太平記 (Taiheiki) — 太平記(国民文庫) 太平記巻第二十一 不明 (Anonymous) 1366-1379 Taiheiki 太平記 Anonymous 不明 Kamakura-Muromachi-Azuchi-Momoyama Period 中世 14th century 14世紀 Fiction フィクション Japanese 日本語 Text 本文 1368 たいへいき Taiheiki 太平記 たいへいき Anonymous 不明 ふめい
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太平記 › 太平記(国民文庫) 太平記巻第二十一 Furigana ふりがな Vertical 縦書き
太平記( 国民文庫 ) 太平記巻第二十一○天下( てんが ) 時勢粧( じせいさうの ) 事( こと ) 暦応( りやくおう ) 元年の末に、四夷八蛮( しいはちばん ) 悉( ことごと ) く王化を助( たすけ ) て大軍同時に起( おこ ) りしかば、今はゝや聖運( せいうん ) 啓( ひらけ ) ぬと見へけるに、北畠顕家( あきいへの ) 卿( きやう ) 、新田( につた ) 義貞( よしさだ ) 、共に流矢の為に命( いのち ) を墜( おと ) し、剰( あまつさへ ) 奥州( あうしう ) 下向の諸卒、渡海( とかい ) の難風に放されて行方知( ゆきがたしら ) ずと聞へしかば、世間( よのなか ) さてとや思( おもひ ) けん。結城上野入道が子息大蔵( おほくらの ) 少輔( せう ) も、父が遺言( ゆゐごん ) を背( そむい ) て降人( かうにん ) に出( いで ) ぬ。芳賀( はが ) 兵衛( ひやうゑの ) 入道禅可( ぜんか ) も、主( しう ) の宇都宮( うつのみや ) 入道が子息加賀寿丸( かがじゆまる ) を取篭( とりこめ ) て将軍方( しやうぐんがた ) に属( しよく ) し、主従の礼儀を乱( みだ ) り己( おのれ ) が威勢を恣( ほしいまま ) にす。此( この ) 時新田( につたの ) 氏族( しぞく ) 尚( なほ ) 残( のこつ ) て城々に楯篭( たてこも ) り、竹園( ちくゑん ) の連枝( れんし ) 時を待( まつ ) て国々に御座( ござ ) 有( あり ) といへ共( ども ) 、猛虎( まうこ ) の檻( かん ) に篭り、窮鳥の翅( つばさ ) を削( そが ) れたるが如( ごとく ) に成( なり ) ぬれば、戻眼空( むなし ) く百歩( はくほ ) の威( ゐ ) を闔( おほひ ) 、悲心遠く九霄の雲を望( のぞん ) で、只時々の変有( あら ) ん事を待計( まつばかり ) 也( なり ) 。天下( てんが ) の危( あやふ ) かりし時だにも、世の譏( そしり ) をも不知侈( おごり ) を究め欲を恣( ほしいまま ) にせし大家( たいか ) の氏族、高・上杉の党類( たうるゐ ) なれば、能( のう ) なく芸( げい ) 無くして乱階( らんかい ) 不次の賞に関( あづか ) り、例に非( あら ) ず法に非( あらず ) して警衛判断の識( しよく ) を司( つかさど ) る。初( はじめ ) の程こそ朝敵( てうてき ) の名を憚( はばか ) りて毎事( まいじ ) 天慮を仰ぎ申体( まうすてい ) にて有( あり ) しが、今は天下( てんが ) 只武徳に帰( き ) して、公家( くげ ) 有( あつ ) て何の用にか立( たつ ) べきとて、月卿( げつけい ) 雲客( うんかく ) ・諸司格勤( しよしかくご ) の所領は云( いふ ) に及( およば ) ず、竹園椒房( せうばう ) ・禁裡仙洞( きんりせんとう ) の御領までも武家の人押領( あふりやう ) しける間、曲水重陽( きよくすゐちようやう ) の宴も絶( たえ ) はて、白馬蹈歌( あをむまたふか ) の節会( せちゑ ) も行( おこなは ) れず、如形儀計( ぎばかり ) 也( なり ) 。禁闕( きんけつ ) 仙洞さびかへり、参仕拝趨( さんしはいすう ) の人も無( なか ) りけり。況( いはん ) や朝廷の政( まつりごと ) 、武家の計( はからひ ) に任( まかせ ) て有( あり ) しかば、三家( さんけ ) の台輔( たいふ ) も奉行頭人( ぶぎやうとうにん ) の前に媚( こび ) を成し、五門の曲阜( きよくふ ) も執事( しつじ ) 侍所の辺( へん ) に賄( まひな ) ふ。されば納言( だうげん ) 宰相( さいしやう ) なんど路次( ろし ) に行合( ゆきあひ ) たるを見ても、声を学( まな ) び指を差( さし ) て軽慢( きやうまん ) しける間、公家の人々、いつしか云( いひ ) も習はぬ坂東声( ばんどうごゑ ) をつかい、著( き ) もなれぬ折烏帽子に額を顕( あらは ) して、武家の人に紛( まぎれ ) んとしけれ共( ども ) 、立振舞( たちふるま ) へる体( てい ) さすがになまめいて、額付( ひたひつき ) の跡以外( もつてのほか ) にさがりたれば、公家にも不付、武家にも不似、只都鄙( とひ ) に歩( あゆみ ) を失( うしなひ ) し人の如し。
○佐渡( さどの ) 判官( はうぐわん ) 入道流刑( るけいの ) 事( こと ) 此比( このころ ) 殊に時を得て、栄耀( えいえう ) 人の目を驚( おどろか ) しける佐々木( ささきの ) 佐渡( さどの ) 判官( はうぐわん ) 入道々誉( だうよ ) が一族( いちぞく ) 若党共( わかたうども ) 、例のばさらに風流を尽( つく ) して、西郊( にしのをか ) 東山の小鷹狩( こたかがり ) して帰りけるが、妙法院( めうほふゐん ) の御前( おんまへ ) を打過( うちすぐ ) るとて、跡にさがりたる下部共( しもべども ) に、南底( なんてい ) の紅葉( もみぢ ) の枝をぞ折( をら ) せける。時節( をりふし ) 門主御簾( みす ) の内よりも、暮( くれ ) なんとする秋の気色( けしき ) を御覧ぜられて、「霜葉( さうえふは ) 紅於二月花なり。」と、風詠閑吟して興ぜさせ給( たまひ ) けるが、色殊なる紅葉( もみぢ ) の下枝を、不得心( ふとくしん ) なる下部共( しもべども ) が引折りけるを御覧ぜられて、「人やある、あれ制せよ。」と仰られける間、坊官( ばうくわん ) 一人庭に立出( いで ) て、「誰なれば御所中の紅葉をばさやうに折( をる ) ぞ。」と制しけれ共( ども ) 、敢て不承引。「結句( けつく ) 御所とは何( なん ) ぞ。かたはらいたの言( こと ) や。」なんど嘲哢( てうろう ) して、弥( いよいよ ) 尚( なほ ) 大なる枝をぞ引折りける。折節( をりふし ) 御門徒の山法師( やまほふし ) 、あまた宿直( とのゐ ) して候( さふらひ ) けるが、「悪( にく ) ひ奴原( やつばら ) が狼籍( らうぜき ) 哉( かな ) 。」とて、持( もつ ) たる紅葉の枝を奪取( うばひとり ) 、散々( さんざん ) に打擲( ちやうちやく ) して門より外( そと ) へ追出( おひいだ ) す。道誉聞之、「何( いか ) なる門主にてもをわせよ、此比( このころ ) 道誉が内の者に向( むかつ ) て、左様の事翔( ふるまは ) ん者は覚( おぼえ ) ぬ物を。」と忿( いかつ ) て、自ら三百( さんびやく ) 余騎( よき ) の勢を率( そつ ) し、妙法院( めうほふゐん ) の御所へ押寄( おしよせ ) て、則( すなはち ) 火をぞ懸( かけ ) たりける。折節( をりふし ) 風烈( はげし ) く吹( ふき ) て、余煙十方に覆( おほひ ) ければ、建仁寺の輪蔵( りんざう ) ・開山堂( かいさんだう ) ・並( ならびに ) 塔頭( たつちゆう ) ・瑞光菴( ずゐくわうあん ) 同時に皆焼上( やけあが ) る。門主は御行法( きやうぼふ ) の最中( さいちゆう ) にて、持仏堂に御座( ござ ) 有( あり ) けるが、御心( おんこころ ) 早く後( うしろ ) の小門より徒跣( かちはだし ) にて光堂( ひかりだう ) の中へ逃入せ給ふ。御弟子( おんでし ) の若宮は、常の御所に御座( ござ ) 有( あり ) けるが、板敷の下へ逃入( にげいら ) せ給ひけるを、道誉が子息源三( げんさん ) 判官走懸( わしりかかつ ) て打擲( ちやうちやく ) し奉る。其外( そのほか ) 出世( しゆつせ ) ・坊官( ばうくわん ) ・児( ちご ) ・侍( さぶらひ ) 法師共、方々へ逃( にげ ) 散りぬ。夜中の事なれば、時の声京白河に響きわたりつゝ、兵火( ひやうくわ ) 四方( しはう ) に吹覆( ふきおほふ ) 。在京の武士共( ぶしども ) 、「こは何事ぞ。」と遽騒( あわてさわい ) で、上下に馳( は ) せ違( ちが ) ふ。事の由を聞定( ききさだめ ) て後( のち ) に馳( はせ ) 帰りける人毎( ひとごと ) に、「あなあさましや、前代未聞( ぜんだいみもん ) の悪行哉( かな ) 。山門の嗷訴( がうそ ) 今に有( あり ) なん。」と、云( いは ) ぬ人こそ無( なか ) りけれ。山門の衆徒此( この ) 事を聞て、「古より今に至( いたる ) まで、喧嘩不慮( ふりよ ) に出来( いでく ) る事多( おほし ) といへ共、未( いまだ ) 門主・貫頂( くわんちやう ) の御所を焼払( やきはら ) ひ、出世・坊官を面縛( めんばく ) する程の事を聞( きか ) ず。早( はやく ) 道誉・秀綱( ひでつな ) を給( たまはり ) て、死罪に可行。」由を公家へ奏聞( そうもん ) し、武家に触れ訴ふ。此( この ) 門主と申( まうす ) も、正( まさし ) き仙院の連枝( れんし ) にて御座( ござ ) あれば、道誉が翔( ふるまひ ) 無念の事に憤( いきどほ ) り思召( おぼしめし ) て、あわれ断罪流刑( だんざいるけい ) にも行( おこなは ) せばやと思召( おぼしめし ) けれ共( ども ) 、公家の御計( おんはからひ ) としては難叶時節( をりふし ) なれば、無力武家へ被仰処に、将軍も左兵衛( さひやうゑの ) 督( かみ ) も、飽( あく ) まで道誉を被贔負ける間、山門は理訴( りそ ) も疲( つかれ ) て、款状( くわじやう ) 徒( いたづら ) に積り、道誉は法禁を軽( かろん ) じて奢侈( しやい ) 弥( いよいよ ) 恣( ほしいまま ) にす。依之( これによつて ) 嗷儀( がうぎ ) の若輩( じやくはい ) 、大宮( おほみや ) ・八王子の神輿( しんよ ) を中堂へ上奉( あげたてまつ ) て、鳳闕( ほうけつ ) へ入れ奉( たてまつら ) んと僉儀( せんぎ ) す。則( すなはち ) 諸院・諸堂の講莚( かうえん ) を打停( うちとど ) め、御願を停廃( ちやうはい ) し、末寺・末社の門戸( もんこ ) を閇( とぢ ) て祭礼を打止( うちとどむ ) 。山門の安否( あんぷ ) 、天下( てんが ) の大事( だいじ ) 、此( この ) 時にありとぞ見へたりける。武家もさすが山門の嗷訴( がうそ ) 難黙止覚( おぼ ) へければ、「道誉が事、死罪一等を減じて遠流( をんる ) に可被処歟( か ) 。」と奏聞しければ、則( すなはち ) 院宣( ゐんぜん ) を成( なさ ) れ山門を宥( なだめ ) らる。前々ならば衆徒の嗷訴は是( これ ) には総( すべ ) て休( やすま ) るまじかりしか共( ども ) 、「時節( をりふし ) にこそよれ、五刑の其一( そのひとつ ) を以て山門に理( り ) を付( つけ ) らるゝ上は、神訴( しんそ ) 眉目( びぼく ) を開くるに似たり。」と、宿老是( これ ) を宥( なだめ ) て、四月十二日に三社の神輿( しんよ ) を御帰座( きざ ) 成し奉( たてまつ ) て、同二十五日道誉・秀綱( ひでつな ) が配所( はいしよ ) の事定( さだまり ) て、上総( かづさの ) 国( くに ) 山辺郡( やまのべこほり ) へ流さる。道誉近江の国分寺迄、若党( わかたう ) 三百( さんびやく ) 余騎( よき ) 、打送( うちおくり ) の為にとて前後に相順ふ。其輩( そのともがら ) 悉( ことごとく ) 猿( さるの ) 皮( かは ) をうつぼにかけ、猿( さるの ) 皮( かは ) の腰当( こしあて ) をして、手毎( てごと ) に鴬篭( うぐひすこ ) を持( もた ) せ、道々に酒肴( さかな ) を設( まうけ ) て宿々に傾城( けいせい ) を弄( もてあそ ) ぶ。事の体( てい ) 尋常( よのつね ) の流人( るにん ) には替( かは ) り、美々敷( びびしく ) ぞ見へたりける。是( これ ) も只公家( くげ ) の成敗( せいばい ) を軽忽( きやうこつ ) し、山門の鬱陶( うつたう ) を嘲弄( てうろう ) したる翔( ふるまひ ) 也( なり ) 。聞( きか ) ずや古より山門の訴訟を負( おひ ) たる人は、十年( じふねん ) を過( すぎ ) ざるに皆其( その ) 身を滅( ほろぼ ) すといひ習( ならは ) せり。治承には新大納言成親( なりちかの ) 卿( きやう ) 、西光・西景( さいけい ) 、康和には後二条( ごにでうの ) 関白、其外( そのほか ) 泛々( はんはん ) の輩( ともがら ) は不可勝計。されば是( これ ) もいかゞ有( あら ) んずらんと、智ある人は眼( め ) を付( つけ ) て怪( あやし ) み見けるが、果して文和三年の六月十三日( じふさんにち ) に、持明院新帝、山名左京( さきやうの ) 大夫( だいぶ ) 時氏に被襲、江州へ臨幸成( なり ) ける時、道誉が嫡子( ちやくし ) 源三( げんさん ) 判官秀綱( ひでつな ) 堅田にて山法師( やまほふし ) に討( うた ) る。其弟( そのおとと ) 四郎左衛門( しらうざゑもん ) は、大和( やまとの ) 内郡( うちのこほり ) にて野伏共( のぶしども ) に殺( ころさ ) れぬ。嫡孫( ちやくそん ) 近江( あふみの ) 判官( はうぐわん ) 秀詮( ひであきら ) ・舎弟次郎左衛門( じらうざゑもん ) 二人( ににん ) は、摂津国( つのくに ) 神崎( かんざき ) の合戦の時、南方の敵に誅( ちゆう ) せられにけり。弓馬の家なれば本意とは申( まうし ) ながら、是等( これら ) は皆医王山王の冥見( みやうけん ) に懸( かけ ) られし故( ゆゑ ) にてぞあるらんと、見聞( けんもん ) の人舌を弾( ふるは ) して、懼( おそ ) れ思はぬ者は無( なか ) りけり。
○法勝寺塔( ほつしようじのたふ ) 炎上( えんしやうの ) 事( こと ) 康永元年三月二十日に、岡崎の在家( ざいけ ) より俄( にはかに ) 失火出来( いできたつ ) て軈( やが ) て焼( やけ ) 静まりけるが、纔( わづか ) なる細■( ほそくづ ) [] 1 一つ遥( はるか ) に十( じふ ) 余町( よちやう ) を飛去( とびさつ ) て、法勝寺の塔の五重( ごぢゆう ) の上に落留( おちとま ) る。暫( しばし ) が程は燈篭の火の如( ごとく ) にて、消( きえ ) もせず燃( もへ ) もせで見へけるが、寺中の僧達( そうたち ) 身を揉( もう ) で周章迷( あわてまよひ ) けれ共( ども ) 、上( のぼる ) べき階( はし ) もなく打消( うちけす ) べき便( たより ) も無( なけ ) れば、只徒( いたづら ) に虚( そら ) をのみ見上( あげ ) て手撥( ひろげ ) てぞ立( たた ) れたりける。さる程( ほど ) に此細■( このほそくづ ) 乾( かわき ) たる桧皮( ひはだ ) に焼付( やけつき ) て、黒煙( けぶり ) 天を焦( こがし ) て焼( や ) け上( あが ) る。猛火( みやうくわ ) 雲を巻( まい ) て翻る色は非想天の上までも上( のぼ ) り、九輪( くりん ) の地に響( ひびい ) て落( おつる ) 声は、金輪際( こんりんざい ) の底迄も聞へやすらんとをびたゝし。魔風( まふう ) 頻( しきり ) に吹( ふい ) て余煙四方( しはう ) に覆( おほひ ) ければ、金堂( こんだう ) ・講堂・阿弥陀堂・鐘楼( しゆろう ) ・経蔵・総社宮( そうしやのみや ) ・八足( やつあし ) の南大門( なんだいもん ) ・八十六間の廻廊( くわいらう ) 、一時の程( ほど ) に焼失して、灰燼( くわいじん ) 忽( たちまち ) 地に満( みて ) り。焼( やけ ) ける最中外( よそ ) より見れば、煙の上に或( あるひ ) は鬼形( きぎやう ) なる者火を諸堂に吹( ふき ) かけ、或( あるひ ) は天狗( てんぐ ) の形なる者松明( たいまつ ) を振上( ふりあげ ) て、塔の重々( ぢゆうぢゆう ) に火を付( つけ ) けるが、金堂( こんだう ) の棟木( むなぎ ) の落( おつ ) るを見て、一同に手を打( うつ ) てどつと笑( わらう ) て愛宕( あたご ) ・大岳( おほだけ ) ・金峯山( きんふせん ) を指( さし ) て去( さる ) と見へて、暫( しばし ) あれば花頂山( くわちやうざん ) の五重( ごぢゆう ) の塔、醍醐寺の七重の塔、同時に焼( やけ ) ける事こそ不思議( ふしぎ ) なれ。院は二条河原( にでうがはら ) まで御幸成( ごかうなつ ) て、法滅( ほふめつ ) の煙に御胸を焦( こが ) され、将軍は西門の前に馬を控( ひかへ ) られて、回禄( くわいろく ) の災( さい ) に世を危( あやぶ ) めり。抑( そもそも ) 此( この ) 寺と申( まうす ) は、四海( しかい ) の泰平を祈( いのつ ) て、殊( ことに ) 百王の安全を得せしめん為に、白河( しらかはの ) 院( ゐん ) 御建立( ごこんりふ ) 有( あり ) し霊地( れいち ) 也( なり ) 。されば堂舎の構( かまへ ) 善( ぜん ) 尽( つく ) し美( び ) 尽( つく ) せり。本尊の錺( かざり ) は、金を鏤( ちりば ) め玉を琢( みが ) く。中にも八角九重( はちかくくぢゆう ) の塔婆( たふば ) は、横竪( よこたて ) 共( とも ) に八十四丈にして、重々( ぢゆうぢゆう ) に金剛九会( こんがうきうゑ ) の曼陀羅( まんだら ) を安置( あんぢ ) せらる。其奇麗崔嵬( そのきれいさいぐわい ) なることは三国無双( ぶさう ) の鴈塔( がんたふ ) 也( なり ) 。此( この ) 塔婆始( はじめ ) て造出( つくりいだ ) されし時、天竺( てんぢく ) の無熱池( むねつち ) ・震旦( しんだん ) の昆明池( こんめいち ) ・我朝( わがてう ) の難波( なんばの ) 浦( うら ) に、其( その ) 影明( あきらか ) に写( うつり ) て見へける事こそ奇特( きどく ) なれ。かゝる霊徳不思議( ふしぎ ) の御願所( ごぐわんしよ ) 、片時( へんし ) に焼滅する事、偏( ひとへ ) に此( この ) 寺計( ばかり ) の荒廃には有( ある ) べからず。只今より後弥( いよいよ ) 天下( てんが ) 不静して、仏法も王法も有( あつ ) て無( なき ) が如( ごとく ) にならん。公家も武家も共に衰微すべき前相を、兼( かね ) て呈( あらは ) す物也( なり ) と、歎( なげか ) ぬ人は無( なか ) りけり。
○先帝崩御( ほうぎよの ) 事( こと ) 南朝の年号延元三年八月九日( ここのか ) より、吉野の主上( しゆしやう ) 御不予( ごふよ ) の御事( おんこと ) 有( あり ) けるが、次第に重( おも ) らせ給( たまふ ) 。医王善逝( ぜんぜい ) の誓約も、祈( いのる ) に其験( そのしるし ) なく、耆婆扁鵲( ぎばへんじやく ) が霊薬も、施すに其験( そのしるし ) をはしまさず。玉体日々に消( きえ ) て、晏駕( あんか ) の期( ご ) 遠からじと見へ給( たまひ ) ければ、大塔( おほたふの ) 忠雲( ちゆううん ) 僧正( そうじやう ) 、御枕( おんまくら ) に近付奉( ちかづきたてまつ ) て、泪( なみだ ) を押( おさへ ) て申されけるは、「神路山( かみぢやま ) の花( はな ) 二たび開( ひらく ) る春を待( まち ) 、石清水( いはしみず ) の流れ遂( つひ ) に澄( すむ ) べき時あらば、さりとも仏神三宝も捨進( すてまゐら ) せらるゝ事はよも候はじとこそ存候( ぞんじさふらひ ) つるに、御脈( おんみやく ) 已( すで ) に替( かはら ) せ給( たまひ ) て候由( よし ) 、典薬頭( てんやくのかみ ) 驚申( おどろきまうし ) 候へば、今は偏( ひとへ ) に十善の天位を捨( すて ) て、三明( さんみやう ) の覚路( がくろ ) に趣( おもむか ) せ給ふべき御事( おんこと ) をのみ、思召( おぼしめし ) 被定候べし。さても最期( さいご ) の一念に依( よつ ) て三界に生( しやう ) を引( ひく ) と、経文( きやうもん ) に説( とか ) れて候へば、万歳( ばんぜい ) の後の御事( おんこと ) 、万( よろ ) づ叡慮に懸( かか ) り候はん事をば、悉( ことごと ) く仰置( おほせおか ) れ候( さふらひ ) て、後生善所( ごしやうぜんしよ ) の望( のぞみ ) をのみ、叡心に懸( かけ ) られ候べし。」と申されたりければ、主上( しゆしやう ) 苦( くるし ) げなる御息を吐( はか ) せ給( たまひ ) て、「妻子珍宝及王位( さいしちんはうきふわうゐ ) 、臨命終時不随者( りんみやうじゆうじふずゐしや ) 、是( これ ) 如来( によらい ) の金言にして、平生( へいぜい ) 朕( ちん ) が心に有( あり ) し事なれば、秦( しんの ) 穆公( ぼくこう ) が三良( さんりやう ) を埋( うづ ) み、始皇帝( しくわうてい ) の宝玉を随へし事、一( ひとつ ) も朕が心に取( とら ) ず。只生々世々( しやうじやうせぜ ) の妄念( まうねん ) ともなるべきは、朝敵( てうてき ) を悉( ことごとく ) 亡( ほろぼ ) して、四海( しかい ) を令泰平と思計( おもふばかり ) 也( なり ) 。朕則( すなはち ) 早世の後( のち ) は、第七( だいしち ) の宮( みや ) を天子の位に即奉( つけたてまつ ) て、賢士( けんし ) 忠臣事を謀( はか ) り、義貞義助が忠功を賞して、子孫不義の行( おこなひ ) なくば、股肱( ここう ) の臣として天下( てんが ) を鎮( しづむ ) べし。思之故( ゆゑ ) に、玉骨( ぎよくこつ ) は縦( たとひ ) 南山の苔に埋( うづも ) るとも、魂魄( こんばく ) は常に北闕( ほくけつ ) の天を望( のぞま ) んと思ふ。若( もし ) 命( めい ) を背( そむき ) 義を軽( かろん ) ぜば、君も継体( けいたい ) の君に非( あら ) ず、臣も忠烈の臣に非じ。」と、委細( ゐさい ) に綸言を残されて、左の御手( おんて ) に法華経( ほけきやう ) の五( ごの ) 巻( まき ) を持( もた ) せ給( たまひ ) 、右の御手( おんて ) には御剣( ぎよけん ) を按( あんじ ) て、八月十六日の丑剋( うしのこく ) に、遂( つひ ) に崩御( ほうぎよ ) 成( なり ) にけり。悲( かなしい ) 哉( かな ) 、北辰( ほくしん ) 位( くらゐ ) 高( たかく ) して百官星の如( ごとく ) に列( つらなる ) と雖も、九泉( きうせん ) の旅の路には供奉( ぐぶ ) 仕( つかまつる ) 臣一人もなし。奈何( いかんが ) せん、南山地僻( さがり ) にして、万卒( ばんそつ ) 雲の如( ごとく ) に集( あつまる ) といへ共、無常の敵の来( きたる ) をば禦止( ふせぎとど ) むる兵( つはもの ) 更になし。只中流( ちゆうる ) に舟を覆( くつがへし ) て一壷( こ ) の浪に漂( ただよ ) ひ、暗夜( あんや ) に燈( ともしび ) 消( きえ ) て、五更( ごかう ) の雨に向( むかふ ) が如し。葬礼( さうれい ) の御事( おんこと ) 、兼( かね ) て遺勅( ゆゐちよく ) 有( あり ) しかば、御終焉( ごじゆうえん ) の御形( おんかたち ) を改めず、棺槨( くわんくわく ) を厚( あつく ) し御坐( ござ ) を正( ただしう ) して、吉野山の麓、蔵王堂( ざわうだう ) の艮( うしとら ) なる林の奥に、円丘( ゑんきう ) を高く築( つい ) て、北向( きたむき ) に奉葬。寂寞( じやくまく ) たる空山( くうざん ) の裏( うち ) 、鳥啼( なき ) 日( ひ ) 已( すでに ) 暮( くれ ) ぬ。土墳( どふん ) 数尺( すしやく ) の草( くさ ) 、一経( いつけい ) 涙( なんだ ) 尽( つき ) て愁( うれへ ) 未尽( いまだつきず ) 。旧臣后妃( こうひ ) 泣々( なくなく ) 鼎湖( ていご ) の雲を瞻望( せんばう ) して、恨( うらみ ) を天辺の月に添へ、覇陵( はりよう ) の風に夙夜( しゆくや ) して、別( わかれ ) を夢裡( むり ) の花( はな ) に慕ふ。哀( あはれ ) なりし御事( おんこと ) 也( なり ) 。天下( てんが ) 久( ひさしく ) 乱( らん ) に向ふ事は、末法( まつぼふの ) 風俗なれば暫く言( いふ ) に不足。延喜天暦( えんぎてんりやく ) より以来( このかた ) 、先帝程の聖主( せいしゆ ) 神武( じんむ ) の君は未( いまだ ) をはしまさざりしかば、何と無( なく ) 共( とも ) 、聖徳一( ひと ) たび開( ひらけ ) て、拝趨( はいすう ) 忠功の望( のぞみ ) を達せぬ事は非じと、人皆憑( たのみ ) をなしけるが、君の崩御( ほうぎよ ) なりぬるを見進( まゐらせ ) て、今は御裳濯河( みもすそがは ) の流( ながれ ) の末も絶( たえ ) はて、筑波山の陰( かげ ) に寄( よる ) 人も無( なく ) て、天下( てんが ) 皆魔魅( まみ ) の掌握に落( おつ ) る世に成( なら ) んずらんと、あぢきなく覚へければ、多年著纏進( つきまとひまゐ ) らせし卿相雲客( けいしやううんかく ) 、或( あるひ ) は東海の波を蹈( ふん ) で仲連( ちゆうれん ) が跡( あと ) を尋( たづね ) 、或( あるひ ) は南山の歌を唱( となへ ) て■戚( ねいせき ) が行( おこなひ ) を学( まなば ) んと、思々( おもひおもひ ) に身の隠家( かくれが ) をぞ求給( もとめたまひ ) ける。爰( ここ ) に吉野( よしのの ) 執行( しゆぎやう ) 吉水( よしみづの ) 法印宗信( そうしん ) 、潜( ひそか ) に此形勢( このありさま ) を伝聞( つたへきき ) て、急( いそぎ ) 参内( さんだい ) して申( まうし ) けるは、「先帝崩御( ほうぎよ ) の刻( きざみ ) 被遺々勅、第七( だいしち ) の宮( みや ) を御位に即進( つけまゐら ) せ、朝敵( てうてき ) 追伐( つゐばつ ) の御本意を可被遂と、諸卿親( まのあた ) り綸言( りんげん ) を含( ふくま ) せ給( たまひ ) し事也( なり ) 。未( いまだ ) 日( ひ ) を経( へ ) ざるに退散隠遁( いんとん ) の御企( おんくはたて ) 有( あり ) と承及( うけたまはりおよび ) 候こそ、心ゑがたく存( ぞんじ ) 候へ。異国の例( れい ) を以( もつて ) 吾朝( わがてう ) の今を計( はかり ) 候に、文王草昧( さうまい ) の主( あるじ ) として、武王周( しう ) の業( げふ ) を起し、高祖( かうそ ) 崩( ほう ) じ給( たまひ ) て後( のち ) 、孝景( かうけい ) 漢の世を保( たもち ) 候はずや。今一人( いちじん ) 万歳( ばんぜい ) を早( はやう ) し給ふとも、旧労( きうらう ) の輩( ともがら ) 其( その ) 功を捨( すて ) て敵に降( くだら ) んと思( おもふ ) 者は有( ある ) べからず。就中( なかんづく ) 世の危( あやふき ) を見て弥( いよいよ ) 命( めい ) を軽( かろん ) ぜん官軍( くわんぐん ) を数( かぞふ ) るに、先( まづ ) 上野( かうづけの ) 国( くに ) に新田左中将( さちゆうじやう ) 義貞の次男左兵衛( さひやうゑの ) 佐( すけ ) 義興、武蔵( むさしの ) 国( くに ) に其家嫡( そのかちやく ) 左少将義宗( よしむね ) 、越前国( ゑちぜんのくに ) に脇屋( わきや ) 刑部卿義助、同子息左衛門( さゑもんの ) 佐( すけ ) 義治、此外( このほか ) 江田・大館・里見( さとみ ) ・鳥山・田中・羽河( はねかは ) ・山名・桃井( もものゐ ) ・額田( ぬかだ ) ・一井( いちのゐ ) ・金谷( かなや ) ・堤・青竜寺( しやうりゆうじ ) ・青襲( あをそひ ) ・小守沢( こもりさは ) の一族( いちぞく ) 都合( つがふ ) 四百( しひやく ) 余人( よにん ) 、国々に隠謀し所々に楯篭( たてごも ) る。造次( ざうじ ) にも忠戦を不計と云( いふ ) 事なし。他家の輩( ともがら ) には、筑紫( つくし ) に菊池( きくち ) ・松浦鬼( まつらき ) 八郎( はちらう ) ・草野( くさの ) ・山鹿( やまが ) ・土肥( とひ ) ・赤星、四国には土居・得能・江田・羽床( はねゆか ) 、淡路に阿間( あま ) ・志知( しうち ) 、安芸( あき ) に有井、石見には三角( みすみの ) 入道・合( がふの ) 四郎、出雲伯耆に長年が一族共( いちぞくども ) 、備後には桜山、備前に今木( いまき ) ・大富( おほどみ ) ・和田・児島、播磨に吉河( よしかは ) 、河内に和田・楠・橋本・福塚、大和に三輪( みわ ) の西阿( せいあ ) ・真木( まき ) の宝珠丸( はうじゆまる ) 、紀伊( きの ) 国( くに ) に湯浅・山本・井遠( ゐとほの ) 三郎・賀藤( かとう ) 太郎、遠江には井介( ゐのすけ ) 、美濃に根尾( ねをの ) 入道、尾張( をはり ) に熱田大宮司( あつたのだいぐうじ ) 、越前には小国( をくに ) ・池・風間( かざま ) ・禰津( ねづ ) 越中( ゑつちゆうの ) 守( かみ ) ・大田信濃( しなのの ) 守( かみ ) 、山徒( さんと ) には南岸( なんがん ) の円宗院( ゑんじゆうゐん ) 、此外( このほか ) 泛々( はんはん ) の輩( ともがら ) は数( かぞふる ) に不遑。皆義心金石の如( ごとく ) にして、一度( いちど ) も変ぜぬ者共( ものども ) 也( なり ) 。身不肖に候へども、宗信右( かく ) て候はん程は、当山に於て又何( なん ) の御怖畏( ごふゐ ) か候べき。何様先( まづ ) 御遺勅( ごゆゐちよく ) に任( まかせ ) て、継体( けいたい ) の君を御位( おんくらゐ ) に即進( つけまゐら ) せ、国々へ綸旨を成下( なしくださ ) れ候へかし。」と申( まうし ) ければ、諸卿皆げにもと思( おもは ) れける処に、又楠帯刀( たてはき ) ・和田和泉( いづみの ) 守( かみ ) 二千( にせん ) 余騎( よき ) にて馳( はせ ) 参り、皇居( くわうきよ ) を守護( しゆご ) し奉( たてまつ ) て、誠( まこと ) に他事なき体( てい ) に見へければ、人々皆退散の思( おもひ ) を翻( ひるがへし ) て、山中は無為( ぶゐ ) に成( なり ) にけり。
○南帝 受禅( じゆぜんの ) 事( こと )
同十月三日に、太神宮へ奉幣使( ほうへいし ) を下され、第七( だいしち ) の宮( みや ) 天子の位に即( つか ) せ給ふ。夫( それ ) 継体君( けいたいのきみ ) 登極の御時( おんとき ) 、様々の大礼( たいれい ) 有( ある ) べし。先( まづ ) 新帝受禅( じゆぜん ) の日、三種( さんじゆ ) の神器( じんぎ ) を被伝て、御即位( ごそくゐ ) の儀式あり。其( その ) 明年の三月に、卜部宿禰陰陽博士( うらべのしゆくねおんやうのはかせ ) 、軒廊( こんらう ) にして国郡を卜定( ぼくぢやう ) す。則( すなはち ) 行事所始( ぎやうじところはじめ ) ありて、百司( はくし ) 千官次第の神事( じんじ ) を執行( とりおこなは ) る。同年の十月に、東の河原( かはら ) に成( なつ ) て御禊( おんはらひ ) あり。又神泉苑( しんぜんゑん ) の北に斎庁所( さいちやうしよ ) を作( つくつ ) て、旧主一日抜穂( ぬきぼ ) を御覧ぜらる。竜尾堂( りようびだう ) を立( たて ) られ、壇上にして御行水有( おんぎやうずゐあり ) て、回立殿( くわいりふでん ) を建( たて ) 、新帝大甞宮( だいじやうきゆう ) に行幸( ぎやうがう ) あり。其( その ) 日( ひ ) 殊に堂上( だうじやう ) の伶倫( れいりん ) 、正始( せいし ) の曲( きよく ) を調( しらべ ) て一たび雅音( がいん ) を奏すれば、堂下( だうか ) の舞人( まひびと ) 、をみの衣( ころも ) を袒( かたぬい ) て、五たび袖を翻( ひるがへ ) す。是( これ ) を五節( ごせち ) の宴酔( えんすゐ ) と云( いふ ) 。其後( そののち ) 大甞宮に行幸( ぎやうがう ) 成( なつ ) て御牲( おんにへ ) の祭を行( おこなは ) る程( ほど ) に、悠紀( ゆうき ) ・主基( しゆき ) 、風俗の歌を唱( となへ ) て帝徳を称じ、童女( いんご ) ・八乙女( やをとめ ) 、稲舂( いなつき ) の歌を歌( うたう ) て神饌( しんせん ) を献( たてまつ ) る。是( これ ) 皆代々( だいだい ) の儲君( ちよくん ) 、御位( おんくらゐ ) を天に継( つが ) せ給ふ時の例なれば、三載( さんさい ) 数度( すど ) の大礼、一も欠( かけ ) ては有( ある ) べからずといへども、洛外( らくぐわい ) 山中の皇居( くわうきよ ) の事、可周備にあらざれば、如形三種( さんじゆの ) 神器( じんぎ ) を拝せられたる計( ばかり ) にて、新帝位( くらゐ ) に即( つか ) せ給ふ。
○任遺勅被成綸旨事( こと ) 付( つけたり ) 義助攻落黒丸城事( こと ) 同十一月五日、南朝の群臣( ぐんしん ) 相義( あひぎ ) して、先帝に尊号を献( たてまつ ) る。御在位( ございゐ ) の間、風教( ふうかう ) 多( おほく ) は延喜の聖代を被追しかば、尤も其寄( そのよせ ) 有( あり ) とて、後醍醐( ごだいごの ) 天皇( てんわう ) と諡( おくりな ) し奉る。新帝幼主( えうしゆ ) にて御座( ござ ) ある上、君崩じ給( たまひ ) たる後、百官冢宰( ちよさい ) に総( すべ ) て、三年政( まつりごと ) を聞召( きこしめさ ) れぬ事なれば、万機( ばんき ) 悉( ことごと ) く北畠( きたばたけの ) 大納言( だいなごん ) の計( はからひ ) として、洞院( とうゐんの ) 左衛門( さゑもんの ) 督( かみ ) 実世( さねよ ) ・四条( しでうの ) 中納言( ちゆうなごん ) 隆資( たかすけの ) 卿( きやう ) 、二人( ににん ) 専( もつばら ) 諸事を被執奏。同十二月先( まづ ) 北国にある脇屋( わきや ) 刑部卿義助朝臣( あそん ) の方へ綸旨を被成。先帝御遺勅( ごゆゐちよく ) 異于他上は、不替故義貞之例、官軍( くわんぐん ) 恩賞以下( いげ ) の事相計( あひはかつ ) て、可経奏聞之( の ) 由( よし ) 被宣下。其外( そのほか ) 筑紫の西征( せいせい ) 将軍( しやうぐんの ) 宮( みや ) 、遠江( とほたふみの ) 井城( ゐのしろ ) に御座( ござ ) ある妙法院( めうほふゐん ) 、奥州( あうしうの ) 新国司( しんこくし ) 顕信( あきのぶ ) 卿( きやう ) の方へも、任旧主遺勅殊に可被致忠戦之( の ) 由( よし ) 、綸旨をぞ下されける。義助は義貞討( うた ) れし後勢( いきほひ ) 微( び ) 也( なり ) といへども、所々の城郭( じやうくわく ) に軍勢( ぐんぜい ) を篭置( こめおき ) 、さまでは敵に挟( せば ) められざりければ、何( いつ ) まで右( かく ) ても有( ある ) べきぞ。城々の勢を一( ひとつ ) に合( あはせ ) て、黒丸( くろまる ) の城に楯篭( たてこも ) られたる尾張( をはりの ) 守( かみ ) 高経を責落( せめおと ) さばやと評定有( あり ) ける処に、先帝崩御( ほうぎよ ) の御事( おんこと ) を承( うけたまはつ ) て、惘然( ばうぜん ) たる事闇夜( あんや ) に灯( ともしび ) を失( うしな ) へるが如し。さは有( あり ) ながら、御遺勅( ゆゐちよく ) 他に異( こと ) なる宣旨( せんじ ) の忝( かたじけな ) さに、忠義弥( いよいよ ) 心肝( しんかん ) に銘( めい ) じければ、如何にもして一戦( いつせん ) に利を得、南方祠候( しこう ) の人々の機( き ) をも扶( たすけ ) ばやと、御国忌( みこつき ) の御中陰( ごちゆういん ) の過( すぐる ) を遅( おそし ) とぞ相待( あひまち ) ける。此( この ) 両三年越前の城三十( さんじふ ) 余箇所( よかしよ ) 相交( あひまじはつ ) て合戦の止日( やむとき ) なし。中にも湊( みなとの ) 城( じやう ) とて、北陸道( ほくろくだう ) 七( しち ) 箇国( かこく ) の勢共( せいども ) が終( つひ ) に攻( せめ ) 落さゞりし城は、義助の若党( わかたう ) 畑( はたの ) 六郎左衛門( ろくらうざゑもん ) 時能( ときよし ) が、纔( わづかに ) 二十三人( にじふさんにん ) にて篭( こもつ ) たりし平城( ひらじやう ) 也( なり ) 。南帝( なんてい ) 御即位の初( はじめ ) 天運図( と ) に膺( あた ) る時なるべし。諸卒同( おなじく ) 城( じやう ) を出( いで ) て一所( いつしよ ) に集( あつま ) り、当国の朝敵( てうてき ) を平( たひら ) げ他国に打越( うちこゆ ) べき由を大将義助の方より牒( てふ ) せられければ、七月三日に畑六郎左衛門( ろくらうざゑもん ) 三百( さんびやく ) 余騎( よき ) にて湊( みなとの ) 城( じやう ) を出( いで ) て、金津( かなつ ) ・長崎・河合( かはひ ) ・河口にあらゆる所の敵の城十二箇所( じふにかしよ ) を打落( おとし ) て、首を切( きる ) 事八百( はつぴやく ) 余人( よにん ) 、女童( をんなわらは ) 三歳の嬰児( えいじ ) 迄のこさず是( これ ) を差( さし ) 殺す。同五日に、由良( ゆら ) 越前守( ゑちぜんのかみ ) 光氏( みつうぢ ) 、五百( ごひやく ) 余騎( よき ) にて西方寺( さいはうじ ) の城より出( いで ) て、和田・江守( えもり ) ・波羅密( はらみ ) ・深町( ふかまち ) ・安居( はこ ) の庄内に、敵の稠( きびし ) く構( かま ) へたる六箇所( ろくかしよ ) の城を二日に攻( せめ ) 落し、則( すなはち ) 御方( みかた ) の勢を入替( いれかへ ) て六箇所( ろくかしよ ) の城を守らしむ。同五日、堀口兵部( ひやうぶの ) 大輔( たいふ ) 氏政、五百( ごひやく ) 余騎( よき ) にて居山( ゐやま ) の城より出( いで ) て、香下( かした ) ・鶴沢・穴間( あなま ) ・河北( かはぎた ) 、十一箇所( じふいちかしよ ) の城を五日が中( うち ) に攻( せめ ) 落して、降人( かうにん ) 千( せん ) 余人( よにん ) を引率( いんぞつ ) し、河合( かはひの ) 庄( しやう ) へ出合( いであ ) はる。惣大将( そうだいしやう ) 脇屋( わきや ) 刑部卿義助は、禰津( ねづ ) ・風間( かざま ) ・瓜生( うりふ ) ・川島・宇都宮( うつのみや ) ・江戸・波多野( はだの ) が勢、三千( さんぜん ) 余騎( よき ) の将として、国府( こふ ) より三手( みて ) に分( わかれ ) て、織田・々中・荒神峯( くわうじんがみね ) ・安古渡( はこのわたり ) の城十七( じふしち ) 箇所( かしよ ) を三日三夜に攻( せめ ) 落して、其( その ) 城( じやう ) の大将七人( しちにん ) 虜( いけど ) り士卒( じそつ ) 五百( ごひやく ) 余人( よにん ) を誅( ちゆう ) して、河合( かはひの ) 庄( しやう ) へ打出( いで ) らる。同十六日四方( しはう ) の官軍( くわんぐん ) 一所に相集( あひあつまつ ) て、六千( ろくせん ) 余騎( よき ) 三方( さんぱう ) より黒丸( くろまる ) を相挟( はさみ ) て未戦( いまだたたかはず ) 。河合孫五郎種経( たねつね ) 降人に成( なつ ) て畑に属( しよく ) す。其( その ) 勢を率( そつし ) て、夜半に足羽( あすは ) の乾( いぬゐ ) なる小山の上に打上( のぼつ ) て、終夜( よもすがら ) 城( じやう ) の四辺( しへん ) を打廻( うちまは ) り、時を作り遠矢を射懸( かけ ) て、後陣( ごぢん ) の大勢集( あつま ) らば、一番に城へ攻入( いら ) んと勢( いきほひ ) を見せて待明( まちあか ) す。爰( ここ ) に上木平九郎家光は、元は新田左中将( さちゆうじやう ) の兵( つはもの ) にて有( あり ) しが、近来( このごろ ) 将軍方( しやうぐんがた ) に属( しよく ) して、黒丸の城に在( あり ) けるが、大将尾張( をはりの ) 守( かみ ) 高経の前に来( き ) て申( まうし ) けるは、「此( この ) 城( じやう ) は先年新田殿( につたどの ) の攻られしに、不思議( ふしぎ ) の御運( ごうん ) に依( よつ ) て打勝( うちかた ) せ給( たまひ ) しに御習( ならひ ) 候( さふらひ ) て、猶子細あらじと思召( おぼしめし ) 候はんには、疎( おろか ) なる御計( おんはからひ ) にて候べし。其( その ) 故は先年此( この ) 所へ向( むかひ ) 候( さふらひ ) し敵共( てきども ) 、皆東国西国の兵にて、不知案内( ふちあんない ) に候( さふらひ ) し間、深田( ふかた ) に馬を馳( はせ ) こみ、堀溝( ほりみぞ ) に堕入( おちいつ ) て、遂( つひ ) に名将流矢( ながれや ) の鏑( かぶら ) に懸( かか ) り候( さふらひ ) き。今は御方( みかた ) に候( さふらひ ) つる者共( ものども ) が多く敵に成( なつ ) て候間、寄手( よせて ) も城の案内は能( よく ) 存知( ぞんちして ) 候。其( その ) 上( うへ ) 畑六郎左衛門( ろくらうざゑもん ) と申( まうし ) て日本一( につぽんいち ) の大力( おほちから ) の剛( かうの ) 者、命を此( この ) 城( じやう ) に向( むかつ ) て止( とどめ ) んと思定( おもひさだめ ) て向( むかひ ) 候なる。恐( おそら ) くは今時( いまどき ) の御方( みかた ) に、誰か是( これ ) と牛角( ごかく ) の合戦をし候べき。後攻( ごづめ ) もなき平城( ひらじやう ) に名将の小勢にて御篭( おんこもり ) 候( さふらひ ) て、命を失( うしな ) はせ給はん事、口惜( くちをし ) かるべき御計( おんはからひ ) にて候。只今夜の中( うち ) に加賀( かがの ) 国( くに ) へ引退( ひきしりぞか ) せ給( たまひ ) て、京都の御勢( おんせい ) 下向の時、力を合( あは ) せ兵を集( あつめ ) て、還( かへつ ) て敵を御退治( ごたいぢ ) 候はんに、何( なん ) の子細か候べき。」とぞ申( まうし ) ける。細川出羽( ではの ) 守( かみ ) ・鹿草( かぐさ ) 兵庫( ひやうごの ) 助( すけ ) ・浅倉・斉藤等( さいとうら ) に至( いたる ) まで、皆此( この ) 義に同( どう ) じければ、尾張( をはりの ) 守( かみ ) 高経、五の城に火を懸( かけ ) て、其( その ) 光を松明( たいまつ ) に成( なし ) て、夜間( よのま ) に加賀( かがの ) 国( くに ) 富樫( とがし ) が城へ落( おち ) 給ふ。畑が謀( はかりこと ) を以て、義助黒丸の城( じやう ) を落( おと ) してこそ、義貞の討( うた ) れられたりし会稽( くわいけい ) の恥をば雪( きよめ ) けれ。
○塩冶判官( えんやはうぐわん ) 讒死( ざんしの ) 事( こと ) 北国の宮方( みやがた ) 頻( しきり ) に起( おこつ ) て、尾張( をはりの ) 守( かみ ) 黒丸の城を落されぬと聞へければ、京都以外( もつてのほか ) に周章( しうしやう ) して、助( たすけ ) の兵を下さるべしと評定( ひやうぢやう ) あり。則( すなはち ) 四方( しはう ) の大将を定( さだめ ) て、其( その ) 国々へ勢をぞ添( そへ ) られける。高( かうの ) 上野( かうづけの ) 介( すけ ) 師治( もろはる ) は、大手の大将として、加賀・能登・越中( ゑつちゆう ) の勢を率( そつ ) し、加賀( かがの ) 国( くに ) を経( へ ) て宮( みや ) の腰より向はる。土岐弾正少弼( せうひつ ) 頼遠は、搦手( からめて ) の大将として、美濃・尾張( をはり ) の勢を率( そつ ) し、穴間( あなま ) ・郡上( ぐじやう ) を経( へ ) て大野郡( おほののこほり ) へ向はる。佐々木( ささきの ) 三郎判官氏頼は江州の勢を率( そつ ) して、木目岳( きのめたうげ ) を打越( うちこえ ) て敦賀の津より向はる。塩冶判官高貞は船路( ふなぢ ) の大将として、出雲・伯耆の勢を率( そつ ) し兵船( ひやうせん ) 三百艘を調( そろ ) へ、三方( さんぱう ) の寄手( よせて ) の相近付( ちかづか ) んずる黎( ころほひに ) 、津々浦々より上( あがり ) て敵の後( うしろ ) を襲( おそひ ) 、陣のあはいを隔( へだて ) て、戦( たたかひ ) を機変( きへん ) の間に致すべしと、合図を堅く定( さだめ ) らる。陸地( くがち ) 三方( さんぱう ) の大将已( すで ) に京を立( たち ) て、分国( ぶんこく ) の軍勢( ぐんぜい ) を催( もよほさ ) れければ、塩冶( えんや ) も我( わが ) 国( くに ) へ下( くだつ ) て、其( その ) 用意( ようい ) を致さんとしける最中( さいちゆう ) に、不慮( ふりよ ) の事出来( いでき ) て、高貞忽( たちまち ) に武蔵守( むさしのかみ ) 師直( もろなほ ) が為に討( うた ) れにけり。其宿意( そのしゆくい ) 何事ぞと尋( たづぬ ) れば、高貞多年相馴( あひなれ ) たりける女房を、師直に思懸( おもひかけ ) られて、無謂討( うた ) れけるぞと聞( きこ ) へし。其比( そのころ ) 師直ちと違例( ゐれい ) の事有( あつ ) て、且( しばら ) く出仕をもせで居たりける間、重恩( ぢゆうおん ) の家人共( けにんども ) 是( これ ) を慰( なぐさ ) めん為に、毎日酒肴( さかな ) を調( ととのへ ) て、道々の能者( のうしや ) 共( ども ) を召集( めしあつめ ) て、其( その ) 芸能を尽( つく ) させて、座中の興( きよう ) をぞ促( もよほ ) しける。或時( あるとき ) 月深( ふけ ) 夜閑( しづまつ ) て、荻( をぎの ) 葉を渡( わたる ) 風身に入( しみ ) たる心地しける時節( をりふし ) 、真都( しんいち ) と覚都検校( かくいちけんげう ) と、二人( ににん ) つれ平家を歌( うたひ ) けるに、「近衛( こんゑの ) 院( ゐん ) の御時( おんとき ) 、紫宸殿( ししんでん ) の上に、鵺( ぬえ ) と云( いふ ) 怪鳥( けてう ) 飛来( とびきたつ ) て夜な/\鳴( なき ) けるを、源三位( げんざんみ ) 頼政( よりまさ ) 勅( ちよく ) を承( うけたまはつ ) て射て落したりければ、上皇限( かぎり ) なく叡感有( あつ ) て、紅( くれなゐ ) の御衣( ぎよい ) を当座( たうざ ) に肩に懸( かけ ) らる。「此勧賞( このけんじやう ) に、官位も闕国( けつこく ) も猶( なほ ) 充( あたる ) に不足。誠やらん頼政( よりまさ ) は、藤壷の菖蒲( あやめ ) に心を懸( かけ ) て堪( たへ ) ぬ思( おもひ ) に臥( ふし ) 沈むなる。今夜( こんや ) の勧賞( けんじやう ) には、此( この ) あやめを下さるべし。但し此( この ) 女を頼政( よりまさ ) 音( おと ) にのみ聞( きい ) て、未( いまだ ) 目には見ざんなれば、同様( おなじやう ) なる女房をあまた出( いだ ) して、引煩( わづら ) はゞ、あやめも知( しら ) ぬ恋をする哉( かな ) と笑( わらは ) んずるぞ。」と仰( おほせ ) られて、後宮( こうきゆう ) 三千人( さんぜんにん ) の侍女( じぢよ ) の中より、花( はな ) を猜( そね ) み月を妬( ねた ) む程の女房達( にようばうたち ) を、十二人( じふににん ) 同様( おなじやう ) に装束( しやうぞく ) せさせて、中々( なかなか ) ほのかなる気色( けしき ) もなく、金沙( きんしや ) の羅( うすもの ) の中( うち ) にぞ置( おか ) れける。さて頼政( よりまさ ) を清涼殿の孫廂( まごひさし ) へ召( めさ ) れ、更衣( かうい ) を勅使にて、「今夜( こんや ) の抽賞( ちうしやう ) には、浅香( あさか ) の沼のあやめを下さるべし。其( その ) 手は緩( たゆむ ) とも、自ら引( ひい ) て我宿( わがやど ) の妻と成( なせ ) 。」とぞ仰( おほせ ) 下されける。頼政( よりまさ ) 勅( ちよく ) に随( したがつ ) て、清涼殿の大床( おほゆか ) に手をうち懸( かけ ) て候( さふらひ ) けるが、何( いづれ ) も齢( よはひ ) 二八計( ばかり ) なる女房の、みめ貌( かたち ) 絵に書共( かくとも ) 筆も難及程なるが、金翠( きんすゐ ) の装( よそほひ ) を餝( かざ ) り、桃顔( たうがん ) の媚( こび ) を含( ふくん ) で並居( なみゐ ) たれば、頼政( よりまさ ) 心弥( いよいよ ) 迷ひ目うつろいて、何( いづれ ) を菖蒲( あやめ ) と可引心地( ここち ) も無( なか ) りけり。更衣打笑( うちわらう ) て、「水のまさらば浅香( あさか ) の沼さへまぎるゝ事もこそあれ。」と申されければ、頼政( よりまさ ) 、五月雨( さみだれ ) に沢辺( さはべ ) の真薦( まこも ) 水越( こえ ) て何( いづれ ) 菖蒲( あやめ ) と引( ひき ) ぞ煩( わづら ) ふとぞ読( よみ ) たりける。時に近衛( こんゑ ) 関白殿( くわんばくどの ) 、余( あまり ) の感に堪( たへ ) かねて、自ら立( たつ ) て菖蒲の前の袖を引( ひき ) 、「是( これ ) こそ汝が宿の妻よ。」とて、頼政( よりまさ ) にこそ下されけれ。頼政( よりまさ ) 鵺( ぬえ ) を射て、弓箭( ゆみや ) の名を揚( あげ ) たるのみならず、一首( いつしゆ ) の歌の御感( ぎよかん ) に依( よつ ) て、年月久( ひさしく ) 恋忍( こひしのび ) つる菖蒲の前を給( たまはり ) つる数奇( すき ) の程こそ面目なれ。」と、真都( しんいち ) 三重( さんぢゆう ) の甲( かふ ) を上( あぐ ) れば、覚一初重( しよぢゆう ) の乙に収( をさめ ) て歌ひすましたりければ、師直も枕をゝしのけ、耳をそばだて聞( きく ) に、簾中( れんちゆう ) 庭上諸共( もろとも ) に、声を上( あげ ) てぞ感じける。平家はてゝ後( のち ) 、居残( ゐのこつ ) たる若党( わかたう ) ・遁世( とんせいの ) 者共( ものども ) 、「さても頼政( よりまさ ) が鵺( ぬえ ) を射たる勧賞( けんじやう ) に、傾城( けいせい ) を給( たまはり ) たるは面目なれ共( ども ) 、所領か御引出( おんひきで ) 物かを給( たまは ) りたらんずるには、莫太( ばくたいの ) 劣( おとり ) 哉( かな ) 。」と申( まうし ) ければ、武蔵守( むさしのかみ ) 聞( きき ) もあへず、「御辺達( ごへんたち ) は無下( むげ ) に不当なる事を云( いふ ) 物哉( かな ) 。師直はあやめほどの傾城( けいせい ) には、国の十箇国( じつかこく ) 計( ばかり ) 、所領の二三十箇所( にさんじつかしよ ) 也( なり ) とも、かへてこそ給( たまは ) らめ。」とぞ恥( はぢ ) しめける。かゝる処に、元は公家( くげ ) のなま上達部( かんたちめ ) に仕( つかへ ) て、盛( さかん ) なりし御代( みよ ) を見たりし女房、今は時と共に衰( おとろへ ) て身の寄辺無( よるべなき ) まゝに、此( この ) 武蔵守( むさしのかみ ) が許( もと ) へ常に立寄( より ) ける侍従( じじゆう ) と申( まうす ) 女房、垣越( かきごし ) に聞( きい ) て、後( うしろ ) の障子を引( ひき ) あけて無限打笑( うちわらう ) て、「あな善悪無( さがな ) の御心( おんこころ ) あて候や。事の様( やう ) を推量候に、昔の菖蒲( あやめ ) の前は、さまで美人にては無( なか ) りけるとこそ覚( おぼえ ) て候へ。楊貴妃( やうきひ ) は、一笑( ひとたびゑめ ) ば六宮( りくきゆう ) に顔色無( なし ) と申( まうし ) 候。縦( たとひ ) 千人( せんにん ) 万人の女房を双( なら ) べ居( す ) へて置( おか ) れたり共、あやめの前誠( まこと ) に世に勝( すぐ ) れたらば、頼政( よりまさ ) 是( これ ) を引( ひき ) かね候べしや。是( これ ) 程の女房にだに、国の十箇国( じつかこく ) 計( ばかり ) をばかへても何か惜( をし ) からんと仰( おほせ ) 候はゞ、先帝の御外戚早田宮( はやたのみや ) の御女( おんむすめ ) 、弘徽殿( こうきでん ) の西の台( たい ) なんどを御覧ぜられては、日本国・唐土( たうど ) ・天竺( てんぢく ) にもかへさせ給はんずるや。此( この ) 御方は、よく世に類( たぐひ ) なきみめ貌( かたち ) にて御渡( おんわた ) りありと思食知( おぼしめししり ) 候へ。いつぞや雲の上人( うへびと ) 、花( はな ) 待( まち ) かねし春( はる ) の日のつれ/゛\に、禁裏仙洞( きんりせんとう ) の美夫人、九嬪更衣達( きうひんかういたち ) を、花( はな ) の譬( たとへ ) にせられ候( さふらひ ) しに、桐壷の御事( おんこと ) は、あてやかにうちあらはれたる御気色( おんけしき ) を奉見たる事なければ、譬( たとへ ) て申さんもあやなかるべけれ共( ども ) 、雲井の外目( よそめ ) も異( こと ) なれば、明( あけ ) やらぬ外山( とやま ) の花( はな ) にやと可申。梨壷( なしつぼ ) の御事( おんこと ) は、いつも臥沈( ふししづ ) み給へる御気色( おんけしき ) 物がなしく、烽( とぶひ ) の昔も理( ことわり ) にこそ御覧ぜらるらめと、君の御心( おんこころ ) も空( そら ) に知( しら ) れしかば、「玉顔( ぎよくがん ) 寂寞( せきばく ) として涙( なんだ ) 欄干( らんかん ) たり。」と喩( たと ) ゑし、雨の中の梨壷と名にほふ御様( おんさま ) なるべし。或( あるひ ) は月もうつろふ本( もと ) あらの小萩( こはぎ ) 、波も色ある井出( ゐで ) の山吹、或( あるひ ) は遍照( へんぜう ) 僧正( そうじやう ) の、「我( われ ) 落( おち ) にきと人に語るな。」と戯( たはむれ ) し嵯峨野の秋の女郎花( をみなへし ) 、光( ひかる ) 源氏( げんじの ) 大将の、「白くさけるは。」と名を問( とひ ) し、黄昏時( たそかれどき ) の夕顔の花( はな ) 、見るに思( おもひ ) の牡丹( ふかみぐさ ) 、色々様々の花共を取々( とりどり ) に譬( たとへ ) られしに、梅( むめ ) は匂( にほ ) ひふかくて枝たをやかならず。桜は色ことなれ共其香( そのか ) もなし。柳は風を留( とどむ ) る緑の糸( いと ) 、露の玉ぬく枝( えだ ) 異( こと ) なれ共( ども ) 、匂( にほひ ) もなく花( はな ) もなし。梅( むめ ) が香( か ) を桜が色に移して、柳の枝にさかせたらんこそ、げにも此貌( このかたち ) には譬( たと ) へめとて、遂( つひ ) に花( はな ) のたとへの数( かず ) にも入( いら ) せ給はざりし上は、申( まうす ) も中々( なかなか ) 疎( おろか ) なる事にてこそ。」と云戯( いひたはむれ ) て、障子を引立( ひきたて ) て内へ入( いら ) んとするを、師直目もなく打笑( うちわらう ) て、「暫( しば ) し。」と袖をひかへて、「其( その ) 宮( みや ) はいづくに御座( ござ ) 候ぞ。御年は何( いか ) 程( ほど ) に成( なら ) せ給ふぞ。」と問( とひ ) けるに、侍従( じじゆう ) 立留( たちとどまつ ) て、「近比( このごろ ) は田舎人( いなかうど ) の妻と成( なら ) せ給( たまひ ) ぬれば、御貌( おんかたち ) も雲の上の昔には替( かは ) り給( たまひ ) 、御年も盛り過( すぎ ) させ給( たまひ ) ぬらんと、思( おもひ ) やり進( まゐらせ ) て有( あり ) しに、一日( ひとひ ) 物詣( ものまうで ) の帰( かへる ) さに参( まゐり ) て奉見しが、古( いにしへ ) の春待遠( まちどほ ) に有( あり ) し若木( わかき ) の花( はな ) よりも猶( なほ ) 色深く匂ひ有( あつ ) て、在明( ありあけ ) の月の隈( くま ) なく指入( さしいり ) たるに、南向( みなみむき ) の御簾( みす ) を高くかゝげさせて、琵琶をかきならし給へば、ゝら/\とこぼれかゝりたる鬢( びん ) のはづれより、ほのかに見へたる眉の匂( にほひ ) 、芙蓉( ふよう ) の眸( まなじり ) 、丹花( たんくわ ) の脣( くちび ) る、何( いか ) なる笙の岩屋の聖( ひじり ) なりとも、心迷はであらじと、目もあやに覚( おぼえ ) てこそ候( さふらひ ) しか。うらめしの結( むすぶ ) の神の御計( おんはからひ ) にや。いかなる女院( にようゐん ) 、御息所( みやすどころ ) とも奉見か、さらずば今程天下( てんが ) の権を取るさる人の妻ともなし奉らで、声は塔( たふ ) の鳩( はと ) の鳴く様( やう ) にて、御副臥( おんそひぶし ) もさこそこは/\しく鄙閑( ひなたけ ) たるらんと覚( おぼゆ ) る出雲の塩冶( えんや ) 判官( はうぐわん ) に、先帝より下されて、賎( いやし ) き田舎( ゐなか ) の御棲( おんすまひ ) にのみ、御身( おんみ ) を捨( すて ) はてさせ給( たまひ ) ぬれば、只王昭君( わうせうくん ) が胡国( ここく ) の夷( えびす ) に嫁( か ) しけるもかくこそと覚( おぼえ ) て、奉見も悲( かなし ) くこそ侍( はんべ ) りつれ。」とぞ語( かたり ) ける。武蔵守( むさしのかみ ) いとゞうれしげに聞竭( ききつく ) して、「御物語( おんものがたり ) の余( あま ) りに面白く覚( おぼゆ ) るに、先( まづ ) 引出物( ひきでもの ) 申さん。」とて、色ある小袖十重( とかさね ) に、沈( ぢん ) の枕を取副( そへ ) て、侍従( じじゆう ) の局( つぼね ) が前にぞ置( おか ) れたる。侍従( じじゆう ) 俄( にはか ) に徳付( つき ) たる心ちしながら、あらけしからずの今の引出物( ひきでもの ) やと思( おもひ ) て、立( たち ) かねたるに、武蔵守( むさしのかみ ) 近く居寄( ゐよつ ) て、「詮( せん ) なき御物語( おんものがたり ) 故( ゆゑ ) に、師直が違例( ゐれい ) はやがてなをりたる心ちしながら、又あらぬ病( やまひ ) の付( つき ) たる身に成( なつ ) て候ぞや。さりとては平( ひら ) に憑申( たのみまうし ) 候はん。此( この ) 女房何( いか ) にもして我に御媒( おんなかだち ) 候( さふらひ ) てたばせ給へ。さる程ならば所領なりとも、又は家の中の財宝なり共、御所望( ごしよまう ) に随( したがつ ) て可進。」とぞ語( かたり ) ける。侍従( じじゆう ) の局は、思寄( おもひよら ) ぬ事哉( かな ) 。只独( ひとり ) のみをはする人にてもなし。何( なに ) としてかく共申出( まうしいづ ) べきぞと思( おもひ ) ながら、事の外( ほか ) に叶ふまじき由をいはゞ、命をも失( うしなは ) れ、思( おもひ ) の外( ほか ) の目にもや合( あは ) んずらんと恐( おそろ ) しければ、「申( まうし ) てこそ見候はめ。」とて、先づ帰りぬ。二三日は、とやせましかくや云( いは ) ましと案じ居たる処に、例ならず武蔵守( むさしのかみ ) が許( もと ) より様々の酒肴( さかな ) なんど送り、「御左右( おんさう ) 遅( おそし ) 。」とぞ責( せめ ) たりける。侍従( じじゆう ) は辞( じ ) するに言無( ことばなく ) して、彼( かの ) 女房の方に行( ゆき ) 向ひ、忍( しのび ) やかに、「かやうの事は申出( まうしいだす ) に付( つけ ) て、心の程も推量( おしはか ) られ進( まゐら ) せぬべければ、聞( きき ) しばかりにてさて有( ある ) べき事なれ共( ども ) 、かゝる事の侍( はんべ ) るをば如何( いか ) が御計( おんはからひ ) 候べき。露計( ばかり ) のかごとに人の心をも慰( なぐさめ ) られば、公達( きんだち ) の御為に行末( ゆくすゑ ) たのもしく、又憑( たのむ ) 方( かた ) なき我等( われら ) 迄も立( たち ) よる方無( なく ) ては候はじ。さのみ度重( たびかさ ) ならばこそ、安濃( あこぎ ) が浦に引綱( ひくあみ ) の、人目に余る憚( はばかり ) も候はめ。篠( ささ ) の小( を ) ざゝの一節( ひとふし ) も、露かゝる事有( あり ) 共( とも ) 、誰か思寄( おもひよ ) り候べき。」と、様々書( かき ) くどき聞( きこ ) ゆれ共( ども ) 、北( きた ) の台( たい ) は、「事の外( ほか ) なる事哉( かな ) 。」と計( ばか ) り打( うち ) わびて、少( すこし ) も云寄( いひよる ) べき言葉( ことのは ) もなし。さても錦木( にしきぎ ) の千束( ちづか ) を重( かさね ) し、夷心( えびすごころ ) の奥をも憐( あはれ ) と思( おもひ ) しる事もやと、日毎( ひごと ) に経廻( へめぐり ) て、「我( われ ) にうきめを見せ、深き淵河( ふちかは ) に沈( しづ ) ませて、憐( あはれ ) と計( ばかり ) 後( のち ) の御情( おんなさけ ) はあり共( とも ) 、よしや何かせん。只日比( ひごろ ) 参仕( まゐりつか ) へし故宮( こみや ) の御名残( おんなごり ) と思召( おぼしめさ ) ん甲斐には、責( せめ ) て一言( ひとこと ) の御返事( おんへんじ ) をなり共承( うけたまはり ) 候へ。」と、兎角( とかく ) 云恨( いひうらみ ) ければ、北( きたの ) 台( たい ) もはや気色( けしき ) 打( うち ) しほれ、「いでや、ものわびしく、かくとな聞( きこ ) へそ。哀( あはれ ) なる方に心引( ひか ) れば、高志( たかしの ) 浜のあだ浪( なみ ) に、うき名の立( たつ ) 事もこそあれ。」と、かこち顔( がほ ) 也( なり ) 。侍従( じじゆう ) 帰( かへつ ) て角( かく ) こそと語りければ、武蔵守( むさしのかみ ) いと心を空( そら ) に成( なし ) て、度重( たびかさな ) らばなさけによはることもこそあれ、文( ふみ ) をやりてみばやとて、兼好( けんかう ) と云( いひ ) ける能書( のうしよ ) の遁世者( とんせいしや ) を呼寄( よびよせ ) て、紅葉重( もみぢかさね ) の薄様( うすやう ) の、取( とる ) 手もくゆる計( ばかり ) にこがれたるに、言を尽( つく ) してぞ聞( きこ ) へける。返事遅しと待( まつ ) 処に、使帰り来( き ) て、「御文( おんふみ ) をば手に取( とり ) ながら、あけてだに見給はず、庭に捨( すて ) られたるを、人目にかけじと懐( ふところ ) に入( いれ ) 帰り参( まゐつ ) て候( さふらひ ) ぬる。」と語りければ、師直大( おほき ) に気を損( そん ) じて、「いや/\、物( もの ) の用に立( たた ) ぬ物は手書( てかき ) 也( なり ) けり。今日より其兼好( そのけんかう ) 法師、是( これ ) へよすべからず。」とぞ忿( いかり ) ける。かゝる処に薬師寺( やくしじ ) 次郎左衛門( じらうざゑもん ) 公義( きんよし ) 、所用の事有( あつ ) て、ふと差出( いで ) たり。師直傍( かたはら ) へ招( まねい ) て、「爰( ここ ) に文( ふみ ) をやれ共( ども ) 取( とり ) ても見ず、けしからぬ程( ほど ) に気色( けしき ) つれなき女房の有( あり ) けるをばいかゞすべき。」と打笑( うちわらひ ) ければ、公義( きんよし ) 、「人皆岩木( いはき ) ならねば、何( いか ) なる女房も慕( したふ ) に靡( なびか ) ぬ者や候べき。今一度( いちど ) 御文を遣( つかは ) されて御覧候へ。」とて、師直に代( かはつ ) て文を書( かき ) けるが、中々( なかなか ) 言( ことば ) はなくて、返すさへ手やふれけんと思( おもふ ) にぞ我文( わがふみ ) ながら打( うち ) も置( おか ) れず押返( おしかへ ) して、媒( なかだち ) 此( この ) 文を持( もち ) て行( ゆき ) たるに、女房いかゞ思( おもひ ) けん、歌を見て顔打( うち ) あかめ、袖に入( いれ ) て立( たち ) けるを、媒( なかだち ) さては便( たよ ) りあしからずと、袖を引( ひか ) へて、「さて御返事( おんへんじ ) はいかに。」と申( まうし ) ければ、「重( おもき ) が上( うへ ) の小夜衣( さよころも ) 。」と計( ばかり ) 云捨( いひすて ) て、内へ紛入( まぎれいり ) ぬ。暫くあれば、使急帰( いそぎかへつ ) て、「かくこそ候( さふらひ ) つれ。」と語( かたる ) に、師直うれしげに打案( うちあん ) じて、軈( やがて ) 薬師寺を呼寄( よびよ ) せ、「此( この ) 女房の返事に、「重( おもき ) が上( うへ ) の小夜衣( さよころも ) と云捨( いひすて ) て立( たた ) れける。」と媒( なかだち ) の申( まうす ) は、衣小袖( きぬこそで ) を調( ととのへ ) て送れとにや。其( その ) 事ならば何( いか ) なる装束( しやうぞく ) なりともしたてんずるにいと安かるべし。是( これ ) は何( なに ) と云( いふ ) 心ぞ。」と問はれければ、公義、「いや是( これ ) はさやうの心にては候はず、新古今の十戒( じつかい ) の歌に、さなきだに重( おもき ) が上の小夜衣( さよころも ) 我妻( わがつま ) ならぬ妻( つま ) な重( かさね ) そと云( いふ ) 歌の心を以て、人目計( ばかり ) を憚( はばかり ) 候物ぞとこそ覚( おぼえ ) て候へ。」と、哥( うた ) の心を尺( しやく ) しければ、師直大( おほき ) に悦( よろこび ) て、「嗚呼( ああ ) 御辺( ごへん ) は弓箭( ゆみや ) の道のみならず、歌道にさへ無双( ぶさう ) の達者( たつしや ) 也( なり ) けり。いで引出( ひきで ) 物せん。」とて、金作( こがねつくり ) の団鞘( まるさや ) の太刀一振( ひとふり ) 、手づから取出( とりいだ ) して、薬師寺にこそ引( ひか ) れけれ。兼好が不祥( ふしやう ) 、公義( きんよし ) が高運( かううん ) 、栄枯一時に地を易( かへ ) たり。師直此( この ) 返事を聞( きき ) しより、いつとなく侍従( じじゆう ) を呼( よび ) て、「君の御大事( おんだいじ ) に逢( あう ) てこそ捨( すて ) んと思( おもひ ) つる命を、詮( せん ) なき人の妻故( ゆゑ ) に、空( むなし ) く成( なら ) んずる事の悲しさよ。今はのきはにもなるならば、必( かならず ) 侍従( じじゆう ) 殿( どの ) をつれ進( まゐらせ ) て、死出( しで ) の山三途( さんづ ) の河をば越( こえ ) んずるぞ。」と、或時( あるとき ) は目を瞋( いからかし ) て云ひをどし、或時は又顔を低( たれ ) て云恨( いひうらみ ) ける程( ほど ) に、侍従( じじゆうの ) 局( つぼね ) もはや持( もて ) あつかいて、さらば師直に此( この ) 女房の湯より上( あがつ ) て、只顔( ただがほ ) ならんを見せてうとませばやと思( おもひ ) て、「暫く御待( おんまち ) 候へ。見ぬも非( あら ) ず、見もせぬ御心( おんこころ ) あては、申( まうす ) をも人の憑( たのまれ ) ぬ事にて候へば、よそながら先( まづ ) 其様( そのさま ) を見せ進( まゐら ) せ候はん。」とぞ慰( なぐさ ) めける。師直聞之より独( ひとり ) ゑみして、今日( けふ ) か明日( あす ) かと待( まち ) 居たる処に、北( きたの ) 台( たい ) の方に中居( なかゐ ) する女童( をんなわらは ) に、兼( かね ) て約束したりければ、侍従( じじゆうの ) 局( つぼね ) の方へ来( きたつ ) て、「今夜このあれの御留主( るす ) にて、御台( みだい ) は御湯ひかせ給ひ候へ。」とぞ告( つげ ) たりける。侍従( じじゆう ) 右( かく ) と師直に申せば、頓( やが ) て侍従( じじゆう ) をしるべにて、塩冶( えんや ) が館( たち ) へ忍( しの ) び入( いり ) ぬ。二間( ふたま ) なる所に、身を側( そば ) めて、垣の隙( ひま ) より闖( うかが ) へば、只今此( この ) 女房湯より上( あが ) りけりと覚( おぼえ ) て、紅梅の色ことなるに、氷の如( ごとく ) なる練貫( ねりぬき ) の小袖の、しほ/\とあるをかい取( とつ ) て、ぬれ髪の行( ゆく ) ゑながくかゝりたるを、袖の下にたきすさめる虚( そら ) だきの煙匂計( にほふばかり ) に残( のこつ ) て、其( その ) 人は何( いづ ) くにか有るらんと、心たど/\しく成( なり ) ぬれば、巫女廟( ぶぢよべう ) の花は夢の中( うち ) に残り、昭君村( せうくんそん ) の柳は雨の外( ほか ) に疎( おろそか ) なる心ちして、師直物( もの ) の怪( け ) の付( つき ) たる様( やう ) に、わな/\と振( ふる ) ひ居たり。さのみ程へば、主( あるじ ) の帰る事もこそとあやなくて、侍従( じじゆう ) 師直が袖を引( ひき ) て、半蔀( はじとみ ) の外迄出( いで ) たれば、師直縁( えん ) の上に平伏( ひれふし ) て、何( いか ) に引立( ひきたつ ) れ共( ども ) 起上( おきあが ) らず。あやしや此侭( このまま ) にて絶( たえ ) や入( いら ) んずらんと覚( おぼえ ) て、兎角( とかう ) して帰したれば、今は混( ひたす ) ら恋の病( やまひ ) に臥( ふし ) 沈み、物狂( くるは ) しき事をのみ、寐( ね ) ても寤( さめ ) ても云( いふ ) なんど聞( きこ ) へければ、侍従( じじゆう ) いかなる目にか合( あは ) んずらんと恐しく覚( おぼえ ) て、其行( そのゆく ) え知( しる ) べき人もなき片田舎へ逃下( にげくだり ) にけり。此( これ ) より後( のち ) は指南( しるべ ) する人もなし。師直いかゞせんと歎きけるが、すべき様( やう ) 有( あり ) と案出( あんじいだ ) して、塩冶( えんや ) 隠謀の企( くはたて ) 有( ある ) 由を様々に讒( ざん ) を運( めぐら ) し、将軍・左兵衛( さひやうゑの ) 督( かみ ) にぞ申( まうし ) ける。塩冶此( この ) 事を聞( きき ) ければ、とても遁( のが ) るまじき我( わが ) 命也( なり ) 。さらば本国に逃下( にげくだつ ) て旗を挙( あげ ) 、一旗を促( もよほし ) て、師直が為に命を捨( すて ) んとぞたくみける。高貞三月二十七日( にじふしちにち ) の暁、弐( ふたごこ ) ろ有( ある ) まじき若党( わかたう ) 三十( さんじふ ) 余人( よにん ) 、狩装束( かりしやうぞく ) に出立( いでたた ) せ、小鷹( こたか ) 手毎( てごと ) にすへて、蓮台野( れんだいの ) ・西山辺( にしやまへん ) へ懸狩( かけがり ) の為に出( いづ ) る様( やう ) に見せて、寺戸( てらど ) より山崎へ引違( ひきちがひ ) 、播磨路( はりまぢ ) よりぞ落行( おちゆき ) ける。身に近き郎等( らうどう ) 二十( にじふ ) 余人( よにん ) をば、女房子共に付( つけ ) て、物詣( ものまうで ) する人の体( てい ) に見せて、半時計( はんじばかり ) 引別( ひきわか ) れ、丹波路( たんばぢ ) よりぞ落しける。此比( このころ ) 人の心、子は親に敵( てき ) し、弟は兄を失( うしな ) はんとする習( ならひ ) なれば、塩冶判官が舎弟四郎左衛門( しらうざゑもん ) 、急( いそぎ ) 武蔵守( むさしのかみ ) が許( もと ) へ行( ゆき ) て、高貞が企( くはたて ) の様( やう ) 有( あり ) の侭( まま ) にぞ告( つげ ) たりける。師直聞之、此( この ) 事長僉儀( ながせんぎ ) して、此( この ) 女房取( とり ) はづしつる事の安からずさよと思( おもひ ) ければ、急( いそぎ ) 将軍( しやうぐん ) へ参( まゐり ) て、「高貞が隠謀の事、さしも急( きふ ) に御沙汰( ごさた ) 候へと申候( まうしさふらひ ) つるを聞召( きこしめし ) 候はで、此暁( このあかつき ) 西国を指( さし ) て逃下候( にげくだりさふらひ ) けんなる。若( もし ) 出雲・伯耆に下著( げちやく ) して、一族( いちぞく ) を促( もよほし ) て城に楯篭( たてこも ) る程ならば、ゆゝしき御大事( おんだいじ ) にて有( ある ) べう候也( なり ) 。」と申( まうし ) ければ、「げにも。」と驚騒( おどろきさわが ) れて誰をか追手( おひて ) に下( くだ ) すべきとて、其( その ) 器用をぞ撰( えらま ) れける。当座( たうざ ) に有( あり ) ける人々、我をや追手( おひて ) にさゝれんと、かたづを飲( のう ) で、機( き ) を攻( つめ ) たる気色( きしよく ) を見給( たまひ ) て、此( この ) 者共( ものども ) が中には、高貞を追攻( おつつめ ) て討( うつ ) べき者なしと思はれければ、山名伊豆( いづの ) 守( かみ ) 時氏と、桃井( もものゐ ) 播磨( はりまの ) 守( かみ ) 直常・太平( おほひら ) 出雲( いづもの ) 守( かみ ) とを喚( よ ) び寄( よせ ) て、「高貞只今西国を指( さし ) て逃下( にげくだ ) り候なる。いづく迄も追攻( おつつめ ) て打留( うちとめ ) られ候へ。」と宣( のたまひ ) ければ、両人共に一儀( いちぎ ) にも及( およば ) ず、畏( かしこまつ ) て領状( りやうじやう ) す。時氏はかゝる事( こと ) 共( とも ) 知( しら ) ず、出仕の装束にて参られたりけるが、宿所へ帰り、武具を帯( たい ) し勢( せい ) を率( そつ ) せば、時剋( じこく ) 遷( うつり ) て追( おつ ) つく事を得がたしと思ひけるにや、武蔵守( むさしのかみ ) が若党( わかたう ) にきせたりける物具( もののぐ ) 取( とつ ) て肩に打懸( うちかけ ) 、馬の上にて高紐( たかひぼ ) かけ、門前より懸足( かけあし ) を出( いだ ) して、父子主従七騎、播磨路( はりまぢ ) にかゝり、揉( もみ ) にもみてぞ追( おつ ) たりける。直常も太平も宿所へは帰( かへら ) ず、中間( ちゆうげん ) を一人帰して、「乗替( のりがへ ) の馬物具をば路へ追付( おつつ ) けよ。」と下知( げぢ ) して、丹波路( たんばぢ ) を追( おう ) てぞ下りける。道に行合( ゆきあふ ) 人に、「怪( あやし ) げなる人や通( とほ ) りつる。」と問へば、「小鷹少々すへたりつる殿原達十四五騎( じふしごき ) が程、女房をば輿( こし ) にのせて急( いそ ) がはしげに通( とほ ) りつる。其合( そのあはひ ) は二三里は過候( すぎさふらひ ) ぬらん。」とぞ答へける。「さては幾程も延( のび ) じ。をくれ馳( はせ ) の勢共( せいども ) を待( まち ) つれん。」とて、其( その ) 夜は波々伯部( はうかべ ) の宿( しゆく ) に暫く逗留( とうりう ) し給へば、子息左衛門( さゑもんの ) 佐( すけ ) ・小林民部( みんぶの ) 丞( じよう ) ・同左京( さきやうの ) 亮( すけ ) 以下( いげの ) 侍共( さぶらひども ) 、取( とる ) 物も取( とり ) あへず、二百五十( にひやくごじふ ) 余騎( よき ) 、落人( おちうと ) の跡を問々( とひとひ ) 、夜昼( よるひる ) の境もなく追懸( おつかけ ) たり。塩冶が若党共( わかたうども ) も、追手( おひて ) 定( さだめ ) て今は懸( かか ) るらん。一足( ひとあし ) もと急( いそぎ ) けれ共( ども ) 、女性( によしやう ) ・少( をさなき ) 人を具足( ぐそく ) したれば、兎角( とかう ) のしつらいに滞( とどこほつ ) て、播磨の陰山( かげやま ) にては早追付( おつつか ) れにけり。塩冶が郎等共( らうどうども ) 、今は落( おち ) 得じと思( おもひ ) ければ、輿( こし ) をば道の傍( かたはら ) なる小家( こいへ ) に舁入( かきいれ ) させて、向( むかふ ) 敵に立向( たちむかひ ) 、をしはだぬぎ散々( さんざん ) に射る。追手( おひて ) の兵共( つはものども ) 、物具( もののぐ ) したる者は少( すくな ) かりければ、懸寄( かけよせ ) ては射落( いおと ) し、抜( ぬい ) てかゝれば射すへられて矢場( やには ) に死せる者十一人、手負( ておふ ) 者は数を知( しら ) ず。右( かく ) ても追手( おひて ) は次第に勢( せい ) 重( かさな ) る。矢種( やだね ) も已( すで ) に尽( つき ) ければ、先( まづ ) 女性( によしやう ) をさなき子共を差殺( さしころ ) して、腹を切らんとて家の内へ走り入( いつ ) て見( みれ ) ば、あてやかにしをれわびたる女房の、通夜( よもすがら ) の泪( なみだ ) に沈( しづ ) んで、さらず共( とも ) 我( われ ) と消( きえ ) ぬと見ゆる気色( きしよく ) なるが、膝の傍( そば ) に二人( ふたり ) の子をかき寄( よせ ) て、是( これ ) や何( いか ) にせんと、あきれ迷( まよ ) へる有様を見るに、さしも武( たけ ) く勇( いさ ) める者共( ものども ) なれ共( ども ) 、落( おつ ) る泪( なみだ ) に目も暮( くれ ) て、只惘然( ばうぜん ) としてぞ居たりける。去( さる ) 程( ほど ) に追手( おひて ) の兵共( つはものども ) 、ま近く取巻( とりまい ) て、「此( この ) 事の起りは何事ぞ。縦( たとひ ) 塩冶判官を討( うち ) たり共、其( その ) 女房をとり奉らでは、執事( しつじ ) の御所存に叶( かなふ ) べからず。相構( あひかまへ ) て其( その ) 旨を存知せよ。」と下知( げぢ ) しけるを聞( きき ) て、八幡( はちまん ) 六郎( ろくらう ) は、判官が次男の三歳に成( なる ) が、母に懐( いだ ) き付( つき ) たるをかき懐( いだき ) て、あたりなる辻堂( つじだう ) に修行者( しゆぎやうじや ) の有( あり ) けるに、「此少( このをさなき ) 人、汝が弟子( でし ) にして、出雲へ下( くだ ) し進( まゐらせ ) て、御命を助進( たすけまゐら ) せよ。必ず所領一所( しよりやういつしよ ) の主になすべし。」と云( いひ ) て、小袖一重( ひとかさね ) 副( そへ ) てぞとらせける。修行者( しゆぎやうじや ) かい/゛\しく請取( うけとり ) て、「子細( しさい ) 候はじ。」と申( まうし ) ければ、八幡( はちまん ) 六郎( ろくらう ) 無限悦( よろこび ) て、元の小家( こいへ ) に立( たち ) 帰り、「我は矢種( やだね ) の有( あら ) ん程は、防矢( ふせぎや ) 射んずるぞ。御辺達( ごへんたち ) は内へ参( まゐつ ) て、女性少( をさ ) なき人を差殺( さしころ ) し進( まゐらせ ) て、家に火を懸( かけ ) て腹を切れ。」と申( まうし ) ければ、塩冶が一族( いちぞく ) に山城( やましろの ) 守( かみ ) 宗村( むねむら ) と申( まうし ) ける者内へ走( はし ) り入( いり ) 、持( もつ ) たる太刀を取直( とりなほ ) して、雪よりも清く花よりも妙( たへ ) なる女房の、胸の下をきつさきに、紅( くれなゐ ) の血を淋( そそ ) き、つと突( つき ) とをせば、あつと云( いふ ) 声幽( かすか ) に聞( きこ ) へて、薄衣( うすぎぬ ) の下に臥( ふし ) 給ふ。五( いつつ ) になる少( をさなき ) 人、太刀の影に驚( おどろい ) て、わつと泣( ない ) て、「母御( ははご ) なう。」とて、空( むなし ) き人に取付( とりつき ) たるを、山城( やましろの ) 守( かみ ) 心強( つよく ) かき懐( いだ ) き、太刀の柄( つか ) を垣にあて、諸共( もろとも ) に鐔本( つばもと ) 迄貫( つらぬか ) れて、抱付( いだきつき ) てぞ死( しに ) にける。自余( じよ ) の輩( ともがら ) 二十二人( にじふににん ) 、「今は心安し。」と悦( よろこび ) て、髪を乱( みだ ) し大裸( おほはだぬき ) に成( なつ ) て、敵近付( ちかづけ ) ば走懸( はしりかかり ) 々々( はしりかかり ) 火を散( ちら ) してぞ切合( きりあひ ) たる。とても遁( のがる ) まじき命也( なり ) 。さのみ罪を造( つくつ ) ては何( なに ) かせんとは思( おもひ ) ながら、爰( ここ ) にて敵を暫( しばらく ) も支( ささへ ) たらば、判官少( すこし ) も落延( おちのぶ ) る事もやと、「塩冶爰( ここ ) にあり、高貞此( これ ) にあり。頚( くび ) 取( とつ ) て師直に見せぬか。」と、名乗懸( なのりかけ ) 々々々( なのりかけ ) 二時計( ふたときばかり ) ぞ戦( たたかひ ) たる。今は矢種( やだね ) も射尽( いつく ) しぬ、切疵( きりきず ) 負( お ) はぬ者も無( なか ) りければ、家の戸口に火を懸( かけ ) て、猛火( みやうくわ ) の中[に]走( わし ) り入( いり ) 、二十二人( にじふににん ) の者共( ものども ) は、思々( おもひおもひ ) に腹切( きつ ) て、焼( やけ ) こがれてぞ失( うせ ) にける。焼( やけ ) はてゝ後、一堆( いつたい ) の灰を払( はらひ ) のけて是( これ ) を見れば、女房は焼野( やけの ) の雉( きぎす ) の雛( ひな ) を翅( つばさ ) にかくして、焼死( やけしに ) たる如( ごとく ) にて、未( いまだ ) 胎内( たいない ) にある子、刃( やいば ) のさき[に]懸( かけ ) られながら、半( なかば ) は腹より出( いで ) て血と灰とに塗( まみれ ) たり。又腹かき切( きつ ) て多く重( かさな ) り臥( ふし ) たる死人( しにん ) の下、少( をさな ) き子を抱( いだい ) て一つ太刀に貫( つらぬか ) れたる、是( これ ) ぞ何様( いかさま ) 塩冶判官にてぞあるらん。され共( ども ) 焼損( やけそん ) じたる首( くび ) なれば取( とつ ) て帰るに及ばずとて、桃井( もものゐ ) も太平( おほひら ) も、是( これ ) より京へぞ帰り上( のぼ ) りける。さて山陽道( せんやうだう ) を追( おう ) て下( くだ ) りける山名伊豆( いづの ) 守( かみ ) が若党共( わかたうども ) 、山崎財寺( たからでら ) の前を打過( うちすぎ ) ける処に跡( あと ) より、「執事( しつじ ) の御文( おんふみ ) にて候、暫く御逗留( ごとうりう ) 候へ。可申事有( あり ) 。」とぞ呼( よばは ) りける。何事やらんとて馬を引( ひか ) へたれば、此( この ) 者三町( さんちやう ) 計( ばかり ) 隔( へだた ) りて、「余( あま ) りにつよく走( わしつ ) て候程( ほど ) に、息絶( たえ ) てそれまでも参り得ず候。此方( こなた ) へ打帰( うちかへら ) せ給へ。」山名我身( わがみ ) は馬より下( おり ) 、若党( わかたう ) を四五騎( しごき ) 帰( かへ ) して、「何事ぞ。あれ聞( きいて ) 、急馳( いそぎはせ ) 帰れ。」とぞ下知( げぢ ) しける。五騎の兵共( つはものども ) 誠ぞと心得( こころえ ) て、使の前にて馬より飛( とび ) をり、「何事にて候やらん。」と問へば、此( この ) 者莞爾( につこ ) と打笑( うちわらひ ) 、「誠( まこと ) には執事( つしづ ) の使にては候はず。是( これ ) は塩冶殿( えんやどの ) の御内( みうち ) の者にて候が、判官殿( はうぐわんどの ) の落( おち ) られ候( さふらひ ) けるを知( しり ) 候はで伴をば不仕候。此( ここ ) にて主の御為に命を捨( すて ) て、冥途( めいど ) にて此様( このさま ) を語り申( まうす ) べきにて候。」と云( いひ ) もあへず抜合( ぬきあはせ ) 、時移( うつ ) る迄ぞ切合( きりあひ ) ける。三人( さんにん ) に手負( ておふ ) せ我( わが ) 身も二太刀( ふたたち ) 切( きら ) れければ、是( これ ) 迄とや思( おもひ ) けん、塩冶が郎等( らうどう ) は腹かき破( やぶつ ) て死( しに ) にけり。「此( この ) 者に出( いだ ) しぬかれ時剋( じこく ) 移りければ、落人( おちうと ) は遥( はるか ) に延( のび ) ぬらん。」とて、弥( いよいよ ) 馬を早め追懸( おつかけ ) ける。京より湊河( みなとがは ) までは十八里の道を二時計( ばかり ) に打( うつ ) て、「余( あま ) りに馬疲( つかれ ) ければ、今日はとても近付( ちかづく ) 事有( あり ) がたし。一夜( いちや ) 馬の足を休( やすめ ) てこそ追( お ) はめ。」とて、山名伊豆( いづの ) 守( かみ ) 湊河( みなとがは ) にぞとゞまりける。其時( そのとき ) 生年( しやうねん ) 十四歳に成( なり ) ける子息右衛門( うゑもんの ) 佐( すけ ) 、気早( きばや ) なる若者共( わかものども ) を呼抜( よびぬい ) て宣( のたまひ ) けるは、「北( にぐ ) る敵は跡( あと ) を恐( おそれ ) て、夜を日に継( つい ) で逃( にげ ) て下( くだ ) る。我等( われら ) は馬労( つかれ ) て徒( いたづら ) に明( あく ) るを待( まつ ) 。加様( かやう ) にては此( この ) 敵を追攻( おつつめ ) て討つと云( いふ ) 事不可有。馬強( つよ ) からん人々は我に同( どう ) じ給へ、豆州( とうしう ) には知( しら ) せ奉らで、今夜此( この ) 敵を追攻( おつつめ ) て、道にて打留( うちと ) めん。」と云( いひ ) もはてず、馬引寄( ひきよせ ) て乗( のり ) 給へば、小林以下( いげ ) の侍共( さぶらひども ) 十二騎、我( われ ) も々( われも ) と同( どう ) じて、夜中に追( おつ ) てぞ馳行( はせゆき ) ける。湊河より賀久河( かくがは ) 迄は、十六( じふろく ) 里( り ) の道を一夜( いちや ) に打( うつ ) て、夜もはやほの/゛\と明( あけ ) ければ、遠方人( をちかたびと ) の袖見ゆる、河瀬の霧の絶間( たえま ) より、向( むかう ) の方を見渡しければ、旅人とは覚( おぼえ ) ぬ騎馬の客三十騎計( ばかり ) 、馬の足しどろに聞( きこ ) へて、我先( われさき ) にと馬を早めて行( ゆく ) 人あり。すはや是( これ ) こそ塩冶よと見ければ、右衛門( うゑもんの ) 佐( すけ ) 川縁( かはばた ) に馬を懸居( かけすゑ ) て、「あの馬を早められ候人々は、塩冶殿( えんやどの ) と見奉るは僻目( ひがめ ) か、将軍を敵に思ひ、我等( われら ) を追手( おひて ) に受( うけ ) て、何( いづ ) くまでか落( おち ) られぬべき。踏留( ふみとどまつ ) て尋常( じんじやう ) に討死して、此長河( このちやうが ) の流( ながれ ) に名を残( のこ ) され候へかし。」と、言( ことば ) を懸( かけ ) られて、判官が舎弟塩冶六郎( ろくらう ) 、若党共( わかたうども ) に向( むかつ ) て申( まうし ) けるは、「某( それがし ) は此( ここ ) にて先( まづ ) 討死すべし。御辺達( ごへんたち ) は細路( ほそみち ) のつまり/\に防矢( ふせぎや ) 射て、廷尉( ていゐ ) を落( おとし ) 奉れ。一度( いちど ) に討死にする事有( ある ) べからず。」と、無( なか ) らん跡( あと ) の事までも、委( くはしく ) 是( これ ) を相謀( あひはかつ ) て、主従七騎引返( ひつかへ ) す。右衛門( うゑもんの ) 佐( すけ ) の兵十二騎、一度( いちど ) に河へ打入( うちいれ ) て、轡( くつばみ ) を双( ならべ ) て渡せば、塩冶が舎弟七騎、向( むかひ ) の岸に鏃( やじり ) をそろへ散々( さんざん ) に射る。右衛門( うゑもんの ) 佐( すけ ) が胄( かぶと ) の吹返( ふきかへ ) し射向( いむけ ) の袖に矢三筋( さんすぢ ) 受( うけ ) て、岸の上へ颯( さつ ) と懸上( かけあが ) れば、塩冶六郎( ろくらう ) 抜合( ぬきあつ ) て、懸違懸違( かけちがひかけちがひ ) 時移る程こそ切合( きりあひ ) たれ。小林左京( さきやうの ) 亮( すけ ) 、塩冶に切( きつ ) て落されて已( すで ) に打( うた ) れんと見へければ、右衛門( うゑもんの ) 佐( すけ ) 馳塞( はせふさがつ ) て、当( たう ) の敵を切( きつ ) て落す。残り六騎の者共( ものども ) 、思々( おもひおもひ ) に打死しければ、其首( そのくび ) を路次( ろし ) に切懸( きりかけ ) て、時剋( じこく ) を移さず追( おつ ) て行( ゆく ) 。此( この ) 間に塩冶は又五十町( ごじつちよう ) 計( ばかり ) 落延( おちのび ) たりけれ共( ども ) 、郎等共( らうどうども ) が乗( のつ ) たる馬疲( つかれ ) て、更にはたらかざりければ、道に乗捨( のりすて ) 歩跣( かちはだし ) にて相従ふ。右( かく ) ては本道を落( おち ) 得じとや思( おもひ ) けん、御著宿( ごちやくのしゆく ) より道を替( かへ ) て、小塩山( をしほやま ) へぞ懸( かかり ) ける。山名続( つづい ) て追( おひ ) ければ、塩冶が郎等( らうどう ) 三人( さんにん ) 返合( かへしあはせ ) て、松の一村( ひとむら ) 茂( しげ ) りたるを木楯( こだて ) に取( とり ) て、指攻( さしつめ ) 引攻( ひきつめ ) 散々( さんざん ) に射る。面( おもて ) に前( すす ) む敵六騎射て落し、矢種( やだね ) も尽( つき ) ければ打物( うちもの ) に成( なつ ) て切合( きりあつ ) てぞ死( しに ) にける。此( ここ ) より高貞落延( おちのび ) て、追手( おひて ) の馬共皆疲( つかれ ) にければ、「今は道にて追付( おひつく ) 事叶( かなふ ) まじ。」とて、山陽道( さんやうだう ) の追手( おひて ) は、心閑( こころしづか ) にぞ下( くだり ) ける。三月晦日( つごもり ) に塩冶出雲( いづもの ) 国( くに ) に下著( げちやく ) しぬれば、四月一日に追手( おひて ) の大将、山名伊豆( いづの ) 守( かみ ) 時氏、子息右衛門( うゑもんの ) 佐( すけ ) 師氏( もろうぢ ) 、三百( さんびやく ) 余騎( よき ) にて同国屋杉( やすぎ ) の庄に著( つき ) 給ふ。則( すなはち ) 国中に相触( あひふれ ) て、「高貞が叛逆( ほんぎやく ) 露顕( ろけん ) の間、誅罰( ちゆうばつ ) せん為に下向する所也( なり ) 。是( これ ) を打( うち ) て出( いだ ) したらん輩( ともがら ) に於( おいて ) は、非職凡下( ぼんげ ) を云( いは ) ず、恩賞を申与( まうしあた ) ふべき由。」を披露( ひろう ) す。聞之他人は云( いふ ) に不及、親類骨肉( こつにく ) 迄も欲心に年来( としごろ ) の好( よしみ ) を忘( わすれ ) ければ、自国他国の兵共( つはものども ) 、道を塞( ふさ ) ぎ前( さき ) を要( よぎつ ) て、此( ここ ) に待( まち ) 彼( かしこ ) に来( きたり ) て討( うた ) んとす。高貞一日も身を隠( かく ) すべき所無( なけ ) れば、佐々布( ささふ ) 山に取上( とりのぼつ ) て一軍( ひといくさ ) せんと、馬を早めて行( ゆき ) ける処に、丹波路( たんばぢ ) より落( おち ) ける若党( わかたう ) の中間( ちゆうげん ) 一人走付( わしりつき ) て、「是( これ ) は誰( た ) が為に御命をば惜( をし ) まれて、城に楯篭( たてごも ) らんとは思食( おぼしめし ) 候や。御台( みだい ) 御供( おんとも ) 申候( まうしさふらひ ) つる人々は、播磨の陰山( かげやま ) と申( まうす ) 所にて、敵に追付( おひつか ) れて候( さふらひ ) つる間、御台( みだい ) をも公達( きんだち ) をも皆差殺( さしころ ) し進( まゐらせ ) て、一人も残らず腹を切( きつ ) て死( しに ) て候也( なり ) 。是( これ ) を告申( つげまう ) さん為に甲斐なき命生( いき ) て、是( これ ) 迄参( まゐつ ) て候。」と云( いひ ) もはてず、腹かき切( きつ ) て馬の前にぞ臥( ふし ) たりける。判官是( これ ) をきゝ、「時の間( ま ) も離れがたき妻子( さいし ) を失( うしなは ) れて、命生( いき ) ては何( なに ) かせん、安からぬ物哉( かな ) 。七生( しちしやう ) 迄師直が敵と成( なつ ) て、思知( おもひしら ) せんずる物を。」と忿( いかつ ) て、馬の上にて腹を切( きり ) 、倒( さかさま ) に落( おち ) て死( しに ) にけり。三十( さんじふ ) 余騎( よき ) 有( あり ) つる若党共( わかたうども ) をば、「城になるべき所を見よ。」とて、此彼( ここかしこ ) へ遣( つかは ) し、木村源三一人付順( つきしたがひ ) て有( あり ) けるが、馬より飛( とん ) でをり、判官が頚を取( とつ ) て、鎧直垂( よろひひたたれ ) に裹( つつ ) み、遥( はるか ) の深田( ふかた ) の泥中( どろのなか ) に埋( うづん ) で後、腹かき切( きつ ) て、腸( はらわた ) 繰出( くりいだ ) し、判官の頚の切口を陰( かく ) し、上に打重( うちかさなつ ) て懐付( いだきつき ) てぞ死( しに ) たりける。後に伊豆( いづの ) 守( かみ ) の兵共( つはものども ) 、木村が足の泥に濁( よごれ ) たるをしるべにて、深田( ふかた ) の中より、高貞が虚( むなし ) き首を求出( もとめいだ ) して、師直が方へぞ送りける。是( これ ) を見聞( みきく ) 人毎( ひとごと ) に、「さしも忠有( あつ ) て咎( とが ) 無( なか ) りつる塩冶判官、一朝に讒言( ざんげん ) せられて、百年の命を失( うしなひ ) つる事の哀( あはれ ) さよ。只晉( しん ) の石季倫( せききりん ) が、緑珠( りよくしゆ ) が故( ゆゑ ) に亡( ほろぼ ) されて、金谷( きんこく ) の花と散( ちり ) はてしも、かくや。」と云( いは ) ぬ人はなし。それより師直悪行積( つもつ ) て無程亡失( ほろびうせ ) にけり。「利人者天必福之、賊人者天必禍之。」と云( いへ ) る事、真( まこと ) なる哉( かな ) と覚( おぼ ) へたり。