうだん ) の厳儀( げんぎ ) 也。東大寺と申( まうす ) は聖武( しやうむ ) 天皇( てんわう ) の御願( ごぐわん ) 、閻浮( えんぶ ) 第一( だいいち ) の盧舎那仏( るしやなぶつ ) 、興福寺と申( まうす ) は淡海公( たんかいこう ) の御願、藤氏( とうし ) 尊崇( そんそう ) の大伽藍( だいがらん ) なれば、代々( だいだい ) の聖主( せいしゆ ) も、皆結縁( けちえん ) の御志( おんこころざし ) は御坐( おは ) せども、一人( いちじん ) 出給( いでたまふ ) 事( こと ) 容易( たやす ) からざれば、多年臨幸の儀( ぎ ) もなし。此御代( このみよ ) に至( いたつ ) て、絶( たえ ) たるを継( つぎ ) 、廃( すたれ ) たるを興( おこ ) して、鳳輦( ほうれん ) を廻( めぐら ) し給( たまひ ) しかば、衆徒( しゆと ) 歓喜( くわんぎ ) の掌( たなごころ ) を合( あは ) せ、霊仏( れいぶつ ) 威徳( ゐとく ) の光をそふ。されば春日山( かすがやま ) の嵐の音も、今日( けふ ) よりは万歳( ばんぜい ) を呼( よば ) ふかと怪( あやし ) まれ、北の藤波( ふじなみ ) 千代( ちよ ) かけて、花( はな ) 咲( さく ) 春の陰( かげ ) 深し。又同( おなじき ) 月二十七日に、比叡山( ひえいさん ) に行幸( ぎやうがう ) 成( なつ ) て、大講堂( だいかうだう ) 供養( くやう ) あり。彼( かの ) 堂と申( まうす ) は、深草天皇( ふかくさのてんわう ) の御願( ごぐわん ) 、大日遍照( だいにちへんぜう ) の尊像( そんざう ) 也。中比( なかごろ ) 造営( ざうえい ) の後( のち ) 、未( いまだ ) 供養を遂( とげ ) ずして、星霜( せいざう ) 已( すでに ) 積( つも ) りければ、甍( いらか ) 破( やぶれ ) ては霧( きり ) 不断( ふだん ) の香( かう ) を焼( たき ) 、扉( とぼそ ) 落( おち ) ては月常住( じやうぢゆ ) の燈( ともしび ) を挑( かか ) ぐ。されば満山( まんさん ) 歎( なげい ) て年を経( ふ ) る処に、忽( たちまち ) に修造( しゆざう ) の大功を遂( とげ ) られ、速( すみやか ) に供養の儀式を調( ととの ) へ給( たまひ ) しかば、一山( いつさん ) 眉( まゆ ) を開( ひら ) き、九院( きうゐん ) 首( かうべ ) を傾( かたぶ ) けり。御導師( おんだうし ) は妙法院( めうほふゐんの ) 尊澄( そんちよう ) 法親王( ほふしんわう ) 、咒願( じゆぐわん ) は時の座主( ざす ) 大塔( おほたふの ) 尊雲( そんうん ) 法親王( ほふしんわう ) にてぞ御座( おは ) しける。称揚讚仏( しようやうさんぶつ ) の砌( みぎり ) には、鷲峯( じゆほう ) の花( はな ) 薫( にほひ ) を譲り、歌唄頌徳( かばいじゆとく ) の所には、魚山( ぎよさん ) の嵐( あらし ) 響( ひびき ) を添( そふ ) 。伶倫( れいりん ) 遏雲( あつうん ) の曲を奏し、舞童( ぶどう ) 回雪( くわいせつ ) の袖を翻( ひるがへ ) せば、百獣も率舞( そつしまひ ) 、鳳鳥( ほうてう ) も来儀( らいぎ ) する計( ばかり ) 也。住吉の神主( かんぬし ) 、津守( つもり ) の国夏( くになつ ) 大皷( たいこ ) の役( やく ) にて登山( とうさん ) したりけるが、宿坊( しゆくばう ) の柱に一首( いつしゆ ) の歌をぞ書付( かきつけ ) たる。契( ちぎり ) あれば此山( このやま ) もみつ阿耨多羅( あのくたら ) 三藐三菩提( さんみやくさんぼだい ) の種( たね ) や植剣( うゑけん ) 是( これ ) は伝教大師( でんげうたいし ) 当山( たうざん ) 草創( さうさう ) の古( いにしへ ) 、「我( わが ) 立( たつ ) 杣( そま ) に冥加( みやうが ) あらせ給へ。」と、三藐三菩提( さんみやくさんぼだい ) の仏達( ほとけたち ) に祈給( いのりたまひ ) し故事( こじ ) を思( おもう ) て、読( よめ ) る歌なるべし。抑( そもそも ) 元亨( げんかう ) 以後、主( しゆ ) 愁( うれへ ) 臣( しん ) 辱( はづかしめ ) られて、天下更( さらに ) 安( やすき ) 時なし。折節( をりふし ) こそ多かるに、今南都北嶺( なんとほくれい ) の行幸、叡願( えいぐわん ) 何事( なにこと ) やらんと尋( たづぬ ) れば、近年( きんねん ) 相摸入道( さがみにふだうの ) 振舞、日来( ひごろ ) の不儀に超過( てうくわ ) せり。蛮夷( ばんい ) の輩( ともがら ) は、武命( ぶめい ) に順( したが ) ふ者なれば、召( めす ) とも勅( ちよく ) に応ずべからず。只山門南都の大衆( だいしゆ ) を語( かたらひ ) て、東夷( とうい ) を征罰( せいばつ ) せられん為の御謀叛( ごむほん ) とぞ聞( きこ ) へし。依之大塔( おほたふ ) の二品( にほん ) 親王( しんわう ) は、時の貫主( くわんじゆ ) にて御坐( おは ) せしか共( ども ) 、今は行学( かうがく ) 共( とも ) に捨( すて ) はてさせ給( たまひ ) て、朝暮( てうぼ ) 只武勇の御嗜( たしなみ ) の外( ほか ) は他事なし。御好( おんこのみ ) 有故( あるゆゑ ) にや依( より ) けん、早業( はやわざ ) は江都( かうと ) が軽捷( けいせふ ) にも超( こえ ) たれば、七尺( しつせき ) の屏風( びやうぶ ) 未( いまだ ) 必( かならず ) しも高しともせず。打物( うちもの ) は子房( しばう ) が兵法( ひやうはふ ) を得玉( えたま ) へば、一巻( いつくわん ) の秘書尽( つく ) されずと云( いふ ) 事( こと ) なし。天台座主( てんだいのざす ) 始( はじまつ ) て、義真和尚( ぎしんくわしやう ) より以来( このかた ) 一百余代、未( いまだ ) 懸( かか ) る不思議の門主( もんしゆ ) は御坐( おはしま ) さず。後( のち ) に思合( おもひあは ) するにこそ、東夷征罰( とういせいばつ ) の為に、御身( おんみ ) を習( ならは ) されける武芸の道とは知られたれ。
○僧徒( そうと ) 六波羅( ろくはらへ ) 召捕( めしとる ) 事( こと ) 付為明( ためあきら ) 詠歌( えいかの ) 事( こと ) 事の漏安( もれやす ) きは、禍( わざはひ ) を招く媒( なかだち ) なれば、大塔宮( おほたふのみや ) の御行事( おんふるまひ ) 、禁裡( きんり ) に調伏( てうぶく ) の法被行事共( ども ) 、一々に関東へ聞へてけり。相摸入道( さがみにふだう ) 大( おほき ) に怒( いかつ ) て、「いや/\此君( このきみの ) 御在位( ございゐ ) の程は天下静まるまじ。所詮( しよせん ) 君をば承久( しようきう ) の例( れい ) に任( まかせ ) て、遠国( をんごく ) へ移し奉( まゐら ) せ、大塔宮( おほたふのみや ) を死罪( しざい ) に所( しよ ) し奉るべき也。先( まづ ) 近日( このころ ) 殊に竜顔( りようがん ) に咫尺奉( しせきしたてまつつ ) て、当家( たうけ ) を調伏( てうぶく ) し給ふなる、法勝寺( ほつしようじ ) の円観( ゑんくわん ) 上人・小野( をの ) の文観( もんくわん ) 僧正・南都の知教( ちけう ) ・教円( けうゑん ) ・浄土寺( じやうどじ ) の忠円( ちゆうゑん ) 僧正を召取( めしとり ) て、子細( しさい ) を相尋( あひたづぬ ) べし。」と、已( すで ) に武命を含( ふくん ) で、二階堂下野判官( にかいだうしもつけのはうぐわん ) ・長井遠江守( ながゐとほたふみのかみ ) 二人( ににん ) 、関東より上洛( しやうらく ) す。両使( りやうし ) 已( すで ) に京着( きやうちやく ) せしかば、「又何( いか ) なる荒き沙汰( さた ) をか致さんずらん。」と、主上宸襟( しんきん ) を悩( なやま ) されける所に、五月十一日の暁( あかつき ) 、雑賀隼人佐( さいがはやとのすけ ) を使にて、法勝寺の円観上人・小野の文観僧正・浄土寺の忠円僧正、三人( さんにん ) を六波羅( ろくはら ) へ召取( めしとり ) 奉る。此( この ) 中に忠円僧正は、顕宗( けんしゆう ) の碩徳( せきとく ) 也しかば、調伏の法行( おこなう ) たりと云( いふ ) 、其人数( そのにんじゆ ) には入( い ) らざりしかども、是( これ ) も此( この ) 君に近付き奉( たてまつつ ) て、山門( さんもん ) の講堂( かうだう ) 供養( くやう ) 以下( いげ ) の事( こと ) 、万( よろづ ) 直( ぢき ) に申沙汰( まうしさた ) せられしかば、衆徒( しゆと ) 与力( よりき ) の事( こと ) 、此( この ) 僧正よも存( ぞん ) ぜられぬ事は非じとて、同( おなじく ) 召取( めしとら ) れ給( たまひ ) にけり。是( これ ) のみならず、智教・教円二人( ににん ) も、南都より召出( めしいだ ) されて、同( おなじく ) 六波羅( ろくはら ) へ出( いで ) 給ふ。又二条( にでうの ) 中将( ちゆうじやう ) 為明( ためあきらの ) 卿( きやう ) は、歌道( かだう ) の達者( たつしや ) にて、月の夜( よ ) 雪の朝( あした ) 、褒貶( はうへん ) の歌合( うたあはせ ) の御会( ごくわい ) に召( めさ ) れて、宴( えん ) に侍( はんべ ) る事隙( ひま ) 無( なか ) りしかば、指( さし ) たる嫌疑( けんぎ ) の人にては無( なか ) りしかども、叡慮の趣を尋問( たづねとは ) ん為に召取( めしとら ) れて、斉藤某( なにがし ) に是( これ ) を預( あづけ ) らる。五人の僧達( そうたち ) の事は、元来( もとより ) 関東へ召下( めしくだ ) して、沙汰有( ある ) べき事なれば、六波羅( ろくはら ) にて尋窮( たづねきはむる ) に及ばず。為明( ためあきらの ) 卿( きやう ) の事に於ては、先( まづ ) 京都にて尋沙汰( たづねさた ) 有( あつ ) て、白状( はくじやう ) あらば、関東へ註進( ちゆうしん ) すべしとて、検断( けんだん ) に仰( おほせ ) て、已( すでに ) 嗷問( がうもん ) の沙汰に及( およば ) んとす。六波羅( ろくはら ) の北の坪( つぼ ) に炭をゝこす事( こと ) 、■湯炉壇( くわくたうろだん ) の如( ごとく ) にして、其( その ) 上に青竹を破( わ ) りて敷双( しきなら ) べ、少( すこし ) 隙( ひま ) をあけゝれば、猛火( みやうくわ ) 炎( ほのほ ) を吐( はい ) て、烈( れつ ) 々たり。朝夕雑色( でうじやくざふしき ) 左右( さいう ) に立双( たちならん ) で、両方( りやうばう ) の手を引張( ひつばつ ) て、其( その ) 上を歩( あゆま ) せ奉( たてまつら ) んと、支度( したく ) したる有様は、只四重( しぢゆう ) 五逆( ごぎやく ) の罪人( ざいにん ) の、焦熱大焦熱( せうねつだいせうねつ ) の炎( ほのほ ) に身を焦( こが ) し、牛頭馬頭( ごづめづ ) の呵責( かしやく ) に逢( あふ ) らんも、角社( かくこそ ) 有( あ ) らめと覚( おぼ ) へて、見( みる ) にも肝( きも ) は消( きえ ) ぬべし。為明( ためあきら ) 卿( きやう ) 是( これ ) を見給て、「硯( すずり ) や有( ある ) 。」と尋( たづね ) られければ、白状( はくじやう ) の為かとて、硯( すずり ) に料紙( れうし ) を取添( とりそへ ) て奉りければ、白状( はくじやう ) にはあらで、一首( いつしゆ ) の歌をぞ書( かか ) れける。
思( おもひ ) きや我敷嶋( わがしきしま ) の道ならで浮世の事を問( とは ) るべしとは常葉駿河守( ときはするがのかみ ) 、此( この ) 歌を見て感歎( かんたん ) 肝( きも ) に銘( めい ) じければ、泪( なみだ ) を流して理( り ) に伏( ふく ) す。東使( とうし ) 両人も是( これ ) を読( よみ ) て、諸共( もろとも ) に袖を浸( ひた ) しければ、為明( ためあきら ) は水火( すゐくわ ) の責( せめ ) を遁( のが ) れて、咎( とが ) なき人に成( なり ) にけり。詩歌( しいか ) は朝廷の翫( もてあそぶ ) 処、弓馬( きゆうば ) は武家の嗜( たしな ) む道なれば、其慣( そのならはし ) 未( いまだ ) 必( かならず ) しも、六義( りくぎ ) 数奇( すき ) の道に携( たづさは ) らねども、物( ものの ) 相感( あひかん ) ずる事( こと ) 、皆( みな ) 自然なれば、此( この ) 歌一首( いつしゆ ) の感( かん ) に依( よつ ) て、嗷問( がうもん ) の責( せめ ) を止( や ) めける、東夷( とうい ) の心中( こころのうち ) こそやさしけれ。力をも入( いれ ) ずして、天地( あめつち ) を動( うごか ) し、目にみへぬ鬼神( おにがみ ) をも哀( あはれ ) と思はせ、男女( をとこをんな ) の中( なか ) をも和( やはら ) げ、猛( たけ ) き武士( もののふ ) の心をも慰( なぐさむ ) るは歌也と、紀貫之( きのつらゆき ) が古今( こきん ) の序( じよ ) に書( かき ) たりしも、理( ことわり ) なりと覚( おぼえ ) たり。
○三人( さんにんの ) 僧徒( そうと ) 関東下向( げかうの ) 事( こと ) 同年( おなじきとしの ) 六月八日、東使( とうし ) 三人( さんにん ) の僧達( そうたち ) を具足( ぐそく ) し奉( たてまつつ ) て、関東に下向す。彼( かの ) 忠円僧正と申( まうす ) は、浄土寺慈勝( じしよう ) 僧正の門弟として、十題判断( じふだいはんだん ) の登科( とうくわ ) 、一山( いつさん ) 無双( ぶさう ) の碩学( せきがく ) 也。文観( もんくわん ) 僧正と申( まうす ) は、元( もと ) は播磨国( はりまのくに ) 法華寺( ほつけじ ) の住侶( ぢゆりよ ) たりしが、壮年( さうねん ) の比( ころ ) より醍醐寺( だいごじ ) に移住( いぢゆう ) して、真言( しんごん ) の大阿闍梨( だいあじやり ) たりしかば、東寺( とうじ ) の長者( ちやうじや ) 、醍醐の座主( ざす ) に補( ふ ) せられて、四種三密( ししゆさんみつ ) の棟梁( とうりやう ) たり。円観上人と申( まうす ) は、元( もと ) は山徒( さんと ) にて御坐( おはし ) けるが、顕密両宗( けんみつりやうしゆう ) の才( さい ) 、一山( いつさん ) に光( ひかり ) 有( ある ) かと疑はれ、智行兼備( ちぎやうけんび ) の誉( ほま ) れ、諸寺( しよじ ) に人無( なき ) が如し。然( しかれ ) ども久( ひさしく ) 山門澆漓( げうり ) の風( ふう ) に随はゞ、情慢( じやうまん ) の幢( はたほこ ) 高( たかう ) して、遂に天魔( てんま ) の掌握( しやうあく ) の中( うち ) に落( おち ) ぬべし。不如、公請論場( くしやうろんぢやう ) の声誉( せいよ ) を捨( すて ) て、高祖大師( かうそたいし ) の旧規( きうき ) に帰( かへら ) んにはと、一度( ひとたび ) 名利( みやうり ) の轡( くつばみ ) を返して、永く寂寞( じやくまく ) の苔( こけ ) の扉( とぼそ ) を閉( とぢ ) 給ふ。初( はじめ ) の程は西塔( さいたふ ) の黒谷( くろたに ) と云( いふ ) 所に居( きよ ) を卜( しめ ) て、三衣( さんえ ) を荷葉( かえふ ) の秋( あき ) の霜に重( かさ ) ね、一鉢( いつばち ) を松華( しようくわ ) の朝( あした ) の風( かぜ ) に任( まかせ ) 給ひけるが、徳不孤必( かならず ) 有隣、大明( だいみやう ) 光( ひかり ) を蔵( かくさ ) ざりければ、遂に五代聖主の国師( こくし ) として、三聚浄戒( さんじゆじやうかい ) の太祖( たいそ ) たり。かゝる有智高行( うちかうぎやう ) の尊宿( そんしゆく ) たりと云へども、時の横災( わうさい ) をば遁( のがれ ) 給はぬにや、又前世( ぜんぜ ) の宿業( しゆくごふ ) にや依( より ) けん。遠蛮( ゑんばん ) の囚( とらはれ ) と成( なつ ) て、逆旅( げきりよ ) の月にさすらひ給( たまふ ) 、不思議なりし事ども也。円観上人計( ばかり ) こそ、宗印( そういん ) ・円照( ゑんせう ) ・道勝( だうしよう ) とて、如影随形( によやうずゐぎやう ) の御弟子( おんでし ) 三人( さんにん ) 、随逐( ずゐちく ) して輿( こし ) の前後( ぜんご ) に供奉( ぐぶ ) しけれ。其外( そのほか ) 文観僧正・忠円僧正には相随( あひしたがふ ) 者一人も無( なく ) て、怪( あやしげ ) なる店馬( てんま ) に乗( の ) せられて、見馴( みなれ ) ぬ武士( ぶし ) に打囲( うちかこま ) れ、まだ夜( よ ) 深きに鳥が鳴( なく ) 東( あづま ) の旅に出( いで ) 給ふ、心の中( うち ) こそ哀( あはれ ) なれ。鎌倉( かまくら ) までも下( くだ ) し着( つ ) けず、道にて失ひ奉るべしなんど聞へしかば、彼( かしこ ) の宿( しゆく ) に着( つい ) ても今や限り、此( ここ ) の山に休( やす ) めば是( これ ) や限りと、露の命( いのち ) のある程も、心は先( さき ) に消( きえ ) つべし。昨日( きのふ ) も過( すぎ ) 今日( けふ ) も暮( くれ ) ぬと行程( ゆくほど ) に、我( われ ) とは急( いそ ) がぬ道なれど、日数( ひかず ) 積( つも ) れば、六月二十四日に鎌倉( かまくら ) にこそ着( つき ) にけれ。円観上人をば佐介( さすけ ) 越前守( ゑちぜんのかみ ) 、文観僧正をば佐介遠江守( とほたふみのかみ ) 、忠円僧正をば足利( あしかが ) 讚岐守( さぬきのかみ ) にぞ預( あづけ ) らる。両使帰参( きさん ) して、彼( かの ) 僧達( そうたち ) の本尊の形( かたち ) 、炉壇( ろだん ) の様( やう ) 、画図( ゑづ ) に写( うつし ) て註進す。俗人( ぞくじん ) の見知( みし ) るべき事ならねば、佐々目( ささめ ) の頼禅( らいぜん ) 僧正を請( しやう ) じ奉( たてまつつ ) て、是( これ ) を被見せに、「子細( しさい ) なき調伏( てうぶく ) の法也。」と申されければ、「去( さら ) ば此( この ) 僧達( そうたち ) を嗷問( がうもん ) せよ。」とて、侍所( さふらひどころ ) に渡して、水火( すゐくわ ) の責( せめ ) をぞ致しける。文観房( もんくわんばう ) 暫( しばし ) が程はいかに問( とは ) れけれ共( ども ) 、落( おち ) 玉はざりけるが、水問( みづもん ) 重( かさな ) りければ、身も疲( つかれ ) 心も弱( よわく ) なりけるにや、「勅定( ちよくじやう ) に依( よつ ) て、調伏の法行( おこなう ) たりし条子細なし。」と、白状( はくじやう ) せられけり。其後( そののち ) 忠円房を嗷問せんとす。此( この ) 僧正天性( てんせい ) 臆病( おくびやう ) の人にて、未責( いまだせめざる ) 先( さき ) に、主上( しゆしやう ) 山門を御語( おんかたら ) ひありし事( こと ) 、大塔( おほたふ ) の宮( みや ) の御振舞、俊基( としもと ) の隠謀( いんぼう ) なんど、有( あり ) もあらぬ事までも、残所( のこるところ ) なく白状( はくじやう ) 一巻( いつくわん ) に載( のせ ) られたり。此( この ) 上は何( なん ) の疑( うたがひ ) か有( ある ) べきなれ共( ども ) 、同罪( どうざい ) の人なれば、閣( さしおく ) べきに非( あら ) ず。円観上人をも明日( みやうにち ) 問( とひ ) 奉るべき評定( ひやうぢやう ) ありける。其夜( そのよ ) 相摸入道( さがみにふだう ) の夢に、比叡山の東坂本( ひがしさかもと ) より、猿共( さるども ) 二三千群来( むらがりきたつ ) て、此( この ) 上人を守護( しゆご ) し奉る体( てい ) にて、並居( なみゐ ) たりと見給ふ。夢の告( つげ ) 只事( ただごと ) ならずと思はれければ、未明( びめい ) に預人( あづかりうど ) の許( もと ) へ使者( ししや ) を遣( つかは ) し、「上人嗷問( がうもん ) の事暫く閣( さしおく ) べし。」と被下知処に、預人遮( さへぎつ ) て相摸入道( さがみにふだう ) の方( かた ) に来( きたつ ) て申( まうし ) けるは、「上人嗷問の事( こと ) 、此暁( このあかつき ) 既( すでに ) 其( その ) 沙汰を致( いたし ) 候はん為に、上人の御方( おんかた ) へ参( まゐつ ) て候へば、燭( ともしび ) を挑( かかげ ) て観法定坐( くわんぽふぢやうざ ) せられて候。其( その ) 御影( おんかげ ) 後( うしろ ) の障子( しやうじ ) に移( うつつ ) て、不動明王( ふどうみやうわう ) の貌( かたち ) に見( みえ ) させ給( たまひ ) 候つる間( あひだ ) 、驚き存( そんじ ) て、先( まづ ) 事( こと ) の子細( しさい ) を申入( まうしいれ ) ん為に、参て候也。」とぞ申( まうし ) ける。夢想( むさう ) と云( いひ ) 、示現( じげん ) と云( いひ ) 、只人( ただひと ) にあらずとて、嗷問の沙汰を止( やめ ) られけり。同( おなじき ) 七月十三日に、三人( さんにん ) の僧達( そうたち ) 遠流( をんる ) の在所( ざいしよ ) 定( さだまつ ) て、文観僧正をば硫黄( いわう ) が嶋、忠円僧正をば越後国( ゑちごのくに ) へ流さる。円観上人計( ばかり ) をば遠流一等を宥( なだめ ) て、結城上野( ゆふきかうづけ ) 入道に預( あづけ ) られければ、奥州( あうしう ) へ具足( ぐそく ) し奉( たてまつり ) 、長途( ちやうど ) の旅にさすらひ給( たまふ ) 。左遷遠流( させんをんる ) と云( いは ) ぬ計( ばかり ) 也。遠蛮( ゑんばん ) の外( ほか ) に遷( うつ ) されさせ給へば、是( これ ) も只同じ旅程( りよてい ) の思( おもひ ) にて、肇法師( でうほふし ) が刑戮( けいりく ) の中( うち ) に苦( くるし ) み、一行阿闍梨( いちぎやうあじやり ) の火羅国( くわらこく ) に流されし、水宿山行( すゐしゆくさんぎやう ) の悲( かなしみ ) もかくやと思知( おもひしら ) れたり。名取川( なとりがは ) を過( すぎ ) させ給( たまふ ) とて上人一首( いつしゆ ) の歌を読( よみ ) 給ふ。陸奥( みちのく ) のうき名取川流来( ながれき ) て沈( しづみ ) やはてん瀬々( せぜ ) の埋木( うもれぎ ) 時の天災( てんさい ) をば、大権( だいごん ) の聖者( しやうじや ) も遁( のが ) れ給はざるにや。昔天竺( てんぢく ) の波羅奈国( はらないこく ) に、戒定慧( かいぢやうゑ ) の三学を兼備( けんび ) し給へる独( ひとり ) の沙門( しやもん ) をはしけり。一朝( いつてう ) の国師( こくし ) として四海( しかい ) の倚頼( いらい ) たりしかば、天下の人帰依偈仰( きえかつがう ) せる事( こと ) 、恰( あたかも ) 大聖世尊( だいしやうせそん ) の出世成道( しゆつせじやうだう ) の如( ごとく ) 也。或時( あるとき ) 其国( そのくに ) の大王法会( ほふゑ ) を行ふべき事有( あつ ) て説戒( せつかい ) の導師( だうし ) に此( この ) 沙門( しやもん ) をぞ請( しやう ) ぜられける。沙門( しやもん ) 則( すなはち ) 勅命に随( したがつ ) て鳳闕( ほうけつ ) に参( さん ) ぜらる。帝( みかど ) 折節( をりふし ) 碁( ご ) を被遊ける砌( みぎり ) へ、伝奏( てんそう ) 参( まゐつ ) て、沙門( しやもん ) 参内( さんだい ) の由を奏し申( まうし ) けるを、遊( あそば ) しける碁( ご ) に御心( おんこころ ) を入( いれ ) られて、是( これ ) を聞食( きこしめさ ) れず、碁( ご ) の手( て ) に付( つい ) て、「截( き ) れ。」と仰( おほせ ) られけるを、伝奏聞誤( ききあやま ) りて、此( この ) 沙門( しやもん ) を刎( きれ ) との勅定( ちよくぢやう ) ぞと心得て、禁門( きんもん ) の外( ほか ) に出( いだ ) し、則( すなはち ) 沙門( しやもん ) の首( くび ) を刎( はね ) てけり。帝( みかど ) 碁をあそばしはてゝ、沙門( しやもん ) を御前( おんまへ ) へ召( めされ ) ければ、典獄( てんごく ) の官( くわん ) 、「勅定に随( したがつ ) て首( くび ) を刎( はね ) たり。」と申す。帝( みかど ) 大( おほき ) に逆鱗( げきりん ) ありて、「「行死( かうし ) 定( さだまつ ) て後( のち ) 三奏( さんそう ) す」と云へり。而( しかる ) を一言( いちげん ) の下( した ) に誤( あやまり ) を行( おこなう ) て、朕( ちん ) が不徳( ふとく ) をかさぬ。罪大逆( たいぎやく ) に同じ。」とて、則( すなはち ) 伝奏を召出( めしいだ ) して三族の罪に行( おこなは ) れけり。さて此( この ) 沙門( しやもん ) 罪なくして死刑に逢ひ給( たまひ ) ぬる事只事( ただごと ) にあらず、前生( ぜんじやう ) の宿業( しゆくごふ ) にてをはすらんと思食( おぼしめさ ) れければ、帝其故( そのゆゑ ) を阿羅漢( あらかん ) に問( とひ ) 給ふ。阿羅漢( あらかん ) 七日が間( あひだ ) 、定( ぢやう ) に入( いつ ) て宿命通( しゆくみやうつう ) を得て過現( くわげん ) を見給ふに、沙門( しやもん ) の前生( ぜんじやう ) は耕作( かうさく ) を業( げふ ) とする田夫( でんぶ ) 也。帝の前生は水にすむ蛙( かはづ ) にてぞ有( あり ) ける。此( この ) 田夫鋤( すき ) を取( とり ) て春の山田( やまだ ) をかへしける時、誤( あやまつ ) て鋤のさきにて、蛙( かはづ ) の頚をぞ切( きり ) たりける。此因果( このいんぐわ ) に依( よつ ) て、田夫は沙門( しやもん ) と生( うま ) れ、蛙( かいる ) は波羅奈国( はらないこく ) の大王と生れ、誤( あやまつ ) て又死罪( しざい ) を行( おこなは ) れけるこそ哀( あはれ ) なれ。されば此( この ) 上人も、何( いか ) なる修因感果( しゆいんかんくわ ) の理( り ) に依( よつて ) か、卦( かか ) る不慮( ふりよ ) の罪に沈給( しづみたまひ ) ぬらんと、不思議也し事共( ども ) 也。
○俊基朝臣( としもとあそん ) 再( ふたたび ) 関東下向( げかうの ) 事( こと ) 俊基( としもと ) 朝臣は、先年( せんねん ) 土岐( とき ) 十郎頼貞( よりさだ ) が討( うた ) れし後、召取( めしとら ) れて、鎌倉( かまくら ) まで下給( くだりたまひ ) しかども、様々( さまざま ) に陳( ちん ) じ申されし趣( おもむき ) 、げにもとて赦免( しやめん ) せられたりけるが、又今度( このたび ) の白状共( はくじやうども ) に、専( もつぱら ) 隠謀の企( くはだて ) 、彼( かの ) 朝臣にありと載( のせ ) たりければ、七月十一日に又六波羅( ろくはら ) へ召取( めしとら ) れて関東へ送られ給ふ。再犯( さいほん ) 不赦法令( はふれい ) の定( さだま ) る所なれば、何( なに ) と陳( ちんず ) る共( とも ) 許されじ、路次( ろし ) にて失( うしなは ) るゝか鎌倉( かまくら ) にて斬( きら ) るゝか、二( ふたつ ) の間( あひだ ) をば離れじと、思儲( おもひまうけ ) てぞ出( いで ) られける。落花( らくくわ ) の雪に蹈( ふみ ) 迷ふ、片野( かたの ) の春の桜がり、紅葉( もみぢ ) の錦を衣( き ) て帰( かへる ) 、嵐の山の秋の暮、一夜( ひとよ ) を明( あか ) す程だにも、旅宿( たびね ) となれば懶( ものうき ) に、恩愛( おんあい ) の契( ちぎ ) り浅からぬ、我( わが ) 故郷( ふるさと ) の妻子( さいし ) をば、行末( ゆくへ ) も知( しら ) ず思置( おもひおき ) 、年久( としひさしく ) も住馴( すみなれ ) し、九重( ここのへ ) の帝都( ていと ) をば、今を限( かぎり ) と顧( かへりみ ) て、思はぬ旅に出( いで ) 玉ふ、心の中( うち ) ぞ哀( あはれ ) なる。憂( うき ) をば留( とめ ) ぬ相坂( あふさか ) の、関の清水( しみづ ) に袖濡( ぬれ ) て、末( すゑ ) は山路( やまぢ ) を打出( うちで ) の浜、沖を遥( はるかに ) 見渡せば、塩( しほ ) ならぬ海にこがれ行( ゆく ) 、身( み ) を浮舟( うきふね ) の浮沈( うきしづ ) み、駒も轟( とどろ ) と踏鳴( ふみなら ) す、勢多( せた ) の長橋( ながはし ) 打( うち ) 渡り、行向( ゆきかふ ) 人に近江路( あふみぢ ) や、世のうねの野に鳴( なく ) 鶴( つる ) も、子を思( おもふ ) かと哀( あはれ ) 也。時雨( しぐれ ) もいたく森山( もりやま ) の、木下露( このしたつゆ ) に袖ぬれて、風に露( つゆ ) 散( ち ) る篠原( しのはら ) や、篠( しの ) 分( わく ) る道を過行( すぎゆけ ) ば、鏡( かがみ ) の山は有( あり ) とても、泪( なみだ ) に曇( くもり ) て見へ分( わか ) ず。物を思へば夜間( よのま ) にも、老蘇森( おいそのもり ) の下草( したくさ ) に、駒を止( とどめ ) て顧( かへりみ ) る、古郷( ふるさと ) を雲や隔つらん。番馬( ばんば ) 、醒井( さめがゐ ) 、柏原( かしはばら ) 、不破( ふは ) の関屋( せきや ) は荒果( あれはて ) て、猶( なほ ) もる物は秋の雨の、いつか我身( わがみ ) の尾張( をはり ) なる、熱田( あつた ) の八剣( やつるぎ ) 伏拝( ふしをが ) み、塩干( しほひ ) に今や鳴海潟( なるみがた ) 、傾( かたぶ ) く月に道見へて、明( あけ ) ぬ暮( くれ ) ぬと行( ゆく ) 道の、末( すゑ ) はいづくと遠江( とほたふみ ) 、浜名( はまな ) の橋の夕塩( ゆふしほ ) に、引人( ひくひと ) も無き捨小船( すてをぶね ) 、沈みはてぬる身にしあれば、誰か哀( あはれ ) と夕暮の、入逢( いりあひ ) 鳴( なれ ) ば今はとて、池田( いけだ ) の宿( しゆく ) に着( つき ) 給ふ。元暦( げんりやく ) 元年( ぐわんねん ) の比( ころ ) かとよ、重衡( しげひらの ) 中将( ちゆうじやう ) の、東夷( とうい ) の為に囚( とらは ) れて、此宿( このしゆく ) に付給( つきたまひ ) しに、「東路( あづまぢ ) の丹生( はにふ ) の小屋( こや ) のいぶせきに、古郷( ふるさと ) いかに恋( こひ ) しかるらん。」と、長者( ちやうじや ) の女( むすめ ) が読( よみ ) たりし、其古( そのいにしへ ) の哀迄( あはれまで ) も、思残( おもひのこ ) さぬ泪( なみだ ) 也。旅館( りよくわん ) の燈( ともしび ) 幽( かすか ) にして、鶏鳴( けいめい ) 暁( あかつき ) を催( もよほ ) せば、疋馬( ひつば ) 風に嘶( いば ) へて、天竜河を打渡り、小夜( さよ ) の中山( なかやま ) 越行( こえゆけ ) ば、白雲( はくうん ) 路( みち ) を埋来( うづみき ) て、そことも知( しら ) ぬ夕暮に、家郷( かけい ) の天( そら ) を望( のぞみ ) ても、昔( むかし ) 西行法師( さいぎやうほふし ) が、「命( いのち ) 也けり。」と詠( えいじ ) つゝ、二度( ふたたび ) 越( こえ ) し跡( あと ) までも、浦山敷( うらやましく ) ぞ思はれける。隙( ひま ) 行( ゆく ) 駒( こま ) の足はやみ、日( ひ ) 已( すでに ) 亭午( ていご ) に昇( のぼ ) れば、餉( かれひ ) 進( まゐらす ) る程とて、輿( こし ) を庭前( ていぜん ) に舁止( かきとど ) む。轅( ながえ ) を叩( たたい ) て警固( けいご ) の武士( ぶし ) を近付( ちかづ ) け、宿( しゆく ) の名を問( とひ ) 給ふに、「菊川( きくかは ) と申( まうす ) 也。」と答へければ、承久( しようきう ) の合戦の時、院宣( ゐんぜん ) 書( かき ) たりし咎( とが ) に依( よつ ) て、光親( みつちかの ) 卿( きやう ) 関東へ召下( めしくだ ) されしが、此宿( このしゆく ) にて誅( ちゆう ) せられし時、昔南陽懸菊水。汲下流而延齢。今東海道菊河。宿西岸而終命。と書( かき ) たりし、遠き昔の筆の跡、今は我( わが ) 身の上になり。哀( あはれ ) やいとゞ増( まさ ) りけん、一首( いつしゆ ) の歌を詠( えいじ ) て、宿( やど ) の柱にぞ書( かか ) れける。古( いにしへ ) もかゝるためしを菊川の同じ流( ながれ ) に身をや沈めん大井河( おほゐがは ) を過( すぎ ) 給へば、都にありし名を聞( きき ) て、亀山殿( かめやまどの ) の行幸( ぎやうがう ) の、嵐の山の花盛( はなざか ) り、竜頭鷁首( りようどうげきしゆ ) の舟に乗り、詩歌管絃( しいかくわんげん ) の宴( えん ) に侍( はんべり ) し事も、今は二度( ふたたび ) 見ぬ夜( よ ) の夢と成( なり ) ぬと思( おもひ ) つゞけ給ふ。嶋田( しまだ ) 、藤枝( ふぢえだ ) に懸( かか ) りて、岡辺( をかべ ) の真葛( まくず ) 裡枯( うらがれ ) て、物かなしき夕暮に、宇都( うつ ) の山辺を越行( こえゆけ ) ば、蔦楓( つたかへで ) いと茂りて道もなし。昔業平( なりひら ) の中将( ちゆうじやう ) の住所( すみところ ) を求( もとむ ) とて、東( あづま ) の方( かた ) に下( くだる ) とて、「夢にも人に逢( あは ) ぬなりけり。」と読( よみ ) たりしも、かくやと思知( おもひしら ) れたり。清見潟( きよみがた ) を過( すぎ ) 給へば、都に帰る夢をさへ、通( とほ ) さぬ波の関守( せきもり ) に、いとゞ涙を催( もよほ ) され、向( むかひ ) はいづこ三穂( みほ ) が崎・奥津( おきつ ) ・神原( かんばら ) 打過( うちすぎ ) て、富士の高峯( たかね ) を見給へば、雪の中より立( たつ ) 煙( けぶり ) 、上( うへ ) なき思( おもひ ) に比( くら ) べつゝ、明( あく ) る霞に松見へて、浮嶋が原を過行( すぎゆけ ) ば、塩干( しほひ ) や浅き船浮( うき ) て、をり立( たつ ) 田子( たご ) の自( みづから ) も、浮世を遶( めぐ ) る車返( くるまがへ ) し、竹の下道( したみち ) 行( ゆき ) なやむ、足柄山( あしがらやま ) の巓( たうげ ) より、大磯小磯( おほいそこいそを ) 直下( みおろし ) て、袖にも波はこゆるぎの、急( いそぐ ) としもはなけれども、日数( ひかず ) つもれば、七月二十六日の暮( くれ ) 程に、鎌倉( かまくら ) にこそ着玉( つきたまひ ) けれ。其( その ) 日軈( やが ) て、南条( なんでう ) 左衛門高直( たかなほ ) 請取奉( うけとりたてまつつ ) て、諏防( すは ) 左衛門に預( あづけ ) らる。一間( ひとま ) なる処に蜘手( くもで ) きびしく結( ゆう ) て、押篭( おしこめ ) 奉る有様、只地獄( ぢごく ) の罪人( ざいにん ) の十王( じふわふ ) の庁( ちやう ) に渡されて、頚械( くびかせ ) 手械( てかせ ) を入( いれ ) られ、罪の軽重( きやうぢゆう ) を糺( ただ ) すらんも、右( かく ) やと思知( おもひしら ) れたり。
○長崎新左衛門( しんざゑもんの ) 尉( じよう ) 意見( いけんの ) 事( こと ) 付阿新殿( くまわかどのの ) 事( こと ) 当今( たうぎん ) 御謀反( ごむほん ) の事露顕( ろけん ) の後( のち ) 御位( おんくらゐ ) は軈( やが ) て持明院殿( ぢみやうゐんどの ) へぞ進( まゐ ) らんずらんと、近習( きんじふ ) の人々青女房( あをにようばう ) に至( いたる ) まで悦( よろこび ) あへる処( ところ ) に、土岐( とき ) が討れし後( のち ) も曾( かつ ) て其( その ) 沙汰もなし。今又俊基( としもと ) 召下( めしくだ ) されぬれ共( ども ) 、御位( おんくらゐ ) の事に付( つけ ) ては何( いか ) なる沙汰あり共( とも ) 聞( きこえ ) ざりければ、持明院殿( ぢみやうゐんどの ) 方( かた ) の人々案( あん ) に相違して五噫( ごい ) を謳( うたふ ) 者のみ多かりけり。さればとかく申進( まうしすすむ ) る人のありけるにや、持明院殿( ぢみやうゐんどの ) より内々( ないない ) 関東へ御使( つかひ ) を下され、「当今( たうぎん ) 御謀反( ごむほん ) の企( くはだて ) 近日( きんじつ ) 事( こと ) 已( すで ) に急( きふ ) なり。武家速( すみやか ) に糾明( きうめい ) の沙汰なくば天下の乱( らん ) 近( ちかき ) に有( ある ) べし。」と仰( おほせ ) られたりければ、相摸入道( さがみにふだう ) 、「げにも。」と驚( おどろい ) て、宗徒( むねと ) の一門( いちもん ) ・並( ならびに ) 頭人( とうにん ) ・評定衆( ひやうぢやうしゆ ) を集( あつめ ) て、「此( この ) 事( こと ) 如何( いかん ) 有( ある ) べき。」と各( おのおの ) 所存( しよぞん ) を問( とは ) る。然( しかれ ) ども或( あるひ ) は他に譲( ゆづり ) て口を閉( とぢ ) 、或( あるひ ) は己( おのれ ) を顧( かへりみ ) て言( ことば ) を出( いだ ) さゞる処( ところ ) に、執事( しつじ ) 長崎入道が子息( しそく ) 新左衛門( しんざゑもんの ) 尉( じよう ) 高資( たかすけ ) 進出( すすみいで ) て申( まうし ) けるは、「先年( せんねん ) 土岐十郎が討( うた ) れし時、当今( たうぎん ) の御位( おんくらゐ ) を改( あらため ) 申さるべかりしを、朝憲( てうけん ) に憚( はばかつ ) て御沙汰( ごさた ) 緩( ゆる ) かりしに依( よつ ) て此( この ) 事( こと ) 猶( なほ ) 未休( いまだやまず ) 。乱( らん ) を撥( はらう ) て治( ち ) を致( いたす ) は武の一徳也。速( すみやか ) に当今を遠国( をんごく ) に遷( うつ ) し進( まゐら ) せ、大塔宮( おほたふのみや ) を不返( ふへん ) の遠流( をんる ) に所( しよ ) し奉り、俊基( としもと ) ・資朝以下( すけともいげ ) の乱臣を、一々に誅せらるゝより外( ほか ) は、別儀( べちぎ ) あるべしとも存( ぞんじ ) 候はず。」と、憚る処なく申( まうし ) けるを、二階堂( にかいだう ) 出羽( ではの ) 入道道蘊( だううん ) 暫( しばらく ) 思案( しあん ) して申( まうし ) けるは、「此儀( このぎ ) 尤( もつとも ) 然( しか ) るべく聞へ候へ共( ども ) 、退( しりぞい ) て愚案( ぐあん ) を廻( めぐら ) すに、武家権( けん ) を執( とつ ) て已( すで ) に百六十余年、威四海( しかい ) に及( および ) 、運累葉( るゐえふ ) を耀( かかやか ) すこと更に他事( たじ ) なし。唯( ただ ) 上( かみ ) 一人( いちじん ) を仰奉( あふぎたてまつつ ) て、忠貞( ちゆうてい ) に私( わたくし ) なく、下( しもは ) 百姓( はくせい ) を撫( なで ) て仁政( じんせい ) に施( ほどこし ) ある故( ゆゑ ) 也。然( しかる ) に今( いま ) 君( きみ ) の寵臣( ちようしん ) 一両人召置( めしおか ) れ、御帰衣( ごきえ ) の高僧両三人( さんにん ) 流罪( るざい ) に処( しよ ) せらるゝ事も、武臣( ぶしん ) 悪行( あくぎやう ) の専一( せんいち ) と云( いひ ) つべし。此上( このうへ ) に又主上を遠所( ゑんしよ ) へ遷( うつ ) し進( まゐら ) せ、天台( てんだいの ) 座主( ざす ) を流罪に行( おこなは ) れん事( こと ) 、天道奢( おごり ) を悪( にく ) むのみならず、山門争( いかで ) か憤( いきどほり ) を含まざるべき。神怒( いかり ) 人背( そむ ) かば、武運の危( あやふき ) に近( ちかか ) るべし。「君雖不君、不可臣以不臣」と云へり。御謀反( ごむほん ) の事君( きみ ) 縦( たとひ ) 思食立( おぼしめしたつ ) とも、武威盛( さかん ) ならん程は与( くみ ) し申( まうす ) 者有( ある ) べからず。是( これ ) に付( つけ ) ても武家弥( いよいよ ) 慎( つつしん ) で勅命に応ぜば、君もなどか思食直( おぼしめしなほ ) す事無( なか ) らん。かくてぞ国家の泰平( たいへい ) 、武運の長久にて候はんと存( ぞんず ) るは、面々( めんめん ) 如何( いかん ) 思食( おぼしめし ) 候。」と申( まうし ) けるを、長崎新左衛門( しんざゑもんの ) 尉( じよう ) 又自余( じよ ) の意見をも不待、以( もつて ) の外( ほか ) に気色( きしよく ) を損じて、重( かさね ) て申( まうし ) けるは、「文武( ぶんぶの ) 揆( おもむき ) 一( ひとつ ) 也と云へ共( ども ) 、用捨( ようしや ) 時( とき ) 異( ことな ) るべし。静( しづか ) なる世には文を以て弥( いよいよ ) 治( をさ ) め、乱( みだれ ) たる時には武を以( もつて ) 急に静む。故( ゆゑに ) 戦国の時には孔盂不足用、太平の世には干戈( かんくわ ) 似無用。事已( すで ) に急に当( あた ) りたり。武を以て治むべき也。異朝( いてう ) には文王・武王、臣として、無道( ぶだう ) の君を討( うち ) し例( れい ) あり。吾朝( わがてう ) には義時( よしとき ) ・泰時( やすとき ) 、下( しも ) として不善( ふぜん ) の主( しゆ ) を流す例あり。世みな是( これ ) を以て当( あた ) れりとす。されば古典( こてん ) にも、「君視臣如土芥則臣視君如冦讎。」と云へり。事( こと ) 停滞( ていたい ) して武家追罰( つゐばつ ) の宣旨( せんじ ) を下されなば、後悔( こうくわい ) すとも益( えき ) 有( ある ) べからず。只( ただ ) 速( すみやか ) に君を遠国( をんごく ) に遷( うつ ) し進( まゐら ) せ、大塔( おほたふ ) の宮( みや ) を硫黄( いわう ) が嶋へ流( ながし ) 奉り、隠謀( いんぼう ) の逆臣( げきしん ) 、資朝( すけとも ) ・俊基( としもと ) を誅せらるゝより外( ほか ) の事有( ある ) べからず。武家の安泰( あんたい ) 万世( ばんせい ) に及( およぶ ) べしとこそ存( ぞんじ ) 候へ。」と、居長高( ゐだけだか ) に成( なつ ) て申( まうし ) ける間、当座( たうざ ) の頭人( とうにん ) ・評定衆( ひやうぢやうしゆ ) 、権勢( けんせい ) にや阿( おもねり ) けん、又愚案( ぐあん ) にや落( おち ) けん、皆此義( このぎ ) に同( どう ) じければ、道蘊( だううん ) 再往( さいわう ) の忠言に及ばず眉( まゆ ) を顰( ひそめ ) て退出( たいしゆつ ) す。さる程に、「君の御謀反( ごむほん ) を申勧( まうしすすめ ) けるは、源( げん ) 中納言( ぢゆうなごん ) 具行( ともゆき ) ・右少弁( うせうべん ) 俊基( としもと ) ・日野( ひのの ) 中納言資朝( すけとも ) 也、各( おのおの ) 死罪( しざい ) に行( おこなは ) るべし。」と評定( ひやうぢやう ) 一途( いちづ ) に定( さだまつ ) て、「先( まづ ) 去年( きよねん ) より佐渡国( さどのくに ) へ流されてをはする資朝卿( すけとものきやう ) を斬奉( きりたてまつる ) べし。」と、其( その ) 国( くに ) の守護( しゆご ) 本間山城( ほんまやましろ ) 入道に被下知。此( この ) 事( こと ) 京都に聞へければ、此( この ) 資朝( すけとも ) の子息( しそく ) 国光( くにみつ ) の中納言、其比( そのころ ) は阿新殿( くまわかどの ) とて歳( とし ) 十三にてをはしけ〔る〕が、父の卿( きやう ) 召人( めしうど ) に成玉( なりたまひ ) しより、仁和寺辺( にんわじへん ) に隠( かくれ ) て居( ゐ ) られけるが、父誅( ちゆう ) せられ給( たまふ ) べき由( よし ) を聞( きい ) て、「今は何事にか命( いのち ) を惜( をし ) むべき。父と共に斬( きら ) れて冥途( めいど ) の旅の伴( とも ) をもし、又最後( さいご ) の御( おん ) 有様をも見奉るべし。」とて母に御暇( おんいとま ) をぞ乞( こは ) れける。母御( ははご ) 頻( しきり ) に諌( いさめ ) て、「佐渡とやらんは、人も通( かよ ) はぬ怖( おそろ ) しき嶋とこそ聞( きこゆ ) れ。日数( ひかず ) を経( ふ ) る道なればいかんとしてか下( くだる ) べき。其上( そのうへ ) 汝( なんぢ ) にさへ離( はなれ ) ては、一日片時( へんし ) も命( いのち ) 存( ながらふ ) べしとも覚( おぼ ) へず。」と、泣悲( なきかなしみ ) て止( とめ ) ければ、「よしや伴( ともな ) ひ行( ゆく ) 人( ひと ) なくば、何( いか ) なる淵瀬( ふちせ ) にも身を投( なげ ) て死( し ) なん。」と申( まうし ) ける間、母痛( いたく ) 止( とめ ) ば、又目( め ) の前( まへ ) に憂別( うきわかれ ) も有( あり ) ぬべしと思侘( おもひわび ) て、力なく今迄只( ただ ) 一人付副( つきそひ ) たる中間( ちゆうげん ) を相( あひ ) そへられて、遥々( はるばる ) と佐渡( さどの ) 国( くに ) へぞ下( くだし ) ける。路( みち ) 遠けれども乗( のる ) べき馬( むま ) もなければ、はきも習( ならは ) ぬ草鞋( わらぢ ) に、菅( すげ ) の小笠( をがさ ) を傾( かたぶけ ) て、露( つゆ ) 分( わけ ) わくる越路( こしぢ ) の旅( たび ) 、思( おもひ ) やるこそ哀( あはれ ) なれ。都を出( いで ) て十三日と申( まうす ) に、越前の敦賀( つるが ) の津( つ ) に着( つき ) にけり。是( これ ) より商人船( あきんどぶね ) に乗( のり ) て、程なく佐渡( さどの ) 国( くに ) へぞ着( つき ) にける。人して右( かう ) と云( いふ ) べき便( たより ) もなければ、自( みづから ) 本間が館( たち ) に致( いたつ ) て中門( ちゆうもん ) の前( まへ ) にぞ立( たつ ) たりける。境節( をりふし ) 僧の有( あり ) けるが立出( たちいで ) て、「此( この ) 内への御用( ごよう ) にて御立( おんたち ) 候か。又何( いか ) なる用にて候ぞ。」と問( とひ ) ければ、阿新殿( くまわかどの ) 、「是( これ ) は日野( ひのの ) 中納言の一子( いつし ) にて候が、近来( このごろ ) 切られさせ給( たまふ ) べしと承( うけたまはつ ) て、其( その ) 最後の様( やう ) をも見候はんために都より遥々( はるばる ) と尋下( たづねくだり ) て候。」と云( いひ ) もあへず、泪( なみだ ) をはら/\と流しければ、此( この ) 僧心( こころ ) 有( あり ) ける人也ければ、急( いそ ) ぎ此由( このよし ) を本間に語るに、本間も岩木( いはき ) ならねば、さすが哀( あはれ ) にや思( おもひ ) けん、軈( やが ) て此( この ) 僧を以( もつて ) 持仏堂( ぢぶつだう ) へいざなひ入( いれ ) て、蹈皮行纒( たびはばき ) 解( ぬが ) せ足洗( あらう ) て、疎( おろそか ) ならぬ体( てい ) にてぞ置( おき ) たりける。阿新殿( くまわかどの ) 是( これ ) をうれしと思( おもふ ) に付( つけ ) ても、同( おなじく ) は父の卿( きやう ) を疾( とく ) 見奉( たてまつら ) ばやと云( いひ ) けれ共( ども ) 、今日明日( けふあす ) 斬らるべき人に是( これ ) を見せては、中々( なかなか ) よみ路( ぢ ) の障( さはり ) とも成( なり ) ぬべし。又関東( くわんとう ) の聞( きこ ) へもいかゞ有らんずらんとて、父子( ふし ) の対面( たいめん ) を許さず、四五町隔( へだたつ ) たる処( ところ ) に置( おき ) たれば、父の卿( きやう ) は是( これ ) を聞( きき ) て、行末( ゆくへ ) も知( しら ) ぬ都にいかゞ有らんと、思( おもひ ) やるよりも尚( なほ ) 悲し。子は其方( そなた ) を見遣( やり ) て、浪路( なみぢ ) 遥( はるか ) に隔( へだ ) たりし鄙( ひな ) のすまゐを想像( おもひやつ ) て、心苦( くるし ) く思( おもひ ) つる泪( なみだ ) は更に数( かず ) ならずと、袂( たもと ) の乾( かわ ) くひまもなし。是( これ ) こそ中納言のをはします楼( ろう ) の中( うち ) よとて見やれば、竹の一村( ひとむら ) 茂( しげ ) りたる処に、堀( ほり ) ほり廻( まは ) し屏( へい ) 塗( ぬつ ) て、行通( ゆきか ) ふ人も稀( まれ ) 也。情( なさけ ) なの本間が心や。父は禁篭( きんろう ) せられ子は未( いまだ ) 稚( をさ ) なし。縦( たと ) ひ一所( いつしよ ) に置( おき ) たりとも、何程( なにほど ) の怖畏( ふゐ ) か有( ある ) べきに、対面( たいめん ) をだに許さで、まだ同( おなじ ) 世の中( なか ) ながら生( しやう ) を隔( へだて ) たる如( ごとく ) にて、なからん後( のち ) の苔の下( した ) 、思寝( おもひね ) に見ん夢ならでは、相看( あひみ ) ん事も有( あり ) がたしと、互に悲( かなし ) む恩愛( おんあい ) の、父子( ふし ) の道こそ哀( あはれ ) なれ。五月二十九日の暮程( くれほど ) に、資朝卿( すけとものきやう ) を篭( ろう ) より出( いだ ) し奉( たてまつつ ) て、「遥( はるか ) に御湯( おんゆ ) も召( めさ ) れ候はぬに、御行水( おんぎやうずゐ ) 候へ。」と申せば、早( はや ) 斬らるべき時に成( なり ) けりと思給( おもひたまひ ) て、「嗚呼( ああ ) うたてしき事かな、我( わが ) 最後の様( やう ) を見ん為に、遥々( はるばる ) と尋下( たづねくだつ ) たる少者( をさなきもの ) を一目( ひとめ ) も見ずして、終( はて ) ぬる事よ。」と計( ばか ) り宣( のたまひ ) て、其後( そののち ) は曾( かつ ) て諸事( しよじ ) に付( つけ ) て言( ことば ) をも出( いだし ) 給はず。今朝( けさ ) 迄は気色( きしよく ) しほれて、常には泪( なみだ ) を押拭( おしのご ) ひ給( たまひ ) けるが、人間( にんげん ) の事に於ては頭燃( づねん ) を払ふ如( ごとく ) に成( なり ) ぬと覚( さとつ ) て、只綿密( めんみつ ) の工夫( くふう ) の外( ほか ) は、余念( よねん ) 有りとも見へ給はず。夜( よ ) に入れば輿( こし ) さし寄( よせ ) て乗( の ) せ奉り、爰( ここ ) より十町許( ちやうばかり ) ある河原( かはら ) へ出( いだ ) し奉り、輿舁居( かきすゑ ) たれば、少( すこし ) も臆( おく ) したる気色( けしき ) もなく、敷皮( しきかは ) の上に居直( ゐなほつ ) て、辞世( じせい ) の頌( じゆ ) を書( かき ) 給ふ。五蘊仮成形。四大今帰空。将首当白刃。截断一陣風。年号月日( ねんがうつきひ ) の下( した ) に名字( みやうじ ) を書付( かきつけ ) て、筆を閣( さしお ) き給へば、切手( きりて ) 後( うしろ ) へ回( まは ) るとぞ見へし、御首( おんくび ) は敷皮( しきかは ) の上に落( おち ) て質( むくろ ) は尚( なほ ) 坐( ざ ) せるが如し。此程( このほど ) 常( つね ) に法談( ほふだん ) なんどし給ひける僧来( きたつ ) て、葬礼( さうれい ) 如形取営( とりいとな ) み、空( むなし ) き骨( こつ ) を拾( ひろう ) て阿新に奉りければ、阿新是( これ ) を一目( ひとめ ) 見て、取手( とるて ) も撓( たゆく ) 倒伏( たふれふし ) 、「今生( こんじやう ) の対面遂に叶( かなは ) ずして、替( かは ) れる白骨( はつこつ ) を見る事よ。」と泣悲( なきかなしむ ) も理( ことわり ) 也。阿新未( いまだ ) 幼稚( えうち ) なれ共( ども ) 、けなげなる所存( しよぞん ) 有( あり ) ければ、父の遺骨( ゆゐこつ ) をば只一人召仕( めしつかひ ) ける中間( ちゆうげん ) に持( もた ) せて、「先( まづ ) 我よりさきに高野山( かうやさん ) に参( まゐり ) て奥の院とかやに収( をさめ ) よ。」とて都へ帰( かへ ) し上( のぼ ) せ、我身( わがみ ) は労( いたは ) る事有る由にて尚( なほ ) 本間が館( たち ) にぞ留( とどま ) りける。是( これ ) は本間が情( なさけ ) なく、父を今生( こんじやう ) にて我( われ ) に見せざりつる鬱憤( うつぷん ) を散( さん ) ぜんと思ふ故( ゆゑ ) 也。角( かく ) て四五日経( へ ) ける程に、阿新昼( ひる ) は病( やむ ) 由( よし ) にて終日( ひねもす ) に臥( ふ ) し、夜( よる ) は忍( しのび ) やかにぬけ出( いで ) て、本間が寝処( ねところ ) なんど細々( こまごま ) に伺( うかがう ) て、隙( ひま ) あらば彼( かの ) 入道父子( ふし ) が間( あひだ ) に一人さし殺して、腹切らんずる物をと思定( おもひさだめ ) てぞねらいける。或夜( あるよ ) 雨風( あめかぜ ) 烈( はげ ) しく吹( ふい ) て、番( とのゐ ) する郎等共( らうどうども ) も皆遠侍( とほさぶらひ ) に臥( ふし ) たりければ、今こそ待処( まつところ ) の幸( さいはひ ) よと思( おもう ) て、本間が寝処( ねところ ) の方( かた ) を忍( しのび ) て伺( うかがう ) に、本間が運やつよかりけん、今夜( こんや ) は常の寝処を替( かへ ) て、何( いづ ) くに有( あり ) とも見へず。又二間( ふたま ) なる処に燈( とぼしび ) の影の見へけるを、是( これ ) は若( もし ) 本間入道が子息( しそく ) にてや有( ある ) らん。其( それ ) なりとも討( うつ ) て恨( うらみ ) を散( さん ) ぜんと、ぬけ入( いつ ) て是( これ ) を見るに、其( それ ) さへ爰( ここ ) には無( なく ) して、中納言殿( どの ) を斬奉( きりたてまつり ) し本間( ほんま ) 三郎と云( いふ ) 者ぞ只一人臥( ふし ) たりける。よしや是( これ ) も時に取( とつ ) ては親の敵( かたき ) 也。山城( やましろ ) 入道に劣( おと ) るまじと思( おもう ) て走りかゝらんとするに、我は元来( もとより ) 太刀( たち ) も刀( かたな ) も持( もた ) ず、只( ただ ) 人( ひと ) の太刀を我物( わがもの ) と憑( たのみ ) たるに、燈( ともしび ) 殊に明( あきらか ) なれば、立寄( たちよら ) ば軈( やが ) て驚合( おどろきあ ) ふ事もや有( あら ) んずらんと危( あやぶん ) で、左右( さう ) なく寄( より ) ゑず。何( いか ) がせんと案じ煩( わづらう ) て立( たち ) たるに、折節( をりふし ) 夏なれば灯( ともしび ) の影を見て、蛾( が ) と云( いふ ) 虫のあまた明障子( あかりしやうじ ) に取付( とりつき ) たるを、すはや究竟( くつきやう ) の事こそ有れと思( おもう ) て障子( しやうじ ) を少( すこし ) 引( ひき ) あけたれば、此( この ) 虫あまた内( うち ) へ入( いつ ) て軈( やが ) て灯( ともしび ) を打( うち ) けしぬ。今は右( かう ) とうれしくて、本間三郎が枕に立寄( たちよつ ) て探( さぐ ) るに、太刀も刀( かたな ) も枕に有( あつ ) て、主( ぬし ) はいたく寝入( ねいり ) たり。先( まづ ) 刀を取( とつ ) て腰にさし、太刀を抜( ぬい ) て心( むな ) もとに指当( さしあて ) て、寝( ね ) たる者を殺( ころす ) は死人( しにん ) に同( おな ) じければ、驚( おどろか ) さんと思( おもつ ) て、先( まづ ) 足にて枕をはたとぞ蹴( け ) たりける。けられて驚く処を、一( いち ) の太刀に臍( ほぞ ) の上( うへ ) を畳( たたみ ) までつとつきとをし、返( かへ ) す太刀に喉( のど ) ぶゑ指切( さしきつ ) て、心閑( しづか ) に後( うしろ ) の竹原( ささはら ) の中( なか ) へぞかくれける。本間三郎が一の太刀に胸を通( とほ ) されてあつと云( いふ ) 声に、番衆( ばんしゆ ) ども驚騒( おどろきさわい ) で、火を燃( とぼ ) して是( これ ) を見るに、血の付( つき ) たるちいさき足跡( あしあと ) あり。「さては阿新殿( くまわかどの ) のしわざ也。堀の水深ければ、木戸( きど ) より外( ほか ) へはよも出( いで ) じ。さがし出( いだつ ) て打殺( うちころ ) せ。」とて、手々( てにてに ) 松明( たいまつ ) をとぼし、木の下、草の陰( かげ ) まで残処( のこるところ ) 無( なく ) ぞさがしける。阿新は竹原( ささはら ) の中に隠れながら、今は何( いづ ) くへか遁( のが ) るべき。人手( ひとで ) に懸( かか ) らんよりは、自害( じがい ) をせばやと思はれけるが、悪( にく ) しと思( おもふ ) 親の敵( かたき ) をば討( うつ ) つ、今は何( いかに ) もして命( いのち ) を全( まつたう ) して、君の御用( ごよう ) にも立( たち ) 、父の素意( そい ) をも達したらんこそ忠臣孝子の儀にてもあらんずれ、若( もし ) やと一( ひと ) まど落( おち ) て見ばやと思返( おもひかへ ) して、堀を飛越( とびこえ ) んとしけるが、口( くち ) 二丈深さ一丈に余( あま ) りたる堀なれば、越( こゆ ) べき様( やう ) も無( なか ) りけり。さらば是( これ ) を橋にして渡( はたら ) んよと思( おもつ ) て、堀の上に末( すゑ ) なびきたる呉竹( くれたけ ) の梢( こずゑ ) へさら/\と登( のぼり ) たれば、竹の末( すゑ ) 堀の向( むかひ ) へなびき伏( ふし ) て、やす/\と堀をば越( こえ ) てげり。夜( よ ) は未( いまだ ) 深( ふか ) し、湊( みなと ) の方( かた ) へ行( ゆい ) て、舟に乗( のつ ) てこそ陸( くが ) へは着( つか ) めと思( おもう ) て、たどるたどる浦の方( かた ) へ行程( ゆくほど ) に、夜( よ ) もはや次第に明離( あけはなれ ) て忍( しのぶ ) べき道もなければ、身を隠( かく ) さんとて日( ひ ) を暮( くら ) し、麻( あさ ) や蓬( よもぎ ) の生茂( おひしげり ) たる中( なか ) に隠れ居たれば、追手共( おひてども ) と覚( おぼ ) しき者共( ものども ) 百四五十騎馳散( はせちつ ) て、「若( もし ) 十二三計( ばかり ) なる児( ちご ) や通りつる。」と、道に行合人毎( ゆきあふひとごと ) に問音( とふおと ) してぞ過行( すぎゆき ) ける。阿新其( その ) 日は麻の中( なか ) にて日を暮( くら ) し、夜( よる ) になれば湊( みなと ) へと心ざして、そことも知( しら ) ず行( ゆく ) 程に、孝行の志( こころざし ) を感じて、仏神( ぶつじん ) 擁護( おうご ) の眸( まなじり ) をや回( めぐ ) らされけん、年( とし ) 老( おい ) たる山臥( やまぶし ) 一人行合( ゆきあひ ) たり。此児( このちご ) の有様を見て痛( いたは ) しくや思( おもひ ) けん、「是( これ ) は何( いづ ) くより何( いづく ) をさして御渡( おんわた ) り候ぞ。」と問( とひ ) ければ、阿新事の様( やう ) をありの侭( まま ) にぞ語りける。山臥( やまぶし ) 是( これ ) を聞( きい ) て、我( われ ) 此( この ) 人を助けずば、只今の程にかはゆき目を見るべしと思( おもひ ) ければ、「御心( おんこころ ) 安く思食( おぼしめさ ) れ候へ。湊( みなと ) に商人舟共( あきんどぶねども ) 多( おほく ) 候へば、乗( の ) せ奉( たてまつつ ) て越後・越中の方( かた ) まで送付( おくりつけ ) まいらすべし。」と云( いひ ) て、足たゆめば、此児( このちご ) を肩に乗( の ) せ背( せなか ) に負( おう ) て、程なく湊にぞ行着( ゆきつき ) ける。夜明( よあけ ) て便船( びんせん ) やあると尋( たづね ) けるに、折節( をりふし ) 湊の内( うち ) に舟一艘( いつさう ) も無( なか ) りけり。如何( いかん ) せんと求( もとむ ) る処に、遥( はるか ) の澳( おき ) に乗( のり ) うかべたる大船( たいせん ) 、順風( じゆんぷう ) に成( なり ) ぬと見て檣( ほばしら ) を立( たて ) 篷( とま ) をまく。山臥手を上( あげ ) て、「其( その ) 船是( これ ) へ寄( よせ ) てたび給へ、便船申さん。」と呼( よばは ) りけれ共( ども ) 、曾( かつ ) て耳にも聞入( ききいれ ) ず、舟人( ふなうど ) 声を帆( ほ ) に上( あげ ) て湊の外( ほか ) に漕出( こぎいだ ) す。山臥大( おほき ) に腹を立( た ) て柿( かき ) の衣( ころも ) の露( つゆ ) を結( むすん ) で肩にかけ、澳( おき ) 行( ゆく ) 舟に立向( たちむかつ ) て、いらたか誦珠( じゆず ) をさら/\と押揉( おしもみ ) て、「一持秘密咒( いちぢひみつじゆ ) 、生々而加護( しやうしやうにかご ) 、奉仕修行者( ぶじしゆぎやうじや ) 、猶如薄伽梵( いうによばがぼん ) と云へり。況( いはんや ) 多年( たねん ) の勤行( ごんぎやう ) に於てをや。明王( みやうわう ) の本誓( ほんせい ) あやまらずば、権現( ごんげん ) 金剛童子( こんがうどうじ ) ・天竜夜叉( てんりゆうやしや ) ・八大龍王( はちだいりゆうわう ) 、其( その ) 船此方( こなた ) へ漕返( こぎもどし ) てたばせ給へ。」と、跳上( をどりあがり ) 々々肝胆( かんたん ) を砕( くだい ) てぞ祈りける。行者( ぎやうじや ) の祈り神( しん ) に通( つう ) じて、明王( みやうわう ) 擁護( おうご ) やしたまひけん、澳( おき ) の方( かた ) より俄( にはか ) に悪風( あくふう ) 吹来( ふききたつ ) て、此( この ) 舟忽( たちまちに ) 覆( くつかへ ) らんとしける間( あひだ ) 、舟人共( ふなうどども ) あはてゝ、「山臥の御房( ごばう ) 、先( まづ ) 我等を御助( おんたす ) け候へ。」と手を合( あはせ ) 膝( ひざ ) をかゞめ、手々( てにて ) に舟を漕( こぎ ) もどす。汀( みぎは ) 近く成( なり ) ければ、船頭( せんどう ) 舟より飛下( とびおり ) て、児( ちご ) を肩にのせ、山臥の手を引( ひい ) て、屋形( やかた ) の内( うち ) に入( いり ) たれば、風は又元( もと ) の如( ごとく ) に直( なほ ) りて、舟は湊を出( いで ) にけり。其後( そののち ) 追手共( おひてども ) 百四五十騎馳来( はせきた ) り、遠浅( とほあさ ) に馬を叩( ひかへ ) て、「あの舟止( とま ) れ。」と招共( まねけども ) 、舟人( ふなうど ) 是( これ ) を見ぬ由にて、順風( じゆんぷう ) に帆を揚( あげ ) たれば、舟は其日( そのひ ) の暮程( くれほど ) に、越後の府( こう ) にぞ着( つき ) にける。阿新山臥に助( たすけ ) られて、鰐口( わにのくち ) の死を遁( のがれ ) しも、明王加護( かご ) の御誓( おんちかひ ) 掲焉( けつえん ) なりける験( しるし ) 也。
○俊基( としもと ) 被誅事並( ならびに ) 助光( すけみつが ) 事( こと )
俊基( としもと ) 朝臣( あそん ) は殊更( ことさら ) 謀叛( むほん ) の張本( ちやうほん ) なれば、遠国( をんごく ) に流すまでも有( ある ) べからず、近日( きんじつ ) に鎌倉中( かまくらぢゆう ) にて斬( きり ) 奉るべしとぞ被定たる。此( この ) 人多年の所願( しよぐわん ) 有( あつ ) て、法華経( ほけきやう ) を六百部自( みづか ) ら読誦( どくじゆ ) し奉るが、今二百部残りけるを、六百部に満( みつ ) る程の命( いのち ) を被相待候て、其後( そののち ) 兎( と ) も角( かく ) も被成候へと、頻( しきり ) に所望( しよまう ) 有( あり ) ければ、げにも其( それ ) 程の大願( だいぐわん ) を果( はた ) させ奉らざらんも罪也とて、今二百部の終( をふ ) る程( ほど ) 僅( わづか ) の日数( ひかず ) を待暮( まちくら ) す、命の程こそ哀( あはれ ) なれ。此( この ) 朝臣の多年( たねん ) 召仕( めしつかひ ) ける青侍( あをさぶらひ ) に後藤左衛門( さゑもんの ) 尉( じよう ) 助光( すけみつ ) と云( いふ ) 者あり。主( しゆう ) の俊基( としもと ) 召取( めしと ) られ給( たまひ ) し後( のち ) 、北方( きたのかた ) に付進( つきまゐら ) せ嵯峨( さが ) の奥に忍( しのび ) て候( さふらひ ) けるが、俊基( としもと ) 関東へ被召下給ふ由を聞給( ききたまひ ) て、北方( きたのかた ) は堪( たへ ) ぬ思( おもひ ) に伏沈( ふししづみ ) て歎悲給( なげきかなしみたまひ ) けるを見奉( たてまつる ) に、不堪悲して、北( きた ) の方( かた ) の御文( おんふみ ) を給( たまはつ ) て、助光忍( しのび ) て鎌倉( かまくら ) へぞ下( くだり ) ける。今日明日( けふあす ) の程と聞へしかば、今は早( はや ) 斬( きら ) れもやし給ひつらんと、行逢( ゆきあふ ) 人に事の由を問々( とひとひ ) 、程なく鎌倉( かまくら ) にこそ着( つき ) にけれ。右少弁( うせうべん ) 俊基( としもと ) のをはする傍( あたり ) に宿( やど ) を借( かり ) て、何( いか ) なる便( たより ) もがな、事の子細( しさい ) を申入( まうしいれ ) んと伺( うかがひ ) けれども、不叶して日を過( すご ) しける処に、今日( けふ ) こそ京都よりの召人( めしうど ) は斬( きら ) れ給( たまふ ) べきなれ、あな哀れや、なんど沙汰しければ、助光こは如何( いか ) がせんと肝( きも ) を消し、此彼( ここかしこ ) に立( たち ) て見聞( けんもん ) しければ、俊基( としもと ) 已( すで ) に張輿( はりごし ) に乗( の ) せられて粧坂( けはひざか ) へ出( いで ) 給ふ。爰( ここ ) にて工藤( くどう ) 二郎左衛門( じらうざゑもんの ) 尉( じよう ) 請取( うけとり ) て、葛原岡( くずはらがをか ) に大幕( おほまく ) 引( ひい ) て、敷皮( しきかは ) の上に坐( ざ ) し給へり。是( これ ) を見ける助光が心中( こころのうち ) 譬( たとへ ) て云( いは ) ん方( かた ) もなし。目くれ足もなへて、絶入( たえい ) る計( ばかり ) に有( あり ) けれども、泣々( なくなく ) 工藤殿( どの ) が前( まへ ) に進出( すすみいで ) て、「是( これ ) は右少弁殿( どの ) の伺候( しこう ) の者にて候が、最後( さいご ) の様( やう ) 見奉( たてまつり ) 候はん為に遥々( はるばる ) と参( まゐり ) 候。可然は御免( ごめん ) を蒙( かうぶつ ) て御前( おんまへ ) に参り、北方( きたのかた ) の御文( おんふみ ) をも見参( けんざん ) に入( いれ ) 候はん。」と申( まうし ) もあへず、泪( なみだ ) をはら/\と流( ながし ) ければ、工藤も見るに哀( あはれ ) を催( もよほ ) されて、不覚( ふかく ) の泪( なみだ ) せきあへず。「子細候まじ、早( はや ) 幕の内( うち ) へ御参( おんまゐり ) 候へ。」とぞ許しける。助光幕の内に入( いつ ) て御前( おんまへ ) に跪( ひざまづ ) く。俊基( としもと ) は助光を打見て、「いかにや。」と計( ばかり ) 宣( のたまひ ) て、軈( やが ) て泪に咽( むせ ) び給ふ。助光も、「北方( きたのかた ) の御文( おんふみ ) にて候。」とて、御前( おんまへ ) に差置( さしおき ) たる計( ばかり ) にて、是( これ ) も涙にくれて、顔をも持( もち ) あげず泣( なき ) 居たり。良( やや ) 暫( しばら ) く有( あつ ) て、俊基( としもと ) 涙を押拭( おしのご ) ひ、文を見給へば、「消懸( きえかか ) る露の身の置所( おきどころ ) なきに付( つけ ) ても、何( いか ) なる暮( くれ ) にか、無世( なきよ ) の別( わかれ ) と承( うけたまは ) り候はんずらんと、心を摧( くだ ) く涙の程、御推量( おしはか ) りも尚( なほ ) 浅くなん。」と、詞( ことば ) に余( あまり ) て思( おもひ ) の色深く、黒( くろ ) み過( すぐ ) るまで書( かか ) れたり。俊基( としもと ) いとゞ涙にくれて、読( よみ ) かね給へる気色( けしき ) 、見人( みるひと ) 袖をぬらさぬは無( なか ) りけり。「硯( すずり ) やある。」と宣( のたま ) へば、矢立( やたて ) を御前( おんまへ ) に指置( さしおけ ) ば、硯の中( なか ) なる小刀( こがたな ) にて鬢( びん ) の髪( かみ ) を少し押切( おしきつ ) て、北方( きたのかた ) の文に巻( まき ) そへ、引返( ひきかへ ) し一筆( ひとふで ) 書( かい ) て助光が手に渡し給へば、助光懐( ふところ ) に入( いれ ) て泣沈( なきしづみ ) たる有様、理( ことわ ) りにも過( すぎ ) て哀( あはれ ) 也。工藤左衛門幕( まく ) の内に入( いつ ) て、「余( あま ) りに時の移り候。」と勧( すすむ ) れば、俊基( としもと ) 畳紙( たたうがみ ) を取出( とりいだ ) し、頚( くび ) の回( まは ) り押拭( おしのご ) ひ、其( その ) 紙を推開( おしひらい ) て、辞世( じせい ) の頌( じゆ ) を書( かき ) 給ふ。古来一句。無死無生。万里雲尽。長江水清。筆を閣( さしおい ) て、鬢( びん ) の髪( かみ ) を摩( なで ) 給ふ程こそあれ、太刀( たち ) かげ後( うしろ ) に光れば、頚は前( まへ ) に落( おち ) けるを、自( みづか ) ら抱( かかへ ) て伏( ふし ) 給ふ。是( これ ) を見奉る助光が心の中( うち ) 、謦( たとへ ) て云( いは ) ん方( かた ) もなし。さて泣々( なくなく ) 死骸( しがい ) を葬( さう ) し奉り、空( むなし ) き遺骨( ゆゐこつ ) を頚に懸( かけ ) 、形見( かたみ ) の御文( おんふみ ) 身に副( そへ ) て、泣々( なくなく ) 京( きやう ) へぞ上( のぼ ) りける。北方( きたのかた ) は助光を待付( まちつけ ) て、弁殿( べんどの ) の行末( ゆくへ ) を聞( きか ) ん事の喜( うれ ) しさに、人目( ひとめ ) も憚( はばから ) ず、簾( みす ) より外( ほか ) に出迎( いでむか ) ひ、「いかにや弁殿( どの ) は、何比( いつごろ ) に御上( おんのぼり ) 可有との御返事( おんへんじ ) ぞ。」と問( とひ ) 給へば、助光はら/\と泪( なみだ ) をこぼして、「はや斬( きら ) れさせ給( たまひ ) て候。是( これ ) こそ今はのきはの御返事( おんへんじ ) にて候へ。」とて、鬢( びん ) の髪( かみ ) と消息( せうそく ) とを差( さし ) あげて声も惜( をし ) まず泣( なき ) ければ、北方( きたのかた ) は形見( かたみ ) の文( ふみ ) と白骨( はつこつ ) を見給( たまひ ) て、内へも入給( いりたまは ) ず、縁( えん ) に倒伏( たふれふ ) し、消入給( きえいりたまひ ) ぬと驚く程に見へ給ふ。理( ことわり ) なる哉( かな ) 、一樹( いちじゆ ) の陰( かげ ) に宿( やど ) り一河( いちが ) の流( ながれ ) を汲む程も、知( しら ) れず知らぬ人にだに、別れとなれば名残( なごり ) を惜( をしむ ) 習( ならひ ) なるに、況( いはん ) や連理( れんり ) の契( ちぎり ) 不浅して、十年余( ととせあま ) りに成( なり ) ぬるに夢より外( ほか ) は又も相( あひ ) 見ぬ、此世( このよ ) の外( ほか ) の別( わかれ ) と聞( きい ) て、絶( たえ ) 入り悲( かなし ) み玉ふぞ理( ことわ ) りなる。四十九日と申( まうす ) に形( かた ) の如( ごとく ) の仏事( ぶつじ ) 営( いとなみ ) て、北( きた ) の方( かた ) 様( さま ) をかへ、こき墨染( すみぞめ ) に身をやつし、柴の扉( とぼそ ) の明( あけ ) くれは、亡夫( ばうふ ) の菩提( ぼだい ) をぞ訪( とぶら ) ひ玉( たまひ ) ける。助光も髻( もとどり ) 切( きり ) て、永く高野山( かうやさん ) に閉篭( とぢこもつ ) て、偏( ひとへ ) に亡君( ばうくん ) の後生菩提( ごしやうぼだい ) をぞ訪奉( とぶらひたてまつり ) ける。夫婦の契( ちぎり ) 、君臣の儀、無跡( なきあと ) 迄も留( とどまり ) て哀( あはれ ) なりし事共( ども ) 也。
○天下( てんか ) 怪異( けいの ) 事( こと ) 嘉暦( かりやく ) 二年の春の比( ころ ) 南都大乗院( だいじようゐん ) 禅師房( ぜんじばう ) と六方( ろくばう ) の大衆( だいしゆ ) と、確執( かくしつ ) の事有( あつ ) て合戦( かつせん ) に及ぶ。金堂( こんだう ) 、講堂( かうだう ) 、南円( なんゑん ) 堂( だう ) 、西金( さいこん ) 堂( だう ) 、忽( たちまち ) に兵火( ひやうくわ ) の余煙( よえん ) に焼失( せうしつ ) す。又元弘( げんこう ) 元年、山門東塔( さんもんとうだふ ) の北谷( きたたに ) より兵火出来( いでき ) て、四王院( しわうゐん ) 、延命( えんめい ) 院( ゐん ) 、大講堂( だいかうだう ) 、法華( ほつけ ) 堂、常行( じやうぎやう ) 堂( だう ) 、一時( じ ) に灰燼( くわいじん ) と成( なり ) ぬ。是等( これら ) をこそ、天下の災難( さいなん ) を兼( かね ) て知( しら ) する処の前相( ぜんさう ) かと人皆魂( たましひ ) を冷( ひや ) しけるに、同( おなじき ) 年の七月三日大地震( ぢしん ) 有( あつ ) て、紀伊( きの ) 国( くに ) 千里浜( せんりばま ) の遠干潟( とほひがた ) 、俄に陸地( りくち ) になる事二十余町也。又同( おなじき ) 七日の酉( とり ) の刻( こく ) に地震有( あつ ) て、富士の絶頂( ぜつちやう ) 崩( くづ ) るゝ事数( す ) 百丈( ひやくぢやう ) 也と。卜部( うらべ ) の宿祢( すくね ) 、大亀( だいき ) を焼( やい ) て占( うらな ) ひ、陰陽( おんやう ) の博士( はかせ ) 、占文( せんもん ) を啓( ひらい ) て見( みる ) に、「国王位( くらゐ ) を易( かへ ) 、大臣遭災。」とあり。「勘文( かんぶん ) の表( おもて ) 不穏、尤( もつとも ) 御慎( おんつつしみ ) 可有。」と密奏( みつそう ) す。寺々( てらでら ) の火災所々( しよしよ ) の地震只事( ただごと ) に非ず。今や不思義出来( いでくる ) と人々心を驚( おどろか ) しける処に、果して其年( そのとし ) の八月二十二日、東使( とうし ) 両人三千余騎にて上洛( しやうらく ) すと聞へしかば、何事( なにこと ) とは知( しら ) ず京( みやこ ) に又何( いか ) なる事や有( あら ) んずらんと、近国( きんごく ) の軍勢( ぐんぜい ) 我( われ ) も我( われ ) もと馳集( はせあつま ) る。京中( きやうぢゆう ) 何( なに ) となく、以外( もつてのほか ) に騒動( さうどう ) す。両使( りやうし ) 已( すで ) に京着( きやうちやく ) して未( いまだ ) 文箱( ふばこ ) をも開( ひらか ) ぬ先( さき ) に、何( なに ) とかして聞へけん。「今度( このたび ) 東使( とうし ) の上洛( しやうらく ) は主上( しゆしやう ) を遠国( をんごく ) へ遷進( うつしまゐら ) せ、大塔宮( おほたふのみや ) を死罪( しざい ) に行奉( おこなひたてまつら ) ん為也。」と、山門に披露( ひろう ) 有( あり ) ければ、八月二十四日の夜( よ ) に入( いつ ) て、大塔宮( おほたふのみや ) より潛( ひそか ) に御使( おんつかひ ) を以て主上へ申させ玉ひけるは、「今度( こんど ) 東使上洛の事内々承( うけたまはり ) 候へば、皇居( くわうきよ ) を遠国( をんごく ) へ遷( うつし ) 奉り、尊雲( そんうん ) を死罪に行( おこなは ) ん為にて候なる。今夜( こんや ) 急( いそ ) ぎ南都( なんと ) の方( かた ) へ御忍( おんしの ) び候べし。城郭未調( いまだととのはず ) 、官軍( くわんぐん ) 馳参( はせさん ) ぜざる先( さき ) に、凶徒( きようと ) 若( もし ) 皇居( くわうきよ ) に寄来( よせきたら ) ば、御方( みかた ) 防戦( ふせぎたたかふ ) に利( り ) を失( うしな ) ひ候はんか。且( かつう ) は京都の敵( てき ) を遮( さへぎ ) り止( とめ ) んが為、又は衆徒( しゆと ) の心を見んが為に、近臣( きんしん ) を一人、天子の号( がう ) を許( ゆるさ ) れて山門へ被上せ、臨幸( りんかう ) の由を披露( ひろう ) 候はゞ、敵軍( てきぐん ) 定( さだめ ) て叡山( えいさん ) に向( むかつ ) て合戦( かつせん ) を致し候はん歟( か ) 。去程( さるほど ) ならば衆徒( しゆと ) 吾山( わがやま ) を思故( おもふゆゑ ) に、防戦( ふせぎたたかふ ) に身命( しんみやう ) を軽( かろん ) じ候べし。凶徒( きようと ) 力( ちから ) 疲( つか ) れ合戦数日( すじつ ) に及ばゞ、伊賀・伊勢・大和( やまと ) ・河内( かはち ) の官軍( くわんぐん ) を以て却( かへつ ) て京都を被攻んに、凶徒の誅戮( ちゆうりく ) 踵( くびす ) を回( めぐら ) すべからず。国家の安危( あんき ) 只( ただ ) 此( この ) 一挙( きよ ) に可有候也。」と被申たりける間、主上( しゆしやう ) 只( ただ ) あきれさせ玉へる計( ばかり ) にて何( なに ) の御沙汰( ごさた ) にも及( および ) 玉はず。尹( ゐんの ) 大納言( だいなごん ) 師賢( もろかた ) ・万里小路( までのこうぢ ) 中納言藤房( ふぢふさ ) ・同( おなじき ) 舎弟( しやてい ) 季房( すゑふさ ) 三四人( さんしにん ) 上臥( うへふし ) したるを御前( おんまへ ) に召( めさ ) れて、「此( この ) 事( こと ) 如何( いかん ) 可有。」と被仰出ければ、藤房( ふぢふさの ) 卿( きやう ) 進( すすん ) で被申けるは、「逆臣( ぎやくしん ) 君を犯( をか ) し奉らんとする時、暫( しばらく ) 其難( そのなん ) を避( さけ ) て還( かへつ ) て国家を保( たもつ ) は、前蹤( ぜんじよう ) 皆佳例( かれい ) にて候。所謂( いはゆる ) 重耳( ちようじ ) は■( てき ) に奔( はし ) り、大王( だいわう ) ■( ひん ) に行く。共に王業( わうげふ ) をなして子孫無窮( しそんぶきゆう ) に光( ひかり ) を栄( かかやか ) し候き。兔角( とかく ) の御思案( ごしあん ) に及( および ) 候はゞ、夜( よ ) も深候( ふけさふらひ ) なん。早( はや ) 御忍( おんしのび ) 候へ。」とて、御車( おんくるま ) を差寄( さしよせ ) 、三種( さんじゆ ) の神器( じんぎ ) を乗( のせ ) 奉り、下簾( したすだれ ) より出絹( だしぎぬを ) 出( いだ ) して女房車( にようばうぐるま ) の体( てい ) に見せ、主上を扶乗進( たすけのせまゐらせ ) て、陽明門( やうめいもん ) より成( なし ) 奉る。御門( ごもん ) 守護( しゆご ) の武士共( ぶしども ) 御車( おんくるま ) を押( おさ ) へて、「誰にて御渡( おんわた ) り候ぞ。」と問申( とひまうし ) ければ、藤房( ふぢふさ ) ・季房( すゑふさ ) 二人( ににん ) 御車( おんくるま ) に随( したがつ ) て供奉( ぐぶ ) したりけるが、「是( これ ) は中宮( ちゆうぐう ) の夜( よ ) に紛( まぎれ ) て北山殿( きたやまどの ) へ行啓( ぎやうけい ) ならせ給ふぞ。」と宣( のたまひ ) たりければ、「さては子細( しさい ) 候はじ。」とて御車( おんくるま ) をぞ通( とほ ) しける。兼( かね ) て用意( ようい ) やしたりけん、源( げん ) 中納言( ちゆうなごん ) 具行( ともゆき ) ・按察( あぜち ) 大納言公敏( きんとし ) ・六条( ろくでうの ) 少将忠顕( ただあき ) 、三条河原( さんでうがはら ) にて追付( おつつき ) 奉る。此( ここ ) より御車( おんくるま ) をば被止、怪( あやし ) げなる張輿( はりごし ) に召替( めしかへ ) させ進( まゐら ) せたれども、俄( にはか ) の事にて駕輿丁( かよちやう ) も無( なか ) りければ、大膳大夫( だいぜんのだいぶ ) 重康( しげやす ) ・楽人( がくにん ) 豊原兼秋( とよはらのかねあき ) ・随身( ずゐじん ) 秦久武( はだのひさたけ ) なんどぞ御輿( おんこし ) をば舁( かき ) 奉りける。供奉の諸卿( しよきやう ) 皆衣冠( いくわん ) を解( ぬい ) で折烏帽子( をりゑぼし ) に直垂( ひたたれ ) を着( ちやく ) し、七大寺詣( まうで ) する京家( きやうけ ) の青侍( あをさぶらひ ) なんどの、女性( によしやう ) を具足( ぐそく ) したる体( てい ) に見せて、御輿( おんこし ) の前後( ぜんご ) にぞ供奉したりける。古津( こづの ) 石地蔵( いしぢざう ) を過( すぎ ) させ玉ひける時、夜( よ ) は早( はや ) 若々( ほのぼの ) と明( あけ ) にけり。此( ここ ) にて朝餉( あさがれひ ) の供御( ぐご ) を進め申( まうし ) て、先づ南都( なんと ) の東南院( とうなんゐん ) へ入( いら ) せ玉ふ。彼僧正( かのそうじやう ) 元( もと ) より弐( ふたごこ ) ろなき忠義を存( そん ) ぜしかば、先づ臨幸( りんかう ) なりたるをば披露( ひろう ) せで衆徒( しゆと ) の心を伺聞( うかがひきく ) に、西室( にしむろの ) 顕実( けんじつ ) 僧正は関東( くわんとう ) の一族にて、権勢( けんせい ) の門主( もんじゆ ) たる間、皆其( その ) 威にや恐れたりけん、与力( よりき ) する衆徒( しゆと ) も無( なか ) りけり。かくては南都の皇居( くわうきよ ) 叶( かなふ ) まじとて、翌日( よくじつ ) 二十六日、和束( わつか ) の鷲峯山( じゆぶうせん ) へ入( いら ) せ玉ふ。此( ここ ) は又余( あま ) りに山深く里( さと ) 遠( とほう ) して、何事( なにこと ) の計畧も叶( かなふ ) まじき処なれば、要害( えうがい ) に御陣( ごぢん ) を召( めさ ) るべしとて、同( おなじき ) 二十七日潛幸( せんかう ) の儀式を引( ひき ) つくろひ、南都の衆徒( しゆと ) 少々( せうせう ) 召具( めしぐ ) せられて、笠置( かさぎ ) の石室( いはや ) へ臨幸( りんかう ) なる。
○師賢( もろかた ) 登山( とうさんの ) 事( こと ) 付唐崎浜( からさきはま ) 合戦( かつせんの ) 事( こと ) 尹( ゐんの ) 大納言師賢( もろかたの ) 卿( きやう ) は、主上の内裏( だいり ) を御出有( ぎよしゆつあり ) し夜( よ ) 、三条河原( さんでうがはら ) 迄被供奉たりしを、大塔宮( おほたふのみや ) より様々( さまざま ) 被仰つる子細( しさい ) あれば、臨幸( りんかうの ) 由( よし ) にて山門へ登り、衆徒( しゆと ) の心をも伺ひ、又勢( せい ) をも付( つけ ) て合戦を致せと被仰ければ、師賢( もろかた ) 法勝寺( ほつしやうじ ) の前より、袞竜( こんりよう ) の御衣( ぎよい ) を着( ちやくし ) て、腰輿( えうよ ) に乗替( のりかへ ) て山門の西塔院( さいたふゐん ) へ登( のぼり ) 玉ふ。四条( しでうの ) 中納言隆資( たかすけ ) ・二条( にでうの ) 中将( ちゆうじやう ) 為明( ためあきら ) ・中院( なかのゐんの ) 左中将( さちゆうじやう ) 貞平( さだひら ) 、皆衣冠( いくわん ) 正( ただしう ) して、供奉( ぐぶ ) の体( てい ) に相順( あひしたが ) ふ。事の儀式誠敷( まことしく ) ぞ見へたりける。西塔( さいたふ ) の釈迦堂( しやかだう ) を皇居( くわうきよ ) と被成、主上山門を御憑( おんたのみ ) 有( あつ ) て臨幸( りんかう ) 成( なり ) たる由( よし ) 披露( ひろう ) 有( あり ) ければ、山上( さんじやう ) ・坂本は申( まうす ) に及ばず、大津( おほつ ) ・松本( まつもと ) ・戸津( とづ ) ・比叡辻( ひえつじ ) ・仰木( あふぎ ) ・絹河( きぬがは ) ・和仁( わに ) ・堅田( かただ ) の者迄も、我前( われさき ) にと馳参( はせまゐる ) 。其勢( そのせい ) 東西両塔( とうざいりやうたふ ) に充満して、雲霞( うんか ) の如( ごとく ) にぞ見へたりける。懸( かか ) りけれども、六波羅( ろくはら ) には未( いまだ ) 曾( かつて ) 是( これ ) を知らず。夜( よ ) 明( あけ ) ければ東使両人( とうしりやうにん ) 内裏( だいり ) へ参( さんじ ) て、先づ行幸( ぎやうがう ) を六波羅( ろくはら ) へ成奉( なしたてまつら ) んとて打立( うちたち ) ける処に、浄林房( じやうりんばうの ) 阿闍梨( あじやり ) 豪誉( がうよ ) が許( もと ) より、六波羅( ろくはら ) へ使者( ししや ) を立( た ) て、「今夜( こんや ) の寅( とら ) の刻( こく ) に、主上山門を御憑( おんたのみ ) 有( あつ ) て臨幸成りたる間、三千の衆徒( しゆと ) 悉( ことごと ) く馳( はせ ) 参り候。近江( あふみ ) ・越前( ゑちぜん ) の御勢( おんせい ) を待( まち ) て、明日( みやうにち ) は六波羅( ろくはら ) へ被寄べき由評定( ひやうじやう ) あり。事の大( おほき ) に成り候はぬ先( さき ) に、急ぎ東坂本( ひがしさかもと ) へ御勢( おんせい ) を被向候へ。豪誉後攻仕( ごづめつかまつり ) て、主上をば取( とり ) 奉るべし。」とぞ申( まうし ) たりける。両六波羅( りやうろくはら ) 大( おほき ) に驚( おどろい ) て先( まづ ) 内裡( だいり ) へ参( さんじ ) て見奉るに、主上は御坐無( ござなく ) て、只局町( つぼねまちの ) 女房達( にようばうたち ) 此彼( ここかしこ ) にさしつどひて、鳴( なく ) 声のみぞしたりける。「さては山門へ落( おち ) させ玉( たまひ ) たる事子細( しさい ) なし。勢( せい ) つかぬ前( さき ) に山門を攻( せめ ) よ。」とて、四十八箇所( しじふはつかしよ ) の篝( かがり ) に畿内( きない ) 五箇国( ごかこく ) の勢( せい ) を差添( さしそへ ) て、五千余騎追手( おふて ) の寄手( よせて ) として、赤山( せきさん ) の麓( ふもと ) 、下松( さがりまつ ) の辺( へん ) へ指向( さしむけ ) らる。搦手( からめて ) へは佐々木( ささきの ) 三郎判官( はんぐわん ) 時信( ときのぶ ) ・海東左近将監( かいとうさこんのしやうげん ) ・長井丹後( たんごの ) 守( かみ ) 宗衡( むねひら ) ・筑後( ちくごの ) 前司( ぜんじ ) 貞知( さだとも ) ・波多野( はだの ) 上野前司( かうづけのぜんじ ) 宣道( のぶみち ) ・常陸前司( ひたちのぜんじ ) 時朝( ときとも ) に、美濃( みの ) ・尾張( をはり ) ・丹波( たんば ) ・但馬( たじま ) の勢( せい ) をさしそへて七千余騎、大津、松本を経( へ ) て、唐崎( からさき ) の松の辺( へん ) まで寄懸( よせかけ ) たり。坂本には兼( かね ) てより相図( あひづ ) を指( さし ) たる事なれば、妙法院( めうほふゐん ) ・大塔宮( おほたふのみや ) 両門主( もんじゆ ) 、宵( よひ ) より八王子( はちわうじ ) へ御上( おんあがり ) あ{つ}て、御旗( おんはた ) を被揚たるに、御門徒( ごもんと ) の護正院( ごしやうゐん ) の僧都( そうづ ) 祐全( いうぜん ) ・妙光坊( めうくわうばう ) の阿闍梨( あじやり ) 玄尊( げんそん ) を始( はじめ ) として、三百騎五百騎此彼( ここかしこ ) より馳( はせ ) 参りける程に、一夜( いちや ) の間( あひだ ) に御勢( おんせい ) 六千余騎に成( なり ) にけり。天台座主( てんだいのざす ) を始( はじめ ) て解脱同相( げだつどうさう ) の御衣( おんころも ) を脱給( ぬぎたまひ ) て、堅甲利兵( けんかふりへい ) の御貌( おんかたち ) に替( かは ) る。垂跡和光( すゐじやくわくわう ) の砌( みぎ ) り忽( たちまち ) に変( へんじ ) て、勇士守禦( しゆぎよ ) の場( ば ) と成( なり ) ぬれば、神慮( しんりよ ) も何( いか ) が有( あ ) らんと計( はか ) り難( かたく ) ぞ覚( おぼえ ) たる。去程( さるほど ) に、六波羅( ろくはら ) 勢( ぜい ) 已( すで ) に戸津( とづ ) の宿辺( しゆくのへん ) まで寄( よせ ) たりと坂本の内( うち ) 騒動( さうだう ) しければ、南岸( なんがんの ) 円宗院( ゑんしゆうゐん ) ・中坊( なかのばうの ) 勝行房( しようぎやうばう ) ・早雄( はやりを ) の同宿共( どうしゆくども ) 、取( とる ) 物も取( とり ) あへず唐崎( からさき ) の浜へ出合( いであひ ) げる。其( その ) 勢皆かち立( だち ) にて而( しか ) も三百人には過( すぎ ) ざりけり。海東( かいとう ) 是( これ ) を見て、「敵( てき ) は小勢也( こぜいなり ) けるぞ、後陣( ごぢん ) の勢( せい ) の重( かさ ) ならぬ前( さき ) に懸散( かけちら ) さでは叶( かなふ ) まじ。つゞけや者共( ものども ) 。」と云侭( いふまま ) に、三尺四寸の太刀( たち ) を抜( ぬい ) て、鎧( よろひ ) の射向( いむけ ) の袖をさしかざし、敵のうず巻( まい ) て扣( ひか ) へたる真中( まんなか ) へ懸入( かけいり ) 、敵三人( さんにん ) 切( きり ) ふせ、波打際( なみうちぎは ) に扣( ひか ) へて続( つづ ) く御方( みかた ) をぞ待( まち ) たりける。岡本房( をかもとばう ) の幡磨( はりまの ) 竪者( りつしや ) 快実( くわいじつ ) 遥( はるか ) に是( これ ) を見て、前( まへ ) につき双( ならべ ) たる持楯( もちだて ) 一帖( でふ ) 岸破( かつぱ ) と蹈倒( ふみたふ ) し、に尺八寸の小長刀( こなぎなた ) 水車( みづぐるま ) に回( まは ) して躍( をど ) り懸( かか ) る。海東( かいとう ) 是( これ ) を弓手( ゆんで ) にうけ、胄( かぶと ) の鉢( はち ) を真二( まつぷたつ ) に打破( うちわら ) んと、隻手打( かたてうち ) に打( うち ) けるが、打外( うちはづ ) して、袖の冠板( かふりいた ) より菱縫( ひしぬひ ) の板まで、片筋( かたすぢ ) かいに懸( かけ ) ず切( きつ ) て落( おと ) す。二( に ) の太刀( たち ) を余( あま ) りに強く切( きら ) んとて弓手( ゆんで ) の鐙( あぶみ ) を踏( ふみ ) をり、已( すで ) に馬より落( おち ) んとしけるが、乗直( のりなほ ) りける処を、快実( くわいじつ ) 長刀( なぎなた ) の柄( え ) を取延( とりのべ ) 、内甲( うちかぶと ) へ鋒( きつさ ) き上( あがり ) に、二( ふた ) つ三( み ) つすき間( ま ) もなく入( いれ ) たりけるに、海東あやまたず喉( のど ) ぶゑを突( つか ) れて馬より真倒( まつさかさま ) に落( おち ) にけり。快実軈( やが ) て海東が上巻( あげまき ) に乗懸( のりかか ) り、鬢( びん ) の髪( かみ ) を掴( つかん ) で引懸( ひきかけ ) て、頚かき切( きつ ) て長刀に貫( つらぬ ) き、武家の太将一人討取( うちと ) りたり、物始( ものはじめ ) よし、と悦( こころう ) で、あざ笑( わらう ) てぞ立( たつ ) たりける。爰( ここ ) に何者とは知( しら ) ず見物衆( けんぶつしゆ ) の中( なか ) より、年十五六計( ばかり ) なる小児( こちご ) の髪( かみ ) 唐輪( からわ ) に上( あげ ) たるが、麹塵( きぢん ) の筒丸( どうまろ ) に、大口( おほくち ) のそば高く取り、金作( こがねづくり ) の小太刀( こだち ) を抜( ぬい ) て快実に走懸( はしりかか ) り、甲( かぶと ) の鉢をしたゝかに三打四打( みうちようち ) ぞ打( うち ) たりける。快実屹( きつ ) と振帰( ふりかへつ ) て是( これ ) を見るに、齢( よはひ ) 二八計( じはちばかり ) なる小児( こちご ) の、大眉( おほまゆ ) に鉄漿黒( かねくろ ) 也。是程( これほど ) の小児( こちご ) を討留( うちとめ ) たらんは、法師( ほつし ) の身に取( とつ ) ては情無( なさけな ) し。打( う ) たじとすれば、走懸( はしりかかり ) 々々( はしりかかり ) 手繁( てしげ ) く切回( きりまは ) りける間、よし/\さらば長刀( なぎなた ) の柄( え ) にて太刀を打落( うちおとし ) て、組止( くみとど ) めんとしける処を、比叡辻( へいつぢ ) の者共( ものども ) が田( た ) の畔( くろ ) に立渡( たちわたつ ) て射ける横矢( よこや ) に、此児( このちご ) 胸板( むないた ) をつと被射抜て、矢庭( やには ) に伏( ふし ) て死( し ) にけり。後( のち ) に誰( たれ ) ぞと尋( たづぬ ) れば、海東が嫡子( ちやくし ) 幸若丸( かうわかまろ ) と云( いひ ) ける小児、父が留置( とどめおき ) けるに依( よつ ) て軍( いくさ ) の伴( とも ) をばせざりけるが、猶も覚束( おぼつか ) なくや思( おもひ ) けん、見物衆( けんぶつしゆ ) に紛( まぎれ ) て跡に付( つい ) て来( きたり ) ける也。幸若稚( をさな ) しと云へ共( ども ) 武士( ぶし ) の家に生( うまれ ) たる故( ゆゑ ) にや、父が討( うた ) れけるを見て、同( おなじ ) く戦場( せんぢやう ) に打死( うちじに ) して名を残( のこし ) けるこそ哀( あはれ ) なれ。海東が郎等( らうとう ) 是( これ ) を見て、「二人( ににん ) の主( しゆう ) を目の前( まへ ) に討( うた ) せ、剰( あまつさ ) へ頚を敵( てき ) に取( とら ) せて、生( いき ) て帰る者や可有。」とて、三十六騎の者共( ものども ) 轡( くつばみ ) を双( ならべ ) て懸入( かけいり ) 、主( しゆう ) の死骸( しがい ) を枕にして討死( うちじに ) せんと相争( あひあらそ ) ふ。快実是( これ ) を見てから/\と打笑( うちわらう ) て、「心得( こころえ ) ぬ物( もの ) 哉( かな ) 。御辺達( ごへんたち ) は敵( てき ) の首( くび ) をこそ取らんずるに、御方( みかた ) の首( くび ) をほしがるは武家( ぶけ ) 自滅( じめつ ) の瑞相( ずゐさう ) 顕( あらは ) れたり。ほしからば、すは取らせん。」と云侭( いふまま ) に、持( もち ) たる海東が首( くび ) を敵( てき ) の中( なか ) へがはと投懸( なげかけ ) 、坂本様( さかもとやう ) の拝( をが ) み切( きり ) 、八方を払( はらう ) て火を散( ちら ) す。三十六騎の者共( ものども ) 、快実一人に被切立て、馬の足をぞ立( たて ) かねたる。佐々木( ささきの ) 三郎判官時信後( うしろ ) に引( ひか ) へて、「御方( みかた ) 討( うた ) すな、つゞけや。」と下知( げぢ ) しければ、伊庭( いば ) ・目賀多( めかだ ) ・木村・馬淵( まぶち ) 、三百余騎呼( をめい ) て懸( かか ) る。快実既( すで ) に討( うた ) れぬと見へける処に、桂林房( けいりんばう ) の悪讚岐( あくさぬき ) ・中房( なかのばう ) の小相摸( こさがみ ) ・勝行房( しようぎやうばう ) の侍従( じじゆう ) 竪者( りつしや ) 定快( ぢやうくわい ) ・金蓮房( こんれんばう ) の伯耆( はうき ) 直源( ぢきげん ) 、四人左右より渡合( わたりあう ) て、鋒( きつさき ) を指合( さしあはせ ) て切( きつ ) て回( まは ) る。讚岐と直源と同じ処にて打( うた ) れにければ、後陣( ごぢん ) の衆徒( しゆと ) 五十( ごじふ ) 余人( よにん ) 連( つれ ) て又討( うつ ) て懸( かか ) る。唐崎( からさき ) の浜と申( まうす ) は東は湖( みづうみ ) にて、其汀( そのみぎは ) 崩( くづれ ) たり。西は深田( ふけた ) にて馬の足も立( たた ) ず、平沙( へいさ ) 渺々( べうべう ) として道せばし。後( うしろ ) へ取( とり ) まはさんとするも叶( かなは ) ず、中( なか ) に取篭( とりこめ ) んとするも叶ず。されば衆徒( しゆと ) も寄手( よせて ) も互に面( おもて ) に立( たつ ) たる者計( ばかり ) 戦( たたかう ) て、後陣の勢( せい ) はいたづらに見物( けんぶつ ) してぞ磬( ひか ) へたる。已( すで ) に唐崎( からさき ) に軍( いくさ ) 始( はじま ) りたりと聞へければ、御門徒( ごもんと ) の勢( せい ) 三千余騎、白井( しろゐ ) の前( まへ ) を今路( いまみち ) へ向ふ。本院( ほんゐん ) の衆徒( しゆと ) 七千余人( よにん ) 、三宮( さんのみや ) 林( はやし ) を下降( おりくだ ) る。和仁( わに ) ・堅田( かただ ) の者共( ものども ) は、小舟( こぶね ) 三百余艘( よさう ) に取乗( とりのつ ) て、敵( てき ) の後( うしろ ) を遮( さへぎら ) んと、大津をさして漕回( こぎまは ) す。六波羅勢( ろくはらぜい ) 是( これ ) を見て、叶はじとや思( おもひ ) けん、志賀の炎魔堂( えんまだう ) の前( まへ ) を横切( よこきり ) に、今路に懸( かかつ ) て引帰( ひきかへ ) す。衆徒( しゆと ) は案内者( あんないしや ) なれば、此彼( ここかしこ ) の逼々( つまりつまり ) に落合( おちあう ) て散々( さんざん ) に射る。武士( ぶし ) は皆無案内( ぶあんない ) なれば、堀峪( ほりがけ ) とも云( いは ) ず馬を馳倒( はせたふ ) して引( ひき ) かねける間( あひだ ) 、後陣( ごじん ) に引( ひき ) ける海東( かいとう ) が若党( わかたう ) 八騎・波多野( はたの ) が郎等( らうとう ) 十三騎・真野( まのの ) 入道父子( ふし ) 二人( ににん ) ・平井( ひらゐ ) 九郎主従( しゆうじゆう ) 二騎谷底( たにそこ ) にして討( うた ) れにけり。佐々木( ささきの ) 判官も馬を射させて乗( のり ) がへを待程( まつほど ) に、大敵( たいてき ) 左右( さいう ) より取巻( とりまい ) て既( すで ) に討( うた ) れぬとみへけるを、名を惜( をし ) み命( いのち ) を軽( かろ ) んずる若党共( わかたうども ) 、帰合( かへしあはせ ) 々々所々( しよしよ ) にて討死( うちじに ) しける其間( そのあひだ ) に、万死( ばんし ) を出( いで ) て一生( いつしやう ) に合( あ ) ひ、白昼( はくちう ) に京( きやう ) へ引帰( ひきかへ ) す。此比( このころ ) 迄は天下久( ひさしく ) 静( しづか ) にして、軍( いくさ ) と云( いふ ) 事( こと ) は敢( あへ ) て耳にも触( ふれ ) ざりしに、俄( にわか ) なる不思議出来( いでき ) ぬれば、人皆あはて騒( さわい ) で、天地( てんち ) も只今打返( うちかへ ) す様( やう ) に、沙汰せぬ処も無( なか ) りけり。
○持明院殿( ぢみやうゐんどの ) 御幸六波羅( ろくはらにごかうの ) 事( こと ) 世上( せじやう ) 乱( みだれ ) たる時節( をりふし ) なれば、野心( やしん ) の者共( ものども ) の取進( とりまゐら ) する事もやとて、昨日( きのふ ) 二十七日の巳刻( みのこく ) に、持明院本院( ぢみやうゐんほんゐん ) ・春宮( とうぐう ) 両御所( りやうごしよ ) 、六条( ろくでう ) 殿( どの ) より、六波羅( ろくはら ) の北方( きたのかた ) へ御幸( ごかう ) なる。供奉( ぐぶ ) の人人には、今出川( いまでがはの ) 前右大臣( さきのうだいじん ) 兼季公( かねすゑこう ) ・三条( さんでうの ) 大納言通顕( みちあき ) ・西園寺( さいをんじの ) 大納言公宗( きんむね ) ・日野( ひのの ) 前( さきの ) 中納言資名( すけな ) ・防城( ばうじやうの ) 宰相( さいしやう ) 経顕( つねあき ) ・日野( ひのの ) 宰相資明( すけあきら ) 、皆衣冠( いくわん ) にて御車( おんくるま ) の前後( ぜんご ) に相順( あひしたが ) ふ。其外( そのほか ) の北面( ほくめん ) ・諸司( しよし ) ・格勤( かくご ) は、大略( たいりやく ) 狩衣( かりぎぬ ) の下( した ) に腹巻( はらまき ) を着映( きかかやか ) したるもあり。洛中( らくちゆう ) 須臾( しゆゆ ) に反化( へんくわ ) して、六軍( りくぐん ) 翠花( すゐくわ ) を警固( けいご ) し奉る。見聞耳目( けんもんじぼく ) を驚かせり。
○主上( しゆしやう ) 臨幸( りんかう ) 依非実事山門変儀( へんぎの ) 事( こと ) 付紀信( きしんが ) 事( こと ) 山門の大衆( だいしゆ ) 唐崎の合戦に打勝( うちかつ ) て、事始( ことはじめ ) よしと喜合( よろこびあへ ) る事斜( なのめ ) ならず。爰( ここ ) に西塔( さいたふ ) を皇居( くわうきよ ) に被定る条、本院面目無( めんぼくなき ) に似( にた ) り。寿永( じゆえい ) の古( いにし ) へ、後白川院( ごしらかはのゐん ) 山門を御憑有( おんたのみあり ) し時も、先( まづ ) 横川( よかは ) へ御登山( ごとうざん ) 有( あり ) しか共( ども ) 、軈( やが ) て東塔( とうたふ ) の南谷( みなみたに ) 、円融坊( ゑんゆうばう ) へこそ御移( おんうつり ) 有( あり ) しか。且( かつう ) は先蹤( ぜんじよう ) 也、且( かつう ) は吉例( きちれい ) 也。早く臨幸( りんかう ) を本院へ可成奉と、西塔院( さいたふゐん ) へ触( ふれ ) 送る。西塔( さいたふ ) の衆徒( しゆと ) 理( り ) にをれて、仙蹕( せんびつ ) を促( うながさ ) ん為に皇居( くわうきよ ) に参列( さんれつ ) す。折節( をりふし ) 深山( みやま ) をろし烈( はげしう ) して、御簾( ぎよれん ) を吹上( ふきあげ ) たるより、竜顔( りようがん ) を拝( はい ) し奉( たてまつり ) たれば、主上にてはをわしまさず、尹( ゐんの ) 大納言師賢( もろかた ) の、天子( てんし ) の袞衣( こんえ ) を着( ちやく ) し給へるにてぞ有( あり ) ける。大衆( だいしゆ ) 是( これ ) を見て、「こは何( いか ) なる天狗( てんぐ ) の所行( しよぎやう ) ぞや。」と興( きよう ) をさます。其後よりは、参る大衆( だいしゆ ) 一人もなし。角( かく ) ては山門何( いか ) なる野心( やしん ) をか存( そん ) ぜんずらんと学( おぼ ) へければ、其夜( そのよ ) の夜半計( やはんばかり ) に、尹( ゐんの ) 大納言師賢( もろかた ) ・四条( しでうの ) 中納言隆資( たかすけ ) ・二条( にでうの ) 中将( ちゆうじやう ) 為明( ためあきら ) 、忍( しのん ) で山門を落( おち ) て笠置( かさぎ ) の石室( いはや ) へ被参る。去程( さるほど ) に上林房阿闍梨( じやうりんばうあじやり ) 豪誉( がうよ ) は、元来( もとより ) 武家へ心を寄( よせ ) しかば、大塔宮( おほたふのみや ) の執事( しつじ ) 、安居院( あぐゐ ) の中納言法印( ほふいん ) 澄俊( ちようしゆん ) を生捕( いけどり ) て六波羅( ろくはら ) へ是( これ ) を出( いだ ) す。護正院僧都( ごしやうゐんそうづ ) 猷全( いうぜん ) は、御門徒( ごもんと ) の中( なか ) の大名( だいみやう ) にて八王子( はちわうじ ) の一の木戸( きど ) を堅( かため ) たりしかば、角( かく ) ては叶( かなは ) じとや思( おもひ ) けん、同宿( どうじゆく ) 手( て ) の者引( ひき ) つれて、六波羅( ろくはら ) へ降参( かうさん ) す。是( これ ) を始( はじめ ) として、独( ひと ) り落( おち ) 二人( ふたり ) 落( おち ) 、々行( おちゆき ) ける間、今は光林房( くわうりんばうの ) 律師( りつし ) 源存( げんそん ) ・妙光房( めうくわうばう ) の小相摸( こさがみ ) ・中坊( なかのばう ) の悪律師( あくりつし ) 、三四人( さんしにん ) より外( ほか ) は落止( おちとどま ) る衆徒( しゆと ) も無( なか ) りけり。妙法院( めうほふゐん ) と大塔宮( おほたふのみや ) とは、其夜( そのよ ) 迄尚( なほ ) 八王子に御坐( ござ ) ありけるが、角( かく ) ては悪( あしか ) りぬべしと、一( ひと ) まども落延( おちのび ) て、君の御行末( おんゆくへ ) をも承( うけたまは ) らばやと思召( おぼしめさ ) れければ、二十九日の夜半計( やはんばかり ) に、八王子に篝火( かがりび ) をあまた所( ところ ) に焼( たい ) て、未( いまだ ) 大勢( おほぜい ) 篭( こもり ) たる由を見せ、戸津浜( とづのはま ) より小舟( をぶね ) に召( めさ ) れ、落止( おちとま ) る所の衆徒( しゆと ) 三百人計( ばかり ) を被召具て、先( まづ ) 石山( いしやま ) へ落( おち ) させ給ふ。此( ここ ) にて両門主( もんじゆ ) 一所( いつしよ ) へ落( おち ) させ給はん事は、計略( けいりやく ) 遠( とほ ) からぬに似たる上( うへ ) 、妙法院( めうほふゐん ) は御行歩( おんぎやうぶ ) もかひ/゛\しからねば、只暫( しばらく ) 此辺( このへん ) に御座( ござ ) 有( ある ) べしとて、石山( いしやま ) より二人( ににん ) 引別( ひきわかれ ) させ給( たまひ ) て、妙法院( めうほふゐん ) は笠置( かさぎ ) へ超( こえ ) させ給へば、大塔宮( おほたふのみや ) は十津河( とつがわ ) の奥へと志( こころざし ) て、先( まづ ) 南都( なんと ) の方( かた ) へぞ落( おち ) させ給( たまひ ) ける。さしもやごとなき一山( いつさん ) の貫首( くわんじゆ ) の位( くらゐ ) を捨( すて ) て、未( いまだ ) 習( ならは ) せ給はぬ万里漂泊( ばんりへうはく ) の旅( たび ) に浮( うか ) れさせ給へば、医王山王( いわうさんわう ) の結縁( けちえん ) も是( これ ) や限りと名残惜( なごりをし ) く、竹園連枝( ちくゑんれんし ) の再会( さいくわい ) も今は何( いつ ) をか可期と、御心細( おんこころぼそく ) 被思召ければ、互に隔( へだ ) たる御影( おんかげ ) の隠るゝまでに顧( かへりみ ) て、泣々( なくなく ) 東西( とうざい ) へ別( わかれ ) させ給ふ、御心( おんこころ ) の中( うち ) こそ悲( かなし ) けれ。抑( そもそも ) 今度( こんど ) 主上( しゆしやう ) 、誠( まこと ) に山門へ臨幸不成に依( よつ ) て、衆徒( しゆと ) の意( こころ ) 忽( たちまち ) に変( へん ) ずること、一旦( いつたん ) 事( こと ) ならずと云へ共( ども ) 、倩( つらつら ) 事( こと ) の様( やう ) を案( あんず ) るに、是( これ ) 叡智( えいち ) の不浅る処に出( いで ) たり。昔強秦( きやうしん ) 亡( ほろび ) て後、楚( そ ) の項羽( かうう ) と漢( かんの ) 高祖( かうそ ) と国を争( あらそふ ) 事( こと ) 八箇年( はちかねん ) 、軍( いくさ ) を挑( いどむ ) 事( こと ) 七十余箇度也。其戦( そのたたかひ ) の度毎( たびごと ) に、項羽( かうう ) 常に勝( かつ ) に乗( のつ ) て、高祖( かうそ ) 甚( はなはだ ) 苦( くるし ) める事多し。或時( あるとき ) 高祖( かうそ ) ■陽城( けいやうじやう ) に篭( こも ) る。項羽( かうう ) 兵( つはもの ) を以て城( じやう ) を囲( かこむ ) 事( こと ) 数百重( すひやくへ ) 也。日を経( へ ) て城中( じやうちゆう ) に粮( かて ) 尽( つき ) て兵( つはもの ) 疲れければ、高祖( かうそ ) 戦( たたかは ) んとするに力なく、遁( のがれ ) んとするに道なし。此( ここ ) に高祖( かうそ ) の臣( しん ) に紀信( きしん ) と云( いひ ) ける兵( つはもの ) 、高祖( かうそ ) に向( むかつ ) て申( まうし ) けるは、「項羽( かうう ) 今城( じやう ) を囲( かこみ ) ぬる事数百重( すひやくへ ) 、漢已( すで ) に食( かて ) 尽( つき ) て士卒( しそつ ) 又疲( つかれ ) たり。若( もし ) 兵( つはもの ) を出( いだ ) して戦はゞ、漢必( かならず ) 楚の為に擒( とりこ ) とならん。只敵( てき ) を欺( あざむい ) て潛( ひそか ) に城( じやう ) を逃出( のがれいで ) んにはしかじ。願( ねがは ) くは臣今漢王( かんわう ) の諱( いみな ) を犯( をか ) して楚の陣に降( かう ) せん。楚此( ここ ) に囲( かこみ ) を解( とい ) て臣を得ば、漢王( かんわう ) 速( すみやか ) に城( じやう ) を出( いで ) て重( かさね ) て大軍( たいぐん ) を起し、却( かへつ ) て楚を亡( ほろぼ ) し給へ。」と申( まうし ) ければ、紀信が忽( たちまち ) に楚に降( くだつ ) て殺( ころさ ) れん事悲しけれ共( ども ) 、高祖( かうそ ) 社稷( しやしよく ) の為に身を軽( かる ) くすべきに非ざれば、力無く涙ををさへ、別( わかれ ) を慕( したひ ) ながら紀信が謀( はかりごと ) に随( したがひ ) 給ふ。紀信大( おほき ) に悦( よろこう ) で、自( みづから ) 漢王の御衣( ぎよい ) を着( ちやく ) し、黄屋( くわうをく ) の車( くるま ) に乗り、左纛( さたう ) をつけて、「高祖( かうその ) 罪( つみ ) を謝( しや ) して、楚の大王( だいわう ) に降( かう ) す。」と呼( よばはり ) て、城( じやう ) の東門( とうもん ) より出( いで ) たりけり。楚の兵( つはもの ) 是( これ ) を聞( きい ) て、四面( しめん ) の囲( かこみ ) を解( とい ) て一所( いつしよ ) に集( あつま ) る。軍勢( ぐんぜい ) 皆万歳( ばんぜい ) を唱( となふ ) 。此間( このあひだ ) に高祖( かうそ ) 三十余騎を従( したが ) へて、城( じやう ) の西門( さいもん ) より出( いで ) て成皐( せいかう ) へぞ落給( おちたまひ ) ける。夜( よ ) 明( あけ ) て後( のち ) 楚( そ ) に降( くだ ) る漢王を見れば、高祖( かうそ ) には非ず。其臣( そのしん ) に紀信( きしん ) と云( いふ ) 者なりけり。項羽( かうう ) 大( おほき ) に忿( いかつ ) て、遂( つひ ) に紀信を指( さし ) 殺す。高祖( かうそ ) 頓( やが ) て成皐の兵( つはもの ) を率( そつ ) して、却( かへつ ) て項羽( かうう ) を攻む。項羽( かうう ) が勢( いきほひ ) 尽( つき ) て後遂に烏江( をうかう ) にして討( うた ) れしかば、高祖( かうそ ) 長く漢の王業( わうげふ ) を起して天下の主( あるじ ) と成( なり ) にけり。今主上( しゆしやう ) も懸( かかり ) し佳例( かれい ) を思召( おぼしめし ) 、師賢( もろかた ) も加様( かやう ) の忠節( ちゆうせつ ) を被存けるにや。彼( かれ ) は敵( てき ) の囲( かこみ ) を解( とか ) せん為に偽( いつは ) り、是( これ ) は敵( てき ) の兵( つはもの ) を遮( さへぎ ) らん為に謀( はか ) れり。和漢( わかん ) 時( とき ) 異( ことな ) れども、君臣( くんしん ) 体( てい ) を合( あはせ ) たる、誠( まこと ) に千載( せんざい ) 一遇( ぐう ) の忠貞( ちゆうてい ) 、頃刻変化( きやうこくへんくわ ) の智謀( ちぼう ) 也。