大詰 伍將軍甘輝館の場
- 役名==和藤内。
- 伍將軍甘輝館。
- 錦祥女
- 和藤内母、渚。
本舞臺、三間の間、奧深に高足の二重、四枚飾り、正面大模樣の襖。異形の瓦燈口。上手前へ一間の障子屋體。双方とも誂らへの蝦夷錦の緞帳。異風なる明り窓。この前に芭蕉、蘇鐵の植込み、取合せよろしく、本屋根、軒に誂への燈籠をかけ、蹴込み通り一面は石の組上げ。雷紋形唐草など好みの書割り。欄間びいどろ入り。この道具極彩色、朱塗り、見事に飾り、爰に唐女腰元七人。一人は燗銅壺にて酒の燗をしてゐる。その外の腰元は大廣蓋の上に、ギヤマン酒道具、いろ/\の器物を置き並べ、酒宴の支度の模樣にて、三味線入り唐樂にて幕明く。
[唄]
夢も通はぬ唐土に通へば、通ふ親子の縁、恩愛の綱結び合ひ、結ぶ餘りの縛り繩、かゝる例は異國にも、稀に咲き出す雪の梅、色香は同じ鶯の、聲にぞ通辭入らざりし。錦祥女は孝行深く、母を奧の一間に移し、二重の褥三重の蒲團、山海の珍菓名酒を以て、重んじもてなす有樣は、天上の榮華とも、又高手小手の縛めは、十惡五逆の科人とも、見る目いぶせく痛はしく、樣々に宮仕へ、誠の母と勞はりし、心の内こそ殊勝なれ、腰元の侍女寄り集り。
[ト書]
ト唐樂の合ひ方になり
腰一
サア/\、御酒のお燗は、もうよい/\、出來たぞえ。
腰二
これはマア南面女どのの忙しない。なんぼ日本人ぢやというて、女子は短氣な事もござんすまい。叮嚀にして上げたがよいわいなア。
腰三
さうぢやわいなア。急いでは事を仕損じ勝ち。お呵りを受けやうより、萬事ゆるりと氣をつけて。とはいふものゝ氣心知れぬ日本人。思へばひよんなお客樣。
腰四
珍味佳肴の品々の、お加減の違はぬうち、上げようではあるまいか。
腰五
それがようござんす。サア/\、御膳のお支度をしませうわいなア。
腰二
マア、それよりは、酒から先にせにやならぬぞえ。
腰三
こりやお前の指圖の通り、なんぼ日本人でも、お腹をこやしたその上では、御酒宴にならう筈もなし。
腰一
そこらは我が國の機轉をきかせ、燗となう急のですと、わたしが急いだは、どうぢやいなア。
腰五
ほんにこれは、南面女どの機轉は又格別。
腰六
御酒宴ならばそのお肴、わたしが持つて參りませう。
腰一
それはさうと、あのお客人の日本の女子を見たが、目も鼻も變らぬが、をかしい髮の結びやうといひ、變つた衣裳の縫ひやうぢやわいなア。
腰四
さいばいなう、若い女子もあの通りであらう。
腰一
なんぢややら、裾も褄もほら/\となるであらう。風が吹いたら太股まで、見えさうなものであるまいか。
腰三
さればいなア。日本人の着物は夏着には、よい都合でありさうなわいなア。
腰四
それ/\、日本は東の果とあるゆゑ、どうでも日の近い所だけ、寒い事はないと見える。ナア、皆さん。
腰五
オヽ、それ/\夏は素肌でゐるといなう。
腰七
エヽ又、當推量ばつかり。
腰一
したが、よう聞かんせや。あのやうな衣裳を着たならば、ほら/\と風が通つて、得ならぬ匂ひもするであらう。日本人になりたいなア。
腰五
そりやマア、どういふ譯ぢやぞえ。
腰四
恥かしい事ぢやなう。わしや日本人の女子に生るゝは
皆々
否ぢやわいやア。
腰六
さうして南面女どのが、日本人になりたいといふは、なんぞ譯のある事かや。
腰一
ハテ、日本は大きく和ぐ大和の國といふげな。なんと女子の爲には、よからうではないかいなア。
皆々
エヽ、そりや何を云ひやるぞいなう。
腰一
でも、こちや兎角好もしう思ふわいなア。
[唄]
目を細めてぞ喜びける、一間の内より錦祥女、物案じなる屈し顏、ひそ/\と立出で給ひ。
[ト書]
ト錦祥女、奧より出る。後より子役の唐子二人、附き添ひ出る。
錦祥
コレ/\、面白さうに何云ふぞ。一間にござる珍客は、自分とは生さぬ仲の母上なれば、孝といひ義理といひ、誠の母より重けれども、國の掟に詮方なく。
[唄]
縛りからめるおいとしさ、韃靼王へ洩れ聞え、連合ひに咎めあらうかと、宥免もなりがたく。
[錦祥]
難儀といふは我が身一つ、推量してたもいなう。
腰二
サア、あの御老母樣のお身の上、一伍一什を承はり、我が身のやうに思はれて。
皆々
ほんにお笑止な事でござります。
[唄]
笑止な事やと打しをれ、各々詞もなかりけり、錦祥女ひとり戀しく。
錦祥
いやとよ、母樣へ御馳走と申すには、其方衆よきに頼むぞかし。
腰三
イエモウ、それに如在はござりませぬが、何につけても日本は、食物も皆違ふ事なれば、どうしてよろしからうやら。
皆々
私しどもには分りませぬ。
錦祥
成る程、こりやさうありさうなもの。兎に角お口に合ふ物を、伺うて進ぜてたも。
[唄]
と宣へば。
腰一
今日の御膳部はお料理に念を入れ、龍眼肉の御飯に、お汁は家鴨の油揚、豚のこくせう、羊の濱燒き、牛の蒲鉾、虎の一鹽、樣々にして上げても。
腰四
なう忌々しい、そんなものは否とばかり御意なされまする。
腰五
何にも外に召上がらず、縛られて手も叶はぬ事なれば、つい握飯をしてくれと御意なさるゆゑ。
腰二
その握飯といふ食物は、どのやうな物であらうぞと、南面女どのに問合せましたところ。
腰一
わたしがつく%\考へるに、日本では角力取りを結びと申すげな。それゆゑ方々尋ねても、折も惡うお齒に合ひさうな、角力取りが切れ物でござりまする。
[唄]
評議とり%\する所へ、表に轟く馬車。
呼び
御歸館。
錦祥
ナニ、我が夫の御歸館とあれば、この品々を一先づ取除けてしまや。
皆々
心得ました。
[ト書]
ト銘々臺の物を片附ける。
[唄]
歸館なりとさゞめけば、唐櫃先に舁入れさせ、優々たる絹傘に、流石は猛き伍將軍、甘輝と名に負ふその勿體。
[ト書]
ト誂らへの唐樂になり、花道より下官、笛を吹き、下官兩人、太鼓を擔ぎ、これを下官打ち、後より下官、銅鑼を携へ、各々唐樂を奏し、歸去來下官兩人、唐櫃を擔ぎ、後より幟二本二行に並び、官人四人、左右へ警固して、伍將軍甘輝、唐冠、見事なる裝束、軍配を持ち、中通りの官人、絹傘をさしかけ出づる。替へ沓の臺共に持つ下官大勢附き添ひ出る。各々舞臺へ來ると、鳴り物打上げる。錦祥女こなしあつて
錦祥
何とて早き御退出、先づ/\。
[ト書]
トこれにて舞臺より所へ住ふ。下官、誂らへの床几、結構なる煙草盆などを甘輝の前へ持ち行く。皆々下座へ入る。
[錦祥]
我が夫、御前は何と候ふぞや。
甘輝
されば/\、韃靼王叡聞深く、過分の御加増、十萬騎の旗頭、散騎將軍の官に任ぜられ、諸侯王の冠裝束賜はり、大役を仰せつけらるゝ、家の面目、これに過ぎず。
[唄]
とありければ、錦祥女笑みを含み。
錦祥
それはお手柄、おめでたう存じまする。家の吉事は重なる物、日頃戀しい床しいと、申し暮せし父上、日本にて儲け給ひし母兄弟、頼みたき事あるとて、門外まで來り給へども、お留守といひ嚴しき國の掟を憚り、男子は皆還し、母上ばかりを留め置きしが、猶も上の聞えを恐れ、繩を懸けてアレあの、奧の亭にて御馳走は申せども、胎内借らぬ母上、繩懸けて置きましたも、悲しい事でござりまする。
[唄]
悲しさよとぞ語りけり。
甘輝
ナニ、繩懸けしとは好い料簡、上へ聞えて云ひ譯あり。隨分ともに疎略なきやうもてなせよ。イザ先づ我れも對面せん。案内申せ。
[唄]
と云ふ聲の、洩れ聞えてや褄戸の内。
母
なう錦祥女、甘輝どのがお歸りとや。爰は餘り高上がり、妾はそれへ。
[唄]
立出づる、形はいとゞ老木の松の、しめからまれし藤葛、起居苦しきその風情、甘輝見る目も痛はしく。
甘輝
誠世の中に、子といふ者のあればこそ、山川萬里を越え給ふ。
[唄]
その甲斐もなき縛めは、時代の掟是非もなし、それ女房お手が痛むか、氣をつけよ。優曇華の客人、聊か疎略に存ぜず。
[甘輝]
何事なりともこの甘輝が、身に相應の事ならば、必ず心置かるゝな。
[唄]
必ず心措かるゝなと、世に睦じくもてなせば、老母が顏色打解けて。
母
オヽ頼もしい。忝ない。その詞を聞くからは、何しに心措くべきぞ。頼み入りたき一大事。さりながら、他聞を憚る事なれば。
[ト書]
ト皆々へこなし。
甘輝
いかさま、ソレ。
[ト書]
ト錦祥女へ思ひ入れ。
錦祥
腰元どもには、暫く次へ。
皆々
ハアヽ。
[ト書]
ト音樂にて、皆々奧へ入る。甘輝、後を見送り、思ひ入れあつて
甘輝
サヽ、お心措きなう。
母甘
イザ、それへ。
[唄]
ひそかにこれへと小聲になり。
[ト書]
トこれより木琴びんざゝら入りの合ひ方になり。
[母]
なう、我れ/\この度唐土へ渡りしは、娘床しいばかりでなく、去年の初冬、備前の國松浦といふ所へ、大明の帝の御妹、栴檀皇女小船に召されて、御代を韃靼に奪はれし御物語り聞くと等しく、父は元より明朝の陪臣。我が子の和藤内と申す者、賤しき海士の手業ながら、唐土日本の軍書を學び、韃靼大王を滅ぼし、昔の御代に飜へし、姫宮を王位に即けんと、先づ日本に殘し置き、親子三人。
[唄]
この唐土へ來れども、淺ましや草木までも、皆韃靼に從ひ靡き。
[母]
大明の味方に志す者、一人も候はず、和藤内が片腕の、味方に頼むは甘輝殿、力を添へて下されかし。
[唄]
偏へに頼みまゐらする、老が頼みも眞實心、額を膝に押下げて、只一筋の志し、思ひ乞うてぞ見えにける。甘輝大きに驚きて。
甘輝
ムウ、さては聞き及ぶ日本の和藤内と申すは、この錦祥女とは同胞、鄭芝龍一官の子息に候ふとな。ムウ、武勇の程唐土までも隱れなく、頼もしき思ひ立ち、尤も斯くこそあるべけれ。我れらも先祖は大明の臣下。帝亡び給ひてより、頼むべき主君もなく、韃靼の恩賞蒙り、月日を送る折柄、望む所の御頼みなれど、少しく存ずる旨あれば、急に返事もなしがたし。とつくりと思案の上、
[唄]
お返事を申したきが、と云はせも果てず。
母
アヽ、そりや御卑怯な、詞が違ふ。これ程の一大事、口より出せば世間ぞや。思案のうちに洩れ聞えて、不覺を取らば悔んでも返らぬ。。お恨みとは思ふまじ、成る成らざるの御返事を、サア只今。
[唄]
と責めつくれば。
甘輝
ムウ、急に返答聞きたくば、易い事/\。いかにも伍將軍甘輝、和藤内が味方なり。
[唄]
云ふより早く、錦祥女が胸許取つて引寄せ、劍引拔き咽喉吭に差當つる。老母はあはて飛蒐り、二人が中へ割つて入り、持つたる手をば振り放し、娘を背に押遣り押遣り、仰向けに重なり臥し、大聲揚げて、これ情なし何事ぞ。
[ト書]
ト甘輝、劔を拔き、錦祥女を劔にて刺さんとするを、母、錦祥女を庇ひ、隔て留めるこなしよろしくあつて
母
コレ情ない何事ぞ。人に物を頼まれては、女房を刺し殺すが唐土の習ひか。心に染まぬ無心を聞くも、女房の縁あるゆゑと、腹が立つての事なるか。但し狂氣召されたか。
[唄]
たま/\初めて來て見たる、母親の目の前で、殺さうとする無法人、日頃より思ひ遣られた。
[母]
味方をせずばせぬまでよ。今までと違うて親のある大事な娘。コレ、怖い事はない。母にしつかと取りつきやいなう。
[唄]
隔ての垣と身を捨てゝ、かこち歎けば錦祥女、夫の心は知らぬども、母の情の有難さ。
錦祥
怪我遊ばすな。
[唄]
とばかりにて、共に涙に咽びけり、甘輝飛び退つて。
[ト書]
ト甘輝、劔を取り直し、キツと見得よろしくあつて、合ひ方きつぱりとなり
甘輝
オヽ、御不審な尤も。全く某無法にあらず、狂氣にも候はず。昨日韃靼王より某を召して、この頃日本より和藤内といふえせ者、下劣の身を以て、智謀軍術逞しく、韃靼王を傾け、大明の世に飜さんとこの土に渡る。彼れが討手誰れならんと、數千人の諸侯のうちより、この甘輝を選り出され、散騎將軍の官に任じ、十萬騎の大將を賜はる。然るに和藤内は我が妻の弟なりと夢にも知らず、彼奴日本に傳へ聞く、楠とやらんが肝膽を出で、朝比奈辨慶とやらんが勇力あるとも、我れ又孔明が脹に分け入り、樊
項羽が骨隨を借つて、一戰に退つて退ひまくり、和藤内が月代首提げて來らんと、廣言を吐きし某が。
[唄]
一太刀も合せず、矢の一本も放さず、ぬく/\と味方せば。
[甘輝]
アレ見よ、伍將軍甘輝、なか/\日本の武勇に聞き怖ぢするものでなし、察するところ女に絆され、縁に引かれ腰が拔けて、弓矢の義を忘れしと、韃靼王の雜口に、かけられんは必定。然れば子孫末孫の恥辱遁がれ難し。
[唄]
恩愛不便の妻を害し、女の縁に引かれざる、義信の二字を額に當て、さつぱりと味方せんため。
[甘輝]
ヤイ錦祥女、とゞむる母の詞には慈悲心籠る。殺す夫の劔の先には忠孝籠る。親の慈悲と忠孝に、命を捨てよ、コリヤ女房。
[唄]
理非をかざらぬ勇士の詞。
錦祥
オヽ聞き分けた。身に適うた忠孝。親に貰うたこの體。
[唄]
孝行のため捨てる命は、をしいとも思ひませぬと、母を押しのけ、つツと寄り。
[錦祥]
サア、お手にかけて下さりませ。
甘輝
オヽ、よい覺悟。
[唄]
胸押明くれば引寄せて、見る目危ふき氷の刃、なう悲しやと駈け隔て、押分けんにも詮方なく、退けんとするに手は叶はず、娘の袖に喰ひついて、引退くれば夫が寄る、夫の袖を咥へて引けば、娘は死なんと又立寄るを、口に咥へて唐猫の、塒をかゆる如くにて、母は目もくれ身も疲れ、わつとばかりにだうと伏し、前後不覺に見えければ、錦祥女縋りつき。
[ト書]
ト三人よろしく動きあつて
錦祥
一生親知らず、ついに一度も孝行なく、なんで恩を送らうぞ。死なせてたべ母上樣。
[唄]
口説き歎けばわつと泣き。
母
なう悲しい事云ふ人や。殊に御身は、娑婆と冥土に親三人、殘る二人の父母は、産み落した大恩あり、中に一人のこの母は、憐みかけず恩もなく。
[唄]
うたてや繼母の名は、削つても削られず、今爰で死なせては。
[母]
日本の繼母が、三千里隔てたる、唐土の繼子を憎んで見殺しに殺せしと、我が身の恥ばかりか、あまねく國々に日本人は邪險なりと、國の名を引出すは、我が日本の恥ぞかし、
[唄]
唐を照らす日の影も、日本を照らす日の影も、光りに二つなけれども。
[母]
日本は日の始め、仁義五常あり、慈悲專ら、神國に生を享けたるこの母が。
[唄]
娘殺すを見物し、そも生きてゐられうか。
[母]
願はくばこの繩が、日本の神々の注連繩になれよかし。
[唄]
我れを縛り殺し。
[母]
屍は異國に曝すとも、
[唄]
魂は日本に、導き給へと聲を上げ、道もあり情もあり、哀れも籠る口説き泣き、錦祥女は縋りつき、母の袂のもろ涙に、甘輝も道理に至極して、そゞろ涙に暮れけるが、やゝあつて席を打ち。
甘輝
ハヽア、是非もなし力なし、母の承引なき上は、今日より和藤内とは敵味方。老母をこれに止め置きては、人質と思はれんも本意ならず、輿車用意して、所を尋ね送り參らせよ。
[唄]
とありければ。
錦祥
いやとよ、この遣り水より黄河まで、よき便りには白粉流し、叶はぬ知らせは紅を流す約束にて、迎ひにお出である筈。イデ、紅を解いて流し知らせん。
甘輝
それ屈竟の思ひ立ち、時刻移さず、早く/\。また客人には暫時の間も無慙の繩目、さぞかし御手の痛からん。さりながら、國の掟の是非もなく、又門外へ出る時は、再び繩目にかくるとも、暫く繩解き、寛ぎ得させん。
錦祥
妾は紅をとく/\と、イザ門外へ、お知らせ申さん。
[唄]
いざ紅溶いて流さんと、一間の内へ入りけり。
[ト書]
ト錦祥女思ひ入れあつて、上手の緞帳の内へ入る。
[唄]
母は思ひにかきくれて。
母
思ふに違ふ世の中を、立歸りて夫や子に、何と語り聞かせんぞ。
[唄]
思ひやる方涙の色、老母はきつと心を定め。
[母]
よし/\、この儘歸り、何とて面が合はされう。今一度娘に逢うて、オヽさうぢや。
[唄]
驅け入らんと息込むを、甘輝隔てゝ立ち塞がり、
甘輝
老母、いづれへ行かるゝぞ。マア、待たれよ。
[唄]
いたはり止むる伍將軍、智仁兼備の大將と、云はねど知れし形相なり。
[ト書]
トこれにて正面へ緞帳を振りおろし、甘輝母の兩人を隱す。
[唄]
甘輝が詞是非なくも、化粧殿より城外の、二人へ見する叶はぬ知らせ、涙とともに押流す、紅より先の唐錦。
[唄]
錦祥女は瑠璃の鉢、紅溶き入れて携へ出で。
[ト書]
ト唐樂になり、上手の緞帳を卷き上げる。錦祥女、銀張りの紅鉢を持ち、こなしあつて
[唄]
これぞ親子が渡らぬ錦中絶ゆる、名殘は今ぞと夕波の、泉水にさら/\/\、落せば瀧津瀬の紅葉と、浮世の秋をせき下し、共に染めたるうたかたの、紅くゞる遣り水の、落ちて黄河の流れの末、哀れ果敢なき有樣なり。
[ト書]
ト錦祥女、件の瑠璃の器より紅を流すこなしよろしく、これにて舞臺前の波板へよろしく流るゝ仕掛け好みの通り。波の音のあしらひよろしくあつて、トヾ文句一杯に屋體へ緞帳を下ろす。知らせにつき、本舞臺へ誂らへの鐵の條金入りし、唐門の幕を振り下ろす。
本舞臺、一面に左右切石疊みへ瓦燈口の如く、上へ獅噛みの鑄物形、嚴重なる唐門、彩色せる書き起しの道具幕になる。本舞臺眞中へ和藤内、厚綿衣裳織物の丸ぐけ、荒事のこしらへ。竹笠をかざし、松明を振り照らし、吉例のこしらへよろしく、石橋の上へ立ち身。前なる流れへ紅流るゝ模樣。これを見込みし見得。賑やかなる鳴物にてセリ上がる。
[唄]
和藤内は岩頭に、簑打かづき座を占めて、赤白二つの河水に、心をつけて水の面。
[ト書]
ト和藤内、波をぢつと見込みし思ひ入れあつて
和藤
南無三、紅が流るゝは、さては望みは叶はぬよな。味方もせぬ甘輝めに、大事の母人預けて置かれぬ。イデ踏み込んで。
[唄]
踏み出す足の早瀬川、流れを留めて駈け行く折柄。
[ト書]
ト駈け出さんとする。文句へかぶせて早笛になり、唐人大勢揚幕より出て
皆々
バア/\。
[ト書]
ト取卷く。
[唄]
出で逢ふ軍卒かけ隔て、やらじと組付く下官ども。
[ト書]
ト唐人囃子早めて、皆々和藤内をやらじと支へるを、大太鼓入りの鳴物にて、大まくしの立廻りよろしくあつて
[唄]
右と左へ人礫、目覺ましかりける次第なり。
[ト書]
ト和藤内、皆々を打つけ/\、トヾ右の鳴り物早笛にて、皆々を追ひ、よろしき見得にて、揚幕へ入る。橋をセリおろし、知らせにつき、道具幕切つて落す。
本舞臺、元の唐屋體に戻る、爰に母、繩にかゝりしなりに、上手に甘輝、以前の拵へにて住ひ、唐樂にて道具納まる。
[唄]
はや時移る館には、主人の甘輝謹然と、座を占めて打守れば、母はやうやく顏を上げ
母
コレ甘輝どの、母が願ひぢや程に聞き分けて、味方について下されいなう。
甘輝
イヤ、何程お願ひあらうとも、叶はぬ事ぢや。聞く耳はござらぬ。
母
すりや、どのやうに願うても。
甘輝
アヽ、くどい事ぢや。
母
ハアヽ。
[唄]
鋭き詞に云ひ放され、思案途方に暮れゐたる。折もこそあれ俄かに城内騒がしく、荒に荒れ來る和藤内、堀を飛び越し塀を乘り越え、籬透垣踏み破り、甘輝が城の奧の庭、見ぬ唐土の阿房宮。珊瑚のゆき桁瑪瑙の梁、錦の帳瑠璃の柱、金銀珠玉を鏤めて、あたり閃めく有樣に、しばし呆るゝばかりなり。
[ト書]
ト早笛になり、花道より和藤内、以前のこしらへ脱ぎ掛けにて走り出て來る。これを以前の唐人、下官のうち四人程、ちよつと支へるを張り退け、立廻つて皆々を投げ退けキツとなり
[唄]
母の縛め繩引きちぎり、甘輝が前に立ちはだかり。
[ト書]
ト和藤内、走り寄つて母の縛めの繩引ちぎり、甘輝へキツと詰め寄りて
和藤
伍將軍甘輝といふ髭唐人は和主よな。天にも地にもたつた一人の母に繩懸け、おのれをおのれと奉つたは、味方に頼まん爲なるに、持ち長すれば方圖もない。味方にはこの大將が不足なか。第一女房の縁といひ、其方から從ふ筈。サヽ、日本無双の和藤内が、直に返答聞かう。いかに/\。
[唄]
柄に手をかけ突ツ立つたり。
[ト書]
ト和藤内、荒事の見得。
甘輝
ヘヽハヽア。オヽ、女房の縁と云はゞ猶ならぬ。御邊が日本無双なれば、我れは唐土、稀代の甘輝。
[ト書]
ト誂への鳴り物になり
[甘輝]
女に絆され味方する勇士にあらず。女房を去る所もなし。病死するまでべん/\とも待たれまい。追風次第早歸れ。但し置土産に、首が置いて行きたいか。
[唄]
空嘯いて吹く煙り。
和藤
イヤサ、日本の土産に、うぬが首を持つて行く。
甘輝
イヤ、其方が首置いて行け。
和藤
何を小癪な。
[唄]
兩方拔かんとする所、一間の内より錦祥女聲をかけ。
[ト書]
トこの前に緞帳卷き上げ、錦祥女窺ひゐて
錦祥
なう/\早まり給ふな。病死を待つまでもなく。只今流せし紅いの、水上を見給へや。
[ト書]
トいひながら、ツカ/\と眞中に出る。
[唄]
衣裳の胸を押開けば、九寸五分の懷劔、乳の下より肝先まで、横に縫うて刺通し、朱に染みたるその有樣。
[ト書]
ト錦祥女兩肌脱ぐと、自害せし體にて、血に染まり苦しき思ひ入れ。
[唄]
母はこれはとばかりにて、かつぱと伏して正體なく、和藤内も動顛し、覺悟を極めし夫さへ、そゞろに驚くばかりなり。錦祥女は苦しげに顏をあげ。
[錦祥]
これにござる母上は、日本の國の恥を思し召し、殺すまいとなさるれど、我が命を惜しみ、親兄弟を貢がずば、唐土の國の恥と、斯くなる上は女に惹かさるゝ
[唄]
人の誹りはよもあるまじ。
[錦祥]
ナウ甘輝どの。親兄弟の味方して、力ともなつてたべ。父にも斯くと告げてたべ。もう物云はせて下さるな。
[唄]
苦しいわいのとばかりにて、消え%\にこそなりにけり、甘輝涙を押しかくし。
甘輝
オヽ、出來した/\。自害を無にはさせまいため、この場に於て甘輝が誓言。
[唄]
和藤内が前に頭を下げ。
[甘輝]
某先祖は明朝の臣下、進んで味方申すべき身の、女の縁に迷ひしと、俗難を憚りしに、我が妻只今死を以て義を勸むる上は、心清く御味方、大將軍と仰ぎ、諸侯になぞらへ、御名を改め、延平王國性爺、鄭成功。
[唄]
と號すべし。裝束召させ奉らん。
[甘輝]
者ども、用意。
[ト書]
トこの時、奧にて
皆々
ハヽア。
[唄]
武運開くる唐櫃の、二重の錦、羅綾の袂、緋の裝束、昆龍朱雀彩糸に、黄金綾どり、燕紫の纐纈紅ゐ恥づる錦繍の、花に薫りも深見草。
[ト書]
トこのうち唐人皆々、籏、差し物、鐵砲、弓、矢、鉾をめい/\持ち出て後に並ぶ。この内唐人のうち皆々誂へし裝束を持ち出て、和藤内、裝束を着る。甘輝も爰にて裝束を改める事、好みの通りあるべし。前の文句につゞき
[唄]
章甫の冠花紋の沓、珊瑚琥珀の石の帶、莫耶の劔黄金を磨き。
[ト書]
ト兩人裝束着けよろしく、このうちに舞臺上下へ誂への椅子へ虎の皮を掛けしを持ち出て、よき所へ直す。すべて誂への通り飾りつきし絹傘を二蓋持ち出でて、よろしく警衞する事あつて、和藤内甘輝兩人、冠裝束誂への通り着し終る。
[唄]
絹傘さつと差しかくれば、十萬餘騎の軍兵とも、憧の旗幡の旗、吹拔楯鉾弓鐵砲、鎧の袖を列ねしは、會稽山に越王の、再び出でたる如くなり、母は大聲高笑ひ。
[ト書]
ト母、嬉しきこなしあつて
母
アヽ嬉しや本望や、あれを見や錦祥女。御身が命を捨てしゆゑ、親子の本望達したり。親子と思へど天下の本望。この劔は九寸五分なれど、四百餘州を治むる自害、この上母が存らへては、始めの詞虚言となり、再び日本の國の恥を引起す。
[唄]
娘の劔をおつ取つて、咽喉へがばと突き立つる、人々これはと立騒げば。
[ト書]
ト母、錦祥女が貫きし懷劍を取上げ自害する。皆々思ひ入れ。
[母]
アヽ、寄るまい/\。ナウ甘輝、國性爺、母や娘の最期をも、必ず歎くな悲しむな。韃靼王は面々の母の敵妻の敵と、思へば討つに力あり、氣をたるませぬ母の慈悲、この遺言を忘るゝな。父一官が在すれば、親には事を缺くまいぞ。母は死して諫めをなし、父は存らへ教訓せば、世に不足なき大將軍、浮世の思ひ出、早これまで。
[唄]
肝のたばねを一抉り切りさばき、あへなき息も絶え絶えに。
[母]
サア錦祥女、この世に心殘らぬか。
錦祥
なんの未練が殘りませう。
[唄]
云へども殘る夫婦の名殘、親子手に取り引寄せて、國性爺が扮裝を、見上げ見下ろし嬉しげに、笑顏を娑婆の形見にて、一度に息は絶えにけり。
[ト書]
ト母、錦祥女兩人よろしく思ひ入れあつて。
[唄]
鬼を欺く國性爺、龍虎と勇む伍將軍、涙に眼は眩めども、母の遺言背くまじ、妻の心を破らじと、國性爺は甘輝を耻ぢ、甘輝は又國性爺に、愧ぢて萎るゝ顏かくす、義勇劣らぬ英傑の、涙を含む鐵石心、泣くに優りし思ひなり。
[ト書]
ト甘輝和藤内、このうち愁ひの浮みし顏をそむけ、思ひ入れあつて、思はず落涙しかけ、ヂツと怺へし思ひ入れ。大オトシよろしくあつて
[唄]
甘輝心を取り直し。
甘輝
心合する上からは。
和藤
國家へ盡す。
兩人
忠義の首途、
和藤
御身が軍慮は、如何に/\。
甘輝
ホヽウ、我が出陣の手始めに。
[ト書]
ト軍配を取り思ひ入れあつて
[唄]
黄河の境に陣を敷き、右龍左龍虎先鋒とし、六千餘騎の隊伍を分ち、魚鱗鶴翼龍蛇の備へ、千變萬化と攻付けて、雲門關を乘取らば。
[ト書]
ト物語りよろしくあつて
[甘輝]
味方の勝利幸先よし。
[唄]
これにて鄭成勇み立ち。
和藤
ムヽ、ムヽ、ヘヽヽヽヽ、面白し潔し。
[唄]
我れはもと日の本の、頭を照す旭影。
[和藤]
旗差物も翩翻と、靡かば敵にも手段やあらん。
[唄]
孫呉が奇計の虚々實々、赤洞城を一騎駈け、粉灰微塵と踏破り、勝鬨あげんな目のあたり。
[和藤]
アラ心地よや、嬉しやなア。
[唄]
と勇み立つ。
[ト書]
ト和藤内キツと見得。甘輝こなしあつて
甘輝
生死二つを一道に
和藤
母の遺言釈迦の經。
甘輝
この虚に乘つて韃靼王の
和藤
髭首引拔き、イデ物見せん。
甘輝
ハア/\、潔し/\。
[唄]
玉ある淵は岸破れず、龍栖む池は水涸れず、かゝる勇者の出生す、國々たり君々たり。
[甘輝]
日本の麒麟、これならん。
[唄]
異國に武勇を照らしけり。
[ト書]
ト和藤内、上に、甘輝、下にて立身。これへ絹傘を差みかけ、皆々引張りの見得よく、唐樂をあしらひ、
幕
國性爺合戰(終り)



